日本共産党資料館

今日の毛沢東路線と国際共産主義運動

一九六七年十月十日「赤旗」

一 反マルクス・レーニン主義集団としての毛沢東一派
二 いわゆる「プロレタリア文化大革命」の実態と本質
三 今日の毛沢東路線の反マルクス・レーニン主義的性格
四 国際共産主義運動の悪質なかく乱者
五 毛沢東一派のかく乱活動を粉砕するために

  一 反マルクス・レーニン主義集団としての毛沢東一派

 中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子は、かれらが国際共産主義運動と社会主義、共産主義の事業をかく乱する反マルクス・レーニン主義集団であることを、かれら自身の内外政策と行動のすべてによって、最近ますます明白に実証しつつある。
 わが党が、八月二十一日付「赤旗」主張「撹乱者への断固とした回答毛沢東一派の極左日和見主義集団とかれらに盲従する反党裏切り分子の党破壊活動を粉砕しよう」でのべたように、中国共産党の毛沢東一派は、毛沢東を「現代のもっとも偉大なマルクス・レーニン主義者」と自画自賛しながら、毛沢東の極左日和見主義、分主義の路線への無条件追従を国の内外にわたって強要し、そのおしつけにしたがわないすべてのものとすべての党を敵視して不当な攻撃をくわえ、偉大な革命的伝統をもつ中国共産党の破壊と国際共産主義運動の公然たる分裂をめざすきちがいじみた策謀をおしすすめている。とくにわが日本共産党にたいしては、かれらは、「宮本修正主義集団」などとひぼうしつつ、かれらに盲従するひとにぎりの反党裏切り分子やトロツキストなどを支持激励して、光栄ある革命的伝統をもつわが党の「打倒」と「転覆」を公然とよびかけるにいたっている。
 わが党は、かれらが昨年春以来、一九六〇年の共産党・労働者党代表者会議の声明に規定された兄弟党間の関係の基準をふみにじり、日中両党間のなが年にわたる友宜と戦闘的連帯にそむいて、わが党にたいする不当な中傷、攻撃、干渉、破壊活動を開始してきた事態にたいして、毅然として、かつ必要な節度をもって対処してきた。
 「反米ソの国際統一戦線」論や、「人民戦争万能論」などの極左日和見主義、分裂主義路線、「毛沢東思想」絶対化や「プロレタリア文化大革命」の礼賛などをわが党と日本の民主運動におしつけ、日中友好運動をかれらにたいする追随と礼賛の運動にかえようとしたかれらの大国主義的干渉と攻撃(それらの具体的事実は、八月二十三日付「赤旗」に公表した資料「毛沢東一派のわが党と日本の民主運動にたいする干渉と攻撃の事実」で詳細にあきらかにしてある)にたいしては、わが党は、わが国の革命運動の自主性をまもり、日中両国の党と人民のあいだの自主、平等、相互の内部問題不干渉の原則をまもりぬくために必要な批判と断固たる反撃をおこなってきた。だが同時に、わが党はベトナム侵略をはじめとするアメリカ帝国主義のアジア侵略政策がますます強化されている重大な情勢のもとで、中国革命の成果をまもり、日中両党の正しい団結を回復することがますます重要になっていることを考慮して、最近の毛沢東の路線やいわゆる「プロレタリア文化大革命」そのものの批判は、公表することをひかえつづけてきた。
 すでにこれまで、反党対外盲従分子たちは、西沢隆二らがその反党雑誌『毛沢東思想研究』と題したことにみられるように、もっぱら最近の毛沢東の言動を武器として党破壊活動に狂奔してきた。また毛沢東自身も天安門上で西沢隆二と握手してもっとも親密な同志あつかいするなど、反党対外盲従分子を公然と支持、激励してきたし、毛沢東らが組織し、指導している「紅衛兵」は、すでにことしの一月以来、わが党や宮本書記長に乱暴、下劣な名ざしの悪罵をくわえてきた。それにもかかわらず、わが党はこれまで毛沢東を名ざしで批判することをしなかった。さらに『人民日報』や北京放送、新華社通信などが、一部在日華僑学生らによる日中友好協会本部襲撃事件をとりあげてわが党を「ファシスト暴徒」と悪罵して公然と攻撃し、反党分子のわが党にたいする攻撃や党破壊活動を公然と報道して支持、激励したにもかかわらず、わが党は、それらの公然たる中傷にたいして反論するさいにも「中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子」という表現にとどめてきた。
 また昨年来、「プロレタリア文化大革命」が、わが国の新聞や雑誌で大々的にとりあげられ、その評価が思想、理論闘争の分野における大きな問題となり、これを利用してマルクス・レーニン主義にたいする攻撃が系統的に組織され、とくにことしの総選挙闘争にさいしては、米日反動勢力は、中国の「プロレタリア文化大革命」の事態につけこんで、わが党にたいする大規模な反共宣伝を全国的に展開した。それにもかかわらず、わが党は「プロレタリア文化大革命」そのものにたいする見解の公表を、忍耐づよくさしひかえてきた。こうしてわが党は、国内における諸闘争でのさまざまな不利をしのんでも、なお兄弟党間の関係の基準をまもり、必要な反論にさいしても、これらの問題に関連する全面的な批判の公表を可能なかぎり避けてきた。ところがわが党のこのような節度ある態度にたいして、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義の原則から遠く逸脱した中国共産党の極左日和見主義集団は、わが党にたいする攻撃をますます凶暴化することをもって答えたのである。
 すべての事態は、今日、日本の革命運動、民主運動の自主的発展をまもりぬくためにも、国際共産主義運動のマルクス・レーニン主義的強化をかちとるためにも、わが党が、毛沢東を中心とする中国共産党の極左日和見主義、大国主義集団の理論と実践の反マルクス・レーニン主義的な実態と本質を日本人民のまえにあきらかにし、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義の原則をふみにじった、かれらの極左日和見主義、大国主義、分裂主義の路線と行動にたいして、いっそう全面的で系統的な、公然とした批判を強化することが必要になったことをしめしている。

  (1)日本の革命運動と民主運動の自主性をまもるために

 毛沢東を中心とする中国共産党の極左日和見主義集団のわが党にたいする計画的な攻撃と破壊活動は、中国共産党中央委員会の招待でわが党代表として北京に駐在していた砂間一良幹部会員候補と、『人民日報』の招待で北京に駐在していた紺野純一「赤旗」特派員にたいする北京空港での前代未聞の集団暴行事件が象徴しているように、最近ますます凶暴化し、まったく手段をえらばない、低劣、悪質なものとなっている。今日、かれらのこうした不当な干渉と破壊活動を粉砕し、この大国主義的干渉の本質を全面的に究明することは、日本の革命運動と民主運動の自主性をまもりぬくために、日本人民の革命闘争に責任を負うわが党のどうしても避けることのできないますます重要な任務となってきた。これが、わが党が毛沢東一派を、名ざしで公然と全面的に批判しなければならない第一の理由である。
 毛沢東一派は、「すべてのマルクス・レーニン主義党は、独立した平等な党であり、各国の具体的情勢に応じ、マルクス・レーニン主義の諸原則にしたがってそれぞれの政策をたて」るという一九六〇年の声明の規定に反し、また中国共産党自身もかつては強調していた兄弟党間の団結の基準を無責任にも投げすて、わが党の綱領にもとづく革命路線、政治路線を全面的に攻撃し、「毛沢東思想」の絶対化とその「人民戦争万能論」、「暴力革命唯一論」などの極左日和見主義路線をもっとも乱暴な大国主義的やりかたで日本人民におしつけている。しかも毛沢東一派は、この反マルクス・レーニン主義的な最近の毛沢東路線を日本人民におしつけるために、その最大の障害物にみえるわが日本共産党に、あらゆる破壊的攻撃を集中し、その「打倒」を公然と呼号し、西沢隆二や安斎庫治、「長周新聞」一派などの反党対外盲従分子やトロツキストを日本共産党にとってかわらせようという犯罪的策謀の実行にのり出している。
 たとえば六月十六日付中国共産党中央機関紙『人民日報』は、ひとにぎりの反党対外盲従分子の党破壊活動を報道して支持するとともに、「このむほんはたいへんけっこうだ」と題する「国際評論」なるものをかかげ、つぎのようにのべた。

 「日本共産党のひとにぎりの修正主義分子は反マルクス・レーニン主義、反革命、反人民、反中国の修正主義路線をおしすすめ、日本の広範なマルクス・レーニン主義者や革命的大衆の日ましに高まるはげしい不満と反対をひきおこしている。日本共産党の一部の下部組織は、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想を武器とし、革命の旗じるしを高くかかげ、つぎつぎと立ちあがってこれらの修正主義分子にたいしさかんにむほんをおこしている。このむほんはたいへんけっこうであり、それは道理にかなっている。
 日本共産党の修正主義分子はマルクス・レーニン主義を裏切る道をますます遠くへつっ走っている。かれらば『階級協調』のデタラメな理論でプロレタリア革命とプロレタリアート独裁の学説を骨ぬきにし、ブルジョアジーの議会政治に浮き身をやつし、階級投降政策を実行し、資本主義制度のもとでの一時的な安逸をむさぼるのに汲々としている。かれらはショービニズム(排外主義)をもって国際主義にとってかわらせ、すすんでソ連修正主義グループの尻馬にのってきちがいじみた反中国をおこない、ほしいままに中日両国人民の友情を破壊し、中国を敵視する佐藤政府の共犯者の役をつとめている。かれらはすでに日本のプロレタリアートと日本人民の革命事業を遠くかなたにほうりすて、日本反動派のまぎれもない下僕に転落してしまった」
 「日本の真のマルクス・レーニン主義者、真のプロレタリア革命戦士は、暴威をおそれず、困難にひるまず、真理をまもりぬき、敢然とむほんをおこし、革命派としての偉大な気迫をしめしている。かれらは日本人民の希望であり、日本の未来をになうものである。日本のマルクス・レーニン主義勢力はかならずプロレタリアートと広範な人民大衆にたより、困苦にみち、複雑でまがりくねったたたかいのなかで成長し、強大になっていくであろう。それとは反対に、例の修正主義分子どもはかならず歴史のごみためにすて去られてしまうであろう」

 毛沢東一派は、ここで、わが党とその指導部にたいして、思いつくかぎりの中傷と非難をならべたてているが、これらはすべて、自分たちの日本共産党にたいする破壊活動の醜悪な本質をごまかすためのものであり、かれら自身の低劣さをさらけだす効果しかもっていない。
 毛沢東一派はわが党を「修正主義路線をおしすすめている」とか「階級投降政策を実行している」とかいってののしっている。しかしこのような非難にはなんの根拠もない。それどころかわが党が、アメリカ帝国主義の力に屈し独占資本との協調にかたむいた内外の現代修正主義の潮流にたいして、一貫してもっとも非妥協的な闘争をおしすすめてきたマルクス・レーニン主義党の一つであることはすべての事実がしめしている。すでに一九五〇年代の後半、ソ連共産党第二十回大会(一九五六年二月)などでのスターリン批判やハンガリー反革命事件(一九五六年十月)の影響で国際的現象として修正主義的潮流が発生し、それがわが国の革命運動に波及したさいにも、わが党は断固としてマルクス・レーニン主義の原則をまもる立場にたち、党の内外にあらわれた修正主義的傾向、自由主義、分散主義の傾向にたいする系統的な闘争をおこなった。一九五六年から第七回党大会(一九五八年)をへて第八回党大会(一九六一年)にかけておこなわれた綱領討議のなかで、春日庄次郎、内藤知周らの修正主義分子は、アメリカ帝国主義の侵略性と対日支配を過小評価し、「平和共存」の今後の進展に大きな幻想をいだいてアメリカ帝国主義との闘争を回避する日和見主義路線を主張したが、わが党はこれら反党修正主義者の議論に系統的な科学的批判をくわえて、これを粉砕した。春日らの議論は、一面では現代修正主義の国際的潮流の影響のもとに形成されたものであったが、他面ではユーゴスラビアのチトー一派の現代修正主義とともにフルシチョフらの現代修正主義の先駆的形態の一つをもなすものであった。したがって、かれらにたいするわが党の政治的理論的闘争とその成果も、国際的規模でのマルクス・レーニン主義と現代修正主義とのあいだのたたかいにおいて、重要な先駆的役割の一つをはたしたものであった。わが党は、綱領討議をめぐる思想、理論闘争のなかで、事実上、のちのフルシチョフ修正主義の基本命題のほとんどすべてにわたり、すなわちアメリカ帝国主義にたいする評価、戦争と平和、民族独立闘争と平和運動、平和共存と軍縮、国際および国内の統一戦線、革命の平和的移行と非平和的移行、改良主義的「構造改革」論の批判、分派主義との闘争と民主主義的中央集権制の擁護、修正主義と教条主義の二つの戦線での闘争、大国主義や事大主義の批判など、一連の重要な諸問題にかんしてマルクス・レーニン主義の理論を創造的に発展させた積極的見解を確立し、全党の理論的武装を強化することができた。一九六〇年の八十一ヵ国共産党・労働者党代表者会議で、わが党代表団が、声明の原案を改善し、マルクス・レーニン主義にもとづく革命的原則を定式化することに積極的に貢献したのも、その後、フルシチョフを中心とするソ連共産党指導部の修正主義、大国主義、分裂主義の路線およびそれとむすびついたわが党にたいする干渉と攻撃にたいして、わが党がもっとも非妥協的にたたかったのも、けっして偶然ではない。一九五〇年問題を自主的に総括して党の統一を回復した第七回党大会以後、「左」右の偏向とたたかって日本の現状を全面的に分析して日本革命の正確な展望を確定した綱領を自力でかちとってきた党の前進のなかで、わが党が修正主義、教条主義に反対し、いっさいの対外盲従主義と分裂主義を粉砕する全党の理論的武装と戦闘的団結を、みずからきずきあげていたからこそ、わが党は現代修正主義に反対してマルクス・レーニン主義の原則をまもる国際的闘争でも積極的役割をはたすことができたし、現にはたしつつあるのである。
 さらに毛沢東一派は、わが党を「修正主義」とか「ソ連共産党のあたらしい追随者」とかとののしるにとどまらず、「佐藤政府の共犯者」「日本反動派のまぎれもない下僕」と漫罵している。かれらはおどろくべきことに、わが党をアメリカ帝国主義や佐藤内閣と同列において、「中日両国人民の共同の敵」と規定し、公然と敵視する態度をとっている。たとえば六月二十四日の北京放送が放送した中日友好協会が日中友好協会脱走派の「大会」と称する集会に送ったメッセージには、つぎのようにのべられている。

 「アメリカ帝国主義、日本反動派、ソ連現代修正主義集団と日本共産党修正主義分子は、いま中日友好を破壊しようと陰謀をめぐらしており、かれらは中日両国人民の共同の敵です。中日両国人民は警戒心を高め、断固かれらとたたかいぬかなければなりません」

 毛沢東一派は、わが党を中日両国人民の「四つの敵」の一つに数え入れることをあえてし、公然と「打倒」の対象にすることを宣言したのである。
 毛沢東一派が、わが党にあびせている「佐藤政府の共犯者」「日本反動派のまぎれもない下僕」などという中傷は、わが党を「修正主義」とののしること以上に、さらに輪をかけた低劣なデマであり、日本の事情にすこしでもつうじているひとには、まったく通用しえないこっけいな中傷である。わが党が、自民党佐藤内閣の売国と戦争、軍国主義復活と人民生活破壊の政治と正面から対決し、どんな場合でも自民党に追従して手をよごしたことのない日本のただ一つの政党であること、さらに戦前は、軍事的警察的天皇制の打倒、中国その他にたいする帝国主義的侵略戦争反対の旗を断固としてかかげ、戦後は、アメリカ帝国主義と日本独占資本の反民族的、反人民的支配を終わらせることをめざして、どんな迫害と弾圧、買収と欺まんの攻撃にもまけないで不屈にたたかっているただ一つの革命政党であることは、わが党創立以来四十五年の日本の歴史が証明しているところである。だからこそ今日、米日支配層、佐藤内閣は、日本共産党をかれらの反動支配にたいするもっとも危険な敵とみなして、「反共」をその政策の第一の柱とし、独占資本も、あらゆる産業から共産党やその支持者の追放をめざすアカ攻撃をいっそうつよめるなど、あらゆる手段をつかって、わが党に凶暴で卑劣な攻撃をくわえ、その破壊と圧殺の策謀に狂奔しているのである。自衛隊、警察庁、公安調査庁など、全弾圧機関が主力をかたむけているのは、わが党を弱めることであり、そのためには、トロツキスト、「左」右の反党分子まで利用することさえもためらっていないことは、周知のことである。この日本共産党を「佐藤政府の共犯者」「日本反動派の下僕」などとののしるのは、これこそ、日本の現実をまったく無視した荒唐無稽なたわごとというほかはない。事実、昨年来かれらが、わが党を「佐藤内閣の共犯者」であるとののしるためにもちだしてみせたものは、第十二回原水禁世界大会の劉寧一を団長とする中国代表団や、最近の周培源を団長とする訪日代表団などの入国にたいする佐藤内閣の妨害に、わが党が「背後」で「協力」したとか、わが党が佐藤首相の南ベトナム訪問や台湾訪問に反対しようとしなかったとかいうたぐいの、まったく反証をあげるまでもない事実無根のいいがかりだけである。そして、毛沢東一派こそ、日本共産党を攻撃し、わが国の民主運動をかく乱することによって、アメリカ帝国主義と日本独占資本の反共攻撃に手をかしているのである。
 さらに毛沢東一派は、中国を訪問した日本人に工作したりするばあいには、新聞や放送のうえでよりもいっそう下劣で、いっそう荒唐無稽なデマ―日本共産党の最高指導部にはスパイが潜入しているとか、それに類するようなデマを、数かぎりなくまきちらしている。
 毛沢東一派は、このように、わが党とその路線について『人民日報』や日本むけ北京放送、新華社通信などで思いつくかぎりの下劣なデマや罵倒を総動員して狂気のような中傷と攻撃のカンパニアをおこなっているが、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義にもとづくわが党の国内、国際路線がどうして「反革命」であり、「修正主義」であり、「日本反動派の下僕」であり、「日本プロレタリアートの裏切者」であるのかについては、かれらはなんの具体的な論証や分析を提出することもできない。わが党への攻撃にあてられたかれらの一連の文章には、マルクス・レーニン主義者のあいだの批判や論争に不可欠な科学的な論証や事実にもとづく具体的な分析はなにひとつない。そこにあるのは、ただマルクス・レーニン主義者のあいだの論争とはまったく無縁な悪と中傷の低劣野卑なことばの独断的列だけである。われわれは、八ヵ月前、北京の一部の「紅衛兵」が、ただ悪罵だけをたよりにして、わが党に不当な攻撃をくわえてきたとき、「政治における悪罵は、悪罵するものの無思想とたよりなさ、無力、いきりたった無力を、しばしばおおいかくすものである」というレーニンの有名なことばを引いて、「紅衛兵」のこうしたやり方が「かれらの非科学性と理論的な無力との告白でしかない」ことを指摘した。ところが中国共産党の毛沢東ら極左日和見主義、大国主義分子もまた、わが党を攻撃するにあたって、やはり「紅衛兵」たちと同様に、その「根拠」として悪罵以外のなにものももちだせないでいる。それは、「非科学性と理論的な無力」の点で、かれらがその指導下にある「紅衛兵」たちと「兄たりがたく弟たりがたい」水準にあることを、みずから実証してみせたものといわなければならない。
 ところでもっとも重大なことは、毛沢東一派が、このようなこどものたわごとのような悪罵をわが党に投げつけるだけにとどまらず、わが党を「中日両国人民の共同の敵」と規定し、それを口実にして、四十五年の革命的伝統をもつ日本の労働者階級のただ一つの前衛党であるわが日本共産党の「打倒」と「転覆」を公然と呼号し、わが国の反党対外盲従分子を「真のマルクス・レーニン主義者」、「真のプロレタリア革命戦士」として称揚し、かれらにたいして、日本共産党にたいする「むほん」をよびかけていることである。これは、志賀義雄らの党破壊活動を支持、激励したフルシチョフさえあえて公然とは口にだしえなかった、もっとも重大な反革命的犯罪行為である。
 もちろん、いまマルクス・レーニン主義と綱領の旗を高くかかげて、党中央委員会のまわりに全党がかたく団結し、たたかう日本人民の支持のもとに党史上最大の党勢をもって前進しつつある日本共産党を、ほんのひとにぎりの反党対外盲従分子の「むほん」なるものによって「打倒」するなどということは、狂人の白昼夢にひとしい。だが、毛沢東一派が昨年来おこなってきたように、米日反動勢力の支配、抑圧のもとで、その権力の攻撃や弾圧とたたかっているわが党にたいする攻撃と破壊活動に、こともあろうに、社会主義国家の権力を悪用し、その打倒を公然と呼号するなどということが、どんな口実をもってしても弁護する余地のない、反階級的な犯罪行為であることは明白である。たとえばかれらは、わが党とわが国の民主運動に破壊的な攻撃をくわえるにあたって西沢隆二、安斎庫治一派や「長周新聞」一派、日中友好協会からの脱走派などの対外盲従分子に特別の援助をあたえ、日中間の人事交流や日中貿易の活動をすべてわが党への攻撃と民主運動の分裂、かく乱の手段にかえ、実利をエサに、日中友好運動や日中貿易の関係者をその指導下にかきあつめ、「日共修正主義分子とのまっこうからの対決」を貿易団体の「議定書」や「共同声明」のなかにまで明記して、日本の貿易業界に日本共産党との「闘争」に参加することを強要し、「反修闘争」に積極的な商社や貿易団体だけを貿易の相手とするといった、無法行為まで平然とおこなっている。さらにかれらは、新華社通信、日本向け北京放送や『北京周報』、『人民中国』その他の日本向け出版物をつかってデマ宣伝を大量にまきちらし、中国側の関係機関やその日本における出先機関を、分裂策動のために全面的に活用するなど、さまざまな術策に大規模にうったえてきた。これらはすべて、社会主義国の権力を悪用し外交機関などを利用しておこなわれているのが特徴である。毛沢東ら中国共産党の一部集団は、各国人民の解放闘争への正しい援助を当然の任務としている社会主義国家の権力を、まだ解放されていない国の共産党と革命運動への干渉と背信的な攻撃という、社会主義の精神とプロレタリア国際主義に反するもっとも恥ずべき目的のために、あげて利用しているのである。
 かれらのこの策謀の反階級的性格をさらにはっきりとしめす事実は、毛沢東一派の極左日和見主義集団が、わが党を「打倒」するために、西沢隆二ら反党対外盲従分子だけでなく、職業的な反革命反党集団であるトロツキスト暴力分子をも、「真の革命派」として支持、激励していることである。
 毛沢東一派は、六月十八日付『人民日報』に、「中傷で戦士の栄誉を傷つけることはできない」と題する「国際評論」なるものをかかげ、安保闘争で殺された樺美智子の追悼にことよせて、わが国のトロツキストの反革命的挑発行為を最大限の表現でほめたたえた。

 「樺美智子は日本の反動派に殺害されたが、彼女はいまなお日本人民の心のなかに生きている。それにしても憤慨にたえないのは、ひとにぎりの日本共産党修正主義分子が、意識的に事実をねじまげて再三流言ひ語をとばし、恥知らずにもこの民族的英雄を『トロツキスト』であると侮辱したことである」
 「現代修正主義者は、みずから革命をおそれる一方、他人にも革命をゆるさない。かれらは、革命の原則を堅持し、敢然と革命をやるものにはだれでも『トロツキスト』のレッテルをはりつけ、革命者を『反革命』に仕立てる恥知らずな腕前をもっている。フルシチョフ修正主義分子がそうであるが、日本共産党修正主義分子もそうである。しかし、かれらのこうした腕前では、人をだますことはできないし、革命者をおどかすことなどなおさらできない」
 「日本でひとりの樺美智子が倒れても、何千何万という樺美智子が立ち上がっている。日本共産党修正主義分子が革命の旗を投げてれば、日本の真の革命派がこの旗をいっそう高くかかげようとする。日本民族の英雄樺美智子は、永遠にそのかがやかしい名をのこすが、それとは反対に、日本共産党修正主義分子の裏切者どもは、永遠にその醜名を残すだけである」

 毛沢東一派が、今日、どのような歴史のわい曲、ねつ造をこころみようと、安保闘争におけるトロツキストの行動とその挑発的役割は、だれもまっ殺することのできない厳然たる歴史的事実である。
 一九五九-一九六〇年の安保闘争の当時、「全日本学生自治会総連合」(全学連)の指導部を占拠していたのは、反党トロツキスト集団の「共産主義者同盟」(いわゆるブンド)であった。かれらは、トロツキー以来の反革命的綱領をそのままうけつぎ、国際的には、社会主義国家の転覆――「ソ連邦、中国、朝鮮の官僚支配の打倒」(「共産主義者同盟綱領草案」)を公然とその綱領にかかげ、国内では、日本共産党の打倒を公然と目的にしてかくさなかった。樺美智子は、このトロツキスト集団の結成当初からの一員であり、その中央事務局員であった。そして、このトロツキストたちが安保闘争を挫折(ざせつ)させるために、自民党や財界から援助をうけ、戦前の日本共産党の裏切り者で戦後はアメリカのCIAとのつながりも問題にされている職業的反共右翼の頭目田中清玄からばく大な資金援助や「戦術指導」をうけながら、米日反動勢力の弾圧計画に呼応して「国会突入」などの極左的挑発をくりかえしたことは、すでによく知られている。
 たとえば、一九六三年二月二十六日のTBSラジオ報道番組「ゆがんだ青春―全学連闘士のその後」は、唐牛健太郎(安保闘争当時の全学連委員長)、小島弘(同副委員長)、東原吉伸(同財政部長)、篠原浩一郎(同中執)など、当時のトロツキストの「指導者」たちとのインタビューの内容を放送した。この放送のなかで、トロツキストたちは、かれらが、安保闘争当時、表面では「革命」とか「岸内閣打倒」とかをうんぬんしながら、その裏では、自分たちを「反共の闘士」として売りこんで自民党や財界から資金を集めることに汲々としていたこと、とくに、札つきの反共右翼である田中清玄とは密接なつながりをもち、数百万円にのぼる資金援助をうけるとともに、挑発やかく乱活動の「戦術指導」まで直接うけていたことを、臆面もなく証言していた(「赤旗」一九六七年九月七日付資料)。また東原は、数年前に書いた手記のなかで、かれらが田中清玄をもっとも「強力な後楯(うしろだて)」として、その指揮のもとに活動した経過をいっそう詳細にあきらかにするとともに、トロツキストの「代表者」たちが、安保闘争中、警視総監や警察当局としばしばひそかに連絡をとっていたこと、警察当局がそこで、トロツキストの活動にたいして「なみなみならぬ同情心」をしめしたことを、かさねて証言している(「赤旗」一九六七年九月十三日付資料)。つまり、かれらが、反共右翼の秘密の手先であっただけでなく、秘密警察の魔手に忠実につながっていたスパイ挑発者であった事実を、かれら自身が告白しているのである。毛沢東一派は、このような、自民党、財界、右翼、警察とのみにくいつながりのもとに、反共と挑発に狂奔した正真正銘のスパイ挑発者であるトロツキストの反革命的策動を、「革命の原則を堅持し、敢然と革命をやるもの」としてほめたたえ、この反党、反革命の策動から日本人民の闘争をまもるために断固としてたたかった日本共産党にたいして、「みずから革命をおそれる一方、他人にも革命をゆるさない」、「敢然と革命をやるものはだれでも『トロツキスト』のレッテルをはりつけ、革命者を『反革命』に仕立てあげる恥知らずな腕前」などとののしっているのである。これが、マルクス・レーニン主義者として断じてゆるすことのできないトロツキストの反革命、スパイ、挑発者としての活動にたいする公然たる礼賛であることは明りょうである。
 毛沢東一派は、そのトロツキスト礼賛をごまかすために、樺美智子の死をしきりに利用しようとしているが、これは、安保闘争当時、トロツキストやその一部の同調者たちが、その挑発、かく乱活動を正当化する手段とし樺美智子の死にたいする一般の哀悼の感情を利用しようとしたのと同じ卑劣な手法である。樺美智子は、米反動勢力による弾圧の犠牲者であっただけでなく、彼女自身をふくむトロツキストの挑発活動の犠牲者であったことは明白である。うら若い少女の生命が失われたことにたいするいたみは、断じて『人民日報』のように当時のトロツキストの反革命的挑発行為を「真の革命派」とかいって無責任に賛美することにむけられるべきではない。反対にそれは、米日反動勢力にむけられるとともに、これに呼応してもっとも卑劣な策謀によって安保闘争をほうむりさる手段として、一部の純真な学生を扇動して国会に突入させたトロツキスト・スパイ挑発集団にたいする怒りとたたかいにこそむけられなければならない。
 ところが毛沢東は、安保闘争当時、樺美智子を「日本の民族的英雄」とたたえる談話を発表したことがある(一九六〇年六月二十五日「人民日報」)。もちろんわが党は、この誤った評価をおこなった毛沢東談話をアカハタに報道せず、その年の末モスクワでの共産党・労働者党代表者会議の帰途、袴田幹部会員を団長とするわが党代表団が中国に立ちよったさい、中国共産党指導部にトロツキストの挑発的戦術が樺美智子を死にいたらしめた経過を明確に説明し、毛沢東談話の誤りを指摘した。中国側も自分たちは十分事実を知らなかったとのべて、この説明をうけいれ、一九六一年六月、わが党の国会議員代表団が、中国を訪問したさいには、毛沢東自身が、自分が樺美智子を「民族の英雄」とよんだのはあやまりであったと、率直にのべた。さらに、一九六二年の中国共産党中央理論機関誌『紅旗』第二〇号に発表された論文、張香山「日本人民の闘争と日本共産党」は、安保闘争でのトロツキストの挑発的役割を、つぎのように基本的に正しく指摘していた。

 「日本のトロツキストはアメリカ帝国主義にまったく反対しない。かれらは『日米安保条約』反対闘争のなかで、反米のスローガンをうちださず、アメリカにたいする抗議やデモなどの反米行動をとることを拒否すると同時に、『武装ほう起をおこせ』、『岸政府の打倒は社会主義革命を実行する突破口』等々、表面的には極左的なスローガンを口にし、実際上ではアメリカ帝国主義にたいする闘争から大衆をそらして、アメリカ帝国主義のために犬馬の労をとろうとした」

 それにもかかわらず毛沢東一派は、いったん自分たちがその誤りをみとめて訂正したかつての誤った見解を、今日にわかに復活させ、わが党攻撃に利用しているのである。
 しかも毛沢東一派による最近のこのようなトロツキスト礼賛は、たんに過去の安保闘争の問題だけにとどまるものではない。今日でもトロツキスト集団は、「日韓会談」粉砕闘争においても、ベトナム侵略反対闘争においても、砂川基地拡張反対闘争においても、人民の闘争が大きく前進するとき、かならず姿をあらわして行動の統一をかく乱し、例外なく暴力的挑発をおこない、もっとも悪質な反共反革命の暴力集団としての役割をはたしつづけているが、毛沢東ら中国共産党の極左日和見主義集団は、トロツキスト集団の今日の反共、挑発活動をも「真の革命派」の活動としてほめたたえ、さらにかれらと手をむすんで、わが党とわが国の民主運動にたいする破壊活動をおしすすめている。日中友好協会本部にたいする暴力的襲撃は、「社会主義学生同盟マルクス・レーニン主義派」と名のるトロツキスト集団との協力のもとにおこなわれたものであった。砂川基地拡張反対闘争においても、毛沢東一派は、トロツキストを「敵と真に闘争をくりひろげている人びと」として礼賛的に報道した(七月九日、新華社通信)。これらは、毛沢東一派が、反革命挑発集団としてのトロツキストと、理論的にも実践的にも野合しつつあることをしめしている。
 このように、毛沢東一派が、トロツキスト集団を日本における「真の革命派」としてたたえ、これと手をむすびはじめたことは、西沢隆二らわが党にたいする卑劣な裏切者を「真のマルクス・レーニン主義者」としてたたえてきたこととともに、中国共産党の極左日和見主義集団の政治的本質とわが党への攻撃の反革命的性格をむきだしにあらわしたものにほかならない。
 以上に事実を指摘したように、中国共産党の毛沢東一派は、わが党の綱領の路線に全面的攻撃をくわえ、かれらの「暴力革命唯一論」や「人民戦争万能論」などの極左冒険主義的理論と戦術を日本の革命運動におしつけ、それをうけいれないわが日本共産党を「修正主義」「反革命」と規定して、その「転覆」と「打倒」を呼号し、ひとにぎりの西沢隆二ら反党対外盲従集団やトロツキスト挑発集団を「真の革命派」として支持、激励している。一部の人びとにとっては、あの偉大な中国革命のなかで指導的役割をはたした毛沢東が、ついこのあいだまで親密な兄弟党として戦闘的連帯を強化していた日本共産党にたいし、社会主義国家の権力までも悪用してこのような背信的策謀を本気で実行しているとは、とうてい信じられないことであるかもしれない。しかし、これらの人びとがかつての毛沢東にたいしていだいていた信頼がどんなに深いものであっても、それだけで、厳として存在する今日の事実をうち消すことはできないことである。すべての事実は、疑問の余地なく、今日の毛沢東一派がマルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義をまっとうから裏切り、日中両党間の長期にわたる友宜をふみにじって、日本共産党と日本の革命運動、民主運動にたいして、ゆるすことのできないもっとも悪質な攻撃恥知らずな干渉、凶暴きわまりない破壊活動を組織的、計画的におしすすめていることをしめしている。このような攻撃、干渉、破壊活動から、日本の革命運動と民主運動を防衛することは、前衛党としてのわが党が日本人民にたいして負っている重要な責任であり、義務である。わが党は日本の革命運動に責任を負う党として、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義にもとづく自主独立の立場から、毛沢東一派の反革命破壊活動を断固として批判し、粉砕するという厳粛な任務に直面しているのである。

  (2)中国共産党の私物化をめざす毛沢東一派

 中国共産党の極左日和見主義集団は、このようにわが党にたいして反革命的破壊活動を凶暴におしすすめながら、その反人民的、反階級的本質をごまかすために、反党対外盲従分子西沢隆二らや志田重男一派らが「宮本路線」とか「宮本一派」とかいうことばでわが党を攻撃しているのをまねして、わが党を「宮本修正主義集団」などとよび、かれらが日本共産党にたいして破壊活動をおこなっているのではなく、ただ特定の個人的な集団や個人的な路線を攻撃しているにすぎないかのようにみせかけようとしている。
 わが党があたかも特定の個人を中心とする集団であるかのようにいうこのような呼称は、作為のみえすいた、なんの根拠もない中傷である。国内問題についての政策にせよ、国際路線の問題にせよ、わが党中央が主張し実行している路線は、党大会や中央委員会で決定された基本方針にもとづくものである。わが党では、第七回党大会(一九五八年)以後、大会、中央委員会は、すべて規約にもとづいて定期的に開催され、民主的に運営されているし、党の路線は、大会、中央委員会で決定され、中央委員会でえらばれた幹部会の集団指導で具体化されている。そして、第八回党大会での綱領の採択をはじめ、第八回、第九回、第十回党大会の諸決定は、すべて全員一致で採択され、全党の活動の指針となっているのである。そこにはいかなる個人の名を冠すべき集団の独裁もなければ、個人崇拝もなく、党大会できめられた党の公式の政策とは別個の「路線」も存在しない。いくら中国共産党の極左日和見主義分子が「ひとにぎりの修正主義分子」や「宮本集団」の「修正主義路線」についてさわぎたてて、日本共産党そのものにたいする正面からの敵対的な攻撃をごまかそうとしても、それはむだなこころみだといわなければならない。かれらが「宮本集団」の「修正主義路線」などとののしっているものが、実は党綱領にもとづくわが党の路線全体にほかならず、かれらの不当な攻撃と破壊活動の的となっているのが党中央委員会のもとにかく団結した日本共産党の全隊列であることは、あらためて論証するまでもなく明白である。
 だが党中央を名のってはいても、党の正規な指導機関である大会や中央委員会が、規約を無視して長期にわたってひらかれず、特定の指導者やこれを中心とする一部の「分子」や「集団」の主張や方針が党大会や中央委員会の決定の上におかれ、党の集団指導や民主主義的中央集権制の組織原則が破壊されているようなところでは、その党の名や党中央の名で発表される見解であっても、それが党大会できめられた党の公式の路線にもとづくものであるか、それとも党の公式路線とは区別すべき、一部の「分子」あるいは一部の「集団」の指導や政策にほかならないかを問題にすることができるし、またその必要がある。
 今日の中国共産党におこっているのは、まさに、こうした特定の個人を中心とする一部の集団による党の私物化と支配の典型である。一九五六年の第八回党大会で採択された中国共産党の規約によれば、党の最高機関である党の全国大会は、五年の任期ごとに改選され、任期中は毎年一回会議をひらくことになっている。ところが、一九五六年の第八回党大会以来今日までに十一年もたっており、規約によれば、第八回党大会の任期は六年も前に満了しており、第九回党大会および第十回党大会が招集されていなければならないにもかかわらず、新しい党大会の招集は、この期間にまったくおこなわれなかった。また、第八回党大会の会議にしても、毎年一回招集という規約の規定に反して、一九五六年九月に第一回会議が、一九五八年五月に第二回会議がひらかれて以後は、今日まで九年にわたって一度もひらかれていない。しかも、いまでは、党大会が決定した路線の変更は、大会の決定によらなければならないにもかかわらず、この第八回党大会の報告や決定は、毛沢東一派によって、中央委員会を代表した報告者であった劉少奇、鄧小平らにたいする攻撃のなかで、事実上、「フルシチョフ修正主義の中国版」、「ブルジョア反動路線」などとされて、ほとんど全面的に否定されるにいたっている。
 また、党大会の閉会期間中の最高の指導機関である党中央委員会は、中国共産党の規約によれば、五年を任期とし、毎年すくなくとも二回ひらかれることになっている。ところが、実際には、この規定がほぼまもられてきたのは、一九五九年八月の第八回中央委員会総会までのことで、それ以後は、中央委員会総会は一九六一年一月第九回総会、一九六二年九月第十回総会、一九六六年八月第十一回総会というように、きわめて露骨に規約が無視され、はなはだしい場合は数年ぶりにしかひらかれず、国内、国際問題のうえでの最高決定は、活動者会議など正規の党中央委員会とは別の会議で、毛沢東を中心としておこなわれることが多くなってきた。とくに、いわゆる「プロレタリア文化大革命」のなかで、四年ぶりにひらかれた昨年八月の第十一回中央委員会総会は、従来の慣例をやぶって、中央委員、中央委員候補が何人参加したかも公表されず、しかも、コミュニケによってもわかるように、中央、地方の党機関の党員ばかりか「首都の大学、高等専門学校の革命的教員・学生の代表」、つまりいわば「紅衛兵」の代表まで列席しておこなわれるという、きわめて不正常な会議であった(「中国共産党第十一回中央委員会総会の公報」)。そして、この中央委員会総会以後は、毛沢東を中心とする一部の集団による、多数の中央委員をふくむ党幹部と党組織への攻撃が全面化し、中央委員会をはじめ規約にもとづく党の集団指導は事実上解体状態におかれ、それは、毛沢東ら一部の集団による「指導」に、事実上おきかえられている。そしで、最大限に神格化された毛沢東個人の「思想」や言動が、党の大会や中央委員会の決定のうえにおかれ、かれの片言隻句に忠実であるか、どうかが、唯一の最高の基準とされていることも、すでに周知のことである。さらに、毛沢東の「指導」集団は、党規律を無条件にまもることを「奴隷(どれい)主義」として否認しながら、同時に毛沢東への無条件的服従を暴力で強制し、こうして、党規律を、毛沢東ら一部の集団への奴隷的「忠誠」におきかえている。そしてかれらは、自分たちへの「造反」はきびしく禁圧しつつ、自分たちに盲従しない党組織を解体し党規律を破壊する「造反」闘争をあおり、これらの党委員会や人民委員会からいっさいの権限をうばう「奪権」闘争なるものを、みずからにぎる解放軍などの軍事力を背景に、新聞、ラジオなどの宣伝機関を私物化しつつ全国的な規模でおしすすめ、党の解体状態を全国的におしひろげるにいたった。これこそまさに、毛沢東らの極左日和見主義集団による党の私物化のくわだて以外のなにものでもない。
 このように、すべての事実は、昨年来の「プロレタリア文化大革命」なるものの過程で、中国共産党の正規の指導体制が破壊され、マルクス・レーニン主義党の組織原則を全面的にふみにじって、神格化された毛沢東を中心とする極左日和見主義集団が、中国共産党の私物化をつよめてきたことをしめしている。わが党とわが国の民主運動にたいする、不当な攻撃と干渉、ゆるすことのできない破壊活動も、主としてこの毛沢東一派がおしすすめてきたものである。
このような状態のもとでは、たとえ『人民日報』その他に中国共産党中央の名で発表される主張や見解であっても、われわれが、それを中国共産党の正規の中央委員会の主張や見解と同一視することができないのは、当然である。わが党が、中国側からの昨年来の不当な干渉と攻撃に直面して、これを「中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子」あるいは「中国共産党の一部指導集団」の攻撃と特徴づけ、いま「毛沢東一派」の党支配と私物化を問題にするのは、中国共産党内部におこっている、このような異常な反マルクス・レーニン主義的な事態の科学的、具体的な分析にもとづくものである。
 このように、一部の集団による党の支配と私物化をめざして党組織の解体まで強行してきた毛沢東一派が、こつけいにも、民主主義的中央集権制と集団指導を一貫して堅持しているわが党にたいして、「宮本修正主義集団」などといって非難をあえてしているのである。これは、まことに笑止のさたといわなければならない。

  (3)マルクス・レーニン主義の原則を擁護し、国際共産主義運動の団結をかちとるために

 わが党が、毛沢東一派を名ざしで公然と批判せざるをえなくなったもう一つの重大な理由は、わが党とわが国の民主運動にたいするかれらの破壊活動が、ますます凶暴化してきたこととともに、毛沢東一派が、毛沢東を途方もなく神格化して、「毛沢東思想はマルクス・レーニン主義の最高峰である」などと称し、マルクス・レーニン主義の原則のゆるすことのできないわい曲と破壊を国際共産主義運動にますます乱暴におしつけるとともに、国際共産主義運動の公然たる分裂をめざしてきたことにある。
 中国共産党は、フルシチョフを中心とする現代修正主義との闘争で、とくにその初期には一定の重要な役割をはたしたが、毛沢東一派はその過程で、アメリカ帝国主義に反対する国際的な反帝闘争、世界人民の解放闘争の大局的利益からきりはなして、「反修正主義闘争」を自己目的化する誤りにおちいり、さらに自分たちの役割にたいする尊大な思いあがりから、ごう慢にも毛沢東をマルクスやレーニンにも匹敵する、ときにはそれ以上の天才と称して、国際共産主義運動の「最高指導者」の座につかせようとし、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義を足げにした、もっとも露骨な極左日和見主義、大国的排外主義、分裂主義の策謀をおしすすめるにいたった。
 かれらは、ソ連共産党をアメリカ帝国主義と同列の敵とみなし、ソ連共産党を組織的に排除した「反米国際統一戦線」なるものを提唱して、アメリカ帝国主義の凶暴なベトナム侵略に反対する反帝民主勢力の国際共同行動を分裂させ、アメリカ帝国主義をよろこばせている。
 かれらは、中国革命の特殊な経験を不当に一般化した「人民戦争万能論」、「暴力革命唯一論」などの極左冒険主義的戦術を全世界におしひろめようとし、「毛沢東思想」の絶対化とともに、これらを各国の革命運動、民族解放運動に大国主義的におしつけ、各国人民の革命闘争に重大な損害をあたえている。
 かれらは、そのおしつけをうけいれないすべての党を「修正主義」「アメリカ帝国主義の共犯者」と攻撃し、「造反有理」(むほんには道理がある)という無政府主義、解党主義の旗をおしたてて、他国の共産党の内部問題に干渉し、雑多な反党分子、トロツキストの反党活動を支持、激励して、他国の革命運動にたいするかく乱、破壊活動をすすめている。
 かれらは、ソ連をはじめいくつかの社会主義国はすでに資本主義国家に変質したと称して、これら諸国の「ファッショ的独裁」の打倒などという、社会主義国家の打倒を目標とするトロツキスト的、反革命的スローガンをかかげ、これら一連の社会主義国家の党と政府の転覆を公然と唱導している。
 かれらは、「一は分かれて二となる」、「今日は大変動、大分化、大再編の時代である」などという分裂主義のスローガンをかかげて、国際共産主義運動を公然と分裂させ、毛沢東一派の支配下におこうとしている。
 これらすべての毛沢東一派の主張と実践は、毛沢東の最近の路線が「現代のマルクス・レーニン主義の最高峰」であるどころか、反対にマルクス・レーニン主義とは縁もゆかりもないものであり、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義にまっこうから敵対するものであることを、きわめて明白に証明している。われわれは、プロレタリア国際主義をまもり、国際共産主義運動の団結をまもる立場から、すでに反マルクスレーニン主義集団として、国際共産主義運動のもっとも有害なかく乱者になりはてている毛沢東一派の極左日和見主義、大国排外主義、分裂主義の路線と行動にたいして断固として闘争し、これを粉砕して、すべての反帝民主勢力の国際的団結と国際共産主義運動の真の団結をかちとらなければならない。
 この闘争は、「左」右のいっさいの日和見主義、修正主義に反対して、マルクス・レーニン主義の原則を擁護する闘争と、かたく結びついている。
 わが党は、すでにのべたように、この十年間、国際的にはスターリン批判とハンガリー反革命事件などの複雑な事態に正しく対処し、国内的には一九五〇年の党の分裂と分裂した党の一部における極左日和見主義の誤りを克服し、綱領をかちとり、日本人民の解放闘争の先頭にたって奮闘してきた。そして、フルシチョフらの現代修正主義の国際的潮流およびそれに追随する反党修正主義者たちが、マルクス・レーニン主義の諸原則を右から修正し、国際共産主義運動全体をアメリカ帝国主義との闘争を回避する路線にひきこもうとしたことにたいして非妥協的な思想、理論闘争をおこない、世界の人民を解放する唯一の科学的理論としてのマルクス・レーニン主義の学説をまもりぬいてきた。そして、この現代修正主義の潮流とその日和見主義、大国主義、分裂主義の路線がまだ最後的に克服されないうちに、それとの国際的闘争の過程で発生した毛沢東らの教条主義、セクト主義、極左日和見主義の潮流が急速に成長し、いまあらたに「左」からの修正主義にまで成長したこの潮流にたいして、マルクス・レーニン主義の原則をまもりぬく思想、理論闘争がいよいよ重要になってきているのである。
 フルシチョフら現代修正主義の国際的潮流と、それに追随した春日庄次郎、志賀義雄ら反党修正主義分子は、核ミサイル兵器の出現による熱核戦争の脅威や国際情勢の根本的変化など、「マルクスもレーニンも知らなかった」新しい情勢なるものを口実にして、帝国主義、戦争と平和、国家と革命などにかんするマルクス・レーニン主義の基本理論を、右から日和見主義的にわい曲しようとした。これにたいして、毛沢東一派とそれに追随するわが国の反党教条主義分子は、ソ連における「ブルジョア独裁と資本主義の復活」など、「マルクスもレーニンも予測しなかった」事態なるものを口実にして、前衛党の組織原則、革命の戦略戦術、反帝国際統一戦線、プロレタリアートの独裁、社会主義のもとでの階級闘争、マルクス・レーニン主義党の国際的団結などにかんするマルクス・レーニン主義の基本理論を「左」からわい曲してきた。
 そして、フルシチョフ修正主義反対の旗をかかげた毛沢東一派の教条主義、セクト主義、極左日和見主義路線のもっとも大きな特徴は、フルシチョフ修正主義がスターリン個人崇拝という重大な誤りの克服の過程をひとつの条件として生まれた右翼日和見主義であったのにたいして、これが毛沢東にたいする常軌を逸した個人崇拝、その神格化とむすびついた極左日和見主義である点にある。
 わが国においては、フルシチョフ修正主義にたいする闘争は、同時に一部のマルクス・レーニン主義者のあいだに存在していたソ連にたいする事大主義的傾向にたいする闘争とむすびついていた。それ以上に、毛沢東一派の極左日和見主義との闘争は、中国にたいする事大主義、なかんずく毛沢東にたいする個人崇拝、その神格化、無条件的盲従の傾向との闘争とむすびついている。日本と中国との歴史的な関係にくわえて、日本帝国主義の犯罪的な中国侵略戦争の敗北ののち、中国共産党の指導のもとで中国人民がかちとった中国革命の偉大な勝利が日本人民に大きな影響をあたえてきたわが国では、一部のマルクス・レーニン主義者や知識人のあいだに、中国共産党の指導者毛沢東の過去の著作にたいするしばしば過大なまでの評価と尊敬がつちかわれてきている。これらのことからいえば、中国、とくに毛沢東にたいする事大主義的崇拝との闘争は、ソ連にたいする事大主義の克服以上の努力が必要とされ、今日の毛沢東の極左日和見主義との思想、理論闘争は、わが国のマルクス・レーニン主義の強化と前進にとって、現代修正主義との闘争に匹敵する、あるいはそれ以上に重要な意義をもつ闘争とならざるをえないであろう。
 事実、昨年来、「毛沢東思想」と「中国のプロレタリア文化大革命」の研究と評価は、あたかもわが国の思想、理論分野における最大の問題であるかのような位置をあたえられ、商業新聞をはじめ、総合雑誌は膨大な数の記事や論文を掲載しつづけてきたし、すでに「文化大革命」にかんする多くの単行本も出版されている。そして注目すべきことは、わが国のブルジョア・ジャーナリズムに発表されているこれらの記事や論文、著作のなかには、一方で、今日の中国の異常な事態をマルクス・レーニン主義と社会主義の事業の必然的な所産とみなして、これを日本共産党とマルクス・レーニン主義への攻撃の材料とするむきだしの反共主義の論調が展開されているとともに、他方では、毛沢東と「文化大革命」にたいする同調と事大主義的礼賛の態度もまたみられることである。
 これにはいろいろの原因があるが、第一に指摘されることは、中国と中国人民にたいするこれまでの親近感や毛沢東とその思想、理論にたいする過大な評価などをひとつの背景として、毛沢東一派が表看板にかかげている「思想革命」、「人間改造」、「大民主」、「資本主義の復活防止」などのスローガンに幻惑され、「プロレタリア文化大革命」の本質、実態を事実にもとづいてきわめようとしない傾向が一部の知識人のあいだにあることである。
 また、米日反動勢力の中国敵視政策に反対して、日中国交回復をかちとり、日中両国人民の友好を発展させ、中国革命を擁護する課題が重要だということから、中国革命の諸経験や毛沢東の理論と思想にたいする自主的、批判的態度を確立する問題があいまいにされ、逆に中国での事態や毛沢東の言動のすべてを無条件に正当視するような事大主義的傾向が、中国研究をはじめとするわが国の民主的思想、理論戦線の一部に根づよくはびこってきたことも、ひとつの要因として指摘されなければならない。
 さらに資本家団体や貿易関係者の一部にみられる「毛沢東崇拝」や「文化大革命」礼賛への盲従の傾向には、もうけのためには手段をえらばず、無法な大国主義的強要にも迎合する無節操な打算がつよく反映されていることを、見のがすことはできない。
 これらの、「文化大革命」礼賛論が、民主勢力の一部にあるさまざまのブルジョア的、小ブルジョア的反共主義とむすびついていることも重視しなければならない点のひとつである。かれらは最近の毛沢東の路線と「プロレタリア文化大革命」なるものの反マルクス・レーニン主義的本質を敏感にとらえ、とくに毛沢東一派が日本における唯一の前衛党としてのわが日本共産党にたいする攻撃と破壊活動を強化してきたことを歓迎し、「文化大革命」を「マルクス・レーニン主義の破たん」のあらわれとして期待しつつ、毛沢東らにならって、「既成のマルクス・レーニン主義」に疑問と批判を提出し、前衛党にたいする非党員「紅衛兵」の「むほん」に賛成したり、日本共産党が「路線転換」をしたとか「反中国」になったとかいって批判したりするなどなどのかたちで、共通してマルクス・レーニン主義とそれを堅持するわが党にたいする攻撃をおこなっている。最近では、雑誌『現代の理論』などにみるように、一部の反党修正主義者までが「文化大革命」礼賛とそれによるわが党攻撃にくわわっている。
 そして西沢隆二、安斎庫治、岩村三千夫ら反党対外盲従分子や黒田寿男ら日中友好運動内部に発生した盲従分子は、これらの傾向をも利用し、またわが党が、日中両党間の関係の悪化をふせぎ団結の回復をのぞむ立場から、これまで今日の「毛沢東思想」や「文化大革命」そのものにかんするマルクス・レーニン主義的批判を明確に公表することをひかえてきたことにつけこんで、「毛沢東思想」と「文化大革命」にたいする礼賛論を熱心に宣伝してわが党に攻撃を集中してきたのである。
 こうした事態のもとで、毛沢東らにたいする事大主義的崇拝の克服とむすびついた、マルクス・レーニン主義の原則の擁護は、わが党のもっとも重要な思想的、理論的課題の一つとなっている。とくに毛沢東一派が「毛沢東思想」の絶対化と「文化大革命」の礼賛を日本人民におしつけつつ、わが党にたいする敵対的態度をつとめ、その礼賛をうけいれずにマルクス・レーニン主義の原則と自主的、批判的態度を堅持するわが党の「打倒」を公然とよびかけたことは、現在の毛沢東の言動と「プロレタリア文化大革命」の評価が、このマルクス・レーニン主義の原則をまもりぬく思想、理論闘争において、すでに放置することをゆるさない課題となったことを意味している。
 以上あきらかにしたように、毛沢東一派の極左日和見主義の理論と実践にたいして闘争し、反マルクス・レーニン主義集団としての毛沢東一派の本質を日本人民の前に解明することは、第一に、日本の革命運動と民主運動の自主性をまもりぬくためにも、第二に、マルクス・レーニン主義の学説の正しさを擁護するためにも、第三に、すべての反帝民主勢力の国際的団結と国際共産主義運動の真の団結をかちとるためにも、今日、日本共産党がはたさなければならないもっとも切迫した、もっとも重大な任務のひとつなのである。

  二 いわゆる「プロレタリア文化大革命」の実態と本質

 まず、中国でおこっている「プロレタリア文化大革命」なるものの問題をとりあげよう。この「プロレタリア文化大革命」は、たんに中国の国内問題にとどまるものではない。
 第一に、毛沢東一派の極左日和見主義集団は、この「プロレタリア文化大革命」を、「国際共産主義運動の歴史に新しい紀元をきりひらいた」、「全世界のプロレタリアートに新しい偉大な手本をうちたてるもの」(一九六七年一月一日、「人民日報」・『紅旗』社説「プロレタリア文化大革命を最後までおしすすめよう」)と自画自賛し、この「史上に前例のないプロレタリア文化大革命をおこなったこと」こそ「毛沢東同志の国際プロレタリアートにたいする理論と実践の面からの最大の貢献である」(一九六七年五月十七日、『紅旗』編集部・『人民日報』編集部「偉大な歴史的文献」)などと主張して、その礼賛を当然のものとして国際的におしつけてきた。わが国の対外盲従分子も、これに当然のものとして迎合して、「プロレタリア文化大革命」にたいする歯の浮くような賛辞をきそいあっている。

 「文化大革命は、人類の歴史はじまって以来、いちばん大きな意義をもった革命です」(西沢隆二「文化大革命と紅衛兵」、『毛沢東思想研究』一九六七年三月号)
 「中国のプロレタリア文化大革命の勝利的発展は、十月社会主義革命の道の、いまだ誰(だれ)もきりひらいたことのない新たな発展段階への突入である」「プロレタリア文化大革命の先人未踏の大偉業は、マルクス・レーニン主義の現代における最高の理論の全面的な適用・具体化とその全面的な発展を内容としており、われわれは、この偉大な成果から深く系統的に学ばねばならない」(「長周新聞」一派の機関誌『革命戦士』編集部、一九六七年三月)

 毛沢東一派は、北京在住の反党分子らに「プロレタリア文化大革命」を礼賛してわが党を攻撃した文書を書かせ、これを『人民日報』などに発表して、わが党攻撃の武器としてきた。たとえば、ハノイ駐在の「赤旗」特派員としての任務を放棄してわが党から除名された反党暴力分子井出潤一郎は、『人民日報』一九六七年三月二十日付に掲載された「中国の文化大革命は世界歴史の新しい紀元を切りひらいた」のなかで、「プロレタリア文化大革命」は、第一に、「日本の革命的人民」に「毛沢東思想のみが米日反動派をうち倒し、自己を解放する、ただ一つの思想的武器である」ことを知らせ、第二に、「紅衛兵、小勇将たちの造反精神」によって、「日本の革命的人民」の「日共修正主義分子との闘争」をはげまし、第三に、日本人民に、「毛沢東のさし示す道のみが共産主義における道であること」を知らせた、などと書いて、「日本の革命的人民」に、「毛沢東思想」と「プロレタリア文化大革命」の道なるものを、おしつけようとしている。
 第二に、いっそう重要なことは、この「プロレタリア文化大革命」が、毛沢東一派の極左日和見主義、大国主義の対外路線ときりはなしがたくむすびついて、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する国際的な反帝闘争にも影響をおよぼす、重大な国際問題となっていることである。

 「プロレタリア文化大革命」は、「反米ソの統一戦線」という国際的な分裂主義の路線と不可分にむすびついている。そのことは、一九六六年八月の中国共産党第十一回中央委員会総会が、その決議で「プロレタリア文化大革命」の目的の一つが、「アメリカ帝国主義とその共犯者の奇襲攻撃」の防止、つまり米ソ両国の奇襲攻撃の危険への反撃にあるとして、ソ連修正主義指導グループを、国際統一戦線から排除する「反米反ソ統一戦線」の方針を、「プロレタリア文化大革命」の対外路線として公式に宣言したことからもあきらかである。(「中国共産党第十一回中央委員会総会の公報」)

 第三に、毛沢東の絶対化を至上命令とする「プロレタリア文化大革命」が、同じ「毛沢東思想」の旗のもとに、毛沢東一派の路線への無条件追従を国際的に強要する極端な大国的排外主義と、一体となってすすめられてきたことは、すでにかくれもない事実である。毛沢東一派の大国的排外主義は、自分たちに無条件で追従しない外国の共産党と民主勢力にたいし、テロとデマ宣伝、転覆活動をはじめ、いかなる下劣な手段もいとわずに、破壊的な攻撃をくわえるという、もっとも凶暴な文字通り常軌を逸した狂態にまで達しているが、このような大国的排外主義の異常な進行は、「プロレタリア文化大革命」の名のもとに展開されてきた中国国内の異常な事態ときりはなすことができないように直接にむすびついている。それは、「プロレタリア文化大革命」なるものをおしすすめる道具として、毛沢東一派が組織し、指導している「紅衛兵」が、同時に、わが党にたいする凶暴な攻撃の道具となり、狂信的な大国的排外主義の先兵となっていることひとつをとっても明白である。
 このように、毛沢東一派とこれに迎合する反党対外盲従分子が、中国の「プロレタリア文化大革命」の礼賛を国際的におしつけ、また、これが日本の革命運動にとっても、世界人民の反帝闘争にとっても重大な否定的影響をおよぼす国際的性格をもって展開されてきている以上、その実態と本質を、マルクス・レーニン主義にもとづいて究明し、日本人民の前にあきらかにすることは、いまや、日本人民の解放闘争と国際共産主義運動に自主的な責任を負っているマルクス・レーニン主義党としての、わが党の当然の責務となっているといわなければならない。

  (1)「プロレタリア文化大革命」は、マルクス・レーニン主義の文化革命とは無縁のものである

 この「プロレタリア文化大革命」なるものの実態はどういうものだろうか。
 中国でおこなわれている「プロレタリア文化大革命」なるもののすべての現実は、さきに指摘したような毛沢東一派や対外盲従分子の絶賛のことばが、なんの科学的な根拠ももたないから文句であり、社会主義中国に重大な損害をあたえつつある「文化大革命」の反マルクス・レーニン主義的な実態をおおいかくすものでしかないことを証明している。
 いうまでもなく、一般に、社会主義革命と社会主義建設をおしすすめるための闘争において、政治革命、経済革命とともに、文化革命はきわめて重要な意義をもつものである。
 マルクス・レーニン主義は、マルクス、エンゲルス以来、思想、文化の分野での闘争を、政治闘争、経済闘争とならぶ階級闘争の「三つの側面」(エンゲルス)の一つとして、一貫して重視してきた。わが党も、マルクス・レーニン主義のこの見地を堅持して、米日反動勢力の反動的な思想・文化攻勢を打破し、日本文化の民族的、民主的発展とその中核となる労働者階級の革命的民主主義的文化の建設の課題を遂行するために、奮闘している。

 「政治闘争、経済闘争とともに、階級闘争の重要な分野である思想・理論闘争の重要性は、今日とくにきわだっている。われわれは、高度に発達した資本主義国としてのわが国の実情にあった、ますます正確でち密な説得力のある思想・理論闘争を組織し、民族民主統一戦線を結成する思想的、理論的土台を、ひろく大衆のなかにきずきあげなければならない」
 「われわれは外国の進歩的、革命的な文化をひきつづき自主的に学ぶと同時に、わが国の一部の知識層のあいだにつよい外国崇拝や事大主義の傾向に反対し、日本文化のなかの価値ある遺産を正しくうけつぎ、革命的民主主義的文学、芸術の創造をふくむ新しい人民的な文化の建設に努力しなければならない」(第十回党大会にたいする中央委員会の報告)

 とくに、労働者階級が、ブルジョアジーの権力をたおして、社会主義の権力をうちたてたのちには、この権力を内外の敵から防衛する任務や古い資本主義経済を打破して新しい社会主義経済を建設する経済革命の任務とともに、古い反動的な思想、文化とたたかって新しい社会主義の思想、文化を建設する文化革命が、社会主義、共産主義のための闘争の重要な任務になってくる。レーニンによれば、この文化革命は、「資本主義の蓄積した……文化と知識と技術のたくわえの総体を、資本主義の武器から社会主義の武器に変え」(「国民経済会議第一回大会における演説」、全集二十七巻四二六~四二七ページ)、人民大衆の教育と文化の水準を飛躍的に高めること、ブルジョアジーの「思想的なもっとも強力な反抗」を克服し、「古い制度から遺産としてわれわれにのこされた古い習慣、古いならわし、大衆のなかに徹頭徹尾しみこんでいる所有者的なならわしと習慣を克服する」こと(「県および郡国民教育部政治教育課全ロシア会議での演説」、全集三十一巻三七三、三六七ページ)、「人類の思想と文化の発展における価値あるもののすべてを摂取し、加工し」、つくりかえることによって、新しいプロレタリア文化を建設すること(「プロレタリア文化について」、全集三十一巻三一六ページ)など、多面的な任務をふくむものであり、それは社会主義の事業の成否を左右するといってもよいほど、きわめて重大な任務をになうものである。
 レーニンは、とくに、文化革命と新しい「プロレタリア文化」についての幼稚な、観念的、極左的傾向をきびしくいましめて、人類が過去においてきずきあげたすべての価値ある文化を批判的に摂取し、それを改造し、合法則的に発展させることを、文化革命の基本的な内容として、一貫して強調した。

 「人類の全発展によってつくりだされた文化についての正確な知識をもたなければ、それをつくりかえなければ、プロレタリア文化の建設は不可能だということを、はっきりと理解しないかぎり、われわれはこの任務を解決することはできない。……プロレタリア文化は、人類が資本主義社会、地主社会、官僚社会の圧制のもとでつくりあげた知識のたくわえを合法則的に発展させたものでなければならない」(レーニン「青年同盟の任務」、全集三十一巻二八三~二八四ページ)。

 もちろん、文化革命の具体的な内容や形態は、その国の民族的、歴史的な条件によって大きく異なってくるが、その基本的な方向、任務は、社会主義革命を実行するすべての国に共通のものである。
 一九五七年の共産党・労働者党代表者会議の宣言も、「イデオロギーと文化の分野で社会主義革命を実現し、労働者階級、勤労人民、社会主義の事業に献身する多数のインテリゲンチアをつくりだすこと」を、すべての国に共通する社会主義革命と社会主義建設の普遍的原則のひとつとして指摘している。
 しかし、いま、中国で「プロレタリア文化大革命」名のもとにおこなわれている事態は、マルクス・レーニン主義が、一貫してその重要性を強調してきた右のような文化革命とは、本質的にまったくなんの共通点もない別のものである。
 まず、指摘しなければならないのは、一昨年後半に毛沢東がみずからおこしたというこの「プロレタリア文化大革命」なるものは、けっして思想、文化の分野での社会主義革命を主要な内容とするものではないということである。
 たしかに、この「革命」の初期の段階には、呉略(ごがん)の歴史劇の批判など一時的に、思想・文化の問題が前面におしだされたこともあった。また、昨年八月の中国共産党第八期中央委員会十一回総会の「プロレタリア文化大革命についての決定」では、「今回の運動の主要な対象は、資本主義の道を歩む党内の実権派である」とのべながらも、同時に「搾取階級の旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣」とたたかい、「プロレタリアート自身の新思想、新文化、新風俗、新習慣によって社会全体の精神的様相を改め」ることを、この「革命」の、すくなくとも主要な任務のひとつとして規定していた。しかし、今日では、この「文化大革命」なるものが、思想、文化の分野の「革命」を主として意味するものでなく、その主要な内容が、ある政治勢力━毛沢東一派が「資本主義の道を歩む党内の実権派」とよんでいる―を粉砕し、党と国家の機関から追放することをめざす政治的闘争にあり、初期の「文化革命」は、この政治闘争の思想準備にすぎなかったことは、中国側の公式の文献自身がみずから強調していることである。

 「江青同志の直接の指導のもとに、姚文元同志は『新作歴史劇〝海瑞の免官〟を評す』を書いた。この論文の発表によって、イデオロギーの分野で、呉略やその他の反党・反社会主義のブルジョアジーの代表者にたいする批判がくりひろげられた。わが国のプロレタリア文化大革命の大衆運動はこのときから世論準備の段階にはいったのである」(『紅旗』一九六七年第九号社説、「根本的に対立する二つの文献」)
 「プロレタリア文化大革命は、最初から権力奪取の闘争である。この文化大革命は、幾億万の大衆がみずか立ちあがって、みずからを解放し、資本主義の道を歩む党内のひとにぎりの実権派から権力を奪うことである」(『人民日報』一九六七年一月二十二日付社説、「プロレタリア革命派は大連合して資本主義の道を歩む実権派の権力をうばおう!」)

 さらに重要なことは、この「プロレタリア文化大革命」のなかで、新しい社会主義の思想・文化や習慣がうちたてられるどころか、社会主義とは無縁な反動的反民主主義的な思想、ブルジョア民主主義以前の封建的な要素さえもが復活、再生され、むしろ助長され、広範に再生産されていることである。
 たとえば、「紅衛兵」や「造反派」は、昨年来、毛沢東一派が「反党反社会主義分子」として糾弾する党や政府の幹部にたいして、マルクス・レーニン主義的な批判と自己批判の方法はおろか、最低限の民主主義的な方法はもちろん、社会主義国の法律さえふみにじって三角帽子をかぶせてひきまわしたうえ、集団的なテロと拷問をくわえるなど、さまざまな蛮行をおこなってきた。こうしたやり方は、社会主義やマルクス・レーニン主義と無縁だというだけではなく、まさに、中世的封建的社会あるいは奴隷社会の支配者に固有な蛮行を復活させたものにほかならず、「無知と非文化、野蛮と粗野という遺産を克服する」(レーニン「校外教育第一回全ロシア大会における祝辞」、全集二十九巻三三二ページ)ことを重大な任務のひとつとする文化革命の基本方向に、まっこうから逆行するものである。昨年夏、「紅衛兵」たちが毛沢東一派の指揮のもとにその活動を開始したとき、毛沢東一派は、これを「四旧」(旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣)を一掃し、「四新」(新思想、新文化、新風俗、新習慣)をうちたてる「革命的行動」として、大いにほめたたえたが、「紅衛兵」たちがうちたてた「新文化」とは、中世的、封建的な「野蛮と粗野」の復活と横行であり、社会主義の偉大な理想を乱暴にきずつけるものだったのである。
 また、この「文化大革命」のなかでいっそう常軌を逸したところにまで達した毛沢東の神格化と個人崇拝にしても、それは、労働者階級の科学的世界観としてのマルクス・レーニン主義とはまったく無縁な、非科学的な思想であり、奴隷制社会や封建社会からの「くされはてた遺物」を大規模に復活させたものである。個人崇拝のこうした思想的性質は、かつては、中国共産党指導部自身が、基本的に正しく指摘していたところであった。

 「個人崇拝は、これまでながいあいだの人類の歴史がのこした、くされはてた遺物である。個人崇拝は、搾取階級のなかにその基礎があるばかりでなく、小生産者のなかにもその基礎がある。周知のように、家父長制は小生産経済の産物である。プロレタリアート独裁がうちたてられたのち、たとえ搾取階級が絶滅され、小生産経済が集団経済にとってかわられ、社会主義がうちたてられたのちでも、ふるい社会のくされはてた、毒素をふくんだある種の思想の残りかすは、なおも人びとの頭脳のなかでひじょうにながいあいだ生きのびる。『いく百千万の人びとの慣習の力は、もっとも恐ろしい力である』(レーニン)。個人崇拝もいく百千万の人びとの一種の慣習の力である」(人民日報編集部「プロレタリアート独裁の歴史的経験について」、一九五六年四月五日)

 これらの事例がしめすように、「プロレタリア文化大革命」は、たしかに「社会全体の精神的様相を改め」つつあるが、その方向は、新しい社会主義文化の建設とはまったく別個の方向、逆の反動的方向をむいているのである。
 これらの点だけからみても、今日の「プロレタリア文化大革命」なるものが、マルクス・レーニン主義における文化革命の理論や実践とは、まったく異質な、無縁なものであることは、疑問の余地がない。

  (2)「文化大革命」の主要な内容は、毛沢東一派の専制支配の確立にある

 では、これが真の意味での文化革命とは縁がないものだとすれば、毛沢東が一昨年後半に「おこし」、今日「プロレタリア文化大革命」の名のもとに展開されている事態の本質はいったいなんなのか。結論的にいえば、それは、中国の現状が、かれらの思うとおりにならないとして大きな不満をもった毛沢東一派が、非常手段をもちいて、毛沢東神格化にもとづく党と国家にたいするその無制限の専制支配をうちたて、強化しようとし、そのために計画的にひきおこした政治闘争である。そのことは、事実にもとづいて、最近の事態の経過をみれば、きわめて明白である。
 第一に、毛沢東一派は、この「毛主席がみずからおこし指導しているプロレタリア文化大革命」なるものの過程で、中国革命の指導者としての毛沢東にたいする中国人民の従来の愛情と尊敬を悪用して、毛沢東にたいする神格化をおしすすめてきた。
 毛沢東思想の絶対化と毛沢東崇拝は、これまでもとくに林彪が国防部長になって(一九五九年)以来、林彪と解放軍を先頭にして全国的にすすめられ、『人民日報』、『紅旗』などでも、そのカンパニアが広範にくりひろげられてきたが、「プロレタリア文化大革命」のなかで、それはいよいよ途方もない、常軌を逸したものとなり、今日のきちがいじみた毛沢東の神格化にまで到達したのである。
 毛沢東は、「現代のもっとも偉大なマルクス・レーニン主義者」と宣言され、さらに、マルクス、エンゲルス、レーニンをもこえる世界革命の指導者として礼賛された。「毛主席は、マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンよりはるかにすぐれており、現在、世界で毛主席にくらべられる水準のものはだれもいない」(林彪)。毛沢東には、「永遠に沈まない赤い太陽」、「人民の偉大な救いの星」など、あらゆる賛辞がささげられ、その名前の前にはかならず「偉大な教師、偉大な指導者、偉大な統帥者、偉大な舵手(だしゅ)」と四つの崇拝の句が公式につけられ、その名をたたえるときには、「万才、万才、万万才」とかならず「万才」が三回かさねられるようになり、毛沢東の誕生の地までが、「全世界の革命的人民のあこがれの聖地」として、神聖化されるにいたった。  マルクス・レーニン主義の科学的理論のかわりに、毛沢東の個々の言説が党と人民の最高の指針とされ、「一人ひとりが毛主席の本を読み、毛主席のことばを聞き、毛主席の指示どおりに事をはこび、毛主席のりっぱな戦士になる」(林彪『毛沢東語録』「第二版へのまえがき」)ことが、全党、全軍、全国に命令された。
 『人民日報』紙上では、党の上級機関への服従を「奴隷主義」として非難しながら、毛沢東の指示にたいしては、これへの絶対的な盲従を「最高の規律」とする議論が公然と主張されるようになっている。

 「毛主席のことばは、ひとことひとことがすべて真理である。……したがって、毛主席の指示は、理解していても、理解していなくても実行しなければならない。われわれは毛沢東思想の絶対的権威をうち立てなければならない。これはプロレタリアートの根本的利益の源であり、われわれの最高の規律である」(『人民日報』一九六七年六月十六日付、林傑「奴隷主義を打倒し、プロレタリアートの革命的規律を厳守しょう」)

 そして、毛沢東の片言隻句をあつめた『毛沢東語録』が、だれでも日常不断に身につけ、その一字一句を暗記すべき神聖な経典とされ、スポーツ、商取引、演劇であれ、さらには砂間、紺野両同志にたいするような集団暴行であれ、すべての行事、すべての行為が、この聖なる『語録』の朗読という儀式をもってはじめられるようになっている。『毛沢東語録』への崇拝とその儀式化は、世界のいかなる宗教の経典崇拝をも、はるかに上まわるものとなっている。しかも、この『語録』崇拝は、ホテルや旅客機、列車などのなかで、外国人の旅行者にたいしてまで、無差別に強要されているのである。
 こうして、今日の中国では、中国共産党の大会や中央委員会の決定、党規約にもとづく党の規律のうえに、毛沢東の片言隻句がおかれて、全党員、全人民が絶対服従を誓うべき「最高指示」とされ、その「最高指示」に無条件に忠実であるかどうかが、唯一最高の「規律」として全党員、全人民におしつけられている。毛沢東の片言隻句を、あたかも新興宗教の教組のお筆先のようにあがめたてまつるこのやり方は、まさに、マルクス・レーニン主義を淫祠(いんし)邪教のたぐいをもっておきかえるものである。
 このような毛沢東の神格化と個人崇拝が、マルクス・レーニン主義の科学的精神の完全な放棄を意味するものであることはいうまでもない。
 マルクス・レーニン主義は、労働者階級の解放闘争における党とその指導部の役割を重視し、「指導者」と「大衆」を対置して党指導部の重要な意義を否認しようとする無政府主義的傾向には、一貫して反対してきた。

 「……階級を指導しているものは、普通、大多数の場合、すくなくとも近代の文明国では、政党であり、通則として、政党を支配しているものはもっとも権威があり、勢力があり、経験に富んでいて、もっとも責任の重い地位にえらばれ、指導者と呼ばれる、多少とも安定したグループである」(レーニン「共産主義内の『左翼主義』小児病」、全集三十一巻二六ページ)
 「経験に富んだ、きわめて有力な党指導者を育てあげることは、長期の、困難な仕事である。だが、それなしには、プロレタリアートの独裁だの、かれらの『意思の統一』だのはから文句にとどまるであろう」(レーニン「ドイツ共産主義者への手紙」、全集三十二巻五五七ページ))

 だが党と指導者の役割についての、これらのマルクス・レーニン主義的見地と、特定の指導者を神格化して、その言動を神聖不可侵のものとして絶対化したり、この指導者を党と人民の上においてそれへの絶対服従を誓ったりすることとは、まったく別個のことがらである。このような個人崇拝は、専制君主や宗教的絶対者への奴隷的屈従と盲目的崇拝を復活させたもので、徹頭徹尾、反マルクス・レーニン主義的、非科学的なものである。
 さらに、この個人崇拝は、現行の中国共産党の規約とその精神をも、もっとも乱暴にふみにじったものである。
 中国共産党の現行規約は、一九五六年の第八回党大会第一回会議で改正、成立したものであるが、そのときの重要な改正点の一つは、ソ連共産党第二十回大会などであきらかにされたスターリンの個人崇拝の誤りから教訓をひきだしながら、個人の神格化や個人崇拝の誤りを防止する組織的な保障を、党規約のうちに確立することであった。その見地から、党規約綱には、「個人を党の集団の上におくような行為の存在はゆるされない」「いかなる政党であれ、またいかなる個人であれ、その活動において、欠陥も誤りもないということはありえない」などの規定があらたに挿入され、さらに、「毛沢東思想」を党の活動の指針とさだめたそれまでの規定(一九四五年の第七回党大会で採択)が、「中国共産党はマルクス・レーニン主義を自己の行動の指針としている」という規定にあらためられた。第八回党大会で、党中央委員会を代表して党規約改正についての報告をおこなった鄧小平は、これらの改正の意義についてつぎのようにのべていた。

 「ソビエト共産党第二十回大会の重要な功績の一つは、われわれに、個人を神格化することがどれほど重大な悪い結果をうむかということを教えたことである。わが党はこれまでつねに、どんな党、どんな個人であろうと、その活動にさいしてなんの欠陥も誤りもないということはありえない、と考えてきた。この点は、いま、わが党規約草案の総綱の部分に明記されている。こうして、わが党は、また、個人の神格化についても、これをわれわれと無縁なものにしたのである」

 それ以来、いかなる規約改正もおこなわれていない以上、この党規約は、今日でも、すべての党員が厳格にまもるべき、中国共産党の最高の規律のはずである。ところが、毛沢東一派は、みずから参加して決定したこの党規約とその精神を紙くずのように投げすて、それを敵視し、あらゆる宣伝手段を動員して毛沢東への個人崇拝とその神格化を、かつてのスターリンの個人崇拝をはるかに上まわるところにまでおしすすめてきたのである。第二に、毛沢東一派は、昨年八月の第十一回中央委員会総会の「決定」のなかでも、「プロレタリア文化大革命」の「主要な対象」は「資本主義の道を歩む党内の実権派」であると宣言し、林彪がその中枢をにぎっている軍を背景に、「紅衛兵」やいわゆる「造反派」を動員して、毛沢東一派が敵視する中央、地方の多くの党機関や党幹部を打倒し、追放し、粉砕する「闘争」をおしすすめてきた。
 毛沢東一派によれば、かれらは「資本主義の道を歩む党内の実権派」、あるいは「ブルジョア反動路線の代表者」であり、この十数年来、中国に資本主義を復活させるという反革命の計画を一貫して意識的、系統的に追求し、プロレタリア独裁の機構を変質させてブルジョア独裁を実行してきた「反党、反社会主義、反革命」の勢力であるとのことである。しかし、こうした非難が、客観的、科学的な裏づけをもったものでないことは、ただ毛沢東の神格化をはじめとするかれらの言説に無条件に服従しないということだけを理由として、外国の共産党や共産主義者にたいしてさえ、なんの根拠もなしに、「反革命」とか「裏切り者」とかの非難をあびせかける毛沢東一派のやり方をみても、あきらかである。もし、毛沢東一派のこの非難が正しいとしたら、中華人民共和国では、その建国以来十数年間、国家主席、党副主席、政治局、書記局など党と国家の最高指導部をはじめ多くの重要な部署を、反革命ブルジョアジーの代表者がその手ににぎり、資本主義復活の方針をひたすらおしすすめてきたという、中国における社会主義建設の歴史とその成果を事実上否定するきわめて奇怪な結論に到達せざるをえないのである。そして、もしこの非難が正しいとしたら、党の最高責任者――中国共産党主席である毛沢東こそが、社会主義の事業にそむくこうした事態をゆるしたその最高の責任を追及されなければならないであろう。実、今日、毛沢東一派が「実権派」のブルジョア反動路線のあらわれとしている「犯罪」的路線の基本方向は、一九五六年の中国共産党第八回党大会での報告や決定をはじめ、毛沢東自身が参画し、承認してきたことである。
 毛沢東一派は、かれらが、「資本主義の道を歩む党内の実権派」とよんでいる幹部たちにたいして、反革命ブルジョアジーの代表者としてあらゆる非難をあびせ、実権派との矛盾は「革命と反革命との矛盾」「和解できない敵味方の矛盾」(「プロレタリア文化大革命万歳」、『紅旗』一九六六年八号社説)であると断定しながら、その根拠としては、ブルジョアジーとの反革命的つながりをしめす具体的事実を、今日までになにひとつもちだすことができないでいる。しかも、いわゆる「プロレタリア文化大革命」の奇妙な特徴の一つは、みずから「大民主」の発動と自賛しているにかかわらず、劉少奇、鄧小平ら「実権派」とよばれる人びとにこのような重大な非難があびせられながら、かれらの意見も反論もまったく公表されず、内外の路線や政策にかんする見解の真の対立点も、まったくあきらかでないことである。したがって、われわれは、「実権派」として非難されている人びとがどんな見解をもっているかを知ることはできないが、毛沢東一派やその指揮下の「紅衛兵」たちがこれまで発表した資料によれば、けっきょくのところ、その最大の問題は、これらの幹部たちが毛沢東の神格化にたいして多少とも不徹底な態度をとったとか、あれこれの問題で毛沢東一派の見解とは異なる意見をもっていたとかいう問題につきるのである。
 毛沢東一派自身、昨年「党内の実権派」なるものにたいする公然とした攻撃を開始した最初のときから、「実権派」なるものの最大の「罪」が、実は毛沢東の神格化や毛沢東一派の路線に無条件に同調しないことにあり、毛沢東と「毛沢東思想」にたいする態度こそ、「革命」と「反革命」を区別する最高の基準であることを、くりかえし強調してきた。

 「毛沢東思想にたいしてどのような態度をとるか、それをみとめるのか、それとも排斥するのか、それを擁護するのか、それとも反対するのか、それを熱愛するのか、それとも敵視するのか――これは真の革命とニセの革命、革命と反革命、マルクス・レーニン主義と修正主義の分水嶺(ぶんすいれい)であり、試金石である。」(『解放軍報』一九六六年七月七日付社説、「毛沢東思想は、われわれの革命事業の望遠鏡であり、顕微鏡である」)

 ここには、いわゆる「実権派」打倒の主目的が、資本主義の復活をたくらむ反党反革命分子から社会主義の事業をまもる闘争ではなく、毛沢東の神格化をはじめ毛沢東一派の言説に無条件に同調しない勢力や、なんらかの意味で毛沢東一派の気にいらない勢力を、すべて階級敵、ブルジョア反革命分子とみなして一掃し、毛沢東一派の無制限の専制支配をうちたてることにあることが、あからさまなかたちで告白されているのである。第三に、毛沢東一派は、その「プロレタリア文化大革命」なるものの過程で、党規律を乱暴に否認し中国革命の最高の指導部隊である中国共産党の党組織の解体と私物化を大規模に実行してきた。
 マルクス・レーニン主義党の正しい指導と活動こそ、社会主義革命と社会主義建設の歴史的事業を勝利させる最大の保障であることはいうまでもない。そして、レーニンが「共産主義内の『左翼主義』小児病」でつよく指摘しているように、民主主義的中央集権制にもとづくプロレタリアートの規律を無条件に、またもっとも厳格にまもることは、ブルジョアジーの激烈な抵抗をうちやぶって、社会主義の勝利をかちとる基本条件である。中国共産党でも、一九五六年の第八回党大会で採択されたその党規約は、「党規約と国の法律を厳格にまもる」こと「その功労や職位のいかんにかかわらず」、例外なくすべての党員に課せられた義務として規定し(第二条)前文でも、党規律をまもることの重要性を、つぎのように強調していた。

 「党は、すべての党員がまもらなければならない規律によってむすびついたところの統一的な戦闘組織である。規律なしには党は、国家や人民が強大な敵にうちかち、社会主義、共産主義を実現するよう指導することは、けっしてできない」

 ところが、党の主席である毛沢東を中心とする一派は、昨年来、みずから先頭にたってこの党規律を公然とふみにじり、幾多の共産主義者と人民が生命をかけてまもり育ててきた中国共産党を破壊する暴挙をおしすすめてきた。かれらは、林彪がにぎっている一部の軍を党の上におき、党外の「紅衛兵」や「造反団」などを大量に動員し、『人民日報』、『紅旗』などをはじめ、中央、地方の新聞、放送局その他の宣伝手段を私物化し、これを勝手に悪用して、毛沢東一派に無条件で同調しない党組織や党幹部を攻撃し、これらを「革命的」に打倒することを公然とよびかけてきた。これが党の統一と規律を破壊する最悪の行為であることは、マルクス・レーニン主義党の組織原則にてらして、きわめて明白である。しかも、かれらは、「すべての党員がまもらなければならない規律によってむすびついた統一的な戦闘組織」(中国共産党規約)であるべき党組織を、毛沢東一派に忠実な組織と、これに盲従しない組織とに画然と区別し、党規律を無条件にまもることを「奴隷主義」として非難しはじめた。毛沢東一派によれば、かれらがにぎっていないところでは、党組織はすでに「ブルジョアジー独裁の機構」にかわり、党規律は「反革命的規律」にかわっているのであり、これを徹底的にうちくだくことこそが、「プロレタリア革命戦士」の任務なのである。

 「資本主義の道をあゆむひとにぎりの党内実権派は、もっとも危険な、もっとも主要な敵である。これらの反動的なやからがその反動支配の権力を維持するための重要な武器は、党の名儀を盗用し、党の規律を、大衆をおさえ、革命に反対するブルジョアジーの規律にゆがめることである。このような反革命的な規律は、徹底的にうちくだいてしまわなければならない。
 すべての革命的な幹部は立ち上がり、革命的大衆とともに、資本主義の道をあゆむひとにぎりの党内実権派と断固として闘争すべきであって、かれらの『規律』とやらは問題にしないでよい。かれらはすでに革命の上級ではなくて、反革命的な修正主義分子である」(『紅旗』一九六七年第三号、評論員「プロレタリアートの革命的規律をうちたてよ」)

 毛沢東一派は、こうした主張をふりかざしながら、ことしの一月以降、上海市、北京市、黒竜江、山東、山西、貴州、青海省など各地で、非常手段をもちいて党委員会からいっさいの権限をはく奪し、「造反派」や解放軍の手に権限をうつすいわゆる「奪権闘争」を実行しはじめた。これは、中国共産党の正規の党組織を、党規約に規定されたいかなる正規の手続きもへずに一方的に解体、破壊し、いっさいの権限を毛沢東一派の手に集中しようとすることであり、毛沢東一派が、その専制的な党支配を実現するために、党組織の解体というもっとも乱暴な、むきだしの解党主義にまで到達したことを、しめすものである。
 第四に、毛沢東一派は、党組織の解体ばかりか、中国人民が革命をつうじてみずからうちたてた社会主義国家の諸機構や法秩序まで、乱暴に破壊している。
 「奪権闘争」がおこなわれたところでは、党委員会だけでなく、人民を代表する権力機関である人民委員会もいっさいの権限をうばわれ、毛沢東一派のにぎる解放軍部隊を中心にした臨時的権力機構――「革命委員会」、「造反総指揮部」などが、「党権、政権、財権、文権などすべての権力」をもつと宣言されている。
 毛沢東一派のこの「奪権闘争」が、社会主義国家の正規の国家機構を、不法に解体する破壊行動であることは、明白である。中華人民共和国憲法に明記されているように、各級の人民委員会は、その地方の人民を代表する人民代表大会によって選出されたものであり、人民代表大会だけがこれを解任する権限をもっている。ところが、毛沢東一派は、自分たちの気に入らない幹部が多数をしめる人民委員会にたいして、「ブルジョア独裁の機構」に変質したとの断定を一方的にくだし、人民代表大会もひらかずに、この解体を勝手に宣言し、毛沢東一派に盲従する勢力だけからなる「臨時的権力機構」なるもので、これをおきかえているのである。これは、まった毛沢東一派による国家機構私物化の行為以外のなにものでもない。
 しかも、ゆるしがたいことには、毛沢東一派は、国家機構のこの不法な解体と私物化を、国家と革命についての「マルクス・レーニン主義の原則の実行」だと称して、正当化しようとしているのである。

 「資本主義の道を歩む党内のひとにぎりの実権派が長期にわたって盤きょしている腐りきった一部の単位で、かれらが実行しているのはプロレタリアート独裁ではなく、ブルジョアジー独裁である。これらの単位の権力奪取の闘争では、ふるい国家機構をうちくだくというマルクス・レーニン主義の原則が、かならず実行されなければならない」(『紅旗』一九六七年第三号社説「プロレタリア革命派の権力奪取闘争について」)

 ブルジョア国家機構の粉砕についてのマルクス・レーニン主義の革命的学説を、社会主義国家にたいする破壊活動の合理化に利用しようとする毛沢東一派のこうした議論が、マルクス・レーニン主義の途方もないねじまげであることは、これ以上論証の必要もないところであろう。
 毛沢東一派はまた、中国の労働者階級の最大の階級的大衆組織である労働組合や、二千数百万の青年を組織していた中国共産主義青年団をはじめ、中国のプロレタリアート独裁の重要な支柱をなしてきた一連の大衆組織を事実上解体してしまった。とくに、労働組合は「党が、この機構によって階級と大衆とに緊密にむすびつき、この機構によって、党の指導のもとに階級の独裁が実現される」(レーニン「共産主義内の『左翼主義』小児病」、全集三十一巻三三ページ)労働者階級の組織として、プロレタリアート独裁の体系のなかで特別に重要な地位をしめる組織である。その「プロレタリア」的性格をことさらに強調するこの「文化大革命」のなかで、プロレタリアートの前衛の組織とともに、その最大の大衆組織―労働組合が解体されたこと、そして「プロレタリア文化大革命」が、労働者階級とその組織に依拠するのでなく、主として学生、生徒からなる「紅衛兵」(しかも、党の指導のもとに二千数百万の青年を結集し、中国共産党の規約で、「党の助手」、「党の政策と決議の積極的宣伝者、実践者」と規定されている中国共産主義青年団は破壊されている)と、人民解放軍の諸部隊などに主として依拠してすすめられていることは、中国における「プロレタリア文化大革命」の反マルクス・レーニン主義的実態をしめす、重要な指標の一つである。
 さらに、中華人民共和国憲法で定められた法秩序は、今日では、まったく有名無実の状態にある。憲法は、「中華人民共和国の公民の人身の自由はおかされない。いかなる公民も、人民法院の決定または人民検察院の許可をえなければ、逮捕されることはない」(第八十九条)と人身の自由を保障しているが、「プロレタリア文化大革命」がはじまるとともに、これらいっさいの規定は、紙くずのように投げすてられ、「紅衛兵」や「造反派」による幹部の不法な逮捕や暴行がおこなわれたのをはじめ、国家の規律をふみにじったあらゆる不法行為が横行するようになった。
 しかも、毛沢東一派は、「紅衛兵」や「造反派」のこれらの不法行為を「革命的壮挙」として大いに称賛、扇動し、その「行きすぎ」を批判する人びとを「革命の何たるかを理解しないもの」として非難している。

 「革命造反派は、革命とは客を招いてごちそうすることでもなければ、文書をねったりすることでもなく、革命とは暴動であり、一つの階級が他の階級をうち倒す激烈な行動である、ということを心の底から理解している。かれらは毛主席の革命路線をまもるために、多くのいわゆる『脱線』行動をやってのけた。『脱線』とは、とりもなおさず革命である。『脱線』とはとりもなおさず造反である。これらの『脱線』行動ははじめての革命的壮挙である。本当に革命を求める同志はだれでも、これを『たいへんけっこうだ』と歓呼すべきであって、他人のしりにくっついて『むちゃくちゃだ』などというべきではない」(一九六七年一月六日付上海『文匯報』社説、「革命造反有理万歳」。この社説は、造反派の革命行動の意義を理解できない人びとは、この論文を読んではやく目ざめ、自分の頭を切りかえよという趣旨の『紅旗』編集部の前がきとともに、ただちに『紅旗』、『人民日報』に転載された)

 こうして、「プロレタリア文化大革命」の名のもとに、毛沢東一派への忠誠以外、いかなる規律をもみとめない事実上の無法状態がつくりだされたわけであるが、それが、どのような野蛮な暴力やテロを横行させているかは、砂間、紺野両同志にたいする北京空港での集団暴行事件によって、もっとも具体的に暴露された。正規の手続きによって帰国しようとする外国の共産党中央委員会代表にたいしてさえ、数千人の「紅衛兵」を動員して、暴行、テロ、拷問のかぎりをつくして恥じない毛沢東一派が、国内で、どのような組織的テロと暴行をおこなっているかは、想像にあまりあるものがある。
 これらすべての事実は、いま中国におこっている「プロレタリア文化大革命」なるものが、社会主義の勝利をめざす革命的大事業であるどころか、毛沢東の異常な神格化にもとづく毛沢東一派の無制限の専制支配の確立、強化を唯一最大の目的とし、そのために党と国家の組織と規律を乱暴に破壊し、アジアと世界の歴史をかえた偉大な中国革命の成果を掘りくずし、中国共産党と国家機構の解体状態をつくりだしている反社会主義的、反マルクス・レーニン主義的な「事業」でしかないことを、明白に実証している。
 そしてまた、これらの事実は、日中友好協会本部襲撃事件をはじめ、在日華僑学生や対外盲従分子らによるわが党とわが国の民主運動にたいする凶暴な暴力行為が、けっして偶発的なものではなく、「プロレタリア文化大革命」の名のもとに中国でおこなわれている不法行為をわが国に「輸出」したものであることを、はっきりと裏書きしている。

  (3)「文化大革命」弁護論の根本的な誤り

 つぎに、毛沢東一派やこれに迎合する対外盲従分子などが、「プロレタリア文化大革命」を礼賛し、弁護する論拠としてあげている、いくつかの議論を検討してみよう。
 毛沢東一派は、「プロレタリア文化大革命」とは、
 「党が、なにものも恐れることなく、大いに意見をのべるという方式、大字報、大討論、革命大交流などの方式を広範な大衆に運用させ、党と国家の各級の指導機関、各級の指導者を広範な大衆に批判し、監督させること」であり、「プロレタリアート独裁のもとで大民主を発展させるあらたな経験」だとして、この「革命」の民主的性格を大いに強調している。(一九六六年十一月三日、紅衛兵と会見するための集会での林のあいさつ)
 わが国の対外盲従分子もこれに追従して「プロレタリア文化大革命」のなかで、党幹部や党機関、政府機関などが「下から」、しかも非党員によって批判されているのは、中国の社会主義の民主化をあらわすものだと主張し、これを「ブロレタリア文化大革命」を礼賛する論拠の一つにしている。しかし、これは、事態の表面だけをゆがめてとらえた議論にすぎない。もし、この「文化大革命」のなかで、党と国家のあらゆる指導機関、あらゆる指導者が大衆の批判と監督をうけるのだったら、また、「紅衛兵」や「造反派」の行動が、指導機関や指導者にたいする「下から」の批判や監督にとどまっているのだったら、これらの議論は、ある程度は通用する根拠をもつかもしれない。しかし、事態の真相はまったく異なっている。
 第一に、これらの批判は「下から」の自発的なものではなく、毛沢東一派が、「造反有理」(むほんには道理がある)のスローガンをかかげて、党と国家の規律を無視し、毛沢東一派の敵視する党と国家の指導機関や指導者にたいして「むほん」をおこすことを上からよびかけ組織したものである。しかも第二に、「造反有理」とはいっても、すべての「造反」が道理のあるものとして承認されているわけではない。『人民日報』や『紅旗』などにもくりかえし強調されているように、毛沢東、林彪および「中央文化大革命小組」などの特別の集団、つまり毛沢東一派にたいする「造反」行為は、反党反社会主義の行為として、文書による批判まできびしく禁止され、弾圧され、毛沢東一派が、「資本主義の道を歩む実権派」あるいは「ブルジョア反動路線の代表者」と認定した幹部や機関にたいする「造反」行為だけが、「道理」のあるものとして、承認され、激励されてきたのである。たとえば、一九六七年一月に発表された「中共中央」、「国務院」の名による「文化大革命における公安活動の強化についての規定」は、毛沢東と林彪にたいするいかなる批判も、「現行の反革命的行為」として処罰することを、つぎのように布告した。

 「反革命のスローガンをはり、偉大な指導者毛主席とその親密な戦友林彪同志を攻撃し、中傷するものは、すべてみな現行の反革命行為であり、法によって処罰されなければならない」

 また、最近の『人民日報』の社説は、毛沢東、林彪、「中央文化革命小組」などに反対するものは、解放軍の軍事力を動員してもこれを粉砕するということを、公然と宣言している。

 「われわれ全国のプロレタリア革命派と人民解放軍三軍の指揮員、戦闘員は、命にかけても毛主席をまもり、林副主席をまもり、党中央をまもり、中央文化革命小組をまもるものである。毛主席に反対するもの、林副主席に反対するもの、党中央に反対するもの、中央文化革命小組に反対するものは、それがだれであろうとわれわれは打倒する!」(『人民日報』一九六七年七月二十六日付社説、「石をもちあげて自分の足をうつ」)

 このように、毛沢東一派やこれに迎合する対外盲従分子が礼賛する「大民主」とは、毛沢東とその一派にたいして、「造反」どころか、いっさいの批判を禁圧し、無条件の絶対服従をもとめることであり、毛沢東神格化に賛成でないものやそれをためらうものにたいしては、「批判」や「監督」にとどまるどころか、あらゆる暴行と迫害を正当化し、軍事力を動員しても毛沢東神格化を全党員、全人民におしつけることである。この「大民主」なるものは、社会主義の「民主化」をあらわすものではけっしてなく、社会主義的民主主義のもっとも乱暴な破壊であるところの毛沢東一派の専制支配そのものにほかならない。
 また、毛沢東一派は、「プロレタリア文化大革命」のなかで、党と国家の組織の解体などの異常な事態がうまれたとしても、それは資本主義復活の防止という「党と国家の運命にかかわる」(周恩来)難事業をやりとげるためには、避けることのできない非常手段であり、そこに、ソ連における現代修正主義の発展と成長、資本主義復活という深刻な経験からの重要な教訓があるなどと主張して、この「革命」を正当化しようとしているが、これも、まったく非科学的、独断的な議論である。
 もちろん、社会主義の完全な勝利をめざす過渡期において、資本主義か社会主義かをめぐるプロレタリアートブルジョアジーのあいだの階級闘争が長期にわたってつづけられること、十月革命直後の内乱がしめすように、帝国主義の干渉とむすびつくブルジョアジーの反乱もありうること、この階級闘争は、共産党や社会主義国家内部にも多かれ少なかれ反映すること、資本主義の復活を防止し、社会主義の完全な勝利を保障するためには、政治、軍事、経済、思想のあらゆる分野におけるブルジョアジーの抵抗やその影響をうちやぶると同時に、「左」右の日和見主義に反対してマルクス・レーニン主義の路線を堅持する闘争をおこなわなければならないこと――これらは、ソ連における現代修正主義の成長の経験をもふくめて、十月革命以来半世紀にわたる社会主義革命と社会主義建設の歴史的経験によって確証された真理である。だが、資本主義復活の危険やこれを防止する闘争の重要性をいくら強調しても、それによって、毛沢東一派の「プロレタリア文化大革命」をひとかけらでも正当化することはできない。
 レーニンが、十月革命後の一連の論文や演説のなかで強調しているように、労働者階級が、搾取階級の国家権力をたおしてプロレタリアート独裁をうちたて、基本的な生産手段をその手ににぎり、ブルジョアジーの軍事的反抗をも最終的にうちくだいたのちには、ひきつづきさまざまな手段で資本主義の再興を望み、くわだてる搾取者の反抗をうちくだくこととともに、都市と農村の広範な小ブルジョア大衆、とくに農民を社会主義建設の事業にひきいれ、労働者階級の同盟者として獲得する闘争が、資本主義の復活を阻止し社会主義の勝利をかちとる階級闘争の主要な内容となってくる。そして、この闘争の、もっとも中心の問題は、「ブルジョア的=無政府主義的自然発生性にたいする社会主義的意識性の闘争」(レーニン「ソビエト権力の当面の任務」、全集二十七巻二五六ページ)、「プロレタリア的規律と組織性が勝つか、それとも小ブルジョア所有者の自然成長力が勝つか」の闘争(レーニン「ソビエト権力の当面の任務についての報告」、同前二八五~二八六ページ)である。そして、レーニンは、これらの闘争で、労働者階級が依拠すべき主要な手段は、組織と教育の手段であって、この闘争で、暴力や軍事的手段を乱用することを、社会主義建設の事業を挫折させる有害な極左日和見主義の誤りとして、きびしくいましめた。

 「プロレタリア革命の主要な任務は、ほかならぬ組織的任務である。……ここでは、長期の教育と再教育をおこなわずには、われわれはなに一つやれないであろう。この分野で革命的暴力、独裁を行使することは、それを乱用することである。そして、わたしはあえて諸君にこの権力乱用におちいらないよう警告しておく。革命的暴力と独裁は、しかるべきときに、またしかるべき相手にたいして行使されるなら、よいものである。しかし組織の分野では、それを行使してはならない」(「ロシア共産党(ボ)第八回大会での中央委員会の報告」全集二十九巻一四九ページ)
 「経済的課題では、軍事的課題の場合のようなやり方で勝利することは、不可能である。熱情と自己犠牲心とによって自由商業に打ち勝つことは不可能である。ここでは長期の活動が必要である。ここでは一寸一寸と地歩を獲得していくことが必要である。ここではプロレタリアートの組織者的力量が必要である」「労働組合第三回全ロシア大会での演説」全集三十巻五二七ページ)
 「文化的任務は、政治的任務や軍事的任務のように急速に解決することはできない。……危機が激化している時期には、数週間で政治的に勝利をおさめることもできる。戦争では数ヵ月で勝利をおさめることもできる。だが、文化の面では、このような短期間に、勝利することはできない。実際には、ここではもっと長い期間が必要である。そして、このいっそう長い期間に適応し、自分の活動を考量し、最大のがん強さ、ねばり強さ、系統性を発揮することが必要である」(「新経済政策と政治教育部の任務」、全集三十三巻六八ページ)

 これにたいして、毛沢東一派が、いま、資本主義の復活を阻止する「階級闘争」という名目で、実行していることは、いったいなにか。それは、第一に、闘争のほこ先を、資本主義復活の傾向をうみだす真の根源――今日の中国社会にまだ実際に存在している各種のブルジョア的諸要素や小ブルジョア的自然成長性などの社会主義の真の敵にむけず、もっぱら毛沢東一派が敵視する党と国家の指導機関にむけられている点でも、第二に、この闘争のなかで、組織と教育の方法によらず、暴力、テロ、拷問、組織破壊など、暴力的=軍事的手段に広範にうったえている点でも、第三に、「資本主義復活防止」、「ブルジョア反革命との闘争」を口実に社会主義の勝利のための基本的な力である「プロレタリア的規律と組織性」を全国的に破壊している点でも、レーニンが教えたプロレタリアート独裁のもとでの階級闘争の方向とは、まったく別個の、まったく異質なものなのである。
 なかでも、決定的に重要な意味をもっているのは、毛沢東一派が「プロレタリア文化大革命」の名のもとに、資本主義社会主義かをめぐる階級闘争で、資本主義の復活の防止とプロレタリアートの勝利とを保障する最大の基本条件である前衛党を破壊しつつあることである。
 かつてレーニンは、ドイツ共産党内の「左翼」日和見主義者が、党指導部を「日和見主義」として攻撃し、党指導部の打倒をめざす分派活動を開始したとき、その解党主義を、「ブルジョアジーのために、プロレタリアートを完全に武装解除する」ものとして、痛烈に批判し、とくにプロレタリアート独裁の時期には、このような解党主義はブルジョアジーの復活をたすける結果となることをつよく指摘した。

 「党精神と党規律を否定すること、まさにこれが、反対派のおちつくところであった。ところが、これは、ブルジョアジーのために、プロレタリアートを完全に武装解除することにひとしい。これは、まさに小ブルジョア的な分散性であり、動揺性であり、がまんし、団結し、整然たる行動をとる能力のないことである。それを放任すれば、どんなプロレタリア革命運動も、かならず破壊されるであろう。
 プロレタリアートの独裁は、旧社会の諸勢力と伝統にたいするがん強な闘争であり、流血のものもそうでないものも、暴力的なものも平和的なものも、教育的なものも行政的なものもある。幾百万人、幾千万人の習慣の力は、もっともおそるべき力である。闘争のなかできたえられた鉄のような党がなく、その階級のすべての誠実な人から信頼されている党がなく、大衆の気分を注視し、大衆に影響をおよぼすことのできる党がなければ、このような闘争をして成功することはできない。集中化された大ブルジョアジーに打ち勝つことは、何百万もの小経営者に『打ち勝つ』ことよりも、千分の一も容易である。小経営主は、日常的に、日ごとに、気づかない、とらえどころのない腐敗作用をおよぼす活動によって、ブルジョアジーに必要な結果、ブルジョアジーを復活させる結果そのものを実現している。いくらかでも、プロレタリアートの党の鉄の規律をよわめようとする(とくにプロレタリアートの独裁の時期に)ものは、事実上プロレタリアートにそむいてブルジョアジーをたすけるものである」(レーニン「共産主義内の『左翼主義』小児病)、全集三十一巻二九~三〇ページ、太字はレーニン)

 レーニンのこの批判は、四十数年をへてそのまま、毛沢東一派の今日の解党主義の反社会主義、反階級的役割をえぐりだすもっとも痛烈な糾弾となっている。毛沢東一派は、資本主義復活の危険との闘争を口実にして、プロレタリアートの党の規律と統一をもっとも乱暴に破壊し、党組織を解体、私物化してきたが、これはまさに「ブルジョアジーのために、プロレタリアートを完全に武装解除する」ことであり、レーニンが警告したように、逆に中国におけるブルジョアジーの復活の危険を助長することにほかならないのである。
 たしかに、レーニンも指摘しているように、労働者階級がプロレタリアート独裁の権力をうちたて、基本的な生産手段をその手ににぎったのちにおいても、政治、経済、文化、思想の分野における階級闘争は、ひきつづき長期にわたってさけられないものである。しかし、そうであればあるほど、労働者階級と人民を指導して、長期にわたるこの闘争を勝利にみちびく共産党の役割は、いっそう決定的な重要性をもってくる。したがって、中国共産党の規律と統一を破壊し、それを解体した毛沢東一派の解党主義の犯罪的、反社会主義的役割は、いよいよ重大なものとなってくるのである。社会主義革命と社会主義建設の指導力としての共産党の組織と、階級闘争のいかなる困難にもたえうるその規律は、革命運動の長期の試練をつうじてつくりあげられ、きたえられたものであって、いったんこれを破壊したら、毛沢東の一片の指示で再建できるようなものではけっしてないし、解放軍であれ、「紅衛兵」や「造反派」の組織であれ、他のいかなる組織によっても、その役割を一時的にさえも代行しうるものではない。この中国共産党を解体、破壊することは、文字どおり、中国におけるプロレタリアート独裁の背骨をうちくだき、資本主義社会主義かの闘争のさなかで労働者階級と人民を武装解除し、中国人民が解放闘争と社会主義建設の闘争のなかでかちとった偉大な革命的成果を失う危険さえつくりだすことである。そしてそれは、毛沢東一派の主張に反して、実際には中国における資本主義復活の現実的危険さえ生み出しかねないものである。
 毛沢東一派は、「プロレタリア文化大革命」を、しばしば「史上前例のない革命」、「前人未踏の壮挙」などといって賛美しているが、社会主義建設の途上でプロレタリアートの前衛党を解体するという毛沢東一派の暴挙が、まさに国際共産主義運動の歴史、世界社会主義の歴史にかつて前例のないものであることだけは、まちがいない事実である。
 現に、「プロレタリア文化大革命」下の中国では、この「革命」が公然と開始されて以来すでに一年あまりたち、毛沢東一派が『人民日報』や『紅旗』などで、くりかえし「革命の情勢がきわめて良好である」ことを強調しているにもかかわらず、政治的な混乱と無政府状態は、全国の多くの地方で大小の軍事的衝突がくりかえされてすくなくない死傷者まで出すにいたり、その影響は、経済の分野におよびつつある。こうした混乱は、『人民日報』が「無政府主義を打倒しよう」(一九六七年四月二十六日)、「ただちに武闘をやめよ」(一九六七年五月二十二日)などの警告をひんぱんに発しつづけてきたにもかかわらず、「革命派内部の無原則的な内戦」の存在(六月二十七日)や「保守派大衆」と「革命派」との「武闘の存在」(六月二十九日)を指摘して、その「かく乱性と破壊性が非常に大きい」(八月三日新華社電)とのべざるをえず、周恩来、陳伯達をはじめとする「最高指導者」たちが、「ほかの地方で経験交流をしているすべての学生、革命大衆はただちに自分の地区、単位にかえれ」「米?の特務、ソ修の特務、地主、富農、反革命、悪質・右派分子の反革命破壊活動を断固として鎮圧せよ」(一九六七年九月三日『人民日報』)とよびかけていることにも、反映されている。このように「毛主席がみずからおこし、指導しているプロレタリア文化大革命」なるものが、中国を全国的な混乱にみちびき、それを拡大していることは、毛沢東一派の解党主義が、中国をいまどこにみちびきつつあるかを、具体的にしめすものである。
 わが党が、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義に忠実な党として、中国共産党の指導のもとに中国の革命的人がかちとった社会主義中国の貴重な成果を破壊し、ひいては社会主義体制を弱めることになるこのような「プロレタリア文化大革命」なるものをけっして礼賛せず、逆にふかい憂慮をもって見まもり、自主的批判的態度を堅持してきたのは、きわめて当然のことである。
 しかも、はじめにあきらかにしたように、「プロレタリア文化大革命」は、たんに中国の国内問題にとどまらない問題である。それは、社会主義陣営のもっとも大きな国の一つである中国で、社会主義建設の事業に重大な混乱と困難をもたらし、それによって、国際的な民族解放と平和、社会主義、共産主義の事業に大きな否定的影響をおよぼすとともに、「反米反ソ統一戦線」の対外政策や、毛沢東崇拝の国際的おしつけなどと不可分にむすびついて、国際共産主義運動と社会主義陣営の団結に正面から挑戦し、世界の反帝民主勢力の戦列をかく乱する役割をはたしている。
 このような「プロレタリア文化大革命」を礼賛することは、まさに、毛沢東に追従して、国際的なかく乱者、破壊者の道にふみだすことであり、それが、自国人民の解放闘争に責任を負い、国際共産主義運動と世界の反帝民主勢力の共同事業の成功のために真剣に奮闘しているマルクス・レーニン主義党のえらぶべき態度でないことは、まったく明白である。

  三 今日の毛沢東路線の反マルクス・レーニン主義的性格

  (1)「毛沢東思想」を全世界におしつける大国的排外主義

 毛沢東を中心とする中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子は、昨年の四月ごろから、「毛沢東思想」を「現代のマルクス・レーニン主義の最高峰」としてみずから宣言し、国際共産主義運動が、これを世界革命の指導理論としてみとめること、いいかえれば、毛沢東一派の思想的政治的指導権をうけいれることを、公然と要求しはじめた。
 昨年六月一日付『人民日報』が、編集部の名前でかかげたつぎの文章は、「毛沢東思想」に世界の革命運動全体が無条件に服従することを要求する毛沢東一派の極端な大国主義を、もっとも露骨に表明したものであった。

 「われわれの偉大な指導者毛主席は、六億五千万中国人民の心の太陽であるとともに、全世界すべての革命的人民の心の太陽である。……
 毛主席が全世界の革命的人民の間でこうしたきわめて高い威信をもっているのは、毛主席がマルクス・レーニン主義を天才的、創造的、全面的、完全、系統的に発展させたからである。毛沢東思想は、マルクス・レーニン主義の普遍的真理と中国革命の具体的実践をむすびつけたものであるばかりでなく、マルクス・レーニン主義の普遍的真理と世界革命の具体的実践をむすびつけたものである。毛沢東思想は、中国革命の経験を総括しているばかりでなく、現代の世界革命の経験をも総括している。毛沢東思想は中国革命の百科全書であるばかりでなく、世界革命の百科全書でもある。毛沢東思想は、現代のマルクス・レーニン主義の最高峰であり、もっとも高度でもっとも生きたマルクス・レーニン主義である。
 毛沢東思想は、この偉大な革命の時代に生まれた偉大な革命理論なのであって、世界中どこにでもあてはまる普遍的真理である。世界のすべての被抑圧人民と被抑圧民族は、革命の真理を求めようとするかぎり、ごく自然のこととして毛沢東思想をさがしあて毛沢東思想をかれらの解放をかちとる指針とすることになる。
 世界の革命的人民は、帝国主義、現代修正主義、各国反動派にうちかつ強大な武器として、毛沢東思想を身につけることをますます切実に望んでいる。かれらは、偉大な毛沢東思想によれば、かならず万難を排して革命闘争の道を勝利から勝利へ進むことができる、と確信している。毛沢東思想の光は、いま全世界を照らしているのである」(一九六六年六月一日付『人民日報』編集者のことば「毛沢東思想は世界人民の革命の灯台」)

 それ以来、『人民日報』には、「毛沢東思想の光は全世界を照らす」、「毛主席は世界人民の心の赤い太陽」、「毛主席を熱愛する世界人民」、「毛沢東思想は世界の革命的人民の共通の財産」、「世界の革命的人民の心は毛主席に向かう」、「毛沢東思想は世界の革命的人民の前進を導いている」など、「毛沢東思想」を世界人民の指導思想としておしつける特集や記事が、ほとんど毎号のように掲載されるようになった。
 また、昨年八月の中国共産党第十一回中央委員会総会は、「毛沢東思想」を絶対化するとの見地を、公式に決定した。

 「毛沢東同志は、現代のもっとも偉大なマルクス・レーニン主義者である。毛沢東同志は、マルクス・レーニン主義を天才的、創造的、全面的にうけつぎ、まもり、発展させ、マルクス・レーニン主義をまったく新しい段階に高めた。毛沢東思想は、帝国主義が全面的な崩壊にむかい社会主義が全世界的な勝利にむかう時代のマルクス・レーニン主義である」(「中国共産党第十一回中央委員会総会の公報」)

 総会直後の『紅旗』は、この総会の「偉大な歴史的意義」について、こう評価してみせた。

 「今回の会議(第十一回中央委員会総会)のもっとも大きな特徴の一つは、毛沢東思想の偉大な赤旗を高くかかげ、マルクス・レーニン主義の発展史における毛沢東思想の意義と地位を科学的にあきらかにしたことにある。……  われわれの時代においては、毛沢東思想から離れることは、とりもなおさずマルクス・レーニン主義に根本的にそむくことである。それは、マルクス主義がレーニン主義の段階に発展した時期において、レーニン主義から離れることが、またとりもなおさずマルクス・レーニン主義に根本的にそむくことであったのと同じである」(『紅旗』、一九六六年第十一号社説「毛沢東思想の道を勝利のうちに前進しよう」)

 スターリンがレーニン主義を「帝国主義とプロレタリア革命の時代のマルクス主義」と規定したのになぞらえて、「毛沢東思想」を「帝国主義が全面的な崩壊にむかい社会主義が全世界的な勝利にむかう時代のマルクス・レーニン主義」と規定してみせた第十一回中央委員会総会のこの決定は、一九五六年の中国共産党第八回大会で決定された党規約の精神を根本的にくつがえしたものである。すでにのべたように、この第八回党大会では、党規約の改正がおこなわれたが、その重要な改正点の一つは、「中国共産党は、マルクス・レーニン主義の理論と中国革命の実践を統一した思想――毛沢東思想を自己のあらゆる活動の指針とする」(総綱)という従来の規定「中国共産党は、マルクス・レーニン主義を自己の行動の指針とする」(総綱)とあらためて、党の最高の指針がマルクス・レーニン主義にあることを、明確にしたことであった。
 ところが、毛沢東一派は、この党規約の規定を乱暴にやぶりすてて、昨年の第十一回中央委員会総会で、「毛沢東思想は全党、全国のすべての活動の指導方針である」と宣言し、さらにそれだけでなく、これを現代のマルクス・レーニン主義そのものであるかのように規定して、世界各国の人民がこれをすべての活動の指導方針」とすることを、要求するにいたったのである。
 さらに、最近では、毛沢東一派は、「毛沢東思想」を、たんに「現代のマルクス・レーニン主義の最高峰」として礼賛するにとどまらず、いっそうはっきりとレーニン主義の段階をこえるマルクス主義の第三の発展段階とよびはじめた。

 「マルクスとエンゲルスは科学的社会主義の理論をうちたてた。レーニンとスターリンはマルクス主義を発展させて、帝国主義時代のプロレタリア革命の一連の問題を解決し、一国内でプロレタリアート独裁を実現させる理論的、実践的問題を解決した。毛沢東同志はマルクス・レーニン主義を発展させて、現代のプロレタリア革命の一連の問題を解決し、プロレタリアート独裁のもとで革命をおこない、資本主義の復活を防止する理論的、実践的問題を解決した。これはマルクス主義発展史上における三つの偉大な里程標である。
 二〇世紀の初期に、マルクス主義はレーニン主義の段階に発展した。現代において、それはまた毛沢東思想の段階に発展しているのである」(一九六七年五月十八日『紅旗』編集部、『人民日報』編集部「偉大な歴史的文献」)

 マルクス主義のレーニン主義的段階を、すでにのりこえられた過去の段階とみなし、「毛沢東思想」こそが、レーニン主義にかわるマルクス・レーニン主義の今日的段階をあらわすものだと主張することは、けっきょくのところ、マルクス・レーニン主義を「毛沢東思想」なるもので全面的におきかえることを意味している。事実、林彪などは「マルクス・レーニン主義の経典的な著作のなかで、九九パーセントは毛沢東の著作を学ばなければならない」と主張している。このように、自分たちの「思想」をレーニン主義の段階につづくマルクス・レーニン主義の新しい段階としてみとめよなどという要求は、「世界情勢の根本的変化」を理由に、マルクス・レーニン主義の右翼的な修正をくわだてたフルシチョフらの現代修正主義者でさえ、あえてもちだしえなかった要求であり、毛沢東一派の極左日和見主義と大国主義が、いまやマルクス・レーニン主義の修正を公然と要求する「左からの修正主義」にまで到達していることを、公然と自認してみせたものである。
 そして、毛沢東一派は、こうしてマルクス・レーニン主義を公然と「毛沢東思想」なるものでおきかえたうえで、世界の革命運動が、この「毛沢東思想」を無条件に自分の「指導理論」とすることを要求し、「毛沢東思想」が現代におけるマルクス・レーニン主義の最高峰であることをみとめるかどうかが「革命か反革命かのわかれ道」だと主張し、かれらのこの不当な要求をうけいれないすべてのマルクス・レーニン主義党までも「修正主義」「反革命」「アメリカ帝国主義の共犯者」などとののしって、あらゆる不当な攻撃をくわえてきたのである。これが、全世界の人民と革命運動が毛沢東一派に思想的に従属することを主張する、きわめてごう慢な大国的排外主義の要求であることは、明白である。

  (2)「毛沢東思想」の過去と現在

 そもそも毛沢東一派が、「毛沢東思想」を「現代におけるマルクス・レーニン主義の最高峰」などとひとりぎめし、全世界の革命運動が、これを最高の「指導理論」として崇拝することを要求していること自体、「毛沢東思想」なるものが「最高峰」であるどころか、マルクス・レーニン主義に反するものに転化してしまっていることを証明している。これらの主張は、いかなる科学的根拠ももたないまったく非科学的独断にすぎない。第一に、毛沢東が中国人民の解放闘争のなかで発表してきた著作が、中国の革命運動を指導するうえで大きな積極的役割をはたしてきたことはたしかであるとしても、そのことは、毛沢東の著作や言説が、「世界革命の指導思想」としての普遍的意義をもつことを証明するものでは、けっしてない。中国革命のなかで積極的役割をはたしてきた毛沢東の過去の著作は、毛沢東自身が以前にはくりかえし強調していたように、「マルクス・レーニン主義の理論を中国革命の実際運動と結合させる」(「われわれの学習を改革しよう」、『毛沢東選集』三巻上一九ページ)ことによってえられた成果である。そして、それらは、中国革命の具体的特殊性を十分に考慮にいれ、マルクス・レーニン主義の諸原理を中国の具体的な条件に応じて正しく適用した結論であったからこそ、指導的役割をはたしえたのであり、だからこそ、マルクス・レーニン主義の発展に一定の貢献をおこないえたのである。したがって、それが、中国の革命運動の指導理論としてどんなに大きな成功をおさめたとしても、そのことを理由にして、これをすべての国の革命運動にあてはまる「普遍的真理」として絶対化するわけにはいかない。
 レーニンは、国際的な革命運動の経験を摂取することの重要な意義をつねに力説しつつ、同時に、「それぞれの国は、自己の貴重な独創的な特徴を共同の流れのなかにもちこむが、しかし個々の国では、運動はなんらかの一面性、個々の社会主義政党のなんらかの理論上または実践上の欠陥をもっている」(「世界政治における可燃材料」、全集十五巻一七二ページ)こと、さらに他の国ぐにの経験を正しく摂取するためには、「この経験を批判的にとりあつかい、それを自主的に検討する能力が必要である」(「なにをなすべきか」、全集五巻三八九ページ)ことを指摘し、外国の経験や理論を無批判にうけいれる事大主義におちいることを、つよくいましめていた。
 今日、「毛沢東思想」を信仰する内外の教条主義者たちがやっているように、このレーニンの教えを無視し毛沢東の著作で展開されている諸理論――革命理論、軍事理論にせよ、文化・芸術理論にせよ、党建設の理論にせよ――を、すべての国の革命運動をみちびく最高の教条として絶対化し、とくに、わが国のように、高度に発達した資本主義国でありながらアメリカ帝国主義の支配下にある複雑な階級闘争、民族闘争の諸条件をもっている国に、中国革命の理論や戦術を「指導理論」として機械的にもちこむことは、マルクス・レーニン主義の基本的要請にそむき、最悪の教条主義の誤りをおかすことであり、革命の事業に重大な損害をあたえるものである。
 毛沢東一派やこれに迎合する対外盲従分子は、「毛沢東思想」の普遍妥当性を主張するため、毛沢東思想が「マルクス・レーニン主義の理論と中国革命の実践とをむすびつけた」ものであるだけでなく、「マルクス・レーニン主義と世界革命の実践とをむすびつけた」ものであるということを、しきりに強調している。しかし、この主張も、具体的な根拠をかいたひとりよがりの独断にすぎない。
 マルクス、エンゲルス、レーニンがつくりあげたマルクス・レーニン主義の学説が、世界革命の指導理論としての普遍的意義をもっているのは、マルクス、エンゲルス、レーニンが、たんに自国の情勢を分析し自国の革命運動の経験を研究しただけではなく、世界資本主義の政治、経済の諸関係の総体の全面的な科学的研究をおこない、世界のすべての国の革命運動の経験を全面的に研究し、その総括にもとづいてマルクス・レーニン主義の革命理論をうちたてたからである。これにたいして、毛沢東が、中国人民の解放闘争の過程で発表した一連の著作のなかで研究したのは、主として中国の革命運動の諸問題であり、マルクス・レーニン主義の一般的原理の導きのもとに、「中国革命の理論問題や戦術問題を解決する」(毛沢東、前掲)ことであった。『毛沢東選集』全四巻をみても、そこには、マルクスやレーニンの全著作と異なって、体系だった経済学の研究もなければ、社会主義経済建設の理論もないだけでなく、世界資本主義の政治、経済を全面的に分析した著作や中国以外の国ぐにの革命運動の諸問題を系統的に研究した著作は文字どおりまったく一編もない。なかでも、発達した資本主義国における革命運動の問題は、『選集』全四巻をつうじて、個々の断片的な言及以外にはほとんど論じられていない。いったい、今日の世界の複雑な政治、経済、社会、文化の諸問題や、中国以外の国ぐにの革命運動の諸問題、とくに発達した資本主義国における民主主義革命や社会主義革命の問題について、なんらの系統的な研究をふくまず、まとまった結論をあたえてもいないような「思想」や「理論」が、どうして現代の「世界革命の指導理論」としての意義や資格をもちうるだろうか。それが、そのような普遍的意義をもらえないことは、あまりにも明白なことである。
 そして、「毛沢東思想」を「世界革命の経験の総括」だと強弁する人びとの主張も、けっきょくのところは、中国革命の経験と理論を、世界革命の普遍的法則として絶対化し、具体的情勢のちがいを無視して、他国の革命運動に機械的にもちこむ反マルクス・レーニン主義的見地に、帰着せざるをえないのである。
 第二に、現在、中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子が、「毛沢東思想」として絶対化している今日の毛沢東路線は、中国革命のなかで指導的役割をはたした毛沢東の過去の主張や理論とは、基本的に異質なものである。
 たとえば、中国革命を指導した毛沢東の革命理論のなかでは、統一戦線の理論と政策はきわめて重要な地位をしめていた。とくに抗日戦争の時期に、蒋介石の国民党が抗日と反共、反動の二面政策をとっていることを正確に分析し、闘争によって団結をもとめる「革命的な二面政策」(「当面の坑日統一戦線における戦術の問題」、『毛沢東選集』二巻下五四二ページ)をもってこれに対処しつつ、国共合作を成立させ、抗日民族統一戦線を発展させたことは、当面の主敵を打倒するために結集しうるすべての勢力を結集するマルクス・レーニン主義の統一戦線政策をみごとに適用したものであった。ところが、今日の毛沢東路線では、この統一戦線政策は、完全に投げすてられている。修正主義との闘争を理由にして、ソ連共産党指導部などを反帝国際統一戦線から排除することを要求する毛沢東一派の「反米・反ソ統一戦線」論が、毛沢東が過去に主張し実行した抗日民族統一戦線の精神とまっこうから対立するものであり、世界人民の共通の最大の敵――アメリカ帝国主義をよろこばす分裂主義の方針であることは、あらためて論証するまでもなく明白であろう。
 また、毛沢東の過去の著作のなかでは、農村を根拠地として、長期にわたって武装闘争を展開するという「人民戦争」方式は、「中国革命の特徴と長所」をなすものであって、他の資本主義国にはあてはまらないものだということが、くりかえし強調されていた(「中国の赤色政権はなぜ存在することができるのか」一九二八年、「中国革命戦争の戦略問題」一九三六年、「戦争と戦略の問題」一九三八年など)。ところが、今日では、毛沢東一派はその不当な一般化をいましめた毛沢東自身の以前の言説をもほごにして、「毛沢東思想」の名のもとに、中国流の「人民戦争」方式を、世界の革命運動の普遍的原則として、全世界におしつけようとしている。  党内闘争の問題についても、毛沢東は、過去には、党内の矛盾や意見の相違を解決するのに、「『無慈悲な闘争』と『容赦のない攻撃』をくわえ、はては犯罪者や敵にたいする闘争の方式で『党内闘争』をおこなう」といった「左翼」教条主義者たちの誤った党内闘争の方法に極力反対し、「団結の願いから出発し、批判または闘争をつうじて、是非をあきらかにし、新しい基礎の上に新しい団結に達する」という方法を、党内闘争の原則にすることを主張した(「若干の歴史的問題についての決議」、『毛沢東選集』三巻下二五八ページ、「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」)。ところが、今日、毛沢東一派は、以前にみずから主張した党内闘争の原則をもっとも乱暴にふみにじり、自分たちが以前にきびしく批判した「左翼」教条主義者たちの「無慈悲な闘争、容赦のない攻撃」という方法を、いっそう大規模に、いっそう野蛮で凶暴な形態で採用して、党の団結を根本から破壊しているのである。
 さらに、共産党の組織と規律の破壊の問題についていえば、毛沢東自身、以前には、党の統一の規律をまもることの決定的な重要性を、くりかえし力説していた。

 「張国の重大な規律破壊の行為にかんがみ、党の規律をもう一度言明しておかなければならない。すなわち、(一)個人は組織にしたがい、(二)少数は多数にしたがい、(三)下級は上級にしたがい、(四)全党は中央にしたがうという規律である。これらの規律をやぶるものは党の統一を破壊するものである」(「民族解放戦争における中国共産党の地位」、『毛沢東選集』二巻上二四九ページ)

 ところが、今日、毛沢東一派は、このように、世界の共産主義運動の経験全体をつうじて確立された試練ずみのマルクス・レーニン主義の組織原則、以前は毛沢東自身がその重要性を強調していたマルクス・レーニン主義の根本原則を、「造反有理」(むほんには道理がある)という一片のことばによってうちけし、中国の国内で、中国共産党の党規律の破壊や党組織の解体を正当化するだけでなく、反党対外盲従分子をそそのかして日本共産党の破壊と転覆をはかる、他国の革命運動にたいする空前の大国主義的干渉を、公然と正当化しようとしているのである。
 もともと、「造反有理」というスローガンは、一九三九年、延安各界のスターリン還暦祝賀大会での毛沢東の講話のなかから、ぬきだされたものである。「マルクス主義の道理はいろいろあるが、つきつめてみれば、それは『むほんには道理がある』(造反有理)の一句につきる」。
 周知のように、人民が反人民的な政治制度にたいして「むほん」の権利をもつことは、マルクス主義に固有の思想でもなんでもなく、たとえば、一七七六年のアメリカの独立宣言にも明記されていることで、ブルジョア革命における革命的民主主義者が一致して承認してきた「道理」である。マルクス主義の科学的社会主義の全学説を、この平凡で単純な「道理」に解消してしまう毛沢東のことばは、マルクス主義の卑俗化、粗雑な単純化のひとつの典型的な例だが、ともかく、ここで毛沢東がのべた「造反」(むほん)とは、帝国主義や反動勢力の支配を打倒する革命のことであって、共産党の内部での「むほん」を意味するものでなかったことはいうまでもない。しかし、このことばは、今日の毛沢東路線においては、二十数年前のそれとはまったく異質な、あたらしい意味と役割をあたえられている。すなわち、それは、帝国主義や反動勢力の支配に反対する人民革命へのよびかけではなく、なによりもまず共産党とその規律にたいする「むほん」、党規約のじゅうりんを、毛沢東の名で正当化するものとして、登場させられたのである。
 以上は、ごく一部の事例を指摘したにすぎないが、これだけでも、今日の毛沢東路線が、『毛沢東選集』などに結実している毛沢東の過去の主張や理論とは異質なものに変化していることを、証明するには十分であろう。今日の毛沢東路線は、たんに個々の国の革命運動が多くの場合まぬかれない「なんらかの一面性」、「なんらかの理論上または実践上の欠陥」(レーニン)をもっているというだけではなく、多くの根本問題で、過去には毛沢東自身が承認していたマルクス・レーニン主義の原則を放棄し、基本的にマルクス・レーニン主義とは無縁なものに変質してしまっているのである。
 そして、今日の毛沢東路線の反マルクス・レーニン主義的性格を、もっとも極端なかたちで露呈してみせたのは、いわゆる「プロレタリアートの独裁のもとでの革命」の理論である。すなわち、それは、『紅旗』編集部、『人民日報』編集部の「偉大な歴史的文献」によれば、(1)プロレタリアート独裁がうちたてられたのちにも、党と政府の指導機関のなかには、かならずブルジョアジーの代表者がまぎれこんで、プロレタリアート独裁転覆し、これをブルジョア独裁に変えようとする、(2)したがって、プロレタリアート独裁の条件のもとでも、資本主義復活を防止するためには、「革命」をおこなわなければならない、この「革命」の主要な対象は、プロレタリアート独裁の機構内にまぎれこんだブルジョアジーの代表者、資本主義の道を歩む党内の実権派である、(3)この「革命」は一回だけですむものではなく、共産主義の最後の勝利が実現されるまでの非常に長い歴史的時期のあいだに、かならずくりかえしおこなわれなければならない、というものである。
 中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子は、毛沢東がこの「プロレタリアート独裁のもとでの革命」の問題を「解決」したことを、毛沢東の「国際プロレタリアートにたいする理論と実践の面からの最大の貢献」とよび、毛沢東のこの発見によって、マルクス主義は、レーニン主義をこえる第三の新しい発展段階「毛沢東思想の段階」に発展したなどと主張している。かれらによれば、この問題は、マルクスとエンゲルスがその当時解決することができず、レーニンも、その実際的解決を待たず逝去(せいきょ)し、スターリンが死の一年前にやっと問題の所在に気がついたプロレタリア革命の未解決の根本問題であって、毛沢東がこれを解決したことこそ、「マルクス主義がまったく新しい段階に発展したことをしめすもっとも重要な目じるし」だというのである。(前掲『紅旗』編集部、『人民日報』編集部「偉大な歴史的文献」)
 「毛沢東思想」をレーニン的段階にかわる第三の段階として大げさにもちあげる最大の根拠とされているこの「プロレタリア独裁のもとでの革命」の「理論」なるものも、その中身はといえば、自分たちの無制限の専制支配をうちたてるために、中国共産党をはじめプロレタリアート独裁の諸組織を解体、私物化してきた毛沢東一派の解党主義的、反社会主義的行為を合理化するために、それをあとから「理論」づけただけのものにすぎない。
 毛沢東がおこした「プロレタリア文化大革命」なるものの反マルクス・レーニン主義的実態は、すでに前章でくわしくあきらかにしたが、社会主義建設の過程での階級闘争の必然性や、現代修正主義と資本主義復活の危険との闘争の重大性を口実に、社会主義の勝利の不可欠の保障であるマルクス・レーニン主義党および社会主義国家の諸組織の解体と私物化を「革命」と称して正当化し、この種の「革命」を何回もくりかえさなければならないと主張するこの「理論」は、マルクス・レーニン主義の新しい発展段階をしめすものであるどころか、マルクス・レーニン主義の社会主義革命と社会主義建設の理論、なかんずくマルクス・レーニン主義の核心の一つをなすプロレタリアート独裁の理論と実践を、根本から否認したものである。そこには、マルクス・レーニン主義と共通のものはまったく存在しない。このような反マルクス・レーニン主義的「理論」を、マルクス、エンゲルスも、レーニンもスターリンも提出しようとしなかったのは、当然のことである。
 しかも、注目しなければならないのは、毛沢東のこの「理論」が、理論的には、トロツキーの悪名高い「永続革命」論、「第二の補足的革命」論の再版だということである。
 トロツキーは、その著書「永続革命論」(一九三〇年)のなかで、プロレタリアート独裁のもとでの不断の革命、革命の永続化を主張した。

 「永続革命論……は社会主義革命をも永続的なものとして特徴づける。無限の長期間にわたって、また不断の内部闘争において、すべての社会的諸関係は変革される。……内戦と対外戦争のぼっ発は、『平和的』改造の時期と交互にあらわれる。経済、技術、科学、家族関係、道徳および習慣の革命は複雑な相互作用において発展してゆき、社会をして均衡状態に到達することをゆるさない」(トロツキー「永続革命論」)

 トロツキーは、その著書「裏切られた革命」(一九三六年)のなかで、このプロレタリアート独裁のもとでの不断の「革命」の理論をいっそう具体化して、当時のソ連を、特権的官僚層の専制支配下にある「資本主義と社会主義との中間にある矛盾した社会」、矛盾の発展いかんによっては「社会主義へと導くこともできるが、また資本主義へも導きうる」社会と規定し、社会主義への道を確保するためには、官僚政府、つまり共産党とソビエト政府を転覆する「新しい政治革命」「第二の補足的な革命」が必要だと主張した。

 「たちおくれた国のプロレタリアートが、最初の社会主義革命を完成する運命をになった。あらゆる証左によれば、この歴史的特権の代償として、かれらは、第二の補足的革命――官僚専制政治にたいする――を遂行しなければならない」(トロツキー『裏切られた革命』)

 毛沢東の「プロレタリアート独裁のもとでの革命」の理論は、あきらかに、トロツキーのこの「永続革命」論と「第二の補足的革命」論を、新しいよそおいのもとで復活させ、それを、毛沢東一派による党と国家の解体と私物化を正当化する理論的な道具としたものにほかならないのである。
 このように、いま「毛沢東思想」として礼賛、崇拝を要求している今日の毛沢東路線は、基本的に、マルクス・レーニン主義と異質のものに変化してしまっている。ただ自国の指導者の著作や見解を世界最高の理論として崇拝し、これを国際的におしつけようとする盲目的大国主義の立場や、それに盲従する卑屈な事大主義の立場にたたないかぎり、この今日の反マルクス・レーニン主義的な毛沢東路線を「現代におけるマルクス・レーニン主義の最高峰」とか「世界革命の指導思想」とか称することができないことは、マルクス・レーニン主義者にとってはまったく自明のことである。

  (3)歴史的に証明ずみの「毛沢東思想」絶対化の誤り

 とくに、日本人民の解放闘争のなかでは、「毛沢東思想」を日本革命の指導理論としておしつけたり、毛沢東の言説を絶対化してこれに盲従したりすることの誤りは、戦後の一連の苦い実践的経験をつうじて、すでに証明ずみの問題である。
 なかでも、もっとも重要な経験は、一九五〇年以後のわが党の分裂の時期の極左冒険主義の誤りである。
 当時、中国共産党の指導部は、農村に人民解放軍とその根拠地を建設し、長期にわたる武装闘争によって勝利を獲得した中国革命の経験を不当に一般化して、中国人民が勝利をかちとった道「毛沢東の道」こそ、いくたの植民地、半植民地の解放闘争の基本的な道となりうるものであり、解放闘争の主要な形態は武装闘争であると主張した(劉少奇「アジア・大洋州労働組合代表者会議の開会の辞」、一九四九年十一月)。
 そして、一九五〇年六月、アメリカ帝国主義が日本を基地として、朝鮮侵略戦争を開始したのち、中国共産党指導部などは、当時分裂状態にあったわが党の内部問題に介入して日本がアメリカ帝国主義に占領されてその従属国になっているということから、農山村に根拠地を建設し、長期にわたる武装闘争によって革命の勝利を準備するという中国の武装闘争路線をわが国にも適用するように主張した。これにたいし、わが党の一部は、事大主義的態度でこうした主張をうけいれ、極左冒険主義的戦術を採用したのである。一九五一年十月に採用されたいわゆる「五一年綱領」は、日本の革命の展望について、「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのは、まちがいである」と規定し、極左冒険主義の路線に綱領的な裏づけをあたえたが、この「新綱領」の採用も、ソ連共産党と中国共産党の大国主義的干渉とむすびついて、おこなわれたものであった。この極左冒険主義の戦術は、敗戦によってアメリカ帝国主義に占領され、独立を失ったとはいえ、発達した資本主義国であるわが国を、アジアの植民地、半植民地諸国と同一視し、その解放闘争の条件を正しくみない、根本的に誤った方針であり、アメリカ帝国主義の朝鮮侵略という重大な時期にわが党と日本人民の解放闘争にきわめて大きな損害をあたえた。それは、大衆のなかでの党の権威を傷つけ、わが党を人民から孤立させると同時に、これを実践した多くの党活動家と幹部に、筆舌につくしがたい犠牲をはらわせた。選挙での得票数は、一九四九年一月の衆議院選挙における三百万票弱から一九五三年四月の六十五万票へと大幅にへり、労働組合運動をはじめとする大衆運動、大衆諸組織への党の影響力も、大きく後退した。党勢も、一九四九年に十数万をかぞえた党員が、数万に激減するにいたった。これらは、アメリカ占領軍の凶暴な弾圧による打撃とともに、党の分裂の影響、とくに、極左冒険主義の誤りの深刻な結果をしめしたものにほかならなかった。
 極左冒険主義をめぐるこの歴史的経験は、兄弟党の経験や意見から必要な教訓を自主的、批判的に摂取するという域をこえて、外国の革命の路線を日本革命の指導路線としたり、外国の党指導者の主張や見解を絶対化して、その大国主義的おしつけに盲従したりすることが、日本革命の事業をどんなに危険な道にみちびくかということを、党と人民のにがい経験と犠牲をつうじて、あきらかにしたものであった。わが党は一九五八年の第七回党大会で、極左冒険主義の誤りをふくめ、五〇年問題の全面的な総括をおこない、その教訓にもとづいて、それ以後、今日の自主独立の路線を自覚的に確立した。また、毛沢東自身も、一九五九年三月、宮本書記長を団長とする日本共産党代表団との会談のさいに、中国共産党が、五〇年問題の時期に、日本問題にかんしてとった態度は正しくなかったとみずからすすんでのべ、わが党の内部問題への干渉や極左冒険主義の路線と「五一年綱領」のおしつけなどの誤りを、率直に承認したのである。
 ところが、いま、毛沢東一派は、以前はみずからもみとめた五〇年問題の教訓を無視して、ふたたび極左冒険主義の路線を日本の革命運動におしつけようとしており、西沢隆二、安斎庫治などの反党対外盲従分子などは、これに迎合して、第七回党大会で廃棄された「五一年綱領」までももう一度かつぎだして、かつて党と革命事業に重大な損害をあたえた極左冒険主義の戦術の「再評価」をおこなおうとしている。これは、毛沢東一派と反党対外盲従分子たちが、口先では日本の革命運動を望んでいるかのようによそおっているが、実際には、日本の革命運動を毛沢東一派の支配下におくことだけを目的とし、そのためには、革命の事業にどんな損害をあたえることもいとわない、挑発的かく乱者の立場にまで転落していることを、あらためて暴露したものである。
 さらに一九六四年一月の、日本人民の「反米愛国の統一戦線」についての毛沢東の発言と、それを一つの契機にした四・一七ストライキをめぐる誤りも、毛沢東の言説を絶対化して、これを日本人民の闘争の無条件の指針にする毛沢東崇拝の誤りを、日本人民の実践的経験をつうじて証明したものの一つであった。
 毛沢東は、一九六四年一月二十七日に、独立、民主、平和、中立をもとめる日本人民の闘争を支持する声明を発表し、そのなかで、アメリカ帝国主義だけを日本人民、日本民族の主敵とする「一つの敵」論の立場から、「日本人民の反米愛国の闘争」、「日本の各階層の人民の、アメリカ帝国主義の侵略と圧迫、支配に反対する愛国の統一戦線」について強調した。

 「日本は第二次世界大戦以後、政治、経済、軍事のうえで、ずっとアメリカ帝国主義の圧迫をうけてきた。アメリカ帝国主義は、日本の労働者、農民、学生、インテリゲンチャ、都市の小ブルジョアジー、宗教家、中小企業者を圧迫しているだけでなく、日本の多くの大企業家を支配し、日本の対外政策に関与し、日本を従属国にしている。アメリカ帝国主義は日本民族のもっとも凶悪な敵である。
 日本民族は偉大な民族である。アメリカ帝国主義が長期にわたって頭上に君臨するのを日本民族は絶対にゆるすはずがない。この数年来、日本の各階層の人民の、アメリカ帝国主義の侵略と圧迫、支配に反対する愛国の統一戦線はたえず拡大している。これは日本人民の反米国闘争の勝利のもっともたしかな保証である。中国人民は、日本人民がきっとアメリカ帝国主義を自国から追いだすことができるにちがいないし、独立・民主・平和・中立をもとめる日本人民の願いがきっと実現することができるとふかく信じている」

 毛沢東のこの声明は、基本的には、日本人民の闘争にたいする中国共産党の連帯の意思をつよく表明したものであった。しかし、日本の情勢や日本人民の闘争の発展の方向にたいするその評価は、高度に発達した資本主義国でありながらアメリカ帝国主義になかば占領されてその事実上の従属国となっている日本の情勢の基本的な特徴をも、アメリカ帝国主義と日本独占資本が、闘争の主要な打撃を集中すべき日本人民の二つの主敵であることをも正しくは理解せず、すべてをアメリカ帝国主義の支配とこれに反対する反米愛国の闘争に解消してしまう一面性におちいっていた。
 日本の情勢についての毛沢東のこの一面的な評価は、けっして偶然のものではなかった。当時、毛沢東を中心とする中国共産党指導部は、世界を、アメリカと社会主義陣営とそのあいだにある「広大な中間地帯」とにわけ、アメリカ帝国主義は、この「中間地帯」を侵略し、奪取しようとたくらんでいるから、「この地帯にあるすべての人民と国家」を、その国の支配階級をもふくめて反米国際統一戦線に結集する可能性がうまれているという、独得の「中間地帯」論をとなえていた。毛沢東らの主張によれば、中間地帯は、「アジア、アフリカ、ラテンアメリカのすでに独立した国といま独立をめざしている国」からなる「第一の中間地帯」と、「西ヨーロッパ全体、オセアニアとカナダなどの資本主義国」からなる、いいかえれば、アメリカ以外の世界の独占資本主義国のすべてをふくむ「第二の中間地帯」とにわかれており、この両方の地帯のすべての国ぐにが、アメリカ帝国主義に反対する国際統一戦線に参加しうるというのである。毛沢東ら中国共産党指導部は、この「中間地帯」論にもとづいて、アメリカ以外の世界の独占資本主義国の支配階級を、アメリカの支配に反対する「反米勢力」と評価し、日本だけでなく「すべての資本主義国と帝国主義国」において、プロレタリア政党は、国内の統一戦線の路線としてもアメリカ帝国主義とその手先に反対する「反米愛国の統一戦線」を基本方針とすべきだとする見解を主張していた。

 「第二の中間地帯にある国ぐには二重の性格をもっている。これらの国ぐにの支配階級は一方で他人を搾取し、抑圧しているが、他方でまたアメリカの支配、干渉、侮辱をうけている。それゆえ、かれらはなんとかしてアメリカの支配からぬけだそうとはかっている。この面では、かれらは社会主義諸国や各国人民と共通点をもっているのである」
 「すべての資本主義国と帝国主義国におけるプロレタリア政党の当面の重大な任務は、アメリカ帝国主義反対の旗を高くかかげ、自国のすべての愛国勢力と反米勢力を自身のまわりに団結させ、アメリカ帝国主義とその手先に反対するたたかいを断固としてすすめることである」(『人民日報』一九六四年一月二十一日付社説「アメリカ帝国主義に反対する全世界のすべての勢力は団結しよう」)

 発達した資本主義国の独占ブルジョアジーを「反米勢力」としては「社会主義諸国や各国人民と共通点をもっている」とまで評価し、それが、独立した帝国主義国においてはもちろんのこと、アメリカ帝国主義の政治的、経済的、軍事的な支配下にある日本などにおいても、人民の闘争の主要打撃をむけるべき主敵の一つであることを否定するこの「中間地帯」論の根底には、あきらかに、一種の独占資本弁護論が横たわっていた。
 すなわち、「中間地帯」論者は、多くの国の支配的独占ブルジョアジーが、社会主義陣営と民族解放運動、自国の革命運動に対抗するために、「アメリカを盟主とする軍事的、政治的同盟に結集している」(一九六〇年の共産党・労働者党代表者会議の声明)第二次大戦後の世界情勢の特徴、とくに日本では、復活強化した日本独占資本がアメリカ帝国主義との矛盾や対立をもちながらも、基本的には、アメリカ帝国主義との従属的同盟を維持し、そのアジア侵略政策の一翼をになう売国と侵略の道に、その軍国主義、帝国主義復活の基本的方向をもとめていることを理解できず、アメリカ帝国主義による主権侵害にたいするその国の独占ブルジョアジーの反発や対立だけを一面的に誇張し、日本の売国的独占資本などを解放前の中国の民族ブルジョアジーと同列視して、人民と共通点をもつ「反米勢力」と評価するにいたったのである。
 しかし、こうした評価がまったく一面的、主観的なものであることは、その後の国際情勢、とくに日本の情勢の進展によって、すでにあますところなく証明されている。
 毛沢東が「中間地帯」論にもとづいて提唱した「反米愛国の統一戦線」の方針は、あきらかに、アメリカ帝国主義および日本独占資本という二つの敵とたたかう反帝反独占の統一戦線という、わが党の綱領の路線とは異なるものであった。わが党の中央委員会幹部会は、一九六四年一月にひらかれた、第九回党大会の準備のための会議のなかでも、日本人民の敵が、アメリカ帝国主義および日本独占資本という二つの勢力であること、日本人民の闘争を正しく発展させるためには、そのどちらを軽視する一面的なあやまりにたいしても、十分警戒しなければならないことをあらためて確認している。ところが、その後、宮本書記長をはじめすくなからぬ指導的同志が海外出張で不在となり、幹部会の集団指導がよわまった条件のもとで、故聴濤克己同志や安斎庫治などを中心とする一部の人びとは、幹部会の確認に反して、この毛沢東の発言に無批判に追随してアメリカ帝国主義に反対するという面だけを一面的に強調するようになり、反帝反独占の統一戦線という党の基本路線を、アメリカ帝国主義だけを主敵とする「反米愛国の統一戦線」という毛沢東の一面的スローガンにおきかえ、そこから、闘争指導のなかで一連の誤りをおかすにいたった。そして、こうした傾向が、労働運動の指導における一連の誤った傾向とむすびついて一つの頂点に達したのが、四・一七問題での誤りであった。すなわち、春闘のなかで準備されていた四・一七のストライキ計画をも、アメリカ帝国主義との闘争という面からのみ評価して、労働者階級の経済要求にもとづく闘争の反独占的性格とその重要性を正しくみることができず、ついには、このストライキを計画した労働組合幹部のなかに、国際自由労連とふかいむすびつきをもった幹部がいることを理由に、「アメリカ帝国主義のたくらむ挑発スト」というあやまった規定をおこない、ストライキを回避することを事実上最大の目標にするという、誤った立場におちいってしまったのである。一部の反党盲従分子は、いま、四・一七問題は「宮本一派」の「議会主義」、「修正主義」の路線の産物だなどとでたらめをいって、これをわが党の路線を中傷する材料にしようとしているが、これが事実をまったく逆立ちさせたはかない詭弁であるということはいうまでもない。事実の経過がしめしているように、この誤りは、まさに、この問題の指導にあたった一部の人が、党綱領と一月の幹部会の意思統一から逸脱した結果、また宮本書記長をはじめ一連の幹部会員が海外からよせた適切な批判を故意に無視することでおかされた誤りだったのである。
 わが党は、その後、幹部会を先頭にただちにこの誤りをただし、一九六四年八月の第九回中央委員会総会および十一月の第九回党大会で、この誤りの思想的根源まで掘りさげた徹底した解明までおこなって、この誤りを克服してきた。この重大な誤りを安斎らとともに直接中心となって推進した聴濤同志自身、第九回党大会では、反米愛国の統一戦線という路線を機械的、教条的に日本にもちこんだ教条主義、セクト主義の誤りについての自己批判を発表し、これが、「現実と実践からはなれ、理論を教条としてしか適用してない小ブルジョア的革命家の傾向」をあらわしたものだったとのべた。そして、党中央委員会は、第九回党大会直後にひらかれた第一回総会での幹部会の選出にあたって聴濤同志(それまで幹部会員)らを幹部会の構成からのぞくことによって、誤った指導の個人的責任をも明確にしたのである。しかし、四・一七問題でおかされた指導上の誤りは、党と労働組合のむすびつきと、労働組合運動における党の影響力に深刻な打撃をあたえ、その後の全党の奮闘によって党の影響力は着実に回復したにもかかわらず、その否定的な結果は、今日にいたるまでもまだ全面的には克服されないでいる。
 このように一九六四年の「反米愛国統一戦線」についての毛沢東の声明と四・一七問題の誤りは、五〇年当時の極左冒険主義の路線のおしつけとともに、毛沢東らが、日本問題にたいして戦後何回も誤った態度をとってきたことをあきらかにするものであり、さらに毛沢東の言説を無条件の真理として盲信し、これを日本人民の解放闘争の指針とすることの危険な結果を、もっとも鋭いかたちでしめしたものであった。
 今日、毛沢東一派は、「毛沢東思想」の絶対化を旗じるしとして、わが党の革命運動、民主運動がその誤った路線を日本人民の闘争の最高の指導理論とすることを強要し、かつてみずから自己批判した大国主義的干渉の誤りを、以前よりもはるかに極端な、大国的排外主義のごう慢さをむきだしにしたかたちでくりかえそうとしているが、日本の党と人民は、このような毛沢東路線の絶対化をけっしてゆるさず、かれらの野望を粉砕して、マルクス・レーニン主義の純潔をまもりぬき、日本人民の闘争の自主性と、正しい路線とをまもりぬくであろう。

  四 国際共産主義運動の悪質なかく乱者

 毛沢東一派による「毛沢東思想」の絶対化とその内外にわたるおしつけは、世界人民の反帝闘争および社会主義、共産主義の事業に背反する極左日和見主義、分裂主義の路線を、世界の共産主義運動、革命運動の全体におしつけ、国際共産主義運動をも毛沢東一派の専制支配のもとにおこうとする計画とむすびついている。

  (1)世界人民の反帝闘争の利益にそむく「反米反ソ統一戦線」論

 第一に、毛沢東を中心とする中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子は、アメリカ帝国主義の侵略に反対する全世界の反帝民主勢力の国際統一行動と統一戦線に反対して、国際共産主義運動が「反米・反ソ統一戦線」の立場、反帝民主勢力の隊列を決定的に分裂させる分裂主義の立場にたつことを、公然と要求している。
 中国共産党指導部は、数年前までは、すべての反帝民主勢力を結集する反帝国際統一戦線の路線、この国際統一戦線の中核として、ソ連をふくむ社会主義陣営と国際共産主義運動の団結を強化する路線を主張し、この路線にたつかどうかが「プロレタリア国際主義の試金石」だとまで主張していた。たとえば、中国共産党は、四年前の一九六三年六月、世界の共産党・労働者党が一致して採択した一九六〇年の声明に事実上かわるべきものとして、「国際共産主義運動の総路線についての提案」を提出した。これは、「中国共産党第十一回中央委員会総会の公報」によれば、毛沢東の「直接の指導のもとで作成された」ものとされているが、このなかでも、この「総路線」の重要な基本的内容のひとつとして、「社会主義陣営と国際プロレタリアートを中核とし、アメリカを先頭とする帝国主義と各国反動派に反対する広範な統一戦線をうちたてる路線」を主張し、同時に、十三の国からなる「社会主義陣営全体を断固まもるかどうか、この陣営を構成するすべての国のマルクス・レーニン主義にもとづく団結をまもるかどうか」を「それぞれの共産党のプロレタリア国際主義をためす試金石」の一つとしてあげていた。この見地は、フルシチョフソ連共産党指導部が、米英両国と部分核停条約をむすび、ケネディなどの美化と無原則的な対米協調の政策を公然と追求しはじめたのちにおいても、変更されなかった(たとえば、『人民日報』編集部・『紅旗』編集部「二つの根本的に対立する平和共存政策」、一九六三年十二月)。当時は、中国共産党指導部も、フルシチョフらの修正主義路線を批判するさい、わが党と同じようにアメリカ帝国主義との闘争を回避する日和見主義にその批判のほこさきを正しくむけ、これにたいして、すべての反帝民主勢力の反米統一戦線の強化をめざす立場をとっていたのである。
 ところが、毛沢東を中心とする中国共産党の一部指導集団は、一九六五年の秋ごろから、反米統一戦線の問題についての従来の路線を根本的に変更して、ソ連共産党を組織的に排除した「反米・反ソの国際統一戦線」の路線を主張しはじめた。一九六五年十一月十一日、『人民日報』編集部・『紅旗』編集部の論文「ソ連共産党指導部のいわゆる『共同行動』を反ばくする」ではじめて表明されたこの路線は、のちに「プロレタリア文化大革命」の最中にひらかれた一九六六年八月の中国共産党第十一回中央委員会総会の決議のなかで確認され、中国共産党の公認の路線とされた。

 「アメリカ帝国主義を最大限に孤立させ、これに打撃をくわえるためには、アメリカ帝国主義とその手先に反対するもっとも広範な統一戦線をうちたてなければならない。ソ連修正主義指導グループは、ソ米協調による世界支配の政策をおしすすめ、国際共産主義運動と民族解放運動のなかで分裂、破壊、転覆活動をおこない、さかんにアメリカ帝国主義のお先棒をかついでいる。かれらがこの統一戦線にふくまれないのは、もちろんのことである」(「中国共産党第十一回中央委員会総会の公報」)

 毛沢東一派のこの方針は、わが党が、論文「ふたたびアメリカ帝国主義に反対する国際統一行動と統一戦線の強化について」(「赤旗」一九六六年八月八日)などで詳細に解明してきたように、マルクス・レーニン主義の統一戦線政策を、まっこうからふみにじったものである。
 レーニンは、「共産主義内の『左翼主義』小児病」のなかで、プロレタリアートは、主要な敵である帝国主義、反動勢力にうちかつためには、敵の陣営内のあらゆる利害の対立を利用し、また、どんな「一時的な、動揺的な、条件的な同盟者」とでも手をむすぶことを理解しなければならない、と教えている。

 「力のまさっている敵に打ち勝つことは、最大の努力をはらう場合にはじめてできることであり、かならず、もっとも綿密に、注意ぶかく、慎重に、たくみに、たとえどんなに小さなものであろうと敵のあいだのあらゆる『ひび』を利用し、各国のブルジョアジーのあいだや、個々の国内のブルジョアジーのいろいろなグループまたは種類のあいだのあらゆる利害の対立を利用し、また大衆的な同盟者を、よしんば一時的な、動揺的な、ふたしかな、たよりにならない、条件的な同盟者でも、手にいれる可能性を、それがどんなに小さいものであろうと、すべて利用する場合にはじめてできることである。このことを理解しないものは、マルクス主義と科学的な近代社会主義一般をすこしも理解しないものである」(レーニン「共産主義内の『左翼主義』小児病」、全集三十一巻五八ページ、太字はレーニン)

 レーニンは、つづいて、この見地を、日和見主義、修正主義の潮流にたいする態度の問題に適用し、共産主義者は、さまざまな日和見主義、修正主義の勢力と政治的、思想的にはつねに明確に一線を画しながら、組織上は、情勢に応じた柔軟な態度をとり、必要な場合には、広範な人民を結集して敵に効果的な打撃をあたえるために、これらの勢力との統一行動、統一戦線を積極的に推進する必要があると、教えている。
 レーニンは、この見地から、ロシアの革命運動においても、「社会革命党」、メンシェビキなどの日和見主義的潮流と、思想的、政治的なたたかいを一貫してつづけながら、あれこれの時期に、情勢の必要におうじてこれらの潮流と一定の「政治的ブロック」(「共産主義内の『左翼主義』小児病」)をむすぶことをこばまなかったし、国際的にも、同じような統一戦線政策を、状況におうじて展開してきた。また、十月革命に勝利し、コミンテルン(第三インタナショナル)が結成されたのちにおいても、レーニンは、国際資本にたいする闘争において、コミンテルンが第二インタナショナルなどに結集した社会民主主義諸党にたいして、国際的にも、各国国内でも、統一戦線の戦術をとることを主張し、コミンテルンの統一戦線活動の直接の指導にあたった。第二インタナショナルは、当時の日和見主義、修正主義の潮流の中心であり、レーニンは、これを「反革命的な世界ブルジョアジーとのブロックの不徹底な動揺的な参加者」とみなしていた。しかし、レーニンはそれにもかかわらず、これらの潮流との統一戦線戦術が、第一に、国際資本にたいする闘争にもっとも広範な労働者を結集するために、第二に、第二インタナショナルの立場の誤りを広範な大衆に実践をつうじて理解させ、この日和見主義的潮流を真に克服するために、かくことのできない政策だとして、これを追求したのである。

 「統一戦線戦術の目的と趣旨は、資本に反対する闘争を共同で遂行しようという提案を、第二インタナショナルや第二半インタナショナルの指導者にたいしてさえ、くりかえしおこなうことをためらわずに、そういう闘争にますます広範な労働者大衆を引き入れることにある」(レーニン「ロシア共産党(ボ)のコミンテルン派遣代表団の活動報告についての決議案への提案」、全集四十二巻五七一ページ)
 「第二インタナショナルと第二半インタナショナルを、われわれはまさに反革命的な世界ブルジョアジーとのブロックの不徹底な動揺的な参加者とみなしている……、われわれが統一戦線についての協議に応じるのは、大衆の当面の行動における可能な実践的統一を達成するためであり、また第二および第二半インタナショナルの立場全体の政治的な誤りを暴露するためであって、それは後者(第二および第二半インタナショナル)がこの協議に応じるのは、大衆の当面の行動の実践的統一をはかるためであり、またわれわれの立場の誤りを政治的に暴露するためであるのとまったく同様である……」(レーニン「エヌ・イ・ブハーリンおよびゲ・イェ・ジノビエフへの手紙」、全集四十二巻五四三ページ)

 これらが、マルクス・レーニン主義の統一戦線政策の基本的な立脚点である。これは、修正主義の潮流とは、思想上だけでなく、組織上もつねに一線を画さなければならず、したがって、いっさいの「共同行動」を拒否すべきだなどという毛沢東一派の議論が、マルクス・レーニン主義の統一戦線政策とは無縁のものであることを、はっきりと物語っている。とくに、今日、毛沢東一派が、「修正主義との闘争」の名のもとに反帝国際統一戦線か排除しようとしているのは、なお国際共産主義運動に席をしめているソ連共産党であり、なお社会主義陣営の一員であるソ連人民である。しかも、今日、フルシチョフ失脚後のソ連共産党指導部は、一面では従来の誤った路線を根本的に転換することを回避して根づよくそれを残しながらも、他面では真のマルクス・レーニン主義党の批判と世界人民の圧力によって、一定の反米的態度とベトナム人民支援の行動の強化を余儀なくされるという、新しい二面的態度をとっており、ソ連をもふくめてすべての反帝民主勢力を結集し、反帝国際統一行動と統一戦線を前進させる可能性とその必要性は、いよいよつよまっている。こうしたときに、毛沢東一派は、修正主義との闘争の重要性を口実に、反帝統一戦線の方針を拒否し、さらに、ソ連共産党指導部を、アメリカ帝国主義と同列の世界人民の主敵、統一戦線の敵とみなす立場を固執しているのである。毛沢東一派のこの「反米・反ソ統一戦線」論が、ブルジョアジーの陣営内の対立さえどんな小さなものでも利用し、どんなふたしかな同盟者でも、結集できるかぎりの勢力を結集して、主敵に打撃をあたえることを要求するマルクス・レーニン主義の統一戦線政策にまっこうから背反し、これを公然と否定したものであることは、明白である。
 このような「反米反ソ統一戦線」の主張が、反修正主義闘争の名のもとに、国際共産主義運動と社会主義陣営の団結、反帝民主勢力の国際的団結の強化に公然と反対するものであり、ベトナム人民をはじめ世界の人民の反帝闘争の利益にそむき、アメリカ帝国主義をよろこばせる分裂主義の主張であることは、明白である。
 それだけではない、毛沢東一派の極左日和見主義分子は、最近では、ソ連共産党指導部の反帝国際統一戦線からの排除を主張するにとどまらず、わが党などかれらの「反米・反ソ統一戦線」論に同調しないすべての勢力を、「ソ連修正主義の新旧の追随者」などとののしって敵視し、かれらの「統一戦線」の敵のなかに数えこむにいたった。すでにのべてきたように、かれらが、日本共産党を、アメリカ帝国主義、ソ連修正主義、佐藤反動政府とともに「日中両国人民の共同の敵」と規定し、この「四つの敵」に反対する日中両国人民の「共同闘争」をとなえているのは、その典型的なあらわれである。
 このように、いま、毛沢東一派が、国際共産主義運動におしつけようとしている「反米・反ソ統一戦線」の路線は、かつて抗日戦争の時代に蒋介石国民党の二面的態度を正確に分析し、「一面団結、一面闘争」という方針のもとに正しく適用された抗日民族統一戦線という毛沢東と中国共産党自身の理論と経験を投げすてたものであるだけでなく、もはや、マルクス・レーニン主義の統一戦線政策とは、ひとかけらの共通点もないものとなっている。それは、「毛沢東思想」の旗のもとに毛沢東一派への盲従分子だけを結集し、帝国主義と反動勢力にたいしてでなく、なによりもまず、毛沢東一派に盲従しない反帝勢力に攻撃のほこさきをむけた「統一戦線」であり、統一戦線の方針どころか、反帝民主勢力の国際的な隊列の分裂、破壊、かく乱の方針にほかならないものである。

  (2)極左冒険主義をけしかける「人民戦争万能論」

 第二に、毛沢東一派は、中国革命の経験の不当な絶対化にもとづく「人民戦争万能論」をかかげて、各国の革命運動が、挑発的な極左冒険主義の路線を採用することを、要求している。
 数年前までは、中国共産党指導部は、自国の「人民戦争」の経験を、世界各国の革命運動に一律におしつけるようなごう慢な独断的態度はとらず、資本主義諸国のプロレタリア政党が、革命の「二つの手法」を準備すること、つまり、「革命の平和的発展を準備するとともに、革命の平和的でない発展にたいしても十分な準備をする」ことを積極的に主張し、「客観的な条件がまだ熟さないときにかるがるしく革命をおこ」そうとする「左翼」冒険主義にたいしても、必要な警告をおこなっていた(「国際共産主義運動の総路線についての提案」)。
 その後、中国共産党指導部は、この見解に大きく変更をくわえはじめた。すなわち、一九六四年三月の『人民日報』編集部・『紅旗』編集部の論文「プロレタリア革命とフルシチョフ修正主義」では、革命の「二つの手法」を準備するという見地はとりさげられ、プロレタリア政党はどんな場合でも、「革命的武装闘争」による権力獲得の路線を堅持しなければならないという「暴力革命唯一論」によっておきかえられた。しかし、この問題でいっそう重大な転換がおこなわれたのは、一九六五年九月に発表された林彪の論文「人民戦争の勝利万歳」においてである。この論文が、一九六七年七月七日付『人民日報』社説「人民戦争は天下無敵である」によってあらためて称賛され、八月一日付『人民日報』に再録されたことは、林彪の論文に毛沢東が全面的承認をあたえていることをしめしている。林はこの論文のなかで、「暴力革命」を権力獲得のただ一つの方法として絶対化するにとどまらず、農村に根拠地をうちたて、長期にわたる武装闘争をおこなって、農村から都市を包囲し、最後に都市を奪取するという中国の「人民戦争」の方式を、世界各国の革命運動がかならずたどらなければならない道として絶対化し、すべての被抑圧民族と被抑圧人民に勇気をもって「人民戦争」にたちあがることをよびかけたのである。

 「農村の革命的根拠地を樹立し、農村によって都市を包囲するという毛沢東同志の理論は、今日の世界におけるすべての被抑圧民族、被抑圧人民の革命闘争、とりわけアジア、アフリカ、ラテンアメリカの被抑圧民族、被抑圧人民の、帝国主義とその手先に反対する革命闘争によって、いっそうきわだった普遍的な現実的意義をもっている」(林彪「人民戦争の勝利万歳」)

 中国革命が長期にわたる革命戦争の形態をとったのは、毛沢東がかつてくりかえし解明したように、広大な半植民地的、半封建的国家で、軍閥が割拠し、武装した革命が武装した反革命とたたかうなど、中国革命特有の一連の特徴にもとづくものであった。
 たとえば、毛沢東は、第六回党大会中央委員会総会(一九三八年)での報告の結論のなかで、長期の合法的闘争をつうじて革命を準備し、革命的情勢の成熟のもとで蜂起(ほうき)や戦争にすすむことが資本主義諸国における共産党の任務であることを指摘したうえで、中国の革命運動の路線についてつぎのようにのべていた。

 「中国はそれとはちがっている。中国の特徴は、半植民地的、半封建的な国であって、独立した民主主義国ではないこと、内部的には封建制度の抑圧をうけていて、民主主義制度がないこと、外部的には帝国主義の抑圧をうけていて、民族の独立がないことである。したがって、利用できる議会もなければ、労働者を組織してストライキをおこなう合法的権利もない。ここでは、共産党の任務は、基本的には、長期の合法的闘争をつうじて蜂起や戦争にすすむことでなく、また、さきに都市を占領し、あとから農村を奪取することでもなく、それとは反対の道をあゆむことである。……
 これらのすべては、中国と資本主義国とのちがいをしめしている。中国では、主要な闘争形態は戦争であり、主要な組織形態は軍隊である」(「戦争と戦略の問題」、『毛沢東選集』二巻上二六九~二七〇ページ)

 毛沢東が当時、中国での「人民戦争」方式-農村に革命根拠地をつくり、農村によって都市を包囲するという革命戦争の方式を、中国独特の条件にもとづくものとみなし、世界革命の普遍的形態などとは主張していなかったことは、明白である。
 その後、世界の革命運動のなかでは、朝鮮、ベトナム、キューバなどの国ぐにの人民が、多くの点で中国とは異なる諸条件のもとで、またその国独特の形態と戦術によって長期にわたる人民解放戦争をたたかい、人民の解放をかちとった。また、南ベトナム人民をはじめ、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの一連の諸国の人民は、今日、人民戦争をたたかっているか、あるいはその任務に直面している。わが党は、これらの国ぐにでの人民解放戦争の積極的意義を否定するものではすこしもなく、世界の被抑圧人民の正義の解放戦争にたいしては、これを支持し、プロレタリア国際主義にもとづく連帯の立場を堅持してきた。
 しかし、このことは、人民戦争が、世界各国のどこにでも、またいつでもあてはまる革命運動の普遍的形態、各国人民の解放闘争がかならずとおらなければならないただ一つの道となったことを意味するものではもちろんないし、ましてや、中国における人民戦争の特殊な方式――農村に革命根拠地を樹立し、農村によって都市を包囲するという方式を、世界革命の普遍的原則にまでまつりあげようとする毛沢東一派の議論を、正当化するものではけっしてない。
 中国革命の経験を不当に絶対化し、各国の具体的情勢の科学的分析を無視して、農村での革命根拠地の建設や長期的な武装闘争などを一律におしつけようとするこの「人民戦争万能論」の反マルクス・レーニン主義的誤りについては、わが党が評論員論文「極左日和見主義者の中傷と挑発」ですでに詳細に批判したところである。それは、評論員論文が指摘しているように、「革命運動の理論と戦術についてのマルクス・レーニン主義の理論的、政治的達成のすべてをなげすてることであり、革命を人民自身の事業とみなすマルクス・レーニン主義の立場から、人民大衆からはなれて『武装闘争』をもてあそぶ極左冒険主義の道に、まっすぐとびうつること」にほかならないのである。
 この「人民戦争万能論」は、また、世界革命の展望についての誤った観念的な図式にまで「発展」させられた。林彪は、その論文のなかで、世界各国の情勢と人民の運動についての最小限必要な科学的研究もおこなうことなく、「農村による都市の包囲」という毛沢東の公式を勝手に世界革命全体にまで拡大してあてはめ、「世界の農村」であるアジア、アフリカ、ラテンアメリカでの革命運動を、もっぱら世界革命の事業の主力とみなす独断的主張を展開した。

 「世界的な視野からこの問題をみた場合、北アメリカ、西ヨーロッパを『世界の都市』としたならば、アジア、アフリカ、ラテンアメリカは『世界の農村』ということになる。第二次大戦後、北アメリカ、西ヨーロッパの資本主義諸国のプロレタリア革命運動は、さまざまな原因によって、一時ひきのばされてきたが、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ人民の革命運動はすばらしい勢いで発展してきた。今日の世界革命も、ある意味では、やはり農村による都市の包囲という形勢にある」

 これは、発達した資本主義国における労働者階級の革命闘争を世界社会主義革命の第二義的、受動的要因とみなす毛沢東一派の反マクルス・レーニン主義的見地をしめしたものである。同時に、ここには「農村による都市の包囲」などといった中国革命の特殊性を反映した命題を、いかなる科学的根拠もなしにどこにでもあてはまる絶対的公式に独断的にしたてあげるにとどまらず、この公式をさらに飛躍させて世界革命全体にあてはめて「世界の農村」による「世界の都市」の包囲などという観念的な図式をこしらえあげるかれらの形而上学的、観念論的思考方法が暴露されている。
 今日、とくに重要なことは、毛沢東一派が、反マルクス・レーニン主義的「人民戦争万能論」を最大の「理論的」根拠として、昨年来、わが国の民主運動にたいして、一九五〇年来の経験のなかですでに破産ずみの極左冒険主義の挑発的方針をおしつけることを公然とくわだてはじめたことである。かれらは、わが党の綱領が、かれらの「人民戦争万能論」をとりいれず、「暴力革命唯一論」の立場をとっていないことを理由として、わが党とその路線にたいして、「フルシチョフ修正主義」だとか「階級投降」政策だとかいった非難をくりかえし投げつけてきたが、中国を訪問した各種の日本側代表団にたいする工作や、いろいろな名目で訪日した中国側代表団の日本側との接触のなかでは、「武装闘争」の路線をいっそうあからさまにおしつけてきた。たとえば、昨年八月二十三日、教育事情視察訪中団の招待宴のあいさつのなかで、中国共産党中央委員である廖承志中日友好協会会長は、つぎのようにのべたが、このような事例は、枚挙にいとまがないほどである。

 「日本の一部の人たちは、中国が日本人民に武装蜂起をおしつけるのでけしからんといっています。日本人民に武装蜂起をすすめるのは、米中戦争で中国を応援してもらうためではありません。日本人民にとって武装蜂起の戦術が唯一の正しい戦術であるとわたしたちは確信しているからです」

 武装闘争のこうしたおしつけは、日本にたいしてだけおこなわれているのではない。最近は、毛沢東一派の極左日和見主義、大国主義分子は、インドなど近隣諸国の革命運動について、『人民日報』などの紙上で、この国の革命は、「毛沢東の道」、「中国革命がたどった道」をたどるべきだ、「これ以外にいかなる道もありえない」(一九六七年七月五日付『人民日報』社説、「インドにとどろく春雷」)などと、公然とその国の名前をあげて主張しはじめた。
 このように、毛沢東一派は各国の革命運動に極左冒険主義の挑発的路線をおしつけるために、外国の革命運動に公然と介入し、北京からあれこれの国の革命運動の「すすむべき道」を公然とさしずすることまで、やりはじめたのである。
 各国の革命運動の詳細な分析にもとづいて革命運動の共通の法則を科学的に分析したレーニンは、同時にそれぞれの国の革命がその国の人民自身の事業であり、それぞれの国の革命運動は、独特の道を独自のテンポですすむこと、その国の革命の特徴や運動のもりあがりのテンポを十分に知らない人びとが外部から干渉することが、革命にどんなに大きな害をあたえるかをよく理解していたので、ロシア革命が歴史的な勝利をおさめ、世界の革命運動の前途をしめすその国際的意義があきらかになったのちにおいても、ロシアの共産主義者が外部からの干渉によって各国の革命運動に損害をあたえることをつよくいましめた。

 「われわれは、われわれの干渉がかれらの革命に害をあたえないように気をつけよう。それぞれの革命の変化と盛りあがりを理解する必要がある。われわれが目で見て、体験してきたことであり、他の人よりもよく知っていることであるが、それぞれの国では、革命は別々の道をたどるものである。そして、この道は非常にさまざまであるから、革命は一年おくれることも、二年おくれることもありうる。世界革命はどこでも、あらゆる国で、同一の道をたどるというようにスムースにやれるものではない――もしそのようであれば、われわれはもうとうの昔、勝利していたであろう。各国は一定の政治的段階をとおらなければならない。……そしていま革命がドイツに近づいたとき……革命のもりあがりのテンポを知らない人びとがこれらの諸事件に干渉することは、自分はなによりもこの過程を意識的なものにすることに注意をむけているといっている自覚した共産主義者たちに、害をあたえる恐れがある」(レーニン「全ロシア中央執行委員会、モスクワ・ソビエト、工場委員会、労働組合の合同会議での報告」、一九一八年十月、全集二十八巻一二四ページ)

 レーニンのこの遺訓は、今日、きわめて重要な現実的な意義をもっている。そのことは、一九五〇年の党分裂の時期のわが党の経験によっても、外部からの大国主義的干渉やそれとむすびついた戦術上の誤りなどによって、重大な困難や障害に直面したアジアのいくつかの党の戦後の経験によっても、あきらかである。毛沢東一派は、レーニンのこの遺訓をふみにじり、戦後の歴史的教訓をも否認して、外国の革命運動に介入し、極左冒険主義の戦術をおしつけるという、もっとも極端な大国主義的干渉の道に公然とふみだすことによって、無責任な挑発をこととする国際共産主義運動のかく乱者の立場への転落を、この面からもみずから証明してみせているのである。

  (3)社会主義諸国の転覆を説く反社会主義的綱領

 第三に、毛沢東一派は、ソ連などいくつかの社会主義国がすでに資本主義国に変質したと主張して、社会主義国における党と国家の転覆をめざす反社会主義的路線を、社会主義陣営全体におしつけようとしている。
 毛沢東一派の特殊な議論によれば、現在、ソ連をはじめいくつかの社会主義国では、資本主義の復活は基本的に完了し、国家は、ブルジョア独裁の国家に変質してしまっている。

 「国際プロレタリアートの独裁の歴史での最大の教訓は、最初の社会主義国ソ連で、修正主義グループに党と国家の指導部をのっとられ、資本主義の復活がおこなわれたことである。その他のいくつかの社会主義国でも、こうした事態がおこっている」(『紅旗』編集部・『人民日報』編集部「偉大な歴史的文献」、一九六七年五月十八日付『人民日報』)
 「ソ連では、フルシチョフ裏切り者一味が政権の座につき、レーニンがみずからつくりあげたソ連共産党は修正主義の党に変わり、最初の社会主義国家はブルジョアジー独裁の国家に変わった。その他いくつかの社会主義国においても、こうした事態が発生した」(『紅旗』一九六七年第十一号社説「毛沢東思想はわが党の勝利への道を明るく照らしている」)

 これは、まったく、毛沢東一派の非科学性と独断とをむきだしにさらけだした議論である。
 いうまでもなく、今日のソ連の社会主義建設の複雑な事態をみず、すべてを共産主義への移行をめざす順調な発展として美化して、ソ連共産党内部にある修正主義的傾向とその有害な結果を否定することは、大きな誤りである。だが、同時にソ連共産党内部の修正主義的傾向を敵視するあまり、ソ連では、十月革命後、長期にわたる社会主義建設の過程をつうじて確立された工業、農業における社会主義的生産関係が、すでに資本主義の生産関係に変質してしまい、ソ連が社会主義国から資本主義国家、ブルジョアジー独裁の国家に変質してしまったとか、ソ連の支配勢力はアメリカ帝国主義と同じような侵略勢力に転化してしまったなどと主張することは、ソ連の現実に即さないものであり、もっとも極端な主観主義的、非科学的な誤りをおかすものといわなければならない。
 毛沢東一派は、ソ連共産党指導部を国際共産主義運動から排除しようとするその理論を合理化するために、現代修正主義にたいする正当な批判を、「赤色帝国主義」についての反動勢力の反共宣伝や、「スターリン官僚主義国家」なるものについてのトロツキズムのいいふるされた主張と同じ水準のものにおきかえるところまで、つきすすんでしまったのである。
 毛沢東一派は、さらに、最近の『人民日報』などで、ソ連における「ファッショ的独裁」と「階級矛盾」の先鋭化、あらたな政治的「爆発」の不可避性などについて、しきりに論じている。毛沢東一派が、今日のソ連など「復活した資本主義の国家」、「ブルジョア独裁の国家」と断定する以上、「人民の革命」による社会主義国家の打倒という結論、トロツキズムの立場と寸分かわりない結論に到達せざるをえないのは、当然である。そして、ここでは、中国における「プロレタリア独裁」のもとでの「文化大革命」のなかでいまおこっているような、党組織、国家組織の解体と私物化ともことなって、まさに「ブルジョア独裁」の「粉砕」の名のもとに、すなわち党と国家の中央機関をもふくめて、共産党と社会主義国家の全体が、打倒、粉砕の対象とされるのである。これは、まさに、さきに紹介したトロツキーの「第二の補足的革命」論そのものである。
 毛沢東一派は、ソ連における現代修正主義の潮流の存在を根拠として、社会主義国家を打倒する「人民革命」というトロツキスト的、反社会主義的綱領を国際共産主義運動全体におしつけようとしているのである。
 これが、国際労働者階級の生みの子である社会主義世界体制を解体、崩壊させようとするものであり、まさにアメリカ帝国主義の各個撃破政策と、かれらが夢にまで見ている期待にこたえるもっとも犯罪的な策動であることは、指摘するまでもないであろう。

  (4)「再編分化」論の分裂主義

 第四に、毛沢東一派は、「今日は大変動、大分化、大再編の時代である」などという分裂主義のスローガンをかかげてそのかく乱活動を合理化しつつ、国際共産主義運動全体の公然たる分裂と毛沢東一派の支配の実現をめざしてまっしぐらに進んでいる。
 さきに引用した一九六五年十一月十一日付の『人民日報』編集部・『紅旗』編集部の論文「ソ連共産党新指導部のいわゆる『共同行動』を反ばくする」は、つぎのようにのべている。

 「当面の世界情勢の特徴は、国際的階級闘争が日ましに深まっている状況のもとで、いま大きな変動、大きな分化、大きな再編が進行しているということである。……各種の政治勢力は、いま世界的規模ではげしく分化し、あらためて編成されつつある」

 ここでいわゆる「各種の政治勢力」のなかで、なによりもまず、国際共産主義運動の「世界的規模」での「再編分化」が問題にされていること、そしてこの国際共産主義運動の「再編分化」なるものが、第一に、「ソ連共産党新指導部がまったくアメリカ帝国主義に反対せず、しかもアメリカ帝国主義と同盟をむすび、アメリカ帝国主義と連合して世界を支配しようとしている」こと、つまりいわゆる「米ソ神聖同盟」の結成によるソ連共産党指導部などの敵陣営への移行なるものをさしていることは、いうまでもない。
 国際共産主義運動の「再編分化」の第二は、反修正主義闘争からの一部勢力の「落伍(らくご)」である。

 「フルシチョフ修正主義に反対する闘争が先鋭化し、深刻化するにつれて、革命の隊列のなかには、つねに新しい分化が不可避的におこり、どうしても一部の人が革命の隊列から落伍していくものである」(同前)「再編分化」の第三は、いわゆる「左派」の「党」、グループの結成である。
 「いま多くの国でマルクス・レーニン主義者が修正主義グループと決別して、マルクス・レーニン主義的な政党や組織をあらためて建設したり、新しく建設したりしているのはソ連共産党指導部が修正主義、大国排外主義、分裂主義を実行した必然的な結果であり、これら諸国のマルクス・レーニン主義者が修正主義者とたたかった必然的な結果であり、国際的階級闘争と国内の階級闘争が日ましに深まっていく状況のもとで革命勢力が再編成された必然的な結果である」(同前)

 こうした「革命勢力の再編成」のうえに立って、論文は、つぎのような任務を提起する。

 「現在、各国のマルクス・レーニン主義政党のまえによこたわっている任務は、アメリカ帝国主義のお先棒をかつぐ修正主義分子と政治的、組織的に一線を画し、フルシチョフ修正主義をとりのぞいて、アメリカ帝国主義とその手先に反対する革命闘争の高まりをむかえることである」(同前)

 毛沢東一派が、アメリカ帝国主義と「神聖同盟」なるものをむすんでいるソ連共産党など、および最近「落伍」してその「新しい追随者」なるものとなったわが日本共産党などと「政治的、組織的に一線を画し」、毛沢東一派の専制的支配下の中国共産党をはじめとし、最近「あらためて建設」されたり、「新しく建設」されたりした「マルクス・レーニン主義政党」を結集しようとしていることはあきらかであろう。これは、事実上、一九五七年の宣言と一九六〇年の声明の公然たる廃棄の宣言、国際共産主義運動の決定的分裂の宣言、毛沢東一派に追従する「革命」勢力の国際的結集の宣言以外のなにものでもない。
 毛沢東一派は、こうした分裂主義の「哲学的根拠」を、いわゆる「一つが二つに分かれる」という「弁証法」のうちにもとめている。つまり、世界のすべての事物は「一つが二つに分かれる」というのが弁証法の根本法則であり、国際共産主義運動が分裂するのは当然だというのである。
 事物の具体的分析をおこなわずに、哲学的命題から、いきなり政治的結論をひきだしてくる、こうした方法自体が、弁証法的唯物論に反した形而上学的なものであることは、いうまでもない。エンゲルスは、こうした反唯物論的やり方をかたくいましめて、つぎのようにのべている。

 「もろもろの原理は研究の出発点ではなくて、それの最後の成果となる。もろもろの原理が自然と歴史とに適用されるものではなくて、後者から前者が抽象されるものである。自然と人間界とがもろもろの原理にのっとるのではなく、もろもろの原理は、それが自然と歴史とに一致するかぎりでだけ、正しいのである。これが、この問題についての唯一の唯物論的な見解である」(エンゲルス「反デューリング論」)

 膨大な政治論文を書いているマルクスもエングルスも、レーニンも、具体的な政治的分析なしになんらかの哲学的命題から、政治的結論をひきだしたことは一度もなかった。ここでも毛沢東の分裂の哲学と政治学が、反マルクス・レーニン主義的なものであることは明白である。
 しかも、なお始末にわるいことには、共産主義運動に形而上学的に「適用される」この原理――「一つが二つに分かれる」という哲学的原理なるものが、マルクス・レーニン主義の弁証法のもっとも極端なねじまげ、つくりかえであることである。「一つが二つに分かれる」論者が、その主張の典拠としているのは、「一つのものを二つに分け、この一つのものの矛盾した二つの部分を認識することは、弁証法の核心である」(「弁証法の問題について」、全集三十八巻三二六ページ)というレーニンのことばである。しかし、これは統一した事物のうちに、「矛盾した、たがいに排除しあう、対立した諸傾向」を発見し、事物を対立物の統一として認識することが、弁証法の根本問題であることを指摘したものであって、毛沢東一派がこじつけているように、「統一した事物がかならず二つの事物に分裂する」などという独断(これではあらゆる事物、あらゆる運動、あらゆる組織が無限の分裂をくりかえさなければならないことになる)を弁証法の根本的普遍的法則としたものではけっしてない。毛沢東一派は、このようなこじつけによって、弁証法を、無限分裂の哲学にまでつくりかえてしまったのである。
 毛沢東一派は、こうして国際共産主義運動の分裂を積極的に主張しているだけではない。一九六七年六月十六日付『人民日報』の国際評論「このむほんはたいへんけっこうだ」は、つぎのようにのべている。

 「帝国主義が全面的な崩壊にむかい、社会主義が全世界的な勝利にむかう新しい時代に、帝国主義、現代修正主義と各国反動派を一方とする反革命勢力と、全世界のマルクス・レーニン主義者と革命的人民を一方とする革命勢力との間に、いま食うか食われるかの一大決戦がおこなわれている。すべての政治勢力はみなこの決戦のなかで『態度を表明』しなければならないのであって、革命勢力の側に立つのでなければ、反革命勢力の側に立つようになるのである」

 いまや、毛沢東一派にとっては、自分たちと、それに忠実に盲従する各国のひとにぎりの「左派」をのぞいて、国際共産主義運動はすべて、「毛沢東思想」という新しい発展段階に到達したマルクス・レーニン主義を裏切る「修正主義者」、「反革命の側に立つ勢力」なのであって、これを打倒し、かく乱することが「帝国主義の全面的崩壊」と「社会主義の全世界的勝利」をめざす、もっとも「革命的」な闘争とされているのである。
 こうして毛沢東一派は、かれらの血まよった目にはほとんどが「反革命勢力の側」に立つにいたったとうつる国際共産主義運動にたいし、文字どおり国際共産主義運動史上に前例のない乱暴きわまりないやり方で、その極左日和見主義路線をおしつけ、かれらが以前から「修正主義の党」とみなしていた諸党はもちろん、わが党をはじめ、毛沢東一派の主張や見解に無条件にしたがわない外国の共産党にたいしても、「造反有理」のスローガンをかかげて、その破壊と転覆をよびかけるという大国排外主義的な干渉と破壊活動をおこない、労働者階級の世界観であるマルクス・レーニン主義のかわりに、それと敵対する「毛沢東思想」を行動の指針とした、あたらしい「国際的運動」をつくり出すという、もっとも有害な分裂策動に狂信的に熱中しているのである。

  (5)国際的な専制支配をめざす大国的排外主義

 以上のように国際共産主義運動内部で毛沢東一派の思想的、政治的指導権を要求するかれらの大国的排外主義は、かれらを、外国のマルクス・レーニン主義党と革命運動に破壊的な打撃をくわえて、帝国主義者と反動勢力をよろこばせる、文字どおりの反階級的かく乱者の立場にまでみちびくにいたっている。
 レーニンは、勝利した社会主義の国家に大国的排外主義の傾向がすこしでもうまれた場合、それが世界革命の共同の事業、国際共産主義運動全体に、どんなに重大な損害をあたえるかを、正確に予見していた。だからこそ、レーニンは、外国の革命運動にたいして、「ロシアと同じ行き方」をおしつけようとしたり、赤軍による革命の輸出をとなえたりするブハーリン、トロツキーなどの主張に反対し、そのどんなあらわれにたいしても、断固とした批判をくわえたのである(たとえば、「ロシア共産党第八回大会での党綱領についての報告」、全集二十九巻一五九?一六四ページ)。そしてまたレーニンは、レーニンの「遺言」として知られている、ロシア共産党第十三回大会へあてた一連の手紙(一九二二年)のなかで、少数民族にたいするスターリンなどの政策と行動のうちにあらわれた大ロシア人的大国主義の傾向をきわめて重視し、このような傾向が放置されるならば、インタナショナル全体、帝国主義に反対する世界革命の事業全体が「はかりしれない」損害をこうむることになるとして、大国主義、排外主義のいかなるあらわれとも、非妥協的な、断固とした闘争をおこなうことを、つよく要求したのであった(レーニン「少数民族の問題または『自治共和国化』の問題によせて」、全集三十六巻七一五?七二三ページ)。
 このレーニンの遺訓をまもることの重要性、とくに社会主義の大国の共産党にとって、大国主義排外主義の誤りを警戒することの特別の重要性については、毛沢東をはじめとする中国共産党の指導部自身、数年前までは、国際共産主義運動における原則問題として、大いに強調していたところであった。
 たとえば、一九五六年九月、中国共産党第八回大会第一回会議では、毛沢東自身が、「どう慢な大国主義」にたいして、つぎのようなつよい警告を発していた。

 「われわれは、ごう慢な大国主義の態度をとってはならない。革命に勝利し、建設にあたっていくらかの成果をあげたからといって、思いあがるようなことは、絶対にあってはならない。国の大小をとわず、いずれの国にも長所もあれば短所もある。たとえわれわれの活動が、きわめて大きな成果をあげたとしても、たかぶったり、思いあがったりする理由はなにひとつない。謙虚は人を進歩させ、こう慢は人を落伍させる。この真理を、われわれは永久に心にとめておかなければならない」(中国共産党第八回全国大会における開会の辞)

 また、一九五七年十二月、『人民日報』編集部が、中国共産党中央委員会政治局拡大会議の討論にもとづいて発表した論文「ふたたびプロレタリアート独裁の歴史的経験について」は、スターリンの大国主義の傾向を批判しながら、中国共産党自身が大国主義の誤りをおかす危険について、つよい自戒を表明していた。

 「スターリンは、兄弟党と兄弟の国家にたいする関係で、かつてある種の大国主義の傾向をあらわしたことがある。このような傾向の本質は、国際的な連合のなかでの各国の共産主義政党と各社会主義国の独立平等の地位を無視することである。このような傾向には一定の歴史的原因がある。古い時代の大国の小国にたいする因習がもちろんまだある種の影響を残しているであろうが、一つの党あるいは一つの国が革命の事業のなかでえた一連の勝利が、人びとに一種の優越感をおこさせるのも避けがたいことである。
 だからこそ、大国主義の傾向を克服するには、系統的な努力をする必要があるのである。大国主義はけっしてある一つの国の特有の現象ではない。われわれ中国人が特別心にとめる必要があるのは、わが国が漢、唐、明、清の四代にやはり大帝国であったということである。わが国は、十九世紀のなかば以後の百年のあいだ侵略された半植民地となったし、現在も経済、文化のおくれた国であるけれども、しかし条件が変わったのち、大国主義の傾向は、もしも努力してふせがないなら、かならず重大な危険となるだろう。そして、指摘しなければならないことは、当面のような危険が、われわれの一部の働き手のあいだに、すでに芽ばえはじめていることである。それゆえ、中国共産党第八回全国大会の決議と中華人民共和国政府の十月一日の声明は、どちらもその働き手にたいして、大国主義の傾向に反対するという任務を提起しているのである」

 大国主義に反対するというこの見地は、さきに引用した「国際共産主義運動の総路線についての提案」のなかでも、いっそう具体的な内容をもって、のべられていた。すなわち、この文書は、一九五七年の宣言と一九六〇年の声明できめられた兄弟党間の関係についての準則を真に堅持することが、「兄弟党間の団結をまもり、つよめる唯一の正しい道」だとのべ、他の兄弟党にたいする大国主義的態度のさまざまなあらわれを具体的に列挙しながら、いかなる大国主義的干渉にも反対する態度を、疑問の余地のないことばで、明確に表明していた。

 「もし兄弟党の関係のなかの平等と独立の原則をみとめるなら、自分自身を他の兄弟党の上におくことはゆるされず、兄弟党の内部のことに干渉することはゆるされず、兄弟党の関係のなかで家父長制を実施することはゆるされない。
 もし兄弟党の関係のなかに『上級』と『下級』の区別がないことをみとめるなら、自分自身の党の綱領、決定、路線を国際共産主義運動の『共同綱領』として他の兄弟党におしつけることはゆるされない」
 「いま国際共産主義運動の隊列のなかにいくつかの意見の相違が存在する状況のもとでは、『宣言』と『声明』できめられた兄弟党の関係についての準則を厳格にまもることを強調することが、とくに重要である、とわれわれは考える」
 「プロレタリア国際主義は、党が大きいか小さいか、権力をとっているかいないかにかかわりなく、例外なしに要求されるものである。しかし、大きな党、権力をにぎっている党はこの面で、とくに重大な責任をもっている。過去のある時期、社会主義陣営におきた人びとをかなしませる一連の事件は、関係兄弟党の利益に損害をあたえたばかりでなく、関係兄弟国の広範な人民大衆の利益にも損害をあたえている。この事実は、大きな国、大きな党が、かならずレーニンの遺訓を肝に銘じ、けっして大国的排外主義の誤りを犯してはならないことを有力に立証している」

 四年前までの中国共産党中央委員会のこれらの主張は、基本的に正しいものをもっていた。ところが、毛沢東を中心とする中国共産党の一部指導集団は、いま、中国共産党指導部が、第八回党大会以来一貫して主張してきたこの立場を百八十度転換させ、自分を国際共産主義運動の上において他国の共産党の内部問題に乱暴に干渉し、自分たちの特殊な思想や路線を国際共産主義運動の「共同綱領」として他国の共産党に一方的におしつけるなど、みずから「ゆるされない」こととして非難していた大国的排外主義の道にふみだしたばかりか、この大国的排外主義の歩みを、毛沢東一派の指導権、事実上その専制を国際的にうちたてるために他国の共産党の破壊と転をたくらむという、もっとも極端なところにまでつきすすめた。「どう慢は人を落伍させる」とのべた毛沢東は、十一年後の今日、その典型をみずから演じてみせているのである。
 毛沢東一派がいだいている国際共産主義運動の分裂支配の野望は、けっして成功するものではなく、みじめな一場の夢にすぎない。
 なぜなら、これまで列挙してきたような、「反米・反ソ国際統一戦線」や「人民戦争万能論」などの極左日和見主義路線のおしつけ、「造反有理」のスローガンをかかげた各国共産党の破壊活動、ソ連における資本主義復活を口実にした社会主義政権の転覆活動などは、時代錯誤の毛沢東神格化のおしつけと同じように、一世紀以上にわたる国際共産主義運動の実践の試練にたえたマルクス・レーニン主義の理論と戦術とはあまりにも遠くはなれたものであり、各国の情勢と革命運動の現実をまったく無視した極端な空論的主張であり、したがってまた、国際労働者階級と各国の勤労人民の利益にまっこうから反する挑発的、反階級的路線であるからである。したがってまた、毛沢東一派のかく乱活動の政治的本質は、各国のマルクス・レーニン主義者と国際プロレタリアートおよび勤労人民によって、ただちに見ぬかれざるをえず、かれらの極左冒険主義、分裂主義の路線は、日に日に破たんし、失敗し、孤立することは不可避的だからである。だが毛沢東一派は、その分裂活動が破たんし、失敗し、孤立すればするほど、その破たんや孤立を、今日の世界の革命情勢の深刻さの表現として説明し、諸勢力の激烈な「再編分化」のあらわれであるとして合理化し、いっそう狂信的にそのかく乱活動をおしすすめ、その分裂策動を強化している。
 ここには、どんなに過去の栄光がかがやかしいものであろうと、ひとたびマルクス・レーニン主義の原則をふみはずして誤った道へふみいったものがたどる不可避的な転落の法則が、いやおうなしにはたらいている。
 国際共産主義運動の歴史は、かつては運動のなかで一定の積極的役割をはたした革命家たちが、一たび方向を見失い、マルクス・レーニン主義と国際労働者階級の利益からそれた場合、どんなに急速に反革命にまで転化していったかという無数の実例をふくんでいる。
 毛沢東は、中国革命を指導した過去の業績のうえにあぐらをかき、現代修正主義との闘争のうえではたしたかれの役割に目がくらみ、ごう慢にもみずからをマルクス、レーニンに比肩する人物と思いこんで、レーニンが第ニインタナショナルの崩壊のなかから第三インタナショナル(コミンテルン)を創設したように、今日の国際共産主義運動の「修正主義的崩壊」のなかから「毛沢東思想」の崇拝を至上命令とする「国際運動」を創設することをもくろみ、七億の中国人民がかちとった社会主義の権力を私物化し悪用して、国際共産主義運動のもっとも有害なかく乱者となる転落の道をまっしぐらにすすんでいる。
 もちろん、われわれは、中国が、ベトナム人民にたいして社会主義国としての一定の援助をおこなっていることを評価しているし、この援助がいっそう強化されることをつよく期待するものである。しかし、このことが、毛沢東一派がおこなっている国際的なかく乱運動、とくにわが党にたいする背信的攻撃に集中的にあらわれている国際共産主義運動の破壊活動を免罪しうるものでないことは、いうまでもない。
 社会主義国家のなかに発生した毛沢東一派の大国的排外主義に反対し、これを克服する系統的な努力をおこなうことは、自国の革命運動と国際共産主義運動に責任をおうすべての共産主義者にとって、マルクス・レーニン主義の原則をまもり、国際共産主義運動の隊列とその事業をまもるために、今日避けることのできない重大な責務となっているのである。

  五 毛沢東一派のかく乱活動を粉砕するために

 共産主義運動が、極左日和見主義の潮流による国際的な規模でのかく乱活動に直面したのは、こんどがはじめてではない。国際共産主義運動は、一世紀をこえる歴史のなかで、たえずさまざまな右翼日和見主義、修正主義の傾向や潮流とたたかうと同時に、あれこれの「左翼」日和見主義の傾向や潮流とたたかい、もっとも戦闘的な「革命家」をよそおった極左日和見主義、分派主義分子の国際的なかく乱活動をいく度となく粉砕してきた。
 当時の労働者階級の運動のさまざまな非マルクス主義的潮流をも結集していた第一インタナショナルの時代に、すでにマルクス、エンゲルスは、右翼日和見主義の諸潮流の克服のために、ねばりづよい、がん強な闘争をおこなうとともに、極端な「左翼」的言辞でその日和見主義的本質をおおいかくしつつ、第一インタナショナルを内部から瓦解(がかい)させ、その指導権を奪取しようとしたバクーニンら無政府主義者たちの組織的な分裂、破壊策動と、はげしい闘争をおこなった。
 バクーニン主義者たちは、社会主義にみちびく社会発展の法則も、社会主義の実現の原動力としてのプロレタリアートの階級闘争の意義も理解せず、革命運動の理論や戦術の多少とも一貫した体系をなにひとつもたずに、バクーニンが「すでに葬りさられた思想」をあちこちから寄せあつめてつくりあげた無政府主義の「綱領」を無謬(むびゅう)の絶対的信条として、第一インタナショナルにおしつけようとした。この無政府主義の「綱領」とは、第一に、国家の階級的性格を否定し、プロレタリアート独裁をふくめて国家一般を敵視し、革命によってすべての国家を即座に廃絶せよと主張したこと、第二に、労働者の組織化と教育によって革命を系統的に準備することを否定し、革命は農民や激高した都市貧民の「自然発生的反乱」によってのみ遂行されるとしたこと、第三に、ブルジョア国家のもとでの政治活動、とくに議会や選挙への参加を、ブルジョア政治への降伏としていっさい拒否することなどを、主な特徴としていたが、社会発展の法則をも革命に必要な客観的諸条件をもまったく無視して、いついかなるときでも、盲目的に「自然発生的反乱」を扇動すること―この極左的冒険主義こそ、バクーニン主義者の革命「理論」の最大の特徴をなすものであった。
 バクーニン主義者は、第一インタナショナルの綱領と規約への二心的な忠誠を誓って、これに加盟した(一八六八年)のち、インタナショナルに自分たちのこのような無政府主義的な「綱領」をおしつけるために、あらゆる陰謀的な手段にうったえた。バクーニンは、インタナショナルの内部に「自分個人にたいする絶対的な忠誠」でむすばれた陰謀的な分派組織「社会民主同盟」をつくり、「味方でないものは敵だ」というもっとも極端な分裂主義のスローガンを公然とかかげて、バクーニン主義の支配をうけいれない組織や革命家にあらゆる攻撃をあびせた。

 「同盟は、自分の支配に服さない支部を、ことごとく敵とみなした。ブルジョアジー以上の敵とさえみなした。味方でない者は敵だ、これはロシア語で出した宣言のなかで同盟が公然とみとめている鉄則である」(マルクス、エンゲルス「社会民主同盟と国際労働者協会」、全集十八巻三七六ページ、太字はマルクス、エンゲルス)

 バクーニン主義者は、第一インタナショナルのほとんどすべての各国支部に自分たちの盲目的な信奉者をもぐりこませ、これらの盲従分子を指揮しつつ、マルクスを中心とする総務委員会に挑戦し、あらゆる悪質な陰謀的手段を駆使して、バクーニンを第一インタナショナルの「首領」にし、第一インタナショナルの「幅広い綱領と偉大な願望」を、自分たちの「セクト的な綱領と偏狭な思想」でおきかえ、インタナショナルの「絶対的な指導権」をうばいとろうと策動した。マルクス、エンゲルスは、バクーニン主義者たちの国際的なかく乱策動を特徴づけて、つぎのようにのべている。

 「ここにあるのは、もっとも極端な無政府主義の仮面のもとに、現存の政府ではなく、自分の正統性と指導を受けいれない革命家たちに打撃をくわえようとしている結社である。……この結社はまた、自分の意思に従おうとしない人びとをだれかれかまわず自派の新聞紙上でおおっぴらに攻撃し、われわれの隊列のなかに公然たる戦い――かれら自身がそういっているのだ――をかきたてている。目的を達するためには、どんな手段も、どんな不誠実も辞さない。うそ、中傷、脅迫、やみうち、なんでもかまいはしない」(同前、三二七ページ)

 第一インタナショナルは、マルクス、エンゲルスを先頭に、バクーニン主義者たちのかく乱策動と数年間にわたる徹底した闘争をおこない、一八七二年のハーグ大会でかれらを除名して、その国際的な破壊活動にとどめをさした。
 レーニンが創設した共産主義運動の最初の国際組織である第三インタナショナル(コミンテルン)の時代にも、国際共産主義運動は、トロツキーとその追随者たちの、国際的な分裂、破壊策動との闘争に直面したが、トロツキストもまた、バクーニン主義者と同じく、その反革命的本性を、極左的スローガンや冒険主義的路線でおおいかくそうとした。
 トロツキーは、その反党活動によって一九二七年にソ連共産党から除名され、一九二九年ソ連から追放されたが、その後、トロツキーとその追従者たちは、いよいよ公然と、国際共産主義運動に敵対するかく乱、破壊活動に狂奔した。トロツキストは、世界資本主義の「死の苦悶(くもん)」とか世界革命の客観的条件の「過度」の成熟などについての革命的から文句をならべたてながら、時とところをかまわずにプロレタリア革命のための「決定的な闘争」をよびかけ、ファシズムと侵略戦争に反対するコミンテルンの国際、国内の統一戦線戦術をプロレタリア革命を防止するための「帝国主義の最後の政治手段」だとののしり、極左的言辞で身をかざりつつコミンテルンと各国共産党にあらゆる非難、中傷、攻撃をあびせた。
 トロツキストは、そのかく乱活動の初期の段階では、マルクス・レーニン主義党の民主主義的中央集権制の組織原則に反対し、分派の形成と諸分派間の自由な闘争こそ生命力ある党の「発展の弁証法」だなどと主張して、「分派活動の自由」の旗じるしのもとにその国際的な分裂活動を組織しようとした。しかし、トロツキストは、一九三〇年代にはいって以後は、コミンテルンは「ブルジョア秩序の側へ決定的に移行」したとか、その「反革命的役割」は明白になったとか、国際共産主義運動の組織全体にたいして独断的な糾弾をおこないつつ、「公式共産党」を打倒して、プロレタリアートを「ふるい指導部」から解放するために、「新しい共産党とインタナショナル」をつくる時期がきたと宣言し、国際共産主義運動と各国共産党の破壊、転覆を公然と呼号する、いっそう露骨な、反革命的策動の道にふみだした。トロツキーが、ソ連における社会主義の「変質」をとなえ、社会主義の勝利を保証するためには、「スターリン主義官僚」の支配を打倒する新しい「人民革命」が必要だと、社会主義国家の「革命的」転覆を主張しはじめたのも、ほぼ同じ時期のことである。
 こうして、トロツキストは、一九三八年には「第四インタナショナル」と称する国際組織をつくり、この旗のもとに、各国の共産党から追放された変節者や腐敗分子、スパイ、破壊分子などをかきあつめて、公然と社会主義国の転覆と各国共産党の隊列の破壊を目的にした反革命的策動にいよいよ熱中し、文字どおり、帝国主義の別動隊、その手中の反共、反革命工作の道具としての恥ずべき役割をはたすまでに堕落したのである。
 コミンテルンは、トロツキストのかく乱、破壊策動に決定的な打撃をあたえたが、その残党は、今日なお、国際的にもわが国においても、国際共産主義運動と世界人民の解放闘争にたいする挑発、かく乱活動をつづけることによって、帝国主義と反動勢力に奉仕している。
 レーニンは、「共産主義内の『左翼主義』小児病」のなかで、共産党内に発生する極左日和見主義の思想的基盤を「小ブルジョア的革命性」に求め、それが無政府主義と共通の流れに属するものであることを指摘している。

 「この小ブルジョア的革命性は、いくらか無政府主義に似ているか、または、それからなにかを借りてきたものであり、プロレタリアの一貫した階級闘争の条件と要求からは、どの本質的な点でも、それている」(レーニン「共産主義内の『左翼主義』小児病」、全集三十一巻一六ページ)

 毛沢東一派の中国共産党の極左日和見主義集団の思想と実践も、その極左日和見主義の政治路線においても、その国際共産主義運動における解党主義的、かく乱者的活動においても、やはり小ブルジョア的革命性にもとづく無政府主義的傾向をもっており、バクーニン主義やトロツキズムと、多くの共通点をもっている。
 第一に、毛沢東一派が「毛沢東思想」の旗のもとにわが党および国際共産主義運動全体におしつけようとしている路線は、マルクス・レーニン主義の諸原則を「左」からわい曲する「左からの修正主義」(レーニン)として、むしろ、バクーニン主義者やトロツキストの極左的、冒険主義的路線と、きわめて接近した、反マルクス・レーニン主義、極左日和見主義の路線である。実際、各国の具体的条件の科学的分析もなしに、武装闘争、とくにその特殊な形態である中国流の「人民戦争」方式を世界革命の普遍的原則とし、議会闘争や選挙闘争を軽べつする極左冒険主義、「反議会主義」の路線が、無政府主義、トロツキズムの流れをくむものであることは明白である。また、反帝国際統一戦線を「帝国主義と修正主義への投降」として否定する「反米・反ソ統一戦線」論や、「変質」した社会主義国家に反対する「革命」の唱導もまた、トロツキズムの「理論的」武器庫にあるものと共通のものである。そして、マルクス・レーニン主義党の組織原則を根本から否定し、党規律のじゅうりんと反党分派活動、党組織の解体、私物化など、あらゆる反党行為を正当化する「造反有理」論が日和見主義、修正主義の最悪の形態――反階級的解党主義であることは、いうまでもない。
 第二に、毛沢東一派の大国的排外主義とそれにもとづくかく乱活動もまた、極左的言辞でその日和見主義的、反動的本性をかくした国際的な分裂、破壊策動というかぎりでは、バクーニン主義やトロツキストのそれと、よく似た特徴をもったものである。マルクスがかつてバクーニン主義者のかく乱活動についてのべた一連の特徴づけ――マルクス・レーニン主義を「自分のセクト的な綱領と偏狭な思想」でおきかえ、国際共産主義運動に「自分の正統性と指導を受けいれる」ことを要求し、「味方でないものは敵だ」という鉄則のもとに「自分の支配に服さない」党と革命勢力をすべてブルジョア以上の敵とみなし、特定の指導者にたいする「絶対的な忠誠」をそのかく乱活動の最大の精神的支柱とし、「目的を達するためには、どんな手段も、どんな不誠実も辞さない」など――は、多かれ少なかれ、毛沢東一派のわが党にたいする大国主義的攻撃やかく乱活動のなかに再現している。毛沢東一派のトロツキズムの側への政治的、理論的接近はまた、以前は、社会主義陣営と国際共産主義運動全体を敵視していたトロツキストのあいだに、最近では、「文化大革命」を礼賛する潮流が、公然とあらわれてきていることによっても裏書きされている。
 たとえば、トロツキストの「第四インタナショナル」の一分派である「ポサダス派」は、ことしの四月に発表した「第八回世界メーデー宣言――世界の被搾取人民への訴え」なる一文書のなかで、中国の「文化大革命」を「世界革命の中心」とたたえて、つぎのようにのべている。

 「間接的で小心で不安定なかたちで始まったのではあるが、中国における人民の動員の発展過程は、世界社会主義革命の世界的過程の一部をなしている。・紅衛兵は、弱いながらもこの世界的過程の間接的なあらわれである。……この段階、この歴史的時点で、中国の政治革命は、世界革命を指導し結集する中心であるべきだという必要性に歴史的任務を負っており、負うことができ、負わなければならない中心である。……中国の政治革命は世界革命の抑圧され弾圧されている勢力を解放しようとする中心である。ソ連、ポーランド、チェコスロバキア、ユーゴスラビア、キューバの、ソビエト官僚の圧力から解放されんと願う人民は、中国人民の行動のなかに、従うべき模範と、これら各国でこの模範に従うよう激励する中心とを見出している」

 さらに、「ヒーリー派」、「統一書記局派」などのトロツキスト諸分派も、中国の「文化大革命」とこれを推進する毛沢東一派にたいして、「条件付支持」あるいは「批判的支持」の態度をとっており、「第四インタナショナル」のトロツキスト諸分派のなかでは、実に「文化大革命」を支持、礼賛する潮流が多数をしめるにいたっている。
 毛沢東一派とトロツキストのあいだの政治的親近性を証明しているのは、それだけではない。すでに指摘したように、毛沢東一派自身が、わが党を攻撃するにあたって、わが国の札つきのトロツキストと「共同戦術」をくみ、かれらがトロツキスト反革命集団と政治的、思想的に野合する道をすすんでいることを、みずから証明してみせた。毛沢東一派がこのように、わが国のトロツキストと野合し、その反革命的かく乱活動を懸命になって弁護しているのは、けっして偶然ではない。それは、かれらが目的のために手段をえらばないところまで転落したことをしめすと同時に、毛沢東一派と無政府主義者やトロツキストとのあいだの思想だけでなく行動の上での接近と組織的結合を、反映しているのである。
 毛沢東を中心とする中国共産党の一部の集団の極左日和見主義、大国主義の路線とそれにもとづく国際的なかく乱、破壊活動は、それが、すでに権力をにぎった共産党、とくに、七億の人民を指導する社会主義の大国の党にあらわれたものであり、在外諸機関や対外放送をもふくめ、社会主義国家の権力を大規模に悪用しておこなわれているだけに、国際共産主義運動と世界人民の解放闘争におよぼすその危険な影響は、ある意味では、権力をにぎっていなかったバクーニン主義者やトロツキストのそれよりも、はるかに重大である。
 しかし、革命に勝利した国の党の指導部が、社会主義国家の権力をも利用して、他国の革命運動、民主運動に乱暴な干渉をくわえ、共産党の破壊をはかるというような、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義の原則をふみにじる行動は、けっして成功するものではない。四年前にわが党に不当な大国主義的攻撃をくわえてきたフルシチョフの先例もしめしているように、国際共産主義運動のかく乱者たちが、やがて歴史によって、マルクス・レーニン主義によってさばかれることは、まちがいない。すでに、国際的に、毛沢東一派がますます孤立化していることはかくすことのできない事実となっている。
 このさい、とくに強調する必要があるのは、中国共産党の毛沢東一派のわが党にたいする反革命的攻撃に反対する闘争を正しくおしすすめるためにも、わが党が「二つの戦線での闘争」の立場、自主独立の立場を堅持することが、いよいよ重要になっていることである。わが党の第十回党大会の決定も指摘しているように、今日の極左日和見主義の潮流は、「フルシチョフとそれに同調した現代修正主義の国際的潮流にたいする闘争の過程で発生」し、つよまってきたものである。この極左日和見主義の潮流は、その極端な誇張と誤りによって、いまや現代修正主義にその右翼日和見主義、分裂主義の破たんをつくろわせ、その修正主義路線を合理化するかっこうの口実をあたえ、もっとも効果的に現代修正主義をたすけている。それと同時に、現代修正主義の国際的潮流は、フルシチョフ以来の対米追従路線や、大国主義、分裂主義の行動の根本的な清算を回避しつづけることによって、極左日和見主義分子が、「米ソ神聖同盟」論や「反米・反ソ統一戦線」論をこねあげるねがってもない材料をあたえ、その分裂、かく乱活動にいっそう油をそそぎ、これらを助長している。このように、現代修正主義および極左日和見主義は、「二つのかたわもの」として「おたがいに補いあい」(レーニン「共産主義内の『左翼主義』小児病」全集三十一巻一七ページ)つよめあいながら、ともに国際共産主義運動の隊列を分裂させ、弱体化させる役割をはたしているのである。
 すなわちこの「二つのかたわもの」は、一方は右翼的な、他方は「左翼」的言辞をろうしながら、反帝民主勢力、国際共産主義運動のアメリカ帝国主義にたいする闘争を弱め、その隊列の分裂をおしすすめる点では、共通の日和見主義的役割をはたしている。
 現代修正主義の国際的潮流が、人類を絶滅させる熱核戦争の回避を口実に、無原則的「平和共存」論をふりまき、アメリカ帝国主義の戦争と侵略に反対する闘争を回避しつづけてきたことは、すでに周知のところである。ところが、毛沢東一派も、他国の革命運動にたいしては情勢を無視した武装闘争や「人民戦争」のおしつけなど、極左冒険主義の挑発的な路線をけしかけながら、自分自身の対外政策においては、世界反動の主柱であるアメリカ帝国主義に反対する闘争で、事実上きわめて受動的な態度をとっている。すなわち、かれらは、「アメリカ帝国主義とその共犯者」が中国に「戦争をおしつけてくる」なら、「毛沢東同志と中国共産党に指導される七億の中国人民は、かならず侵略者の背骨をうちくだき、断固として、徹底的に、きれいさっぱりと、ひとりのこらずかれらを一掃するであろう」(第十一回中央委員会総会の公報)などと宣言して、米ソ両国によるきたるべき中国侵略にそなえることを高言しながら、アメリカ帝国主義が現在実際におしすすめているベトナム侵略戦争にたいしては、すべての社会主義国、国際共産主義運動を先頭にして全反帝民主勢力が団結して、これに全面的、効果的な反撃をくわえることに極力反対しつづけているのである。毛沢東一派は、社会主義世界体制の東南の前哨(ぜんしょう)であるベトナム民主共和国が世界最大の帝国主義軍隊によって、もっとも暴虐な侵略をうけているにもかかわらず、英雄的なベトナム人民とこれを支持する世界の反帝勢力の切望を無視して、「反米・反ソ統一戦線」という分裂主義的路線に固執し、ソ連共産党指導部の側が、共同行動を主張しはじめたにもかかわらず、反帝民主勢力の国際統一戦線からソ連を排除することにあくまで固執している。かれらはソ連などの社会主義国からのベトナム援助を「糖衣を着せた毒」だと非難して、ベトナム人民はこれらの援助をうけるべきでないとし、社会主義体制の団結した力によるベトナム支援への道をみずからとざしている。
 フルシチョフはかつて、ベトナム人民の反米救国の闘争にたいする支援をおこなわず、アメリカ帝国主義のベトナム侵略に反対する国際統一戦線の外に身をおくことを望んだ。フルシチョフ失脚後、ともかくもベトナム人民支援をおこない、ベトナム侵略反対での国際共同行動に賛成せざるをえなかったソ連共産党指導部を反米統一戦線から排除せよという毛沢東一派の主張は、実際にはこのフルシチョフの立場と一致する。ここには、毛沢東一派の極左日和見主義の潮流も、ベトナム人民への一定の支援をおこないながらも、ベトナム人民支援の反帝民主勢力の団結を分裂させ弱化させ、そのことによってアメリカ帝国主義のベトナム侵略と各個撃破政策をたすけている点においては、現代修正主義の国際的潮流と同じ日和見主義、同じ分裂主義であることが、かくしようもなく歴然と暴露されている。
 毛沢東一派のアメリカ帝国主義にたいする受動的態度は、ベトナム侵略にたいする政策にあらわれているだけではない。
 なぜなら、かれらが声高に叫んでいる「反米・反修」「反米・反ソ」自身が、実際には、「反修・反ソ」を第一義におき、そのことによって「反米」を第二義、第三義として反米闘争を事実上回避するものであるからである。
 たとえば毛沢東一派やその追従者たちは、わが党だけでなくアメリカ帝国主義の侵略政策との闘争の第一線に立ってたたかっている、朝鮮労働党やキューバ共産党などにたいしても、それらの党が毛沢東一派の路線に盲従しないことを理由に「修正主義」あつかいし、さまざまな攻撃をくわえて、アメリカ帝国主義に手をかしている。
 一九六六年二月二十二日付『人民日報』は、「カストロの反中国声明」と題して、キューバ共産党のカストロ同志が、「フルシチョフ修正主義者」の「反中国の大合唱にくわわった」としてはげしく攻撃した。
 一九六七年二月、北京には、朝鮮労働党の金日成同志を「フルシチョフの弟子」などと非難した壁新聞がはりめぐらされた。また、東京では、ことしの四月、朝鮮大学校の塀(へい)に、「中国留日学生造反派」の名で、「金日成修正主義者に警告す」と題して、金日成同志を先頭とする朝鮮労働党指導部を、「修正主義実権派」、「反革命分子」とひぼうした壁新聞がはりだされ、さらに、同じ内容の印刷物が郵送で各方面にばらまかれた。このことと関連して、昨年十月来、アメリカ帝国主義が朝鮮の軍事境界線付近で連続的に大規模な軍事挑発をひきおこし、第二の朝鮮侵略戦争の陰謀をつとめている事態にたいして、中国政府当局はもとより『人民日報』などは、ほとんどひとことも報道していないという事実がある。
 さらに、毛沢東一派は、最近では、ベトナム侵略戦争とこれに反対する闘争が、帝国主義勢力と反帝民主勢力の国際的対決のもっともするどい重点となっている明白な現実を否定して、「今日の世界の矛盾の焦点は中国にある」という議論をとなえはじめた。

 「現代の中国は、世界の矛盾の焦点であり、世界革命のあらしの中心である。  中国はどこへいくのか。社会主義の道を歩むのか。それとも資本主義の道を歩むのか。これは中国の政治の根本問題であり、同時に世界のプロレタリア革命の命運にかかわる問題である」(『紅旗』編集部、「人民日報」編集部「社会主義の道を歩むのか、それとも資本主義の道を歩むのか」、一九六七年八月十五日)

 この主張によれば、今日、世界の革命勢力が力を集中しなければならない最大の問題は、アメリカ帝国主義の戦争と侵略、とくにベトナム侵略戦争に反対し、ベトナム人民を支援してその勝利をかちとることでも、その他の地域で、帝国主義と反動勢力にうちかつことでもなく、中国の「プロレタリア文化大革命」を支持して、毛沢東一派による専制支配の確立をたすけることであり、中国の内外の「修正主義」を粉砕することだということになる。ここには、「反米・反ソ」とか「反米・反修」とかいいながら、実際には、アメリカ帝国主義との闘争よりも、「反修・反ソ」を第一義においている毛沢東一派のさかだちした見地が、もっともきわだったかたちで定式化されているのである。
 アメリカ帝国主義は、毛沢東一派の「革命的」言説のかげに、アメリカ帝国主義にたいする団結した闘争にかんして、実践上の受動的態度がかくされていることをすでに見ぬいている。アメリカ帝国主義は、ケネディ以来、国際共産主義運動と社会主義陣営の不団結につけこみながら、各個撃破的に社会主義国と民族解放運動を侵略し、破壊する「各個撃破政策」を意識的に追求してきたが、この「各個撃破政策」には、昨年はじめごろから、ソ連との「融和」をはかるだけでなく、中国との敵対をも回避し、その侵略政策のほこ先を、いっそう集中的に、ベトナム、朝鮮など大きくない社会主義国にまずむけるという新しい特徴が、きわだってきた。たとえば、ラスク国務長官は、昨年三月十六日の下院外交委員会での証言で、「米国は中国を攻撃する意図がないことを中国に確認させること」の重要性を強調し、「中国との戦争の危険はあるが、戦争は不可避でない。中国は従来、米国との衝突の恐れを感じたときには慎重に行動したし、米国も慎重に行動していた」とのべ(『朝日新聞』一九六六年四月十七日)、ジョンソン大統領も、中国との「和解」の希望(一九六七年一月の年頭教書)や「北京当局との対話を維持する」方針(一九六七年六月十九日の外交演説)などを、くりかえし表明してきた。アメリカ帝国主義のこの新しい対中国政策に、アメリカ帝国主義に反対する闘争における毛沢東一派の分裂主義と実践上の受動的態度にたいするアメリカ政府の側のそれなりの評価と対応があることは、ラスクなどの発言にてらしても、明白である。世界の革命運動、国際共産主義運動の全体的圧殺をねらうアメリカ帝国主義は、当然最終的には、ソ連、中国をふくむ社会主義陣営全体の打倒を目的としながらも、当面は、ソ連における現代修正主義の潮流や中国における毛沢東一派の極左日和見主義によってひきおこされた事態を最大限に活用して、まず、ベトナム民主共和国、朝鮮民主主義人民共和国などの各個撃破計画を成功させようとしているのである。
 現在、ベトナム問題が、アメリカ帝国主義を先頭とする帝国主義勢力と反帝勢力の国際的対決の焦点となり、ベトナム人民支援の国際統一行動と国際統一戦線の強化が、もっとも緊急の課題として要請されているとき、「反米反ソの国際統一戦線」論や「中国焦点」論をとなえてこの統一戦線の分断を主張し、反帝民主勢力の団結した反撃を実現するという課題に受動的態度をとり、国際共産主義運動を乱暴にかく乱している毛沢東一派の極左日和見主義が、もっとも大きな障害となっていることはいうまでもない。だがこのことは、けっしてフルシチフを先頭にしておこなわれてきた現代修正主義の国際的潮流を免罪するものではない。現代修正主義の国際的潮流の反帝闘争回避の無原則的な右翼日和見主義路線こそ、毛沢東一派にその悪質なかく乱活動を合理化させ、一部の善意の共産主義者まで、そのかく乱活動にひきこむことを可能にさせている当のものだからである。
 両翼の日和見主義のこうした関係は、極左日和見主義によっては絶対に現代修正主義を克服することはできないし、また現代修正主義によっては絶対に今日の極左日和見主義を克服することはできないこと、そして、現代修正主義の潮流にたいしても、極左日和見主義の潮流にたいしても、ともに思想上、理論上明確に一線を画し、自主独立の立場にたって「二つの戦線での闘争」を一貫しておしすすめる真のマルクス・レーニン主義の原則を堅持すること、そして、帝国主義とたたかう国際共産主義運動の統一行動と反帝国際統一戦線の拡大、強化のために不屈の努力をつづけることこそが、現代修正主義の潮流の克服はもとより、中国共産党の一部集団の極左日和見主義、大国主義の路線と、それにもとづくかく乱、破壊活動を克服するもっとも積極的な力となりうることを明白にしめしている。
 われわれは、「二つの戦線での闘争」の路線と、自主独立の立場をあくまで堅持し、ひきつづき現代修正主義の国際的潮流を克服する闘争をつよめながら、マルクス・レーニン主義から遠くはなれてしまい、もっぱら国際共産主義運動を分裂させ米日反動勢力の日本共産党と日本人民にたいする攻撃をたすける役割をはたしている毛沢東一派の中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子を今後とも徹底的に糾弾し、かれらの破壊活動を粉砕するために断固としてたたかうものである。これは、日本の革命運動に責任をおうマルクス・レーニン主義党としてのわが党の重要な責務であると同時に、あらゆる日和見主義、分裂主義を一掃して国際共産主義運動の真の団結をかちとる国際的事業に積極的に貢献するためにも、不可欠の課題である。
 今日、毛沢東を中心とする中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子が、たとえ一時的、外見的に国内で指導的な地位をしめているようにみえても、それは、共産主義運動の歴史的な曲折の一局面をあらわすにすぎない。現に、毛沢東一派は「毛沢東崇拝」の狂熱的なカンパニアのなかで、毛沢東の「絶対的権威」を最大限に活用し、利用しうるあらゆる手段を駆使してその「文化大革命」をおしすすめながら、毛沢東がこの「革命」をおとして以来二年近くたった今日でも、「実権派」の打倒と毛沢東一派の専制の確立という目的を実現することができないだけでなく、それがつくりだした深刻な混乱そのものによって、中国の労働者と農民の重要な部分のなかに、かれら自身の切実な体験をつうじて、毛沢東神格化と毛沢東の路線の誤りを自覚させる条件をつくりだしつつある。「毛主席がみずからおこし、指導しているプロレタリア文化大革命」が、マルクス・レーニン主義党を解体、破壊することによって中国を突然全国的な混乱にみちびき、人民の生活と生命を以前には予想もしなかった脅威にさらし、その社会主義建設を重大な挫折の危険にさらしているというこの事実は、中国における社会主義、共産主義の事業にとって、きわめていたましい事態である。しかし、同時に、そのことが、毛沢東一派の極左日和見主義、大国主義の路線、「毛沢東崇拝」を頂点とする反マルクス・レーニン主義の路線が、中国人民の利益に反し、中国の社会主義の事業に反するものであることに、ますます多くの人びとの目をひらかせる結果とならざるをえないことも、確実である。
 今後、事態の発展が、どんなに複雑な、屈曲した過程をたどろうとも、中国においても、最後には、極左日和見主義、大国主義の潮流が克服されて、真のマルクス・レーニン主義が勝利することは、うたがいない。そのことは、これまでの国際共産主義運動のすべての歴史とすべての経験が、力づよく証明しているところである。全世界のマルクス・レーニン主義者とマルクス・レーニン主義党は、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義を毅然としてまもり、一九五七年の宣言と一九六〇年の声明の革命的原則の旗を高くかかげて、現代修正主義者にひきつづく毛沢東一派のかく乱活動をゆるさず、国際共産主義運動の団結のために奮闘しなければならない。そのたたかいは、断じて中国共産党や中国人民の利益と対立するものではなく、反対に中国共産党と中国人民の真の利益をまもるものであり、全世界の労働者階級と人民の利益をまもる歴史的なたたかいにほかならない。
 わが党の第十回党大会決定が強調しているように、今日、国際共産主義運動が直面している事態がどんなに複雑で困難にみえても、国際共産主義運動がやがて現在の困難をのりこえ、両翼の日和見主義、大国主義の潮流の誤った路線と行動を克服して、あらたな段階での戦闘的団結をかちとり、マルクス・レーニン主義とプロレタリア国際主義にもとづくあらたな発展の道をきりひらくことは、確実である。わが党は、この光栄ある歴史的任務を達成するために、いっそうの誇りと断固たる決意と確信をもって奮闘しなければならない。

 「マルクス・レーニン主義の科学的学説の不滅の思想的、理論的力と、全世界の反帝勢力、各国人民の解放闘争にかたくむすびついた真の共産主義者の闘争とが、かならずいっさいの困難といっさいの日和見主義を克服して、国際共産主義運動の真のマルクス・レーニン主義的強化とより高い水準の団結をかちとることは確実である。国際共産主義運動は現在の試練をかならずのりこえて、マルクス・レーニン主義の不敗の旗をたかくかかげ、全世界の人民を解放する歴史的事業で、いっそう偉大な役割をはたすことになるであろう」(第十回党大会にたいする中央委員会の報告、『前衛』特集五五ページ)

(「赤旗」一九六七年十月十日)