日本共産党資料館

綱領問題についての中央委員会の報告(1)

(1958年7月26日)
中央委員会常任幹部会員 宮本顕治



 この報告は、党章草案政治綱領部分の説明(綱領改正の提案をふくむ)の部分(報告1)と、草案の討論点にたいする党中央委員会の見解をのべた部分(報告2)からなっている。

 1947年にひらかれた第6回党大会で、わが党は新しい行動綱領を採択した。同時に大会の決議で次期大会に提出する綱領の起草委員会を任命した。1950年の第18回中央委員会総会は、わが党内にあったアメリカ帝国主義への正しくない見解を克服するうえで重要な意義をもった。その後第19回中央委員会総会は綱領問題についての下案(政治局の多数案として提出されたもので、正式原案以前のもの)を検討して、それについての全党的な討議が開始されることとなった。討議の問題点は戦後の情勢、階級関係の変化とそれにもとづく革命の展望にあった。しかるに、この討議は正しく発展されなかった。当時、党を支配していた家父長的個人中心指導は、討議を正しく民主的に発展させなかったばかりか、下案について、ことなった意見をもつものを、組織的に圧迫し排除する方向を強めた。第19回中央委員会総会は、政治局をふくむ全中央委員が一致団結して、党の統一を確保して闘争に進むことを声明した。しかるに6・6弾圧をきっかけに党中央委員会の解体、党の分裂という事態が表面化、そのような事態によって綱領問題の全党的な正しい検討の討議は妨げられた(これらの事情についてのより詳細な分析と評価は、中央委員会の1950年問題についての報告によってあつかわれる予定である)

 「いわゆる1951年綱領」(「綱領―日本共産党の当面の要求」)は、このような党の分裂状態が正しく解決されない時期につくられた。

 1950年6月に、アメリカ帝国主義は、朝鮮において侵略戦争を開始し、アメリカは沖縄をふくむ日本全土を基地として軍事行動をつづけていた。朝鮮人民を爆撃する飛行機が毎日、日本の基地から飛び立っていた。

 51年綱領は、アメリカ帝国主義の日本にたいする占領支配への闘争とそれからの解放を革命の課題として強調した。

 またアメリカのたくらんだ単独講和の道が、ソ連邦、中国との戦争準備の道であること、「アメリカ帝国主義は、アジアにおけるかれらの支配を日本人の手と血で獲得するために、日本を新らしい侵略戦争にひき入れようとしている」ことを指摘して平和愛好諸国との平和と協力の道を呼びかけた。

 こうして、アメリカ帝国主義との闘争を強調したことは、第6回大会後、党内外で提起されつつあったアメリカ帝国主義との闘争課題に一つの重要な定式化を与えたものであった。

 51年綱領は「民主日本の自由と繁栄のために闘っているいっさいの進歩的な勢力の民族解放民主統一戦線」の組織を革命の力として決定的に重視した。

 1948年3月、わが党中央委員会は「光栄ある民主日本を建設するために、民主主義の徹底、働く人民の生活の安定と向上、日本の完全な独立」を基本目標とする民主民族戦線の結成を提起したが、この統一戦線の課題を革命闘争前進の中心任務として規定したことは、重要な積極的意義をもっていた。

 しかし当時は、独立のための闘争課題の過小評価とともにこの統一戦線の意義を理論的にも実践的にも軽視する傾向が党の指導にも根強かった。

 この数年間、わが国人民の闘争は独立と平和のための闘争において大きな前進を示したが、それには戦後――とくに第6回大会後わが党の陣列のなかでアメリカ帝国主義の日本支配と新らしい戦争準備への闘争課題が討議され、強調されてきたことも、少なからぬ役割を果たしてきた。51年綱領はこの方向に一つの重要な歴史的な役割を果した。この綱領はアメリカ帝国主義が日本を「目したの同盟者」として戦争にひきいれようとしていること、「吉田政府はアメリカ占領当局のツイタテと支柱になることに賛成している」というような米日反動の利害の一致等について正しく問題を提起した。

 それにもかかわらず、この綱領はつぎのような誤りと欠陥をもっていた。戦後の内外情勢の変化、日本資本主義の現段階および農村の生産関係の変化およびそれと関連した日本の反動勢力の実体――とくに絶対主義的天皇制と寄生地主的土地所有制の変化から生まれたものを正しくとらえることができなかった。そのため綱領は誤った規定と一面化を内包するものとなった。

 この綱領は、以上のような弱点のほか、それがつくられた1951年8月いらい内外惰勢がすでに変化したため、今日では個々の命題や記述だけでなく、全体の叙述も、不適当なものになっている。

 6全協決議が「新しい綱領が採用されてからのちに起ったいろいろのできごとと、党の経験は、綱領に示されているすべての規定が、完全に正しいことを実際に証明している」と書いているのは正しくなかった。

 これらの問題点の若干については、すでに6全協後、7中総、8中総の決議がその検討を呼びかけてきた。われわれはこれにもとづいて51年綱領を全体として検討した結果、新しい綱領の方向を提示するとともに、つぎの諸点を明らかにする必要があると考える。

 51年綱領は、アメリカ帝国主義の日本支配という戦後日本の重大な特質を分析するにさいして、アメリカ帝国主義の対日支配が、民族的主権への抑圧と日本を新しい侵略戦争へひきこむことにあると強調しているが、その中には、「かれらは日本工業にとどめをさそうとしている」というような単純すぎる叙述がある。

 これは他の部分で「アジアを支配するためには、アメリカ帝国主義者は、幹部級軍人、発達した産業、および兵をつのるだけ十分な人口をもつ国を基地にする必要がある」とのべているところとも矛盾している。事実が示すように、アメリカ帝国主義は、単に「発達した産業」の国を利用しようと考えただけでなく、占領直後の「財閥解体令」のような独占資本にたいする一時的な制限政策の時期につづいて独占資本の新しい復活・強化策にのりだした。

 アメリカの政策が日本工業・日本経済の平和的な発展を阻止してきたし、阻止しているのはいうまでもないが、同時にアメリカ帝国主義が、日本工業を復化強化させ、日本の独占資本をアメリカの目したの同盟者とする方針であったことは今日では明白な事態となっている。

 「土地を買う金のない大部分の農民にとっては、この『農地改革』がなにも与えなかったことは明らかである」「現在日本農民に土地が少いのは最良の土地が寄生地主その他大きな土地を所有しているものに占められているからである」という土地問題、農地改革についての評価は、再検討の結果にてらせば、事実を正しく反映していない。

 51年綱領は、日本の「反民族的反動勢力」として「天皇、旧反動軍閥、特権官僚、寄生地主、独占資本、つまり日本国民を搾取し、あるいはこの搾取を激励するいっさいのもの」であると規定している。これは戦後の階級関係の変化の結果を当時においても正しく反映していない。

 51年綱領は「新らしい民族解放民主政府が、妨害なしに平和的な方法で自然に生まれると考えたり、あるいは反動的な吉田政府が、新らしい民主政府に自分の地位をゆずるために、抵抗しないでみずから進んで政権をなげだすと考えるのは重大な誤りである」「日本の解放と民主的変革を平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」とのべている。

 たしかに、反民族的反人民的政府がやすやすとその政権をなげだすと考えることは、今日でも正しくない。しかし根本的に変化した国際情勢とサンフランシスコ条約以後の日本の情勢において、われわれが革命を平和の手段によって達成する可能性はあり得ないと断定し、自らの手をしばりつけることは、再検討を必要としている。

 51年綱領はさきにあげた歴史的成果にもかかわらず、これらの点で再検討が必要である。それは第7回および第8回中央委員会総会で提起された51年綱領の二つの問題点の再検討だけにとどまることはできない。今日の革命運動のむかうべき基本的進路を定めるために必要な問題――戦後の内外情勢と階級関係の変化、および解放闘争の主体的条件の基本点についての新らしい探究によってこそ、包括的な解明に近づくことができる。

 わが国は第2次大戦前において、すでに高度に発達した資本主義国であり、一つの帝国主義者であったが、また同時に半封建的、寄生的土地所有制が根づよく、それらの基礎の上に絶対主義的な天皇制が成立していた。戦前の農村は耕作面積5百数十万町歩の約半分が高額の現物小作料をともなう小作地であり、所有戸数の3・2・パーセントを占めるにすぎない5町歩以上の所有者が、耕作面積の30パーセントを所有していた。皇室自体が120万町歩という巨大な寄生的土地・林地の所有者であった。

 天皇はブルジョアジーと地主の両階級の利益を代表しながら同時に相対的な独自性をもって、絶対的な権力をふるった。議会は立憲的な偽装をもって天皇制の絶対主義的な支配の本質をかくす道具にすぎなかった。この天皇制は軍事的・警察的支配をもって国内の激しい搾取と収奪、政治的無権利状態を維持し、民主的な革命的な運動を残忍な方法で弾圧しつづけるとともに、侵略戦争によって近隣諸民族を植民地化し、略奪する日本帝国主義の野蛮な国家権力であった。「日本とロシアとでは軍事力の、あるいは広大な領土の、または他民族、中国その他を略奪する特殊の便宜の独占が現代の最新の金融資本の独占を一部はおぎない、一部は代位している」(レーニン)

 このような戦前の条件のもとでは、いかに日本資本主義が高度に発達しても、天皇制の打倒、半封建的寄生的土地所有制の廃止と労働者の生活状態の改善を主内容とするブルジョア民主主義革命を通じてのみ、資本主義制打倒の社会主義革命に向かうことが唯一の正しい革命の道であった。

 戦前のわが党は、1922年の党創立いらいさまざまな試練と波乱をへて成長するなかで、一歩一歩この革命への正しい展望をより深く明らかにすることができた。党内の一部に解党主義や天皇制にたいする闘争への日和見主義的な動揺が生じたときもあったが、基本的には一貫してこのブルジョア民主主義革命を遂行し、それを社会主義革命へ急速に発展転化するという展望の下にたたかってきた。そして党は、この展望にたってプロレタリア国際主義を堅持し日本帝国主義の侵略戦争に反対し、諸民族の平和共存と、植民地・半植民地の完全独立のために闘ってきた。第2次大戦に道をひらいた日本帝国主義の中国侵略戦争の開始にあたって、わが党がかかげたつぎのスローガンは、わが党の主要な闘争任務を現わしていた。「帝国主義戦争と警察的天皇制反対、米と土地と自由のために、労働者農民の政府樹立の人民革命」。

 第2次大戦の結果、わが国をめぐる内外情勢は大きく変化した。ソビエト連邦を中心とする反ファシスト連合国と世界民主勢力の勝利は、やがて国際情勢の根本的変化にみちびいた歴史的運動の端緒をきりひらいた。ソビエト連邦の国際的威信と政治的影響力は増大した。東ヨーロッパの一連の国ぐににおける人民民主主義革命の発展、アジアにおける中国革命のめざましい前進をはじめ、危機におちいった植民地体制をうちやぶる民族解放闘争の嵐のような高揚、全世界にわたって社会主義と民主主義の勢力の強化と前進がはじまった。

 資本主義諸国家の体制の内部にも編成替えがおこった。日・独・伊3国の脱落、英仏の地位の弱化のなかで、ひとり軍事的にも経済的にも強まりて戦争からぬけだしたアメリカ帝国主義は、あたらしく世界支配をめざして、露骨な侵略的・膨脹主義的な方針をとった。アメリカはイギリスと同じく大戦中に連合国として行動しつつも、日独伊帝国主義にとってかわってその支配圏をひろげることと、ソビエト連邦が戦争によって弱められることを望んでいた。資本主義体制の全般的危機の新らしい先鋭化という条件のなかで、アメリカ帝国主義は、ソ連邦を先頭とする平和・独立・民主主義の勢力に反対して、帝国主義と反動諸勢力を自分のまわりに結集しはじめた。

 日本帝国主義の敗北、ポツダム宣言の受諾による連合国への無条件降伏は、日本の労働者階級と人民の民主主義革命のための闘争に新らしい条件を与えた。

 日本帝国主義は植民地勢力圏と海外資産を失った。経済的崩壊にさらされ、政治的に破産した支配勢力は深刻な危機におちいった。

 ポツダム宣言を実施するとの約束のもとに、連合国の占領がはじまった。日本は歴史上はじめてその国家的独立を失った。だが、この占領と管理は、世界民主勢力の共同綱領となったポツダム宣言を実施するための一時的過渡的なものとして約束されていた。それはポツダム宣言の目標にしたがって恒久的な平和のために、日本の軍国主義勢力にとどめをさし、民主的改革の完了と民主勢力の勝利によって終結さるべき占領であった。

 この情勢のもとで、ポツダム宣言で約束された日本の民主主義的変革の徹底的遂行と日本軍国主義の消滅、人民的経済復興と民主日本の建設によって独立を回復するための労働者階級と人民の闘争は激しい勢いでたかまった。わが党は、天皇制打倒の旗をかかげ、この闘争の先頭にたった。

 日本人民にとっての不幸は、日本を占領した連合国の主力が、戦後の新しい情勢のなかで、原子兵器を片手に世界支配をめざすアメリカ帝国主義であったということである。アメリカ帝国主義者は、最初からこの占領を自己の帝国主義的目的と対日支配を確立するために利用しようとした。かれらはポツダム書を、日本の反動勢力から対米敵性をのぞき去り、再編成するためにだけ利用しようとした。連合軍司令官の地位を独占したアメリカは、この目的のために「民主化政策」をすすめたが、同時に、その措置が徹底的民主的変革を求める日本人民の闘争によって、かれらの設けたわくをやぶって発展するのを、あらゆる手段で妨害した。

 これに反して、極東委員会と対日理事会に代表をもつソ連邦は、世界民主勢力の要求を代表して、日本の労働者階級とすべての民主勢力を支持し激励してポツダム宣言の完全実施、日本の徹底的民主化のためにたたかった。

 占領初期の一時期にわたっておこなわれた一連の「民主化政策」による政治、経済、社会上の諸改革は、こうした複雑な力関係と闘争のなかで進行したのである。

 これらの諸改革によって、日本社会の経済的政治的構造と階級関係には、戦後に比べて重要な変化がおこった。日本の社会的発展の要求と人民の利益にするどく対立するとともに、アメリカ帝国主義の日本支配にとっても、一定の改革を加えることが利益とみなされた半封建的土地所有制と絶体主義天皇制は解体され、半封建的政治勢力はその力を失った。だが、アメリカ帝国主義は占領を利用して、日本をひきつづぎ軍事的・政治的・経済的に支配する体制をかためた。危機にひんしていた独占資本の経済的政治的支配を再建するために「援助」を与えるとともに、アメリカに経済的に従属する体制をつくりあげ、独占資本をアメリカの日本支配の主柱とする道をとった。新憲法にもとづいた新しい諸制度がつくられ、人民の民主的権利は一応拡大されたが、これらの諸制度と諸権利は、アメリカの全一的支配のわくによって強く制限され、擬制にひとしかった。アメリカ帝国主義の軍事的権力は、事実上無制限のものとして日本を支配した。

 日本はアメリカの属国状態となり、アメリカ帝国主義への批判はきびしく抑圧され、「占領政策違反」として逮捕、投獄の理由となった。

 アメリカ帝国主義者は、天皇制の支配機構をアメリカの占領支配の道具に再編し利用した。かれらは天皇制の廃止を主張した内外の民主勢力の要求に反対して、憲法に「象徴」という形で天皇の特権的地位をのこした。だが今日の「象徴天皇制」は、もはや戦前のような絶対主義天皇制ではない。

 神聖唯一の最高の主権者として、立法、行政、司法、の3権、統帥権をはじめ多くの大権を一身に集中した天皇の絶対無限の権力は奪いさられた。今日の天皇は、その神格を否定され、独自の皇室財産をもつことを禁止され、独自の支配的権能をもっていない。天皇の絶対権の喪失とともに、軍部、内務省、枢密院、貴族院など官僚を相対的に独自の政治勢力とした諸機構が解体され、形式的にせよ国民主権が宣言され、占領支配によって擬制のわくをこえられなかったが、国会が国権の最高機関としての地位を与えられた。これらは独占資本にこれまでよりも直接的に支配機構をにぎる通路をひらいた。ブルジョアジーと地主の両階級の利益を代表しながら、その上層にたいしてかなり高度の相対的独自性をもっていた、支配機構としての絶対主義天皇制は、解体され、ブルジョア的君主制の一種となった。

 ブルジョア的改革が徹底した人民的変革に発展し、資本主義制度そのものをおびやかすようになることをおそれ、これを中途で妨害し、流産させることは、アメリカ帝国主義の基本目標であった。アメリカ帝国主義は、一方では内外民主勢力の要求と闘争の発展を顧慮しつつ、旧敵手であった日本の支配層の超反動的部分に打撃を与えるため、議会を中心とする政治制度をうちたてながら他方では日本革命を失敗させて日本資本主義を維持し、自己の支配を安全にするため、天皇崇拝思想を利用できるように天皇の特権的地位をのこした。

 アメリカ帝国主義の占領支配のもとで「象徴」君主制もアメリカの支配の道具として利用された。今日、自民党が計画している憲法改悪の内容の一つには天皇の政治的地位を強めることが加えられている。これは日本の独占資本がうすれつつあるとはいえ、なお残っている天皇崇拝思想を民主主義にたいする攻撃と反動支配の武器として利用しようとしていることを示すものである。

 戦前の日本の支配的体制の重要な一構成要素であった半封建的土地所有制は、農地改革の結果、基本的に解体された。日本の支配階級は、この農地改革を地主的改造にとどめるために最後まで努力した。アメリカ占領軍は、ソビエト連邦案に代表された、徹底した民主主義的な案をおさえながらも、日本の支配階級――独占資本、地主の要望程度にとどまるならば、労働者階級の闘争にはげまされた農民運動の波が革命的な高揚を高めて、日本の資本主義制度そのものをゆるがし、アメリカ占領軍の支配の基礎をゆるがすことを計算に入れないわけにはいかなかった。労農同盟を妨げて民主革命を妥協的に流産させることが、アメリカの世界政策をめざすところであった。

 一方、アメリカ帝国主義は、半封建的・地主的土地所有制への打撃を加えることがアメリカに敵対的な日本軍国主義の再編にとって一定の効果をもつとともに、小経営としての農民層の拡大は、日本資本主義に依拠するアメリカの対日支配を安定させ、有利にすることができると考えた。したがって農地改革は、とくに内外の革命的進歩的勢力の前進と高揚の圧力にたいして、アメリカ占領者の打算と一致しうる範囲にとどめる努力のもとにおこなわれたものである。

 (1)農地改革の結果、耕作地主の貸付地が全国平均1町歩を最高とし、それ以下に制限され、それ以外の小作地部分200万町歩が2反以上を経営する小作人に売り渡された。自作経営を有する約128万戸の地主の多くは、1町歩以下の貸付小作地を保有しながら、それぞれの経営規模、能力その他の事情に応じて、富農、中農、貧農その他に徐々に分解した。戦争直後、約187万戸であった自作農家数は1950年2月時点で382万戸に激増した。同じ期間に、純小作農数は、164万戸から31万戸に激滅した。戦前、総耕作地の46%を占めていた小作面積は9・3%に縮小された。山村をのぞき寄生的な巨大地主は消滅し、約115万戸(昭和21年)の不在地主はだいたい消滅した。そのうち101万5000戸は、1町歩未満の零細不在地主であって、多くはもともと他の職業についており、他の地主は半封建的搾取による寄生的生活の面を除かれ、資本家、その他に転じあるいは没落した。収穫物の50%にあたっていた現物小作料は低額金納小作料となった。

 こうして農地改革によって半封建的寄生地主制度の経済的基礎は基本的に崩壊した。それは不完全な妥協面をともなったが、農地改革の結果、本質的には農民的土地所有制が支配的なものとなった。

 農村における地主の特権が全体として失われるにつれて町村議会、農業協同組合、土地改良組合等の役員にも、旧地主からの転身者だけでなく、あらたに富農や中農上層になったものがすくなからず進出している。

 地主対小作人の対立は、農村における階級対立の本質的、中心的なものでなくなり、農民はアメリカ帝国主義とそれに従属する独占資本の搾取と収奪にたいして、基本的な対立関係におかれるようになった。

 もちろん、このことは封建的、半封建的な遺制、風習がまったく姿を消したということではなく、現在の小作地、および農村の部落、家庭親族、冠婚葬祭、宗教関係などに、その遺制や風習が残っており、これは、山間部にとくに強いが、しだいに弱められる方向に向かっている。

 しかし、この農地改革は、林野を改革の対象からまったく除外したほか、1町歩までの貸付地の保有を認めたことと同時に、2、3反歩(北海道5反歩)未満の零細農家その他供出成績の悪いもの等を売渡不適格者として、その土地要求を無視した。その結果、なお零細な土地の貸借関係の交錯状態を残している。すなわち、1951年(昭和26年)現在、貸付者数150万、貸付者1人当り面積2反8畝、借受者数280万戸、借受1人当り1反5畝弱である。これはわが国の農民的経営の向上をはばむ条件の一つとなっているだけでなく、農民運動における農民の統一行動をはばむ条件の一つともなっている。

 以上の点からみて、51年綱領の農地改革についての評価は改革の不徹底の面を指摘する側面にかたよりすぎて、改革の結果、半封建的・寄生的土地所有制が本質的に解体したことについて正しい評価を与えることができなかった。すでに、第6回党大会以後、とくに綱領問題の討議のなかで農地改革による農村の階級関係の変化にだいたい正当に注目した意見が党内にあった。したがって、党が統一され党内民主主義が保障されたならば、それは当然、綱領に反映されうるものであった。したがって、われわれは、このような誤りを当時において、不可避なものであったと考えることはできない。

 (2)農地改革の結果、1~3町までぐらいの耕作規模の農家の増加が目だっている。一方、独占資本主義下の商業的農業の発展につれて階級分化の傾向がすすんでいる。経営規模が小さく、内外独占資本の収奪をうけている日本の農業では、農業の資本主義的経営は全体としてはばまれているが、経営規模に応じて上層と下層との収入の落差がはっきりしている。改革後の農民は戦前と比べていちじるしく貨幣経済にまきこまれ、たとえば米の商品化率は戦前の46%から60%以上にのぼっている。機械の利用、肥料、農薬、飼料の利用はふえ、単位面積あたりの生産は増えたが、多くの調査によると富農的部分をのぞいて楽ではないか、あるいは赤字である。同時に、兼業農家の広範な大量化がすすんでおり、1955年(昭和30年)農家総数604万3000のうち63・5%をしめており(1950年・昭和25年、50%)、その多くは飯米農家で自給自足的な農業をいとなんでいる。零細経営を特徴とする日本農村は兼業が農民の各層にわたっている。農民の階級分化の特徴は恒常的に雇用労働者をつかう富農層の形成が部分的にとどまっている一方、多数農民の貧農化が進み、農業外賃労働に依存する層が多くなっていることである。これらの層は、農民として一本立ちできず、また完全就業の機会がないままに離農することもできず、土地と仕事、賃金、各種社会保障についての激しい要求をもっている。

 (3)政府と独占資本の収奪は、小生産者としての農民から安く買い、高く売るという農産物価格と工業製品価格の価格差によっておこなわれている。また重い租税公課によって農民を収奪している。これらの税金はアメリカ帝国主義への貢納の一部である。また、農民は資金難と高利の借金による収奪に苦しんでいる。農業外収入に依存する農民は一部の自営兼業のほか、不安定な出かせぎ労働者、農村に居住する工場労働者となっている。また失業、半失業者の存在は低賃金の条件となり、都市労働者の賃金を圧迫している。これに加えて、アメリカの余剰農産物の受入れなどは農民経営を引き合わないものに追い込む条件となっている。

 政府の予算のなかで軍事費と独占資本に対する財政投融資の増大傾向に反して農林省関係予算は、28年度会計予算の14・6%、31年度8・5%、32年度7・8%と低下している。このため補助金の打切り、公共事業費の削減、地元負担の増大、土地改良、災書の復旧・防止事業のたちおくれとなっている。

 日本の農漁村の数百の地域にはりめぐらされているアメリカの基地は、農民の生活を根本的に破壊し、農民のこれらの困顛をいっそうたえがたいものにしている。

 (4)農地改革のさい、山林原野の寄生的土地所有は、ごく一部の牧野、採草地をのぞき改革のそとにおかれた。その結果、大、中、小の山林所有者が残っている。約500万戸のうち100町歩以上の所有者は全体の0・05%、約3000戸にすぎないが、全面積の8・1%にあたる91万町歩をにぎっている。独占資本の山林、原野の所有は1954年現在で67万町歩に達している。その他約300万町歩をもつ中小山林地主が5万4000戸である。

 戦後一連の林地関係法規は、民有、国有の全林野を通じて旧来の寄生地主的所有と経営を資本主義的に企業化し、大山林地主を救い、アメリカ帝国主義とわが国の独占資本の利益にあう政策をとってきたことを示している。しかも、ここでは大山林所有者を先頭とする旧来の寄生地主が山林関係の古くからの搾取方法を効果的に利用しつつ、たとえばパルプ、炭鉱などの独占資本と結ぶ資本主義的経営と搾取に移りつつある。ここでは旧来の寄生的な林野地主の所有と経営を改造するというやり方で資本主義化が進んでいる。

 農地改革とその後の発展は、小商品生産者としての農民の利害がますますアメリカ帝国主義と日本独占資本の支配、搾取と収奪に衝突していることを示している。内外独占資本の重圧のもとに農業における資本主義の発展は緩慢であり、農民層の階級分化は、特殊なゆがんだ形で進行しているが、農民は階級分化をともなう内部矛盾をもちながらも、アメリカ帝国主義に従属する独占資本と基本的に対立している。また、こうした新しい条件のなかで、農地改革の不徹底さのため残された土地の問題が、その根本的な新しい解決を迫られている。

 アメリカ帝国主義は日本の独占資本にたいし、財閥解体、戦犯追放、賠償指定などの一連の措置をとったが、その実体にはほとんど手をふれなかった。とくに近代的な金融資本の中核となる銀行資本は、無傷のまま残し、預金封鎖その他の特別措置で積極的にこれを擁護した。占領初期にはアメリカ帝国主義は、戦争中かれらと生死の闘争を演じた日本独占資本主義を弱体化し、競争者としての牙を抜き去り無力にしたうえで、これを自分に従属させ、自分の設けた枠のなかで利用する方針をとったが、やがてその復活と強化をはかるにいたった。それは占領当初の広範な賠償指定をほとんど実施しないままで解除しはじめ、朝鮮戦争の開始を契機に全面的にとりけしてしまったことによくあらわれている。独占体の解体をめざした集中排除法の適用が大部分解除されたのもその例である。アメリカ帝国主義者は、この過程で、日本独占資本を従属的な同盟者とする工作を進めたのである。

 アメリカ帝国主義の日本独占資本にたいする保護と援助は、ガリオア、エロア基金(累計21億ドル)の供与、日本の労働運動および民主運動にたいする弾圧からはじまった。日本の独占資本を中心とする反動勢力とその政府は、1946年の食糧メーデーの大動員にあらわれたような人民の深刻な生活危機、インフレーションに対抗した相つぐ労働者のストライキの前にまったく混乱し、その支配機構は麻痺した。アメリカ帝国主義者は、各種の「援助」物資によって日本の反動勢力の危機を救済する一方、1946年5月のアチソン反共声明いらい、ひきつづき、わが党に圧迫をくわえ、また1946年4月の内閣打倒人民大会への武力干渉、1947年1月の2・1スト禁止をはじめとして、大衆運動に干渉と弾圧をくわえた。かれらはポツダム宣言も極東委員会の決定も、また憲法の条文をもふみにじった絶対的な軍事支配の力によって、日本独占資本を擁護した。この過程で、日本独占資本は、自己の搾取と支配を維持するためには、アメリカ帝国主義の援助をうける以外に道のないことを痛感し、ますますその目したの同盟者となる道を追い求めた。こうして、すでに占領後まもなく米日独占資本の特殊な同盟の成立過程が進行した。

 1947年、アメリカ帝国主義者はトルーマン宣言によって、ソ連邦との戦時中の協力関係を公然と破棄し、ソ連邦にたいする「力の政策」「冷い戦争」を宣言するにいたった。

 アメリカ帝国主義は4大国の協定をまたずにドイツと日本の「復興」に単独であたる方針を決定し、他の諸国を排除して、日本にたいする全一的な占領支配の強化と、そのもとでの日本独占資本の「復活」を強行しようとした。かれらは極東委員会、対日理事会を事実上たな上げしてソ連邦代表の発言をおさえ、ポツダム宣言を正面からふみにじるにいたった。日本を「極東の兵器廠」にするという1948年1月の米陸軍長官ロイヤルの有名な声明は、このアメリカの政策の誰はばからぬ宣言であった。

 アメリカ帝国主義の「冷戦」宣言およびそれにもとづく対日政策の積極化の決定的な原因となったものは、まず第一に東欧諸国の人民民主主義革命の急速な発展であり、それについで中国大革命の勝利がもはや明白となったからである。世界政治の力関係が帝国主義の側にとって不利に傾くことがますます明らかになるにつれて、世界制覇をめざすアメリカ帝国主義は、社会主義諸国にたいする侵略戦争準備を強め、これを包囲する軍事同盟と軍事基地網の建設をいそぎ始めた。そして中国を拠点とするアジア支配の夢を破られたアメリカ帝国主義は前進基地としての日本、工業国日本の政治的軍事的地位を決定的に重要なものとみなした。

 アメリカの庇護の腕の中に、自己の安全をみいだした日本独占資本は、このアメリカの立場を利用し、すすんでアメリカの政策に忠誠な下僕となることによって自己の復活と強化をはかろうとしたのである。

 国際、国内の民主勢力はこのアメリカ帝国主義の暴挙にたいし、ポツダム宣言の厳正実施を旗印に激しく反対してたたかった。

 アメリカ帝国主義は、9原則、ドッジ・ライン、シャウプ勧告によって、ドル支配の手綱をかたく握りながらも、日本独占資本が経済的支配力を確立するのを直接指導援助した。労働者階級とわが党にたいする徹底的な弾圧と分裂政策によって占領支配と同時に独占資本の政治的支配を安定させることをはかった。戦後の日本人民の既得の民主的権利をふみにじり奪いとる攻撃は激しくなった、官公労働者のストライキ権剥奪と国家公務員の政治活動の自由の制限、行政整理、企業整備を利用した組合活動家の首切り、わが党中央委員会にたいする1950年6月6日の弾圧はそのあらわれである。

 朝鮮戦争はアメリカ帝国主義の戦争政策の産物であるとともに、アメリカの軍事ブロック政策の野望を発展させる手段となった。かれらは日本をその世界支配の一環に仕上げることをいそいだ。朝鮮における侵略戦争の失敗、人民義勇軍の力に示された新中国の力におどろいたアメリカ帝国主義は、日本を単に前進基地、補給基地として利用しただけでなく、日本軍を再建させてこれを利用する方針をとった。かれらはポツダム宣言の制約をはなれて、日本をソ連邦と中国にたいして公然とした敵対関係におき、日本にたいする軍事占領を条約によって合法化し永続化させようとした。

 アメリカ帝国主義者は、日本の支配者自身に日本軍復活の事業を積極的にすすめさせる新しい体制をつくることをいそいだ。占領支配にたいする日本人民の不満が成長し、内外からする平和共存の声のたかまり、全面講和の要求と運動が発展するのをそらし、おさえるためにも、それまでの占領体制にかわる関係を打ちたてようとしたのである。

 こうして単独講和条約を締結するための準備と工作がはじまった。わが党と労働者階級、民主勢力にたいする攻撃と弾圧は強められた。もうれつな反ソ反共宣伝のなかで、わが党の半非合法化、文化、教育、産業、官公庁の全職場からのレッドパージがおこなわれた。世界労連に加盟していた全労連は解散され、国際自由労連コースの育成と押しつけ、労働組合の分裂工作がすすめられた。アメリカ帝国主義は憲法を無視して、警察予備隊、海上保安隊をつくらせ、再軍備の端緒をひらいた。各種の超憲法的な法律を条約締結後の日本にひきつがせる準備がおこなわれた。反動的政治家、旧軍人、特高関係者の追放が大幅に解除され、反動的政治勢力の強化がはかられた。全面講和を要求する運動、平和運動にたいする弾圧はますます激しくなった。

 1951年のサンフランシスコ条約は、これらの事態の上に結ばれたのである。

 サンフランシスコ条約ののち、アメリカ帝国主義の公然とした全面的な占領支配はいちおう姿を消して、日本はかたちのうえでは主権国家――独立国とされた。だが今日の日本は発達した独占資本主義国でありながら、アメリカ帝国主義になかば占領されている事実上の従属国となっている。

 サンフランシスコ条約とこれにひきつづいて結ばれた日米安全保障条約、行政協定および、MSA協定など一連の諸条約と協定は日本をアメリカ帝国主義に従属させる法制上の保証となっている。

 これらの諸条約と協定をその法制化としてつくりあげられているサンフランシスコ体制は、従属的な関係で結ばれた米日独占資本の政治的軍事的同盟のあらわれであり、同時に、アメリカ帝国主義の日本にたいする民族的抑圧の体制である。すなわち、それはアメリカ帝国主義と日本の売国的な支配層が日本人民に押しつけた戦争と隷属、支配と収奪の体制である。

 アメリカ帝国主義は、サンフランシスコ条約後、ひきつづき沖縄を軍事占領し、わが国本土には、全体として地域や数について特定の制限をうけることなく、数多くの軍事的基地をつくり、事実上、制海、制空権をにぎって、半占領を無期限につづけている。この軍事的支配は、アメリカ帝国主義への日本の政治的経済的従属のかなめであると同時に、日本人民の解放を妨害し弾圧する保障である。

 アメリカ帝国主義はその世界戦略の一環として、日本をアジア太平洋地域を支配するための中心的拠点にしている。同時に、かれらは、日本に、軍国主義を復活し、急速に再軍備をすすめて、これをアメリカの軍事力の一部として使用できるようにすることをねらっている。アメリカ帝国主義は、この軍事的制圧によって日本人民をその意志に反して戦争にまきこむ可能性を握っている。急速に強化されつつある日本の自衛隊は、装備をアメリカに仰ぎ、指揮訓練をアメリカ軍事顧問団から受けているばかりでなく、アメリカ軍の補助部隊として建設された軍隊である。それは「アジア人をして、アジア人とたたかわせよ」というアメリカ帝国主義の悪名高いスローガンを実現するためにつくらせた軍隊であった。米日支配層は、アメリカ帝国主義の原子戦争準備を強めつつ、対外侵略の部隊となりうるようにその近代化に着手している。

 サンフランシスコ体制――その根幹である日米安全保障条約にもとづく「共同防衛体制」を維持し強化することはアメリカ帝国主義の対日政策の枢軸であり、アメリカに従属しつつ政治的軍事的同盟を維持することを自己の安全と利益の保障とみなしている日本の独占資本は平和と民族の利益を裏切って、これに応じている。57年7月の「日米共同声明」はその新しい証明である。

 アメリカ帝国主義が原子戦争準備を強化しつつあることはサンフランシスコ体制を日本民族の平和と安全、独立にとってとくに危険なものにしている。アメリカ地上戦闘部隊撤退計画はアメリカの新しい原子戦略にしたがった予定の再編計画の一部にすぎない。日本の原水爆基地化は進行している。アメリカ帝国主義が永久占領を公言している沖縄の原水爆基地化は沖縄人民の闘争をふみにじりつつ強行されている。砂川をはじめ飛行場の拡張の強行が計画され原子兵器の持ちこみ、原子力部隊の駐屯が計画されている。米海空軍の火力と機動力は陸軍の撤退と反比例して強化され、日本は戦略空軍と空母機動部隊の前進基地として完成されつつある。自衛隊は原子戦体制の一翼として装備を近代化され「誘導弾さえもとうとしている。日本がハワイの米太平洋軍司令部の指揮下に、南朝鮮、台湾、フィリピン、南ベトナムとともにアメリカの極東原子戦略の一単位となっていることは、アジア太平洋地域の緊張を強めるとともに、日本人民の運命を大きな新しい危険にさらしている。

 アメリカ帝国主義はサンフランシスコ条約によって沖縄、小笠原を完全に日本の主権の外においているばかりではなく、かれらは日本本土でも基地の存在と軍隊の駐留にともなって治外法権と広範な特権をにぎっている。アメリカ軍の安全を守り、その軍事的行動の自由を保障するため、総じてアメリカ帝国主義の支配のため、憲法に違反して、人民の権利と自由を侵害する法律がつくられている。基地労働者は日本労働法の保護を奪われ、軍隊的専制的な規律と秩序を強制されている。農民は基地のための土地取上げに苦しみ、漁民は漁場の制限によって大きな被害を受けている。米軍基地はまたとくに婦人と子供をおびやかす道徳的堕落の源泉である。

 また安全保障条約の規定によってアメリカ帝国主義者は日本人民の解放運動にたいして米軍が出動できる権限を保障され、公然たる軍事干渉――内政干渉権を握っている。これは日本人民が自らの意志によって国家の運命と自国の政治の方向を自由に決定できるという基本的権利の決定的侵害である。

 サンフランシスコ体制が、ソ連邦、中国はじめアジア諸民族に敵対してつくられた体制であり、日本軍国主義の復活を促進するものであるということは、日本政府の内外政策を大きく支配しており、日本政府を平和共存と国際緊張緩和に反対して行動させる根源となっている。日本政府はアメリカ帝国主義の意志にしたがい、中国との国交回復に頑強に反対し、蒋介石政権との外交関係をつづけて中国に敵対的態度をとっている。ことごとにあらわれるソ連邦と社会主義諸国にたいする非友好的態度、アジア・アフリカ諸国にたいする政策はアメリカの政策に強く支配されている。防衛分担金を直接アメリカ軍のためにみついでいるばかりでなく、自衛隊の増強、軍事予算の増大はアメリカによって拍車がかけられている。憲法改悪、労働者階級と民主勢力の弾圧、民主的自由を奪い去る反動的政治体制の樹立のための圧力がたえずアメリカからかけられていることはよく知られているとおりである。

 アメリカ帝国主義はサンフランシスコ体制の網の目をこまかにしたMSA協定によって、ソ連邦、中国および社会主義諸国にたいする日本の貿易に禁止的な制限を加えてきた。そのための道具であるココム、チンコムが崩壊にひんしたいまもなお極力大きな制限をつづけようとしている。この貿易制限は、国際緊張を維持するための手段であるばかりでなく、アメリカが日本を経済的に従属させる重要な手段の一つである。

 アメリカ帝国主義は、独占的な支配と戦後の日本経済の危機とその圧倒的な経済的優越を利用して、アメリカ独占資本のドル支配に依存せざるをえないような方向に日本の貿易構造をつくりあげ日本の経済的発展を指導してきた。そのため日本と中国をはじめとするアジア諸国との歴史的な経済関係は破壊され、慢性的なドル飢饉に悩み、アメリカ資本援助と軍需特需に依存せざるをえないような経済状態がつくりだされた。現在の日本は鉄鋼石、原油、燐鉱石、粘結炭、綿花、小麦、大豆など重要原料と食料の供給をアメリカを中心とするドル地域に依存し、極東におけるアメリカのもっとも重要な市場となっている。日本からの輸出も42%がドル地域にむけられているが、貿易上のドル収支は年々巨額な赤字である。アメリカ独占資本の日本産業にたいする直接支配は石油工業、アルミニウム工業などに行われている。アメリカ独占資本の経済的浸透に利用されているのは日本工業の技術的後進性で、日本独占資本はこの技術のたちおくれをとりもどすためにアメリカの技術援助に多くを依存している状態である。

 アメリカが日本を経済的に従属させ、日本政府の政策をアメリカにしたがわせるもっとも基本的な手段としているのは、日本のアメリカにたいする金融的従属である。従属的貿易構造によってつくりだされたドル飢饉は、アメリカの軍需(特需その他)に依存せざるをえなくさせ、軍事工業を日本につくりあげる動力となっている。このドル飢饉と資本蓄積の相対的不足を補うために日本独占資本はその力を強めつつあるとはいえ、アメリカからの金融的援助に依存している。世銀借款をはじめとする外資導入にたいして独占資本のかけている期待、アジア開発基金の構想はこれをもの語るものである。

 外国の対日投資の71%をしめるアメリカの対日投資総額は、1956年3月末現在で約800億円、日本の時価株式総額または銀行貸付金総額の1~4%にすぎない。しかしきわめて政治的なものであり、アメリカ帝国主義者の対日圧迫の切札になっているガリオア、エロア資金の総額は7560億円(21億ドル)にのぼり、これに民間投資と外銀貸付をくわえると、じつに8600億円にたっしている。アメリカ独占資本の日本にたいする搾取は、技術援助、商品の売りつけ、蓄積円、預り円などを利用しての株式取得という危険負担のすくない、したがってまたきわめて略奪的なやり方でおこなわれている。1950年から1955年までの日本の対米支払は約320億円であるが、そのうち技術援助にたいする対価支払はその62%にもたっしている。また技術的立ちおくれと経済全体としての依存性の結果、石油産業、航空機産業、原子力産業などは、産業としてアメリカ独占資本に従属せざるをえなくなっている。

 このような事態のなかで、日本独占資本は、原料資源と安定した商品市場を求めて国際市場分割闘争にふたたび登場したが、この要求は、独占資本の復活強化とともにしだいに強くなり、この数年らい資本輸出も増加しだしている。大蔵省の調査によれば、1955年末の資本輸出総額は80億円であったが、通産省の計算によれば、1957年の海外投資計画は戦後10年間の合計の3倍にあたる235億円にのぼっている。

 こうして、サンフランシスコ体制は、日本経済の平和的自主的発展と社会的進歩にたいする基本的な障害となっている。それは労働者階級、農民、勤労市民、知識層、中小企業家の利益と根本的に対立する。

 だが、サンフランシスコ体制は、アメリカ帝国主義の占領体制の単なる継続ではない。事実上、半占領をつづけながら形式上日本を主権国とする方法をえらんだのは、アメリカ帝国主義が日本独占資本を中心とする反動勢力の従属だけでなく、積極的協力を確実にするためであった。売国的諸条件とこれにもとづくアメリカの半占領は超憲的なものであり、民族主権にたいする明白な侵害である。しがし、他方、日本政府の外交、内政は憲法にもとづいておこなわるべきものとされた。これは全一的な占領支配からサンフランシスコ体制への移行の生んだ新しい矛盾である。したがって、日本人民は憲法で保障された権利を主張し、それをサンフランシスコ体制そのものを打破する闘争を公然とおこなう法的根拠としている。

 これにたいしてアメリカ帝国主義と日本の独占資本は、日米間の条約をいっさいの国内法に優先させ、憲法に違反している自衛隊―軍隊とその海外出兵を合法化し、人民のいっさいの民主的運動を根本的におさえつけることによって、すなわち憲法を改悪し、新しい形態の専制的な支配をうちたてる方向でサンフランシスコ体制の矛盾を解決しようとしている。これはサンフランシスコ体制の反動的な完成の方向である。

 労働者階級と人民は、このような陰謀をうちやぶりこれを阻止して、憲法が保障している権利の実現を積極的に要求し占領権力の制約から名目的に解放された憲法――とくにその基本的人権の保障と軍事力の禁止などが実質的にも国内政治の基準となるばかりでなく、民族主権の完全回復と平和の確立、民主主義の徹底、生活の安定をかちとることによって、すなわちサンフランシスコ体制の矛盾を進歩的、革命的方向で解決する課題に直面している。したがって、憲法改悪反対闘争の意義は非常に大きい。

 サンフランシスコ体制は、日本を形のうえで主権国にするという新しい矛盾によって、内外の平和勢力の全面講和への要求をいっそう強く呼びおこす結果となった。ソビエト連邦との国交回復、その結果としての国連加盟、ポーランド、チェコスロバキアとの国交回復は、内外の情勢と、平和共存を求める世界および日本人民の正当な要求のために、また副次的には米日独占資本の内部矛盾のために、サンフランシスコ体制の基礎が大きくゆれていることを示すものである。日本政府がアメリカの方針にしたがい、中華人民共和国との国交回復を拒否しているのにたいして、日本人民は世界の平和勢力とともに、サンフランシスコ体制の基礎をゆるがす新しい闘争をねばりづよくおこなっている。こうして、サンフランシスコ体制によって、日本をソピエ連邦や中華人民共和国をはじめ社会主義諸国と長く敵対関係におこうとした目的は破綻しつつある。したがって、中華人民共和国をはじめとするすべての国々との国交回復の闘争は、今日非常に大きな意義をもっている。

 日本の独占資本は、敗戦による打撃と戦後の諸条件の変化に対応し、アメリカ帝国主義の支持と援助のもとに、労働者、農民およびすべての勤労人民にたいする強度の搾取と収奪を基礎に復活・強化した。

 日本の工業生産は、朝鮮戦争勃発の翌年、1951年、戦前(1936~38年)水準を突破して以来、年々発展の度を高めて56年末には、戦前水準の2倍半となった。この生産増大の速度は、西ドイツをもしのぎ、資本主義世界の最高であった。これらの生産の増大はアメリカの軍事需要、国内の復興による需要、輸出の増大、内外市場の競争にのりだすための設備投資によって促進された。また政府の財政投融資、補助金、租税の減免などによる独占資本擁護の政策によって強められた。農地改革は、農村市場を拡大した。

 この工業生産の増大のなかで日本独占資本は、生産の蓄積と集中をすすめた(1955年末の法人資産調査によれば35万7000の法人総数の0・05%にしかあたらぬ193の資本金10億以上の会社が有形固定資産―固定資本の49%を所有している。また同年度の重要な生産部門についてみると、上位10社の生産集中度が50%以上をしめているのは73業種中63業種である)。そして戦前より近代的な形で銀行資本と産業資本の結びつきを強化し、旧財閥の系統でのコンツェルン化、系列化をすすめ、国家機関との結合を強めた。

 寄生地主的土地所有制の解体、絶対主義的天皇制の売国的ブルジョア的君主制への変質という条件の変化のなかで、アメリカ帝国主義に従属しつつ、日本の独占資本は経済的にだけでなく政治的にもわが国の反動勢力の中心となっている。かれらは、総合本部として経団連を擁し、労働対策部として日経連を擁している。一昨年の保守合同では、その利益を中心的に代表する党「自民党」に売国反動勢力を結集した。

 だが、戦前とはいちじるしく変化した条件のもとでおこなわれた戦後の日本独占資本主義の発展は、同時に深刻な矛盾を発展させ、日本独占資本の経済的、政治的地位をきわめて不安定なものにしている。

 戦前に倍する生産力をもち、重化学工業の比重を高めた日本の独占資本主義にとって貿易の重要性はいちじるしく高まったにもかかわらず、戦前の植民地・勢力圏を失った日本の独占資本は安定した輸出市場と原料供給地をまだもっていない。独占資本の急激な回復と増大が労働者階級と勤労者にたいする搾取を強化し、中小ブルジョアジーを犠牲にしておこなわれたことは、国内の社会的経済的矛盾を激化させている。工業と農業の発展の極度の不均衡、窮乏化する広範な中小企業の存続、膨大な相対的過剰人口の存在と労働者の低賃金、人民の低い生活水準は独占資本の富をつくる源泉であったと同時に、多くの経済的政治的困難をつくりだしている。アメリカ帝国主義の支配は、これらの困難と矛盾をするどくしている。

 サンフランシスコ体制によってささえられながらも日本の独占資本の政治支配の基礎は、戦後かちとった民主的権利を利用して進む労働者階級と民主勢力の要求と運動によって、不安定である。アジアに強くあらわれている世界情勢の根本的変化――社会主義諸国の成長と民族独立諸国の発展、平和勢力の前進と戦争勢力の後退は、これに大きな影響を与えている。

 一方、日米独占資本間の矛盾も成長している。日本商品のアメリカ市場への進出に激しく反対するアメリカ業者の運動、アメリカの対日民間投資にたいする日本業者の抵抗、東南アジア・中近東・中南米市場をめぐる日本と英・独との競争の激化にともない、日本独占資本にとってますますたえがたくなっている中国はじめ社会主義諸国との貿易樹限など、各種の矛盾が強まっている。また経済上の利害の対立とともに、日本人民の闘争の発展と国際情勢の変化を反映して、再軍備の速度、規模と内容ばかりでなく、原水爆問題、対中国問題などをめぐって、日本の独占資本はあるいは動揺し、あるいはあいまいながら若干の対米要求を出さざるを得なくなり、日米支配層間の矛盾は表面化している。

 こうして帝国主義陣営内部の矛盾のふかまり、ますます激しくなる世界市場分割競争のなかで、とくに岸内閣の成立いらい、新しい帝国主義的発展の道を求めている日本の独占資本は、国内では資本の蓄積をはやめ、独占のいっそうの強化をはかりながら、なおもアメリカ帝国主義の援助のもとに東南アジアを支配圏とすることを夢みている。

 サンフランシスコ体制の本質は、平和と日本民族への裏切りであるにもかかわらず、独占資本は、その本質はそのままにし、情勢の変化に応じて若干の「調整」をおこない、人民の不満と闘争をそらそうとしている。また、それだけでなく、条約の「双務化」という名目によって、アメリカ帝国主義のための戦争に出動する義務を日本軍隊に負わす計画さえ考慮している。

 日本の独占資本はアメリカの原爆戦略にたいする協力を強め、民主勢力を壊滅させて、その政治的支配を安定させることをめざしている。自由民主党による長期保守安定政権の確立は、そのための目標である。

 政府を握っている自由民主党は、独占資本の利益に忠実に従いその政策を実行しながら、その陣営内に、独占資本を中軸にして、地方の銀行や大企業の資本家、大山林の土地所有者、その他いっさいの反動勢力を結集しながら、都市の中小ブルジョアジー、農村の富農のかなりの部分を実際の地盤として確保し、くずれつつある独占資本の支配の社会的基盤を維持しようとしている。

 労働者階級を他の諸階級層から孤立させ、対立させるために自民党は、とくに言葉だけでは民主主義をもてあそび、平和と独立・社会的福祉をめざしているかのような見せかけをとりながら、その実、露骨な弾圧と分裂政策、戦争と民族的裏切りの政策をすすめてきている。

 このようにして独占資本は国土と人民をアメリカ帝国主義の「力の政策」の道具に提供している。かれらは再軍備をすすめ、原子兵器を導入し、アメリカ帝国主義の計画する太平洋軍事ブロックの中心になろうとしている。

 独占資本とその政府は、小選挙区制によって安定保守政権をつくり、事実上、議会制度を否認しようとしている。「憲法調査会」を発足させて、憲法改悪への道をきよめようとしている。かれらは労働三法を改悪し、労働者階級から、団結権、スドライキ権をうばい、無力にしようとしている。かれらはアメリカ帝国主義のため軍機保護法を制定しようとしている。また教育制度と教育内容を改悪し、軍国主義教育を復活させようとしている。

 独占資本とその政府は日米会談後、労働組合運動と民主運動にきわめて積極的計画的弾圧をくわえている。占領法規の遺物である公労法をいっそう反動的に利用して、労働組合の分裂工作をすすめている。かれらはこれまで社会党をあやつるため「2大政党論」をとなえてきたが、今日ではさらに社会党への対決を強調している。かれらはとくにわが党への攻撃を計画し、あわよくば西ドイツにならって、わが党を非合法化しようと考えている。すでに民主的な大衆運動とその組織にたいする干渉、圧迫弾圧は、日常化している。スパイ挑発活働は、共産党員だけでなく、すべての民主団体、民主的な人びとにむけて広範におこなわれており、職場には軍機保護措置が実施されている。

 独占資本とその政府は、当面している外貨危機、好況の頭うちを中小企業と勤労大衆の犠牲において切りぬけようとしている。そして、すべての勤労人民にたいする搾取と収奪を強め社会的貧困をさらに激化させ、生活と生業をますます困難にさせている。

 以上のような国内情勢の変化とともに、戦後の12年間に国際情勢には重大な根本的変化があった。第2次世界大戦におけるファシズムの敗北にはじまったこの偉大な歴史的運動の結果は、アジアに強く現われており、その影響は、日々、日本におよんでいる。それは日本の労働者階級と人民の平和と独立、民主主義と社会主義のための闘争に新しい条件をつくりだしている。

 この根本的変化とは第一に社会主義の世界体制がつくりだされたことであり、第二に民族解放運動、植民地体制の崩壊が飛躍的に発展し、アジア・アフリカの多くの植民地民族が独立かちとり、社会主義国家とともに巨大な「平和地域」をつくりだしたことであり、第三に全世界にわたる労働運動、平和運動の未曽有の発展であり、第四にアメリカ帝国主義を先頭にする帝国主義陣営の内部の矛盾が深まっていることであり、第五に全体として資本主義と社会主義、戦争勢力と平和勢力との関係が後者に有利に根本的に転換したことである。

 (1)この12年間に多くの国が資本主義からぬけだし、社会主義の世界体制が生まれた。40年前に社会主義の道を歩みだしたソビエト連邦ばかりでなく、ほとんど10億の人口をもつヨーロッパとアジアの13ヵ国が社会主義を建設しつつあることは歴史の発展過程にはかり知れない影響を与えている。すでに世界第2位の工業国であり、10年後には人ロ1人当りの生産高でアメリカに追いつき、追いこすことを予想されるソ連邦の生産力の急速な発展、とくに植民地的抑圧から解放されて、独立をかちとったばかりの6億の人口をもつ中華人民共和国が、古い社会の名残りである経済的社会的後進性を急速に一掃して偉大な強国となり、10年後には先進的な社会主義的工業国へ発展する展望をもっていることは、社会主義体制の優越性をアジアの人民にまざまざと示している。ソビエト東部地帯を一大総合工業地帯にするソ連邦の開発計画、朝鮮、ベトナム、モンゴルにおける社会主義の前進とあわせて、アジアにおける社会主義体制にかぎりなく豊かな展望をひらいている。社会主義的民主主義の新しい発展、平和と民族解放運動にたいする社会主義諸国の貢献は、アジアにおける社会主義の前進とともに、ますます日本の広範な勤労者の間に社会主義的意識を強め、平和と独立の闘争をはげましている。

 (2)偉大な中国革命につづいて植民地体制の急激な崩壊がはじまった。戦前15億の人口を数えた植民地、半植民地のうちすでに、12億が独立をかちとっている。

 インド、インドネシア、ビルマ、エジプト、セイロン、カンボジア、ラオスなど多くの国ぐにが帝国主義者との軍事同盟をこばみ、平和中立の外交政策をすすめている。戦前の植民地アジアの相貌は、一変した。反植民地主義と平和共存を中心とするバンドン精神はアジア・アフリカ諸国を統合し、国際政治に大きな役割を演じている。英仏のエジプト侵略の失敗にもあらわれているように民族解放闘争はもはやおさえることのできない力である。第2次世界大戦前、帝国主義の予備軍であった植民地の多くの国は、今は反植民地主義、平和共存を支持する有力なる国際勢力として帝国主義の根底をゆすぶっている。全世界にわたる植民地体制の崩壊の進行は現実的な問題である。この数年間に民族独立諸国は平和5原則にもとづいて社会主義諸国との経済的、文化的協力関係をふかめている。社会主義諸国と民族独立諸国は平和な国際環境をうちたてることに共通の利益がある。社会主義諸国と民族独立諸国をあわせた人類の5分の3、15億の人ロをしめる「平和地域」の形成は、今日国際情勢を左右する決定的な要因となっている。

 (3)戦後の国際情勢の発展をつらぬくものは二つの相対立する基本的傾向、二つの陣営の闘争である。

 一方の陣営は、世界支配をうちたてようとする「力の政策」をおい求めるアメリカ帝国主義のもっとも侵略的な分子を先頭とする、帝国主義諸大国と反動の陣営である。無制限の軍拡競争、社会主義諸国にたいする侵略ブロックの結集と軍事基地網の結成、植民地体制の維持、「つめたい戦争」の継続と新侵略戦争の準備はこの陣営の政策である。

 他方では、恒久平和と諸国民の安全を目標とする、平和と反帝国主義の陣営がある。戦争の危険に反対し経済制度と社会制度のちがう国ぐにの平和的共存、反植民地主義のためにたたかうことはこの陣営の政策である。

 この陣営の先頭に立つ社会主義諸国は、プロレタリア国際主義にもとづいてまったく新しい型の協力関係をうちたてるとともに、平和5原則にもとづいて民族独立諸国との協力を強めている。このことは、この陣営の力を強めるととに、ますます大きな国際勢力をその側に結集している。民族解放運動とともに巨大な世界平和運動がひろがっている。諸国の共産党は労働運動の先頭に立ち、平和を維持し、勤労者の利益と自国の民族独立を守る闘いの中核になっている。労働者階級の統一が発展し、他の多くの社会層も戦争に反対して行動している。社会主義の思想はますます多くの勤労人民をとらえている。

 (4)こうした戦後の情勢のなかで、国際共産主義運動は成長し新しい発展段階にはいっている。

 共産党は、ソ連邦、中国をはじめ13の社会主義国ですでに国家を指導しているだけでなく、資本主義諸国で重要な政治的要因となっている。とくにフランスやイタリアなどでは、政治を左右する大きな勢力に成長している。また、インドやインドネシアなどでも共産党は有力な政治勢力になっている。

 ソ連邦共産党第20回大会は中国共産党第8回大会とともに国際共産主義運動を新しい段階にみちびくうえで大きな役割を演じた。それはマルクス・レーニン主義理論の創造的発展と党生活のレーニン主義的原則を基準とする党組織およびその運営の改善の契機を国際共産主義運動に与えた。各国共産党はマルクス・レーニン義の基本原則のうえに立って、それぞれの国の特殊性を正しくつかみ理論を創造的に発展させ、社会主義への移行の新しい形態の創造に向かって進んでいる。各国の党は、またソ連共産党の個人崇拝批判に学び、個人崇拝とセクト主義と官僚主義をとりのぞき、党内民主主義を発展させ、党を組織的に強化するために努力している。

 ソ連邦共産党第20回党大会以後におこなわれた各国共産党大会は、それぞれ、この成果を示している。

 帝国主義と反動勢力は、各国の党のこの新しい創造的発展の過程でうまれた一定の動揺を利用して、社会主義の威信を傷つけ、国際共産義運動に打撃を与え、社会主義諸国間および各国の党の間の緊密な連帯にひびをいれようとした。ハンガリー事件はその集中的なあらわれであった。かれらのこの陰謀は失敗し、社会主義藷国の団結は新しい基礎のうえで強化された。各国の共産党は、この事件から深刻な教訓をまなんで、理論的にも政治的にも成長し、労働者階級をはじめとする人民大衆との結合を強めている。

 共産党・労働者党情報局は、その歴史的役割を終わって解散した。各国の共産党は新しい条件のもとで、ますますプロレタリア国際主義を強めている。

 (5)これらの発展の結果、資本主義と社会主義の力関係、戦争勢力と平和勢力との力関係は決定的に後者に有利にかたむいた。

 支配圏をせばめた資本主義体制の基礎は、戦前よりさらに不安定になったが、その工業水準は上昇した。それは戦前(1929年)の2倍、戦時中の最高水準の2倍以上に達している。それと同時に、アメリカをはじめとして独占資本主義諸国の独占資本の利潤は未曾有の額にのぼっている。

 アメリカの独占資本の代表者たちは、1920年代と同じようにふたたび資本主義の「永久繁栄」を誇っている。だがこの生産の上昇は、経済の軍事化と軍拡競争、国外にむかう経済的膨張の強化、戦争の荒廃をつぐなうための復興需要、固定資本の更新と新技術の導入、勤労者の搾取の激しい強化などを要因としてもたらされたものである。それは同時に資本主義固有の矛盾を深化した。この数年間もちこした好況も生産と有効需要の矛盾を激しくし、新しい深い恐慌の条件が成長し、そしてそれは、今日新しい恐慌としてすすんでいる。

 この情勢のなかで販売市場と勢力範囲をめぐってたたかう資本主義諸国間の諸矛盾、資本主義諸国内部の社会的諸矛盾は深まっている。労働者階級にたいする搾取の強化、勤労者の生活水準の低下は、死活の権利と利益を守るための労働者と広範な人民大衆の闘争を呼びおこしている。社会主義諸国の発展、植民地体制の崩壊と社会主義諸国と協力を深めている独立諸国の経済的発展は、これらの国と帝国主義国との対立と闘争を激化し複雑なものにしている。

 この経済的発展と世界政治の諸勢力の発展は、一方では帝国主義諸大国の侵略政策を強めるとともに、その内部対立を激化し、帝国主義軍事ブロック内の矛盾を強める傾向を生みだしている。

 (6)戦争と民族的奴隷化とファシズムの勢力に不利に、平和と独立と民主主義の勢力に有利に変化しつつある国際情勢の発展は、朝鮮戦争で頂点に達した国際情勢の緊張をこの数年間、いちじるしく緩和した。朝鮮とインドシナの戦争の停止、エジプトにたいする英仏の侵略とハンガリーにたいする帝国主義者の陰謀の急速な失敗は、一進一退をつづけながらも平和勢力が戦争勢力を一歩一歩圧倒しつつあることを示している。またそれは国際緊張の緩和と平和共存への発展が世界の支配的な傾向であることを示している。それはまた「戦争は不可避的でない」と宣言したソビエト連邦共産党第20回大会のテーゼの正しさを証明している。

 だが国際緊張の緩和と平和共存の勝利は、戦争勢力にたいする平和勢力のたゆみない闘争によってのみもたらされる。平和を強める情勢は、アメリカ帝国主義を先頭とする極度に侵略的な帝国主義分子の侵略政策の強化を新しく生みだしている。

 アメリカ帝国主義は原子戦争準備を徹底的に強化し、新植民地主義を強行しようとしている。かれらは「ソビエトの直接間接の侵略」という虚偽のスローガンによって、新しい植民地主義の本質をかくしている。「他の自由諸国の国家的安全の保持が米国自体の安全保障と関係している」(アイク・ドクトリン)という論理が、社会主義国の周囲に無数の軍事基地を設定し、その国の民族主権をふみにじる帝国主義的膨張政策をごまかすものとなっている。そして旧植民地主義に扮装を加え、援助、安全保障、協力、軍事同盟などの名によって、被支配国の心からの友人であるかのようによそおい、陰謀とクーデター、武力干渉と原子兵器の持ちこみなどで他民族の圧迫と奴隷化をねらっている。この欺瞞政策によるアメリカ帝国主義の陰謀はアイク・ドクトリン、中近東への武力干渉に典型的にあらわれている。こうして、アメリカ帝国主義者は、今日もっとも悪質な植民地主義者である。

 アメリカ帝国主義のこの新政策は、極東では、原子戦争準備に応じてサンフランシスコ体制を新しい形で強めることに力をそそいでいる。

 二つの異った社会体制が併存している今日の国際情勢のもとで、世界の人民は平和共存の道を選ぶか、破壊的戦争への道を進むか、ますますその選択をせまられている。社会主義諸国は平和共存の原則にもとづいて国際緊張の緩和に努力し、資本主義諸国との間に友好協力関係をうちたて、恒久平和をめざしてたたかっている。資本主義と社会主義の二つの体制の平和的競争を呼びかけている。国内に侵略や戦争を利益とする階級や原因がなく、社会主義的生産様式の資本主義的生産様式にたいする決定的優越性と、世界史の発展法則にたいする確信に根ざしているソ連と社会主義諸国のこの立場は、世界の労働者階級と人民の利益に深く一致している。ソ連邦と中華人民共和国は日本との友好関係を強める不動の政策をとっている。原子・水素兵器の禁止、外国軍隊の撤退を含む全般的軍縮、軍事ブロックの解体と両陣営をふくむアジア太平洋地域における集団安全保障の樹立を提案し、その実現のためにたたかっている。アジアの民族独立諸国もこれを支持している。アジアの情勢はその実現の条件を強めている。

 サンフランシスコ体制打破の闘争が国際的規模での全般的軍縮および全般的集団保障体制樹立の闘争と結びつくことはこの闘争の勝利をいっそう有利にしている。

 わが国の労働者階級と全人民は、アメリカ帝国主義者による民族的抑圧と、独占資本を中心とする支配層による支配・搾取・無権利状態の二重の苦しみをなめている。そして原子戦争の危険におびやかされている。

 (1)わが国の労働者階級は、戦前と比べて、その数が増えたばかりでなく、その構成も変化した。現在、その数は民間1468万、官公315万、計1783万人(1955年国勢調査)であり、全産業人口の46%を示している。労働者階級は、政府および109万の資本家(雇用主)と搾取、被搾取の対立関係にある。その中核となっているのは、工業労働者568万、鉱業労働者51万、運輸通信その他の公益事業労働者190万、建設労働者131万、計940万(全体の53%)である。

 戦後、労働者階級の労働組合への組織率は、飛躍的に大きくなった。戦前、組合員数のもっとも多かった1936年でも組合数973、組合員総数42万人であり、1945年6月には、戦争中の弾圧によって皆無にひとしかったが、現在(1956年)は組合数3万4000、組合員数635万をかぞえている。同年のストライキ件数は616件にのぼり、111万の労働者が参加し、失われた労働日数は4562万日に達している。

 日本独占資本主義の発展は、労働者階級の構成のなかで、重工業労働者、近代的大工業労働者の占める比重を戦前より大きくした。それと関連して、工場労働者のなかで男子労働者より多かった婦人労働者の割合(戦前、男49%女51%)は、戦後低くなった(男66%女34%)。だが一方、ますます多くの青年と婦人が生産過程にひきいれられつつある。こうした変化にもかかわらず、生産における中小・零細企業の比重が他の資本主義国に比べてきわめて大きい。

 この労働者階級は、独占資本の激しい搾取と圧迫に直接対立している。

 独占資本とその政府は、常時、1000万を下らぬ相対的過剰人口とすでに1100万をこえた要保護人口を基礎に、中小零細業の劣悪な労働条件を保持している。さらに、大企業でも臨時工、社外工を制度化し、極端な職階制賃金を採用して労働条件に大きな格差をつくりだし、これを労働者階級を分裂させ、低賃金を維持し強化する手段として利用している。

 独占資本は欺瞞的な「最低賃金制」を云々することによって、本質的には最低賃金制を拒否しながら、生産性向上運動によって労働者を労働強化と長時間労働に追いこみ、実質賃金を切り下げ、首切りをおこなっている。独占物価を押しつけて消費物価を引き上げ、生活保護、医療保護をひきしめ、健康保険その他の社会保障を劣悪化させ、この上下のしめ木のなかで、資本主義国最低の賃金水準を維持し、資本主義諸国最高の蓄積率の上にたって資本を急激に蓄積している。日本の工業労働者の1時間あたり賃金は、アメリカの10の1、イギリスの6分の1、西ドイツ、フランスの2分の1、イタリアの3分の2にすぎない。

 この歴史的な低賃金とそれを維持する独占資本の政策のために、日本の勤労人民は、父、良人の労働だけては生活できず、家族すべてが労働しなければならない状態に追いこまれている。こうして日本では、15~16才の男子の95%、女子の67%がなんらかの職業について働いている。いわゆる労働力率がこのように高い資本主義国は世界のどこにもない。これは労働条件をいっそう悪化させ、低賃金水準をさらに引き下げる力として作用している。

 独占資本の強化発展は、その一方の極にこのような社会的窮乏をつくりだしている。この状態は、独占資本が強化すればするほど拡大している。生産の拡大にもかかわらず、労働者数の増加はそれに相応せず、新技術の採用、オートメーション化の発展は、労働強化と実質賃金の切り下げ、疾病と労働災害の増加、大きな失業の脅威をあたらしくつくりだしている。労働者階級の窮乏と生活の不安はますます増大するばかりである。独占資本とその政府には、この社会的窮乏を解決する意志も能力もない。

 ここに、生活を守り向上させるための労働者階級の闘争が、たえることなく発展する基礎があり、労働者がその戦線を統一し、賃金の大幅引き上げ、最低賃金制と社会保障拡充の要求をかかげて、独占資本とその政府と闘わなければならぬ根拠がある。労働者階級の闘争は必然的に政治闘争にならざるを得ない。平和と独立、民主主義のためにたたかい、民族の利益を裏切る独占資本の支配を排除し、社会的変革へ進む必要はますます意識されるようになる。

 民主主義的自由と権利にたいする独占資本とその政府の攻撃は、とくに労働者階級に集中的に向けられている。独占資本は労働者階級の立ち上がりと成長をおさえるため積極的な攻撃にでており、職場における労働者の権利は奪われつつある。かれらはストライキ権の剥奪と制限の範囲をたえず拡大しようとし、労働法規に刑罰法規を加重して弾圧を加えようとしている。労働組合の権利と自由は、ますますおびやかされている。政治活動の自由は、職場の労働者には事実上保障されていない。憲法にも法律にもみとめられていない軍機保護措置が職場では大手をふって通用している。労働者階級はこの権利の侵害に反対し、民主主義を守る闘争の先頭に立たざるをえない。

 労働者階級はまたこの独占資本の背後にアメリカ帝国主義がひかえていることをみないわけにはいかない。独占資本が日本民族の利益をうらぎってアメリカ帝国主義の戦争政策に奉仕していることは労働者階級にたいする搾取と収奪、抑圧を加重している。アメリカ帝国主義が、サンフランシスコ体制を通じて日本人民に加えている政治的経済的抑圧の最大の犠牲者は労働者階級である。アメリカ独占資本は、石油その他日本の重要産業に直接手をのばして労働者を搾取しているほか、とくに基地労働者を無権利状態においている。かれらは日本独占資本の生産性向上運動を指導し、搾取強化と労働組合の弱化、分裂政策を激励している。日本の労働者階級は、平和と独立の闘いの先頭に立ち、サンフランシスコ体制をうちやぶり、アメリカ帝国主義者の干渉と支配を排除するたたかいと日本独占資本との闘いを統一することなしには、真に生活の安定、向上をめざす社会的進歩をかちとることはできない。

 社会主義を歴史的使命とする労働者階級は、わが国におけるもっとも徹底的な一貫した革命的階級であり、また平和と独立、民主主義のための闘争の徹底的な戦士である。労働者階級は、全人民を結集するこの闘争の先頭にたち、その偉大な闘争力と組織力を発揮することによってのみ、勤労人民にたいする指導者となることができる。

 (2)日本の農民もまた、アメリカ帝国主義およびそれに従属した独占資本とその政府に対立している。

 日本の独占資本はアメリカ帝国主義の意のままに基地拡張を許し、暴力を発動して農民の土地をとりあげている。またアメリカの余剰農産物を輸入して、農民の生産した米麦を安く買いたたいている。独占資本とその政府は、養蚕、煙草、酪農などで、農民を一種の下請関係に組織して直接搾取している。

 そして農民の必要な生産資材・消費資材を高い独占価格で売りつけている。農民の売るものと買うもののひらき(鋏状価格差)は年々拡大している。

 政府はまた中央・地方の税金によって、農民を搾取している。農民の貯蓄はその大部分が独占資本に利用され、農民の利用する分は少なくなっている。

 農地改革の結果、地主の半封建的搾取は基本的になくなり、農業生産力もある程度増大し、農民の売るもの買うものが増大したが、このことは、それだけ独占資本の搾取の場面を拡大した。農民の階級分化は、富農の形成とその農業資本家への発展がはばまれ、きわめて緩慢にしかおこなわれない反面、貧農は農業内部に仕事をみつけることがむずかしいので、その大部分が農業外に賃仕事をみつけて急速にプロレタリア化するという形で進行している。

 この貧農層のなかには、農業への依存度がますます弱くなり、農村周辺の工鉱業その他の賃労働に依存する比重が圧倒的となって、むしろ純労働者的な各種の農村プロレタリアに移りつつあるものも多い。貧農層は独占資本主義の農村の矛盾の集中点となっている。かれらは、同時に、労働者階級と農民をむすぶ役割を果たす地位にある。

 中農層は主として価格、金融、租税などを通じて米日独占資本の激しい収奪をこうむっている。この層は、そのうちの選ばれたごく一部のものをのぞき大部分のものは、その経済がきわめて不安定な状態にあり、不断にその存続がおびやかされている。それゆえ、この層もまた、貧農とともに独占資本とその政府にするどく対立している。

 独占資本とその政府および自由民主党は、富農層をだきこみ農村に強く残っている半封建的な思想、風俗、習慣を利用し、また農民を分裂させる道具の一つとして残存小作地を利用しつつ、なお農村にその政治的影響力を維持している。しかし農民は、貧農を先頭に中農も富農も独占資本とその政府に搾取されているので、しだいにかれらから離れて、反独占の立場に移りつつある。アメリカ帝国主義への反感も基地周辺の農村を中心として高まりつつある。

 平和と民主主義の気風も青年を中心に成長しつつある。しかし、反米感情を排外的な軍国主義的な方向にもっていかれる危険性はまだなくなってはいない。

 山村農民は、山林経営の企業化=資本主義化の発展とともに、これまでもっていた農用林野、薪炭林に対する軍事上の入会権を制限または禁止されて、経営がいっそう困難になっている。かれらの多くは封建的な色彩を多分にもった兼業労働者として山林経営者に搾取されている。かれらは、山林の可耕地と原野の農民への解放、部落共有林管理の民主化、共有地の公平な分割所有、農用林野、薪炭林の使用権の設定を要求している。この要求は、地主的改造の道を通じて山林経営の資本主義化をすすめている大山林所有者と、これを支持し援助している独占資本と、その政府の政策と衝突している。

 農民はアメリカ帝国主義への従属に反対し、独占資本を中心とする支配層と政府の搾取と収奪に反対し、ひきあう農産物価格の維持、営農資金を要求し、重い税金と独占価格に反対し、土地と仕事と賃金、社会保障のためにたたかわねばならない。

 農地改革で残された小作地については、政府が適当な価格で買いあげ、これを現耕作者に譲渡する方策をとるとともに、未墾の可耕地は、政府の事業として開墾し、付近の農民や希望する農民に譲渡するようにしなければならない。平和の擁護、国の完全独立、独占資本の専制と収奪の打破なくしては農業の発展を保証し、農村の貧困と窮乏の根源に終末を与える社会的進歩と解放の道をきりひらくことはできない。したがって、これらの闘争に向かって農林業の労働者を組織するとともに、貧農に依拠し中農と同盟し、さらに富農にたいしては、貧中農の利害に対立する場合はこれとたたかうが、反帝反独占の戦線にこれを引きいれるよう努力する。この基本態度のうえに、農民を組織し、農民の大衆組織を強大にすることが、わが党にとって欠くことのできない任務となっている。農民はこのたたかいにおいて労働者階級の指導のもとに、これとかたく同盟してすすまなければならない。

 (3)漁民および中小漁業資本は、アメリカ帝国主義と独占資本のために苦しめられている。アメリカ帝国主義は占領中にマッカーサー・ラインにより日本漁業の発展を大きく制限した。この漁場制限は、サンフランシスコ講和によって一応撤廃されたが、マッカーサー・ラインの継続である季ラインはなお存続しており、従属的な日米加漁業条約は広大な北太平洋漁場から事実上日本漁業をしめだしている。アメリカ帝国主義はまた、イギリス帝国主義とともに、太平洋で原水爆実験をおこなって漁場を一方的に閉鎖し、魚類を汚染している。アメリカ帝国主義は、さらに各地に演習場を設けて漁場を制限するとともに、それを荒廃させている。

 漁業独占資本は沖合・沿岸漁業にまで進出し、中小漁業資本を圧倒し、漁場を荒廃させている。かれらはまた主要な漁業根拠地における市場を独占的に支配している。

 戦後の漁業制度改革は、寄生的漁業権者や大漁業権者に重大な打撃を与えた。しかし漁業調整委員会や漁業権を所有する漁業協同組合があいかわらず古い農村ボスに握られているところが多く、漁場が完全に勤労漁民に解放されたとはいえない状態にある。漁村にはいまなお半封建的残存物がかなり強く残っている。

 漁業の資本主義化と漁民の階級分化は急速に進行している。

 雰細漁民は漁獲が激減し、その大多数は没落し窮民化している。

 戦後急激に増加した中小漁業資本家は、その大部分が、独占資本に漁場を荒されているだけでなく、石油、資材、漁具等の独占価格と魚価安にはさみうちされ、また資金欠乏のため、きわめて困難な状態におかれている。

 漁業労働者は、漁業における資本主義の発展と新技術の採用にともない、しだいに近代的な労働者に発展しつつある。身分的従属関係と結びついた歩合制度は、漁業労働者の闘争によりある程度、改善された。しかし漁業資本家はなお歩合制度を利用した複雑な賃金雇用形態で、漁業労働者を搾取している。

 漁民は、漁業労働者とむすんで団結を強め、現在なお強く漁村に残っている半封建的残存勢力の一掃のためにたたかい、漁業協同組合の民主化、漁民による漁場管理をたたかいとるとともに、中小漁業資本家の反独占の要求を支持して、独占資本の支配と搾取にたいしてたたかう必要に当面している。

 漁民は、また中小漁業資本家の圧迫とたたかいながら、一面かれらとともに、アメリカ帝国主義者の漁場制限、水爆実験の禁止、演習場の撤廃のためにたたかわなければならない。このたたかいはサンフランシスコ体制の打破、平和共存、平等互恵と魚族保護を原則とする新しい国際漁業協定によってのみ完成される。

 (4)支配階級によって「特殊部落」民と呼ばれ、身分的差別に今なお苦しめられている300万人の被圧迫人民層も、基本的にアメリカ帝国主義と独占資本に対立する勢力である。それは、主として関東以西、とくに近畿以西のおよそ6000の部落にとじこめられており、部落に住んでいるものだけでも約150万人いる。

 これらの人民層は、戦後の民主的諸改革にもかかわらず、その身分、生活、教育その他について、積極的措置を講じられることなく放置されたままとなっている。

 農業に従うものの多くの部分は、農地改革からさえ除外され、都市に居住するものの大部分も就職の機会からしめだされ、「ニコヨン」または失業者としての境涯におかれており、結婚、就学、就職のうえでもいぜんとして不当な差別を受けている。

 共通の身分的圧迫を受けているこの人民層の内部にも階級分化がおこっているが、反動勢力と結合した一部のボス勢力をのぞいて、その基本的大衆は、勤労者として、また中小企業家としても、独占資本から受けている搾取と圧迫を加重されて苦しんでいる。

 このような事情のもとで、戦前からの長い伝統をもつ「部落解放」の運動は部落各階層の諸要求をかちとるために、労働運動、農民運動、その他各分野の民主運動との共同、提携を強める必然性がある。また封建的な差別観念を利用して人民を相互に対立させ分裂させようとする反動勢力に反対して、政府の「融和事業」予算の増額とその自主的・民主的な運営をかちとり、なお残っている封建的差別観念にたいしては、各分野での共同闘争と宣伝教育活動によって打破する課題をもっている。

 差別と貧困に苦しむ部落民の解放運動は平和、独立、民主主義と生活向上のための全人民的闘争とかたく結びつき、その一環となることによってのみ勝利することができる。

 (5)都市勤労市民の多くの階級的性格は独立自営業者である。僅かの賃金と生産手段を有し、1人またはきわめて小人数の家族労働でその生業を営んでいる。

 かれらの大部分の生活水準は非常に低い。これらの層は、昨日は職人、今日は手工業者、明日は小商人、臨時工、失業者と転々として、膨大な半プロレタリア層を形成している。かれらの家族の多くは家業以外の賃労働に従事している。

 収入ないし生活水準が、労働者よりややましな部分も、その営業は決して安定していない。この層は独占資本とその政府の搾取を直接うけているばかりでなく、激しい仲間競争と人民全体の社会的貧困化のために、市場がつねに不安定であるからである。

 勤労市民の基本的な要求は二つにわかれている。一つは、安定した仕事に定着して貧困から解放されたいという要求である。これは半プロレタリアートを形成する勤労市民の大部分の要求である。一つは、営業を守り、繁栄させたいという要求である。これは自分の営業に希望をもっている層の要求である。

 これらの要求はアメリカ帝国主義と独占資本の支配のもとでは根本的には解決されない。勤労市民のかなりの部分は貧困からの解放、営業の繁栄、安定した仕事、民主的権利の擁護のためにたたかっている。

 勤労市民の多数を構成している半プロレタリアートの利益は労働者階級の利益と一致しており、労働者階級の同盟者である。その地位のよりよい小ブルジョアジーも、今日の段階では、小所有者としての要素と勤労者としての要素からくる二面性をもちつつ、全体として当面の革命における労働者階級の同盟者である。だが同時に、この層はその分散性と二面性からくる動揺もあり、独占資本はその反動支配の大衆的基盤とすることをねらっている。労働者階級の強力な指導と援助が必要である。

 (6)工業生産の高度化は技術的イソテリゲンチャの比重と役割を増大させており、アメリカ帝国主義と日本独占資本との反動的思想攻勢の強化は知識人、文化人の社会活動上の役割を増大させる。

 わが国には反動勢力の利益に意識的に奉仕し、もしくはその影響下にある知識人、文化人の数はなお少くないが、しかし多くの知識人、文化人がサンフランシスコ体制のもとで、日本民族の尊厳がふみにじられ、戦争とファシズムの危険が増大していることに不安と憤激を感じている。かれらの多くは戦争中、おそるべき言論抑圧を経験しているので、平和と自由と民主主義の危険にたいしては、きわめて敏感である。

 かれらはまた、低俗なアメリカ文化の氾濫と古くさい封建的、軍国主義的、天皇制的思想の復活によって、健康で民主主義的な民族文化の伝統が破壊され、その発展が妨げられることに強く反対している。

 多くの自然科学者と技術的インテリゲンチャの少なからぬ部分が人類の未来に輝やかしい展望を約束するオートメーションと原子エネルギーが、独占資本をふとらせるために、また大量殺人兵器をつくるために利用されていることに強く反対し、それを「平和、民主、自主」の3原則により、人類の幸福のためにだけ研究、利用することを熱望している。

 知識人、文化人、技術的インテリゲンチャは、政府の官僚的文化統制に反対し、思想と研究と表現の自由を要求し、その生活の向上と研究費の保障、研究施設の改善を強く要求している。

 知識人、文化入、技術的インテリゲンチャのこれらの要求と希望は、労働者階級の指導のもとにかたく団結し、プロレタリア国際主義の立場を堅持し、アメリカ帝国主義の支配と独占資本を中心とする反動の支配を打破することによってのみ、実現される。

 (7)男女の勤労青年と学生は現在の日本の政治、経済、社会の環境のもとでは、とく重要視されなければならない勢力である。多くの青年男女は各種の抑圧された階級に所属し、アメリカ帝国主義と日本独占資本を中心とする反動支配のために、その階級特有の圧迫と搾取とをうけている。しかもかれらは、青年であるがために、それぞれの階級の苦しみを倍加された形でうけている。このことと、青年が未来をめざして成長する年代であることから、かれらはその所属する階級のなかで先進的な行動力となっている。

 労働青年は、成人労働者の半分の賃金で働かされながら、独占資本の生産性向上運動と搾取強化の犠牲をことに集中的に受けている。戦後農村青年の農業生産における役割はたかまったが、二、三男問題に典型的にあらわれているように農民の苦しみはとくに青年の上にのしかかっている。戦前とちがって多くの学生は働きながら学業をつづけなければならない。

 これらの青年は、すべて子供の時代を戦争でいためつけられた。そして成長するにしたがって、自分の国が深い民族的屈辱におちいっているのをみてきた。い之かれらを原爆戦争の危険でおびゃかしているものが、民族の独立を奪いとっているアメリカ帝国主義と日本独占資本であることを日ごと体験しつつある。戦後の環境の中でそだった青年の民主主義的自覚は、支配層の反動政策と衝突する。

 米日支配層はさまざまな手段で青年層を反動的イデオロギーにつなぎとめるために努力しており(それはまたかなりの成果をあげているが、勤労青年、学生を中心にして、かれらの平和、独立、自由の要求はたかまっている。かれらは、原水爆戦争にみちびく再軍備と徴兵制度に強く反対し、軍国主義をにくみ、平和と明るい未来を要求している。

 労働青年男女が中核となり、勤労青年、学生を大ぎく結集することに成功するならば、平和、独立、民主主義、生活向上のためのたたかいの巨大な力となることができる。

 (8)婦人は、戦後、男女平等の宣言、婦人参政権、労働諸法規、児童憲章などによって形式的にはその地位を高めた。

 しかし、アメリカ帝国主義と日本独占資本の反動政策の強化、軍国主義の復活政策は、婦人とくに勤労婦人、勤労者の家庭の婦人の形式上の地位と権利をさえ激しくおびやかしている。

 婦人労働者は、生理休暇、産前産後の有給休暇、深夜業の禁止をしだいに有名無実にされ、結婚や子供を生むことさえ、職場を奪われる原因となっている。生産性向上運動による圧迫は婦人の上に集中的に加えられている。新技術の採用とオートメーション化は、一方では婦人を失業の脅威にさらすと同時に、また新しく生産に引きいれているが、賃金は平均男子の5割にみたない。

 農地改革後、農業の機械化が進み、農業労働が軽減されたことは、婦人の労働をいくらか緩和した。しかし、農村婦人はなお農業労働とともに家事労働にも従事しなければならない。古い家族制度、嫁姑の関係は、とくに農村ではまだ根づよく残っている。農村の保守勢力は婦人のあいだにまだ大きな力をもっている。婦人はとくに社会的貧困をその一身にしわよせされている。

 こうしたなかで、婦人のめざめと立ちあがりは、最近の情勢の大きな特徴である。多くの婦人は、その所属する階級の別をこえて、平和と子供の幸福を守り、封建的な風俗習慣に反対し、家族および社会におけるその地位を向上させるためにたたかっている。また独占資本とその政府による憲法改悪、家族制度の復活による婦人の地位の引き下げ計画にたいして強く反対している。民主主義的婦人の運動はますます大きな広がりをみせている。

 婦人の要求は、労働者階級を先頭とする平和、独立、民主主義と生活のための闘争を通じて実現されるものであり、婦人の完全な解放は、社会主義の実現によってのみ保障される。

 (9)中小企業家は、原料、金融、市揚、税金などいろいろな面で独占資本とその政策の収奪と圧迫をうけ不安定な状態におかれている。かれらは好況時には独占資本をふとらすために利用され、不況時には独占資本を助けるためにまっさきに切りすてられる。

 原料高・貿易制限その他日本の対米従属がもたらす経済上の不利益はますます中小企業を困難におとしいれている。

 これらのことから、この国の中小企業家の少なからぬ部分がアメリカ帝国主義の支配に反感をもち、独占資本とその政府にたいしては原料・資材の独占価格、税収奪、資金、市場の制限に反対してたたかっている。ソ連、中国との貿易の拡大も強く要求している。また平和産業が主であり、戦争によって営業を停止され戦火によって工場を破壊された苦しい経験をつうじて、戦争をこのまない傾向をもつものも少なくない。

 このように中小資本家は独占資本にたいしては、被収奪者として反独占の方向にすすまざるをえないが、その反面、労働者にたいしては搾取者であるところから、二面性をもち動揺的である。かれらは独占資本の収奪と圧迫からくる負担を労働者に転嫁し、労働者にたいする搾取を強めることによって利潤をあげ存続することをよぎなくされている。このため多くの中小企業の労働条件にはまだ半封建的要素が残っており、強度の長時間労働と大企業の60%程度の低賃金が支配的である。かれらの多くは社会保障にも反対であり、労働組合運動にも強く反対の立楊をとっている。そして、現在自民党の有力な地盤とされている。

 しかし、独占資本とその政府の収奪と圧迫が強くなり、労働者の抵抗が強くなるにつれて、かれらの独占資本とその政府にたいする闘争は発展する傾向にある。

 したがってわが党は、かれらの反動的、反民主主義的な側面にたいしては階級的原則的立場にたってたたかいつつ、かれらの反独占、反戦、反米の要求を積極的に支持し、かれらのたたかいと団結を発展させ、かれらの真の解放が労働者階級とともに進むことによってのみ勝ちとられることを示さなければならない。

 (10)非独占大ブルジョアジーは、全国的な市場で独占資本と競争関係に立つものと地方財閥的なものとにわかれる。

 前者は独占資本に原料と市場と金融を独占されて圧迫されているので、このかぎりでは独占資本と対立関係に立ち反独占的である。かれらは独占資本に市場を独占されているので、日中・日ソの貿易の拡大によって新市場をきりひらこうとしている。しかし、その多くは、独占資本との競争に敗退し、また、事業拡張の必要上銀行から融資をうけることによって独占資本の系列下に組みいれられてゆく傾向をもっている。かれらと独占資本との矛盾は、反動勢力内部の矛盾として独占資本とその政府を動揺させ弱めるために利用することができる。

 地方財閥的な非独占大ブルジョアジーは地方銀行をにぎり、地方交通運輸、各種の地方産業を経営して小型コンツェルンの形をとっている。かれらは全国的な意味で独占資本といえないだけで階級的な性格は独占資本に近い。かれらは閥族的な地主的な要素をいまだにもちつづけ、戦前の財閥資本の地方版としての性格をもっている。かれらは非常に反動的であり、反労働者的である。かれらの多くは自民党地方支部の事実上の主人公であり、地方政治を牛耳る大ボスである。

 わが国を支配しているのは、アメリカ帝国主義とそれに従属的に同盟している日本独占資本の勢力である。わが国はアメリカ帝国主義者によって半ば占領され、アメリカ帝国主義者とその目したの同盟者である日本独占資本の勢力によって支配されている事実上の従属国である。

 日本人民の現状と社会的進歩への道は、わが国を従属させているアメリカ帝国主義と基本的に対立している。またそれは、アメリカ帝国主義に従属し、人民を搾取と抑圧の状態においている日本の独占資本を中心とする反動勢力と基本的に対立している。アメリカ帝国主義と日本の独占資本の共通の政策が新戦争の準備とそのための日本原爆基地化におかれている今日、日本人民はまた平和のための不断のたたかいに直面している。日本社会の発展は、その進路を阻んでいるこれらの課題の解決いかんにかかっている。

 サンフランシスコ体制と独占資本の収奪のために、民族として、はずかしめられ、また生活の苦悩と原子戦略による生命の脅威に苦しめられているのは労働者、農民だけではなく、都市の勤労市民、知識層、学生、中小企業家が、またあらゆる抑圧された階層の青年男女が同じ苦しみに当面している。

 すべてこれらの人びとは、アメリカ帝国主義と独占資本を中心とする日本の反動支配層の反民族的・反人民的政策のために、それぞれの意味で苦しめられている階層であり、これは日本人民の圧倒的多数をしめている。したがって、これらの人民各層が団結すれば、アメリカ帝国主義を日本から追いはらって、日本の完全独立をかちとることも独占資本の支配と収奪を打破することもできる。

 労働者階級はみずからを終局的に解放する道が社会主義の建設以外にないことを知っている。それこそが労働者階級だけでなく、すべての勤労人民の貧困を根本的になくし、平和で豊かな生活を保障する道である。しかし社会主義の建設はそれをはばんでいる障害を打破することなくしては勝ちとれない。サンフランシスコ体制による米日独占資本の支配と抑圧は、わが国における社会主義への社会的進歩の道をはばんでいる最大の障害物となっている。これを打破して恒久平和と社会的進歩を勝ちとることは、わが国の労働者階級をはじめとする人民の欠くことのできない当面の任務である。したがってアメリカ帝国主義と日本独占資本の支配に反対して、平和、独立、民主主義と生活向上の日本を建設する民主的な革命政権の樹立こそ、日本の社会発展の新しい道を保障するものである。それは国の独立、民主主義の徹底、売国的反動的独占の支配をのぞくことを主な任務とする人民民主主義形態の革命となるだろう。そして、わが国の条件では、この人民民主主義革命の全体の過程は、主として民主主義的性質をもつこの革命の中心任務の遂行を通じて人民のいっそうの団結と労働者階級とその前衛の力の増大を勝ちとりつつ、急速に社会的変革の任務に進まなくてはならない。

 当面する革命をきりひらく力は、平和と独立、民主主義と生活の向上を目標とする、労働者階級を中心とし、労働者、農民の同盟を基盤とする勤労市民、知識層、学生、中小企業の強大な統一戦線の結成にかかっている。この統一戦線の力強い基盤のうえにはじめて革命の任務を遂行しうる強固な人民の革命政権をうちたてることができる。

 このたたかいにおいて、恒久平和のための闘争は、わが国の広大な人民の共通の任務であると同時に、共産主義者の重要な課題である。わが国を半ば占領しているアメリカ帝国主義は新しい原子戦争を準備している勢力の元凶であり、わが国の原爆基地北をすすめている。かれらの政策は、人類の生命にとって重大な危険をもたらすものである。わが民族は、かれらの投下した原子兵器によって、広島、長崎、ビキニと3たび犠牲をうけた。日本の反動支配層は、わが国の平和運動――とくに原子兵器反対の大きな世論のたかまりに面し、本質的にはごまかしである政策をもってアメリカ帝国主義の原子戦略への協力をかくし、日本を新しい戦争の危険へみちびきつつある。

 このような情勢は、わが国の人民とその前衛が平和のたたかいにおいて負っている責任が、世界史的にも重大なものであることを示している。とくに労働者階級は、今日では戦争は人民の団結と闘争によって防ぎうるという確信をもって、このたたかいにおいて全人民の先頭に立たなければならない。

 わが国の解放闘争の課題は、その性質上、世界の平和、独立、民主主義、社会主義のための闘争の前進と密接な歴史的な関連をもっている。わが国の闘争は、結集しうるすべての力を結集するだけでなく、国際上のすべての有利な条件を活用し、国際的規模での平和、独立、民主主義の社会主義の勢力との連帯のもとに進まなくてはならない。世界の平和、独立、民主主義と社会主義の広範で力づよい世論が、わが人民のこのようなたたかいと前進を支持することはうたがいない。

 社会主義世界体制となった社会主義諸国は、平和共存を主張し、徹底的な軍縮と核兵器の禁止、軍事ブロック政策の廃止と社会体制にかかわらない集団安全保障体制の樹立、そして、外国におけるいっさいの軍事基地の撤去を主張している。これらのプログラムは、恒久平和と諸民族の独立のための最重要課題を包括している。だからこの主張は、帝国主義グループの反対や黙殺に反して、世界のすべての誠実な平和と独立、民主主義の戦士の心をとらえている。原水爆禁止世界大会の年々の発展が示すように、世界の平和勢力は原子戦略のために外国に軍事基地を拡大しているアメリカ帝国主義の政策にとって大きな障害とならざるをえない。原水爆実験即時無条件禁止の要求はしだいに人類の常識になろうとしている。

 また、アジアの独立諸民族は日本を含むアジアから外国帝国主義の軍隊の撤退と軍事ブロックの解体を求め、アジア・太平洋集団安全保障体制の樹立をねがっている。そしてアジア侵略の元凶であった日本帝国主義の復活にかわって平和、独立、民主日本が建設されることは、独立と平和を求めるアジア諸民族の共通の願いである。このようにアジア諸民族と日本人民の闘争は共通の目標をもっている。

 これらの条件は、アメリカ帝国主義の原子力戦略と力の政策が、今後の世界史の動向としてアジアにおいてもしだいに追いつめられ、孤立する必然性を示している。今日、アメリカ帝国主義の武装力がいかに強大にみえようとも、これらの世界的な大勢力と結合して進むわが日本人民の解放闘争はかならず勝利しうる世界史的条件におかれている。

 日本共産党は、日本人民解放闘争のために当面つぎの要求をかかげる。

一、平和と独立のために

 1 核兵器実験の即時無条件禁止、核兵器の製造・使用の全面禁止、軍縮協定の実現。軍事ブロック政策反対。アジア・太平洋における全般的集団安全保障体制の確立。とくに東北アジア軍事同盟反対。

 2 サンフランシスコ体制の打破、サンフランシスコ平和条約の基本的改訂と、安保条約・行政協定・MSA協定の破棄、沖縄、小笠原の返還、全アメリカ軍の撤退と軍事基地の一掃。

 3 核兵器ミサイルもちこみ反対、核武装反対、アメリカの原子戦争準備の一環をになう再軍備反対、軍国主義化反対、自衛隊の解散。

 4 社会主義諸国をはじめすべての国との友好関係の樹立、社会主義諸国とのいっさいの貿易制限の廃止と平等互恵の原則にもとづく通商協定の実行。すべての国との自由な経済・文化の交流。

 5 日台条約の破棄、中華人民共和国との国交回復と中国の国連における正当な地位の回復、朝鮮民主主義人民共和国およびベトナム民主共和国との国交回復。朝鮮およびベトナムにおける休戦協定の実施と平和的民主的統一の支持。

 6 植民地主義に反対しているアジア・アフリカ諸国との提携、平和5原則による友好親善の確立。

 7 在日朝鮮人の民主的権利の擁護。

二、民主主義のために

 1 人民の民主主義的権利を制限するあらゆる法律、命令の撤廃。

 2 憲法改悪反対、地方制度改悪反対、小選挙区制など選挙制度の改悪反対、議会制度のいっそうの民主化。

 3 言論・出版・放送・集会・示威・結社・渡航の自由、団結権・罷業権・団体交渉権・生活権・労働権・教育権の保障。

 4 いっさいの思想調査・挑発活動の禁止、弾圧機関の解体、政治犯人の釈放。

 5 思想・信仰・性・年齢・地位・人種その他によるいっさいの差別待遇の廃止。

 6 いっさいの半封建的政治社会制度の残存物の一掃、天皇主義的および軍国主義的思想の宣伝・教育の禁止。

 7 未解放部落にたいする差別待遇の根絶。

三、人民の生活向上のために

 (労働者のために)

 1 賃金の大幅引き上げ、最低賃金制の確立。同一労働に対する同一賃金。

 2 首切り、労働強化反対、労働者の犠牲による「産業合理化」反対。週40時間労働制、坑内労働者に6時間、船員に4直制。

 3 中小企業・農漁業労働者に一般労働法の適用。臨時工・社外工制度の廃止。

 4 弾圧と分裂の労働政策反対。労働組合活動・政治活動の自由。職場における基本的人権にたいする侵害反対。

 5 すべての失業者に仕事と生活の保障。

 6 大衆課税反対、勤労所得税の撤廃。

 7 物価・料金の引き上げ反対、独占物価反対、生活協同組合の拡大強化。

 (農漁民のために)

 1 主要農産物の価格保障制度の確立、農業共同組合の民主化。

 2 残存小作地の国家による買上げと耕作者への譲渡。国有・公有・大山林所有者の林野などの可耕地・採草地の解放、国家資金革よる大規模な開拓・干拓。

 3 農村労働者・貧農・二、三男に土地と仕事の保障。土地取り上げ・闇小作料反対。

 4 いっさいの税負担・公課の減免、低額所得者にたいする免税と滞納の棒引き、長期低利の資金貸付。

 5 アメリカ軍・自衛隊のための農地取り上げ反対、売国的食糧輸入反対。

 6 漁業許可制の民主化、漁業協同組合の民主化、歩合制度の改善。

 7 日本漁業を破壊する米軍演習・原水爆実験反対、平等互恵の魚族保護の原則にたつ国際漁業協定の締結。

 (勤労市民のために)

 1 都市勤労者に安定した職業の保障、社会保障その他国家の援助による生活水準の大幅引き上げ。

 2 婦人・手工業者・小商人・自由業者の営業に対する国家の援助、政府保障の大幅融資。政府金融機関の改善・拡充。

 3 自家労賃への課税の廃止、所得税免税点の引き上げ、事業税・固定資産税の廃止。

 4 すべての都市勤労市民の団結権と団体交渉権の法律による保障。

 (中小企業家のために)

 1 中小企業にたいする原料・価格・市場・金融にかんする独占資本の支配をやめさせるための国家的保護の改善・拡充。

 2 中小企業にたいする政府保障による長期低利資金の大幅融資・原料・資材・内外市場の確保、独占価格の引き下げ、中小法人にたいする税の軽減。

 3 すべての中小企業家の独占資本にたいする団結権と団体交渉権の法律による保障。

 (社会保障の確立のために)

 労働者・農漁民・手工業者・小商人・職人その他すべての人民の生活改善のために、政府・資本家の負担によるいっさいの総合社会保障制度の改善と拡充、各種社会保障制度運営の民主化。

 1 すべての人民に健康保険法の適用、被保険者の負担の軽減、制限診療の撤廃、診療報酬の引き上げ、医療施設の拡充。

 2 母子年金法・養老年金法・障害年金法など国民年金制度の確立。

 3 児童福祉法・身体障害者福祉法の完全実施と改善、社会福祉事業施設の拡充と改善。

 4 全額国庫負担による総合的結核対策の樹立、原爆病患者の診療と生活にたいする国家の完全保障。

 5 生活保護法の完全実施と適用の拡大、扶助基準額の大幅引き上げ。

 6 軍人恩給の廃止、復員兵士・引揚者・戦傷病者・戦災孤児・戦没者の家族の生活にたいする国家の完全保障。

 (青年・婦人のために)

 1 性・年齢によるいっさいの差別待遇に反対。家族制度の復活反対、青年婦人の向上をはばむ封建制の残りかすの一掃。売春制度の完全な廃止。

 2 あらゆる青年が才能に応じて教育をうけられる教育制度の確立。

 3 芸術・科学・スポーツなどにかんする青年の自由な自主的組織の奨励とこれにたいする政府、独占資本家の圧迫と干渉の排除。これらの国際的諸組織との交流にたいする国家の援助。

 4 婦人の身体的特質、母性にたいする全面的配慮と保護、生理・出産休暇・授乳休み等の完全実施。

 5 児童憲章の完全実施、託児所・母子寮その他の社会施設の拡充と改善。

 6 すべての青年・婦人に仕事と生活の保障。

四、学問・芸術・文化の発展のために

 1 科学研究と芸術・文化の創造の自由の保障と、科学者・芸術家の生活の安定。

 2 原子力の軍事的目的への利用に反対、平和利用のための自由な民主的自主的研究の奨励。

 3 日本の文化・芸術・科学のいっさいの民族的成果と民主的遺産の擁護と普及。

 4 アメリカ帝国主義のもちこむ退廃文化の一掃と反民族的好戦的な宣伝・教育の禁止。

五、経済の平和的発展と社会的進歩のために

 1、恐慌の勤労人民へのいっさいのしわよせ反対。

 2 軍事予算、弾圧費、経済軍事化に反対、原子力の平和利用。

 3 日本産業にたいする外国資本の支配の排除、ひもつき借款に反対。

 4 社会保障、農地改良、災害復旧、中小企業振興、教育・文化のための国庫支出の大幅増額。国費による庶民住宅の大量建設。

 5 大衆課税反対、所得税中心の高度累進課税を基本とする中央・地方税制の基本的改革。地方財源の確保。

 6 独占資本にたいする人民の監視と統制の実施、独占価格の引き下げと資金資材の供給の民主化、金融機関と重要産業の独占企業にたいする人民の監視と統制の実施、その国有化への移行。

六、人民民主主義政治体制のために

 1 定住、資産、信条にかかわりなく満18歳以上の男女に選挙権・被選挙権を与える。リコール制をもつ比例代表制。

 2 君主制の廃止、一院制国会、人民共和国の樹立、国家の最高権力機関を国会とする。

 3 議会の監督と任命による裁判制度の確立。

 4 住民の意志と利益に合致した地方自治制度。

 これらの要求は、労働者、農民、市民、知識層、学生、中小の企業家など、今日日本の民族的解放と社会的進歩、平和、生活の向上をねがうすべての人民の利益を基本的にあらわしている。したがってこれらの目標を達する道は、労働者階級を中心とした統一戦線の結成にもっとも大きくかかっている。

 これらの要求を最終的に実現することを保障する政府は、革命の政府である。それは平和と独立、民主主義と、生活の向上をめざして、社会主義的変革への過渡的な道をひらくことを保障する革命の政府となるであろう。

 戦後12年間に、わが国の人民は、アメリカ帝国主義と日本独占資本を中心とする反動勢力の圧迫と収奪に抗してたたかいつづけてきた。さまざまな曲折をともないながらも、内外の情勢の変化、生活の現実、たたかいの経験を通じて、平和と独立、民主主義の諸運動は戦前と比べて画期的に前進してきた。すでに1948年3月、わが党中央委員会が民主民族戦線を提唱したときには重要な労働粗合をはじめ数百万の組織成員を数える多数の民主的諸団体を民主主義擁護同盟に結集した。

 サンフランシスコ体制にたいする怒りが今日ほど広くひろがった時期はない。

 軍事基地反対闘争は基地の農民をはじめ、労働者、学生、知識人層の共同闘争として、弾圧に抗し、各地でねばりづよくおこなわれている。

 原子兵器禁止の熱望が今日ほど広くもえあがった時期はない。3000万をこえる原水爆反対の署名にまで広がったこの運動は原水爆禁止と軍縮のための第3回世界大会をへて、さらに大きく発展しつつある。

 米日支配層の計画している憲法改悪を阻止しようとする人民の決意は、平和と独立、民主主義のための闘争として広がりつつあり、その成長は改悪実現を阻止しうる規模になっている。

 日ソの国交回復を要望する声が、かつてなく広く高まったからこそ、米日支配層はそれを無視することができなくなった。中国6億人民との国交が回復されず、戦争状態に正式の結末がつけられていないことにたえがたい不自然さを感じる日本人が、これまでになく多くなっている。そして同時に各階層の民主的運動も戦前にみられない成長をとげてきた。

 労働運動は一貫して社会的貧困にたいする抵抗者として立ち上ってきた。この10年間に反復、持続された賃金引き上げを中心とする生活と権利防衛のストライキ闘争は、労働者階級が資本の搾取に対する頑強な戦士であることを物語っている。そして最近数年間の事実が示すように戦闘的組織労働者は破防法反対のストライキ、官公庁労働者にたいする不当処分反対の大衆行動をはじめ、憲法改悪反対、基地反対などの重要な民挨的人民的闘争にも参加してきた。

 戦後農民運動の高揚のなかで、150万の農民が農民組織に組織されたが、農地改革後、多くは分散してしまった。民主的な土地改革の徹底のためにも、新しい敵である内外の独占資本を中心とする反動層とその手先にたいする闘争に正しく目を向けることが求められていたにもかかわらず、共産主義者が重要な責任をもつ誤りによって農民運動の低迷がつづいた。しかし、今日、農民運動は新しい闘争方針の確立と農民戦線の全国的な統一をめざし、ふたたび高まりつつある。すでに統一は具体化の歩みを踏みだしている。農民運動は恒常的な全国組織の点では弱いが、要求ごとに民主的な組織をつくってたたかう点ではかなり活発である。

 都市勤労市民も、一般的にいって全階層を包括するような大衆的な組織に発展することができずにいるが、生活防衛のための民主的な組織が、まだ部分的ではあるが、つくられている。

 知識人、文化人も憲法改悪と暗黒裁判、破防法制定と教育法規の改悪、軍事基地と核兵器に反対する動きにみられるようにわが国の有名なインテリゲンチャをふくむものが独立と平和の問題に目をむけ、組織的にも結集しはじめている。こういう動きのなかで、進歩的文化運動とその組織が大きな役割を果している。

 平和と独立、民主主義、生活のための闘争における青年の役割は増大している。労働青年は労働者階級の統一行動を進める力となっている。学生運動は原子戦争準備、わが国の原水爆基地化に反対する運動に積極的な役割を演じている。

 さらに反動勢力がかれらの道具にするために骨折ってきた既存団体のなかにも、農村青年が大きな比重をしめている地域青年団のように、平和と独立、民主主義のための積極的な役割をするものが出てきている。

 労働組合に組織された婦人ばかりでなくさまざまな階層に属する婦人が原水爆禁止運動、母親大会の運動、売春禁止法制定の運動、物価値上げ反対運動その他に参加し、めざましい成果をあげている。

 これらの民主的な諸運動のなかから、戦前の日本に見られなかった、大量の活動家が育ってきている。

 1956年6月の参議院選挙はわが国人民の政治的成長の度合を示すものであった。平和、独立、民主主義の諸要求をかかげてたたかった民主的政党は、全投票の42%、1242万票を獲得した。

 戦後の民主運動のこうした前進にもかかわらず、この発展状態はまだ重大な未成熟と弱点をもっている。それは、民主勢力がまだ全体としては分裂状態におかれており、人民勢力の統一と団結ができあがっていないことである。これらの点が人民の勝利のための最大の弱点であると同時に、反動勢力にとって、最大の安心となっている。

 そのことは、つぎの点に具体的にあらわれている。

 第一、労働者階級は階級的な闘争力を高めているが、まだ平和・独立、民主、生活向上の統一戦線の先頭に立って、広大な人民大衆を団結させるほど強大になっていない。労働者階級の3分の2が未組織状態であり、労働戦線はまだ統一されていない。階級的政党と大衆組織との正しい原則と実態的関係も未確立であり、労働組合の多くがまだ社会党への支持を義務づけられている状態にとどまっている。また、労働戦線でのわが党の活動は、6全協以来改善されはじめたが、まだその力は強くない。このような弱点のために、人民の闘争の中心としての労働者階級の階級的政治的力量はまだ全体として強大になっておらず、反動勢力がその弱点に乗じて弾圧と分裂政策をもって攻撃をかける余地を残す結果となっている。

 第二、労働者階級の重要な同盟者である農民戦線が最近新しい統一と前進に向かって再結集されつつあるが、まだ勤労農民の4%しか組織されていず、労働者農民の同盟は問題になってはいるがまだ弱く、農村における反動の影響力はまだ強い。

 第三、統一戦線の中心勢力である民主的政党――社会党と共産党の統一行動や共同戦線が、まだ全国的におこなわれるようになっていない。部分的には、とくに地方でさきの参議院選挙にみられるように統一行動は前進したが、全国的に社会党が共産党と一線を画する方針をとっているため、非常な困難のなかでおこなわれた。

 これらの問題を解決するためには、労働者階級の先進的役割を具体化するとともに、労働者階級とわが国の人口のなかばに近い広大な農民を組織し、同盟をきずきあげることである。

 それは人民の諸階層の統一と団結のかなめである。自民党が今日国民の多数の支持をえつづけている状態を、根本的に転換させる道は、人民各層の大衆運動の発展と統一された政治目標に向かっての団結いかんにかかっている。この統一戦線の共同綱領は、戦争に反対し独占資本を中心とする反動層の搾取と収奪を打破するための、平和と独立、民主的権利の擁護、人民各層の生活の向上をめざす共同の綱領でなくてはならない。もちろん、そのことはさまざまの目標をめざす統一行動を人民各層のそれぞれの組み合わせにおいて多様に組織することをさまたげないのみか、今後もそれはますます重要である。

 問題は、特定の問題にもとづく統一行動は今日かなり発展しているが、そのなかにもまだ不統一や狭いなわばりが残っているだけでなく、その段階に運動がとどまっていて、今日の情勢が要求する全体的な共同綱領にもとづく全国的な統一戦線の結集が、切実な具体的任務として不断に追求されていないところにある。したがって、統一戦線のためのたゆまない努力こそ革命の力をつくりあげるうえに欠くことのできないものである。

 わが国の社会民主主義政党である社会党は、労働者、農民、都市ブルジョアジーおよび中小の資本家の一部に組織的基礎をもっている。そして、事実上これらの諸階級の混合体となっている。そのために、思想的、理論的、政策的に統一性と一貫性を欠いており、動揺性をもっている。

 社会党は、当然ながら、労働者階級の前衛党ではなく、その指導理論には同党が加盟している社会主義インターの理念の影響もみられる。

 しかし、その組織的基礎をなしている階層は、すべて民族民主統一戦線の構成要素となるべき階層である。したがって、これらの階層の闘争が進むにつれて、社会党もこれらの闘争の動向を反映して、米日支配層にたいして闘争する条件をもっている。

 社会党は、戦後久しく労働者階級と米日支配層のあいだを動揺する傾向をまぬがれなかった。片山内閣の果たした役割、サンフランシスコ条約、日米安全保障条約にたいする態度をめぐっての左右両翼への分裂は、そのもっとも大きなあらわれであった。また、米日支配層は、社会党を「二大政党論」にみられるようなわくのなかで飼いならし育成しようとしてきた。ところが情勢の変化、米日反動と日本人民の矛盾の激化につれ、日本人民の平和、独立の要望のたかまり、社会党につながる労働組合の階級的自覚の高まりにつれて、社会党は米日支配層にたいする闘争目標を以前より強く掲げはじめた。これは人民の団結のために有利な積極的な条件である。

 われわれは、今後とも社会党が米日支配層にたいしてたたかう方向と条件を発展させること、全人民的団結によって進むことを要望する。そして、社会党との統一行動の促進につねに努力を払わなければならない。

 今日、社会党は党全体としては、平和と独立と民主主義の側にたってたたかう役割を果たしており、同党が日本の人民大衆の支持を期待するには、これをつづけなければならない。しかもなお、その指導理念の限界からくる反共主義とそれにもとづくセクト主義が、わが国人民の団結において分裂主義的な役割をしていることを否定でぎないのも明らかな事実である。社会党のこのような矛盾については、統一行動の促進によって前進的に解決する基本態度をとるとともに、そのさい人民の統一と団結に有害なセクト主義にたいしては適切な批判をおこたるべきではない。

 そして、これらの条件のもとで、日本人民の解放闘争を正しく前進させる最大の責任を労働者階級の前衛党であるわが党がせおっている。わが党は創立いらい平和と解放の運動のなかで、いくたの重大な歴史的役割を果たしてきた。けれども、さまざまの客観的主体的理由のために、労働者階級をはじめ人民諸層への影響はまだ弱い。6全協は、その主体的な原因の克服の最近における第一歩となったが、今後ともわが党の政治的思想的強固さこそ、その責任を果たすための土台である。

 革命への道すじに関していくつかの重要な問題がある。

 (1)その一つは、過渡期のよりましな政府と、統一戦線の政府と革命の政府の問題である。

 わが党は、強大な統一戦線を結集し、その基礎のうえに統一戦線の政府をつくるために奮闘する。これは、アメリカ帝国主義と日本の反動勢力のあらゆる妨害に抗しての闘争である。この統一戦線政府の樹立が革命の政府となるかどうかは、それを支える統一戦線の力の成長の程度にかかっている。統一戦線が一応人民の支持をうることに成功しても、敵の力にたいしてまだ十分強くないときには不安定な過渡期状態で民主的政府が成立することもありうる。

 また統一戦線における指導権がまだ労働者階級に確保されない場合には、それは革命の課題を確実に遂行する保証をもちえない。しかし、統一戦線が人民の絶対的多数の土台に成立し、また、この統一戦線のうえにおける労働者階級と前衛党の比重がたしかなものになったような条件で、新しい政府が樹立されるならば、それは革命の課題を遂行しうる政府となるだろう。

 統一戦線政府が樹立されるまでの過程で、よりましな政府の可能性の問題について無関心であってはならない。階級諸勢力の相互矛盾の関係に変化が生じた場合、統一戦線の政府ではないが、米日反動の支配を部分的にも一時的に妨げうるような政府ができる場合には、一定の条件のもとで、それを支持することを避けるべきではない。

 そのさい、統一戦線とその政府の役割の重要性についての強調をおこたってはならない。また党はより反動的な政府ができることにたいして闘わなければならないが、そのさい誤って、本質的には米日支配層の利益を代表する政府を支持するような態度におちいってはならない。

 (2)革命が非流血的な方法で遂行されることはのぞましいことである。

 世界の社会主義と平和・独立の勢力が画期的に大きく成長した世界情勢のもとで、アメリカ占領軍の全面的な占領支配が今日のような支配形態となり、サンフランシスコ体制によって制約されているとはいえ、今日の憲法が一応政治社会生活を規制する法制上の基準とされている情勢では大衆闘争を基礎にして、国会を独占資本の支配の武器から人民の支配の武器に転化さすという可能性が生じている。

 しかし反動勢力が弾圧機関を武器として人民闘争の非流血的な前進を不可能にする措置に出た場合には、それにたいする闘争も避けることができないのは当然である。支配階級がその権力をやすやすと手ばなすもので決してないということは、歴史の教訓の示すところである。

 われわれは反動勢力が日本人民の多数の意志にさからって、無益な流血的な弾圧の道に出るいように、人民の力を強めるべきであるが、同時に最後的には反革命勢力の出方によって決定される性質の問題であるということもつねに忘れるべきではない。

 1956年6月の7中総の決議がこの問題について、51年綱領の再検討を呼びかけたことは、当然の根拠があった。この決議の問題提起にたいしては、その後いくつかの種類の意見が出されてきた。

 一つは、平和革命必然論の観点に立つべきであるのに、決議はそうなっていないという意見である。

 一つは、非流血的方法による革命の可能性がサンフランシスコ体制後生じたのではなく戦後からあったのだという意見である。

 一つは、この決議が平和革命必然論になっているものとみなしてそれは正しくないという意見である。

 一つは、暴力革命必然論の立場からの反対である。

 一つは、この決議が、革命政府が「内戦をともなうことなしに『平和的』に成立しうる可能性がある」条件としてあげているものは今日のところ抽象的な可能性であるから、そのような可能性をうんぬんすべきではない。現実的な可能性があるときのみに「可能性」をうんぬんすべきであるという意見である。

 われわれは、これらの意見に賛成することはできない。

 7中総の決議は内外の情勢の変化をあげ、国際的には世界の社会主義と平和・独立勢力の画期的な発展、国内的にはサンフランシスコ体制以後の情勢変化について示している。そして言論・集会・結社の自由、民主的な選挙法と国会の民主的運営、民族解放民主統一戦線の発展と労働者階級の前衛党の強大化という三つの条件があるとき、民主的な党派が国会において多数をしめ、その政府をつくりうること、「このような政府は、その国民との結合、国民からの支持および政府を構成する民主党派の指導性や統一行動の確固さに応じて――内外の力関係に応じた進歩的、革命的な政策を実行できる」という可能性をあげている。

 このような条件と可能性は今日の内外情勢において空想的なものではなく、歴史的・理論的な可能性をもっている。このことは、この決議の発表された直後の選挙の結果においても確かめられている。

 そして、51年綱領が「日本の解放の民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」という断定をおこなって、そのような変革の歴史的・理論的可能性のいっさいを思想としても否定して、いわば暴力革命不可避論でみずからの手を一方的にしばりつけているのは、明らかに、今日の事態に適合しないものとなっている。したがって、7中総の決議は、どういう手段で革命が達成できるかは、最後的には敵の出方によって決まることであるから、一方的にみずからの手をしばるべきではないという基本的な見地に立っておこなわれた必要な問題提起であった。

 平和的手段による移行の歴史的・理論的可能性をうんぬんできる条件が敗戦直後からではなく、サンフランシスコ条約以後に限定したのは、それ以前のアメリカ軍の「全一的支配」と異なって、サンフランシスコ条約以後は、サンフランシスコ体制の内部矛盾によって現在の憲法による民主的権利、国会運営、政府の成立の条件を米日支配層も、一応たてまえとしては認めざるをえないところにおかれているからである。だから、米日支配層は憲法や選挙法の改悪を熱望せざるをえないのである。

 この矛盾に注目せず、単に米軍の半占領体制、米日反動の強力な軍事機関の存在というだけの理由で、暴力革命不可避論によってみずからの手をしばる態度を固執することは、この数年間の内外情勢の変化を創造的なマルクス・レーニン主義で分析しない保守的な誤りをおかすものである。

 また、7中総の決議は、平和革命必然論の立場をとっていないしとるべきではないという見地に立っている。したがって敵の出方が平和的な手段による革命達成を不可能にする場合を歴史的な可能性として考察することをおこたってはいけないのである。

 「このような政府の樹立の前後、あるいは新政府による内外の転換、実施にたいして、米日反動勢力が非道な挑発、暴力的な手段をもって抵抗する可能性もある。また、革命運動の発展を未然におさえるために、民主勢力がまだ強大にならないうちに、暴圧を加える可能性のあることも見失ってはならない。
 このような暴力的な弾圧や抵抗を米日反動がおこなうとしてもとうてい成功しないように、つねに内外の民主的世論をたかめ、平和・独立・民主勢力の団結力を強大にしておくことが、解放運動にとってきわめて重要である。
 独立と平和の勢力があくまでも国民の権利と自由を維持して進むならば、反動勢力の出方によってどのような道をとろうとも、もっとも犠牲の少ない方法で反動の暴力から革命運動と新しい政府を効果的に防衛し、勝利の道を確実にすることができる。」(7中総決議)

 7中総の決議は、まさに「反動勢力の出方によってどのような道をとろうとも」革命運動を効果的に防衛するには、内外の平和・独立・民主勢力の団結の強大化、人民の既得権の防衛が重大であることを指摘しているのである。

 また、平和的な手段による革命の可能性の問題をいわば無条件的な必然性として定式化する「平和革命必然論」は、今日の反動勢力の武力装置を過小評価して、反動勢力の出方がこの問題でしめる重要性について原則的な評価を怠っている一種の修正主義的な誤りにおちいるものである。

 (3)労働者階級は、このたたかいに勝利するためには、自分の陣営を統一するとともに、全人民の指導階級としての自覚に立って味方の戦線の統一をかためつつ、アメリカ帝国主義と日本独占資本を中心とする反動層にたいして闘争していかなければならない。そのさい日本独占資本の個々のグループ間の矛盾、日本独占資本のアメリカ帝国主義との矛盾は利用しなければならない。

 しかし、注意しなければならないことは、日本独占資本内部の矛盾も、日本独占資本とアメリカ帝国主義との矛盾も、敵陣営内部の矛盾であるということである。個々の問題で、個々の独占資本グループが、独占資本の主流にたいして矛盾した立場に立つことがある。この場合には、労働者階級は独占資本の主流を孤立させ、弱めるためにこの矛盾を利用することができるし、また利用しなければならない。しかし、このことから、この個々の独占資本グループが労働者階級と人民の味方になったかのように錯覚することは、きびしくいましめなければならない。かれらは、矛盾をもちながらも、政治上の総路線においては独占資本の主流と同じ立場に立っているからである。

 世界資本主義の全般的危機と資本主義の政治的・経済的発展の不均等の条件のなかで、日本独占資本とアメリカ帝国主義との矛盾も激しくなっている。しかし、アメリカ帝国主義への日本独占資本の従属性はなお根ぶかく、現在、日本独占資本はアメリカ帝国主義との目したの同盟関係を破棄する状態にはないし、破棄しようともしていない。両者の矛盾は、同盟関係に従属する内部矛盾として調整する努力がおこなわれている。

 日本独占資本とアメリカ帝国主義とのあいだに矛盾があるからといって、独占資本がこの人民的闘争の一翼となりうるかのように考えることはできない。日本資本主義の生産力が上昇したり、独占資本の集積と集中が高度になったにしても、そこからそれがただちにアメリカ独占資本にたいする日本独占資本の「自主性」の強化となり独占資本がアメリカ帝国主義からの日本の完全独立の闘争の担い手に転化すると期待することは正しくない。

 ただし、今後、内外の歴史的諸事情の組合せによってアメリカ帝国主義にたいして、日本独占資本が「より対等」な立場を要求することはおこりうるし、すでに政府の宣伝のなかにもはじめられている。また市場問題でより「強硬」な態度に出ることで矛盾の調整をはかるなどもありうる。とくにアメリカ帝国主義にたいする露骨な屈従的な態度が人民から見放される危険が看取される場合、日本の支配層は形式的な「対等」をつくろうことで――たとえば、安保条約の双務的な立場での「改正」――こうした危機をきりぬける道をすでに研究しはじめている。

 また、一方将来の問題であるが、たとえば世界情勢の変化によってアジアにおける集団安全保障体制をアメリカが拒否できない状態においこまれながらも、なお依然として反動的支配層が日本を支配しているという不幸な状態がつづく場合に、「帝国主義的自立」のような事態が生じうるという可能性をすべて一律に拒否することも妥当でない。しかし、労働者階級にとって必要なことは、人民にたいする帝国主義的反動支配の一形態でしかない「帝国主義的な自立」ではなくて、人民の手による、平和な民主的日本の建設であることは言うまでもない。

 当面する革命において民族民主主義政府が樹立されたならばそれは全国家権力をにぎるとともに、サンフランシスコ体制の根本的な打破と民族の独立、民主主義の徹底をはかりつつ、独占資本の支配を排除し、復活させない有効な措置をとらなくてはならない。国家機構を変革し、国会を反動の支配の武器から、人民の支配の武器にしなければならない。そのために当然どのような形にせよ君主制は廃止され、人民共和国が樹立される。

 この政権のもとでは、金融機関、重要産業の独占企業の人民的統制から進んで国有化がおこなわれるであろう。

 日本人民の幸福の保障は、社会主義の建設によってのみ達成される。内外独占資本からの解放、あらゆる貧困からの解放を制度として保障するものは、資本主義制度の全般的廃止、生産手段の社会化、社会主義的な計画経済のみである。高度の生産水準に達しているわが国には社会主義建設のための経済的基礎は存在している。

 人民民主主義政権が独占資本の基礎に重要な打撃を与えることは、同時に社会主義的変革へ進む重要な第一歩となろう。そしてそれは急速に社会主義革命の任務の全般的な遂行に進むであろう。

 資本主義企業の社会主義的国有化が全般的に遂行されつつ、農業、商業、中小工業の分野では農民、勤労市民、中小企業家の納得にもとづいて、かれらを援助しつつ、協同組合化および公私合営の漸進的改造を通じて社会主義的改造が着実に進められる。

 社会主義建設に賛成するすべての政党は、共産党とともに政治活動の自由をもち、社会主義建設に参加し、相互協力、相互監督の原則のもとに社会主義社会の建設に積極的に貢献することができる。

 当面する革命で民族民主統一戦線を基礎とする連合政権の性格は労農同盟を中心とする人民の民主主義国家である。統一戦線を発展させて、この民主主義国家にたいする労働者階級と党の指導権をいっそう強化し、プロレタリア独裁を確立することなしには、社会主義的変革と社会主義建設の任務を全面的に遂行することはできない。この成長発展にとって決定的な重要なことは、強大な民族民主統一戦線のなかにおける労働者階級とわが党のゆるぎない指導権を確立することである。

 社会主義社会は共産主義社会の第一段階である。この段階では、生産手段の社会化が達成され、人による人のいっさいの搾取を根絶し階級による社会の分裂に終止符を打つ。社会主義日本では「各人は能力に応じて働き、労働に応じて受けとる」の原則にもとづいて未曽有に高い物質的繁栄と精神的開花および未曽有に広い人民のための民主主義が保障される。

 共産主義の高い段階では、生産力の奔流のような発展と社会生活の新しい内容の確立に応じて、人間の知的労働と肉体労働の対立が消えさるだけでなく、「各人は能力に応じて働き、その必要に応じて受けとる」ことができる。

 資本主義社会から共産主義社会へのあいだには、不可避的に革命的転化の時期が横たわっており、この過渡期には、プロレタリアートによる権力を不可避的に伴う政治上の過渡期が存在する。資本主義社会の「民主主義」は、資本主義的な搾取を前提とする。それは事実上、少数者――今日では米日独占資本を中心とする勢力のための民主主義にすぎない。抑圧と貧困に苦しんでいる勤労人民大衆が自分たち多数のための民主主義を実現しようとすれば、かならずそれは、帝国主義的抑圧者と搾取階級のがわからの抑圧を覚悟しなければならない。「失うのは鉄鎖だけ」の労働者階級は、社会主義革命によって政権についたならば、いっさいの勤労人民との同盟により指導勢力となりながら、搾取者の反革命を阻止して、社会主義社会を前進さす権力を駆使しなければならない。したがって、このプロレタリア民主主義は、もっとも完全に近い「民主主義」であるが、なお多数者による少数の反革命勢力への国家権力による支配の体制である。

 無政府主義、修正的な「マルクス主義」から今日の社会主義インターの「民主的社会主義」にいたるいっさいの小ブルジョア「社会主義」は、それぞれ人間の自由と解放について、数多くの宣言を発したが、前者は、共産主義社会にいたる過程でのいっさいの国家権力の否定において、後者は、この科学的社会主義の終局目標の欠如と、その過渡期の労働者階級の権力についての誤った考えのために、労働者階級解放の科学的理論となることはできなかった。

 共産主義社会をめざす共産主義運動は、このような歴史的な過渡期――プロレタリアートの独裁を経ることなしには社会主義社会は維持できないことを知っているが、同時にこのプロレタリア民主主義が完全になればなるほど、民主主義――国家権力の一定の支配形態そのものも不必要となり、国家権力そのものが死滅する。こうして、原則としていっさいの強制も服従も不必要な共産主義社会の社会的生活――真に平等で自由な人間関係の社会が生まれる。したがって共産主義こそ、現実的理想的な、科学的で人間的な人類解放の唯一の理論であり、運動である。

 マルクス、エンゲルスによって共産主義運動の礎石が築かれてからすで3世紀たった今日、マルクス、エンゲルスによって打ちたてられた科学的社会主義は、レーニンを中心とする共産主義者によってきりひらかれた10月社会主義革命の理論と実践によって、普遍的な真理として全世界史的な検証を確立した。そして今日では、人類の3分の1が共産主義の理論と実践において偉大な経験と成果を重ねつつある。

 資本主義から共産主義への過渡期、社会主義への道は、各国の条件によってさまざまでありうるが、それを貫く基本的な発展法則はマルクス・レーニン主義の原則において統一されている。したがって各国の特殊事情を強調して、革命の基本原則を否定する民族共産主義は誤りである。

 労働者階級の解放の大業は、労働者階級の存在が国際的であるという自明の前提によって、本来国際的な連帯のうえに立っている。プロレタリアートの国際的な連帯に忠実でなければ、労働者階級解放の事業に勝利することはできない。ブルジョア民族主義の偏狭も、ブルジョア的大国主義の尊大さもそれからの偏向にすぎない。自国の労働者階級をはじめとする人民の解放の利益は本来的に労働者階級の国際的利益と統一される。アメリカ帝国主義が帝国主義グループの先頭に立ってソビエト連邦および中華人民共和国を中心とする社会主義の体制を破壊し、かつ各国の共産主義運動の無力化と鎮圧のため狂奔している今日、プロレタリア国際主義のための闘争は同時に自国民の解放闘争の勝利の重要な条件である。

 わが国の労働者階級が政権を獲得し、社会主義制度を確立するのは、わが国の客観的な情勢がそれを不可避的なものとし、わが国の労働者階級と人民の多数がそれを必要と考える状態でのみ成功的にできるのだということを知っている。同時に世界の共産主義者は、他国の労働者階級と人民――共産党の成功を願っていることを少しもかくさないし、われわれは世界の共産主義者および人類の進歩のためにたたかっているすべての人びとのたたかいを心から支持する。

 マルクス、レーニンによってきりひらかれた共産主義の理論と実践が、社会発展の過程を正しく予見しうる真理であり、それによって教育される労働者階級は必ずその社会の革命的解放の根源力として成長強化し、全人民の団結に成功しうるという確信に動かされ、われわれは日本における共産主義社会の第一段階としての社会主義への道をきりひらくのである。

 世界と日本の現実は、われわれが先に提示した当面の要求を通じてのみ、この社会主義への道を進みうることを示している。われわれは、わが祖国の独立と平和、社会的繁栄と人民の幸福をねがうすべての人びとが、わが党の要求と革命への基本的進路を支持して、ともにたたかうよう努力するとともに、この道をめざしてたたかう解放闘争のすべての誠実で積極的な戦士を結集して、党の戦列を強め、光栄ある共産主義の未来をめざそう。

 1951年綱領およびその綱領がかかれたときから数年間の情勢の変化と日本の革命運動の基本的方向について検討した結果、党中央委員会は新しい綱領的文書を作成し、現綱領にかえる必要があるという結論に達した。同時に、新しい綱領的文書はどのようなものであるべきかは慎重に検討した結果、党中央委員会はつぎのことを具体的に提案することになった。

 共産主義建設のための党の基本的目標と当面する革命段階の中心任務と行動綱領の基本をきわめて簡潔に要約した政治綱領と、党の組織活動と党生活の基準を簡潔に要約した組織綱領、および従来の規約の各条に当たる部分をあわせて「日本共産党党章」をつくる。そして「党章」のはじめをしめるものが政治綱領と組織綱領を一体化した「綱領」である。つまり、この「綱領」は、最低綱領と最高綱領の両者を含む政治綱領と組織綱領からなっており、党綱領の体系としては、これまでよりも包括的なものである。「日本共産党党章」は、わが党の政治的方向と組織的生活の基準を示したものであり、入党に際しては、これの承認が義務として求められる。

 党の基本的進路は、この「党章」を基礎とするほか、党大会で採択される、内外情勢の分析にもとづく全般的な政治的組織的任務と闘争戦術によって明らかにされ、全党の意志と行動の統一はさらに保障されなければならない。

 党中央委員会は、この見地から、この「日本共産党党章」草案を発表した。この「綱領問題について」は、綱領問題の処理および 「党章」の政治綱領についての説明のためのものである。なお、わが党が当面する政治的組織任務についての詳細な報告は、中央委員会の政治報告のなかでおこなわれるので、この文書は以上の点に重点をおいた。

 以上が、綱領問題についての中央委員会の第7回大会への提案である。

(『前衛』臨時増刊号 日本共産党第7回大会特集)