日本共産党資料館

日本共産党はコミンテルンの解散に同意し、日本に人民戦線をつくることを提案する
――『解放日報』記者への回答――

『解放日報』一九四三年六月一日号


この記事と手紙は一九四三年五月三十一日の『解放日報』に発表された。写真版より、これを翻訳した。コミンテルン(共産主義インタナショナルまたは国際共産党)は、一九一九年三月結成され、一九四三年六月十日、公式に解散した。これよりさき、四三年五月二十二日にその執行委員会は、インタナショナル解散を決議し、各国支部党の承認を求めたことを発表した。(決議は十五日に行なわれた)。こえて六月八日に、各国支部は承認したものと見なして、解散を決議し、十日に発表したのである。機関紙の最終号は七月五日に出ている。本文は、上記の提案に応じて、日本共産党としての発言である。解散の理由などは、本文で理解できよう。

(本紙特報)日本共産党中央委員会代表岡野進(野坂鉄)同志は、このほど、本紙記者に手紙をよせ、コミンテルンの解散に対する意見と当面する日本の革命運動の任務の問題についての質問にこたえた。その全文はつぎのとおりである。

解放日報記者同志…
 あなたが提出された二つの問題――コミンテルン解散についての意見と当面する日本の革命運動の任務――について、いま、わたしは、日本共産党中央委員会を代表して、つぎのようにおこたえします。
 (一)日本共産党は、コミンテルンの援助をうけて成長してきました。われわれが危機に直面したとき、コミンテルンは、たびたび、援助をあたえてくれました。山川主義・福本イズムといった「左」右の偏向がうまれたとき、わが党がただしい道にたちなおれたのは、すべてコミンテルンのおかげでした。とりわけ、日本革命の問題についての一九二七年と一九三二年のテーゼは、党を理論のうえからボルシェビキ化の基礎のうえにおき、日本の革命運動に基本的な方針をあたえてくれました。そして、ファッショテロのもとで活動している日本の共産主義者は、党のうしろにコミンテルンと世界のプロレタリアートがあることを感じると、かぎりない勇気と希望をあたえられてきました。しかし、日本の党とコミンテルンの連絡は、日本のきわめて極端な警察政治と地理的な困難から密接ではありませんでした。とりわけ「九・一八」事変からは、こうした連絡は、いっそう少くなり、太平洋戦争がはじまってからは一段と少なくなりました。したがって、日本の党は、ながい期間、コミンテルンと正常な連絡をもつことができず、すべて、ひとりだちで活動してきました。
 このたびの解散についてのコミンテルンの執行委員会議長団の提案に、わたしは、日本共産党を代表して、全面的に同意し、また、この提案がきわめて時機にかなったものであると考えます。コミンテルンの解散は、日本のわかい共産党員にとっては、あるいは意外に感じられるかもしれません。なぜなら、コミンテルンは、日本のプロレタリアートのなかで、高い権威をもった存在だからです。しかし、彼らも、かならずコミンテルン解散の重大な歴史的な意義をただしく理解できる、とわたしは考えます。われわれ日本共産党員は、コミンテルンの指導がたいへんながい期間なかったにもかかわらず、大きなあやまりもおかさずにずっとたたかいつづけてきました。このことは、コミンテルンの援助がなくても、ただしい闘争をおこなうことができるということをしめしています。現在コミンテルンが解散したので、われわれは、ややもすればさまたげになるようなふるい規約や決議から解放されました。これによって、日本の党は、創造性をいっそう最大限に発揮できる機会をえましたし、民族の利益にかなった政策を思いきり大胆に実行できます。そればかりではなく、コミンテルンが解散してから、日本の党には、新しい労働者大衆を吸収するうえで、また、そのほかの労働者の団体を結集させるうえで、いっそう有利な条件があたえられるでしょう。かりに、まえには、進歩的な労働者の一部が、党とコミンテルンとの関係にこだわって、党に協力しなかったとすれば、こうしたさまたげがなくなった今日では、こうした進歩的な労働者と党は、いっそう団結しやすくなるでしょう。
 日本のファッショ軍部は、口をひらけば、日本共産党は「モスクワの犬だ」、「売国奴だ」といってののしり、コミンテルンは「アカい帝国主義だ」、「世界革命の陰謀家」だといっています。したがって、このたびのコミンテルンの解散は、こうしたデマや中傷をうちくだくうえで、ひじょうに大きな役割をはたし、その結果、平和と自由を愛してはいるがこれまで悪意のある宣伝の影響をうけてきた多くの人びとをひきつけて、戦争に反対し軍部に反対するはばひろい人民戦線に参加させやすくするでしょう。
 まとめていえば、このたびのコミンテルンの解散は、マルクス・レーニン主義を基礎とする日本共産党をいっそう民族的にするうえで、また、戦争に反対しファッショ軍部に反対する闘争をやっていくうえで、ひじょうに大きな促進力となるでしょう。したがって、コミンテルンの解散は、日本の革命運動にとって損失ではなくて、これをより発展させます。また、われわれ共産主義者は、これをやりとげるためにかならず努力します。
 最後に、わたしは、コミンテルンが解散した結果、東方諸国、とりわけ、日本と中国の共産党は、さらにしっかりと協力し、たがいにたすけあわなければならない、と痛感しています。このたび、わたしは、さいわいに延安にきました。この機会に、中国の同志といっしょに、この目的をはたすために努力したいと考えています。
 (二)日本共産党の当面の任務は、軍部をたおし、戦争をすぐおわらせることです。この目的のためには、どうしても、広範な人民をたちあがらせ組織しなければなりません。このような人民戦線は、フランスの戦前の人民戦線よりもずっとはばの広いものでなければなりません。それは、第一に、日本のファシズムは、金融資本の利益を代表しているが、封建的な軍部がやはりその中心勢力になっているからです。日本ではこうした封建勢力に反対する人民は、きわめて広い範囲におよんでいます。したがって、フランスの人民線戦に参加しなかったような階層も、日本の人民戦線にはかならずはいるでしょう。
 第二に、日本は現在戦争という環境におかれています。この戦争のぎせいになっているのは、勤労大衆だけではありません。少数の軍閥・財閥をのぞいたその他の人民は、すべて、多かれ少なかれ、ぎせいにされています。したがって、このぎせい者のほとんどは、われわれの人民戦線に参加するでしょう。このことからみてもわかるように、われわれの人民戦線は、フランスの人民戦線よりずっとはばが広いのです。
 たいへんはっきりしているように、現在日本は、政治上まったく対立した二つの、状態がつくりだされています。一方は、少数の、軍部と戦争に乗じて金もうけをしている大財閥です。もう一方は、戦争のぎせいになっている広範な人民です。この対立の状態は、まったくつりあいがとれていません。前者が小さな岡なら、後者は大きな山です。この二つのもののつりあいが、日本の政治情勢をあらわしています。これは、日本革命にとってひじょうに有利であることはうたがいありません。いうまでもなく、こうした対立は、一般的にいえば、これまでは潜在状態にあったので、そのあらわれ方もそれほどするどいものではありませんでした。しかし、戦局がもっと悪くなり、国内の戦争の機構が破綻してくれば、こうした対立は、連続していたる所で爆発しだすでしょう。
 日本共産党の任務は、労働者・農民・知識人、その他、軍部に反対し戦争に反対するすべての勢力を結集し、巨大な一つの流れにまとめあげ、その最前列にたつことです。したがって、複雑な利害関係をもつこのような階層を一つの勢力に結集するということ、これは、けっしてたやすいことではありません。これをやりとげるには、どうしても真のマルクス・レーニン主義をつかまなければなりませんし、また、大きな組織力が必要です。わが党はかならずこの任務をなしとげることができる、とわたしは確信しています。
 このような人民戦線をうちたてる出発点は、各階層の人民大衆が身にしみて感じているくるしみや不満をとりのぞくことです。現在日本人民は、戦争のおかげで、おそらく血と汗を最後の一滴までしぼりとられています。日本人民は、飢餓と死にさらされており、自由はまったくはぎとられています。言論・集会などの自由をもたないばかりか、職業・居住・移動の自由さえ失った彼らは、囚人とおなじ生活をおくっています。したがって、日本の都市や農村には、なみだとうめき声がみちあふれています! ところが、このような苦しみも、軍部の宣伝と弾圧でおさえつけられています。「おまえたちの苦しみは、イギリス・アメリカのせいなんだぞ。われわれは聖戦のためにやっているんだ」と軍部はいっています。多くの人が、現在このような恥しらずな宣伝をまにうけています。ですから、共産主義者は、あらゆる方法で、この戦争はイギリス・アメリカの侵略に反対するためのものではなく、日本の軍部と日本の軍部にむすびついた大財閥の利益のためにやられているのだ、ということを人民に説明し、ほんとのことをおしえてやらなければなりません。これと同時に、どんな小さなことであっても、彼らの身ぢかな不満や要求にたいしては、断固たたかい、このたたかいをあくまでやりとげなければなりません。
 うえにのべたことはたいへん小さなことがらのようですが、これこそ、われわれが人民戦線をつくっていく出発点です。「手ぢかなところから手をつける」ということが、共産主義の一番初歩的な常識です。われわれが以前大衆をひきいれる活動で十分な成果をあげられなかったおもな原因の一つは、この簡単な真理を忘れて、実際にあわない、高すぎるスローガンをかかげただけだったので、結局は大衆からうきあがってしまったことにあります。
 華北の反戦の同志の任務は、日本軍隊にたいして働きかけることです。しごとのやり方は、うえにのべた原則から出発すべきです。つまり、兵士のさしあたっての要求をかちとるためにたたかいにたちあがれるものでありさえすればよいのです。それは、たぶん、いちばん初歩的なものでしょうが、それがまたいちばんよいのです。

岡野進
一九四三年五月三十一日

『野坂参三選集・戦時編』(新日本出版社)


(1) 一九三四年二月六日、パリのファシストの騒ぎに対抗して、共産党と社会党の統一戦線が同年七月に成立した。これが三五年一月には、急進社会党、労働組合などもふくめた人民戦線(正式には反ファシスト行動統一委員会)が成立した。大規模な大衆行動により、ファシスト独裁を抑え、三六年五月の総選挙で、人民戦線派は過半数をかちとった。六月四日社会党のレオン・ブルーム内閣は、ファシスト団体を解散し、急進的な改革を断行した。この内閣は三七年六月二十一日までつづいた。