日本共産党資料館

変節者のあわれな末路

志位和夫

党中央文化・知識人委員会委員、青年学生対策委員

『赤旗』一九八六年三月十八日、十九日

一、類は友を呼ぶ

 昨〔八五〕年十一月の日本共脱党第十七回大会会場付近での反党ビラの配布や、『朝日ジャーナル』への反党「手記」の発表などの反党分派活動により、党から除名された東大院生「伊里一智」が、『気分はコミュニスト』という本を出した。これまでの反党ビラや、反党『手記』をよせあつめ、「編集部のインタビュー」に「伊里」が漫談調に答えたものをつけ加えるといったものであり、もちろん中身は、例によって低劣で下品な党攻撃に終始している。
 ところで、この本が日中出版から出版されていることからもわかるように、「伊里」のこの新たな反党活動に舞台を提供したのが、これもまた反党活動によって昨年二月に党を除名となった日中出版社長柳瀬宣久である。
 この二人の反党分子は、いったいどこでどう出会ったのか。「伊里」は、そのへんの事情をつぎのようにいっている。

「ビラ(党大会会場付近でまいた反党ビラ)をまいて熱海に帰ると公安が待ち伏せ東京まで、まとわりついてきた。走ってまこうとすると『泥棒』とどなり、タクシーに乗ると中に乗りこんでくる。ホテルに入るとホテルの前で張り込みを続ける」

 そこで、この「公安」の追及からのがれるために、「助け」を求めたのが柳瀬だったというわけだ。

「柳瀬氏ならば義を知る人だ、という自分の判断に賭けることにし、思い切って電話することにしました。電話番号を調べて連絡し、かくかくしかじかと事情を話すと、柳瀬氏はすぐかけつけて来て下さったわけです」

 かくしてこの二人の反党分子は、手に手をとって「公安」の追及からのがれるというわけである。
 しかし、これは少々話ができすぎている。それまで一面識もなかった男から突然、電話で「助け」を求められて、すぐにかけつけるとは、反党分子というのは、よほどの「義人」ぞろいということか。
 「伊里」は、柳瀬に「助け」を求めた理由として、「出版の自由を断固、主張していた柳瀬社長の姿の方に党的な姿を感じていました」「除名されたからといって共産党に対する愛情も失っているような人ではなかろうと思いました」などと、柳瀬への歯の浮くようなお追従をのべたてているが、二人の反党分子の麗しい「友情」が、「公安」の追及からのがれるための〝緊急かつやむをえない〟〝偶然の〟事情をきっかけにして始まったなどという、「伊里」の弁明をまともに信じるわけにはゆくまい。
 だいたい柳瀬といえば、出版社の社長としての地位を利用して、反党分子に発言の場をあたえたという反党活動の経歴をもった男である。
 一九八四年七月、吉田嘉清(八四年九月、日本共産党から除名)が、日本原水協の方針をふみにじって原水協への明白な分裂・かく乱策動を開始すると、柳瀬は、吉田の反原水協、反党の主張をインタビュー形式で編集し、『原水協で何がおこったか――吉田嘉清が語る』を出版することを、企画し実行した。
 柳瀬は、「出版の自由」ということで、みずからの反党活動を合理化しようとしたが、結社の自由にもとづいて自発的な意思で政党に加入した者はだれであれ、出版、言論の自由をふくむ自らの基本的人権をその政党の目的実現にむけて行使すべきである。「出版の自由」の名によって党破壊の活動をすすめようなどというのは、前衛党の結社の自由を否定するものに他ならない。柳瀬が、こうした反党活動によって党から除名されたのは、当然のことであった。
 当時、柳瀬は、『週刊文春』のインタビューにこたえて、「もちろん、共産党とあい容れない今回のようなものも、またやるかも知れませんよ」とうそぶいた。柳瀬は、この一年半まえの〝公約〟を、実行に移したというわけである。
 ところで、一年半まえの吉田の反党活動には、もう一人の〝演出家〟がいた。それが前出の吉田の本のなかで、「インタビュアー」をつとめた朝日新聞記者原賀肇(ペンネーム長崎肇)であった。彼は、当時、総評・「原水禁」側の立場から、事実をまったくゆがめた原水協攻撃、日本共産党攻撃の偏向記事を書いていた人物である。
 今回の「伊里」の反党分派活動においても、朝日新聞とりわけ同新開社発行の『朝日ジャーナル』のとった態度は特異なものであった。
 「朝日」は、「伊里」の反党ビラまさ事件がおこると、その日の夕刊で報道し、さらに、八五年十一月二十七日付夕刊「ニュース三面鏡」で「共産党への東大院生の反乱」「組織の衰退に危機感」などと、「伊里」擁護の特別仕立ての記事をのせた。『朝日ジャーナル』にいたっては、昨年十二月六日号、今年一月三十一日号の二回にわたって、「伊里」の反党「手記」を、それを擁護する編集部の一文をつけてのせるという異常さであった。これらは、「朝日」のすくなくとも一部に、「伊里」と特別に深い関係をもったものがいると考える以外に、説明のつかないことである。
 こうして、一年半まえの吉田の反党活動を〝演出〟した舞台装置は、今回にそっくりひきつがれている。
 類は友を時ぶ――「伊里」という絶好の〝仲間〟を得て、党攻撃に憂き身をやつす者たちがにわかに活気づき、「伊里」もすっかり意気投合し、そろって新しい党攻撃のシナリオを練りあげ、実行に移したというのが真相だろう。
 こうしたものの産物である「伊里」の本が、いかに低劣な内容のものであるかは、およそ察しがつくというものである。
 「伊里」は、彼の本のなかで、「自分の犠牲を考えないでそういうこと(反党ビラまき)をする」自分のような党員のいることが、「共産党が培ってきた政治文化のいちばん誇るべきところ」などと愚にもつかぬ居直りをしている。しかし、このごに及んでの「伊里」の「愛党」、「犠牲的精神」などをまともにとる者は、いないであろう。
 「伊里」は、「伊豆学習会館前でビラをまくという行為にはビビリました。でもこれではいけない、ルンルンしながらビラまきをやろうと思いました。だから、ビラをまく前にはユーモア小説を読んでいました」という。こうしたふざけ半分のゲームでもするような気分で、彼は公然たる反党活動にのりだしたのだった。「気分」だけは「コミュニスト」かもしれないが、その実体は、『ゼンボウ』などに三文反共雑文を書き送る売文家たちと同じ地点まで、「伊里」が転落してしまっていることを、彼のこの本はよくしめしているのである。

二、苦しまぎれの弁明

 『伊里」の政治的主張の誤りについては、わが党は、すでに、八五年十二月二十一日付「赤旗」論文「反動攻勢へのみじめな屈服」、「『伊里一智』の除名処分について」(「赤旗」八六年一月十九日付)、八六年一月十九、ニ十日付「赤旗」論文「ふざけた計画、ふざけた弁明」などで、道理をつくした批判をおこなっている。「伊里」は、彼の本のなかで、その政治的主張をあれこれ並べているが、それらは、基本的にすでに批判ずみのものであり、新たにとりあげなければならないものは何ひとつない。
 ただ興味深いのは、党のきびしい批判に直面した「伊里」が、破たんしたみずからの主張をとりつくろうための苦しまぎれの弁明をしていることであり、そして、そのことが「伊里」の自己破たんをよりいっそう鮮明なものにしていることである。
 若干の特徴をみてみよう。

破産した「日本人民=加害者」論

 わが党は、日本人民全体が、「第三世界」への「加害者」となったなどという「伊豆」の主張を批判して、彼の見地が日本人民を日本独占資本と同列の「加害者」とみなすという、科学的社会主義の階級的見地のイロハすらわきまえないものであること、また、日本独占資本がアメリカ清国主義の目したの同盟者として他民族抑圧を強めていることは事実であるが、これが、日本の労働者階級と国民への搾取・抑圧と結びついてすすめられているという事実を見ないものあることを、きびしく指摘した。
 すると「伊里」は、本のなかで、つぎのような混乱し自家撞着におちいった弁明をおこなっている。

「第一に現実認識の論理として。日本の独占資本の第三世界抑圧の責任は日本人民全体の責任ではない丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶。…
 しかし第二に運動の論理として、人民が政治的主体をめざす時、現体制の第三世界抑圧の責任をそれを許した自らの責任と引きうけ丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶、この体制を変革しようとする使命感にもえるのだ。この両方の契機を揚棄した地点にコミュニストの政治がある」(傍点筆者)

 このように、「伊里」は、わが党の批判のまえに自説をこっそりと訂正している。「現実認識の論理」としては、日本人民は「加害者」ではないと、彼は認めざるをえない。
 ところが、他方で、「運動の論理」としては、日本人民は「現体制の第三世界抑圧」を「許した自らの責任と引きうけ」なければならないというのである。
 しかし「伊里」のような立場に立てば、日本人民は、国の主人公になるまでは、いくらたたかったとしても「責任」を問われつづけなければならないということになる。いや、それにとどまらず第三世界の人民の側も、アメリカ帝国主義や日本独占資本の自国にたいする抑圧を「許した」「責任」を問われなければならなくなる。結局、世界中の人民が、その「責任」を追及されるというばかげたことになるのである。
 このように、「日本人民=加害者」などという「伊里」の主張は、階級闘争の客観的な現実の認識から得られたものではまったくなく、観念の世界での言葉遊びのようなものにすぎなかったのである。

投降主義者のこっけいないいわけ

 わが党は、「伊里」の主張が、右転落した社会党の新与党化路線への追随と投降という、底なしの敗北主義、右翼日和見主義に立ったものであることを、きびしく批判した。とくに、彼がその反党文書のなかで、「暫定政府論議(『連合』論議)への介入のために」と称して、「社民政権」に「閣外協力」せよ、「国政選挙三人区での一方的選挙協力」をせよ、「信頼醸成措置」をとり、「赤旗と社会新報の紙面の相互提供」をせよ、「人的交流」をせよ、「統一のための障害だしあう(反共綱領VS民主集中制)」ことをせよとのべ、はては「組職統合への戦略」をもてなどとあからさまな解党主義の主張をおこなっている事実をあげて、その深刻な政治的退廃ぶりを指摘した。
 これにたいして、「伊里」が本のなかでおこなっている弁明は、卑劣を通りこして、こっけいですらある。
 彼はいう。

「『無産政党の組織統合』はコミンテルン七回大会の精神であり……。そして革命の暁には『前衛党を死滅』させる解党主義こそレーニンの見地であった。このような長期的展望の上で、社会党を階級的には兄弟と考えよというのが僕の意見」

 しかし、「伊里」は、社会党への追随と投降の主張を、「長期的展望」などではなくて、「暫定政府論(『連合』論議)への介入」すなわち、現在の日本の政治で党がとるべき当面の方針として提起していたのである。
 党に批判されると、これは「長期的展望」だといいのがれる。「伊里」の主張は、しょせん、こうしたふざけ半分のたわいのない思いつきにすぎないものであったのである。
 「伊里」は、コミンテルンやレーニンをひきあいにだして、社会党の新与党化路線への追随、投降と、党の解体という、みずからの主張をなんとか権成づけたいのであろうが、これはまったく無駄なあがきである。
 「革命の暁には『前衛党を死滅』させる」ということで、みずからの解党主義を合理化するなというのは、時間と空間を超えた妄想の類に属するものであり、こんな議論が通用するなら、共産主義社会は階級対立がなくなる社会だから、現実に進行している階級闘争を放棄しようという議論も同じように通用するだろう。
 また、コミンテルン第七回大会で提起された「社会民主党またはその個々の組織と共産党との合同」は、反ファシズムの統一戦線が発展する過程で、科学的社会主義を基礎として労働者階級の単一の大衆的政党をつくることが可能となることをしめしたものであり、これが「伊里」の説く社会党の新与党化路線への追随、投降と、党の解体といった、主張の裏づけには少しもならないことは明らかである。
 だいたい歴史的条件が異なるもとで提起されたあれこれの方針の片言隻句を、現在の日本に機械的にあてはめ、自説を合理化しようとすること自体が、科学的社会主義の見地とはまったく無縁のものである。

ますますこうじる観念論の病

 わが党は、「伊里」の敗北主義の政治的主張が、〝党の政治方針が正しくありさえすれば党は一線に前進するはずであり、党が十年来の停滞を統けている以上、党の政治方針が誤っていることは明らかである〟というような、階級闘争の現実からまったくはなれた観念論の深く結びついていることを指摘した。
 「伊里」は、彼の本のなかで、この観念論の見地をよりいっそう鮮明にしている。党によって、その政治的主張の誤りをことごとく批判されてしまった「伊里」が逃げこむのは、結局、観念の世界でしかないのである。
 彼はいう。

「多数者革命は、人々の価値意識(イデオロギー)の編成・統合に依拠して革命を行なおうという戦略であり、科学的認識における一致によって合意が作られるものではありません」「前衛党の任務は、自己の『科学的』結論を大衆に押しつけることではなく、人々の価値意識のブルジョア的編成に亀裂を入れつつ、自己の科学的結論へ接合しうるように、イデオロギーの再編を行なうことにあるはずです」

 このように、「伊里」のたてる「戦略」は、「人々の価値意識の編成・統合」をおこなうことが、そのすべてなのである。
 「伊里」は、人びとがどんな「価値意識」をもっているかから出発し、それにどう対応するかに終始する。だから、たとえば、国民が「生活保守主義」の意識にとらわれていると「伊里」が判断すれば、前衛党の「戦略」は、それにどう対応するかによって規定されることになるし、反動勢力が、あれこれの反動反共イデオロギー攻撃を加えてくれば、それへの対応がまた前衛党の「戦略」のすべてであるということになるわけである。
 「伊里」の視野から完全に欠落しているもの――それは、党の第十七回大会が深く解明した「深部の力」である。

「日米軍事同盟の要求にすべてを従属させた中曽根内閣の『戦後政治総決算』路線は、圧倒的多数の日本国民の利益と日本の前途を平和、民主主義、国民生活・環境の全般にわたって、深刻におびやかしている。現荘、政治戦線のうえでは、自民党と新与党勢力は絶対多数を誇っているが、日本社会の実生活のなかでの国民の大多数と自民党政治との矛盾は、いっそう深まりひろがっている。
 とくに、社会の究極的動向を決定する深部のカ――諸階級・諸階層の経済生活と安全の面で、大企業の繁栄、軍備のはてしない増強のもとで、自民党政治と労働者、農民、勤労市民・中小企業家、文化・知識人、青年・学生、婦人など国民諸階層の利害の対立がつよまりつつあることは重要である」(第十七回党大会決定)

 革新と進歩の大道を力強くさし示す日本共産党の路線は、こうした「深部のカ」すなわち現実の客観的な階級的諸矛盾に深く根ざしたものなのである。国民の多数者が自分の客観的利益にかなう立場はなにかを正しく自覚していくための党の活動は、もちろん重要である。しかし、「深部の力」とはべつのところで、「意識」や「イデオロギー」をもてあそぶことに終始する「伊里」の「戦略」は、科学的社会主義の立場とはまったく無縁の観念論的「戦略」に他ならない。
 こうした立場に立った「伊里」が、戦後第二の反動攻勢の反動反共イデオロギー攻撃の強まるもとで、それにのみこまれ、おし流され、探知な敗北主義におちいったのは、必然的であった。

三、デマにデマの上塗り

 わが党を除名された「伊里」は、前衛党の自覚的規律、民主集中制にたいする敵意をいっそうむきだしにし、反党分派主義者としてのみにくい本質をあらわにしている。

卑しい反党分派主義者の本質を露呈

 わが党は、「伊里」が、彼の反党文書のなかで、「理論派閥の容認」「党外出版物での批判の容認」「横の交流拡大」などの、民主集中制を完全に否定する主張をおこなっていることを、彼の回答主義、分派主義のあらわれとしてきびしく批判した。
 「伊里」は、彼の本のなかで、こうした党の批判にたいして「かなり前に書いたレジュメのなかに、箇条書きにしたものをことさら大袈裟に書きたてている」などと不満を表明してみせる。しかし、彼がその舌の根もかわかぬうちに、つぎのような民主集中制への憎悪にみちた攻撃をのべたてているのをみれば、党の批判が「大袈裟」どころか、正鵠を射たものであることがますます鮮明となろう。
 たとえば、「伊里」は、「理論派閥」の、主張を「科学的社会主義は一つしかないわけではなくて、そのなかにはさまざまな学派があり、またそのほうが科学的社会主義をより強固に発展させてゆけるのだということです。……わが党も『自由と民主主義の宣言』で『官許の哲学』を否定しました」などといって合理化しようとしている。しかし、これはまったくの奇弁である。
 前衛党が科学的社会主義を理論的基礎とし民主集中制にもとづいて全党の認識を一致させ、団結してたたかうという問題と、社会において複数の世界観の存在の自由を保障するという問題とはまったく次元を異にするものであるが、「伊里」はこれを意図的に混同させているのである。
 また「科学的社会主義は一つしかないわけではなく」などというのは、科学的社会主義の客観的な真理性を否定する相対主義の見地にほかならない。
 こうした二重、三重の誤った「論拠」をいくらならべても、「現論派閥」を合理化することにはならない。「理論派閥」であれ「行動派閥」であれ、派閥や分派が、党の統一したたたかいを破壊し、党が正しい認識に到達するうえでも障害にしかならない、最悪の行為であることは、ここでくり返すまでもない自明のことである。
 また「党外出版物での批判の容認」の主張について、「伊里」は、「党内問題を党外に持ち出してはならないという規約の規定をあまりにも杓子定視に考えるべきでない」とうそぶき、党内の問題の党外へのもちだしを禁ずる党の規律を「実は隠された前衛党のエリート意識――自分たちはすごく重要なことをやっているのだから、こんな大切なことを国民には教えたくないという意識」だなどといって否定しようとする。党の統一と団結を保障する自覚的規律を「前衛党のエリート意識」などというところに、「伊里」のおちいった分派主義の、低劣さ、退廃ぶりがよくしめされている。
 さらに、党組織間の「横の交流」の主張について、「伊里」は、「これを直ちに無制限に認めるべきかどうかは、もちろん僕も責任をもった判断はできません」などといいわけをしながら、「党大会の全党討議の期間中は横の連絡はおおいに認めていいのではないか」とのべている。しかし、いうまでもなく、党大会にむけた全党討議も党のたたかいの一部なのであって、ここだけは民主集中制が適用されないなどということにはならない。
 だいたい「伊里」自身、党大会にむけた全党討議が開始される以前から、それこそ「無制限」に勝手な「横の連絡」をとっていた。そして彼がおこなった「横の連絡」が分派の形成につながっていった事実こそ、それが、民主集中制とは絶対にあいいれいものであることの生きた証明となっているのである。
 一事が万事、この調子である。「伊里」が語れば語るほど、その言葉から卑しい分派主義者の本質がすけてみえるだけである。

「合法的にやった」というデタラメ

 「伊里」は「僕の除名の真の理由は、宮本氏の勇退を公然と求めたこと以外のものではない」などとのべ、自分の除名を、「『意見』の違いによって組織的排除を行ってはならない』という党規約を踏みにじる政治的処分」であるなどといっている。
 しかし、これはまったくのデタラメである。
 「伊里一智」の除名処分決定書をみれば明らかなように、「伊里」の除名理由は、党大会会場付近での反党ビラの配布、『朝日ジャーナル』への反党「手記」の発表、昨年五月段階から反党分派計画書の作成と六月からのその実行など、明白な党規約じゅうりんの事実の数々であった。
 この事実については、「伊里」は、本のなかでも、まったくまともな「反論」ができない。それでいて「政治的処分」だとさわぎたてるなどというのは、デマゴギーの手法以外のなにものでもない。
 唯一の「反論」らしいものといえば、「伊里」が、昨年十月二十七日の東大院生党会議で配布した連名の反党分派文書について、「これは都委員会、中央委員会との協議をふまえて、合法的に提出した議案だったのです」などといっていることである。しかし、これもまったくのデマである。反対に、都委員会、中央委員会の担当者は、連名や有志で文書を作成し配布することは党規律をじゅうりんする分派活動であることを、本人に直接くりかえし警告してきた。
 お笑いぐさなのは、「伊里」が同じ本の中で、このことをうっかり認めてしまっていることである。「伊里」は、連名の反党文書を配布する一ヵ月前の九月三十日に、坂本中央委員からつぎのような指導を受けたことをみずから明らかにしている。

「議案提出の主体は、…代議員有志など複数であってはならない」「党会識の事前に文書を配布することはできない」「事前に他の代議員と討論したり、自分の提案に対する支持を、…求めてはならない」

 坂本同志の発言は、「伊里」によってところどころゆがめられているが、こうした「伊里」の〝証言〟によっても、彼のおこなったような分派活動が規約で禁じられたものであることを、坂本同志がはっきりと指摘していたことは明らかであろう。
 馬脚をあらわしたとはこのことであるが、自分でいっていることのあとさきの矛盾もおかまいなしに、やみくもに党を攻撃するというのが、「伊里」のふざけた詐欺師的やり方なのである。
 だいたい「合法的」というが「伊里」自身が昨年正月に作成した「我々の党改革運動(Partei Riforma)」なる〝分派活動計画書〟ともいうべき文書のなかでは、「都大会の代議員になるまでは、半非公然丶丶丶丶でやる」「他の大学院や知識人党員への働きかけも秘密裡に丶丶丶丶行ない」「非合法活動丶丶丶丶丶もやむを得まい」(傍点筆者)などということが、はっきりとのべられているのである。
 ところで、「伊里」は、彼のこの〝反党分派計画書〟が、反党活動の一つの証拠とみなされていることについて、これまで「あれは冗談だった」ととぼけてみせていたが、彼の本のなかでは「これは……僕のプライベートなレジュメです」などといいわけをしている。しかし、「伊里」のこの文書は、「プライベート」どころか他の党員にも配布されたものであり、「冗談」どころかこの文書に書かれた「最低目標」である「伊豆でのビラまきとマスコミ報道」を「伊里」は実際にやってみせたのである。「伊里」がいくらいいのがれをこころみても、こうした事実は消せるものではない。
 だいたい「伊里」は、「冗談」だの「プライベート」だのというこの文書を、彼の本に全文掲載し彼の新たな党攻撃の材料の一つとして〝再利用〟している。ここにも党攻撃のためには手段をえらばない「伊里」のふざけた手口がよくあらわれている。
 「伊里」は、その反党活動をなんとか「合法的」なものにみせかけるため、彼の本のなかで、党規約の精神とはまったく無縁な「規約解釈論」なるものをあれこれのべている。
 「伊里」の「規約解釈」のデタラメさについてはすでに昨年十二月二十一日付「赤旗」論文、今年一月十九、二十日付「赤旗」論文で、わが党はすでに詳細に批判している。事ここにおよんでの「伊里」のたわごとなどをまともにとる人はもはやいまいが、念のためいくつかの点について付言しておこう。
 ◯「伊里」は、第十回党大会の規約の一部改正のさい、規約第二十一条四項の「下級機関」の「機関」が「組織」に改正されたことをとらえて、「党中央の規約偽造だ」などとさわざたてた。そこで第十回党大会の規約の一部改正にかんする中央委員会の結語では、字句上の訂正については、中央委員会の責任で新しい規約を発表するときにおこなうことがのべられ、大会で本認されているという事実をしめし、「伊里」のデマを粉砕すると、彼は、こんどは、「『機関』というのは指導部のことであって」「組織全体をさしているわけではありません」、 だから、「機関」を「組織」にかえたのは字句上の問題の範疇をこえており、やっぱり「偽造」だとくり返している。しかし、機関とは指導機関だけをさすのでなく、支部党会議や支部総会も党の機関なのである。そのことは、「基礎組織の最高機関は、基礎組織の党会議または総会であり」(規約第十七条)と、規約にも明記されていることである。いくら、「伊里」が、「党中央の規約偽造」をデッチ上げようとしても、「伊里」自身による事実の「偽造」が明らかになるだけなのである。
 ◯「伊里」は、自分らにたいする権利制限が、党支部ではなくて、その一級上の指導機関である都委員会常任委員会でおこなわれたとして、規約を無視した機関の越権行為だと攻撃している。規約第六十四条の「特殊な事情のもとでは、地区以上の各級指導機関は、党員を処分することができる」というのは、「グループの党員にたいする処分の規定」であるということが、第七回党大会の規約改正についての報告で「厳密に限定」されているというのである。しかし、同報告は、規約のこの条項で丶丶丶丶丶丶丶丶グループの党員にたいする処分ができる丶丶丶ことをしめしたものであり、グループの党員の処分に限定することをのべたものではない。
 このように、党に事実と道理をもって批判されると、苦しまぎれにデマにデマの上塗りをする。一つのウソをごまかすのには、十のウソをつかなければならないというが、こんなことをやればやるほど、みずからのみじめな破たんぶりをさらすだけである。

おわりに

 こうして、「伊里」のこの本は、党の戦列から脱落し反党分子に転落した一人の男の、とめどもない政治的・思想的退廃の実態を赤裸々にしめすものとなっている。大学院という学問研究の場に身をおく「伊里」であるが、彼の態度は、真理にたいする一片の誠実さや良心もない、無責任でふざけたものに終始している。
 党を除名されて「伊里」は、「僕としては〝共産党・勝手連〟をつくりたい。共産党を勝手に支持する後援会ですね」「決して共産党に対抗するような政治組織をつくるということではなく、単に理論面での研鑽、として善意の人々の交流の機会をつくりたい」という。
 「伊里」はこうしたニセモノの「愛党」の言葉が、まだ通用すると考えているのだろうか。だいたい彼のこの本の発行自体が、党の「後援」どころか卑劣な党攻撃そのものではないか。「伊里」のこの新たな反党活動の〝公約〟が実行に移されたにしろ、そこに集う、「善意の人々」なるものが、彼と同類の反党分子やその応援団でしかないことは明らかである。
 日本共産党第十七回大会は、戦後第二の反動攻勢をうちやぶり、日本の情勢の革新的打開をはかるために、わが党が「国政選挙の一進一退」を大きくのりこえて政治的躍進をかちとることが、不可欠の急務となっていることを提起した。いま全党は、この党大会決定と党中央にかたく団結し、とくにさしせまった参議院選挙を党の新たな政治的躍進の大きな一歩とするためのたたかいを意気高くすすめている。反党分派分子の策動は、歴史の発展のこの大道のかたすみで、いっそうみじめな破たんをとげていくだろう。