第一章 八〇年代を迎えた情勢と国政革新の任務
第二章 平和と民族自決、民主主義と社会主義をめざす国際的闘争
第三章 日本共産党の組織と活動の新たな飛躍的発展をめざして
第十四回党大会いらいの二年間余に、反動的な支配体制および自民党政治の危機と混迷は、いちだんと深まった。これにたいして、わが党は、統一戦線支持勢力とともに、労働者階級をはじめすべての勤労者と広範な国民各階層の要求の先頭にたって危機の民主的打開のためにたたかってきた。選挙戦でも、反動支配勢力の反共反攻をうちやぶって、いっせい地方選挙と総選挙での躍進をかちとった。もちろん、この二年間の闘争には、一連の革新自治体を失うなど重要な後退もあった。しかし、この間、わが党は、複雑な諸困難と精力的にたたかい、正確な路線と党中央の指導のもとに団結して、党の隊列を鼓舞し強化し、「失地回復と新たな前進」という政治目標を基本的にやりとげ、衆議院と地方議会に史上最高の議員数をもって八〇年代を迎えることができた。革新統一戦線の推進力である日本共産党のこうした前進は、「一時の逆流にもかかわらず、国政革新の大道こそ真に未来ある道である」(第十四回党大会決議)ことを全党の奮闘をつうじて確証したものであり、国政革新の事業に新たな展望をきりひらいたものである。
一九八〇年代の内外情勢は、その初頭からすでに激動のなかにある。自民党政治の内部矛盾の深化とその危機に関連して、諸政党、諸政治勢力の本質は、いっそう急速に明白になった。日本共産党第十五回大会は、昨年十一月の決議案発表以降新しくおこった重要諸問題―国際的にはアフガニスタン問題、国内的には公明党大会での公民政権構想の承認につづく社会党大会での共産党排除の社会連合政権構想決定などについて、わが党の見解をふくめた宮本委員長の冒頭発言、中央委員会の報告等を大会決議案とともに討議、全員一致承認した。こうして第十五回党大会は、新しい情勢下における政治変革の新しい展望とその変革の主体、道筋を国民のまえに明確にしめし、革新の主柱としての日本共産党の躍進を軸に、八〇年代を革新統一戦線とその勝利の時代とする展望をひらくうえで歴史的意義をもつ大会となった。
この二年間余、対米従属的な独占資本主義の体制的、構造的な危機は、社会生活の全領域にわたってさらに進行した。わが国における八〇年代の開始は、支配体制の危機の深まり、自民党政府の内外政策のいっそうの反動化をもって特徴づけられている。すべての状況は、右寄り野党がいうように「政策選択の幅がせまくなる」どころか、「八〇年代にどのような日本をつくるか」――日本の進路をめぐる対決がいちだんとするどくなり、革新三目標(日米軍事同盟と手を切り、日本の中立をはかる、大資本中心の政治を打破し、国民のいのちとくらしをまもる政治を実行する、軍国主義の全面復活・強化に反対し、議会の民主的運営と民主主義の確立をめざす―一九七一年一月九日発表)にもとづいて自民党政治を根本的に転換させることが、いよいよ緊急な国民的課題となっていることを、しめしている。
(1) 日本経済と国民生活の問題では、独占資本と自民党政府は、財政の大破たんをはじめ、大企業本位、対米従属のしくみと政策によってひきおこされた経済危機の重荷とつけを、すべて、労働者階級をはじめ勤労者、国民にかぶせて、大企業の利益と支配をまもろうとしている。こうして、増税、公共料金のあいつぐ引き上げと高物価、高負担、福祉切り下げ、労働強化と失業の増大、農業・中小企業切り捨て、公害対策後退などの新しい攻撃によって、国民大多数の生活と経営は、根底からおびやかされようとしている。
今日の経済危機を、労働者、すべての勤労者、広範な国民各層の利益にたって解決することは、革新三目標の一つである「大企業の利益本位の政治から国民の生活向上の政治へ」の転換なしには、実現できないことである。
実際、さきの総選挙で最大の争点となった財政再建と増税問題についても、国債依存率三三・五%、国債残高七十一兆円(八〇年度末見込み)という深刻な財政危機を生みだしたのは、自民党政府の徹底した大企業本位の政策である。彼らは、日本経済が第一次石油危機(一九七三年)につづいて不況におちこみ、財政収入が大幅に後退したとき、歳入面では、大企業にばく大な減免税を特権的におこなっている不公平税制に手をつけようとせず、歳出面では、財界やアメリカの要求のまま、「経済成長率」を口実に、大企業むけの支出や憲法違反の軍事費を年々膨張させ、不足分は将来の増税をあてこんだ赤字国債でまかなうという、他の発達した資本主諸国にも例のない無責任な財政政策をとりつづけた。したがって、その解決のためには、この財政政策の誤りを認めてその転換をはかること、すなわち、大企業奉仕の大型公共投資や各種補助金、米軍基地や自衛隊の経費など国民の立場からみて不要不急の経費の大幅削減や、大企業・大資産家優遇の不公平税制の抜本的是正などの実行が、必要になることは当然である。
わが党は、自民党の財政政策をはじめから批判し、赤字国債の増発には一貫して反対するとともに、一九七七年には『日本経済への提言』のなかで、財政の民主的改革によって、増税など国民の負担増なしに借金財政から脱却をはかる財政再建五ヵ年計画を発表した。自民党政府はこれに耳をかさず、赤字国債増発と増税への道をつきすすんだ。新自由クラブ、民社党、公明党など右寄り野党もこれに追随し、赤字国債増発論や一般消費税(付加価値税)の必要をとなえて、自民党の援軍の役割を果たした。一九七八年には社会党も、補正予算要求などのなかで、赤字国債増発を主張するにいたった。六〇年代の「高度成長」政策が、わが党をのぞく与野党一致で推進されたように、財政危機を拡大し大増税計画を準備した赤字国債増発政策も、自民党と右寄り野党などの協力ですすめられてきたのである。
わが党がすでに総選挙中にあきらかにしたように、自民党の従来型の財政経済政策がこのままつづけられるならば、八一年度から八四年度末までの向こう四年間で総額二十六兆円(国民一人当たり二十二万円)の大増税が不可避となるうえ、赤字国債の本格的な償還がはじまる一九八五年度からは、いっそう深刻な第二段階の財政危機がはじまり、国債費だけでも、十年間に百八十九兆円、これに八〇年度から八四年度までの五年間の国債費をくわえると十五年間で総額二百二十八兆円という天文学的な負担が、国の財政と国民の生活にのしかかってくることになる。自民党政治がひきおこした財政危機のこうした実態と予測がしめしているように、今日の経済危機は、革新三目標にもとづく国政の転換―大企業奉仕の経済政策から国民本位の経済政策への転換を、まさに国民的緊急課題としているのである。
(2) 田中金脈、ロッキード、グラマン、ダグラスの航空機疑獄、それ以上に根深いといわれる日韓ゆ着、さらに鉄建公団、国際電電会社、日本住宅公団、税理士法改悪をめぐる日本税理士会連合会の政界買収とあいついで露呈した官僚機構や特殊法人の底知れぬ腐敗など、自民党政治の汚職・腐敗の実態が、次つぎとあかるみにだされ、国民の広範な憤激がわが国をゆるがしている。汚職・腐敗を政官界から一掃することは、文字どおりの国民的要求になっている。重要なことは、これらの疑獄・腐敗事件が、偶発的なものではなく、内外大企業の政治献金をささえとした大企業奉仕の金権政治、安保条約のもとでの日米、日韓の政府・軍部・企業にわたるゆ着関係など、まさに長期にわたる自民党政治そのものの必然的な産物だということである。しかも、それがわが党をのぞく他のすべての野党を汚染している。歴代内閣が多かれ少なかれとってきた疑獄かくしの態度も、根本は、汚職の温床である大企業本位の金権政治や安保優先の政治をつづけながら、国民の目をそらそうというところに、その根拠がある。わが党が従来から積極的に提起してきたように、疑惑の徹底究明や企業献金の禁止など汚職再発防止に役だつ一連の制度や方策をかちとる当面のたたかいが重要なことはいうまでもない。同時にここでも、革新三目標にもとづく国政の転換を実現し、汚職・腐敗の温床である自民党政治そのものを打破することが、汚職・腐敗のない清潔な政治への抜本的な道となることは、明白である。
(3) アメリカ帝国主義が、八〇年代における各個撃破政策の新たな展開にのりだしたなかで、日米軍事同盟はこれまでのどの時期にもなかったほど大幅に強化され、アメリカのアジア戦略にしめる比重も飛躍的に増大した。日本は、日米安保条約のもとで、アメリカの〝緊急投入〟兵力がアジア、太平洋、中東地域をにらんで常時待機する最大の前進拠点にされている。
一九七九年末のソ連のアフガニスタン介入とそれを理由としたいわゆるカーター戦略の全面的発動は、国際緊張をいっきょに激化させ、日米軍事同盟の世界的規模での危険な役割ますます鮮明にしている。カーター米大統領は、一九八〇年の「一般教書演説」で、ペルシャ湾岸地域を「アメリカの「死活の利益」のかかわる地域として、「軍事力をふくむ必要なあらゆる手段」の行使を公然と宣言、新たな軍事拡張や中東地域の軍事ブロック再確立計画をうちだした。カーター政権は中東への軍事介入計画の中心に、いわゆる「緊急投入戦略」をすえ、その主力に沖縄の海兵隊を編入し、沖縄を中東にほこ先をむけた緊急投入軍の出撃拠点に変える計画を進行させている。また、カーター政権が、ペルシャ湾岸地域での〝有事〟のさいの戦術核兵器の使用を公然と検討し、日本、ヨーロッパ、アメリカの共同軍事計画を提起し、軍事ブロック政策の世界的規模での強化をうちだしたことも重大である。注目すべきことは、こういう緊急投入軍の計画などは、もともとカーター政権発足当初からの方針であって、アフガニスタン問題発生の二週間前にも、イランを仮想敵とし、沖縄の海兵隊参加のペルシャ湾岸出動の実戦演習がおこなわれていたことである。
自民党政府は、右寄り野党の安保肯定論や中国の安保条約支持論にたすけられつつ、アメリカの世界戦略に全面協力の態度をとってきた。そればかりか、悪名高い「日米防衛協力指針」(ガイドライン、一九七八年十一月とりきめ)のもとで、アメリカ側からの軍事力増強の要求にも積極的に応じ、陸・海・空の日米共同演習や自衛隊の大増強と実戦部隊化、さらには、沖縄での海兵隊上陸演習やオーストラリア、ニュージーランド、カナダをふくめた環太平洋合同演習への参加など、安保条約の事実上の改悪をすすめ、日米共同作戦の作戦範囲の拡大と、その本格的発動の態勢を急ピッチできずきあげようとしている。
自民党政府は、「主体性」を一応うんぬんしながらも、アメリカの軍事、外交上の要求に際限なく追随して、日米安全保障条約日米軍事同盟の解釈を次つぎと拡大し、今国会でも安保条約論議が中心討議の一つとならざるをえなかった。こうした現状は、さまざまな安保美化論や空洞化論を事実でうちくだき、革新三目標の一つである日米安保条約廃棄、日本の平和・中立化の課題、軍国主義復活反対の課題を、否応なしに、八〇年代の国民的闘争の最大の焦点の一つとしている。
日米軍事同盟を主柱とするサンフランシスコ体制のもとで、日本全土に百十九ヵ所の米軍基地がおかれ、四万四千人の米兵が駐留することは、わが国の主権と平和への重大な侵害であるとともに、続発する事故、米兵犯罪などとあいまって、基地の集中している沖縄の県民をはじめ、多くの国民の苦しみの源泉となっている。そして、重要なことは、自民党政府が、この日米軍事同盟を中心に、中国や韓国との事実上の同盟関係をますます強化しつつあり、この日・米・中・韓の同盟が、アジアの緊張強化の根源となってきていることである。韓国の反共軍事独裁体制のファッショ的性格とその矛盾は、金大中事件や民主運動弾圧につづいて、朴暗殺事件でもいっそううきぼりにされた。自民党政府は、それらに目をふさいで、米日韓の軍事一体化を大車輪ですすめている。また中国との同盟関係は、日米両国が中国のベトナム侵略を黙認し、中国が日米軍事同盟や日本の軍国主義復活を支持するという相互の支援関係や、インドシナ三国非難の共同キャンペーンなど具体的なかたちをとって進行している。革新民主勢力は、日米安保条約に反対し、非同盟・中立の路線をめざす闘争の重要な一環として、事実上の四ヵ国同盟をめざす反動的な外交政策に反対する闘争をすすめる必要がある。日本の非同盟・中立は、平和と安全保障の問題、サンフランシスコ体制打破の問題だけでなく、経済危機の民主的打開、資源エネルギー問題の解決、アジアでの新国際経済秩序の確立にも新たな展望をひらくものとなるであろう。
(4) 反国民的諸政策にたいする国民の不満と反対をおそれる日米反動勢力は、その反動支配の安定のために、ファッショ的抑圧への期待と衝動をさらにつよめている。日米共同作戦の本格化とともに、有事立法(戦時立法)や機密保護法など、国民の基本的人権をまっ殺する軍事ファッショ的立法の策動もひきつづきすすめられている。財界首脳による「徴兵制復活」の提唱までおこなわれた。さらに、教育勅語や軍人勅諭の美化、首相の靖国神社参拝と戦犯合祀、右寄り野党の同調で強行された元号法制化など、憲法の平和・民主条項への挑戦もいよいよあからさまなものとなってきた。司法の反動化も、教育・文化の反動化、道徳の退廃も、きわめて重大な様相を露呈している。
反動勢力によるこうした反民主主義の攻撃は、わが党を先頭とする真の革新勢力こそが、自由と民主主義の一貫した擁護者であることを、事実であきらかにした。反動反共勢力は、反共主義の道具として「自由」論議をもてあそびはするが、その実際の役割は自由と民主主義の抑圧者にほかならない。八〇年代に、反動勢力が危機のりきりの活路を、野党の一部をもまきこみつつ、小選挙区制や憲法改悪強行など日本型ファシズムへの方向にもとめようとする危険はさらに増大している。一九七六年の総選挙で、共産党が議席をへらしたことから、国鉄運賃値上げ自由化法の「五党合意」による通過がはかられるなど、なれあい政治の復活がみられたが、選挙制度とともに議会制民主主義の重要な柱の一つである国会の民主的運営を確立することはいっそう重要である。
革新三目標がかかげた、ファシズムと反動、軍国主義のあらゆるあらわれに反対し、自由と民主主義の確立をめざす課題は、八〇年代における国政転換の中心課題の一つとしていよいよその重要性をましてきている。
人口の過半数をしめる婦人への差別と圧迫は、日本の民主主義の発展をさまたげる〝おもり〟の役割を果たしており、男女平等、婦人の地位向上を実現する要求と運動は、民主主義のための国民的課題として、とくに重視する必要がある。以上のように、八〇年代を迎えたわが国の情勢は、どの角度からみても、一九七一年いらい、わが党が、革新勢力の統一の政策的共同目標として一貫して提起しつづけてきた革新三目標が、八〇年代においてもひきつづき追求されなければならない国政革新の中心課題であり、反動支配体制と自民党政治の危機の深まりのなかで、いっそうその積極的意義を大きくしていることを、あきらかにしている。
二つの道の対決の先鋭化は、政治戦線のうえでも、革新三目標を中心に日本の民主的再生をめざす革新的潮流と、現体制擁護の反革新的潮流との二つの潮流への分岐と対決を、これまで以上にくっきりとうかびあがらせている。
七〇年代をつうじて、自民党政治は、ある場合やある時期には陣地を修復、回復したが、全体としては歴史的退潮を脱することができず、その混迷は深まった。六〇年代から七〇年代前半にいたる日本共産党の躍進に支配体制の危機を読みとった自民党と日米支配層は、大がかりな反共反攻作戦を展開し、選挙法の改悪や選挙区の党略的な分割までおこなって、七六、七七年の二つの国政選挙で日本共産党を後退させるとともに、反共野党と連合して京都、横浜、沖縄、大阪、東京など一連の革新自治体を打倒し、党勢拡大も総裁の一般党員による予備選挙制度導入ということによってではあるが、昨年はいっきょに百五十万の党員を登録し、ついでこれを倍加するなど、一時的、部分的には一定の成功をおさめた。しかし、こうした反攻によっても、自民党の歴史的退潮を根本からたてなおすことはできなかった。とくに、大平内閣が「安定多数」の獲得による自民党単独政権の基盤強化をねらって強行したさきの総選挙は、自民党の惨敗、右寄り野党の全体としての停滞、社会党の敗北と日本共産党の躍進に終わり、支配勢力の意に反して、真の革新の党日本共産党の国政における比重と発言権を強化する結果となった。選挙後、国政を一ヵ月間も空白にしてつづけられ、結局、衆議院で二七%の支持率という史上最低の得票で第二次大平内閣の成立をみるにいたった権力抗争は、自民党の体質の反国民性をあらためてうきぼりにすると同時に、その退潮のなかで、統治政党としての最低限の責任をも果たしえなくなった自民党の危機と矛盾の深刻さを、あらためて国民のまえに露呈した。
自民党は、戦後三十数年間の施政と行動のすべてがしめしているように、国民の根本的利益とあいいれない対米従属、大企業本位の反動路線の代表者であり、独占資本をはじめ日本の反動支配勢力が、右寄り野党の新与党化を支配体制の補強部隊として利用しながら、あくまで自民党政治の維持・拡大を主要な方向としていることは、明白である。その退潮と混迷にもかかわらず、自民党は、日本の反動支配の主柱として、三百万をこえると称する党勢拡大や四〇%をこえる得票率にみるような根深い基盤と支配力を依然として都市と農漁村にもっている。しかし、七〇年代最後の総選挙の結果とその後の権力抗争が、自民党政治の基盤をも大きくゆるがし、その転換の必然性を多くの国民のあいだに意識づけたことは、重要である。
公明党、民社党、新自由クラブ、社民連などの右寄り野党は、二つの道の対決のなかで、本質的に自民党と同じ現体制擁護の潮流に属する。そのことは、この二年間、企業献金、選挙制度、自衛隊、安保、原発問題などの政策問題で保補連合に道をひらいた公明党竹入発言(一九七八年一月)、連合政権の「基盤政党」として公然と自民党を名ざしした新自由クラブの大会決定(一九七八年二月)、過半数をわった自民党との連合政権を当面の目標としてうちだした民社党の大会決定(一九七九年五月)、有事立法や元号法制化などファッショ反動立法への同調、形式修正を条件にした政府予算案への賛成表明(一九七九年、公民)、京都、横浜、東京、大阪で、革新自治体の打倒、自民党政治復活を共同目標とした連合作戦など、無数の事実と行動によってしめされてきた。とくに総選挙後の権力抗争のなかで、公明、民社両党は、一方で、社会党にたいし、政権問題協議の前提として「共産党と一線を画する」ことを終始要求し、社会党を革新統一戦線への道から決定的にひきはなして、国政革新の道をとざす反共主義と革新分断の策動を、いっそうあからさまにするとともに、他方では、抗争しあう自民党の両派とそれぞれなりの連携で、自民党分裂の場合の保補連合の可能性を追求し、事実上自民党政治の一翼をになう体制擁護政党の役割を、二重に発揮してみせた。また、「中道連合」の一角に属する新自由クラブは、首班指名選挙で、大平・田中連合に投票し、第二次大平内閣への参加まで問題にするにいたった。これは、保補連合政権をめざす右寄り野党全体の共通の願望を、先取り的に行動にあらわしたものにほかならない。さらに、公明、民社両党は、昨年十二月、自民党勢力との連合をめざす反共政権構想で合意するにいたった。
社会党のこの二年間の行動は、首長選挙で〝ねじれ共闘〟と評された革新と反革新の二面性を、最大の特徴としていた。社会党が、自民党の革新自治体打倒作戦に手をかした京都、横浜、大阪での裏切りに、なんら本質的反省をおこなわず、さらに、総選挙前に発表された飛鳥田構想や、選挙後急速に表面化した「社公中軸」路線など共、社両党間で公式に確認しあった革新統一戦線結成への努力さえ、公然と否定する方向にふみだしたことは、同党の反革新的右傾化の危険を、きわめて重大な段階にみちびいた。
わが党が以前から指摘してきたように、社会党のこうした右傾化の根底には、同党が、共産主義を「人間の個性、自由、尊厳」の否定、「民主主義による社会主義とは相容れない存在」として敵視し、「共産主義を克服」することを任務とした反共産主義的綱領に、いまなお固執していること、労働組合などを社会党の〝領地〟として支配しつづけるために、共産党に不当な対決姿勢をとるヘゲモニー(指導権)主義、政策的には労働者や勤労人民の要求を反映した一定の革新的立場をかかげながら、実際行動では支配勢力と妥協してそれを投げ捨てることなど、社会民主主義政党に特有の動揺性、革新と反革新の二面性がある。社会党が、アメリカ占領下の保守補強内閣――片山・芦田内閣にくわわったのをはじめ、戦後の政治史のもとで、しばしば反動支配勢力とその政策の協力者の立場におちこんできたのも、この二面性のあらわれであった。それにくわえて、すでに早くから中国追従派が安保肯定の立場にたって、自民党との「大連合」論をとなえたり、退潮のなかで議席増をねらい、共産党をおさえこむという自民党なみの党略的思惑からの小選挙区制賛成論や、安保条約の危険な実態はすでに失われたとして、日米軍事同盟反対の課題のたな上げをねらう安保空洞化論があらわれるなど、よりあからさまな右翼的傾向が表面化していたことわが党が指摘してきたとおりである。
「飛鳥田構想」における、公明党の右傾化を日本共産党の責任にする不当さや、政党間共闘たな上げ論の誤りを、革新統一の見地から分析的に批判した宮本委員長の論文(一九七九年八月二十日発表)は、社会党をふくむ広範な諸勢力に共同討論をよびかけ、多くの積極的な反響と支持がよせられた。しかし、社会党は、共同討議を拒否するとともに、選挙中のわが党の公開質問状についてもまったく答えず、誠意ある態度をしめさなかった。
自民党の党内抗争による選挙後の政治空白のなかでも、社会党は、政権問題での全野党の協議をよびかけながら、基本的にこのよびかけに応じたわが党とのあいだでは、可能な協議をすすめようとせず、反対に、「共産党の排除」を主張してよびかけを拒否した公明党との政権協議という「社公中軸」路線にふみきった。わが党は、社会党のこうした右傾化が、「反自民・反独占・反安保」という、社会党がかかげてきた政策や要求の革新的側面に期待をよせた革新的大衆を裏切ることであり、結局は、社会党自身を、自民党のめざす八〇年代の反動路線の従属物に堕落させてしまう道であることを、きびしく指摘し、社会党が一九七六年、一九七七年および一九七八年の共社両党党首会談で協定した道――革新三目標を共通の基本目標として、自民党政治と対決し、統一戦線結集をめざすという革新の大道に責任をもつことを、つよく要望した。
それにもかかわらず、社会党は、ついに公明党とのあいだで反共連合政権構想についての合意を成立させ、党大会で正式に承認した。これは、社会党が革新統一戦線と革新連合をめざす立場を公式に放棄して、公明党および公民合意を結んだ民社党とともに、自民党勢力との「大連合」をめざす路線へ転換したことをしめすものである。社会党のこの反革新への路線転換の中心点は、第一に、公明、民社両党の反共主義に屈服して、共産党排除の「政治原則」をうけいれ、革新統一戦線に決定的に背をむけたこと、第二は、安保条約と自衛隊の問題でその現状を肯定する当面存続論に転換するなど、政策のうえでも、自民党との連合を準備する体制擁護路線に転換したこと、第三に、社公合意と公民合意の合流による社公民の反共ブロックを予定し、さらには、自民党勢力との連合による政権への道をめざしていることである。これは、同党の最近数年間にあらわれていたたんなる右寄り、そのなしくずし進行の範囲のものでなく、明白な右への転落であり、変質である。民社党幹部が、社会党大会直後ただちに社会、民社両党の「合併」をもちかけたように民社党と本質的には同じ範ちゅうの反共右翼社会民主主義政党への転落にほかならない。
わが党は、反共、反革新、体制擁護の道への社会党のこの選択が、この党の歴史のうえで、かつての片山・芦田内閣の裏切りに匹敵する、新たな汚辱と転落の時代をひらくものとなるだろうことを、きびしく警告する。
政治戦線のこうした情勢は、国政革新の事業におけるおもな柱としての日本共産党の地位と役割をいよいよ大きくしている。七〇年代の政治史は、その全経過をつうじて、日本共産党が、わが国における進歩と革新の路線のもっとも首尾一貫した代表者であることを、実証した。七〇年代最後の総選挙で、この日本共産党が勝利し、自民党をはじめとする反共反動勢力に痛撃をあたえたことは、反共野党やその追従者たちの、反共分裂主義のつよまりにもかかわらず、広範な革新民主勢力を大きくはげまし、大局的には、八〇年代における革新統一の前進と勝利にとって、新たな有利な条件と展望をつくりだしたものである。
日米反動勢力は、八〇年代を自民党政治再建の時代とするために全力をあげている。自民党と反動勢力が、八〇年代にめざしているのは、大増税計画をはじめ、財政再建や危機打開を口実とした国民生活への全面攻撃、金権腐敗政治の継続・温存、自民党の絶対多数を人為的につくりだすための小選挙区制の強行、革新自治体の一掃と地方政治の反動的再編、日米共同作戦の本格化と日米軍事同盟の世界的規模への拡大、海外派兵とも結びついた憲法改悪や徴兵制復活の計画など、日本の独占資本とアメリカ帝国主義が、日本の政治・経済をこれまで以上に横暴に支配する、反動と暗黒の日本をつくりだすことである。
これは、日本国民の利益とは根本から対立する、サンフランシスコ体制のもとでの対米従属と軍国主義、反動と抑圧の道であり、八〇年代が、七〇年代以上に、日本の進路をめぐる二つの道の対決が激化する政治的激動の時代となることは、確実である。右寄り野党は、「自民党一党支配」打破などをとなえているが、その政治的立場は、自民党のこの反動路線を側面から援護し、補強し、その推進をたすけること以外のなにものでもない。事態の推移によっては、過半数を割った自民党と右寄り野党との保補連合政権も現実の問題となりうるが、それも実質的には、自民党政治の延長線上の一政権にすぎない。自民党政治のわく内でどんな政権交代がおこなわれようと、これらが、国民の期待にこたえて今日の危機を解決する力をもちえないことは、すでにイタリア、フランスなどでの実例がしめしているところである。
対米従属的な独占資本主義の体制的危機の深まりは、この危機を打開し、日本の民主的再生を実現できるただ一つの道として、革新統一戦線の結成と、民主連合政府による国政革新、サンフランシスコ体制の打破を、八〇年代のもっとも切実な国民的課題としている。この展望を現実のものとする客観的条件も、危機の進行とともに大きく成長しつつある。右寄り野党の反革新の策動にくわえ、社会党が、社公合意によって反共反革新の道に転落してしまった今日、八〇年代を革新統一戦線とその勝利の時代とするうえで、日本共産党と統一戦線支持勢力のになうべき使命と任務は、いよいよ重大となっている。
(1) わが党はいつでもどこでも革新をつらぬく どんな場合でも、労働者、農民、その他勤労者の日常の利益を擁護し、必要な大衆闘争をつねに重視する。自民党の反国民的政策と対決し、こんごとも、一つひとつの問題で明快な本質究明をおこない解決方向を提示していくことは、わが党の先進的責務である。また、革新統一戦線と民主連合政府の旗をかかげ、当面する諸問題の革新的打開策とともに、日本の民主的再生の道をつねに正確にしめして活動する。そのために、自民党の悪政をたすける右寄り野党の新与党化路線や、各種反共分裂主義とたたかう。同時に、それに屈服した社会党の変質と転落の意味を国民のあいだに徹底することは、重要な意義をもっている。
国会闘争でも、自民党の混迷、反共右寄り野党の新しい策謀と社会党の急速な右傾化という状況のもとで、わが党は、なれあい政治にたいしてき然と反撃してたたかい、国政の各分野で、先進的役割をおおいに発揮するとともに、国会活動国会外の闘争とを意識的に結合して発展させる。こうして、日本共産党が、国政でさらに大きな比重をしめることこそ、国民の期待にこたえる国政の民主的前進の道であることを、わが党の国会闘争自体をつうじて、広範な国民のあいだにさらにあきらかにしてゆかなければならない。
(2) 当面の緊急課題での統一行動の提唱と組織 党は、国民の切実な要求と関心にこたえて、当面の緊急課題にもとづく革新民主勢力の統一行動、国会内外での国民的闘争の発展に努力しなければならない。一九七九年十月の九中総が提唱したつぎの五項目は、全民主勢力が共同で追求すべき、統一行動の当面の中心課題をあらわしている。
①増税、高物価、福祉切り捨て反対
②疑獄追及、不正・腐敗一掃
③行政機構の民主的改革
④小選挙区制反対
⑤日米共同演習反対
党はこんごとも、情勢の推移を注意深くとらえ、必要な課題にもとづく革新勢力全体の統一行動を、国会の内外、中央、地方をつうじて積極的に推進してゆくとともに、安保破・諸要求貫徹中央実行委員会など統一戦線支持勢力による独自の統一行動と、大衆闘争の先駆的な展開にも、おおいに力をそそがなければならない。
(3) 革新統一戦線結集をめざし、革新統一懇談会の結成を 同時に、革新三目標にもとづく革新統一戦線についての革新民主勢力相互の建設的討論を、おおいに発展させ、統一戦線結成への革新的世論と機運をひろげるとともに、各種の障害を大衆的に克服する条件を、積極的につくりだしてゆくことが、重要である。
地域的統一戦線を発展させることは、革新自治体の防衛・奪還・拡大のためにも、全国的な革新統一戦線結集のためにも、重要な意義をもつ課題である。このたたかいでは、反共・反革新勢力が、革新自治体攻撃のためのさまざまな「理論」をふりまくなかで、また、革新を称する勢力のあいだにも、住民と連帯した行政の民主的前進をさまたげる各種の誤った主張や傾向が存在するなかで、わが党の「革新自治体論」、「自治体労働者論」、公正・民主の同和行政方針など、実践的にもその正しさがためされた理論と路線を、各分野で具体化し、展開する活動を、さらに重視してとりくむ必要がある。
また、各分野の大衆運動へのとりくみのなかで、統一戦線を支持する革新的潮流がその力を強化拡大し、組織的にもその地歩を前進させるように、ひきつづき特別の努力をはらわなければならない。とくに、同盟(全日本労働総同盟)指導部が、労働戦線を反革新の潮流に結びつける右翼的再編の策動をつとめる一方、総評も、指導部の政治的思惑から、階級的なナショナルセンター(労働組合の全国中央組織)の機能をますます放棄し、反共政権構想支持を決定するにいたった現状のもとで、労働組合のナショナルセンターの階級的民主的原則を確立し、労働戦線におけるその実現をめざす闘争は、きわめて緊急切実な課題となっている。
第十五回党大会は、社会党が革新の大義を捨て変質した今日の状況下で革新統一戦線の結集を積極的に推進する見地から、日本の民主的再生をねがう各界の民主的諸団体、民主的な人びとによびかけ、革新統一を語り要望し、そのために共同して行動する自由な連絡、共同の場として、革新統一懇談会を全国的、地方的に組織することを提唱する。
(4)反共・反革新・反民主主義の思想攻撃との闘争 反動的世論の形成をめざす最近の反共・反革新宣伝は、自民党政治の反動化に対応して、戦前の軍国主義、ファシズム、侵略戦争の肯定と結びついた戦後民主主義批判、現在の大企業奉仕、対米従属の体制や政策のひらきなおった合理化、残虐なポル・ポト政権の残党の擁護、中国のインドシナ侵略擁護の立場でのアジア「平和」論、千島、歯舞・色丹問題を口実とした軍備増強論、わが党の「自由と民主主義の宣言」を無視し、かつ、社会主義国にあらわれた個々の否定的現象をとらえての科学的社会主義の基本理念と歴史的役割への中傷、アフガニスタン問題などを利用して、日本共産党の自主独立の立場をゆがめようとする攻撃、戦前の特高史観をむしかえした日本共産党非難、暴力革命・独裁政治・民主集中制の三位一体論など、自由と民主主義に挑戦する反動的特徴を、いっそうあからさまなものとしてきている。この反共反革新の思想攻撃は、右派知識人の論壇活動や右翼マスコミの大量キャンペーン、公安機関を中心とした情報操作、大経営での企業内教育から、反共諸政党、国際勝共連合(統一協会)の謀略宣伝など、多面的な手段を動員しておこなわれており、高校の社会科教科書などの反共主義的傾向が指摘されているように、その影響は学校教育にまでおよんでいる。反共・反革新・反民主主義の思想攻撃がもちこまれているあらゆる領域で、これに反撃をくわえ、民主主義と社会進歩の立場を擁護することは、党と民主勢力の共通の課題である。社会主義国で達成されたさまざまな分野での前進の意義とともに、現在の社会主義の到達点がまだ歴史的限界をもっており、共産主義の理念にてらしてみれば大きな過渡期であることを、率直にあきらかにすると同時に、科学的社会主義―共産主義の理想をいっそう鮮明にし、より広範な国民のなかに普及することは、わが党だけがなしうる重要な課題である。
国民のあいだに反共意識をうえつけ、これを拡大することは、反動支配を維持強化するための基本作戦であり、反動勢力は、日本共産党の進出をおさえるために、こんごともあらゆる手段でこれをいっそう強化するよう、新たなたくらみを開始している。党は、各種の反共攻撃と断固としてたたかいつつ、国民のあいだのさまざまな疑問には道理をつくして解明し、反共意識を根本的に克服する課題に精力的にうまずたゆまずとりくまなければならない。
(5)日本共産党の強化と躍進 革新統一戦線をめぐる状況を大きく変え前進をかちとるうえで、統一戦線の推進力である日本共産党の量質あいまっての強化が、決定的な重大性をもつことは、明白である。このためには、第十四回党大会が提起した「百万の党」の達成をはじめ、八〇年代の国政革新の事業をなしとげるにふさわしい力量をもった大衆的前衛党の建設を、可能なかぎり早くすすめることが必要である。同時に、選挙闘争でも、きたるべき参院選での勝利と、つぎの衆院選での新たな飛躍をめざす活動をさらにつよめ、八〇年代には国政選挙での比重を、議席数においても得票率においても、抜本的に前進させることを目標として、奮闘することが重要である。
党は、各分野の統一戦線支持勢力とともにこれらの任務に攻勢的にとりくみ、当面する困難や障害を積極的に克服しつつ、八〇年代における革新統一戦線の結成とその勝利、民主連合政府樹立への道を、主動的にきりひらき、たたかいとらなければならない。
日本の進路をめぐる二つの道のするどい対決を特徴とする八〇年代の情勢のもとで、労働者、農漁民、勤労市民、知識人、婦人、青年、学生、老人、中小企業家など、国民各階層の要求と運動は、日本の真の独立と平和・中立をめざす闘争でも、国民生活の防衛と向上の闘争でも、民主主義と自由の擁護拡大の闘争でも、教育、文化、スポーツ、公害・環境問題などについての闘争でも、大きな発展の条件を迎えている。支配体制の危機を背景とした自民党と日米支配層の反動攻撃は、各分野の諸要求をきわめて切実なものとすると同時に、自民党政府や独占資本との対決を回避する右翼的潮流の役割と限界をいっそううきぼりにしている。
わが党は理論政策分野、政治分野および経済闘争、日常闘争の分野においても、多面的、精力的に活動をすすめてきた。
七〇年代最後の総選挙での自民党の敗北と、日本共産党の躍進は、広範な大衆をはげまし、新たな確信と展望をもって闘争にたちあがる機運をつよめつつある。
こうした状況のもとで、各分野の大衆運動を、八〇年代を進歩と革新の時代とするにふさわしい規模とひろがりをもって発展させ、ここに統一戦線を支持推進する自覚的民主勢力の強大な陣地をきずくことは、国政革新の事業全体にとっても、きわめて重大な任務である。この二年間、労働組合運動における統一戦線支持労組の比重増大と未組織労働者の組織化をはじめ、革新統一戦線を支持する民主的大衆組織の多くは、その運動と組織を着実に前進させてきた。これらの大衆組織のいっそうの強化拡大を援助し、大衆運動における自覚的民主的潮流の比重をさらに強固なものにすることは、各分野の独自の要求を達成するうえでも、革新統一戦線の結成を促進するうえでも、大きな意義をもっている。婦人戦線の問題では、党は一九七八年十一月、全国婦人活動者会議をひらいて方針をうちだし、その後の民主的婦人戦線の発展に貢献したが、この方針にもとづく活動と努力のいっそうの強化がもとめられている。
原水爆禁止運動でも、この間、運動の組織的統一のための各分野の平和活動家の努力がつづけられた。ここでは、一九七七年六月に、十四年来の分裂状態に終止符をうち運動と組織の統一を実現することについて、一応合意が達成され、統一世界大会は三回にわたって開催された。しかし、まだ組織的統一には、重大な障害が残されている。そのおもなものは、過去、原水禁運動に不当な分裂をもちこんだ社会党、総評を中心とする勢力が、自身も承認したこの合意をふみにじっているばかりか、統一世界大会に対抗する分裂「大会」を開催しつづけ、さらには、自分たちの特定の路線を運動全体におしつけるために、「統一世界大会」の場を利用しようとする動きもくりかえしてきたことである。また原水禁運動の歴史的発展とその成果を否定し、運動の変質をねらう同盟など、労働組合運動の反共的右翼的潮流からの策動もつづけられている。原水禁運動の組織的統一を名実ともにかちとり、核兵器禁止運動の真に国民的前進をきりひらくためには、統一の原則を堅持した活動によって、この分裂行動をうちやぶる積極的な闘争が、つよくもとめられていることを、強調しなければならない。その意味で原水爆禁止日本協議会と、これに結集した自覚的民主勢力の責任と、になうべき役割は、ひきつづき大きい。
労働戦線の動向は、革新統一戦線結成の事業にとっても特別に重要であるが、総選挙後、民社党・同盟および総評その他の労働組合内の右翼的潮流を中心に、政治戦線での新与党化に呼応する労働戦線の反共右寄り再編の策動が、さらにつよまっている。総評指導部が、参院選での社会党の議席確保の目的にすべてを従属させる立場からおしすすめてきた「社公中軸」、「社会党、総評、公明ブロック」路線も、事実上、右寄り再編に接近するものであり、「戦線統一」の名による労働戦線の右傾化、反共化の危険は、きわめて大きいものになっている。二月にひらかれた総評臨時大会が反共政権構想の支持を決定したことは、右翼的変質の新たな段階を画するものとなった。
労働戦線統一の事業は、単純に、労働組合の複数の全国組織を合流させて、より大きな組織をつくることを目的とした事業では、けっしてない。それは、国家独占資本主義の体制のもとで、独占資本とその政府という、組織された強大な敵にたちむかう労働組合運動が、労働者の経済的政治的諸要求の実現のために、その組織と行動を階級的に統一することであり、具体的には、正しい階級的民主的原則にもとづいて、労働組合の諸闘争を全国的、全産業別的に統一し、調整できる機能と役割をもったナショナルセンターを確立することである。
いま労働組合運動のなかには、企業ぐるみ選挙で、組合員に特定政党支持を強要しながら、労働者の生活と権利をまもる闘争は放棄し、減量経営下の首切り「合理化」に協力さえしている反共的右翼的潮流が、とくに、民間経営を中心に根深く存在している。「戦線統一」と称して、かりにいくつかの全国組織の合同がおこなわれたとしても、そこで労働組合としての基本原則をなげすてたこの種の右翼的潮流が支配的地位をしめ、反共主義や反革新の路線と結びついた「戦線統一」は、労働者の闘争を前進させ、その利益を擁護する力とは、なりえないであろう。
わが党は、一九六二年の第八回党大会四中総で、労働組合のどのような全国組織が労働戦線統一の母体となりうるかという問題について、つぎのように指摘したことがある。「労働戦線の統一という大きな目標と原則からみるならば、社会党支持という特定政党の支持を重大なわくとしてもっている現状のままでは、たんに相対的に大きな労働組合組織だということだけで総評をそのまま労働戦線統一の母体として評価することができないことも明らかである」。今日の情勢は、この指摘の重要性をいっそう確証している。既存の全国組織が、ナショナルセンターとしての正当な機能を果たさず、反対に、特定政党支持の誤りが、労働戦線右傾化の危険なテコになるといった事態のもとで、広範な労働者と労働組合のあいだに、新しいナショナルセンターをもとめる機運がつよまっているのは、当然の方向である。
未組織労働者の組織化の問題でも、階級的立場を堅持したナショナルセンターが存在しないことが、二千五百万にのぼる広範な労働者を、未組織のままに放置している一つの背景となっていることを、重視しなければならない。
真に労働者の利益を擁護する立場から労働戦線の統一をねがうすべての労働者と労働組合は、労働者の利益をそこなう労働戦線の右寄り再編に断固として反対し、労働組合の階級的民主的強化につとめるとともに、労働戦線統一の前提として、つぎの諸原則を確立するために、いっそう積極的にたたかわなければならない。これらの原則をそなえたナショナルセンターこそ、わが国で真に労働戦線統一の母体となる資格をもつことができるのである。
1 「資本からの独立」の原則を、労働組合の組織と運営、活動全体につらぬくこと。
2 「政党からの独立」、すなわち、特定政党支持の立場をとらず、組合員の政党支持の自由を保障するとともに、要求や政策の一致点にもとづいて、革新諸政党との必要な協力・共同をすすめるという原則を確立すること。
3 労働者の要求の一致にもとづく行動の統一を、全国的にも、産業別的あるいは地域的にもすすめること。
このたたかいにおいて、統一戦線支持労組の果たす役割は重要である。統一戦線支持労組は、総評への加盟、非加盟を問わず、これまでもわが国の労働組合運動の階級的民主的強化に、大きな貢献をおこなってきた。労働戦線の右寄り再編の危険が、いっそう重大な局面を迎えつつある今日、これらの労働組合は、必要な方法で共同の活動をさらに強化しつつ、広範な労働者と労働組合のあいだで、右寄り再編の有害性、労働戦線統一の原則、真のナショナルセンターのあり方などをめぐる大衆的討論を発展させる活動、労働者の経済的政治的要求を実現する全国的、地域的な統一行動を組織する活動、労働者階級の階級的任務として革新統一戦線結成の事業を推進する活動などで、いっそう積極的な役割を果たすことが期待される。また、ナショナルセンター問題について、ひろく労働組合の代表やこれまで労働運動になんらかのかたちで関係をもった有識者が、ひろく自由に協議して必要な見解を適宜表明できる、ゆるやかな討論的な懇談の場がつくられることも、きわめて有意義である。
第十四回党大会の決定は、党の選挙活動の水準を抜本的に引き上げるために、四項目の方針を決定したが、この二年間余の選挙闘争総選挙といっせい地方選挙の勝利、中間選挙の前進は、その正しさの実践的な裏づけとなった。とくに、
選挙の日時がせまってからでなく、大衆の要求にこたえる候補者と党組織の、長期にわたる日常不断の活動で選挙戦の前進を準備すること、そのためにも、候補者を早く決定すること、
選挙の勝利を保障するために、必要な党勢拡大を前提としてかならずやりとげること、
選挙戦を支持拡大中心の組織活動だけにわい小化せず、政策宣伝や候補者宣伝、的確な他党批判をふくめた政治宣伝をかならず先行させること、
反共攻撃には徹底的に反撃して、党の真の姿を、広範な有権者のあいだにひろめること、
後援会を、日常不断に活動する恒常的な組織として、大衆的に発展させ、「特定の候補者だけの支持活動でなく、各種の選挙で共産党の議員候補を支持して連続的にたたかえる、共産党後援会的な機動性をもった組織」として確立すること、
支持者台帳にもとづく組織活動や、情勢判断における主観主義の一掃など科学的選挙の方針を徹底させること
――これらは、その有効性を、この二年間余の全国的な実践でためされた基本点である。
これらの方針の理解と実践のうえで、それぞれの地域や党組織には、より先進的な部分もあれば、おくれた部分もあるというだけでなく、我流に逸脱して、さまざまの弱点や欠点をもつ部分もある。全党は、一連の選挙戦の経験をつうじて、より発展させたその後の党中央の諸決定、さらに選挙闘争についての本大会の決定を指針として、八〇年代に、政治革新の事業を成功させるだけの力量をもった党議員団を、国会、地方議会にきずきあげ、また革新自治体の防衛・奪還・拡大の任務をやりとげるために、全力をつくして奮闘しなければならない。
国政選挙の当面の中心課題は、さきの総選挙での躍進にひきつづいて、目前にせまった参議院選挙で、わが党の勝利を確実にかちとり、国政革新の事業を前進させる八〇年代の新しい第一歩をふみだすことである。政治情勢の新しい展開は、自民党およびそのいっさいの補強・追従勢力にたいして国民的な審判をくだし、わが党とともに、革新日本への道を選ぶことが今回の参院選の中心的対決点となることを鮮明にしている。
参議院選挙では、戦後最高の得票を達成することによって、全国区候補全員の当選を実現すること、地方区では、北海道、東京、京都、大阪、兵庫の現職区を、あらゆる困難を突破して確保しぬくことはもちろん、全地方区で大きな躍進をかちとることが、中心任務である。
地方区の現職区と必勝をめざすところでは、「全・地一体」を選挙戦の基本とするが、その他の地方では、全国区優先、すなわち、全国区の当選にかならず責任を果たす立場を厳格につらぬく。
全国区のたたかいは、すべての地方が、議席の獲得に責任を負う必勝区であると同時に、例外なくすべての党派が、有権者の支持を争いあう選挙区であって、各党の基本的力量がもっともするどくはかられる選挙戦となる。ここで、他党派にうちかって、国政選挙での戦後最高の得票をめざし、それを達成することは、ひきつづく国政選挙や中間選挙での前進の土台をきずくうえでも、決定的に重要である。地方区では、まず現職五議席の防衛を、不退転の決意でかならずやりぬかなければならない。どの選挙区でも、勝利のためには、総選挙の得票をさらに飛躍的に前進させて、史上最高の峰に挑戦することが要求されているが、他党派が、どんな組み合わせで支持票の協力をおこなおうと、それにうちかって議席を確保する必勝のとりくみが必要である。
同時に、他の地方区でも、新しく議席に挑戦する条件と可能性をつよめる見地から、従来の得票実績をかならず突破する意欲的なとりくみは当然であるが、そのさい、前回の参議院選挙にみられたように、全国区の得票が地方区よりはるかに低く、なかには、何分の一にとどまるというような狭い地域主義は、全党的な勝利をさまたげる重大な偏向となることを自覚しなければならない。
こうして、全国区候補全員の当選および現在の地方区議席の安定的確保と、新しい峰をめざして、得票数を全国的に増加させるという参院選の任務を、確実にやりとげることを第一歩として、きたるべきつぎの総選挙での新たな躍進をはじめ、国政選挙での八〇年代の連続的な前進をめざして、ひきつづき奮闘しなければならない。総選挙で当選、または得票を増加させたところも小成に安んぜず、とくに、得票数を減少させた選挙区をもつ党組織は、これらの任務の達成に具体的な成果をもってこたえ、全国区でも地方区でも、得票数で、過去の議員選挙で到達した最高の陣地をかならず突破することをめざし、新しい前進をかちとらなくてはならない。
一九七九年五月の七中総は、「当面の選挙戦では重点区をもたない県党組織は、八〇年代の展望のなかでは、県選出の日本共産党の国会議員を必ずもつことを目標とすべきであり、いまからその実現にむかって計画的、系統的に準備をすすめる」という方針を決定したが、つぎの総選挙は、この方針を具体化する最初の舞台である。現職区で再選を確実にかちとる準備や、さきの総選挙で惜敗した選挙区での必勝の条件づくりを、計画的にすすめると同時に、従来の非重点区でも、きたるべき総選挙で議席を争うだけの条件を、積極的につくりだすよう、政治宣伝や党勢拡大をふくめ、大きな意欲をもって、積極的な努力をおこなう必要がある。このためにも、参院選全国区の確実な勝利を保障するよう、自県の全国区得票を躍進させることが、当面の中心課題であることを、銘記しなければならない。
わが党が革新の推進力として、国政にそれにふさわしい比重をしめるためには、すべての党組織が、国政選挙での得票率を抜本的に引き上げることを、いっそう目的意識的に追求する必要がある。さきの総選挙でも、得票率二七・二%の京都一区をはじめ、わが党の得票率が二〇%をこえた選挙区は十二にのぼるが、大都市の重要選挙区でも、得票率一〇%台にとどまっているところが、当選したところをふくめて少なからずある。県ごとにみると、全県の得票率の平均が一〇%以下は二十九県あり、そのうち十四県は五%以下である。こうした現状に安住せず、大きな意欲と計画的な活動をもってこれを打開し、八〇年代には、わが党がすべての県で得票率一〇%をこえる政治的比重をもち、全国的な得票率も二〇~三〇%台に前進する強大な政治勢力となることを目標とし展望する必要がある。
地方選挙では、わが党は、一九七五年のいっせい選挙から一九七九年のいっせい選挙までの四年間に、地方議会の議席四百四十二名ふやし、その後の中間選挙での議席増もふくめて、全国の党地方議員総数は三千五百九十八名となり、公明党をぬいて第三党になるという前進的成果をおさめた。この成果をさらに発展させ、沖縄県議選(八〇年)、東京都議選(八一年)をはじめ、一つひとつの中間選挙に意欲的にとりくんで、勝利をつみかさねるとともに、一九八三年のいっせい地方選挙で新たな躍進をはかり、地方議員総数で自民党にせまると同時に、各級自治体に党議員団の不抜の地歩を確立するために、長期の視野にたった計画的なとりくみを強化する必要がある。とくに二県三十二市千二百五十五町村の空白議会の克服を、特別に重視しなければならない。
自治体の首長選挙では、自民党の反共奪還作戦によって、京都、横浜、沖縄、東京、大阪など、少なからぬ革新自治体が失われた。これは、重大な政治的事件であった。しかし、これは、自民党の復調を直接あらわしたものではけっしてなく、公明、民社、新自由クラブなどが自民党をたすけて反革新連合をくみ、しばしば社会党までがこれにくわわって、革新自治体打倒の作戦を展開した結果であった。これらの反共反攻作戦の一時の成功が、単純に自民党政治の基盤拡大を意味せず、選挙後の奮闘とも結びついて、反対に真の革新勢力への期待をたかめる新たな契機ともなっていることは、さきの総選挙における京都、大阪でのわが党の前進にもしめされている。
わが党と革新勢力は、第十四回党大会いらいの首長選挙で、百十八の革新自治体でその防衛のたたかいにとりくみ、二十三自治体で敗北したが、九十五自治体では反革新の攻撃や逆流をうちやぶって、その防衛に基本的に成功し、さらに四十自治体で新たに革新自治体を拡大した。その結果、わが党を与党とする革新自治体とその人口数は、前大会当時の二百十自治体四千八百四十万人から、二百十六自治体三千四百十二万人となった。人口数では後退したが、革新自治体は、日本の人口の三割以上をしめ、ひきつづきわが国の地方政治の有力な潮流をなしている。
党は、まじめに地方政治の革新をめざすすべての政党、団体、個人とともに、反革新の逆流をうちやぶって、革新自治体の現有の陣地を断固防衛し、さらに、革新自治体の奪還と拡大をはかるという基本方針を堅持してたたかう。社会党が反革新に転換したもとでも、わが党は革新統一をのぞむ広範人びとを結集し、政策・組織協定に基礎づけられた地域的な革新統一戦線の結成、革新統一候補の実現とその勝利のために全力をつくす。わが党は以前から一貫して、自治体首長の革新統一候補には、特定政党の人でなく、誠実な無所属革新の人がふさわしいことを主張してきたが、今日の情勢下でこのことはいっそう重大となった。党は、首長選挙で社会党籍をもつ人物を革新統一候補とする態度はとらない。
八〇年代の関頭にたって、世界情勢は、戦後史のうえでも、もっとも重要な激動の時期を迎えている。
世界資本主義の危機は、前大会以来の七〇年代最後の二年間に、いちだんと深刻な進行をみせた。資本主義世界経済はいま、ひきつづく国際通貨危機、インフレと不況・失業の反復的同時進行にくわえて、新植民地主義支配の矛盾と結びついたエネルギー危機の表面化によって、その土台を大きくゆるがされている。こうした状況は、財政・金融による不況克服という従来のケインズ的政策を完全に破たんさせており、帝国主義陣営は、それにかわりうる政策を生みだしえないでいる。一九七九年六月、東京でおこなわれた五回目の先進国首脳会議(東京サミット)は、過去四回の会議とほとんどまったく同じ議題を、くりかえし論議したことに端的にしめされるように、これら諸国間の矛盾の若干の「調整」をおこなうにとどまり、帝国主義・独占資本主義国の支配層が、危機を根本的に解決する能力を失っていることを、もう一度露呈する会議となった。
その直後に、わが党の主催でおこなわれた資本主義十ヵ国の共産党による国際理論シンポジウムは、世界の人民の立場、進歩と変革の事業の立場から、「新国際経済秩序」の問題を取り上げた。日本の革新民主勢力は、日本経済の民主的再建のたたかいと不可分の課題として、各国の経済主権を侵害するアメリカ主導の国際経済秩序の反動的再編のくわだてに反対し、多国籍企業の活動に民主的規制をくわえ、経済主権の確立と平等・公平を基礎にした新国際経済秩序をうちたてる国際的な闘争を、積極的に前進させる必要がある。
わが党が、独占資本主義国中心の古い国際経済秩序の打破が、独占資本主義国の構造的危機の打開、進歩と人民の解放にとっても重要であることをあきらかにし、発展途上国の諸要求、闘争課題と、独占資本主義国の勤労者の立場との統一性、共通性の問題に新しい光をあてたことも、こうした闘争の前進にとって、重要な貢献をなすものである。経済危機の深まりを重要な背景として、日本とヨーロッパなど資本主義諸国の人民闘争は、前進をつづけている。西ヨーロッパでは、イタリア、フランス、スペインなど、それぞれ情勢や運動に各国ごとの曲折をはらみながらも、共産党の政権参加を内容とする国政の革新的転換を中心の主題とする政治闘争が、人民的勢力と保守的支配勢力のあいだで、展開されている。
イラン、ウガンダ、ニカラグアなどアジア、アフリカ、ラテンアメリカの一連の国ぐにで、反共独裁政権があいついで崩壊したことも、この二年間におこった重要な国際的事件である。アメリカが、日米軍事同盟との一体化をはかりつつ、極東での戦争態勢の最前線基地としてきた韓国でも、金大中事件などのファッショ的抑圧に反対する民主化運動の下からのたかまりとともに、米軍支配下の親米反共の独裁勢力自身の内部で対立が深まり、朴大統領の殺害が計画的に準備・実行されるなど、独裁政権の自壊的作用は、おしとどめがたいかたちで進行しつつある。これらは、インドシナにおけるアメリカ帝国主義の世界史的敗北につづいて、その一つひとつが、アメリカを中心とした帝国主義、新植民地主義の支配の体制に、痛烈な打撃をあたえるものとなった。
世界政治の一翼をになう非同盟・中立の潮流も、一九七九年九月の第六回首脳会議(ハバナ)で、新たに六ヵ国がくわわり、参加国九十二ヵ国・三民族解放組織、総人口十五億五千万人を数えるなど、新たな成長をとげた。社会主義国から王制諸国までふくみ、歴史的発展の経過や国際的立場も異なる広範な国ぐにの参加する運動であるだけに、あれこれの問題での意見の相違や対立は、当然おこりうることであり、この会議でもそれが表面化した。しかし第六回会議は、意見の相違点は保留し、一致点で共同するという統一の原則にたって、意見の相違によって生まれた困難をのりこえ、大国による軍事ブロック化反対、帝国主義・新植民地主義反対、新国際経済秩序の樹立など、国際的な舞台でのたたかいの共通の課題と目標を、一致して確認した。これは、世界の反帝勢力をはげますとともに、非同盟運動の分裂や挫折に期待をかけ帝国主義勢力を、大きく失望させるものであった。一九七八年の国連軍縮特別総会も、非同盟諸国のイニシアチブでひらかれたものだったが、オブザーバー、ゲストをふくめると、すでに国連加盟国の三分の二をこえるにいたった非同盟諸国会議が、特定の立場を相互におしつけることなく、また外部からのさまざまな干渉や変質・分裂の企図を許さず、反帝・非同盟勢力の大局的団結という伝統をまもりつづけるならば、この運動の役割と有効性は、こんごの国際政治のうえでさらに実証されてゆくであろう。日米軍事同盟を離脱した非同盟・中立の日本が、非同盟諸国会議に参加するというわが党の提案は、こんでますます重要な意義をもってくる。
アフガニスタン問題は、ソ連軍介入の評価をめぐって、国際共産主義運動の内部にも、見解の複雑な分岐を生みだしている。非同盟諸国の内部にも深刻な衝撃をよびおこし、それは、これらの国の国連の活動にも反映している。
わが党は、これまでも、世界情勢の基本的な傾向について、世界の三大革命勢力-社会主義諸国、資本主義諸国の革命運動、民族解放運動が、今日の時代における世界史の発腰のおもな内容、方向、特徴を決定する原動力であることを明確にし、アメリカ帝国主義を先頭とする帝国主義と反動の勢力にたいして、三大革命勢力の正しい前進と連帯をはかるという原則的見地を、国際活動に一貫してつらぬいてきた。また、国際関係の基準としての領土主権の相互尊重、相互不可侵、内政不干渉、平等・互恵、平和共存という平和五原則を国際関係の重要な基準として一貫して強調してきた。八〇年代の激動する世界情勢のなかで、これらの見地を正確に堅持することは、いよいよ重要になっている。
世界情勢の発展を複雑にしてきたのは、前大会いらいの期間に、人類史の先頭にたつべき国際共産主義運動に、反帝勢力の闘争と団結をさまたげる大国主義、分裂主義の傾向、潮流がつよまったことであった。とくに七〇年代後半にはいって、中国で、自国の指導者の国際的絶対化を前提として、各国共産党に干渉し、破壊をつづけるだけでなく、国際政治において、ソ連主敵論の立場からアメリカ帝国主義の主導する侵略的軍事同盟の有力な新しい礼賛者となり、みずからも隣接の社会主義国にたいして侵略戦争を強行するという事態が生じた。社会帝国主義の政策に公然とふみだしたこうした事態は、世界史の発展にさからって、帝国主義をたすける重大な国際的逆流をつくりだしている。
われわれは、世界の革命運動が、それぞれの国の歴史的発展段階や、特殊性にもとづいて、独自の道を選ぶ権利を尊重する。しかし、アメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策への公然とした同盟の路線と大国主義的排外主義からの他国の革命運動への不当な干渉は、放任することができないのは当然である。それらにたいする批判と闘争は、世界の平和と民族解放、社会進歩の事業にとって重大な意義をもつとともに、他国の解放運動への社会植民地主義的干渉から自国の革命運動の自主性を擁護するためにも、不可欠の課題である。
わが党は、これらの大国主義的潮流からのわが国の革命運動への干渉や、帝国主義美化の潮流にたいしては、原則的な批判と闘争を一貫しておこなってきた。とくに、アメリカ帝国主義が、その各個撃破政策をベトナム侵略戦争に集中していた時期には、さまざまの帝国主義追随論や客観的には美化論が、帝国主義侵略者をたすけて、国際的な闘争の方向を誤らせるきわめて有害な役割を果たすことを、重大な局面ごとにきびしく指摘してきた。最近公表されたニクソン、キッシンジャーなどの当時の米政府首脳部の一連の回顧録は、わが党のこの指摘が、事態の核心をとらえた批判であったことを、彼らの策略の詳細な事実経過によって裏書きしている。アメリカのカーター政権は、前政権から各個撃破政策をひきつぎ、これをベトナム侵略戦争に敗北した以後の情勢に具体化して、新たな侵略的展開をはかってきた。核軍拡をはじめ「力の政策」を誇示すること、緊急投入兵力の創設・配置を背景に、世界の重要地域への軍事介入政策を、公然と軍事・外交の基本方針とすること、同盟国に、より大きな軍事的、経済的負担を要求し、戦争と侵略の共同作戦に、より有機的に組みこむこと、日米軍事同盟などを、軍事支柱としながら、より多面的にアメリカの世界戦略に役だつ政治同盟としても発展させることなどが、その重要な特徴である。カーター政権の首脳部は、第二次石油危機の勃発いらい、中東の石油確保はアメリカの「死活の利益」に属するとして、必要な場合には中東ペルシャ湾地域への軍事力の投入をせずとい好戦的言明をくりかえしおこなってきた。カーター政権は、ことしに入って、これらの方針をいっきょに全面的に発動させようとしている。これは、「力の政策」のもっとも危険なあらわれであり、アメリカ帝国主義が、今日の世界における戦争と侵略の危険の最大の源であることを、端的にしめしたものである。
重要なことは、インドシナ問題などで社会帝国主義の政策に公然とふみだした中国と、このアメリカ帝国主義のあいだに、それぞれの覇権主義、侵略主義の相互支援をつうじて一種の同盟関係が形成され、それが日米、米韓の軍事同盟と結びついて、アジアにおける緊張の最大の根源となっていることである。
これまで日米軍事同盟に反対してきた勢力の一部にも、中国がとっている日米軍事同盟支持、アメリカ帝国主義と日本支配層への追随・美化の政策に同調して、日米軍事同盟反対の闘争を放棄し、逆に中国のベトナム侵略を擁護する動きがあるのは、アジアの平和とわが国の主権と平和のために重大である。
すべての反帝・平和民主勢力にとって、カーター戦略の危険な発動に反対することをはじめ、アメリカ帝国主義の戦争と侵略、世界支配政策のあらゆるあらわれに反対し、平和と民族自決のためにたたかうことは、ひきつづき共通の最大の中心的任務である。同時に、アメリカ帝国主義をたすけ、反帝・平和民主勢力の闘争に重大な支障をつくりだしている国内外の潮流の策動にも、反対しなければならない。
ソ連のアフガニスタン介入は、アメリカ帝国主義の侵略体制再編強化の策動に絶好の口実をあたえた。わが党は一月十日の常任幹部会声明で、ソ連軍の出動に同意しえないことをあきらかにし、ソ連の軍隊のアフガニスタン領内からのすみやかな撤退を主張した。アフガニスタンの進路はアフガニスタン人民自身が選択し決定する問題であり、世界のいかなる国家も、あれこれの政変や変革を外部からおしつけたり、政に介入する権利をもちえない。このような外部からの介入は、国内的にはその国の社会進歩の事業を国民大衆からきりはなし、国際的にも反帝闘争や社会主義の大義に打撃をあたえ、結局は、帝国主義勢力を勢いづけ、彼らに新たな攻勢や策動の機会をあたえるものである。わが党は同時に、アメリカその他の国が、パキスタンをつうじてアフガニスタンへの干渉をおこなっていることに反対し、その停止を主張した。科学的社会主義の原則をまもり、いかなる干渉にも明確な批判をつらぬくわが党のこの立場は、民族自決権の擁護にとって積極的な意義をもっている。それはまた、「革命の輸出」にも「反革命の輸出」にも反対するという、原則的態度をつらぬくものでもある。
とくに、アメリカ帝国主義によって、侵略的軍事ブロック体制の世界的規模での再編強化がたくらまれている今日、軍事ブロックが世界の大勢だといった議論の反動性を批判しつつ、日本の非同盟・中立化とともに軍事ブロック廃止の旗をいっそう高くかかげてたたかうことは、重要である。
世界平和のための闘争では、核軍拡競争の継続の激化という危険な現状からみて、核兵器の全面禁止をめざす闘争をいっそう重視し、この目標の実現に、全世界の世論を動員する活動を、さらに強化してゆく必要がある。一九七八年五月、軍縮を唯一の議題としてひらかれた国連史上最初の軍縮特別総会は、その「最終文書」(七月一日採択)で、核軍縮と核戦争防止を最優先の課題とし、「核兵器の完全な廃絶」そ、そのための最終目標であり、もっとも効果的な保障となると宣言した。しかし、核保有の帝国主義諸国の抵抗によって、核兵器の全面禁止ばかりか、核兵器の使用禁止についてさえ、具体的な合意はえられず、当面の措置として採択されたものは、部分的、限定的な問題にかぎられる結果となった。わが党は、核兵器全面禁止の国際協定の締結が、核戦争を防止し、人類の生存を確保するうえで、今日の第一義的な緊急課題であることを、ひろく日本と世界の平和民主勢力によびかけるとともに、とくに、社会主義諸国の政府が、国際政治の舞台で、その運動の先頭にたつことをつよく要望するものである。同時にまた核兵器を持たず、つくらず、持ちこませずという非核三原則の国際化をつよく提唱する。
今日、インドシナはふたたび国際的焦点の一つとなっている。アメリカ帝国主義は、この地域にたいする中国の干渉と侵略を最大限に利用して、ベトナム侵略戦争の敗北に報復し、インドシナ三国人民を孤立化させ、極東における軍事同盟体制の再編、東南アジア支配のたてなおしと、拡大をはかろうとする帝国主義的策謀をめぐらしている。
わが党は、この間のインドシナ情勢の複雑な展開にたいして事実と道理にもとづいて一連の評価と態度を明確にしてきた。
一九七七年末、カンボジア=ベトナム間の国境紛争が公表されたとき、わが党は、国境紛争における正義と不正義を識別する基準は、どちらの側が首尾一貫して、誠実に、話し合による平和的解決を主張し、行動したか、どちらの側が話し合い解決を拒否して、武力による解決を志向したのかに、おかなければならないことを明確にし、カンボジアのポル・ポト政権による国境侵略と、これにたいするベトナムの側の自衛反撃との根本的相違を、この客観的基準にてらし、明白な事実経過にもとづいてあきらかにした。
また、一九七九年一月、カンボジアのポル・ポト政権が打倒され、カンボジア救国民族統一戦線によって、カンボジア人民共和国が誕生したとき、それがベトナム側の自衛反撃の最中におこったことを理由として、中国をはじめ旧ポル・ポ政権支援勢力の側から、「ベトナム侵略者」説がひろく流布された。わが党はこれにたいし、実際におこった事態の分析にもとづいて、カンボジアの事態は、ポル・ポト政権による大量虐殺とファッショ的圧制に反対するカンボジア人民の武装蜂起と、ポル・ポト政権による国境侵犯、残虐な住民虐殺を阻止しようとしたベトナム側の自衛反撃とが、同時に進行した結果であることを解明し、この二種類の戦争を意図的に混同した「ベトナム侵略者論」の誤りを、道理をもってあきらかにした。
一九七九年二月、中国がベトナムへの大規模な侵略を開始したとき、この事実を世界に最初に知らせたのは、ハノイに駐在していた赤旗特派員の打電であった。わが党は、ただちに常任幹部会の声明を発表して、それを、社会主義の大義とまったく無縁な侵略行動として糾弾し、中国に侵略行為の即時中止と、全部隊のベトナムからの撤退を要求するとともに、平和と民族自決を擁護する世界と日本のすべての勢力に、中国の侵略行動をやめさせるために、ただちに行動をおこすことをよびかけた。中国のベトナム侵略の最中におこった高野功赤旗特派員の殉職は、わが党のこうした国際主義を、一身に体現した貴重な犠牲であった。
ひきつづく中・越国境紛争や「難民問題」を利用したインドシナ孤立化の政策にたいしても、わが党は、国境紛争のさきの基準にてらして、道理がだれの側にあるかをあきらかにした。また、大量の難民流出の最大の責任は、三十年にわたる侵略戦争で、ベトナム全土を荒廃させた帝国主義とその共犯者や、新たな侵略やかく乱、旧ポル・ポト政権の残党支援で、インドシナ三国の経済建設を困難にしている中国の覇権主義などの側にあることをきびしく指摘し、「難民問題」をベトナム非難の手段とするいっさいのくわだてに反対してきた。
また、わが党は、一九七九年六月、常任幹部会の声明を発表して、旧ポル・ポト政権の三年にわたる虐殺と破壊のあと、言語に絶する苦難のなかで、民族の自決と幸福をもとめて新しい国づくりをすすめているカンボジア人民が、飢餓と疾病とたたかっている状態にたいして、緊急の支援をよびかけた。わが党は、このよびかけにこたえて全国から寄せられ支援募金約二千二百六十万円を、医療品としてカンボジアに送ったが、日本カンボジア協会など民主団体の集めた募金も、現在までにすでに一千六百万円をこえている。
党は、日本政府がアメリカの侵略戦争に協力して、インドシナ人民に多大の損害をあたえ、今日のインドシナ人民の苦難に重要な責任を負っているにもかかわらず、カンボジア問題を口実にして、ベトナム社会主義共和国への協定ずみの援助をたな上げするなど、アメリカ政府や中国政府の意向にそって、カンボジア問題に干渉しようとする一連のたくらみを、一貫して批判してきた。
インドシナ問題についてのわが党の評価と態度は、多年にわたってインドシナ諸国人民支援の闘争をすすめてきた日本の平和民主勢力が、新しい情勢のもとで、連帯活動を正しく展開することに役だつと同時に、国際的に、反帝平和勢力の連帯と努力の方向を明確にするうえでも、一定の貢献をするものとなった。
わが党は、共産党間の関係についての国際的に確認された原則をまもりながら、他の共産党・労働者党との関係を、多面的に発展させてきた。この二年余のあいだに、十四の外国の党の代表を迎え、十六ヵ国にわが党の代表団または代表を送った。
党は、世界資本主義の危機の進行のなかで、発達した資本主義国の諸党との交流・連帯を、多面的に前進させ、一九七九年七月には、十ヵ国の諸党による国際理論シンポジウムを東京で主催した。これらの交流にあたっては、発達した資本主義国の革命運動としての共通性に注目するとともに、各国の独自の情勢や歴史のもとで、自主的に探求・展開されてきた路線や経験の特殊性を正当に留意することが重要である。この国際シンポジウムでも、各党の自主的立場の尊重を前提とした意見や情報の自由な交換、特定の路線を「基調」としておしつけない会議の民主的な運営が、各国代表から高く評価された。こんごとも各国の革命運動の研究や交流につとめながら、ある特定の国の経験や路線を絶対化して、発達した資本主義国の革命のモデルにしたりするわが国の一部にある事大主義の傾向はひきつづきいましめていく必要がある。
宮本委員長のユーゴスラビア、ルーマニア訪問(一九七八年)は、社会主義国の共産党との友好・連帯のうえで大きな意義をもち、これらの首脳会談での、主権国家間の紛争の話しあいによる解決の提唱や、新国際経済秩序をめぐる闘争の新しい提起などは、国際政治のうえでも重要な役割を果たした。野坂議長のインドシナ三国訪問も、新しいインドシナ情勢下のインドシナ三国の諸党との相互理解と連帯の前進に大きく貢献した。
また、七九年十二月の宮本委員長を団長とするわが党代表団のソによる日ソ両党会談と、その結果にもとづいて発表された共同声明は、一九六四年の日ソ両党関係断絶の原因である志賀問題を、原則にもとづいて処理することに合意し、十五年来の不正常をただして、ほんらいの正常な関係を確立したもので、この期間の国際活動の重要な成果である。長期にわたる努力を要したとはいえ、この問題に、最終的には国際共産主義運動の原則にかなった理性的な解決があたえられたことは、各党間の独立と平等を尊重し、反党分派活動の支援をふくめ、いかなる大国主義、干渉主義も許さないという、共産党間の関係についての公認の基準の生命力を実証したものであり、日ソ両党にとってだけでなく、国際共産主義運動全体にとっても、歴史的な意義をもつものである。日ソ両党共同声明が、共産党間の公認の基準について、これまでになく具体的に規定し、社会主義および社会主義建設の多様な道について原則的見地をあきらかにしたことは、国際的にも重要である。
さらに、共同声明は、両国間および両国民間の問題、国際情勢、国際共産主義運動の諸問題について重要な意義をもつ一連の積極的な定式化をおこなった。
もちろん、日ソ両党間には、あれこれの重要問題で意見の不一致があるし、こんごもありうるが、わが党は「若干の重要な問題で意見の相違のある諸党とも、その党がわが党と日本の民主運動に干渉や攻撃をくわえないかぎり、兄弟党間の関係を発展させる」という従来からの基本態度にもとづいて、ソ連共産党との友好関係の確立と発展につとめる。日ソ両国民間の懸案の問題である領土問題歯舞、色丹、千島列島の問題についても、自民党政府の過去の誤りや、日米軍事同盟の現状に拘束されない科学的社会主義者の立場と言葉で、独自の対ソ対話をすすめてゆく。共同声明がこの点で平和条約締結をめざして両党間の意見交換の道をひらいたことは、この問題の日ソ間の経過からみて重要である。
日本共産党にたいする中国側からの大国主義的干渉は、中国共産党の現在の指導体制が成立した後にも、反党分派諸グループへの支援と激励など、さまざまなかたちでつづけられている。さきの総選挙で、反共の先兵の一つとして各地で策動した「日本労働党」なるものも、中国の支援をうけた反共グループの一つである。わが党は、こうした反党グループへの支援など大国主義的干渉の行為にたいしては、これに終止符をうつまで断固としてたたかいぬくものである。同時に注目すべきことは、中国現指導部がおこなった「文化大革命」問題や対外政策上の路線転換が、「修正主義」非難や「四つの敵」論など、一九六六年来の日本共産党攻撃や、対日干渉のすべての論拠をみずからくつがえし、その大国主義的干渉の無法と不条理を、いよいようきぼりにする結果となっていることである。
戦後の世界の共産主義運動の大勢は、こうしたヘゲモニー主義の横行を許さない方向に大きくすすんでいる。国際共産主義運動における長期の深刻な非和解的な対立をもたらした最大のものがヘゲモニー主義であることを考えるならば、独立、平等、内部問題不干渉、正しい一致点での連帯というすべての党間の公認の基準が、こんご、名実ともに、例外なく厳格に尊重され実行されることを、わが党は心から希望するし、世界の革命運動の一員としてわが党もそのために力をつくすものである。
いま八〇年代を迎えて、世界資本主義は、第一次世界大戦および第二次世界大戦前後の危機にも匹敵するような、政治・経済の全般にわたる深刻な歴史的危機に直面している。この危機の重要な特徴は、それが、世界戦争とそれがひきおとした破壊や荒廃を前提とすることなく、資本主義体制の内部矛盾の、いわば「必然的」な発展と激化の結果として進行していることである。また、社会主義諸国の増大する役割や、民族解放運動の新たな発展とともに、日本と西ヨーロッパなど発達した資本主義諸国の人民闘争と革命運動は、複雑独特の諸要因と諸困難をともないつつ、それを突破して前進するための新しい創造的活動がもとめられており、その国際的責任もまた大きい、ということである。
すでに人口十四億を数え、世界の政治と経済のうえで、年ごとにその比重を大きくしている社会主義の国ぐには、ロシアの十月革命いらいの六十余年の歴史をつうじて、社会主義の制度のもつ優位性を、多くの事実で証明した。「文化大革命」などの誤りによって経済建設にも巨大な打撃をうけた中国などの否定的事態もあるが、消費者物価の安定、安い家賃の住宅、国民に負担をかけない医療や教育、労働者保護、失業の克服、各分野での男女平等の徹底、子どもの成長への配慮、すぐれた福祉行政、文化・芸術・スポーツの開花などは、物質的生産力の発展の度合いにちがいはあっても、多くの社会主義国に共通した国民生活の特徴となっている。これらは、資本主義的搾取の一掃が、国民生活にどんな変化をもたらしうるかの雄弁な例証である。また、第二次世界大戦の経過や、最近ではベトナム人民の抗米救国闘争の勝利が物語るように、社会主義の事業が、世界史の重要な局面で、ファシズムと帝国主義に抗し、平和と民族自決を擁護するとりでの役割を果たしてきたことも、明白な歴史的事実である。しかし、現在の社会主義が、経済的発展の比較的おくれた条件から出発したという歴史的制約をまぬがれず、またその途上で、一部の国ぐにでは、社会主義の大義に反する重大な誤りもおかされるなど、全体として「世界史的には、まだその生成期を経過しつつあるにすぎない」ことは、前大会で分析し、指摘したとおりである。
しかし、社会主義社会の現実の過渡性に由来する諸現象を口実に、社会主義がこれまでにも達成した資本主義社会のおよびえない制度的な優位性を無視したり、社会主義と共産主義の事業こそ、人類の真の「平等で自由な人間関係」を創造しうる展望を否定することが、正しくないことはいうまでもない。
わが党は、第十三回臨時党大会で採択した「自由と民主主義の宣言」のなかで、わが党がめざす社会主義日本の前途を解明し、第十四回党大会の諸決定では、日本におけるこの路線が、現代世界と社会主義への世界史的展望のなかでどのような地位をしめているかを、科学的にあきらかにした。マルクスは、発達した資本主義が社会主義にひきつぐべき歴史的遺産として、高度の物質的生産力とともに、人間の「個性」の発展の諸条件をあげたことがある。日本など発達した資本主義の国ぐににおける社会の進歩と変革の事業、民主主義革命と社会主義革命の新たな勝利が、社会主義の事業が今日の生成期の制約や矛盾をのりこえて、科学的社会主義と共産主義の理想にむかって、その生命力を全面的に発揮する新しい未来に近づいてゆく貴重な原動力の一つとなるであろうことは、まちがいない。
こうした世界史的展望のなかで、アジアにおけるただ一つの高度に発達した資本主義国日本における労働者階級と人民の闘争が果たすべき役割は、国際的にもきわめて重大である。わが党は、世界の反帝諸勢力と国際共産主義運動の正しい連帯の見地を堅持しながら、日本の労働者階級と人民の闘争の先頭にたち、当面する国政革新の事業に全力をつくしつつ、国民とともに、ひきつづき日本の進歩的未来をきりひらくために、全力をつくすものである。
支配体制の危機とその打開をめぐる一九七〇年代の闘争の全経過と今日の政治情勢は、日本の民主的再生と国政革新の事業にとって、強大な日本共産党の建設とその積極的活動が、不可欠であることを、国民的な経験と事実をもって実証した。
第一に、国内では政治・経済・文化の全般にわたる体制的危機が深刻に進行し、国際的にも帝国主義勢力と反帝国主義勢力の対決が、大国主義、社会帝国主義の動向ともからんで展開するなど、今日の複雑な情勢のもとで、国政革新の事業を前進させるためには、日本の国民の進路を正確にさししめす力量と先見性をもった政党が、なによりも必要とされている。革新三目標と民主連合政府綱領提案や、『日本経済への提言』など日本経済の民主的再建の方策の提唱をはじめ、七〇年代に生起した内政・外交の諸問題にたいし、わが党が党綱領の路線にもとづいてしめした態度や政策は、社会発展の法則性を正確にとらえて、進歩と変革の事業を推進する科学的社会主義の党こそ、どんな複雑な情勢のもとでも、体制的危機からの国民的、民主的打開策日本の革新的前途をしめず力をもっていることを、具体的に証明したものであった。とくにこの点では、高度に発達した資本主義国における革命は、地球上でまだ本格的に実現されたことのない、人類史の新しい展開であり、人民の多数の民主的志向に依拠しつつ、この事業を成功させるためには、人民解放、労働者階級解放の科学に基礎をおいた党の先進的役割が、いっそう重大となることが、強調されなければならない。
第二に、革命は「結束した強力な反革命」との闘争で、自分の真の成長をかちとるというマルクスの言葉のように、革新的潮流の成長と前進は、反動勢力の側からの大規模な反共・反革新の反攻を生みだす。このなかで、国政革新の事業の推進力となりうる政党は、反革新のどのような攻撃に直面しても、断固としてこれにたちむかい、社会進歩と革新の大義、民族と国民の真の利益をまもりぬける政党である。七〇年代後半、階級闘争の弁証法のきびしい展開にさいして、右寄り野党が自民党の同盟者としての本性を露呈し、社会党も反革新の攻撃に屈してしばしば革新の大義をふみはずし、ついに社公合意によって反共、反革新、体制擁護の路線に変質、転落するにいたったなかで、わが党だけが「いつでもどこでも革新をつらぬく党」として、その真価を発揮し、反革新の攻撃のどんなあらわれにたいしても、確固としてこれに反撃をくわえた。この事実は、戦前の暗黒時代に、侵略戦争反対、民主主義と社会進歩の旗を、あらゆる迫害に抗してかかげつづけた不屈の歴史とともに、どの政党が、国政革新の推進力としての資格をもっているかを、多くの国民のまえであきらかにした。
第三に、七〇年代の革新と反革新の闘争は、〝陣地戦〟とか〝党勢拡大時代〟とかの言葉に象徴されるように、反動支配の基礎を強化するために、反動的諸党派が大衆的基盤の組織化や拡大に、とくに力をそそいできたことを特徴としている。この分野でも、幾百千万大衆とひろくかたく結ぶ、大衆的前衛党の建設、数百万の読者を全国すべての市町村にもつ機関紙活動の前進、大衆運動の各分野での自覚的民主的潮流の拡大強化など、人民的陣地の構築をもって、反動支配をうちやぶる闘争に、日本共産党は、正面からとりくんでいる。「職場に憲法はない」とされている大経営のファッショ的支配のもとでも、わが党は不屈に党建設と、労働者の利益擁護の闘争をすすめ、少なからぬ経営で不法な抑圧を撤回させてきた。保守支配のもっとも根深いといわれる農村地域でも、わが党は、ねばりづよく空白克服の活動をすすめ、町村議会議員数では、なお圧倒的に多い保守系無所属をのぞけば、政党としてはすでに第一党の地位に進出している。
八〇年代に国政革新の事業の成功を達成するためには、その推進力――日本共産党の組織と活動の新たな飛躍的発展をかちとることが、決定的な意義をもつことは明白である。
わが党は、この二年間、大衆的前衛党建設の方針にもとづいて、七八年六?七月の機関紙拡大運動、七八年十二月~七九年二月の三課題達成運動、七九年六~七月の「躍進月間」、七九年十月?八〇年二月の党大会前の「月間」など、党勢拡大への集中的とりくみ、「教育立党」方針を具体化した七八年初頭の「教育月間」活動と教育・学習制度の改善、五中総決定にもとづく党生活の整備・確立の努力をおこなってきた。「支部活動の手引き」をはじめ、各分野の活動についての手引きや方針の具体化をすすめて、党活動が全支部、全党員によって正しく理解され、実践されるために力をつくしてきた。大きな団地への専従活動家の配置をはじめ、大都市における党建設の発展、党活動の改善強化に特別の努力をそそぐとともに、おくれた党組織の「底上げ」の任務を、これまでになく具体的に設定し、精密に提起した。また民主集中制の徹底と、官僚主義・分散主義克服の闘争など、組織政策をいっそう充実させつつ、党建設に多くの努力をかたむけてきた。
このなかで、学生党組織の活動の改善と発展のためにわが党がとってきた措置は、大きな意義をもつものであった。党中央は、学生党員の実情と問題点をくわしく点検し、かつ、学生党員自身の意見もひろくもとめて、「学生党支部の活動の手引き」を決定した。各人の勉学・学習と党の諸課題の実行という、学生党員・党組織の「二つの任務」の正しい遂行にむかって、活動が大きく改善され、学生の党員、民青同盟員に新たな活力をよびおこしている。また、全国婦人活動者会議で、婦人運動にとりくむ方針とともに、婦人のあいだでの党建設や、婦人党員の活動の問題を解明したことは、全国の婦人党員をはげまし、その活動を発展させる大きな力となった。わが党の婦人議員は、国会で十三名、地方議会で三百四十九名を数えるにいたり、ずばぬけて第一党の地位をしめているが、これは、党創立いらい、男女平等、婦人の地位向上のために、一貫してたたかってきたわが党がかちとった大きな成果である。
この間、二つの国政選挙での敗北につけこんで党の隊列のかく乱をはかろうと、後退の原因を党の路線や体質にもとめる新たな反共宣伝もつよめられ、それに屈服した袴田里見の裏切りと転落は、その絶好の道具とされた。しかし、全党は、これらの攻撃をきびしくしりぞけ、党の正確な路線を確信をもって堅持し、党中央の指導にかたく結集し、反共の布陣や逆流をうちやぶる主体的な力量と活動の強化につとめ、党建設と党活動を前進させてきた。
これらの努力の結果、とくに党員拡大では、七九年夏の「躍進月間」以降七万名をこえる新入党者を迎え、党員の隊列が四十四万の規模に史上初めて到達し、党建設における新しい一歩を画した。機関紙読者の拡大では、七八年夏の拡大運動で三百四十万の読者という新しい峰に到達したものの、これを維持しえないまま、全体として三百万台での一進一退をつづけてきたが、党大会をめざす「月間」で六十万以上の読者をふやし、党大会最終日には機関紙読者数三百五十五万をこえた。学習・教育活動の徹底や党生活の整備・確立についても、新入党者教育修了者七万八千名(修了率八五%)、初級教育受講者十七万一千名(受講率五六%)、支部会議定期化の努力の前進(全国で約半数の支部が月三~四回の会議)などの数字にみられるように、この二年間、少なからぬ発展がみられた。しかし、八〇年代を迎えた党建設の現状は、党員拡大の到達点でも、組織政策の定着や各級の教育活動の徹底の面でも、情勢と任務にたいしてまだまだ不十分であり、依然として、党活動全体におけるおくれた部分となっていることを、とくに重視する必要がある。
全党は、第十五回党大会をめざす「公約実践・政策普及・党勢拡大月間」の成果と教訓をふまえ、どんな困難をも打破して、国政革新の事業の前進と勝利をかちとる力量をそなえた大衆的前衛党を、量質ともに建設するために、ひきつづき奮闘しなければならない。
わが党が、この二十年来の実践をつうじて確立してきた「四本柱の活動」大衆活動、選挙闘争、党建設、党防衛の四本柱およびそれらの共通の土台としての大衆宣伝-を、日常の党活動の基本として、すべての党員、すべての党組織が、その徹底と具体化に努力することが重要である。大衆活動党独自の日常の大衆活動としてとりくまれてき「生活相談所」活動は、日常不断に大衆の要求をくみあげる窓口として、国会議員、地方議員の活動と党機関、支部の大衆活動と統一的に前進させ、この間、顕著な成果をあげた。前大会以後、「相談所」は新たに五千七百ヵ所設置され、全国で約一万五千ヵ所となり、なかでも専従者と専門家の協力体制をそなえた「相談所センター」は倍加し、全都道府県四百ヵ所に確立するにいたった。この二年間余、相談件数は百二十万件をこえ、その七割以上が解決されている。しかもその相談内容は、中小企業や下請けにたいする大企業の不当な未払い、男女差別賃金問題、悪徳土地商法やサラ金被害、国際勝共連合のインチキ商法被害問題など、大資本依存の反共諸政党ではとうてい解決できぬ内容であることが特徴的である。この活動の実績は、〝身近に役だつ日本共産党〟の姿を、大衆のなかにいっそう鮮明にし、選挙戦で党支持者を結集、拡大する力となると同時に、党勢拡大の新しい条件をひろげた。
この生活相談活動を、議員だけに依存するのでなく、議員がいないところでも、支部が中心になって相談活動をつよめ、「党の組織と活動のあるところ『相談所』あり」というところまでさらにひろげてゆく必要がある。また、相談所だけにとどまらず、一人ひとりの党員が、まわりの大衆の生活相談や世話役活動を積極的にすすめ、支部としてそれを掌握していくように努力しなければならない。
国民各階層の運動や、住民運動など、各分野の大衆運動に参加し、その民主的発展と組織の強化拡大に、党員が積極的にとりくむことも、こんごとも重視すべき活動である。大衆闘争のとりくみにあたっては、四つの観点(統一戦線への発腰をめざして、①要求の獲得、②大衆の自覚の成長と組織の強化拡大、③党勢拡大、④社会的・階級的道義の尊重)を、ひきつづき堅持するとともに、大衆運動の各分野で、党の方針を党員がしっかりつかんで活動すること、とくに中心的な活動家については、その分野の活動家として十分成長できるように、党機関と支部が、系統的な指導と援助をおこなうことが、重要である。
選挙闘争 今日の日本の政治的条件は、各党派が有権者の支持を争う選挙戦を、政治闘争のもっとも重要な形態の一つとしていると同時に、衆参両院選挙、いっせい地方選挙、中間選挙など、重要な選挙戦が連続しておこなわれることを特徴としている。一つひとつの選挙戦で、確実に前進できるように、これらの選挙戦を、日常の党活動の結節点とし、議員や予定候補者を先頭にした大衆活動や大衆的後援会活動、支持者台帳の整備拡充など、独自の選挙準備活動を日常不断にすすめるとともに、大衆宣伝、党勢拡大などの党活動全体について、選挙勝利の任務と結びつけた意欲的な目標や計画をたて、これを目的意識的に追求していくことが大切である。各級党組織が、政策問題につねに積極的にとりくみ、その地方の情勢や各党の動き、選出議員の言動などについて国政との関連をふくめて不断の調査、研究をつみかさねることも、重要な課題である。党の地方議員団、党議員の議会内外の活動を「地方議員の活動の手引き」にもとづいて強化することも重要である。
また選挙戦では、さきの総選挙を総括した九中総の決定も具体的に指摘しているように、主観主義的情勢判断、〝流〟による失敗におちいることなく、党と党支持者の力が全面的かつ効果的に発揮されるように、すべての党員と党組織が、党の選挙闘争の諸方針を、日常からよく身につけるように努力しなければならない。
党建設 党建設は、「量とともに質を」をスローガンに、党員と機関紙読者を拡大する量的な面と、学習・教育、党生活確立によって、党の活力と水準をたかめる質的な面とともに重視し、四本柱の党活動全体にかかわる中心課題として、日常的にその推進にあたる。
党と大衆運動の防衛 いっせい地方選挙の最中におきた宮本委員長への暗殺未遂事件や、太田都知事候補への襲撃事件、党の大演説会への多数の重装備車を動員しての各地での攻撃など、右翼暴力集団、ニセ「左翼」暴力集団などの暴力とテロの攻撃は、ますます大規模化している。国際勝共連合は、自民・民社など反共諸党派の手兵となり、しばしば警察当局の事実上の援護もうけて、京都知事選や立川市議選をはじめ全国各地の選挙戦で、無法きわまる暴力的な選挙妨害に狂奔した。党は、これらの攻撃とたたかう防衛活動でも、この二年間に多くの経験をつみ、少なからぬ成果をおさめたが、反共反革新攻撃との闘争の重要任務として、全党的に重視し、その活動と体制を、さらに強化する必要がある。
反動勢力のスパイ挑発工作をうちくだくために、スパイの潜入を許さない規律ある党生活確立の努力は、ひきつづき重要である。この点では民青同盟の防衛活動についても、それを強化するために必要な援助と指導をつよめることとする。
共通の土台――大衆宣伝 大衆活動を前進させるためにも、選挙闘争で勝利するためにも、党勢拡大を成功させるためにも、大衆宣伝は共通の土台として大きな役割をになっている。とくに日本のように高度に発達したマスコミと、高い教育・文化水準をもつ国で、多数者革命の事業をすすめるには、宣伝活動の中心的武器である「赤旗」の拡大とともに、全有権者を対象とする〝目にみえ、音できこえ、読んでわかる〟宣伝を、大規模に展開することが不可欠である。
反共反攻作戦との闘争や選挙闘争をつうじて、政策・宣伝活動にたいする全党の意欲は、かつてなくつよまっているが、その活動能力をさらに飛躍的にたかめ、すべての党員が宣伝者になることをめざさなければならない。「すべての党員が政治を語り、党を語ろう」のスローガンは、選挙中だけのものであってはならない。
わが党は、八〇年代に民主連合政府の樹立を展望している政党として、当面の活動と政策だけでなく、日本の革新的未来について、また将来の社会主義、共産主義の理念について、いっそうひろく深く国民の理解と共感をえる宣伝を強化する必要がある。その基本点は、党綱領とそれを具体化した党の諸決定、とくに「自由と民主主義の宣言」(第十三回臨時党大会採択)や、科学的社会主義の事業の世界史的展望についての第十四回党大会決定などであきらかにされており、これにもとづく宣伝活動に力を入れなければならない。
歴史の進歩をおしとどめようとする反共反攻作戦はひきつづきたくらまれるであろうし、袴田転落問題を利用してふりまかれた反共毒素だけでも、なお相当に沈殿している。しかしわが党は、すでにこれとたたかって二つの選挙戦で躍進した体験をもっており、反共攻撃にたいしては、〝軽視せず、恐れず"の態度で、徹底的にこれをうちやぶらなければならない。この点では、反共毒素一掃のパンフレットを五百六十万冊も普及するという、史上最大の作戦を展開した教訓は重要である。参議院選挙をめざし、その政治目標の達成を保障するのに十分なところまで、さらに普及活動を前進させ、反共攻撃との闘争の新記録をめざして奮闘することがもとめられている。
党財政の強化 党活動の発展にとって財政活動の強化は、欠くことのできない重要な課題である。全党は、五中総の財政方針にもとづいて努力し、選挙募金活動などでも、五中総決定にもとづく新しい進展が生まれた。しかし、八〇年代における党活動の発展を保障するためには、党費の一〇〇納入をはじめ、財政確立のための諸課題の遂行にさらに力をつくさなければならない。
六〇年代初頭の四万二千余の党員、十万余の機関紙読者から、六〇年代をつうじて二十八万余の党員、百八十万の読者へ(七〇年代初頭)、さらに七〇年代をつうじて今日の四十四万の党員、三百五十五万をこえる読者へ――これが、この二十年来の党勢拡大のおおまかな足どりである。こうした連続的な党勢拡大が、国会や地方議会での躍進をはじめ、各分野でのわが党の前進の基本的な原動力となってきたのは明白である。八〇年代の政治革新の展望が、その推進力であるわが党の拡大強化の速度に大きくかかっている今日、全党は、八〇年代の歴史的任務にふさわしい党勢の拡大を、早く達成するために、活動を強化しなければならない。
第十四回党大会決定は、百万の党の建設を展望しつつ、当面「五十万の党、四百万の読者」の実現という課題を提起した。第十五回党大会をめざす「公約実践・政策普及・党勢拡大月間」の奮闘とその成果は、それぞれ党史上の新しい峰をひらいたものであり、積極的な意義をもっている。しかし、前大会の決定をどう実践したかという見地と基準にてらしてみるならば「五十万の党員、四百万の読者」という第十四回党大会決定の目標が達成されなかったことは重大である。その教訓は、第一に、党員一人あたりにすれば荷は軽いのに、すべての党員がこの軽い荷物をになってとりくむようにできなかった指導の問題を重視し、「すべての党員をたちあがらせる」という方針がかならず実践されるように、指導の改善にとりくむことである。第二に、党中央がよびかけた集中的な党勢拡大運動にとりくむときは前進するが、その他の時期は後退するという一進一退のくりかえしを抜本的に改善し、一度きずいた陣地は絶対に放棄しないという確固たる立場で日常不断に機関紙活動に気をくばり、不断に前進することが必要である。
今日の情勢は、総選挙でのわが党の躍進党の革新性と先見性をいっそううきぼりにしたそのごの政局の動向など、自民党政治の打破をねがう広範な国民のあいだに、わが党への新しい期待をひろげつつあり、党勢拡大の条件を、各階層、各分野にさらにひろく成長させている。
各級党組織は、党大会までの党勢拡大運動の成果を土台に、「五十万の党員、四百万の読者」をことし中にかならず実現するとともに、第十四回党大会が提起した「百万の党」の達成をはじめ、八〇年代の任務にこたえうる強大な党をつくりあげるために、ひきつづき奮闘しなければならない。次期党大会までの全国的目標は、「五十万の党員、四百万の読者」を実現した時点で、あらためて中央委員会で検討し、決定する。
各級機関と党組織は、中央の新しい決定を待つのでなく、またそれぞれの政治任務にしたがって積極的に討議し、次期大会までの拡大目標を設定する。そのさい、きたるべき参議院選挙での戦後最高の得票の獲得、さらにつぎの総選挙での新しい勝利と躍進を保障するよう、積極的な拡大目標をたてることが重要である。この拡大目標は、日常的な計画的拡大とともに、一定の時期の全党的な集中的なとりくみによって、かならず達成する。
①労働戦線統一の新しい展望とも関連し、大経営をはじめ、組織・未組織をとわず、労働者のあいだでの階級的宣伝、教育の展開と党員拡大に重点的努力をそそぐ。
②農民の自民党ばなれ、革新的自覚の発展という新しい動向に目をむけ、農村での党建設を強化する。
③一九七九年の「月間」で、二十歳代以下の青年・学生と婦人の新入党者の比率が、それぞれ四〇%をこえていた点は重要であり、青年、婦人のあいだでの党員拡大を重視する。民主青年同盟の育成、強化につとめる。
④経営党員の居住地活動、党員拡大における〝タテ線〟活動をつとめ、党組織が空白あるいは弱体な地域、団地、経営での党支部の建設、強化に計画的にとりくむ。
⑤五中総で問題となったおくれた県党組織は、そこで具体的に指摘されたおくれの克服に、計画的、系統的に努力する。
資本主義国のなかでもマスコミの高度な発達を特徴とするわが国で、人民的ジャーナリズムの中核となっている「赤「旗」の果たす役割は、八〇年代の内外の情勢の進行とともにますます大きい。機関紙読者の拡大を成功させ、この人民的ジャーナリズムの陣地を、基本的には独占資本・支配勢力の統括下にある巨大なマスコミに対抗しうるだけの規模に発展させることが重要である。また、わが党が発行し、または普及に努力している多種類の月刊誌は、それぞれの雑誌の性格に対応する領域で、党の影響力を拡大し、革新的世論を強化する重要な武器である。七九年三月創刊をみた『女性のひろば』は、急速に普及し、有力な婦人誌として発展しつつあるが、すみやかに三十万部をめざさなければならない。党中央は、この間、機関紙局を機関紙誌局に改組し、「赤旗」の拡大とあわせて、月刊誌の普及活動の系統的な強化につとめてきたが、各党組織は、それぞれの雑誌の拡大目標をもち、その特徴に応じた活用と普及に、本格的にとりくまなければならない。
今日、すべての党員と党組織が、「機関紙中心の党活動」を、全面的に理解し、実践することがいっそう重要となっている。
それは第一に、党員が「赤旗」をよく読み、あらゆる分野で「赤旗」を日々の指針として活動すること、党中央の重要な決定は、上級の指示をまつまでもなく、すべての党員と党組織が、ただちにその具体化と実践にとりかかることである。
第二に、党と大衆のつながりを「赤旗」を軸にしてひろげていくことである。そのため「赤旗」紙面が、大衆にとっていっそう魅力あり、役だつものとなるよう、通信員の協力もえて、不断の改善につとめることが必要である。同時に、すべての党組織は、読者をふやし、確実に配達・集金する体制と活動を、日常たえず発展させ、すべての党員が、それぞれの条件を生かして、これに参加するように努力しなければならない。また党機関として、アルバイト専任配達員の配置「赤旗」分局の強化、支部機関紙部の確立など、機関紙活動の体制の強化にたえず注意をはらう必要がある。
第三に、職場、地域、学園で、また選挙戦や大衆運動、党拡大など活動のあらゆる分野で、読 者にしっかり依拠して活動することである。すべての党組織が読者台帳を整備し、配達依頼にだした読者もふくめてつねに掌握し、党や後援会行事にさそい、選挙戦などでは、だれよりも早く協力をおねがいするなど、いつも読者を尊重し、深い結びつきをつくりあげてゆかなければならない。
第四に、財政活動においても、機関紙誌活動への系統的とりくみを重視することが大切である。
大衆的前衛党の建設では、党員と読者の拡大という量的建設と同時に、党の活動水準を引き上げ、大衆的前衛党にふさわしい党生活を確立する質的建設が重要である。
わが党が、大衆的前衛党の基本的な性格として、また党の組織政策の根本問題として、一貫して明確にしてきたように、日本共産党は、労働者階級の政党であると同時に、真の民族と国民の党であって、その構成も、労働者階級だけの党でもなければ、職業革命家だけの〝少数精鋭〟型の党でもない。わが党の門戸は、労働者階級の歴史的使命――いっさいの搾取と抑圧から解放された新社会の建設にくわわろうとするすべての人びとに、条件やその水準にちがいがあっても、党の使命を理解し、この党の一員として活動する意志をもち、規約に定められた入党の資格をもつすべての人びとにひらかれている。
全党は、この精神にたって、党建設をすすめ、一九七九年夏の「躍進月間」以降七万名をこえる新しい同志たちを迎え入れ、さらに労働者と人民のあいだのすべての先進部分を、党に結集するために奮闘している。わが党がこうして、党の隊列の規模の面で、大衆的前衛党としての発展の道を前進すればするほど、それにふさわしい党生活、党活動の確立の任務は、いよいよ重大になってくる。
そのためには、入党したすべての人びとが、共産党員として成長、前進するよう、よく配慮し保障するという見地、自分のこんごの生涯を、党と革命の事業に結びつける道をえらんだ一人ひとりの同志の初心と善意を、最後まで尊重するという立場、真のプロレタリア・ヒューマニズムの精神にたった党風を、すべての党組織の党生活と党活動に、徹底してつらぬくことが、決定的な意義をもっている。
すべての党員の初心を生かすということは、党と革命の事業に参加することを決意したその気持ちを、その後の活動のなかで、最大限に生かし発展させることである。
党の指導と活動のうえでは、まず第一に、党員の革命的自覚と活動水準をたえずたかめ、党の方針を正確に全党に徹底させ、さまざまな受動主義や消極思想を克服して、活動を前進させる積極的な指導が、なによりも重要である。
党が、入党した同志の成長と前進に責任を負うということは、新入党者にたいする義務教育を、かならず早く完了することをはじめ、その同志が党員として活動するうえで必要な援助と指導を、具体的に責任をもっておこなうことであり、さらに党活動や党生活をつうじて、活動の内容や水準を前進発展させるように、同志的にたすけあうことである。
党活動の積極的な発展のためには、「すべての党員が活動に参加する党活動」の実現に、とくに努力を傾ける必要がある。わが党は、特別の革命的戦闘性と献身によって、党支部の団結の中心になり、各分野の党活動を大きくささえている多数の積極的な党員活動家をもっている。これらの党員たちは、党活動全体の中核とも推進力ともいうべき同志たちであって、多くの党員がいろいろな闘争と経験をへ、適切な教育と指導、援助によって成長し、どんな困難にもくじけないたのもしい革命家として育ち、わが党がますます多数の献身的な党員活動家をもつよう努力することは、党建設の重要な課題の一つである。この点でとくに、党の活動のうえで、支部長および支部指導部の役割を重視しなければならない。こうして、党歴と活動力でためされた部分が、その力量を大きく発揮できるよう、その役割を積極的に意義づけながら、同時に、活動経験の浅い党員や、困難をかかえている党員には、その条件や成長の度合いに応じて任務をあたえるようにし、全体として、いろいろちがった活動条件をもち、さまざまな成長段階にあるすべての党員が、その力と条件を十分に生かし、一人残らず喜びと希望をもって、活動に参加できる党生活を確立することに、力をそそがなければならない。
党勢拡大や選挙闘争のように、党組織が共通の目標をめざして集中的な活動にたちあがるときにも、中核的な部分だけでなく、その党組織のすべての党員を、可能な形態で、共同の活動に参加させるとりくみが、重要である。党員の活動率について、支部のセンターに顔をだしていっしょに行動するなど、特定の行動に参加する同志だけを数えて、「活動率」とする例がしばしばある。これは、結局、主婦党員が自宅から電話で工作するなど、困難な条件をもった党員の多様な活動を、はじめから度外視することであって、ただちにあらためる必要がある。
党活動の過程であらわれるさまざまな消極思想との闘争は、党指導の不可欠の側面をなすものである。党勢拡大の歴史をふりかえっても、党は、各種の自然成長論や「段階論」、「またか論」など、そのときどきにいろいろなかたちをとってあらわれる受動主義や消極思想を軽視せず、積極的な思想闘争でこれを克服しつつ、党勢拡大の新しい発展段階をきりひらいてきた。最近でも、二つの国政選挙の後退のあとにみられたごく一部の士気阻喪、敗北主義的気分にたいして、またこれを軽視したり、確信ある指導をためらう傾向にたいしで、わが党中央がつねに積極的な指導をつらぬいたことは、その後の党躍進をかちとるうえで重要な要因であった。「自発性」の尊重を口実に、あれこれの誤った傾向や消極思想と安易に妥協したり、方針の徹底や積極的な指導を放棄したりすることは、結局は、党と革命の事業に足をふみだした多くの同志たちの初心にそむいて、党活動の停滞や後退傾向をかならず助長する結果となる。
第二に、今日のように、党が数十万の党に発展した段階では、党組織の側に、党をもっぱら何百人、何千人の集団としていわば「統計的」にとらえて、そこでの一人ひとりの党員の個別の問題に関心をもたない独特の官僚主義があらわれがちである。一九七八年九月の五中総決定は、一人ひとりの同志たちの困難や悩みに胸を痛めないこの種の官僚主義の一掃を、党生活の整備確立の根本問題として重視し、一連の具体的措置とともに、その徹底を全党によびかけた。すべての党組織は、つぎの諸点を重視して、ひきつづきこうした官僚主義の克服と、党生活の確立につとめる必要がある。
(1) 新入党者にたいする義務教育(新入党者教育、初級教育)を、期限内にかならず一〇〇%完了させるよう努力し、入党した同志が教育もされないまま放置されたり、そのために党からはなれるようなことが、絶対におこらないようにすること。
義務教育を修了していない新入党者には、一律に義務的な課題をおしつけないということも、党活動への積極的参加を軽視するのではなく、教育をうけ、より自覚的な党員として一日も早く隊列につくことを重視するからである。もちろん、新入党の同志たちが、教育修了前にも、自主的自覚的に党の諸活動に参加することは、歓迎すべき意義あることであり、党組織として、強制的な義務づけにおちいることは厳格にいましめながら、その活動にたいして、適切な指導と援助をあたえる必要がある。
(2) 長期にわたって党活動に参加しない党員が生まれた場合でも、規約第十二条による除籍措置を、機械的にとるのでなく、決意して入党した同志の初心と善意を生かしきるために、あらゆる努力をつくすこと。その同志が活動に参加できない原因が、党組織の側の主体的な事情党活動や党生活の不合理や、弱点にある場合には、大胆率直にその改善にとりくみ、同志的な配慮と相互援助をつよめなければならない。規約第十二条の適用については、安易な除籍を防止するために、五中で決定した制度――支部が規約第十二条にもとづいて除籍承認を申請した場合、申請された党機関は、その審査を形式的なものにとどめず、除籍対象者が、党生活、党活動からはなれた時期や、党活動復帰のための支部の努力の経過と内容、除籍対象者の意思表明とその理由、入党後の教育の状況などの報告をもとめて、党として十分手をつくしたかどうかをよく確かめ、努力が不十分な場合には、地区と支部が協力して再度説得にあたる――を厳格に実行する。
(3) 個々の党員からだされる意見や訴えによく耳を傾けるとともに、党外の大衆からの依頼、要望、意見についても、できるだけ機敏に対応することはもちろん、党事務所や党機関の日常的マナーとして、親切で謙虚でなくてはならない。反動勢力とその手先にたいしては勇敢に、勤労者、国民大衆にたいしては謙虚に、という二つの態度は、わが党の党風として定着させなければならない。
第三に、党の活動における官僚主義を一掃し、党員や党支部の自発性を発揮させるということは、分散主義、自由主義の放任を許すことではけっしてない。党内民主主義を保障して党員と党組織の積極性、創意性をたかめるとともに、党員の自覚と規律にもとづく全党の統一と団結を堅持し、共通の政策と方針、集中的指導のもとに、統一政党として活動することは、わが党の力の最大の源泉をなすものである。党は、大衆的前衛党の組織原則である民主集中制を正しく徹底し、正しく展開する立場から、官僚主義のあらゆるあらわれにたいしても、きびしくこれを克服する闘争をすすめると同時に、党を腐らせる分散主義、自由主義にたいしても必要な警戒をはらい、それを克服する闘争に独自にとりくむ必要がある。
とくに反共勢力は、党の破壊をねらうその攻撃の一つのほこ先を、意図的に党の民主集中制にむけ、袴田転落問題をも利用しながら、党規律の自由主義的な解体、党組織の分散主義的弱体化の方向を、いろいろなかたちで宣伝している。反共勢力のこうした攻撃にとらえられた誤った主張や動揺にたいしては、たとえごく一部の傾向であっても軽視することなく、道理と規律にもとづく努力をつくして、理論的、実践的に正しく克服してゆくことが大切である。
袴田とその妻の転落と破廉恥きわまる党攻撃にたいして、これに同調して党を裏切ったものが一人もなく、全党が団結して、袴田およびこれを利用した反動勢力の党攻撃をうちゃぶったことは、党の正確な路線と民主集中制の原則のうえにきずかれた党の統一と団結の強固さを、内外に表明したものであった。
以上が、八〇年代を迎えて、当面する内外情勢の基本的特徴と、わが党のまえに提起されている任務の基本点である。日本共産党第十五回大会は、すべての党員、すべての党組織が、日本の進路をめぐる二つの道の闘争の七〇年代の到達点を正確にふまえ、この党大会を新たな出発点として、八〇年代を、日本の進歩と革新の時代――革新統一戦線勝利の時代とするために、壮大な気宇と不屈の戦闘性、科学的な確信をもって、その活動を全戦線で強化することをよびかける。