日本共産党資料館

日本共産党第20回党大会決議

(1994年7月23日採択)


第1章 冷戦体制の危険を直視し、平和と社会進歩の国際連帯の発展を

 (1)アメリカ覇権主義の危険な動向

 (2)「冷戦終結」論の誤り

 (3)世界平和をめざす国際的諸課題

 (4)今日における国際連帯の展望

第2章 激動の国内情勢をきりひらく、社会発展の主体的勢力の結集を激動の国内情勢をきりひらく、社会発展の主体的勢力の結集を

 (5)自民党政治とそれを継承する政治のゆきづまり

 (6)日本型ファシズムへの新たな危険

 (7)政治戦線と日本共産党の存在意義

 (8)今日における革新の立場とは何か

第3章 国民多数の願いにかなった「新しい日本」への道をきりひらこう

 (9)ゆきづまった自民党政治からの三つの転換

 (10)日米軍事同盟をやめ、自主独立の日本への転換を

 (11)大企業優先から、国民生活優先の、経済発展への転換

 (12)金権属敗政治を一掃し、「国民が主人公」の日本への転換

 (13)憲法問題と日本共産党の立場

第4章 世界史の道程と科学的社会主義の生命力

 (14)実証された覇権主義反対のたたかいの歴史的真価

 (15)20世紀と世界史の大局的道程

 (16)資本主義の現実をのりこえる未来への羅針盤

 (17)社会科学としての科学的社会主義の学問的価値

 (18)歴史の法則と人間の主体的たたかい

第五章 社会発展の主体的条件きずく、党活動と党建設の前進を

 (19)「理性と人間性」が生かされる党活動の新しい段階

 (20)新しい層をとらえた大衆活動の豊かな発展を

 (21)党勢拡大の二つの根幹――機関紙拡大と党員拡大

 (22)革命遅動の後織者をつくる活動を

第6章 国政選挙と地方選挙での日本共産党の新たな躍進を

 (23)当面する国政選挙と地方選挙での躍進を

 (24)人民的議会主義にもとづく護員活動の強化


第1章 冷戦体制の危険を直視し、平和と社会進歩の国際連帯の発展を

(1)アメリカ覇権主義の危険な動向

 ソ連解体後の世界の重大問題は、アメリカの動向をどうとらえるかということである。クリントン政権は、冷戦戦略を追求し、軍事面ばかりではなく、経済面でも、覇権主義を強めている。

 軍事面で、アメリカがすすめている「世界の憲兵」戦略の二つの支柱となっているのは、核兵器へのひきつづく固執と、軍事ブロックの再編・強化である。核拡散防止条約(NPT)の無期限延長をはかり、新たに核保有を意図するものにたいしては軍事力行使を辞さない「制裁」の脅迫をかけつつ、みずからの核兵器独占体制を永久につづけようとしている。日米軍事同盟の地球的規模への拡大は、北大西洋条約機構(NAT0)の東欧地域への拡大と域外出動とともに、アメリカを盟主とした軍事ブロックの再編・強化のかなめとなっている。

 クリントン大統領は、1994年1月の一般教書演説で、これまでの公約であった国防費削減を投げすて、米軍の全世界への即応体制維持を理由に、「これ以上の削減はしない」と断言した。アメリカは、強大な軍事力を背景に、「市場経済にもとづく民主主義国の世界共同体の拡張戦格」をおしすすめ、経済面でも、関税・貿易一般協定(ガット)、北米自由貿易協定(NAFTA)、アジア太平洋経済協力会議(APEC)などの場で、露骨な経済覇権主義を追求している。それは、「傷だらけのアメリカ」といわれる深刻を経済困難を、いっそうの覇権主義的行動でのりきろうとするものである。とくに、一定の経済発展がすすんでいる、アジア・太平洋地域にたいして強力に手をのばしているのが、最近の特徴となっている。

 アメリカは、こうした一国覇権主義の世界戦略のために、国連などさまざまな国際機関を最大限に利用しつつ、必要ならば単独でも行動するという方針を、軍事でも、経済でもつらぬいている。アメリカの国益に有利なように国連を利用できるときには利用するが、いざというときには必要な単独軍事行動をためらわないというのが、彼らの戦略である。経済問題でも、ガットなど多国間交渉の場を最大限に活用しつつ、日米包括経済協議のような2国間経済交渉でも、一方的な経済制裁を可能にする包括通商法スーパー301条を復活させるなど、「自由貿易」の大義名分も投げすてた横暴きわまる姿勢をしめしている。ここにあるのは、みずからの覇権主義的利益をあらゆるものの上におく、帝国主義の傍若無人なふるまいそのものである。

(2)「冷戦終結」論の誤り

 ソ連とそれを中心とする軍事ブロックが解体したもとで、「冷戦は終わった」とする議論が、いま世界にあふれている。しかし、冷戦とは、「熱い」戦争状態にいたらないもとでも、核兵器と軍事ブロックをてこに、いつでも戦争ができる体制を基礎として、世界全域にたいする侵略・支配・干渉の政策と行動をとることである。アメリカを中心とする冷戦体制は、「終結」したどころか、生き残り、再編・強化されているのである。

 歴史的にみても、冷戦体制は、アメリカの側からの一方的な世界覇権戦略として開始されたものである。冷戦の本格的なはじまりとみなされているのは、第2次世界大戦直後のアメリカのトルーマン政権による、ギリシャとトルコへの軍事介入であった。60年代から70年代にかけて、アメリカは、ベトナム侵略戦争などにしめされるように、ソ連や中国などには一時的に「接近」をはかりながら、民族解放運動や社会主義をめざす道にたった力の弱い国をおしつぶすことをはかる、各個撃破戦略をとった。ソ連にたいする敵対と対抗の政策は、冷戦の一つの側面だったが、冷戦体制をたんに米ソ対立に解消するのは、その本質を正しくとらえる議論ではない。

 対抗する軍事ブロックが消滅したもとでの、アメリカを中心とする軍事ブロックの役割と機能を、どうとらえるか。軍事ブロックが「防衛目的」であるとするこれまでの合理化論はまったく通用しなくなり、それが帝国主義の支配と干渉の道具としての本質をもつことが、いよいよあらわになっている。今日、アメリカを中心とする軍事ブロックは、発展途上国をはじめ、軍事ブロックの「域外」への侵略と抑圧の体制であるとともに、軍事ブロックの「域内」の諸国民への軍事的経済的支配の手段としての役割と機能を、いっそう強めている。それは、クリントン政権の高官らが、米軍の海外駐留を、「アメリカの貿易拡大の条件」と位置づけ、駐留米軍を、「貿易交渉の影の参加者」とのべていることにも、よくしめされている。

 「冷戦が終結した」とするのは、世界のこの現実に目をつむる根本的誤りである。ましてや、そのことをもって国内の「保革対立が時代遅れ」とするのは、世界のあれこれの動きには基本的には左右されない日本国内の現実に根ざした矛盾をみず、国民犠牲の悪政とのたたかいを放棄せよという、二重の誤りとなる。それは、みずからをアメリカの代理人か、ソ連の代理人かのようにみなす、自主性をまったく欠いた議論でもある。

(3)世界平和をめざす国際的諸課題

 日本共産党は、アメリカの冷戦体制の新たな危険を直視し、世界の平和と進歩のための今日の諸課題として、つぎの目標を提起し、平和と社会進歩をめざす世界の勢力とともに、その実現のために奮闘する。

 (1)世界平和の緊急・中心課題として、核兵器廃絶の実現をめざす。核兵器は、現在なお数万発もあり、人類の生存をおびやかす重大な脅威となっている。アメリカをはじめとする核保有大国による核兵器独占体制の永久化を許さず、核兵器に固執する勢力を世界の反核平和の世論と運動で包囲し、孤立させる。

 クリントン政権は、1980年代の一時期の米政権が表向きにせよかかげていた「核兵器廃絶」を公然と放棄し、核抑止戦格と核先制使用方針をつづけ、発展途上国などにたいして超小型核兵器を開発するなど、核兵器への固執がきわだっている。この政権が当面の最大の目標としているのは、来年期限がきれる核拡散防止条約を無期限に延長することである。しかし、この条約は、核兵器廃絶をめざすものではなく、逆に一部の核兵器保有大国に核兵器の独占を認めるものである。この根本的な問題については、その発足の当初から内外で指摘されてきた。この条約のもたらした矛盾は、全世界の核兵器を廃絶することによってのみ解決されることであって、核拡散防止条約の無期限延長をはかることは、核兵器保有大国の不当を特権を永久化し、核兵器廃絶に逆行するものである。

 北朝鮮への核査察問題を利用して、米日支配層のなかから「制裁」をおこなおうとする動きがおこっている。わが党は、北朝鮮が核兵器開発をおこなうことにはもちろん反対であり、機会あるごとにそのことを表明してきた。またわが党は、北朝鮮指導部による覇権主義や干渉行為、国際的テロ活動について、もっともきびしい批判的立場をつらぬいてきた。しかし、アメリカなどの核兵器保有を永久化することを当然視しながら、また「北朝鮮は核兵器をもっていないし将来もけっして保有しない」との北朝鮮政府代表のとってきた言明も無視して、北朝鮮にたいして一方的に「核疑惑」ときめつけ、「制裁」をおこなうことは、国際的にみて何の道理もない。世界平和に新たな緊張と危険をもたらすものとして、絶対に許されない。

 (2)すべての軍事ブロック・軍事同盟を解消し、外国の基地と軍隊を撤去させることは、世界平和と人類の進歩にとってさけてとおることのできない課題である。

 政府与党は、アメリカのたくらむ北朝鮮への「制裁」に日本が参加する道をひらくために、国連の集団安全保障体制と軍事ブロックにもとづく集団的自衛権の行使を意図的に混同させようとしている。

 国連憲章には、自国への攻撃にたいして反撃できる個別的自衛権とともに、自国が攻撃されなくても、同盟関係にある国が攻撃をうけた場合、共同して反撃できるという集団的自衛権を認める条文がアメリカによってもりこまれた。このことを根拠として、アメリカは日米軍事同盟やNATOなどアメリカの強大な軍事網を世界に展開しているのである。国連憲章が想定しているものは、憲章の目的、原則で明らかにしているように、いっさいの軍事同盟、軍事ブロックのない世界で、すべての国が参加する平和と安全を保障する体制である。これが、世界の人民の求めている真の集団安全保障体制である。しかし、日米軍事同盟やNATOなどアメリカの強大な軍事ブロックがあるかぎり、真の集団安全保障体制実現の課題は問題になりえない。

 いま、日本の平和勢力に求められることは、北朝鮮にたいする安保条約をてこにした憲法の平和原則をふみにじる集団的自衛権の行使をふくむ、非常時体制のおしつけを許さないたたかいである。日本政府は、国際紛争の平和的解決の追求、軍事ブロックのない平和な世界への努力という国連憲章の精神とともに、平和原則を明記している日本国憲法にそくした対応をおこなうへきである。

 日本政府が強引にすすめようとしている、国連の軍事力行使の指揮に責任をおう安全保障理事会常任理事国への参加は、憲法の平和原則とあいいれない。

 (3)いかなる形の覇権主義にたいしてもたたかい、世界平和の基盤である民族自決権を厳格に擁護するために力をつくす。ロシアによる千島列島の不法な占拠など、覇権主義のあらゆる否定的遣産を一掃することも、ひきつづき重要である。今日の国際情勢の一つの特徴は、軍事的対立にいたる民族紛争が、少なくないところでみられることである。その原因には、さまざまの複雑な問題があるが、アメリカはこれらの紛争を、みずからの覇権を世界にうちたてていくために、最大限に利用している。アメリカのこの基本動向をふまえつつ、同時に機械的でない、具体的事実にそくした対応が重要である。その基本は、あくまでも民族自決権の尊重、紛争の平和的解決優先の原則をつらぬくことにおかれなければならない。

 この間、湾岸戦争、ソマリア問題、旧ユーゴの内戦などが起こったが、それぞれについて、日本共産党はそうした立場から、分析的で道理ある姿勢をつらぬいてきた。

 (4)深刻な南北問題の解決をはかることも、人類にとって差し迫った課題である。ひとにぎりの多国籍企業による地球環境の破壊や、国際的搾取などの横暴に民主的規制をくわえ、すべての国の独立、平等、公平の原則にたつ新国際経済秩序の確立に力をつくす。

 日本の政府開発援助(ODA)は、アメけカの世界戦略への協力、大企業の海外進出促進、国民の監視のとどかない秘密主義という、多くの問題点をかかえている。ODA政策を抜本的にあらため、発展途上国の経済的自立に役立ち、平和に寄与するものにきりかえることが重要である。

(4)今日における国際連帯の展望

 覇権主義の害悪を世界におよぼしつづけたソ連が解体したことは、さまざまな混迷や逆行を生みながらも、大きな目でみるならば、各国の社会進歩の運動の自主的発展の新たな積極的な条件をつくりだしている。

 わが党は1991年12月6日に発表した、「科学的社全主義の世界的な運動の発展のために」で、(1)覇権主義とそれへの追随主義の根本的清算、(2)「社会主義・共産主義崩壊」論との闘争、(3)科学的社会主義の学説を生きた指針としての社会の法則的な発展を促進する立場の貫徹を、世界の共産主義運動の健全な発展に欠かすことのできない、運動の「主体的な再検討の中心問題」として提起した。同時に、この三つの基準での相違も、核兵器廃絶、軍事ブロック反対などでの国際的共同を妨げるものではないことも明らかにした。これらの指摘は、ひきつづき重要な意義をもつ。

 今日、核兵器廃絶を求める「ヒロシマ・ナガサキからのアビール」が160ヶ国以上の国ぐににひろがったことにもみられるように、核兵器廃絶や軍事ブロック廃止をめざす平和運動の国際的連帯の新しい発展の可能性が生まれている。原水禁世界大会には、90年から93年までに計40ヶ国80組織の代表が参加し、原水協は世界の89ヶ国約600をかぞえる平和組織と連携をもっている。これらの勢力が、各国で反核平和の運動を発展させ、非核の政府をつくることは、世界から核兵器を一掃していくうえで、最大の力となるものである。

 来年、広島・長崎被爆50周年を迎えるなかで、世界唯一の被爆国である日本の平和運動のはたすべき役割は、国際的にも重要である。資本主義世界の政治的社会的矛盾の深まりのなかで、一連の国ぐにで、科学的社会主義の方向への模索をともないながら、それぞれの国での社会進歩の道を自主的に探求する新しい運動の萌芽が生まれている。これらの勢力、人びとのなかでは、自主独立をつらぬいてきた日本共産党の路線に、社会発展の未来への一つの光明をみいだし、信頼と関心をよせる動きも少なくない。

 発展途上国は、内部に民族紛争や宗教対立などを原因とする、複雑な、歴史に逆行する動きもかかえているが、そのもとでも、民族自決権の尊重を軸とした公正で民主的な国際秩序の実現を求める方向が、非同盟運動のなかで再確認されたことは、重要である。

 日本共産党は、ソ連覇権主義の巨悪とたたかいつづけた党として、発達した資本主義国である日本での社会発展の事業の自主的探求と前進こそ、国際連帯の最大の基礎であることを、深く自覚する。そして、各国で、科学的社会主義の事業を自主的に探求しようとする勢力、世界平和と社会進歩をまじめに追求しようという勢力――集団や個人との対話と連帯を発展させるものである。

第2章 激動の国内情勢をきりひらく、社会発展の主体的勢力の結集を

(5)自民党政治とそれを継承する政治のゆきづまり

 前大会後の国内情勢の激動の根底にあるのは、戦後40年以上にわたってつづいてきた自民党政治全体が、深刻なゆきづまりに直面していることである。

 細川連立内閣は、そうしたゆきづまりの反動的打開を、新しい陣だてですすめようとするものだったが、その内閣も8ヵ月の短命で終わった。つづいて3週間におよぶ自民党をまきこんでの権力抗争のはてに誕生した羽田政権は、社会党の政権離脱によってその存続がきわめてぜい弱で不安定なものとなり、この政権も2ヶ月の短命で終わった。そのあとに成立した自民、社会、さきがけ3党による村山政権も、発足後の政策的対応をみれば、細川、羽田とつづいた悪政をひきつぐ政権であることは明瞭となっている。「自民党政治の継承」を基本路線においた連立政権の混迷と矛盾は、自民党政治の古いわく組みのもとでは、日本が直面するどんな問題についても、国民の立場にたった解決が不可能になっていることを、証明したものにほかならない。

 ――細川連立内閣は、金権腐敗政治一掃の国民の願いを小選挙区制導入という選挙制度改悪にすりかえたが、その内閣の責任者が自民党時代と同じような金権スキャンダルでその座をおわれた。羽田内閣は、かつての自民党のなかでもっとも金権・タカ派的な勢力である新生党が名実ともに実権をにぎった政権であった。「自民党政治の継承」では、構造的な金権腐敗政治を解決できないことが明らかになった。

 ――日米軍事同盟優先の路線が、日本をアメリカの軍事戦略にいっそう深く組みこみ、軍事費・米軍駐留経費負担増による国民生活の圧迫をたえがたいものにしているだけでなく、コメ輸入自由化問題、日米経済矛盾など、対外経済関孫においても、解決困難な矛盾をつくりだしている。村山新首相は、就任早々、クリントン大統領に「日米安保体制堅持」を約束し、日米協調路線を「いささかも変更しない」と忠誠をちかい、日米軍事同盟優先の路線をひきつぐことをあらわにした。しかも、社会党がこれまで「違憲状態」としていた自衛隊を「合憲」とする立場を公然と表明した。アメリカの要求にこたえた、自衛隊の海外派兵路線の拡大は、憲法の平和原則についても、従来のごまかしの解択との矛盾を、いよいよ決定的なものとしている。

 ――国民生活の問題でも、大企業優先の政治が、労働者と中小零細業者、国民に多くの苦難をおわせ、深刻な不況の打開を袋小路におちいらせている。また、「過労死」に象徴される劣悪な労働条件の問題、高齢化社会問題、環境破壊問題、土地・住宅問題など、全国民をおおう重大を社会問題を、国民への負担増・犠牲転嫁によってしか、解決できなくしている。

 現在の政治の激動の根底には、従釆の自民党政治のわく内では、国民をごまかしつづけることができなくなっていることがある。その矛盾の蓄積は、「自民党政治を継承」した諸勢力のなかでのあれこれの政権交代によって、内閣の看板を新しくしても、けっして解消されえないものである。「自民党政治の継承」からは、よりよい政治は生まれない。国民により多くの苦難を強いる悪政のおしつけしかもたらさない。そして、日本が直面している内外の諸問題を、真に解決することができない。この間の国内政治の激動は、このことを実証した。いま求められているのは、この古いわく組みそのものを、変革することである。

(6)日本型ファシズムへの新たな危険

 この間の保守・反動支配層の動向をつらぬいているのは、このゆきづまりを、いっそうの反動化によって打開しようとすることである。

 海外派兵体制と小選挙区制は、反動勢力の「車の両輪」ともいえる長年の野望だったが、その実現への突破口がひらかれたことは、日本型ファシズムへの危険を増大させるものである。アジア・太平洋圏の経済・軍事ブロックをつくり、アメリカに従属的に同盟した日本がその盟主の地位をしめようという、軍国主義的・帝国主義的野望があけすけに語られだしている。

 91年の第2回全国協議会(2全協)は、反動勢力のなかに、新たな「大東亜共栄圏」づくりをめざす強い衝動が起こっていることを警告したが、その後の事態の展開は、この警告が的確なものであったことを、実証した。北朝鮮への「制裁」に対応できる国内体制として、反動勢力がかねてからねらっていた非常時体制づくり、有事体制づくりのくわだてがすすめられていることは重大である。国連が「制裁」をきめたときにはもちろん、アメリカが国連の決定なしに「制裁」にふみだしたときにも、在日米軍基地の使用、米軍への物資・通信・輸送などでの後方支援、海上封鎖への協力・参加などがくわだてられ、そのための法改悪が検討されている。

 憲法の平和原則をふみにじる非常時体制づくりを許してはならない。日本型ファシズムへの危険を直視しながら、これを恐れないことが大切である。海外派兵体制は、国民の世論、運動との矛盾を反映して、また憲法の平和原則の制約のもとで、公然とした海外での軍事力行使を合法化する体制にはいたっていない。

 小選挙区比例代表並立制の衆議院への導入も、日本共産党が広範な国民と結びつき、国会や地方議会で前進することを、おしとどめることはできない。

 現在の自民党政治のゆきづまりを打開しようとする、どんな反動的くわだても、よりいっそうの国民との矛盾と批判をよびおこさざるをえをい。「一路反動化」という情勢の見方は、そうした国民との深部の矛盾をとらえないものである。こうした情勢のもとで、日本型ファシズムの体制の成立を阻止すること、とりわけ憲法の平和的・民主的原則を擁護し、それをふみにじっている政治を改革することは、すべての民主勢力の共同の任務となっている。

(7)政治戦線と日本共産党の存在意義

 細川連立政権をうみだした昨年8月の政変の最大の意味は、社会党、公明党、民社党などの旧来の反共野党が、名実ともに保守政治に吸収・合体されたことにある。これらの党は、小選挙区制導入問題でも、コメ輸入自由化問題でも、消養税増税問題でも、国民への公約よりも、連立与党の「合意」を上におくことで、その恥すべき変節を合理化した。

 この間、「政界再編」の名で、政党間の離合集散がおこなわれてきた。その内部にはさまざまな矛盾も表面化しているが、それは若干の政治的手法のちがいや、党利党略、私利私略の権力闘争にもとづくもので、「自民党政治の継承」という大枠においては、何らえらぶところのない、国民不在の抗争である。この抗争のなかで、わが党以外のすべての政党が、みずからの政党の未来に責任がもてず、政党の存在意義の深刻な喪失状態に直面している。また、少なくない党が内部的解体状態におちいっている。

 社会党は、新生党などによる国会内の統一会派結成に反発して羽田連立政権から離脱した。しかし、社会党が細川内閣の与党になってからの8ヵ月間にやってきたことは、「民主主義をくつがえすもの」という従来の批判を投げすてて小選挙区制を導入し、コメ輸入自由化やあいつぐ公共科金の引き上げ容認など、国民を裏切る悪政の推進であり、自民党政治に吸収された社会党の実体をさらけだすものであった。この「自民党政治の継承」という立場が、政権離脱によってかわらないものであったことは、羽田内閣の総辞職をうけた権カ抗争の果てに、社会党が自民党との連立政権をつくったことによっても証明されることになった。

 日本共産党の存在と正論をかかげての奮闘があるかぎり、大政翼賛的風潮が、政界全体をおおいつくすことは、けっしてできない。文字どおりの保守翼賛体制は実現していない。歴史を、長期にわたって逆行させることはできないし、逆もどりをさせてはならない。日本共産党と民主勢力が戦後つくりあげてきた陣地の意義を過小評価して、意気消沈することは、わが党の革命的伝統にそぐわないものである。

 日本共産党は、今日の政治戦線のなかで、社会発展の合法則的な促進体としてのみずからの不滅の存在意義を、誇りをもって語れる唯一の党となっている。そして、日本共産党の存在と活動は、他のすべての政党が反国民的保守政治の陣営に吸収されたもとで、日本の政治革新をねがう人びとはもとより、コメ問題での農村の激変にみられるように、これまで保守的立場にたっていた人びとをもふくめて、反国民的悪政に抗してよりよい生活をねがうすべての人びとにとって、かけがえのないよりどころになっている。

 政党関係のはげしい流動化のもとで、現在の政党間の力関係を固定的にみるべきではない。日本共産党の躍進の客観的条件が存在することに確信をもち、政党間の力関係を抜本的にかえることをめざし、全力をつくすことが求められている。

(8)今日における革新の立場とは何か

 国内政治の激動のもとで、今日における革新の立場とは何かが、問われている。

 日本共産党が、革新統一勢力とともに、自民党政治を打破していく方向としてしめしてきた、革新3目標――(1)日米軍事同盟と手を切り、真に独立した非核・非同盟・中立の日本をめざす、(2)大資本中心、軍拡優先の政治を打破し、国民のいのちと暮らし、教育を守る政治を実行する、(3)軍国主義の全面復活・強化、日本型ファシズムの実現に反対し、議会の民主的運営と民主主義を確立する――は、日本の現実が切実に求める基本目標として、ますます生命力をましている。

 同時に、今日は、そうした目標への自覚的一致にいたらない人びともふくめ、自民党政治とそれを継承する反国民的悪政に反対し、みずからのよりよい生活と未来をめざそうとするすべての人びととの、ますます広範な国民的共同が可能な時代となっている。今日における革新の立場とは、日本の社会発展の方向についての自覚的目標を堅持しつつ、反国民的悪政に反対するすべての人びとに手をさしのべ、手をたずさえるものであり、その方向への努力が強められなければならない。

 450万人の構成員を擁する組織に成長した全国革新懇(平和・民主主義・革新統一をすすめる全国懇講会)が、未来の日本の多数派となることをめざして前進することが、つよく求められている。こうした潮流の前進こそ歴史の法則的発展方向である。もちろん、この結集には、国民的共同を妨げる反共分裂主義のあらゆるあらわれとたたかうことが、不可欠であることを忘れてはならない。

 客観的情勢の成熟と主体的条件の未成熟という2全協の命題は、こんごの日本の進路をきりひらくうえで、ひきつづき重要である。日本共産党は、革新無党派の人びと、悪政に反対する広範な民主的人びととの、国民的共同戦線を広くつくりあげ、現在の日本社会の危機を克服し、日本の未未を救うために、全力をつくして奮闘するものである。

第3章 国民多数の願いにかなった「新しい日本」への道をきりひらこう

(9)ゆきづまった自民党政治からの三つの転換

 自民党政治とそれを継承する政治の深刻なゆきづまりから、日本を救い、国民の生活と未来を救うために、日本共産党は、つぎの三つの転換をめざして、国民とともに全力をつくす。それは、すぐに社会主義の日本をつくることではなく、国民が主人公となり、資本主義のわく内でも、国民が平和で、より豊かで、自由な生活をおくれる日本への転換である。

 ――日米軍事同盟をやめ、自主独立の日本、世界平和に真に貢献できる日本への転換。

 ――大企業優先の「経済発展」から、国民生活優先の経済発展への転換。

 ――金権腐敗政治を一掃し、「国民が主人公」となる民主主義日本への転換。

 これらは、日本社会が直面している諸問題を、国民多数の要求と合致する方向で解決する、法則的道すじをしめすものである。こうした民主的改革の道は、憲法改悪をやめさせ、憲法の平和的・民主的原則を守り、徹底させることと一体のものである。日本共産党は、憲法改悪を許さないだけでなく、憲法の平和的・民主的原則をふみにじっている悪政をただし、その原則が花ひらく日本をめざして、現状変革のたたかいを広範な人びととともにすすめる。

(10)日米軍事同盟をやめ、自主独立の日本への転換を

 第1は、日米軍事同盟をやめ、自主独立の日本、世界平和に真に貢献できる日本への転換をかちとることである。このことは、従属的な日米関係の矛盾が、戦後のどの時期よりも激烈になっているいま、いよいよ焦盾の課題となっている。

 在日米軍基地の実態は、世界に類のない異常なものである。日本は、アメリカが海兵隊、空母機動部隊を常駐させている、世界で唯一の国である。「思いやり」予算をふくむ在日米軍駐留経費負担でも、日本は、米兵1人あたり1300万円をこえ(1994年度)、ドイツや南朝鮮と比較しても、ずばぬけて世界一である。アメリカは、日本にたいして、財政負担とともに、「人的貢献」の要求を強めている。日本の反動勢力は、国連の軍事活動への参加を橋わたしにして、米軍の地球的規模での軍事活動に自衛隊を参加させる道を模索している。

 日米軍事同盟は、アメリカの世界戦略遂行の道具としての性格とともに、日本にたいするアメリカの経済覇権主義のてことしての性格を露骨なものとしている。アメリカは、ガット・ウルグアイラウンドの交渉では、「自由貿易」の論理をふりかざして、日本の農民、国民に大きな苦難をあたえるコメ輸入自由化をおしつけながら、日米包括経済協議では、「自由貿易」などどこ吹く風で「制裁」をちらつかせる、横暴きわまる態度をとっている。ところが日本政府は、「制裁」の脅迫にたいしても、抗議一つしていない。これは、ヨーロッパ諸国に比べても、異常に卑屈な態度である。アメリカは「圧力」をかけることを当然視し、日本の反動層は「外庄」を頼りにして、労働者、農民、中小零細業者に犠牲を転嫁するという、日米支配層の合作による収奪体制がつくられている。

 これは、日本国民の利益を大きくそこない、その矛盾を拡大しているだけではない。日米質易不均衡の責任をすべて日本におしつけたあげく、不均衡のいっそうの拡大をひきおこし、その調整に失敗するという結果をまねいている。ここでも、保守政治は重大な悪循環におちいっているのである。こうした対米従属からぬけだすことは、日本の平和と安全、日本経済と国民生活にとって、避けてとおれない課題となっている。世界のGNP(国民総生産)の4割をしめる日米両国の関係が、従属関孫から、対等・平等の関係になることは、人類の進歩への巨大な貢献である。それは、憲法の平和原則にもとづく、世界平和への真の貢献を可能にする道である。

(11)大企業優先から、国民生活優先の、経済発展への転換

 第2は、大企業優先の「経済発展」から、国民生活優先の経済発展への転換をはかり、世界第二の経済力を、国民のために生かす真に豊かな日本をつくることである。

 1990年代にはいって深刻化した戦後最大の不況は、たんに循環的なものではない。この10年間に急速に肥大化した「経済大国日本」の顔と、国民生活で豊かさの感じられない「遅れた日本」の顔――この「二つの顔」に象徴される日本経済の構造的ゆがみと不可分のものである。さらに、長時間・過密労働や乱開発などの「ルールなき資本主義」といわれるような現状、さまざまな金権腐敗事件を生んできた「政・官・財の腐敗的癒着」など、国際的にみても異常な日本資本主義の体質と結びついたものである。

 大企業への育成・援助を何よりも優先させ、そうすればその「おこぼれ」が国民にも「したたりおちる」という考え方での経済発展方式が、一つの限界点にたっして、国民生活の矛盾をたえがたいものにするとともに、日本経済の発展をも阻害する悪循環をつくりだしている。自動車、電機産業などを中心に進行している産業空洞化――「企業さかえて国滅ぶ」という状況は、その象徴的あらわれである。ここから脱出し、国民生活の向上を中心において経済の発展をめざす方式への転換が必要である。

 大企業の民主的規制は、その最大の政策手段である。独占資本の規模がたいへん大きく、かつ集中が非常にすすんでいる日本においては、約200の大企業・銀行を民主的規制の対象にすれば、日本経済を国民本位の民主的発展の軌道にのせることができる。わが党のいう大企業の民主的規制というのは、大企業の存在と活動を否定するものではけっしてない。その巨大な生産力にふさわしい社会的責任をはたさせること、国家の経済への介入を民主的に転換していくことである。

 そうした経済民主主義の実現は、国民諸階層の生活向上の要求にこたえるだけでなく、日本経済の異常をゆがみをただし、その正常な発展を保障する唯一の道となっている。前大会いらい、日本共産党は、労働基準法の抜本的改正、納税者憲章の制定、日本農業の国民的再建をはじめ、多くの政策的提言を発表してきた。

 前大会の決定にもとづいて、多くの専門家の英知を結集して作成した『新・日本経済への提言』は、その集大成であり、日本経済を救う政策的達成として、国民的意義をもつものである。

 いま「税制改革」の名のもとで清費税税率引き上げの策動がすすめられているが、低所得者ほど重い課税を強いる消費税の引き上げは、不況で苦しむ国民生活にたえがたい重荷を背員わせるものであり、絶対に許すことはできない。

 このくわだてをうちやぶるうえで、勤労者の圧倒的多数に差し引き増税をもたらす「増滅税一体」論や、「高齢化社全危機」論などのごまかしの議論をうちやぶっていくことが大切である。

 高齢化の急速な進行によって、お年寄りをささえる勤労者の負担が将釆2倍以上になるかのようにいう「高齢化社会危機」論は、まったく根拠のないおどかしの宣伝である。政府は、将来社会の年齢構成だけをとりだして単純に「危機」をあおっているが、その社会をささえることができるかどうかをはかるものさしとしてもっとも重要な、就業者とその就業者がささえる総人口の比率は、政府の統計によっても、現在も高齢化社会のビークといわれる2020年も、ほぼ1対2でかわらない。また、政府の「危機」論が生産力の発展、経済成長を度外視していることにも、そのごまかしがある。なによりも、高齢化社会にそなえるといいつつ、年金制度や老人医療の改悪をすすめ、高齢者、社会的弱者が最大の被害者となる消費税の税率引き上げを強行しようとしているところに、政府の「高齢化社会危機」論のペテン性があらわれている。

 「高齢化社会のため」「福祉のため」というならば、すべてのお年寄りが安心して豊かな老後をすごせる医療、年金、介護の抜本的充実がいまこそはかられなければならない。消費税増税計画は、反動勢力にとっての戦略的課題であり、むかえうつ側も構えの大きいたたかいが必要である。日本共産党は、広範な国民とともにこれをうちやぶり、消責税廃止をめざすたたかいを大きくひろげるために全力をあげる。

(12)金権属敗政治を一掃し、「国民が主人公」の日本への転換

 第3は、金権腐敗政治を一掃し、国民が名実ともに「主人公」となる民主主義の開花した日本への転換をかちとることである。前大会いらい、リクルート、共和、佐川、ゼネコンと、続発した金権腐敗事件は、国民の大きな怒りと批判をよびおこした。

 金権腐敗問題とは、大企業の汚れた金で政治が左右されるという点で、憲法に定められた国民主権の大原則をふみつけにするものである。同時に、予算、税制、公共事業、環境、労働、農業など、国政のさまざまな基本問題が、企業献金をてこにした大企業の不当な圧力によってねじまげられていることは、国民生活を圧迫する元凶ともなっている。わが党以外のすべての党が、なんらかの金権疑惑にかかわるなど、金権腐敗政治でも「翼賛体制」がつくられているもとで、日本共産党がこの社会悪、政治悪を告発・糾明し、企業・団体献金禁止などその根絶策の確立のためにたたかうことは、日本の民主的前途にとっても、重大な責務である。

 小選挙区制と政党助成導入の策動は、国民のたたかいによっていったん参議院で否決するところまでおいこんだが、連立与党と自民党の密室談合をつうじて、強行された。しかし、大政党有利に民意をゆがめる小選挙区制や、国民の思想・信条の自由をふみつけにした強制献金制度である政党助成制度は、戦前2度わが国でも小選挙区制が廃止され、世界のすう勢も比例代表制に向かっているように、歴史の大局的視野でみるならば、長つづきしないし、させてはならない。悪法はかならずくつがえるという確信をもって、たたかいのねばりづよい前進をはからなければならない。

 小選挙区制撒廃、政党助成制度廃止、企業献金禁止を求める国民的共同の運動体の結成がよびかけられたことは、重要な意義をもつ。わが党は、日常的な運動としても、選挙戦での論戦としても、この害悪を国民多数の共通認識にしていく正面からのたたかいの先頭にたつ。商業マスコミが、反動勢力の支配にくみこまれ、国民世論を反動的に誘導する手段として利用されていることは、小選挙区制問題、コメ輸入自由化問題、消貴税増税問題、憲法問題など、この間のさまざまな政治の局面で痛切な問題となった。「共産党を排除することがフェア」としたテレビ朝日の椿発言は、商業マスコミのおちいった反動的偏向を象徴的にしめすものだった。商業マスコミのこうした現状は、日本の民主主義にとっても重大な問題であり、わが党は、この問題点を国民とともに考え、国民世論によって克服していくための活動をすすめるものである。

(13)憲法問題と日本共産党の立場

 憲法問題を、「日本の最大の焦点、現をの進歩と反動の中心的課題」とした1993年3月の第9回中央委員会総会の指摘は、ひきつづき重要である。

 憲法改悪のくわだてには、高低の波があるが、これは反動勢力にとっての戦略的課題である。とくに、アメリカ覇権主義の圧力とともに、対米従属のもとでアジア・太平洋に進出し、「第二の国際的大国」になろうとする日本独占資本の軍国主義全面復活の野望が、憲法改悪の根底にあることを、みなければならない。

 改憲策動の最大の焦点になっているのは、憲法第9条である。国連の武力活動参加や集団的自衛権発動などまで「合憲」とする解釈改憲、9条に新たを項目をくわえるなどの明文改憲、安全保障基本法をつくることで9条を事実上骨抜きにする立法改憲など、さまざまな接近がおこなわれている。

 恒久平和主義、国民主権と国家主権、基本的人権、議会制民主主義、地方自治などの憲法の平和的・民主的原則は、数千万人もの血の犠牲をふまえた第2次世界大戦の歴史的教訓を基礎においたものである。これを「時代遅れ」とするのは、人類史の発展の行程を無視した暴論である。それは、戦後半世紀をへてもなお、こんごとも継承・発展させるべき、人類にとっての普遍的価値にたったものである。また、科学的社会主義の学説の生命力ともかさなりあったものである。

 とくに、恒久平和主義の原則についていえば20世紀の歴史は、戦争を禁止し、武力行使を排除して、国際紛争の平和的解決の方向へとすすんできた。憲法9条は、みずからのいっさいの軍備を禁止することで、戦争の放棄という理想を、極限にまでおしすすめたという点で、平和理念の具体化として、国際的にも先駆的な意義をもっている。

 わが国が独立・中立の道をすすみだしたさいの日本の安全保障は、中立日本の主権の侵害を許さない政府の確固とした姿勢と、それをささえる国民的団結を基礎に、急迫不正の主権侵害にたいしては、警察力や自主的自警組織など憲法9条と矛盾しない自衛措置をとることが基本である。憲法9条にしるされたあらゆる戦力の放棄は、綱領が明記しているようにわが党がめざす社会主義・共産主義の理想と合致したものである。

 日本共産党は、憲法9条の擁護と、憲法の民主的原則の擁護・徹底を結びつけた、広範な国民的戦線をつくりあげるために、全力をつくすものである。

第4章 世界史の道程と科学的社会主義の生命力

(14)実証された覇権主義反対のたたかいの歴史的真価

 第19回党大会は、科学的社会主義とは何かという問題について、ソ連などのゆがんだ体制だけに目をうばわれず、学説、運動、体制の三つの観点から、全面的にとらえることの重要性を深く解明した。また、東欧・ソ連の事態について、社会主義と覇権主義は両立しえないという大問題を正面から論じ、覇権主義の誤りをきびしく批判しつづけてきた日本共産党の社会主義論が、いっそうの科学的生命力をもっていることを明らかにした。これは、その後のソ連共産党の解散、ソ連邦の崩壊という歴史的激動を予見しうる力を全党につくったという点で、画期的であった。それは、スターリンの社会帝国主義的偏向、フルシチョフの対米追随的「平和共存」論、ブレジネフの対米「軍事力均衡」論、とくにゴルバチョフの「新思考」などが、いずれも科学的社会主義と無縁のものであることを力説してきたわが党の先駆性を証明した。

 2全協は、ソ連共産党崩壊という事態をうけて、その原因が、覇権主義と官僚主義・専制主義という、科学的社会主義からの重大な逸脱にあることを明らかにし、この歴史的巨悪と生死をかけてたたかった日本共産党の歴史的闘争について深く解明した。また、「社会主義崩壊」論、「資本主義万歳」論を、確固たる歴史的・理論的土台をもって全面的に論破した。

 ソ連共産党の崩壊によって、その覇権主義的干渉の計画と行動を裏づける膨大な秘密文書があかるみにだされた。それは日本共産党のソ連覇権主義との不屈の闘争を、いっそう鮮やかに浮きぼりにするものとなった。不破委員長は『日本共産党にたいする干渉と内通の記録』のなかで、ソ連覇権主義の干渉とその破たんの歴史を、干渉者自身の記録で詳細に解明した。その内容は、『日本共産党の70年』にも反映された。あかるみにでたソ連の秘密文書を使って、その党の歴史をより豊かにした党は、世界でも日本共産党をおいてほかにない。

(15)20世紀と世界史の大局的道程

 20世紀とはどういう時代だったか21世紀をどう展望するか――長い視野にたって世界史の動きと科学的社会主義の生命力についてとらえることが、重要である。科学的社会主義の学説の確立と普及以後の、約1世紀半の人類史の発展方向は、科学的社会主義の生命力を実証するものとなっている。とくに20世紀の世界の動きを大局的にみれば、そのなかには試行錯誤や逆行もあるが、この世紀が、専制主義にたいする民主主義の勝利、民族抑圧にたいする民族独立の勝利、独占資本の搾取と抑圧に抗しての勤労者の生活と権利の向上という、未曽有の歴史的進歩をもたらした世紀として、人類史に刻まれることはうたがいない。

 こうした20世紀の歴史の進歩は、それをはばむ逆流とたたかう人民のたたかいによってかちとられたものであり、歴史の事実は、科学的社会主義の理論と運動こそ、世界史の促進者であったことを証明している。レーニンによって指導されたロシア革命は、民族自決権の確立でも、勤労者の生活と権利を守る先駆的政策を実施するなどの点でも、資本主義世界をふくめた全世界にはかりしれない積極的影響をあたえた。日本共産党の72年の歴史も、戦前の反戦平和と民主主義をめざす不屈のたたかい、戦後の自主独立の立場にたった覇権主義との闘争など20世紀の歴史を前にすすめた国際的たたかいの、不滅の構成部分となっている。

 わが党は、すでに1977年の第14回党大会で、社会主義をめざす諸国の現状について、世界史的にみて社会主義は「生成期」にあると規定してきた。これは、ソ連の現状を「発達した社会主義」ととらえる見地にたいする、わが党の冷静を批判的評価をしめすものだった。「生成期」論は、これらの諸国の前進は、「歴史的制約や否定的傾向の克服」なしにはありえないということを指摘していた。同時に、当時はまだ旧ソ連社会などにたいするわれわれの認識は、多くの逸脱と否定的現象をともないつつも、大局的にはなお社会主義への歴史的な過渡期に属するという見方であって、今日からみれば明確さを欠いていた。

 ソ連とそれに従属してきた一連の諸国は、革命の出発点においては社会主義をめざす目標をかかげたが、指導部が科学的社会主義にそむく誤った道をすすんだ結果、社会の実態として社会主義社会に到達しえないまま、崩壊を迎えることになった。

 こうしたもとで、資本主義から社会主義への世界史的な発展を、より長い視野でとらえることが、必要になっている。このなかで、発達した資本主義国の社会変革の事業のはたすべき役割は、いっそう重大となっている。

(16)資本主義の現実をのりこえる未来への羅針盤

 科学的社会主義の原点は、資本主義批判にある。この学説が、資本主義の現実に拘束されない未来への展望、資本主義の根本矛盾である搾取制度を克服できる未来への展望をもつことは、世界の現実にてらして新鮮な輝きをましている。世界の現実は、「資本主義万歳」論を、急速に色あせたものにしている。

 ――アメリカを先頭とする発達した資本主義国は、深刻な失業問題、貧富の格差の拡大、産業空洞化をはじめとする国民経済の崩壊など、重大な矛盾に直面している。世界最大の資本主義国アメリカで、貧困ライン以下の生活を強いられている人びとが3000万人をこえるという事実は、資本主義の発展が何をもたらすかをしめしている。

 ――発展途上国との「南北格差」は、拡大の一途をたどっている。貧困は実に深刻であり、毎日飢餓で苦しんでいる人びとは、発展途上国で約8億人以上も存在する。子どもの3分の1が栄養不良におちいり、2億人の児童への過酷な労働の強制がおこなわれていることは、人類にとって恥すべき現実である。

 ――旧ソ連・東欧で、「ショック療法」の名のもとに、IMF(国際通貨基金)主導でおこなわれた急速な資本主義化の道は、勤労者の劇的な状態悪化、経済の混乱、犯罪の増大をもたらし、その失敗はおおいがたいものとなった。これらの諸国では、急速な資本主義化に突っ走った結果にたいする国民の不満や批判が、屈折してあらわれているのが、今日の特徴となっている。人類は、この矛盾にみちた資本主義から脱出することはできないのか。世界と日本の人民の生活の現実は、資本主義的な搾取と抑圧が人類にとって永久であるかのような、閉鎖的な史観に安住することを許さないものである。資本主義が人類史の「終局」だとする歴史的ニヒリズムにたつのではなく、人類はこの制度を克服してよりよい社会をつくりだす能力をもっているという科学的展望を、科学的社会主義はさししめしている。

 科学的社会主義は、技術的に衰退したり、経済発展が下降線をたどったりすることに、資本主義の限界をみたのではない。マルクスは、資本主義が、生産力を極限にまで発展させ、新しい社会の物質的基盤をつくりだしながら、その生産力を制御できなくなり、階級矛盾をたえず新たな形で拡大せざるをえないところに、その限界をみたのである。「科学技術革命」や「情報化革命」などの、あれこれの技術的発展の側面だけに目をうばわれ、現代資本主義の矛盾にみちた階級的性格を見失うことは、根本的誤りである。現代資本主義の実態にてらしても、科学的社会主義の有効性は、ますます輝かしいものとなっているのである。

(17)社会科学としての科学的社会主義の学問的価値

 科学的社会主義における科学とは何か。マルクスによる二つの偉大な発見――史的唯物論と剰余価値学説は、社会主義を空想から科学へと発展させるものだった。同時に、科学的社会主義における科学とは、社会科学としての意味をもつということが重要である。自然がある法則に支配されていると同じように、社会も一定の法則のもとに発展していること、人間はその法則を認識できること、その法則にそって必要な段階をへながら社会変革をすすめること――ここに科学的社会主義の立場がある。

 この点で、「冷戦終結」論が、学問分野にも浸透していることを重視する必要がある。ソ連が崩壊し、「冷戦が終わった」という誤った前提から、一足とびに、科学的社会主義の有効性とともに、「社会科学のゆらぎ」として、社会科学一般の有効性にも疑いと否定の目をむけようという傾向が生まれている。それは、現体制を維持するために利用効果のある学問こそ「真理」とするプラグマチズム、人間の理性を否定する非合理主義、それらと結びついたきわだった政治反動の主張にいきつく危険をはらんでいる。

 情勢の激動のもとで、少なくない知識人や文化人が、さまざまな模索をともないながら、社会進歩の立場にたった真剣な探究をおこない、積極的な役割をはたしている。同時に、知識人や文化人のなかに、社会発展の方向を見失った、いわば方向喪失の状況がみられることも、重視されなければならない。

 こうしたイデオロギー状況のもとで、現代における科学的社会主義の学問的価値は、社会科学のたんなる一学派にとどまらない、いっそうの普通的価値をもつものとなっている。それは、まじめに真理を探求し、社会と歴史を科学の力でとらえようとする、すべての人びとにとっての共通の知的財産となっている。

 現体制擁護へと国民の思想誘導をはかる、誤った諸潮流にたいして、説得力のあるイデオロギー闘争をすすめ、科学的社会主義への知的信頼を社会科学をはじめ学問、文化の分野に広くうちたてていく活動は、ひきつづき全党がとりくむべき重要な任務である。

(18)歴史の法則と人間の主体的たたかい

 歴史には客観的法則があるが、それはひとりでにすすむものではない。人民のたたかいこそ、歴史を創造する力である。また、社会発展の法則を認識し、社会進歩に自己の人生をかさねることにこそ、真の生きがい、理性と人間性の発揮がある。この間、わが党は、戦前、若くして革命運動に参加し、節をまもってたおれた先達たちの革命的生涯に、新しい光をあててきたが、彼らがつらぬいた生き方もここにある。

 わが党は、この間の重要なイデオロギー活動として、丸山真男氏の日本共産党論とその理論的基礎への批判をおこなってきた。丸山氏の日本共産党論は、侵格戦争に反対してたたかった日本共産党にも戦争責任がある、さらには絶対主義的天皇制の精神構造が日本共産党にも「転移」しているなどというものであるが、こうした議論の根本には、だれが真理の旗をかかげて歴史にたちむかったか、それが歴史によってどう検証されたかをまじめにみようとせず、冷笑をもってとらえようとする観念論的・傍観者的歴史観がある。歴史の進歩は、大局的には正義と道理にたつものが、さまざまなジグザグをへながらも、最後には勝利することを教えている。『日本共産党の70年』が明らかにしたように、戦前、戦後の日本共産党の歴史は、反戦平和、民主主義、生活擁護、覇権主義反対の闘争など、それを証明したかけがえのない達成がある。真実にのみ忠実で、なにものをも恐れない自己分析の見地を発揮した、一貫した党史をもち、展望をもって歴史を語りうることは、日本共産党の誇りである。

第五章 社会発展の主体的条件きずく、党活動と党建設の前進を

(19)「理性と人間性」が生かされる党活動の新しい段階

 強大な大衆的前衛党建設は、ゆきづまった自民党政治の古いわく組みから日本社会を脱出させるための、主体的条件のかなめをつくりあげていく活動である。

 (1)今日における党活動の新しい特徴は、一人ひとりの党員の理性と人間性が生かされる時代になっていることである。もともと、科学的社会主義の事業は、人間解放の事業であり、わが党の戦前からの歩みにも、理性と人間性の気高い発揮がつらぬかれている。同時に、その発揮は、党活動の未熟さや、日本社会の発展段階の制約から、さまざまを困難をともなった。今日のわれわれの運動は、すべての同志の理性と人間性を豊かに生かした活動をおこなうことを可能にする段階にまで、成長してきている。この成長段階にふさわしい党活動をつくりあげることが求められている。

 (2)「理性」というときに、その根本にあるのは学習である。学習・教育活動の強化を、あらゆる党活動の第一義的な課題として、位置づけることが大切である。この間、学習・教育を基本にした「前衛党らしい党づくり」のとりくみなど、一連の努力がおこなわれ、めざましい積極的変化をつくりだした党組織も生まれている。しかし、中央委員会の諸決定や選挙闘争の基本文献の読了で、5、6割というのは、安住の許されない不十分な到達点であり、党の決定を文字どおり100パーセント読了できる党に前進しなければならない。また、日本と世界の現実と進路を日々てらしだす『赤旗』日刊紙を、全党員がよく読む党風を確立しなければならない。日本共産党と科学的社会主義の事業にたいする確信をつちかう学習、『日本共産党の70年』を活用して、党の歴史に学び、歴史の教訓を現在と未来に生かす学習にも、新たな意欲をもってとりくむことが大切である。

 (3)「人間性」の生かされる党活動という見地から、日常の組織活動を自己点検し、たえず改善することが大切である。「前衛党らしい党づくり」のなかで、全党員の読了運動、活動に未参加の党員を克服し2度と生まないための努力、全党員を掌握する努力がはかられてきたが、このなかでこれまで党に結集していなかった同志もふくめて、多くの同志たちが日本共産党員としての初心を失っておらず、党が同志的なあたたかい態度をつくして接すれば、その結集が可能であることがしめされた。「あの人はむり」と頭からきめつけて、働きかけもしないで切りすててしまう官僚主義を、党活動から一掃することはきわめて大切である。

 前大会後、「組織と人間」という問題にも、新しい光があてられてきたが、社会進歩という共通の正しい目標をもった組織でこそ、人間性の豊かな発展、人間関係の正しい発展が可能となる。わが党は、政治的・理論的な成熟をめざすだけでなく、人間的水準と品性においても、新しい人間集団としての成熟をめざして、つねに努力することが求められている。

 (4)「理性と人間性」が生かされる党活動をつくりあげる基礎になるのは、支部活動を豊かに発展させることである。国民が働き、生活するところに根ざした、数多くの支部をもっていることは、他党にないわが党の大きな生命力である。党活動のあらゆる問題で、支部がその自発性と創意性を生きいきと発揮して活動すること――「支部が主役」の活動をつらぬくことが大切である。

 ――支部会議の週1回の定例化をはかり、「参加すると楽しく元気のでる」ような内容の充実、改善をはかり、支部会議中心の党生活を確立すること。少なくとも6ヵ月に1回は支部総会をひらき、よく準備してそれを成功させていくこと。

 ――すべての党員が、党活動に参加するように、日常不断に努力すること。そのために、ヒューマニズムでむすばれた連絡・連帯網の確立、人間的同志的信頼関係を重視すること。今日の社会を変革する立場で学び、人間として成長する意志があることが、党員の資質として求められている。誠実であるかぎり、党にふさわしい人間、活動家として大きく生きることのできる可能性がひらかれている。

 ――いつも国民の利益を守る活動にとりくみ、一人ひとりの党員の大衆との結びつきを正しく評価して、はげましていくこと。

 (5)こうした生きいきとした党活動をつくりあげていくうえで、党機関の指導的役割は決定的である。そのためには、機関自身が日常不断に学習にはげみ、支部と党員が心から納得してたちあがることのできるような、政治的・理論的指導をおこなう力量をつけることが不可欠である。党機関は、こうしたみずからの努力をつみかさねつつ、支部が指導部を確立し、「政策と計画」をもち、政治単位、基礎組織としての自覚をもった活動ができるように、親身の指導と援助をおこなわなければならない。そのために非常勤役員の力を結集することもふくめ、中間機関の体制強化をはかることも大切である。

(20)新しい層をとらえた大衆活動の豊かな発展を

 自民党政治を継承した悪政と国民諸階層との矛盾がひろがり、「連合」など旧反共野党と結びついた諸勢力が保守政治に吸収されるなかで、大衆活動、大衆運動が新しい層をとらえて、大きく前進する条件がひろがっている。

 (1)全労連、農民連、全商連、新婦人、民青同盟、全学連など、革新的立場にたつ全国的大衆組織が、それぞれの階層での大衆の切実な実利を獲得することを重視し、全国的な諸課題での共同を強め、国政と地方政治の革新をめざす統一戦線運動の担い手として、その主体的力量を強めることは、大きな意義をもつものである。「消費税をなくす会」、「小選挙区制撤廃を求める共闘組織」など、国政の重大要求をかかげた大衆組織の発展も、国民的要求の実現にとって急務である。

 全労連がよびかけている、「一致する課題にもとづくあらゆる労働者・労働組合との共同」は、労働運動の前進にとってきわめて重要な方向をしめすものである。労働者の生活と権利を守る全労連の活動は、未組織労働者や地域的には「連合」参加の労働組合もふくめた広範なひろがりをしめしているが、全労連が階級的ナショナルセンターの真価を発揮して、運動と組織の拡大強化をはかることが、つよく期待されている。

 党は、全労連との正しい協力・共同関係の発展に努力するとともに、「連合」参加労組や、未組織労働者のなかでの活動を抜本的に強化する。とくに、全労連に参加していない職場で、労働者のエネルギーを結集して要求実現をはかるとともに、労働組合の階級的民主的強化をすすめることは、新しい努力方向として重要である。そのさい、能力主義賃金体系など新しい職場支配を確立しようとしている独占資本の動向にかみあった、新しい職場政策を確立していくことは、労働者の階級的結集にとって重要になっている。

 職場革新懇の運動を全労連、「連合」系をとわず広範な職場で、発展させる必要がある。

 (2)生協、農協などの大衆諸組織が、それぞれの構成員の要求にそくして民主的強化・発展をかちとることも、日本の将来にとってきわめて重要である。この間、生協運動の分野では、日生協本部の活動方針から、核兵器廃絶などの平和の課題が欠落したり、組合員の共同購入を消極的にあつかって大企業と競いあう大店舗化をすすめるなど、「平和でよりよい生活」をめざす生協運動の原点からの逸脱が問題とされてきた。各地の生協が、生活を守るための事業活動とともに、コメ輸入自由化問題、消費税問題、平和運動、環境問題などではたしている社会的役割は大きいものがある。生協運動の原点と伝統を守り、生協ほんらいの活動を発展させるための改善の努力をはかることが、期待されている。

 農協は、農民の生活と農業経営を守るための運動と事業活動をおこなう自主的大衆組織である。同時に、全農民が組織され、食管制度と農業経営基盤強化法をはじめとする法律・制度にもとづいた行政の補完的組織としての役割をあわせもっている。この間のコメ輸入自由化の強行など、日本農業を破壊においこむ悪政のおしつけのもとで、これまで保守的といわれた農村でも大きな変化が生まれ、農協がこれにつよく反対してたたかう状況が生まれている。わが党は、農協の正しい要求を支持し、一致点での協力・共同を強めるために、努力するものである。

 多様な要求にもとづく広範な人びとの結集にとって、民主的文化団体や新体連、全生連などの分野別組織の発展も重要な課題である。

 広範な都市勤労住民のなかで、革新的結集の新しい条件がひろがっていることにも、注目と関心をはらう必要がある。環境・公害問題、食品安全問題、原発問題、教育・保育問題、医療問題、高齢者・障害者運動など、さまざまな住民運動を重視するとともに、とくに都市住民の多くが住む団地・マンションでの切実な要求実現と空白克服のための活動を強化することが大切である。

 (3)女性分野での活動を強めることも重要となっている。この間、国連の国際婦人年、世界女性会議、女子差別撤廃条約批准にともなって、女性の地位向上を求める運動は、大きなひろがりをみせている。日本の女性の地位は、発達した資本主義国のなかでも最低水準におかれており、男女平等と地位向上、社会参加の要求が高まっている。党が、多くの女性および女性組織とカをあわせて運動をすすめることは、日本の民主主義の前進にとって大きな力となるものである。

(21)党勢拡大の二つの根幹――機関紙拡大と党員拡大

 機関紙拡大と党員拡大は、党勢拡大の二つの根幹である。(1)日本のマスコミが、真実を国民に知らせるという報道の一番の基本的な役割をはたしていないなかで、『赤旗』は、「真実を求め、まじめにものを考える人たちの共同の機関紙」であり、「革新共同の新聞にとどまらず、国民共同の新聞」としての役割をになっている。また、世界の革新運動のなかでも、日本の政党のなかでも、その達成は比類のないものである。

 『赤旗』は、国民と党との結びつきのバロメーターである。どんなに選挙制度がかわっても、『赤旗』を中心とする国民との結びつきがかたく保たれるかぎり、党の生命力は健在である。広い視野にたって、新しい層への拡大をはかることは、とりわけ大切である。

 国政選挙でも地方選挙でも、その前進をかちとるために、前回の機関紙の陣地をかならず上まわり、3割増を目標として選挙をたたかうことを、全党の不動の決意としなければならない。そして、勝利に必要な有権者比での読者拡大に、つねに自覚的にとりくむことが大切である。

 党は、前大会後、学習を基礎に、支部と党員の自覚に依拠して、機関紙拡大を追求することを、一貫して重視してきた。そのなかでつかんだ「機関紙拡大の大道」――すなわちすべての支部と党員が機関紙拡大の自覚的目標をもち、自覚的活動をおこなうことこそ、機関紙拡大の法則的発展方向である。9中総でこの方向が提起され、10中総であらためて確認されて以後、ことしの3月をのぞいて9ヵ月間、機関紙の陣地の前進をかちとったことは、この方針の生命力を実証している。しかし、この方針の本格的定着は、こんごの課題である。支部、党員が目標をもって現実に自覚的に活動する流れを全党の大勢にしていくために、一貫して力をつくす。そのための基本的活動形態として、拡大推進班活動を全支部のものにしていく。

 毎月数万の規模の購読中止読者をなくす問題は、〃前進しつつ減らさない〃機関紙活動を発展させ、読者拡大の多大な努力を機関紙の大きな前進に実らせ、拡大の定着をかちとっていくうえでも、きわめて重要である。その根本は、「購読継続のための7ヵ条」でしめされているとおり、『赤旗』を「生涯の友」として読んでもらうようにする努力、読者を政治革新をともにすすめる仲間として大切に守る思想を、文字どおり全党のものにすることである。そうした努力を支部を基礎にみんなで力をあわせですすめていくうえで、「読者ニュース」の定期的発行はきわめで重要である。

 (2)党員拡大でも、「すべての支部で新しい党員を迎えよう」、「青年学生のあいだで党員をふやすことに全党が力をそそごう」を合言葉にして、目的意識的で計画的な拡大をすすめる。静岡・中伊豆町での現職町議落選の教訓をふまえた、党建設の課題を放棄したときに党はどのような事態におちいるかという党中央の問題提起は、党のかかえている弱点を深くえぐるものとして、党組織の自己検討ととりくみの強化をうながしつつある。中伊豆町では、落選した前議員がその後県委員会の援助もうけて、20年ぶりに新しい党員を迎え、支部を確立した。意識的計画的な努力によって、前進が可能であることは、ここからも証明されている。

 第18回党大会8中総(90年3月)で、実態のない党員の解決に真剣にとりくむ課題を提起していらい、全党的にこの課題はほぼ解決した。少なくない同志が初心にかえって党活動に参加したが、実態のない部分についてはそれを厳密に検討したうえで除籍・離党の措置をとった。この面でも、いまこそ党員拡大の新しい前進にとりくむべきときである。

 党員拡大は、いついかなるときにもにぎってはなさず、対象者を明らかにして系統的はたらきかけをおこない、目的意識的で持続的な拡大をはかるところに、その大道がある。とくに、空白の克服に計画的・系統的にとりくむこと、人口比、有権者比でおくれた党組織の底上げは重要である。

(22)革命遅動の後織者をつくる活動を

 前大会は、青年分野での「広大な空白」を克服するために、「党の総力をあげたとりくみ」をすることを、全党によびかけた。またこの間、党中央は、無著名論文「青年・学生党員の志をはげまし、『理性と人間性』が生きる党活動を」を発表した。青年問題を担当部まかせにせず、党機関の責任で(全党的課題として打開する努力が強まりつつある。

 こうしたなかで、とりくみいかんでは若い世代の結集は可能であることをしめす、一定の変化もつくりだされてきた。とくに、学習をなによりも重視し、青年の要求と関心にそくした活動をすすめ、生き方の琴線にふれるはたらきかけを重視したところで、大学単位、民青同盟の地区、県単位での新しい前進がはじまっているのは、きわめて貴重な変化であり、これを大きな流れにしていくあたたかい激励と援助が必要である。

 前大会以降、入党者の4割は青年であり、5000人以上の青年がわが党に入党していることは、日本の若者にはおおいに未来があることをしめしている。これはわが党にとっても、日本国民にとっても、世界の人類にとっても希望であり、全党は、若い世代を党に積極的に迎え、その気高い志をあたたかくはげましていく必要がある。

 同時に、全党的にみると、党員現勢のなかでしめる10代、20代の党員の比率は、低い水準にとどまっていることも事実である。革命運動の後継者をつくるこの分野の活動は、党の現在と未来にかかわる重大問題として、全党がいっそうの情熱と努力をかたむけなければならない。

 青年の革新的結集のうえで、すべての党支部が、みずからの仕事として対応する民青同盟班をつくる仕事にとりくみ、学習の援助をはじめ親身になった民青同盟班への本格的援助をおこなうことも、重要である。

第6章 国政選挙と地方選挙での日本共産党の新たな躍進を

(23)当面する国政選挙と地方選挙での躍進を

 わが党は、小選挙区制が強行された後の本年3月にひらいた第11回中央委員会総会で、新しい選挙制度のもとでの選挙方針をいちはやく決定した。その後、4月に羽田内閣が少数与党内閣として発足するという情勢の激変をうけて、民意を反映していない内閣に国政をになう資格はないことなどを指摘し、すみやかな解散・総選挙を要求した。そのさい、わが党は中選挙区制を想定した総選挙の闘争方針にきりかえ、とりくみを強めてきた。その方針の適切さは、この内閣の崩壊にいたる過程で、解散寸前の状況が生まれたことによって証明された。

 しかし、発足した村山政権は、小選挙区制の区割りを最優先の課題とし、次回の総選挙は新選挙制度のもとでおこなうと明言している。国会での政治的力関孫からみても、一定の矛盾をもちながらも、わが党以外のすべての党が区割り推進と、小選挙区・並立制での選挙という点で一致している状況がある。

 こうした情勢のもとで、きたるべき総選挙にむけての方針は、本大会を機に11中総で決定した小選挙区・並立制のもとでの方針にそってとりくむこととする。「比例代表を軸」にという方針を、文字どおり全国でつらぬき、どのブロックでも有権者比での得票目標の実現をめざしつつ、国政選挙での過去最高票を上まわる得票を獲得して、それぞれのブロックで最大限の議席を得るために全力をあげなければならない。そのために、すでに決定した全国11のブロックの比例代表候補者を先頭にした活動を再開し、小選挙区の候補者のすみやかな決定と活動の推進、新制度のもとでの立候補のための供託金募金の再開など、体制もとって必要な諸活動にとりくまなければならない。

 中選挙区制での選挙は、現実の政治からみれば可能性が少ないものとなっているが、万一の場合は、必要な判断をすることは当然である。来年は、いっせい地方選挙と参議院選挙が連続するが、これらは期日のきまったたたかいであり、総選挙の時期の流動性もふまえ、三つの全国的規模での重大な政治戦の必要な準備を、独自に、ぬかりなくすすめ、相乗化させることが大切である。

 選挙戦の方針としては、わが党が第8回党大会いらい一貫して不滅の鉄則としてきた「四つの原点」(注)の活動を、正しく堅持することが大切である。「四つの原点」の活動は、その重点のおきかたは、そのときどきによってさまざまありうることだが、それぞれが選挙勝利に不可欠の活動であり、そのすべてをやりきってこそ勝利の保障がきずかれるという基本をにぎってはなしてはならない。とくに大量政治宣伝は、選挙戦のあらゆる活動を発展させる共通の土台となるものである。大量政治宣伝と機関紙拡大は、どちらが主で、どちらが従というものでなく、両方とも独自に追求してやりぬくべき、選挙勝利にとっての必須の課題である。

 あらゆる選挙で、日本共産党の存在意義のおしだし、体制選択論と反共攻撃の打破を選挙戦の戦略的課題にすえ、胸を張って党を語る力を身につけることは、これまでにもまして重要である。

 保守翼賛的流れの強まりのなかで、地方自治体が、住民の暮らしのための機関という本来の役割・機能を喪失し、ますます大企業優先・中央下請け化を強めているなかで、地方議会でのわが党の躍進は、切実な意義をもっている。来年のいっせい地方選挙で、現有議席の絶対確保と前進、県議空白5県をはじめ、空白自治体の克服に全力をあげる。とりわけおくれている都道府県議、政令市議で底上げをはかる。

 参議院選挙のとりくみでは、「比例を軸」にという方針をつらぬき、総選挙とどちらが先になろうとも、先の選挙での比例代表選挙で大きな成果をおさめ、つぎの選挙の前進への土台とすることが重要である。選挙区選拳では、北海道、東京、京都、大阪にくわえ、定数が3となる埼玉、神奈川の六つを必ず勝つべき選挙区――必勝区として位置づけ、議席をかちとるために全力をあげなければならない。

 わが党はこの間、党大会にむけたとりくみで中間地方選挙での前進に全力をあげ、昨年10月来、今日までに差し引き23人増をかちとり、全国的な議員定数削減のなかで議席占有率では5・88%から5・95%に前進した。しかし、前党大会から実数では、25人の後退を残した。この中間地方選挙での確実な前進は、今後も継続してとりくむべき重大な課題である。

 革新自治体の防衛・奪還、拡大のたたかいを重視する。そのさい、日野市長選の教訓も生かして、日本共産党と革新無党派の人びととの共同を、これまでの社会党関係者の善意の人びともふくめて、大きく発展させる努力が大切である。反動勢力の革新自治体つぶしの策動にたいしては、選挙まぎわになってからというのでなく、日常的にたたかうことが、大切である。

 東京都の、42のうち29の選挙区で都議会議員がいない現状は、とりわけおくれていると実感すべきであり、3年後の都議選にむけた積極的とりくみが求められる。

(24)人民的議会主義にもとづく護員活動の強化

 人民的議会主義にたって、国会と地方議会での議員活動の強化をはかることに、特別の努力をはらう必要がある。とくに、全国4000人に近い地方議員は、わが党にとって「宝」ともいうべき存在であり、地方議員(団)の活動が、多くの住民に深く信頼され、日本共産党議員(団)としての誇りと自覚をもって強化されることは、党が広範を有権者と不抜に結びついて前進するうえで、ひじょうに重大な意義をもつものである。

 そのために、つぎの諸点について、地方議員(団)は、不断の努力をはかることが大切である。

 ――地方政治にも国政と科学的社会主義にも強い幹部になること。地方政治に精通する専門家になるとともに、党の存在意義を語り、反共攻撃・体制選択論攻撃に反撃する力量でも、第一級の幹部になること。

 ――党活動と党建設の全体にわたる「けん引力」になること。

 ――ブルジョア議会主義的な転落、情勢への敗北主義からくる変節への警戒をつねにはらうこと。地方党機関は、地方政治の問題を、議員(団)まかせにするのではなく、地方政治に党として責任をおう機関にふさわしく、その政策的問題点を深くつかみ、また地方議員のおかれている状況と党生活確立の現状をよくつかんで、地方議員(団)の活動への指導と援助を抜本的に強めなければならない。

(注)選挙活動の「四つの原点」

 1、大衆の切実な要求にもとづき日常不断に大衆のなかで活動するともに、歴史で検証ずみの日本共産党の存在意義をかかげ、党勢拡大につとめること。

 2、大量政治宣伝活動を日常化し、日本共産党の政策と主張、実績とともに、反共反撃をかならずおこない、党の歴史・存在理由を全有権者につねに知らせること。

 3、大衆のなかで『赤旗』の役割をおおいに語り、機関紙誌の読者拡大をはじめ、基礎的支持勢力を日常的に拡大すること。

 4、わが党と協力、共同する広範で多面的な大衆組織の拡大・強化につとめ、大衆運動の分野でも反共・反革新の攻撃とたたかい、党支持の立場にたつ人びとを積極的に党に迎え入れること、日本共産党後援会を拡大・強化すること。