フィリピンのマルコス独裁政権崩懐にともない、日本政府の同政権への経済援助とそれを足場とした日本独占資本の経済進出の実態の一部が暴露されてきた。日本独占資本がアメリカ帝国主義の「目したの同盟者」として、その世界制覇の戦略の一翼をにないながら、積極的、能動的に他民族抑圧にのりだしている姿が、ここに浮き彫りにされた。
かつて帝国主義段階で、民族自決権をふみにじる植民地体制が確立した時期とは大きく異なり、反ファシズム、民主主義擁護、民族解放の戦いの性格を持った第二次世界大戦のあと発足した国際連合の憲章が、自決の原則を確認し、民族自決権の闘争は大きな前進を遂げた。とりわけ当初、それは植民地に反対する民族の解放闘争として、政治的独立を勝ちとる自決権の確立におもに示された。今日の段階では、内容、形態ともに諸国人民の民族自決権確立、擁護の運動として大きく前進している。
一九八五年十一月に開催された日本共産党第十七回大会の決議には、「世界のいかなる民族もみずからの意思で、自分の運命を決める権利をもつという民族自決権の原則は、世界平和と社会進歩の重要な柱の一つをなしている」と明記されている。このように今日、民族自決権への侵害は、平和をおびやかすものとなっており、民族自決権の擁護は、世界平和の不可欠の要件となっている。またそれは諸国人民、諸民族間の同権、平等、友好関係、さらに相互協力のあり方の基礎にもなるものであり、政治的独立を勝ちとった発展途上国の経済的自立、新植民地主義に反対し、新しい国際秩序を求める社会進歩の課題としてあらわされている。今日、帝国主義および覇権主義の干渉、介入に反対するたたかいがいっそう重要であることは、唯一九八五年の第四十回国連総会で十一月二十九日採択された「諸国人民の自決権の普遍的実現」と題する決議が、「ますます多くの主権を有する諸国民と諸民族の自決権を抑圧する脅威をあたえているか、あるいはすでに抑圧している外国の軍事的干渉と占領の行為、もしくは脅威が継続していることを深く憂慮する」とのべていることにも明らかである。
この小論は、こうした今日の重要な時期における、つまり諸国人民と諸民族の自決権の擁護が普遍的な原則とされている今日の国際的潮流の中で、日本政府がこれにどのような態度をとっているのか、いかなる役割を果たしているかを、主として経済援助、経済進出の側面から若干の例によって見ることとしたい。
日本政府の自決権への基本的態度は、二つの点から見ることができる。その一つは、アメリカ帝国主義の世界戦略を基本とした対外政策の補完的、協力的役割を積極的に担っているという点であり、もう一つは、日本独占資本の帝国主義的、新植民地主義的対外進出を促進するという点である。もちろん、アメリカに従属する日米軍事同盟のもとで、日本自体、その主権が著しく侵されているが、その一方で日本が他民族にたいする主権侵害を、二つの点を相互に関連させて進めているのである。
アメリカ帝国主義が、ベトナムの民族自決権を侵し、武力による侵略戦争をおこなっていたとき、日本政府は、その侵略行為を弁護するにとどまらず、事実上、積極的に支援する立場をとった。ベトナム侵略戦争への米軍の発進、輸送、補給、修理など、日本はあらゆる側面で基地としての機能を果たした。アメリカの十数年間にわたるベトナム侵略行為にたいして、日本政府の積極的協力は、ベトナム民族にたいする自決権の侵害であったことは明らかである。その後もアメリカ帝国主義はアジアをはじめ全世界で軍事同盟を背景とした核戦略を積極的にすすめており、外国への核軍事基地、施設の設置や、建設、外国への軍隊の駐留など、他民族への武力による脅迫、威嚇をともなう、また武力行使を前提とする主権侵害行為をつづけているが、こうしたアメリカの行為に核基地化をはじめ積極的に協力、加担している日本政府の態度は、アメリカに従属しながら他民族に脅威を与え、さらに自決権侵害を推進するものである。
また、日本政府の「対外援助」政策自体が、アメリカの他民族支配を補完する面をもつものであるが、同時に日本独占資本の外国への経済権益を求める活動も、他民族の主権を侵害する内容をともなっていることを指摘しなければならない。
日本独占資本が、多国籍企業という形態で、あるいは直接的にすすめ対外経済進出は、アジアを中心としているが、それは、日本政府の対外経済援助の七〇%がASEAN諸国や韓国などアジアにたいするものとなっていることと深く関連している。とりわけ、一九七七年に大平首相(当時)が示した、環太平洋構想のもとで、日本のアジアへの経済進出は、いっそう加速的に進められてきた。
一九八〇年以降、レーガン政権の登場で、アメリカの対外援助政策の性格は大きく変わってきた。同政権のもとでアメリカの対外援助は、第一に、いわゆる〝友好諸国への援助〟が中心となり、選別的な援助政策が進められた。援助対象国を〝友好国〟〝非友好国〟に分け、〝友好国〟を中心に援助を行おうというものである。第二に、国際機構を通じての対外援助を削減し、二国間の対外援助を促進するというものになった。これは、その援助対象国により大きな影響を及ぼすことができる性格の援助に変化させたことを意味する。第三は、開発のための経済援助でなく、〝安全保障〟を内容とする、軍事援助に重点がおかれたという変化である。
このように変化したアメリカの対外援助政策の進行は、当然、日本政府にも、新しい立場からの対応が強力に求められた。いわゆる「世界的な安全保障上の見地からの同盟国への役割分担」である。レーガン政権のこうした要請をふまえて日本政府は、一九八〇年代当初からわが国の経済援助のあり方を大きく変化させた。
それまで、日本政府の対外援助政策の基準の一つは、対象国の選定をする場合、相手国のGNP(国民総生産)を基準として、有償の資金協力は、対象国が国民一人当たりのGNP干ドル以下の国に、また、無償の資金協力は、対象国がGNP一人当六百五十ドル以下としていた。同時に、日本の対外援助は、紛争当事国にたいし、その紛争を助長するが如き経済・技術協力は行わないとした国会決議に反しない、というものであった。ところがレーガン政権の世界戦略を積極的にすすめる見地からの対外援助政策と選別に協力し、それを補完するため、こうした基準は障害となるとして、一九八一年以降、従来のありかたを改め、アメリカの戦略的重点国に対応し、アメリカの要請に応える、という方向に変化していった。こうした対外援助政策の変化は、これまでより以上に他民族の主権を侵害し、アメリカの軍事的な戦略および経済権益を擁護する政策を補完する面が一層強化されるものとなった。
安倍外相は、一九八四年九月、サンゼルスの南カリフォルニア日米関係六団体主催の晩餐会の席上で、「太平洋の夢を求めて」と題する演説をおこなったが、その中で、日米両国が世界の平和と繁栄を目指すなどの目的を共有していると強調した。さらに日米の立場のちがいのゆえに役割は異なるといいつつも、日米両国関係の基調が、「相互補完」にあると強調した。
中曽根内閣が登場したとき、日米関係が運命共同体にある、という主張をおこなった事を引用するまでもなく、この補完関係は、アメリカの他民族の自決権を侵害する帝国主義的な対外進出への補完であるということはいうまでもない。この点は、一九八五年五月二十八日、参議院外務委員会で、私がおこなった質問にたいする安倍外相の答弁でも明確にされた。私がアメリカの戦略的な援助を補完するということについての安倍外相の認識をしたのにたいし、安倍外相は、日本は日本の立場にもとづきやっているといいながらも、つぎのようにのべた。
「日米で補完的なところがあるというのは、たしかにアジアなんかについては、アメリカはアメリカでやっぱりもっと戦略的な立場もあるでしょうから、いろいろと二国間を中心にして、相当な、アメリカ自身の立場からの援助をやっておるわけですから、なかなかアジアなんかには手が届かなくなってきている。そういうものはやっぱり日本が、アジアの一国としてやっていかなければなりませんし、そういう意味での相互補完ということはいえると思います」
もちろんアメリカの対外援助にたいする日本政府の補完的な役割は、アジアにとどまらない。さきに指摘したように、アメリカの戦略としての対外援助政策が、中東、中米に比重をおく状況の中で、アメリカの手の及ばないアジアを補完するのみではなく、中東、中米にも、この間、補完的な役割がより進められている。
一九八三年三月二十二日、アメリカの下院歳出委員会軍事建設小委員会で米陸軍ケグイン・マホイン少佐は、「日本はこの五年間に対外経済援助を二倍にし、つぎの五年間にもそうする意図を明らかにしている。われわれの勧告に応えて、日本は、ソ連のアフガニスタン侵攻後エジプト、ソマリア、トルコ、パキスタンにたいし、それぞれ一億以上、経済援助を増額した」と証言している。またステッセル米元国務次官補も、「日本はカリブ海地域のイニシアチブにたいするわれわれの政策への支持を表明してきた」と証言している。
この中東、中米への日本の補完的、協力的な役割は明確であり、中米、中東における紛争当事国への援助という点から見ても、かつての国会決議が完全にじゅうりんされているということは明らかである。
こうした見地からつぎに具体的な内容を見てみよう。
マルコス独裁政権の崩壊をひきおこしたフィリピンの事態は、今日の国際情勢のなかで重要な意味をもつものだが、フィリピンにたいするアメリカの政策は、アジアにおけるフィリピンの戦略的な位置づけから、レーガン米大統領の言明でもあきらかなように、フィリピン国内にアメリカが持つ二つの軍事基地、クラーク空軍基地とスピック海軍基地の安定した維持を至上命令とするものである。スペインとそれにつづくアメリカのフィリピン支配、日本の侵略とその敗北のあと、一九四六年独立したものの、アメリカは事実上フィリピンを従属的な地位においてきた。日本の対フィリピン経済援助はマルコス政権成立後の一九六九年以来今日まで十二次にわたり、現在十三次の借款交渉が進行中であった。十二次に至る円借款の総額は四千百七十億円。日本はフィリピンへの最大の援助国となっている。一九八三年、アキノ元上院議員暗殺事件のあと、フィリピンはより深刻な経済危機に陥ったが、マルコス独裁政権の要請に応えて、われわれの強い反対にもかかわらず、新たに、四百九十五億円の借款供与を決定した。一方、フィリピンへの貿易、投資の面でも、日本は国際的に一、二位を争う状況にある。
このような日本の経済援助が、アメリカの戦略を補完する援助を担ってきたということは明白である。とくにベトナム侵略戦争でアメリカが敗退して以後、フィリピンの米軍基地は、アメリカにとっていっそう重要な意味をもち、さらにニュージーランドが、アメリカの核積載可能艦船の寄港を拒否して、南太平洋の軍事条約機構であるアンザス条約(米、オーストラリア、ニュージーランドが加盟)が事実上機能できない状況にある現在、より一層重要になっている。したがってアメリカの要請にこたえて八〇年代、日本のフィリピン援助が急増したのである。日本のこうした〝援助〟にたいして、フィリピンの独裁政権反対勢力は一致して、「日本政府のフィリピン援助はマルコス独裁政権の延命を助ける以外、何の利益もフィリピン国民にもたらさない」と、厳しい批判をしてきた。今日、マルコス独裁政権が崩壊に追い込まれたこと自体が、日本政府と、これまでフィリピン国民の主権を侵害してきたアメリカとの共同責任が厳しく問われなければならない問題の表れである。
さらに指摘しなければならないのは、韓国にたいする日本政府の態度である。アメリカはアジア戦略推進のために米、日、韓軍事体制を促進し、日韓関係の強化、とりわけ日本の韓国にたいする援助を要求してきた。これは日韓基本条約締結の経過や、その後の日本の対韓援助の強化などに示されている。とくに八〇年代に入って韓国にたいする援助の増額を要求するアメリカからの声は急速に高まった。一九八〇年十一月二十四日、いずれも防衛庁長官の経験者である坂田道太、三原朝雄、金丸信の三氏らと米ブラウン国防長官、コマー国防次官(いずれも当時)の会見の中で、アメリカ側から韓国への支援強化の要請がなされた。さらに一九八一年の日韓閣僚会議では、その後の援助を進めていく日本側の姿勢がしめされた。その共同新聞発表では、「日本側閣僚は現下の厳しい情勢下において韓国の防衛努力が朝鮮半島の勢力均衡に寄与していることを高く評価した」と述べている。このような韓国の防衛努力を高く評価する共同新聞発表がなされたのは、これがはじめてである。これまで外国との共同文書の中で外国の防衛努力をどういう形にしろ評価するという文言が入ったことはない。それまで日本とアメリカとの間で「韓国の安全は日米の安全にとって緊要である」ということがたびたび述べられてきたが、こうした文言がはじめて韓国との共同文書に入れられたことは、これからの韓国にたいする援助を「安全保障」問題の一環として促進することを示すものとして重要な意味を持つものであった。
その後、知られているように四十億ドル援助が問題になった。これは韓国が八一年に提出した第五次経済社会発展五ヵ年計画なるものの促進を理由としていたが、この五ヵ年計画の基本目標の一番最初に「自主国家安保能力のレベルアップ」が提起されており、日本の援助が、どのように強弁しようとも「安保」がらみであることは否定できない。
このような政府間対韓援助とあわせ、民間レベルでも同様な事態が促進された。韓国では防衛産業振興会が一九七六年に設立された。これは韓国国防部長官の認可を受けて設立されたもので軍需企業および研究機関を経営する者で構成するとなっている。
この振興会の役員としてくわわっている企業は軍需指定工場であり、韓国政府の指示のもとで武器の製造にあたっている。ところが、これらの企業に協力している日本企業は四十社にのぼる。明確な軍需指定企業にたいして日本の民間企業が技術的あるいは資金面で協力することは、武器輸出三原則にたいしても、また日本政府自身が国際紛争を促進するようなことは行わないとくり返してきた言明にもまったく反するものである。しかも今日、韓国がアジアの兵器廠になっていることが指摘されている。日本の民間企業の協力が韓国の武器輸出の促進要因になっているということは明らかといわなければならない。南北朝鮮が分断されている状況のもとで、また軍事独裁政権である韓国、アジアの兵器廠としての役割を果たしている韓国へのかかる日本の協力は重大な問題である。
つぎに今日の焦点になっている中米の事態をみてみよう。一九七九年、中米カリブ海地域では、グレナダ、ニカラグアで革命的な政権が樹立され、またエルサルバドルでは圧制からの解放を求める運動が前進するなど、大きな進展がみられた。アメリカは自国の裏庭と見なして、これまでも各国の民族自決権を侵害しその支配を維持してきた中米カリブ海地域での、こうした事態を黙認せず、これら政府への攻撃を強めた。
こうしたレーガンの中南米政策〝強化〟と歩調を合わせて日本の中南米外交、経済援助が強化された。さきに引用したステッセル元国務次官補らの証言のほか、一九八二年二月、米国務省はその報告の中で、このカリブ海および中米の問題にかんしてつぎのように述べている。
「この地域における日本の政策はわれわれの政策を補完している。……ジャマイカへの日本の一千万ドルの借款は、われわれが戦略的関心をもっているこの地域での経済発展への貢献、米国との協力の意思を反映したものである」
中南米地域でのアメリカの要望にこたえた日本政府の経済援助政策のみではなく、日本独占資本や大企業による中南米地域への進出も顕著になっている。中南米向けの投資は年年増額し、海外直接投資総額の中で一九八二年度中南米向けの投資は一九・五%を占め、対アジア向けを抜き、対北米向けについで第二位の地位を占めるに至った。さらには一九八三年度には、前年度比二四・九%も上回り、投資全体でのシェアも二三・一%に増えている。しかし、アメリカの侵略とたたかうニカラグアへの日本の政府援助、経済関係は極端に減少した。
中米カリブ海、さらに南米にたいするこうした状況は、ただ単なる経済的な補完の意味にとどまらず、アメリカの中米カリブ海への進攻を積極的に助けるという役割を担ってきた。一九八三年、アメリカはホンジュラスにたいする援助を強化し、ニカラグア、ホンジュラス国境地域での武力攻撃をいっそう強化した。こうした事態にたいして、日本政府は、「アメリカの行動はエルサルバドルのゲリラにたいしてニカラグアからおこなわれている軍事援助を禁ずるための措置」で、日本政府は理解するとの弁明をおこなっている。しかも国会で、安倍外相は、「中米地域で民主的な自主的な政府ができることが一番正しいことだ」と主張したが、これはアメリカが容認する政権の存在という意味であることは明白である。さらに一九八三年十月、米軍はグレナダに進攻するとい明白な侵略行為にでたが、このとき中曽根首相は、「遺憾だがアメリカの事情は理解できる」と言明、しかも「アメリカ政府の説明にある事実関係を前提とする限り米国の行動は国際法上合法」であると強弁した。また、一九八四年四月、レーガン政権がおこなったニカラグア沿岸の機雷封鎖という重大な国際法違反の行為にたいしても、その事実が明確になっているにもかかわらず、日本政府は「真相が明らかになっていない」との口実で、〝一般的な懸念〟を表明するだけで、お茶をにごすという立場をとり、他の欧米諸国がアメリカ政府にたいして積極的に「遺憾の意」を表明している態度と比べても、大きな差を示した。
つづいて、一九八五年五月、レーガン政権がニカラグアにたいする貿易禁止を含む経済制裁措置をとった。西欧諸国はこれに反対の姿勢を示したが、同年五月十六日、参議院外務委員会で安倍外相は、こうした経済制裁措置が「国際法違反だとか何とかいうようなことにつながっていくと私は思いません」と述べ、また「経緯については、それはそれなりの理由があると思うし、それはアメリカの言い分としては理解できる」とくり返し強弁するという態度をとった。ニカラグアでは、旧ソモサ独裁政権に反対するニカラグア人民が自らの政権を確立し、その後、民主的に行われた総選挙によって新政権がニカラグア人民の意思を代表することが、明白になったにもかかわらず、これを無視して軍事介入や経済封鎖を進めていることは、気にくわない政府にたいしては、あらゆる手段を講じて干渉政策をすすめ、正当な政府の転覆まで目指すという他民族の自決権にたいする重大な侵害である。日本政府は以上述べたように一貫してこれを積極的に擁護し協力するという立場をとっていることは、中米カリブ海地域における日本政府の他民族にたいする主権侵害を明白に示すものといえよう。
南米においても、チリで選挙で成立したアジェンデ政権にたいし一九七三年、アメリカが介入し、クーデターをおこしてピノチェト独裁政権をうちたてた時も、クーデター後一ヵ月足らずで日本は独裁政権を承認し、ピノチェト政権に経済援助をおこなった。さらにその後ピノチェト政権の人権弾圧を非難する国連決議にも日本政府は棄権するなどの態度をとったこともきびしく非難をされなければならない。
外務省が、一九八四年二月七日、第十回総合安全保障関係閣僚会議に提出した資料の中ではつぎのように述べている。
「安倍外務大臣の今次訪米の際の米側要人との会談等においては、米側より中米カリブに対するわが国の援助拡充への期待が表明され、安倍外務大臣より、日本として今後ともわが国の援助の枠組みの中でできるだけの拡充の努力をおこなっていく考え方を表明した」
これは日本政府が今日、依然としてアメリカの要請にこたえて中米カリブ海におけるアメリカの干渉政策へ協力する態度を取りつづけていくことを示している。
中東においては、依然としてパレスチナ問題が、重要な焦点になっている。最近の状況でもアメリカは、いわゆる「中東和平構想」なるものを提起するなど依然としてパレスチナ人民の自決権をみとめず、中東の支配を維持し強めていく足場を作ろうと画策を進めている。中東にたいするアメリカの支配を補完し、それに協力する積極的な役割を果たしてきたのが日本である。
一九七八年、キャンプ・デービッドにおいて、アメリカはエジプトを引き込み、パレスチナ人民の自決権にかかわる問題を、当事者であるPLO(パレスチナ解放機構)抜きで「解決」しようと画策をした。アメリカはパレスチナ問題のみでなく中東でのイラン革命、レバノン紛争、イラン・イラク戦争などにたいしても力の政策を背景にアメリカに協力する政権をテコとして支配維持の画策を繰り返し強めていた。アメリカは中東・ペルシャ湾を「死活の利益にかかわる地域」と、繰り返し強調しているが、一九七八年、福田総理(当時)が革命で追放される前のパーレビ国王が支配するイランを訪問し、ペルシャ湾について「日本の生命線」であると述べて、アメリカとの同一歩調を表明した。この言明はかつて中国を侵略した時に、満州(中国東北部)を「日本の生命線」とのべた日本軍国主義者の主張を想起させるものである。その後、イラン革命がおこり、アメリカの中東支配が大きく揺さぶられるという状況の中で、一九八〇年一月におこなわれた、当時の大平首相の施策方針演説の中では、中近東にたいするアメリカの政策にあくまでも追随加担するという方向で、「わが国にとって犠牲を伴うものであっても、それを避けてはならない」と表明、中近東の支配を維持しようとするアメリカに、日本が積極的に協力する態度を表明した。
さらに一九八一年五月、当時の鈴木首相が訪米し、レーガン大統領と会談、その共同声明の中で、つぎのように述べられていることも同様の意味を持っている。
「首相と大統領は、中近東、なかんずく湾岸地域の平和と安全の維持が、全世界の平和と安全にとりきわめて重要であることを確認した。両者は、同地域の安全が脆弱な状況にあることに直面しての、米国の確固努力が、安定を回復することに貢献していること、及びそれにより、日本を含む多くの諸国が裨益していることにつき意見の一致をみた。両者はまた、同地域の安全を強化するために、包括的中東和平達成のための過程がさらに促進されるべきことについて意見の一致をみた」
アメリカはペルシャ湾をアメリカの死活的利益にかかわる地域として、ことあるごとに繰り返し中東・ペルシャ湾に軍事基地、艦隊を増強し、中東諸国への威圧を加えつつ、この地域の主権を侵害してきた。この行為を、「日本を含む多くの諸国が裨益している」と弁護し、その促進をはかる態度に日本の追随加担ぶりを明確にみることができよう。
さらに、一九八三年、日本政府はアメリカにたいして、レバノンに駐留している「国際監視軍」一個大隊分の派遣費用として、年間二千万支出する用意があることを表明した。アメリカがレバノン紛争介入の政策を進めてきたことは明白であり、国際監視軍という形態を取りつつも、これがアメリカの中東支配の道具であったことは、事実が物語っている。この派遣費用分担問題も、中曽根・レーガン会談や、安倍外相とシュルツ国務長官の協議の中で問題にされてきたもので、日本が国際紛争をめぐる監視軍に直接的に資金を提供するのは、これが初めてであった。日本政府は、日本が中東平和の実現に向けて支払うもの、と説明しているが、アメリカの中東政策をみるならば、これが自決権を侵害するアメリカの支配行為を助けるものであることは明らかである。
さらに重要なことは、日本の沖縄が、中東にたいする緊急兵力投入基地にまでされていることである。一九八三年二月十七日、バーロベー海兵隊総司令官は、米下院軍事委員会の公聴会で証言し、沖縄駐留の第三海兵師団は「極東における軍事プレゼンスを提供しているだけでなく、南西アジア(中東)への緊急兵力投入や増強に活用される」と述べて、同師団が中東への緊急投入軍であることを公式に認めた。このように日本が、アメリカの中東侵略基地にされていることは、民族自決権の重大な侵害を支えるものである。
さらにアメリカは一九八〇年代、ケニア、ソマリア、オマーンなどで米軍基地の建設や拡張をおこなったが、それと同時期に、日本がこれらの地域・国に、積極的に経済援助を拡大したことも注目される。とりわけオマーンは、ペルシャ湾の入口にあたる国であり、日本はそれまでまったくしていなかった経済援助を、アメリカの要請によって八〇年代に開始している。もちろんこれが、アメリカのペルシャ湾重視の立場を助け、同時に中東地域に石油の多くを依存している日本独占資本の利益にもかかわりがあることはいうまでもない。
アフリカにおいて強調されなければならないことは、南ア問題である。南アフリカのボタ政権は、アパルトヘイト、いわゆる人種隔離体制、白人と非白人を厳格に差別する極めて非人道的な法体制を保持して、少数の白人による多数の黒人への支配をつづけている。これに反対する黒人の闘争は広がりつつあるが、ボタ政権は、黒人の闘争を武力弾圧するのみにとどまらず、周辺諸国にたいしても、武力攻撃をおこなっている。またかつてドイツの植民地で南西アフリカとよばれ、第一次大戦後、南アの国際連盟委任統治とされたナミビアを、国連決議に違反して今日も依然として一方的に支配を続けている。このアパルトヘイに反対する南アの黒人の闘争をはじめアフリカ諸国民の反対闘争や、世界の厳しい非難の中でアメリカは若干の措置をとらざるをえなくなっているものの、根本的には南アやナミビアにおけるみずからの経済的な権益を守るために、アパルトヘイト政権を実質的に支える役割を果たし、人民の自決の権利にたいし、挑戦的な態度をとっている。
いまや百ヵ国を数え、世界の大勢となっている非同盟諸国は南アへの強制的な経済制裁を主張しているが、日本政府はアメリカに追随して、これに反対し続け、依然として経済関係を維持し続けている。日本の大銀行は外国銀行と共同し、あるいは日本の銀行が外国に設立している金融機関、日商証券インターナショナル、野村証券インターナショナルなど十四社にのぼる現地法人、という形をとった日本の銀行が南アフリカに、国連の決議を無視して融資、投資をおこなってきた。
さらに日本政府が全額資本金を出して海外で輸出入を振興するための日本貿易振興会(ジェトロ)は南アフリカのヨハネスブルグに事務所を設置している。ジェトロは日本の準政府機関であり、しかも貿易を促進する任務を持っている。こうした事務所が、ヨハネスブルグに設置されているということ自体、南アとの経済関係を禁ずる国連決議に違反し南アとの経済関係を厳しく非難する国際世論に敵対するものである。
このため、日本は南アフリカの軍事占領下にあるナミビアからの鉱物資源の輸入問題や、南アフリカへの直接投資の問題など、国連の舞台で名指しで非難されている。こうした日本の行為はアメリカとともに南アのアパルトヘイト政権を支えて、南アにおける人民の自決の権利を侵害するものである。
現在、中曽根内閣は、表面的には南アにたいする一定の措置を講じるなどの態度をとらざるをえなくなっているが、現実には経済関係を依然として維持しており、こうした態度は厳しく非難されなければならない。
また、今日、西サハラ領域を依然として侵しているモロッコに反対して、西サハラのポリサリオ戦線を中心とする西サハラ人民が、闘争をつづけているが、この西サハラの主権侵害に反対する解放闘争にたいしても日本政府は、アメリカと同様、サハラ・アラブ民主共和国を承認せず、西サハラの人民の自決権に反対する態度をとりつづけている。とくに、日本はモロッコ政府と協定をむすび、モロッコが侵入、占拠している地域の西サハラ領海に日本の大企業が漁船をおくり、漁業をおこなっている。こうした問題も、日本政府の他民族の主権侵犯であり、自らの経済権益を優先させ、民族主権の侵犯者と協力している姿を世界に示しているものである。
以上いくつかの例で述べたように、日本政府は、アメリカの他民族の主権、自決権を侵害している対外政策を、積極的に補完し、それに協力するという立場をとるとともに、アメリカに従属した日本の独占資本の対外進出による経済権益活動が他民族の人民の利益を犯し、自決権、主権にたいする重大な影響を与えている事態を、促進していることを明確に示している。この点について第十七回日本共産党大会での決議は、つぎのように指摘している。
「世界全体で、一兆ドルをこえるにいたったぼう大な軍事支出と開発途上諸国に対する新旧植民地主義の搾取・収奪の歴史的累積が、これらの経済的困難の根源をなしていることである。対米従属下の帝国主義的、新植民地主義的対外進出の道に乗り出した日本独占資本も、その責任をまぬがれることはできない」
このような日本政府の姿勢が国際舞台でよりいっそう明確にされたのが、一九八五年の第四十回国連総会における日本政府の自決権にかかわる諸決議への態度である。
一九六〇年、国連総会で「植民地諸国・植民地諸国人民への独立付与宣言」が採択された。この宣言は、まだ独立を達成していないすべての地域において、完全な独立と自由を受けるようにするために、全権力をこれらの地域の住民に委譲するための措置が述べられている。この宣言が採択されてから二十五年目にあたる昨年の第四十回国連総会ではこの宣言で述べられた自決と独立の原則の適用状況が検討され、つぎの二つの決議が採択された。
すなわち、「植民地諸国・植民地諸国人民への独立付与宣言の二十五周年」(四〇-五六)が賛成一三九、反対〇、棄権一三で、また「植民地諸国・植民地諸国人民への独立付与宣言の履行」(四〇-五七)が、賛成一四七、反対三(イスラエル、イギリス、アメリカ)、棄権七で採択された。日本は、いずれの決議にも棄権している。
これらの決議では、諸国民と民族の自決権の原則が適用され、前進している面が指摘されると同時に、他方では、それを妨げている要因にも焦点が当てられた。その妨害要因の一つは、植民地支配の継続から利益を得ている外国の、経済的な権益であり、もう一つは植民地保有諸国の軍事基地、軍事施設の存在があげられている。この点については、第四十回国連総会で、「ナミビアおよび植民地支配下の他のすべての領土における植民地諸国・植民地諸国人民への独立付与宣言の履行と南部アフリカにおける植民地主義、アパルトヘイト、人種差別を根絶する努力を阻害している外国の経済および他の権益の活動」と題する決議(四〇-五二)が賛成一二五、反対九、棄権一六で、採択されているが、アメリカは反対、日本政府は棄権している。
またこのほか、国連総会では、自決権を抑圧する脅威にさらされているか、あるいはすでに抑圧されていていることを指摘し、諸民族と諸国民の自決権にかかわる課題を取り上げた決議が採択されている。すなわち、コンセンサスで採択された「諸国人民の自決権の普遍的実現」の決議(四〇-二四)とともに「人権の効果的な保障と順守のための諸国人民の自決権の普遍的実現と植民地諸国・植民地諸国人民への速やかな独立付与の重要性」(四〇-二五)の決議が採択された。「普遍的実現」の中では、具体的な例はまったくあげられていないが、この「重要性」の決議では、一般的な自決権の重要性を取り上げただけではなく、その具体的な適用について触れられている。ナミビア問題、パレスチナ問題、南アフリカ問題や、レソト、ボツワナ問題、西サハラ問題、コモロ問題など具体的な問題をあげて、自決権の重要性、その促進を要求した決議となっている。
この日本政府はこの具体的な自決権の適用に触れた決議に棄権した。この決議は賛成一〇八、反対一七、棄権九で採択されたが、日本政府の態度は、具体的な民族自決権の適用について、日本政府のとっている否定的態度を示したものである。
一連の重要な国際問題にかんする決議のなかでも、自決権擁護の課題が取り上げられている。すなわち「ニカラグアにたいする禁輸」の決議(四〇-一一八)は、ニカラグアおよび同地域諸国は、自己の政治的、経済的、社会的体制を自由に決定し、外部からの干渉や転覆、直接であると間接であるとを問わずいかな強制も威圧も受けることなく、自国人民の利益にもとづき、それぞれの国際関係を発展させる、主権的かつ不可譲の権利を有することを再確認する、ということを内容とし、ニカラグアにたいする最近の貿易封鎖、その他の措置を遺憾として、その即時撤廃を要請することを内容としたものであるが、日本政府はこれにも棄権し、アメリカは、反対した。これは賛成九一、反対六、棄権四九で可決された。
中東情勢の決議(四〇-六八A)はパレスチナ問題が中東紛争の核心であり、包括的、公正かつ永続的な中東和平は、パレスチナ人民の民族的諸権利の完全な行使なくしては達成されないこと、すべてのパレスチナおよびアラブ占領地からのイスラエルの即時、無条件の完全撤退なくしては達成されないとの再確認を内容とする決議だが、これにたいしては、日本政府は棄権、アメリカは反対している。この決議は賛成九八、反対一九、棄権三一で成立した。さらに同様の趣旨を内容としつつ、イスラエルを厳しく非難した「中東情勢」(四〇-六八B)は、アメリカとともに日本も反対投票した。
「南アフリカの人種主義政権にたいする包括的制裁」(四〇-六四A)決議も、日本政府はアメリカとともに反対投票したが、この決議は、アパルトヘイトは人類にたいする犯罪である、と厳しく非難して、南ア人民が自決権を行使し、民主的で統一した人種差別のない南アフリカの実現、およびすべての人民が自己の将来の決定に、自由に参加できるようにするための闘争にたいする支持を再確認する、などを内容とし、南ア政権にたいする包括的な強制的制裁を求めた決議である。
この決議は賛成一二二、反対一八、棄権一四であった。
このように民族自決権、主権の確立、擁護にかんする重要な一連の具体的な決議が、第四十回国連総会で提出され、その多くが賛成多数で採択されている状況のなかで、日本政府はそのほとんどに反対、もしくは棄権という態度をとった。
もっとも日本政府はアフガニスタンにおける人権および基本的自由の問題の決議(四〇-一三七)にアメリカとともに賛成をしている(評決は賛成八〇、反対二二、棄権四〇)。この問題に賛成するのは当然だとしても、日本政府が、自決権擁護の立場からではなく、以上みてきたように、アメリカに追随する姿勢からの賛成であることは明白である。これは、中国がかつてベトナムを侵略した一九七九年二月に日本政府は中国を非難することなく、事実上これを黙認し、あるいは弁護する立場をとったことが想起される。このときは、アメリカが中国と国交を回復し、日本が中国との関係を持ったときであり、中国による他民族の主権にたいする重大な武力侵害に反対しなかったことにも、日本政府が民族自決権擁護の立場に立っていないことをしめしている。
日本共産党は、近くおこなわれる参議院選挙の政策の中で、明確に指摘しているように、中曽根内閣の罪悪の重要な一つは、西欧諸国からも強い批判の声があがっているレーガン政権のグレナダ侵略、ニカラグアへの軍事干渉や経済封鎖を積極的に支持するなど、民族自決権の侵害を公然と擁護したことである。世界の平和を守る根本は、各国の主権を犯さず、民族自決権を完全に擁護することにある。第二次大戦で日本は、中国をはじめアジア・太平洋諸国の主権を侵害し、侵略戦争をおこない、戦後は、日米軍事同盟によって日本の主権を著しく侵害されている。第二次大戦での侵略国であり、戦後は主権を犯されている国だからこそ、日本は主権擁護、民族自決権擁護の先頭に立つべきである。それにもかかわらず、中曽根自民党内閣が、レーガン政権の主権侵害を公然と擁護していることは、絶対に許せない。
今日の、民族自決権擁護の確立と擁護は、国際的に認められた普遍的原則である。自民党政府がアメリカに追随して、いかにこの潮流に反対する態度をとり続けてきたかは、明白である。日本共産党は、核戦争阻止、核兵器完全廃絶と、民族自決擁護を国際的な重要な任務の二つの柱として強調しており、日本政府のかかる民族自決権と主権の侵害の行為にたいして、断固として反対し、こうした政治を変えるためにも、いっそうの奮闘が求められている。
編集者注:この論文の参考資料(第40回国連総会における自決権にかんする決議の評決一覧)は割愛した。