日本共産党資料館

テ・チモフェーエフとアメリカ帝国主義
――「ケネディとアメリカ帝国主義」にたいする反論の批判

1965年2月1日

(『アカハタ』1965年2月26日)

評論員


一、チモフェーエフの反論の全体的特徴

二、フルシチョフはアメリカ帝国主義とたたかったか

三、帝国主義者の内部矛盾とその利用

四、ケネディ・ジョンソンへの追従政策

五、「ネオ・トロツキズム」という中傷

六、革命的楽観主義と日和見主義的「楽観主義」


 ソ連共産党中央委員会の理論・政治誌『コムニスト』第12号(1964年8月)に、テ・チモフェーエフの「帝国主義にたいする実際の闘争といつわりの闘争」という論文がのった。これはわが党が1964年3月10日の『アカハタ』紙上に発表した評論員論文「ケネディとアメリカ帝国主義」にたいする反論である。

 「ケネディとアメリカ帝国主義」は、1963年11月に暗殺された前アメリカ大統領ケネディを平和の政治家とみなして公然とアメリカ帝国主義を美化している現代修正主義の日和見主義理論を系統的に批判し、ケネディの「二面政策」の本質と実態を全面的に解明した論文である。この論文は、このような日和見主義理論が、日本と世界の共産主義運動や民主運動にたいし実際に有害な影響をあたえており、その克服が緊急の任務となったために発行されたものであった。しかもそれは、けっしてソ連共産党を名ざしで公然と非難したものではなかった。ところが『コムニスト』編集部は、「ケネディとアメリカ帝国主義」をまったくソ連国内に紹介しないままに、「この論文では、ソ遜の対外政策方針と国際共産主義運動の総路線が批判されている」、「兄弟諸党が、『アメリカ帝国主義との闘争を葵避しようとしている』といって根拠のない非難がおこなわれている」として、一方的に反批判を発表し、公然とわが党のアカハタ編集局を「ネオ・トロツキズム」の立場をとるものとして最大限の攻撃をおこなった。

 このことは、第一に、フルシチョフを先頭としたソ連共産党指導部のこの数年来の対外政策、方針は、まさに評論員論文が批判の対象とした理論や政策に沿ったものだったことが、ソ連共産党中央委員会の理論・政治誌自身によって自認されたことを意味している。思い当たることがなければ、「ケネディとアメリカ帝国主義」を国内に紹介さえせずに、これほど居たけだかになって反論するにもおよぶまい。わが党の評論員の論文は、フルシチョフを指揮者とする現代修正主義の国際的潮流の文字どおり病根をえぐったのである。

 第二に、この反論は、チモフェーエフと『コムニスト』編集部が、評論員論文が提出した科学的批判にたいして、誤ったアメリカ帝国主義美化論をあくまで擁護しようとし、わが党のアカハタ編集局にたいする公然たる論争をいどんできたことを意味している。公然と攻撃されたものを、公然と反論する権利がある。「ケネディとアメリカ帝国主義」をめぐる討論が、ソ連共産党と日本共産党との公開論争の一部となったことの責任は、あげて『コムニスト』編集部とチモフェーエフが負うべきものである。

一、チモフェーエフの反論の全体的特徴

 はじめに指摘しておかなければならないことは、チモフェーエフの反論の、全体としての特徴である。

 わが党の評論員論文「ケネディとアメリカ帝国主義」は、81の兄弟党が一致して採択したモスクワ声明の革命的路線を正しく守りぬくために発表されたものであり、つぎのような内容のものであった。

 第一に論文は、一部のマルクス主義者のケネディ美化の理論的基礎となっている「アメリカ帝国主義の両翼分化論」を指摘し、それをマルクス・レーニン主義の立場から詳細に分析し、系統的に批判した。ケネディを、「平和共存」を追求する帝国主義ブルジョアジーの「理性派」として美化する議論は、けっきょく、レーニンの帝国主義論を根本的に修正してアメリカ帝国主義の変質を説教することであり、もっとも悪質な降伏主義的理論でしかないことを、論文は、事実と論理の両面から、くりかえし明らかにした。

 第二に論文は、ケネディ美化のもう一つの理論的基礎として、国際的に共通な課題として主要な敵をどうみるかという問題に関連する、誤った「独・仏帝国主義への主要打撃論」を指摘し、これもまた「両翼分化論」の延長にすぎず、「世界反動の主柱」としてのアメリカ帝国主義との闘争を回避する日和見主義理論にすぎないことを、詳細に明らかにした。

 第三に論文は、ケネディの「二面政策」をとりあげ、それが帝国主義者の一つの目的をもった二つの手口にすぎないこと、それは、現段階のアメリカ帝国主義がおちいっている深刻な危機に対応したものであり、その本質は「平和」や「進歩」の仮面で飾り立てた、きわめて侵略的な帝国主義者の反撃政策であることを、具体的に実証し、暴露した。

 第四に論文は、ケネディの「二面政策」が、「キューバ危機」と部分核停条約をつうじて、みせかけの米ソ間の「緊張緩和」政策のかげで、「中国封じ込め」とアジア侵略政策を強化する路線に結晶していった経過を、事実に即して分析し、当面のアメリカ帝国主義の政策と戦術を明らかにした。

 第五に論文は、ケネディ路線がジョンソン政府にも基本的にひきつがれていることを確認し、国際共産主義運動内部に生まれた不団結がつくり出している複雑、困難な情勢を指摘したうえで、国際共産主義運動が、「宣言」と「声明」にもとづいてアメリカ帝国主義ならびに、それとの闘争にたいする評価を正しく統一することを提唱した。「アメリカ帝国主義にたいする評価こそ、現代においてマルクス・レーニン主義と修正主義を分ける主要な分水嶺である」――論文は、日本共産党と日本人民の闘争の経験を総括してこうのべながら、「宣言」と「声明」の路線から逸脱して、アメリカ帝国主義の美化に協力する裏切り的な現代修正主義者の帝国主義弁護論を粉砕して、アメリカ帝国主義にたいする全世界人民の闘争を強化することを訴えた。

 もしも、この論文の観点に不十分さがあり、事実の収集に不足があり、叙述に適切でない部分があるならば、われわれはもちろん、マルクス・レーニン主義の立場からそれが指摘されることを心から歓迎するものである。そのような批判は、創造的、建論的なものであり、そうした討論をつうじてマルクス・レーニン主義の理論はいっぞう豊富になり、発展するものだからである。

 だが、きわめて残念なことには、チモフェーエフの反論は、卒直にいってこのような創造的、建設的討論とはおよそ縁のとおいものである。

 第一にその反論は、本質からいって部分的反論ではなく、根本的な反対論であるにもかかわらず、言葉だけは強く激しいが、根本的な反対論としてなりたつための最低限の資格さえ欠いている。それは右に要約した評論員論文の、もっとも重要な5つの論点にたいして、それぞれまともに答えようとする努力を払っていない。わずかに、第一の「両翼分化論」批判を中心としてケネディ美化論をくり返し、第二の「独・仏帝国主義への主要打撃論」に一言触れているだけである。第三、第四のケネディの「二面政策」の歴史的、具体的分析についても具体的反論はほとんどなく、ケネディ政策の抽象的な特徴づけがのべられているだけである。われわれは、チモフェーエフに、もし反論するのなら、もっと内容のある、もっと包括的な反論をおこなうことを期待したい。

 第二にその反論は、とりあげられた当の論点においても、評論員論文の立場と理論を十分に理解さえしておらず、反論の大部分は、すでにその答えが評論員論文そのもののなかに、ふくまれているものにすぎない。そして残りの部分は、評論員論文の主張のねじまげやねつ造にたよって批判するという、論争としてはもっとも水準の低いものである。論争は、もし真剣におこなおうとするならば、相手の論点をよく理解し、その理論的主張のもっとも重要な枢軸をめぐって、確実な論証をともなっておこなわなければならない。われわれは、チモフェーエフに、もっと論拠のある、もっと科学的な論争をおこなうことを望みたい。

 第三にその反論は、理論的反批判というよりも、政治的レッテルはりにのみ急である。「中国共産党の擁護者」というおなじみのレッテルのほか、しばしばくり返される「ネオ・トロツキスト的構想」をはじめ、「世界核戦争防止の運動のサボタージュ」、「積極的反ソ主義」、「反レーニン的民族主義」などなど、極端な中傷的レッテルが、評論員とアカハタ編集局にはりつけられている。われわれはチモフェーエフに、いくらかでも科学的基礎にもとづいて討論をやるつもりなら、相手の立場の規定においても、その理論的、政治的特徴を正確に表現した用語を選ぶことを希望したい。ソ連共産党の同志からはりつけられたレッテルが、なにほどかの影響をもちえた一時代は、すでに過去のこととなっているのである。

 しかしわれわれは、このようなチモフェーエフの態度にかかわりなく、かれの主張をできるだけ誤りなく理解し、そのもっとも重要な論点をとりあげながら、かれに代表される修正主義理論にたいする反批判をおこなうこととしよう。

二、フルシチョフはアメリカ帝国主義とたたかったか

 チモフェーエフは、まず、「問題の本質を歪曲してはならない」と題しながら、評論員の主張とはことなり、問題の本質は「アメリカ帝国主義に反対してたたかうか、たたかわないかということにあるのではない」と断言している。この闘争をおこなうことは、全世界の共産主義者にとって、「問題外」の自明のことであり、もちろんソ連共産党にとっても自明のことだそうである。しかし、チモフェーエフが、アメリカ帝国主義とたたかう「ソ連の確固とした原則的態度」の実例として、革命キューバの防衛やキプロスにおける陰謀にあたり、また「トンキン湾」の挑発行動にあたってのソ連政府の行動を持ち出すとき、ソ連の対外政策なるものが、アメリカ帝国主義にたいして、はたして断固たる闘争をおこなっているかどうかということは、けっして自明のことではなくなってしまう。

 遠慮なくいって、これらの例、とくにキューバや「トンキン湾」事件が、ソ連の「原則的態度」をしめす例としてあげられることには、われわれはあきれかえらざるをえない。なぜなら1962年秋の「キューバ危機」は、フルシチョフが、アメリカ帝国主義のキューバ侵略をふせぐために、アメリカ帝国主義者に「熱核戦争の危険をいっそう現実的に感じさせる」(1962年12月12日「ソ連最高ソビエト会議における報告」、『世界政治資料』164号)ことを直接の目的として、キューバに核ミサイルをもちこむという冒険主義の誤りをおかし、さらに一転してキューバの主権を無視した「国際査察」の承認という降伏主義の誤りをおかした、歴史に残る二重の無原則的態度の典型だったからである。

 フルシチョフは、核兵器は本質的に防衛の武器であり、どんな場合にも最初に使用すべきでないという社会主義国としての原則的態度をふみはずして、軽卒にも社会主義の核兵器をもてあそんだ。その結果、いわゆる「柔軟反応戦略」にもとづき、全世界に展開した対ソ核脅迫態勢を強化しながら、まず通常兵器による攻撃からキューバ侵略を開始しようとしたケネディの挑発に直面して、窮地におちいり、そのあげくアメリカ帝国主義の核脅迫にみじめに屈服してしまったのである。

 また1964年夏の「トンキン湾」事件におけるソ連の行動は、フルシチョフがアメリカ帝国主義の侵略行動を口先で非難しながら、実際には、ジュネーブ会議の共同議長国であるにもかかわらず、ジュネーブ協定を無視して国連に問題をもちこみ、アメリカ帝国主義の策謀に事実上協力したという、まだ記億もなまなましい無原則的態度の実例だったからである。チモフェーエフが引用しているフルシチョフのキルギス共和国での演説は、このようなフルシチョフの無原則的な降伏が全世界の目の前で暴露されたのちに、その降伏主義をおおいかくすためにおこなわれた、無力でみせかけだけの演説にすげない。

 もしもチモフェーエフが、キューバや「トンキン湾」事件にさいして、フルシチョフの指導のもとにソ連政府がとったこれらの行動を「原則的態度」だと強弁しようとするのなら、そのような「原則」は、社会主義とマルクス・レーニン主義を侮辱するものでしかない。

 チモフェーエフが、実例による証明を望むのなら、われわれは、以上の二つの例だけでなく、アメリカ帝国主義との闘争を回避しようとし、また実際に回避した、フルシチョフの行動と言葉とを、いくらでもあげることができる。たとえば、フルシチョフは1959年に訪米してアイゼンハワー大統領を、「『冷戦』状態を一掃し、われわれ両国間の関係を正常化し、すべての国の間の関係の改善を促進することを誠実にのぞんでいる」アメリカ帝国主義者のなかの「理性派」の指導者としてほめたたえ(1959年9月モスクワにおける訪米帰国報告、『世界政治資料』81号)、しきりに「キャンプデービッド精神」をふりまわして、「米ソ協調」を説きはじめた。1960年5月のU2機事件でアイゼンハワー大統領との協調が不可能になって以後、フルシチョフは、こんどは新大統領ケネディに期待をかけ、かれを「現実の情勢にたいする冷静な評価」をおこなう「理性派」の代表にまつりあげ(「ケネディのアメリカン大学演説にたいする論評」、『世界政治資料』175号)と「米ソ協調」の道をまっしぐらにすすんでいった。「平和の政治家」ケネディの死後、フルシチョフは、亡きケネディをいっそう礼賛しながら、その「平和共存」路線を継承し「冷静な意見」と「現実感覚」をもった政治家として、ジョンソン大統領、ラスク国務長官、フルブライト上院議員などの名々あげはじめた(「ハンガリーのポルソド化学工場での演説」、タス通信日本語版1964年4月8日号)。これらのフルシチョフの言動は、アメリカ帝国主義とそれを代表する大統領を美化し、アメリカ帝国主義とその政府にたいする誤った幻想を人民のあいだに植えつけるもの以外のなんだっただろうか。

 1963年にフルシチョフは核実験と核兵器禁止についての、全世界の平和、民主勢力の要求をまっこうから裏切って、ケネディ、マクミラン主張に屈服し、部分核停条約を締結し、それがあたかも「国際緊張の全般的な緩和をうながし」、「機の熟した国際問題の解決に好都合な情勢をつくりだし」、「全般的かつ完全な軍縮という根本問題を解決する道をひらく」ものであったかのように自画自賛した(1963年7月27日「プラウダ、イズベスチャ両紙記者の質問への回答」、『世界政治資料』177号)。部分核停条約締結1周年に、ちょうど「トンキン湾」事件の起こったその翌日、フルシチョフは、部分核停条約によって生み出された「信頼感のつみかさねを守り」、「あらゆる方法で信頼感を拡大強化してゆくこと」をさかんに強調した(「モスクワ核停条約1周年記念にプラウダ、イズベスチャ記者に答う」、タス通信日本語版1964年8月3日付)。このアメリカ帝国主義賛美の言葉のまだ消えやらぬ2日後に、アメリカ帝国主義はベトナム民主共和国にたいする凶暴な爆撃をおこなったのである。これらのフルシチョフの言動は、アメリカ帝国主義の核戦争政策と侵略政策の凶暴な実体をおおいかくして美しくえがきだし、アメリカ帝国主義の核独占の永久化とソ連以外の社会主義国の防衛力強化の阻止を主な目的とした部分核停条約の本質を欺まんすること以外のなんだったろうか。

 フルシチョフは、今日の世界を「熱核兵器をつめこんだ火薬庫の上でくらしているようなもの」(前掲「ソ連最高ソビエト会議での報告」)にたとえて、人類が生き残る唯一の道として、「平和共存」の名によるアメリカ帝国主義との無原則的な協調政策をふりまわした。そしてこの「核戦争人類絶滅論」にもとづくかれの「米ソ協調」に賛成しないものを、すべて「戦争による社会主義の勝利という理論の提唱者」であり、「世界文化の中心地の廃虚のうえに、荒廃し核爆発の灰に汚染された大地のうえに、共産主義文明をきずこう」とするもの(「ドイツ社会主義統一党第6回大会におけるあいさつ」、『世界政治資料』169号)として攻撃してきた。だがかれの「平和共存」論は、アメリカ帝国主義の核脅迫に屈して米ソ戦防止だけをすべてに優先する「第一義的課題」とみなし、すべての革命運動や民族解放運動をかれの「米ソ協調」政策に従属させ、世界革命の運命を米ソ間の経済競争の結果に託し、けっきょくはアメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策にたいする闘争を弱めて平和をあやうくすること以外のいったいなんだっただろうか。

 事実はなによりも雄弁である。フルシチョフの外交政策は、チモフェーエフのどんな弁護も徒労に終わるほど、アメリカ帝国主義にたいする闘争回避の、数え切れない実例でみちみちている。

 わが党は、すでにこうしたフルシチョフの「平和共存」政策の本質と実態を分析した評論員論文「フルシチョフの『平和共存』政策の本質について」(アカハタ1964年11月22日)を発表した。われわれはチモフェーエフに、この評論員論文について、フルシチョフはいったいアメリカ帝国主義とたたかったか、たたかわなかったかを検討することを希望したい。チモフェーエフが問題にしている「言葉のうえではなく、実際にアメリカを先頭とする世界帝国主義に反対してたたかった」のがだれであり、言葉のうえでも実際にもたたかわなかったのがだれであるかは、フルシチョフ失脚という事実をふくめて、すでに歴史がきびしい審判をくだしたところである。

 チモフェーエフは、ソ連の対外政策をつぎのように定式化してみせた。

 「周知のように、ソ連は、積極的な、柔軟性のある平和愛好の対外政策をとりながら、国際緊張の緩和を達成しつつ、帝国主義、まず第一にアメリカ帝国主義のもっとも侵略的な層の孤立をうながしている」(ゴシックは引用者)

 だが、「帝国主義のもっとも侵略的な層の孤立」という一見もっともらしい用語のかげで、アメリカ帝国主義を、「もっとも侵略的な層」とそうでない層との二つに分け、ケネディやジョンソンらを後者の代表とみなして免罪する、まさにこのようなケネディ美化こそ、「ケネディとアメリカ帝国主義」が、批判した対象そのものであった。

 チモフェーエフはまた、今日における反帝闘争の内容をつぎのように規定している。

 「今日、言葉のうえではなく、実際にアメリカを先頭とする世界帝国主義に反対してたたかうことは、まず、社会主義諸国の経済力と防衛力を強化し、新しい社会を成功裏に建設することを意昧し、われわれの時代のすべての革命勢力、反帝国主義勢力の団結を強めることを意昧する」(ゴシックは引用者)

 かれはまずここで、なにかわれわれが帝国主義にたいして「言葉のうえ」だけでたたかっているかのようにあてこすり、それを「実際にたたかうこと」と対置してみせている。もちろん帝国主義にたいして口先でなく実際にたたかうことがもっとも重要な問題であることは言うまでもないが、その実際の闘争のなかには正しく「言葉のうえ」でもたたかうことがふくまれなければならない。マルクス・レーニン主義者は、帝国主義の本質、その戦争と侵略の政策の実態、その陰謀と策謀のすべてを、つねに言葉と文字を最大限に利用して徹底的に暴露し、広範な人民大衆の自覚を高め、思想的に武装させなければならない。モスクワ声明にはこうしるされている。

 「いま、平和のためにたたかうということは、とりもなおさず、最大の警戒心を維持し、うむことなく帝国主義の政策を暴露し、戦争挑発者の陰謀と策動をするどく追及し、戦争を方針としているものにたいして各国人民の神聖な怒りをよびおこし、すべての平和勢力の組織性と平和擁護のための大衆の積極的行動をたえまなく強め、新戦争をのぞまないすべての国家と協力関係を結ぶということである」

 言葉のうえでなく実際にたたかうことをことさらに強調してみせるチモフェーエフらは、それこそ実際には声明のこの革命的見地に反対なのであり、「うむことなく帝国主義の政策を暴露し、戦争挑発者の陰謀と策動をするどく追及する」マルクス・レーニン主義者のすべての「言葉」といっさいの宣伝・扇動の意義を低め、それを怠る立場を合理化したいのである。

 その証拠は「実際に」かれが帝国主義とどうたたかおうとしているかをみれば、いっそう明らかである。すなわちかれの主張を字義どおりにとれば、帝国主義の暴露をさしひかえて、なによりもまず黙々と「社会主義諸国の経済力と防衛力強化」のためにはたらけ、これがかれの主張するもっとも重要な反帝闘争なのである。われわれは、フルシチョフのもとで、第一に、国際帝国主義に反対する三つの主要な革命勢力、社会主義世界体制、資本主義諸国の労働者階級と人民の革命運動、被圧迫諸国民の民族解放運動――が事実上、社会主義世界体制だけにわい小化され、第二に、その社会主義世界体制が事実上ソ連一国にわい小化され、第三に、そのソ連のはたす役割が事実上、「共産主義建設の勝利」だけにわい小化されてしまうという、三重のわい小化がおこなわれるのをみてきた。こうして、「宣言」と「声明」に反して、国際帝国主義に反対する世界人民の統一という課題が、ソ連一国の「共産主義建設の勝利」と、そのもとへのソ連路線に同調するすべての勢力の結集という課題にわい小化され、国際的な反帝闘争が事実上、「米ソ協調」下の両体制の経済競争にそらされてきたことをみてきた。

 そして、その誤った路線を批判し、反対するものは、チモフェーエフがおこなっているように、「せまい民族主義的目的を公然と追求」するもの、「ソ連の成果を、他の国ぐにの勤労者の革命闘争、反帝国主義闘争の利益に対抗」させるもの、「社会主義の力が資本主義に最終的に勝利するということにたいする、かれらの不信をあらわす」もの等々といった、おきまりの非難が投げつけられてきた。そしてこのようなかれらの主張もまた、わが党の評論員論文が重大な問題として批判した無原則的な「平和共存」論の当のものである。

 たしかに、チモフェーエフは、反帝国主義闘争の内容として、そのつぎに、「すべての革命勢力、反帝国主義勢力の団結」にふれてはいる。だが、帝国主義の暴露をさしひかえ、「米ソ協調」政策の宣伝につとめながら、どうして「すべての革命勢力、反帝国主義勢力」を「団結」させることができるだろうか。チモフェーエフのこれらの言葉が文字どおり「言葉のうえ」だけのものであり、かれが「実際に」は、ソ連一国の「共産主義建設」と、それを保障するための「米ソ協調」体制、そのもとへの「反帝勢力」の結集という、フルシチョフの親帝国主義路線を擁護していることは明らかではないだろうか。

 平和共存についていえば、わが党は、「宣言」と「声明」に規定された「社会制度の異なる諸国の平和共存」を一貫して支持してきた。1961年7月の第8回党大会で採択された綱領はいうまでもなく、1964年11月の第9回党大会で決定された中央委員会報告、「わが党の当面の要求」のなかでも、「アジアと世界の平和を守り社会制度の異なる諸国の平和共存をかちとる課題」が明記されている。同時にわが党は、本来の正しい平和共存政策を歪曲して、これを、帝国主義の戦争と侵略の政策とたたかわず、帝国主義の植民地支配に屈従する無原則的妥協政策に変えるいっさいの試みにたいしては、非妥協的にたたかってきた。「宣言」「声明」の原則的規定を忠実に守り、帝国主義の戦争と侵略、民族抑圧の政策に反対して平和を守るためにたたかってきたわが党こそ、本来の正しい平和共存政策を守るためにたたかってきたのであり、アメリカ帝国主義に降伏して無原則的な「米ソ協調」を追求してきたフルシチョフこそ、本来の正しい平和共存政策を裏切ったものである。

 言葉のうえでなく、それこそ実際に、この数年間の国際情勢の現実や、国際共産主義運動で問題となってきた事実をみれば、論争の本質は、「アメリカ帝国主義に反対してたたかうか、たたかわないか」ということには「なく」、それこそ「問題外」のことだ、などというチモフェーエフらの主張が、いかに事態をごまかそうとするものであるかは、明らかである。チモフェーエフらがどのように言いぬけようと、ここでの問題の本質が、アメリカ帝国主義の評価、それとの闘争のいかんにあったことは明白であり、かつ周知のことである。

 この点をなんとかしてすりぬけようとするチモフェーエフは、さらにつぎの論点をもち出している。

 「実際には、アメリカ帝国主義にたいする『評価』ということよりも、戦争と平和、資本主義諸国における革命的労働運動の戦略と戦術、現代のすべての主要な革命勢力の相互作用といった諸問題をふくむ、現代の世界発展の根本問題にたいするちがった態度こそが、今日、中国共産党の指導者、そのわずかばかりの追随者と全世界のマルクス・レーニン主義者とをわかつ分水嶺なのである。これらすべての問題にかんして、北京の指導者たちと、その『アカハタ』編集局の擁護者たちは、国際共産主義運動の合意にたっした総路線から逸脱しているのである」

 わが党を中国共産党の追随者であるとする非難が、すでにわが党中央委員会のソ連共産党中央委員会への1964年8月26日付返書のなかでも十分論駁された、中傷的攻撃であることはいうまでもない。だが、問題がアメリカ帝国主義の評価だけにとどまらず、チモフェーエフが指摘しているような諸問題に関連し、「国際共産主義運動の合意にたっした総路線」からの逸脱に関係している問題であることをと自体にはわれわれも異議がない。ただ、ちがいは、逸脱しているのは、われわれか、それともフルシチョフやチモフェーエフかということにある。

 そしてチモフェーエフによれば、問題の本質は、この逸脱の反映としてのアメリカ帝国主義の役割の評価と、それとの闘争の方法にあるのだそうだ。つまり「たたかうかたたかわないか」ではなく、「たたかい方の問題だ」というわけである。

 「アメリカ帝国主義にたいするかれらのまちがった解釈、現代世界におけるアメリカ帝国主義の役割と、それにたいする闘争方法についてのかれらのぎちがった解釈は、レーニン主義路線を、ネオ・トロツキスト的精神をもった背徳的構想でおきかえようとするかれらの全般的に誤った立場のあらわれのひとつにすぎない」(ゴシックは引用者)

 提起されている批判の重大性に気づいているかれは、問題の本質をアメリカ帝国主義の「役割」の評価やこれとの闘争の「方法」について意見の相違にわい小化することにつとめながら、「ネオ・トロツキズム」という中傷にたよって事態をきりぬけようとしているのである。その試みが成功しているかどうか、つぎにわれわれはかれの「独創的」な「ネオ・トロツキズム」批判に、一つずつ答え、かつ反ばくしてゆこう。

三、帝国主義者の内部矛盾とその利用

 チモフェーエフは、評論員論文が的確に批判した日和見主義的な「アメリカ帝国主義の両翼分化論」を擁護すべく、「アメリカの支配陣営内における諸グループの評価について」と題したつぎの節の前半で、まず一般論としての反論をこころみている。

 しかしその反論は、帝国主義者内部の矛盾、さまざまなグループ間の矛盾を重視することはマルクス・レーニン主義の原則的命題であるにもかかわらず、アカハタ評論員はこの矛盾の存在を否認し、矛盾の利用を拒否する誤りにおちいっているということにつきる。これは、相手の論点をすりかえ、相手の主張をねじまげて攻撃をおこなうやり方で、論争のなかでも、もっとも拙劣で建設的でない反論に属するものである。

 チモフェーエフは、帝国主義ブルジョアジーのさまざまな代表のあいだの意見の相違は「実践的な行動の見地からみれば、……きわめて重要なものである」という、「共産主義内の『左翼主義』小児病」にある、有名なレーニンの言葉を引用しながら、「この言葉は、『アカハタ』紙がのべている誤った見解の根源をあばきだす」という。

 「たとえば、『アカハタ』の論文の匿名筆者は他の国ぐにの共産主義者が、アメリか帝国主義のさまざまなグループと代表にたいし、それぞれ区別した態度をとろうとしていることは、けっきょくのところ、……帝国主義の本質が『変わった』と宣言することを意味するかのように判断している」

 ここで、チモフェーエフは、評論員論文の主張を理解できなかったのか、あるいはその主張を意識的にゆがめているかのどちらかである。

 なぜならまず評論員論文は、戦後の資本主義の全般的危機の深化と帝国主義の諸矛盾の先鋭化とが、「帝国主義支配層のあいだにも、さまざまな葛藤と矛盾を生みだし、深刻かつ複雑な意見の分化をつくりだしている」ことを指摘し、「その矛盾と利害の対立を見ず、すべての帝国主義国と帝国主義者を一色に塗りつぶすことは大きな誤り」であるとして、「かれらの内部の割れ目の利用は、平和、民主勢力にとってきわめて重要な意義をもっている」(『ケネディとアメリカ帝国主義』、パンフレット9ページ)ことの確認から、分析をはじめているからである。

 実は問題は、まさにここから始まる。

 評論員論文の批判は、チモフェーエフが描き出してみせたように、帝国主義者の内部的な矛盾や対立の存在を承認するか否か、それを利用すべきか否か、そのさまざまなグループにたいしてそれぞれ区別した態度をとるべきか否かに向けられたのではない。そんなことは、それこそ自明のことである。そうではなく、評論員論文の批判は、帝国主義者の内部に現に生まれている矛盾や対立の性質の修正主義的評価と、それにもとづく修正主義路線に向けられていた。ところがチモフェーエフは、敵の内部矛盾の利用という自明の命題のかげにかくれて、帝国主義者の二面政策の美化とそれへの追随という修正主義路線をすべりこまそうとしているのである。

 「勤労者とそのマルクス・レーニン主義的前衛にとって、帝国主義ブルジョアジーの陣営内の状態、具体的な力関係が、当面どのようなものであるか、帝国主義ブルジョアジーのさまざまなグループが、どのような方法でその政治をすすめているか、かれらがどんな術策をよぎなくされ、また術策をおこないうるか、どのような条件で――公然たるファッショ警察的独裁のもとでか、ブルジョア議会制的民主主義のもとでか――プロレタリアートとその階級諸組織が活動を展開しているのか、これらのことに無関心ではいられない。これらはすべて、共産主義運動・労働運動の戦略と戦術にとってきわめて重要なことである」(ゴシックは引用者)

 この文章でかれがおこなおうとしているのは、第一にケネディ美化という批判から身をそらすために、問題を帝国主義者の支配の「方法」や「術策」にたいする共産主義者の戦術の問題にあるかのようにえがきだし、第二にかれらの「戦術」があたかもファシストとブルジョア民主主義派とを区別してとった共産主義者の周知の戦術と関係があるかのように印象づけ、第三にフルシチョフらがケネディにたいしておこなった無原則的妥協政策を、「ブルジョア民主主義」派との「統一戦線」戦術という名目でこっそりと正当化することである。だが「理性派」を「ブルジョア民主主義」派といいかえ、帝国主義者の「術策」に対応した「戦術」の分野に問題を移そうとしたところで、事態はひとつも変わらない。

 たしかにマルクス・レーニン主義者は、帝国主義者の支配の方法や内部対立に無関心であってはならない。このことは、評論員論文がはっきりとのべたとおりである。それどころか帝国主義者の内部対立が、プロレタリアートの革命的闘争のなかで重要な役割を演じうる場合には、積極的にその対立や分裂を利用してきた。また人民の闘争の圧力によって、帝国主義者に譲歩をおしつけうる場合には、かれらがおこなった譲歩の本質と限界を正しく解明し、敵にたいする幻想とたたかいながらも、その譲歩を人民の闘争を前進させるための「陣地」(レーニン)として積極的に利用することをも拒否してこなかった。マルグス・レーニン主義者はそのような条件がある場合には、今後もそうした行動を辞さないだろう。しかしその「譲歩」がただみせかけの譲歩で人民を欺まんしつつ帝国主義支配をつらぬくためのものである場合に、その本質を見誤って、それとの無原則的妥協を正当化することはけっして許されない。まして、「二面政策」という形態で、今日の条件のもとでのもっとも侵略的かつ反動的な帝国主義政策を追求したケネディをあたかも「平和共存」をめざした「ブルジョア民主主義」派であり、「理性派」であるかのようにみなして、それと無原則的に妥協したフルシチョフの修正主義路線を、帝国主義者の内部矛盾の利用や、帝国主義者のさまざまなグループにたいする態度の区別などという口実で正当化することは、もっとも有害な日和見主義と降伏主義におちいることである。評論員論文が批判したのは、帝国主義者の内部矛盾の利用一般ではない。それが批判したのは、帝国主義者の内部矛盾の利用の無原則的な拡大によってアメリカ帝国主義との日和見主義的妥協におちいることであり、このような無原則的妥協を正当化するための前提となっている見地、すなわち帝国主義者のあいだの最近の内部対立を「冷戦政策と平和共存政策との本質的対立」とみなして、敵ではなく友としてあつかう修正主義的見地であった。

 「しかし敵のあいだの意見の分化や対立の評価をゆきすぎたあまり、それを冷戦政策と平和共存政策との本質的な対立であるとみなすに至るならば、それは『敵のあいだの利害の対立』を敵と味方とのあいだの越えることのできない対立と同列視し、敵の内部矛盾を根本的な階級矛盾と同列視するという、比較にならないほど大きな誤りとなる」(『ケネディとアメリカ帝国主義』、パンフレット、10ページ)

 フルシチョフの外交政策を擁護するためには、チモフェーエフらは、まさにこの個所にあくまで反対せざるをえない。かれは、帝国主義者の内部矛盾を利用することの正しさが自明であるならば、その矛盾を好戦派と「平和共存派」の対立とみなすことの正しさも自明であるかのように、言いはろうとするのである。

 「『アカハタ』の編集者は、西側諸国の支配層を、『当面全面的な核戦争を望むか望まぬかによって、好戦派と平和共存派』とにわけることは、誤りであるといっている。……まぎれもなく、まさに1960年の声明のなかには、『現在の力関係と現代戦の恐ろしい結末を冷静に判断する発展した資本主義国の一部のブルジョアジーも、平和共存の政策を支持している』とはっきり書かれている。周知のように、この声明には80以上の共産党・労働者党の代表が署名したのである。いま、『アカハタ』は、これらすべての代表を、『マルクス・レーニン主義の変節者』、『反革命分子』としてえがき出そうとしているが、一体このようなことが可能であろうか?」(ゴシックはチモフェーエフ)

 チモフェーエフが、反駁のためにモスクワ声明をもちだしたことは、かえってかれが、帝国主義者のあいだの最近の内部対立の本質を、「冷戦政策と平和共存政策の対立」と思いこんでいることの、まぎれもない証拠となった。モスクワ声明は、ただブルジョアジーの一部にも平和共存政策の支持者があらわれているという、どの発達した資本主義国にも多かれ少なかれみられる事実を指摘しているのであり、けっしで帝国主義の代表者、ましていわんやケネディ、ジョンソンのようなアメリカ帝国主義の政治的指導者が平和共存政策に根本的に転換したことを主張しているのではない。それを、「ブルジョアジーの一部」=「帝国主義の一部」、とくに「帝国主義の代表者」にすりかえるのは、チモフェーエフがフルシチョフのアメリカ帝国主義との無原則的な妥協政策をなんとかして弁護しようと思っているからである。

 フルシチョフやチモフェーエフを代表とする現代修正主義者が、帝国主義者は「好戦派」と「平和共存派」とに分化していると、あくまで主張するのは、かれらにとって唯一の敵にみえる「好戦派」を孤立させるためと称して、ケネディら「平和共存派」を友とみなし、それらと大胆に妥協しようという「実践的な行動の見地」からである。しかし、敵の内部矛盾のこのような利用のしかたこそ、きびしくレーニンのいましめたところであった。レーニンは、チモフェーエフが引用してみせた個所のすぐあとで、つぎのようにのべている。

 「これらの意見のくいちがいを考慮にいれ、これらの『仲間』同士の避けられない衝突がまったく熟しきって、『仲間』全体をもろともによわめ、無力にする時機を確定すること――この点にこそ、自覚した、確信のある、思想的宣伝家にとどまらず、革命で大衆の実践的な指導者になろうと思っている共産主義者のすべての問題があり、すべての任務がある」(「共産主義内の『左翼主義』小児病」、邦訳レーニン全集31巻、84ページ、ゴシックはレーニン)

 「『仲間』全体をもろともによわめ無力にする時機を確定する」ためにこそ、われわれは敵の内部矛盾を利用しなければならないのだが、チモフェーエフらは、レーニンの指示とは反対に、実際には、一方の敵だけを弱めるという口実で他方の敵――しかもたんなる一翼ではなく敵の主流、代表者である――と無原則的に手を結ぼうとする。このような戦術が、一方の敵を弱めることもできず、逆に敵を全体として、もろともに強める結果とならざるをえないのは言うまでもない。アメリカ帝国主義の代表者を、同じ「平和共存」をめざす味方と誤認する根本的な誤謬が、けっきょく、アメリカ帝国主義全体を強める根本的な妥協と降伏の泥沼におちこんでいったのはけだし当然であったのである。

 われわれは、敵の内部矛盾の利用という見地を、敵全体をよわめ無力にしていくという見地と正しく統一し、そのなかに正しく位置づけることによってはじめて、敵の内部矛盾を利用する戦術を、敵を全体として弱め打倒する革命的展望に正しく結びつけ、そのもとで正しく運用することができる。そしてここに「革命で大衆の実践的な指導者となろうと思っている共産主義者のすべての問題があり、すべての任務がある」のである。だから敵の内部矛盾の利用にあたってもっとも大切なことは、まず第一に、全体として人民の革命闘争を前進させ、人民の闘争力に依拠することを基本とすることであり、第二に、敵の一部と一時的協定を結ぶ場合もふくめて、敵全体にたいするどんな幻想をもきびしくいましめることであり、第三に、これらの基礎のうえに立って、敵の内部矛盾にもとづく敵の政策や態度のちがいにたいして、それぞれの本質を正しく識別し、それらに正しく対拠することである。

 チモフェーエフは、敵の内部矛盾ということで、敵の一部――実際には、ケネディのようなアメリカ帝国主義の代表者――にたいする幻想を合理化しようとしているが、それは敵をあざむくどころか味方をあざむくものであって、このような議論自体のなかに、かれが人民の革命的闘争の発展によって敵を全体として弱めてゆくという、もっとも根本的な革命的原則的な見地を見失っていることが、するどく暴露されているのである。

 レーニンの論文を、科学的に研究せず、理論としてでなく、ただ引用のための文章の集合として扱い、そのなかから自分に好都合な文章だけを切り離して引用してくるチモフェーエフのやり方のもう一つのこっけいな例は、かれが、自説をつぎのようなレーニンの引用でさらに裏づけようとしたことである。

 「ヴェ・イ・レーニンは、一度ならず、共産主義者は、帝国主義政府内部の独占ブルジョアジーに存在したし、また存在している、さまざまなグループや潮流の間のちがいと矛盾を考慮しなければならないといっている。レーニンは、『ブルジョアジーや政府の分別ある分子』と『冒険主義的分子』(全集、33巻、134ページ)にたいし、それぞれちがった態度をとらなければならないと強調している」

 後半にあるレーニンの引用は、「国際情勢についての第9回全ロシア・ソビエト大会の決議にかんして政治局におくった手紙」(1912年)からのものであるが、ここでレーニンが「ブルジョアジーや政府の分別ある分子」と「冒険主義的分子に」ついてのべているのは、「以前ロシア帝国に所属」していたり、「辺境」に隣接していたりする「ポーランド、フィンランド、ルーマニア」3国についてのことであった。(全集33巻、134ページ)

 かつて帝政ロシア、ドイツ、オーストリアやトルコに支配され、ロシア・トルコ戦争や第1次世界大戦にさいしてようやく独立をかちとったこれらの国ぐにで、しかも帝国主義諸国による対ソ干渉が失敗におわり、ソビエト政府の平和政策が事実によって明らかにされた当時の情勢のもとで、隣接する革命ロシアとの関係にかんして、これらのブルジョアジーや政府のあいだにも、平和的感情や「分別」が生まれたのは当然のことである。それをあたかもすべての国の独占ブルジョアジー一般や帝国主義政府一般についてのレーニンの言葉であるかのように、はめこんでみせ、今日のアメリカ帝国主義の政府のなかに「分別ある分子」がいるというかれの発見を、レーニンの引用によって権威づけようとするのは、読者にたいする一種の詐欺行為と言ってもいいかもしれない。

 「ケネディとアメリカ帝国主義」は、アメリカ帝国主義者の内部に現在生まれている対立を、「好戦派と平和共存派への分化」とみることは、独占資本主義という経済的土台のうえに、非帝国主義的な平和政策が成立しうるものとみなすことであり、アメリカ帝国主義とその政策を美化することであり、けっきょくのところアメリカ帝国主義の変質を説教して、全世界の平和、民主勢力の反帝闘争を解体させるもっとも悪質な降伏主義理論であることを十分明らかにした。その分析には、本質的に今日つけ加えるべきなにものもない。チモフェーエフは、評論員論文が、帝国主義者の意見の分化の事実そのものをけっして否定せず、逆にその分化の事実を積極的に承認し、正しく利用する立場から、分化の性質と、それにたいするマルクス・レーニン主義的評価を問題にしたのにたいし、ただ分化の事実を並べ立てることによって反駁したつもりになっている。これは残念なことに、ほとんど反駁の名に値しないものである。

 「『アカハタ』の編集者は、北京の筆者につづいて、現代帝国主義と、その政策の評価において、ひどい誤りと誤算をおかしている。『アカハタ』の編集者は、一つの社会・経済的基礎――この場合、巨大独占資本を基礎に――のうえに、ただ一つの政策、もっとも侵略的な、もっとも反動的な政策だけが可能であるかのごとく断定している。ヴェ・イ・レーニンは、このような見解を、すでに半世紀も前に、『マルクス主義の戯画』とよんだのである」

 評論員論文は、けっして独占資本主義の経済的基礎のうえには、ただ一つゴールドウォーターのようなもっとも侵略的、反動的な政策だけが可能であるなどとは一言も主張しなかった。独占資本主義の経済的基礎のうえには、ゴールドウォーターやケネディなどによって代表されるさまざまな政策が可能であること、だがそれらはけっして真に平和を望む非帝国主義政策ではありえず、あくまでも帝国主義政策のさまざまな形態でしかないこと、それらを統一的に把握すべきことを主張したのである。だからこそ評論員論文は、極右派の政策と区別された、ケネディの「二面政策」をとりあげ、その本質と動態に全面的な分析を加え、チモフェーエフらが擁護しているような、帝国主義者間の意見の分化という事実を利用して、本質をごまかし、帝国主義者の「好戦派と平和共存派への分化」を主張してケネディの「二面政策」を謳歌してしまう修正主義理論をつよく批判したのである。

 チモフェーエフは評論員がさまざまな帝国主義政策の本質的同一性を強調した部分だけをとりあげて、その差異を無視したと中傷し、同時にその差異を一面的に拡張することによって逆に本質的同一性を否定しようとしている。部分的な差異や現象に目をうばわれて、事物と事態の本質を見失い、マルクス主義の原則的命題を否定することこそ、古今東西の修正主義者の思者方法に共通した特徴である。チモフェーエフと評論員と、いったいどちらがマルクス主義を「戯画化」しているかは、おのずから明白であろう。

四、ケネディ・ジョンソンへの追従政策

 以上にみたように、わが党の評論員論文の「アメリカ帝国主義の両翼分化論」にたいするチモフェーエフの反論は、実際にはただ、帝掴主義者とその欺まん政策とを美化しようとしたものにすぎないが、その議論の誤りは、かれがその節の後半でのべているケネディ論やジョンソン論によっていっそうはっきりと、いっそう具体的に明らかになってくる。

(1)ケネディの「分別」とはなにか

 チモフェーエフが、ケネディをどう見ているか。やや長文であるが、正確さを期するためにまずかれの特徴づけを全文引用しなければならない。

 「ジョン・F・ケネディは、国際舞台においてアメリカの立場が急激に弱化した新しい条件のもとで、アメリカの国家独占資本主義の利益を代表していた。かれは、資本主義との経済競争で決定的段階に入った世界社会主義勢力の増大を考慮に入れざるをえなかった。国内では、アメリカ独占資本にたいして、労働者階級、農民階級、それに往々にして、都市の中間層、さらに、若干の場合には,大独占体の専制に圧迫されている非独占ブルジョアジーの一定の部分が対峙していることを忘れてはならない。アメリカの支配層は、同権と恥ずべき人種差別制度の完全な廃止を要求する2千万の黒人のますます高まる闘争を考慮しないわけにはいかない
 これらすべては、アメリカ政府の指導者をして術策をつかわせずにはおかなかったし、現にそうさせている。かれらは、現在、以前よりもずっと複雑な社会・経済的、政治的情勢のなかで、アメリカ独占体の立場をまもらなければならなくなっている。ケネディが、たとえば、アメリカの『経済成長』率の引上げ、黒人の公民権の一定の拡大などの諸問題を、アメリカ支配層にとってもっとも重要な問題として提起したのは偶然ではない。これらの措置やその他の若干の措置は、ケネディの計算では、かたむきかけたアメり力の国際的威信をたてなおすためであった
 ジョン・F・ケネディが、大統領在任中、一貫して、アメリカ・ブルジョアジーの穏健で、冷静な、分別のある代表の要求に合致した方針をつねにとってきたといえようか? もちろん、そうではない。アメリカの雇い兵のキューバにたいする侵入、ケネディ政府のおこなった軍拡競争、『冷い戦争』の精神を露骨にもちつづける一連の外交政策上の諸措置、1961年~1963年につづけられたアメリカ共産党と地の進歩勢力にたいする迫害などを想起すれば十分であろう。
 それと同時に、ケネディ大統領のおこなった政策と、アメリカ独占資本のもっとも冒険主義的、侵略的、超反動的な層の立場とを同一視することは誤りである」(ゴシックは引用者)

 ケネディ美化の非難をなんとかまぬがれようとして、言葉づかいはなかなか慎重ではあるが、チモフェーエフは、ここでまず、ケネディの政策を「穏健で冷静な、分別のある部分」と、反動的、侵略的な部分との二つにわけることから出発している。そしてチモフェーエフは、前者の「分別ある」政策の代表的な実例として、対外政策では、対社会主義外交を、国内政策では「経済成長」政策や対黒人政策などをもちだし、後者の侵略と反動の政策の実例としては、軍拡競争や「冷戦」政策の継続、共産党弾圧などをあげる。チモフェーエフがもちだしたこのようなケネディ論の出発点が、すでに「ケネディとアメリカ帝国主義」によって批判ずみの、アメリカ帝国主義の「善悪二面論」にあることは明らかであろう。ケネディ政策は善悪二つの面をもっていたというこの種のブルジョア的な俗論について、「ケネディとアメリカ帝国主義」は、アメリカ帝国主義にたいするいかなる「善悪二面論」も、かならずアメリカ帝国主義にたいする本質的美化論に転化せざるをえないことを、つぎのように指摘していた。

 「ケネディ政策のなかに少しでも本質的な意味で平和をめざすよい『側面』が存在していたことを認める『善悪二面論』は、実際には、冷戦政策というもう一つの『悪い側面』を、あるいは国内の冷戦派を説得するために必要とされたやむをえない『偽装』、あるいはアイゼンハワー政府から引きつがざるをえなかった『残存物』とみなそうとする立場に絶えず落ちこまざるをえない。そしてそうすることによって、結局はケネディ政策全体の本質的特徴を平和政策への転換に求める立場に転化している。……このことは、帝国主義にたいするいかなる条件つき美化論も容易にその本質的美化論に転化するし、また転化せざるをえないことを示している」(パンフレット、5ページ)

 チモフェーエフのケネディ美化論は、評論員のこの指摘の正しさをあざやかに実証したものである。すなわち、かれは、ケネディ政策の善悪二つの面を確認することから出発して、けっきょく、ケネディ大統領の政策は、たとえ、見落とすことのできない一時的、部分的な逸脱はあったとしても、「アメリカ独占資本のもっとも冒険主義的、侵略的、超反動的な層の立場」とは明確に区別されたものであり、「もちろん」「一貫」はしなかったとしても、また「つねに」ではなかったとしても、「アメリカ・ブルジョアジーの穏健で、冷静な、分別のある代表の要求に合致した方針」をとってきたとする結論、ケネディにあっては善が基本的だという結論におちこんでいる。そしてかれは、まさにそれを口実として、フルシチョフがおこなったケネディへの追従政策を合理化し、あらためて具体的に理論づけようというのである。評論員論文で批判ずみの「善悪二面論」をそのままもちだしたチモフェーエフのこうした立場は、かれの反論なるものが、評論員論文の論旨すら理解できないままにつくりあげられた粗雑なものであることを。もう一度暴露したにすぎない。

 ここでの問題はけっきょく、ではケネディの内外政策に、はたして平和、民主勢力がたとえ条件つきにせよ、一定の支持をおこないうる内容をもった、「穏健」で「分別のある」政策があったのかどうか、その内外政策には、各国人民の共通の敵としての地位からはずすことのできるほどの、極右派との質的な区別がふくまれていたのかどうかという点に帰着する。

 周知のように、ケネディ政策の特徴の一つは、むきだしの直線的な攻撃だけにたよらず、「平和」や「進歩」の仮面をかぶった「二面政策」を採用した点にあった。その意味では、ケネディの政策に社会主義勢力の増大や人民の闘争の圧力を考慮に入れた要素が皆無であったなどと言うことはできないだろう。

 しかしマルクス・レーニン主義の階級的見地からみて重要なのは、帝国主義者がはたして、社会主義の成長や人民の闘争の発展という圧力を「考慮に入れ」たか、入れなかったかだけにあるのではなく、その「考慮」や「術策」の本質いかんとその階級的評価である。チモフェーエフは、帝国主義者がおこなう「考慮」を、すべて無条件に、人民の闘争の圧力におされて余儀なくされた実質的な譲歩、帝国主義支配の実際の後退と混同する。しかし、マルクス・レーニン主義者は、帝国主義が示す人民の闘争の圧力にたいする「考慮」が、はたしてこのような譲歩や後退を意味するものか、それともみせかけの譲歩や後退で欺まんした、あるいは、まったく譲歩や後退を排した新しい攻撃となるかを、そのときどきの情勢に応じて具体的に分析する。ここに、理論的にも、実践的にも、チモフェーエフらと評論員の見解をするどく対立させる分岐点がよこたわっており、ケネディ政策にたいする、まったく正反対の階級的評価が生まれる根拠の一つがある。

 対外政策をみてみよう。「ケネディとアメリカ帝国主義」が詳細に論証したように、ケネディの「二面政策」は、けっしてどんな意味ででも、平和、民主勢力がかちとった実質的な譲歩を意味する政策ではなかった。それはまったく反対に、今日の段階で、アメリカ帝国主義の階級的利益をもっとも現実的、効果的に追求し、平和、民主勢力の圧力にたいして人民を欺まんしつつ、もっとも現実的、効果的な反撃をねらった、本質的にみて、もっとも侵略的、反動的な帝国主義政策の一つだったのである。

 ところがチモフェーエフは、ケネディの対外政策の基本的特徴を、急激に弱化したアメリカ帝国主義の立場に強制され、社会主義体制の力の増大を現実的に考慮した結果としての、「アメリカ独占体の立場を守り」、「傾きかけたアメリカの国際的威信をたて直す」ことなどを目的とした防衛的、受動的な政策とみなして、そのことを理由にケネディの対外政策を美化しようとしている。

 まことに驚くべきことであるが、チモフェーエフのこのような特徴づけからは、なによりもまず。アメリカ帝国主義の対外政策の最大の特徴としての、凶暴な侵略性の評価が本質的に抜け落ちている。ケネディはたしかにアメリカ帝国主義の利益を「防衛」したが、かれはそれを欺まん的な手口でおおった戦争と侵略の政策をうったえることによっておこなったのである。ケネディの対外政策の歴史は、キューバ侵攻をもって第1ページをあけて以来、応接にいとまのない血なまぐさい戦争と侵略の記録でうずめられている。61年4月のキューバ侵攻、同年7月のベルリン問題をめぐる挑発的軍事措置、同年7月末からのコンゴ作戦の強化、62年初頭からの南ベトナムへの公然たる米軍派兵と軍事侵略、同年5月のタイ出兵とインドシナ沖への第7艦隊出動、同年9月のキューバ、ベルリン対策としての15万人の予備役編入、同年10月のキューバ侵攻計画と封鎖、全世界的な核戦争態勢の展開、63年初頭からの「中国封じ込め」政策の促進、南ベトナム、ラオスへの軍事侵略の強化等々、全世界の人民の眼前で展開されてきたアメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策は、チモフェーエフの目には、「分別のある方針」のなかにまぎれこんだ2次的なものにみえるのだろうか。われわれは、ここで、ケネディが、アメリカ帝国主義者のわが国にたいする侵略政策――沖縄の植民地的軍事占領をふくめ、多数の軍事基地の保持と核武装化を積極的にひきついできた事実を自覚的な日本人民は一刻も忘れることができないことも指摘しておく。

 史上最高の軍事予算を組み、熱核兵力、特殊兵力のすべてにわたって狂気じみた軍備拡張をおこない、NATO強化とMLF(多角的核武装)計画をおしすすめ、日・「韓」・台の結束を軸にしたNEATO(東北アジア軍事同盟)の仕上げをねらい、ポラリスとミニットマンを中心にした全世界的な核脅迫態勢のもとで、大がかりな世界支配計画を追求しようとしたケネディの対外政策は、チモフェーエフによってたんなる「軍拡競争」や「一連の外交政策上の諸措置」として片づけられている。部分核停条約締結以来、ケネディがその戦争と侵略のホコ先をますますアジア地域に向け、「中国封じ込め」政策とアジア侵略政策をおしすすめてきた事実は、チモフェーエフによって完全に無視されている。そして、いっそう重大なことは、このような信じられないほどのアメリカ帝国主義の侵略性の過小評価、あるいは無視が、ただチモフェーエフ一人のことにとどまらないことである。

 日本共産党中央委員会の1964年8月26日付返書が指摘しているように、ソ連共産党中央委員会の1964年4月18日付書簡のなかには、「帝国主義は『力の立場』に立つ政策を実施する物質的地盤を失ってしまいました」とか、「帝国主義者はよぎなく、諸国家の平和共存を受けいれているわけです」というような、マルクス・レーニン主義にもまったく反し、現実にもまったく反する、読むものが目を疑うようなおどろくべき主張があった。フルシチョフを指導者とする当時のソ連共産党指導部が、帝国主義者は、力の政策を実施する物質的地盤を失って力の政策を放棄し、すでに平和共存を受けいれていると考えていた以上、チモフェーエフが、アメリカ帝国主義の侵略性を無視してよいと考えたのも、当然のことかもしれない。

 もしひとたびアメリカ帝国主義の対外政策の基調が、侵略的な力の政策ではなく、力の政策を放棄した「平和共存」政策にあるとみなすならば、現在の国際緊張の根源を、アメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策にではなく、別のところに求めざるをえなくなるのは不可避的である。かつてフルシチョフが公然とのべた、つぎのような国際緊張の根源論は、この種の議論の典型的なものであった。

 「一方では、侵略的な、冒険主義的な帝国主義勢力、すなわち、社会主義との平和的競争に資本主義がたえられるという望みを失ってしまった、いわばきちがいのような連中が極力、戦争をおこそうとつとめています。また他方では、マルクス・レーニン主義者と自称はしているが、実際には、資本主義との平和共存の条件のもとで社会主義、共産主義が勝利できることを信じない教条主義者である連中が、これとおなじ方向に事態をおしやろうとこころみています」(前掲『ソ連最高ソビエト会議における報告』、ゴシックは引用者)

 国際緊張の真の根源は、アメリカ帝国主義の世界制覇をめざす戦争と侵略政策にはなく、一部の極右派の狂人と、一部の極左派の教条主義者にある――これが、フルシチョフやチモフェーエフらが、アメリカ帝国主義とその政府こそが、全世界人民の最大の敵であるという当然のことを主張した「ケネディとアメリカ帝国主義」を攻撃して、必死になってケネディを弁護する思想の底に横たわっているおどろくべき見方である。米ソ協調して、この極右・極左とたたかって「平和」を守ろう――事実上こういう立場をとるフルシチョフとチモフェーエフらが、敵と味方をまったく誤認していることについて、これ以上説明の必要はないであろう。

 フルシチョフやチモフェーエフに代表される現代修正主義者が、アメリカ帝国主義の「分別のある」対外政策の「実証」としてあげることのできる唯一のものは、おそらく部分核停条約をはじめとするケネディの米ソ間の「緊張緩和」政策であるが、実はこの米ソ間の「緊張緩和」政策ほど、ケネディの「分別」なるものの本質をあからさまに暴露したものはない。評論員論文がくわしく指摘したように、ケネディの米ソ間の「緊張緩和」政策は、今日の新しい情勢のもとで、ソ連の核兵力を抑制してアジア侵略政策のいっそう急角度の展開を可能にし、みせかけの「緊張緩和」によって核戦争準備の時をかせぎ、社会主義諸国の「自由化」と「分解」と多元化をねらい、全世界の人民にアメリカ帝国主義にたいする幻想をうえつけて反帝勢力を分裂させることを策した、もっとも危険な新しい陰謀であった。ところがチモフェーエフは、アメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策、その反社会主義計画の、一つの構成要素であり新しい形態にすぎない、ケネディの米ソ間の「緊張緩和」政策を、ダレスやゴールドウォーターの戦争と侵略の政策、反社会主義計画と、形態だけでなくその本質をまったく異にした、「穏健」で「分別のある」政策とみなしているのである。このことは、実はただケネディがねらった欺まん的な効果が、少なくともチモフェーエフにおいて実を結んだことを実証しているだけのことである。

 ケネディの対内政策についても、事情は大同小異である。

 チモフェーエフは、すでにみたように、ケネディの国内政策の基調をも、超反動的な極右派と区別された、社会主義との経済競争を重視し、国内の広範な諸階級の反独占闘争や黒人の闘争の発展を考慮した、「穏健」で「分別のある」国際的威信の回復政策であるかのようにみなしている。

 おどろくべきことには、ここからもアメリカ帝国主義の対内政策の本質的な反動性の評価が抜け落ちている。チモフェーエフのくもった目には、「経済成長率の引上げ」でさえも、「その他の若干の処置」とともに、ただ「ケネディの計算ではかたむきかけたアメリカの国際的威信をたてなおすためのもの」としてうつるらしい。「国際的威信のたてなおし」というブルジョア的用語そのものが、アメリカ帝国主義がその支配的地位を守ろうとして必死の努力を払っている事態にたいする、チモフェーエフのブルジョア的把握を物語っているが、ケネディの反動的な経済政策のなかに、まずもっぱら「国際的威信」の回復への努力を見てとろうとするチモフェーエフの議論は、それ以上にブルジョア的である。それは、毎日にわたって実際にアメリカ帝国主義の搾取と収奪とたたかい、その新植民地主義とたたかっている人民の立場とはまったく無縁な、アメリカ帝国主義弁護論そのものである。

 チモフェーエフが、とくに重視している、「分別のある」国際的威信の回復策なるものは、「黒人の公民権の一定の拡大」である。

 アメリカ帝国主義にとって、たしかにそれは「分別のある」政策であった。ケネディが黒人問題にたいして、どのような「分別」と「計算」をもっていたか、かれ自身の言葉にきいてみよう。

 「人種差別はわが国の人的資源の最高度の開発と利用を妨げることによって、わが国の経済成長の障害になっている。それはわれわれが海外で説く教示を国内で否認することによって、わが国の世界的指導力を弱める。それはこの国を偉大にさせた、統一した階級のない社会の雰囲気を傷つける。それはまた社会福祉、犯罪、非行、無秩序などに要する費用を増加させる。何よりもまず、それは不正である」(1963年2月28日『公民権にかんする特別教書』、ゴシックは引用者)

 いったい、ケネディがこの計算のなかで、なにをどのように「分別」したとチモフェーエフは主張したいのか。みるとおり、ケネディは、黒人の公民権問題にかんして、なによりもまずアメリカ独占体の階級的利害を、無条件に、露骨に、正面から押し出している。今日の段階では、ただテロリズムをもって答えようとする極右派の方針だけでは、アメリカ独占体の階級的利害が十分に守りえないことを、ケネディはよく知っていた。ここでも問題は「分別」一般にあるのではなく、「分別」の階級的内容とその階級的評価にあるが、チモフェーエフは、ここでもこのもっともかんじんなことを忘れてしまった。1963年5月のバーミングハム事件以後、アメリカ史上最大の規模に達した人種差別反対の大衆闘争の発展に直面して、ケネディがとった政策は、「公民権法案」採択の提案と、「街頭を闘争の舞台にするな」というよびかけとであった。これが、闘争の圧力に直面して、アメリカの黒人の解放闘争が、アメリカ支配層にたいする戦闘的な民主主義的階級闘争を発展させる新しい原動力となることをおさえ、それを無害な議会主義と改良主義の道へそらすことをねらったものだったことは周知のとおりである。ケネディの黒人対策は、「抑圧的な警察行動でこれに対処することは不可能である」(1963年6月11日、ケネディ「人種差別にかんする演説」)ほど燃え上がった人民の闘争にさいして、古来支配階級がその階級支配をつらぬくために採用してきた「みせかけの譲歩」(レーニン「ヨーロッパの労働運動における意見の相違」、全集18巻、368ページ)と階級的利害の打算以上に、いったいなにをふくんでいたというのか。それは、チモフェーエフが、異質のものとして対置している「アメリカ共産党と他の進歩勢力にたいする迫害」と、政策の本質的背景においてことなったものではない。それらは、ケネディの反動的な国内支配政策という同じ根から出た、二つの現象にすぎない。

 対外政策をとっても対内政策をとっても、ケネディの政策を極右派のそれと本質的に区別すべき「進歩派」の政策として美化することは、それを極右派と同一視する誤り以上に大きな誤りにみちびく。なぜなら後者は、あれこれの時期の敵の戦術の評価についての誤りであるが、前者は敵の階級的本質そのものの評価についての誤りであるからである。

(2)ジョンソンかゴールドウォーターか

 チモフェーエフが、ケネディの「分別ある」政策を評価するというかたちで、実際にはフルシチョフがおこなったアメリカ帝国主義への無原則的な追従政策を合理化しようとしていることは、かれが1964年のアメリカ大統領選挙において、ジョンソン支持を合理化しようとしていることによって、さらにいっそうあからさまに暴露されている。

 現代修正主義の国際的潮流は、この大統領選挙で、ゴールドウォーターの勝利を阻止するためと称して、公然とジョンソンを支持した。たとえば、大統領選挙前、1964年8月16日付のソ連共産党の機関紙『プラウダ』で、レ・コリオノフの論文「未来を恐れる米反動勢力」は、大統領選挙の主要な課題を、「どの層が、主要帝国主義国の支配に歩みよるだろうか。世界の発展を多少ともまじめに評価する能力がある勢力、歴史の避けるべからざる路線を動物的におそれる勢力のいずれか」(タス通信日本語版1964年8月16日付による)と描き出し、「それはけっして諸国民にとって無関係なことではない」と書いた。コリオノフにとって、「世界の発展を多少ともまじめに評価する能力がある勢力」とはジョンソンを指導者とする勢力であったことは明白である。

 ジョンソン当選後、11月4日の「アメリカ大統領選挙とその政治的意義」と題するタス通信論評は、公然とつぎのようにのべた。

 「ニューヨーク・ヘラル・トリビューン紙は、『有権者がその票をジョンソンに投じたのは、現在の状況では、ジョンソンこそアメリカの外交関係を安心してまかせることのできる唯一の候補者であったためである』と指摘したが、これは正しい」

 タス通信の解説員が、ジョンソンへの投票をたたえたヘラルド・トリピューン紙のこの記事の筆者を、無条件に擁護していることはうたがいない。

 同じく11月4日、ソ連政府機関紙『イズベスチャ』解説員は、大統領選挙の結果を論評して、つぎのように書いた。

 「リンドン・ジョンソンは、今後4年間ホワイトハウスの主人公となることになった。かれの大統領としての努力が、かれの選挙演説で大綱をしめた綱領に合致するなら、アメリカが世界政治情勢のいっそうの改善、他国との正常で互恵の関係の発展、未解決の国際問題解決へ具体的に前進するだろうと期待する理由がある。このアメリカの政策は、世界平和強化のため協力する用意のあるソ連の立場とはっきり合致するだろう」(タス通信日本語版による)

 これ以上、露骨なジョンソン支持の言明は、ほとんどありえないほどである。

 チモフェーエフは、現代修正主義者のあからさまなジョンソン支持を「理論」づけようとして、つぎのようにひらきなおっている。

 「労働者階級にとって、あれこれの時期に、独占資本支配層の政策が、どのような方法ですすめられているか、勤労者の階級闘争や二つの体制の闘争の作用のもとに、独占支配層が、どのような譲歩をする用意があるか、このような譲歩政策が、ブルジョアジーのさまざまなグループ間に、どのような摩擦と矛盾を引きおこすかということは、どうでもよいことではないのである。
 はたして、『アカハタ」編集局は、1964年のアメリカ大統領選挙で、だれが勝とうが、アメリカと全世界の勤労者にとっては、どうでもよいことであると考えているのだろうか? とくに、すでに極右分子による共和党指導部の占拠となってあらわれている極反動勢力の攻撃が、アメリカの現在の政治生活になんらの変化ももたらさず、アメリカの民主勢力のまえに、なんらの新しい問題や課題をも提起していないとでも、『アカハタ』編集局は判断しているのだろうか」
 「共産主義者が、独占資本のもっとも反動的な、もっとも侵略的な層の代表が活発化している事実を無視することは正当でない。」

 チモフェーエフら現代修正主義者が、「アメリカと全世界の勤労者」に、アメリカ大統領の候補者としてジョンソンを推薦するのは、ゴールドウォーターは、アメリカ独占資本の「もっとも反動的な、もっとも侵略的な層の代表であるが、他方ジョンソンは、譲歩の政策をとる用意があり、ゴールドウォーターとは基本的に異っているということであるらしい。共産主義者が、ジョンソンに反対するのは「正当ではない」そうである。

 ゴールドウォーターが、ジョン・バーチ協会その他のファッショ的勢力といっそう緊密に結びついており、もっとも凶暴なファッショ的反動政治家であることはいうまでもないし、かれが共和党の大統領侯補として出現したことの危険性を過少評価してはならないことはもちろんのことである。われわれはけっしてゴールドウォーターとその出現の意義を過少評価していない。

 しかしゴールドウォーターを真に阻止する道は、けっしてゴールドウォーターの大統領当選を防ぐためにジョンソンを支持することのなかにはない。

 なぜなら、ゴールドウォーターを育てたものこそ、アメリカ帝国主義ブルジョアジーであり、またケネディとジョンソンの反動政治そのものであるからである。ゴールドウォーターに代表されろ路線とジョンソンの路線との対立は、けっしてアメリカ帝国主義の基本路線にかかわる対立ではなく、ましてや一方におけるフ7シズムと、他方における反ファッショ民主主義との根本的対立を表現したものではないからである。アメリカ帝国主義の政治的指導権を争ったこの二つの路線のあいだには、ベトナムの事態や革命キューバの前進が劇的に示しているようなアメリカ帝国主義の世界制覇計画の破たんの進行にたいし、また黒人問題が同じく劇的に示している国内の諸矛盾の激化にたいして、同一の侵略と反動の基本政策を実行するうえで、当面、「平和」や「進歩」の仮面で人民を欺まんしながらすすむ「二面政策」をとるか、いっそうむきだしの戦争と反動の政策をとるかという戦術上の相対的なちがいがあるだけである。この二つの路線の共通性と同時に、そのあいだにある矛盾と対立をも重視し、両者をもろともに弱める展望をもって、その対立を平和、民主勢力が積極的に利用すべきことや、また「反ゴールドウォーター」の運動のなかには、屈折した形でアメリカの民主主義勢力の闘争が部分的に反映している事実を認めることと、マルクス・レーニン主義者が、ゴールドウォーターに対立しているという口実でジョンソンの当選を支持したり、その路線を美化したりすることのあいだには、それこそ天地の相違がよこたわっている。

 実際には、戦後のアメリカの「両党政治」のすべての現実が示しているように、民主党と共和党のたがいにあい似た二つの路線が相互にささえあい補いあって、アメリカ帝国主義の対外侵略と反動の基本政策の進行を促進してきた。ケネディとジョンソンの欺まん的な「二面政策」による反動政治のもとで、極右派が進出し、ゴールドウォーターが出現する。そしてゴールドウォーターの怒号は、また逆にジョンソンの反動化をさらにおしすすめる。現に起きている事態の本質が、アメリカ帝国主義の腐朽化の集中的表現としての、このような悪循環のなかにあることは、たとえばゴールドウォーターの核政策とアジア政策が、ジョンソンのインドシナ政策をより凶暴化する役割を果たしたという最近の周知の事実によっても、かさねて確証された。ゴールドウォーターとジョンソンの二つの路線は、アメリカ帝国主義の全線にわたる政治的反動化という同一の過程を、一方はより露骨に他方はより欺まん的に表現したものにすぎない。全世界の平和、民主勢力は、絶対にこのどちらにたいしても一点の幻想をもいだくことなく、それらの本質を暴露し、その双方をつらぬくアメリカ帝国主義の戦争と侵略、抑圧と反動、搾取と収奪の政策に反対してたたかうことを基本にしなければならない。現代修正主義者によるジョンソン支持は、マルクス・レーニン主義の原則と、労働者階級の利益を、公然とアメリカ帝国主義とジョンソシ政府に売りわたす裏切り行為以外のなにものでもない。

 チモフェーエフの論文に典型的にあらわれているような、現代修正主義者によるジョンソン支持論は、全世界の人民、とくに直接アメリカ帝国主義を先頭とする帝国主義の政策と毎日にわたってたたかっている資本主義世界の人民の立場を、まったく眼中においていないことから生まれる裏切り思想にほかならない。チモフェーエフは、たとえば、血を流してアメリカ帝国主義者の凶暴な侵略行為とたたかっているベトナム人民やコンゴ人民、アメリカ帝国主義者の攻撃のもとにつねにさらされているキューバ人民にたいして、その侵略の当の指揮者であるジョンソン大統領の支持をすすめることができるのだろうか。日本の反動勢力と結んで、日米安保条約を強化し、沖縄・小笠原を占領し、日本全土に基地をはりめぐらし、原子力潜水艦の「寄港」をおしつけ、日本の核攻撃基地化と核武装化をおしすすめているアメリカ帝国主義の指導者であるジョンソンの勝利を願えと、われわれが日本人民にいうべきであると思っているのか。こうした人民の闘争をまったく眼中においていないからこそ、チモフェーエフらはジョンソンの内外政策を公然とほめたたえて、人民の闘争に水をかけるこのような議論を、恥ずかしげもなく書き立てることができるのである。

 「ケネディとアメリカ帝国主義」が発表された当時は、現代修正主義の国際的潮流が、主としてケネディの対外政策を美化して、それへの追従政策をとっていることが中心問題だった。しかし、チモフェーエフの反論と、現代修正主義者による。64年11月のアメリカ大統領選挙におけるジョンソン支持とは、現代修正主義の国際的潮流が、いまやアメリカ帝国主義の対外政策だけでなく、その国内政策をも美化して内外政策の全般にわたってアメリカ帝国主義に追従しようとする段階まで、その堕落をおしすすめたことをはっきりと示したのである。

(3)反ファシズム統一戦線戦術への冒とく

 しかもチモフェーエフは、以上のような根本的に誤ったアメリカ帝国主義とその政府の美化論を、レーニンやディミトロフ、毛沢東の引用によって権威づけようとしている。かれの最後の論拠を粉砕しておくためには、この問題をも検討する必要があるだろう。

 まずレーニンについてかれはつぎのようにいう。

 「真のマルクス主義者が、つねにアメリカ支配層のさまざまなグループにそれぞれ区別をつけて対処したことは、あらそう余地のないことである。たとえば、レーニンの有名な論文『アメリカ大統領選挙の結果と意義』1912年)を想起してみよう。このなかでレーニンは、『ブルジョア諸政党の危機』を指摘し、それと同時に、アメリカのブルジョア諸政党を同一の尺度ではかることをせず、3人のブルジョアジーの候補W・ウイルソン、T・ルーズベルト、W・タフトの立場の間の区別をはっきりさせている」(ゴシックはチモフェーエフ)

 しかし、チモフェーエフが引用したレーニンの論文は、かれが強調しているように「アメリカのブルジョア諸政党を同一の尺度ではかること」をいましめたものではない。まったく反対にレーニンはこの論文で、ブルジョア諸政党の階級的本質とその多様なあらわれを、プロレタリアートの革命的立場という同一の尺度ではかりぬくことを要求したのである。すなわちレーニンはウイルソンの民主党とタフトの共和党との「差異はますます小さくなってきたこと」、T・ルーズベルトの新しいブルジョア政党である全国進歩党は、アメリカにはじめてあらわれた「ブルジョア改良主義」の政党であるが、この「改革」が「すべていいかげんな欺まんであることはわかりきっている」ことを明らかにしたのである。

 レーニンは、『帝国主義論』のなかで、アメリカ帝国主義について、「合衆国では、最近数十年の経済的発展は、ドイツにおけるよりも急速にすすんだ。そして、まさにそのおかげで、最近のアメリカ資本主義の寄生的特徴は、とくに明白に現われた」(「資本主義の最高の段階としての帝国主義」、全集22巻、348ページ)と書いたが、レーニンが指摘した当時以上に、今日アメリカ帝国主義の寄生性は増大している。現在アメリカ帝国主義は、最強の帝国主義であるだけでなく、もっとも腐朽した、もっとも寄生的な帝国主義となった。その「高利貸国家」の政治的指導権を争っている民主党と共和党との差異はレーニンの時代以上に「ますます小さくなってきた」ことを理解するのは、それほどむずかしいことではない。チモフェーエフが、ケネディやジョンソンへの無原則的な追従政策を合理化するためにさがしだしたレーニンの引用は、当時のレーニンの主張をゆがめた見当ちがいのものであることは明白であろう。

 そればかりでなくレーニンは、いま引用した部分につづけて、帝国主義の段階においては、ブルジョアジーの寄生性の急速な増大のゆえに、以前には一定の重要な意義をもっていた「共和主義的ブルジョアジー」と「君主主義的ブルジョアジー」とのあいだの「政治的差異」も、極度に少なくなり、寄生性の一定の特徴をもったブルジョアジーとして、ともに反動的存在となったことを指摘し、「共和国アメリカのブルジョアジー」の進歩性についてのあらゆる幻想を、きびしくしりぞけた。

 「他方、共和国アメリカのブルジョアジーと君主国日本あるいはドイツのブルジョアジーとを比較すると、きわめて大きな政治的差異も、帝国主義の時代には極度に減殺される、ということがわかる。もっとも、それは、政治的差異が一般に重要でないからではなく、すべてこれらのばあいには、問題になるのは寄生性の一定の特徴をもっているブルジョアジーだからである」(同348ページ、ゴシックは引用者)

 もちろん、共和国アメリカと、君主国日本やドイツの帝国主義ブルジョアジーのあいだの「政治的差異」が、その寄生性の増大とともに、ますます少なくなっていったというこの疑うことのできない事実は、レーニンもつけ加えているように、けっしていかなる状況のもとでも、帝国主義ブルジョアジーの政治的差異が重要でなくなったことを意味するものではないし、その他の特徴における政治的差異が重大化する可能性を排除するものでもない。このことを、もっともするどく、かつもっとも大規模に立証したものは、レーニンの死後、階級闘争の舞台に登場したファシズムと反ファシズム統一戦線戦術の歴史的経験であった。チモフェーエフも、この反ファッショ闘争の経験から、より有効な自説の論拠をさがし出そうとしている。かれはディミトロフを引用しながら、「ブルジョアジーの階級的支配の諸形態および変種の間のちがい、ブルジョアジーの陣営内の個々のグループの間のちがいに注意を向けることが、共産主義者にとって、いかに重要であるか」とのべ、コミンテルンの「反ファッショ・反戦統一戦線」のための戦術を想起してみせる。

 かれがここでとくに念頭においているのは、F・ルーズベルトとの「同盟」のことである。そのことは、そのつぎにかれが、「ルーズベルトの現実的政策を十分に重んじ、アメリカ帝国主義のより反動的なグループの代表者(ハーレーその他)」との区別を指摘したとする毛沢東の文章を引用していること、またケネディの「ニュー・フロンティア」政策をF・ルーズベルトの「ニュー・ディール」になぞらえて論じていることから明らかである。

 反ファシズム統一戦線戦術を問題にするにあたって、まずわれわれは、「帝国主義論」でレーニンが指摘した帝国主義の寄生性と腐朽性がいっそう進行した結果、「金融資本のもっとも反動的な、もっとも排外主義的な、またもっとも帝国主義的な要素の公然とした暴力的独裁」(ディミトロフ)としてのファシズムが登場し、そのことによってプロレタリアートの前に、反ファシズムという新しい歴史的任務が提起されたという周知の事実を確認しておかなければならない。

 日独伊の軍国主義、ファシズムが、人民にたいする暴力的支配を基礎にもっとも凶暴な戦争と侵略の政策をおしすすめたことは、プロレタリアートを先頭とする人民の反ファッショ・民主主義擁護、反戦・平和のたたかいを、日独伊の侵略と民族抑圧に反対する民族と人民の抵抗闘争、民族解放戦争と結びつけていったが、この過程は同時に帝国主義諸国間の対立を極度に先鋭化し、帝国主義陣営の完全な分裂と帝国主義戦争の勃発にみちびいた。そしてドイツの侵略に抗するソ連人民の社会主義革命擁護の「大祖国戦争」の開始によって、日独伊帝国主義の打倒のための、ソ連と米英帝国主義との一時的連合をふくむ第2次世界大戦の壮大な国際的国内的な反ファッショの共同戦線が樹立され、激烈な戦闘が遂行されたことは、周知のとおりである。

 たしかにこの時期に、米英帝国主義を代表するルーズベルト、チャーチルと、ソ連および各国人民との一時的連合と共同のたたかいがおこなわれたことは、一つの偉大な歴史的事件であった。だが、この時代におけるディミトロフの報告や毛沢東の論文を、チモフェーエフがいかに引用しても、かれのケネディ美化や、ケネディにたいする無原則的な妥協や追従の主張を合理化することはできず、それはただ反ファシズム統一戦線戦術の冒とくと、かれがおかしている二重、三重の誤りを暴露するだけである。

 第一に、チモフェーエフは、こっけいなほど誤った機械的類推をおかしている。

 当時ルーズベルトやチャーチルを一時的同盟者とすることができたのは、ドイツ・ファシズムが「国際的反革命の槍の穂先として、帝国主義戦争の主な火つけ人として、全世界の勤労人民の偉大な祖国であるソ連にたいする十字軍の主唱者として、ふるまっている」(ディミトロフ「ファシズムの攻勢と共産主義インタナショナルの任務」、ゴシックは引用者)時代に、日独伊帝国主義とその軍国主義、ファシズムを打倒することで米英帝国主義とソ連および反ファッショ人民とのあいだに一致があり、そのための一定の協定が結ばれたことが前提となっている。しかもそれらは、ルーズベルト、チャーチル、ドゴールらが、ヒトラー、ムソリーニ、東条らと食うか食われるかの死闘を現実に開始したという事態と切り離しがたく結びついていた。

 だが今日では、帝国主義陣営内部の矛盾がますます深まっているとはいえ、それは第2次世界大戦に至る時代における帝国主義陣営のこのような分裂や、このような死闘との機械的な類推を許すものではない。しかも今日、「世界反動の主柱であり、国際的憲兵であり、全世界人民の敵」(モスクワ声明)となっているのは、ドイツ・ファシズムではなく、ほかならぬアメリカ帝国主義である。アメリカ帝国主義は、社会主義および各国人民と実際に共同を実現しようとしているどころか、反人民、反民族、反社会主義の元凶であり、侵略と軍事干渉、反共、反革命の張本人であり、各国人民の国際的共同闘争の主敵そのものにほかならない。アメリカ帝国主義との闘争こそ、全世界人民に今日課せられた国際的な反帝統一戦線の中心任務なのである。日独伊の軍国主義、ファシズムの打倒こそが世界人民の反帝統一闘争の中心任務であり、ソ連や各国人民がルーズベルトなどとの一定の一時的な連合と共同を現実化しえたような、かつての情勢が今日存在していないこと、当時のルーズベルトとアメリカ帝国主義がおかれていた地位と今日ケネディとアメリカ帝国主義がはたしている国際的役割とのあいだには基本的な相違があることは、時代錯誤におちいらないかぎりだれも否定できないことである。今日、もしアメリカ帝国主義とたたかわず、それと手をむすんで同盟し、それに無原則的に追従するとすれば、それこそ人民の事業をもっとも重大な失敗の運命におとしいれ、世界人民にたいするもっとも恥ずべき階級的裏切りとならざるをえないことは、自明のことである。現代修正主義者がおこなっているように、「独・仏帝国主義主要打撃論」をもちだしても、アメリカ帝国主義への追従を弁護することはできない。なぜなら第一に、西ドイツやフランスの帝国主義の危険性は、けっして軽視すべきではないが、西ドイツやフランスの帝国主義ではなくアメリカ帝国主義こそが「世界反動の支柱」である。第二に、アメリカ帝国主義と西ドイツ・フランス帝国主義とのあいだの矛盾と対立の現状は、第2次世界大戦における米英帝国主義対日独伊帝国主義とのあいだでの、たがいに生死をかけた闘争や戦争とそのまま同一視できるものではなく、今日これらの帝国主義諸国の相互関係は、そのあいだの矛盾や対立を激化させながらも、その主要な側面は、アメリカ帝国主義を首領として、社会主義と民主主義、独立と平和に対抗した帝国主義同盟を結んでいることにある。チモフェーエフが、かれのケネディやジョンソンへの無原則的追従を、第2次大戦中のルーズベルトとの連合になぞらえても、それは歴史的情勢をまったく無視した、無意味な機械的類推の誤りを、いっそうきわ立たせるのに役立っているだけである。

 第二にチモフェーエフは、ケネディ美化を合理化しようとして、かれがおちいっているルーズベルト美化をも暴露してしまっている。

 かれにとってルーズベルトは、ケネディと同じく「全体として」は、「アメリカ国家独占資本主義の根本的利益にこたえるものであった」が、やはりケネディと同じく「世界に起こった諸変化を、多かれ少なかれ、現実的に考慮」する政治家であった。かれがさきにレーニンを誤って引用して主張した言葉をかりれば、2人とも「ブルジョアジーや政府の分別ある分子」だったのである。

 「F・ルーズベルトにしても、G・ケネディにしても、もちろん、アメリカ帝国主義の指導的政治家であった。かれらは両方とも、世界に起こった諸変化を、多かれ少なかれ、現実的に考慮して、アメリカ独占資本の立場を擁護しようと努力した。かれらは両方とも、本質的には、自国の支配階級の利益のために、客観的に行動した。全体として、ルーズベルトの『ニュー・ディール』も、ケネディの『ニュー・フロンティア』政策も、アメリカ国家独占資本主義の根本的利益にこたえるものであった」(ゴシックは引用者)

 われわれは、チモフェーエフらがケネディをいかに美化しているかをすでに十分に明らかにした。そのかれによるルーズベルトとケネディとの等置は、実はかれのケネディ美化の論法をそのままルーズベルトに延長しただけであって、なんらの科学的な証明もないことは、この論文に一貫したやり方であるが、しかもそれはケネディ美化の論拠となるどころか、かれの帝国主義者そのものへの幻想を二重うつしにしただけのものとなっている。

 第2次世界大戦の時期に独・伊・日帝国主義を敗北させるために、民主主義、社会主義勢力がルーズベルトとの一時的連合をむすんだことは、けっしてルーズベルトが帝国主義の代表者ではなかったとか、その政府が人民的進歩的政策をとったとかいうことを意味するものではない。ルーズベルトを政治的指導者とするアメリカ帝国主義も、ヒトラーを指導者とするドイツ帝国主義も、帝国主義国家として同じ本質をもっており、その帝国主義ブルジョアジーは寄生的な腐敗しつつあるブルジョアジーとして政治的差異は「極度に減殺」されていること、そして米英とドイツの対立が、基本的には帝国主義的利害の対立であったことは、いうまでもないところである。だからこそ第2次世界大戦は、まず帝国主義戦争として開始されたのである。にもかかわらず、たとえばルーズベルトとヒトラーとの政治的差異が、民主主義・社会主義の勢力にとって戦術上重要な意義をもったのは、ルーズベルトが当面日独伊帝国主義との死闘にこそ帝国主義者としての利害をもち、同時にルーズベルトの「自由主義の方法」(レーニン)を基調にした「アメリカ的」支配方法が、公然たる暴力的支配方法を特徴とする日独伊の軍国主義・ファシズムのそれと異なっていた、そのかぎりにおいてであった。チモフェーエフが引用しているディミトロフと毛沢東の言葉は、この2人のマルクス・レーニン主義者が、まさにこうした実践的観点から、帝国主義ブルジョアジーの本質的同一性を見ぬきながらもそれらとの政治的差異を正しく識別し、戦術的に正しく対処したことをしめしたものである。この識別を誤った例としては、ディミトロフが指摘したような、プリューニング政府とヒトラー政府のちがいを正しくみず、またルーズベルトの政策を「ファシズムへの発展の形態」とみなした周知の「左」翼セクト的なあやまりとともに、これとならんでルーズベルトへの反階級的な幻想と無原則的追従におちいった、当時のアメリカ共産党書記長のブラウダーの有名な右翼日和見主義的、修正主義の典型的な誤りがある。

 1943年12月、スターリン、ルーズベルト、チャーチルがテヘラン協定を結んだ際、ブラウダーは、日和見主義的な「テヘラン政策」なるものをうちだし、その一時的連合を帝国主義と社会主義との牧歌的な「平和共存」に拡張し、さらにアメリカ国内においても労働者階級を独占ブルジョアジーに無原則的に追随させる典型的な階級協調の路線をとった。

 「資本主義と社会主義とは、同じ世界で平和的共存と協力への道を見つけはじめている」(ブラウダー「テヘラン――平和と戦争におけるわれわれの道」、フォスター『アメリカ合衆国共産党史』、邦訳下巻592ページによる) 「われわれは、わが国の現存の政党機構、とくにその中枢であるアメリカ的な両党制度をつうじて、大多数のアメリカ人と共同の政治目的をおしすすめようとつとめるであろう」(同594ページ)

 みられるとおり、ブラウダーの言葉は、チモフェーエフら現代修正主義者の無原則的な「平和共存」論やジョンソン支持とウリ二つである。

 チモフェーエフは、ケネディの評価で誤っただけでなく、それをルーズベルトの評価のあやまりにまで拡大することによって、アメリカ帝国主義にかんするみずからの日和見主義、修正主義の誤りの歴史的系譜を証明してくれたのである。

 かれの誤りは、ディミトロフや毛沢東から正しく学ばず、逆にブラウダーにしたがって、帝国主義者のあいだの政治的差異を誇張して絶対化し、それらのあいだの本質的同一性を見失うことによって、一方の帝国主義者(ルーズベルトやケネディを代表者とするアメリカ帝国主義ブルジョアジー)を美化してしまったことにある。

 フォスターはブラウダーについて、つぎのようにのべた。

 「ブラウダーはそのテヘラン政策によってアメリカ帝国主義を代弁した。かれはアメリカ帝国主義の『進歩的』役割を美化してみせた。かれは労働者のあいだに帝国主義的幻想の種をまいた。かれは労働運動と植民地諸民族を侵略的帝国主義の面前で武装解除してみせた。そしてかれは、アメリカ帝国主義のあらゆる敵のうちでも最大の敵、共産党を一掃しようとした。テヘラン政策は、労働者階級のためでなく、アメリカ大ブルジョアジーのために、効果的な綱領を書こうとするこころみであった。そのねらいは、ウォール街が戦後世界征服に突進するのを助長し、労働者階級にこれを支持させることにあった」(前掲書597-8ページ)

 ブラウダーの「テヘラン政策」の戦後版ともいうべき、フルシチョフの「米ソ協調]政策を、なんとかして擁護しようとしているチモフェーエフは、アメリカ共産党のすぐれた指導者であったフォスターのこの言葉を、いったいどう受けとるのか。その言葉はあたかも、現在のチモフェーエフらを指弾し、批判しているようにひびくではないか。

 レーニン主義を正しく発展させたコミンテルンの反ファシズム統一戦線戦術を今日の具体的条件に正しく生かす道は、けっしてチモフェーエフらのような、ケネディ・ジョンソンらに追従して無原則的な「米ソ協調」政策をおこなう道にはない。今日の情勢のなかで、これらの国際的経験を正しく継承し発展させる道は、チモフェーエフらとはまったく逆に、かつて全世界人民の主敵であった日独伊帝国主義を孤立化し打倒するためにもっとも広範な反ファッショ勢力の行動の統一を達成したように、アメリカ帝国主義を首領とする帝国主義とたたかうために、もっとも広範な反帝平和の勢力の行動の統一を達成することのなかにある。モスクワ声明は世界平和の事業についてはっきりとこうのべている。

 「世界平和を維持するためには、アメリカ帝国主義に鼓舞される侵略と職争の帝国主義政策とたたかう平和擁護者のもっとも広範な統一戦線が必要である」

 チモフェーエフらが、戦前の反ファシズム統一戦線についても、また今日の反帝平和の統一戦線についても、そのレーニン主義的神髄をなにひとつ理解しようとせず、それを冒とくしようとしていることは明らかである。

五、「ネオ・トロツキズム」という中傷

 チモフェーエフは、「ネオ・トロツキスト的構想の有害さ」と題した最後の節で、評論員論文の「独・仏帝国主義への主要打撃論」と「ケネディの『二面政策』の本質」の節の論点にたいして、若干の反論をおこなっている。ここでかれが、評論員論文とアカハタ編集局の立場について、あえて「ネオ・トロツキズム」という政治的規定をおこなったことは、わが党にたいする見のがすことのできない、重大な攻撃である。

 周知のように、トロツキズムとは、一国における社会主義建設の可能性を否定する「永続革命」論、社会主義の武力や干渉による革命の「輸出」の提唱、民主主義的民族的任務や民主主義的革命権力を否定するプロレタリア独裁論、労農同盟を土台とした統一戦線政策の否認、客観情勢を無視して革命を「上から激発」しようとする一揆主義などを主要な理論的政治的特徴とする「左翼」日和見主義の一形態であり、その革命的空文句のかげには、人民大衆の革命的エネルギーにたいする極度の不信がかくされている。わが党の理論と政策が、このような立場と無縁なものであることは、あらためて証明するまでもない。それどころか、わが党は、日本の現代トロツキストたちがトロツキズムの理論と政策をそのまま現代に適用して、平和共存の可能性を否定して世界戦争の不可避性を説き、日本人民が独立・民主・平和・中立・生活向上の民主主義的課題に直面していることを無視して即時社会主義革命論を唱導し、安保闘争の過程で「革命を激発する」極左冒険主義の戦術を運動にもちこんで人民の統一行動を混乱させようとした挑発的な理論と策動にたいして、もっとも断固として闘争し、これを粉砕した革命的な経験をもっている。これらの闘争をつうじて、わが党は、たんに現代修正主義にたいしてだけでなく、トロツキズムにたいしても、全党的な理論的、実践的武装を強化することができた。わが党のトロツキズムとトロツキストにたいする態度は、きわめで明確かつ一貫したものである。

 「トロツキストはその最大の目的が社会主義国の転覆と各国のマルクス・レーニン主義党=共産党の破壊にある、文字通りの反革命挑発者集団であり、また当然にわが国の民主運動の挑発的撹乱者である。かれらと労働者階級および人民との矛盾は敵対的な矛盾である。かれらの『極左的』言動はいかれらの本質を隠ぺいするものにすぎない。したがって、トロツキストは民主運動から一掃さるべきものであり、その政治的思想的粉砕はわが党だけでなく民主運動全体の任務である」(1960年、第7回党大会第11回中央委員会総会における幹部会の報告「安保闘争の成果に立ってさらに前進しよう」)
 「党は、社会主義国の転覆とマルクス・レーニン主義党の破壊を目的とする反革命挑発者の集団であるトロツキストの影響をとりのぞき、安保反対の共闘組織や、いろいろの大衆運動をかれらの破壊活動から守るために、かれらの正体を暴露しながら、思想、理論、組織の面で精力的にたたかった。……このように党がたたかったために、トロツキスト集団の内部崩壊を促進し、学生、知識人およびごく一部の労働者のあいだにあったトロツキストの影響をよわめることができた」(第8回党大会政治報告)

 この日本共産党にたいして「ネオ・トロツキスト」というレッテルをはりつけることほど、的はずれの中傷はない。

 なお、この際、われわれは、修正主義の国際的潮流が、日本の右翼社会民主主義者だけでなく、日本のトロツキスト学生の潮流を擁護して、これらトロツキストと結託して、わが党および戦闘的民主的青年・学生運動に長期にわたってみにくい攻撃的策動をつづけてきた事実を想起しないわけにはゆかない。トロツキストと現代修正主義者は、その日和見主義的、裏切的本性において本質を同じくしているからこそ、両極端に立つようにみえても、実践的には、このように容易に一致して相互に利用しあえるのである。

 そしてその的はずれの中傷をなんとか「論証」しようとしてチモフェーエフがつかっている論法は、これまたきわめて詐欺的で浅薄なものである。

(1)三つの歪曲

 まずチモフェーエフは、トロツキズムの中心思想を「わるければ、わるいほどよい」という命題に要約し、「むきだしの暴力、あらゆる種類の大激変や戦争の弁護」がその主要な特徴だと定義している。

 「周知のように、『永継革命』というトロツキスト的ごまかしの図式が、その『理論的』出発点の一つとしているのは、まさに、革命的労働運動の高揚の見通しを、戦争や、ブルジョアジーのテロ支配の手段、経済的破局に依存させようとこころみることにあった。むきだしの暴力、あらゆる種類の大変動や戦争の弁護――これがトロツキズムの特徴である」

 これは、レーニン、スターリンの指導のものに、トロツキズムにたいして、多年にわたる政治的、思想的闘争をおこない、これを粉砕してきたソ連共産党の理論家による、トロツキズムの定義としては、あまりにもおそまつなものであるが、かれがこの定義に合う個所として評論員論文から引用してみせるのは、「帝国主義者の『自由主義』政策と譲歩は、暴力政策より以上に危険である」とのべた、ただ一個所である。かれはつぎのように批判する。

 「中国の指導者たちや『アカハタ』評論員の論理にしたがえば、帝国主義諸国において、極右分子が権力につくことは、おそらく、労働者階級にとって有利になるであろうとさえ考えることが可能である……エセ革命的空文句にかくれて、『アカハタ』の論文の筆者は、北京の指導者たちのあとを追って、ネオ・トロツキズムの政綱を支持する方向におちいり、事実上『悪くなれば、悪くなるほどよい』という反レーニン主義的思想を宣伝している」
 「マルクス・レーニン主義者のうちのだれが、このような立場に同意しようか? 共産主義者は、いままで一度も、勤労者にとって、むきだしの暴力とテロの方法、軍事的破局をはらむ政策が、『より危険の少ないもの』とみなしたことはない。諸共産党は、社会主義が勝利する以前に、ブルジョアジーとのねばり強い攻撃的な闘争のなかで、ますます新しい重要な譲歩をかちとるように、大衆を方向づけている。共産主義者は、ある『未知』の日を消極的に待機することに反対し、革命運動の高揚の見通しを、戦争や経済の大変動にのみ結びつけようとすることに反対である」(ゴシックは引用者)

 こうしてかれは、わが党の立場を「わるければわるいほどよいという反レーニン主義的思想」として特徴づけ、この立場からわが党が核戦争防止、核兵器禁止、国際緊張の緩和に反対しているとして非難する。

 「かれらは世界核戦争防止の運動をサボっている。それどころか、かれらは北京の指示にしたがって、原子・水素兵器禁止をめざす闘争を、中国に核兵器をもつ権利をあたえよ、という闘争におきかえるよう、ますます公然とよびかけている。このことと関連して、かれらは、三つの環境における核実験を禁止するモスクワ条約に反対したのであり、ソ連の平和愛好の外交政策に反対し、国際緊張の緩和の方針に公然と反対するまでにいたったのである」

 そればかりではない。チモフェーエフによれば、わが党はいっさいの改良や譲歩をかちとることを否定するものだそうである。

 「『アカハタ」の論文の筆者は、ブルジョアジーとのねばり強い階級戦闘でプロレタリアートがかちとる譲歩の評価にたいし、正しくない態度をとっている。近年、イタリア、フランス、ベルギー、そして日本などの国ぐにで、ますます発展している社会・経済的改革(国有化、国有化部門の民主的管理、労働組合の権利の拡大などをふくむ)のための大衆闘争の意義を引き下げることが、いったい正しいであろうか?」

 チモフェーエフのこうした攻撃は、評論員論文の三重の歪曲によってくみたてられたものである。

 第一に、悪意ある意識的な歪曲をおこなおうとするもの以外は、一般に譲歩がもつ二重の性格のなかで、とくにその危険な側面を指摘した評論員論文の一句から、評論員は帝国主義者の「暴力政策」の方が「自由主義政策」よりも望ましく、極右派の権力を歓迎し、「悪くなれば悪くなるほどよい」と考えているという結論を引き出すことはできない。評論員論文は、すぐつづけて、「なぜなら労働者階級や勤労人民の一部が、この譲歩にだまされる可能性が生まれるからである」として、「自由主義」政策が、労働者階級にとっては、「暴力政策」よりもいっそう危険な側面をもつ意味を明確に指摘している。評論員論文が引用した「ヨーロッパの労働運動における意見の相違」(全集16巻)のなかで、レーニンもまた、つぎのようにのべている。

 「ドイツでこの方法〔暴力の方法のこと――引用者〕が支配的であったときに、ブルジョア的統治のこの一つの方式の一面的な反響が、労働運動におけるアナルコ・サンジカリズム、または無政府主義の成長であった。……1890年に『譲歩』への転換がはじまったとき、いつものように、この転換は労働運動にとっていっそう危険なものとなり、ブルジョァ『改良主義』の同じく一面的な反響を生みだした。労働運動における日和見主義がそれである」(同書、368ページ、ゴシックは引用者)

 レーニンが「譲歩への転換」は「いつものように」「いっそう危険なもの」となったと言ったのにたいしても、チモフェーエフは、レーニンが「悪くなれば悪くなるほどよい」という思想をいだいていたというのだろうか。

 支配階級の譲歩がつねにもつ、レーニンの言ういっそうの危険性が、現在もまた存在していることは、ケネディの「二面政策」が、フルシチョフやチモフェーエフを欺まんしてきわめて重大な日和見主義と修正主義を生み出している事実によっても、端的に証明されている。レーニンは同じ論文で「ブルジョア的戦術のジグザグは、労働運動のうちの修正主義を強めて、しばしば、労働運動の内部の意見の相違を直接の分裂にもってゆく」ことを指摘しているが、ケネディの「二面政策」のジグザグは、フルシチョフを先頭とする現代修正主義の国際的潮流を強め、国際共産主義運動内部の意見の相違を、直接の分裂の危険にまで直面させたのである。

 第二に、世界的な平和運働のなかでももっとも顕著な発展をみせているわが国の原水爆禁止運動の先頭に立ってたたかっているわが党の活動を、チモフェーエフが「世界核戦争防止の運動をサボっているものとして攻撃していることは、ただ、かれが考えている「世界核戦争防止の運動」は、日本の原水爆禁止運動とはまったく別のものであること、それは帝国主義の核戦争政策にそのホコ先を向けた日本の大衆的で戦闘的な運動とはほとんど共通性もっていないこと教えているにすぎない。たしかにわが国の原水禁運動も、わが党も、チモフェーエフらが熱心におこなおうとする「米ソ協調」礼賛や部分核停条約支持の運動をおこなってはいない。だがそのことは、わが党が「世界核戦争防止の運動をサボっている」ことをすこしも意味せず、かえってもっとも真剣に核戦争防止のためにたたかっていることを意味している。なぜならかれが考えているような「世界核戦争防止の運動」は、核戦争防止に役立つどころか、逆にアメリカ帝国主義者の核戦争政策に役立つものでしかないからである。また「原子兵器禁止の闘争を、中国に核兵器にたいする権利を与えよ、という闘争におきかえるよう訴えている」という中傷は、フルシチョフが結び、チモフェーエフが礼賛している部分核停条約の真のねらいの一つが、米ソの核独占の維持にあったこと、中国にたいするアメリカ帝国主義の核包囲政策とたたかわず、それに追随して、中国に核兵器を与えまいとすることにあったことを、あらためて告白したものにすぎない。

 第三に評論員論文が、譲歩や改良をかちとることを拒否し、その意義を否定しているという中傷も、まったく反駁に値しない。評論員論文は、みせかけの譲歩をした敵に幻想をいだいたり、無原則的な妥協におちいったりする右翼日和見主義にたいしてだけでなく、譲歩や改良をかちとる闘争や、必要な妥協をいっさい否定する左翼日和見主義にたいしても、原則的な批判を明確におこなっているのである。ここにはまったく議論の余地はない。評論員論文から一個所だけ引用しておこう。

 「もちろんわれわれは、全世界的な反帝平和の大衆闘争を基礎とした『交渉』によって、帝国主義の戦争と反動の政策の一定の後退をかちとる可能性、さらには一定の協定、たとえば核兵器禁止をふくむ全般的軍縮協定などの締結をも余儀なくさせうる可能性を認めているし、帝国主義を打倒し一掃する以前にも、これらの闘争によって、世界戦争を防止する事業が成功する可能性をも認めている。……これらの可能性をいっさい拒否し、帝国主義の譲歩の可能性をすべて拒否することは逆に左翼小児病的なセクト主義と教条主義におちいることを意味している」(パンフレット13ページ)

 チモフェーエフの批判なるものが、評論員論文のまったくの歪曲によるものであることは、明らかである。

(2)改良主義と革命的見地

 だがここで重要な問題は、たんに歪曲がおこなわれているということではなく、チモフェーエフが、評論員論文やわが党の立場を「悪くなれば悪くなるほどよい」と定式化したことによって、逆にかれ自身が、その対極としての典型的な改良主義の立場「よくなれば、よくなるほどよい」という一面的立場に立っていることを、あらためてはっきりと暴露したことである。

 たんに「悪くなれば悪くなるほどよい」という論理も、たんに「よくなればよくなるほどよい」という論理も、実は正しい革命的見地を見失った日和見主義の、左右のことなったあらわれにすぎない。この問題についてレーニンは、1901年に、合法マルクス主義者ストルーヴェが、ゼムストヴォ(ロシアに1864年にもうけられた地方自治体)のもつ二面的性格を理解できずに、「ゼムストヴォと憲法とを直接的に結びつけ」たことを批判しながら、つぎのように書いたことがある。

 「ゼムストヴォと政治的自由との関係の問題は、改良と革命の関係についての一般的問題の特殊な場合である。そしてわれわれは、この特殊の場合において、流行のベルンシュタイン理論の狭さと愚劣さをあますところなく見ることができる。この理論は、革命的闘争を改良のための闘争でおきかえ、……『進歩の原理は、よくなればなるほどそれだけよい、ということである』と宣言している。一時的形態においては、この原理はその反対の原理――悪くなればなるほどそれだけよい――と同じようにまちがっている。もちろん、革命家はけっして改良のための闘争を拒否しないだろうし、たとえ重要でない、部分的な敵の陣地であっても、もしその陣地が革命家の攻撃を強め、完全な勝利を容易にするなら、それを占領することを拒否しないだろう。だが、かれらはまた、敵自身が、攻撃者を分裂させていっそうたやすく粉砕するために、一定の陣地をゆずりわたすばあいもしばしばあることを、けっしてわすれないであろう。かれらは、『終局目標』をつねに念頭におき、『運動』の一歩一歩と改良の一つ一つを全般的な革命闘争の見地から評価してはじめて、運動が誤った歩みをとったり、恥ずべき誤謬に陥らないように保障することができるということをけっしてわすれないであろう」(「ゼムストヴォの迫害者たちと自由主義者のハンニバルたち」、全集5巻、65ページ、ゴシックは引用者)

 チモフェーエフがこの「流行のベルンシュタイン理論」、レーニンの別の言葉でいえば「いつどこでも、『よりよいもの』を支持せよ」という「平凡なブルジョア進歩派の戦術」(レーニン「ふたたび国会内閣について」、全集11巻、61ページ)の立場に立っていることは明白である。

 チモフェーエフにとっては、ケネディとジョンソンは、ゴールドウォーターよりよいからそれだけよく、「自由主義」政策は、暴力政策よりもよいからそれだけよく、部分的核実験停止は野放しの核実験よりもよいからそれだけよく、あらゆる改良は現状よりもよいからそれだけよい。敵は最右翼だけであり、それ以外のものはなんでも支持すべきものとなる。アメリカ帝国主義を先頭とする帝国主義陣営とたたかい、世界の人民を帝国主義支配から解放するという「終局目標」から、ケネディやゴールドウォーターをどう評価し、自由主義政策と暴力政策をどう評価するか、核戦争防止と核兵器禁止という原水禁運動の「終局目標」から、部分核停条約をどう評価しどう位置づけるかという、革命家の見地は、かれの念頭からは、みごとに一掃されている。

 ここでことわっておかなければならないことは、評論員論文は主として世界人民の平和を守る闘争や民族解放闘争に関連した正しい国際政策を主題とした論文であり、改良と革命の関係などを主題とした論文ではなかったということである。したがって、それは改良についてほとんどふれてはいない。チモフェーエフは、「『アカハタ』論文の筆者は、改革の『危険性』や、ブルジョア政府にたいして労働者階級が圧力をくわえることが目的にかなっていないことを説教し、根本的改革のための勤労者の現在の闘争を『独占資本にたいする革命闘争』から、人為的に切り離している」と論じているが、そのように断定するただ一つの根拠とされているのは、実は評論員論文のなかのただの一行、「日本独占資本との革命的闘争の課題をも否認する改良主義的な『構造改革論』」(パンフレット63ページ)にもとづくものなのである。

 ほとんど捏造に近いこのような非難と攻撃を、われわれはチモフェーエフのためにも惜しむものであるが、かれが改良の問題をもちだしている以上、われわれも最低限、かれの改良論にふれないわけにはいかない。

 チモフェーエフが理解できなかった第一の問題は、敵の譲歩や改良のすべてが無条件に肯定されるものではなく、資本主義のもとでの改良はすべて「二重の性格」をもっているという、マルクス・レーニン主義の原則的命題である。レーニンが、あらゆるところでくり返してのべているように、一般に改良は、人民の要求にたいする部分的譲歩としての性格と、人民の革命的闘争を欺まんし弱めるための道具としての性格との二つをかねそなえている。

 「あらゆる改革は、それがよりよいものへのある一歩であり、『一段階』であるかぎりで、そのかぎりでのみ改革である(反動的方策でもなければ保守的な方策でもない)。しかし、資本主義社会におけるあらゆる改良は二重の性格をもっている。改良は革命的闘争を引きとめ、あるいは消しとめるために革命的階級の力と精力を細分し、その意識をくもらせるなどするために支配階級がおこなう譲歩である」(レーニン「決議案をどう書いてはならないか」、全集12巻、232ページ、ゴシックはレーニン)

 資本主義社会におけるあらゆる改良のこの二重の性格が、階級闘争の発展の経過のなかで、それぞれの改良を、ときには革命運動における敵の陣地の部分的占領たらしめ、ときには革命運動にたいする敵の攻撃の重要な手段たらしめる。あらゆる改良のこの二重の性格が、労働運動のなかに、改良を革命的階級闘争の発展のために正しく利用する革命的見地を生み出すとともに、ブルジョアジーと同盟して改良を革命的階級闘争をそらせるために利用する改良主義の見地をも生み出すのである。

 ところがチモフェーエフは、改良主義の危険の指摘を改良の否定にすりかえ、評論員論文があたかも改良一般を否定しているかのように描き出して攻撃しながら、ただ現代における改良闘争の重要性だけを強調している。

 すでに指摘したように、革命と改良を主要な論題としていない評論員論文が改良闘争の意義を軽視しているとするチモフェーエフの批判は、またしても根拠のない中傷のくりかえしにすぎないが、しかもそのさいチモフェーエフが、改良主義の危険を指摘するものにたいして、改良を否定する現代トロツキズムの「空論」だなどと見当ちがいの攻撃をあびせながら、改良主義の危険についてはまったく警戒していないことはきわめて特徴的である。

 第2次大戦後の情勢の大きな変化、それにともなう資本主義の全般的危機の深化と、社会主義世界体制の成立、資本主義諸国における労働者階級の力の増大、被圧迫諸国の民族解放運動の発展とが、一般に広範な改良をかちとる歴史的条件を拡大しその闘争の意義をさらに大きくしていることは疑いない。今日われわれがたたかっている全般的軍縮協定や核兵器禁止協定をかちとることも、特定の独占企業の人民的統制や国有化も、社会保障の拡大も、――のちにのべるようにそれらをもっとも確実に保障しうるものは人民権力の樹立である――同時に改良闘争としてもとりくむべき民主主義的課題でもある。しかしこのような広範な改良の課題が提起されている今日の情勢は、同時に改良主義の危険をもいっそう大きくした時代である。そのことは、労働運動、民主運動の分野における右翼社会民主主義の日和見主義、改良主義の潮流が依然として資本主義国における革命運動の発展にとって、大きな障害となっているだけでなく、現代修正主義の国際的潮流が国際共産主義運動の重大な危険となるにいたった事実が、はっきりとしめしている。したがって今日の改良をめぐる問題の焦点は、チモフェーエフが単純に思いこんでいるように、改良の意義を認めるかなどという初歩的な問題にあるのではなく、今日もっとも大衆的な規模でたたかわれている広範な改良闘争を、改良主義的にたたかうか、それとも革命的見地に立ってたたかうかという問題にある。たとえば、全般的軍縮や核兵器禁止をめぐっておこなわれている論争の本質は、「米ソ協調」のもとでの部分核停条約から核拡散防止へという改良主義の路線としフルシチョフの「米ソ協調」や部分核停条約の欺まん性を暴露し、帝国主義の核戦争政策と対決して、真の軍縮と核兵器禁止をたたかいとる路線との対立にある。またチモフェーエフが、一知半解のままもちだしている「構造改良」の問題をめぐっておこなわれている論争の本質も、独占の権力のもとで、国家独占資本主義の発展に依拠し、独占資本主義の国家機構への「民主的介入」をとおして、改良のつみかさねによって社会主義への移行をめざすという改良主義の路線と、独占資本の権力を打倒して人民の権力を樹立する革命的闘争のなかに「民主的改革」を正しく位置づける路線との対立にある。

 チモフェーエフが理解できなかった第2の問題は、「歴史の真の推進力は、革命的な階級闘争である。改良は、この闘争の副産物である」(レーニン「ふたたび国会内閣について」、全集11巻、61ページ)ということである。

 革命闘争をほんとうに強めるような改良は、たんに改良をめざす闘争によるだけでは、けっしてかちとることはできない。たとえば全般的軍縮協定や核兵器の使用禁止協定、さらには核兵器の全面禁止協定も、平和擁護運動や核兵器禁止運動のような独自の民主主義的大衆運動の発展が、社会主義陣営のいっそうの発展、帝国主義の植民地支配をくつがえす民族解放闘争や独占資本の支配をくつがえす革命闘争の巨大な前進と結びついてはじめてかちとれるものである。独占企業の人民的統制や国有化は、民主主義的な性格の要求であるとしても、独占体にとっては重大な打撃である以上、独占資本の権力の打倒をめざす革命闘争の巨大な発展の過程で、はじめて可能となる改良であることも疑いをいれない。そして、独占資本の権力の強い抵抗を排除して、これらを確実に真に人民的に実施するためには、人民の権力の樹立が必要なのである。この点では、レーニンが指摘したつぎの真理は、今日なお依然として正しい。

 「実際には、敵からかちとられたすべてのもの、戦果のうちで確実なすべてのものは、プロレタリアートの活動のすべての舞台で革命闘争がどれほど強いか、どれほど活発におこなわれているかの程度に応じてのみ、かちとられ、保持されているのである。……ロシアの真に民主主義的な改造がブルジョア革命の時代にどれだけ実現されるかは、だれも予言することができないが、しかし、プロレタリアートの革命闘争だけがその改造の程度と成否を決定するということは、一点のうたがいもない」(「『農民改革』とプロレタリア=農民革命」、全集17巻、118ページ、ゴシックは引用者)

 したがって、実際には、プロレタリアートと人民が、チモフェーエフらがおちいっているような、改良のつみかさね自体を自己目的として、権力の獲得――革命との関連を見失っている改良主義的思想から解放され、その団結と闘争を前進させればさせるほど、ますます個々の改良をもかちとり、その成果をかため、利用することができる。チモフェーエフのような正真正銘の改良主義の指導では、革命はおろか、いくらかでも意義のある改良さえも、ほとんどかちとることはできないであろう。

 かれの目に、正しいマルクス・レーニン主義の立場を「ネオ・トロツキズム」にみえさせるものは、実はかれ自身のベルンシュタイン的見地なのである。チモフェーエフらがおこなったわが党にたいする「ネオ・トロツキズム」という中傷は、ただかれの、革命的見地を見失った改良主義、修正主義をおおいかくそうとしたものにすぎないことは明白である。

(3)「独・仏帝国主義への主要打撃諭」は現存する

 評論員論文を「ネオ・トロツキズム」として攻撃するチモフェーエフの最後の論拠は、「独・仏帝国主義への主要打撃論」にたいする批判が、「帝国主義的アメリカ主義」と「革命的ボリシェビズム」の闘争という「トロツキーの若干の恥すべき『理論的』図式とおどろくほど一致している」という断定である。かれはつぎのように反論する。

 「論文の筆者は、注意をそらすために、『独・仏帝国主義への主要打撃論』なるものを作成し、その理論を、かれの反対者があたかも宣伝しているかのごとくのべている。この実際に存在しない理論を宣伝しているといわれる人びとは、かれらによって、『主要な敵――アメリカ帝国主義を正当化している』として非難されている。
 ……『アカハタ』は、このような理論を思いつき、でまかせに考えだし、こんどは、全力をあげて自分自身の発明に攻撃をかけるのである。
 なぜ、このようなことをする必要があったのだろうか? 明らかに、宣言と声明に反するあやまった構想を、より容易に宣伝するためである。この構想の本質は、アメリカ帝国主義を先頭とする世界帝国主義に反対する闘争を、もっぱら、アメリカ帝国主義にだけ反対する闘争の宣言におきかえようとするところにあり、西ドイツ、イギリス、フランス、日本などの帝国主義にも反対する闘争の任協を抹殺し、あるいは、このような任務の提起そのものにも積極的に抵抗しようとするところにある」(ゴシックは引用者)

 評論員論文が、名ざしで他党を攻撃することをひかえて書かれたことを利用して、チモフェーエフは、「独・仏帝国主義への主要打撃論」などというものは「実際には存在しない理論」だと宣言している。われわれはいくらでも実例を引用することができるが、ここでは、ソ連共産党指導部にかんするものについて、若干の証拠をあげておこう。(以下ゴシックは引用者)

 フルシチョフを先頭とするソ連共産党指導部は、ケネディとのあいだに無原則的な「米ソ協調」を公然とおしすすめはじめて以来、アメリカ帝国主義にたいする全面的な公然たる批判をできるだけさしひかえ、アメリカ帝国主義を代表するケネディ政府とその政策を免罪しつつ、評論員論文が指摘するように、「もっとも危険な帝国主義勢力」を「アメリカの極右派とともに、報復主義的な西ドイツ帝国主義と反動的なフランス帝国主義の過激分子」などに求めはじめた。

 「モスクワ3国代表者会議が終了してわずか数日後に、平和勢力の新しい重要な成功を不快とする連中が、はやくもはっきりと暴露された。それは、まず第一に、アメリカのいわゆる“狂人”どもである。それは、いまだにあらたな軍事的冒険の計画をいだいている西ドイツの軍国主義者や、報復主義者の陣営中のもっとも極端な連中である。それは、フランス支配層の陣営中の過激論者である」(1963年8月3日「ソ連政府声明」、『世界政治資料』177号、ゴシックは引用者)

 しかもアメリカ帝国主義が危険なのは、アメリカ帝国主義自身の侵略性にもとづくよりは、なによりもまず、それが西ドイツ帝国主義を核武装させようとしていることにもとづいているという。

 「われわれは、アメリカ合衆国政府その他の政策が、西ドイツの核武装に――少なくとも他のNATO加盟諸国との共同で――扉をあけておくかぎり、そういう政策を批判してきたし、いまも批判している」(1963年8月21日「ソ連政府声明」、『世界政治資料』179号)

 それだけではない。フルシチョフらは、どちらが悪いかといえば、報復主義的な西ドイツ帝国主義ごそ、アメリカをソ連との衝突にひきこもうとしている張本人であるとして、アメリカ帝国主義とその代表者らを、ソ連とともに西ドイツ帝国主義の報復主義の被害者として描き出す。これははもはやどちらが悪いかという観点さえなくなった、アメリカ帝国主義の露骨きわまる弁護論である。

 「いま、西ドイツのもっとも侵略的で報復主義的な勢力が、ドイツ問題をめぐり、平和条約の問題をめぐって、米ソ両国を衝突させようとはかっている。かれらは平和をほっしない。なぜならば、アメリカに依存して第2次世界大戦前のドイツ国境を回復しようという夢を、相変わらずはぐくんでいるのである。もちろん、戦争なしには以上のことを達成できないことは、かれらにもわかっている。だから、きわめて意識的に紛争をあおっているのだ。
 このような目標やこのような利害がアメリカ国民の利害とは無関係だと確信する。だから、アメリカの政策をきめる政治家たちが、西ドイツ報復主義者のためにどのような道へおしやられつつあるかをさとり、この問題についてアメリカ自身の国民利益にこたえる立場をとるならば、私たちは急速に合意に達して平和条約を締結できると思う」(フルシチョフ「『ルック』誌社主とのインタビュー」、1962年4月27日『プラウダ』)

 フルシチョフを先頭とするソ連共産党指導部のこのような理論は、国際共産主義運動、とくにヨーロッパの共産党に、軽視できない影響をおよぼしている。たとえば部分核停条約締結後、ある同志は、「さまざまな国ぐにの冷戦支持者」として「アメリカの『狂人』、西ドイツの報復主義者、反動的なドゴール一味」を数えているし、帝国主義陣営のなかで、首領としての役割をはたしているアメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策に一言もふれることなしに、「ボン=パリ枢軸」だけをヨーロッパの最大の危険として強調する見解が、国際的な会議で主張され、しばしば公式文書においてさえ表明されている。

 これらの引用は、「独・仏帝国主義への主要打撃論」が評論員の思いついた、出まかせの議論ではまったくなく、フルシチョフを先頭としたソ連共産党指導部によって、系統的に主張されてきたものであり、評論員論文がおこなった四つの特徴づけがなんの誇張もふくまず、きわめて正確なものであることを反駁の余地なく立証している。

 そして評論員論文の主張は、チモフェーエフがまたもや、「トロツキーの恥すべき『理論的』図式とおどろくほど一致している」としてねじまげて中傷したように、「闘争をもっぱらアメリカ帝国主義にだけ反対」させ、他の帝国主義に反対する闘争を抹殺するものではけっしてない。われわれはここでもまた「ケネディとアメリカ帝国主義」を引用せざるをえない。

 「もちろん、西ドイツ帝国主義やフランス帝国主義の危険を過少評価することは正しくないし、最近の諸事件は、これらの国の帝国主義政策の動向について、いままで以上の警戒を払う必要が増大していることを示している。しかし、復活した西ドイツ帝国主義の危険性を理由にアメリカ帝国主義という主敵を免罪し、これとの闘争の重要性を軽視するばかりか回避することは、このような第2次大戦後の国際情勢と人民闘争の現実と特徴について、なにごとも理解していないことしか意味しない」(パンフレット、24ページ)

 チモフェーエフが、今日では資本主義の不均等発展の法則が「アメリカにとって不利に作用している」ことを、アカハタ編集局は否定しているとのべていることも、同巧異曲の反論である。

 なぜなら「ケネディとアメリカ帝国主義」が否定したのは、資本主義の不均等発展によって、アメリカ帝国主義のかわりに西ドイツ帝国主義とフランス帝国主義が主要な危険となったとする、「全体として事態を一面化する誤った議論」だけだからである。「ケネディとアメリカ帝国主義」は、資本主義の不均等発展の法則によるアメリカの地位の相対的低下が、今日の帝国主義世界全体にもたらした結果を、全面的に分析しつつ、つぎのように結論している。

 「こうして資本主義の不均等発展とともに各帝国主義国相互のあいだ、とくにアメリカとフランス、西ドイツとイギリス、イギリスとフランス、さらにアメリカとイギリス等々のあいだの矛盾と対立はますます先鋭化しつつあり、アメリカ帝国主義の支配的地位の動揺やその孤立化傾向も強まってはいるが、世界史的対立の一方の極、すなわち社会主義体制と民族解放運動、資本主義諸国の労働者階級の革命運動、平和運動などの発展に対抗して、侵略と民族抑圧と政治的反動を強め、かれらの支配体制を維持するための帝国主義諸国間の利害の共通性も強まり、アメリカ帝国主義との従属的同盟を維持しつづける必要もまた強まっている。このため、不均等発展の急速な進展にもかかわらず、アメリカ帝国主義と他の帝国主義との関係は、主要な側面が対立や分裂となったのではなく、アメリカ帝国主義の支配的地位が依然として保持されていることと結びついて、やはり従属的同盟の関係が主要な基本的なものであるという事態は変わっていない」(パンフレット、28ページ)

 この分析に反対であるなら、チモフェーエフは、評論員がアメリカ帝国主義の地位の相対的低下を否定したなどという、すぐ底の割れる中傷ではなく、相対的地位の低下にもかかわらず、アメリカ帝国主義の支配的地位がまだ保持されているという論点そのものを事実にもとづいて反論すべきであろう。周知のように、モスクワ声明は、帝国主義者たちが「アメり力を盟主とする軍事的・政治的同盟に結集している」として、「世界反動の主柱」としてのアメリカ帝国主義の支配的地位を明確に規定している。

 「資本主義制度の足場がひどく腐朽してしまっためで、多くの国の支配的帝国主義ブルジョアジーは、自力では、成長し団結しつつある民主主義と進歩の勢力に対抗できなくなっている。帝国主義者たちは、協力して社会主義陣営とたたかい、民族解放運動、労働運動、社会主義運動を弾圧するために、アメリカを盟主とする軍事的・政治的同盟に結集している。最近数年間の国際的諸事件の経過は、アメリカ帝国主義が、世界反動の主柱であり、国際的憲兵であり、全世界の人民の敵であることをしめす多くの新しい証拠を提供している」

 さらにここで見すごせないことは、チモフェーエフが、評論員論文の見地を中国共産党の「中間地帯論」に基礎をおくものであり、この「北京によって押しつけられたまちがった方針」が、わが党をして日本独占資本にたいする闘争の重要性を過少評価させ、4・17ストにたいしてまちがった態度をとらせるに至ったかのように描き出していることである。

 4・17ストにさいしてわが党の中央委員会幹部会が、集団指導の一時的弱化がひき起こされた具体的事情のもとでおかした誤りの基礎に、わが党の綱領の見地、わが党中央委員会の基本路線から逸脱し、アメリカ帝国主義が全世界の人民の国際統一戦線の主敵であるということを、機械的に日本の国内の闘争にあてはめてしまい、日本独占資本を軽視する一面的、教条主義的見地があったことは事実である。だがその誤りはわが党自身に責任のある問題であって、中国共産党の「押しつけ」と関係があるかのようにいうチモフェーエフの批判は、中国共産党にたいしても、わが党にたいしても二重の不当な攻撃である。周知のようにわが党指導部は、この誤りを早期に公然と自己批判して克服した。このことを指摘して、わが党の理論と路線の誤りの証明に利用し、修正主義者のアメリカ帝国主義美化論を弁護しようとするチモフェーエフの試みはけっして成功しない。4・17ストにさいしてのわが党の一時的誤りとその克服のすべての経過は、アメリカ帝国主義と日本独占資本の「二つの敵」とたたかう、わが党の綱領の見地の正しさと、修正主義と教条主義にたいし、二つの戦線で非妥協的な指導、理論闘争をたたかってきたわが党中央委員会の基本路線の一貫した正しさを、あらためて深刻に立証したからである。わが党の第9回中央委員会総会が承認した中央委員会幹部会の公表文書「春闘、4・17スト問題をめぐる総括と労働運動の当面の諸問題」がのべているように、4・17ストをめぐる幹部会の指導にあらわれた誤りは、大会や中央委員会の諸決定のしめした路線の誤りではなく、逆にその路線にもとづく指導が一時的に弱化した時期の誤りであり、「マルクス・レーニン主義の科学の原則と党の綱領、大会および中央委員会の諸決定の示す正しい路線」からの「一時的、部分的」な「逸脱」から生まれた誤りであった。

 アメリカ帝国主義を「世界反動の主柱」と規定したモスクワ声明は、さらにつぎのようにのべている。

 「アメリカ帝国主義の政治的・経済的・軍事的支配下にあるヨーロッパ以外の発達した個々の資本主義諸国では、労働者階級と人民大衆の主要な打撃は、アメリカ帝国主義の支配ならびに民族の利益を売り渡している独占資本とその他の国内反動勢力にたいしてむけられている」

 国際的にはアメリカ帝国主義を先頭とする帝国主義に反対し、国内では日本を支配するアメリカ帝国主義とそれと従属的に同盟する日本独占資本に反対してたたかうという、わが党と評論員論文の立場こそ、モスクワ声明の原則的規定にもっとも忠実なものである。

 チモフェーエフが、わが党のこの立場を「ネオ・トロツキズム」として攻撃するとき、かれは同時にモスクワ声明そのものを「ネオ・トロツキズム」として攻撃しているのである。かれがわが党に投げつけた「ネオ・トロツキズム」という大仰な攻撃は、かえってかれが救いがたい改良主義の立場、モスクワ声明の革命的路線を逸脱した改良主義と修正主義の立場にたっていることを、このうえなく明白にするのに役立っただけであった。

六、革命的楽観主義と日和見主義的「楽観主義」

 チモフェーエフは、論文の末尾で、「『アカハタ』の態度には、悲観主義がつらぬかれている」と結論して、つぎのようにのべている。

 「論文の筆者は、実際に、世界の社会主義勢力が帝国主義をおさえつけ、帝国主義が新しい世界戦争を挑発するのをはばむ能力をもっていることを信じていない。帝国主義、とくにアメリカ帝国主義の過大評価(アメリカ帝国主義は、非社会主義世界において、すべてを自分に『従属』させているという評価)、世界社会主義、国際労働者階級、日本の労働者階級の過少評価――これが『アカハタ』編集局の今日の立場の真の本質なのである。……このようなまちがった立場は、マルクス・レーニン主義諸党の綱領的文書である宣言と声明につらぬかれている科学的に基礎づけられた革命的楽観主義と矛盾している」(ゴシックはチモフェーエフ)

 だが、問題なのは、われわれを「非観主義」として非難するチモフェーエフの「楽観主義」なるものが、真の革命的楽観主義と縁もゆかりもない非階級的、非科学的な見地を前提としていることである。

 第一に、明らかなことは、かれがこの論文で擁護しようとしているフルシチョフを先頭としたソ連共産党指導部は、わが党中央委員会への公開された書簡(1964年4月18日)のなかで、端的にみずから暴露したように、帝国主義者は「『力の立場』にたつ政策」を実施する物質的地盤を失ってしまったとか、帝国主義者は「よぎなく諸国家の平和共存をうけいれ」ている、とかいうような、理論的にも実践的にも、まったく致命的な錯覚におちいっていたことである。

 いったい「トンキン湾」の攻撃や南ベトナムへの侵略戦争の凶暴な継続は、「『力の立場』にたつ政策」に属さないのだろうか。これらの事実を、もし、「『力の立場』にたつ政策」として見ざるをえないとすれば、それは、その物質的地盤を失った事態のもとでおこなわれている「『力の立場』にたつ政策」とでも評価するのだろうか。また、もし帝国主義者がよぎなく諸国家の平和共存をうけいれているとすれば、アメリカ帝国主義者が一貫してあらゆる下劣な術策をろうして、「中国封じこめ」政策をおこなっている事態をどう説明できるのだろうか。また、南ベトナムへの恥知らずな侵略やベトナム民主共和国への爆撃をはじめ、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの諸民族の解放闘争の抑圧と主権の明白なじゅうりんをつづけている事態を、アメリカ帝国主義の「『力の立場』にたつ政策」とは無関係な、なにか他の現象とでも評価しようとするのだろうか。

 フルシチョフやチモフェーエフの頭のなかでは、実感的にも、「米ソ協調」こそ、事実上、国際情勢を判断するうえでの最大の基準であった。そこから、ケネディやジョンソンの二面政策にたいする根本的な錯覚と誤った評価が生まれ、そこから、アメリカ帝国主義のこれらの代表者への錯覚と結びついてアメリカ帝国主義そのものへの美化と幻想が支配的となったのである。

 したがって、かれらがもっている「楽観」とは、アメリカ帝国主義者の代表者をばら色の幻想で描き出した、科学的根拠のない「楽観」であり、そこからは、まさに「日和見主義的」楽観主義――実は、アメリカ帝国主義への追随による安易な日和見主義的展望だけが生まれてくるのである。

 第二に、明らかなことは、チモフェーエフがここで、帝国主義者を「おさえつけ」、「帝国主義が新しい世界戦争を挑発するのをはばむ能力をもっている」勢力を、主として「世界の社会主義勢力」とみなしていることである。

 ソ連共産党中央委員会の1964年4月18日付書簡へのわが党中央委員会の返書(1964年8月26日付)のなかで、わが党中央委員会は、われわれが社会主義世界体制の役割を軽視しているという批判にたいして全面的な反論をおこなうとともに、「現代の主要な矛盾を社会主義体制と資本主義体制の闘争だけに単純化するあなたがたの見地こそ、モスクワ声明の諸命題とは合致しない、資本主義諸国の労働者階級と人民の闘争や植民地・従属国における民族解放運動の歴史的役割を軽視する誤った見地なのです」と指摘した。「われわれは、社会主義の世界体制、国際労働者階級、帝国主義に反対する勢力、社会の社会主義的変革のためにたたかっている勢力が、『今日の時代における世界史の発展の主な内容、方向、特徴を決定する原動力』であり、これらの勢力の全体が、帝国主義に新たな打撃をあたえつつ社会主義世界体制を人類社会発展の決定的要因に転化させ、最終的には帝国主義の滅亡と全世界における社会主義の勝利にいたる『世界史の発展方向』を規定していると評価しています」(同上返書)

 チモフェーエフは、「世界史の発展の主な内容、方向、特徴を決定する原動力」を全体として見ないで、それを「世界の社会主義勢力」――事実上は、この論文でフルシチョフによる「三重のわい小化」としてすでに指摘したように、ソ連一国中心にわい小化して、そこから、われわれに「世界社会主義、国際労働者階級、日本の労働者階級の過小評価」なる非難をなげかけている。たしかに、われわれは、フルシチョフやチモフェーエフのように、帝国主義者の新しい世界戦争の挑発を阻止する勢力を、社会主義勢力――事実上ソ連一国だけに限定する見地に立っていない。われわれは、社会主義世界体制の歴史的意義と使命を正当に評価するけれども、新しい世界戦争の挑発とたたかう勢力については、モスクワ声明とともに、つぎのような全体的見地に立つものである。

 「社会主義の世界陣営、国際労働者階級、民族解放運動、戦争に反対するすべての国、すべての平和愛好勢力が共同で努力をすれば、世界戦争を防止することができる」(モスクワ声明)

 チモフェーエフが、わが党の評論員になげつけた「悲観主義」という非難が、このような現代の世界史をうごかす真の原動力にたいする不当な評価を前提とし、モスクワ声明からのいちじるしい逸脱を前提として、はじめて司能なものだったことは明白である。

 けっきょくのところ、チモフェーエフらの考え方はこうである。――世界社会主義の力が帝国主義を追いつめた結果、アメリカ帝国主義者の内部矛盾は激化し、好戦的な極右派と「分別のある」「平和共存派」とに分裂した。われわれの任務は、この割れ目を拡大するために、アメリカ帝国主義の「平和共存」派と手をにぎって極右派だけを敵として孤立させ、帝国主義を「おさえつけ」、「はばみ」、かれらを「平和共存」や「軍縮」の方向に進ませることにある。いまや世界社会主義はそれだけの力をもっている。そしてこのかれの体系に賛成せずに、アメリカ帝国主義者全体を敵としてたたかう立場に立つことは、けっきょく、世界社会主義と国際労働者階級の力を「楽観」的に信ぜず、アメリカ帝国主義の力の強さにたいして「悲観」的態度におちいっていることを意味するというのである。

 だが、われわれとチモフェーエフとの意見のちがいは、帝国主義の滅亡と社会主義の勝利という世界史の発展方向を「楽観」的に信じるかどうかの問題にあるわけではない。それは、チモフェーエフも別の意味でみとめているように、「現代の世界発展の根本問題」をふくむ現在の重要問題についての態度の相違に発しているものである。そのちがいは、基本的には、アメリカ帝国主義を美化する見地に立つか、それとも、アメリカ帝国主義を世界の戦争と侵略と反動の元凶としてみてとり、それと一貫してたたかう見地に立つかどうか、それらに関連して、ケネディやジョンソンを美化するか、かれらをアメリカ帝国主義の代表者として、かれらの「二面政策」を階級的に認識するかどうか、また、「世界反動の主柱」であるアメリカ帝国主義との闘争をすすめるという革命的見地から、帝国主義者の内部の矛盾や対立を正しく評価し、正しく利用する立場に立つか、それとも、内部矛盾の利用を口実としてアメリカ帝国主義とその代表者を美化する立場に立つかどうか、にあった。

 それはまた、帝国主義をおさえつけ、新しい世界戦争の挑発を阻止する勢力を、社会主義勢力――事実上はソ連一国中心におくか、それとも、それだけに限定せす、文宇通りの社会主義世界体制、国際労働者階級、民族解放闘争、帝国主義に反対してたたかっているすべての勢力、戦争に反対するすべての国、すべての平和愛好勢力の共同におくかの基本的相違であった。

 チモフェーエフの見地が、このように、今日の社会の歴史的発展をめぐる闘争において、世界史の発展をめぐる原動力について、敵と味方の勢力の性質と範囲について、根本的に誤った見地――修正主義的で、同時に大国主義的な見地に固執している以上、かれらの見地には、われわれのマルクス・レーニン主義的な分析と展望が、「ネオ・トロツキズム」「悲観主義」その他さまざまのレツテルをもって排斥されるべきものとして映るのは当然である。そして、問題は、実に、フルシチョフやチモフェーエフに代表されるこれらの見地の根深い誤謬の本質にこそあるのである。

 いったい、今日の情勢のもとで、マルクス・レーニン主義者にとって、真の革命的楽観主義は、なにを意味するのだろうか。

 すでにくりかえしのべたように、ケネディやジョンソンの「二面政策」の本質は、追いつめられた力関係におけるアメリカ帝国主義の疑まん的な反撃政策である。同時にこの「二面政策」は、フルシチョフにひきいられる現代修正主義者がつくりだした国際共産主義運動の不団結を利用し、現代修正主義者の国際的潮流を米ソ間の「緊張緩和」でひきつけ、真のマルクス・レーニン主義者を集中的に攻撃する「二面政策」でもある。だからこそ、マルクス・レーニン主義者は、敵を追いつめている世界人民の力にたいする確固たる確信にもとづいて、かれらの「二面政策」の本質を暴露し、それに呼応する現代修正主義者の裏切りと断固としてたたかい、帝国主義者をさらに追いつめていくように、全体として反帝国際統一闘争を強化すべきであると考えるのである。そして、このような世界人民の反帝闘争の革命的前進のなかでのみ、その副産物としての、たとえば核兵器禁止協定や全般的軍縮協定のような敵の実質的譲歩をしめす諸協定をかちとることができると信じている。この基本路線こそが、マルクス・レーニン主義の原則にもとづきモスクワ宣言、声明がしめす基本的立場であり、この基本的立場を堅持し、その勝利を確信することこそ真の革命的楽観主義なのである。

 これにたいしてチモフェーエフらは、帝国主義を追いつめつつある力関係に「確信」をもつことを理由に、ケネディの政策は「二面政策」ではなく、「進歩的」政策、「平和共存」政策であり、これとはたたかわないで無原則的に妥協することによってのみ、核兵器禁止や全般的軍縮その他の協定をかちとることができると主張している。それは、すでに明らかにしたように、敵の実質的譲歩を意味するような諸協定さえもかちとりえないのみならず、敵の反撃の時間かせぎに力をかすことによって、重大な危険さえ蓄積し、敵による致命的な反撃と力関係の逆転とをみちびくことにならざるをえない。そのような立場や結果をみちびく力関係への「確信」や「楽観」なるものが、正真正銘の「おめでた」さであり、敵の攻撃にたいし、みずからの羽の下に首をつっこんで安心しているダチョウの「楽観」以外のなにものでもないことは、疑問の余地がない。このような「楽観主義」こそ典型的な日和見主義の別名にほかならず、革命的楽観主義とは緑もゆかりもないしろものである。

 そしてかれの「革命的楽観主義」なるものが実はこのような日和見主義的「楽観主義」である以上、それが困難に直面したとき、たちまち降伏主義と結びつき、ただちに日和見主義的「悲観主義」に転化することは必然である。たとえば無原則的な「米ソ協調」を主張するフルシチョフの日和見主義的「楽観主義」は、「キューバ危機」において、ケネディの核戦争の脅迫におびえる日和見主義的「悲観主義」にたちまちのうちに転化し、みじめな降伏主義に転落した。米ソ仲よくして、武器も戦争もない理想郷に近づいていたという世界は、たちまち一転して人類絶滅の危機に直面した地獄として描き出された。冒険主義と降伏主義とが相互に転化するように、日和見主義的「楽観主義」と、日和見主義的「悲観主義」とは相互に転化しあう。そのことを、「キューバ危機」におけるフルシチョフは、あますところなく立証してみせてくれたのである。

 以上に明らかなように、チモフェーエフの「科学的に基礎づけられた革命的楽観主義」なるものは、実はマルクス・レーニン主義に反した日和見主義的「楽観主義」であり、同時にそれと一見対立するようにみえる日和見主義的「悲観主義」の別名にほかならないのである。

 つぎにチモフェーエフは、わが党を「統一のかわりに分裂の方向に、ことをはこんでいる」とか、「かれらの『反帝国主義』(まったく宣伝的なものでしかない)は、実践において、ますます公然と、積極的な反ソ主義、大衆的民主運動の解体と弱化をめざす破壊活動におきかえられている」とか、最大限の悪罵をもって攻撃している。しかし、実際にケネディの「二面政策」と分裂策謀に呼応し、帝国主義の戦争と侵略に反対するもっとも広範な統一戦線を、ケネディとアメリカ帝国主義の美化論と、それへの追従と降伏の政策によって混乱させ、分裂をもちこもうとしたのは、フルシチョフを先頭とした現代修正主義の国際的潮流とそのわが国における追随者であった。昨年の第10回原水爆禁止世界大会と、それをめぐる現実は、フルシチョフの追随者らが、どんな分裂主義的な計画をもって、右翼社会民主主義者やわが党の裏切者らと結合して、わが国の平和運動の混乱と分裂の拡大、固定化のためにつくしたかを、このうえなく明確に暴露したものであった。そればかりか、フルシチョフを先頭とするソ連共産党指導部が、1964年4月18日付書簡によるわが党への公然たる攻撃や、志賀・神山ら反党分子への公然たる支持など、わが党にたいする露骨な転覆活動をおこなってきた事実、さらに、「プロホロフ氏その他一連のわが党にたいする新しい攻撃について」(『アカハタ』1964年12月28日付評論員論文)でも指摘したように、フルシチョフ解任後も、ソ連共産党の新しい指導部が、日・ソ両党の関係を改善するための最低限の前提としてわが党が要請している、わが党にたいする不当な撹乱・破壊活動の中止にも応ぜずに、ひきつづきわが党にさまざまな攻撃を加えている事実――これらの事実は、かれらこそ、「統一のかわりに分裂の方向にことをはこんでいる」ものであることをはっきり示している。

 チモフェーエフもまた、わが党の評論員論文「ケネディとアメリカ帝国主義」が批判した修正主義的理論の、拙劣なくりかえしにすぎないその反論をもって、その混乱と分裂策動に一つの役割を果たしたのである。そしてチモフェーエフの分裂主義は、かれの「帝国主義とたたかわない」日和見主義的立場の本質と結びつき、それから流れでた、当然の産物なのである。

 チモフェーエフは、論文の冒頭で、「意見の相違の実際的本質がアメリカ帝国主義に反対してたたかうか、たたかわないか、ということにあるのではない」と書き、論文の末尾では、「東南アジア、キプロス、キューバ、コンゴにたいするかれらの侵略行動もふくむ国際的諸事件の発展は、共産主義者が、反帝国主義闘争の諸問題にたいして正しい態度をとることを要求しており、また、すべての進歩勢力、反帝国主義勢力の個結を強化することを要求している」と書いた。

 もしも、チモフェーエフが、これらの言葉や、それこそ「言葉のうえではなく、実際に反対してたたかう」という自分自身の言葉に忠実であろうとするならば、さまざまな奇弁をろうして、アメリカ政府をアメリカ帝国主義とは事実上別個の勢力であるかのようにあつかい、「アメリカ帝国主義とたたかう」という言葉のかげで、ケネディやジョンソンの侵略と反動の政策との闘争を回避することをやめ、81ヵ国の共産党・労働者党が一致して採択したモスクワ声明の革命的路線にしたがい、全世界の人民とともに、アメリカ帝国主義を先頭とする帝国主義勢力と真剣にたたかうべきである。全世界人民の統一した反帝闘争を混乱させ、国際共産主義運動や国際民主運動に分裂をもちこむ、日和見主義と分裂主義の理論をいっさい放棄すべきである。それは、共産主義者としての、チモフェーエフのきびしい義務ではなかろうか。

 ジョンソン大統領の1965年の年頭一般教書は、依然としてアメリカ帝国主義が、国際共産主義運動の不団結を利用して、欺まん的な「米ソ協調」政策をとりながら、「中国封じ込め」政策やインドシナ戦箏の拡大を中心とする凶暴なアジア侵略政策をおしすすめようとしていることを明らかにした。しかるに、現代修正主義の国際的潮流は、かれらの立場を不利にしたフルシチョフの極端な誤りの若干をなしくずし的、部分的に手直ししながらも、なお依然としてフルシチョフなきフルシチョフ主義を維持しつづけようとしている。このような事態は、フルシチョフは失脚したけれども、現代修正主義の国際的潮流に反対する闘争はなお長期にわたるものであること、わが党の評論員論文「ケネディとアメリカ帝国主義」が批判したアメリカ帝国主義美化の修正主義理論もまた、国際共産主義運動にとっての依然として重要な危険であることをしめしている。われわれは、今後も、アメリカ帝国主義を首領とする帝国主義の戦争と侵略の政策にたいする行勧の統一の実現のためにたたかいながら、そのなかでいっさいの修正主義理論を徹底的に批判し、マルクス・レーニン主義の原則と「宣言」と「声明」の革命的原則を擁護するためにたたかいつづけるものである。こうしたたたかいなしに、現代修正主義を克服して、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際圭義にもとずく国際共産主義運動の真の団結をかちとることはできない。われわれは、チモフェーエフに代表される立場とわれわれとの論争が、そのためにすこしでも貢献することを、心から願っている。

 われわれは、マルクス・レーニン主義の発展のためにも、論争が最後まで、同志的な、公明正大なものとなることを、チモフェーエフと『コムニスト』編集部に希望する。そのためには、「ケネディとアメリカ帝国主義」およびこの反批判の論文の全文を、『コムニスト』誌上に掲載することを、われわれは同誌編集部に希望するものである。それは、同時に、『コムニスト』誌読者の希望し、期待するところでもあるだろう。

 わが党は、1964年4月18日付ソ連共産党中央委員会の日本共産党中央委員会あて書簡にたいする、1964年8月26日付日本共産党中央委員会の返書を送るにあたり、二つの書簡の全文をアカハタ、『前衛』などに発表した。これはソ連共産党がその4月18日付書簡を一方的に公表したため、全党員と党支持者が、わが党中央委員会の返書の内容を正確に理解し、日ソ両党の関係悪化の経過の真実を誤りなく知ることのできるようにするためであった。わが党は、ソ連共産党中央委員会にたいしても、同様の措置をとるよう、その返書のなかでつぎのように申し入れた。

 「あなたがたは、7月11日付の書簡で、二つの書簡を公表する理由について『日本共産党指導部が……われわれの書簡に回答する必要さえ考えない現状にあっては、ソ連共産党中央委員会はもはやこの情勢を党内に知らせないでおくにしのびず、日本共産党中央委員会にあてた1964年4月18日付の書簡ならびにこの書簡を公表することを決定した』とのべています。もしソ連共産党の党員に両党関係の真実を知らせることがあなたがたの目的であるならば、あなたがたの4月18日付の書簡にたいするわが党のこの返事をも勇気をもって公表されるよう希望します。われわれは、それは事実にもとづく真理の探求に大いに寄与するものと確信します」

 ところがきわめて残念なことに、すでに5ヵ月以上たった今日に至るまで、わが党の返書はソ連の党内で公表されていない。このようなことでは、公明正大な同志的討論を望むことができないことを、われわれはあえて指摘したい。

 わが党は、チモフェーエフの論文にたいするこの反批判を発表すると同時に、評論員論文「ケネディとアメリカ帝国主義」にたいするチモフェーエフの反論をもアカハタ、『前衛』に掲載することとした。この措置は、「ケネディとアメリカ帝国主義」を発表しないままで、チモフェーエフの反論だけを掲載した『コムニスト』編集部が、今回もわが党のこの論文を発表するとしないとにかかわらず、全党員と党支持者に、この論争の全貌を客観的に研究する便宜を与えるためである。こうしたやりかたは真理を探求するために必要な最低限の措置であることを、チモフェーエフと『コムニスト』編集部もまた認めることを、われわれは当然のぞむものである。

(『日本共産党重要論文集』第2巻より)