同志片山潜の革命的遺業の達成のために闘え!

 

 同志片山潜、突然の訃報は、全日本の否全世界の勤労大衆の心臓を鋭く打った。
 同志片山の七十四年の生涯は、一貫して全日本の否全世界の被圧迫民族の解放に捧げられた。国際プロレタリアートは、同志片山の死によって全世界の被圧迫大衆に最も古い最も偉大なる指導者の一人を失った。
 戦争と革命との第二の周期への移行を完了しつある今日、特に日本帝国主義のソヴェート同盟干渉の開始が現在の危険となっている秋、同志片山の如き強力にして練達せる革命的指導者、一貫せる反戦闘争の士を失うことは、ただに日本プロレタリアートにとってばかりでなく、全世界の被圧迫民衆にとって償い難い損失である。
 然しながら、偉大なる革命家、共産主義者としての同志片山の闘争の成果、革命的指導は、その死によって断じて消えるものではない。それは日本プロレタリアートの革命的エネルギーの成長のうちに、日本共産党始め日本に於ける革命的大衆組織の強大化しつつある指導力のうちに、更に中国共産党、南北アメリカの共産主義運動の革命的伝統のうちに、そして何よりもコミンテルンの強力なる国際的指導への積極的寄与のうちに力強く生き残って居り、生長している。
 この故にこそ日本の支配階級とその弁護者共も、すべての国の支配者共が偉大なる革命家の死後そうするように、彼の生前にはあらゆる迫害追及を加えながら、一度同志片山の死に接するや、彼が恰もブルジョア地主的天皇制下の日本への帰国を欲して居り、日本の革命的大衆とは直接無関係の存在であったかの如く見せかけようとし、その死と共に日本の勤労大衆の間に於ける彼の革命的影響力をも抹殺しようとしているのだ。荒畑は同志片山の功を『日本に最初に、幼稚ではあるが労働組合を持って来た事』に限り、山川はかれが二十年も日本にいないから日本の運動には無関係だとデマリ、安部は単に頑固なるまでに意志強き正直者として片付けることによって、各々日本帝国主義者共のかかる陋劣なる意図に迎合し、協力している。同志片山は、単に日本労働組合運動の創始者であるばかりでなく、終始一貫して日本プロレタリア運動の最も積極的な、最も偉大なる革命的指導者であった。日本プロレタリア運動の革命的闘争は、何人によってよりもより多く同志片山によって直接指導され、擁護され、発展せしめられてきた。日清戦争後の資本主義的発達と共に成長せる労働者階級を最初に自主的労働組合に組織化し、資本家に対するストライキ闘争に決起さす具体的指導を行ったのは、実に同志片山であった。自由党改進党等が専制的天皇制政府に対するブルジョア民主主義運動に於て既に全く無力化し、天皇制官僚軍閥伊藤、山縣らの走狗と化し、労働者農民の闘争を弾圧するための治安警察法の制定(一九〇〇年)に協力するに至った時、敢然としてプロレタリア前衛の結成のために『社会民主党』を組織した(一九〇一年)のも彼であった。
 この『社会民主党』は天皇制政府によって弾圧され、解散せしめられた。併しながら、同志片山は、全国各地に亘って社会主義の宣伝煽動をなし、プロレタリアートを啓蒙することを放棄しなかった。殊に日露戦争当時には、その全力を戦争反対の闘争に傾倒し、進んでアムステルダムの国際社会主義大会に出席し、そこに於て同志片山は、ロシア民主労働の指導者プレハノフとの固き握手のうちに交戦中の日露両国のプロレタリアートの緊密な結合を築き上げ、プロレタリアートの国際的連帯を身を以て実践した。
 日本のプロレタリア運動は同志片山によって初めて国際プロレタリア運動の緊密なる一環として発展せしめられ、日本プロレタリアの反戦闘争はこのプロレタリアの国際的連帯の精神の上に展開されるようになった。その後一貫して同志片山が、プロレタリア前衛の国際的統一のために一切の偏向、一切の裏切り、一切の解党主義に対して頑強に闘争したのは偶然でない。わが日本共産党が日本に於ける唯一のプロレタリア前衛党として、一九二二年国際共産党の日本支部として成立するに際しては、同志片山の努力に負う所が最も多いばかりでなく、その後党内に屡々(しばしば)発生した諸偏向に対する闘争には、常に同志片山がその最先頭に立っていた。震災後の反動の潮流に恐れた山川、荒畑一派の解党主義に対し、一九二六年、七年当時の福本主義のセクト的偏向に対し、浅野、水野一派より最近の佐野、鍋山、三田村一派に至る一連の敗北主義的プロバカートルのスパイ的裏切りに対する闘争に於いて、国際共産党の指導的同志としてのセン・片山の指導は、常に適切にして最も偉力あるものであった。
 片山の革命家としての、プロレタリア政治家としての偉大さは、彼が常に、日本から追放されて南北アメリカにおいても、ソヴェート同盟に亡命してから後においても、終始一貫大衆と共に、大衆の中にあって、而も大衆の先頭に立って闘争したと共に、マルクス・レーニンの如き偉大なる革命家がそうであるように、彼も大衆の革命的エネルギーとプロレタリア的創意とに信頼し、大衆闘争の具体的経験の中から強力なる革命的指導の方向を学びとることを忘れなかった点にある。日露戦争の反動の波に押し流されて、安部、堺、山川、荒畑の徒は売文業に逃避し、幸徳一派の無政府主義者は所謂大逆事件に終りをとげた間にあって、独り同志片山は小数の同志と共に労働者大衆の啓蒙指導を続け、一九一二年一月大逆事件後の最も凶暴化せる反動の真只中にあって、東京市電六千の従業員をゼネストに決起させ、勝利に導き、労働者の闘争に新たなる転換を与えることに成功した。支配階級と民主主義者共が日本に於ける大衆闘争の歴史の頁から抹殺せんとしているかの一九一八年の米騒動の、日本の革命運動に於ける画期的意義を明かにし、その経験を如何に摂取すべきかを日本のプロレタリアートに最初に而も剰す所なく指示した者は、実に国外この騒動の渦中から遠ざけられていたコミンテルンの指導的同志片山であった。国際共産党の指導が公式化したとホザク佐野、鍋山、三田村の徒は、米騒動の経験から何を学び、何を大衆に教えたか?
 日本のプロレタリア運動の父同志片山は死んだ。しかしながら同志片山の遺業は、国際共産党の指導の中に、日本共産党及び日本に於ける革命的努力の何物にも屈することなく伸びゆく闘争力の中に生きている。米と土地と自由のための勤労大衆の闘争を、帝国主義強盗戦争の反ソ干渉戦争反対、ブルジョア地主的天皇制打倒の闘争に結びつけて強力に展開せよ! それこそ、我等のセン・カタヤマの革命的遺業を継承し、それを成就する唯一の道である。
 かくて我々は断乎として誓う。
 我等はコミンテルンの旗の下に、同志片山の日本プロレタリアートに対する指導の結晶、三十二年テーゼの道を守り、これを歪曲せんとする一切の裏切者、あらゆる流派の社会フアシスト、佐野、鍋山一派のプロバカートルより、山川、荒畑一派の幇間(ほうかん)マルキストに無慈悲的に挑戦し、容赦なく断罪する。
 わが党は血に狂う天皇制テロルに抗し、党の大衆化、ボルシェヴィキ化を闘い取り、大衆的細胞の建設によって部落の大衆と結びつき、勤労大衆の圧倒的多数者を獲得し、人民革命を勝利的に準備するものである。
 一九三三年十一月九日

国際共産党日本支部
日本共産党中央委員会

――「赤旗」第百六十三号、一九三三、一一、二八――