統制委員会は、一月三十日、安斎庫治の重大な反党活動について審議し、党規約にもとづいて除名処分に付することを決定した。
(一) 安斎庫治は、一月二十七日、『東京新聞』その他の商業新聞にわが日本共産党を公然と攻撃し、西沢隆二らの反党反革命分子とともに党破壊活動に参加することを公然と宣言した反党声明を発表し、さらにこの声明を全国の党機関その他に配布した。
これは重大な規律違反であり、党と革命の事業にたいする許すことのできない裏切り行為である。
これよりさき一月二十三日に、かれは日本共産党綱領が右翼日和見主義路線を志向しており、日本共産党中央委員会が「修正主義」に転落したとひぼうし、日本共産党とあくまでたたかうという「論文」の挑戦状を、野坂中央委員会議長におくりつけたまま、その日からゆくえをくらました。
昨年四月から安斎の思想的動揺を知っていた党中央は「確信を失ったので指導的部署につかず一党員として活動したい」という安斎の希望をも考慮して、第十回党大会に提出する中央役員候補者の名簿にかれをいれず、また党大会代議員のだれもが、かれを推薦しなかった。党大会後も、党中央は、政治的意見はもちろん、活動部署などについても、すべて相談できるように、かれと組織的連絡をとっていた。それにもかかわらず安斎は無断で連絡をたちきり、こともあろうに商業新聞をつかって党にたいする攻撃をはじめたのである。これは陰険で卑劣な党規約無視、党規約じゅうりんであり、断じてゆるすことのできない反党分裂活動である。
安斎のこれらの行為は、党規約前文(三)、(四)、第二条(一)、(二)、(五)、(七)、(九)、および第十四条(五)にたいする重大な違反である。
さらに安斎は査問を拒否して党規律違反をかさね、弁明の機会をみずから放棄した。
よって党規約第五十九条、第六十条にもとづき、安斎庫治を日本共産党から除名する。
事実の歪曲と、みずからの変節をおおいかくそうとする恥ずべき陰謀と悪ば中傷でつづけられている反党声明において、安斎は、わが党の綱領の路線に攻撃を集中し、党綱領そのものがブルジョア議会にたいする修正主義路線でつらぬかれているなどと非難し、わが党の選挙闘争にたいして口ぎたない悪ばをあびせかけている。安斎が、選挙戦が終盤をむかえた時期をことさらえらんで、わが党の選挙闘争にこのような中傷悪ばをはなったことは、総選挙闘争におけるわが党の躍進をはばもうとする、きわめて計画的で悪質な反党活動であり、米日反動勢力と自民党の反共攻撃に呼応した恥しらずの裏切り行為である。
(二) 安斎が反党声明でもちだしたわが党綱領の路線への「批判」なるものは、わが党がくりかえし暴露した志田一派の挑発的な主張とまったく同じ立場にたったものであり、わが党がすでに十年もまえに克服した極左冒険主義の議論をもう一度むしかえして見せただけのものである。しかも安斎は、以前党に提出した「経歴報告書」に「綱領にたいしては、七回大会前、その草案が発表されたときから一貫して支持してきた」とみずから書いているように、この綱領とその路線を第七回党大会と第八回党大会で積極的に支持した。当時中国共産党は、わが党第八回大会への祝辞でもわが党の政治路線の正しさを強調し、また、第九回党大会への祝辞のなかでもわが党の基本路線について「マルクス・レーニン主義の普遍的真理を日本の具体的状況と創造的に結合」したものと評価していた。そして今日にいたるまで安斎は、どのような党の会議においてもただの一度も綱領とその路線について反対意見はもちろん、疑問さえものべたことはなかった。ところが今日、突如として党綱領の路線を「ブルジョア議会主義」「修正主義」などと攻撃をはじめたのは、外国の一部勢力がわが党の基本路線についての批判的な言辞をふりまきはじめたのに盲従して変節したためであり、同時にこうした論議で対外盲従の根ぶかい心情によるみずからの卑劣な裏切りをおおいかくし、合理化するためのものである。
(三) これまで、安斎の思想と行動には、特定の外国の指導者の主張への盲従を絶対の準則とする事大主義、対外盲従主義が根ぶかく存在していた。たとえば、一九六四年の四・一七ストをめぐる党指導上のあやまりにおいても、かれは、実際上このあやまりを積極的に推進した中心的な責任者の一人であったのである。四・一七問題のあやまりは、日本独占資本の搾取とたたかうわが国労働者の春闘ストライキに反対し、その結果労働組合内の多くのまじめな党員を重大な困難に直面させたが、そのあやまりの思想的基礎の一つには、国際的にアメリカ帝国主義を孤立させるたたかいをそのまま単純に国内の路線にあてはめる教条主義があった。そしてこのあやまりを四・一七での決定的なあやまりにみちびくうえで重要な要因となったのは、毛沢東同志の発表した声明のなかにある「反米愛国の統一戦線」のスローガンをわが国の反帝・反独占の民族民主統一戦線のそれにおきかえようとした安斎ら二、三のものの対外盲従主義、事大主義であった。
安斎の対外盲従的事大主義は、かれの経歴から生まれる弱点と深く結びついたものである。安斎は、一九二一年、十五歳のときに、当時半植民地であった中国にわたり、満鉄見習学校、東亜同文書院などで学校教育をうけたが、一九三〇年「中国共産主義青年団」に加入した。その後一時期、日本共産主義青年同盟に加盟したこともあるが、一九四二年には中国で検挙され日本に押送されて間もなく変節を声明し釈放された。かれの戦前の日本における生活は、わずか数年にすぎず、かれの生活の大部分は、「満鉄」職員、「偽蒙古政府」職員としておくられ、かれの社会、思想生活は、主として中国においてなされた。かれは、戦後のある時期においても、かなりの期間中国に滞在したことがあった。
(四) 対外盲従的事大主義にふかくとらえられた安斎は、中国共産党の新聞その他の論調が、わが党の基本路線を支持する態度をとっていた時期は、わが党の活動に「確信的」であったが、国際共産主義運動内部の情勢が複雑化し、わが党と中国共産党のあいだでいくつかの重要な意見の相違があきらかになるとともに、わが党の路線と日本革命の事業への確信をうしない、政治的に大きく動揺しはじめた。
昨年四月、第四回中央委員会総会(第九回党大会)で、幹部会から日中両党会談の経過が報告されたとき、安斎は、反帝国際統一戦線などについてのわが党の方針を支持し、幹部会の報告に賛成したが、同時に、「脳天をうちくだかれる気持だ」などとその心情的な動揺をあからさまにしめした。安斎の対外盲従的な心情をよく知っている北京在住の反党分子の一人は、当時すでに、安斎が個人的に送った手紙にたいして秘密の返事をおくりそのなかで反党活動をそそのかしていた。さらに、昨年八月の第六回中央委員会総会では、安斎は、ふたたび党の国際、国内路線への全面的な支持を表明するとともに、ある社会主義国での個人崇拝や指導者の神格化の傾向のつよまりを批判し、最近つよまってきた特定の外国の党からの理不尽な大国主義的干渉とたたかう決意だと発言した。しかし、そのさいにも、かれは、不当な大国主義的干渉にいきどおるのではなく、「さびしさでうちひしがれている」のが真情だとのべ、外部勢力の党破壊の攻撃に直面しても、党を破壊からまもる正義の闘争に勇気と確信をもってたちあがれない卑屈な事大主義をもう一度あきらかにした。
安斎は、四中総でも六中絵でも、「自分は外部勢力の党破壊工作などに力をかすことは絶対にしない」などと、党の規律にしたがうことをくりかえし誓い、昨年十月、七中総が、一部の外国勢力に盲従して党を裏切った西沢隆二を除名したときも、これに賛成の態度をとった。
しかし、安斎は、けっきょく、対外盲従と事大主義の心情を合理化することに執着して、しだいに二心的態度をつよめ、ついには、党の路線を支持するとか党規律にしたがうとかいうこれまでの言明や誓約を紙くずのようになげすて、みずからその理不尽さを糾弾しこれとたたかう「決意」を表明していた一部の外国勢力の大国主義的干渉に迎合し、西沢隆二一派、「長周新聞」一派らの売党反党分子のあとについて、わが党にたいするかく乱、破壊をくわだてるという、恥ずべき裏切りの道をえらんだのである。すなわち、安斎は、党との組織的連絡を無断でたちきり、みずから長期にわたって支持賛成してきた綱領への攻撃をブルジョア新聞紙上に発表したのを手はじめに、公然と党と革命の事業を裏切る反党活動をはじめるにいたったのである。
統制委員会は、安斎庫治を除名処分に付することを決定するにあたって、全党が、西沢、安斎一派、「長周新聞」一派など反党盲従分子の党破壊活動を粉砕する闘争をさらに強化することを強調するものである。