日本共産党資料館

フルシチョフの「平和共存」路線の本質について

(『アカハタ』1964年11月22日)

評論員


一、だれがフルシチョフを称賛したか

二、核脅迫に屈した降伏主義

三、対米追随にすりかえられた平和共存

四、「平和的」帝国主義の幻想

五、フルシチョフ路線の総決算


 フルシチョフ解任についてのソ連共産党中央委員会の決定が発表されてから、すでに1ヵ月たった。ソ連共産党の新指導部はいまだに解任の真相を発表していないが、フルシチョフが「老齢と健康の悪化」のために引退したわけではなく、フルシチョフの指導のもとで、ソ連共産党が内外政策の重大な破たんに直面したためにやめさせられたのだということは、かくれもない事実である。そして、ソ連共産党指導部をしてフルシチョフ解任という「非常手段」をとることを決意させた政治的背景のなかで、対外政策におけるかれの「失敗」が、きわめて重要な位置をしめていたことも、また疑問の余地のないところだろう。

 そして、対外政策におけるフルシチョフ路線の問題は、けっしてソ連共産党だけの問題ではない。フルシチョフとその追従者たちは、帝国主義勢力――とくにアメリカ帝国主義にたいする無原則的な譲歩と降伏の路線を、マルクス・レーニン主義の「平和共存」路線だと称して、社会主義陣営と国際共産主義運動、世界平和運動と国際民主運動全体におしつけようとし、国際共産主義運動の不団結をつくり出しますます拡大しただけでなく、世界の反帝平和勢力全体に重大な損害をもたらした。フルシチョフのいわゆる「平和共存」路線は、反党修正主義者や右翼社会民主主義者の支持のもとに、わが国の平和、民主運動にも有害な影響をおよぼし、その正しい統一と前進を妨げた。フルシチョフの責任は、きわめて重大なものがある。それだけに、フルシチョフの解任にあたり、あらためて外交政策におけるフルシチョフ路線の批判的な総括をおこないソ連の政府と党を今日の困難な立場にみちびいただけでなく、国際共産主義運動をも混乱させ、有害な影響をあたえた根源がどこにあったのかを解明することは、日本のマルクス・レーニン主義者にとってもきわめて重要な課題となっている。それは、フルシチョフのいわゆる「平和共存」路線の有害な日和見主義的影響をわが国の平和・民主運動から一掃するためにも、また、フルシチョフ解任を、たんにマルクス・レーニン主義と現代修正主義との闘争の過程での一時的エピソードにおわらせず、現代修正主義を克服し国際共産主義運動の団結を回復する闘争の積極的な契機とするためにも、必要なのである。

一、だれがフルシチョフを称賛したか

 周知のように、フルシチョフは、ソ連共産党第20回大会以来、平和共存政策を歪曲してこれを国際共産主義運動全体におしつけようとつとめ、その後、かれの主張する「平和共存」政策に批判的態度をとるマルクス・レーニン主義党にたいしては、いつも平和共存に背を向け、熱核戦争を望む「好戦主義者」だというレッテルをはりつけ、今日の国際共産主運動内の意見の相違の根本は、平和共存の道をえらぶか熱核戦争の道をえらぶかの対立にあると主張してきた。

 「一部の教条主義者は、トロツキスト的な立場に転落して、世界戦争をひきおこす道に、ソ連やその他の社会主義諸国をおしやろうとしています」。かれらは「戦争をひきをす方向へ歴史をおしやり、共産主義と資本主義のどちらが勝利するかという問題を、戦争の手段で、幾百万、幾千万の人びとを破滅させる道によって解決しようと望んでいます」(1963年1月、フルシチョフのドイツ社会主義統一党第6回大会でのあいさつ、『世界政治資料』169号)。

 周知のように、ソ連共産党中央委員会は、フルシチョフが第一書記であった時期に、1964年4月18日付のわが党中央委員会あての書簡のなかで、「平和共存政策をめざす闘争をすて」「社会制度の異なる諸国家間の戦争、新世界戦争――したがって熱核戦争――を主張している」という中傷的非難を、わが党にたいしてまでつきつけてきた。だが、国際共産主義運動の内部に、社会制度の異なる諸国の平和共存を拒否し世界戦争を提唱する党や潮流が存在するなどというのは、フルシチョフとその追従者の恥知らずなつくりごとである。

 81ヵ国共産党・労働者党の承認したモスクワ声明は、全世界のマルクス・レーニン主義党の一致した支持のもとに、平和共存を擁護し、戦争を防止するための闘争を全世界の共産主義者の重要な課題として規定し、帝国主義のあらゆる戦争政策と侵略政策に断固として反対し、いわゆる平和5原則(領土の保全と主権の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉、平等互恵、平和共存)やバンドン会議における平和10原則などに具体化されている平和共存の原則にそって、社会制度の異なる諸国閲の関係をうちたてるためにたたかわなければならないと主張している。モスクワ声明のこの原則的見地は、同時にわが党の一貫した見地である。第8回党大会で決定された日本共産党綱領は、世界平和を擁護し諸国家の平和共存をめざしてたたかうわが党の基本的な立場を、つぎのように明確に規定している。

 「党は、世界の平和と、社会制度の異なる諸国の平和共存をめざしてたたかう。党は、核兵器の禁止を要求し、全般的軍縮のためにたたかう。党は、すべての国との国交を正常化し、経済・文化の交流を発展させ、日本人民と世界各国人民の友好親善関係をひろめるためにたたかう。党は、アメリカ帝国主義とわが国の売国奴的反動勢力が共同しておこなっている社会主義諸国とアジア・アフリカ諸民族への侵略戦争準備、原子戦争のいっさいの準備に反対する」

 第9回党大会にたいする中央委員会の「報告案」は、この綱領の見地をさらに具体化して、、「アジアと世界の平和を守り、社会制度の異なる諸国の平和共存をかちとる課題」を、わが党の当面する六つの闘争課題の一つとして提起し、平和共存のための闘争の具体的な内容、方向として第一に、「独占資本を中心とする売国的反動勢力の対米従属的、反共的、侵略的外交政策に反対し、日韓会談粉砕、日中国交回復、日ソ平和条約締結などをたたかいとる闘争」、第二に、「世界の平和、民主勢力と連帯して、核兵器・核実験の全面禁止や全般的軍縮協定の締結を要求するたたかい、アメリカ帝国主義をかしらとする世界の反動勢力が世界各地でおこなっているいっさいの侵略戦争と戦争準備に反対するたたかい」を指摘している。

 社会制度の異なる諸国の平和共存を、社会主義国の対外政策の一つの柱とし、世界平和のための闘争の重要な目標の一つとして規定したモスクワ声明やわが党綱領をつらぬく同じ見地は、今日でも、マルクス・レーニン主義の原則を堅持している世界の共産主義者およびわが党の活動の共同の指針となっている。事実を乱暴に歪曲し、根拠のない中傷に訴えないかぎり、現代修正主義に反対してたたかっているマルクス・レーニン主義諸党を平和共存政策の「敵対者」にしたてあげることはできない。

 ところが、すべてのマルクス・レーニン主義党が一致して確認したはずのこの平和共存の問題が、現在の国際論争のなかで、もっとも激しく見解がくいちがった最大の問題の一つとなっていることも事実である。しかしそれは、フルシチョフやその追従者が主張してきたように、平和共存を拒否し世界戦争を提唱する「好戦的」な党や潮流が生まれたからではけっしてない。それは、反対に、フルシチョフを先頭とするソ連共産党指導部が、平和共存の問題でも、モスクワ宣言と声明に規定された原則的な立場から根本的に逸脱し、帝国主義の戦争政策との闘争を放棄し、帝国主義に降伏するという反マルクス・レーニン主義的な立場におちこんだ結果ひきおこされた論争なのである。すなわち、平和共存の問題をめぐる今日の論争は、平和共存に賛成するか反対するかの論争ではなく、マルクス・レーニン主義の平和共存政策を正しく堅持するかどうかの論争なのである。

 レーニンはかつてプレハーノフにたいして「君をほめるものの名をきけば君がどういう誤りをおかしたかがわかる」と「忠告」したことがある(『一歩前進、二歩後退』、全集7巻 401ページ)が、この「忠告」はフルシチョフの「平和共存」路線についても、そのままあてはまる。フルシチョフの解任が発表されたとき、もっとも衝撃をうけたのは、現代修正主義の国際的潮流とともにアメリカ帝国主義を先頭とする世界の反動勢力で、かれらは口ぐちに、フルシチョフの「平和共存」路線の賢明さを強調し、ソ連共産党の新指導部もまたその「平和共存」路線をぜひ堅持するようにとの「期待」を一致して表明した。

 たとえば、アメリカのジョンソン大統領は10月18日の全米向け特別放送で、フルシチョフが「キューバ危機」以後、過去の「あやまち」を反省してアメリカとの協調の道を歩んだことを大いに称賛し、ソ連の新政権にたいして、フルシチョフの路線を歩みつづけることをつよくよびかけた。

 「フルシチョフ氏が危険な冒険をおかしたことがあった。まずベルリンで、つづいてキューバのミサイル危機のさい、米国は断固たる態度と良識によって戦争をひき起こさせないでかれの脅迫と行動を押し返した。それでもフルシチョフ氏はあやまちから教訓を学びとり、現実にたいして盲目ではなかった。過去2年間、フルシチョフ氏の政府は核時代においては正気であることの必要性を認識していた。かれは核実験停止条約に参加した。かれは偶発戦争阻止に役立つ直通通信線の設置に参加した。かれは宇宙に核兵器を置いてはいけないことに同意した。これらの行動においてフルシチョフ氏は良識と冷静な判断力を発揮した。……
 いまソ連では2人の人間が最高責任を分かち持っている。……われわれとしては、かれらが核戦争防止というわれわれの大きな目標を分かち持つことを期待したい」(『東京新聞』10月19日夕刊)。

 わが国でもフルシチョフの「平和共存」路線は早くから、徹底した反共主義の立場からアメリカの世界政策を一貫して支持してきた民社党の右翼指導部にまで共鳴され、西尾民社党委員長から「フルシチョフの現実政治の路線を歓迎する」(63年7月23日、神戸での談話)などの賛辞を送られたりしていたが、フルシチョフが解任されると、商業新聞はいっせいにフルシチョフをたたえ、新政権がフルシチョフの「平和共存」路線を踏襲することを望む社説をかかげ、自民党や財界の指導者たちもほとんど異口同音に同じ趣旨の談話を発表した。「米ソの雪どけを軸に平和路線を打ちだし、国内問題についても懸案を次々と解決するなど偉大な政治家であった」(富士銀行頭取岩佐凱実)、「フルシチョフ氏は平和共存路線を推進し、愛すべき人のようだった」(経団連会長石坂泰三)、「フルシチョフ氏が国際緊張緩和に果たした役割が大きかっただけに、残念な気がする」(経団連副会長植村甲午郎)(「われわれとしてはソ連の新政権が平和共存政策をいっそう強力に進めることを期待する」(三木自民党幹事長、以上、『日本経済新聞』10月16日付夕刊)。フルシチョフは、まさに、マルクス・レーニン主義の平和共存政策を歪曲して、それを、ジョンソンなどアメリカ帝国主義の代表者や、自民党、独占資本を中心とする日本の札つきの反動勢力に双手をあげて歓迎されるようなものにまで、去勢し、変質させてしまっていたのである。

二、核脅迫に屈した降伏主義

 フルシチョフの「平和共存」路線は、どこで、マルクス・レーニン主義の革命的立場からそむいてしまったのか、その主要点をみてみよう。

 第一の問題は、フルシチョフが、人類を破滅させるおそれのある核ミサイル兵器が登場した現在では、平和共存を守ることが他のいかなる課題にも優先する人類の「第一義的課題」になったと主張し、核戦争の脅威を口実にして帝国主義への降伏主義の路線を合理化し、さらには、各国人民の革命運動や民族解放運動をも「平和共存」の課題に従属させることを要求したことである。

 フルシチョフが、その見解を、もっとも系統的な形で展開したのは、1962年秋のいわゆる「キューバ危機の直後におこなった二つの演説――1962年12月ソ連最高ソビエト会議での報告(『世界政治資料』164号)および1963年1月ドイツ社会主義統一党第6回大会でのあいさつ(同前169号)――においてである。フルシチョフは、そのなかでまず、熱核戦争の危険についてつぎのようにのべている。

 (1)今日の世界は「熱核兵器をつめこんだ火薬庫の上でくらしているようなもの」で、世界のどの地域でも「帝国主義者のつくりだした「侵略の火元」には、すべて「全面的な核ロケット戦争のほのおを燃えたたせかねない口火がかくされている」(最高ソビエトでの報告)。
 (2)そして、ひとたび世界核戦争がぼっ発すれば、資本主義体制が滅亡するだけでなく、人類全体が壊滅的打撃をうけ、社会主義革命や共産主義建設を問題にする前提そのものが失われてしまう。「世界文化の中心地の廃虚のうえに、荒廃し核爆発の灰に汚染された大地のうえに、共産主義文明をきずくなどと考えることはできません」(ドイツ社会主義統一党大会であいさつ)。

 かつてケネディは、熱核戦争による絶滅の危険のもとでおびえている人びとの生活を「ダモクレスの核の剣の下での生活」になぞらえ、この核の剣は「きわめて細い糸によってつるされ、いつ何時、偶然により、計算ちがいにより、狂気によってたち切られるかもしれない」(1961年9月国連総会での演説)と論じたことがある。フルシチョフは、ケネディのこの言葉をほとんどそのままくりかえして、今日の世界を、いつ爆発するかもしれない「熱核兵器をつめこんだ火薬庫の上での生活」になぞらえた。

 一見、核戦争の危険をもっとも真剣に考慮しているかのようにみえるこのいわゆる「核戦争人類絶滅論」は、実は、モスクワ声明に規定されたマルクス・レーニンン主義の原則的立場に反するだけではなく、フルシチョフ自身の以前の主張にも反するものであり、フルシチョフの降伏主義の出発点ともいうべきものであって、フルシチョフが、帝国主義の核脅迫のとりこになったことを、如実にしめしている。

 いうまでもなく、絶大の破壊力をもつ熱核兵盟が出現した今日、帝国主義者の準備している世界戦争は、結局は資本主義制度全体を崩壊にみちびく帝国主義の自殺行為であるとしても、社会主義諸国にも巨大な破壊的結果をおよぼし、人類にはかりしれない損害をあたえるものであり、世界戦争を防止し、世界の平和と社会制度の異なる諸国の平和共存をめざす闘争は、以前のいかなる時期にもましてもっとも重大な課題となっている。そのことを否定するマルクス・レーニン主義者は、ひとりもいない。

 だがもし、マルクス・レーニン主義者が、熱核戦争による「人類絶瀬」の危険ということから、今日ではどんな犠牲を払っても全面核戦争を防止することだけが、「第一義的」に重要なのであり、熱核戦争の「人類絶滅」の危険の前には、帝国主義と社会主義の区別も意義を失い、革命運動や民族解放運動も、もはや第二義的な意義しかもたなくなったとする結論をひきだすならば、それは、不可避的に人類絶滅をもっておびやかす帝国主義の核脅迫の前にひざを屈し、とめどもなく退却してゆく降伏主義の道にみちびかれざるをえない。これこそ帝国主義者のねらっている当のものである。そして、核脅迫におびえた隆伏主義が、帝国主義による核戦争の危険を防止するのに役だつどころか、逆に、帝国主義の核脅迫政策をますます増長させ、その戦争と侵略の政策の展開を有利にし、核戦争の現実的危険を増大させる結果をもたらすことは明白である。

 モスクワ声明は、アメリカを先頭とする帝国主義勢力がいま準備している熱核戦争が、幾億、幾千万もの人びとに破滅と破壊をもたらす全人類にとっての重大な危険であることを強調し、全世界の人民に、熱核戦争阻止のための闘争に立ち上がることをよびかける一方で、もし、帝国主義勢力が無分別にも熱核戦争をひきおこしたならば、それによって滅亡するのは、帝国主義と資本主義であって、社会主義ではないことを、帝国主義者に正しく警告し、帝国主義の核脅迫に屈しない断固とした態度を明確にしている。「もしも帝国主義者の無分別なものどもが戦争をひきおこすならば、各国人民は資本主義を一掃し、葬り去ってしまうだろう」。

 反帝勢力がこの戦闘的な態度を堅持することこそ、帝国主義の核脅迫政策をはねかえし、核戦争を現実に防止する闘争の前提となるただ一つの原則的な見地である。もし反対に、反帝平和勢力がすこしでも核脅迫に屈してこの戦闘的態度をふみはずすならば、核戦争防止の課題を果たすことはできない。核戦争を防止するためには、けっして帝国主義の核脅迫をおそれてはならず、全世界の人民の闘争によって、帝国主義の核脅迫政策を粉砕することが必要なのである。

 以前には、フルシチョフも一応この見地を守り、もし帝国主義者が新しい世界戦争をひきおこすなら、それは「資本主義に崩壊をもたらすだけ」であり、たとえばく大な損害をこうむったとしても社会主義は存続し、世界的規模で勝利するだろうと主張していた。

 「わたくしたちは、新しい世界戦争は資本主義に崩壊をもたらすだけだといっていますが、このばあい、社会主義諸国がこの戦争で損失をこうむらないだろうなどという気は毛頭ありません。近代的な殺人兵器が存在する以上、もちろん、ばく大な被害をこうむることでしょう。しかし、わたくしたちは、社会主義は存続し、資本主義の方は維持されないだろうと確信しています。たとえ大損害をこうむるとしても、人類は存続するばかりでなく、さらに発展するでしょう。……もし戦争がおこれば、諸国民は戦争をうみだすような社会制度と永久に緑を切る気になり、自分たちの国に社会主義的秩序をうちたてるでしょう」(1957年10月「ニューヨーク・タイムスのレストン記者との対談」、邦訳『フルシチョフは語る』104-105ページ)。

 かつては自分も主張していたこの見地を見失って、帝国主義の核脅迫に降伏したフルシチョフの「平和共存」路線が、帝国主義的核戦争政策との闘争を回避し、ひたすら帝国主義への譲歩によって「平和をまもろうとする」降伏主義の路線となるのは当然である。

 フルシチョフが、その「核戦争人類絶滅論」からひきだした第一の実践的結論は、核戦争の時代における「平和共存」は、帝国主義の核戦争に反対する社会主義陣営と世界人民の断固とした積極的な闘争によって確保されるものではなく、主として熱核戦争による人類絶議の危険についての共通の認識にもとづく社会主義国と帝国主義国の「理性的」な話し合いと「相互譲歩」によって達成されるものだということである。フルシチョフは、帝国主義との闘争によって平和を守るという基本的立場を堅持することを主張する人びとを、もっとも侵略的な帝国主義勢力に力をかして、「世界戦争をひきおこす道に、ソ連やその他の社会主義国をおしやろう」とするトロツキスト的冒険主義だとして口をきわめて非難した。

 「われわれ共産主義者、進歩的な思想と信念をもつ人びとは、冒険主義におちいり、それによって、自分たちの体制の勝利の確信を失いつつある帝国主義の侵略勢力に、世界戦争をひきおこす機会をあたえてはなりません」(ドイツ社会主義統一党大会でのあいさつ)。

 だが、アメリカ帝国主義のキューバ侵攻の危険に直面したときのフルシチョフの行動が示したように、アメリカの支配層に「熱核戦争の危険をいっそう現実的に感じさせる」(最高ソビエトでの報告)ことをただ一つの目的として、キューバに核ミサイルをもちこむという、社会主義にあるまじき冒険主義におちいったのは、ほかならぬフルシチョフであった。そして、人民の反帝平和、独立の力によってではなく、核ミサイルで帝国主義者をおどしつけようとした冒険主義は、アメリカ帝国主義が対ソ核戦争も辞せずという態勢を背景にキューバ侵攻を強行しようとする核脅迫政策でこれに反撃してくると、たちまち最大の降伏主義に転化し、「理性の勝利」とか「相互譲歩」とかの名のもとにアメリカ帝国主義の要求に屈服し、キューバ政府との必要な事前の協議さえせずに、キューバの主権を侵犯する「国際査察」を米ソ間でとりきめるところまで退却してしまった。かれのいう「相互譲歩」は実際には、一方的な譲歩でしかなかったのである。

 フルシチョフがひきだした第二の実践的結論は、核戦争の時代においては、革命運動や民族解放運動も、核戦争防止の課題と切り離しがたく結びついており、核戦争回避こそ現代の絶対的要請であるという口実で、結局これらの闘争をかれの「平和共存」政策に従属させ、平和共存のもとでの平和的経済競争を通じて、資本主義にたいする社会主義の勝利を確保してゆくことを、社会主義の闘争の基本方針とすることである。

 フルシチョフはいう。

 「こんにちでは、平和のための闘争は、社会主義のための闘争のもっとも重要な条件となっています。現在では労働者階級の革命運動と民族解放運動のどんな問題も、平和を守り、世界熱核戦争を回避する闘争と切り離して考えることはできません。これこそ、カリブ海域での最近の出来事から、世界の共産主義運動が学ばなければならない戦術上のもっとも重要な教訓です。」
 「戦争の性格が変わり、世界の力関係が平和と社会主義の勢力にとって有利になったこんにち、平和共存政策は、これまでよりもはるかに重要な目標と課題をもつようになり、それは事実上あたらしい内容をもちつつあります。平和共存政策の最終目標は、平和的経済競争で社会主義が資本主義に勝利するためにもっとも有利な条件を確保することにあります」(同前)。

 フルシチョフが社会主義諸国と国際共産主義運動におしつけようとしたこのような方針は、核兵器の空前の破壊力を口実にして、マルクス・レーニン主義の平和共存政策を、似ても似つかない日和見主義の方針につくりかえてしまったものである。

 第一に、マルクス・レーニン主義者にとっては、「社会制度の異なる諸国の平和共存」の原則は、帝国主義がその戦争と侵略の政策を放棄し、本質的に平和愛好者に転換することを前提としたものではない。戦争と侵略の政策、すなわち社会主義の破壊と、他民族の抑圧をめざす侵略的傾向は、帝国主義の本質に根ざすものであって、これをもし根本的に消滅させようとするならば、帝国主義そのものを消滅させなければならないし、その戦争政策を実際におさえるためには、帝国主義の戦争政策にたいする真に強力な反帝闘争が必要である。したがって、マルクス・レーニン主義者にとって、平和共存とは、社会主義諸国と世界人民が共同して帝国主義の戦争政策にたいし、その侵略の手をおさえつけることによってのみ、実現しうるものである。したがってまたマルクス・レーニン主義者にとっては、平和共存とは「平和な帝国主義」と平和な社会主義とが仲よく共存する、帝国主義との闘争ぬきの新しい世界秩序を意味したものではない。世界人民の反帝平和の闘争の前進に依拠して帝国主義者に平和共存の方向をおしつけることにある程度成功した後においても、そのもとでひきつづき戦争と侵略の政策を追求し、たえず平和共存の関係を破壊しようとする帝国主義的侵略勢力と不断にたたかい、これをうちやぶることなしには、平和共存状態を維持することはできない。帝国主義の戦争政策との闘争によって社会制度の異なる諸国家の平和共存を実現し、確保する――これがマルクス・レーニン主義の平和共存政策の核心をなすものである。

 ところが、フルシチョフは、核兵器の空前の破壊力をもちだすことによって、マルクス・レーニン主義の平和共存政策のこの革命的核心を抜き去ってしまい、それを帝国主義にたいする妥協と降伏の方針につくりかえてしまった。だが、核兵器の破壊力をどんなに強調してみても、それによって、フルシチョフの降伏主義を正当化することはできない。

 世界と人類を核戦争の危険でおびやかしている元凶が、世界支配の野望を実現するために核戦争準備に熱中し、核脅迫政策を実行している帝国主義である以上、核戦争を防止し、世界平和を守り、平和共存を実現する課題が、帝国主義の戦争と侵略の政策に反対する世界人民の闘争を全面的に発展させ、反帝平和勢力の国際的統一戦線によって帝国主義の核戦争政策をうちやぶる方向を基本として、はじめて達成されるものであることは明白である。「世界平和を維持するためには、アメリカ帝国主義に鼓舞される侵略と戦争の帝国主義的政策とたたかう平和擁護者のもっとも広範な統一戦線が必要である」(モスクワ声明)。社会主義国と帝国主義国の交渉や「相互譲歩」も、社会主義世界体制、国際労働運動、民族解放運動、平和擁護闘争など全世界の平和、民主勢力の闘争が帝国主義の戦争計画を破たんさせ、うちやぶる過程で、そしてこの世界人民の反帝平和闘争の前進と正しく結びつくことによってのみ、平和共存と平和擁護の事業に重要な積極的役割を果たすことができるし、帝国主義者の侵略政策を現実に制限し、戦争計画に有効な打撃をあたえるあれこれの協定を帝国主義者におしつけることもできるのである。

 マルクス・レーニン主義のこの基本的見地をなげすてて、帝国主義者を刺激し核戦争を挑発する「冒険主義」だとの非難のもとに社会主義国や各国人民の反帝闘争を抑制し、もっぱら、「熱核戦争の危険」についての共通の認識を前提にした帝国主義国との「理性的」な交渉によって平和共存を確保しようとするフルシチョフの路線は、文字通り帝国主義の核脅迫政策に全面的に屈服して、世界の人民に帝国主義への譲歩と屈服を求める路線であり、真に平和共存をめざす道であるどころか、帝国主義の立場を強化し、その戦争と侵略の政策に拍車をかけることになるだけである。

 そしてまた、このような降伏主義の路線にたって、かりに一部の社会主義国と帝国主義国のあいだに一定の「緊張緩和」を実現することができたとしても、それが、帝国主義の核戦争政策に現実に打撃をあたえ、これをうちやぶることによってかちとられたものではなく、帝国主義への妥協と追従にもとづいて樹立された「緊張緩和」である以上、それを平和共存の方向への真の前進とみなすことはけっしてできない。この種の「緊張緩和」は、かえって、実際には帝国主義の戦争政策が真の平和をおびやかしつづけているときに、あたかも「平和共存」が実現されているかのような危険な幻想をまきちらすことによって、世界人民の反帝平和の闘争を弱めるものであり、帝国主義の欺まん的な「二面政策」を助長する役割をはたすものなのである。

 第二に、マルクス・レーニン主義者にとっては、平和共存政策は、革命連動や民族解放運動に代置できるものでも、世界人民の闘争のなかでこれらに優先する「第一義的」地位をしめるものでもない。モスクワ声明は「われわれの時代は、あい対立する二つの社会体制の闘争の時代、社会主義革命および民族解放革命の時代、帝国主義の崩壊、植民地体制一掃の時代、……社会主義と共産主義が世界的規模で勝利する時代である」と規定し、社会主義陣営、資本主義諸国における労働者階級の革命運動、被圧迫諸国民の民族解放闘争など、現代のすべての革命勢力が一つの流れに合流して帝国主義世界体制を侵しょくし、破壊しつつあることこそ、現代の根本問題だとする革命的見地を、明確に定式化している。今日、世界戦争を防止する可能性とその条件が、根本的には第2次大戦後のアジアとヨーロッパの一連の社会主義革命と民族解放革命の勝利によってつくりだされたことにも示されているように、平和共存の可能性と世界平和の展望それ自身が、大局的には、社会主義陣営、資本主義諸国の革命運動、民族解放運動を三つの主要な勢力とする反帝国主義的平和勢力と、帝国主義的戦争勢力との力関係によって規定されているのである。

 ところが、フルシチョフは平和共存と革命運動の関係についても、マルクス・レーニン主義の当然の原則的見地から離れきってしまい、ふたたび核戦争回避が現代の最高の課題だという口実のもとに、革命運動や民族解放運動をその「平和共存」政策に従属させ、平和的経済競争で社会主義が資本主義に勝利することが、現代における社会主義のための闘争の基本的な前提をなすものだと主張する。これは、事実上、社会主義革命を無限のかなたに追いやり、また民族解放闘争を帝国主義の許容する範囲内のもとにおさえこむことであり、モスクワ声明の革命見地と真っ向から対立して、結局、無原則的な対米追随による「米ソ」間のやわらぎを維持することだけを、現代の唯一最高の課題とする現状維持の立場に立つことである。

 「平和」の利益のためには、革命運動や民族解放運動の利益は犠牲にされなければならないと説くこの議論が、現代を帝国主義の滅亡と社会主義の勝利の時代とみるマルクス・レーニン主義の革命的見地と真っ向から対立する、日和見主義の議論であることはいうまでもない。だが、フルシチョフのこの「平和共存」路線の否定的な役割は、それだけにつきるものではない。

 フルシチョフが事実上唯一最高の課題としている平和共存の課題に問題をかぎってみても、このような現状維持の政策によっては、社会制度の異なる諸国の平和共存を帝国主義にうけいれさせることはできないし、さらに 将来に向かって世界の平和を確実に実現し、強固なものとすることはなおさらできない。

 いうまでもなく、社会主義世界体制の成立を軸とする世界的な力関係の根本的な変化は、現在すでに、世界の 反帝平和勢力の闘争によって、帝国主義者の世界戦争計画を未然に防止し、諸国家の平和共存を実現するための現実的な可能性を生みだしている。だが、アメリカ帝国主義は核戦争政策をすててはおらず、世界戦争がひきおこされる現実的な危険は依然として残っており、最近のインドシナの事態にも明らかなように、世界戦争の危険を過小評価することは、けっして許されない。この危険を防止し、世界の平和を確保するたたかいのなかで、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国人民の民族解放運動がきわめて重大な役割をはたしていることは、だれも否定することはできないだろう。これらの地域の民族解放運動は、まさに帝国主義の戦争と侵略の政策に真っ向から対決し、その政策の重要な拠点でこれに直接的な打撃をあたえている。したがって、民族解放運動を積極的に支持し、これとの国際連帯を強化することは、世界平和と平和共存をめざすたたかいの基本的な内容の一つをなすものである。「平和共存」の名のもとに、民族解放運動を抑制し、あるいはこれを支持することに消極的態度をとるフルシチョフの「平和共存」路線は、世界平和と平和共存のための闘争の真の利益に背を向け、実際には世界戦争の危険を増大させるものである。なぜなら、もしも民族解放戦争がなくなり、革命運動がなくなり、世界の人民運動がフルシチョフ流の「平和共存」運動だけになってしまったならば、そのとき帝国主義者の戦争政策をくいとめる力は、決定的に弱まってしまうだけでなく、帝国主義者はその侵略をより容易につづけることが保証されるからである。

 さらに、今日の世界平和と平和共存をめざす闘争のなかでは、世界戦争を防止する課題だけでなく、世界戦争の危険そのものをとりのぞき、平和共存をいっそう強固なものとして実現し確保する課題も提起されているが、フルシチョフ流の現状維持の政策によっては、この課題に接近することすら不可能である。なぜなら、この課題を達成するためには、まさに現状を変革すること、たんに社会主義世界体制の政治的・経済的・軍事的な力量を増大させるだけでなく、帝国主義本国で帝国主義の支配をくつがえす革命運動の勝利およびアジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国から帝国主義の支配を駆逐する民族解放運動の勝利をつうじて、帝国主義的戦争勢力と反帝国主義的平和勢力の力関係を根本的にかえ、反帝平和、社会主義の勢力の絶対的な優位をかちとることが必要だからである。

 モスクワ声明は、平和の問題についても、マルクス・レーニン主義のこの変革の見地をつらぬいて、世界人民の平和闘争の見通しを解放闘争の勝利の展望のなかに位置づけ、(1)現在の力関係のもとで、世界の反帝平和勢力が共同で努力すれば、「世界戦争を防止することができる」ことを明確にするとともに、(2)社会主義体制の発展が資本主義諸国と植民地・従属国における革命運動のあらたな勝利と結びついて「社会主義と平和の勢力の優位」を「絶対的なもの」とした時に、はじめて「社会生活から世界戦争をなくす現実的可能性が生まれる」こと、(3)「あらゆる戦争のおこる社会的・民族的原因を最後的にとりのぞ」いて恒久平和を保証するためには、「全世界における社会主義の勝利」が必要なことを明らかにしている。

 この見地こそ、平和共存の確立および平和共存と革命運動の関係についての唯一のマルクス・レーニン主義的見地であり、空前の破壊力をもった熱核兵器が出現したからといって、事態のこの本質は変化するものではない。

 このように、フルシチョフの「平和共存」路線は、帝国主義の核脅迫政策におびえて二重の降伏主義におちいった反マルクス・レーニン主義の路線である。もし世界の人民がこのような方針で指導されるならば、世界の平和をかちとり、世界をほんとうに熱核戦争の脅威から解放することもできないし、平和共存への道を現実にきりひらき世界の平和を強固なものとすることもできないのである。

三、対米追随にすりかえられた平和共存

 第二の問題は、フルシチョフが、平和共存の政策を「米ソ協調」政策にすりかえ、さらにアメリカ帝国主義の主流を「平和共存」勢力として美化することによって、平和共存のスローガンを、とりわけアメリカ帝国主義への追従のスローガンに変えてしまったことである。

 フルシチョフは、平和共存の原則が社会主義国の「対外政策の総路線」だと宣言した第20回党大会においてすでに、「平和共存」の名にかくれてもっぱら「米ソ協調」の路線を宣伝しはじめた。(1)かれは、世界の情勢は、結局のところ、「世界最大の工業国で、軍事的にも最強国で、おまけに原水爆兵器と強力な通常軍備とをもっている」米ソ2大国の関係にかかっている(1957年5月『ニューヨーク・タイムス』編集局長カトレッジとの対談、邦訳『フルシチョフと語る』8ページ)、(2)米ソ2大国間の「信頼」さえ確保されれば、「全世界における強固な安定した平和を長年にわたって保証する」ことができる(1957年10月レストン記者との対談、同前137ページ)と主張し、とくに1957年に訪米した時には、この「米ソによる平和」の構想を、アメリカの支配層に売りこむことに全力をかたむけた。

 「もし資本主義世界のもっとも強大な国であるアメリカと、社会主義諸国のうちでもっとも大きく強力な国であるソ連が、善隣関係をうちたて、そしてさらに一歩進んでわれわれが望むような親善に成長転化する協力関係を結べば、国際関係がどのようになるか、ちょっと考えてもごらんなさい。かつてD・アイゼンハワー氏は『米ソ両国がたがいに信頼しあっておれば、他の諸国の間でどんな意見の対立が起こったところで、全体的な一致や平和にはひびかない』と書いたことがあるが、私はこの言葉に賛成である。……われわれの方としては、ソ米両国間の信頼を確保するため、全力をつくすつもりであり、こうすることによってすべての諸国民のため世界平和の維持のお役にたとうと思っている」(1959年9月24日、ピッツバーグ市実業家、社会人代表との会合での演説、『世界政治資料』81号)。

 フルシチョフはさらにすすんで、ソ連とアメリカが共同すれば、その強大な武力を背景にして世界のいかなる国家の侵略計画をも未然に防止することができ、いわば、世界人民の「護民官の役割」を果たすことができるときえ主張した。

 「アメリカとソ連の間に、平和な友好関係がととのえられるなら、国際情勢をこじらすことは、どの国にもできないであろう。なぜなら、かれらはわが両国の立場を考慮して、その侵略計画をあきらめずにはおれなくなるからである」(1961年9月ソ・印友好集会での演説、同前132号)。

 そして、フルシチョフは、この事実上は対米追随である「米ソ協調」構想の宣伝と売りこみに熱中するともに、アメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策にたいする暴露と追及――モスクワ声明が、平和のためのたたかいのもつとも重要な内容の一つとして指摘した「うむことなく帝国主義の政策を暴露し、戦争挑発者の陰謀と策動をするどく追及し、戦争を方針としているものにたいして各国人民の神聖な怒りをよびおこ」す活動を、ほとんど放棄してしまった。

 フルシチョフの「米ソによる平和」の構想が、ソ連こそ社会主義体制全体を代表する大国であり、世界情勢は大国間の話し合いによって決定されるとする大国主義、さらには、ソ連の安全さえ確保されれば、その他の地域でどんな紛争が起きようと世界平和の大局には影響しないとするソ連中心主義を露骨に反映したものであって、その点だけをとっても、これが、社会主義国が対外政策の基本として堅持すべきプロレタリア国際主義の原則をまったく投げ捨てたものであることは明白である。しかも、フルシチョフがそれとの協調によって「強固な安定した平和」を保障しようとした当の相手は、西ドイツや日本の軍国主義者をはじめ、世界のあらゆる帝国主義的侵略勢力の首領となり、イギリス、フランス、西ドイツの帝国主義者を従属的な同盟者として、ヨーロッパ、アジア、ラテンアメリカ、その他の地域の多くの資本主義国を侵略的軍事ブロックにひきこみ、世界各地に軍事同盟と軍事基地の網の目をはりめぐらし、社会主義陣営にたいする核戦争の準備に熱中し、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの民族解放運動にたいする軍事侵略をくりかえしてきたアメリカ帝国主義なのである。モスクワ声明は、「侵略と戦争の主勢力は、アメリカ帝国主義である」とはっきり規定し、諸国家の平和共存がなによりもまず、アメリカ帝国主義の侵略と戦争の政策との闘争を通じてのみ実現されることをくりかえし強調している。モスクワ声明のこの立場と、平和の主要な敵であるアメリカ帝国主義との同盟を通じて「世界平和を確保する」というフルシチョフ路線とは、絶対に両立することのできないものである。

 フルシチョフは、マルクス・レーニン主義の平和共存政策とは無縁な対米追従の路線を合理化するために、これを「核戦争人類絶滅論」と結びつけ、核戦争の危険は、「現実感覚」をもった帝国主義者を、いやおうなしに平和共存をうけいれる方向に転換させるという「理論」をもちだして、アメリカ帝国主義の指導者たちを「平和共存」勢力として礼賛しはじめ、帝国主義の指導者との首脳会談こそ、平和共存のためのもっとも重要な手段だとして宣伝しはじめた。

 すなわち、フルシチョフによれば、

 (1)ソ連が、アメリカによる核攻撃をうけてもただちにこれに反撃してアメリカ本国に壊滅的な核報復を加えうるだけの力を保有するにいたった現在では、アメリカ帝国主義にとっても、平和と平和共存の政策が「現代における唯一の現実的な政策」(1960年6月、先進活動家会議での演説、同前100号)になった。

 (2)したがって、アメリカ帝国主義の指導層のなかでも、国際緊張緩和と平和共存にあくまで反対し、「ソ連および社会主義陣営諸国にたいしてできるだけ早く戦争をしかけることを主張」しているのは、正気を失った“狂人”ども(「好戦派」)だけで、同じ指導層のなかには、「情勢をもっと冷静に評価し、国際舞台における現存の力関係にもとづいて戦争をはじめてもアメリカは勝利しないし、その目的をたっしないだろうということを理解」して、平和共存をうけいれようとする人びと(「理性派」)も存在している(1962年12月ソ連最高ソビエト会議における報告、同前164号)

 (3)世界情勢の現実は、もっともがん迷な連中もめざめさせ、結局は、「理性派」が「好戦派」にたいして勝利をおさめ、「異なった社会制度の国ぐにのあいだの平和共存の必要性を認識している指導者」が、アメリカ帝国主義者の指導者としておし出される(1960年6月、ルーマニア労働者党第3回大会での演説)

 (4)これらのアメリカ帝国主義の「理性派」の指導者と社会主義陣営の「指導者」であるフルシチョフとのあいだの「巨頭会談」や直接交渉こそが、世界の平和を確保するもっとも確実な道だ、

 というのである。

 この見地から、フルシチョフはまず、アイゼンハワーを平和を志向するアメリカ帝国主義の「理性派」の指導者に見立て、「現在の国際情勢の評価において、国家指導者としての英知、勇気と意志を発揮した」大統領(1959年9月訪米帰国報告、『世界政治資料』81号)などとほめたたえ、しきりに「キャンプ・デービット精神」をふりまわしてアイゼンハワーとの協調によって「米ソ協力」への道にふみだそうとつとめた。

 1960年5月のU2機事件によって、アイゼンハワーとの協調が不可能になってからは、フルシチョフはこんどは次期大統領候補ケネディに期待をかけ、1961年6月新大統領とウィーンで会談した後、さっそくケネディを「強大な両国政府のおっている責任が大きいことを理解している」大統領として宣伝しはじめた(「ウィーン会談の成果」、同前126号)。フルシチョフのケネディ礼賛は、1962年10月のいわゆる「キューバ危機」をへてますます強まり、とくに1963年6月ケネディがアメリカン大学で演説した時には、国際情勢の現実的な評価にもとづいて「人類を軍拡競争や世界熱核戦争の脅威から救いだす方法をみつける必要」を説いたものとして大いに歓迎し、かれが戦争と平和の一連の根本問題でケネディと「同じ意見」をもっていることをくりかえし強調した(「平和の事業を強め協力をおしすすめよう」、同前175号)。そして、それから1ヵ月あまり後に、核実験停止についてのアメリカ政府の要求を全面的にうけいれて部分核停条約を締結し、久しく夢みてきた「米ソ協力」体制におおっぴらにふみこんだのである。

 ダラスでのケネディ暗殺はフルシチョフにとって大打撃だったが、フルシチョフは、この事件を利用して「平和の政治家」ケネディ礼賛をいっそう強める一方、新大統領ジョンソンを3人目の「理性派」の政治的代表に仕立てて称賛しはじめた。今年の4月にハンガリーを訪れたフルシチョフは、ポルソド化学工場での演説のなかで、ケネディのアメリカン大学での演説の礼賛について自己弁護しつつ、ケネディの「平和共存」路線の後継者として、ジョンソン、ラスク、フルブライトなどの名をあげてつぎのようにのべた。

 「わたしは、ケネディのこの演説をほめたといって批判された。しかし、物事について素朴な見方をしてはいけない、われわれは賢く、われわれの敵はすべて愚かだと考えてはならない。力関係が平和と社会主義に有利に変わったことから生じた発展に目をふさいではならない。この点については昨年末、ディーン・ラスク・アメリカ国務長官のおこなった声明をとりあげることができる。わたしは、リンドン・ジョンソン・アメリカ大統領もこのような立場を堅持していると確認する。最近、フルブライト・アメリカ上院議員も冷静な意見を発表している。
 これらすべては、もちろん社会主義や社会主義諸国にたいする共感から生じたものではない。これは、かれらの現実感覚を表現するものにすぎない。つまり、われわれが存在し、発展しており、非常に強力であることをみとめているということのあらわれにすぎない」(タス通信、1964年4月8日)。

 結局、フルシチョフによれば、アイゼンハワーからケネディをへてジョンソンにいたる歴代のアメリカ大統領とその政府は、すべて現在の力関係を「冷静」に評価し、「現代の唯一の現実的な政策」である平和共存の方向を追求してきた「理性派」の政治代表だということになる。

 フルシチョフがこのように、アイゼンハワー、ケネディやジョンソンを「平和共存」勢力として美化するただ一つの実際的根拠は、かれらがここ数年来、一定の「対ソ融和」政策をとる方向に戦術転換をしてきたことにある。たしかに、アメリカ帝国主義のこれらの指導者たち、とくにケネディ、ジョンソンが、フルシチョフの「米ソ協調」のよびかけにこたえて「対ソ融和」政策に転換してきたのは事実だが、もしかれらがフルシチョフの主張するように、ほんとうに戦争政策から平和共存政策の方向に転換しつつあるのだったら、その大統領のもとで、U2機事件やキューバ侵攻、インドシナ、コンゴでの侵略戦争など、核脅迫政策やアジア、アフリカ諸国への侵略政策が継続され、強化されてきたのは、なぜだろうか。この問題にたいするフルシチョフの答えは簡単である。フルシチョフによれば、それはアメリカ支配層内部の「かくれた複雑な闘争」の結果であり、平和共存を否定し戦争政策にあくまで固執する「好戦派」の圧力に「理性派」の大統領が屈服した結果であって、「理性派」本来の立場ではない(たとえば、U2機事件についてのフルシチョフの説明「なぜ頂上会談はひらけなかったか」、『世界政治資料』99号をみよ)。だから、世界平和を保障するためには、帝国主義の裡性派と手をにぎって、帝国主義の「好戦派」を孤立させなければならない――これがフルシチョフのあみだした平和共存の「基本戦略」である。

 だが、アメリカ帝国主義の「対ソ融和」政策とアジアを一つの中心にした核脅迫と軍事侵略の政策とを、本質的に相対立する善悪二つの側面だと考え、そのそれぞれを担当する「理性派」と「好戦派」が、アメリカ帝国主義の内部で「かくれた複雑な闘争」をしていると想定するフルシチョフのこの仮説は、フルシチョフが頭のなかで勝手につくりあげた仮説であって、かれが帝国主義の本質について、とくに帝国主義の「二面政策」についてのマルクス・レーニン主義の基本的見地をまったく忘れきっていることを暴露しているだけである。

 ケネディ、ジョンソンらの「対ソ融和」政策は、社会主義体制の破壊と民族解放運動の圧殺をめざすアメリカ帝国主義の「世界戦略」の重要な一翼をになうものであって、フルシチョフがもっぱら「好戦派」の圧力に帰着させている凶暴な軍事侵略や核脅威の政策と本質的に矛盾するものではけっしてない。ケネディ、ジョンソン政府のもとでの「対ソ融和」政策の展開は、第一に、アメリカ帝国主義が、現在の力関係を「現実的に」考慮して、当面、もっとも強大な防衛力をもつソ連との全面核戦争を回避しながら中国をはじめソ連以外の社会主義国や民族解放運動を一つ一つ各個撃破する戦略方針に転換したことを、第二には、かれらが、フルシチョフを中心とする現代修正主義の潮流が生まれたことを最大限に利用して、ソ連その他の社会主義国の「内部的変質」と社会主義陣営の分断をねらっていることを、しめしているにすぎない。多くの軍事評論家が証言しているように、アメリカの軍事戦略も1959-60年を転機として大きな転換をとげ、(1)当面の直接の攻撃目標は中国、朝鮮、ベトナムなどアジアの社会主義国におきながら、(2)アジアでの侵略戦争が対ソ全面核戦争に拡大するのを防止するために、巨大な核攻撃能力をソ連に集中してソ連の核報復を抑制するという戦略方向(限定局地核戦略)を確立してきている。このことは、ケネディ、ジョンソン政府が「対ソ融和」政策をとる一方で、「中国封じ込め」政策を中心にアジア、アフリカ、ラテンアメリカでの侵略政策をいっそう強化し、さらにソ連にたいする核優位を確保するための核軍拡をも実質的には少しもゆるめなかった事実によっても十二分に実証されている。

 このように、一方における「対ソ融和」政策と、他方における核戦争準備と核脅迫、アジア侵略の政策とは、基本的にはソ連をふくむ社会主義体制全体の破壊と民族解放運動の圧殺をねらっているアメリカ帝国主義の世界支配計画の、たがいに不可分に結びついた二つの側面であり、車の両輪をなすものなのである。この事態を見誤って、フルシチョフのように、今日の「対ソ融和」政策をただちに平和共存政策への基本的転換として美化することは、不可避的に「対ソ融和」政策のかげでもっとも凶暴な侵略政策をおこなっているアメリカ帝国主義とその「二面政策」全体を美化することにならざるをえない。

 もちろん、アメリカ帝国主義の支配層の内部には、ゴールドウォーターに代表されるような、「二面政策」そのものに反対し、むきだしの戦争政策に賛成する極右派も存在しており、これとアメリカ独占資本の主流とのあいだにあるさまざまな矛盾や対立を無視してならないのは当然である。だが、そのことは、フルシチョフの「基本戦略」を正当化するものではけっしてない。なぜなら、フルシチョフの議論は、この「好戦派」こそ、アメリカ帝国主義の戦争と侵略の勢力の真の代表者だと主張して、「理性派」と「好戦派」が、ともに帝国主義の利害と政策を代表する勢力である(どちらがより反動的であるかは別として)ことを否定し、それどころか、現在、「好戦派」の主張も利用しながらアメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策を実際に立案し、全力をあげて遂行している当の責任者であるケネディやジョンソンおよびアメリカ独占資本の主流を、あたかも「好戦派」にブレーキをかけている平和愛好者の集団であるかのように、おしろいを塗ってやることになるからである。これが、アメリカ帝国主義が「平和」の仮面をかぶるのを、懸命に手助けしてやること以外のなにものでもないことは、まったく説明を要しないところである。

 フルシチョフがどんなに奇弁をろうしてみても、「理性派」との協調というかれの「基本戦略」が、客観的にはアメリカ帝国主義の「世界戦略」を美化しこれを背後からささえる有力な支柱となっており、アメリカ帝国主義の侵略性から世界の人民の目をそらせて、アメリカ帝国主義が各国人民を欺瞞しつつその戦争と侵略の政策を展開するのにもっとも都合のよい情勢をつくりだしてやっていることを、かくしおおすことはできないのである。

四、「平和的」帝国主義の幻想

 第三の問題は、フルシチョフが、「米ソ協調」の展望にもとづいて、世界にはすでに平和共存が実現されており、さらに、帝国主義が現状どおり存続しているもとでも「戦争のない世界」をつくりだしうるという根拠のない幻想をふりまいて、アメリカ帝国主義の戦争政策にたいする人民の警戒心を眠りこませようとしたことである。

 まず、フルシチョフが、世界の現状をどう評価していたかをみてみよう。フルシチョフは1960年9月の第15回国連会議で、平和共存の意義について、つぎのようにのべた。

 「もちろん平和共存の原則をうけいれることは、国家間の関係をまったく新たにうちたてはじめなければならないということを意味するものではない。事実上、平和共存はすでに現実となっており、国際的に承認されている。……どのようにして平和共存を確実なものにするか、しばしば危険な国際紛争を生みだしている平和共存からの逸脱を、どのようにして許さないようにするか――実際にはこれがいまの問題である」(「戦争と抑圧のない世界を」、『世界政治資料』109号)。

 だが、今日の世界情勢を直視した場合、いったい、平和共存が「すでに現実となっており、国際的に承認されている」などと言うことができるだろうか。フルシチョフは、アメリカ帝国主義が、ラオス、南ベトナム、コンゴなどで現実に侵略戦争をつづけ、中国、朝鮮、ベトナムなどの社会主義国を承認することさえ拒否し世界各地で核戦争準備と核脅迫政策を強化している危険な事態が目にはいらなかったのだろうか。この世界情勢を目の前にみながら、平和共存は世界人民が闘争によってこれから獲得すべき目標ではなく、世界的規模ですでに達成された現実だと宣言したり、残された問題は、乎和共存をより確実なものとし、「平和共存からの逸脱」や偶発戦争をどうして防止するかだけだなどとあえて主張したりすることができるのは、米ソ間に平和が保たれていさえすれば世界は平和だと考え、アメリカ帝国主義が、一定の「対ソ融和」政策を実行すれば、ただちにアメリカの支配層が平和共存政策をうけいれたと思いこむ骨の髄までのソ連中心主義者であり、アメリカ帝国主義への降伏主義者だけである。フルシチョフにとっては、アメリカ帝国主義がソ連以外の社会主義国に向けておこなっている侵略戦争の準備や、アジア、アフリカ、ラテンアメリカでの軍事侵略などは、世界平和の大局とはかかわりのない、平和共存からの一時的、部分的な「逸脱」にすぎなかったのである。だが、こうしたせまい「ソ連中心主義」の立場から、アメリカ帝国主義の現在の侵略政策を軽視することが、結局は、ソ連自身の平和と安全をも脅かす結果にみちびくことは明白であろう。

 すでに現在の情勢が世界的規模で「平和共存」の実現した情勢に見えたフルシチョフの目が、その将来の展望に、途方もない夢をみたとしても不思議ではない。

 フルシチョフは、アメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策にたいしてかたく目をつぶったまま、その「平和共存」論をさらに大胆に前進させて、今日の世界情勢のもとでは、いっさいの戦争を社会生活からしめだす現実的な可能性がすでに存在していると主張する。

 「現代にあっては、社会生活から戦争を最後的に永久にとりのぞく現実の可能性がすでにうまれていると、われわれは主張するのだ。こういう可能性は、第2次大戦後につくりだされた新しい国際的力関係から生じているのである」(1960年2月、インドネシアのガジヤ・マダ国立大学での演説、『フルシチョフ首相 アジア訪問演説集』、102-103ページ。ゴシックは引用者)。

 では、どうしたら社会生活からいっさいの戦争を「最後的に永久にとりのぞく」ことができるのか。フルシチョフの回答は簡単である。かれが国連総会に提案した「全般的かつ完全な軍縮計画」を実行すること、つまり、帝国主義国と社会主義国がたがいに軍備を撤廃しあい地上からいっさいの武器を一掃することによってだというのである。

 「平和を保障する抜本的手段は、戦争の物質的手段を完全に廃棄することである」。「世界の軍備が全廃されれば、人間の生活には、戦争の時代から恒久的な世界平和の時代への、真に歴史的な転換が生じるであろう」。「もちろん、軍国主義者が自発的に軍備を撤廃するなどということは期待できない。……しかし、こんにちでは、軍国主義者に軍備撤廃を強要することのできる勢力が世界に存在するのである」(1962年7月「全般的軍縮と平和のための世界大会」での演説、『全般的軍縮と平和の諸問題』、194、209、210-211ページ)。

 つまり、帝国主義を打倒する以前に、それどころか、アメリカ帝国主義を盟主とする帝国主義陣営が強力に存続している情勢のもとでも、世界人民の平和闘争の圧力によって、帝国主義者を武装解除し、かれらから戦争と人民抑圧のためのいっさいの暴力機構をうばいとり、「戦争のない世界」、恒久平和の時代を実現することができるというのである。フルシチョフのこの「展望」は、第一に、「帝国主義が存在しているかぎり、侵略戦争の根源はなくならない」(モスクワ声明)というマルクス・レーニン主義の階級的見地とはあいいれないブルジョア「平和主義」の見地に堕したものであり、第二に、「あらゆる革命のもっとも主要な問題は国家権力の問題である」(レーニン)というマルクス・レーニン主義の国家と革命の理論の根本を無視し、権力をにぎっている帝国主義が人民の圧力に譲歩して、自国人民を支配し他民族を従属させるための決定的な武器であり、文字通り国家権力の根幹をなす暴力装置を放棄するという、小ブルジョア的な幻想をもてあそぶものである。

 もちろん、今日の情勢のもとでも、平和勢力が帝国主義者の核軍拡政策にたいして全般的軍縮の方向を対置してたたかうことは、帝国主義の侵略勢力を暴露し孤立させるうえで一定の積極的意義をもつし、社会主義陣営と各国人民の反帝平和闘争が発展し前進する過程で、帝国主義者の軍備拡張と戦争準備を挫折させ、非核武装地帯の設置、核兵器禁止協定をはじめ、あれこれの形態での全般的軍縮協定をかちとる可能性も存在している。だが、完全な軍備撤廃を実現し、いっさいの戦争を社会生活からしめだし、恒久平和を保障する現実的可能性がつくりだされるのは、帝国主義が最後的に打倒され、全世界における社会主義の勝利が確保される過程においてだけである。この原則的見地を見失って、帝国主義のもとでの軍備撤廃や恒久平和を空想するものは、必然的に、帝国主義国家が、独占資本主義の経済的土台を維持したままで、戦争と侵略の帝国主義的政策と自国人民や他民族を支配するための物質的手段とを「最後的かつ永久に」放棄し、「平和的」資本主義に「進化」することを夢想する、もっとも極端な帝国主義弁護論におちいらざるをえない。

 帝国主義の弁護という点では、フルシチョフは、軍備撤廃による帝国主義の「平和的」資本主義への「進化」を空想しただけでなく、帝国主義が植民地主義から足をあらい、自分の富の一部をさいて後進諸国の経済的発展と自立のために奉仕する「非侵略的」資本主義に転化するという牧歌的な展望さええがいてみせた。すなわち「米ソ協調」が実現したならば、社会主義国と帝国主義国が協力して、低開発国の開発と工業化を援助し、これらの国ぐにを経済的自立にみちびくことができるというのである。たとえば、フルシチョフは、1959年にアメリカを訪間した時、米ソ両国の経済協力が、「後進国援助」の面でもつ意義を強調してつぎのようにのべた。

 「わが国と貴国が経済的に進歩することは、全世界の歓迎するところであろう。わが両大国は、経済の発展で何世紀もおくれてしまった諸国民を、より急速に自立させることができるだろうと、全世界は期待している。……どのようにしてこれから諸国が現状から脱するのを助けるか、このことをもっとうまく、公正に、人道的なやり方で解決しようではないか」(「ニューヨーク経済クラブでの演説」、『世界政治資料』81号)。

 フルシチョフは、社会主義国と帝国主義国の協力による後進国援助という構想を、軍備撤廃の計画と結びつけ、軍備撤廃こそいわゆる「南北問題」を根本的に解決する最良の道だと宣伝した。

 「ソ連邦はまた軍縮と軍事費削減国際協定の締結により、ソ連その他の国ぐにで浮いてくる資金の一部をつかい、他の国ぐにと協力していわゆる後進諸国に経済援助をおこなう用意がある」(1959年9月第14回国連総会での演説、同前)。
 「軍備が撤廃されれば、若い民族国家にたいする援助の規模をいちじるしく拡大するために必要な条件がつくりだされるだろう。もしこんにち全世界で軍事目的に支出されている資金の総額1200億ドルのほんの8パーセントから10パーセントでも、この目的に転用されるなら、20年以内に地球上の貧窮地域から飢えと病気と文盲をなくすことができるだろう」(「全般的軍縮と世界平和のための大会」での演説、前掲205ページ)。

 こうした言葉が、何億の後進国の庄民を餌えと貧困に放置しながら、巨額の軍事費を戦争準備に浪費している帝国主義諸国の新旧植民地主義と核軍拡政策を非難し、告発するためにのべられたのだと考えたら、それは大きな思いちがいである。反対に、フルシチョフは、ここで、「米ソ協調」を柱にしたフルシチョフ流の「平和共存」の道をすすみ、軍備撤廃が実現されれば、社会主義国と帝国主義国が共同して「後進国」を援助できるようになるのだと、「本気」で主張しているのである。事実、昨年12月の国連の経済・財政委員会では、ソ連代表は、こともあろうに「今日の植民地主義の主柱」であるアメリカ帝国主義の代表と共同して「全面軍縮で浮いた資金の平和利用にかんする共同決議案」を提出し、米ソ共同して、社会主義国と帝国主義国の協力による「南北問題」の解決というフルシチョフ構想の宣伝につとめた。

 後進国開発の問題を、もっぱら先進国からの経済援助の金額の問題に解消し、軍縮で浮いた軍事費を財源とした後進国への「共同援助」を説くこの構想は、帝国主義国の後進国「援助」が、「旧植民地の諸民族にたいする植民地的搾取を新しい方法と新しい形態で保持」(モスクワ声明)しようとする新植民地主義の道具であることを、まったく無視したものである。実際にはかりに軍縮が実行され、世界の平和のための重要な前進がおこなわれ、また、その結果、アメリカその他の帝国主義国が「後進国援助」にまわすことのできる資金がふえたとしても、帝国主義と被抑圧民族の関係においては、それは直接的には新植民地主義の経済的、政治的支配を強めるのに役だつだけであって、それだけでは後進国の経済的自立をたすけるものではない。たとえ「援助」が国連などを場として社会主義国と「共同」でおこなわれたとしても、それだけで事態の本質がかわるものではないことは、コンゴへの国連軍派遣の経験に照らしても明白であろう。この国連軍は、ソ連もふくむ国連安保理事会の一致した決議にもとづいて派遣されたものであったが、国連の「公的」権威もソ連の「共同」も、国連軍がアメリカの新植民地主義の道具となるのを阻止することができなかったのである。ところが、フルシチョフは帝国主義の「後進国援助」の侵略的性格からまったく目をそむけ、新植民地主義を一掃するための闘争を問題にもしないで、軍縮によって資金を浮かせ、どの国からの「援助」であろうと必要な資金を投入しさえすれば後進国の貧困が一掃され経済的自立が達成されると宣伝しているのである。これは、結局のところ、帝国主義者にかわって、新植民地主義を弁護するものであり、広範な植民地・従属国の人民を、新旧植民地主義に反対して真の民族独立をかちとる民族解放闘争の革命的な道からひきはなし、帝国主義、植民地主義との妥協の道にひきこもうとすることにほかならない。

 ここまでくれば、フルシチョフの「平和共存」論が帝国主義弁護論としての本質をもつことは、もはやだれの目にも明らかであろう。帝国主義のもとでの軍備撤廃とか、帝国主義との協力による後進国援助とかいうかれの主張は、結局、きたるべき「平和共存」の新世界では、帝国主義が戦争政策を最後的に放棄し、新旧の植民地主義とも完全に絶縁した平和的、非帝国主義的資本主義に生まれかわるし、部分的にはすでに生まれかわりつつあるという、もっとも極端な現代帝国主義「変質」論を前提にしたものであり、その福音の説教とひきかえに民族解放運動をおさえつけようとするものなのである。

五、フルシチョフ路線の総決算

 以上が、フルシチョフの「平和共存」路線の主要な内容である。それは結局、対米追従を現代の第一義的課題とし、あらゆる犠牲をはらってアメリカ帝国主義への追従政策を追求し、「平和の敵と共同して平和を確保」しようということにつきる。すでに、その一つ一つの特徴について検討してきたように、これは、マルクス・レーニン主義党と社会主義国が堅持すべき平和共存政策とはなんの共通点もない、アメリカ帝国主義への協調と降伏の路線である。しかも、フルシチョフは、この路線にそって、アメリカ帝国主義の信頼をかちとり「米ソ協調」を実現するために、その対外政策の実行にあたって、社会主義陣営の団結を犠牲にし、世界人民の反帝平和闘争や民族解放闘争をおさえるという反人民的な行動を、くりかえしてきた。このことは、とくに、「キューバ危機」から部分核停条約をへて一応「米ソ協調」体制を実現するにいたった、かれの「平和共存」外交の展開の全過程が、しめしているところである。

 フルシチョフとその追随者たちは、「キューバ危機」以後、対米追従の外交方針をいっそう熱心に追求しはじめたが、それと同時に、世界平和運動や国際民主運動にたいしても、各種のアメリカ帝国主義美化論や対米追従の外交方針への支持をいままで以上に露骨におしつけだした。そして、なかでもとくに許すことのできないのは、アメリカ帝国主義がその戦争と侵略の政策の一つの主戦場をアジアに求め、「中国封じ込め」政策を「世界戦略」の基本にすえていることがだれの目にも明らかな情勢のもとで、かれらが、政治・経済・軍事の全面にわたる「反中国政策」をいよいよ強化したことである。フルシチョフとその追従者たちは、以前から、国際共産主義運動内部での意見の相違を口実にして、中ソ両国間の国家関係を不当に悪化させていたが、この時期にはその「反中国政策」をさらに強化し、中国の核兵器保有の妨害を主要なねらいの一つとする部分核停条約を米英両国と締結し、また、アメリカとの事実上の軍事同盟のもとに中国にたいする軍事的挑発をくりかえしているインドに大量の軍事援助をあたえるなど、アメリカ帝国主義の「中国封じ込め」政策に背後から呼応し、直接間接にこれに協力することも辞さなかった。さらに、アメリカの軍事侵略に反対し、民族の独立のためにたたかっているベトナム、ラオス人民の闘争にたいしても、これを積極的に支援しようとせず、しばしば人民の要求を無視して帝国主義と妥協する態度をとった。フルシチョフらのこうした行動は、まさに、プロレタリア国際主義の原則にそむき、社会主義陣営の団結や民族解放運動との連帯の破壊に通じるものだが、そのもっとも主要な動機の一つが、アメリカ帝国主義の指導者の信頼をかちとり、「米ソ協調」の政治的基盤をかためることにあったことは、疑問の余地がない。

 では、フルシチョフのこのような「平和共存」路線は、世界になにをもたらしただろうか。社会主義陣営の団結まで犠牲にしてアメリカ帝主国義との協調政策をおしすすめた結果、多少とも世界情勢を平和の方向に改善することができただろうか。

 この点について、まず、フルシチョフ自身の評価をとってみよう。フルシチョフは、さる7月と8月に、部分核停条約調印後1年間の世界情勢の展開を総括して、その「平和共存」路線が米ソをふくむ諸国家間に相互の「信頼」をうちたてたことをおう歌し、軍事予算の削減、核分裂物質の生産縮小などの例にみられるように、この「信頼感」が、いまや、公式の協定がなくてもすすんで「模範」を相互にしめしあうという形で、平和政策を推進できる(「相互模範の政策」)ところにまで強まったことを強調した。そして、この「信頼感」を大切にし、拡大してゆけば、国際情勢を漸次に改善し、世界平和を維持し強化することができると力説した。

 「この条約の締結は、まさに諸国家聞の関係にある程度の信頼をもたらして、将来にいっそうこのましい見とおしをひらくものであり、国際情勢を漸次に改善することを可能にする“相互模範の政策”の出現に決定的な影響をあたえている。この相互信頼の発生はもちろん、緊張緩和という共通の利益に実際的に利用されなければならない。緊張の緩和は擁護され、強化されなければならない」(1964年7月6日「イタリア平和委員会の書簡への回答」、ゴシックは引用者)。
 「わたしは、モスクワ条約調印以後の,年間に国際舞台で新しい経験がえられた、と信じている。すなわち、ある程度の信頼感がつみかさねられて、国際緊張の緩和とさまざまな分野での合意をいっそう推進することができるようになった。しかもこのことは、公式な諸協定の締結によってばかりでなく“相互模範”の政策をつうじて達成されたのだ。したがって、このような信頼感のつみかさねを守り、信頼感がうすれることなく、逆にあらゆる方法で信頼感を拡大強化してゆくことが、きわめて重要である」(1964年8月3日「モスクワ核停条約1周年記念にプラウダ、イズベスチヤ記者に答う」、同前)。

 フルシチョフの言葉をきくと、部分核停条約は諸国家間の「相互信頼」の時代をひらき、社会主義国も帝国主義国も旧植民地諸国も、たがいに「信頼」しあって平和共存しあえるようになったかのようだ。しかし、これは現実の世界とはあまりにもかけはなれた「世界像」である。たしかに、昨年7月に、部分核停条約を締結 することによって、フルシチョフは待望の「米ソ協調」体制に大きく接近し、アメリカ帝国主義とのあいだに一定の「信頼関係」を結ぶことができ、さらに、部分核停条約につづく、米ソ直通「ホットライン」の敷設、アメリカの対ソ小麦輸出措置・軍事予算の若干の削減、核兵器積載物体の軌道打上げ禁止、核兵器用分裂物質の生産縮小などの措置がとられた結果、米ソ指導者間の「信頼感」、少なくともフルシチョフのアメリカ指導者への信頼がつみかさねられたことは事実である。だが、問題の核心は、米ソ指導者間に「相互信頼」があるかどうかではなく、この米ソ指導者間の「相互信頼」が、はたして世界全体の平和の維持と強化に貢献しているかどうかという点にある。部分核淳条約締結後の世界情勢の現実の展開は、この問題にまったく否定的な回答をあたえている。

 第一に、米ソ指導者間の「相互信頼」のもとで、アメリカ帝国主義の核戦争準備、侵略政策はすこしも後退しなかった。核軍拡計画は継続され、ポラリス原子力潜水艦の世界的配備も進行した。ヨーロッパでは、フルシチョフが世界平和の根本問題だとしてその解決に全力をかたむけ、くりかえし、毎年「今年は解決する」といっていたベルリン問題、ドイツ問題においても、なんの前進がみられなかったし、かえって、MLF(多角的核武装)計画による西ドイツの核武装計画がおしすすめられた。とくに、アジアではラオス、南ベトナム、カンボジアにたいする侵略の拡大、日本本土と沖縄の核攻撃基地化、インドの軍事同盟へのひきこみと第7艦隊のインド洋派遣、南朝鮮、沖縄、台湾での核戦争を想定した大演習など、中国を主要攻撃目標の一つとした侵略戦争の準備はいっそう強化され、さる8月にはベトナム民主共和国にたいする公然たる軍事攻撃まで強行された。ここで重視しなければならないのは、部分核停条約によってつくりだされたフルシチョフと、ケネディやジョンソン間の「相互信頼」が、アジアを当面の主戦場の一つとするアメリカ帝国主義の侵略政策を抑制するどころか、かえって激励し助長する役割を果たしていることである。ニューヨーク・タイムスのレストン記者は、フルシチョフ解任が発表されたその日につぎのように書いたが、これは、、米ソ間の「相互信頼」の政治的本質を、みごとに特徴づけた言葉である。

 「ジョンソン大統領は、ベトナム、キューバ、コンゴ、フランスで米国がどれほど問題を抱えていても、フルシチョフ氏がいるかぎり、少なくとも米ソ関係は比較的に安定しうると言ってきた。この見解は正しい」(『朝日』1964年10月17日)。

 つまり、米ソ間の「相互信頼」とは、ソ連は、アメリカ政府がソ連にたいしてただちに核戦争をしかけてこないことを「信頼」し、アメリカ政府は、ソ連以外の地域の「粉争」にソ連が軍事的に介入してこないことを「信頼」するという、二重の「信頼」のうえに成立したものであって、そのために、フルシチョフがソ連を指導し、米ソ間に「相互信頼」が存在していたあいだは、アメリカはソ連との全面的衝突におちいるおそれなしに、アジア、アフリカ、ラテンアメリカでの侵略行動に安心して専心することができたというのである。こうした「相互信頼」が、世界を平和共存に近づけるどころか、アメリカ帝国主義の侵略政策をますます野放しにし、核戦争をふくむ戦争の危険をいっそう増大させる「危険な関係」であることは、明白である。

 第二に、米ソ間の「相互信頼」は、社会主義陣営と国際共産主義運動の団結、全世界の反帝平和勢力の団結を犠牲にしてうちたてられたものである。フルシチョフは、アメリカ帝国主義の「信頼」を確保するために、アメリカ帝国主義がその「各個撃破」政策の当面の主要攻撃目標としているアジアの社会主義国との連帯関係を事実上ふみにじり、世界人民の反帝平和の闘争や民族解放闘争の前進を抑制し、世界人民の共通の敵アメリカ帝国主義との闘争の立場を堅持している社会主義国やマルクス・レーニン主義党に攻撃を加えて、社会主義陣営と国際共産主義運動の不団結をいよいよ拡大した。だが、モスクワ声明がはっきりのべているように、世界戦争をはじめようとする帝国主義的侵略者のたくらみを阻止し、世界平和を維持することのできるただ一つの力は、「社会主義陣営、国際労働者階級、民族解放運動、戦争に反対するすべての国、すべての平和愛好勢力」の共同の努力であり、平和の国際統一戦線への結集である。フルシチョフの「平和共存」路線は社会主義陣営、国際共産主義運動、世界の反帝勢力の団結を裏切り、それを堀りくずすことによって、帝国主義的侵略勢力を有利にし、真の平和勢力の実現をそれだけ遠ざける結果をもたらしたのである。

 現在、アメリカ帝国主義のアジア侵略政策は、反帝平和勢力の側に、社会主義陣営、国際共産主義運動の不団結というきわめて困難な事態が存在しているにもかかわらず、帝国主義的侵略勢力とのたたかいの先頭に立っている一連の社会主義国の発展、アジア諸国人民の民族解放運動の前進、帝国主義陣営内部の対立の激化などに直面して、根本からゆり動されつつある。アメリカ帝国主義は、南ベトナムでも、ラオスでも、南朝鮮でも失敗をかさね、かれらが「世界戦略」の基本にすえた「中国封じ込め」政策も、中国とフランスの国交樹立、中国核実験の成功、アジア・アフリカ諸国の反帝国主義的連帯の強化、インドの「反中国」政策の孤立化など相つぐ打撃をうけ、政策の破たんを暴露している。このことは、アメリカ帝国主義の「二面政策」と、それにたいするフルシチョフの無原則的譲歩にもかかわらず、国際情勢が大局的には帝国主義の側に不利に、人民の側に有利に発展していることを、なによりも雄弁にしめしている。そしてもし、フルシチョフの「対米追随」路線が根本的に克服され、社会主義陣営と国際共産主義運動の団結、全世界の反帝平和勢力の団結が回復され、各国人民の独立、平和のエネルギーがアメリカを先頭とする帝国主義陣営の戦争と侵略の政策に正しく集中されていたならば、世界平和と平和共存をめざす闘争はいっそう巨大な成功をおさめ、世界情勢は、平和と独立、民主主義と社会主義の事業にとって、はるかに有利に展開していたにちがいないことも明らかである。

 結論的にいえば、フルシチョフが先頭に立って推進してきた「平和共存」政策は、アメリカ帝国主義をかしらとする戦争と侵略の勢力を助けると同時に、社会主義陣営を先頭とする反帝平和勢力に打撃を加え、この二重の意味で、世界平和と平和共存のための闘争に大きな損害と困難をもたらしてきたのである。しかも、この政策は、最大の社会主義国家の一つであるソ連で、党と政府の指導的地位をしめしていたフルシチョフとその追従者たちによって長期にわたっておしすすめられ、さらに、レーニンの指導のもとに最初の社会主義革命をなしとげた国としてのソ連の国際的威信を背景として、社会主義陣営、国際共産主義運動、国際民主運動全体におしつけられようとしてきたのである。それだけに、フルシチョフの「平和共存」政策が世界の反帝平和勢力にあたえた損害はきわめて重大なものがある。アメリカ帝国主義や世界の反動勢力が、フルシチョフ解任を残念がり、ソ連共産党に今後ともフルシチョフ路線を継続することを心からよびかけているのは、当然のことといわなければならない。

 このことは、社会主義陣営と国際共産主義運動の内部からフルシチョフの「平和共存」路線、アメリカ帝国主義に降伏する現代修正主義の路線を克服し、アメリカ帝国主義との共同の闘争における社会主義陣営と国際共産主義運動の団結を回復する課題が、帝国主義による核戦争の脅威から世界平和を守り、その戦争と侵略の政策をうちやぶって社会制度の異なる諸国間の正しい平和共存を実現する立場からも、もっとも差し迫った課題となっていることを示している。

 すでに、わが党をはじめ、世界の真のマルクス・レーニン主義者とマルクス・レーニン主義党は、フルシチョフに代表される現代修正主義に反対する闘争を、断固として展開してきた。

 その闘争の前進の過程で、現代修正主義の国際的潮流の最大の支柱であり、対米追随の「米ソ協調」路線の主要な推進者であったフルシチョフが解任されたことは、それ自体、現代修正主義の潮流の矛盾と破たんのあらわれであり、現代修正主義の克服と国際共産主義運動の統一の回復をめざすマルクス・レーニン主義者の闘争にとって、いっそう有利な条件をつくりだしている。だが、フルシチョフの指導のもとでおかされた対外政策上の誤りが、フルシチョフの独断専行や、基本的には正確な路線からの個人的、一時的な逸脱だけに解消しうるものではなく、問題の根本が対米追従によって世界平和を確保するというフルシチョフ流の「平和共存」路線そのもののマルクス・レーニン主義の正しい平和共存政策からの根本的な背反にある以上、フルシチョフの「平和共存」路線を克服する課題が、単純にフルシチョフの解任だけによって解決されるものでないことは明らかである。

 この課題を根本的に解決するためには、第9回党大会にたいする中央委員会の「報告案」が明らかにしている原則的な方向にそって、現代修正主義にたいする一貫した系統的な闘争をいっそう強化することが必要である。

 それは第一に、対米追従と帝国主義美化の「平和共存」論をはじめ、いっさいの現代修正主義のあらわれにたいして原則的で非妥協的な思想・理論闘争をおこなうことである。第二に、国際民主運動の分野で、それぞれの運動の性質におうじて帝国主義の戦争政策に反対する大衆の切実な要求にもとづく統一行動を発展させるために全力をつくし、さらに国際共産主義運動のなかでも、モスクワ宣言と声明に規定されたアメリカ帝国主義にたいする統一認識を基礎にしながら、各国兄弟党間の当面の行動の統一をおしすすめるために奮闘し、その中で現代修正主義の帝国主義への降伏や分裂の路線を具体的に暴露してゆくことである。第三に、修正主義の国際的潮流およびそれに盲従しているわが国の各種の反党修正主義者からおこなわれている、わが党にたいする破壊、撹乱活動と断固としてたたかい、これを粉砕することである。われわれが、この原則的な態度と方向を堅持し、現代修正主義にたいする闘争をひきつづき前進させ強化することによってのみ、フルシチョフ解任を、現代修正主義の無原則的な「平和共存」路線そのものを粉砕し、国際共産主義運動と社会主義陣営の団結を回復し、マルクス・レーニン主義の勝利を実現するより積極的な契機とすることができるのである。そして,これこそが、全世界の反帝平和勢力の団結を強化し、社会主義諸国と世界人民の反帝平和、独立の闘争を全面的に発展させ、それによって世界平和の確保と平和共存の達成に積極的に貢献する道なのである。

(『日本共産党重要論文集』第2巻より)