(1)日本共産党の躍進と“自共対決”の時代
(2)“総自民党化”政治のもとでの日本共産党への共感のひろがり
(3)反動・反共攻勢とのたたかい――党の政治路線の成果
(4)国民との新たな関係、国民の新たな期待にこたえる活動を
(5)日本の政治方向の三つの根本的転換を
(6)日米安保条約をなくし、アジアと世界の平和に貢献する日本
(7)“ルールなき資本主義”をただし、国民生活最優先の経済発展を
(8)憲法改悪を阻止し、民主主義が花ひらく、人間尊重の日本へ
(9)民主的改革の国民的多数派の結集を
(10)アメリカ覇権主義の横暴と矛盾
(11)世界の資本主義経済の新たな矛盾のひろがり
(12)国際的な交流と連帯の発展をめざして
(13)国政選拳の躍進をめざす活動と国会闘争について
(14)地方自治体にたいする活動の抜本的強化と選挙戦での躍進
(15)情勢の認弘と活動の構え、学習・教育について
(16)「支部が主役」――個性が輝く人間集団めざして
(17)大衆運動――新たな変化を視野に入れ大胆な運動のひろがりを
(18)機関紙拡大と党員拡大―とくに若い世代の革新的結集
(19)社会進歩と国民への重大な責任を自覚して
第20回党大会いらいの3年あまりのたたかいは、日本共産党の新しい躍進の時代をきりひらくものとなった。
国政選挙では、1995年の参議院選挙で改選5議席から8議席に躍進したのにつづいて、1996年の総選挙で15議席から26議席への躍進をかちとった。総選挙で獲得した726万票、13.08%の得票率は、わが党が1970年代に到達した峰をはるかにこえる、史上最高の峰への歴史的躍進である。衆院への小選挙区制の導入は、日本共産党を政界からしめだそうとするファッショ的なくわだてだったが、改悪された制度のもとでもそれを突破する躍進をかちとったことは、どんな悪法によってもわが党と国民とのむすびつきのひろがりをおしとどめることはできないことをしめすものであった。
地方選挙でも、わが党の地方議員総数は、1995年におこなわれたいっせい地方選挙で、自民党をぬいて地方議員第1党に前進し、その後も議席を着実に拡人して4051人となった(党大会時)。とりわけこの7月におこなわれた東京都議会議員選挙で、13議席から26議席へと議席を倍増させ、自民党につぐ都議会第2党の地歩をしめしたことは、都政の未来にとってのみならず、国政にも衝撃的影響をあたえる、すばらしい成果であった。それは総選挙につづく日本共産党への期待と共感の新たな波のひろがりを実証するものだった。
革新・民主の地方自治体の新しいひろがりもつくられた。なかでも、わが党が単独与党の自治体が66自治体にまでひろがり、住民本位の新しい施策をつぎつぎと前進させていることは、21世紀にむけた日本の地方自治の大きな希望ある変化である。他のすべての党が“住民福祉のための機関”という自治体ほんらいの仕事をすすめる立場を投げすてているもとで、憲法と地方自治法にきざまれた地方自治の精神にたった行政をうちたてようとすれば、これまでの政治的な立場のちがいをこえて、日本共産党との共同にすすむほかないという状況が、全国どこでも生まれている。
これらの一連の成果は、政党間の力関係を、大きく前むきに変えつつある。とくに、政権党である自民党にたいするわが党の得票比が、総選挙で約4割になり、都議選では約7割にまでたっしたことは、こんごの躍進いかんでは政権の問題を現実に展望できるまでに、日本共産党の政治的比重がましつつあるという点で重要である。これらは、自民党と日本共産党との対決 ――“自共対決”こそ、日本の政治対決の主軸であること、それが政治路線のうえでの対決だけではなしに、現実の政治的力量のうえでの対決にもなりつつあることをしめしている。
この新しい躍進の流れは、一時的なものでも、偶然のものでもない。国政でも地方政治でも、日本共産党以外のすべての党が自民党政治に吸収され、“総自民党化”政治ともいうべき政界の構造がつくられていることに根ざした変化である。
“総自民党化”政治のもとで、自民党一党政権の時代にはできなかった悪政がつぎつぎに強行された。この数年間でも、小選挙区制・政党助成導入、消費税増税、コメ輸入自由化、年金制度改悪、住専処理への血税投入、医療保険改悪、米軍用地特別措置法改悪など、これまでならいくつもの国会にわたって紛糾するような悪法が、国民多数の反対をおしきって連続的に強行された。国会の外での密室談合で合意ができたら、国会での本格審談なしに強行されるという、議会制民主主義の形がい化・空洞化がすすんだ。国民への公約はふみにじられ、政党と政治家は離合集散をくりかえし、無節操さは呂をおおうばかりとなった。そのあまりの異常さにたいして、それをすすめる当事者たちからも、「戦前の大政翼賛会を思わせる」との危機感と不安が語られている。
“総自民党化”の土俵のなかで、にせの「対立軸」、にせの「受け皿」をつくる試みがくりかえされた。しかし、あれこれの新党づくりや、看板のかけかえが、どんな意味でも新しい政治を生みださず、自民党による悪政の推進を助ける役割しかもたないことは、新進党、民主党、社民党などの現状によって、実証されつつある。これらの党にたいして、都議選で都民のきびしい審判がくだされたことは、こうした小手先細工には未来がないことを、はっきりとしめした。
無党派層の増大は、“総自民党化”した政治にたいする、国民の幻滅と拒否を背景にしたものである。これらの人びとのむいている方向は、さまざまな模索をともないながらも、全体として日本共産党と立場を共有しうるものである。わが党は、広大な無党派層の人びととの対話、交流、共同のためにカをつくしてきたが、都議選では投票した無党派層の約4人に1人が日本共産党を選択したという調査結果も報道されるなど、共同の輪は選挙のたびごとにひろがりつつある。
“総自民党化”した諸党との対比で、いま、日本共産党の存在意義が、あざやかにうきぼりにされている。国民の立場で筋をとおす政治的一貫性が、広い人びとのなかに新鮮な共感をよびおこしている。日本共産党の存在と活動は、“総自民党化”の政治のもとで、みずからの暮らしをまもり、希望ある未来をねがう人びとの、かけがえのないよりどころとなっている。
1970年代の党の躍進以降の約20年間は、反動・反共攻勢にたいするきびしい闘争の20年だった。今日の日本共産党の新しい上げ潮は、この不屈の闘争によってきりひらかれたものである。
戦前から日本では、日本共産党月とその支持者を「国賊」「非国民」と攻撃するような、他の資本主義国ではみられない独特の反共的土壌がつくられてきたが、それにくわえて70年代から「戦後第2の反動攻勢」が本格的にはじまった。「自由社会をまもれ」という反共キャンペーンが開始され、政治戦線でも、労働戦線でも、「日本共産党をのぞく」という体制がつくられた。80年代の終わりから90年代のはじめにかけてのソ連・東欧の旧体制崩壊を最大限に利用した「体制選択論」攻撃は、わが党を日本の政界の極小勢力に転落させ、あわよくば抹殺しようとするきわめて激烈なものだった。
この反共の逆風にたちむかい、党の全体像――歴史と路線を誇りをもって語り、党の陣地を維持してきたことが、今日の躍進に結実した。反共の嵐(あらし)によって、わが党は鍛えられ、党と国民とのむすびつきも質的につよまった。いまおこっている躍進の流れは、60年代から70年代前半の躍進とくらべても、いっそう強固な基盤のうえにたったものである。
もちろん、今後の道程は平坦(へいたん)なものではないだろう。党の躍進にたいして、反動側は警戒感をつよめている。新たな逆風のくわだてもくりかえされることを、けっして過小評価してはならない。しかし、どんな逆風のくわだてにたいしても、わが党はそれをうちやぶる路線、歴史をもっているだけでなく、げんに逆風をうちやぶってきた理論的・実践的経験をもっている。この経験は、今後のたたかいのなかでも生きる貴重な財産である。
日本共産党の躍進に、多くの海外のマスコミも注目をよせたが、「どうして日本では共産党がこんなに元気なのか」という分析のなかで、彼らが共通して指摘したのは、旧ソ連などの横暴とたたかいぬいた自主独立の伝統、侵略戦争と専制政治にいのちがけで反対をつらぬいた歴史、資本主義の枠内での民主的改革をつうじて社会進歩の道をきりひらく綱領路線、企業・団体献金とも金権政治とも無縁な清潔さなど、わが党の75年の歴史と路線がもつ生命力だった。この生命力は、党創立いらいの多くの先達(せんだつ)たちの苦闘によってきずかれ、うけつがれてきたものである。
今日の躍進の流れを、わが党の政治路線、それにもとづく不屈の闘争の成果として、全党が確信をもってつかみ、いっそうの前進をかちとることがもとめられている。
総選挙と都譲選での躍進は、国民の党にたいする見方を、さらに大きく変えつつある。これまで党を拒否したり、無関心だった人びともふくめ、広範な人びとが党に注目し、関心をもち、期待をよせつつある。党と国民との関係が質的に新しい段階に入ったことをふまえて、それにふさわしい活動がもとめられている。
これまで党と国民をへだててきた垣根――“誤解と偏見の壁”がくずれつつある。多くの国民が、日本共産党を、誤解や偏見にとらわれず、その政策と活動の事実をみて評価するようになってきている。このことについて、自民党や財界関係者のなかからも「共産党が有権者に普通の政党として受け入れられていることが何よりの驚異だ」という声があげられた。視野を思いきってひろげて、すペての国民を対象にした対話と共同を追求することが大切である。
わが党に一票を投じた有権者のなかには、“総自民党化政治への批判票”として日本共産党をえらんだ人も少なくない。重要なことは、それらの人びとが、政治の現状への批判の気持ちを、日本共産党に託してくれた、といぅことである。同時に、わが党に、“現実政治を動かす政党”、“政権をになう政党”という期待をよせてくれている少なくない人びとがいる。そうした期待にこたえた活動を、国政でも地方政治でもすすめることが、つよくもとめられている。国民に「この党に政治をまかせても安心」という信頼感をもってもらえるように、現実政治の場での行動と実績で、国民の信頼をえる活動をすすめる必要がある。躍進した国会とともに、第2党となった都議会で、それにふさわしい存在感と実行力を発揮することは、有権者にたいする重大な責任である。
わが党がかちとった到達点は、政治革新の目標からみれば、まだごく初歩的なものである。21世紀の早い時期に政権をにないうる党へ成長することをめざし、国政でも地方政治でも、いっそうの躍進の渡をつくりだすために全力をあげる.。日本共産党がめざす新しい民主主義日本の目標と内容を鮮明にしめし、民主的改革の国民的合意をつくりあげていくために力をつくす。
いま進行している政治的激動のおおもとには、戦後半世紀つづいた自民党政治がおちいっている深刻なゆきづまりと矛盾がある。長年つづいた自民党政治は、この路線のままでは支配政党であっても舵(かじ)取りのしようがない、難破船のような危機に日本をおいやっている。
日米安保体制は、「ソ連の脅威から日本をまもる」というこれまでの合理化論が、ソ連の崩壊によって通用しなくなり、その存在理由が根本から問われている。この体制は、アジア太平洋に公然とほこ先をむけた軍事同盟へと変質をとげつつあるが、そのこどが基地の重圧に苦しむ沖縄県民との矛盾、平和と主権をもとめる日本国民との矛盾、憲法の平和原則との矛盾、アジア諸国民との矛盾を、いっそうぬきさしならないものとしている。
ひとにぎりの大企業のもうけを最優先とする経済発展方式がゆきづまり、わが国は、他の発達した資本主義国では例をみない経済的な諸矛盾の多発、深刻な財政破たんにみまわれている。それを対米従属と大企業の利益第一、庶民増税と福祉・暮らしきりすてでのりきろうとする反動政策が、国民の生活苦をいっそうたえがたいものとしている。
民主主義も深刻な危機のなかにある。民意をゆがめる小選挙区制導入が議会制民主主義を根底からおびやかし、憲法改悪と軍国主義の全面復活にむけた公然としたくわだてが台頭していることは重大である。企業献金で政治をゆがめる害悪も、住尋問題、薬害エイズ問題などをつうじて、いっそううきぼりにされた。
このような政治に、21世紀の日本の未来をたくすことはできない。いまこそ日本の政治の根本的転換が必要である。それは、すぐに社会主義の日本にすすむことではなく、つぎにしめすように、資本主義の枠内で、国民が平和で、豊かで、自由な、人間らしい生活をおくれる日本――「国民こそ主人公」の民主主義日本への転換である。
――日米安保条約をなくし、アメリカともアジア諸国とも真の友好関係をむすび、世界平和に貢献する独立 した非核・非同盟・中立の日本。
―― 世界でも異常な“ルールなき資本主義”をただし、大企業に社会的責任をはたさせ、国民生活最優先の経済発展をすすめる日本。
――憲法改悪と軍国主義の全面復活を阻止し、あらゆる分野で民主主義が花ひらき、人間が人間として尊重される日本。
第1は、日米安保条約をなくし、アメリカともアジア諸国とも真の友好関係をむすび、世界平和に貢献する独立した非核・非同盟・中立の日本への転換である。
(1)ことしは、日米安保条約が発効してから45年目の節目の年になるが、安保条約の危険性が、いまほど重大で深刻になっているときはない。
1996年4月の「日米安保共同宣言」は、在日米軍基地を21世紀にわたって固定化するとともに、安保条約の対象地域をアジア・太平洋地域、さらには全地球的規模に拡大し、アメリカ有事のさいの海外での軍事行動に、日本の軍事力・経済力を総動員する枠組みをつくろうというものである。それは、安保条約の事実上の大変質であり、いっそう危険な方向への大改悪にほかならない。
「日米安保共同宣言」にそくして、「ガイドライン(日米防衛協力指針)」の見直しがはかられ、海外での軍事作戦における日米共同対処の青写真づくりが、急ピッチですすめられている。その最大の焦点は、日本がなんらの武力攻撃を受けていないにもかかわらず、「日本周辺事事態という名目でアメリカが軍事介入したら、日本が主権国家としての判断ぬきに、自動的に参戦していく体制をつくることにある。機雷掃海、臨検、情報提供、武器・弾薬・兵員の輸送などの軍事行動を自衛隊に義務づけることは、日本を米軍への基地提供国にとどまらず、直接の参戦国とすることになる。これが日本国憲法に反することはもとより、日米安保条約にも、国際法にも根拠をもたない、恐るべき無法の体制となることはあきらかである。
「ガイドライン」見直しにともなう「有事立法」のくわだては、アメリカのひきおこす戦争に、自衛隊を動員するとともに、自治体・民間ぐるみの協力を強要するための法的枠組みをつくろうとするものである。それは憲法の平和原則、地方自治、基本的人権をファッショ的にふみにじるものとならざるをえない。
これを推進している勢力は、「アメリカのおこなうことはつねに正義」とする大前提にたって、「日本がどこまで協力できるか」という議論をたてているが、ここには危険な落とし穴がある。
アメリカは、「日米安保共同宣言」の土台となった国防総省の公式文青のなかで、すでに歴史の審判がくだされたベトナム侵略戦争を「正義の戦争」と正当化している。グレナダ侵略やパナマ侵略など、国連総会でも侵略的な武力介入として非難決議がおこなわれた侵略行為にたいしても、無反省と居直りの姿勢をつづけている。アメリカは、みずからが「ならず者国家」とした国にたいしては軍事制裁も許されるとする世界戦略を公言し、国際的な非難の的となった1996年のイラクへの軍事攻撃にみられるように、それを現実に実行している。
日本政府は、アメリカの軍事的覇権主義の主張と行動にたいして、全面的に追従するという、恥ずべき姿勢をとってきた。「日米安保共同宣言」では、日米両国政府が「共通の価値観」にたって行動することが明記されたが、他国への無法な軍事介入を当然とすることを「共通の価値観」とする軍事的共同の体制をつくることほど、世界とアジアの平和にとっての重大な危険はない。
「ガイドライン」見直しについて、「集団的自衛権」行使の是非という角度からの議論があるが、いますすめられようとしている対米軍事協力の体制づくりは、不法な武力行使にたいする「自衛権」の発動とは無縁のもの、であることを、直視する必要がある。それは、日本がアメリカの軍事侵略の加担者となる危険に道をひらくものである。
日米安保共同官言」とその具体化である「ガイドライン」見直し、「有事立法」のくわだては、対米従属のも とでの日本軍国主義の復活・強化の新たな重大段階を画するものである。アジア諸国から、これへのきびしい警戒 と批判の声がわきおこっていることは、偶然ではない。アジアに最大の脅威をもたらす安保大改悪のくわだてに 反対するたたかいを発展させることは、さしせまった重大な任務である。
1995年の秋いらい、沖縄県民を先頭に、米軍基地の縮小・撤去、日米地位協定の見直しをもとめる運動が大きく高揚した。政府は、基地問題の解決の展望をしめさないばかりか、憲法違反の米軍用地特別措置法の改悪を強行した。これは、沖縄の米軍基地だけでなく、日本全土での米軍基地を、半永久的に使用しつづけようという意図をあらわにしたものであり、その根本には「日米安保共同宣言」にもとづく安保の大改悪のくわだてがある。沖縄県民の苦難を解決する根本的な道すじは、安保条約の解消による基地の全面撤去にあるが、それ以前にも米軍基地の専用施設の75%が集中するという沖縄の異常な事態をただすために、基地のたらい回し反対、海兵隊の撤去、日米地位協定の抜本的見直しなど、一致する諸課題での沖縄県民の運動の発展、それと連帯した国民的運動の前進をはかることがつよくもとめられている。実弾砲撃演習の本土移転に反対するたたかいも重要である。
わが党は、安保体制の侵略的強化反対、米軍基地撤去をめざすたたかいとむすびつけて、いよいよその危険な本質をあらわにしつつある日米安保条約の是非そのものを問い、その解消をめざす牡論と運動をたかめるために力をつくす。安保条約は、第十条の規定にあるとおり、締約国のいずれかが廃棄通告をおこなえば、1年後に解消することができる。わが党は、安保廃棄の国民多数派を形成していくために全力をつくすものである。
(2)日米安保条約の廃棄によって、日本国民は米軍基地の重圧から解放され、アメリカのひきおこす戦争に動点される危険な遥から解放される。それはまた、世界とアジアの平和にとって、希望ある巨大な変化をつくりだすだろう。
安保の鎖をたちきった独立・中立の日本は、アメリカと対等・平等の関係にたった真の友好関係をうちたてる。主権の尊重、領土不可侵、紛争の話しあい解決、平等・互恵の経済交流を内容とする、日米友好条約を締結する。わが党は、アメリカの安保や基地についての政策をきびしく批判するが、「独立宣言」にはじまるアメリカの民主主義の歴史のなかには、多くの価値あるものをみいだしている。世界のGDP(国内総生産)の4割をしめる日米両国の関係が、戦前の敵対でも、戦後の従属でもない、真の友好関係へと前進することは、世界の平和と進歩への大きな貢献となるだろう。
日本が日米軍事同盟から離脱することによって、アジアの緊張した関係は大きく変わり、アジアに新しい平和の枠組みをつくる通がひらかれる。それはアジア情勢全体の歴史的転換点となるだろう。独立・中立の日本は、憲法の平和原則を生かして、つぎのような内容で、東アジア諸国と平和の関係をつくるために積極的、能動的に力をつくす。
――日本の非核化を内外にはっきりと宣言し、東アジアにおける非核の流れの拡大をめざす。すでにASEAN(東南アジア諸国連合)諸国によって東南アジア非核地帯条約が締.結されるなど、アジアで非接地帯拡大の新たな動きがすすんでいる。日本は胞この被糠国として、この流れを北東アジア地域にひろげる先頭にたつ。
――非同盟諸国首脳会議に参加し、アジアでの軍事ブロックの解消、外国軍事基地撤去のためにカをつくす。かつて米軍のベトナム侵略戦争に基地を提供したタイやフィリピンからも、米軍基地が撤去され、23のアジア諸国のなかで日本、韓国、中国の3国をのぞくすべての囲が非同盟運動に参加している。日本がこの流れのなかにくわわることは、この運動の発展にとって大きな貢献となる。
――憲法の平和原則をもつ国として、大幅軍縮に率先してとりくむ。アメリカの軍事的関与もあって、東アジアは世界で唯}軍事費が増大している地域であり、中東にかわって最大の武器輸入地域になっている。日本が軍拡政策をとりつづけてきたことは、この地域の軍拡競争を促進する重要な要因になっている。この悪循環をみずからただし、アジアに軍縮の流れをひろげる。武器輸出三原則をもつ国として、武器輸出入の規制と禁止をよびかける。
――あらゆる覇権主義を許さず、紛争の平和的解決への努力をはかる。この地域にも民族対立、領土問題など、紛争の火種になる問題は残されているが、それらは軍事力ではなく、国際的道理にたった話しあいによってこそ正しい解決が可能となる。
――日本軍国主義が過去におかした誤りへの反省を内外にあきらかにする。歴代自民党政権が侵略戦争と植民地支配への無反省をつづけ、居直り的な美化さえおこなってきたことが、アジア諸国の日本への不信の根本にある。これをただすことは、日本軍国主義の犠牲となった南北朝鮮、中国、東南アジアなどアジア諸国民と、心のかよった友好関係をきずくうえでの大前提となる。未解決の戦後補償問題を誠意をもって解決 することは当然である。
――アジア諸国との経済協力の民主化をはかる。多国籍企業化した日本の独占資本のアジアでの横暴をやめさせ、民主的規制をはかる。大企業の経済進出の道具となっているODA(政府開発援助)政策のゆがみをただし、各国の国民生活に有益なものに改革する。各国の経済主権を尊 重した真の平等・互恵の経済協力への転換をはかる。
(3)第20回党大会の決議は、憲法9条の先駆的意義をたかく評価しながら、安保条約を廃棄した独立・中立の日本の安全保障についてつぎのようにのべた。
「わが国が独立・中立の道をすすみだしたさいの日本の安全保障は、中立日本の主権の侵害を許さない政府の確固とした姿勢と、それをささえる国民的団結を基礎に、急追不正の主権侵害にたいしては、警察力や自主的自警組織など憲法9条と矛盾しない自衛措置をとることが基本である。憲法9条にしるされたあらゆる戦力の放稟は、綱領が明記しているようにわが党がめざす社会主義・共産主義の理想と合致したものである」
わが党は、この道こそが憲法を忠実にまもる道であると確信している。同時に、「あらゆる戦力の放棄」という方策が、安保条約を廃稟する政権ができたからといって、ただちに実行できる方策でないことは、明白である。安保廃棄での国民的合意と、自衛隊解消の国民的合意とは、おのずからちがいがある。安保廃棄とともに自衛隊の大幅軍縮、米軍との従属関係の解消、政治的中立性の徹底などにとりくみつつ、憲法9条の完全実施――自衛隊解消は国民的な合意の成熟によってすすめるというのが、わが党の立場である。
独立・中立の日本が、アメリカとも、アジア諸国とも、真の友好と平和の関係をうちたてることは、日本の安全を保障するもっとも確実な道をひらくことになる。いま日米安保推進論者たちがいいたてる「脅威」なるものが、根拠をもたないものであることが、事実をつうじてあきらかになってくるだろう。そうした方向でアジアに新しい平和的な関係がひろがり、その現実にたいする国民的な認識が発展することは、憲法の平和原則の完全実施への国民的合意を画期的に促進するものとなるだろう。
今日の世界史の発展段階は、わが国が恒常的戦力によらないで平和と安全を確保することを可能としている。第1次世界大戦までは、侵略が天下御免の時代だった。しかし二つの世界大戦をへて、武力行使の禁止、紛争の平和解決が国際的ルールとなるところにまで、人類史は発展している。第2次世界大戦後にも百数十の武力紛争がおこっているが、侵略がおこなわれたケースは、軍事同盟がてことされた場合、民族内部の対立が口実とされた場合、領土問題が口実とされた場合が、ほとんどである。独立・中立を宣言し、諸外国とほんとうの友好関係をむすび、国民的団結によって主権を確保している日本には、どの国からであれ侵略の口実とされる問題はない。わが国が恒常的戦力によらないで安全保障をはかることが可能な時代に、私たちは生きているのである。
第2は、世界でも異常な“ルールなき資本主義”をただし、大企業に社会的責任をはたさせ、国民生活最使先の経済発展をすすめる日本への転換である。
(1)1990年代に入って以降、日本経済は、バブル経済の破たん、長引く不況に苦しみ、政府の「経済白書」ですら「先進国では驚くべき例外的な低成長」と嘆かざるをえないような、深刻な閉塞(へいそく)状況に直面している。そのもとで財界は、“世界経済は大競争時代に入っている。日本の経済と社会のシステムはゆきづまっており、このままだと日本は競争から取り残され、衰退してしまう。企業活動にたいする規制はすべてとりはらうべきだ”という要求を声高にさけんでいる。橋本内閣がすすめている「行政、財政、社会保障、経済、金融システム、教育」の「六大改革」は、この財界の要求にこたえて、いまの日本経済がおちいっているゆきづまりを財界の利益第一でのりきろうという“国家的リストラ計画”である。いますすめられている「中央省庁の再編」の動きも、反動的支配勢力の利益にとって、より効率的で強権的な国家機構への再編をはかろうというものである。
「橋本改革」の第1の柱は、「規制緩和万能」論にたって、大企業にとってつごうの悪いルールをすべてとりはらい、その横暴をいっそう野放しにすることである。すでに女子保護規定撤廃など労働法制の改悪、大規模小売店舗法芙店法)の骨抜き、独占禁止法の改悪による持株会社の解禁、生産者米価の下支えを放棄する食管法廃止などが強行されてきている。
第2の柱は、社会保障の全面的な制度改悪である。政府は、2兆円もの国民負担増をしいる医療保険制度の改悪(97年)につづいて、医療改悪と年金改悪を3年連続で強行しようとしている。このような社会保障への連続攻撃は、戦後の歴史でも前例のないものであり、憲法25条に保障された国民の生存権をおびやかすものである。
第3の柱は、国民生活をまもる政府の公共的貴任を、最小限のものにきりちぢめていこうというものである。住郭公摺廃止など、公共住宅供給という行政の責任が放棄されようとしている。郵政三事業(郵便、貯金、簡易保険)を民営化し、この分野も巨大金融資本のもうけの対象にしようとするくわだてもすすんでいる。
この道をすすむことが、21世紀の日本をどこにみちびくか。それは“多国籍企業さかえ、大失業と福祉きりすての21世紀”にほかならない。それは社会的に弱い立場の人びとをきりすて、貧富の差のいっそうの拡大をつくりだすだろう。もともと今日の長期不況は、ひとにぎりの巨大企業が世界トップクラスの富をためこみながら、国民生活は発達した資本主義国のなかで最低水準のままにおかれているという、日本経済の異常なゆがみを根本原因としている。橋本内閣の「改革」は、このゆがみをいっそう拡大し、日本経済のゆきづまりをいっそう深刻なものとする。「改革」の名で、国民生活に暗黒の未来をおしつける反動計画を、許してはならない。
(2)国民生活を向上させてこそ、日本経済のまともな発展の道はひらかれる。“ルールなき資本主義”といわれる日本で、いまもとめられているのは、大企業の横暴をいっそう野放しにする「規制緩和」ではなく、大企業に民主的なルールをまもらせ、その経済力にふさわしい社会的責任をはたさせる民主的規制である。そうした経済的民主主義の実現は、国民生活を豊かにする道をひらくだけでなく、日本経済
のゆがみをただし、経済発展をまともな軌道にのせる最大の保障となるものである。
――労働条件……日本のILO関連条約の批准数は、わずか4分の1であり、1日8時間労働、過40時間労働、勤続1年で3労働週の年次有給休暇など、ヨーロッパであたりまえになっている条約も未批准である。総労働時間は、政府統計で1900時間(95年)と、長期不況のもとである程度短くなっているが、それでもなおドイツより400時間、フランスより300時間長い。長時間・過密労働によって、欧州諸国では考えられない「過労死」がふたたび増加傾向をみせている。大企業の「リストラ」と海外移転によって、失業者が増大し、過去最悪の3.5%という失業率を記録した。
人間らしい労働と生活を実現するために、貸金の引き上げとともに、労働基準法を抜本的に改正し、長時間・過密労働を追放すべきである。人権を無視した不当な解雇をやめさせるため解雇規制法の制定、雇用や地域経済を無視した海外移転の規制などをただちに実施することが必要である。これらは、ヨーロッパではEU(欧州連全理事会が採択した社会労働憲章にもりこまれている内容であり、当然の社会的ルールとみなされている。
――社会保障……国民所得比での社会保障給付費(92年)は、日本は14.6%で、イギリスの26.9%、ドイツの31.5%、フランスの35.6%にくらべて、いちじるしく低い。この異常な低さは、公費負担の少なさとともに、大企業の社会保障負担がヨーロッパにくらべて少ないことから生まれている。そればかりか、ヨーロッパにくらべて平均して1.5倍から3倍という高薬価にみられるように、ただでさえ低水準の医療保険財政が、製薬大企業のくいものになっているという現状もある。こうしたゆがみをただし、国とともに大企業に社会保障にたいする責任をはたさせることは急務である。
――中小企業……日本ほど中小企業にたいする大企業の横暴がまかりとおっている国はない。円高のもとで、下請け中小企業は、単価の一方的引き下げなど、「かわいたタオルをしぼる」ような驚くべき仕打ちをうけた。1990年の日米構造協議いらいすすめられた大店法の規制緩和によって、地域社会をささえてきた地元商店街がつぎつぎと姿をけしつつある。ヨーロッパ諸国では、大型店にたいしてきびしい規制がなされ、フランスでは出店規制をいっそう強化する法改正がおこなわれている。ここでも日本の異常さは明りょうであり、大企業の横暴から中小企業をまもるルールの確立が必要である。人権無視の強権的徴税攻勢をやめさせ、納税者の権利をまもるために、「納税者憲章」の制定もいよいよ切実である。
――金融制度……住専問題、野村証券・第一勧銀問題などをつうじて、日本の巨大金融機関の無法ぶりは、世界でも悪名をはせた。アメリカでは重罪になる金融機関の土地ころがしや、不良債権のおしっけを、日本の大銀行はあたりまえのようにおこなっている。金融機関のディスクロージャー(経営内容の開示)がきわめて不十分にしかおこなわれていないという点でも、日本は先進国のなかで異常である。こういうあたりまえのルールすらまもられていないところで、「金融ビッグバン」と称して、内外の巨大金融機関の横暴をいっそう野放しにする自由化をすすめるなど、言語道断である。金融機関に公共的責任をはたさせる民主的ルールの確立こそ、いま、つよくもとめられている。
――農業・食糧問題……WTO(世界貿易機関)協定の強行による農畜産物の輸入自由化、コメの流通と価格を市場まかせにした新食糧法など、日本農業をいっそうの荒廃においやる政策が強行されてきた。その背景には、アメリカの市場開放圧力とともに、貿易摩擦の犠牲を農家におしつけ、農家から農地をとりあげて新しいもうけ口をつくろうという日本の財界の要求がある。このうえコメの輸入が完全に自由化されれば、日本農業はきわめて重大な事態におちいる。
ヨーロッパ諸国ではすでに60年代から食糧自給率の向上につとめてきたのに、日本の食稚自給率は年々下がり42%(95年度)までおちこんでいる。この15年間で、EUでは農産物の価格・所得支持予算が3倍以上になり、農業関係予算の9割をしめているのに、日本では価格・所得支持予算は半分以下、農業関係予算のわずか1割にきりちぢめられ、その一方で農業関係予算の5割以上を公共事業がしめるなど、世界にも例のないゆがみがある。財界とゼネコンにくいものにされる農政から、農業を国の基幹的生産部門と位置づけ、農家経営の安定と食糧自給率の計画的向上につとめる農政への抜本的転換が必要である。深刻な危機にある漁業、林業の再建も急務となっている。
――環境問題……この分野でも日本は後進国である。ようやく環境アセスメント法が制定されたが、先進諸国の到達からみると、住民の意見が反映されるしくみがないなど、不十分なものである。産業廃棄物の問題やダイオキシン汚染などのゴミ問題、大気汚染、酸性雨問題なども深刻である。92年に地球の温暖化をふせぐために二酸化炭素の排出量を抑制する国際条約が締結されたが、ことしのサミットで日本政府は、財界の要求にしたがって、アメリカとともに目標達成を先のばしすることを主張し、きびしい国際的批判をあびた。諌早湾干拓など全国各地で干潟をつぶす巨大開発がすすめられようとしているが、これは、渡り鳥の保護のための国際的責任を放棄したものとして、世界でも恥ずべきものである。大企業、多国籍企業への民主的規制によって、環境保全と両立した生産力の発展をはかり、地球環境の保全に率先して貢献する日本をめざす。
この間、高速増殖炉「もんじゅ」、核燃料再処理施設など原発事故が多発してきた。ところが政府は「安全神話」に固執して、原発の増設をすすめている。既存の原発の安全性に ついて総点検をおこない、その結果にもとづいて運転停止などの措置を とるトともに、新増設は中止すべき である。とくに高速袖殖炉路線を推 進しているのは日本だけであり、世界でも異常なプルトニウム循環方式 を軸とした核燃料リサイクル政策の根本的見直しは急務である。
(3)日本の財政は、国と地方で約500兆円の借金をかかえ、サミット諸国のなかでも最悪の危機的な状態におちいっている。それは、世界第2位となった軍事費の拡大、国と地方あわせて年間50兆円にものぼる公共事業費の浪費的膨張、世界に類をみない大企業優遇税制などによってつくられたものである。
とりわけ、630兆円の「公共投資基本計画」をアメリカに約束したことは、公共投資の膨張を加速させるものとなった。国と地方あわせて50兆円という公共事業費は、社会保障費の公費負担額が約20兆円であることと比較すれば、どんなに異常なものかは明りょうである。他のサミット諸国と比較しても、日本ほど国内総生産(GDP)にしめる公共事業費の比率が高い国はない。社会保障費の公費負担をはるかにこえる財政を、公共事業にふりむけている国は、日本以外にはない。ここに日本の財政の最大のゆがみがある。「社会保障財政の破たん」が医療や年金制度改悪の口実にされているが、この財政のゆがみをただし、肥大化した浪費的な公共投資を思いきって縮減し、社会保障の予算と人貞の充実をはかることがつよくもとめられている。
ところが、橋本内閣がすすめている「財政構造改革」は、こうした財政危機の原因には本格的なメスを入れず、「いっさいの聖域なし」の名で、きりすてのほこ先を、もっぱら社会保障、教育、中小企業、農林漁業など、国民生活予算にむけている。その一方で、大企業にたいしては「国際競争に勝つため」として、税・社会保障負担の軽減がすすめられようとしている。この道をすすむならば、国民生活があらゆる分野で破壊されるばかりか、消費税の再増税と二けた税率への道は避けられない。消費税の再増税を許さず、その廃止をめざす運動はますます重要であり、90万人をこえる会員を擁するまでに発展した「消費税をなくす会」のいっそうの拡大・強化のために力をつくす。
日本共産党が1996年の総選挙のさいに発表した「財政再建十カ年計画」は、財政危機の真の原因にメスを入れることによって、国民生活の向上と高齢化社会にむけて社会保障の充実をはかりながら、財政の民主的再建をはかる道筋をさししめしたものである。それは個人消費の拡大を基礎として日本経済を健全な発展の軌道にのせることによって、税の自然増収を実現し、消費税廃止にふみだすことも可能にする。これを実現することこそ、日本の財政を深刻な危機と破たんから救う唯一の道である。
(4)阪神・淡路大震災の被災者にたいする個人補償を実現することは、被災者のおかれた現状をみるならば一刻も猶予が許されない緊急課題である。震災なビ自然災害の被災者にたいして国が生活再建の支援をおこなうことは、諸外国をみても近年のメキシコ地震、エジプト地震、アメリカ・ロサンゼルス地震などでもおこなわれてきたことであり、文明国なら当然の政府の最小限の責務である。
第3は、憲法改悪と軍国主義の全面復活を阻止し、あらゆる分野で民主主義が花ひらき、人間が人間として尊重される日本への転換である。
(1)憲法施行50年を経過した今日、憲法は戦後史上もっとも危険な事能にさらされている。とりわけ、自民、新進、民主、太陽、さきがけなどの議員によって、「憲法調査委員会設置推進議員連盟」が設立されたことは重大であり、これは、改憲の発議権をもつ唯一の機関である国会に公式の足がかりをつくろうというものであり、改憲策動を新たな危険な段階にたかめるものである。
歴史がしめすように、改憲の提起は、それをすすめる側にとっても、内閣の政治生命に直結する大きな「政治的危険」をはらんでいる。しかし、国会に憲法間蓮の常任委員会が設置されることになれば、ときの政権が、あえてそうした「危険」をおかして国会に改憲の提起をするという道をとおることなしに、国会自身がいつでも直接に改悪の発議ができる恒常的しくみがつくられることになる。
改憲勢力が正面の標的にしているのが、憲法9条を中心とする平和原則をとりはらうことであることは明りょうである。「日米安保共同宣言」を具体化し、海外での武力行使にのりだすうえで、その障害になる憲法上の制約をとりはらいたいという反動的衝動が、この流れの根底に働いている。それは、軍国王義の全面復活と、日本型ファシズムへの危険きわまりない道である。
しかし、改憲勢力が、その大目標を前面にはおしださずに、国民を改憲論議の土俵にのせようという巧妙な悪だくみをおこなっていることに、重大な警戒をはらう必要がある。彼らは、現在の憲法は、「環境権」「プライバシー権」を明記していないなど、「新しい問題に対応していない」ことを理由に、改悪論議は当然という主張をもちだしている。しかし、わが国の憲法は、国民の経済生活上の権利をもふくむ、世界でも先駆的な基本的人権の規定をもっており、それらを基礎とすれば、環境やプライバシーの問題などにも十分対応できるものである。
憲法にきざまれた5つの進歩的原則――国民主権と国家主権、恒久平和主義、基本的人権、議会制民主主義、地方自治は、21世紀の日本の指針として、将来にわたって擁護、発展させるべき、先駆的なものである。改憲勢力は、「憲法は古くなった」というが、憲法の進歩的原則にそむく政治をすすめてきた自民党政治こそ、今日の時代に対応できない古い枠組みになっているのである。日本共産党は、恵法改悪と軍国主義の全面復活のくわだてを阻止し、憲法の平和的・民主的原則の完全実施をめざす、広大な国民的共同戦線をつくりあげるために全力をつくす。
(2)小選挙区制と政党助成制度の導入は、日本の民主主義にとって重大な逆流となっている。小選挙区制のもとで実施された総選挙は、わが党が得票では自民党の4割の地歩をしめながら、議席ではその1割にすぎないなど、民意をいちじるしくゆがめた国会をつくりだした。小選挙区制は、日本共産党以外の諸党の“総自民党化”と、国会の形がい化・空洞化を促進する制度的なてこともなっている。政党助成金めあての「新党」がつくられ、政治家の離合集散がくりかえされるなど、悪法違反の税金のわけどりによる政治の堕落も、目をおおうばかりのものがある。
反動勢力が、この悪法に味をしめて、衆院の比例代表制の縮小・廃止などの動きをつよめていることは、重大である。日本共産党の躍進をくいとめる対抗手段として反動勢力が選挙制度のいっそうの改悪のくわだてをすすめていることにつよい警戒心をはらい、「小選挙区制の廃止をめざす国民運動」の発展をはじめ、この策動を未然に阻止することにカをつくす。廃止されるべきは、民意を反映する比例代表制でなく、小選挙区制である。わが党は、小選挙区制と政党助成制度を1日も早く日本の政治から追放するために全力をあげる。中選挙区制度が廃止されたもとでの衆院のあるべき選挙制度は、小選挙区制を廃止し、全体の定数は減らさないで、全国11の比例プロックの定数をふやすことが、もっとも合理的である。
企業・団体献金を一掃することが、わが国の政治に民主主義を実現する大前提であることは、この間のさまざまな事件をつうじてもいよいよ明りょうとなった。問題は、厚生省汚職、通産省疑惑、大蔵省疑惑、オレンジ共済事件など、政治家や高級官僚がからむ直接の刑事犯罪の裏に、賄賂(わいろ)や違法献金があったというだけではない。政治そのもの、行政そのものが企業献金の力によって動かされていることが、住尋問嶺と銀行献金、薬害や高薬価問題と製薬業界からの献金などをつうじて、重大な社会問題となった。わが党や国民世論の追及によって、自民党などは一時的に「自粛」などの措置をとったが、ほとほりがさめると平気な顔で献金をせびる無反省をつづけている。
橋本首相がロッキード事件で収賄罪が確定した佐藤孝行氏を総務庁長官に任命し、世論の大きな批判で更迭においこまれた一連の経過は、橋本首相と自民党政治のおちいっている救いがたい政治倫理にたいする無感覚、道義的退廃ぶりをさらけだすものとなった。
ここにも日本の社会の国際的異常さがある。アメリカではさまざまな抜け穴があるにしても、今世紀の早い時期から企業・労組献金禁止が法制化されてきた。イギリスでも、雇用者団体・労組の一般会計からおこなう政治献金は違法という措置がとられている。またこの間、フランスでは、法人献金を禁止する法律が制定された。
日本共産党はすでに、企業・団体献金禁止法案、高級官僚の天下り禁止法案、情報公開法案など、この問題に正面からこたえる立法提案をおこなっている。ひきつづきこれらの法案の実現をめざして奮闘することは、国政上の重要課題である。
(3)政治が堕落と腐敗をつよめ、経済が深刻なゆきづまりにあるもとで、社会もまた深刻なゆがみと不安におおわれている。「いじめ」問題や、性的退廃の深刻化、青少年による犯罪の多発、オウム事件にみられる凶暴な反社会的集団の出現など、さまざまな社会の病理現象がひろがっている。
わが党は、こうした社会の病理現象にたいする国民の関心と不安に視野をひろげ、それをくみあげ、ともに克服する運動をすすめる。家庭、学校、地域、職場、政治などのあらゆる場で、人間をおとしめ、粗末にする風潮とたたかい、健全な市民道徳を形成する先頭にたつ。
わが党は、70、80年代に、子どもの学力、体力、情操の問題とともに、民主的な社会の形成者にふさわしい市民道徳を身につけるための教育を重視し、その内容に、少なくともつぎの諸点をふくめることを捷唱してきた。これらは憲法と教育基本法の民主的原則からみちびきだされる当然の内容であるが、今日の社会状況のもとで、重要な意義をもつものである。
――人間の生命、たがいの人格と権利を尊重し、みんなのことを考える。
――真実と正義を愛する心と、いっさいの暴力、うそやごまかしを許さない勇気をもつ。
――社会の生産をささえる勤労の重要な意義を身につけ、勤労する人を尊敬する。
――みんなの協力を大事にしながら、自分の責任は自分ではたす自立心を養う。
――親、きょうだいや友人、隣人へのあたたかい愛情を育てる。
――民主的市民(生活)に不可欠な公衆道徳を身につける。
――男女同権と両性の正しいモラルの基礎を理解する。
――次代をになう主権者としての自覚をたかめる。
――侵略戦争や暴力の賛美でなく、真の平和を愛好する。
――他国を敵視したり、他民族をべっ祝するのではなく、真の愛国心と諸民族友好の精神をつちかう。
党はまた、この間、「いじめ」問題の克服のための「提言」を発表し、全国各地でシンポジウムをおこなうなどの活動をすすめてきたが、そうした努力をさまざまな分野でさらにつよめなければならない。
そのなかで、教育のゆがみを是正するとりくみをひきつづき重視する。差別・選別の教育と管理主義の強化という政府の教育政策は、子どもと教職員、父母にさまざまな苦しみをおしっけている。ところが、橋本内閣の「教育改革」は、この誤った教育政策をただすどころか、義務教育段階から学校体系を「複線化」し、子どもの早期選別と競争の低年齢化を強いるなど、教育のゆがみをいっそう拡大するものとなっている。この方向に子どもの未来をゆだねることはできない。党は、30人学級の実施をはじめとする教育条件の整備・拡充、過度の競争と管理教育の是正などをすすめ、子どもの権利条約の完全実施をめざす。人間を大事にする教育を実現する教育政策と運動の発展のためいっそう力をつくす。
わが国の少数民族というべきアイヌの生活と権利をまもること、わが国に在留する外国人への地方参政権の付与と人権保障なども、民主主義の徹底にとって大切な課題である。
日本共産党は、75年の歴史をつうじて、最悪の反人間的犯罪行為である侵略戦争にいのちがけで反対するなど、人間尊重をひとすじにつらぬいてきた党である。また、昨年の第5回中央委員会総会で改定した「自由と民主主義の宣言」に明記されているように、政治、経済、社会のあらゆる分野で、自由と民主主義を将来にわたってまもり、充実させていくことを根本的立場とする党である。わが党は、21世紀に人間が人間として尊重される日本をつくるために全力をつくすものである。
(1)第20回党大会は、日本共産党が革新統一勢力とともに、自民党政治を打破していく方向としてしめしてきた革新三目標――(1)日米軍事同盟と手を切り、真に独立した非核・非同盟・中立の日本をめざす、(2)大資本中心、軍拡優先の政治を打破し、国民のいのちと暮らし、教育をまもる政治を実行する、(3)軍国王義の全面復活・強化、日本型ファシズムの実現に反対し、議会の民主的運営と民主主義を確立する――の今日的生命力を確認するとともに、「今日は、そうした目標への自覚的一致にいたらない人びともふくめ、自民党政治とそれを継承する反国民的悪政に反対し、みずからのよりよい生活と未来をめざそうとするすべての人びととの、ますます広範な国民的共同が可能な時代となっている」として、悪政に反対する広範な人びととの共同を発展させることをよびかけた。
この3年あまりのとりくみによって、こうした共同はこれまでにない実り豊かな発展をとげつつある。その新しい特徴は、これまで保守政党の基盤とされてきた諸団体もふくめ、帽広い団体・個人が、さまざまな形で、わが党や自覚的民主勢力との共同へと足をふみだしつつあることである。
「連合」系職場の労働者や労働組合が、全労連などのよびかけにこたえて、労働条件改善や女子保護規定撤廃問題など、切実な要求にもとづく運動での共同に従来にない大きな規模で参加しっつ虜る。消費税増税問題や大型店出店問題などをつうじて、各地の商工会議所や商店会との共同もひろがりつつある。医療保険改悪反対のたたかいでは、共同の輪は各地の医師会や老人クラブ、町内会にひろがり、都道府県レベルの医師会会長があいついで「しんぶん赤旗」に登場した。「サッカーくじ」問題では、PTAや女性諸団体、スポーツ諸団体との共同がつくられた。農業問題では、各地で農協組合長や自治体関係者なども参加したシンポジウムがおこなわれた。多様な市民運動、ボランティア活動との共同もすすんだ。
これらは、日本の現状を憂い、その改革をもとめるエネルギーが、これまでの枠をこえて、奥深くひろがっていることをしめしている。わが党は、切実な要求にもとづく各分野での共同を、さらに豊かに発展させながら、これらを大きく合流させ、日本の民主的改革をめざす国民的多数派をつくりあげていくために力をつくす。
(2)民主的改革の国民的多数派を結集していくかなめとして、全国革新懇(平和・民主主義・革新統一をすすめる全国懇話会がはたすべき役割は、ますます大きなものとなっている。革新懇は、政治革新の三つの目線での共同を追求しつつ、そのすべてで一致しなくても、悪政反対の一致点で、共同の意思をもつすべての団体・個人に、さまざまな条件におうじた形で働きかけ、国民的共同を追求している。革新的無党派との共同だけでなく、保守的無党派までふくめた新しい運動が、全国的に成長してきている。
わが党は1980年の第15回党大会で、「社公合意」を契機とする社会党の右転落という情勢のもとで、政党の組みあわせから出発して統一戦線を論じるのではなく、日本の社会と政治の現実が何をもとめているかという革新の政治目標から出発して、日本共産党と革新無党派との共同をよびかけた。この方針の正しさは、革新懇運動の発展をつうじて、証明されている。
無党派層との共同が多面的なひろがりをみせている今日の情勢のもとで、革新懇運動は、文字どおり国民の多数者を結集する運動として、あらゆる地域・職場に革新懇をつくり、量的にも、質的にも、さらに高い段階への発展がもとめられている。
日本共産党と無党派との共同は、少なからぬ地域で、すでに現実に行政の担い手となっている。それは、革新・民主の自治体-日本共産党が政党としては単独与党だが、多くの住民と手をたずさえ、「住民こそ主人公」の行政を推進している地方自治体のひろがりとなって、大きく実をむすびつつある。革新・民主の自治体が、その行政の実績をつうじて、国民の僧頼をひろげることは、革新・民主の勢力が国政において政権をになううえで、国民に信頼感をもってもらううえでも、きわめて重要である。
わが党は、日本共産党と無党派との共同の発展に努力しつつ、20丁世紀の早い時期に、政治革新の目標で一致する政党、団体、個人との連合で、民主連合政府を実現することをめざして奮闘するものである。
(1)第20回党大会は、ソ連解体後の世界で、アメリカが軍事的にも経済的にも覇権主義をつよめていることを警告したが、その後の情勢の展開のなかで、アメリカ覇権主義の横暴は、むきだしの形であらわれた。
その危険な本質を全世界にしめしたのが、1996年9月のイラクにたいするミサイル攻撃だった。これはいかなる国連決定にも根拠をもたず、国際法を無視した、無法な攻撃だった。イラク政府の行動には、クルド人自治区にたいする弾圧など批判されるべき問題があったが、だからといってアメリカが勝手にイラクを裁き、軍事制裁をおこなう権利をもつことには、けっしてならない。
この軍事攻撃は、偶然のものではない。アメリカは、ソ連崩壊によって、その巨大な戦力を正当化してきた「ソ連の脅威」という大義名分を失うことになった。アメリカが、それにかわる 「脅威」としてもちだしてきたものは、北朝鮮、イラン、イラク、リビアなど、「ならず者国家」と彼らがよぶ一連の諸国だった。これらの固ぐには何をやるかわからない国家であり、その「脅威」にそなえるためにアメリカは強大な軍事同盟と接兵器をもちつづける必要がある、アメリカが必要と考えればこれらの国ぐににたいする軍事制裁も許される-これがいま公式にアメリカが採用している世界戦略である。
アメリカは、世界にはりめぐらした軍事ブロック網のいっそうの強化をはかろうとしている。日米軍事同盟の地球的規模への拡大と、北大西洋条約機構(NATO)の東欧地域への拡大は、その二つのかなめとなっている。しかし、旧ソ連にくらべれば比較にならない軍事力しかもたない「ならず者国家」の「脅威」なるもので、この巨大な軍事同盟網を合理化することは到底できない。アメリカ主導の軍事同盟の本質が、あれこれの「脅威」からの「防衛」にあるのではなく、「世界で唯一の超大国」を自認するアメリカが、地球的規模でみずからの覇権を追求する道具であることは、いよいよ明りょうとなっている。
アメリカを先頭とした核保有大国は、1995年5月に核不拡散条約(NPT)の無期限延長を強行した。核保有国のみが核兵器を永久にもちつづけるという特権をふりかざす集田的な覇権主義が、ますますあらわとなっている。アメリカは、核兵器独占体制をまもるためには、核兵器の先制使用さえおこなうという「拡散対抗構想」をとっでいる。アメリカは、最近、地下施設破壊用の新型核爆弾B61-11を配備したが、政府当局者はこれを「ならず者国家用の核兵器」だと言明している。また、核戦力の保持と強化を目的に、未臨界横兵器実験を強行している。
(2)こうしてアメリカ帝国主義は、みずからの戦後の歴史のなかでも、もっとも傍若無人でごう憮な姿をしめしている。しかし、これは平和と民族自決にむかう世界史の大きな動きからみれば、逆流にほかならない。アメリカの横暴は、国際社会との深刻な矛盾を、さまざまな分野でひろげつつある。
昨年のイラクへの無法な軍事攻撃は、国際社会の拒否と批判をよびおこした。フランスはアメリカの軍事行動を支持せず、ロシアと中国はアメリカの介入をきびしく非難した。中東諸国も、クウェートをのぞき批判的な姿勢をしめし、サウジアラビア政府は米軍の基地使用を拒否することを言明した。国連安保理事会の場でも、この軍事攻撃を追認させようとするアメリカ、イギリス両国のくわだては、各国のきびしい反対によって、破たんをよぎなくされた。こうした国際社会の理性的な対応にくらペても、イラク攻撃のために在日米軍基地を自由に使用させ、この無法に全面的支持をあたえている日本政府の追随姿勢はきわだっている。
核兵器に固執する勢力に反対し、核兵器廃絶をめざす国際世論にも、大きな質的前進がつくられた。1995年12月の第50回国連総会では、期限をきった核兵器廃絶を正面から要求する総会決議が、はじめて採択された。96年12月の第51回国連総会では、核兵器全面禁止・廃絶条約の早期締結のための交渉開始をよびかける総会決議が、はじめて採択された。これらは、横兵器廃絶を期限をくぎった緊急課題とすることが、国際社会の合意になりつつあるという点で、画期的なものである。
こうした国連における前進には、諸国民の運動と世論の発展、非同盟運動が積極的役割をはたしている。非同盟諸国は、ジュネーブ軍縮会議に、2020年までに3役階で核兵器を完全廃絶するという、具体的な「核兵器廃絶のための行動計画」を提出している。
唯一の被爆国でありながら、いぜんとして横兵器廃絶を「究極目標」として棚あげしている日本政府の立場は、核兵器問題をめぐる国際社会の前進に逆らう、恥ずべきものである。
(1)わが党は1980年代から、世界の資本主義経済が深刻な矛盾におちいるもとで、それまでのケインズ経済学にもとづく経済政策――政府が国の財政をつぎこんで経済に大規模にてこ入れすることで大企業中心の経済をさかえさせる政策が、処方せんとして役立たなくなっていること、それにかわる新たな安定した指針をみつけだせないでいる現状にあることを、指摘してきた。この状況は、今日も根本的には変わっていない。
ケインズ政策がゆきづまるもとで、発達した資本主義諸国のなかでは、1981年に発足したアメリカのレーガン政権、1979年に発足したイギリスのサッチャー政権、1982年に発足した中曽根政権などの時期から、「規制緩和万能」論ともよぶべき経済政策の流れがつよまった。それは、「規制緩和」による「自由な市場原理」こそが、経済を「再活性化」させるという考えにたって、大企業への経済的規制の撤廃、労働法制の改悪、社会保障制度のきりちぢめ、公営企業の民営化、大型間接税と一体の法人税・所得税減税など、多国籍企業化した大企業の横暴をよりいっそう野放しにし、世界的な規模で独占資本の集柵・集中をつよめようというものであった。
国際的にみると、クリントン米政権は、アメリカの多国籍企業の利益拡大を最優先させた「規制緩和」の世界各国へのおしつけを、「グローバル化」の名のもとにおしすすめている。そのやり方は、IMFへ国際通貨基全、世界銀行、OECD(経済協力開発機構)、WTO富界貿易機関)などの国際機関をつうじての支配と、米通商法スーパー301条を蕗骨にふりかざしての二国間交渉におけるおしつけを、使いわけるというものである。アメリカ主導で、全世界ですすめられている「規制緩和」「グローバル化」は、たんなる「自由競争への復帰」というものではなく、多国籍企業につごうの悪い障害をなくし、発達した資本主義国七途上国の国民生活を犠牲にして、多国籍企業のいっそうの巨大化をはかるための新たな国際秩序をつくりだそぅというものである。アメリカ流の経済路線を全世界におしつけようという、手前勝手な経済覇権主義の横暴は、EUという自前の経済圏をつくろぅとしているヨーロッパ諸国の反発をよびおこしており、発展途上国には深刻な矛盾をつくりだしている。
(2)「規制緩和」や「グローバル化」のもとで、世界の資本主義は、1970年代以前の時期にもっていたような安定的発展を回復することに成功していないばかりか、つぎのようないっそう深刻な諸矛盾に直面している。
――失業者の数は、空前のものとなっている。それは、サミット7カ国だけで2300万人にのほり、OECD(経済協力開発機構)加盟の29の先進資本主義国で3600万人、世界全体での失業者数は1億2000万人といわれている。人類の歴史のなかでも、こんなに多くの失業者をかかえている時代はかつてなかった。
――貧富の差は劇的に拡大した。アメリカでは、家計所得上位20%の所得が、下位20%の所得の13.4倍にたっし、過去最高を記録した。アメリカの著名な経済学者の1人は「この20年間のアメリカほど、急速かつ広範囲に不平等が拡大した国はない。国民1人あたりのGDP(国内総生産)がふえているときに、勤労者の実質貸金が下がるというパターンは、アメリカ史上1度もなかったことである」とのべている。アメリカではじまった実質貸金の低下は、世界にひろがっている。発達した資本主義国全体をみてもOECD諸国で、1億人以上の人びとの生活水準が貧困ラインを下まわっており、住むべき家をもたないホームレスの人びとは500万人をこえている。
――発展途上国との格差は、いっそう拡大した。世界の人口のもっとも豊かな20%の人びとと、もっとも貧しい20%の人びととの所得の格差は、過去30年余のあいだに30倍から78倍にひろがった。発達した諸国と途上国の格差だけでなく、途上国内部での格差も拡大した。サハラ砂漠以南のアフリカ諸国は、世界でもっとも貧しい地域として取り残され、全人口の43%が飢餓と栄養不足に苦しんでいる。
――地球的規模での金融投機が横行している。世界の為替市場では、1日に1兆3000億ドルが取引されている。世界の輸出額は1年に3兆ドルにすぎず、為替市場で取引される額は、わずか2日あまりで輸出額にたっする。世界的な金融自由化のもとで、貿易取引の裏付けのない巨大な 投機が24時間規模でおこなわれ、金融市場は巨大な「賭博(とばく)場」と化している。大規模な経済犯罪が頻発するとともに、各国国民は国際金融資本の収奪のえじきにされている。
「規制緩和万能」論にもとづく経済路線が、各国国民との矛盾を深めていることは、ことし5月のイギリス総選挙での保守党の歴史的大敗、6月のフランス総選挙での与党・保守連合の大敗、昨年5月のインド総選挙での国民会議派の歴史的敗北など、この間の一連の選挙での国民の審判にもあらわれている。
橋本内閣は、「規制緩和万能」論にたった「改革」をすすめるさいに、“世界の流れに日本が取り残されないための改革だ”とのべている。日本の財界はつい最近まで“サッチャーのイギリスに学べ”というキャンペーンをはっていた。しかし、橋本内閣がいますすめようとしている「改革」の路線は、世界でもさまざまな矛盾を深め、各国国民のきびしい審判がくだされつつある路線なのである。世界の動きにてらしても、この道にはけっして未来はない。
日本共産党は、世界の平和と進歩をめざして、国際的な交流と連帯の活動をいっそう発展させるためにカをつくす。
(1)核兵器廃絶を世界平和の緊急・中心課題として追求し、すべての軍事ブロック・軍事同盟を解消し、外国基地を撤去させるための国際的共同をひろげる。この運動は、これまでの枠をこえて、大きく発展する条件がひろがっている。
アメリカをはじめとする核保有国による複異鴇への固執の姿勢にたいして、アメリカの核戦略の中枢にいた元将軍からも、きびしい批判の声があげられ、1996年12月にはこの2人の元将軍が、つづいて17カ国60人の元軍最高幹部が核兵器廃絶の共同声明を発表し、「核抑止力」論を批判するとともに、核保有国がすみやかに核兵器廃絶を誓約することをもとめた。
「核抑止」政策を推進してきた人びとさえ、その危険と道理のなさを告発せざるをえないほど、矛盾が深まっている。
これらは、国連における核兵器廃絶を要求する流れの前進とともに、日本の原水爆禁止運動がいっかんして追求してきた方向が、世界の世論と運動のなかでいっそうたしかな流れとなって発展し、核兵器廃絶を要求するこれまでにない広範な共同戦線が可能であることをしめしている。原水爆禁止世界大会の前進、「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名運動、「非核の政府を求める会」の運動の発壌をはじめ、被爆国日本の運動がはたすべき役割は、いよいよ重要となっている。
(2)多国籍企業の横暴から、勤労者の権利をまもり、地球環境を保全し、国際的な経済民主主義を確立するための共同と連帯が、大切になっている。
ことし4月に来日した、アメリカ労働総同盟・産別会議(AFL・CIO)の会長は、東京での講演のなかで、アメリカでの勤労世帯の生活水準がこの20年間にわたって下落の通をたどっていること、その原因が「米国モデル」の経済原理――「財政引き締め、金持ち減税と貧困層にたい寸る支援削減、規制撤廃、労働市場の弾力化、および労組の弱体化という保守的な手法」にあることを指摘し、それを日本に導入しようとするくわだてを拒否し、「企業の論理」とたたかうようによびかけた。
世界的規模ですすめられている「規制績和万能」論による国民犠牲の政策に反対する国際的連帯を、発達した諸国の勤労者のあいだで、また南北問題の道理ある解決をめざして発達した諸国と途上国のあいだで、大きく発展させる条件がひろがっている。
労働連動をはじめ各国国民の民主連動の情報交換と交流、切実な問題の解決を探求するシンポジウムや、共通のテーマをかかげた共同行動の実現など、多国籍企業の横暴をおさえ、国際的な民主的規制をはかるための連帯の発展にむけた積極的探求をおこなう。
(3)第20回党大会の決定は、「ソ連の崩壊という事態をうけて、それぞれの国の社会進歩の道を自主的に探求しようとする模索と努力が、一連の国ぐにではじまっていることに注目し、それらの勢力との対話と連帯を発展させる」こと、「各国で、科学的社会主義の事業を自主的に探求しようとする勢力、世界平和と社会進歩をまじめに追求しようという勢力――集団や個人との対話と連帯を発展させる」ことを確認した。
この立場と方針にもとづき、わが党は、多様な国際活動を展開し、相互理解と連帯のために力をつくしてきた。そのなかには、これまでは交流がなかった勢力――党、団体、個人などと、新しく関係をもったものも少なくない。
この間、世界の進歩的勢力の動きをみると、さまざまな制約や問題点をかかえながらも、社会進歩の遺を自主的に探求する努力が各地で開始され、重要な成果もあげられている。一連の国ぐにで、進歩的勢力が、各国政府の国民生活破壊攻撃とたたかい、国政選挙や地方選挙で一定の前進をとげていることも注目すべきである。
これらの勢力は、軍事同盟解消、核兵器廃絶、多国籍企業の横暴への批判など、国際的にも重要な共通の課選をかかげている。わが党が、そうした党、団体、個人と、相互理解をすすめ、共通の課題で共同をすすめていくことは、科学的社会主義の事業の世界的規模での新たな発展にとって、重要な意義をもつものである。
(1)21世紀に「国民こそ主人公」への道をひらくうえで、国政における政治的力関係を前むきにぬりかえる国政選挙でのいっそうの躍進をかちとることは、わが党が国民にたいしておっている重大な責任である。
当面する国政選挙での重点的課題は、1998年の参議院選挙で、得票と議席の新たな躍進をかちとることである。「比例を軸に」という方針をつらぬき、有権者比の得票目標への接近・実現をめざして、比例代表選挙での議席を大幅に増大させるとともに、選挙区選挙での躍進をめざす。参議院選挙での躍進のいかんは、総選挙でひきつづき躍進をかちとるうえでも、きわめて重要な意義をもつ。
96年総選挙での全党的な有権者比得票率の大幅底上げや、第2党の地付をえた最近の都議逮などの結果をふまえて、今回の参院選では、必勝区と非必勝区の垣根を取り払い、全選挙区で議席を争う構えで、“自共対決”の選挙戦をたたかう。今回議席にとどきえない場合でも、近い将来、現実に議席を争うところまで成長・発展することを目標にし、大幅な得票増をめざす。選挙戦での重点選挙区は、党中央の責任で機動的に判断し、必要な支援措置をとる。
国民の多数派結集をめざすためにも、日本共産党公認だけでなく、条件のあるところでは、革新・民主勢力が共同して、無党派で清潔・勇気ある人物を候補者として擁立することにも、積極的にとりくむ。来年の参院選にむけて、わが党は、高知選挙区で、革新・民主の共同の候補者を擁立することを決定しているが、これを成功させることは、国政選挙で日本共産党と無党派の人びととの共同をすすめる大きな一歩になる。
総選挙躍進の教訓にてらしても、「比例を軸に」政党選択を正面から争い、“総自民党化”の流れか日本共産党かという、政治の流れを問うたたかいが、ますます重要となっている。政策論戦では、そのときどきの国民が熱い関心をよせている問題で、唯}の革新政党として政策・争点を明確に提起することと、党の全体像・将来像を語り、反共攻撃とたたかって偏見や誤解をときほぐしていくこととを、むすびつけることが大切である。これは、この間の選挙戦で全党がつかんだ重要な教訓である。
自民党が党略的な思惑から解散・総選挙に打って出る潜在的可能性はつねにある。自民党がどんなやり方に出てきても不意打ちされない態勢を、党としてとっておく。
選挙戦の方針としては、わが党が第8回党大会いらい鉄則としてきた「4つの原点」の活動を、今日の情勢にそくしてつぎのように改定し、これにもとづいて日常不断に勝利をめざしたとりくみをはかる。「四つの原点」は、選挙戦の方針であるとともに、「政策と計画」にもとづく支部の日常活動の方針でもある。
1、国民の切実な要求にもとづき、日常不断に国民のなかで活動し、その利益をまもるとともに、党の影響力を拡大する。
2、大量政治宣伝と対話支持拡大を日常的におこない、日本共産党の政策とともに、歴史や路線をふくむ党の全体像を語り、反共攻撃にはかならず反撃する。
3、「しんぶん赤旗」の役割と魅力をおおいに語り、機関姐誌の読者拡ガ針すすめ、党を支持する人びとを広く党にむかえいれる。
4、さまざまな大衆組織・団体のなかでの活動をつよめ、協力・共同関係を多面的に発展させる。日本共産党後援会を拡大・強化する。
(2)国政選挙でひきつづく躍進をかちとっていくうえで、「4つの原点」にもとづく日常的な選挙勝利のための全党的とりくみとともに、躍進をかちとった党の国会議員団が、現実政治の場で存在感をしめし、国民の期待にこたえる成果をあげることは、きわめて重要である。
国会論戦では、悪政を事実と道理にもとづいて追及するとともに、どんな問題でも国民の立場から解決方向をあきらかにするという建設的論戦が、大切である。昨年の住専問題をめぐる国会論戦で、わが党がただ税金投入に反対をいうだけでなくて、母体行の責任による解決という道理ある解決方向をしめし、それが国会の共通認識になるところまで論戦をリードしたことが、まともな対案をしめせない他党との対比で、国民の広い信頼をえたことは、重要な教訓である。
総選挙後の国会でも、消費税増税など国民負担増に反対する論陣とともに、巨額の浪費的支出にメスを入れることで財源をつくるペきだという主張 を展開し、630兆円の「公共投資基本計画」の「見直し」を約束させ、首都機能移転計画を事実上の凍結においこみ、高すぎる薬価の「見直し」を 約束させるなど、一連の成果をあげた。
今日の“総自民党化”という政治状況のもとでも、さまざまな部分的一致点が、他党との関係で生まれることがありうる。また、悪政と国民との矛盾が深まるなかで、“総自民党化”勢力の内部にも矛盾や亀裂が生じることもありうることである。そういう条件が生まれたときには、わが党は、国民の利益にそって国会を潮むきに動かすために、積極的、建設的な努力をはらう。住専問題のさい国会が不正常な事態におちいったときに、その正常化のためにわが党が積極的な役割をはたし、「日本共産党をのぞく」という体制に一定の変化をつくったことは、今後に生かすペき重要な教訓である。
躍進したとはいえ、わが党のしめる議席は、国会ではまだきわめて少数である。わが党の奮闘にもかかわらず、結果として悪法が強行される場面が多いことも事実である。そうしたなかでも、わが党国会議員頭が、院外の大衆運動としっかりむすびついて、最大の知恵と力を発揮してたたかい、現実政治を動かすために奮闘してこそ、「この党をもっと大きく」という国民のなかでの新たな期待のひろがりをつくることができる。
国会議員団と候補者が、日常的に地域住民とむすびつき、地域住民と国政をむすぶ“架け橋”として奮闘することも重要である。衆院選の結果、すべての県が党の国会議員をもったことは、そうしたとりくみを前進きせるうえで、これまでにない新しい条件である。党はこの間、躍進した国会議員団の全国的な活動を保障するため、11の衆院比例ブロックと全都道府県に国会議員団事務所をもうけた。これを住民にひらかれた事務所として、これまで党とつながりのなかった階層・分野の人びとともむすびつきをひろげ、交流、共同をつよめる拠点として発展させることが、もとめられている。
(1)いま多くの地方自治体では、住民奉仕という自治体ほんらいの仕事がなげすてられ、自治体が巨大開発をすすめる“開発会社”的な機関に変質し、空前の財政危機が進行するという事態がおこっている。
全国の自治体のかかえる借金は、約150兆円と史上最悪となった。これまでも地方財政が危機におちいったことはあったが、今回の財政危機は規模がけたちがいに大きいだけでなく、その原因にもちがいがある。1970年代の地方財政の危機は、石油ショック以後の不況によって、税収が大幅に落ちこんだことから、生まれたものだった。ところがいま進行している財政危機は、自治体がほんらいの仕事とはまったく無縁の大型開発にのりだしたみげく、それがつぎつぎと破たんすることによってつくられたものである。
自治体の巨大開発への動員は、政府・財界主導ですすめられた。国の補助がなく自治体がまるまる負担する「単独事業」による公共投資が拡大された。まず用地を造成してから企業をよびこんで採算をあわせようという方式が横行した。「民活」型プロジェクト――自治体と大手ゼネコンや銀行などが共同の開発会社をつくるという方式が、全国で採用された。この方式のもとで、自治体はわずかの出資金で、実力をはるかに上まわる巨大開発にのりだした。もうけはまるまる企業がしめ、失敗のリスクは自治体が背負うことになった。こうした巨大開発は、バブル経済の破たんとともに、衆評の臨海副都心や、大阪湾ペイエリア開発などにみられるように、大破たんに直面している。
こうしたみずからの失政によってつくられた財政危機を「健全化」するとして、住民の福祉や教育、暮らしと営業を切りすてる、新たな総攻撃がすすめられている。都議選での最大の争点となった「財政健全化計画」は、革新都政時代にうちたてられた暮らしをまもる諸制度を根本からくつがえす史上最悪の計画であるが、同様の計画は全国の自治体でつくられている。1994年10月の自治省事務次官通達による自治体「リストラ」の強要により、全国の94%の自治体で第2次の「行政改革大綱」が策定されているが、その特徴は、ほんらいメスを入れるべき開発優先の浪費には手をふれず、住民の暮らしにかかわる予算と人員を削減していこうというところにある。
政府は、口をひらけば「地方分権」ということをいうが、彼らのいう「地方分権」は、負担と責任を地方自治体におしつける一方で、中央政府の自治体への支配権をこれまで以上に強化することにねらいがある。実際、政府はこの間、地方自治体にたいして、住民の意思にかかわりない巨大開発のおしっけ、福祉きりすての大号令、淘基準以上の福祉・医療施策にたいする国庫補助金カットの“罰則”など、自治体の自治権を侵害する攻撃をつよめている。それは真の意味での「地方分確」とは無線の、自治体にたいする専制支配そのものである。
全国の大多数の自治体で、わが党以外の諸党は文字どおりの「オール与党」となり、住民犠牲の政治をすすめている。憲法、地方自治法の精神から大きく逸脱した自治体の現状をただし、「住民こそ主人公」の地方自治の流れを、つよく大きく育てていくことは、日本共産党に課せられた重大な任務である。
(2)地方議員で4000人をこえ、地方議会第1党になった地方政治の分野は、わが党の活動のなかでも、もっともすすんだ、もっともつよい分野であり、全国第1党の位置にふさわしい役割を、住民にたいしてはたしていく大きな責任をおっている。党の各級機関は、地方政治にたいするとりくみを抜本的に強化し、選挙のさいだけでなく、日常的に地方政治に責任をもち、とくに焦点となっている政策問題をよくつかみ、地方議員団の活動の水準をたかめるための援助に力をつくす。
とくに、第2党に躍進した都議会でのわが党議員団の活動は、一地域の問題にとどまらず、全国的にもわが党の評価に直結する問題となる。第2党という地位は、都政をある範囲では動かす力をもったということであり、その責任はきわめて重い。都民の期待にこたえ、公約実現のために全力をあげる。
同時に、4000人をこえたという今日の到達点は、政治革新の目標からみれば、まだ初歩的である。地方譲会でのわが党の議員数は、議席占有率でみるならば6.24%であり、都道府県議では第5党、市議・区議では第3党、全自治体の31.7%にあたる1046自治体が、わが党が議席をもっていない党議麻空白議会であることを、重視しなければならない。
この分野でも、これまでの到達に甘んじない飛躍が必要である。地方議会での党の比重をたかめるために、議席占有率の拡大、議案韓寒梅の確立、党議席空白議会の克服という三つの指標にてらして目標と計画をもち、積極的な議席拡大にとりくむ。反動攻勢とのたたかいの時期には、既存の議席をまもるという選挙戦が多かったが、新しい情勢のもとで、議席増をめざす攻勢的なたたかいを基本にし、一つの選挙が終わったら、現有議席をかならず確保することはもちろん、4年後の譲席増をめざすことを、当然の方向として追求する。とくに議員数がまだ少ない都道府県議会、政令市議会、市・区議会で力関係を大きく変えることは重要である。21世紀の初頭までに、党議席空白議会をすべてなくすために、計画的・系統的とりくみをすすめる。すべての中間選挙を稚極的にたたかうとともに、99年のいっせい地方選挙の準備をすすめる。農業委員選挙も重視してとりくみ、党委員の比重をたかめるために力をつくす。
(3)革新・民主の自治体のいっそうの拡大をめざして、自治体の首虐選挙を重視してとりくむ。この間の革新・民主の自治体のひろがり、とくに日本共産党が単独与党という新しい自治体の流れのひろがりは、特定の地域の、例外的なできごとではない。すべての地方で、新しい革新・民主の自治体の流れを大きくすることをめざす。そのために首長選挙の位置づけを抜本的にたかめ、日常的に地方政治の問題点をあきらかにし、要求にもとづく住民運動、市民運動を組織するなど、早くから系統的にとりくむことが大切である。
革新・民主の自治体が成立した地域では、党は与党としてそれをまもり、発展させるうえで、住民に特別の責任をおっている。自民党勢力は、さまざまな手段を行使して、住民本位の行政の前進を妨害しようとしてくる。それをうちやぶって、公約を一つひとつ実現していくには、野党の時代にはなかった新しい知恵と力が必要である。この間の、東京都狛江市、足立区でのたたかいの経験は、地域住民の運動とむすびついて事態を打開すること、首長をささえる与党議員成の役割、党機関の正確で機敏な指導の重要性など、さまざまな豊かな教訓をふくむものであった。
とくに、日本共産党党が首長をつとめる自治体の行政は、現実政治にとりくむ日本共産党の真価――行政担当能 力を闘われる試金石ともなる。兵庫県 南光町の革新・民主町政は、その先駆的な民主行政の実績が注目されている が、日本共産党員が首長となった自治体がさまざまな困難をうちやぶって前進することは、たんにその地域にとどまらない、全国的意義を持つものである。
(4)この間に実施された沖縄基地開親や廃棄物処理場・原発建設問題などでの住民投票、沖縄での米軍海上基地建設の是非を問う住民投票をもとめる運 動のひろがりは、住民の切実な意思と 要求を直接、地方政治に反映するうえで意義深いものである。憲法が保障する地方自治を発展させるうえで、今後とも重視する必要がある。
また、税金の使途や行政の悪習を告発し、是正させるための各種の「市民オンブズマン」活動も、住民自身による行政監視活動として大きな役割をはたすものであり、さまざまな形で連携、共同をはかっていく。
日本の政治革新の事業の前進は、根本的にいえば、その主体的条件のかなめとなる大衆的前衛党の建設がどれだけの速度と規模で前進するかにかかっている。その躍進と飛躍に、前党大会いらいかちとられた豊かな教訓と到達点をふまえつつ、これまでの延長線上のものではない新しい意欲と創意をもって、全党が挑戦する。
(1)そのためにも、今日の情勢の特質を、全党の共通の政治認識にすることが大切である。いまわが党は、戦後の党の歴史のなかでも画期的な意味をもつ、党躍進の新しい激動的局面をひらきつつある。総選挙と都議選での躍進はその第1歩をしるすものであったが、その後の情勢の展開は、それが契機となって、わが党のいっそうの躍進をかちとりうる広大な条件をひろげつつある。
こうした歴史的激動のもとでは、客観的情勢が大きく発展し、前進しているのに、かんじんの党組織と党員の政治認識がそれにたちおくれることが、おこりうる。総選挙や都議選のたたかいをふりかえってみても、「そうはいっても自分の地域はちがう」「自分の職場は変わっていない」というような、一部にみられた情勢認識のたちおくれをくりかえし克服する努力のなかで、躍進への道はきりひらかれた。これは今後の党活動の発展をかちとるうえでも、重要な教訓である。
(2)いま一つは、今日の情勢にふさわしい党活動の発展を、活動の量-規模の面でも、活動の質-内容の面でもかちとり、そのなかで「党を語る」活動を、いっそう全面的、多面的に発展させることである。
活動の規模の面では、“あらゆる分野・地域で多数派に”ということを、大衆運動でも、党勢拡大でも、全党が自覚的に追求する。この間の活動のなかで、さまざまな演説会でも、シンポジウムなどでも、これまでにない新しい層との交流とむすびつきのひろがりがみられる。しかし、日本社会の全体からみれば、わが党が対話し交流しているのは、ごく一部分の人びとにとどまっているのも事実である。
たとえば、今日の日本で、国民は、じつにさまざまな組織・団体に所属して、その社会生活、社会活動をおこなっている。職場では労働組合をはじめさまざまな組織・サークルがあり、居住地には自治会や町内会やPTAなどの組織があり、業者は同業種組合や商店会・商工会にくわわり、農漁村では部落の組織があり農(準業協同組合がある。さまざまな青年会や婦人会、老人クラブなども組織されている。経営者の団体や医師会などは、社会的に大きな影響力をもっている。これらの諸団体のなかには、これまで保守政党の「地盤」ときれてきた団体も少なくないが、自民党政治が国民生活のあらゆる分野で矛盾をひろげているもとで、大きな地殻変動がおこりつつある。国民が生活し活動している、あらゆる組織・団体に視野をひろげ、対話と交流をはかり、可能な一致点での共同をすすめ、党への理解と支持をひろげるためにカをつくす。
活動の内容の面では、進路を模索している広範な人びと-とりわけ無党派の人びととの対話と交流を前進させるために、働きかけの姿勢と内容を改善していく新しい努力がはかられてきた。“対話型”の交流ということが重視され、また“紋切り型”を排し、自分の言葉で党を語り、政治を語をということも努力されてきた。そうした新たな創意あるとりくみは、シンポジウムなどのとりくみでも、日常の対話運動でも多彩な発展をみせているが、さらに知恵と努力の発揮がもとめられる。
(3)学習・教育活動は、党組織と党貞が、今日の情勢の激動的特徴を正しくつかんで生きいきと活動するうえでの知的土台となるものであり、党の路線や歴史をふくめて党の全体像を語り、政治を語る力量を身につけるうえでも最良の保障となるものである。不断の学習によって、知的輝きによって国民を結集する党への成長をめざす。
第20回党大会決議は、「中央委員会の諸決定や選挙闘争の基本文献の読了で、5、6割というのは、安住の許されない不十分な到達点であり、党の決定を文字どおり100パーセント読了できる党に前進しなければならない」とのべた。この方針にもとづいて、努力がはかられてきたが、なお前党大会決定の読了が45%にとどまり、党大会後の中央委貞会の決定の徹底で3割台から5割程度にとどまっていることは、わが党の活動の重大な弱点といわなければならない。
ときどきの党の決定は、党綱領路線と科学的社会主義にもとづいて内外情勢を分析し、全党の多面的な経験から教訓をくみあげてねりあげた、集団的英知の結晶である。党支部や党員の活動も、我流でなく、集成的英知を基盤にしてこそ、個性豊かに発展させることができる。この間、党の決定を徹底することの重要性を深くとらえ、生きた情勢の進展をたえず決定にたちかえりながらつかんで、読了運動を前進させている党組織が生まれているが、その教訓を全党のものにすることがもとめられている。
学習の内容としては、(1)党の路線、歴史をしっかりと身につけること、(2)党の当面の政策、方針の学習、(3)科学的社会主義の学説そのものの学習――の三つの分野が重要である。この間、「独習指定文献」の改定がおこなわれ、三つの分野の学習を独習を基礎に推進する文献上の指針も明確にされてきた。日々の「しんぶん赤旗」をよく読み、活動に生かすことを、学習・教育のうえでも重視して位置づけることが大切である。
学習・教育活動の強化を、あらゆる活動を前進させるうえでの第一義的課題として位置づけ、党活動の思いきった時間をこれにあて、“学ぶ気風”を全党にみなぎらせるために、力をつくす。この第21回党大会の決定から、こんどこそ文字どおりの「100%読了の党」をめざす。
(1)前党大会は、党活動のあらゆる問題で、支部がその自発性と創意性を生きいきと発揮して活動する「支部が主役」の活動をつらぬくこと、支部が「政策と計画」をもって大衆運動と党建設を総合的にすすめることをよびかけた。
党大会後の全党の努力によって、89.4%の支部が「政策と計画」をもって活動し、総選挙でも5割の支部が支部主催の演説会やシンポジウムをひらくなど、「支部が主役」の活動が軌道にのってきたことは、この間の党建設のうえでの最大の成果であり、わが党の党建設の歴史でも新しい局面をひらくものである。
支部は日本共産党の基礎的な政治単位であり、わが党が、日本全国の津々浦々に、2万数千の支部をもち、草の根で国民とむすびついて活動していることは、他党にないわが党のかけがえのない財産である。「支部が主役」の活動を、全党に定着させ、うまずたゆまず発展させることこそが、「国民こそ主人公」の日本への道をひらく大道であることに確信をもって、このとりくみのいっそうの前進をかちとる。
(2)この間、党中央は、参院選後と総選挙後の2回にわたって、「すすんだ党支部の経験を聞く会」をもち、全国のすぐれた実践から教訓をくみとってきた。そこからは、共通してつぎのような発展方向が生まれている。
――党の政治単位としての自覚をもち、「どういう職場をつくるか」、「どういう地域をつくるか」をみんなで議論し、職場・地域・学園を変える生きた政治目標をもって活動している。有権者比得票目標への接近、妾現を自覚的に追求している。
――今日の情勢の発展にふさわしく、その地域・職場・学園のすべての有権者を視野に入れて、文字どおりの多数者を結集する意気ごみで、大衆要求にもとづく活動と、党勢拡大をすすめている。すすんだ支部では、住民要求にもとづくシンポジウム、町内会や自治会など帽広い諸団体での活動、ハンドマイク宣伝や掲示板などによる宣伝、後援会の確立と楽しい年間行事などによる活動の活性化など、じつに多彩で豊かな活動にとりくんでいる。
――全党員が参加する支部活動のかなめとして、週1回の支部会議を大切にし、「みんなが発言する会議」 「元気のでる会議」にするためのさまざまな努力と工夫をはかっている。そこでは、学習を重視し、活動の喜びとともに困難も率直にだしあい、一人ひとりの入党の初心を生かし、それぞれの同志の条件、能力、趣味を尊重し、ヒューマニズムと個性の輝く人間集団として成長している。この点で、第20回党大会の規約1部改定で、「支部会議を原則として週1回定期的に開催する」ことを規約の基本問題として明記したことを、支部活動の発展に生かすことが大切である。
――党機関からの指導まちにならず、党の全国的な方針がだされたら、それをただちに討議・具体化し、実行にうつす積極性が発揮されている。中央委員会の決定や、日々の「しんぶん赤旗」に発表される諸方針は、中間機関の具体化をへて、はじめて支部の方針になるというものではなく、その多くが直接党支部によびかけられたものである。支部がただちにそれを具体化し実践していく自発的な気風を、全党のものにしていくことが、もとめられている。
これらの支部活動の法則的な発展方向に確信をもって、すべての支部が第21回党大会決定にもとづいて、地域、職場、学園で力関係を変え、多数者を狸得する展望を明確にした「政策と計画」を充実させ、新たな実践にふみだす。
党支部の6割をしめる経営支部の活動を、今日の情勢にふさわしく発展させることは、その経営内にとどまらない全社会的意義をもつ。総選挙後の情勢の変化を反映して、職場情勢にも大きな変化がおこり、「連合」の政治路線と特定政党支持体制が破たんをきたしているもとで、日本共産党の職場での政治的比重が大きくなっているという状況がある。いま経営に強大な党組織を建設する大きなチャンスが目の前にひろがっている。経営支部が職場の全体に責任をもち、職場で多数者になることを本格的に追求し、「連合」の組合員、未組織労働者、管理職をふくめ、すべての労働者の全生活を視野に入れた支部活動の前進をはかる。職場革新懇の運動を、広範な職場で発展させる運動の先頭にたつ。全国でひらかれてきた経営支部交流会議の系統化と、内容の充実をはかる。
(3)「支部が主役」の党活動を定着、発展させるうえで、中間機関(都道府県・地区委員会) の指導と活動のありかたを、つぎの2つの角度で、思いきって改善していく。
一つは、支部の自主性、創意性をはげます指導である。そのためには、政治指導ぬきの実務指導でなく、支部と一人ひとりの同志に勇気と確信をわきたたせる政治指導を重視することがなによりも大切である。党中央はこの間、「地区機関の指導経験を開く会」をもったが、そこでは「問題の指摘型から激励型の指導へ」「上からのおしつけでなく自主性、自発性を尊重する指導へ」という党機関の指導改善の自己脱皮の努力がこもごも報告された。支部長会議のもちかたでも、「元気の出る」政治指導をつねに重視するとともに、党機関の側からの一方通行の報告で終わるというやり方をあらため、支部長の悩みをだしあってそれにこたえた会議に改善したことで、会議の参加率もよくなり、支部に歓迎されているという報告もあった。支部指導部の確立とその政治的理論的水準の向上をはかる努力も共通している。これらの教訓を、全党が生かす必要がある。
「支部が主役」ということを、支部まかせにすることと“誤解“して、支部活動を「主役」にふさわしい軌道にのせるための積極的な指導と援助をためらう傾向が一部にあるが、これは正しくない。一般指導を政治指導にもっと重心をおいたものに改善するとともに、支部に積極的にでかけ、とくに困難をかかえている支部にたいして、いっしょになってそれを打開するための個別指導をおこなうことは、党機関の力量と真価が試される問題である。
いま一つは、中間機関が、党の内部指導にとどまらず、「その地方で日本共産党を代表する機関」として、地方政治の問題に兼任をおうとともに、直接国民に働きかけるさまざまな政治活動を、抜本的に強化していくことである。この点では、この間、大きな積極的変化がつくられつつある。全国各地で、地域住民の切実な要求をとりあげたシンポジウム、住民要求を解決するさまざまな政策や提言の発表、党機関として自治体などに直接働きかけて要求実現にとりくむなどの活動が、これまでになくひろがった。
各級党機関は、第21回党大会の決定にもとづいて「総合計画」を具体化するさいに、こうしたこの間の教訓を、おおいに生かすようにする。
党費納入の向上、機関財政を確立・強化するための努力をはかることも大切である。財政活動を全党の意識的な努力の集中によって維持・発展させるために力をつくす。
(1)情勢の大きな変動のなかで、大衆運動の各分野でも、多数派結集への新しい展望がひろがっている。広い視野と大きな構えにたって、新たな条件をくみつくす運動の発展がつよくもとめられている。
全労連、農民連、全商連、新婦人、民青同盟、全学連など、革新的立場にたつ全国的大衆組織が、それぞれの主体的力量をつよめながら、一致する要求であらゆる組織との大規模な対話と共同をひろげ、それぞれの分野で多数派を結集するイニシアチブを発揮し、広大な民主的改革の統一戦線をつくりあげていくことが、期待されている。
全生連、民医連、新日本スポーツ連盟などの分野別組織や障害者運動などの発展もひきつづき重要である。
(2)日本の労働運動は、新たな発展の歴史的転機をむかえている。総選挙における日本共産党の躍進と社民党の没落、民社党の新進党への解消などにしめされる政治戦線の力関係の変化は、労働運動に大きな影響をあたえた。「連合」は、総選挙、都議選の結果をつうじて、その政治路線だけでなく、経済問題でも統一的機能をたもてなくなり、その路線的破たんが鮮明になっている。職場での思想差別については、それを違法とする関西電力訴訟での最高裁判決、東京電力や中部電力訴訟の一連の地方裁判所での勝利判決などのもとで、反共思想差別をてことした労働者支配がくずれつつある。こうした労働戦線と職場の新たな変化は、日本の労働運動の前進と発展にとって、はかりしれない重要な意義をもつものである。
これまで日本の労働運動は、「連合」などの反動的潮流が労働組合の多くをその傘下においているために、政府の反動政策にたいして民主的な大衆運動の側からの反撃はあっても、労働組合運動の側からの全国的な反撃が弱いという、諸外国の運動と比較してもいちじるしい弱点をかかえていた。いまおこっている新しい条件を生かして、労働組合運動が、労働者の利益をまもるというほんらいの初心にもどり、(1)要求での団結、(2)資本からの独立、(3)政党からの独立という民主的原則をふまえて発展するということを、大きな流れにしていく必要がある。
全労連が、「連合」系や中立系をふくむ労働組合とのあいだで、一致する要求での共同をひろげ、労働者と国民の要求実現をめざす大運動をすすめ、末組織労働者の組織化にとりくんでいることは、未来ある発展方向である。
労働組合の民主的な発展の問題では、全労連とともに、職場のなかでの党と民主的な人びとの努力が決定的に重要である。経営での多数者の獲得をめざした党活動、職場革新懇の結成と発展、大きな破たんのもとにある「連合」路線を職場で包囲し、労働組合の階級的民主的強化をめざす活動などを、これまでにましてつよめる。日本の社会と運動のもっとも重要なこの分野に、強固な陣地をひろげ、圧倒的な影響力をうちたてることをめざす。
(3)農業・農民分野では、農民連の強化とともに、農協の民主的発展の努力が大切である。農協中央は、農産物輸入自由化反対では、わが党とも一致点にもとづく共同をすすめたが、その後、新食糧法の施行のもとでの強制減反の推進などで、行政の補完組織としての役割がおしつけられ、農民との矛盾をつよめている。しかし、農協が「農民の協同」のための組織の旗をかかげているかぎり、そうした道をすすむことは、みずからの組織の存立基盤を否定することになる。多くの農協組合長などが、日本共産党主催のコメ問題のシンポジウムに参加するなどの前むきの変化もひろがっている。コメの完全自由化阻止、WTO協定の改正、食糧自給率向上などで、農協との一致する要求での共同を追求するとともに、減反問題でも対話と可能な共同を探求する。
(4)中小業者の分野でも、全商連の発展とともに、さまざまな業者団体でおこっている大きな変化を視野に入れた活動が大切である。商工組合、商工会議所、商店会などは、もともとは自民党の都市における厚い支持基盤を形成してきた。そのよりどころは、中小企業経営を一定の範囲で保護する各種の「規制」と補助金だった。ところが、不況にくわえて、大手資本を野放しにする「規制緩和」によって、中小業者が壊滅的打撃をうけるなかで、自民党支持のしめつけの崩壊がはじまっている。そして、大型店舗の進出に反対するたたかいやシンポジウムなど、日本共産党との対話と共同がさまざまな形でひろがっている。この分野でも、そうした多数派結集の新たな条件を生かしたとりくみがもとめられる。
生協運動が、その基本的性格にそくして、民主的に発展するように力をつくすことも、ひきつづき重要である。
(5)女性分野での新しい前進は、注目すべきものがある。女性の権利と暮らしが圧迫されるなかで、これまでの枠をこえた広範な共同がつくられつつある。切実な要求にもとづいて、地域婦人会との対話や共同もすすめられている。男女平等、子育て、教育、魂境、食、介護、従軍慰安婦問題など、身近な要求から国政の課題まで、さまざまなグループとネットワークが生まれ、女性のエネルギーがおおいに発揮され、多様な運動が発展している。
党創立いらい、男女平等と女性の地位向上のためにたたかいつづけてきた党として、いまひろがりつつある新しい変化の全体を視野に入れ、多くの女性、女性団体との対話と共同を発展させることがもとめられている。
(6)わが国の高齢者人口は急速に増加し、国民のなかの比重がたかまっている。
政府、財界が、医療・年金制度の抜本改悪をはじめ、社会保障制度を全面的に縮小する攻撃をつよめているもとで、医療・年金・福祉などの拡充をも卜める高齢者のたたかいは、いよいよ重要である。
党は、民主的な高齢者運動はもちろん、さまざまな高齢者組織とのあいだに対話をひろげ、高齢者の切実な要求を実現するたたかいにとりくむ。
(7)日本における社会進歩の事業の前進をはかるうえで、文化人・知識人の役割は、今日ますます重要になっている。世界的な激動のもとで、一部にあらわれた「方向喪失の状況」は、克服されつつあり、党と広範な文化団体、学術周体、個人との交流と共同がひろがっている。科学的社会主義の学問的価値は、イデオロギー的立場をことにする文化人・知識人からも、さまざまな形で注目されている。エンゲルス没後100年を記念しておこなわれた理論活動は、科学的社会主義を擁護・発展させるうえで、重要な意義をもつものであった。一方、日本の歴史の反動的ぬりかえなど、右派ジャーナリズムをはじめ、文化・学問分野での反動的攻撃もつよまっている。今日の情勢の進展にふさわしく、科学的社会主義の真価をいっそう発揮する創造活動、理論・イデオロギー活動の強化をはかり、広範な文化人・知識人、宗教者との対話と共同の発展をはかる。また、研究・文化活動の自由を圧迫し、制限する現状を打開する活動を重視する。NPO(非営利法人)法制定のとりくみや大学教員任期制導入反対のたたかいなどでひろがった共同の輪を、さらに発展させる。
(1)総選挙での躍進は、党勢拡大の分野でも新たな可能性と展望をひらくものとなった。いまのわが党の発展の特徴は、日本共産党の政治的影響力の大きなひろがりにくらべて、党勢拡大が、たちおくれていることである。逆にいえば、こんなに拡大の条件が広大にひろがっているときはない。
東京都での総選挙と都議選でのわが党にたいする有権者の投票行動がどう推移したかの分析をみると、かなりの支持層が流動的であることがわかる。
そういうなかで、つぎの躍進を確実なものにするためには、思いきって広い層の支持を獲得する努力とともに、党の強固な支持層をいかにひろげるかに、大きなかぎの一つがある。党員と読者の拡大こそがその保障となる。
昨年12月の第6回中央委員会総会では、「少なくとも総選挙の得票の1割の党員を、得票の半数の読者を」という目標をもって、全党的な運動にとりくむこと、党機関の「総合計画」や支部の「政策と計画」のなかにも、この大きな展望にたって党勢拡大を位置づけることを決定した。
第21回党大会からおそくとも3年以内につぎの総選挙がおこなわれる。また2年から3年以内に第22回党大会を開催することになる。3年以内というのは、今世紀中ということでもある。「得票の1割の党員、半数の読者」という目標を、おそくとも今世紀中には達成し、2倍の党員、1.5倍の読者をもって来世紀をむかえることを全党によびかける。
(2)党勢拡大の方針については、前党大会いらいとってきた法則的な発展方向を、今後も堅持してすすむことが大切である。
――党勢拡大だけを集中的に追求する「月間」型の活動ではなくて、党機関も支部も、国民の要求をとらえた大衆運動をふくむ総合的活動にとりくみ、多面的なむすびつきをひろげながら、党勢拡大の独自追求をはかること。
――党員拡大と機関紙拡大を、「党勢拡大の二つの根幹」として、それぞれを重視して推進し、相乗的に発展させること。
――「支部が主役」をつらぬき、目標の「割り当て」はやらず、支部が自発的にきめた目標をやりあげていくための援助を、党機関の指導の基本におくこと。自発的目標をもってとりくむ支部を全党の大勢にしていく努力をはかること。
こうした法則的な発展方向をしっかりにぎって、党勢拡大の持続的前進をかちとっている党組織が、全国各地に、支部段階はもとより、地区、県段階でも生まれていることは、今後にむけた大きな展望をひらくものである。
党員拡大では、第20回党大会以降の持続的な努力によって、後退傾向から脱却して前進がつくられ、第21回党大会を約37万人の党員でむかえることができた。総選挙のあとに、この運動の前進の速度が加速していることは重要である。第20回党大会後に新しい党員をむかえた支部は4割をこえた。次期党大会にむけ、すべての支部で新しい党員をむかえ、空白の地域、経営、学園での支那の建設をはかり、党員倍加をめざして奮闘しよう。
機関紙拡大では、この約半年間、毎月増勢をつづけてきたことは重要だが、前大会時の現勢を回復するには至らず、激動的な情勢のもとで急速にふえている新しい党支持層に、まだ党の活動がおよんでいないことを重視しなければならない。革新・民主の世論と運動をひろげ、発展させるうえで「しんぶん赤旗」の役割がいっそう重要になっているいま、広い層、新しい層のあいだに購読を訴える活動をおう盛に展開し、すべての支部と県・地区が、今世紀中に現勢の1.5倍化の展望にたって、それを達成するために、毎月、真剣に努力する。毎月数万にのぼる読者の購読中止をなくし持続的前進をかちとるために、これまでの惰性をただして、配達・集金体制や読者との日常的な結びつきを支部を基礎に確立・強化し、地方議員と機関幹部などの配達・集金の過重負担を解消するために力をつくす。
(3)青年・学生分野は、総選挙や都議選での党躍進がつくりだした新しい情勢の特徴を、もっとも敏感に反映した分野であり、日本共産党にたいする若い世代の新しい関心と期待のたかまりが、職場、地域、学園を問わず、またこれまで民主的青年運動の影響力の弱かったところをふくめ、全国的に顕著になっている。ことしの新入生を対象にしたアンケートでも、党支持率の上昇とともに、拒否率が数年前の3分の1にまで減るという特徴がみられる。こうした新しい条件を生かして、若い世代のなかでの活動を思いきって強化し、党勢拡大と民青同盟の拡大での躍進をめざす。
いま青年は、日本の政治や社会のゆきづまりが深刻になるもとで、曇りのない目で前途を模索し、情熱をかたむけてやれることをもとめている.寮災問題、薬害エイズ問題、環境問親、沖縄開港などでの若い世代のボランティア的運動のひろがりは、青年層の積極的なエネルギーのたかまりのあらわれである。若い世代との自然な形での交流と対話の機会を多面的につくり、ともに社会進歩の道を探求していくとりくみが大切である。
この課題は、革新運動の後継者をつくるという点からも、党自身にとっても切実な課題である。全党が総力をあげて、若い世代の革新的結集で、大きな前進をかちとることがもとめられている。
総選挙と都議選での躍進は、21世紀にむけて希望ある政治の新たな局面をきりひらいた。しかし、つぎの躍進の大波をつくれるかどうか――いま党は新たな正念場にたっている。党の躍進によって、相手側もまた新たな逆風をおこしてくるだろう。前途はたんたんとしたものではない。つぎの躍進の大波をつくるためには、これまでの延長線上に甘んじないで、わが党の活動を、あらゆる分野で新たな貿、新たな規模の活動にたかめることがもとめられている。社会進歩と国民への重大な責任を自覚し、日本共産党の新たな上げ潮をつくりあげるために、力をあわせて奮闘しよう。