日本共産党資料館

中央委員会の綱領(草案)についての報告

(1961年7月25~26日)
中央委員会書記長 宮本顕治


   一

 綱領草案の発表は大きな反響をよびおこした。圧倒的多数の党組織と党員は、第七回党大会いらいの党の基本的見地の正しさをみとめたうえで、このような綱領草案が発表されたことを支持している。多くの同志たちは、この草案の路線によって日本革命の展望が明確にされたことを支持するとともに、多くの新入党員もふくめて安保闘争の実践、党拡大の成果にてらして、党の政治路線、その理論化としての草案を心から支持できると表明している。
 また、安保共闘でともにたたかった民主的な人びとのあいだでも二つの敵との不屈の闘争の旗をかかげているわが党の革命路線にたいする共感が表明されている。
 また、兄弟党の機関紙、たとえばソ連共産党の『プラウダ』には、この草案の要旨が紹介され た。これは、第七回党大会後、政治報告と綱領草案およびこれについての報告が、ソ連、中国などの兄弟党でただちに紹介されたこととあいまって、マルクス・レーニン主義にもとづく国際連帯のなかでわが党大会の成功が期待されていることを物語っている。
 さる七月十五日、三十九周年をむかえたわが日本共産党の歴史のなかで、この大会はきわめて重要な意義をもっている。日本の革命的労働者階級はすでに三十九年前、マルクス・レーニン主義の旗をかかげ、わが党を通じて非常な困難のなかで弾圧とテロに屈せず、労働者階級と人民を解放する展望を探究し、さまざまな波乱を経ながらも、日本においてもっとも科学的で革命的な綱領をつくりあげた。
 戦後のわが党は、さまざまな弾圧、困難、波乱に遭遇したが、第七回党大会において二つの敵―アメリカ帝国主義と日本独占資本とたたかうという日本の現状に適した基本的な政治路線をつくりあげた。そして、日本の歴史においてみぞうであるだけでなく、世界の平和と独立の闘争の最前戦の一翼をになうたたかいとなった偉大な安保闘争において積極的な先進的な役割をはたすことができた。  そのなかで、わが党は党員の倍加達成という画期的な事業にも成功した。この大会に提案されている綱領草案は、わが党の過去の革命的綱領のすぐれた遺産を正しくうけついで発展させているとともに、この三年間の労働者階級と人民、わが党の実践の成果を反映するものである。それゆえに、わが党第八回党大会の成果は内外の味方と敵の大きな注目をあびているのである。
 政府や弾圧機関は反動的な中傷的な見解を流布している。ブルジョア・ジャーナリズムは、わが党の政治報告と綱領草案にたいする反共的な右翼社会民主主義からの攻撃をはげましている。
 春日および一連の反覚的な分派主義者は、第七回党大会の決定と責任を裏切り、大会の直前においてかく乱活動を開始したが、これは理論上の修正主義者が、党の組織原則についての修正主義者であり、結局わが党の光栄ある革命的な戦闘的な伝統を小ブルジョア的な個人主義の本質によって裏切ったものである。わが党はすでにかれらにたいして、革命的なプロレタリア党にふさわしい断固とした処置をとった。
 いっさいの反動とその手先のどのような策動もわが党大会の歴史的成功をうちやぶることはできない。われわれは、この大会において全党の知恵と経験を結集し、全代議員の努力によって大会の成功をかちとることはうたがいない。大会は、日本の労働者階級と人民の闘争の進路にたいして、大きな灯台をうちたてることであろう。それは、アメリカ帝国主義と日本独占資本を中心とする反動勢力にたいする、日本の労働者階級のもっとも断固とした勝利的な闘争の旗であり、マルクス・レーニン主義党の原則への恥知らずな挑戦とかく乱をおこなっている、ひと握りの裏切り分子にたいする全党員断固とした回答である。

   二

  (1)

 順序として、この草案を提出するにいたった経過について若干のべたい。この綱領草案を可決した十六中総の決定はつぎのようにのべている。

 「日本共産党第七回党大会は、『党章草案政治綱領部分』を新中央委員会の指導のもとにひきつづき討議すべき草案として確認した。第七回党大会後の第二回中央委員会総会によって決定された網領問題小委員会は、大会から委託された原案を中心に、二十九回にわたってこの綱領問題を討議した。また第十回中央委員会総会(一九六〇年四月五日から九日まで)、および第十六回中央委員会総会(一九六一年三月一日から同十三日まで、および三月二十五日から同二十八日まで)は、綱領問題小委員会の報告にもとづいて綱領問題を討議した。第十六回中央委員会総会は、『党章草案政治綱領部分』の基本的正しさを確認する。そして、その後の情勢の発展などにおうじて、草案を基礎として必要な補足をおこない、またその叙述を充実したこの草案を、第八回党大会に提起する草案として決定する。」

 第七回党大会に提出された党中央委員会の「党章(草案)」は、「綱領」の部分と「規約」の部分からなっていた。第七回党大会では、この党章草案を審議したが、とくに革命の性格などで最終的な決定に達するにいたらず、つぎの決定がおこなわれた。

「1、党章草案のなかにある行動綱領の基本にかんする部分を当面の行動綱領として採択すること。
2、党章草案の綱領の部分の規約の前文として採択この前文と規約本文とあわせて、日本共産党規約とすること。
3、党章草案の綱領部分は全体として、この大会では最終的決定をおこなわず、今後も新中央委員会の指導の下にひきつづき討議すべき草案として承認すること。同時にいわゆる五一年綱領はこれを廃止する。
4、綱領部分の最終決定は、今後適当な機会におこなうこと。」

 第七回大会でえらばれた中央委員会は、一九五八年八月十八日~二十日の第二回中央委員会総会で、十五名からなる綱領問題小委員会をもうけて、この小委員会は大会の草案を中心に二十九回にわたって討議をつづけてきた。また中央委員会総会としては、第十回中央委員会総会(一九六〇年四月五日から九日まで)と第十六回中央委員会総会(一九六一年三月一日から同十三日まで、および三月二十五日から同二十八日まで)において、計二十二日にわたる討議をおこない、この「綱領草案」と、さきにあげた十六中総の「決定」を採択した。
 これらの小委員会と中央委員会総会の経過の概要は、すでに六月二十七日付アカハタ特別号外において発表してきた。二十九回におよんだ小委員会と二十二日間の中央委員会総会を合わせれば、五十回以上におよび、これらの会議の全ぼうはつたえがたいとしても、その基本的内容はあきらかにされている。
 小委員会や中央委員会総会においては、一部の原則的な反対をのぞいて、圧倒的な多数の同志が第七回党大会の草案の基本的見地を支持した。

  (2)

 つぎに、以上の経過を経てつくられた綱領草案には、第七回党大会できまった草案とくらべて、どのような必要な補足または叙述の充実がおこなわれているかを、草案の叙述にしたがって説明する。字句の訂正、ごく部分的な補足はかなりあるが、説明はおもな点にとどめる。なお、補足、叙述の充実は、三年間の情勢の発展などにおうじておこなわれたものであるから、草案の基本的見地、全体の構成には変更は加えられていない。
 (1)現行憲法の問題について新しい叙述が加えられている。
 現行憲法の改悪反対、憲法に保障された平和的民主的条項の完全実施は、わが党が一貫してたたかってきた要求であり、今後もたたかっていく課題である。草案が現行憲法について新しい叙述を加えたのは、戦後の民主革命のざ折という問題と、現行憲法の関連を戦後の政治過程のなかで位置づけ、われわれがどういう意味で現行憲法を擁護し、同時に、どういう点では手をしばられるものではないということをあきらかにするためである。
 社会党などは、現行憲法を手ばなしに評価し、それをまもり完全に実施していけば、なしくずし的に社会主義にいけるというような主張をしており、また、こうした方向にしたがって、安保共闘の再開の場合にも憲法擁護(護憲)が共闘の中心目標だといって、安保反対ないし破棄を目標からはずそうとする動きがあった。このような点からも、現行憲法の正しい評価は実践的にも重要な問題である。
 (2)アメリカ帝国主義の対日支配の内容、日本独占資本主義の分析、日本独占資本の役割について、叙述が充実され、いっそう詳しく書かれており、最近の情勢の発展なども考慮し、二つの敵、両者の関係をより明りょうに位置づけている。そして、サンフランシスコ体制について、明確な定義をあたえている。
 サンフランシスコ体制の内容については、綱領討議のなかで種々の論議があったところであるが、その点からもそれを明確に規定しておくことが必要であった。すなわち、アメリカ帝国主義が日本をその世界戦略のアジアにおける拠点にする立場から、このような反ソ、反中国、反共の「講和」体制をつくったという国際的な側面をもっており、同時に、日本がそのような体制にくみいれられることによって、沖縄、小笠原をうばわれ、数多くの軍事基地がおかれているように、従属的な同盟、戦争準備と日本民族抑圧、収奪維持の体制であることをあきらかにしている。収奪維持の体制というのはこの体制によって、二つの敵にたいする日本人民の闘争をおさえ、アメリカ資本の対日投資、その他による搾取と収奪をささえ同時に目したの同盟者である日本独占資本の搾取、収奪をささえているということである。
 なお、「体制」という用語は「ベルサイユ体制」など、国際共産主義運動の文献のなかで、かつて数多く使われているが、単に条約的法制的なものでなく、国際的に国内的に実体的な内容をもち、そうした実体的内容の法制化という点で、サンフランシスコ体制というものを明確に定義づけたわけである。
 (3)新安保条約の問題は、第七回党大会後三年間のもっとも重大な政治的事件であり、これについての叙述が当然新しく加えられている。新安保条約の性格、その政治的、経済的背景については、第七回大会後の中央委員会の決議、決定においてくりかえしあきらかにされており、また本大会の政治報告において明らかにされているので、ここではくりかえさないが、草案では、それらを簡潔に示している。
 (4)国際情勢にかんする部分は、第七回大会の草案にくらべて非常にくわしく書かれている。基本的な立場はかわっていないが、モスクワに示されている国際共産主義運動の新しい到達点を、ここにふさわしい形でまとめて叙述し、さらに現在の国際情勢の発腰のもとでの、アジアにおける日本の位置、そのなかでの日本の党と労働者階級の責務についてのべている。
 (5)当面する行動綱領の基本の部分では、三年間の闘争の経験から当然必要な補足がおこなわれている。
 まず、この冒頭に、「党は、安保条約をはじめいっさいの売国的条約協定の破棄、沖縄・小笠原の日本への返還、全アメリカ軍の撤退と軍事基地の一掃のためにたたかう......」という項目がかかげられている。三年間の日本人民の闘争そのものがしめすように、また現在も安保反対を中心目標とする中央、地方の共闘組織がひきつづ発展していることがしめすように、安保条約の破棄の要求は、日本人民のおかれている現状、米日支配層と日本人民の深刻な矛盾から生まれている切実な要求であり、日本人民の当面の政治的な中心課題である。このような意味で、行動綱領の基本の第一の項目にこれがかかげられているわけである。
 また、まえの草案では、一つの項目になっていた、知識人、婦人、青年、学生についての項目もそれぞれ独立して、よりくわしくしめされているなど、全体にわたって、補足がおこなわれている。
 経済政策については、石油そのほかアメリカ資本がにぎっている主要企業にたいする要求を明確にすると同時に、「独占資本にたいする人民的統制をつうじて、独占資本の金融機関と主要産業の独占企業の国有化への移行をめざす」という人民権力を確立する前後の過渡的な要求だけでなく、「必要と条件におうじて、一定の独占企業の国有化とその民主的管理を提起してたたかう」という課題を新しく提起した。
 (6)統一戦線を結集していくうえでの、党の基本的政治的態度をあきらかにするために、新しい叙述が加えられた。
 三年間のたたかいをつうじて、わが党がかかげている統一戦線結集の方向は、安保共闘という形で、加盟団体構成員数、数百万を結集する事実上の統一戦線として発展している。もちろんこれは、まだ党のめざす民族民主統一戦線にはなっていないが、このように一定の統一戦線がすでに形成されている現実のなかで、単なる統一戦線のよびかけにとどまらず、この統一戦線を前進させ、民族民主統一戦線の方向に発展させる努力が必要である。そのさい、わが党の基本的な政治的態度をあきらかにすることはきわめて重要な意義がある。したがって、草案のなかでは、勤労人民の団結の大きなよびかけと同時に、政治報告でも強調されている。統一戦線とその正しい発展をさまたげる傾向とたたかわなければならないことを強調しているのである。
 (7)政府スローガンについて、この三年間われわれは非常に多くの経験をつみ、また実際の政策のうえでも前進させてきた。その一つは、民主的選挙管理内閣の提唱であり、ほかは安保反対の民主連合政府のスローガンである。これらについては政治報告でくわしくのべられているので、ここではくりかえさないが、草案では、これらの経験のうえにたち、政府の問題を綱領のうえで明確に位置づけている。
 社会党が現在とっている路線からみても、いまただちに反帝反独上の明確な目標のもとでの統一戦線をつくることは困難である。しかし、安保共闘の現実がしめすように、安保条約に反対する、あるいは平和と民主主義をまもるという範囲では、その内容にまだいろいろの不一致はあっても、社会党をふくむ民主勢力のあいだで一致が生まれており、統一戦線がつくられている。したがって党は、その範囲での統一戦線の上にたつ政府、すなわち安保反対の民主連合政府のスローガンを現にかかげているわけである。そして同時に、そのような統一戦線政府を現実につくりうる情勢は、統一戦線がますます強化され、民主勢力の団結がよりいっそう強まっているわけであるから、当然それは民族民主統一戦線政府の樹立を促進することになるわけである。草案は、以上の点を明確に位置づけている。しかし、そうだからといって、草案は、一定の目標の範囲での統一戦線政府から民族民主統一戦線政府へという過程を必らず通らなければならない、という段階的発展をあらかじめ決定しているのではない。現実に統一戦線が存在する場合に、その条件にもとづいて選挙そのほかにおいて必要な統一戦線政府のスローガンをかかげてたたかい、一定の条件があるならば、その政府をつくるためにたたかうことが必要であること、同時にわれわれの基本的な目標が民族民主統一戦線の結集とその基礎のうえにたつ政府であることを、ことに統一的に定式化したのである。
 (8)草案では、人民権力の樹立についてのべた部分につづいて新しい叙述が加わっている。この部分では、人民権力による独立・民主・平和・日本の建設が、わが国の社会発展のうえでどういう意義をもつか、人民の民主主義国家体制はどういう政治的社会的内容をもっているか、すなわち、この段階のもつ政治的社会的意義を全体としてあきらかにしているわけである。
 (9)革命の性格については、「現在、日本の当面する革命は、アメリカ帝国主義と日本の独占資本の支配二つの敵に反対するあたらしい民主主義革命、人民の民主主義革命である」という新しい叙述が加わり、また、若干の補足や新しい表現がおこなわれている。これらは、第七回大会の草案にしめされている革命の性格に、とくに新しい別な内容を加えたものではなく、全体の叙述を充実する観点からおこなわれたものである。
 以上が、必要な補足ないし叙述の充実のおもな点である。

   (3)

 つぎに、綱領草案が発表されてからの討議の経過について若干のべる。
 全党の草案討議は、民主集中制の原則にもとづいて、中央委員会の指導のもとに全体として積極的におこなわれた。この討議にあたって、各級機関は、草案の内容を正しく全党員につたえて、民主的に討議するという任務を、全体として十分果たしてきた。そして、綱領草案の基本的な命題を中心にして討議は積極的にすすめられたが、同時に、それは三年間の全党の実践にもとづく検証という観点からおこなわれてきた。これは、この三年間、歴史的な安保闘争をはじめ、警職法闘争、三池闘争、最近では政暴法闘争など、大衆闘争に全党が積極的とりくみ、また、このたたかいとむすびつけて、党員の倍加、機関紙の飛躍的な拡大という党建設の課題に全党がとりくみ成功したという、大衆闘争と党建設のうえでの大きな経験を、すべての党員がもっていたからである。このような実践的な経験と結びついて、全党の積極的な討議がおこなわれたことが、草案討議の第一の特徴であった。第二に、二つの敵の問題にしても、安保闘争の発展自身が二つの敵との闘争の路線をあきらかに示したように、たんにこれを理論上の問題としてだけでなく、実践を通じて二つの敵との闘争の革命的路線が、圧倒的多数の同志諸君に理解され、確信となっていった。第三には、国際共産主義運動の知恵と経験を結集した歴史的なモスクワ声明に示された成果、同時に、声明があきらかにしたアメリカ帝国主義の侵略的本質を疑う余地なく示したキューバ、ラオスなどの諸事件を通じて、すなわち、国際共産主義運動の新しい達成と国際情勢の現実の発展を通じて、全党は、国際共産主義運動とわが党が一貫してあきらかにしてきたアメリカ帝国主義にたいする評価をいっそう深く理解することができた。
 こうして、全党の圧倒的多数の同志諸君が、第七回党大会後の党の路線への確信にもとづいて、草案にたいする支持を表明しているのである。草案にたいする圧倒的多数の支持は、党破壊分子に転落した春日が、その裏切りと破廉恥な党攻撃のいい分としている反対意見への抑圧などによるものでないことは、事実が明瞭に示しているところである。反対にそれは、三年間のたたかいを通じて第七回党大会の基本路線、党章草案の基本的見地の正しさが実践的に確認され、綱領草案が、それらを正しく反映しているからであることは、今日きわめてあきらかである。
 草案発表いらい党内の熱心な草案討議を通じて、また党外の綱領草案にたいする深い関心によって、いろいろな質問や積極的な意見が、党中央におくられてきている。われわれは、それに十分答えるために、いくつかの解説文書や直接質問への回答を機関紙(誌)に発表してきた。党中央によせられた意見のなかには、草案を支持する立場から、これをいっそう完全なものにしようとする意図からだされた個々の叙述についての修正提案もいくつかふくまれている。われわれは、草案のよりよい完成のためにそのような提案を積極的によせてくれた同志諸君に、感謝の意を表するものである。ここでは、それらの細部にわたってはふれないが、これらの提案は、本大会における提案も含めて検討し、採否をきめ、できるだけよい知恵をあつめ綱領をいっそう充実したものにしていきたいと思う。
 なお、草案討議の過程で、綱領討議の方法について、若干の意見が一部の同志からだされている。これは、綱領討議は第七回党大会後も大会前とおなじような状態でそのまま引きつづき全党的におこなうべきであった、という意見である。
 さきにものべたように、中央員委会は、二中において綱領問題小委員会をもうけ、長期間にわたって討議をつづけ、また中央委員会自体としても十中総、十六中絵において二十数日間の討議をおこなってきた。そして、このような十分な討議を経て、中央委員会の具体的提案として今回の草案をまとめ、その上で全党的討議にかけたのである。これは、草案の討議と新しい中央委員会の指導のもとにおこなうという、第七回党大会の決定にもとづいていたのである。このような措置は、中央委員会において検討をつくし、実践による検証のうえにたち、同時に中央委員会と全党の団結を保持しつつ綱領討議をおこなうことが重要であり、第七回党大会前のような状況をつづけることは、全党の団結にとって、またたたかいを不断に前進させるためにも正しくないという立場からとられたものであった。この三年間の経過にてらしてみれば、このような措置は、正しいものであったということができる。もし党中央が、さきにのベたような方針をとらず、党大会直前におこなうような状態のままで草案討議を、三年間もつづけてきたならば、安保闘争をはじめとする大闘争に全党がとりくみ、そのなかで積極的な役割をはたすことはできなかったであろうし、また党の拡大にも成果をあげることはできなかったであろう。
 同時に、中央委員会においては、内部に綱領上の意見の相違があるなかで、その団結のために最善の努力をはらってきた。中央委員会に不団結があれば、必ず下部における不団結を再生産する結果となる。このことを痛切に考えて、あらゆる努力をはらった。わが党中央委員会はほとんど類例のないくらい長期間の討議を保証し、中央委員会の一致団結の保持に力をつくした。十六中総においては今日反党分子に転落したうちの一人は、実に五十六回におよぶ発言の機会をあたえられている。基本的な見解の相違があるわけであるから、一定の政治方針をつくりあげるためには、当然討議をつくさなくてはならないわけであるが、中央委員会の団結がいかに重要であるかを考え、忍耐づよい努力をかさね、これによって十三中総まで全員一致の採決をかちとることができた。このことは、今日の全党の躍進にとって大きな土台となるものであった。したがって、党中央が中央委員会と全党の団結をなによりも大切に考え、あのような措置をとったことは、正しい立場にたつ適切な措置であったと確信するものである。

   三

  (1)

 草案の構成や基本的な観点は、第七回党大会の草案によっているものである。その意味で第七回党大会に提出された「綱領問題についての報告」も、時間的な経過によって当然あらためなければならない数字や情勢の変化などは別として、基本的な内容においては、この草案の原型についての説明として今日も役立つものである。今日の草案は、さきにのべたように情勢の変化と闘争の発展にこたえるように補足し、叙述を充実している。その点をふくめて、中心的な諸命題についてのべる。
 草案が冒頭に扱っている戦前の党の綱領的な任務についての歴史的叙述は、戦後の綱領的任務を明確にするうえで重要な意義をもっている。戦前わが党が創立いらいさまざまな弾圧や困難、犠牲を克服して、日本労働者階級の前衛として日本の情勢の基本的に正しい分析にもとづく、ブルジョア民主主義革命から社会主義革命への転化の展望を確立したことは、きわめて大きな意義をもっている。それは、わが党が国際共産主義運動の一翼として、プロレタリア国際主義にもとづき、マルクス・レーニン主義をわが国へ創造的に適用した偉大な成果であった。それは、軍事的封建的な日本帝国主義の他民族抑圧、侵略戦争に断固として反対する任務と、軍事的警察的天皇制の暗黒の支配から自国人民を解放する人民革命の課題を正しく結合するものであり、プロレタリア国際主義と愛国主義をかたく結合するものであった。当時社会民主主義諸党と社会民主主義理論家は、日本が独占資本主義国であることを主たる根拠として天皇制との闘争を回避する典型的な日和見主義、合法主義の泥沼におちいった。それだけでなく、右翼社会民主主義者の多くは、中国に対する侵略戦争と第二次大戦の過程のなかで積極的に日本帝国主義の侵略戦争の協力者となり、人民のなかにブルジョア的な排外主義と階級協調主義の大きな害毒を流すような政治的堕落にさえ達した。歴史の経過は、戦前のわが党の戦略的展望こそが、真に科学的であり革命的であり、労働者階級の党にふさわしいものであることを立証した。
 なお草案のこの部分を単なる党史のようにみなして、党の欠陥が書かれていないとか、あるいは、綱領の冒頭には不要であるなどの意見は、この部分の叙述の綱領的意義を正しく理解していないものである。

  (2)

 第二次大戦の結果にともなう、日本の軍事的封建的帝国主義の崩壊から現在にいたる過程を正しくとらえるための主要な前提は、国際的な情勢の展望のなかで日本におこった変化を正しく位置づけることである。この観点をはなれて、単に日本独占資本主義を孤立的に分析することは、なんら正しい科学的な結論にみちびくものではない。「世界の発展は二つの対立する社会体制の競争の経過と結果によって決定される」(一九五七年モスクワ宣言)という。社会主義体制が世界的な体制として歴史に登場し、かつ人類社会発展の決定的要因に転化しつつある今日の時代の特徴と結合してこそ、戦後日本の歴史的政治過程にたいする正しい接近がはじめて可能である。反ファッショ連合軍の勝利、日本帝国主義の無条件降伏とポツダム宣言の受諾、連合軍の日本進駐、連合軍の主力であるアメリカ軍による日本の軍事的占領支配の開始、日本植民地の喪失と日本帝国主義軍隊の解体、日本の国家的独立の喪失、など一連の重大な根本的な変化をつらぬいているのは、ソ連邦を中心とする社会主義体制の発展強化に対抗する、アメリカ帝国主義を中心とする帝国主義陣営の戦争と侵略の体制の再編の過程であった。アメリカ帝国主義は、戦後最大の帝国主義国としての侵略的本性にもとづいて、連合国の主力としての地位に乗じて、日本の事実上の従属国化をおこない、日本の独占資本を目したの同盟者としつつ日本における人民の民主主義革命の阻止、流産をはかり、さらに中国革命の勝利その他の社会主義陣営の発展、強化の方向にたいして、日本を軍事基地化する方向をつよめた。このような事態を一般的、偶発的なものとみることは正しくない。

 「……戦争がベルサイユ条約によってかれらにおしつけた条件は先進諸国民を植民地的従属、窮乏、飢餓、零落、無権利の状態におとしいれるものであった。なぜなら、かれらは、多くの世代にわたって条約でしばりつけられ、どの文明国民も生活したことのないような条件のもとにおかれたからである」(レーニン「共産主義インタナショナル第二回大会」)
 「帝国主義の特殊性は、まさに産業資本ではなくて、金融資本の支配にあり、まさに農業国だけではなくて、あらゆる国を併合しようとする志向にある」(レーニン「帝国主義と社会主義の分裂」)

 アメリカ帝国主義の社会主義陣営への侵略主義的対抗と日本にたいする侵略と膨脹の政策は、不可分なものとして進展した。日本の軍事的封建的帝国主義の崩壊、絶対主義的天皇制や半封建的・地主的土地所有関係の全体としての解体、戦犯的な独占資本家にたいすある一定の規制とアメリカの対日支配に適した独占資本の再編強化、日本の労働者階級、人民の民主的活動の一定の回復とその勢力の成強化は、戦前の日本帝国主義に内在した諸矛盾の不可避的進行を生みだしつつも、国際的な二つの社会体制の対立と競争のなかで、わが国における反動と人民の力関係と闘争を反映しつつ進行した。国際的には社会主義と民族解放と平和の勢力が大きな前進をとげ、その優位を確立する方向にすすみつつも、日本を直接占領しているのは、アメリカ帝国主義であり、日本独占ブルジョアジーはアメリカ帝国主義のひ護のもとに、国内の中心的支配層としての地位を復活しつつ、社会主義体制と国内の民主勢力の高揚に対抗するために自国の主権を売りわたしてはばからない目したの同盟者であった。日本の労働者階級と人民は、第二次大戦中、過酷な軍事的、警察的支配のもとで自由をうばわれ、弾圧され、組織され統一された抵抗。闘争をおこないうるほどに結集されていなかったし、戦後急速に主体的力をつとめたとはいえ、なお相対的によわく、下からの民主革命を貫徹しうる主体的な力に成長していなかった。
 二つの対立し競争する社会体制の一方の中心であるアメリカ帝国主義の対日支配と、日本資本主義の発展段階の特質にもとづく内部矛盾と、階級関係の第二次大戦後における新しい変化は以上のように結合されていた。
 日本の労働者階級の革命的展望は、初期においては天皇制の廃止、共和制、土地革命の徹底的な遂行、独占資本への徹底的な制限と統制を内容とする人民の民主主義革命をポツダム宣言の完全実施の基本的スローガンと結合して遂行し、社会主義革命へ発展させることであった。アメリカ帝国主義がポツダム宣言をふみにじり、事実上の単独占領の方向をつよめ日本をアメリカの従属国とし、同時に、日本の独占資本が国内支配勢力の中心として登場してきた段階においては、封建的なのこりものの一掃の民主的任務をふくみつつも、反帝反独占の民主革命の社会主義革命への発展の方向があたらしく提起されるべき戦略的展望であった。
 ところが、この時期の革命は本質的に社会主義革命であるとする意見が、わが党内外にあったし、今日もあるが、その理由は、当時独占資本が国家の力をにぎっていたからだとしている。サンフランシスコ条約締結前のこの時期についても、このような理由でこのような革命論を主張することは、権力と革命の問題を実質的にどのようにハ握するかという点で典型的な誤りの実例である。当時アメリカ帝国主義は、連合軍の主力という地位に乗じて、事実上の単独占領の方向をつよめ事実上全面的な軍事占領をおこない、日本の政府機関は主としてアメリカ占領軍の行政的な補助物の役割を果たしていた。日本の政府は、アメリカ占領者の完全な命令下におかれ、独占資本を中心とする反動勢力の利益に奉仕する執行機関の側面をもちつつも、より本質的にはアメリカ占領者の利益に奉仕し、その支配を維持する武器となっていた。マッカーサーの一片の書簡にもとづいて、首相吉田茂が共産党の議員の追放を執行したのは、その一例である。日本の国家的独立が完全に失われ、政府や議会、警察、裁判所などの国家権力としての機関は存置したが、これは以上の関係における国家機関である。したがって、これはつよい対米従属状態におかれている国家機関である。
 このような情勢のなかで、戦略目標として独占資本の打倒をめざすだけでは、実質上の支配者であるアメリカ帝国主義の支配は、なんら本質的な打撃をうけず、労働者階級と人民が日本を支配する権力を獲得できないことはあきらかである。したがって、この時期が直接の軍政でなく、日本の支配層の弾圧統治機関も存続したということから、古典的な植民地や半植民地以外は、すなわち発達した資本主義国においては、民族解放革命の側面はあり得ず、一義的に反独占社会主義革命であるとする革命論は、まったく空虚な形式主義におちいっているものである。
 また、戦後のこの過程において、絶対主義的天皇制と半封建的・地主的土地所有が、上からの改革によって不徹底ではあるが一応解体されたということから、民主主義革命の課題は達成されたから、つぎの革命は社会主義革命だとする論がある。すでに草案も絶対主義的天皇制と、半封建的・地主的土地所有の解体につぎのような叙述をあたえている。

「戦後の土地改革によって半封建的地主制度は、農地の面では基本的に解体されたが、それは妥協的なブルジョア的改革であったので、土地関係をはじめその他の経済的社会的諸関係にいろいろ不徹底面をのこした。……にもかかわらず、商品的貨幣的諸関係はひろがり、国内市場は拡大された。日本の独占資本は、アメリカ帝国主義とむすびついて、労働者階級をはじめとする勤労人民大衆への搾取をつとめることによって復活・強化し、売国的反動勢力の中心となった。
 戦前の絶対主義的天皇制は、侵略戦争に敗北した結果、大きな打撃をうけた。しかし、アメリカ帝国主義は、日本の支配体制を再編するなかで、天皇の地位を法制的にはブルジョア君主制の一種とした。天皇は、アメリカ帝国主義と日本独占資本の政治的思想的支配と軍国主義復活の道具となっている。」

 今日、戦前の党がかかげた天皇制打倒と士地革命を中心とする課が、革命の中心目標となっていないことは明白である。しかもそこから労働者階級と人民の立場からみた民主革命の段階が終わったとすることは、現実を無視した論理上の大きな飛躍である。なぜなら、この時期の階級関係の再編はアメリカ帝国主義の対日支配の確立の過程でおこなわれ、この対米従属的なわくのなかで独占資本が復活強化し、反動諸勢力の中心に登場したのである。戦前の独占資本主義は、軍事的・封建的帝国主義の経済的基礎の有力な部分であったが、戦後はアメリカ帝国主義の対日支配の条件のなかで、米日独占資本の従属的同盟をつくりあげる方向で再編され、強化されたのである。
 この時期には周知のようにアメリカ帝国主義者にたいする批判は、いっさい弾圧され、日本共産党はアメリカ帝国主義との闘争の態度を明確にするにつれて、党中央委員会自体が合法性をはく奪され、中央委員である国会議員も追放された。したがってこの時期は新憲法発布にもかかわらず、アメリカ帝国主義の民主勢力にたいする専制的な弾圧が無制限に横行した。
 日本独占資本は、民主革命を流産させ、反動的支配層の地位を保持し、独占資本の支配を復活、強化するために、アメリカ帝国主義のこのような支配に積極的に協力した。このような条件において、労働者階級と人民のまえには、二つの敵に反対して民主主義のための徹底的な闘争を敢行し、全面講和によるアメリカ軍の完全な撤退、国の完全独立、独占資本の支配の打倒、人民の民主主義国家の建設等をめざすあたらしい民主主義革命の課題が提起された。
 以上から明らかなように、戦前のブルジョア民主主義革命の目標がすでに中心目標でなくなったということから、この時期にただちに、社会主義革命の課題が提起されたとすることは、複雑で具体的な歴史の過程をみない根本的に誤った見地である。

  (3)

 草案は、サンフランシスコ「平和」条約、日米「安全保障」条約の締結された条件、それからおこった変化、サンフランシスコ体制の意義、現在日本を支配している勢力、日本独占資本主義の現段階と特徴、一九六〇年に締結された新安保条約等について、本質的な規定をあたえている。
 サンフランシスコ条約によって、日本が基本的に独立したという見解は、十中絵においても一応克服された。日本がサンフランシスコ条約によって基本的に独立したとはいえない理由については、党中央委員会はすでに、多くの解説や文献をだしているので、ここではくり返すことはしない。ただつぎの諸点についてだけふれる。
サンフランシスコ条約の締結を境とする変化は、日本がアメリカ帝国主義に従属する反ソ、反中国、反共の国際的な体制に、名実ともに編入されたこと、形の上では、主権国家とされ、全面的な占領制度から事実上の半占領へ移行したこと、日本政府の統治権の拡大、日本の独占資本の軍国主義的帝国主義的復活方向のいっそうの積極化、それらの法制化としてのサンフランシスコ条約、安保条約による日本の半占領の合法化などによって特徴づけられる。これらの変化は、一定の重要な意義をもっており、その国際的国内的なあたらしい特質を正確にとらえる必要がある。
 しかしそこから、対米従属状態はすでに部分的な地位にさがったとか、日本独占資本はこれいご本質的に自主性を回復した、などの一面的な過大な評価をおこなうことは、重大な根本的な誤りにみちびくものである。十中総にいたる綱領問題小委員会では、その全員がこの点において、日本が基本的に独立しているという見解をしりぞけ、アメリカ帝国主義の半占領状態を確認したことは、当然である。
 日本の現状規定については、「高度に発達した資本主義国でありながら、アメリカ帝国主義になかば占領された事実上の従属国となっている」と草案は規定している。これにたいしては、日本は基本的に独立した、自立した帝国主義国であるという見解と、日本は主権の一部を侵害されている従属的な帝国主義国であるという見解がある。このあとの見解は、結局、日本は基本的に独立した帝国主義国であるが、部分的に対米従属状態があるにすぎないということとおなじである。
 日本の現状を正確に知るには、マルクス・レーニン主義の原則にもとづいて接近しなければならない。
 その第一の観点は、マルクスが「フォイエルバッハについてのテーゼ」でのべた「哲学者たちは、世界をさまざまに解釈したにすぎない。大切なことはしかしそれを変革することである」という立場に立つことである。
 第二、日本の問題を第二次大戦後の二つの社会体制の世界史的な対立と闘争の部分としてとらえなくてはならない。日本資本主義の現段階とその国際的位置づけは、ただ日本独占資本主義を封鎖的に分析することによっては、弁証法的に、すなわち全体的かつ発展的にとらえることはできない。
 第三、マルクス・レーニン主義の帝国主義と民族問題にかんする諸命題の真髄を日本革命に創造的に適用しなければならない。  日本が発達した資本主義国でありながら、民族主権の重大な侵害をうけていることは、なに人も否定できない事実である。わが国は独占資本主義国であるけれども、他国に植民地をもっておらず、また他国に軍事基地を設定してはいない。反対に、アメリカ帝国主義の植民地にされている沖縄・小笠原があり、アメリカの軍事基地が日本全土にわたって存在している。ここに、日本が明白に他民族の抑圧をうけている側面があることは、なに人も否定できない。しかも同時に、独占資本主義は一般的にいって帝国主義の経済的基礎である。
 それならば、日本の現状を全体として規定する本質的な規定をどこにおくか。

 「……社会民主党の綱領のなかで中心点となるのは、まさに諸民族を抑圧民族と被抑圧民族に分けることでなければならない。というのは、この区分は帝国主義の本質をなすものであり、しかも社会排外主義者とカウツキーがごまかして回避しているものだからである。(レーニン「革命的プロレタリアートと民族自決権」)
 「帝国主義の時代にとくに重要なことは、具体的な経済的事実を確認し、すべての植民地・民族問題の解決にあたって、抽象的な命題からではなく、具体的な現実の諸現象から出発することである。(レーニン「コミンテルン第二回大会、民族・植民地問題小委員会の報告」)

 歴史的、具体的にみれば、第二次大戦後のあたらしい事態のなかで、日本が軍事的・封建的帝国主義国から、反対物の、外国帝国主義に抑圧された従属国に転化し、その従属状態のもとで日本独占資本が軍国主義的帝国主義的復活方向をとっていることがあきらかになる。帝国主義の復活について、敗戦やそれにともなう外国帝国主義の支配のもとで著しく弱化した帝国主義国が次第に強化されて、敗戦前の力量や威信を回復してくることであり、単に量的な規定にかんする概念であるとするものがある。この見解では、独占資本主義すなわち帝国主義と無条件にいう立場から、敗戦や外国帝国主義の支配によって弱化した独占資本主義が、生産力を回復し、資本の積や集中が以前の水準をこえ、帝国主義的反動政策を遂行する自曲を回復し、世界帝国主義体制における比重が以前の水準に回復することを帝国主義復活の完了とすることになる。
 レーニンは、帝国主義について数多くのことを語っている。
 第一、「植民政策と帝国主義は、資本主義の最新の段階以前にも、さらには資本主義以前にも、存在した。奴隷制にもとづくローマも植民政策を遂行し、帝国主義を実現した」(レーニン「帝国主義論」)

 「帝国主義戦争もまた、奴隷制を基盤としても(ローマとカルタゴの戦争は、どちらのがわについて見ても帝国主義戦争であった)、中世にも、商業資本主義の時代にも、おこった。両交戦国の双方が外国または他民族を抑圧しており、えものの分けまえをめぐって、『だれがより多く抑圧または略奪するか』をめぐっておこる戦争はすべて帝国主義戦争と呼ばないわけにはいかない」(「党綱領の改正によせて」)

 もちろん、このさいレーニンは、経済的社会構成体の根本的差異を忘れて、帝国主義を単なる政策とするような見解をみとめてはいない。
 第二、レーニンは、「もし帝国主義のできるだけ簡単な定義をあたえなければならないとしたら」として、「帝国主義とは資本主義の独占的段階である、と言うべきであろう。(「帝国主義論」)と書き、同時にこの定義について、「……もし基本的な純経済的概念(前述の定義はこれにかぎられているが)だけでなく、資本主義のこの段階が資本主義一般にたいしてもつ歴史的地位、あるいは労働運動における二つの基本的傾向と帝国主義との関係をも考慮にいれるなら、帝国主義はこれとは別様に定義することができるし、また定義しなければならない。(同)と書いている。
 また、別のところでは、「帝国主義のもっとも奥深い経済的基礎は独占である」(「帝国主義論」)とのべ、さらに「経済的には、帝国主義(あるいは金融資本の「時代」――言葉が問題なのではない)は、資本主義の最高の発展段階、すなわち、競争の自由にかわって独占があらわれるほど、生産が大規模になり、巨大な規模になった段階である。この点に帝国主義の経済的本質がある」(「マルクス主義の戯画と『帝国主義的経済主義』とについて」)と書いている。
 第三、同時にレーニンは、帝国主義の経済的本質と政治的諸傾向を混同することをいましめている。

 「帝国主義は、階級矛盾を大規模に激化させ、経済の面でも――トラスト、物価騰貴――、政治の面でも――軍国主義の増大、戦争頻発、反動の強化、民族的抑圧および植民地略奪の強化と拡大――、大衆の状態を悪化させて、大衆をこのような闘争に駆りたてている」(「社会主義革命と民族自決権」)
 「帝国主義の政治的特性をなすものは、金融寡頭制の抑圧と自由競争の排除とに関連する、あらゆる面での反動と民族的抑圧の強化である」(「帝国主義論」)

 第四、さらにレーニンは、歴史の過渡的な形態としての従属国について、つぎのようにのべている。

 「……国家的従属の幾多の過渡的形態をつくりだすということを、注意しておかなければならない。この時代にとって典型的なのは、植民地を領有する国と植民地との二つの基本的グループだけでなく、政治的には形式上独立国でありながら、実際には、金融上および外交上の従属の綱でぐるぐるまきにされている、従属国の種々さまざまの形態もそうである。(「帝国主義論」)

 また、従属のいろいろな形態についてつぎのようにものべている。

 「帝国主義の特徴は、全世界がわれわれの見ているように、現在、多数の被抑圧民族と、膨大な富と強大な軍事力をもっている、ほんの少数の抑圧民族とに分裂していることである。十億人以上、おそらくは十二億五千万人にのぼるどえらい多数者、すなわち、地球の総人口を十七億五千万人とすれば、その約七〇パーセントは被抑圧民族に属していて、それらのものは、直接の植民地的状態のもとにあるか、たとえば、ペルシャ、トルコ、中国のような半植民地国家であるか、それとも帝国主義的大国の軍隊に征服されて、講和条約によって、その大国に強く従属している。(「共産主義インタナショナル第二回大会」)

 これら一連のレーニンによる規定は、第一次世界大戦前後に書かれたものである。したがって、社会主義世界体制が成立し強化し、帝国主義戦争が不可避なものでなくなった今日の時代には、これらのレーニンの命題を全体として、その真に科学的革命的精神の立場から創造的に適用することが、真にマルクス・レーニン主義の立場であることはもちろんである。レーニンのするどい予見は、第一次大戦におけるドイツ帝国主義の敗北を機会として、文明国が植民地的従属におちいった事例をすでにするどく指摘した。第二次大戦後のわが日本におこっている事態には、このドイツの場合よりはるかに深い従属状態の継続がみられる。この差異の根本的条件は、反ファッショ連合軍の勝利につづく、社会主義世界体制の成立、世界的な規模での人民と進歩の勢力の前進という国際的条件のなかで、それに対抗する帝国主義陣営の中心に、反動と戦争と搾取の点においてきわだったアメリカ帝国主義がたっており、そのアメリカ帝国主義によってポツダム宣言の実施が不徹底におわり、アメリカ占領者の事実上の単独占領が確立され、国土の一部である沖縄、小笠原の植民地化をふくむ占領と半占領状態が戦後十五年にわたってつづき、新安保条約によって、さらに今後すくなくとも十年間軍事基地の保有をみとめられていることである。すなわち、軍事的な制圧をテコとする対米従属状態が、四分の一世紀以上にわたってみられるという事態である。この条件において、独占資本主義国でありながら、対米従属を政治的な特質とする歴史上かつてないあたらしい事態がおこった。
 戦前の軍事的封建的な帝国主義は、経済的には独占資本主義と半封建的な地主的土地所有関係であり、政治的には植民地の領有、他民族の抑圧、国内にたいする軍国主義的警察的な天皇制支配による抑圧であった。この日本独占資本主義は、戦後対米従属の方向で再編され、その中で日本独占資本は復活強化への道をすすんできた。独占資本は勤労大衆にたいするはげしい搾取を基礎として、アメリカ帝国主義からの援助をうけ国家資金の略奪をおこない、設備の拡張や「技術革新」、資本家的「合理化」を強行し、独占と集中をつよめた。生産力は戦前よりはるかに高まり、日本独占資本は新しい資本輸出をふくむ市場分割戦にのりだしている。その意味で、草案は、「経済的には帝国主義的特徴をそなえつつ」あることをあきらかにしている。しかしなお、日本の独占資本主義は、経済的には、アメリカの対日投資が日本の資本輸出の四倍にのぼり、金融的従属のほか対米従属的な貿易構造におかれ、石油、ゴム、アルミニウムなど若干の重要部門をアメリカ資本に直接にぎられている。政治的には、植民地の領有や政治的な経済的な支配圏の確立などにおいて、戦前の帝国主義的地位を回復していないだけでなく、反対に深対米従属状態のなかで、民族主権の重大な侵害をうけ、国の自主的発展をさまたげられている。このことは戦後十五年になるのに、戦前日本帝国主義が侵略した中国にたいする国交回復を基本的には対米従属によっていまだにおこなっていないという、近代史に例のない事態にもあらわれている。
 したがって、これらの日本の現状全体について、草案のように規定することが、もっともマルクス・レーニン主義を正しく適用したものである。そして、戦後の日本の歴史的過程にてらしてみるならば、帝国主義復活完了の指標を単に量的な規定とみることは正しくなく、従属を主たる側面とした独占資本主義国から、政治的にまた基本的に自立した独占資本主義国、すなわち自立した帝国主義の側面を主とする国への転化を完了したかどうかを基準とすべきである。
 このことは国際共産主義運動の綱領的文書であるモスクワ声明においても、あえて「日本軍国主義の復活をゆるさないこと」とのベていることからも知るべきである。また、最近の事例をみても、ソ朝友好協力相互援助条約締結にあたって、七月十日発表されたソ連邦と朝鮮民主主義人民共和国の党・政府代表団の共同声明のつぎのような指摘によってもあきらかである。「ソ連邦と朝鮮民主主義人民共和国は、米軍による日本占領と隣国への米日支配グループの軍事的陰謀の事実にたいして、無関心でいるわけにはいかない。双方は、一九六〇年に締結された米日侵略条約が極東情勢をいっそう先鋭化させる一歩であったと考える。日本自身の安全と極東の平和の利益は、日本が外国の占領のくさりをたちきり、外国軍隊の基地を撤廃し、真の民族独立と平和な対外政策の道をすすむようになることを強く要請している」。これらからあきらかなように、国際共産主義運動の立場では、日本を自立した帝国主義国として単純化せず、つねに世界政治のなかで対米従属状態のもとにおける日本軍国主義の復活として規定しているのである。
 世界を変革するという労働者階級の主体的任務からみて、日本の社会的進歩のかくことのできない当面の歴史的段階の任務は、日本の自主的な民主的な発展をさまたげている基本的な障害を人民の立からのぞきさることである。

 「……マルクス主義の基本的思想の観点からみれば、社会発展の利益はプロレタリアートの利益に優越し、労働運動全体の利益は労働者の個々の層または個々の瞬間の利益に優越する……」(レーニン「わが党綱領草案」)

 これは、日本においては、アメリカ帝国主義と売国的で反動的な日本独占資本の支配にたいしてたたかい、これをたおし、独立の達成と人民の民主主義を確立することである。この世界を変革するという実践的な観点は、この二つの敵にたいする統一的な闘争を不可避にしている。したがって、日本の過去、現在、未来にたいするマルクス・レーニン主義的な分析と展望から草案のような現状規定が必然的にみちびきだされなければならない。日本の現状をただ解釈する立場にたつならば、帝国主義は経済的には独占資本主義であるという意味において、従属的帝国主義ということも不可能ではない。しかし前にのべたように、世界を変革する立場から、日本の現状をマルクス・レーニン主義の真髄にもとづいていかに革命的にとらえるかという点では、草案の規定が日本の現状をもっとも正確にとらえるものであると、われわれは考えている。
 同時に、安保条約の改定の問題について、草案は、日米軍事同盟がアジアの平和に重大な危険をあたえているということを指摘している。この条約が単に日本をアメリカの軍事基地としているだけでなく、日本の自衛隊にアメリカの侵略戦争に積極的に参加する義務をおわさせている、侵略的軍事同盟の性格をもっていることを当然過小評価してはならない。そして帝国主義復活、すなわち他民族への侵略と抑圧の可能性がつよまりつつあることを軽視してはならない。しかし、この場合も、現在の条件のもとでは、日本の独占資本は単独で侵略戦争の放火者となることは困難であり、アメリカ帝国主義の目したの同盟者としてそのような危険な役割をもっているというのが、事態の本質である。
 日本独占資本の最大限利潤の追求という法則から、ただちに今日の日米関係は矛盾と対立と闘争の面が基本となっているとすることは、はなはだ機械的であり、この法則の現実的なあらわれかたを正しくみていないことになる。すでにみてきたように、日本独占資本はアメリカ独占資本とのあいだに矛盾と対立の面を内包しつつも、戦後従属的同盟を主とする関係のなかで、これまで最大限利潤を追求してきたのである。
 日本はすでに帝国主義として自立したとする論は、二つの社会体制の対立と闘争が世界政治の基本的矛盾であることをはなれて、不均等発展の法則の面から、日米関係を単純化し、そこから当然に、モスクワ声明があきらかにした、アメリカ帝国主義とその従属的同盟の現在の特徴的な関係、アメリカ帝国主義の発達した資本主義国の主権の侵害、アメリカ帝国主義と同盟を結んでいる発達した資本主義国の独占資本の自国の主権の売り渡しなどを法則的にとらえることができなかった。したがって、サンフランシスコ体制の役割、意義をとらえることもできず、また、日米関係を従属的な同盟としてありのままにとらえることができなかった。そのために、日米関係の基本は帝国主義国間の対立、闘争であると、自己の観念と教条によってわい曲せざるを得なかった。しかも、なんら科学的な根拠なしに、当面は同盟関係が主になっていると、ほしいままな矛盾した現象的な見方を機械的に結論せざるを得なかった。これは事実はがん固であり、その事実をかれらがみとめざるを得なかったからである。

  (4)

 現在の日本社会の全体的な分析から、当面する革命のおもな敵、任務、原動力、性格、その前途があきらかになってくる。
 (一)草案はつぎのようにのべている。

 「現在、日本を基本的に支配しているのはアメリカ帝国主義と、それに従属的に同盟している日本の独占資本である。わが国は高度に発達した資本主義国でありながら、アメリカ帝国主義になかば占領された事実上の従属国となっている」
 「労働者階級の歴史的使命である社会主義への道は、この道をとざしているアメリカ帝国主義と、日本独占資本を中心とする勢力の反民族的な反人民的な支配を打破し、真の独立と政治、経済、社会の徹底的な民主主義的変革を達成する革命をつうじてこそ、確実にきりひらくことができる。」

 現在の日本社会の発展を妨害しているものが、アメリカ帝国主義自国の独占資本であり、これらが結びついて、日本の労働者階級人民を圧迫している。したがって、革命のおもな敵は、この二つである。
 (二)この革命の中心任務は、この二つの敵の圧迫と支配をうちたおす革命である。この二つの任務はたがいに結びついている。アメリカ帝国主義は、その侵略的本質のために、日本を軍事上、政治上、経済上の支配圏におくために、日本の売国的独占資本の支配を維持し支持しているから、アメリカ帝国主義の対日支配をたおさないかぎり、日本の独占資本の支配は確実に打倒されない。また、日本の独占資本はアメリカ帝国主義の対日支配の社会的支柱、階級的基礎であるから、日本独占資本の支配を打倒しないかぎり、アメリカ帝国主義の対日支配を確実にたおし排除することはできない。
 (三)この二つの基本的任務は、それぞれ区別されるものであるが、また統一されている。
 この中心任務を達成するために、草案は当面の行動綱領の基本をあきらかにしている。これらは、全体として独立と民主主義の性格をもつ任務である。
 この革命の推進力、原動力は、二つの敵の圧迫と収奪のもとにおかれている労働者、農民をはじめとするすべての階層のたたかいと、その革命的結集にある。
 草案はつぎのように書いている。

 「アメリカ帝国主義と日本独占資本の支配に反対するこの民族民主統一戦線は、労働者階級の指導のもとに、労働者、農民の同盟を基礎とし、そのまわりに勤労市民、知識人、婦人、青年、中小企業家、平和と祖国を愛し民主主義を守るすべての人びとを結集するものである。」

 独占体は、一方においてはその売国的役割によって、他方では巨大な独占と集中と政治的専横によって、民族全体との矛盾におかれ、中小企業家をふくむ広範な階層との矛盾と対立におかれているが、その中心にたってたたかう階級は労働者階級である。そして、労働者、農民の同盟を軸とする民族民主統一戦線の結集こそ、革命権力を樹立する階級的土台である。
 (四)当面する革命の性格について草案は、つぎのように書いている。

 「現在、日本の当面する革命は、アメリカ帝国主義と日本の独占資本の支配――二つの敵に反対するあたらしい民主主義革命、人民の民主主義革命である。」
 「独占資本主義の段階にあるわが国の当面の革命は、それ自体社会主義的変革への移行の基礎をきりひらく任務をもつものであり、それは資本主義制度の全体的な廃止をめざす社会主義的変革に、急速にひきつづき発展させなくてはならない。すなわちそれは、独立と民主主義の任務を中心とする革命から連続的に社会主義革命に発展する必然性をもっている。」

 第一、このようにこの革命は、民主主義革命から社会主義革命への二段階の連続革命である。この革命において、二つの主敵の支配をたおしたのちに、樹立されるべき権力は、人民の民主的権力であり、労働者、農民の同盟を中心とする人民の民主連合独裁である。こうしてつくられる人民の民主主義国家は、社会主義革命への移行を保障する条件となる。
 アメリカ帝国主義は、日本にその武装力を配置して、社会主義国とアジア諸国への戦争と抑圧の基地とするとともに、日本人民を抑圧している。このような状態で、一部の論者は、だれの権力が支配しているかが問題ではなくて、だれが国家権力をにぎっているかが問題であるとして、日本独占資本が国家権力をにぎっているから「これを打倒する革命は社会主義革命である」といおうとしている。これはすでにはじめから従属国の権力の問題を基本的に独立した国家の権力の問題として設定して、一面的な結論を用意する主観的な方法論である。
 革命は単にその国の支配層からの権力の奪取以外にないとして外国帝国主義の支配をたおすこと――駆逐することは、革命の対象になりえないとすることは、一般的に民族解放革命を否定する根拠のない論である。また、民族解放革命は、植民地、半植民地でのみありうるので、発達した資本主義国にはあり得ないとすることも根拠がなく、それは発達した資本主義国が外国帝国主義の支配のもとに、事実上の従属国におちいることを結局否定する議論でしかない。また発達した資本主義国の経済は、単一の民族経済であり、その上部構造は単一の国家権力であるとして、このような場合は、外国帝国主義による事実上の従属国化はあり得ないとすることは、歴史的にも理論的にもあやまっている。それは、強大な帝国主義国が農業国だけでなく発達した資本主義国にも侵入し、それを従属国化し、経済的にも併ドン(呑)しようとする帝国主義の侵略性についてのレーニン主義の命題を否定するものである。
 わが国におけるアメリカ帝国主義の支配の一掃と結びついておこなわれる独占資本の支配の打倒は、対米従属状態に発達した資本主義国の支配層である売国的反動的な独占資本の政府と権力を打倒する、民主主義的革命であり、それ自体、資本主義制度一般、資本主義的私有制度全般の廃止を目的とする社会主義革命とは区別される。民主勢力は、民族民主統一戦線政府をつくる闘争のなかで、外国独占資本の企業の国有化をかかげるだけでなく、わが国の独占体への人民的な統制と民主的管理、重要独占企業の国有化のスローガンをかかげてたたかう。独占体にたいするこのような統制と制限、打撃は、モスクワ声明もあきらかにしているように、民主的な性格のものである。声明は「平和と民族独立のたたかい、民主主義の擁護と発展、経済のもっとも重要な部門の国有化とその管理の民主化……」などについて、「これらの措置はすべて民主的な性質をもっている」とのべている。
 しかし、いうまでもなく、このような独占体への統制と制限は、独占体への大きな打撃であり、それは独占体にとってはその政治的経済的支配を維持しうるか否かの重大問題である。そしてそれは、当然資本主義制度の経済的上部構造への打撃を意味する。
 このような重大な打撃にたいして、アメリカ帝国主義と日本の独占資本は、その権力支配が維持された状態のままで、民主勢力の圧迫や政策転換の要求のまえにやすやすと譲歩するだろうか。もちろん、世界革命運動での多くの実践が示すように、人民の闘争の高揚と民主的な改良の要求の前にはその外国帝国主義者やその国の売国的支配層が譲歩をおこなったことはある。このような改良を獲得することは、労働者階級と人民の前進にとって有益である。すでにわが党中央委員会の政治報告は、この問題についてふれている。
 しかし、この改良の成果をかちとるのは、大局的には、レーニンものべたように、革命闘争全般のなかの副産物である。改良のつみ重ね自体を自己目的として、権力の獲得革命との関連、その正しい位置づけを見失うことは改良主義にほかならない。この権力獲得の見地からみれば、独占体への人民的統制や重要産業の国有化は民主主義的な性格の要求であるにしても、独占体にとっては重大な打撃である以上、独占資本の権力の強い抵抗を予想しないわけにはいかない。
 したがって、これを確実に実施するためには、人民の民主的権力の樹立が必要である。売国的な独占資本への人民的統制は、独占企業の必要な国有化をふくめ、また社会主義革命の段階以前の一つの民主的性質の任務に属するが、その措置そのものの実施を確実に保障するには、民主的権力が必要である。
 また、独占資本の政府を倒して民族民主統一戦線政府を樹立する過程を考慮しても、当然権力の問題に直面せざるを得ない。民族的民主的な内閣政府の成立は、まだ革命権力の樹立ではないが、権力への一つの過程であり、権力への橋頭堡をにぎることである。
 このような政府の成立は、それ自体反動勢力にとって重大な政治的危機であり、また革命的危機への接近と危機の濃化である。したがって、このような民族的民主的な内閣――政府は、当然民族民主統一戦線を強化するとともに、この政府、内閣への反動勢力からのあらゆる攻撃に面して、この政府、内閣の存続を守るとともに、必然的に力関係と情勢に応じて権力を確保し、革命の政府の樹立をめざすのは当然である。
 この権力は、当然アメリカ帝国主義の日本からの駆逐と独占の支配の打倒を中心任務とする反帝反独占の民主的権力である。同時にこの権力の樹立と反帝反独占の民主的な任務の遂行は、社会主義革命への移行の条件をつくるものであり、社会主義へ前進する過渡段階である。
 独占の支配を倒すことは、当然やがて社会主義革命に発展せざるをえないということで、この当面する革命を社会主義革命とする論拠は、日本における反帝反独占の歴史的な闘争課題の統一的な遂行の意義、欠くことのできない歴史的段階の意義を理解しないとともに、以上の理論的、実践的進路について理解しないところからおこるものである。
 この革命は、労働者階級が中心となる人民の民主主義革命である。それは、反帝、反独占の民主主義革命として、あたらしい民主主義革命である。またそれは、世界の反帝統一戦線の一翼の勝利となり、アジアに強固な平和のとりでを形成する世界史的意義をもつ。

   四

 この三年間にわが党は、大衆運動と党建設において大きな前進をとげた。わが党は、警職法闘争、安保闘争、三池闘争、政暴法闘争などに示されるように、正しい展望のもとに巨大な大衆運動の高揚のためにたたかい、人民の大きな統一行動の発展と統一戦線の結集のうえで大きな役割を果たした。これらの歴史的闘争のなかで、わが労働者階級と人民は奮闘し、警職法の改悪阻止、岸内閣の打倒、アイゼンハワーの来日阻止、U2機の日本本土よりの追放、三池炭鉱労働者を中心とする英雄的な合理化反対・権利擁護闘争、政暴法の成立阻止などの歴史的な成果をおさめた。そしてわが国には、これらの闘争を通じて、共産党、社会党をふくむ民主団体の安保条約反対を中心とする全国的共闘組織をはじめ、全国的に二千におよぶ地域的な民主的共闘組織統一戦線組織がつくられた。
 これらの闘争は、全体としてアメリカ帝国主義と日本独占資本の支配に重大な打撃を与え、かれらの支配の基礎に大きな不安をあたえてきた。そしてまた、それは世界反動の元凶アメリカ帝国主義のアジア最大の拠点における人民の巨大な抵抗闘争として、国際的な反帝統一戦線をつよめ、アジアと世界の平和に大きく貢献した。国際共産主義運動の綱領的文書であるモスクワ声明は、日本人民の安保改定反対闘争にたいして積極的評価をはらっている。また、全世界の多くの兄弟党は、安保闘争をはじめとする最近の日本人民の闘争をアメリカ帝国主義の侵略政策に反対し、世界平和をまもり諸民族を解放するたたかいにたいする積極的な貢献として激励と支持をあたえた。
 フルシチョフ同志は、一九六〇年六月のルーマニア労働者党第三回大会での演説においてつぎのようにのべた。

 「諸君は、いく百万の日本人が侮べつと憎しみをもって、アメリカ侵入者にたいしてたち上がっていることをよくご存知だ。簡単にいえば、アメリカ帝国主義者がまだ追いだされていない諸国で、人民の憤激が高まり、抵抗力を熟しつつあるのである。稲妻が光れば、つづいて落雷が起こることは周知のとおりだ。
 諸君は、日本人民がいわゆる日米安保条約の国会批准とアメリカ大統領の訪日に反対して、強力な抗議運動をつづけ、大統領の訪日招待を取り消さすのに成功したことを知っておられるだろう。
 日本人民は、アメリカからの招かれざる客の面前で、ドアをピシャリとしめ、全世界にアメリカの帝国主義政策と日本におけるその手先岸にたいするかれらのはげしい憎悪の情をしめした。日本人民は、自分たちの領土にある外国軍事基地に反対してたたかうことによって、国際緊張の緩和と冷戦の終結のためにたたかっているのである。われわれは、日本人民がおしつけられた不平等な条約や協定の廃棄をかちとるたたかいで成功をおさめるようねがっている。……」

 毛沢東同志も、一九六〇年五月、中国を訪問した日本の民主団体の代表者などとの会見においてつぎのようにのべている。

 「新しい日米の"安保条約は、日本の広範な人民を圧迫するためのものであり、中ソを敵とし、アジアの人民を敵とする侵略的な軍事同盟条約である。それは、アジアと世界の平和にたいする重大な脅威であり、同時にまたかならずや日本人民にもゆゆしい災難をもたらすであろう。中日両国人民とアジアの人民、および全世界の平和を愛する人民は、だれもが日米軍事同盟条約に反対すべきである。……現在日本人民は、雄大な規模の闘争をくりひろげて、日米軍事同盟条約に反対している。日本人民は、日米軍事同盟条約に反対する闘争のなかで、日ましに自覚を高めており、自覚した人びとはますます多くなっている。日本人民の前途には、非常に希望がある。中国人民は、過去、現在、未来をつうじて、日本人民の、国を愛する、正義の闘争を断固として支持する。」

 全世界の多くの兄弟党は、安保闘争をはじめとする最近の日本人民の闘争を、アメリカ帝国主義の侵略政策に反対し、世界平和をまもり諸民族を解放するたたかいにたいする積極的な貢献として、激と支持をあたえた。
 敵味方の力関係と民主勢力の政治的組織的成長の現状において、安保条約の改定、三池労働者の首切りそのものは、まだ阻止するにいたらなかったにもせよ、そのことによってこれらの歴史的闘争の画期的意義はいささかも見失われるものではない。
 本日の大会でおこなわれたわが党中央委員会の政治報告は、これらの闘争について、正確に詳細に分析している。これらの闘争は、わが党の綱領的展望との関係でどのように位置づけられるものだろうか。
 第七回党大会は、党章草案の政治綱領部分を大会の草案として決定しつつも、その最終的決定は今後にのこしたが、そのことは、綱領問題にかんして討議された理論上、政策上の問題のいっさいが、第七回党大会全体の到達点として未定のままのこされたことではない。解決をのこした中心点は、当面する革命の性格についてであった。
 大会での討議の結果、現状規定と闘争任務において一定の一致があればこそ、一定の現状規定をふくむ政治報告が採択され、党章草案の綱領部分の行動綱領の基本が「行動綱領」として採択されたのである。また、政治綱領部分が全体として大会の草案として決定される条件もあったのである。
 第七回党大会で採択された政治報告は、現状のあたらしい特徴についてつぎのようにのべている。

 「国際情勢の根本的な変化とその発展を背景として、この十年のあいだに、日本の国内情勢にも重大な変化が起こった。それは、アメリカの占領制度がアメリカによる半占領と、事実上の従属国の状態を内容とするサンフランシスコ体制に変わったこと、日本の独占資本がアメリカに従属しながら復活強化したこと、日本人民のあいだに民主勢力が大きく発展してきたことを特徴としている。そして国内情勢の当面の特徴は、アメリカ帝国主義と日本独占資本が、相耳の矛盾の発展にもかかわらず、その結合をつとめ、労働者階級と人民にたいする攻撃に出ており、反動と民主勢力の対立と闘争が新しいはげしい段階にはいっていることである。」
 「アメリカ占領制度のサンフランシスコ体制へのきりかえ、戦後日本資本主義の発展、日本独占資本の復活強化とかれらのブルジョア民族主義的政策によって、日本人民のあいだに、あたかも日本が完全に、また基本的に独立国になったかのような幻想をうえつけていることは、重大な問題である。」

 このように、この決定は日本の現状を、アメリカ帝国主義による半占領と事実上の従属国の状態、基本的に独立を達成していない状態とみるとともに、「日本の独占資本は、帝国主義的復活の道をすすもうとしている」ことをあきらかにしている。
 第七回党大会の政治報告はまた、日本人民のたたかう敵についてつぎのようにのべている。

 「わが党は、わが国の人民だけでなく人類の平和と幸福を破壊しているアメリカ帝国主義と、これに追随している売国的独占資本を中心とする反動勢力にたいする正しい闘争の道を明示しなければならない。」

 これは、日本人民の二つの敵にたいする闘争の任務である。大会での綱領問題の討議においても、戦略目標や革命の性格では不一致があったが、アメリカ帝国主義からの日本の独立のための闘争と反独占の闘争が、当面の革命闘争の二大任務であるということについては、小委員会と本会議を通じて圧倒的多数の一致した方向であった。したがって、これらの一定の一致の方向があったから、党章草案の綱領部分の行動綱領の基本がそのまま行動綱領として採択されたのである。
 この行動綱領は、世界平和のための闘争、アメリカ帝国主義と日本の反動勢力による侵略戦争準備への反対の闘争とともに、サンフランシスコ体制の打破、いっさいの売国的条約、協定の破棄、沖・小笠原の返還、米軍の撤退と米軍事基地の一掃など、独立のための闘争任務を当然に強調している。そして、すでに綱領問題についての報告(一)において、つぎのように正しく指摘した。

 「サンフランシスコ体制の本質は、平和と日本民族への裏切りであるにもかかわらず、独占資本は、その本質はそのままにし、情勢の変化に応じて若干の『調整』をおこない、人民の不満と闘争をそらそうとしている。またそれだけでなく、条約の『双務化』という名目によって、アメリカ帝国主義のための戦争に出動する義務を日本軍隊に負わす計画さえ考慮している。」

 安保条約改定の陰謀を、すでに警職法改悪反対闘争の時期から、わが党は先駆的に指摘した。わが党が、二つの敵の新しい攻撃について、いちはやく明確にとらえて、警鐘をうちならし、周知のような大闘争へ民主勢力とともに前進してきた基本は、日本の現状の認識、二つの敵との闘争、具体的な闘争任務において、わが党が第七回党大会の正しい規定にたったからである。それらは党章草案の基本的立場とおなじものであった。
 三中、六中総、十一中総において、わが党は、警職法闘争から安保闘争へと相つぐ大衆闘争の高揚と前進の方向を確固としておしすすめた。これらの方針の前提となっているのは、いうまでもなく、第七回党大会の政治報告および行動綱領に示された現状認識と闘争方向であった。
 このことは、安保条約改定の本質についてのつぎの分析にあきらかである。

 「今日まであきらかになっている今回の改定方向は、若干の形式的な双務化をとるということで独立をもとめる人民の要求をごまかしつつ、本質的には日本の独立をますます困難にするものである。それは、戦争と従属の体制であるサンフランシスコ体制の本質が維持されるだけでなく、とくに軍事的にはアメリカの戦略体制にいっそうかたくむすびつけられる点で、きわめて危険な方向である。」(三中総)

 わが党中央委員会は、これらの闘争方針をたてるにあたって、サンフランシスコ条約で日本は基本的に独立し、安保改定は自立した日本帝国主義の対米平等化への前進である、日米関係の基本は対立と闘争にあるというトロツキストや修正主義者に共通する安保改定論を一貫してしりぞけてきた。それは、わが党の第七回党大会の政治方針の基本方向と根本的にあいいれないものであった。このような誤った安保改定論からみちびきだされる戦術は、必然的に主として日本独占とだけたたかえという「一つの敵」論であった。そしてまさにその点においては、わが国のトロツキストから右翼社会民主主義者、さらに修正主義者が、それぞれの性格の差異にかかわらず実践的には一致してわが党の政治路線に反対するところであった。わが党は、これらの誤った見解の、党および党指導部への侵入の危険と不断にたたかいながら、確固として二つの敵にむかっての闘争を堅持した。わが党は、岸内閣打倒だけでなく、アイゼンハワー来日阻止のスローガンをいちはやくかかげるとともに、安保改定阻止国民会議に提案して、これをわが国の労働者階級と人民の共同の方針とすることができた。また、民主勢力が国会および政府への相つぐデモンストレーションとともに、アメリカ大使館やハガチー来日への抗議の大示威運動を敢行して、ハガチーにかれが訪れた国の最大の示威運動といわざるを得なくさせたのは、二つの敵にむかって日本人民が不屈のたたかいを敢行したからであった。
 さらにわれわれは、この三年間の沖縄県民の英雄的闘争、新島のミサイル基地化反対、日本全土の米軍基地反対、ミサイル基地化反対、自衛隊の核武装反対の闘争などの不断の発展をみている。これは、まさにアメリカ帝国主義と復活しつつある日本軍国主義へのきびしい闘争にほかならない。それは、独立と民主主義、平和のための闘争である。
 わが党は、この三年間、つねに沖縄県民の独立と民主主義、平和の要求を安保条約改定反対、破棄の闘争、核武装反対の闘争と結合して、一貫した重要な闘争スローガンとしてかかげてたたかってきた。一九五九年には、野蛮な死刑法をふくむ文字通りどれい的な神縄の集成刑法の改悪に反対する闘争のイニシアチブをとり、これを民主勢力の共同の声にたかめた。沖縄県民の抗議闘争は燃えあがり、アメリカ帝国主義者は、無期延期を表明せざるを得なくなった。沖縄県民は、現地の売国的なブルジョアジーや右翼社会民主主義者の裏切りにもかかわらず、一貫してアメリカ帝国主義と売国的な反動層とのたたかいをつづけ、アメリカ帝国主義の凶暴な暗黒支配に抗して、祖国復帰、核武装化反対の声はいっそうはげしく、より広範な声となり、大衆的な統一行動化しつつある。
 アメリカ帝国主義の植民地的支配下にある沖縄の現状は、日本独だけを主敵にすえた「一つの敵」論者のいうように、日本政府の政策転換を要求することを主とすることで、または反独占闘争を主とする闘争で変革できるものでは断じてない。事実上アメリカに沖縄の占有をゆるしたサンフランシスコ条約第三条の破棄をふくむサンフランシスコ体制の打破をめざしつつ、沖縄と本土の日本人民の一体となったアメリカ帝国主義との不断の闘争によってこそ、アメリカの沖縄永久占領の土台をゆるがすことができる。それは、当然日本本土の安保条約破棄、米軍軍事基地の撤去、米艦隊の入港反対などのアメリカ帝国主義と日本独占資本の原子戦争準備への系統的な闘争と結びつくことで、文字通り全日本的な愛国正義の連帯行動となることができる。
 沖縄県民の闘争を、わが日本の労働者階級と人民のおかれた一般的な状態と関係のうすい例外的な闘争と見るものがいる。すなわちかれらは、日本はすでに帝国主義的に自立し、日本におけるアメリカ軍の基地保有は日本独占資本の自発的意思によるものだから、本独占を戦略目標としてたおすことで社会主義へいける、沖縄、小笠原がアメリカの手に残っても、中国の台湾におけると同様に日本社会主義国になることをさまたげない、というように主張する。このような論者の手によっては、いままでも、沖縄、小笠原の人びとが日夜熱望する祖国復帰、サンフランシスコ条約第三条の破棄が達成されないで、アメリカ帝国主義が安全に沖縄にいすわることを許すだけでなく、日本が社会主義へすすむこともけっしてできるものではない。
 アメリカ帝国主義が、わが本土に今日も数万の軍隊をおき、制海制空権をにぎり、日本を軍事的に制圧していることと、沖縄、小笠原の植民地的支配の継続とは、日本を全体として軍事基地化し、日本の自主的な統一的な平和的な発展を阻止し、日本人民の解放闘争を阻止するという根本目的において統一されているのである。そして、アメリカ帝国主義が体制的に日本を従属させている現実の法制化が、沖縄、小笠原の占領と日本への外国軍隊の駐留をみとめているサンフランシスコ条約第三条、第六条であることは明白である。先日アメリカを訪問して「対等」に待遇されたと称して無上の光栄に感激している池田首相が、沖縄、小笠原の日本返還について、すこしも「対等」の返還要求をおこなわなかったことは、けっして偶然ではない。
 沖縄の闘争の実践は、わが党の政治路線と党章草案の基本的見地の正しさを実証しているとともに、わが党の二つの敵との闘争、サンフランシスコ体制打破の路線を根本的に否定しようとする綱領的もくろみをきびしくしりぞけるものである。だからこそ、このような闘争の路線こそ、わが国の解放を早めるとともに、沖縄、小笠原の解放を早める唯一の正しい道である。沖縄の民主勢力の先頭にたっている人びとが、わが党の綱領草案を熱烈に支持していることを私は代議員同志諸君におつたえする。
 三中総、六中総は、二つの敵とたたかうという基本的見地から、安保改定と合理化反対闘争の関連を明白にした。それは三池闘争におけるわが党の基本方針となった。

 「合理化反対の闘争方針は、すでに三中総以来、党がかかげてきたところである。今日の問題は、安保改定と合理化攻勢との相互関係を明らかにし、この二つの闘争を統一発展させる観点でとらえることである。現在の合理化攻勢は、安保改定と緊密な内面的つながりをもち、対米従属下の日米軍事同盟の強化と日本帝国主義の復活を一体のものとしておしすすめている」(六中総決議)

 現実に安保闘争の高揚は、三池労働者の闘争に大きなはげましと全国的な連帯意識をつとめた。党は、三池闘争を安保共闘の全国的共闘課題の一つにすること、三池の労働者の現地の統一と団結をつよめる見地から、首切り反対、合理化反対の闘争を安保闘争との関連で正しくつかむことで、政治的組織的闘争力をつとめることをめざした。そして三池闘争を炭鉱労働者の産業別統一闘争として発展させつつ、全労働者の政治的経済的統一行動をつよめること、三池闘争を安保共闘の全国的な共闘課題の一つにすることを一貫した方針とした。そして、日本政府の対米従属的なエネルギー政策と安保改定問題、サンフランシスコ体制との関連をあきらかにし、石炭斜陽論を資本家合理化の口実にすることを拒否した。
 このような方針にたって、はじめて安保闘争を中心とする全国的な闘争の高揚と正しく結合して、三池闘争の持続的発展と全国的な合理化反対闘争をより有利にすすめることが可能であった。また最初の藤林あっせん案にたいして、党中央は、正しい態度を示し、これを拒否してたたかうことに炭労大会を一致させ、さらに再度のあせん案にたいして、白紙委任というような敗北的な方針がおこったとき、正しい見地を貫くことができた。
 三池の闘争は、政治報告がのべているように、首切りを最終的に阻止できなかったとはいえ、光栄ある英雄的な闘争として不滅のものである。それは、全体として巨大な大衆闘争、大衆行動として労働者の生活と権利を守るための不屈さと戦闘的創意を発揮した。そこからの最大の教訓は大衆闘争と統一行動をつとめ、共、社、労組をふくむ全国的な地方的な共闘をつよめ、全人民的な課題の一翼として、労働者階級と人民の真の敵である二つの敵の実体と政策をあきらかにしてたたかうことが、労働者の生活と権利を守る最大のとりでであるということである。
 一部の右翼社会民主主義者、修正主義者は、口では大衆闘争、抵抗闘争を一応みとめるかのようにいいつつも、事実上労働者と人民の団結と現実の闘争を守るということを重点にせず、あたかも「構造改革論」的な戦術指導がなかったことが最大の欠陥であるとのベている。だが、それはまったく正しくない。事実をみるならば、新島闘争ひとつとってみても、「政治休戦」をもちだしたこの種の敗北的日和見主義的戦術指導、日本における「構造改革」論にもとづく戦術路線が三池闘争においては、それほどつよくなかったことこそが、三池労働者の戦闘的なエネルギーを、あのように長期にわたって輝かしいものとして、今後の日本の労働者階級に大きなはげましをあたえているのである。
 この三年間の闘争の実践からみても、草案の基本的見地は正しいという確信は、全党討議のなかで、たたかい、党勢を拡大した圧倒的多数の同志諸君がとくに強調したところである。
 党中央委員会は、政治報告もあきらかにしているような、わが国の人民とわが党の大きな闘争と前進の年であったこの間の実践の検証にたって、草案の現状分析と革命の展望を提起している。

   五

 国際共産主義運動の最近の理論的実践的発展からしても、わが綱領草案の基本的見地の正しさをわれわれは確信できる。党章草案が発表された一九五七年にモスクワで、社会主義諸国十二ヵ国の共産党・労働者党の歴史的な宣言が発表されたが、国際情勢の分析、なかんずくアメリカ帝国主義の役割について、アメリカ帝国主義がつよい影響力をもつ発達した資本主義国の当面する歴史的任務について、革命の平和的移行の可能性の問題について、基本的に一致していた。そのことは、中央委員会の綱領問題についての報告の諸命題の内容においてもみることができる。
 この点では、このモスクワ宣言について書かれたソ連共産党の理論機関誌「コンムニスト」の無署名論文が、わが党の草案をふくめて一連の共産主義諸党の綱領的文書について、「創造的マルクス・レーニン主義の精神でつらぬかれ、具体的な民族的歴史的条件と特質を全面的にとりいれている」と書いていることを思いおこしてよかろう。しかもわが党中央委員会は、第七回党大会にのぞむあたり、さらにいっそうモスクワ宣言の教訓にまなび、大会議案にそれを生かすとともに、大会においてモスクワ会議の「宣言」と「平和のよびかけ」を一致して支持する決議を採択した。
 第七回党大会後の三年間の、国際共産主義運動の最大の歴史的事件は、いうまでもなく八十一ヵ国の共産党・労働者党の代表の参加によっておこなわれた一九六〇年のモスクワ会議の成果である。
 わが党中央委員会総会は、さきにこの会議の「声明」と「世界各国人民へのよびかけ」についての完全な支持を決議した。
 声明は、まず一九五七年のモスクワ宣言と平和のよびかけについて、「創造的マルクス・レーニン主義のこの綱領的文書は、こんにちのもっとも重要な問題についての国際共産主義運動の原則的な態度を決定し、共通の目的をめざすたたかいにおける各国共産党・労働者党の努力の結集を大いに促進した。これらの文書は、国際共産主義運動全体にとって、依然として戦闘的な旗じるしであり、行動の指針である」とのべている。
 一九六〇年のモスクワ声明は、周知のように、われわれの時代の内容、特徴、人類社会の歴史的発展のおもな内容、おもな方向、おもな特徴を決定しているものについて、一九五七年の宣言を豊かに具体的に、発展させる分析をおこなった。声明は、戦争と平和の問題、社会主義体制の新しい発展段階、植民地主義への闘争、資本主義諸国の闘争などの全般にわたって、この三年間の闘争の実践の総括にもとづく深い解明をおこなった。
 私は、声明のなかの、これらの部分をここに引用してくり返すことはしないが、同志諸君はこれらの重要な諸命題を十分思いうかべていただけるだろう。
 これらの諸命題をつらぬく壮大な交響曲は、世界の共産主義の勝利、社会主義世界体制と平和、民族独立、民主主義、社会主義のための諸運動の勝利の展望をたからかにひびかせている。そして、共産主義社会の全面的建設を成功のうちに遂行しつつ、世界平和のもっとも強力なとりでとなっている偉大なソ連邦を始め、その革命の勝利によって、アジアにおける帝国主義の地位に手痛い打撃をあたえた中華人民共和国の社会主義の躍進および強大な社会主義陣営を形成しているすべての社会主義諸国――われわれは、この社会主義世界体制が、人類社会発展の決定的要因に転化しつつある時代に生きているという確信と展望につらぬかれている。
 同時にそのことは、まだ権力を獲得していない諸国人民と労働者階級の前衛党、マルクス・レーニン主義諸党が、それぞれ自国の解放と革命のために負っている、独自の重大な責務の遂行が、人類社会発展の方向を決定するうえできわめて重要な意義をもつことをいささかもあいまいにするものではない。声明はこれを十分あきらかにしている。

 「帝国主義的な抑圧と搾取に対抗して、すべての革命勢力が統一されつつある。社会主義と共産主義を建設している諸国民、資本主義諸国における労働者階級の革命運動、被圧迫諸国民の民族解放闘争、一般民主主義運動など―現代のこれらすべての偉大な諸勢力は、一つの流れに合流して、帝国主義世界体制を侵しょくし、これを破壊しつつある。こんにちの時代の中心になっているのは、国際労働者階級と、その主要な生みの子である社会主義世界体制である。この二つは、平和、民主主義、民族解放、社会主義および人類進歩をかちとる闘争における勝利の保障である。」

 国際労働者階級とその生みの子、社会主義世界体制――この二つは人類社会発展の創造的推進者として、時代の中心にすわっている。そして、わが日本の労働者階級も、まさにこの国際労働者階級の一翼としての重大な責務を負っている。

 「各国の共産党は、革命の展望と課題を自国の具体的な歴史的、社会的諸条件に応じて、また国際情勢を考慮にいれて決定する。共産党は、社会主義の勝利までじっと手をこまねいていることなしに、すでにいまの条件のもとで、労働者階級と人民大衆の利益を守り、生活条件を改善し、人民の民主的権利と自由を拡大するために、あらゆることをおこなうとして献身的なたたかいをすすめている。人民を資本のくびきから解放する闘争が、おもに自分の肩にかかっていることを認識している労働者階級と、その革命的前衛は、さらにいっそう精力的に各国の政治、経済、イデオロギーのすべての面で、抑圧者と搾取者の支配にたいして攻撃をおこなうであろう。」

 自国の解放の闘争が、「おもに自分の肩にかかっている」ことを十分自覚した労働者階級と革命的前衛であってこそ、今日の時代の特徴、人類社会発展の内容、方向などを主体的に理解し、国際労働者階級の一翼としてのプロレタリア国際主義と、自国の人民の幸福のためにたたかう愛国主義を正しく結びつけて実践することができる。
 社会主義世界体制の成長、発展は、その経済建設において、また平和と植民地主義反対の対外政策において、解放のためにたたかっている諸国人民の闘争にますます増大する影響をあたえ、たたかいの条件を大いに有利にしている。しかし、忘れてならないことは、世界的規模で社会主義と平和の勢力が帝国主義と戦争の勢力よりまさっているということと、解放されていない各国の人民の現実の力が、その国の支配層の力より強大になっていないことは別のことである。まだ、解放されていない国では、反動勢力が支配権をにぎっているからこそ、解放されておらず、だからこそこの力関係を根本的に転換する革命的闘争が、労働者階級の前衛の双肩にかかっているのである。
 わが党中央委員会は、第七回党大会の政治報告においても、党章草案においても、国際情勢が社会主義と平和、民族解放、民主主義の側に、日ましに有利になるという展望と、自国の解放の責務が主としてわが労働者階級と人民、わが党の奮闘にかかっていることを、正しく統一して理解し、この立場から理論上、政策上、実践上のたたかいをすすめた。そしてそのことによって、安保闘争の発展が示すように、自国の労働者階級と人民の前進と国際的な反帝平和戦線の強化に重要な貢献をすることができた。
 わが党の綱領草案の見地は、この点においてモスクワ声明の内容と完全に一致している。
 党章草案とそれについての報告および第七回党大会の政治報告は、アメリカ帝国主義の対日支配について、またそれと日本独占資本との関係について分析と評価をあたえた。その後二ヵ月して発表されたモスクワ宣言のアメリカ帝国主義についての分析は、われわれの分析と基本的に一致するものであった。
また、わが党中央委員会は、前大会いらい一貫して、アメリカ帝国主義に日本独占資本が従属的に同盟し、対米従属によって社会主諸国と自国の人民の闘争の高揚にたいして、自己の地位の安全をはかりつつ、帝国主義的軍国主義的復活の道にのりだしているという、二つの敵の関係をくり返し分析した。そして、今日、日本独占資本はアメリカ帝国主義に従属しながら、対外膨張政策にのりだしているが、まだ帝国主義的自立を完了しているものではなく、上の対米従属国の状態にあることをあきらかにしてきた。
 このことは、第二次大戦前、帝国主義国が敗戦によってほかの強大帝国主義国の事実上の従属国に転化するというレーニンの予見の正しさをしめすとともに、多数の軍事基地や沖縄、小笠原の現状などが端的にしめしている、わが国の歴史的具体的な諸経過によって、日本の対米従属は質的に深いことを実証している。
 声明は、今日の時代のもっともさしせまった問題である戦争と平和の問題についても、「侵略と戦争の主勢力は、アメリカ帝国主義である」ことを指摘するとともに、東西の戦争の基地としての日本と西ドイツの問題に当然特別の注意をはらった。

 「アメリカ帝国主義者は、極東でも戦争の策源地を積極的に復活させている。かれらは、日本の反動的支配者集団とぐるになって、日本人民の民族独立をふみにじり、また日本人民の意思に反して、日本に新たな軍事条約をおしつけたが、この条約は、ソ連、中華人民共和国、そのほかの平和愛好諸国家にたいし、侵略的目的を追求するものである。」
 「軍拡競争を停止し、原子兵器の実験と製造を禁止し、在外軍事基地をとりはらい、他国にある外国軍隊を撤退させ、軍事ブロックを廃止し、ドイツと平和条約を結び、西ベルリンを非軍事化された自由都市にし、西ドイツの報復主義者の策動にとどめをさし、日本軍国主義の復活をゆるさないこと――こうしたことはなによりもまず平和確保のために解決しなければならない課題である。」

 モスクワ会議は、もちろん特別に日本問題を議題としたわけではないが、国際政治の包括的分析として、アメリカ帝国主義のアジアにおけるもっとも有力な戦争の策源地である日本における軍国主義復活阻止の意義をあきらかにしているのである。
 一九五七年のモスクワ宣言はつぎのように、アメリカ帝国主義がつよい影響力をもっている国についてのべている。

 「アメリカの独占体が自分に従属させようとしている資本主義諸国や、アメリカの経済的、軍事的膨張政策にくるしめられている国ぐにでは、平和をまもり、民族独立と民主主義的自由をまもり、勤労者の生活条件を改善し、急進的な農地改革を実施し、民族の利益を裏切っている独占体の専制をたおすために、労働者階級とその革命政党の指導のもとに、もっとも広範な住民各層を統一する客観的な条件が生まれつつある。」

 一九六〇年のモスクワ声明は、この命題はさらに具体化してつぎのようにのべている。

 「アメリカ帝国主義の政治的、経済的、軍事的支配下にあるヨーロッパ以外の発達した個々の資本主義諸国では、労働者階級と人民大衆の主要な打撃は、アメリカ帝国主義の支配ならびに民族の利益を売り渡している独占資本とその他の国内反動勢力にたいしてむけられている。このたたかいのなかで、真の民族独立と民主主義の達成をめざす革命の勝利のためにたたかっている民族のすべての民主的、愛国的勢力は、統一戦線に結集しつつある。真の民族独立と民主主義を獲得することは、社会主義革命の任務の解決に移行する条件をつくりだすのである。」

 わが党は、第七回党大会の諸文献やそれいらいの中央委員会の一貫した諸方針のなかで、日本が独占資本主義の段階まで発達した資本主義国でありながら、対米従属状態にあることをあきらかにし、党章草案いらいの綱領的展望においては、独立と民主主義を中心任務とする革命から、社会主義革命へ発展する道をあきらかにした。わが党の革命路線は、二つの国際共産主義運動の綱領的文書の命題と合致している。この命題は、発達した資本主義国における民主主義革命の達成が、社会主義革命への移行の条件をつくるという新しい問題を、マルクス・レーニン主義の創造的な適用によって新しく理論化したものとして重要な意義をもっている。
 従来、民主主義革命といえば、植民地における反帝反封建の民主主義革命か、戦前のように発達した資本主義下でも絶対主義的天皇制に反対し土地と自由のための民主主義革命が、典型的なものとされていた。もっともわが国の社会民主主義者のあるものは、戦前から今日にいたるまで、資本主義国においては民主主義革命から社会主義革命への発展ということはありえないという、非現実的な独断を強調しつづけているが、それは別として、マルクス・レーニン主義の革命理論は、革命の段階性と連続的発展の問題に、レーニンの『二つの戦術』いらい深い注意をむけてきた。そして第二次大戦後のあたらしい事態のなかで、経済関係に半封建的な残存物が支配的でない国で、かつ独占資本主義段階に達した国で、民主主義革命から社会主義革命への発展がおこなわれた。一つは一九四五年から開始されたチェコスロバキアの民族民主革命から社会主義革命への道であり、それはドイツ帝国主義と売国的な反動的な独占ブルジアジーに反対する民主主義革命から社会主義革命への発展であった。一つは、ドイツにおける一九四五年の反ファッショ人民革命、すなわち反独占民主革命から社会主義革命への転化の道である。この二つの革命の経験は、これらの国の労働者階級が、自国の条件におうじて、「民主主義のための全面的な、一貫した革命的闘争を行わないようなプロレタリアートは、ブルジョアジーにたいする勝利の準備を整えることはできない」(「社会主義革命と民族自決権」)というレーニンの精神を、創造的に適用したものとして大きな普遍的な意義をもっている。わが党はまた、わが国の条件におうじて、このレーニンの教訓を創造的に適用しているのである。さきに引用した一九六〇年のモスクワ声明の命題の画期的意義は、国際共産主義運動の綱領的展望の一つにこれを位置づけたところにある。
 知られているように、モスクワ声明は、国家独占資本主義制度全体に主要な打撃をあたえる型の国の命題にふれているが、それが当面ただちにどういう革命に直面するかは規定されていない。したがって、反独占民主革命から社会主義革命という道をとるか、ただちに社会主義革命へすすむか、などの問題は規定していない。それはそれぞれの国の歴史的具体的条件によって各国の党が決定する問題である。したがって、この命題を解釈して、それが一義的に社会主義革命を意味しているとかいう解釈は成立しない。このことは反独占闘争を、当面歴史的段階を画する民主主義的闘争課題として、かつ民主的な人民権力の確立の任務と結合して提起し、そこから社会主義へすすむ展望をしめしている党があることにもあきらかである。

   六

  (1)

 春日庄次郎その他の反党的な修正主義者、分裂主義者については、すでにアカハタにおいて、わが党の綱領草案へのかれらの攻撃にたいする詳細な反論が発表されている。かれらの攻撃は、すでに一年前から党外ジャーナリズムで、党の原則を破って党の政治路線に攻撃を加えていた一部の修正主義者のそれとまったくおなじ基調に立っている。それは社会民主主義の右翼的潮流のわが党綱領草案への攻撃とも多くの共通点をもっている。かれおよび一連の分子の反党的な分派活動は、綱領草案反対その他のさまざまな口実をならべたてていて、きわめてヒステリックに悪バと中傷をつくしている。これはかれらの見地のつよさや確固さを示すものではなくて、反対に三年間の全党の実践で孤立し国際共産主義運動の成果を裏切り、破滅にひんしたかれらの悪あがきの現われである。
 第七回党大会で採択された政治報告と行動綱領には、党章草案のなかの基本的命題が革命の性格の問題をのぞきかなり含まれていた。春日らは、政治報告と行動綱領に賛成した。すくなくとも賛成するという態度を表明した。その後、党中央委員会はかれを含めた綱領問題小委員会をつくり、討議をつづけた。そして、十中総直前小委員会で一致して承認された小委員会の討議のつぎのしめくくりには、かれらも賛成した。すなわち、①すでに七回大会で克服されたように、「日本は基本的には独立している」との見解は、最初から問題になりえなかった②「日本は事実上の従属国の状態にあり、アメリカの半占領下にある」ことについて、全員が一致した③また「独立が戦略的課題である」ということも、討議の結果、全員が一致してみとめた④このように、約二十回の討議によって、見解の一定の接近をかちとり、討論の内容もふかめられた。この意味で討議は全体として前進した⑤しかし、委員の多数が党章草案の見地を支持したけれども、少数の委員は、これにたいして当面の革命を社会主義革命とする見地をとった⑥討議は、けっきょく綱領問題解決のかなめとなる点は「革命は権力の問題である」とレーニンが指摘したとおり、とくにわが国における権力問題の把握であることを明らかにした。
 十中絵においては、春日らの理論だけでなく、内藤、原らの『団結と前進』の論文が批判された。今日では、アジア・アフリカをふくめすべての国の当面する革命段階は社会主義革命とする原の主張は、マルクス・レーニン主義にもとづく革命論の原則的な誤りであることが指摘され、かれもみずから論文の取消しを表明せざるをえなかった。内藤も、サンフランシスコ条約によって基本的に独立したという見解をとりさげざるをえなかった。十中総における中央委員会の意思統一はこのような前進をとげた。
 ところが、かれらは、その後党外で、佐藤昇らが反党的な執筆活動を展開するなかで、すでに小委員会でかれらも一致して到達した見地をなげて、佐藤らとおなじ立場に転落していった。十六中総が二十数日間にもおよんだことは、党中央が民主的な討議を保障し、党中央の意思統一をかちとるために類例のない努力をそそいだことをあらわしている。しかし、それは成功しなかった。なぜなら、かれらは「佐藤理論」の非実践的な形式論の泥沼に深く足をおろしているだけでなく、この中央委員会の期間の長期にわたったことを利用しながら、多種の口実で党機関にかくれた分派的な連絡をとり、相互に激励しあって、分派として定着する危険をふかめた。にもかかわらず、党中央委員会幹部会は、十六中総における少数意見の紹介のために積極的な態度をとり、みずから提案して、すでに「アカハタ」号外で発表したような方針をとった。
 しかるに、かれらの多くは、この幹部会の誠実な善意の提案を逆用して、十六中で敗れたかれらの陣地を分派的に再構築するために、悪質な陰謀にでた。つまり、意見の発表を保障するというこの機会に、これまで提起したこともない党の政治路線と実践への反党的なひぼうのカンパニアを計画的に分担して開始するという計画であった。このことは、かれらが公然と党破壊の分派主義者の正体を露呈した今日、いよいよ明白である。当時すでに党中央以外の若干の分子のあいだでは、春日らが意見発表を行なう条件を「かちえた」とか、かれらの文章がでれば党は分裂するだろうなどとささやかれていた。このことと、中央委員会だけに限定して報告された他の問題が、その後党を脱走し、党から処分をうけ、春日らの反党活動に参加している二、三の反党分子によって流布されていた事実と照合するならば、これらの悪質な反党的な諸活動の中心に春日らがいたことは、今日では一層あきらかである。さらにかれらのあいだに明白な分派的な共謀関係があったことは、たとえば十六中総で提起しなかったようなことが、意見書のなかで符節を合わせたように、春日庄次郎と山田六左衛門によって重大問題であるかのように強調されていたり、山田が締切り日がすぎるのに、原稿提出を事前春日庄次郎に連絡するなど、「不可解な」いくつかの事例が実証している。
 このようにして、十六中の決定は、中央委員会の意見を加えて発表するということから明白なように、十六中総での意見を中心にし、当然従来の発言、意思表示の範囲にかぎられるべきことがあきらかであるにもかかわらず、春日、亀山、西川、原など、かれらの多くは、中央委員会の集団的討議をへて、中央機関の役員は全党的な必要な問題提起をおこなうという当然の民主集中制と集団指導の原則を破って、かれらの個人的な分派的なもくろみを全党の団結の原則のうえにおいて、この機会を最大限に悪用しようとしたのである。党内民主主義は、当然党の団結の保持という大前提のなかでこそ、民主集中制の原則のもとに保障されるのである。しかも党中央は、かれらの意図の分裂主義的な危険を予知しながらも、団結の範囲でできるだけ討議を民主的におこなうために提出された意見書のなかからも投稿扱いとして発表しうる措置も考慮して、その措置をとりさえした。春日の綱領草案についての意見書は、全体としてきわめて漫バ的なものであり、基本的に内容のないものであるが、かれが前大会において反対意見の中心であったことを考慮して発表することにした。また、内藤、内野のもの、無責任な漫バに類するものがかなりふくまれているけれど、なお、かれらの反対論を「理論的」に代表するものとして、大会特集号の『前衛』八月号に収録する措置をとった。春日はこの措置について連絡したとき、みずからことわってきたので、当然掲載されなかった。
 以上の点からみて、党中央委員会幹部会が、民主集中制の原則にもとづき、大会前に最大限に民主的な討議をおこなうため提案した十六中総の決定が、十七中総の方針へ変更を余儀なくされる結果となったのは、かれら自身の無責任な陰謀的な行為によるものである。根本的には、十六中総の決定の趣旨を逸脱し、個人中心主義的な見地から悪用しようとした、かれら自身の責任である。党中央委員会は、十七中総の決定によって、党中央自身がかれらの陰謀にのせられ、自由主義のあやまりにおちいる危険を正しくふせいだのである。にもかかわらず、自分たちが党の多数から支持されない現状をまん着するために、事実をゆがめて、かれらの以前からの党かく乱の野望を隠ぺいしようとすることは、二重に虚偽である。

  (2)

 さてそれならば、今日はすでに党から放送された反党分子に転落している、かれらの「理論」の反マルクス・レーニン主義的本質はどこにあったのだろうか。すでにこれについては、党中央の詳細な批判が「アカハタ」号外に発表されているので、かんたんに特徴点だけをのべるにとどめる。
 第一、春日がかいた『前衛』一九五七年十二月号の論文に典型的にしめされているように、かれの見地はアメリカ帝国主義の侵略的本質をみることができないだけでなく、事実上これに不当な善意な期待をかけることでかざりたてる結果になる。かれはその論文のなかでしきりに、民主的な政府が要求すれば、アメリカ帝国主義は、安保条約の破棄、サンフランシスコ条約の改廃などをこばみえないだろうと一面的な強調をおこなっており、人民の政府ができれば、「適法的に基地、駐留軍、沖縄の返還を要求することができるし、アメリカ政府はこれをこばむことはできない」などとかいている。
 ラオス、キューバの事態、沖縄の瀬長市長選挙への弾圧の教訓がしめすように、帝国主義者はけっしてやすやすとその侵略や干渉を中断するものではなく、権力獲得以前の民主政府の提案を「こばむことはできない」ときめてかかることは、帝国主義の侵略性への日和見主義的評価である。
 これは、モスクワ宣言ものべたように、帝国主義の圧迫にたいする屈服に根源をもつ日和見主義であり、帝国主義者の圧迫のためその敵の本質を正視することができず、それとの闘争を回避しようとするところからくるものである。人民権力の確立こそが、民主的な対米要求の根本的な達成の保障である。
 第二、前掲の『前衛』論文にある革命の平和的移行唯一論に典型的にみられるように、社会民主主義的見地への完全な転落である。わが党は、このモスクワ声明とまったく同じ立場にたって、平和的移行の可能性を実現することが、労働者階級と全人民の利益に、民族全体の利益に合致するという見地をとり、その可能性を表現するために当然力をつくすものであるが、闘争の経過はわれわれの意図だけにかかるものでなくて、敵の出方による、と正しい立場に一貫してたっている。春日の「唯一論」は、口では「平和移行必然論ではない」といいながら、事実上はモスクワ宣言の命題を完全にふみにじっているのである。これは、口で反独占闘争を呼号しながらも、事実は独占資本の売国性、反動性、凶暴性を正視できず、これを一面的に修飾し美化する理論の役割をはたす。したがって、根源的には、この日和見主義は、国内的にはブルジョアジーの影響をうけ、対外的には帝国主義の圧力に降伏することである。そして、ここから、民主的な統一戦線政府の樹立から社会主義革命にいたる道程のなかで、民主的な人民権力の樹立なくしてアメリカ帝国主義の駆逐が保障されたり、漸次的、合理的、民主的に、社会主義革命へのなしくずし的な移行が「唯一の道」として保障されているかのような、徹底的に社会民主主義的な「革命論」が生まれる。
 このような春日が、党から脱走するにあたって発した文書のなかで、わが党の綱領草案を、「……あの火炎ビン時代の五一年綱領の系統をふむもの」とひぼうしているのは、二重三重に、その反党的反階級的本質を暴露したものである。すなわち、わが党は、いわゆる五一年綱領を正式に廃止したが、このことは五一年綱領のなかの、平和的移行の可能性を全般的に否定している見地をとらないことを意味する。わが党は、国際共産主義運動の一致した命題にもとづいて、人民の側の意向だけでこの問題を決定することはできないという、階級闘争の弁証法を知っている。同時に、人民の団結統一戦線とわが党を全般的につまめることで、平和移行の可能性を実現する条件をつよめるために努力するものであることはいうまでもない。したがって、綱領草案と五一年綱領草案を同一視するのが故意のわい曲であることは明白だが、かれがあえてこれをするのは、一方において、徹底的な社会民主主義理論への転落をしめすと同時に、一方においては反動勢力のわが党への弾圧を挑発しようとする低劣な意図によるものである。
 第三、春日は、さいきん平和共存は世界革命の戦略であるということをもちだし、一面においてあたかも社会主義諸国の平和共存政策への熱烈な支持者であるかのようなみせかけをとりながら、わが党が平和闘争を軽視しているかのようにひぼうしているが、この真のねらいは、社会党のアメリカとも仲よくという政策の密輸入にすぎない。すなわち、帝国主義者に侵略され抑圧されている植民地、半植民地、従属国の諸民族にたいしても、民族解放闘争の課題を平和運動一般に解消させ、しかもその闘争を一面的に拘束し、事実上抑圧者と被抑圧者の現状のままでの「平和共存」を世界戦略の名において説教する帝国主義侵略者への妥協の理論にすぎない。
 もちろん、わが党は平和のための闘争が、社会主義世界体制の世界政策であると同時に、すべての人民の第一義的課題であるとしていることはいうまでもない。しかし、春日らのような、民族解放闘争の戦略的意義のまっ殺にみちびくための世界戦略論なるものは、モスクワ声明を小ブルジョア平和主義によってふみにじるものである。
 第四、しかもかれは独占をたおすことは、社会主義革命以外にありえないという教条主義的独断を固執し、マルクス・レーニン主義の革命論を日本の現実に創造的に適用することを拒否している。結局、事実上、歴史的理論的に世界共産主義運動で検証されたマルクス・レーニン主義革命論の宝庫にはいっている反帝反独占民主革命、反独占民主革命を全般的に否定する。かれらは、口では反独占民主革命をみとめる場合もあるが、反独占民主革命は社会主義革命の第一段階であるとすることによって、歴史的段階としての反独占民主革命の解決を原則的に否定するのである。そしてそこから、一九六〇年のモスクワ声明が資本主義国の革命闘争の一つの型として定式化した反帝反独占の民主革命についてのほおかぶりと、その日本への適用の拒否が生まれている。
 第五、かれは、マルクス・レーニン主義党の組織原則を、小ブジョア的な討論クラブに修正する理論をみずから実践した。かれは、『前衛』の論文で、党内における意見の相違は当然なことで、それは党を活気づけ、問題はその処理に熟達することであるという、一見合理的にみえることをのべたが、これには多くのあいまいなごまかしの要素がひそんでいる。党内に意見の相違は当然あるということで、マルクス・レーニン主義の原則に反する日和見主義的理論を合法化することはできない。党規約が、意見の保留をみとめていることは、意見の相違がありうるということを前提にしているものであるが、そのことは、原則的に誤った意見にたいしては、それを克服するための批判によって、マルクス・レーニン主義党が理論的な思想的な一致を確立することが、きわめて重要な任務であるし、マルクス・レーニン主義党としてはそれが可能であることをあいまいにしてはならない。同時に、日常の実際上の問題については、適当に必要な妥協と譲歩によって、実践の一致が確保されねばならない。意見の相違は、固定化されるべきではなくて、原則的に、また実践的に解決されなくてはならない。しかるに、一部の反党分子は、党内外における公然たる批判の自由と称して、党外の刊行物で公然と党を攻撃し、党内における党批判の文書散布を合理化しようとしているが、これは党の組織原則を小ブルジョア党に変質させる修正主義である。
 モスクワ声明は、現代修正主義の特徴の一つとして党を小ブルジア的討論クラブにする試みをあげている。
 春日はこの道を公然と歩んでいるのである。
以上のような春日の主張し実践してきたことは、かれがその間さまざまな動揺をくりかえしな がらも、結局第七回党大会後闘争と団結のなかで全党の努力でかちとられた方向を裏切り、またわが国の革命運動と党の革命的伝統を裏切り、プロレタリア国際主義と祖国愛の統一の見地をふみにじり、裏切るものである。

  (3)

 かれにつづいて党の分裂とかく乱、第八回党大会の破壊の活動を開始した山田、内藤、西川、亀山、内野、原らは、春日の根本的誤びゅうをひきつぐとともに、それぞれ各種の無原則的な誤り、日和見主義のあらゆる変種を示している。かれらの「理論」的な代弁者である内藤、内野については、すでにアカハタで詳細な批判が発表されているので簡単にふれるにとどめる。
 第一、内藤は、『団結と前進』の論文で国際情勢について四つの可能性を主観的につくりあげて、十中総においてその観念的な図式主義を批判され、かれ自身もこの組合わせの主観性をみとめた。にもかかわらず、最近の論文で、世界戦争防止の可能性と戦争の危険の可能性について、図式的な一面的な見地をくりかえし、そこから草案を折衷主義と攻撃している。
 (イ)かれはモスクワ声明も指摘している戦争防止の可能性、侵略戦争の危険の可能性を弁証法的に認識することができず、戦争の危険の面を指摘することが、戦争防止の可能性とその実現のための努力をさまたげる折衷主義であるかのようにみているが、それは、戦争の危険性を正しくみて、それとたたかうことによって世界戦争防止の可能性をつよめるという闘争の弁証法とは無縁である。

 「社会主義の世界陣営、国際労働者階級、民族解放運動、戦争に反対するすべての国、すべての平和愛好勢力が共同で努力すれば、世界戦争を防止することができる」(モスクワ声明)
 「世界平和を維持するためには、アメリカ帝国主義に鼓舞される侵略と戦争の帝国主義的政策とたたかう平和擁護者のもっとも広範な統一戦線が必要である。すべての平和勢力が共同して、積極的に行動すれば、平和を維持し、新戦争を防止することができる」(同)

 かれらはこの立場を理論的に理解できず混乱している。
 (ロ)かれがこの誤りを固執するのは、実はわが国においてアメリカ帝国主義の侵略と支配をたおし、帝国主義者を駆逐する闘争を、外交問題、国際問題、または世界平和運動一般に解消するためである。
 内藤は「平和擁護闘争による外国帝国主義支配の排除の方向」とか、「国際問題は民主主義的平和的方法で解決しなければならぬとか、また占領下においても、外国帝国主義の支配の排除は、民主主義的、平和的な方法で解決すべきであり、党はその方向に基本路線を設定すべきであった」などと『団結と前進』の論文のなかで書いている。
 ここに国際問題とその国の人民の革命運動の課題との機械的な混同、世界戦争防止の可能性と革命の平和的移行の可能性との機械的同調など、各種の原則的な誤りがある。そこから、事実上アメリカ帝国主義との闘争を国際的な平和運動一般への待望に解消する待機主義的な日和見主義が生まれる。かれらにあっては、日米軍事同盟打破の中立政策は、反帝闘争をぬきにしたうえでの平和運動一般や独占の政策転換待望論にとどまらざるをえない。
 (ハ)しかも内藤は世界平和勢力の強化の闘争と、社会主義世界体制、各国の革命運動との関連を正しくつかむことができず、社会主義世界体制の発展強化と平和共存政策の一貫した実施が、世界平和の重要な支柱であると同時に、各国人民の革命闘争、民族解放と社会主義のための闘争が、帝国主義抑圧者への重大な打撃であることを主体的にとらえることができない。したがって、人民権力の確立なくして、アメリカ帝国主義が撤退するというかれの根拠は、主として世界平和勢力がつよくなれば、アメリカ帝国主義者は撤退することになるだろうという待機主義に根源がある。
 第二に、内藤は、前掲論文のなかで「現実には、日本の独占資本は、『帝国主義自立』、占領制度の廃止、独立の要求をもつ独占資本であった」ということを書いている。これは、独占資本の利潤追求、生産力の向上は、一方的に独占資本の自立要求にだけ、または主として直結するという観点である。これはモスクワ声明のつよく指摘している、アメリカ帝国主義の発達した資本主義国の主権侵害と、資本主義諸国の独占ブルジョアジーが社会主義世界体制と自国の人民の闘争に対抗するため、アメリカ帝国主義と同盟を結んで、自国の主権を犠牲にしているという、今日の資本主義世界の重要な特質を根本的にゆがめるものである。同時に、第二次世界大戦後の日米関係にみられる歴史的な具体的な本質、対米従属の長期性と深さをまったく見失っているものである。また日本独占資本の売国性を陰ぺいし美化することで、この侵略性を全面的にみることができない。独占資本が独自の対外膨張をめざすということは、アメリカ帝国主義への従属的同盟関係の維持と結びついている。これは結局、資本主義の発展の不均等性から、今日の日米関係の基本は対立と闘争にあるとする、一連の修正主義者の本音にかれも同調しているからである。かれの主張は、アメリカ帝国主義の侵略性の陰ぺい、修飾だけでなく、日本独占資本の売国性を陰ぺい、修飾する理論である。
 第三、内藤は、独立とはわが国の主権の回復であるとして、「既存」の国家権力の回復のことであるといっている。既存の国家権力とは、かれによれば、独占資本の国家権力である。これは独占の帝国主義自立待望論にほかならない。これこそ、権力の問題を労働者階級の立場からみることのできない、ブルジョア民族主義にほかならない。独占資本の帝国主義自立の道は、侵略と反動政治の強化であるとともに、対米従属の徹底的な解決をなし得ないものである。だからこそ、わが党の政治路線は二つの敵に反対し、かれらを支配権力としてうちおし、駆逐し、人民の権力による新しい国家権力、人民の民主主義国家の樹立のためにたたかっているのである。このような新しい国家権力の樹立をかかげることを、既存の国家の存在そのものを否定しているかのようにみて、国家滅亡論などといいたてるのは、まさしくブルジョア民族主義的な反階級的な国家権力論に立脚しているからである。
 第四、内藤は、戦後のアメリカの占領支配、サンフランシスコ条約以前の時期においても、国家権力は独占がにぎっているから社会主義革命であり、反帝反独占の革命はあり得ないし、革命の戦略を決定する前提となる階級関係は、サンフランシスコ条約以前も、以後もかわっていないと、「団結と前進』の論文で書いている。この点では西川も『団結と前進』の論文でおなじことをくりかえしている。アメリカ帝国主義が圧倒的な支配力をもって、政治的、経済的、軍事的に戦後の日本を支配し、独占資本はその階級としての安全と利潤追求のために、みずからも従属政策をとり、かれらの弾圧機関が、かれらの利益を守る側面をもちながらも、全体としては、アメリカ帝国主義の補助機関としての役割をろこつこつよめていた時期に、このような革命の戦略を主張することは、日本における支配と権力の問題を観念的に定式化する誤りの典型である。しかも、日本では反帝と反独占の戦略は、矛盾して結合しえないとする点では、保守的な機械的な教条主義におちいっているのである。十六中において、かれはさすがにこの理論の破産をみとめざるを得なかったが、そこから建設的な反省をしないで、自己の観念的な図式主義をあらたな方法で再構築しようとして、一層誤りの深みにおちいっていったのである。
 第五、かれらは、現在の日本をどうみるかという問題、すなわち日本社会を分析するさいに、今日の時代の特徴、方向、内容、二つの世界体制の競争と闘争との関連のなかで分析しないで、全体の関運からきりはなして、孤立的に、したがってまた、抽象的にしかとらえることができない。そこから、日本社会の内的矛盾を階級矛盾一般に一面的に形式的に解消し、そこから日本独占資本主義の自己運動の法則として、帝国主義自立の方向を抽象的に絶対化する。これは、世界の反動の主柱であるアメリカ帝国主義の対日支配との関連で日本独占資本主義の現状と諸矛盾を、統一的に解明することをさまたげる形而上学的な方法であり、また世界帝国主義についてのレーニン主義の多様な命題を、日本の現状に包括的に適用できない非科学的な態度である。外国帝国主義がつよい支配や影響力をもっている資本主義国についての、実践的な分析と展望の規範は、一九五七年のモスクワ宣言、一九六〇年のモスクワ声明のなかに示されている。わが党の綱領草案の立場は、これらの国際共産主義運動の分析と展望の態度と完全に一致している。しかるに、かれらが一致して、草案は独占資本主義の内的法則から日本社会を分析していない、とするのは、かれらが世界的視野を失っているだけでなく、外国帝国主義の支配は副次的な要因でしかないという、ぬきがたい観念的な灰色の見地に固着しているからである。もちろん、われわれは、外国帝国主義の支配が法則的に永続化するとか、かれらの支配の法則だけが日本社会の発展を規制するとはいっていない。世界帝国主義の敗退は、日本独占資本の支配の敗退とおなじく、歴史的に不可避的である。問題はそれをいかに世界革命運動の実践によって促進し、労働者階級と人民の勝利をかちとるかにある。その点において、かれらの態度は、日本社会の発展をさまたげている二つの敵を有効的にうちやぶることを失敗させる立場にすぎない。
 第六、かれらは、国家独占資本主義が、直接的に社会主義にただちにいろいろな中間段階を経ないで発展せざるを得ない資本主義の発展段階であるとして、当面の革命は社会主義革命であることを論証しようとしている。これは、実践的に一九四五年のドイツの反ファッショ人民革命が、国家独占資本主義のもとで、なぜ民主主義革命として開始されたかということを説明しえない機械論である。戦前の日本でも、国家独占資本主義は存在したが、ブルジョア民主主義革命から社会主義革命へ発展する道をとった。もちろん社会主義革命を歴史的段階とする国がありうることを一律に否定することは正しくない。しかし、かれらは、国家独占資本主義であるから、一律に社会主義革命でなくてはならないという論拠によって、わが草案の立場を否定しようとするのである。したがって、これは完全な機械論である。このような機械論は、かれらが資本主義国の革命といえば、民族解放は戦略目標にならず、社会主義革命しかあり得ない、という社会民主主義者と同じ見地にたち、しかも政治革命の意義をみとめないからである。しかも、かれらは、レーニンを引用することで、これを合理化しようとしているが、レーニンはつぎのように革命的民主権力のもとで、この問題を解明しているのである。

 「さて、ユンカー=資本家国家のかわりに、地主=資本家国家のかわりに、革命的民主主義国家を、すなわち、あらゆる特権を革命的に破壊する国家、もっとも完全な民主主義を革命的に実現することをおそれない国家をもってきたまえ。そうすれば真に革命的民主主義的な国家のもとでは、国家独占資本主義が不可避的に社会主義にむかっての一歩あるいは数歩を意味することがわかるだろう。」(「さしせまる破局、それとどうたたかうか」)

 レーニンは、革命的民主主義のもとでは、独占の国有化を社会主義への一歩ないし数歩の前進であるといっているのである。問題は、このような革命的民主主義権力の樹立の成否が、わが国の革命の中心的な問題になっているのである。かれらは、権力の問題をぬきにして、国家独占資本主義は資本主義での生産力の社会化の最高の形態であるから、そのもとにおける革命は、当然社会主義革命でなければならない、とするのである。ここにおいてもかれらが革命の問題を権力の問題として主体的にとらえることのできない「帝国主義的経済主義」論者であることが立証されているのである。
 第七、かれらは、反帝反独占の民主革命を否定する口実に、国家独占資本主義のもとにおける社会主義への移行は、「構造的改革」を通ずるとする、わが国の最近の社会民主主義の右翼的潮流の主張と根本的にはおなじ見地にたっている。かれらは、十六中総の当時においては、社会民主主義者の「構造改革論」を消極的に弁護することしかできなかったが、最近では「民主的改革による社会主義革命」ということばにおきかえて、わが党の綱領草案に対置させている。しかし、その本質は、反帝闘争を戦略目標からはずし、独占の権力のもとでの統一戦線政府、ないし、それ以前の段階で、アメリカ帝国主義は撤退し、独占資本主義の構造を変革し社会主義革命にいけるような「構造的改良」なり「民主的改革」を実施できるとするにある。これは人民権力の確立を経ないで、二つの敵に重大な打撃をあたえ、重大な譲歩をかちとれるという予想にもとづくものである。これは結局、敵権力の善意や譲歩に期待して、民主的な権力で民主的任務の達成を保障することを理論的に否定する。わが国の社会民主主義の右翼的潮流がふりまいている一種のばくち的な空論とおなじであり、一方において、それは改良のつみかさねによる社会主義革命論に通ずるものである。
 しかもかれらは、モスクワ声明が「民主的改革と独占の打倒」と書いているところを二重に曲解し、これが国家独占資本主義の国のすべてに適用するものだとしている。それは第一、モスクワ声明がはっきり日本のようなアメリカ帝国主義のつよい支配をうけている発達した資本主義国の革命について、うたがう余地がないほど明確に記していることをごまかしている。かれらはこういう革命について、創造的に定式化した国際共産主義運動の集団的な英知に耳をかたむけようとする気持ちをいささかももっていない。第二、かれらが勝手にゆがめて引用している「民主的改革と独占体の支配の打倒をめざす」という個所は、かれらの解釈するように、単なる民主的な改良のつみかさねで、革命段階としては一義的に社会主義革命ということをいささかも意味するものではない。それは徹底的な民主主義闘争による民主的権力の樹立、すなわち反独占民主革命から社会主義革命への発展をふくんでいることは、世界革命運動の実践にてらしてもあきらかである。
 第八、かれらは、分派活動を公然化する以前の論文等においても、すでに事実と論理に忠実である努力をかなぐりすて、草案への攻撃のために、非常識な漫バを平気でおこなうところにまでおちいっている。たとえば、内野は、草案は独占企業の国有化の問題を提起していないと攻撃しているが、草案の「行動綱領の基本」をみれば一目りょう然である。綱領草案は、独占の支配を打倒したのちに、「独占資本の政治的経済的支配の復活を阻止する」ということを強調している。またかれは、綱領草案が、独占企業の株が多数の市民に所有されていることをあげて独占企業の国有化のスローガンに反対しているかのようにいって、草案の立場はこのような俗論でしかないと毒づいている。これは、中央委員会の討議にでた一、二の不備な意見を得たりとして、わが党中央委員会全体の立場であるかのように、卑劣にもこじつけているのである。またかれらが、アメリカ帝国主義からの独立の闘争を強調することを、なんらマルクス・レーニン主義の立場によらずして、ブルジョア民族主義と攻撃することは、草案を中傷する一部の社会民主主義者の立場となんら変わっていない。
 これらの事態はなにを意味するか。長期にわたる中央委員会の討議において、その誤った見解を徹底的に論破され、敗北したかれらは、十六中総後、新しい根拠をみつけようとすれば、結局こじつけ漫バ、あるいは理論的にも実践的にもいっそう深い誤りの体系化から、反革命的な反階級的な分裂と挑発にまで転落せざるを得なかったのである。
 第九、そのように、かれらは春日をはじめとして、分派活動を公然と開始する以前から、党の路線に反対しつづけてきたのである。かれらは、実際には第七回党大会の政治路線に反対であった。はじめは、中央委員会において、できるだけ幹部会の提案に反対し、第七回党大会の路線の具体化をさまたげようとした。そして、中央委員会の討議によってそれが不可能になると、やむなくしたがうという態度をとった。しかし、第八回党大会が近づいた十四中総において、かれらの本心はしだいに表面化してきた。十六中総の大会議案の討議において、かれらは第七回党大会後の党の指導の成果をありのままに認めることは、かれらの「理論」の破たんを意味するという矛盾においこまれた。そこで、内藤のように、中立問題や民主連合政府の問題などを、あたかも「党章コース」の破たんであるとするわい曲をやるとか、安保闘争では反独占闘争が欠けていたとか、我田引水をおこなってきた。しかし、さすがに十六中総では、それ以上の攻撃にでることができなかった。
 その結果、とくに春日は、十六中総が反対、保留意見の発表をみとめるという決定をおこなったとき、その意見発表を、直接全党によびかけ党内情勢をかれらに有利に展開させる機会として利用し、いままで提起したこともない党指導への全面的な否定と中傷攻撃にのりだしてきた。これは、春日の意見書の後半にある政治報告草案へのひぼう、中傷にいちばんはっきり示されている。かれは、そのなかで、党の指導は一貫して場あたり的であるとか、その他の無責任な漫バをならべたてた。また、戦後の労働運動における党活動を清算主義的に否定し、それがただちに、草案の見地に通ずるとする西川の意見書、大阪の原子炉問題などをとりあげて、党中央指導の責任による決定的な誤びゅうであるとかいっている原の意見書も、その一例である。山田は、その意見書のなかで、中央委員会では口にしたこともない平和共存世界戦略論なるものをのべ、それをとりあげなかったのは、草案の最大の欠陥であるかのように、春日と共同して突如としていいだした。
 かれらが党中央の指導に反対していても、中央委員会に籍をおく以上、あらかじめ中央委員会に問題を提起し、その討議を経て、その見解が否定された場合には党大会で、あるいは他の適当な方法で、大会前に発言することはありうる。しかし、このようなマルクス・レーニン主義党の組織原則をみずから放棄し、かれら個人ないし分派的な集団の利益を第一においているから、全党の団結や集団指導の原則にもとづく節度は、まったくかれらの頭からなくなっているのである。そして、党内の圧倒的多数から孤立したことが、かれらの理論上の誤り、第七回党大会いごのかれらの実践的欠陥、党への不忠実にもとづくものであることを反省できないだけでなく、逆に全党の圧倒的多数が草案を支持しているのは、党中央の官僚的指導によるものとひぼうするにいたったのである。全党の圧倒的多数が、三年間の大衆闘争の前進と党の躍進のなかで、綱領草案のしめすわが党の政治路線に確信をつよめていることが、かれらの目にははいらないのである。これは、全党的全階級的な立場から、小ブルジョア個人主義の立場へ転落していった反党分子のしがみつく道である。
 第十、レーニンは「……すこしでも新しい問題、すこしでも思いがけない、予想外の転換がおこるたびに、――たとえその転換が発の基本方向を、ほんのわずか、またほんの短い期間かえるにすぎない場合でも――つねに不可避的に、修正主義のあれこれの変種が生みだされる……」(「マルクス主義と修正主義」)といっている。春日らの足跡には、このレーニンの指摘がまったくあてはまる。かれらは、あらゆる新しい現象をマルクス・レーニン主義の原則と、そのわが国における創造的適用への攻撃の材料にしようとした。このようなかれらが、安保条約の改定、ケネディの登場、社会党の構造改革論などにおいて、それぞれ修正主義的な動揺と混乱を深めたのは必然である。また、かれらが十中総前の綱領問題小委員会の一致した到達点から混乱の方向へむかったのは、修正主義者佐藤の理論活動の影響も濃厚である。
 かれらは、国際共産主義運動の二つの綱領的文書についても、ありのままに学ぼうとしないで、ひたすら曲解や詭弁に固執し、かれらの理論的先覚者佐藤のしめした模範に学んだのである。
 同志諸君
 われわれは、以上においてわが党の革命運動の歴史に恥ずべき裏切りとかく乱の一ページを記した春日の「理論的」特徴をみてきた。そこには、現代修正主義、教条主義と分裂主義の奇怪な結合の体系がみられる。かれらは、その小ブルジョア個人主義にもとづく党破壊活動のなかで、ますますその誤りを多様化し、細密化するだろうが、かれらの前途にあるのは、わが党をはじめとする革命的労動者の軽べつと、かれらの理論的実践的矛盾の反階級的反革命的破局にすぎない。
 われわれは、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義の旗を高くかかげ、アメリカ帝国主義と日本独占資本にたいする断固とした闘争者として、日本人民とともにたたかいすすむなかで、党内外のいっさいの日和見主義と反革命の理論を粉砕しつくすだろう。わが党綱領草案の基本的見地は、第七回党大会の路線にもとづくみぞうの大衆闘争のなかで、修正主義、トロツキズム、右翼社会民主主義者の諸理論との全党的な闘争のなかでためされてきた。
 第八回党大会が、全党の圧倒的多数の支持のもとで、正しい綱領を決定することは、ひきつづく党の前進にとってきわめて重大な意義をもつことはあきらかである。綱領をもたない党は、革命への羅針盤をもたないことを意味する。綱領をもつことによって、労働者階級の前衛としての理論的、実践的な指導性を真に確立することができる。また、真に党の理論上、思想上の団結をうちかためることができる。
 三年間のわが党の豊富な実践と、その中で確立された政治路線、それにもとづく党指導の基本的な正しさ、国際共産主義運動の貴重な偉大な綱領的方向と教訓は、わが党が綱領を確定しうる条件をもっていることを十分示している。だからこそ、全党の圧倒的多数の同志たちが、第八回党大会にたいして、綱領草案の基本的見地を支持し、綱領の決定を期待して、この大会をみまもっている。
 日本革命への戦闘的綱領の決定は、わが党の偉大な武器となるだけでなく、日本の労働者階級と人民、全世界の進歩と平和の勢力にたいする重要な貢献となるだろう。
 日本の革命の勝利をめざして前進しよう。