日本共産党資料館

ニクソンとアメリカ帝国主義
ニクソン・ドクトリンの現段階の解明とニクソン美化論克服の課題

1971年8月21日 『赤旗』

一 ニクソン訪中とニクソン美化論、免罪論
二 ニクソン・ドクトリンとはなにか
三 ニクソンの対中接近の真の意味
四 ニクソンのインドシナ政策がめざすもの
五 ニクソン・ドクトリンと日本人民の闘争

  一 ニクソン訪中とニクソン美化論、免罪論

 七月十六日に米中両国政府が発表したニクソン米大統領の訪中計画は、内外の世論のなかにさまざまなニクソン美化論やニクソン免罪論をにわかに登場させることとなった。それは一九六三年の米英ソ三国による部分核停条約やケネディ大統領の暗殺が、途方もないケネディ美化論をよびおこしたことを想起させるものがある。
 アメリカ帝国主義との従属的同盟下におかれている日本では、ニクソン美化はとくにいちじるしい。ほとんどの新聞論調は、ニクソン大統領の「勇気と決断」をたたえながら、「歴史的転回」、「アメリカのアジア政策の百八十度の転換」、「冷戦構造から緊張緩和へ」と書きたて、米中国交正常化とともに、米軍の台湾およびベトナムからの撤退があたかも既定の事実となったかのように論じ、「日本もバスに乗りおくれるな」と佐藤内閣を叱咤していた。日本共産党をのぞいて政党もまた同様であった。当日発表された各党の談話は、一様にニクソン訪中を無条件で歓迎し、民社、公明両党は、「ニクソン大統領の勇断には、心から敬意を表する」(民社党佐々木書記長)、「ニクソン大統領の決断と勇気を高く評価し」(公明党竹入委員長)とニクソン大統領に賛辞を呈していた。
 見のがすことができないことは、こうしたニクソン礼賛のなかから、ニクソン訪中によって「一つの中国」やベトナムからの米軍撤退の実現などをすでに既定の事実とみなす見解がひろがっていることである。
 たとえば七月十八日に放映されたNHKテレビの「国会討論会」のなかで、民社党、社会党の代表は、つぎのようにのべた。
 民社党佐々木書記長「一番のポイントは、アジアからアメリカが軍隊を引きあげてゆくというニクソン・ドクトリンについて、アメリカと中国の利害がだんだん一致しはじめているところにあると思う」
 社会党石橋書記長「これが本物かどうかわからないという見方を中国にたいしてしているかぎり、私は誤ると思う。基本的には譲れないという線がある。たとえば、アメリカがインドシナで侵略行為を続けていて、米中関係の改善はない。これはやめる、米軍は撤退していく、これが絶対だ。もう一つは台湾問題で、『二つの中国』とか『一つの中国、一つの台湾』という形のなかで米中の改善はない。あきらかに『一つの中国』、中国を代表するものは中華人民共和国の北京政府、台湾は内政問題、こういう確認なしに中国がアメリカとの関係を改善しようという態度に出る、それくらいの柔軟さはあるなどと考えていたらとんでもないまちがいだ。そういう基本的なことをキチッとふまえている。このことについてのメドがついたことというあらわれだ」
 さる七月二十四日に終了した第六十六国会でも、政府の対中国政策の追及にあたって日本共産党以外の各野党は、例外なくニクソン訪中による政策転換を美化する立場に立っていた。たとえば衆院予算委員会では社会党の楢崎弥之助氏は、「アメリカは今後、いわゆるアジアの冷戦構造から順次手を引いてゆく、これは確実だ。したがって、もし、日本がこの段階に立って真剣に考えないと、取残されてゆくと思う」とのべている。
 しかし、ニクソン米大統領の訪中計画の発表が、アメリカの対中国政策の根本的転換だけでなく、ベトナム侵略戦争の放棄、さらには冷戦政策から平和共存への歴史的転換を意味しているとするこれらの意見は、事実による根拠もなく、ニクソンとニクソン・ドクトリン、したがってまたアメリカ帝国主義をこのうえなく美化するものである。
 わが党は、ニクソン訪中のニュースが伝えられ、各党、各報道機関がそろって無批判的に歓迎を表明したとき、不破書記局長談話を発表して、ニクソン訪中は、アメリカのアジア侵略政策の破たんによる中国政策の一定の手直しのあらわれであるが、アメリカのアジアにおける平和共存外交への転換につながることには大きな疑問があることを指摘した。
 いうまでもなく、わが党は、社会主義国と帝国主義国との関係改善と緊張緩和、平和共存関係の確立に賛成である。そのために状況と必要によっては社会主義国と帝国主義国の首脳会談が積極的役割をはたすことがありうることも当然のことである。しかし、ニクソン訪中発表後の米政府当局の言明やその後の事態は、わが党の指摘こそ正確なものであり、ニクソン訪中発表に侵略政策の全般的転換を夢み、ニクソン大統領を美化した多くの見解こそ誤っていたことを立証しつつある。「冷戦政策の転換」うんぬんのニクソン美化論はなんら根拠がなく、逆にアメリカ帝国主義がニクソン訪中にかけている打算とねらいの危険性がしだいに明りょうに浮きぼりになりつつある。ニクソン大統領自身、八月四日の記者会見で「ベトナム戦争の解決策では、米中首脳会談でまとまる取決めがついていない」とのべている。また米中関係の正常化についても、八月二日ロジャーズ国務長官は、国連総会での中国代表権問題について、「二つの中国」の立場に立った態度をあきらかにした。これらの証言や事実をみるだけでも、一部の論調がのべたような、米軍のベトナム侵略の停止や台湾の放棄、さらにはアジアの冷戦政策の転換が、すでに確実となったという主張が、事実にもとづかない速断であることは議論の余地がない。
 ところが重要な見落とすことのできないことは、国際共産主義運動の一部にも、ニクソン訪中に関連して、ニクソンの免罪論、したがってまたアメリカ帝国主義の免罪論が登場してきていることである。
 たとえば、中日友好協会の郭沫若名誉会長は、ニクソンが訪中の意思を表明したことについて、「ニクソンには二つの願望があるそうだ。その一つは、再選されること……。もう一つは、共産主義諸国の世界と対話する機会をもつことで、そのことによって米国の歴史に名を残す大統領になりたいとねがっているという」と語っている(七月八日付「朝日」)。世界各地で戦争と侵略をつづけ、社会主義陣営の東南の前哨であるベトナム民主共和国であのような残虐な侵略戦争を継続しているニクソンをひたすら「共産主義諸国の世界との対話」を求める平和的人物としてえがきだしていることは、きわめておどろくべきことであり、アメリカ帝国主義そのものを免罪していることと同じである。
 また、アメリカのジャーナリスト、エドガー・スノーによれば、毛沢東は、「権力を手にするとまったく異った行動をする社会民主主義者や修正主義者よりもニクソン大統領のような人物の方が好ましい」と語っている(八月六日付「毎日」)。これは、「ソ連修正主義」よりもニクソンの方がよいとする見地から、アメリカ帝国主義を免罪するもので、「反米反ソ統一戦線」などといいながら事実上「ソ連修正主義」を主敵とみなすことにほかならない。また、ニクソンの訪中を、ニクソンの無条件降伏の結果であるとみなす他の議論も、ニクソン免罪論の一変種ということができる。
 したがって、現在の事態においてニクソン・ドクトリンが意味するものをあらためて明確にすることは、現在きわめて重要となっている。

  二 ニクソン・ドクトリンとはなにか

 さまざまなニクソン美化論にとって共通の重要な特徴は、ニクソン訪中計画という、アメリカ帝国主義の「対中接近」政策を、アメリカ帝国主義のアジア政策の百八十度の転換とうけとることにある。しかし、これは、ニクソン・ドクトリンはもちろんのこと、ケネディ以来のアメリカ帝国主義の世界戦略の特質をまったく理解していないことを告白したものである。
 ニクソン訪中計画は、アメリカ帝国主義が反帝民主勢力の闘争によって追いつめられ、そのアジア侵略政策の破たんがいよいよ明白になってきた情勢のもとで、対中国政策の一定の手直しをよぎなくされた事実をも反映している。
 ニクソンは、これまでも社会主義諸国の不団結につけこみながら、ベトナム侵略戦争をすすめる各個撃破政策の打算を背景に、「対中接近」政策を大統領就任以来の長期的課題として追求してきた。そしていま、インドシナ侵略の破たん、国防総省の秘密資料発表などによる国内での批判のたかまりなどとともに、国連の動向にみるように台湾政権を中国の正統政府とみなす虚構が維持できなくなってきた状況のもとで、「対中接近」政策をさらにすすめ、両国首脳会談をおこなうという対中国政策の手直しにふみだしたのである。
 もちろん、米中関係の正常化、あるいはアメリカと中国とのあいだの国交がひらかれること自体は、歓迎すべきことである。かつて十月革命後、帝国主義諸国が生まれたばかりのソビエト・ロシアの絞殺を長期にわたってくわだてながら、結局承認せざるをえなかったように、中華人民共和国を二十余年にわたって無視、敵視してきたアメリカが、国連などでのアメリカ自体の孤立化をふせぐために中国の存在を承認して国交の回復を実現するとするならば、これは積極的な意味をもつものである。
 しかし、さきにみたロジャーズの声明にもみられるように、現在ニクソンの訪中が米中間の正規の国交回復に確実につながると断定する根拠はなく、むしろそれはアメリカ帝国主義の今日の世界戦略――アジア侵略政策の今後にかかわる複雑なねらいをもっている。このことは、アメリカ帝国主義の侵略政策の中心であるニクソン・ドクトリンの本質をみることによって、いっそうあきらかとなる。
 わが党がこれまでしばしば指摘してきたように、アメリカ帝国主義の対社会主義戦略は、一九六〇年代のはじめ以来、それまでの「ソ連封じ込め」戦略から各個撃破戦略に移行してきた。すなわち、第二次世界大戦後、アメリカ帝国主義は、その強大な軍事力と経済力、とくに核兵器の独占に依拠し、ソ連との正面からの対決を主としながら、全社会主義陣営、資本主義諸国の革命勢力、民族解放運動という三つの革命勢力を分断し、圧伏しようとする戦略を追求してきた。ところが、一九五〇年代をつうじて進行した国際的な力関係の大きな変化により、アメリカ帝国主義は、こうした全線にわたる対決の戦略の「苦悩にみちた修正」をよぎなくされる。こうして当時あらわれはじめた国際共産主義運動の不団結、とくに中・ソ対立につけこむことによって、あらたに特定の社会主義大国とは下心のある接近政策をとりながら、他の社会主義国や民族解放運動に一つひとつ侵略政策を集中するという二面的な各個撃破戦略への移行がはじまった。
 その第一段階は、ケネディ大統領時代の「中国封じ込め」政策であった。わが党の論文「ケネディとアメリカ帝国主義」(一九六四年三月十日付「赤旗」)が詳細に分析したように、ケネディは、部分核停条約などソ連との一定の「緊張緩和」政策をとりながら、「中国封じ込め」を中心にして、アジアにあらたな重点をおいた侵略政策をおしすすめた。当時わが党が指摘し、最近、国防総省の秘密報告によってあらためて注目されたように、南ベトナムに一万六千名の軍事顧問団と特殊部隊を送りこみ、ベトナム侵略戦争に本格的に乗り出したのもケネディであった。ケネディの二面政策に幻惑されて彼を「平和の政治家」として礼賛した当時の修正主義的誤りについては、今日すでにきびしい歴史の審判がくだっている。
 各個撃破戦略の第二段階は、ジョンソン大統領時代のベトナム侵略拡大政策であった。ジョンソン政権が一九六四年八月のトンキン湾事件、六五年二月からの北爆拡大、六十万の米軍投入と、もっとも計画的に社会主義陣営の東南の前哨であるベトナム民主共和国にたいして、米国憲法にさえ違反した「宣戦布告なき」公然たる攻撃を開始し、ベトナム侵略戦争の大規模なエスカレーションにつきすすんでいった経過は、今日米国防総省秘密報告によってみずからあきらかにされている。こうして一九六六年のわが党の第十回党大会報告が正確に特徴づけたように、「ベトナム侵略戦争とこれに反対する闘争」は、「帝国主義勢力と反帝民主勢力の国際的対決のもっともするどい焦点」となり、「帝国主義と民族解放運動の矛盾、帝国主義と社会主義の矛盾、帝国主義諸国間の矛盾、侵略的戦争勢力とそれに反対する勢力との矛盾など、世界の諸矛盾の集中点」となった。そして注目すべきことは、それにともなって、「中国封じ込め」政策が後退し、ソ連につづいて、中国との対決をもまた当面回避する「対中接近」政策があらたにとられはじめたことである。六六年三月から、マクナマラ、ラスク、ハンフリー米政府首脳は、あいついで「孤立化なき中国封じ込め」政策についてのべはじめ、ジョンソン大統領自身七月十二日につぎのように演説した。

 「平和への礎の第四の基本条件はみずからを敵と称している国々との和解である。平和的な中国本土はアジアの平和の中心問題である。われわれは中国の侵略を防止するとともに、中国をして他国を理解し、平和協力政策をとらしめるように努力しなければならない」

 この点について、すでに五年近く前、わが党の第十回党大会報告は、正確につぎのように特徴づけていた。

 「最近、特徴的なことは、アメリカ帝国主義の指導層が、中国にたいしては、国連代表権問題などにも明白なように敵視政策を公然ととりつつも、他面、孤立化政策はとらないと称して、中国を攻撃する意図がないとか、友好的接触の『かけ橋』をかけるなどという言明をくりかえしおとなっていることである。このことはアジアの社会主義国にたいする各個撃破政策をとりながら、その手順として、ベトナムなど大きくない国の撃破をまず確実にするために、複雑な手口をろうしていることをしめしている」

 ニクソン大統領のニクソン・ドクトリンとは、この各個撃破戦略の第三段階であり、ジョンソン時代のベトナム侵略戦争拡大政策の完全な破たんに直面してやむなくとられた、あらたな侵略態勢たてなおしの構想にほかならない。
 ジョンソンがその執務時間とエネルギーの大半をつぎこみ、みずから北爆の目標決定までおこない、六十万の米軍と第二次世界大戦で使用した量の二倍という弾薬を用いるなど、アメリカ帝国主義がなしうるかぎりのすべての手段を動員したにもかかわらず、ベトナム民主共和国を屈服させ、南ベトナムをアメリカ帝国主義の東南アジア支配の拠点として確保するという目的の達成が不可能となり、ベトナム侵略戦争が失敗に終わるほかはない事実がいやおうなしに明白となった。このような情勢のもとで、ジョンソンは、その意図に反して六八年五月にパリ交渉を開始し、十一月には北爆停止をよぎなくされ、ついに失意のうちに次期大統領立候補をあきらめるのやむなきにいたる。ジョンソンから負の遺産をひきついだニクソン大統領がうちだしたニクソン・ドクトリンについて、わが党の第十一回党大会決議「七〇年代の展望と日本共産党の任務」はその第二項「アメリカ帝国主義の新戦略と反帝統一戦線の課題」のなかで、つぎのように「肩代わり政策」と各個撃破政策という二つの柱の結合として特徴づけている。

 「アメリカ帝国主義は、ベトナムその他での失敗に直面し、その地位の相対的低下を同盟・従属諸国の力の動員でおぎなおうとして、国際的支配体制の再編成と各個撃破政策のたてなおしをよぎなくされている。  ジョンソンにかわったニクソン大統領がこのためにうちだした新戦略(グアム・ドクトリンあるいはニクソン・ドクトリン)は、第一に、ベトナム侵略でうけた打撃から教訓をひきだし、MIRV(多核弾頭ミサイル)、ABM(弾道弾迎撃ミサイル)など核戦略態勢の強化とそれにもとづく核優位を維持しながら、同盟・従属諸国に軍事的・経済的負担、とくに『自衛のために人員を供給するという第一義的責任をになうこと』(外交教書)をもとめる『肩代わり政策』の強化を柱としている。第二に、『共産主義者の国際的統一というマルクス主義者の夢は解体した』(外交教書)とみて、国際共産主義運動の不団結、とくに中・ソの対立をいっそう巧妙に利用し、核拡散防止条約締結にひきつづくソ連との戦略兵器制限交渉(SALT)、米中会談とその他の対中国政策の柔軟化などで『平和共存』の欺まんをつよめながら、あらたな形態でアジアを主戦場とする各個撃破政策を追求しつづけることをもう一つの柱としている」

 第一に、ニクソン・ドクトリンを生み出した基本的背景は、ベトナム侵略戦争の失敗をはじめとするアメリカ帝国主義の世界支配における矛盾の激化と危機の進行と、他方における国際共産主義運動の不団結である。
 ニクソン大統領のもとでつくられた昨年とことしの二つの「外交教書」は、アメリカの軍事力が圧倒的に優勢であった「国際関係の戦後期」がすでに終わったこと、西欧諸国と日本の地位の向上にひきかえアメリカの国内世論には二十五年間の国際的負担による「ヒズミ」と「疲労」が生まれているという、アメリカにとっての苦い真実が直視されている。だが同時に、共産主義運動もまた「分裂」し、中・ソ対立は今日の世界における最も深刻な紛争の一つとなっていることが、アメリカに希望を抱かせるものであるかのようにくりかえし注目されている。こうした帝国主義陣営と社会主義陣営の現状を、ニクソンは、キッシンジャーのつくり出した新概念――「軍事的には両極的であるが政治的には多極的である世界秩序」(「アメリカの外交政策の中心的諸問題」―ブルッキングス研究所編『国民にとっての課題』一九六八年刊所収、邦訳前掲「アメリカ外交政策の考察」第二部および「アメリカは何をなすべきか国際編」)としてとらえる。ことしの「外交教書」は、アメリカ外交の特質を「新しい流動的な多角外交時代」として特徴づけながら、こうした必要を生み出した現実について、つぎのように簡潔にえがいている。

 「ニクソン・ドクトリンは、次のような現実を反映しようとしている。
――アメリカの主要な役割は依然として不可欠である。
――他の諸国は、自国およびわれわれのために、より大きな責任を負うことができ、また負うべきである。
――戦略関係上の変化は、新たなドクトリンを要求している。
――共産主義世界に台頭している多中心主義は、異なった挑戦と新たな機会を提起している」

 第二に、ニクソン・ドクトリンは、危機からの教訓として、米地上軍(海・空軍はこのかぎりではない)の国際的介入を最小限におさえることを表明しているが、それはアメリカ帝国主義の世界支配政策、侵略政策の放棄をなんら意味せず、依然として「軍事的両極化」と称して、アメリカ帝国主義の核・通常兵力双方の侵略的軍事力の維持と強化、必要な場合の軍事的、政治的、経済的介入の実行を基本的前提としている。
 昨年の「外交教書」は、アジアにおけるニクソン・ドクトリンについて、「米国はそのすべての条約義務を守るであろう」としたが、実際には、ニクソンは核戦力・一般目的戦力の双方にわたり侵略的軍事力の拡大計画をおしすすめるとともに、カンボジア作戦、ヨルダンへの米軍介入など「条約義務」どころか国際法を無視した侵略の拡大をもあえておこなってきた。ニクソンがカンボジア、ラオス侵略によって、ベトナム侵略戦争を全インドシナ半島に拡大したことは、ニクソン・ドクトリンを「介入の停止」として美化することの根本的な誤りを暴露している。
 第三に、ニクソン・ドクトリンは、新しい要素として「肩代わり政策」を導入するが、それは同盟・従属諸国にアメリカ帝国主義の世界支配政策にたいするいっそうの積極的協力を要求するものである。
 ベトナム侵略戦争の破たんから受けた打撃、国内の反戦闘争の昂揚、ドル危機の深刻化と国内経済情勢の悪化などはアメリカ支配層の国内の土台を掘りくずし、ベトナムその他からの米軍の部分的撤退をよぎなくさせた。こうした条件のもとで、国際的支配体制の再編成と各個撃破のたてなおしをはかる手段として登場したのが、「ベトナム化」を典型とする、同盟・従属諸国に軍事的・経済的加担の強化を要求する「肩代わり政策」である。その中心は、なによりも軍隊の提供にある。「自衛のために人員を供給するという第一義的な責任を担うことを、直接脅威を受けた国にたいし期待する」(七〇年「外交教書」)のがニクソン・ドクトリンである。
 その際重要なことは、ケネディ以来の各個撃破政策が、ヨーロッパでの一定の「緊張緩和」をすすめながら、アジア地域に侵略を集中していたことの結果として、部分的撤退をふくむ米軍兵力の再配置と同盟・従属諸国による軍事的「肩代わり」もまた、まずもっぱらアジアが対象となっていることである。「アジア人をしてアジア人と戦わせる」――これはニクソン・ドクトリンの本質をもっともするどくえぐった規定である。
 だとすれば、このアジアにおける「肩代わり」の役目のおもなにない手として要請されているのは、サイゴンかいらい政権、「韓国」かいらい政権とともに、これらにたいする「支援」の主力となる、アジアにおけるもっとも強大な対米従属的独占資本主義国家としての日本である。昨年の「外交教書」が「日本は、世界の大工業国の一つとして、この新しいアジアの発展に果たすべき独特かつ緊要な役割をもっている」とのべ、ことしの「外交教書」が「日本」と題する特別の節をもうけて沖縄返還問題と「在日アメリカ軍基地の大規模な再編成」にふれ、「日本は、実質的に必要な通常国防力のすべてを備えることができるように、自衛能力の質的改善を続ける計画をすでに発表している」とのべていることは偶然ではない。日米共同声明と佐藤・ニクソン沖縄協定は、ニクソン・ドクトリンの重要な構成部分をなしているのである。
 第四に、ニクソン・ドクトリンが、その戦略と兵力配置の再編成をアジア・太平洋地域を主要な対象とするものであり、しかも中・ソ対立につけこんだ「異なった挑戦と新たな機会」をねらうものとして、各個撃破政策のあらたな効果的手段としてとくに重視したものは「中国との対話」であった。
 ジョンソン時代の「対中接近」政策は、一九六六年四月のラスク国務長官による対中国政策十項目にしめされていたように、「中華民国」防衛、中国の国連加盟反対などをかかげつつ、米国が中国を攻撃する意図がないことを中国に確認させること、ワルシャワ会談およびいろいろな形での米中間接触を拡大することなどを特徴としていた。ニクソンは、それを大きくすすめて、ことしの「外交教書」では、これまでの「中共 Communist China」というよび方を少なくし、「中華人民共和国」という正式名称をもはじめてつかっただけでなく、「米中関係正常化」の課題をもはじめてかかげ、つぎのような表現までもちいていた。

 「われわれは北京との対話を確立する必要がある」  「中華人民共和国が、その近隣諸国ならびにアメリカを含めた世界との関係を正常化する道を探求する新たな機会が生まれるであろう」

 今回の秘密外交による訪中決定が、ニクソン・ドクトリンの百八十度転換はけっして意味せず、ニクソン・ドクトリンに基本的にそった方向での一つの踏み切り、一つの手直しであったことは明白であろう。
 以上にあとづけたように、ケネディ以後六〇年代から七〇年代にかけてのアメリカ帝国主義の巧妙な二面政策、とくにニクソン・ドクトリンは、わが党が提起した「各個撃破政策」という科学的分析の武器によってはじめてその本質と内容をいっそう全面的に、いっそう的確に解明できるものである。

  三 ニクソンの対中接近の真の意味

 すでにのべたように、アメリカ帝国主義の「対中接近」政策は、ベトナム侵略戦争に集中する必要から、ジョンソン時代以来顕著になってきたものであって、ニクソンも就任当初から「中国との対話」を重要なあたらしい政策の一つとしてかかげてきた。このことは、今回全世界に衝撃をあたえたニクソン訪中決定がニクソン・ドクトリンの継続であることをしめしている。このニクソン訪中について、一部の議論にみられるように、ニクソンが台湾の蒋介石政権との関係を断絶し、中華人民共和国を中国の正統政府とする「一つの中国」の立場へ移ったことはすでに確実であり、米中会談ではかならず米中正常化がなしとげられるにちがいないという断定には、現在のところ根拠がない。しかし、今回の決定のなかにはなんらの変化もなんらのあたらしい要素もふくまれていないとするのも逆の単純化におちいることである。では今回のニクソン訪中にはどこにあたらしい要素があり、どこにニクソン・ドクトリンにもとづく限界があるのだろうか。
 一九六八年十月の「ニクソン白書」では、対中国政策は長期と短期の二つに分けてのべられていた。ニクソンは、「長期的には」中国を「国際社会へひきもどすことが必要」とみなしながら、「短期的には」、「圧力に対抗する独創的な政策が必要」と主張していた。

 「共産中国との対話は次期米大統領の二期の任期内(八年間)に実現されなければならないと私は考えている。
 いま共産中国を承認し、国連への加盟を承認すれば、実質的には、ベトナムにおける米国の政策やインドおよびすべての中国隣接諸国にたいする共産中国の現在のきわめて攻撃的な政策を認める結果になるので、われわれはそれを承認すべきでないと私は確信する」(「ニクソン白書」)。

 この方針にしたがって大統領就任以来ニクソンは、一方では中国の国連代表権の回復を妨害するために重要事項指定方式などの短期的政策にあらゆる努力を払いながら、他方、中国への旅行や貿易制限の緩和など、長期的政策として将来の「対話」を準備する一連の措置をとった。
 七月十六日米政府の高官は、ニクソン訪中の背景説明のなかで「中華人民共和国との関係改善は、基本的には二つの段階があった。一つはニクソン政権一年半の期間で米国は初めはまじめな対話をする用意があり、われわれは〝歴史のとりこ〟ではないと北京に伝える一般的な試みがなされた。またわれわれはさらに一連の一方的措置をとった」(七月二十九日付「毎日」夕刊)とのべているが、ここでのべられている第一段階の政策とは、実はニクソンがより長期のものとして予定していたものにほかならない。エドガー・スノーは四月二十五日付ライフに発表した「毛主席との対話」のなかで、すでに昨年、「ニクソン氏のアジアにおける『新政策』を中国指導者に知らせる」目的で、「ワシントンからのメッセージが仲介者を通じて中国政府に届いて」いたことをあきらかにしているが、これも一般的な対話準備の一環であったとみることができる。
 米政府高官によれば、第二段階はことしの四月にはじまった。
 ニクソン訪中決定にふくまれている転換の要素とは、早くとも次期大統領の任期中というように長期的課題として予定されていた「中国との対話」を、カンボジア、ラオス侵略などインドシナ侵略戦争の拡大や「ベトナム化」政策の失敗がさらに明白となった情勢のもとで、大統領選挙の打算もあって、現任期中にくりあげたことにあり、首脳レベルでの対話の開始そのものが今回のニクソン訪中の最大の意味であるとみることができる。ニクソン自身、八月四日の記者会見で、「世界平和は二つの超大国である米中間の意見疎通および交渉なしにはありえない」と強調し、「米中会談は意見疎通をもたない対決の時代から話し合いによる交渉の時代に導くだろう」とのべ、米中両国がいずれもなにか条件を要求したり、それを受け入れたりしている事実はなく、いかなる取り引きも存在していないと説明している(八月五日付「日経」夕刊)。
 四月十六日、いわゆる「ピンポン外交」が世界の注目をあつめている最中、ニクソンはラジオ討論会で、「アメリカと中国とは可能性豊かな関係の新時代にはいった。私自身も中国に行きたいが現職中に行けるかどうかはわからない」と最初の訪中の意思表明をおこなった。四月二十三日、ジャーズ国務長官は記者会見で、米中接近によって「北ベトナムに交渉をより奨励するようになる可能性がある」ことを指摘した。四月二十五日付ライフ誌に掲載された毛沢東が最近になって公表を了承したという断わり書きつきの「毛主席との対話」でエドガー・スノーは、毛沢東がニクソン訪中を歓迎すると語ったことをあきらかにした。四月二十八日、米国務省は、少なくとも台湾の主権は国民政府にあるとしてきた従来の公式の態度をひるがえして、「台湾の主権は、将来の国際的解決に待つべき未解決の問題である」とするあきらかに異例の声明を発表した。その翌日の二十九日に、ニクソンは全米に放送された記者会見で、あらためて「私の存命中、いつか何らかの資格で中国に行くことを期待している」ことをかさねてのべたのである。
 インドシナ侵略戦争でおちいったぬきさしならない窮状を打開するために、二年前の「ニクソン白書」では「共産中国はベトナム戦争解決のさいに起こることによって悟らされ、変化することになろう」「そのとき、対話が始まる」としてベトナム後に予想されていた中国との「対話」は、逆にベトナム侵略戦争のひきのばしに利用しうるものとして、あらたな意味をもってとりあげられた。
 ところで、この「対話」の開始は、ニクソン政権の対中国政策自体にどのような変化や転換をもたらすだろうか。米高官の背景説明に「この決定に当たり、一部の古い友人を傷つけるだろうということがわかっていた」(七月二十九日付「毎日」夕刊)とあるように、訪中決定そのものが、蒋介石政権を中国の正統政府とみなす立場からの後退であり、ニクソンが訪中計画について応諾をかちとるために、対台湾政策、対中国政策については一定の転換や譲歩をおこなおうとしていることはありうることである。だが、中国問題にかんするこの転換も譲歩も、まだ全面的、本質的なものといえないことは、すでにその後の事態によってしだいに明白となっている。
 声明にうたわれている「両国間の関係の正常化」も、米政府にとってただちに「一つの中国」の立場からの台湾放棄ではないことは、声明が「中華人民共和国との新しい関係を求めるわれわれの行動は、われわれの旧来の友人の犠牲においてなされるものではない」とのべていること、その後ニクソン政権がくり返し米台相互防衛条約の義務をまもること、米軍の台湾駐留が必要であることを表明していることにしめされている。アメリカ帝国主義が、アジアにおけるニクソン・ドクトリン遂行のために、米・日・「韓」台の反共軍事同盟の強化を重要な政策としている今日、アメリカがみずからすすんで台湾を完全に放棄しようとしているなどと断定することは根拠がない。米高官の説明によれば、ニクソン訪中までに、中国との外交関係樹立がありえないことはもちろん、ニクソン訪中の際の米中首脳会談によって国交が樹立されるかどうかもまったく未定である。ニクソン政権は、今日の複雑な情勢につけこんで、一九五〇年以来、二十四億ドルの軍事援助をはじめとする「援助」をつぎこみ、アジア支配の拠点の一つとしてきた蒋介石一派との関係を保持し、「二つの中国」論を維持したままで、対中国関係の「改善」をはかろうと策動している。「米中関係正常化の探求」ということでニクソンの側が訪中に当面かけているものは、台湾問題を「一つの中国の立場」で正しく処理した根本的解決ではなく、若干の関係改善措置をともなった正常化への「対話」のはじまりなのである。
 ニクソン訪中が、こうした問題での米中間のなんらの了解事項なしにとりきめられたものであることについては、周恩来首相もまた、「会見の公式記録を自ら検討し、一問一答の全文を逐語的に掲載することを条件として発表の許可を与えた」というニューヨーク・タイムズ紙のレストン記者との会見のなかで証言している。「ニクソン大統領は来るべき中国との会談には前提条件はない、と語っている。中・米双方とも、いかなるコミットメントも行っていない。これは、双方間にあらメントも行っていない。これは、双方間にあらかじめ暗黙の了解は存在しないということだ」「われわれはたった一度の会談で、いっさいの問題が解決されるとは期待していない。だが互いに接触することによって、これらの問題を解決するにはどこから出発すべきかを、発見しうるにちがいない」(八月十日付「朝日」夕刊)。
 わが党は、米中の国家関係の正常化を、日中国交回復同様、きわめて重要な意義をみとめるものである。しかし、それがもし実現した場合でも、アメリカ帝国主義にとっての米中間の「国交正常化」とは、今日の米ソ関係と同様、真の平和共存の原則的確立ではなく、その各個撃破政策とむすびついた下心のあるものであることも指摘しておく必要がある。
 一九六六年、ジョンソン大統領の時代に、ハンフリー副大統領が、「米国はかつてソ連に対しヨーロッパで、軍事的封じ込め政策と、外交政策による緊張緩和政策とを並用して成功したが、アジアでも同じ政策を適用したい。米政府は中国に対し、軍事的封じ込め政策を継続するが、孤立政策は必ずしもとらない」とのべたことがある。アメリカ帝国主義にとっての「米中正常化」とは、こうした対ソ政策と本質的に同じものであり、国際共産主義運動、社会主義陣営の不団結を最大限に利用した、「孤立化なき封じ込め」と称する社会主義陣営にたいする侵略と分断の反革命的世界政策の一環であり、ニクソン・ドクトリンの枠内のものにすぎない。このことを忘れて、ニクソン訪中でアジアにおける平和共存時代のとびらがひらかれるなどとするのは、アメリカ帝国主義の侵略的本質を忘れた文字どおり最悪の日和見主義にほかならない。
 ところでニクソン政権にとって、訪中決定は同時にその対中国政策をめぐる諸矛盾をいっそう大きくする加速剤となりつつある。ニクソンの最初の関門は、今秋の国連総会における中国の国連代表権の回復の問題である。現職の大統領が国交のない中国に訪問する以上、その最小限の前提となりうるものは、中国の国連復帰にたいするニクソン政権の支持である。しかし他方では、ニクソン政権は、日本をはじめとする従属、同盟諸国との関係からいっても、蒋介石かいらい政権の国連議席を擁護しつづける必要にもせまられている。八月二日のロジャーズ国務長官の声明にみるようにニクソン政権は、中国の国連参加にたいして、これまでの反対を支持に変えるとともに、あらたに国府の追放を重要事項に指定して国府の議席を擁護するという二面政策を採用したが、その本質は、北京政府と台湾政府の双方が中国を代表する議席をもつという、典型的な「二つの中国」論にもとづくいわゆる「二重代表制」であった。安保理事会の議席を中華人民共和国にあたえることをふくみとする譲歩も、国府の議席擁護のためである。中国がただちにこの策謀を非難したのは当然のことである。
 ニクソン訪中計画は、一つの矛盾の深刻化からの出口を求めたものであったが、それが実際に出口となりうる保障はない。
 ニクソン訪中がうたった「米中国交正常化」と、「二つの中国」論、蒋介石政権擁護と政策のあいだにはときがたい敵対的矛盾がある。訪中を決定したニクソンは、いずれにしろ、長期の課題として自分がまいたこの矛盾を刈りとらねばなるまいが、それはその訪中計画と中国との「対話」のねらいの全容をさらに明白にすることとなるだろう。

  四 ニクソンのインドシナ政策がめざすもの

 ニクソンのあたらしい戦術がアジア情勢にとってもつ真の意義をはかる重要な試金石は、アメリカ帝国主義と世界の反帝民主勢力の対決の最大の焦点をなし、アメリカ帝国主義の各個撃破政策の当面の集中点となっているベトナム問題、インドシナ問題にたいするその関係である。中国の周恩来首相自身も、七月十九日、中国訪問中の米大学代表団にたいして、「われわれは、真先に解決されなければならないのはインドシナ問題だと信じている。アメリカおよびその他参戦国のインドシナ撤退要求は、米中両国人民間の関係回復呼びかけよりなお強いといえる」とのべ、インドシナ問題が米中問題より最優先の課題であることを認めたところでもある。
 その点でニクソン美化論のもっとも重視すべきものの一つは、中国側がニクソン招待をうけいれた以上、ニクソン政権が米軍のベトナムからの撤退、ベトナム戦争の終結をすでに決意したことは明白であるかのようにみる、かなりひろがった推測である。これはかつての「ポスト・ベトナム」論を復活させたものであって、アメリカ帝国主義の「平和」のゼスチュアに幻惑されて、ベトナム侵略を糾弾する闘争に水をかける役割をはたすもっとも有害な謬論である。もしもニクソンがベトナム侵略戦争の終結という決意を秘めているのなら、どうして中国の毛沢東や周恩来とではなく、パリ会談で南ベトナム共和臨時革命政府代表、ベトナム民主共和国代表という当事者と話しあわないのか。ニクソン政権のベトナム政策にも、パリ会談でのアメリカの態度にも、アメリカ帝国主義が米軍の全面撤退をふくむベトナム問題の平和的解決に応じようとしているという徴候はまだまったくあらわれていない。逆に、そこからはベトナム侵略戦争をひきのばそうとしているという結論が出てくるだけであり、ニクソン訪中決定に関連してふたたび復活したあらたな「ポスト・ベトナム論」にはなんの根拠もない。
 ニクソン大統領は、大統領選挙前に発表した「ベトナム白書」以来、一貫してベトナムからの米軍の無条件の全面撤退を否定してきた。ことしの「外交教書」も、「われわれはベトナムの経験から多くの教訓をえた。しかし、学ばなくてもよい教訓もある。それは、無差別介入を矯正する唯一の方法は無差別撤退であるということである」とのべ、米軍の即時撤退をアメリカにとって「災厄的な道」であるときめつけている。同時に「外交教書」は、ベトナムでの軍事的エスカレーションの道をも排除し、「とりうる唯一の政策」として、「ベトナム化を通じて、アメリカの責務を南ベトナム国民に肩代わり」させる「進路」を選んだとのべている。
 ニクソンがとった路線と構図は、つぎのようなものであった。
 第一に、パリ交渉においては、「交渉による戦争の終結」を探求する姿勢をとり、同時にベトナム民主共和国と南ベトナム共和臨時革命政府が主張する米軍撤退と連合政府樹立はあくまで拒否しつづけ、南ベトナムにおいてアメリカ帝国主義の新植民地主義的計画の達成を保障しうる「和平」提案を対置する。現状では双方とも相手の提案を受諾できず、こうして交渉をひきのばす。
 第二に、交渉による戦争終結は当面見込みは少ないが、その「代替的方法」として、「南ベトナムがアメリカ軍駐留を補うことができる速度に合わせて」(「外交教書」)米軍の部分的撤退を漸進的におこなう。しかし拠点防衛のために必要な米軍兵力はかならず維持するとともに、サイゴンかいらい政権の軍事的、政治的、経済的強化をはかる「ベトナム化計画」を強力におしすすめる。
 「対照的ではあるが補完的な二つの行動――交渉とベトナム化」(七〇年「外交教書」)を二つの柱としたこの構想は、アメリカ帝国主義にとって一石二鳥の利益をもたらすものと思われた。第一にアメリカの「平和的」ポーズによって世界の世論の糾弾をそらすことができ、第二に米軍の死傷者数を減少させて米国内の反戦闘争の高まりを沈静させることができ、第三に戦争の長期化の場合でも、平和的解決の場合でも、南ベトナムでのアメリカの指導権の確保を達成することが可能であると思われたからである。
 ニクソンがこの構想をつうじてあくまで貫徹しようとしている終局的な目標は、けっきょくアメリカ帝国主義の新植民地主義の拠点として南ベトナムを確保しつづけることである。交渉が妥結しない場合でも、あるいはいつの日にか交渉による戦争終結をよぎなくされて、南ベトナムにおける新しい統一的政権をつくらなければならなくなった場合でも、どんな場合にもアメリカ帝国主義と結びついた反民族的、反動勢力が安定した政治的指導権をにぎりつづけうるような南ベトナムをつくりあげることである。かれらは全面的な軍事的勝利が不可能となった今日でもなおそれが可能であり、そのための力と手段は残されていると考えている。この目的を達成するために、拠点防衛に必要な米軍兵力をのこし、「ベトナム化」計画と「平定計画」をすすめ、さらに軍事的手段だけでなくサイゴン政権にたいする政治的、経済的な援助をも強化し、安定した政治構造を急速につくりだすために、必死の努力を傾注しようとしているのである。
 きわめて明白なように、この計画は、ベトナムの自由と平和、統一にも、ベトナム侵略戦争の終結にもつながるものではない。その追求は実際には、侵略戦争のひきのばし、さらには拡大とも直結することとなる。そのことは「外交教書」も自認せざるをえず、つぎのような弁解を試みているほどである。

 「この政策は、長期的にみた場合は別として、戦争を全面的に終結させることはできない。もベトナム化計画が戦争の引き延ばしに導いたとしても、それはわれわれがそれを意図したからではなくて、相手側が保証された乗っ取り以外の解決策に満足しようとしないからにほかならない」

 事実、ニクソンは、米軍兵力の漸進的削減と「ベトナム化」の保障のために不可欠であるという口実のもとに、ジョンソン政権もおこなわなかったカンボジア侵入をあえてし、さらにラオス侵略をおこなって、ジュネーブ協定を公然とじゅうりんし、ベトナム侵略戦争を、文字どおり全インドシナ地域に拡大した。さらに、南ベトナム人民にたいする爆撃、掃討、迫害を強化しただけでなく、北爆をもしだいに拡大、激化させ、七〇年十一月には「米飛行士救出作戦」と称して特殊部隊ベトナム民主共和国に奇襲降下させる暴挙まであえてした。
 しかし、歴史の弁証法は、無慈悲に貫徹せざるをえない。こうした凶暴なインドシナ侵略戦争のひきのばしと拡大そのものが、ニクソンの構図と時間表に回復しがたい打撃を与えることとなった。
 ソンミ村虐殺事件の暴露、ついでディエンビエンフーに匹敵するとされたラオス侵略での第九号道路作戦の大敗北、アメリカ帝国主義の指導層内部対立の激化を反映したニューヨーク・タイムズなどによる国防総省の秘密資料の公表が、ニクソン政権のベトナム政策の土台そのものをつぎつぎとゆるがした。
 この危機的事態のなかで、ニクソンをさらに窮地に追いこんだものが、七月一日のパリ会談で南ベトナム共和臨時革命政府の首席代表グエン・ティ・ビン外相がおこなった南ベトナム問題の平和的解決のための七項目提案である。
 七項目提案は、きわめて合理的、現実的なもので、なかでも二つの点で問題解決のいっそう積極的な展望をきりひらいたことによって、ただちにアメリカをふくむ広範な国際的世論の支持をかちとった。その一つは、米軍の完全撤退期限を一九七一年中とし、米政府がその最終期限をあきらかにした場合、米軍撤退と捕えられた軍人および一般住民の完全釈放が同時におこなわれるとし、この合意が達せられれば米軍との停戦がただちに実現されるとした点であり、他の一つは、南ベトナムでの三つの構成部分からなる連合政府樹立に関連して、アメリカのかいらいとしてグエン・バン・チューに非難を集中し、もっとも広範な「民族和合」の方式を提示した点である。
 ビン代表はその提案をつぎのことばで結んでいた。

 「われわれはアメリカ政府にたいし、ベトナムにかんするパリ会談を進展させるために、われわれが本日の会議で提起したあらたなイニシアチブに真剣にこたえるよう求めるものである」

 すべての情勢はニクソンをしてビン提案にたいする対案をふくめてなんらかの態度表明をおこなわざるをえないところに追いつめつつあった。ビン提案は、「いまや真剣な交渉を開始することができる」(スコット共和党上院院内総務)と米国内でも非常な好感をもって迎えられ、親ニクソンムードのつよい下院でさえ、ニクソンが七項目提案をむげに拒否すれば支持者を失うことになろうと外電も伝えていた。
 キッシンジャーの北京訪問によるニクソン訪中決定の発表は、まさにこうした事態のもとでおこなわれた。
 ベトナム問題が、アメリカ帝国主義の各個撃破政策の中心であり、全世界の反帝勢力と帝国主義勢力との国際的対決の焦点である以上、ニクソン訪中問題も、米中関係正常化という観点からだけでなく、その国際的影響と意義にかんするかぎり、ベトナム問題への影響という観点からもみなければなるまい。このことはインドシナ問題との関連でいえば、ニクソン訪中計画そのものが、その大きな目的の一つを、内外の世論をインドシナ問題から中国問題にそらし、ほとんど悲劇的な窮地におちいっていたインドシナ侵略政策の立てなおし、したがってまたアジアにおけるニクソン・ドクトリンの立てなおしの余裕と条件をかちとることにおいたものということができる。
 この点で、ニクソンの具体的なねらいは、第一に、ニクソンのインドシナ侵略政策にたいする内外世論の日に日に高まる糾弾をそらし、逆にニクソンにたいする歓迎の世論をつくり出すことにあった。日本におけるニクソン美化論の登場をみただけでも、このねらいは、一時的にかなりの成功をおさめたといえよう。アメリカ国内でもニクソン糾弾の世論の一部は変化した。七月十五日のテレビ放送後、ゆきつけのペリノ・レストランで、ニクソンはそれこそ久しぶりに市民からの熱狂的歓迎をうけたと外電は報じている。議会でも、一部の保守派が孤立的にニクソンの中国政策の不支持を表明しただけで、圧倒的支持が表明された。明年の大統領選挙を有利にしようとする打算としては、これ以上効果的なものはなかった。
 第二の――しかしもっとも重要な具体的なねらいは、ビン代表の七項目提案にたいする回答を、ニクソン訪中による米中首脳会談の重要な主題の一つがインドシナ停戦にかんするものであるにちがいないという広範にひろまった根拠のない期待を利用して、ニクソン訪中の実現の日との関連で延期する策謀である。それを利用して、ニクソン政権は、パリ交渉での立場を再建すると同時にラオス侵略作戦の大敗北で深刻な打撃をうけた「ベトナム化」政策を再構築し、その進行の速度を全力をあげて早めようとしている。侵略戦争遂行の「ベトナム化」だけでなく、かいらい政権の階級的、社会的基盤をつくりだすために、政治、経済、宗教、文化と多面的、全面的な「ベトナム化」戦略が強行されてゆくにちがいない。
 ニクソンの具体的ねらいの第三は、大国間の取引きによってインドシナ問題の有利な解決への条件をつくりだそうという国際化である。
 周知のようにニクソンが昨年十月七日に提示した五項目の和平案の第一項目は、「国際管理のもとにおけるインドシナ全域の現場停戦」であり、第二項目は「インドシナ和平会議」であった。ニクソンが、インドシナ問題の国際化による大国間の取引きをねらいつづけてきたことは明りょうであろう。
 ベトナム人民は、一九六五年の四項目の立場以来、米軍撤退などベトナム問題の正しい政治的解決の条件が生まれてはじめて、ジュネーブ方式の国際会議について語ることができることをあきらかにしながら、アメリカ帝国主義の侵略停止、米軍撤退をあいまいにしようとする「国際会議」の策謀に反対してきた。パリ会談以後も、ニクソン五項目提案のインドシナ平和会談の開催についても、すべての関係者が集まっているパリ会談でベトナムにかんするすべての軍事、政治問題を処理することができ、ニクソン提案を二心ある策動として非難してきた。
 今回のニクソン訪中計画発表の直前、中国の周恩来首相がオーストラリア労働党のホイットラム党首にたいし、「中国政府はジュネーブ会議が再開されれば参加する積極的意志がある」と語ったという報道にかんし、アメリカ国務省がただちに非公式の歓迎の態度を表明したことは、この意味で重要である。ニクソン訪中発表後、パリ会談南ベトナム共和臨時革命政府代表団スポークスマンは、パリ会談のワク内で南ベトナム問題の公正な政治的解決をのぞむことを表明し、アメリカの「国際会議」を開催歓迎というこの策動をあらためて糾弾している。
 ニクソンの訪中計画が、インドシナ問題でおちいっている窮地からのがれるために、あたらしい戦術をねらったものではあっても、インドシナ問題の平和的解決、とくに南ベトナムからの米軍撤退やベトナム侵略戦争の停止を前提にしたものでないことは、きわめて明白である。
 ニクソン訪中決定はアメリカがアジア、とくにベトナムから手を引こうとしていることを意味しているとする、一部新聞の論調をはじめ、冒頭に引用したような、民社党、社会党などの見方は、ニクソン政権のベトナム政策の本質と実態をまったく見誤ったものである。それはニクソン・ドクトリンの帝国主義的性質をおおいかくして、あたかも世界の反動勢力の主柱であり、最大の侵略者であるアメリカ帝国主義が、侵略政策の根本的転換、あるいはアジアを放棄はしないまでも、米軍撤退による同盟・従属国への全面的肩代わりに踏みきったとする、事実にもそむいた不当な主観的結論におちいることでしかない。それは、ニクソン・ドクトリンについて「アメリカの目的は世界の諸問題から身を引くことではなく、われわれが引き続き国際問題と取り組む条件を確立することにある」(七一年「外交教書」)と自認しているアメリカ帝国主義のアジア政策を、当の御本人以上に美化してやることである。
 ニクソン訪中が発表された三日後の七月十九日、ベトナム労働党機関紙「ニャンザン」は「ニクソン・ドクトリンはかならず失敗する」と題した重要な社説をかかげた。社説は「ニクソン・ドクトリン」という「反革命的世界戦略」の本質を暴露し、ニクソン一派が悲劇的状況に追いつめられていることを指摘したのち、つぎのようにのべている。

 「そのような窮状のなかでニクソンは、狂気のようになって出口をさがしてきた。しかしかれはまちがったところへ行った。出口のとびらは開かれていたが、かれは袋小路のほうへころがりこんだのである。
 力によって自分の意見を他におしつけ、大国としての自分の強さに訴えて小国をおどすというのは、帝国主義者の伝統的なやりかたである。いまやかれらは、ふたたびこのばかげたやりかたに訴えることを望んでいる」

 ニクソン政権の帝国主義的策謀は、成功させてはならないものである。そのためには、ニクソン訪中計画にかけられたインドシナ侵略の態勢たてなおしの打算を具体的に暴露してゆくことが、きわめて重要となっている。

  五 ニクソン・ドクトリンと日本人民の闘争

 アメリカ帝国主義の半占領のもとにおかれ、インドシナ侵略戦争の総合的拠点とされている日本にとっては、現段階におけるニクソン・ドクトリンのあらたな展開は、特別に重大な意義をもっている。八月十二日または十三日付「赤旗」主張「ニクソン訪中計画と日本共産党の立場」が指摘しているように、日本の現実のなかには、ニクソン政府の「平和」政策にたいするなんらの幻想をも許さないきびしいものがある。なぜならアメリカの核の傘のもとでの日本を中心とする多角的軍事同盟の形成という構想は、インドシナ戦争の「ベトナム化」、「対中接近」とともに、アジアにおけるニクソン・ドクトリンの重要な位置をしめており、その構想は、今日、いっそう本格的におしすすめられようとしているからである。
 想起される必要があることは、「ニクソン白書」が、アメリカを「太平洋国家」と宣言しつつ、「現在のアジアにはアジアの独立と要求の新しい現状を反映するアジア独自の安全保障機構が必要なのである」とのべ、ASPACを「発展の土台」としながら、「そのなかでは日本が世界の一流の経済国としての地位にふさわしい一層大きな役割を果たすことになろう」と予想していたことである。
 ニクソン・ドクトリンにもとづく対日政策は、なによりもまず、日米共同声明と日米沖縄協定のなかにしめされている。昨年の「外交教書」のなかでニクソンは、「日本とわれわれのパートナーシップはアジアでのニクソン・ドクトリンの成功の鍵となるであろう」とし、この見地からおこなった日米共同声明による沖縄の施政権「返還」の決定を「大統領として私がおこなった最も重大な決定に属する」とのべた。
 侵略的、屈辱的な内容の日米沖縄協定による「日本全土の沖縄化」は、ベトナム侵略戦争の「ベトナム化」とともにニクソン・ドクトリンの典型的具体例である。わが党が当初から一貫してあきらかにしてきたように、アメリカ帝国主義は、沖縄県民をはじめとする日本国民のますます高まる沖縄返還要求の前に、沖縄の施政権「返還」という一定の譲歩とひきかえに、日米軍事同盟を侵略的に強化し、日本を米・日・「韓」・台などアジアの多角的な反共軍事同盟のカナメの地位にいっそうかたく組みこんだ。日米共同声明での誓約にもとづき、アメリカは沖縄および日本本土の米軍基地を自由に使用し、極東地域に出撃ができるようになった。六月二十九日にむすばれた「自衛隊の沖縄防衛」にかんする日米軍事とりきめにもとづき、六千八百名の自衛隊が沖縄に派遣され、西太平洋の日米共同作戦態勢を拡大すると同時に、米軍にかわって沖縄の米軍基地を住民の基地撤去要求からまもることとなる。これは文字どおり「日本人をして日本人を鎮圧させる」ものであって、「アジア人をしてアジア人と戦わせる」「肩代わり」政策の沖縄版にほかならない。
 日米沖縄協定の意味をいっそう鮮明にしたものは、七月九日から十一日までのキッシンジャーの秘密裏の北京訪問とほぼ時をおなじくしておこなわれた、七月四日から十一日までのレアード米国防長官の来日とその際の対日要求の内容であった。随行したフリードハイム国防次官補は、レアード来日目的の背景説明で、日本はこんご十年内に「防衛」の中核となるべきであり、周辺海域での米第七艦隊の任務の肩代わり、人的資源の供給、核積載艦・飛行機の日本領内通過の承認などを求めるとして、さらに八〇年代には米国の核の傘の穴埋めのABM(弾道弾迎撃ミサイル)など防衛用核兵器を展開することになろうとのべた。事実、新聞報道によれば、レアード国防長官は、中曽根防衛庁長官(当時)、増原防衛庁長官などとの会談で、アメリカの海・空基地の長期存続と費用分担、アメリカの核戦略体制を補完する通常兵力の増強、第七艦隊のいくつかの任務の肩代わりをつよく求めたとつたえられ、セルデン国防次官補代理は久保防衛局長らとの秘密会談で将来米戦術核抑止力の一部日本による肩代わりを要求したと報道されている(七月十一日付「読売」)。これらは、ニクソン・ドクトリンと日米沖縄協定にそって、アメリカの〝犠牲〟を最小限に切りつめながら、〝アジア人をしてアジア人と戦わせる〟方向で、日本に大きな軍事的分担をおしつけ、安保条約にもとづく日米軍事同盟をさらに侵略的なものに再編強化しようとするもっとも悪らつな策動がつぎつぎと進行していることをあらためて裏書きしたものであった。
 アメリカ帝国主義の半占領のもとで、日米軍事同盟の侵略的強化、対米従属的な日本軍国主義の復活強化が、ますます危険な方向で進行している日本の現実は、ニクソン政府のアジア政策の「平和的転換」などといった議論を、もっとも雄弁に反駁するものとなっている。同じ七月にアジアに派遣されたキッシンジャーとレアードの役割が具体的にしめしているように、アメリカ帝国主義は、一方で「対中接近」外交を展開しつつ、他方では、日本を主柱として、極東の多角的反共軍事同盟の体制を再編強化し、日本にますます大きな経済的、政治的、軍事的負担の「肩がわり」を要請しつつ、アジアの社会主義諸国と民族解放運動にほこ先をむけた侵略戦争の体制のたて直しに、大きな力と熱意をそそいでいるのである。ニクソン・ドクトリンのアジアにおける具体化の最大の拠点とされている日本の国民と民主勢力にとっては、この現実を無視して、ニクソン政府のアジア政策の「平和的」美化に身をゆだねるわけにゆかないことは、明白である。
 ニクソン・ドクトリンのこのような展開と結びついて、その一翼をになう日本軍国主義への警戒が、国内的にも国際的にも強まっていることは当然であるが、この点で注意をはらう必要があるのは、日本軍国主義をめぐる議論の一部に、事実上、日本軍国主義を今日のアジアにおける最大の危険とみなすことによって、最大の侵略勢力であるアメリカ帝国主義を免罪する傾向が、あらわれていることである。これは、はじめに指摘した、「ソ連修正主義」を主敵とみなして、アメリカ帝国主義を免罪する傾向ともむすびついて、きわめて重視すべき問題である。たとえば、周恩来中国首相が、アメリカのニューヨーク・タイムズ紙のレストン記者との対談のなかで、日本の「韓国、台湾への侵略の野心」をまったくアメリカ帝国主義のアジア政策との関連をぬきにして論じ、日本がアメリカにかわってアジア侵略にのりだそうとしているかのように事態をえがきだしているのも、その一つのあらわれである。
 われわれは、ここで、この種のいわば「日本軍国主義主敵論」は、日本軍国主義の評価および アジアと日本の情勢の評価において、二重の誤りをおかす議論であることを、指摘しておく必要がある。
 第一に、今日の日本軍国主義は、戦前の日本軍国主義とはちがって、自立的な軍国主義ではなく、対米従属的な軍国主義である。昨年九月来日したウェストモーランド米陸軍参謀総長が第二の朝鮮戦争における「日本の通常戦力」の役割への期待を強調し、レアード国防長官が七月の来日のさい「人的資源を供給できる(日本の)能力」にまで言及しつつ、自衛隊の軍事力の急速な増強を要請したことにもみられるように、日本軍国主義は、ニクソン・ドクトリンのもとでのアメリカのアジア侵略にもっとも緊密にくみこまれて復活強化しているところに、最大の特徴がある。日本軍国主義の侵略性を強調するあまり、この基本点を見失い、日本軍国主義が、アメリカ帝国主義にかわってアジアの平和と民族独立にとっての主敵になりつつあるかのように情勢をえがきだすことが、アジアでの最大の侵略勢力であり、日本軍国主義を自分の従属下において、その復活強化の主導的な推進力の一つとさえなっているアメリカ帝国主義を免罪する議論であることは、いうまでもない。「韓国、台湾」などにたいする外交政策の面でも、部分的な矛盾やまさつは当然ふくみながらも、自民党政府の政策は、全体として、アメリカの指揮のもとに日・「韓」台の反共軍事同盟をつくりあげようとするアメリカ帝国主義の計画との積極的な連携のもとに展開されている。ニクソンは「韓国、台湾」を放棄しようとしているが、こんどは日本がこれらの国を「自分の手で支配」しようとのりだしてきたなどという見方が、アメリカ帝国主義のアジア政策を事実に反して美化するものであることは、だれにも容易に看取されるところであろう。かつて国際共産主義運動にケネディ美化論が登場したとき、これを合理化する議論の一つに、いまや西ドイツとフランスの帝国主義こそが世界の平和と民主主義にとってもっとも危険な侵略勢力となったという「独・仏帝国主義への主要打撃論」がとなえられたことがあり、わが党は論文「ケネディとアメリカ帝国主義」でこれに理論的、政治的な批判をくわえたが、今日登場しつつある「日本軍国主義主敵論」は、基本的には、同じ誤りの再版にほかならない。
 また、日本軍国主義の危険性という点でも、実際には、アメリカ帝国主義のアジア侵略政策の一翼をになっている対米従属性こそ、日本軍国主義の侵略性を倍加させている重大な特徴となっているのであり、この特徴を欠落させた「日本軍国主義主敵論」は、一見日本軍国主義の危険性を特別に強調しているようにみえながら、実は、そのいちばんの危険性を見落としてしまっているのである。
 第二に、「日本軍国主義主敵論」は、対外侵略の道具としての日本軍国主義の復活がすでに全面的に完了したとする点でも、科学的評価に反する誤りにおちいっている。今日の自衛隊の現状をみても、日本軍国主義が「一定の本質的復活」をとげていることは明りょうだが、アメリカ帝国主義日本の反動勢力の熱望と努力にもかかわらず、それがまだ「公然と対外侵略をおこないうる政治・軍事体制」を実現していないこともまた、明白である。
 自衛隊は、世界第七位の戦力をもちながら、今日なお、徴兵制の施行や海外出兵を公然となしうる体制になく、そのために、現にベトナムや「韓国、台湾」でアメリカがはたしている軍事的役割そのまま日本に「肩がわり」させるといっても、単純には実行しえない現状にある。だからこそ、アメリカと日本の反動勢力は、憲法改悪などさまざまな手段で現在の障害をとりのぞき、自衛隊を対外侵略の武器として公然と使用しうる政治・軍事体制をつくりだそうと懸命になっているのであり、これを許すか許さないかの闘争にこそ、米日支配層と日本人民のあいだの、日本軍国主義復活をめぐる当面のもっとも重大な対決点がある。
 日本軍国主義の復活過程の現段階のこの特徴―対米従属下ですでに一定の本質的復活をとげ、さらに全面的復活に進もうとしている日本軍国主義の現状を正確にとらえ、その全面復活を阻止して日米支配層の反動的野望を粉砕する課題に日本の民主勢力と人民を結集することこそ、日本軍国主義とたたかう真に科学的で戦闘的な見地である。これにたいして、「日本軍国主義主敵論」のように、日本軍国主義がすでにアメリカ帝国主義にとってかわってアジアの軍事支配にのりだしうる政治・軍事体制を完成したかのようにみる見地は、現段階の特徴を正しくとらえていないというだけではなく、表面的には戦闘的なようにみえても、実際には、軍国主義復活問題を政治的にはすでにその過程が終了した問題とみなすことによって、「公然と対外侵略をなしうる政治・軍事体制」の確立を許すかどうかという重大な政治的任務を回避する、日和見主義の見地でしかない。
 昨年ひらかれた日本共産党第十一回大会の決定は、日本軍国主義の現状と特徴の全面的な分析にもとづいて、第一に、「アメリカ帝国主義およびその目したの同盟者として復活・強化しつつある日本軍国主義は、日本人民とアジア諸国人民の共通の敵である」こと、第二に、障害をとりのぞいて軍国主義の反動体制を完成しようとする日米支配層の反動的計画を「全人民的闘争」によってうちくだき、「軍国主義のあらゆるあらわれに反対して日本軍国主義の全面的復活を阻止する課題は、依然として日本の民主勢力と人民のきわめて重大な緊急の責務である」ことをあきらかにした。ニクソン・ドクトリンが日本をアジア戦略の要として危険な展開をみせつつある今日、ニクソン美化と結びついた「日本軍国主義主敵論」などの誤った議論を排しつつ、第十一回党大会が定式化した正確な科学的見地を堅持することは、日本の民主勢力と人民にとって、ますます重要になってきている。
 日本の民主勢力と人民の闘争にかかわる重要な実践的問題として、ニクソン前中に幻惑されて、以前の「米中対決」論を裏返しにしたニクソン美化論が登場し、日本の民主勢力の闘争目標にも混乱をもちこもうとする傾向が、民主勢力の内部にもあらわれていることを重視する必要がある。
 わが国の民主勢力、とくに社会党の一部などにつよかった「米中対決」論とは、アジア情勢の基本を、アメリカの「中国封じ込め」政策と中国のそれにたいする闘争の激化にみるものであるが、それが今日の複雑な情勢を見誤ったまったく一面的な議論でしかなかったことは、いまや最終的にあきらかとなった。
 たとえば、日本社会党第三十回大会が採択した「一九六八年度運動方針」は、「アメリカの世界戦略が米中対決に移行した」、「ベトナム戦争が深刻化し、米中対決の危機が迫っている」という「米中対決」論にもとづく一面的な情勢分析をおこない、その結果「七〇年安保」を「中国封じ込め軍事同盟」への性格転化をとげようとしているとしてとらえ、日中国交回復を日本の平和民主勢力の運動の「焦点」として位置づけていた。
 こうした「米中対決」論は、第一にアメリカ帝国主義のインドシナ侵略を中国侵略の前段階と単純に思いこみ、じっさいにはインドシナ侵略の問題を過小評価したものであり、第二に、そのことと関連して各個撃破政策にもとづくアメリカ帝国主義の計画的な「対中接近」政策にまったく目をおおったものであり、第三に、事実上「日中国交回復運動」をすべてに優先する課題とすることによってアメリカ帝国主義のインドシナ侵略戦争に反対する闘争や、安保廃棄の闘争を過小評価する役割をはたした日和見主義理論であった。  ニクソン訪中決定によって、「米中対決」論の誤りがあまりに明白になったいま、かつての「米中対決」論者たちは、その誤りの根源を追求してアメリカ帝国主義の各個撃破政策にたいする正しい認識に接近するのではなく、その誤りを別の形でひきつぐあたらしい日和見主義の議論を主張しはじめている。
 その第一は、「米中対決」がいまや解消されつつあるとして、こんどはニクソン訪中計画の発表によって、アメリカ帝国主義の根本的な政策転換がおこったとするニクソン美化論、アメリカ帝国主義美化論である。第二は、このニクソンの〝壮挙〟に追随して日中問題を解決することだけを日本の対外政策上の最優先の課題にまつりあげ、インドシナ問題や沖縄・安保問題を事実上、第二義的なものとして過小評価しようとする傾向である。第三は、中国がニクソン訪中を承認している以上、アメリカ帝国主義のアジアからの全面撤退、インドシナ侵略の停止、「一つの中国」の立場からの台湾問題の解決等々、さまざまな重大問題が中国が主張する原則にそって解決が進展しつつあるとするような、中国の立場の絶対化からすべてを立論してゆく不見識な事大主義の傾向である。
 「米中対決」論の裏返しともいうべき、この三つの日和見主義的傾向が、はじめに引用した石橋書記長の発言などにもみるように、いずれも社会党の一部にあらわれていることは、日本の革新勢力の闘争の統一的前進にとって危惧すべきことといわなければならない。とくに、日中国交回復の重要性を口実にして、インドシナ侵略戦争の問題や、沖縄・安保問題を第二義的なものとみなそうとする傾向の克服は、実践的にきわめて重要である。
 もちろん、日中国交回復は、わが国の重要な国民的課題の一つであり、日中国交回復、中国の国連代表権の回復をめざす、超党派的な統一的国民運動を発展させ、佐藤内閣の反動的中国政策と対決してゆかなければならないことはいうまでもない。
 しかし第一に、日中問題の重要性を口実に、もしもインドシナ侵略戦争反対、インドシナ三国人民支援の課題を事実上第二義的な課題とみなすことは、インドシナ問題を中国問題にそらそうとするニクソンの策謀にのり、現在国際的焦点となっているアメリカ帝国主義のインドシナ侵略戦争、および日本の外交のもっとも重要な問題としてのそれへの加担、協力にたいする国民的糾弾をも弱める結果となる危険がある。
 第二に、沖縄・安保問題と日中問題を対立させて後者を優先させることもまた、沖縄国会を前にして日本国民の闘争の発展方向を混乱させる結果にみちびくこととなるであろう。
 すでにのべたように、日米共同声明と日米沖縄協定は、アジアにおけるニクソン・ドクトリンのもっとも重要な適用の一つであった。しかも、キッシンジャー訪中とレアードの来日訪「韓」とがほとんど同時におこなわれたことがしめすように、米・日・「韓」・台軍事同盟の方向の強化はニクソン訪中を補完する関係にあり、沖縄・安保問題こそニクソンの各個撃破政策と二面政策の本質と直結した問題である。アメリカの「対中接近」にもかかわらず、日中国交回復が大きな障害に直面しているのも、「日華平和条約」など台湾との関係だけにあるのではなく、実はアメリカ帝国主義の要請のもとに、佐藤内閣がインドシナ侵略戦争への加担と協力、日米軍事同盟の侵略的強化、対米従属下の日本軍国主義の復活強化の路線をおしすすめているからにほかならない。こうした状況のもとで、重要なことは、依然として帝国主義勢力と反帝勢力の国際的対決の焦点となっているインドシナ問題を軸としてニクソン・ドクトリンの現時点での展開を正確にとらえ、秋の沖縄臨時国会にむけて、インドシナ侵略反対と佐藤内閣の加担協力の糾弾、沖縄協定批准反対と沖縄全面返還、日米安保条約反対、日中国交回復の闘争を正しく総合的におしすすめることである。その際、これらの問題の根源が日米安保条約にもとづく日米軍事同盟にあることは明白であり、日本の民主勢力が日本の進路を変えるうえで主体的責任をもつものとして、沖縄協定反対、安保条約反対の闘争は、文字どおり共闘の土台にすえられる必要があることはいうまでもない。
 同時にニクソン訪中発表がつくりだしたあたらしい情勢のなかで、全世界の反帝民主勢力の緊急の共同の課題として、アメリカ帝国主義のインドシナ侵略糾弾、インドシナ三国人民支援の闘争を最大限に発展させることは特別の重要性をもっている。とくに南ベトナム共和臨時革命政府の七項目提案を全面的に支持し、ニクソン政権にその受諾を迫る運動を急速に強化することは、いま決定的な意義をもつにいたっている。
 インドシナ人民の犠牲多い苦難の闘争は、いま歴史的成果をかちとり、最後の勝利にむかって前進している。ことしのラオス侵攻の粉砕、ニューヨーク・タイムズの国防総省秘密資料の発表、南ベトナム共和臨時革命政府の七項目提案と、アメリカ帝国主義はつぎつぎと重大な打撃をうけ、従来の侵略政策をそのまま継続してゆくことは不可能なところまで追いこまれた。もちろん、帝国主義諸国のうちでももっとも強大なアメリカ帝国主義は、まだ侵略戦争をひきのばし、拡大する余力をのこしており、実際にアメリカ帝国主義をさらに後退させるためにはなお曲折があり、あたらしい大きな勝利が必要だろう。アメリカ帝国主義は、窮地に追いつめられながら、なお新植民地主義計画の貫徹の希望があるからこそ、「交渉とベトナム化」という方針を必死になって追求し、同時ニクソン訪中というあたらしい二面政策をもとっているのである。
 こうした情勢のもとで、われわれはフルシチョフ訪米や部分核停条約などの歴史の教訓に学んで、現段階におけるニクソン・ドクトリンの危険な展開をきびしく警戒し、あらゆる形態のニクソン美化論と免罪論を克服しながら、インドシナ三国人民の闘争にたいする支援と連帯の闘争をあらゆる形態で強化しなければならない。
 そのためにわが党はあらためて、インドシナ侵略戦争反対、インドシナ三国人民支援、七項目提案支持を一致できる共同課題とした、広範な反帝民主勢力の国際的結集を、緊急の任務として提唱するものである。情勢は、インドシナ三国人民の代表が参加しうるこうした国際的結集をもっともつよく求めている。
 ニャンザンの社説「ニクソン・ドクトリンはかならず失敗する」が、誇り高くのべているように、最大の帝国主義国であるアメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争に正面から対決して祖国の独立と自由のために英雄的にたたかいぬいたベトナム人民の闘争の歴史は、すでに大国が世界の運命をきめて小国におしつける時代はすぎさり、各国人民こそ歴史の真の主人公だということを教えたものであった。
 日本人民もまた日本の歴史の唯一の主人公である。そしてアメリカ帝国主義の侵略と抑圧の政策から祖国の独立と平和、自由と民主主義をかちとる国民的闘争をたたかっているという点では、国の条件と情勢、闘争形態にちがいはあっても、ベトナム人民と日本人民の闘争は重要な歴史的共通点があり、同時にともにアメリカ帝国主義をアジアから追い出してゆく世界史的な課題の欠くことのできない構成部分となっている点でも両国人民の闘争は深い連帯関係にある。
 ニクソン訪中計画の発表のあと、佐藤首相はニクソンの来日計画について言明し、日本国民にたいするあらたな挑戦をおこなった。日本をインドシナ侵略の拠点とし、日米軍事同盟の侵略的強化とそのもとでの日本軍国主義の復活強化をはかっている日米反動勢力のこの策謀を許してはならない。一九六〇年の安保闘争でアイゼンハワー大統領の来日を阻止したように、アジア人民の共同の敵であり、日本国民を戦後四半世紀のあいだ占領あるいは半占領のもとにおきつづけてきたアメリカ帝国主義の政治指導者の来日に反対することは日本のすべての平和、民主勢力のあらたな重要な課題となっている。その闘争は、ベトナム、朝鮮、中国をはじめ、アジア諸国の人民との連帯の闘争として大きな意義をもっている。
 ニクソンとアメリカ帝国主義を事実上美化し免罪するいっさいの試みを克服し、アメリカ帝国主義とそれに従属的に同盟した日本の反動勢力のあらゆる策略にたいし、広範な民主勢力の統一した闘争を前進させることこそ、ニクソン・ドクトリンにもとづく現在のさまざまな挑戦にたいする日本の民主勢力のもっとも効果的な、かつ断固とした回答となるだろう。日本共産党はこの闘争の先頭に立ってたたかうものである。

(「赤旗」一九七一年八月二十一日)