日本共産党資料館

西沢隆二の除名にかんする決議

一九六六年一〇月一三日 第七回中央委員会総会

 日本共産党中央委員会幹部会は、一九六六年十月九日、中央委員西沢隆二(ぬやま・ひろし)が重大な規律違反を犯している容疑事実を調査審議するため、規約第五十九条二項にもとづき、同日より二ヵ月間、規約第三条の党員の権利を停止する処置を決定した。そして、この旨を本人に通告するとともに、調査審議に応ずるため、十月十日と十一日の二回にわたり、中央委員会書記局を訪れるよう指示した。にもかかわらず、かれは、この指示を無視し、事前にも事後にも連絡なく、しかも二度目には、今後は指示をうけることも拒否するという態度をしめした。
 西沢隆二の規律違反容疑の内容は、以下にのべるように、それぞれたしかな事実と根拠にもとづくものであった。
 西沢隆二は、一九六六年八月二十七日からひらかれた第六回中央委員会総会において第十回党大会にたいする中央委員会の報告案の肘のさい、六月下旬に準備した原稿をよみあげ、報告案の内容にはなんら具体的にふれない発言をおこなった。しかもその発言の趣旨は、複雑な事態を一面的に単純化して、現在のソ連邦政権を人民の敵とみるか味方とみるかのどちらかしかないとか、マルクス・レーニン主義の原則に確固として立っているわが党にたいして、特定の外国の党の指導者の思想の旗をかかげるべきであるとか、きわめ幼稚で非科学的な、まったく事大主義的な思想につらぬかれたものであった。かれは、席上、多くの同志から説得的な批判をうけたが、これにたいしてなんら具体的にこたえることができなかった。六中絵が、いくつかの議案の採決をおこなったさい、かれは、報告案にたいしてだけは、ただ一人反対した。同時にかれは、党の決定には服する旨をのべ、党の規律をやぶり、規約に反する言動はけっしてとらないことを言明した。
 しかし、その後のかれの実際の行動はどのようなものであったか。かれについては、その反党活動の事実について、党組織や党員から、いくつかの報告がよせられてきた。九月二十七日、中央委員会幹部会は、かれに党本部に出頭するようもとめたが、かれは、もういかないといって、これを拒否した。そして、十月八日、岩林書記局員がかれの自宅におもむき、中央委員会書記局に来訪することをもとめたとき、「自分は幹部会を信頼しない。幹部会が代表している中央委員会も認めることはできない。第十回党大会の報告案に反対であり、したがって、これを討議する第十回党大会も認めるわけにはいかない」と言明し、党中央、とくに幹部会とその構成員の個々についてのひぼう、中傷の言辞をはき、二度と会う意思もなく、幹部会や書記局を訪れる意思もないとかさねて強調した。
 西沢隆二は、このときすでに反党活動を開始していたのである。すなわち、かれは、「わかもの社」関係などの若干の党員その他を自分の反党活動の計画にひきこんで分派をつくり、かれに同調するとみた幾人かの同志にたいして、党の路線に反する見解をふりまき、すでに「赤旗」で暴露されたようなわが党にたいするデマ、中傷にみちた宣伝をおこない、反党活動の計画をのべてはたらきかけていた。かれは、そのなかで、六中総の討議の内容についても、事実をねじまげながら、規律を犯して話している。そのさいかれは、外国勢力と通していることを自認する趣旨のことも話している。また、かれの影響をつよくうけていた一人は、すでに二、三ヵ月前から、「自分は除名覚悟でやっている」と、他の同志にもらしている。かれは、このように、以前からすでに、ひそかに、売党的な反党分派活動を準備し、おこなってきたのである。
さらに、西沢隆二は、反党分子の大塚有章(九月三日党員権停止、十月六日除名)らと反党分派活動を組織して、党攻撃の雑誌の刊行に着手し、これを武器の一つとして、党外から党を攻撃するという公然たる党破壊活動を開始したのである。
 西沢隆二は、ぬやま・ひろしの名で、みずから「日本共産党の宮本路線を批判する」と題する論文をかれらの反党雑誌の巻頭に掲載し、わが党の路線、とくに国際路線や党の組織原則についてのかく乱と党破壊を意図した、党にたいする愚劣な中傷やひぼうを書きたてている。
 かれのこのような反党活動は、かつてトロツキストがやり、春日(庄)、内藤志賀、神山らがやり、最近では山口の福田、原田一派が、党を放送される以前から始めた、恥じしらずな裏切りとまったく同じである。
 以上の事実は、西沢隆二が、さる八月の第六回中央委員会総会において、みずから党の規律を犯さないと誓約しながら、実際には党にかくれて、他の反党分子と共謀し、反党分派活動をおこない、明白な党破壊の重大な規律違反を犯してきたことをしめしている。この事実を知って、中央委員会幹部会が、緊急の措置として、かれを調査審議するため、党員権を停止したことは、きわめて適切なものであった。
 西沢隆二が、中央委員会を代表する幹部会の決定に反して、意識的に調査審議を拒否したことは、規約第二条「地位のいかんにかかわらず、党の規約と規律をかたくまもる」、および同「党にたいして誠実であり、事実をかくしたり、ゆがめたりしない」に違反する行為である。 さらに、反党分子大塚有章その他と共謀し、党外の刊行物によって党への公然とした攻撃に着手するなど、明らかに党の規律をやぶり、規約に反した分派活動をおこなっていることは、規約前文四「また党規律をみだし、決定を実行せず、統一をやぶり、派閥をつくり、分派活動をおこなうことは、党を破壊する最悪の行為である。党内では、党の政治方針や組織原則をそこなうような行動はゆるされない」、および第二条の「全力をあげて党の統一を守り、党の団結をかためる」、同党の内部問題は、党内で解決し、党外にもちだしてはならない」、および第十四条「党の決定は、無条件に実行しなくてはならない。個人は組織に、少数は多数に、下級は上級に、全国の党組織は、党大会と中央委員会にしたがわなくてはならない」など、わが党の民主主義的中央集権制の組織原則にかんする規約の重要な事項をふみにじる行為である。
 わが党は、このような党破壊の裏切り者を一日たりとも放置することなく、緊急に処断して党の戦列をきよめなければならない。かれが、裏切り者となり、反党分子に転落した根底には、根深い小ブルジョア個人主義の思想があり、自己の主観的な偏向や好みを党の決定に優先させ、党の団結をよわめる重要な欠陥があった。またかれは、マルクス・レーニン主義と党の諸決定をまじめに学ぼうとしてこなかった。中央委員会とくに幹部会は、最近の国際共産主義運動における複雑な事態にふれて、いくつかの問題で機会あるごとにかれに批判をあたえ、正しい党的態度、積極的に決定を実践する党生活にたつよう努力してきた。しかし、かれは同志的な批判を積極的にうけいれようとせず、自説を固執し、はては党の上に個人をおくまでにいたった。そして、かれの反党文書にみられるごとく極度の事大主義、現代教条主義、セクト主義の道――日和見主義と解党主義の泥沼に徹底的に転落するにいたったものである。こうしてかれば、ついにマルクス・レーニン主義の原則と宣言・声明の革命的原則を堅持しているわが党を、分派活動によって裏切り、反党雑誌その他によって党を攻撃し、党破壊の活動を公然と開始するにいたったのである。
 このような反党・売党活動は、一部の外国勢力に一時的に激励されることがあっても、けっしてわが党を破壊することはできない。四十四年の革命的伝統をもち、現代修正主義と教条主義、セクト主義との二つの戦線におけるたたかいのなかで鍛えられてきたわが党の前進は、第十回党大会を成功的にたたかいとる準備もほとんど完了しつつある今日、かれのようなひとにぎりの堕落分子のあらたな反党活動によって断じて阻害されるものではない。かれは党勢の拡大強化における飛躍的な歩みと、新しい段階に到達した党建設の成果を不当に中傷し、ひぼうしているが、党と党の支持者は、かれの国際盲従の事大主義、現代教条主義、手段をえらばぬ党破壊の策謀を徹底的に打ちくだいて前進するであろう。
 第七回中央委員会総会は、かれの規律違反問題を審議するにあたって、規約にもとづき、このような恥じしらずの裏切り者にたいしでも規約第六十六条にしたがって総会に出席して弁明する機会をあたえたが、かれはこの機会をもみずから放棄した。
 第七回中央委員会総会は、西沢隆二の前記のような重大な党規約のじゅうりんと悪質な党破壊行為を審議し、党規約にもとづいて、つぎのように決定する。

 決定

 西沢隆二
 党規約前文(三)、(四)、第二条(一)、(二)、(五)、(七)、(九)、および第十四条(五)違反により、規約第五十九条、第六十条にもとづき、第六十三条の手続きにしたがって、日本共産党から除名する。

(『前衛』一九六六年十二月号)