この問題は極めて重要であるから本大会では、根本的態度、または結論は決定するが、これに関する種々の問題に関しては、直ちに最後的決定をしてしまうよりも、もう少し慎重にやりたい。中央委員会では本大会でこの問題に関する方針書起草委員会を決めて、この委員会で草案をつくり、これを来年の全国協議会にかけ、さらに次の全国大会で最後的に決定をしたいということに決めた。当大会に出された材料は、単なる材料である。
それ故、私の報告は、重要な点だけを説明して諸君の討論の参考としてもらいたい。
何故この問題をかように慎重に扱うのか?
第一に、この問題自体が複雑である上に、国内的、国際的情勢の変化によって変化をうけたし、また今後も変化をうける。たとえば講和会議がどう行われるか、その結果でも大きな変化をうける。従って本問題の最後的決定のためには、こうした変化の見とおしが、ある程度はっきりしなくてはならぬ。
第二には、一、二の根本的に違った意見が出ているからである。一つは民主主義革命はすでに終った。だから、革命の性質は社会主義革命、すなわちプロレタリア革命だという意見がある。もう一つは今は重視するほどのことはないが、過去二年間の内外情勢の変化は、封建制や勢力にたいした影響はあたえていない。だから、今日においても三二年テーゼはそのまま適用できるという意見である。
以上、二つの意見は正しくないと思う。さて結論を先に述べる。
われわれは、現段階においてブルジョア民主主義革命を完成し、この過程で社会主義革命への過渡的任務を遂行せねばならぬ。農村では封建制が清算されていない。官僚制と封建的勢力とはがん強に残っている。これを徹底的に清算しなければならぬ。それと同時に、社会主義的方向に一歩前進しなくてはならぬ。すなわち、最近わが党が参議院に提出した「金融機関および重要産業の国営人民管理」案、これを実現することである。右が、わが民族の独立を確保するゆえんである。
問題のとり上げ方に注意しなくてはならぬ。
第一に、わが国の革命が、ロシア革命やそれ以前の英仏などのブルジョア民主革命とはちがって人民大衆の下からの力【が主】ではなく、外の力が革命の途を切り開いたということである。これがわが国の革命の大きな特徴の一つであり、これを無視して過去二ヵ年半の変化を見ることはできない。従って、一九一七年のロシアでこうであったから日本でもこうだということは出来ない。
第二に、変革が進行中であり、過渡的状態にあるということである。この変革がどういう方向をとるかは、これからのわれわれの闘争によってきめられるということである。
第三に、形式上の変化と実際とが相違していることに注意しなくてはならぬ。たとえば、憲法や農地改革をとって見ても、形式では民主的だが、実際には大変非民主的なものが残されている。形式にとらわれてはいけないことである。もともと、憲法は、現に実際に変革された政治経済、社会の諸条件の法制化であるべきである。ところが、現在の日本では形だけは新しい憲法が制定された。しかし実際には、これがそのまま行われていない。われわれは、新憲法の条文からでなく、都市農村の実際の生活から結論を見出さねばならぬ。
戦略は、階級闘争のやり方についての方向を決めるのである。だから実際の戦場の敵味方の実情からひき出されるべきで紙の上で決めるべきではない。
この問題の論議で、各地区、細胞の論議の中に、警戒すべき二、三の点を指摘しなければならぬ。
第一に、この問題を単に学究的立場からとりあげ、論議のために論議する傾向がある。問題は、実際の闘争をいかに進めていくかという見地から取扱われなくてはならない。
第二に、抽象的なことからではなく、具体的なものからこの問題をとりあげる必要がある。マルクス、レーニンあるいはスターリンの言句を引用して、それだけで問題を処理しようとしたり、形式上の変化だけをとりあげることは、実際の闘争にはなんの役にも立たず、むしろこれを阻害する公式主義と形式主義とを生み、大衆から遊離することになる。
第三に、これと反対に目前の闘争と直接的に関係のない理論的な論議が出てくるので、目前の闘争の為に邪魔になるから、戦略問題などはもう止めたほうがよいという意見である。これは危険な傾向であって革命の方向を定める戦略問題の重要性を理解せず、経済闘争偏重、ゆきあたりバッタリ主義である。オルグや細胞の指導者でストライキはやるが、革命の戦略戦術を知らないなら、そのストライキを政治的に、また全階級闘争の見地から正しく指導することができない。しかし思うに、この問題の正しき処理者は、研究所の学者ではなくて、実際闘争を指導しているオルグである。
さて、問題の内容に入るが、この二年有余における変革がどんな過程をとり、現在どんな結果となっているかを明かにしておかなくてはならない。
この二年間の変化がだれの手で、どんな方法で行われたか。この変革の発端は、わが国の人民大衆の手で、下からの革命闘争によってはじめられたのではない。この点はロシア革命の経過とちがっている。最初は、外部の勢力によって開始され、それに続いて日本共産党が、大衆の革命運動の先頭にたってやって来たのである。
この改革では外部の勢力が決定的であったが、同時にこの勢力が、その特性にもとずいて、従来のものと大差のない日本政府を通して行わせたという点が問題なのである。
(イ) この外部の勢力とは一体どういう性質のものであるか。これが日本の民主化の徹底に対してどんな態度をとってきたか。
(ロ) 次に日本政府は、東久邇内閣にしろ、幣原、吉田両内閣にしろ、全く非民主的な政府であり、片山内閣も大同小異であり、従ってあらゆる民主的改革をサボり、中途半端に終らしている。
このように改革は上から、外から、進められ、たとえば憲法改正にしても、保守勢力の手によってその案が起草され、この案が二度もかえられ、最後案は複雑な事情で作られた。
農地改革についても同様なことがいいうる。半封建的な古いものが残されている。
ここで注意しなければならぬ一点がある。私は、さきに日本の民主的変革は外から、上から開始されたといったが、これに関連して第一に、敗戦当時に、すでにこの変革を可能にする条件が存在した事実、第二に、変革が開始された後に下からの人民の闘争がこれを更に促進した事実を強調しなければならぬ。単に外力だけを強調することは誤りである。
さて、この中途半端な、不具にされた民主改革において、何が除かれ、何が残されたかを明かにしておく必要がある。
何が除かれたか。
軍国主義的および将来再び軍国主義的となりうるものは大体除かれた。新憲法の中でも明かなように天皇制は重大な打撃を受けたし、農村の半封建制も土地改革によって重大な打撃をうけた。露骨な戦争犯罪人は、政界から追われ、極端な反動団体もまた解散された。しかしこれらは徹底的に除かれたのではない。下からの人民の革命的闘争にもかかわらず、強力な反動勢力が可能な限りこれを残そうとしたからである。同時にいろいろの国際的関係からもこれが残されているのである。
そこで、次の三つが問題となる。
第一に、いわゆる天皇制的官僚は現在どうなったか? 第二に、寄生的地主的土地所有は農地改革によってどの程度清算されているか――この両者を明かにすることによってわが党の戦略、すなわち革命の性質が決定されるのである。――第三に独占資本の勢力はどうなっているか。以上を明かにしなければならぬ。
第一は官僚の問題。われわれは、以前の絶対主義的な天皇制は立憲君主制に変化したのではないが、変化しつつあると考える。以前の軍閥・官僚は、極端な反人民的であると同時に支配階級内でも独自性をもった。これが絶対主義である。だが、今や軍閥は解体された。また天皇の権力は非常に削減された。しかし新憲法でも、天皇の権限がいろいろのかたちで残され、総理大臣の任命権、官吏の認証権その他の特権を天皇はもっている。そして、もし民主的勢力が強くなれば、天皇はカイライにされるだろうが、もし反動勢力が強くなればこの残された天皇の権力は非常に強化される危険がある。
次に、【半封建的】官僚の機構と勢力とは、軍閥のように重大な打撃をうけず、弱まったとはいえ、実際にはなお大きな力をもっている。この勢力が、人民の実生活でどうなっているかを知らなくてはならない。彼らの機構と勢力は新しい国家公務員法などによって強化されてきた。全体的に見て、村の実際の政治は、地主勢力や役人の手に握られているのが現実である。注意しなければならぬことは、最近新聞に発表された「地下政府」の存在である。古い官僚が頭をもち上げ、かつての重臣連が現在の保守的政党ボスと結合し、新聞に見られたような組織をもつ可能性は十分にある。官僚のもっている力は、表面に現われているよりはるかに大きい。そして、彼らは独占資本と結び、またその政策を実行するか、実際政治の上では、しばしば政党や国会を無視してやる。これが国際的な関係によって強化されて、相対的独自性をもっている。従って現在の官僚はすでにバラバラにされ中枢勢力がなくなっているし、また完全にブルジョア化して、相対的独自性をもつ官僚の権力はすでになくなっているという主張は事実に反している。そこで官僚を中心とする一切の古い力を排除すること、これが民主革命第一の任務となるのである。
第二に農地改革の問題は、農業綱領を審議する時にゆずることにする。一言でいえば、農村には地主的支配が強力に残っているのである。
最後に、金融資本の力であるが、これは敗戦の結果絶対的には弱まった。しかし、官僚や地主勢力が弱まったために、相対的には大きくなったと見なくてはならない。しかし、今日これが政権を完全に握ったと見ることはゆき過ぎである。
右の官僚、地主、独占資本の三つの勢力はどういう関係にあるか。
今日の国際的条件の下で、この三者はひとつのブロックをつくっており、この上に国際的なものがあるのである。そしてこのブロックの政権の中で主たる役割が官僚から独占資本の手にうつりつつある。
結論として要約すれば、われわれの行わんとする革命の内容は、第一に一切の半封建的なものを一掃すること、第二に金融機関と重要産業の国営人民管理をやり、社会主義革命を準備することである。これが即ち、わが民族の独立を確保する道である、これに基いて行動綱領が作られているのである。
次は平和革命ということである。これについて一部にはレーニン、スターリンも考えなかった新しい革命の型があるという見解がある。これは社会民主主義的見解で、革命にとってはきわめて危険である。平和革命という一つの新型の革命があるのでなくて、革命の平和的発展の可能性があるということで、それは一個の戦術にしかすぎないのであって、客観的主観的条件が変化すればこれもまた変化するのである。
スターリンが革命の途には二つあり、ロシア型とイギリス型とあるといったということを引用しているものがあるが、これは間違っている。スターリンがかかることを言明したというなんの根拠もないし、今日のイギリスやフランス、イタリアの状態をみれば、社会民主主義によって社会主義を実現し得られないことは明かである。
最後に、この革命を成功させる鍵はどこにあるか。それは党の拡大強化である。すなわち大衆を広はんにつかむことであるが、遺憾ながらこれは達成されていない。わが党はどうしても百万人の党にならなければならない。どうしたらこうした党になり得るか、これは全党員の今日の任務であり、われわれはこれをなしとげなくてはならない。
来年には、政治的にも経済的にも大きな変動がある。講和会議があるとすれば、この後にも激変があるだろう。この変化のなかで大衆の先頭にたれがたつか、ポツダム宣言の厳正実施、日本の完全な独立、これをたれがやるか。それは自由党や民主党、社会党では出来ない。これをなし得るのは日本共産党のみであり、それはどうしてもやり遂げなければならぬ。
ただ今の討論で、大多数の同志が、今日までのわが党の基本的闘争方針と、その指導の正しかったということが明かになったと思う。したがって、われわれが、いままでやってきたことを続けてよいという結論になった。ここで、一番問題になったのは同志中西の発言であった。すなわち、今日の革命の性質は社会主義革命で民主主義革命でないという見解である。これは単に同志中西個人の意見ばかりでなく、党内の一部にもある意見である。そこで、この問題について簡単に触れておく。
社会主義革命ということになれば、闘争の主たる目標は、資本主義全体の打倒ということになる。わが国の現在の階級関係、またこの基礎となる生産関係からして、資本主義制度全体をくつがえす処に主たる目標をおいてわれわれの闘争を進めるならばこれによって救われ喜ぶものが出てくる。まだ生き残ってなお相当の勢力をもっている封建的な力、これを基礎とする反動的、反共的勢力が救われ、喜ぶのではないか、これらの勢力は、わが国の自由な発展を阻止し、農民全体を圧迫し、搾取しているばかりでなく人民大衆を抑圧しており、民主的発展のもっとも大きな障害物となっている。しかるに、われわれの打倒すべき主たる敵をこれらに向けるのではなく、資本家階級全体に向けるならば、われわれが打倒しなくてはならぬ封建的勢力を救ってやることになる。これが第一の点である。第二の点は、結局戦略戦術とは何か。それは階級闘争、すなわち階級間の戦争で、どういう敵を、どういう風に打ち破り、敵の中のどういう勢力を孤立させ、またわれわれの味方はだれであり、どういう性質のものであり、どういう風に味方にするかということである。
もし社会主義革命の戦略をとるならば、結局、敵は封建的勢力と独占資本ばかりでなく、あらゆる種類の資本主義勢力を一つに団結させ敵は大きなものになってしまう。
われわれの味方はというと、労働者と貧農だけということになる。われわれの味方となり得る(富農もふくめた)農民全体が分裂して、富農や中農までがわれわれの陣営から出ていくか、あるいは中立となる。また中小企業家の一部、産業資本家もわれわれの陣営から出て、敵にまわることになる。かようにわれわれが社会主義革命の戦略をとれば、われわれの陣営は分裂し弱くなり、反対に敵の陣営を強大にする結果になる。
われわれの戦略目標は明かである。民主革命を完成すること、同時に社会主義的過渡的任務を遂行することである。このことは、今日の日本と世界全体の新しい状勢からしても、また独占資本の勢力からしても、そうでなければならぬ。もし、同志中西らの戦略をとれば、われわれの革命は失敗することになる。われわれの同盟軍について一言触れる。
第一に労働者階級が先頭に立つ、農民全体もわれわれの同盟軍となる。特に農民中の貧農――半プロレタリアートは、労働者階級の農村における信頼し得る支柱となる。
更に進んで、中小企業家、小ブルジョアもわれわれの同盟軍に入れなくてはならぬ。
今後の国際的関係や国内の諸条件から、産業資本家の一部も、われわれの陣営に入りうるだろうし、少なくとも中立化する必要がある。
同時に民族独立のために戦うような要素も、また同盟軍たり得るのである。
最後に、国際的な民主勢力はわれわれにとって有力な予備軍となるし、現になっているのである。かように、われわれの陣営は広はんなものであり、またかかるものにしなくてはならぬのである。これをせばめる戦略戦術は絶対に排除しなくてはならない。
※編集者注:この文書については野坂参三著『戦略・戦術の諸問題』(1949年)などに「戦略・戦術に関して」と題して所収されている。その際に加筆・修正したとみられる主な語句を【】で示した。
戦略ならびに戦術に関する基本的方向は、ブルジョア民主主義革命の徹底と同時に社会主義革命への過渡的任務を遂行することにある。これが、わが民族の独立を確保する道である。その具体的内容は本大会において採択された行動綱領ならびに農業綱領に明示されてある。わが党は今日までの基本的方針に従って闘争をすすめてきた。この方針の正しかったことは闘争の現実がこれを証明している。この基本方針を個々の具体的な問題にいたるまで最期的決定にまとめるためには、革命の具体的内容に影響する客観的条件の可変的状態を考慮し、慎重を期し、大会は次の構成をもって方針書の起草委員会を選出した。
徳田球一、野坂参三、志賀義雄、宮本顕治、伊藤律、鈴木市蔵、竹内七郎、渡部義通
本起草委員会の方針書を新中央委員会で審議して草案を決定する。その草案を全党機関の討議に付し、この草案方針を全国協議会において仮決定し、さらにこれを次期大会において正式に決定する。
以上のことを本大会は確認した。