日本共産党資料館

現代修正主義者の社会民主主義政党論

(『アカハタ』1964年8月2日)


一、マルクス・レーニン主義党と社会民主主義政党との同列視

 (一)労働者階級の党とはなにか

 (二)プロレタリア社会主義の党と小ブルジョア社会主義の党

二、現代修正主義の小ブルジョア社会主義への移行

三、統一戦線を破壊する右翼追随主義の理論

 (一)社会民主主義政党の社会的構成

 (二)統一戦線と社会民主主義政党

四、日本における続一戦線のための闘争と現代修正主義

 (一)日本における社会民主主義政党との統一戦線の諸条件

 (二)右翼社会民主主義と「二つの敵」

 (三)共産党の統一戦線政策

 (四)現代修正主義と反共分裂主義


 現在、資本主義諸国の労働者階級とその革命的前衛のまえには、「反動と侵略の主柱である資本主義独占体」(モスクワ声明)の支配に反対する人民の統一戦線、とくにアメリカ帝国主義の支配下にある国ぐにでは、アメリカ帝国主義と自国の独占資本の支配に反対する人民の強力で広大な統一戦線をつくりあげるという、巨大な革命的任務が提起されている。人民の統一戦線のためのこの闘争は、反動的党派にたいするたたかいのなかで、すべての民主的な党派の共同をかちとる課題と、切り離しがたく結びついている。そして、社会民主主義諸党が労働者階級と人民のあいだで大きな影響力をもっている発達した資本主義諸国では、共産党は、統一戦線のための闘争のきわめて重要な部分をなすものとして、社会民主主義政党およびその影響下の勤労者大衆との共同を一貫して重視している。

 わが党は、アメリカ帝国主義と日本の独占資本の支配に反対する人民の統一戦線、「労働者階級の指導のもとに、労働者、農民の同盟を基礎とし、そのまわりに勤労市民、知識人、婦人、青年、学生、中小企業家、平和と祖国を愛し民主主義をまもるすべての人びとを結集する」(日本共産党綱領)民族民主統一戦線のためにたたかいながら、その重要な一環として、日本における社会民主主義の主要な勢力である社会党との共同を実現するためにあらゆる努力をつくしてきた。

 わが党の第8回党大会政治報告は、日本人民の偉大な安保反対闘争を総括して、安保闘争が「日本における統一戦線の発展過程の具体的な一形態」として中央・地方の安保共闘組織をつくりだしたことを高く評価し、この共闘組織のなかで「共産党・社会党・労働組合などをふくむ民主勢力の共闘というかたち」ではあれ、共産党と社会党との事実上の共同が実現されていることを大いに重視するとともに、これを「両党間の直接の共同」にまで発展させる必要があることを強調している。さらに、政治報告は、社会党との共同の政策は、けっして一時的、便宜的な方策ではなくわが党の統一戦線政策の一貫した要素をなすものであるとして、つぎのように指摘している。

 「統一戦線は単に一時的な便宜的な措置ではなく、労働者階級と人民が敵を孤立させ、勝利をかちとるための欠くことのできない保障である」(第8回党大会政治報告)

 わが党は、このように、人民の統一戦線、さらに民主勢力の共同と団結を重視すればこそ、マルクス・レーニン主義の革命的原則に立った弾力性ある統一戦線の戦術をつくりあげ、発展させ、熟達し、効果的に適用することに努力し、人民の闘争と統一戦線の前進を妨害する民主勢力内部の分裂主義や両翼の偏向、すなわち右翼日和見主義と左翼冒険主義の偏向の克服に力を傾けてきた。第8回党大会政治報告が指摘しているように、警職法改悪反対闘争および安保闘争のなかでの統一戦線の偉大な前進も、アメリカ帝国主義との闘争を回避し、伝統的な反共セクト主義の立場から、共闘が真に民主的な基礎のうえに発展するのを妨げようとする右翼社会民主主義者や、安保闘争を「社会主義革命の突破口」などと評価して民主勢力の統一行動をやぶり一貫して極左冒険主義的な挑発行動を扇動したトロツキストにたいする、わが党のねばりづよい闘争と結びついていたのである。

 国際共産主義運動の綱領的文書であるモスクワ声明も、現在資本主義諸国においては、ブルジョア社会の基本的階級的矛盾である労資間の矛盾の激化とともに、帝国主義と独占資本の勢力と人民全階層との矛盾もはげしくなりつつあり、平和、独立、民主主義、生活向上の民族的民主主義的綱領のもとに、「労働者階級、農民、インテリゲンチア、都市の小中ブルジョアジー」などもっとも広範な住民各層を統一する客観的な条件がうまれていることを確認し、人民の統一戦線のための闘争がもっとも革命的な課題として日程にのぼっていることを強調するとともに、そのなかでの共産主義者と社会民主主義者との共同行動の重要性について、つぎのようにのべている。

 「共産主義者は、勤労者である社会民主主義者を、階級としては自分の兄弟と考えている。共産主義者はしばしばかれらとともに労働組合その他の団体で活動し、労働者階級と全人民の利益のための共同闘争をおこなっている」(モスクワ声明)

 そして、つづいて「労働運動の根本的な利益が強く要求していることは、つぎの諸課題達成のため、共産党と社会民主主義政党が一国内でも国際的にも共同行動をとることである」とのべて、共同行動のための差し迫った課題として、核兵器の製造、実験、使用の即時禁止、非核武装地帯の設置、外国軍事基地の撤去、植民地・従属国の民族解放運動への援助、民主主義の強化、勤労者の生活水準の向上、その他を指摘している。

 今日、わが国における統一戦線の発展にとってもっとも重大な問題の一つは、警職法改悪反対闘争や安保反対闘争などをつうじて大きく前進した、日本人民の反帝・反独占の統一行動の発展にたいして、米日支配層とこれに結びついた右翼社会民主主義者や反党修正主義者の一体となった攻撃がくわえられていることである。アメリカ帝国主義と日本の独占資本は、わが国を、「中国封じ込め」を軸とするアジア侵略政策のもっとも重要な拠点とみなし、対米従属のもとでの日本軍国主義、帝国主義の復活をめざして激しい攻撃を人民に集中している。

 こうした情勢が、日本人民の反帝・反独占の統一行動のいっそうの発展と前進、とくにその柱をなしてきた民主勢力の統一と団結のいっそうの強化を要求していることは、まったく疑問の余地がない。ところが情勢が民主勢力の統一と団結の強化をこれまで以上に要求しているまさにそのときに、社会民主主義的潮流内の反共主義的右翼分子は、春日庄次郎、内藤知周らの反党修正主義者集団やトロツキスト挑発者集団と結びついて、分裂主義の策動をますます露骨に展開しはじめたのである。最近では、志賀、鈴木らの売党修正主義分子も、この策動にくわわっている。かれらは、民主勢力の統一と団結の柱をなしてきた共産党、社会党、労働組合その他の民主団体のあいだの共闘を妨害し、発展しつつある日本人民の民族的民主主義的運動を社会党の排他的な指導のもとにおいて、アメリカ帝国主義と日本独占資本の二つの敵に反対してたたかう路線から人民の運動をそらせようとしている。そして原水爆禁止運動にもっとも集中的にあらわれているように、そのためには、統一的大衆運動を分裂させることもあえて辞さないという態度さえとっている。それは、各国人民の闘争によってその世界支配政策に手痛い打撃をこうむり孤立化の傾向を強めているアメリカ帝国主義者が、「二面政策」の強化によって局面の打開をはかろうとしていることにみごとに相呼応するものであり、とくに、日本で米日反動が協力しておしすすめている、いわゆる「ケネディ=ライシャワー路線」の新しい段階と、不可分に結びついたものである。

 もちろん、社会党・総評内で反共分裂主義的潮流が強化したからといって、それは社会党・総評をふくむ民主勢力の共同と団結をめざすわが党の基本方針をいささかも動揺させるものではない。こうした事態は、ただ社会党・総評をふくむ民主勢力の共同を人民の切実な要求にもとづいて実現するためにいっそう努力をつづける必要があること、そしてまた、まさにこの共同を実現するためにこそ、「団結に反対し団結をやぶる正しくない傾向とのたたかい」(日本共産党綱領)、右翼社会民主主義者や反党修正主義者、トロツキストなどの反共分裂主義者とのたたかいがますます重要になっていることを意味しているだけである。

 マルクス・レーニン主義党が、このような複雑な情勢のもとで、社会民主主義政党にたいする正しい統一戦線を確固として実行するためには、社会民主主義政党の政治的・階級的性格をいっそう正確に認識し、統一戦線政策を科学的な土台のうえにすえることが必要である。とくに、社会民主主義政党は複雑な構成と性格をもった政党であるだけに、われわれがこの政党の性格の評価において一面的な認識におちいれば、それは必ず統一戦線戦術における左右の逸脱を生みださざるをえない。

 この点でマルクス・レーニン主義者として無視できないのは、数年前から国際共産主義運動の内部の一部の人びとによって、いわゆる社会民主主義政党「再評価」論が提唱されはじめ、これがわが国でも、統一戦線を妨害し破壊する分裂主義の活動を合理化する「理論」として、反党修正主義者によって最大限に利用されていることである。

 この社会民主主義政党「再評価」論というのは、「社会民主主義政党との統一戦線」を口実にして、社会民主主義政党にたいするマルクス・レーニン主義的評価をくつがえし、社会民主主義政党を「労働者階級の党」あるいは「社会主義政党」として再評価すべきだとする議論である。この「再評価」論は本来、第一にマルクス・レーニン主義党と社会民主主義政党とを同列視し、統一戦線と革命の事業におけるマルクス・レーニン主義政党の指導的役割を事実上否認する点でも、第二に社会民主主義政党の小ブルジョア的動揺性やそのなかにふくまれている反共分裂主義的潮流の危険性に目をふさぎ、右翼追随主義の理論を基礎づけている点でも、「統一戦線」の名のもとに統一戦線を挫折させようとするものであり、帝国主義と独占資本に反対する人民の闘争の発展を妨げる現代修正主義の理論体系の一環をなすものである。

 社会民主主義政党「再評価」論のこの否定的な本質は、わが国の反党修正主義者の理論と行動のうちに、もっとも典型的な形で露呈されている。かれらは、社会民主主義政党「再評価」論から出発して、第一に、「共産党を排除しても、社会党の指導のもとでも社会主義革命を達成できる」などと称して、社会党内の右翼社会民主主義者の反共セクト主義を「社会主義革命」の名のもとに合理化してやり、第二に、共産党や民主勢力が「革新勢力の多数派」である日本社会党に追従することが「統一戦線」だなどと論じて、大衆運動や各種の共闘組織を社会党の排他的な指導下におこうとする一部右翼幹部の分裂主義を正当化してやり、第三に、「体質改善」による社会党の「マルクス主義革命政党」への改造をとなえて、自分たちの反共右翼社会民主主義者とのみにくい野合を「マルクス・レーニン主義」の名において合理化しようとしている。こうして、社会民主主義政党「再評価」論は、マルクス・レーニン主義党とその統一戦線政策にたいする攻撃の有力な武器の一つとなっているのである。

 社会民主主義政党「再評価」論が統一戦線を妨害し破壊する分裂主義の道具となっているのは、この理論の修正主義的本質からの必然的帰結であって、たんに日本だけに特有の現象ではない。現に社会民主主義政党「再評価」論をまっさきに提唱した現代修正主義の国際的潮流自身が、最近とくに真のマルクス・レーニン主義党にたいする攻撃を強化する一方で、世界平和運動、世界民主運動内で右翼社会民主主義的潮流に追随しこれと癒着する傾向を強めている。そしてこのことが民主勢力の国際的団結を弱める重要な要因となるとともに、日本の右翼社会民主主義者やこれと野合した反党修正主義者の分裂主義的活動を激励する役割をはたしているのである。

 1957年のモスクワ宣言と1960年のモスクワ声明は、一方で教条主義とセクト主義にたいする闘争の重要性を強調しながら、現在の事情のもとでは、国際共産主義運動にとっての主要な危険は、労働者階級の革命的なエネルギーをまひさせる現代修正主義であると指摘した。この指摘は、人民の統一戦線のための闘争にとっても、きわめて切実かつ重大な意義をもっている。現在、日本共産党のまえにはアメリカ帝国主義と日本独占資本の支配を打倒するために、社会民主主義政党、とりわけその影響下にある勤労大衆をふくめて、もっとも広範な人民の統一行動を組織し、反帝・反独占の統一戦線をつくりあげることが、中心的課題として提起されている。

 さまざまな複雑な情勢のもとで、この課題を成功的にはたすためにも、現代修正主義の社会民主主義政党「再評価」論を粉砕し、社会民主主義政党にたいする評価と態度をいっそう明確にし、マルクス・レーニン主義党の統一戦線政策の科学的な基礎を明らかにすることが、きわめて重要になってきているのである。このことは、日本だけでなく、発達した資本主義国で社会民主主義政党が比較的大きな政治的影響力をもっているところでは、とくに重視される必要のある課題である。

一、マルクス・レーニン主義党と社会民主主義政党との同列視

 社会民主主義政党の階級的・政治的性格の問題は、すでに、レーニンによってはっきりした解答があたえられている。レーニンは、社会民主主義政党を一般的には「小ブルジョア民主主義政党」として特徴づけ、さらにそのなかでも指導部が完全にブルジョアジーと癒着しブルジョア的政策を実行している党については、「ブルジョア政党」あるいは「ブルジョア的労働者党」とも呼んでいた。そしてこれまで、この規定が社会民主主義政党にたいするマルクス・レーニン主義的評価の一貫した基準とされてきた。

 「この二つの党〔エス・エルとメンシェビキ〕はいっしょに小ブルジョア民主主義派をなしているのであって、これが社会主義諸党のように自分で思いこみ、またそう名のっていることが誤りであるのは第二インタナショナルのすべての党のばあいと同じである」(『憲法制定議会の選挙とプロレタリアートの独裁』、邦訳レーニン全集30巻 252ページ、ゴシックは引用者、以下同じ)
 「〔イギリス〕労働党は、徹頭徹尾、ブルジョア政党である。というのは、同党は、労働者からなってはいるが、同党を指導しているのは反動家――まったくブルジョアジーの精神にたって行動している最悪の反動家――だからである」(『イギリス労働党への加入についての演説』、全集31巻 251~252ページ)
 「第二および第二半インタナショナルのすべてのブルジョア的および小ブルジョア的な労働者政党」(『ロシア共産党の戦術についての報告』、全集32巻 513~514ページ)

 現代修正主義者は、レーニンのこの規定を実情にあわないセクト的規定としてあっさりとなげすて、社会民主主義政党が現実に労働者階級に基盤をもち一定の「社会主義的」綱領をかかげている以上、これが「労働者階級の党」であり、「社会主義政党」であることを卒直に認めるべきだと主張する。

 さらに、わが国の反党修正主義者は、この「再評価」論を最後までおしすすめて、

 (1)労働者階級の単一前衛党という思想はすでに古くさくなった、

 (2)同じ労働者階級の内部にも、社会主義をめざすさまざまな傾向がうまれるし、複数の労働者階級の政党が存在しうる、

 (3)前衛とは「すぐれて機能的な概念」であって、さまざまな政党、組織、大衆団体までが、その組織の力量と性格におうじてそれぞれの「前衛機能」をはたしうる、

という「複数前衛」論の奇怪な体系をつくりあげた。この「複数前衛」論によると、社会民主主義政党はもちろん、反党修正主義者の小集団までが、「複数前衛」の一つとして、革命の指導において共産党と「対等で同格」の資格をもつわけである。

 だが、前衛党とは、そもそも労働者階級の前衛を単一の組織に結集しそれをつうじて階級全体を指導するからこそ前衛党なのである。したがって「複数」の前衛を想定することは、結局階級全体を指導する前衛党の存在そのものを否定することになる。この議論がマルクス・レーニン主義党の指導的役割が革命の勝利にとって不可欠の前提であることを否認する解党主義の議論であることは明瞭であろう。そして、こうした議論の出発点をなす社会民主主義政党「再評価」論も、実は本質的には同じ性格をもった修正主義の理論なのである。

(一)労働者階級の党とはなにか

 第一に社会民主主義政党「再評価」論は、社会民主主義政党が労働者階級の一部に依拠していることを理由に、これを単純に「労働者政党」とみなすべきだと主張する。この議論は、一般に政党の階級的性格の問題、とくに労働者階級の党の問題についてのマルクス・レーニン主義の原則的見地を、俗流化したブルジョァ的議論でおきかえ、社会民主主義政党の小ブルジョア的限界性をまったく無視すると同時に、他方では革命運動におけるマルクス・レーニン主義党の指導的役割をあいまいにしあるいは否認する修正主義の理論である。

 マルクス・レーニン主義は、政党の階級的性格を決定するさいに、その党の党員や支持層の社会的構成がどうなっているかに主たる基準をおくブルジョア政治学の俗流的な見地に反対し、その党がいかなる政治的潮流を代表しているか、その党の行動と政策がどの階級の利益を代表し、どの階級に奉仕しているかを主要な基準とすることを要求する。

 「もし諸君が、どの階級の利益が、また、この時期に支配しているどういう利益が、種々の政党とその政策との本質を規定しているかをしめさなかったとしたら、諸君は実際にはマルクス主義を適用しなかったのであり、諸君は実際には、階級闘争理論を棄ててしまったのである」(レーニン『ブルジョア政党にたいする態度』、全集12巻、522ページ、ゴシックは引用者)「問題は右翼政党の社会的基盤はどこにあるか、この党はどの階級を代表しているか、この党はどの階級に奉仕しているか、ということである」(レーニン『ロシアの諸政党』、全集18巻 36ページ、ゴシックは引用者)

 マルクス・レーニン主義のこの科学的見地からすれば、政党の支持層の社会的構成を問題にする場合にも、①その党がその利害を現実に代表している固有の階級的基礎と、②「伝統」や「欺まん」によってその党に追従させられている社会層とはきびしく区別されなければならない。(レーニン『ロシア社会民主労働党第5回大会のための決議草案』、全集12巻、134ページ参照)

 ブルジョア政治学とマルクス・レーニン主義の二つの見地の本質的なちがいを明らかにするために、一例をあげてみよう。マルクス・レーニン主義の見地にたてば、自民党が現在アメリカ帝国主義と独占資本を中心とする日本の売国的反動勢力の利益に奉仕している政党であることは、疑問の余地がない。ところが、アメリカの政治学者スカラピーノらは、党の支持票の構成や「利益団体」との関係などの「社会学」的分析をもとにして、自民党は「一方で商工業に奉仕しながら他方では農業に奉仕する」党である(『現代日本の政党と政治』岩波新書、111ページ)などという結論をひきだしている。これは、ブルジョア政治学の分析方法がいかに政党の階級的性格をおおいかくすのに役立つかを、きわめて典型的にしめしている。ところが、社会民主主義政党を、その党員の構成のなかで労働者の比重の大きいことや、労働者の多数あるいは一定部分の支持をえていることを根拠にして、「労働者階級の政党」と規定する人びとは、まさに、マルクス・レーニン主義の方法論をこの種のブルジョア政治学の方法論でおきかえているのである。

 レーニンは、コミンテルン第2回大会で、イギリス労働党を「労働者政党」と規定した一同志を批判して、つぎのようにのべている。

 「党がほんとうに労働者政党であるかないかは、党が労働者からなりたっているかどうかにかかるばかりでなく、だれが党を指導しているか、党の行動と政治戦術との内容がどんなものかということにもかかっている。このあとのことだけが、われわれがプロレタリアートのほんとうの政党をもっているかどうかをきめるのである」(『イギリス労働党への加入についての演説』、全集31巻 251ページ)

 この唯一のマルクス・レーニン主義的見地にたてば、「労働者階級の党」とは、労働者階級が資本主義的搾取から自己を解放するという、その階級的使命を達成するために必要とする党、すなわち、労働者階級の階級闘争を指導して社会主義革命をおこない、あれこれの形態でプロレタリァートの独裁を樹立し、資本主義制度を廃絶して社会主義社会を建設することをめざす政党を意味する。したがって、たとえある時期に労働者の多数の支持をえていたとしても、その指導部が独占ブルジョアジ一に気脈を通じる右翼的勢力ににぎられ、独占資本の支配を革命的に打倒する闘争をさけ、その実際の行動においてブルジョアジーに追従したり小ブルジョア的政策を実行したりする政党を、けっして「労働者階級の党」とよぶことができないことは、明瞭であろう。一般に資本主義社会で、各階級がほんとうに自分の党にしたがうようになるのは、「しばしば長い、頑強な、幾年幾十年をもってはかられる闘争の結果」(レーニン『革命的青年の任務』、全集7巻 33ページ)である。現在、一連の資本主義諸国で、社会民主主義諸党が労働者階級の多数の支持をえているということは、労働者階級が自分たちの階級的利害を真に代表する政党――マルクス・レーニン主義党のもとに結集するにいたるこの政治闘争がまだ完了せず、労働者階級の多数がまだ小ブルジョア的・ブルジョア的思想の影響下にとどまっていることの表現にほかならないのである。

 マルクス、エンゲルス、レーニンは、「労働者階級の党」や「プロレタリア党」について論じる場合、一貫して原則的見地をつらぬいている。マルクスとエンゲルスは、科学的社会主義にもとづくマルクス主義的革命党が各国で確立する以前の時期を問題にした場合にも、労働者階級の独自の階級的立場を堅持し、ブルジョアジーの支配の打倒とプロレタリアートの独裁のためにたたかう党だけを、「プロレタリア政党」とよんだ。

 「共産主義者の当面の目的は、他のすべてのプロレタリア政党の目的とおなじものである。すなわちプロレタリアートの階級への結成、ブルジョアジーの支配の転覆、プロレタリアートによる政治権力の獲得である」(マルクス・エンゲルス『共産党宣言』、邦訳選集2巻 506ページ)
 「真のプロレタリア的政党はみな、イギリスのチャーチストをはじめとして、かならず階級政策、独立の政党としてのプロレタリアートの組織を第一条として、プロレタリアートの独裁を、闘争の当面の目標としてかかげてきた」(エンゲルス『住宅問題』、選集12巻 161ページ)

 したがって、マルクス、エンゲルスの学説が各種のニセの「社会主義」諸思想を克服して国際労働者運動のなかでその威信を確立し、各国でマルクス主義政党が結成された以後の時期においては、「真のプロレタリア党」といえば、すなわちこれらのマルクス主義政党を意味したことは当然であろう。

 レーニンは、帝国主義への移行という歴史的情勢のもとで、プロレタリア党についてのマルクス、エンゲルスの思想を発展させ、いわゆる「新しい型の党」の理論をつくりあげた。すなわち、第二インタナショナル時代に、マルクス主義政党が、政治路線のうえでも、組織路線のうえでも、主として選挙と議会闘争に適応した改良主義の党に堕落したのにたいして、レーニンは、労働者階級がその歴史的任務を達成するために必要とする党は、マルクス・レーニン主義の革命理論と民主集中制にもとづく厳格なプロレタリア的規律で全党を武装し、日和見主義や修正主義のあらゆるあらわれと非妥協的にたたかう革命的で戦闘的な型の党であり、この党だけが「労働者階級の党」としての機能をもちうるのであって、これ以外のいかなる型の党も、労働者階級を社会主義の勝利にみちびきえないことを明らかにしたのである。

 「マルクス主義がおしえるところによれば、労働者階級の政党、すなわち共産党だけが、プロレタリアートおよび勤労大衆全体の前衛を統合し、そだて、組織することができるのであって、この前衛だけが、勤労大衆の避けられない小ブルジョア的動揺や、プロレタリアートのあいだの職業組合的な偏狭さ、あるいは職業的偏見の避けられない伝統や再発に対抗でき、プロレタリアート全体の統合された活動全体を指導すること、すなわちプロレタリアートを政治的に指導し、プロレタリアートを通じて勤労大衆全体を指導することができるのである。これなしには、プロレタリア一トの独裁は実現できない」(レーニン『わが党内のサンディカリズム的および無政府主義的偏向についてのロシア共産党第10回大会の決議案』、全集32巻 257ページ)

 そしてレーニンは、たとえ労働者階級を基盤にし「マルクス主義」を指導理論として結成された政党であっても、修正主義理論にまったくおかされた場合には、その党は「労働者階級の党」としての資格を喪失することを明白にし、つぎのように指摘している。

 「もし党内で修正主義者のイデオロギーがほんとうに勝利したら、それはもう労働者階級の社会主義政党ではなくなる」(レーニン『労働組合の中立性』、全集13巻 479ページ)

 レーニンはこのような見地から、労働者に依拠し「労働者党」と自称している改良主義政党すなわち社会民主主義政党などを「労働者党」とよぶときには、「小ブルジョア的労働者党」、「ブルジョア的労働者党」「自由主義的労働者党」というように、ほとんどつねに、その階級的・政治的性格を明確にする形容詞を付し、その本質をあいまいにするようなことはしなかった。

 レーニンのこの「新しい型の党」の理論の正しさは、10月革命から中国革命をへてキューバ革命にいたる、ヨーロッパ、アジア、ラテンアメリカでの一連の革命の鉄火の試練のなかで実証された。東ヨーロッパの人民民主主義革命では社会民主主義政党も革命に参加したが、革命の全過程をつうじて指導的役割をはたしたのはマルクス・レーニン主義党であって、社会民主主義政党の革命への参加もマルクス・レーニン主義党の指導を承認し、その立場に接近することを前提としたものであった。とくに、社会主義革命の段階でこの二つの党の合同がマルクス・レーニン主義そのものにもとづいて実現されたことをみれば、マルクス・レーニン主義党の指導が不可欠であることはいっそう明らかであろう。

 また、日本の修正主義者は、レーニンの前衛党理論が古くさくなったことをしめす実例として、しばしばキューバ革命の倒を引きあいにだすが、キューバにおいても民族独立と民主主義の革命から社会主義革命に前進する過程で、カストロの指導する「7月26日革命運動」、「3月12日革命幹部団」および人民社会党などが一つに合流し、マルクス・レーニン主義にもとづいて統一革命組織「キューバ社会主義革命統一党」を確立した。このようにキューバ革命の経験も、やはりレーニンによって基礎をおかれた「新しい型の党」、マルクス・レーニン主義党だけが、労働者階級に社会主義革命と社会主義建設の勝利を保証しうること、たとえ異なる立場から出発した革命家と革命組織であっても、民族的民主主義的変革を徹底し、さらにすすんで真に社会主義の事業を達成しようとするならば、マルクス・レーニン主義とその党の立場に前進せざるをえないことを、もっとも雄弁に証明してみせたのであった。

 以上が「労働者階級の党」についてのマルクス・レーニン主義的見地である。この周知の原則的見地をふみはずして、俗流化したブルジョア的議論に譲歩し、社会民主主義政党を「労働者階級の党」とよぶことは、プロレタリア革命におけるマルクス・レーニン主義党の指導的役割の否定に道をひらくことであり、社会民主主義政党の小ブルジョア的性格を無視し、その右翼的指導部が労働者階級のあいだでの小ブルジョア的・ブルジョア的影響の「伝達者」(レーニン)となっていることを無視することである。そして結局は、労働者階級の一定部分が小ブルジョア的・ブルジョア的影響下におかれている現状を合理化し、この現状を変革して、労働者階級の多数者をマルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義の思想でたかめ、マルクス・レーニン主義党の指導下にかちとる政治的・思想的な闘争を軽視する日和見主義に、不可避的にみちびかざるをえないのである。

(二)プロレタリア社会主義の党と小ブルジョア社会主義の党

 第二に、社会民主主義政党「再評価」論は、これらの党が「社会主義」的綱領をかかげていることを根拠に、単純に「社会主義」政党と評価する立場をとっている。これは唯一の真の社会主義であるプロレタリア社会主義、すなわちマルクス・レーニン主義の学説に立脚した科学的社会主義と、小ブルジョア社会主義ブルジョア社会主義などとの原則的な区別を抹殺し、この両者を同列視することを前提にした議論である。

 だが周知のように、「社会主義」の旗をかかげた諸勢力・諸潮流のなかで、プロレタリア社会主義の潮流と小ブルジョア社会主義その他の潮流とを原則的に区別し、後者の諸潮流を思想的に克服して労働者階級をプロレタリア社会主義の側に獲得するためにたたかうことは、社会主義革命を準備するにあたって、マルクス・レーニン主義党がはたさなければならない基本的な任務の一つであり、この二つの社会主義を混同したり同列視したりすることは、科学的社会主義の全理論をすてさるにも等しい誤りなのである。

(1)社会民主主義政党の「社会主義」

 マルクスとエンゲルスは、『共産党宜言』のなかですでに、マルクス主義以前の各種の「社会主義」的潮流を分析し、これらの潮流の多くが資本主義社会における封建領主、ブルジョアジー、小ブルジョアなどの利害と意識を代表したものであって、社会主義の事業とも労働者階級とも縁のないニセの「社会主義」であることを明らかにした。なかでも、マルクスとエンゲルスが重視したのは、「ブルジョア社会の存続をはかるために社会的害悪をとりのぞくことをのぞんでいる」ブルジョア社会主義(『共産党宜言』前掲524ページ)と、社会主義の綱領をかかげはするが、この綱領を実現する唯一の道である社会主義革命とプロレタリア独裁を拒否し、資本主義社会の平和的な改造を空想する小ブルジョア社会主義の諸潮流とであって、マルクスとエンゲルスはその生涯を通じて、これらの諸潮流を思想的に粉砕するためにたたかった。

 レーニンもまた、マルクスとエンゲルスの革命的見地をひきついで、革命運動を指導した最初の段階から、「ナロードニキ社会主義」や「合法マルクス主義」、経済主義、メンシェビズムなど、各種のニセの社会主義を粉砕するためにたたかった。レーニンの時代の特徴は、これらの「社会主義」の諸学説に表現されていた諸傾向(とくに小ブルジョア社会主義)が、国際的規模でのマルクス主義の思想的勝利という新しい情勢のもとで、「マルクス主義の内部でマルクス主義に敵対する潮流」(レーニン『マルクス主義と修正主義』、全集15巻 15ページ)としてあらわれ、プロレタリア社会主義の小ブルジョア社会主義にたいする闘争が、とくに理論的には革命的マルクス主義と修正主義との闘争という形態で、組織的には「第二インタナショナル」(1889~1914年)の内部での革命的翼と日和見主義的翼との闘争としてたたかわれたことである。レーニンはこの闘争のなかで、マルクス、エンゲルスの革命的学説を修正主義的歪曲から救いだし、真のプロレタリア革命およびプロレタリア独裁の理論と戦術およびプロレタリア革命の党――マルクス・レーニン主義とその党――の基礎をきずいた。

 第1次世界大戦とともに第二インタナショナルが崩壊した後、旧第二インタナショナル内の革命的潮流は、国際的規模で日和見主義的潮流から決定的に分離し、レーニンの指導のもとに「第三インタナショナル」(1919~1943年)に結集した。こうして、「第三インタナショナル」に結集した各国のマルクス・レーニン主義党は、真にプロレタリア社会主義を代表するその国の唯一の労働者党となったのである。

 一方、旧第二インタナショナル内の日和見主義的潮流は、第1次大戦後に社会民主主義諸党の国際組織として、あらためて「第二インタナショナル」(1920~1940年)を「再建」した。これとならんで、一部の勢力は、「第二半インタナショナル」を結成したが、これもやがて第二インタナショナルに合流した。「フェビアン主義」を指導思想とするイギリス労働党や、ベルンシュタインやカウツキーなどに代表される修正主義を奉じるドイツ社会民主党、オーストリア社会民主党などが指導的役割をはたしたことにもみられるように、「再建」された第二インタナショナルのなかでは、全体として、小ブルジョア社会主義の諸潮流が支配的地位をしめていた。

 第2次大戦後のこんにちでは、社会民主主義政党の「社会主義」は、さらに大幅に後退している。ごく一部の社会民主主義政党(イタリア社会党、日本社会党)などは、基本的には、修正主義的「マルクス主義」を指導理論として承認していた戦前の第二インタナショナルの諸党に近い立場をとっているが、1951年に主としてヨーロッパの社会民主主義政党を結集してつくられた「社会主義インタナショナル」は、「フランクフルト宣言」(1951年)と「オスロー宣言」(1962年)という二つの綱領的宣言によって、第二インタナショナル流の「マルクス主義」とも公式に絶縁し、いわゆる「民主社会主義」の立場を明らかにした。

 その第一の特徴は、社会主義諸国と国際共産主義運動を「世界平和と自由と社会主義への脅威」として敵視する徹底した反共主義の立場に立っていることである。

 「国際共産主義は、新たな帝国主義の要具である。それが政権をとったところでは、自由および自由に到達する機会を破壊し去った。国際共産主義は軍事的官僚制と恐怖警察制度に基盤をもっている。富と特権との著しい対照を作り出すことによりそれは新たな階級社会を創造した。強制労働はその経済組織に重要な役割を演じている」(『フランクフルト宜言』)
 「共産主義諸国は平和を愛好すると主張しているが、その軍事力を保持する手口が全世界に緊張を増大させてきた」(『オスロー宣言』)

 またその第二の特徴は、アメリカ帝国主義を主力とする帝国主義陣営の世界政策を公然と支持し、「福祉国家」などの欺まん的なスローガンのもとに現代資本主義を「社会主義に転形しつつある社会」として擁護していることにある。

 「社会主義は宣伝の時代から実行の時代へと移行して来ている。ある国においては社会主義社会の基礎は既にすえられており、そこでは資本主義の害悪はしだいに姿を消し、社会は新たな生気を得て来ている。…多くの国において無統制の資本主義は、国家の干渉や集団的所有が個人資本家の活動範囲を制限するような経済に席を譲りつつある。…社会主義の力が強いところではどこでも新たな社会秩序の創造に向って重要な手段がとられてきている」(『フランクフルト宣言』)
 「資本主義の最もわるい行き過ぎは社会主義政党や労働組合の不断の活動を通じて是正されてきた。生産の所有と管理の新しい形式が誕生した。……社会主義政党が野党であっても、政府は完全雇用と社会保障の諸問題にたいする社会主義本来の解決方式を、世論の力によりしばしば採用せざるをえなかった」(『オスロー宣言』)

 このように、「民主社会主義」とは、伝統的な改良主義の路線をいっそう露骨なブルジョア的弁護論と反共主義とに結びつけた反社会主義の綱領である。それはすでに、帝国主義勢力や独占ブルジョアジーの綱領と寸分区別のつかないものにまで「進化」してしまったもので、現在、この反社会主義の綱領が、世界の大多数の社会民主主義政党の共同綱領となっているのである。

 日本の民主社会党は、この「民主社会主義」の立場にたった典型的な政党の一つで、(1)社会主義諸国と共産主義運動をファシズムと同列において、「左右の全体主義」として非難し、(2)「武力の均衡」こそ世界平和の基礎だとして、事実上帝国主義陣営の「力の政策」を支持する立場をとり、(3)労資協調主義にもとづく「福祉国家の建設」をとなえて、国家独占資本主義を強化する諸政策に協力し、(4)「議会主義の堅持」と称して、議会外の大衆闘争に事実上反対するなど、アメリカ帝国主義と日本独占資本の要求に露骨に迎合した綱領をもっている。(1962年第4回大会で採択)

 アジア、アフリカ、ラテンアメリカの一部の国ぐににおいては、帝国主義勢力が、「本国」の右翼社会民主主義者の協力のもとに親帝国主義的な社会民主主義政党を組織し、これらの党が、あるいは植民地主義の公然たる代弁者となり、あるいは反革命の一翼をになうなど、その国のもっとも反動的な政治勢力の一つとなっている場合もある。

 以上、社会民主主義諸党の歴史と現状とは、これらの党の「社会主義」がまさにプロレタリア社会主義とは本質的に異なる小ブルジョア社会主義として成立し発展し、あるいはブルジョア的「退化」をとげてきたものだということをしめしている。このような政党を、ただ「社会主義」の文字を綱領に書きこんでいるからという理由で、「社会主義政党」とか「労働者階級の党」とかよぶことができるだろうか。自分自身が科学的社会主義の立場をなげすてないかぎり、社会民主主義政党を「社会主義政党」としてマルクス・レーニン主義党と同列視することができないことは、明白ではないだろうか。

 もちろん、社会民主主義政党は、マルクス・レーニン主義党とはちがって、一定の理論やイデオロギーで統一された党ではない。したがって、小ブルジョア社会主義その他の改良主義的潮流が支配的潮流だということは、これがこの党の唯一の潮流だということを意味するものではない。事実、社会民主主義政党のなかには、多くの場合、支配的な改良主義的潮流に反対し、政治的思想的にプロレタリア社会主義に多かれ少なかれ接近した左翼的潮流が存在している。だが、それぞれの党のなかでの左翼的潮流の消長の歴史が物語っているように、この潮流自体、社会民主主義政党内の一潮流として存在しているかぎりはやはり、小ブルジョア的動揺性と限界性をまぬがれることはできない。したがってこの潮流の存在を理由にして、社会民主主義政党が全体として小ブルジョア社会主義の党であることを否定することはできないし、真のプロレタリア社会主義を代表する唯一の党がマルクス・レーニン主義の党であることをあいまいにすることはなおさらできないのである。

(2)「日本社会党例外」論への批判

 これにたいして、わが国の反党修正主義者たちは、しばしば「日本社会党例外」論をもちだして、その社会民主主義政党「再評価」論を合理化しようとしている。すなわち、「日本社会党はイタリア社会党とともに、世界の社会民主主義政党のなかで、『例外的な存在』であり、『民主社会主義』の綱領に反対して、マルクス主義の立場、階級闘争と社会主義革命を承認する立場にたつことにより、社会民主主義政党から『マルクス主義革命政党』に脱皮しつつあり、やがては日本の社会主義革命の指導政党になることができる」というのである。まず、かれらがひきあいに出しているイタリア社会党についていえば、この党が1956年に共社統一協定を破棄したことを起点として、その主流が1963年秋には独占資本の政府に入閣するところまで右傾化した事実が、イタリア社会党「例外」論の誤りをすでに明らかにしているが、つぎにみるように日本社会党もまた、全体として小ブルジョア社会主義の党としての本質をまぬがれてはいないのである。

 たしかに、この党がヨーロッパの社会民主主義諸党や日本の民主社会党とはちがって、「民主社会主義」の綱領を採用せず、綱領や規約で「社会主義革命の実行」をうんぬんしており、さらにその政治路線を「マルクス主義」的な理論で基礎づけようとこころみている面もあるのは事実である。だがこのことは、日本社会党がいまマルクス・レーニン主義の革命党に「成長」しつつあることをしめすものでもなければ社会民主主義政党から「脱皮」しつつあることを意味するものでもない。

 (イ)社会党の「社会主義」の小ブルジョア的性格は、まず共産主義運動や社会主義陣営にたいする態度にはっきりあらわれている。

 社会党の綱領は、共産主義運動にたいして、「共産主義は事実上民主主義をじゅうりんし、人間の個性、自由、尊厳を否定して、民主主義による社会主義とは、相容れない存在となった」などの非難をくわえ、日本社会党の任務は「共産主義を克服して、民主的に平和のうちに社会主義革命を遂行する」ことにあるとして、社会党の「社会主義」が反共主義を前提にした「社会主義」であることを明らかにしている。そして、実際の政治行動においても、この根深い反共主義の傾向から共産党との統一戦線を事実上否定し、安保共闘その他で民主勢力の統一行動に参加した場合にも共産党との直接の行動はあくまで拒否し、共産党を排除した「社会党単独政権」によって「社会主義革命」を実行するというセクト的な構想に固執している。こうした反共主義の傾向は、この党の「社会主義」のあいまいな小ブルジョア的性格を暴露するものである。科学的社会主義のうえにたち、労働者階級のもっとも革命的な勢力を代表している共産党との提携を拒否し、あるいはこれに反対して実現される「社会主義」が、独占資本の支配をたおし資本主義制度を廃絶して実現される真の社会主義ではなく、結局、独占資本の許容する範囲内での「社会主義」におちつかざるをえないことは明白ではないだろうか。

 また、社会主義陣営にたいする態度についていえば、社会党の綱領は、その国内体制を「民主主義による社会主義とは相容れない」体制として非難するだけでなく、戦争と平和の問題においても、社会主義陣営を帝国主義陣営とともに戦争の危機の根源をなすものとして攻撃する反社会主義の立場を明確にしている。

 「原因や理由はともあれ、資本主義陣営の側に、当然帝国主義的な国際緊張の積極的な要因が存在すると同時に、共産主義陣営の側にも、その世界革命方式や軍事力に内在する戦争の危機がはらまれている」(日本社会党綱領)

 この立場は、帝国主義陣営と社会主義陣営とをともに「冷戦の当事者」として同列視し、社会主義諸国の防衛的な軍事力や集団安全保障体制を、国際緊張を激化させる「力の政策」のあらわれとして非難する「積極中立主義」の路線として、今日においても社会党の国際政策を基本的にはつらぬいているが、これは真の科学的社会主義およびプロレタリア国際主義とはまったく無緑なものである。ソ連の防衛的な核実験への抗議運動を組織したり、それを合理化するために「いかなる国の核実験にも反対する」という口実を利用し、この立場を原水禁運動に押しつけようとしている社会党の方針も、ここからでている。

 このことは、日本社会党と西ヨーロッパの社会民主主義諸党の政治的立場の相異がけっして絶対的なものではなく、ともに社会主義インタナショナルに加盟している党として、とくに反共主義の面では多くの共通点をもっていることをしめしている。

 (ロ)つぎに、日本社会党の「社会主義革命」の路線についてみよう。社会党の「社会主義革命」の路線は、第一に、日本を支配してアジアと世界の平和を脅かしているアメリカ帝国主義を日本人民の主敵の一つとすることに反対して、独立闘争その他の分野の闘争でアメリカ帝国主義との徹底的な対決をさけている。これは、戦前のわが国の社会民主主義諸党が「社会主義革命」の左翼的なスローガンにかくれて絶対主義的天皇制との闘争を回避したのと同じ本質をもつものである。そのうえ、この路線は、いっさいの闘争を日本独占資本との闘争にしぼりながらも、これをも「構造改革」論その他の改良主義的闘争にわい小化し、結局本質的にいって、日本人民の二つの敵との根本的な対決を回避する日和見主義、改良主義の立場におちいっている。第二に、この路線は革命の方法の点でも、もっぱら「議会を通じての平和革命方式」というあからさまな「平和移行必然論」と「議会主義」の立場にたち、革命の根本問題である国家権力の問題をまったく回避した日和見主義、改良主義の方針をとっている。第三に、このような二重の日和見主義と結びついて、この路線は、日本の現状では社会主義へ前進するためにはどうしても避けることのできないアメリカ帝国主義と日本独占資本の支配を打倒する、独立・民主を中心とする当面の過渡的な革命の任務を回避している。そのために、「社会主義」をとなえていても、それはたんに一般的・抽象的な目標として承認するにとどまり、民主主義革命から社会主義革命への連続的段階的な発展という、日本人民を社会主義にみちびく唯一の革命的な路線から根本的にはずれた方針になっているのである。社会党の路線のこのような特徴は、かれらの「社会主義」こそまさに、マルクス・レーニン主義の歴史的発展の諸経過のなかでくりかえしその本質が暴露された、典型的な小ブルジョア社会主義の一変種にすぎないことをうきぼり的にしめしている。

 これにたいして日本共産党は、発達した資本主義国でありながらアメリカ帝国主義になかば占領されてその事実上の従属国となり、独立・民主・平和・中立・生活向上の民族的民主主義的要求が当面全人民によって達成されるべき課題として提起されている日本の情勢に、マルクス・レーニン主義の革命理論を創造的に適用し、アメリカ帝国主義と日本独占資本の支配――二つの敵に反対する民主主義革命をつうじて社会主義革命への道を確実にきりひらくという、日本革命の真の展望を明らかにしている。日本共産党のこの立場は、戦前、あらゆる野蛮な弾圧や迫害に屈せず、絶対主義的天皇制打倒の革命的な旗をかかげ、日本帝国主義の侵略戦争に反対して一貫してたたかってきた革命的伝統をひきつぎ、発展させたものである。ここに「マルクス主義者」を名乗っても実際には「マルクス主義」を形式的にだけ承認する小ブルジョア社会主義党と、真に「世界を変革する」(マルクス)革命的学説、プロレタリアート解放の科学的理論としてのマルクス・レーニン主義を創造的に身につけている真のマルクス・レーニン主義党との、決定的かつ根本的なちがいがしめされているのである。

 (ハ)小ブルジョア社会主義の党としての日本社会党の性格は、さらにその組織的性格にもはっきりと刻印されている。

 第一は、この党が、実質的には、政治的・思想的統一を前提にしない各種の「社会主義」的潮流や派閥の自由主義的な連合体であって、革命政党に不可欠な民主集中制やプロレタリア的規律を根本的に欠いていることである。一般に、社会民主主義政党は、もっとも露骨なブルジョア的改良主義やキリスト教的人道主義から「マルクス主義」的社会主義にいたる、きわめて雑多な潮流の「混合体」という性格をもっているが、これは、この党の依拠する社会層が雑多なこと、さらにまた小ブルジョアジー自身がさまざまな利害をもつ多様な層からなりたっていることと結びついた小ブルジョア政党の基本的特質の一つをなすものである。

 第二に、この党が、上から下まで「議会政党」として組織されていることである。たとえば、社会党は選挙では1200万の支持者をもちながら、組織としては公称「5万」の党員と公称「15万」の週刊機関紙しかもたず、党と支持者大衆の関係は主として議員と選挙民の関係にとどまっている。さらに中央でも地方でも議員と議員候補者が事実上党組織の中心となり、支部組織も生産点(経営)を無視してもっぱら行政区単位でつくられている事実は、党組織全体が選挙闘争の必要だけを基準として編成されていることをしめしている。社会党はまた、総評その他の労働組合にたいしても、組合員の政党支持の自由を無視して「社会党支持」をおしつけ、とくに選挙の時には、これを社会党の下請機関として利用している。

 (ニ)米日支配層との根本的な対決を回避する日本社会党の以上のような日和見主義、改良主義の路線と小ブルジョア的動揺性、議会党的性格などは、社会党の右翼的勢力の一部のものがさまざまな形で米日支配層との人的物質的な結びつきをもっていることによっていっそう強められている。

 社会党と米日支配層との結びつきをもっともあからさまにしめす一つの例として、この党の財政のかなりの部分が独占資本に依存している事実をとりあげてみよう。

 自治省の公式発表によっても、民社党が離脱して以後、1960年から1963年上期の期間に、社会党が各方面からえた「政治献金」の総額約3億2200万円のうち、経済再建懇談会(財界の「政治献金」機関)をはじめ、各分野の独占資本や資本家団体からの「献金」は約1億5700万円にのぼり(一部中小資本の分もふくむ)総評など労働組合の献金1億3700万円をも上まわって、「政治献金」総額の49%をしめている。しかも、独占資本の「政治献金」がまるまる公表されるものではなく、つねに「ヤミ献金」が相当な部分をしめていることは公然の秘密であって、社会党の独占資本への財政的依存の実際の大きさは、この数字の範囲にとどまるものでないことは明らかであろう。

 いうまでもなく、独占資本が民社党はもちろん社会党をも援助するのは、民社党や社会党を独占資本との協調政策のワク内にとどめるためである。社会党が独占資本からこのような財政的援助に依存しているかぎり、独占資本にたいする協調主義と完全に手をきることはけっして期待できず、この党が米日独占資本の支配と革命的にたたかう能力をもちえないだけでなく、日常の政策や行動においても労働者階級の独自の階級的立場をつらぬきえないのは、まことに当然のことといわなければならない。

 これらの事実は、世界の社会民主主義諸党のなかで「最左翼」の地位をしめるといわれる日本社会党も、基本・的にはやはり小ブルジョア社会主義の潮流に屑する政党であることをはっきり証明している。プロレタリア社会主義と小ブルジョア社会主義の原則的な区別を忘れきらないかぎり、わが国で、プロレタリア社会主義の立場を代表する唯一の党である日本共産党と日本社会党とを、「社会主義政党」として同列視することはけっしてできないのである。

二、現代修正主義の小ブルジョア社会主義への移行

 つぎの問題は、現代修正主義者が社会民主主義政党とマルクス・レーニン主義党を同列視する社会民主主義政党「再評価」論におちいったのは、いったいどのような思想的根源から出た誤りなのかという問題である。

 結論からさきにいえば、それは、現代修正主義者が革命運動の政治路線の根本問題において、マルクス・レーニン主義の革命的立場からはなれ、帝国主義と資本主義の美化にもとづく日和見主義的立場、結局、社会民主主義と本質的には同一の小ブルジョア社会主義の立場に移行しつつあるか移行してしまったことからきた誤りである。

 実際、現代修正主義者が提唱している革命運動にかんする日和見主義的政治路線は、カウツキーやベルンシュタインなどの古典的修正主義者によって「理論的」に基礎づけられ、第1次大戦後「再建」された「第二インタナショナル」の多くの党の公認の指導方針となった政治路線とおどろくほど一致している。ちがいはただ、これらの第二インタナショナルの諸党がマルクス・レーニン主義に対立するものとしてこの路線を提起したのにたいして、現代修正主義者は、これを、いわゆる「社会主義世界体制の成立と発展を軸とした世界情勢の根本的な変化」と結びつけ、モスクワ声明を歪曲して採用しながら、あたかもマルクス・レーニン主義の革命理論の「現代的・創造的発展」であるかのような偽装のもとに、自分たちの主張をおしだしているということだけだと言ってさしつかえない。

 (1)たとえば、戦争と平和の問題については、現代修正主義者は、世界戦争は不可避ではなくなったとする『モスクワ声明』の命題を歪曲して、これを、「侵略と戦争の主勢力」であるアメリカ帝国主義の主流が、侵略と戦争の政策から両体制の平和共存の方向に転換しつつあるとみなす帝国主義美化論に「発展」させている。

 そして、それによって、全世界の人民の民族独立と反帝平和の闘争の発展によってではなく、主として帝国主義国家との外交交渉にたよって世界平和を実現しようとする日和見主義の路線を基礎づけるとともに、この帝国主義の「平和的変質」の過程をおしすすめてゆけば、帝国主義が現状のように存続するもとでも軍備を全廃して「戦争のない世界」を実現しうるかのような幻想をふりまいて、民族独立闘争を軽視し、アメリカ帝国主義をかしらとする帝国主義との闘争をさけ、平和共存、全般的完全軍縮などのスローガンだけを追求する「親帝国主義」の路線に、世界の平和運動を事実上転換させようとしている。これはまさに、「第二インタナショナル」が第1次大戦後にかかげた悪名高い「現実的平和主義」の路線の再版にほかならない。かつてかれらは現代修正主義者と同じように、(イ)大戦後の世界資本主義は「超帝国主義」の段階に移行しつつあり、帝国主義が侵略戦争の根源であった時代は終わったとみなし、(ロ)帝国主義諸国間の話しあい、主として「国際連盟」にたよって戦争を防止し平和を維持することができると主張し、(ハ)帝国主義戦争に反対する革命的な闘争を放棄して、人民のあいだに資本主義のもとでの「永続的平和」とか「軍備撤廃」とかの幻想をふりまくことにつとめ、結局、帝国主義者が新しい帝国主義戦争を準備するのをおおいかくすツイタテとなったのであった。(なお、この問題については、評論員『ケネディとアメリカ帝国主義』、無署名論文『原水禁運動と分裂主義者の理論と実践』参照)

 (2)また革命運動の方針の問題についても、現代修正主義者は、

 (イ)現代の資本主義は、一方では社会主義世界体制との経済競争の強力な影響にさらされ、他方では、生産力の新たな発展に刺激されて、資本主義自体のうちに社会主義への「客観的推進力」が内在している新しい段階、かつては社会主義に固有のものと考えられていた経済の計画化や国家の介入を、独占資本でさえも、うけいれざるをえなくなる新しい段階にはいった、

 (ロ)こうした情勢のもとでは帝国主義の支配や独占資本の権力を革命的に打倒しないでも、労働者階級が現代資本主義の政治経済機構に「浸透」し「介入」してゆけば、国家独占資本主義を独占体とたたかう人民の道具に変質させることができるし、人民の力量の増大におうじて資本主義国家の役割もしだいに変化させ、人民に奉仕させることができるようになる、

 (ハ)こうして、こんにちでは、政治・経済の「構造改革」を長期にわたって積みかさねてゆくことによって、平和的かつ漸進的に社会主義に移行することが可能になった、などという「構造改善」論を、マルクス・レーニン主義の革命理論の「現代的形態」として宣伝している。だが、これはまさに、改良主義や経済主義の誤りを二重三重に結びつけた、日和見主義の「革命」路線の現代版にほかならない。

 第一に、この議論は、国家独占資本主義の発展を、資本主義経済の内部での「社会主義的要素」の発展とみなすか、あるいは少なくとも、労働者階級がこの過程に介入してその主導力となることによって、これを「社会主義的要素」に変質させることができるものとしてとらえる、現代資本主義の美化論を前提にしている。だが、国家独占資本主義の本質は、「民族の生活にたいする独占体の支配を強めつつ、独占体の力と国家の機構を単一の機構に結合した」(モスクワ声明)ことにあり、この機構はもっぱら資本主義制度を救済し「労働者階級の搾取と、広範な人民各層の略奪によって、帝国主義ブルジョアジーに、最大限の利潤をもたらすため」(同前)の道具としてはたらいているのである。この国家独占資本主義が独占資本の支配のもとで「社会主義的要素」になりうるかのように主張して、独占資本の権力の打倒と社会主義革命の問題を事実上回避しようとする修正主義者の議論は、すでに40年も以前に改良主義者によって流布された古くさい資本主義弁護論を、焼き直しただけのものである。レーニンは「国家独占資本主義がもはや資本主義ではなく、すでに『国家社会主義』等々と呼びうる」などと論じた当時の改良主義者たちにたいして、つぎのような手きびしい批判をあびせたが、この批判は現代の「構造改革」論の「根拠」をもまた的確に粉砕している。

 「このような資本主義が社会主義に『近い』ということは、プロレタリアートの真の代表者にとっては社会主義革命が近いこと、容易なこと、実現可能なこと、猶予できないことを主張する論拠となるべきものであって、すべての改良主義者の事としているような、この革命の否定と資本主義の粉飾とを、大目にみてもよいという論拠になるべきものではけっしてない」(レーニン『国家と革命』、全集25巻、478ページ)

 第二に、この議論は、資本主義国に発展しつつある人民の闘争、独立、平和、民主主義、生活向上など民主主義的性質の要求をかかげた人民の闘争を、帝国主義と独占資本の支配の打倒をめざす革命闘争に発展させる立場にたたず、事実上は独占資本の権力のもとでの部分的改良や支配階級の「政策転換」だけを追求する改良主義的運動にわい小化しようとする議論である。

 すでにレーニンは、帝国主義の段階での人民の民主主義的要求を論じて、小ブルジョア民主主義者はこの要求を「改良主義的に」定式化して、帝国主義のもとで「実現可能」な範囲内にとどめようとするが、革命的マルクス主義者にとって必要なことは、「すべてこれらの要求を改良主義的でなしに革命的に定式化し、実行すること」(『社会主義革命と民族自決権(テーゼ)』、全集22巻 167~168ページ、ゴシック引用者)であると指摘した。帝国主義の寄生性と腐朽性がいっそう深まった今日の段階においても、帝国主義と独占資本の支配が不可避的にうみだす人民の民主主義的要求を「改良主義的に定式化」して、人民権力のための革命闘争と切り離してしまう「構造改革」論の立場が、これを「革命的に定式化」して人民の民主主義的闘争を帝国主義と独占資本の支配を打倒する革命闘争にまで発展させるマルクス・レーニン主義の革命的立場と根本的に対立する、日和見主義の路線であることは明らかである。

 第三に、この議論は、モスクワ声明が一連の資本主義国で労働者階級が「社会主義革命を平和のうちに実現するたあに必要な条件をつくりだす可能性をもっている」とのべたことを誇張して、革命の非平和的移行の可能性を例外視し、平和的移行を事実上革命の「唯一の道」として絶対化したうえ、さらに、「軍事的・官僚的な国家機関の粉砕」の必要性を否定して、選挙をつうじて議会で多数をとることだけを問題にするいわゆる「議会主義の道」に結局解消してしまう「平和移行唯一論」と結びついている。だが、この事実上の「平和移行唯一論」は、第一に「支配階級はみずからすすんで権力をゆずりわたすものではなく」(モスクワ声明)、かれらが国家権力(暴力機構)をにぎっているかぎり、その支配を維持するために暴力に訴えてくる危険性がたえず存在することを無視し、第二に、たとえ社会主義叢命が平和的形態をとろうと非平和的形態をとろうと、人民の革命運動に依拠して支配階級の国家権力を打倒し、かれらの抵抗をうちやぶることなしには革命の達成はありえないことを無視する議論である。したがって、これもまた、現代修正主義者が「あらゆる革命のもっとも主要な問題は国家権力の問題である」(レーニン『革命の根本問題』、全集25巻 394ページ)というマルクス・レーニン主義の周知の命題を忘れさって、日和見主義、改良主義の立場に立っていることを暴露しているだけなのである。

 第二インタナショナルの小ブルジョア的「革命家」たちも、やはり、(イ)国家独占資本主義を「組織された資本主義」、つまり計画経済という社会主義的原則をとりいれた過渡期の資本主義としてとらえ、(ロ)労働者階級が経営協議会や国家の経済管理機関に参加し、「経済民主主義」を拡大してゆけば、資本主義経済を「民主制国家によって指導される経済」に転化させることができ、「力関係」におうじて国家権力をしだいに労働者階級の政治的統制のもとに置くこともできるようになると主張し、(ハ)発達した資本主義国では「経済民主主義」と「議会主義」の道をすすんで平和的、漸進的に社会主義に到達するのが社会主義を達成する唯一の現実的な道だと主張した。こうしてかれらは、労働者階級を革命運動からひきはなして資本主義制度との妥協の道にひきこむことにつとめ、革命運動から資本主義体制を防衛する役目をはたしたのであったが、「構造改革」論をとなえる現代修正主義の「革命家」たちは、これらの小ブルジョア的「革命家」たちが過去にはたしたのとまったく同じ役割を、現代においてはたしているのである。

 このように、現代修正主義者は、戦争と平和の問題や社会主義革命の問題など一連の原則的根本問題でマルクス・レーニン主義に絶緑して、結局第二インタナショナル流の小ブルジョア社会主義の立場に接近している。だから現代修正主義者が、小ブルジョア社会主義の党である社会民主主義政党とマルクス・レーニン主義党とを原則的に区別する境界線を見失い、両者を同列視したとしても、そこにはなんの不思議もない。実際、ヨーロッパの一部のマルクス主義者は、世界情勢が根本的に変化し、社会主義への平和的移行が可能になった今日では、社会主義革命の内容や方法、社会主義国家の性格など革命の主要問題において、共産党と社会民主主義政党のあいだには根本的な相違がなくなったと主張し、これを社会民主主義政党との統一戦線の重要な根拠としているし、さらには、両党の政治的統一の問題までも提起しはじめている。現代修正主義者による社会民主主義政党の「再評価」はまさに、両者の理論的接近から組織的接近へという当然の道ゆきをしめしたものである。さらにわが国の反党修正主義者は「社会主義世界体制の成立を軸として、世界情勢が根本的に変化したこんにちでは、レーニンの前衛党論―『新しい型の党』の理論はもはや時代おくれとなり、社会民主主義政党をはじめさまざまの型の党が革命を指導しうるようになった」などと論じて、社会民主主義政党「再評価」論と日和見主義的「革命」論とを直接結びつけた論議をしているが、このことは、以上の事情をいっそうよく裏書きしている。

 このように、社会民主主義政党の評価の問題でマルクス・レーニン主義の立場を守るかどうかという問題は、結局は、社会主義革命の根本問題でマルクス・レーニン主義の革命的立場を守るかどうかときりはなすことのできない原則問題であり、マルクス・レーニン主義者としてあいまいにすることの許されない問題なのである。

三、統一戦線を破壊する右翼追随主義の理論

 現代修正主義者が、反マルクス・レーニン主義的な社会民主主義政党「再評価」論を合理化するためにもちだしてくる最後の論拠は、社会民主主義政党との統一戦線の問題である。すなわち、かれらは、社会民主主義政党を小ブルジョア政党と規定したりするのは統一戦線政策とは両立しえない共産党のセクト主義と「独善主義」のあらわれであり、この党が共産党と同列の「労働者階級の党」であり「社会主義政党」であることを認めてこそ、統一戦線への道をひらくことができるなどと論じて、一見社会民主主義政党「再評価」論が統一戦線の実現をもっとも真剣に願った議論であるかのようによそおっている。

 修正主義者のこうした議論にたいしては、まず、いろいろな政党や党派の階級的政治的性格を正しく分析し、評価することは統一戦線政策とけっして矛盾するものではなく、逆に統一戦線政策を科学的に正確に樹立し実行するための不可欠の前提をなすものだ、ということが指摘されなければならない。レーニンは、ロシアの革命運動を指導するにあたって、いろいろな政党にたいして正しい態度をとるためには、その党の階級的内容を正確に規定しなければならないということを、くりかえし強調した。

 「革命が諸階級の公然たる行動をよびおこし、これを基盤として政党が結成されはじめている現在、これらの政党の階級的内容を規定し、現在の時機の諸階級の相互関係を考慮し、それにしたがって種々の政党にたいする自分の態度を規定することは、社会民主党〔現在の共産党のこと〕の緊急な任務である」(レーニン『ロシア社会民主労働党統一大会に提出すべき戦術綱領』、全集10巻 142ページ)

 このレーニンの指摘は、今日においてもその意義を失っていない。実際、レーニンの教えにそむいた現代修正主義者の社会民主主義政党「再評価」論は、つぎにみるように、共産党と社会民主主義政党との統一戦線の発展に役だつどころか、「統一戦線」の名のもとに無原則的な右翼追随主義を合理化し、統一戦線に反対する右翼社会民主主義者の日和見主義、反共セクト主義を助長するのに役だっているだけなのである。

(一) 社会民主主義政党の社会的構成

 統一戦線の立場から社会民主主義政党にたいして正しい態度をとるためには、この党の政治路線や組織的性格だけでなく、その社会的構成をも正確に分析する必要がある。

 レーニンは、メンシェビキやエス・エルを例にとって、その依拠する階級や階層が雑多で、そのなかには「完全なブルジョア」分子までふくまれることを、小ブルジョア民主主義派の根本的な特徴として指摘した。

 「小ブルジョア的民主主義派には、完全に大臣級の完全なブルジョアから、プロレタリアの立場にまだ移行しきれない半窮民まで、無数の色合いが代表されている……」(レーニン『妥協について』、全集25巻 329ページ)

 この特徴づけは、事実がしめしているとおり、現在の社会民主主義政党にもそのままあてはまるものである。すなわち、社会民主主義政党は一般に、労働者、農民、都市小ブルジョアジー、さらに富農や中小資本家の一部にいたるまで多様な階級と階層に依拠している。だが、そのなかでもとくに重要なのは、つぎの三つの要素である。

①労働貴族と労働官僚

 レーニンは、労働運動における日和見主義の経済的基礎として、主として植民地の搾取や世界市場での「大国的」地位によって巨額の超過利潤を手にいれた独占ブルジョアジーが、その利潤の一部をつかって労働者のごくせまい「上層」を買収しているという事実を指摘した。この「上層」の主要部分をなすのは、利潤のおこぼれによって特権的な高賃金をえ、資本主義制度の擁護者となった「労働貴族」と、労働組合や政党などの組織や、議会その他の国家機関や公共機関などでの役職、特権的地位などによって、生活様式・収入・世界観の点でもブルジョア化してしまった「労働官僚」とであってレーニンはこれを日和見主義の「主要な社会的支柱」とよんだ。これらのブルジョア化した労働者層は、労働者大衆の生活環境や気分からまったく分離してしまっており、労働運動の指導的地位にたってはいるが、実際は資本主義体制とそのなかでの自分の小市民的地位との永続を追求するブルジョアジーの同盟者に転化してしまっている。日和見主義とは、これらの「特権的少数者」が勤労者大衆に対抗してブルジョアジーと同盟したことのあらわれなのである。

 「日和見主義とは、大衆の根本的な利益を労勧者のうちのとるにたりない少数者の一時的な利益の犠牲にすることであり、いいかえれば、プロレタリアートの大衆を敵として一部の労働者とブルジョアジーとが同盟することである」(レーニン『第二インタナショナルの崩壊』、全集21巻 242ページ)

 資本主義の全般的危機の深化、とくに社会主義世界体制の成立と、これに結びついた植民地体制の崩壊の急速な進行や階級的な矛盾の激化が労働貴族と労働官僚の経済的基盤を動揺させ、さらにその内部の分化の過程を強めている事実は重視しなければならない。だが現在でも一般的にいえば、労働貴族と労働官僚は依然として、社会民主主義政党の右翼的潮流のもっとも主要な支柱をなしており、そのなかでもとくに中央・地方の議員その他の役職に選出された者や労働組合の上層幹部など、労働官僚の比重が大きくなってきている。また、第2次大戦後、「世界反動の主柱」となったアメリカ帝国主義は、従属的に同盟させた資本主義諸国においても、「招待戦術」その他の手段を駆使して、労働官僚や労働貴族の育成につとめている。

②労働者大衆

 労働者大衆の支持が、社会民主主義政党の依拠している主要な基盤の一つをなしていることは事実である。だがこれは、多くの場合、社会民主主義政党が労働組合の諸組織と結びついていること、もっと具体的にいえば、この党に属する労働官僚が労働組合の指導機関と機構をにぎり、多くの労働者が組合主義的習慣や各種の小ブルジョア的偏見からそれに追従している結果であって、どこの国でも自覚した先進的な労働者はしだいにこの党の影響下からぬけだしていっている。だから、社会民主主義政党が労働者の多数の支持をえているといっても、それは主として労働者のうちで共産党への偏見や小ブルジョア的意識にとらわれた部分に依拠しているのであり、この党の小ブルジョア的性格そのものを物語っているにすぎない。そしてまだ、社会民主主義政党の改良主義政策と労働者大衆の根本的利害のあいだには鋭い矛盾が存在しており、大衆の階級的自覚が高まるとともに、労働者のなかでのこの党の基盤がせばまってゆくのは避けられない。

③小ブルジョァジー

 社会民主主義政党が依拠しているもう一つの主要な基盤は、都市と農村の小ブルジョアジーであり、いわゆる「新中間層」の増大にともなって一般にその比重はしだいに増大する傾向にある。だが、独占資本と帝国主義の支配のもとでは、この党の小ブルジョア的な日和見主義、改良主義の路線では、実際に小ブルジョア大衆の経済的政治的利害を守ることはできない。レーニンはここから、プロレタリアートの党は、第二インタナショナルの小ブルジョア的諸潮流と闘争することによって、広範な小ブルジョア大衆を社会主義革命における労働者階級の同盟者としなければならないという結論をひきだした。

 「これらの潮流〔各種の小ブルジョア的潮流〕と闘争することは、プロレタリアートの党の義務である。プロレタリアートの党は、ブルジョアジーに愚弄されている小経営者と多かれ少なかれ小ブルジョア的な生活条件のもとにおかれている幾百万の勤労者とを、ブルジョアジーから奪いかえさなければならない」(レーニン『帝国主義論のフランス語版とドイツ語版の序文』、全集22巻 221ページ)

 もちろん、労働者階級が小ブルジョア大衆をひきつける過程は、単純な直接的な過程ではない。階級闘争の過程では、小ブルジョアジーの一部が、また一時的にはそのかなりの部分がファシズムや反動勢力のもとにとらえられる事態もおこりうるし、さらに独占資本に深刻に従属し追従するまったくブルジョア化した上層の一定部分(反共的インテリゲンチアをふくむ)が、中小資本家の一部とともに、労働貴族や労働官僚と結合して社会民主主義政党内の右翼的潮流のかなり強固な支柱を形づくることも、否定できない事実である。だが、とくに、独占体が国家独占資本主義を利用して人民全体にたいする搾取と抑圧をますます強め、その侵略と反動の反民族的、反人民的政策をあらゆる面で強化している今日の情勢のもとで特徴的なのは、勤労市民、農民、知識人などの広範な小ブジョア大衆が、労働者階級とその党の影響のもとに、右翼社会民主主義的指導部の階級協調政策から、独占資本や帝国主義との闘争の方向に向かって、その利害を守るために転換しつつあることである。その結果、社会民主主義政党内でも、勤労大衆の左翼化とともに小ブルジョア大衆が左翼的潮流をささえる基盤の一つとなるという傾向がしだいに強まっている。

 以上のような社会民主主義政党の社会的構成の分析は、まずこの党が、政治的に「小ブルジョア社会主義」の潮流を代表する政党であるというだけではなく、その社会的構成の面でもまた、小ブルジョア的性格をもった政党であることをしめしている。つまり、社会民主主義政党は、第一に、労働運動のなかの小ブルジョア的・社会民主主義的潮流(そのなかでは、労働貴族、労働官僚が指導的地位をしめている)を代表しているとともに、第二に、勤労市民、インテリゲンチア、農民など都市と農村の小ブルジョア大衆の少なからぬ部分をも、その大衆的基礎としているのである。

 このように、社会民主主義政党の小ブルジョア的性格を正しく認識することは、社会民主主義政党にたいする統一戦線政策と矛盾するものではなく、逆に統一戦線政策に科学的、客観的な基礎をあたえるものである。

 まず、マルクス・レーニン主義の党である共産党と小ブルジョア社会主義の党である社会民主主義政党とのあいだに、世界観、目標とする「社会主義」の内容、革命の路線などについて原則的な意見の相違が存在していることは、いま人民が直面している差し迫った民主主義的課題にもとづいて両党が共同するのを妨げる障害となるものではけっしてない。とくに、今日、資本主義の全般的危機の深化とともに、住民全体にたいする外国帝国主義の支配や独占体の圧迫がますます激化し、平和・独立・民主主義・生活向上をめざす民族的民主主義的綱領を基礎にして労働者階級、農民、インテリゲンチア、都市の中小ブルジョアジーなど広範な勢力を団結させることが強く要求されている。こうした情勢のもとで、労働者階級と人民の団結の重要な一環をなすものとして、共産党が社会民主主義政党との共同を重視し、これをよびかけるのは当然のことだし、この共同はまた、社会民主主義政党が依拠している労働者や小ブルジョア大衆の利害にまったく合致したものなのである。

 そして、われわれが、社会民主主義政党が労働運動内の一定の潮流を代表すると同時に、都市と農村の小ブルジョア大衆の支持に依存し、その地位と意識とを反映した政党であることを正しくとらえてこそ、共産党と社会民主主義政党との共同が、労働者階級の統一を達成するうえで重要であるばかりでなく、小ブルジョアジーをふくめた人民全体の統一にとっても重要な意義をもっていることを正しく評価し、また位置づけうるのである。そしてまた、共産党と社会民主主義政党の共同の階級的基礎が、労働者階級の行動の統一という側面と、労働者階級と小ブルジョアジーの同盟という側面との二つの側面をもっていることを正しく認識してこそ、革命運動のさまざまな段階で、社会民主主義政党の上層部の政治的動揺などに左右されずに、一貫した統一戦線政策を実行することができるのである。

 これにたいして、現代修正主義者のように社会民主主義政党を本質的に「労働者階級の党」と規定する立場をとれば、結局基本的にはこの党との共同の問題を労働者階級の統一の問題だけに単純化し、この共同が一面で労働者階級と小ブルジョアジーとの同盟を基礎とし、人民各層の統一の重要な一環としての意義をもっていることを本質的には見失う結果におちいらざるをえない。このことは、つぎにみるように、右翼社会民主主義者との闘争を無視または軽視することとあいまって、統一戦線政策を科学的かつ正確に運用するための前提を根本的に喪失してしまうことを意味するのである。

(二)統一戦線と社会民主主義政党

(1)社会民主主義政党の二面性

 社会民主主義政党の社会的構成の分析からひきだされる一つの重要な世界史的規模での結論は、社会民主主義政党の日和見主義と改良主義は、たんにこの党を支持する大衆の小ブルジョア的な意識を反映しているだけでなく、なによりも買収されブルジョア化した労働貴族や労働官僚および小ブルジョア上層の一部などを代表する右翼社会民主主義的指導者が、階級敵である帝国主義および独占資本に政治的・思想的に屈服していることをあらわしているということである。だから結局、この右翼社会民主主義的指導者と、小ブルジョア的思想や偏見をもちながらも、その客観的利害は外国帝国主義や国内独占資本の支配に反対する闘争を要求している労働者と小ブルジョアの広範な大衆とのあいだの鋭い矛盾こそが、社会民主主義政党のもつもっとも根本的な矛盾を形づくっている。レーニンは、社会民主主義政党のなかでも、労働貴族、労働官僚などを代表する右翼的指導層と、これに追従する大衆とを厳格に区別する必要があるとくりかえし指摘した。

 「きわめて重要なことは、一方の、小ブルジョア的偏見にしばしばどうしようもないほどけがされている『指導者』あるいは『責任ある代表者』にたいするばあいと、他方の大衆にたいするばあいとで、活動全体にわたって必要とされる異なったやり方を実地につくりあげることである」(レーニン『共産主義インターナショナル第2回大会の基本的任務についてのテーゼ』、全集31巻 184ページ)

 このように、社会民主主義政党が党内に右翼社会民主主義的指導者と勤労大衆とのあいだの根本的な矛盾を内包していることは、この党の内部にたがいに対立する二つの傾向を生みだしており、小ブルジョア政党としての本来の動揺性と二面性をますますはげしくする原因となっている。

 第一の傾向は、帝国主義と独占資本への追従と協調の傾向である。この傾向の主要なにない手は、社会民主主義政党の頭部を多くの場合にぎっている右翼社会民主主義的指導者である。かれらは、帝国主義および独占資本に屈服して、その支持と援助のもとに、多くの場合、社会民主主義政党全体を支配し、この党とその影響下にある広範な勤労大衆の左翼化をくいとめ、反対にその右翼化を促進することによって支配階級に奉仕している。レーニンは、社会民主主義政党の右翼的指導者について、「ブルジョア自身よりもすぐれたブルジョアジー擁護者」とよび、かれらが党の指導権を強力ににぎった場合には、社会民主主義政党がブルジョア政党にかわって「資本主義の主要な支柱」とさえなることを明らかにしたが、第1次大戦後、独占ブルジョアジーとの協調政策を実行して革命の防波堤となり、ファシズムへの道をひらいた第二インタナショナルの諸党の歴史は、このことを具体的に証明したものであった。

 「労働運動の上層の日和見主義は、プロレタリア的でない、ブルジョア的な社会主義である。労働運動内部の活動家で日和見主義的な傾向に属するものは、ブルジョア自身よりもすぐれたブルジョアジー擁護者であるということは、実践的に証明されている。かれらが労働者を指導することがなければ、ブルジョアジーは持ちこたえることができないであろう」(レーニン『国際情勢と共産主義インタナショナルの基本的任務についての報告』、全集31巻 223~224ページ)
 「資本主義諸国の小ブルジョア的民主主義派――その先進的部分は第二インタナショナル第二半インタナショナルに代表されている――は、現在では資本主義の主要な支柱である。というのは、工業および商業の労働者や事務職員の大多数あるいはかなり大きな部分がその影響のもとにあるからである」(レーニン『共産主義インタナショナル第3回大会でのロシア共産党の戦術についての報告要綱』、全集32巻 482ページ、ゴシックは引用者)

 第2次大戦後、社会民主主義政党の右翼的指導部と帝国主義、独占資本との同盟はますます露骨になってきた。たとえば、イギリスの帝国主義者がアメリカ帝国主義の指導のもとに「冷たい戦争」を開始し、「北大西洋条約」を結び、公然と戦争と侵略の政策にのりだしたのは、まさに労働党内閣の時代であったし、またフランス帝国主義がアルジェリア戦争をもっとも凶暴に遂行したのは、モレを首班とする社会党内閣の時期であった。現在でも、ベルギー社会党のスパークは、ベルギー政府の外相としてベルギー帝国主義の対外政策を指揮しているが、ある時期には北大西洋条約機構の事務総長としてアメリカ帝国主義の密接な代理人ともなっていた。このように社会主義インタナショナルの諸党は、戦後一貫して帝国主義陣営の冷戦政策の一翼をにない、ブルジョア的な政策と反共分裂主義の政策を実行していくことによって、右翼社会民主主義者がブルジョアジーのもっとも忠実な同盟者であることをもう一度証明したのであった。この点での第2次大戦後の新しい特徴といえば、アメリカ帝国主義が世界反動の主柱となり、反共的軍事ブロック政策を主要な手段として一連の資本主義国の独占ブルジョアジーを従属的に同盟させたのに対応して、各国の右翼社会民主主義指導者が自国の独占ブルジョアジーと同盟するだけでなく、アメリカ帝国主義とも直接あるいは間接に同盟し、多かれ少なかれその代理人としても行動していることである。

 第二の傾向は、帝国主義と独占資本の支配と闘争する方向に前進しようとする傾向である。これは、主として社会民主主義政党の一般党員と支持者の圧倒的多数をしめている労働者と小ブルジョアの広範な大衆の圧力によって生みだされる傾向である。それははじめは、右翼的指導部の影響や大衆自身の未成熟のためにおおいかくされているとしても、階級闘争がひろく深く発展しこの党の影響下にある勤労大衆の自覚と積極性がたかまるとともに、この傾向は強まり前進する必然性をもっている。レーニンは帝国主義の時代を「少数の独占者のその他の住民にたいする抑圧が、いままでよりも百倍も重く、苦しく、耐えがたいものとなる」(『帝国主義論』、全集22巻 236ページ)時代として特徴づけたが、とくに第2次大戦後の全般的危機の深化のなかで、住民全体にたいする独占体のこの抑圧はいっそう耐えがたいものとなり、労働者への搾取が強まったのはもちろん、農民その他広範な小商品生産者を中心とする小ブルジョア大衆の窮乏化とプロレタリア化の過程も激しく進行して、かれらの戦闘化と左翼化を促進している。この勤労大衆の左翼化の傾向は、当然社会民主主義政党の各級の幹部や指導部にも反映して、幹部の分化を促進し、右翼的潮流に反対するさまざまな左翼的潮流を強める根源となっている。

 社会民主主義政党の内部で、右翼社会民主主義指導者に代表される帝国主義と独占資本への追従・屈服の傾向と、勤労大衆に依拠して帝国主義と独占資本の支配とにたたかおうとする人民的・戦闘的な傾向とのあいだの対立と抗争が激化しつつあることは、まさに今日の社会民主主義政党を時徴づける一つの重要な基本点をなすものである。そして社会民主主義政党が「資本主義の政治的支柱」となるか、それとも労働者階級と人民の側にたって反帝反独占のたたかいの積極的な部隊となるかは、マルクス・レーニン主義に立つ党を先頭とする労働者階級と人民の闘争の前進と結合して発展する、この政党の内部にある矛盾とこれにもとづく二つの傾向の闘争の結果いかんにかかっている。

(2)統一戦線政策の基本的な問題

 ここから、社会民主主義政党との統一戦線政策におけるいくつかの基本的な問題をひきだすことができる。

 その第一は、社会民主主義政党との共同を実現するためには、かならず労働者階級と人民の差し迫った要求から出発し、当面の具体的課題にもとづく共同行動から出発しなければならない、ということである。 社会民主主義政党が小ブルジョア政党としての動揺性と弱点をもち、右翼社会民主主義的指導者による支配階級への追随と協調の傾向をまぬがれえないとしても、労働者や小ブルジョアの広範な大衆に依拠しているかぎり、人民の要求と闘争の前進のなかでは、平和・独立・民主主義・生活向上などの人民の切実な諸要求を、多かれ少なかれ、その政策や方針のなかに反映せざるをえない。ここに、政治上、思想上のきまざまな見解の相違にもかかわらず、共産党と社会民主主義政党との共同が可能になる最大の基礎がある。そして、人民の利益に合致したこれらの具体的目標にもとづいて、共産党と社会民主主義政党が共同することは、民主勢力全体を団結させ、労働者階級と人民の広範な統一をつくりあげるためのきわめて有利な条件をつくりだすことであり、したがってまた、敵を孤立させこれらの目標を真に実現するための力強い展望をきりひらくことであり、社会民主主義政党にとっても、依拠している大衆の利益にもっとも忠実な道を歩むことなのである。

 このことはまた、社会民主主義政党との共同が、たんに政党間の交渉や話しあいだけで達成されるものではなく、具体的な課題にもとづいて帝国主義と独占資本とたたかう人民の大衆的統一行動の前進を基本とし、そのためのねばりづよい努力と結びついてはじめて確実に達成されるものであることをも教えている。

 その第二は、社会民主主義政党との統一戦線を達成し、強化発展させるためには、社会民主主義政党全体にたいして共同をよびかけ、中央指導部のあいだで統一行動の話しあいや協定をおこなう上部での統一戦線のための活動と同時に、下部での統一戦線、すなわち社会民主主義政党の下部組織との地方的、地域的な共同行動や、社会民主主義政党の党員や支持者である勤労者をふくむ大衆的な統一行動を、地域や職場で展開し強化する活動を重視しなければならないということである。

 われわれが、下部での統一戦線を重視するということは、もちろん、上部での統一戦線、すなわち共産党と社会民主主義政党間の話しあいや協定の軽視を意味するものではないし、ましてや、社会民主主義政党の上部と下部を切りはなすいわゆる「反幹部闘争」を意図するものではけっしてない。こうした態度は、国際共産主義運動内部ですでに批判ずみのセクト主義の誤りである。下部での統一戦線が重要だということは、ただ下部での統一戦線こそ統一戦線全体の強固な土台をなすものであって、この力に依拠してこそ、(1)社会民主主義政党の右翼的指導部が統一戦線を拒否している場合にも、現実に大衆的な統一行動を発展させ、それをつうじて、上部での統一戦線を実現する見とおしを切りひらくことができ、(2)統一戦線の結成後においても、これを後退させ、分裂させようとするあらゆる企てにたいして大衆的な反撃をくわえ、上部での統一戦線を守りぬくことができ、(3)大衆の経験と自覚の高まりに依拠しながら、統一戦線をより強力なより高い段階にたかめ発展させてゆくことができる、ということを意味しているのである。

 その第三は、社会民主主義政党を、一致した具体的課題にもとづいて共産党と共同し、民主勢力全体の統一戦線に参加する方向に真に転換させるためには、この力向を阻止しようとする右翼社会民主主義的勢力の反共主義にたいする批判と闘争を、避けることはできないということである。

 社会民主主義政党のなかには、その小ブルジョア的性格から生まれる支配階級との闘争における日和見主義的な動揺や、これと結びついた共産党への偏見、党利己心など、統一戦線の結成をはばむさまざまな障害が存在しているが、なかでも、最大の障害は、反共的右翼社会民主主義指導者の分裂主義的策動や妨害にある。社会民主主義政党の社会的構成は、この党のなかに、帝国主義と独占資本に追従する右翼社会民主主義的潮流の有力な基盤が存在していることをしめしている。これまでの内外のすべての歴史的経験は、共産党と社会民主主義政党との共同をめざす闘争が、さまざまな局面でかならずこの右翼的潮流からの妨害に直面すること、これらの右翼的潮流の反共主義、分裂主義にたいして必要な闘争をおこなうことなしには、統一戦線の形成も前進も期待しえないことを教えている。

 もちろん、統一戦線のための闘争のさまざまな段階で、右翼社会民主主義者の分裂主義との闘争が避けられないからといって、社会民主主義政党の各級指導者や統一戦線に消極的態度をとっている社会民主主義者を、セクト的・一律的に反共右翼社会民主主義者や分裂主義者とみなし、これにたいして打撃的態度をとることが正しくないことは、言うまでもない。勤労者大衆の左翼化、戦闘化の傾向が強まり、これと結びついて社会民主主義政党内部の左翼的潮流が強まる条件にある今日の情勢のもとでは、このことはとくに重要である。

 わが党の綱領は、「党は、すべての民主党派や無党派の勤労者を階級的には兄弟と考えており、これらの人びとに向かって心から団結をよびかけ、そのために力をつくすものである。それは、同時に、団結に反対し、団結をやぶるいっさいの正しくない傾向とのたたかいを必要とする」とのべている。社会民主主義政党との統一戦線においても、統一行動のどんな小さい可能性をも見のがさず、人民の具体的な要求にもとづいて社会民主主義政党の影響下の勤労者をふくむもっとも広範な人民の団結をうちたてるためのねばり強い努力と、現実に人民の団結を破り妨害する反共的右翼社会民主主義者の分裂主義、反共主義にたいする確固としたたたかいとは、切り離しがたく結びついた、統一戦線政策の二つの側面なのである。

 その第四は、社会民主主義政党の小ブルジョア的性格や複雑な構成にもとづく弱点のために、労働者階級の革命的前衛である共産党が科学的な正しい統一戦線政策をもって指導的な役割をはたし、さらに民主勢力全体の真の統一と団結のために献身することが、統一戦線の確立や強化にとって、一つの決定的な条件をなすということである。

 統一戦線を正しく発展させるためには、マルクス・レーニン主義党は、支配階級やこれと結びついた一部の右翼社会民主主義者の妨害や分裂策動とたたかうだけでなく、自分自身が、統一戦線を妨げる右翼追随主義や左翼セクト主義の誤りにおちいる危険にたいしてたえず警戒し、この両翼の偏向を克服して正しい統一戦線政策を一貫して堅持するようにつとめなければならない。

(3)現代修正主義の「統一戦線」論

 これにたいして、現代修正主義の社会民主主義政党「再評価」論からみちびきだされるのは、マルクス・レーニン主義の統一戦線政策と根本的に対立する右翼追随主義の議論であり、もっとはっきりいえば、独占ブルジョアジーや反動勢力と通じて統一戦線に反対する右翼社会民主主義者を弁護し免罪する議論である。

 第一に、現代修正主義者は、社会民主主義政党を全体として「労働者階級の党」と規定することによって、この党が雑多な社会層に依拠する複雑な性格をもつ党であり、帝国主義および独占資本に屈服した反共的右翼社会民主主義的潮流と、その社会的基盤である労働貴族、労働官僚、ブルジョア化した小所有者上層などをこの党の有機的な構成要素としてもっていることを否定し、この党が右翼的指導者と勤労大衆とのあいだの根本的な矛盾をはらんでいることを事実上抹殺してしまう。

 第二に、現代修正主義者は、社会民主主義政党の構成にねざす矛盾から生まれる政治的役割の二面性を無視し、この党を無条件的に労働者階級と人民の側に立った勢力とみなすことによって、右翼社会民主主義的指導部の支配のもとでこの党が、あるいは帝国主義と独占資本への追従の方向に右傾化しつつあり、あるいは、イギリス労働党や日本の民主社会党のようにブルジョア政党とほとんど区別がつかない資本主義擁護の党と化している状態を美化している。

 第三に、現代修正主義者は統一戦線の最大の障害が右翼社会民主主義者の反共主義、分裂主義にあることに目をつぶって、共産党が社会民主主義政党にたいする態度と評価をかえ、この党を「労働者階級の党」として再評価することによって、統一戦線への道がひらかれるなどと主張している。これは、統一戦線の障害を主としてこの種の「共産党のセクト主義」に求めるまったく逆立ちした反マルクス・レーニン主義的な議論である。ここから不可避的に出てくる実践的な結論は、「統一戦線」の名のもとに、共産党に向かって右翼社会民主主義者の分裂主義、日和見主義にたいする闘争と批判をやめ、かれらに無原則的に譲歩することを要求するまったくの右翼追随主義の路線である。

 こうした追随主義をもっとも典型的にあらわしているのは、わが国の反党修正主義者の「統一戦線」論である。かれらは、たとえば、社会民主主義政党「再評価」論から出発して、共産党がその自主的な政治的立場を放棄し、「革新勢力の多数派」である日本社会党に追随することが「統一戦線」であるかのように主張しているが、これは真の統一戦線とはなんの共通点もない議論である。なぜなら、統一戦線とは、それぞれの党が互いに他党の自主性と立場を尊重しながら、人民の当面の諸要求にもとづく一致点で共同することを原則とするものであって、あたまから共産党を排除したり、自分の綱領やその立場にしたがうことを統一の前提として押しつけたりするとすれば、それは社会民主主義政党の反共セクト主義や運動「私物化」の態度であって、それこそ統一戦線の原則に根本的に反するものである。日本の運動の最近の経験は、社会民主主義政党の指導傾向におけるこうした態度が統一戦線結成の最大の障害の一つをなしており、これが固執され強行されれば統一戦線や大衆運動を破壊するものとなることをくりかえし明らかにしている。修正主義者の「統一戦線」論とはまさに、社会民主主義政党のこうしたセクト主義を逆に合理化し、これに追随することを要求する議論なのである。もしこの路線にそって、「統一戦線」が成立したとしても、それは統一戦線であるどころか、統一の原則をふみにじって大衆運動を社会民主主義政党の「私物化」に、共産党を社会民主主義政党のたんなる従属物と化することにほかならないのである。

 また、反党修正主義者は、右翼社会民主主義への無原則な追随を拒否し、真の統一のためにたたかうわが党の原則的態度をとらえて、共産党は社会党、総評との統一戦線を否定したとか、社会民主主義政党「主要打撃」論のセクト主義に復帰したとかの非難をあびせている。だが、わが党が非難しているのは統一戦線をやぶる正しくない傾向にたいしてであり、社会民主主義者一般ではなく、社会党・総評指導部内の一部の反共主義的、分裂主義的傾向にたいしてなのである。わが党のこの立場は、いわゆる社会民主主義政党「主要打撃」論とはなんの共通点もない。社会民主主義政党「主要打撃」論というのは、ロシア革命のある時期の経験を機械的に一般化して、革命運動の主要な打撃を、もっとも主要な敵にではなく、社会民主主義政党などの中間勢力に向けなければならないとした理論のことであって、そのセクト主義的な誤りは、国際共産主義運動の内部ですでに明らかにされている。だが、修正主義者が主張しているように、これを理由にして右翼社会民主主義者の日和見主義、分裂主義との闘争を放棄してしまおうとするのは、統一戦線を事実上否認する左翼セクト主義を克服するというみせかけのもとに、実際には、同じく統一戦線を破壊する右翼追随主義の路線をもちこむことにほかならない。

 反党修正主義者の主張するように、右翼社会民主主義者にたいする必要な批判と闘争をやめ、これに無批判に追随することは、統一戦線そのものに反対し民主勢力の団結を破壊するためにこそ活動している右翼社会民主主義者の活動を野ばなしにし、かれらが人民各層の統一戦線への結集を妨害し、社会民主主義政党を帝国主義、独占資本がのぞむ方向に右傾化させるのを援助するものであって、結局は統一戦線そのものの成立を阻止しあるいは破壊にみちびく議論である。この意味でかれらの「統一戦線」論は、アメリカ帝国主義や国内独占資本と「同盟」した反共的右翼社会民主主義者の統一戦線破壊の活動への直接の援護射撃をなすものであり、社会民主主義政党「再評価」論のもっとも有害な実践的結論をあらわしたものである。

 社会民主主義政党「再評価」論にもとづいたこの種の追随主義的「統一戦線」論は、国際的にも、いろいろな形であらわれている。たとえば、国際労働運動の分野では、国際自由労連との統一の必要を理由としてその反動的指導者の分裂主義的活動やアメリカ帝国主義の代理人としての役割を暴露することに反対したり、国内における労働組合運動の統一への妥協的考慮から階級的労働組合がアメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策に反対する断固とした立場をとることをさけたりする、無原則的「統一」論がしきりに提唱されている。さらに平和運動、民主運動その他の分野で、現代修正主義の国際的潮流と右翼社会民主主義的潮流との無原則的な提携の傾向が強まってきたことも、そのあらわれである。これらの事実は、統一戦線の破壊と大衆運動の弱体化をもたらす右翼追随主義が、社会民主主義政党「再評価」論の必然的な帰結であることを、あらためて証明している。

四、日本における続一戦線のための闘争と現代修正主義

 すでにのべたように、現代修正主義の社会民主主義政党「再評価」論は、わが国では、主として日本社会党が世界の社会民主主義政党のなかで左翼的な地位をしめていることを根拠とした「日本社会党例外」論、あるいは「日本社会党再評価」論として展開されている。この「日本社会党例外」論が修正主義的「再評価」論の一変種にすぎないこと、日本社会党がさまざまな積極的特徴をもちながらも、基本的には小ブルジョア社会主義の潮流に属する政党であることは、すでに明らかにしたところであるが、人民の統一と団結をめざす闘争の最近の経験もまた、「日本社会党再評価」論が右翼社会民主主義者を美化し、弁護することによって、真の統一戦線への人民の結集を妨げる修正主義と分裂主義の議論であることを実証している。

(一)日本における社会民主主義政党との統一戦線の諸条件

 戦後の日本の情勢のなかでは、アメリカ帝国主義と日本独占資本に反対する人民の統一行動を発展させ、民族民主統一戦線をつくりあげる上で、社会民主主義政党との共同の問題は、きわめて重要な意義をもっているからである。

 それは第一に、日本の社会民主主義政党が、その影響力の点で、現在では労働者階級と人民のあいだに比較的大きな比重をもつ政治勢力となっているからである。

 日本社会党と民主社会党は、党員数は非常に少ないが、総評、同盟会議、中立労連など労働組合組織の主要な部分をその影響下におき、最近の選挙においては総投票数の30%から40%を獲得している。これは、戦前の日本にはなかった現象であり、また、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの被抑圧諸国にもみられない現象である。この基礎には、(1)日本が発達した資本主義国であり、さらに戦後、不徹底ではあるが絶対主義的天皇制がいちおう、解体されて、社会民主主義政党の「議会主義」、改良主義のなりたつ政治的前提が強められたこと、(2)労働組合運動が短期間に900万の労働者を組織するところまで成長をとげたが、その発展の急速さと企業組合的な組織形態、独占資本主義の復活強化などの諸要因が結びついて、企業主義、組合主義、経済主義がなお広範な労働者をとらえていること、(3)1955年にいわゆる「保守合同」が実現して以後、社会民主主義政党以外の中間政党が存在しないため、自民党に不満をもつが共産党を支持するにはいたらない層が、ひろく社会党、民社党に投票することなど、日本の情勢の一連の特殊性が横たわっている。

 それはまた第二には、発達した資本主義諸国のなかでもわが国には、ヨーロッパその他の国ぐにと比べて、社会民主主義政党との共同を実現し発展させるうえでいくつかの有利な条件が存在しているからである。

 戦後の日本の情勢は、(1)各層の日本人民が天皇制の抑圧、戦争と敗戦の惨害、アメリカの軍事占領などを経験し、いまなお米日反動勢力の反民族的反人民的な支配のもとにおかれ、独立・民主主義・平和・生活向上のためにたたかう強大なエネルギーをもっていること、(2)アメリカ帝国主義がアジアをその侵略政策の当面の主戦場のひとつとし、目したの同盟者である日本独占資本の協力のもとに日本をその最大の戦争策源地としているために、米日反動と日本人民の矛盾はあいまいな妥協的解決を許さない深刻さと鋭さをおびていること、(3)日本資本主義が旧来の植民地をすべて失ったうえ、伝統的な低賃金制が対米従属的な国家独占資本主義のもとでさらに強化されているために、「労働貴族」の安定した基盤が弱く、労働者階級だけでなく都市と農村の小ブルジョア大衆の生活も上層をふくめてますます困難で不安定なものにされていること、(4)日本共産党がはじめて合法的存在をかちとって人民の闘争の先頭にたち、人民の要求と闘争を前進させる正しい路線をしめすとともに、とくに安保共闘以来、その統一戦線の政策を大衆のあいだに一定の支持をえつつあることなど、一連の特徴をもって発展している。

 こうした情勢のもとで、社会民主主義政党がその大衆的な基礎を維持し、労働者と人民の支持を獲得するためには、党の政策と行動のうちに、多かれ少なかれ、独立・民主主義・平和・生活向上をめざす人民の意思と要求を反映せざるをえない。

 このことは、戦争直後の再建時にはわが国の社会党の主流をなしていた西ヨーロッパ型の右翼社会民主主義の潮流が、広範な大衆的支持をえることに失敗してしだいに主流の地位を失っていった歴史にも、はっきりしめされている。また、安保闘争の過程で結成された民主社会党が劣勢な政治勢力に転落してしまった事実は、その新しい実証であった。西ヨーロッパの社会民主主義諸党を模範とし、社会主義陣営を敵視して米日支配層の戦争と侵略の政策を基本的に支持するとともに、徹底した階級協調主義と反共主義を旗印にしてつくられた民主社会党は、米日支配層の強い支持と期待にもかかわらず、分裂前に社会党内部で確保していた議席と得票数を維持することさえできなかったのである。そして、民社党の内部でもやはり、この党が勤労大衆の一部に依拠していることと結びついて、多かれ少なかれこれらの人びとの不満や要求と関連してひきおこされる一定の動揺やあつれきが存在しており、強まる傾向にある。

 これにたいして、日本の社会民主主義政党の主力をなす日本社会党は、公然と帝国主義と資本主義を擁護する立場にたつ西ヨーロッパの社会民主主義諸党やわが国の民主社会党とはちがって、日韓会談反対、日中国交回復、原子力潜水艦寄港阻止、憲法改悪阻止、安保条約廃棄など、米日支配層の政策に反対する一連の積極的要求をかかげ、安保条約の改定阻止闘争の段階では安保共闘その他で共産党をふくむ民主諸団体の統一行動にも参加してくるなど、日本人民のたたかいのなかで一定の積極的役割をはたしてきた。

 これは、現代修正主義者が主張するように日本社会党が「労働者階級の党」であることや、社会民主主義政党から脱皮しつつあることを証明するものではなく、日本における民族的、階級的矛盾のするどさと、社会党が依拠している勤労大衆、とくに小ブルジョア大衆の独立・平和・民主主義・生活向上の要求の根強さとそのための闘争のエネルギーの強大さを反映しているのである。このことが、共産党と社会党の共同、あるいは社会党をふくめた民主勢力の団結を発展させる上で、きわめて有利な条件をつくりだしていることは疑問の余地がない。

(二)右翼社会民主主義と「二つの敵」

 日本社会党の「例外論」や「再評価」論をとなえる現代修正主義者たちは、この党の小ブルジョア的性格を否定するだけでなく、この党の内部にもやはり右翼社会民主主義的指導者と勤労大衆との根本的な矛盾が存在しており、この党が米日支配層と人民とのあいだを動揺する二面性をもっている事実を抹殺してしまおうと極力つとめている。だが、安傑闘争以後の情勢の発展は、社会党の社会民主主義的本質を無視し、右翼的潮流にたいする闘争の重要性を過小評価する社会民主主義政党「再評価」論の誤りをだれの目にも明らかにしたのである。

 すでに安保闘争の1年後に第8回党大会政治報告は、「最近の社会党の指導傾向にあらわれた右翼社会民主主義化の兆候と危険」を、労働者階級と人民の統一と団結を困難にし、人民の利益をそこなうものとして指摘しているが、その後の事態の発展のなかで、一部右翼幹部は、民社党の右翼的指導部とならんで人民の闘争の内部でその前進を妨げる積極的な妨害者の役割をはたすにいたった。

 まず、かれらは、安保闘争と三池闘争の経験の清算主義的評価にもとづいて、「反独占構造改革」論や「政策転換闘争」論、「積極中立主義」論など、さまざまな日和見主義理論を労働組合運動や平和運動のなかにもちこみ、日本人民の闘争を、アメリカ帝国主義と日本独占資本の支配に反対する路線から、アメリカ帝国主義との闘争を回避し日本独占資本との協調をはかる日和見主義路線に転換させるために、全力をあげてきた。

 さらにかれらは、共産党を排除し、統一戦線や大衆運動を社会党の排他的指導下におこうとする分裂主義、その目的の実現のためには原水禁運動などの統一的大衆運動の分裂と破壊も辞さないという統一戦線破壊の政策を、反党修正主義者集団、トロツキストなどとぐるになって一貫して実行してきた。

 原水禁運動では、社会党、総評内の一部の反共的右翼幹部は、まず、原水協が「積極中立主義」の路線を運動の「基本原則」とし、社会党の「下請け機関」化することを要求してあらゆる卑劣な策動をおこない、1962年の第8回世界大会で内外の平和活動家の努力によってこの策動が挫折すると、大会を脱退し集団的な暴力で大会を失敗させようとする暴挙をあえてした。そして、1963年の第9回世界大会では、ついに原水協を脱退して「分裂集会」を開き、分裂主義的な「新しい原水禁運動」の組織活動を全国的に開始し、ついに第10回世界大会に対抗していわゆる「被災三県連絡会議」による分裂的「世界大会」を組織するなど、原水禁運動の統一的な発展を、あらゆる手段を動員して妨害しつづけている。

 安保反対闘争が生みだした民主勢力の統一戦線組織、安保共闘会議にたいしても、かれらは一貫して消極的態度をとり、さまざまな口実をもつけて共闘再開を拒否し、活動を中断させるなどの事態をくりかえしてきた。

 労働組合運動でも、組合員のあいだの統一戦線への根強い要望と組合民主主義を無視して、総評その他の組合で「社会党支持」の機関決定をいっそう強化し、これに従わない組織や組合員に組織的圧迫をくわえるとともに、原水禁運動その他の大衆運動の分野でも、労働組合を社会党の支持団体とし、共産党に対抗させるという組合「私物化」の傾向をますます露骨にしてきた。

 このように安保闘争以後、社会党内の右翼的指導傾向が急速に強まり、人民運動と統一戦線への破壊的な攻撃をくわだててきたのは、偶然の現象ではない。

 それは、歴史的な安保闘争によってその支配に重大な打撃をくわえられたアメリカ帝国主義と日本独占資本が、安保闘争の経験にまなんで、自分たちの反人民的、反民族的な支配と人民のあいだの深刻な矛盾をそらすたために、民主勢力を分裂させる活動を重視し、そのためのさまざまな働きかけをおしすすめてきたことと結びついている。池田内閣の「低姿勢」政策、アメリカ帝国主義の「ケネディ・ライシャワー」路線は、その具体的なあらわれであり、どちらもその重点の一つを、社会党、総評の右翼化においていた。

 この点では、まず第一に、日本独占資本の復活強化とともに、こうした懐柔工作のための経済的基礎が、以前よりは相対的に強められたことを無視することはできない。アメリカ帝国主義の支配のもとで再編強化された日本独占資本は、国家独占資本主義の諸機構を最大限に利用して広範な人民への搾取と収奪を強め、経済的にはますます帝国主義的特徴を強めつつ、軍国主義的帝国主義的復活の道をすすんでいる。このような日本独占資本の急速な復活強化は、大企業を中心に労働者の上層のかなりの部分を改良主義、労資協調主義の方向にひきこみ、さらに、労働官僚の一部やいわゆる進歩的知識人の一部を懐柔し、反共的右翼指導者を育成するための経済的な基盤を相対的に強めている。

 第二に、とくに注目する必要があるのは、社会民主主義的潮流の最近の右傾化が、日本を支配するアメリカ帝国主義の政策とも、密接なつながりをもっていることである。

 すでにのべたように、アメリカ帝国主義は、第2次大戦後一貫して各国の社会民主主義諸党の右翼幹部と労働組合の反動的指導者たちを、その世界政策の忠実な「同盟者」として利用してきた。アメリカ帝国主義の世界政策のなかで右翼社会民主主義指導者の役割のしめる比重は、ここ数年来の「二面政策」の展開とともに、ますます大きくなっている。ケネディ前大統領の指導のもとでとくに強化された「二面政策」の本質は、社会主義体制、民族解放闘争、資本主義諸国の革命運動などと、世界の反帝国主義勢力全体の前進によって、深刻な危機と困難におちいったアメリカ帝国主義が、一方でその侵略と戦争の政策をいままで以上に強化しながら、他方でこれを「平和共存」や「冷戦解消」の欺まん的な煙幕におおいかくし、世界の民族解放と平和、民主の勢力の警戒心を眠りこませ、社会主義陣営の不団結を利用して分裂策謀を強め、戦争政策の実行に有利な情勢をつくりだそうとしていることである。これに呼応して、人民大衆の内部で、アメリカ帝国主義を美化し現代資本主義を弁護する思想をふりまいている右翼社会民主主義者が、現代修正主義者とともに、「二面政策」のなかで重要な役割をになうことは当然のことであろう。

 この政策は、日本では、安保闘争がアメリカ帝国主義の対日支配の政治的な不安定さを暴露して以後、いわゆる「ゲネディ・ライシャワー路線」という形で、全面的に展開されてきた。

 すでに現駐日大使ライシャワーは、安保闘争直後に発表した論文のなかで、安保闘争をたたかった人民と民主勢力を、(1)共産党およびその同調者と、(2)「民主主義のまじめな信奉者たちであり国際平和の理想に身をささげている」社会党および民社党という二つの集団にわけ、「野党勢力」、つまり社会党・民社党との「接触が少ない」ことに、アメリカ帝国義の対日政策の大きな誤りがあったとし、この二つの集団を分断して共産党を孤立化させ、社会党・民社党を「西欧民主主義諸国」の側にひきつけることをこそ、今後の対日政策の基本方針としなければならないと主張していた。(『断たれた日本との対話』 『フォリン・アフェアーズ』1960年10月、邦訳『日本との対話』所収)

 事実、アメリカ帝国主義は、ライシャワー大使の指揮のもとにアメリカ大使館をこの路線を実行する一大根拠地とし、池田内閣や日本独占資本と緊密に協力しながら、(1)社会党指導部内部の一部の右翼幹部や総評その他の労働組合の一部の反共的右翼的指導者とアメリカの外交機関とのあいだに緊密な「接触」や日常的な連絡・協議の関係をうちたて、分裂工作の中心としていわゆる「大使館グループ」を組織し、(2)労働組合の国際交流に名をかりて、同盟会議系だけでなく総評系や中立系の労働組合幹部を多数アメリカに招待するとともに、国際自由労連やアメリカの労働組合官僚を対日工作に系統的に送りこんで、親米反共と労資協調主義とでつらぬかれた労働官僚の集団を育成し、(3)社会党や労働組合と関係の深い進歩的知識人への働きかけを強めつつ、商業ジャーナリズムにたいする「指導」と「統制」を強化し、(4)共産党とマルクス・レーニン主義を攻撃する武器として、「近代化」理論をはじめとする各種のブルジョア理論を動員し、また「積極中立」論や「構造改革」論などの修正主義理論を支援するなど、民社党・同盟会議の指導部を利用するだけでなく、社会党・総評の右翼化と反共主義の強化を一つの焦点に、民主勢力の団結の破壊をめざした広範な思想的・政治的な攻撃を展開してきた。

 ここ数年来の社会民主主義的潮流の反共主義的傾向の強まりは、まさに、日本の核攻繋基地化と極東における核戦争体制の強化、わが国における軍国主義、帝国主義の復活などの政策が新しい段階にはいった情勢のもとで、日本人民の運動を分裂させ、無力化することをめざす米日支配層の政治的思想的攻勢と不可分に結びついているのである。

 この事実から目をそむけて、右翼的反共主義的潮流との闘争を回避することを主張し、これを弁護する「日本社会党再評価」論は、その一点だけをとっても「ケネディ・ライシャワー路線」を直接援助する反人民的・反階級的議論だと言わなければならない。

(三)共産党の統一戦線政策

 わが党は、マルク久・レーニン主義の原則的な統一戦線政策にもとづき、さらに日本の社会民主主義政党の特殊性の科学的な評価のうえにたって、社会党、総評などをわれわれが共同すべき民主勢力の一部として評価し、これまで、人民の統一と団結を発展させるかなめとして社会党をふくむ民主勢力との共同を一貫して重視してきた。

 わが党の第8回党大会政治報告は、まず、社会党との共同の問題について、わが党と社会党のあいだには、政治上・思想上のさまざまな相違はあるが、当面の具体的な目標の点では多くの点で一致しており、ここに両党の共同しうる基礎があること、この具体的な目標にもとづいて両党が共同することこそ、人民の切実な差し迫った利益にこたえる道であることを、明確に主張している。

 「わが党と社会党のあいだの政治上、思想上のさまざまな相違にかかわらず、われわれは、これらの具体的目標の一致を重視しており、ここに同党とわが党の共同しうる基礎がある。その意味から、われわれは、当面両党をふくむ労働組合、平和団体、民主諸団体の共同を促進しつつも、両党間の直接の共同が必要であることを強調する」(第8回党大会政治報告)

 また、この政治報告は、統一戦線に名実ともに反対している民社党にたいしても、民社党を公式に支持する団体や民社党の支持者を、労働者階級と人民の団結の場に立たせるようねばり強く努力しなければならないと強調している。差し迫った人民の要求にもとづく民主勢力との共同を重視するこの方針は、今後とも堅持すべきわが党の原則的態度である。

 もちろん、統一戦線のために努力することは、社会党などへの無原則的な追従を意味するものではない。わが党は、社会党をふくむ民主勢力との共同を一貫して追求しながら、統H戦線に反対しこれを破壊しようとする右翼社会民主主義者の分裂主義の傾向にたいしてはけっして追従しない原則的な態度を堅持してきた。

 政治報告は、社会党との共同の重要性を強調する一方で、社会党の一部にあらわれた反共セクト主義の傾向を重視し、こうした段階での統一戦線のための党の具体的な任務をつぎのように規定している。

 「党はあくまで統一戦線の立場を堅持し、安保闘争をたたかった大衆の統一戦線についての体験と自覚に依拠して、党の独自活動を強め、一部の反共的分裂的傾向にたいしては、必要な批判をおこたらず、当面の諸課題にもとづく統一行動を発展させ、統一戦線を強めるために奮闘しなければならない」

 また、4中総の決議は、これらの点をさらに明確に指摘している。

 「わが党はすべての誠実な社会党員、労働組合員や無党派の勤労者を階級的には兄弟と考え、心から団結をねがってやまないが、しかし、民主勢力の共闘を停滞させ、破壊し私物化する理論や政策にたいしては断じて追随せず、その誤りを大衆とともに明らかにし、克服する」

 さらに、7中総決議は、社会党・総評指導部内の一部の反共右翼分子の分裂策謀がとくに露骨なものとなってきた情勢のもとで、統一戦線のための闘争にとって、「いまわれわれの警戒すべき主な危険」は、「統一を守らなければならないということから、右翼杜会民主主義者の日和見的、セクト的傾向をやむをえないものとして容認し、その結果、かれらが統一行動を破壊し、まひさせたり、運動を私物化しようとしたり、誤った方向にみちびく分裂主義的策動を、事実上許すような追従的傾向」であると指摘した。

 わが党のこの方針の正しさは、最近の日本人民の運動の経験のなかではっきりと証明された。

 たとえば、昨年の第9回原水禁世界大会で、社会党、総評の右翼幹部の不当な要求に追従することを拒否して統一の原則を守った原水禁運動は、それ以後、大衆のなかでの活動に依拠して前進をつづけ、分裂主義者の策謀を粉砕して第10回原水禁世界大会の画期的な成功をかちとりつつある。また、日韓会談粉砕、原子力潜水艦「寄港」拒否、F105D機配備阻止、日中国交回復などをめざす統一行動の全国的なたかまりをつくりだしてきたのは、安保共闘再開を拒否する右翼的指導部に屈服することなく、地方、地域の共闘や実行委員会活動を基礎として大衆を独自に結集し、中央・地方の統一行動をねばり強く組織してきたわが党と統一戦線勢力の不屈の活動であった。

 これらの経験は、右翼杜会民主主義的指導者の分裂主義、反共主義とのたたかいなしには、民主勢力の統一と団結をかちとることができないという事実をあらためて実証し、現代修正主義の社会民主主義政党「再評価」論や右翼社会民主主義弁護論の反人民的な本質を、きわめて具体的に暴露したものであった。

 もし共産党をはじめ統一戦線を支持する勢力が、現代修正主義者の勧告にしたがって、杜会党内の右翼的潮流の有害な役割を見失い、これらの分裂主義的策謀に的確な反撃をくわえず、人民の運動の右傾化のくわだてをそのまま放置していたならば、日本人民のこれまでの闘争は重大な打撃をうけていたにちがいない。現代修正主義の杜会民主主義政党「再評価」論を思想的に完全に粉砕し、マルクス・レーニソ主義の原則的立場を堅持することは、統一戦線をめざす闘争において勝利をかちとるための、基本的前提の一つなのである。

 だが、右翼杜会民主主義的指導者の分裂主義、反共主義との闘争が重要だからといって、この闘争を「誇張」し、この闘争が大衆運動の統一を守り発展させるためにこそ必要となっていることを忘れて、大衆運動のなかに「分裂主義反対」を頭から機械的にもちこんだり、原水禁運動などで分裂主義の活動が露骨におこなわれているからといって、その他の大衆運動の分野でも社会党・総評との統一行動がいっさい不可能になったなどと考えて、一致した具体的課題にもとづく共同行動への努力を放棄したり、あるいは共産党との統一行動に消極的態度をとるすべての人びとを一律に敵とつうじたもっとも悪質な反共分裂主義者と同一視して打撃的批判をあびせたりすることが、正しいマルクス・レーニン主義的態度でないことは言うまでもない。この点では、カウツキー一派の「中央主義」との闘争の重要性を強調しながら、この闘争の「誤った誇張」におちいることをいましめたレーニンの言葉が、きわめて教訓的である。

 「中央主義との闘争を誇張することは中央主義をすくい、その地位をかため、労働者にたいするその影響力を強めることを意味する」(レーニン『ドイツ共産主義者への手紙』、全集32巻、561ページ)

 レーニンのこの警告は、右翼社会民主主義者の反共主義、分裂主義との闘争にもそのままあてはまる。もし、マルクス・レーニン主義党が、分裂主義との闘争において少しでも「誤った誇張」におちいり、左翼セクト主義の偏向をおかすならば、それは、真の分裂主義者、反共右翼社会民主主義者を「すくい、その地位をかため、労働者にたいするその影響力を強める」のに役だつだけなのである。

 こうしたマルクス・レーニン主義の原則的見地および綱領、第8回大会政治報告の正しい方針にもとづいて、わが党は、主要な危険としての右翼追随主義の傾向の克服に努力すると同時に、右翼社会民主主義的潮流に反発するあまり、左翼セクト主義の傾向におちいることにたいしてもたえず警戒をはらってきた。第8回党大会政治報告は「原則的で弾力性のある統一戦線の政策をひきつづき正しく発展させるためには、つねに両翼の偏向の危険を克服しなければならない」と指摘し、「局部的地域的」にある「セクト的な危険」にたいしても警告を発した。また、4中総の幹部会報告は、社会党・総評内の反共セクト主義の傾向との闘争にあたって、労働者階級と人民の要求と闘争を前進させる基本的見地からはなれて反共主義との闘争それ自体を自己目的としたり、社会党・総評をふくむ全民主勢力の団結という基本方針を見失ったりするセクト的な誤りを深くいましめて、つぎのようにのべている。

 「社会党の反共セクト主義や組合私物化の傾向に反対し、これを克服しなければならないが、これは『民族民主統一戦線』『共産党と社会党をふくむ全民主勢力の団結』という党の基本方針を堅持して、労働者と人民の真の敵であるアメリカ帝国主義と日本独占資本にたいする労働者の要求と闘争を中心にすえ、労働者の階級的な利益を守り、団結を強める立場から、右翼社会民主主義者や修正主義者によって労働運動内にもちこまれている誤りや、わが党にたいする誹謗や中傷を事実にもとづいて理論的にふかく批判し、誤りを直すという方法でおこなわれなければならない。そして、まじめな社会党員や無党派の活動家との団結を強め、正しい指導方法を労働運動のなかに確立しなければならない」

 7中総の決議は、一部にあらわれたセクト主義の危険についてさらにきびしく警告し、右翼勢力の分裂策動にもかかわらず、大衆の要求にもとづき、一致できる点ではあくまで社会党・総評との統一行動を実現するために努力しなければならないとして、つぎのようにのべている。

 「一部には、社会党と総評との共同の要求にもとづく統一行動の可能性と努力をまったく無視するようなセクト的傾向もあらわれている。これは思想的には追従的傾向の機械的な裏返しで、その根源は同じであり、克服しなければならない」

 このようにわが党の綱領とそれにもとづく大会、中央委員会の諸決定は、右翼追随主義と左翼セクト主義の両翼の偏向にたいして、必要な警戒をはらい、克服のための方向をしめしながら、わが国における統一戦線のための闘争の原則的な路線を正確に規定している。もちろん、中央委員会幹部会の「春闘、4・17スト問題をめぐる総括と労働運動の当面の諸問題」が卒直にのべているように、わが党の実践行動の中にも、この正しい基本路線からの左右両翼への逸脱傾向や欠陥は時として起こりうる。だが、マルクス・レーニン主義と綱領および大会、中央委員会の正しい方針に忠実であれば、このような逸脱や欠陥は必ず克服され、統一戦線の正しい方針と実践を堅持することができるし、民主勢力の団結をかちとり、さらに民族民主統一戦線の結成という革命的事業を達成することができるのである。

(四)現代修正主義と反共分裂主義

 最近の日本の経験がしめしているもう一つの重大な教訓は、現代修正主義が、その日和見主義の政治路線や社会民主主義政党「再評価」論を固執することによって、たんに右翼社会民主主義を弁護してかれらの分裂主義を側面から援助するにとどまらず、実践的にも公然と右翼社会民主主義者と野合する方向にすすみ、みずから分裂主義に転化していったし、またいかざるをえなかったということである。

 春日庄次郎、内藤知周らの反党修正主義者は、現代修正主義の国際的潮流に盲従し、その修正主義理論を教条主義的に日本にもちこんで、その日和見主義の路線を合理化しようとしてきたが、社会党・総評などにたいする態度の面でも、社会民主主義政党「再評価」論にみちびかれつつ、人民の運動を破壊する社会党・総評内の右翼的勢力とたたかうどころか逆にこれを弁護し、これと一体に結びついて反共分裂主義の活動をつづけてきた。すなわち、かれらは、第8回党大会の前夜に旧本共産党から追放された後、まず、アメリカ帝国主義との闘争を回避し、日本独占資本の譲歩に期待する日和見主義、改良主義理論の展開によって、まさに、右翼社会民主主義者との理論的な接近をすすめた。ついでかれらは組織的にも社会党を日本共産党にかわる日本の社会主義革命の指導政党とみなす日本社会党「再評価」論で自己の卑劣な行動を合理化しながら、あるいは社会党に入党して右翼幹部の御用「理論家」となり、あるいは反党集団を組織して陰謀者的提携をはかるなど、右翼社会民主主義者ともっとも緊密な野合をとげ、統一戦線と大衆運動を破壊する反共分裂主義の連合戦線を形づくるにいたったのである。この反共連合戦線には、安保闘争の過程で米日支配層に育成された挑発分子としての正体を暴露したトロツキスト集団までも参加している。とくに青年、学生運動においては、右翼社会民主主義者、反党修正主義者、トロツキストが一体となって分裂主義の策動をすすめているのが特徴である。

 このように反党修正主義者が、帝国主義および独占資本の「同盟者」である反共右翼社会民主主義者と野合し、みずから「ケネディ・ライシャワー路線」の一翼をになっている事実は、現代修正主義の日和見主義的、分裂主義的役割をもっとも露骨に暴露したものであるが、それは、実は、現代修正主義が帝国主義と独占資本に降伏し、これに奉仕する反マルクス・レーニン主義理論として、右翼社会民主主義と同じ本質をもっていることにもとづいているのである。しかもそれは、マルクス・レーニン主義の革命的原則を骨ぬきにし、その権威を失わせるために真のマルクス・レーニン主義を攻撃することを主な任務とする点では、右翼社会民主主義者の反共分裂主義とも、帝国主義・独占資本の反共分裂主義ともその政治的本質においてまったく同一のものである。異なるところは、それがマルクス・レーニン主義の看板でおこなわれるか、社会民主主義あるいは公然たるブルジョア・イデオロギーの看板でおこなわれるかだけなのである。

 「ケネディ=ライシャワー路線」の組織者であるライシャワー自身、アメリカ帝国主義の「真の敵」は「古典的マルクス主義」であるとのべ、真のマルクス・レーニン主義とその党にたいする敵意を現代修正主義者とまったく等しくしていることを、あからさまに説明している。これらの事実は、きびしい階級対立と階級闘争の論理のもとでは、もしマルクス・レーニン主義からの日和見主義逸脱の誤りを固執するならば、それはマルクス・レーニン主義に全面的に敵対する修正主義理論をますます完成する一方、札つきの反共右翼社会民主主義とも結びつき、帝国主義と独占資本にも奉仕する立場に転落せざるをえないことをはっきりとしめすものである。

 この点で、とくに重視する必要があるのは、反党修正主義者と癒着し、これを一つの支柱として社会主義国と共産党への誹謗をおこなってきた右翼社会民主主義者が最近ではさらに一歩すすめて、国際共産主義運動、国際民主運動の不団結の状態を利用し、国際共産主義運動、国際民主運動内の一部の潮流と提携することを意図し、そのための策動を意識的に開始していることである。これは「ケネディ・ライシャワー路線」がとくに社会主義陣営と国際共産主義運動内部の意見の相違と不団結を利用することで、昨年来新しい展開を示していることに呼応するものである。

 この策動は、当面まず平和運動の分野においてすすめられている。昨年8月の第9回原水禁世界大会で、原水禁運動の「分裂」への道に公然とふみだした社会党・総評内の一部の右翼幹部は、国内では孤立化し破たんに向かいつつある分裂主義路線を国際的「援助」でたてなおすために、国際共産主義運動や世界平和運動内の一部の潮流に助けを求めた。そして、かれらはソ連共産党指導部やソ連平和委員会などの支持のもとに第10回原水禁世界大会に対抗する「分裂」大会を開催し、「分裂」を固定化する分裂組織の全国的結成にのりだしたのである。いうまでもなく、社会党・総評内の一部の右翼幹部が国際共産主義運動の一部の潮流と接近し、これとの提携をくわだてたのは、かれらがその反共主義をすてはじめたことを意味するものではすこしもない、それはまさに、かれらが、日本の反党修正主義者をその反共主義、分裂主義の支柱として利用したように、こんどはこれらの国際的潮流を反共主義、分裂主義の道具として利用しようとする計画にほかならないのである。

 この策動と結びつく要因は、これらの国際的潮流自身のなかにも存在している。昨年、第9回原水禁世界大会に参加したソ連代表団ジューコフ同志は、大会では『国際共同行動のためのアピール』の作成に参加し大会諸決議を全面的に支持しながら、帰国後ただちに『プラウダ』に論文『広島の声』を発表して、第9回世界大会が部分核停条約を支持しなかったことを非難し、日本共産党代表団に名ざしの非難をくわえるとともに、分裂主義者たちが組織した「分裂」集会を積極的に評価する立場を表明した。ついで原水禁運動の分裂をめざして開催された昨年9月30日の「関西平和大会」や本年1月30日、31日の「平和と軍縮のための日本大会」には、ソ連平和委員会の名でメッセージを送って分裂主義者たちを激励した。さらに本年8月の広島・長崎の「分裂」大会の開催にあたっては、その準備のためにソ連・ヨーロッパをまわって帰国した安恒総評政治局長の報告によれば、ソ連平和委員会の一部の人びとはこれを全面的に支持する態度を表明して、「日本原水協」を詐称することを提案するなどの戦術的な助言までおこなったといわれる。現に、ソ連平和委員会は、日本の原水禁運動「全体」を訪問するなどという口実で、「分裂」大会に正式代表団を派遣してきた。このように、ソ連平和委員会がこの1年間原水禁運動における分裂主義者たちを積極的に支持する方向ですすんできたのはけっして偶然ではない。とくに昨年7月の部分核停条約締結以後、ソ連共産党指導部はモスクワ声明に規定された兄弟党間の関係を乱暴にふみにじり、わが党への不当な干渉と攻撃を強化してきた。さきにあげたジューコフ論文はわが党への名ざしの公然とした攻撃の最初のあらわれだったが、とくに本年5月の部分核停条約の国会承認を契機に、『モスクワ放送』や『プラウダ』は、一方では部分核停条約を支持しないことを理由にわが党を公然と非難し、他方では特定の外国勢力に通謀して公然たる党破壊活動にのりだした志賀、鈴木らを支持激励するカンパニアを開始した。そして、ついに最近では、ソ連共産党中央委員会みずからが、わが党の路線と活動に広範な中傷的非難をくわえた日本共産党中央委員会あての書簡を、突然一方的に公表するという挙に出、わが党への攻撃を新しい段階に高めたのである。ソ連平和委員会の社会党・総評の一部右翼幹部の分裂主義活動への協力も、まさにソ連共産党指導部のわが党へのこうした攻撃の重要な一環をなしているのである。

 一部の人びとは、モスクワ声明が共産党と社会民主主義政党の共同を重視し、さらに「一国内の共同行動」と同時に「国際的な共同行動」についてものべていることを根拠にして、わが党を攻撃し、平和運動を分裂させるための、自分たちと右翼社会民主主義者との「国際的協力」のくわだてを正当化しようとしている。だが、モスクワ声明はなによりもまず、平和・独立・民主主義・生活向上などの諸要求にもとづいて各国の労働者階級と人民の隊列の統一を実現するたたかいの一環としての「一国内」での共産党と社会民主主義政党との協力を基本とし、それと切り離しがたく結びついた課題として「国際的」な共同行動の問題をも提起しているのであって、社会民主主義政党の日和見主義や反共セクト主義を助長する方向で、したがってまた「一国内」の統一戦線の発展を妨害する方向で、外国の共産党がその国の社会民主主義政党と「国際的」に協力することを合理化するものではけっしてない。ましてや、ある国の平和運動や民主運動を分裂させたり、真のマルクス・レーニン主義党を攻撃したりするために、外国の共産党指導部がその国の右翼社会民主主義的指導者と「協力」しようとする策動を、モスクワ声明のこの命題によって正当化しようとするにいたっては、奇弁もその極に達しているといわなければならない。これはモスクワ声明に規定された統一戦線の原則的政策を、分裂主義の道具にかえてしまうものであると同時に、「各国の共産党は革命の展望と課題を自国の具体的な歴史的・社会的諸条件に応じて、また国際情勢を考慮にいれて決定する」、「すべてのマルクス・レーニン主義党は独立した平等な党であり、各国の具体的情勢に応じ、マルクス・レーニン主義の諸原則にしたがってそれぞれの政策をたてており、しかもたがいに支持しあっている」(モスクワ声明)という国際共産主義運動の団結の原則を、もっとも乱暴にふみにじるものである。われわれは、こうしたくわだてをけっして容認することはできない。

 現在アジアにおいては、アメリカ帝国主義の侵略と戦争の政策が、各国人民の闘争によって各地で重大な打撃をうけ、アメリカ帝国主義は深刻な困難に直面しつつある。しかしかれらはけっして自発的にアジアから退くことはない。その危機が深まれば深まるほど、アメリカ帝国主義は「中国封じこめ」とアジア侵略政策の拠点として、日本をますます重視し、目したの同盟者である日本独占資本とともに、日本の核武装化と軍国主義復活をいよいよ急速に促進しようとしている。この情勢のもとで、日本人民と日本共産党の前には、国際的な責務としても、アメリカ帝国主義に反対する国際的統一戦線の一翼として、差し迫った独立・民主主義・平和・中立の要求にもとづく広範な反帝反独占の統一行動を組織して、米日反動勢力の侵略と反動の政策の一つ一つと対決しこれを粉砕するとともに、この闘争を前進させて民族民主統一戦線をつくりあげ、アメリカ帝国主義と日本独占資本の支配を根本から打倒するという巨大な任務が、提起されている。この任務は、まさに日本共産党が、あらゆる形態の日和見主義、修正主義をうちやぶって、党の綱領がさだめた反帝反独占の民主主義革命の総路線を堅持し、さらにまた、すべての忠実な社会党員、労働組合員、無党派の勤労者との統一をふくむ広範な人民の共同と団結を実現する努力と、右翼社会民主主義者や反党修正主義者の反共分裂主義にたいするたたかいとを一つに結びつけた、正しい革命的な統一職線政策を一貫して実行した時にのみ、達成される任務である。

 今日、わが国の右翼社会民主主義者や反党修正主義者と、現代修正主義の国際的潮流とが、きまざまな形態で結びつき、それが内外の革命運動と統一戦線の前途に一時的に一定の困難をつくりだす可能性があることにたいして、われわれは必要な警戒心をおこたってはならない。だが、米日反動勢力の攻撃に呼応して、右翼社会民主主義者と現代修正主義者が統一戦線破壊の策動をどんなにくりかえそうと、わが党は、社会党・総評をふくむ広範な民主勢力の共同と団結の政策を一貫して堅持し、ラオス、南ベトナムをはじめ東南アジアでのアメリカ帝国主義の露骨な侵略と干渉に反対するたたかい、沖縄の返還、米軍基地撤去を要求するたたかい、核兵器、核実験の全面禁止をめざすたたかい、憲法の改悪に反対心憲法の平和的民主的条項の完全実施を要求するたたかい、勤労大衆の生活と権利を守るたたかいなど、差し迫ったさまざまな闘争のなかで、すべての民主勢力の共同を強め、広範な人民の大衆的統一行動を発展させるために、全力をあげることを誓うものである。そしてわが党が綱領の基本路線とマルクス・レーニン主義の原則的立場を堅持し、歴史の創造者である人民大衆に依拠し、全世界の労働者階級と被抑圧民族の革命的解放闘争との連帯を強めつつ奮闘するならば、日本の革命運動はどのような困難をものりこえて前進し、すべての民主勢力と広範な人民を結集して強大な革命の統一戦線、民族民主統一戦線をつくりあげることができるし、かならず日本革命の勝利をかちとることができるであろう。

(『日本共産党重要論文集』第1巻下より)