日本共産党資料館

日中問題と日本共産党

1971年9月9日 『赤旗』

一 日中両党関係悪化の経過とその本質
二 歴史と実践による検証――大国主義的干渉者の理論的な破たん
三 日中国交回復運動の自主的、統一的発展のために

 今日、日中国交問題をめぐる情勢は、国際的にも国内的にも、あらたな展開をみせつつある。国連における中華人民共和国の代表権回復を要求する声は、ほとんど世界の大勢となり、この二十数年間、国連からの中国しめだしに躍起となってきたアメリカ帝国主義自体が、ニクソン訪中計画の発表にみられるように、さまざまな打算をおこないながらも、国連でのみずからの孤立と敗退をさけるためには、その対中国政策の一定の手直しを余儀なくされてきている。わが国でも、すみやかな日中国交回復の実現をもとめる国民的な世論と、台湾の蒋介石政権との「日華条約」に固執して中国との国交正常化への道をとざしている自民党佐藤内閣の対中国政策とのあいだの矛盾は、いよいよ深刻な、歴然としたものとなっており、日中関係の打開のためには、日本政府の対中国政策の根本的な転換を要求する統一的、国民的運動が、ますます痛切にもとめられている。こういう情勢のもとで、事態を複雑にしているのは、中国共産党の干渉者たちが、日本の革命運動、民主運動にたいするこの数年来の不当な干渉を依然としてやめず、日中両党および日中両国人民のあいだの関係をきわめて不正常な状態においているばかりか、わが国における日中国交回復の運動についても、その統一的、国民的な前進をさまたげる重要な要因となっている事実である。この問題については、日中国交回復の課題が、沖縄・安保問題、ベトナム・インドシナ問題などとともに、ますます重要な国民的課題の一つとなっているだけに、ジャーナリズムその他でもさまざまな関心がよせられているが、そのなかには、日中両国人民の真の友好と連帯をもとめる立場から、現在の不正常な事態の解決を真剣に願うのではなく、事実と道理に背を向けて中国側の干渉を無批判的に正当化する立場で、この問題をもっぱら日本共産党への批判や攻撃に利用しようとする発言もふくまれている。「対中接近にとりのこされた日本共産党」といった一部ジャーナリズムの論調や、成田知巳社会党委員長の日本共産党非難の一連の発言は、その代表的なものである。

 「共産党が誰の目にも明らかなように日中国交回復運動に消極的であること、その背景には中国共産党との国際共産主義運動についての路線の対立があるとの見方が支配的であります」(七月二十八日、日本社会党全国書記長会議での成田委員長のあいさつ)
 「日本共産党が日中打開を叫んでも、中国共産党と論争中とあっては、だれも信用しない」(七月三十日、「日中国交回復国民会議」でのあいさつ、「朝日」七月三十一日付)
 「日本共産党の話を聞きますと、『たしかに国際共産主義運動路線の問題については歩み寄れない。しかし、日中国交回復については、自分たちは積極的にやるんだ』という使い分けをしているわけです。これは、一つの形式論としては成り立つかもしれない。しかし、中国共産党と中華人民共和国政府というものは、不離一体のものであり、実質的にいずれも毛沢東主席を中心としてあるものですね。その毛沢東主席を誹謗し『文化大革命は反革命である』というような決めつけをやっていると、中国側としては日本共産党をなかなか受け入れ難いのではないかと思うのはとうぜんです。つまり、日本共産党の姿勢については『困ったものだ』というのは、とうぜんだと思います。……ほんとうに共産党が日中国交回復を希望されるならば、そういう行きすぎた態度、誤った態度というのは、私は反省してもらわないとどうしようもないと強く感じますね」(雑誌『潮』九月号での竹入公明党委員長との対談)

 日中両党関係や日中国交回復に関する日本共産党の基本的態度については、わが党はこれまでもくりかえし解明してきたし、この問題をめぐる悪意ある非難にたいしても、その都度必要な反論をおこなってきた。しかし、この問題は、根本的には、日本共産党の自主独立の路線の問題であると同時に、日本の民主運動の自主性、日中国交回復の運動全体の前途にも、日中友好の原則にもかかわる重大な問題であり、社会党の側からのしつような非難もくりかえされているので、ここにあらためて、日中両党関係および日中友好、日中国交回復の運動についての、いっそうたちいった解明をおこなうこととしたい。

  一 日中両党関係悪化の経過とその本質

 まず第一に解明すべき問題は、日中両党関係の現状は、なにによってひきおこされたものか、その原因、本質はどこにあるか、という問題である。成田氏は、日本共産党が、中国共産党との「国際共産主義運動についての路線の対立」を理由に、中国共産党や毛沢東を非難したことが、日中両党関係悪化の原因であるかのようにいい、日本共産党がその「行きすぎた態度」「誤った態度」を反省すべきだなどと主張しているが、これは、明白な事実に目をとじて、中国共産党の干渉者たちの大国主義的干渉という根本問題を歴史から抹消し、干渉者とそれへの迎合を正当化しようとする、きわめて無責任な議論だといわなければならない。
 日本共産党と中国共産党の関係は、この数年来断絶状態にあるが、それは、日本共産党が「路線の対立」を両党関係のなかにもちこんだ結果ではけっしてない。それ以前にも、両党関係には、国際共産主義運動の分裂を不可避とする中国側の態度、他国の党の除名されたグループにたいする態度、共産党・労働者党の国際会議にたいする態度などをめぐる一連の重要な問題で意見の相違が存在したが、わが党は、意見の相違があっても相手側がわが党への干渉をおこなわない限り、他党との必要な協力をおしまないという正しい態度を一貫してしめしてきた。わが党は、「その党が、わが党および日本の民主運動への干渉と破壊をわが党にたいする基本的態度としているものでないかぎり、共通の敵にたいする闘争課題において正しい一致点を見いだし、それにもとづいてできるかぎり共同するために努力するという基本的態度をとってきた」(第十回党大会における中央委員会の報告)のである。
 中国共産党の側も、ある時期までは、これらの意見の相違があっても、両党間の友好関係を保持するという態度をとっていた。ところが、中国共産党の大国主義者たちが一九六六年春以降、「路線の対立」を口実に日本共産党を「敵」として攻撃し、自分たちの路線を日本の革命運動、民主運動におしつけるための不法な大国主義的干渉を長期にわたってつづけてきた結果、友好関係は破壊され、今日の断絶状態がもたらされたのである。

  一

 中国共産党の干渉者たちが、日本共産党を「反革命」とか「修正主義集団」などと非難し、不法な攻撃や干渉の手段に公然と訴えてきたのは、一九六六年以後のことである。わが党がすでにあきらかにしたように、その直接の契機となったのは、同年二、三月におこなわれた両党会談で、反帝国際統一戦線の問題をめぐる両党間の「路線の対立」が明確になったさい、反米反ソ統一戦線という中国側の誤った路線のおしつけをわが党がうけいれなかったことである。
 当時は、ベトナム民主共和国にたいするアメリカ帝国主義の北爆が拡大の一途をたどり、ベトナム人民の闘争がきわめて重大な局面を迎えていた情勢にあった。わが党は、この情勢のもとで、アメリカ帝国主義のベトナム侵略をうちやぶるために、ベトナム人民を支援する反帝国際統一戦線を結成することが、全世界の反帝民主勢力のもっとも緊急、重大な任務となっていること、社会主義陣営と国際共産主義運動は、内部にどんなに重大な意見の相違があろうとも、ベトナム侵略に反対する闘争では、団結して国際統一戦線の主柱となるべきことを、ひろく提唱した。一九六六年二、三月に、ベトナム、中国、朝鮮の三国を訪問した日本共産党代表団(宮本書記長――当時――を団長とする)が、各国の共産党、労働者党と会談したときにも、わが党代表団はこの問題を会談の重要な主題の一つとして提起した。これにたいして、会談にのぞんだ中国共産党の代表団(劉少奇を団長とする)は、アメリカとソ連をベトナム侵略戦争の事実上の共犯者とみなす立場から、アメリカとソ連とを共同の敵とするいわゆる「反米反ソ統一戦線」の路線を主張し、ソ連をふくめて全世界の反帝勢力の団結をはかるという考え方につよく反対した。これが、一九六六年の日中両党会談での「路線の対立」の、最大の、核心をなした点である。
 このとき、三月初旬におこなわれた数次の会談では、両党代表団はそれぞれの意見をのべあったままで別れたが、日本共産党代表団が朝鮮民主主義人民共和国を訪問して、帰国のため北京を通過しようとしたとき、中国共産党の側から、会談を再開して共同コミュニケをつくりたいとのあらたな申し入れがあった。わが党代表団はこれに応じて、両党会談が三月下旬に再開され、意見の不一致点にはふれず、一致点で両党の連帯と共同をつよめるという原則を確認しあって、共同コミュニケが作成され、三月二十七日の両党会談で正式に採択され、発表の日どりもとりきめられた。この第二回目の両党会談のさいの中国側の代表団長は、今日、日本共産党攻撃の先頭にたっている周恩来であった。
 ところが、その翌日、帰国の途についた日本共産党代表団が、途中上海で毛沢東と会見したところ、意外なことに、毛沢東はすでに正式に成立していた日中両党の共同コミュニケにたいして、自分の「変更案」をもちだしてきた。それは、中国側の「反米反ソ統一戦線」の主張を、ソ連共産党への名ざしの攻撃をふくめ、もう一度むしかえして共同コミュニケにもりこみ、日本共産党におしつけようとする不当な内容のものであった。わが党代表団が、この「変更案」に応じなかったことは当然のことである。ところが、毛沢東は、それなら共同コミュニケはだす必要がないとして、正式に成立していたコミュニケを一方的に破棄してしまった。
 これが、一九六六年の日中両党会談が決裂におわった経過であるが、奇怪なことは、その後、中国側で、この共同コミュニケ作成を、日本共産党と劉少奇などとの陰謀的な合作によるものとする歴史の偽造がおこなわれてきたことである。その最初の試みは、一九六七年一月、中国共産党の干渉者たちが、「人民大学紅衛兵」の壁新聞を使ってわが党を攻撃したときのことで、この壁新聞は、一九六六年の日中両党会談について、「劉少奇、鄧小平がおもに出て会談し、一つの声明草案をつくった。調子はきわめて低いもので一点もソ連修正主義の文字が出ていない。毛主席はこれにたいして鋭い批判をくわえた」とのべていた。これが、共同コミュニケを作成したときの中国側代表団の団長が周恩来であったことをかくし、この問題を、日本共産党の「修正主義」とかれらが当時「反革命の実権派」と攻撃していた劉少奇らの「修正主義」との提携関係を証明する材料に利用しようと意図したものであったことは、明白であった。わが党は、これへの反論のなかで、事実をあげてこの歴史の書きかえを指摘したが(「紅衛兵の不当な非難にこたえる」、一九六七年一月二十四日付「赤旗」)、最近のおどろくべき事実は、共同コミュニケ作成の中国側の責任者である周恩来自身が、この「紅衛兵」のウソをそのまま借用して、自分のアリバイ(不在証明)を懸命に主張していることである。
 周恩来は、ことしの二月二十四日、訪中した国際貿易促進会関係の反党分子木村一三、田中修二郎らとの会見で、一九六六年の両党会談について、つぎのようにのべている。

 「一九六六年にかれらがきたとき、共同コミュニケを出そうとしたのですが、毛主席がそれを否定し、われわれは毛主席が否定したことを支持しました。しかし、野坂らはデマをとばしています。かれらは、劉少奇や鄧小平、彭真の名前を出せないので、わたしの名前を出しています。ところが当時わたしは、ベトナムのレ・ジュアン同志と話しあっていたので、この件はまったく関係していません」(木村らが発表した「周恩来総理との会見記」による)

 この周恩来発言での歴史のねじまげは、それが責任ある当事者の口からでているだけに、いっそうおどろくべきものがある。一九六六年の訪中のさい、日本共産党代表団はたしかに劉少奇、鄧小平らと会談したが、それは三月上旬の第一回目の会談のことであり、そのときには、共同コミュニケ作成については双方とも一言もふれなかった。そして、共同コミュニケが作成されたのは、日本共産党代表団の帰国の途中に、中国側の申し入れで再開された、予定にはなかった第二回目の両党会談においてであり、共同コミュニケについての正式の合意をみた三月二十七日の会談に参加したのは、あらたに周恩来を責任者とし、彭真、康生、劉寧一、廖承志らをふくむ中国共産党代表団であった。第二回目の会談には、劉少奇はすでにパキスタン訪問に出発しており、鄧小平は地方に出発して不在とのことで、まったく顔をださなかった。これが動かすことのできない歴史的事実である。しかも、周恩来は、両党会談の席で、コミュニケの内容を確認してその成立をよろこびあったばかりか、その夜ひらかれた歓迎レセプションの席上、北京の各界代表の前で自分から共同コミュニケの成立を公表して乾杯し、このコミュニケの発表はアメリカ帝国主義と現代修正主義に大きな打撃をあたえるだろうと、その積極的意義を強調したのである。この周恩来主催のレセプションがひらかれたことは、三月二十八日付の「人民日報」に報道されている。
 ところが、周恩来は、いま、日本共産党を「修正主義」と攻撃する自分たちの立場のつじつまをあわせるために、またあとで毛沢東に〝批判〟された共同コミュニケを作成した自分の責任をまぬがれるために、両党会談をめぐるこれらの事実経過をまったく否定して、自分は「この件にはまったく関係していない」などと強弁しているのである。このような明白な歴史の書きかえや、虚構は、真実と正義に忠実な真の共産主義者には、けっしてなしえないことである。

  二

 もちろん、日中両党間の「路線の対立」があきらかになったとしても、またコミュニケの一方的な破棄という事態がおこったとしても、そのこと自体は、両党関係の悪化を必然化するものではない。各国の共産党のあいだで、あれこれの問題で意見の相違や「路線の対立」がうまれることは、ありうることであり、その場合でも、それぞれの党が、国際共産主義運動の団結の基準をかたくまもり、意見の相違を理由に相手を攻撃したり、相手の党の内部問題に干渉したりするなどの態度をとらなければ、両党関係を正常に維持、発展させることは、当然可能なことだからである。このことは、中国共産党自身が、以前にはみずからつよく主張していたことでもあった。

 「いま国際共産主義運動の隊列のなかにいくつかの意見の相違が存在する状況のもとでは、『宣言』と『声明』できめられた兄弟党の関係についての準則を厳格にまもることを強調することが、とくに重要である、とわれわれは考える」(「国際共産主義運動の総路線についての提案」、一九六三年)

 日本共産党は、一九六六年の両党会談が決裂したのちも、兄弟党間の関係の基準を厳格にまもり、意見の相違を理由に中国共産党を公然と批判するようなことはせず、両党会談の決裂にいたった経過を発表して「路線の対立」を不必要に公然化することもさけて、両党間の正常な関係を維持するために、必要なあらゆる努力をはらった。
 ところが、中国共産党の干渉者たちは、日本共産党代表団が中国のとなえる「反米反統一戦線」の主張にしたがわなかったということから、日本共産党を独断的に「修正主義」と規定し、自分たちもそれまで主張していた国際共産主義運動の団結の基準をまったく投げすてて、両党会談を終わって代表団が帰国した直後から、日本共産党に反対して日本の民主運動、革命運動に自分たちの路線をおしつけようとする大規模なカンパニアを開始し、日中友好の目的でおこなわれていた日中間のさまざまな交流を、すべてこうした干渉の手段に利用しはじめたのである。
 とくに注目すべきことは、このカンパニアが、「反米ソ統一戦線」の問題にとどまらず、その最初の段階から、日本の革命運動が中国流の「武装蜂起」路線にたつことや、毛沢東神格化、「毛沢東思想」の絶対化をうけいれることを要求するものだったことである。
 日本人民の闘争に自分たちの方針をむりやりおしつけようとする不当な干渉の無数の事実は、わが党が発表した資料「毛沢東一派のわが党と日本の民主運動にたいする干渉と攻撃の事実」(「赤旗」一九六七年八月二十三日付)などにまとめられているが、その一、二の例をあげれば、一九六六年五月、六月に訪日した広東省訪日代表団や北京放送代表団が、各地を訪問しつつ、「毛沢東思想を支持するかどうかが真の革命家かニセの革命家かの試金石だ」「あなたがたのたたかいも毛沢東思想でたたかう必要がある」と宣伝して歩いたり、八月に訪中した教育事情視察訪中団にたいして、当時の中日友好協会会長が、「日本の一部の人たちは、中国が日本人に武装蜂起をおしつけるのでけしからんといっています。日本人民に武装蜂起をすすめるのは、米中戦争で中国を応援してもらうためではありません。日本人民にとって武装蜂起が唯一の正しい戦術であるとわたしたちは確信しているからです」とのべて、「武装蜂起」方針を勧告したりしたのは、その代表的なものである。
 一九六七年以後は、中国共産党の干渉者たちは、「新華社通信」や「人民日報」、『北京周報』などで、日本共産党を公然と名ざしで「修正主義」「マルクス・レーニン主義の裏切り者」、「アメリカ帝国主義と佐藤政府の手先」などと攻撃し、あらゆる悪罵と中傷をはなちはじめた。かれらがそのさい、わが党を「修正主義」「裏切り者」と攻撃する最大の論拠としたのは、日本共産党が「毛沢東思想」の絶対化や日本の革命運動へのそのおしつけに反対しているということであった。

 「現在、世界はすでに毛沢東思想を偉大な旗じるしとする新しい時代に突入している。んにち、世界人民の偉大な指導者毛主席を攻撃し、無敵の毛沢東思想を攻撃するものは、だれであろうと、マルクス・レーニン主義に根本からそむき、マルクス・レーニン主義の恥ずべき裏切り者に転落するものである。
 宮本集団は口先では『マルクス・レーニン主義を唯一の理論的指導と行動の指針にしなければならない』と無駄口をたたいているが、実際にはやっきになって毛主席に反対し、毛沢東思想に反対する罪悪行為をはたらいている。……これこそきみら自身がまぎれもなく、米帝に盲従し、ソ修に盲従する、マルクス・レーニン主義の恥ずべき裏切り者どもであることを証明するものではないだろうか」(「宮本修正主義集団はマルクス・レーニン主義の恥ずべき裏切り者」、『北京周報』一九六七年五十号)

 世界の革命運動が自分たちの特殊な「思想」を無条件に「指導理論」とすることを要求し、それにしたがわないからといって外国の共産党を「マルクス・レーニン主義の裏切り者」といって攻撃する――これが、日本の革命運動の自分たちへの思想的従属を主張する、きわめてごうまんな大国主義の要求であることは明白であろう。なお、干渉者たちは、それ以後も、日本共産党をもっぱら「宮本修正主義集団」などとよんで、日本共産党そのものにたいする正面からの敵対的な攻撃をごまかそうとしてきたが、これはまったくむだな試みである。日本共産党には、いかなる個人崇拝も個人の名を冠すべき集団の独裁もなく、党大会できめられた党の公式の政策とは別個のいかなる「路線」もないこと、かれらが「修正主義路線」などと中傷しているのが、党綱領にもとづくわが党の公式の路線そのものであり、かれらの不当な攻撃の対象となっているのが、党中央委員会のもとにかく団結した日本共産党の全隊列であることは、あまりにも明白だからである。
 中国共産党の干渉者たちの攻撃は、具体的には、日本の革命運動についての日本共産党の方針にますます集中的にむけられた。かれらは、わが党の綱領が、国会闘争を重視して「国会で安定した過半数をしめることができるならば、国会を反動支配の道具から人民に奉仕する道具にかえ、革命の条件をさらに有利にすることができる」と規定しているのを、「議会亡者」のデタラメと攻撃し、選挙のたびに、これを「茶番劇」と嘲笑し、日本共産党が選挙に参加したこと自体を「ブルジョアジーの議会選挙制度を美化する」反動派への奉仕として非難しつづけた。

 「今回の選挙において、注目に値するものは、ソ連現代修正主義の新旧追随者が、ブルジョアジーの議会選挙制度を極力美化した点である。これらの議会亡者どもは、いたるところで、声をからして『今回の選挙は日本の運命を決定するものだ』と演説をぶちまくった。……かれら悪党は恥知らずにも、とっくの昔破産しているフルシチョフの修正主義の代物をもちだし、『国会における安定多数を獲得することによって、国会をして支配階級に奉仕するための道具を、人民に奉仕する道具にかえることができる』などと吹きまくった」(一九六七年二月二日「新華社通信」の衆議院選挙についての論評)
 「三年に一度おこなわれる日本の参議院『選挙』の茶番劇は九日終了した。宮本集団はブルジョア的なテレビやラジオを通じて、米日反動層に力をつくして奉仕した」(一九六八年七月十四日付「人民日報」の参議院選挙についての論評)
 かれらの攻撃は、革新主席の実現をはじめ、沖縄の祖国復帰民主勢力の勝利によってアメリカ帝国主義の占領支配に重大な打撃をあたえた、一九六八年十一月の沖縄の三大選挙にまでおよんだ。
 「日共宮本修正主義集団はいま『議会の道』に血道をあげ、やっきになって『合法主義』をおしすすめ、あらゆる手をうって日本人民の反米愛国運動を破壊し、奴隷根性をまる出しにして米日反動派の共犯者となっている。……最近、米帝が沖縄でまやかしの『選挙』を実施すると、宮本集団はまたもやとび出してきて、今回の選挙はアメリカ帝国主義の沖縄支配を『打破』する『第一声』であるなどとわめきたて、『選挙』をつうじて『明るい沖縄』をつくるために『全力をつくす』と揚言した。宮本集団はこのように恥知らずにも日本人民のすさまじい反米運動を『議会の道』という横道へそらせ、アメリカ帝国主義の日本長期占領に手をかそうとしているのである」(一九六八年十二月三日付「人民日報」)

 かれらは、その一方で、一九六七年十一月の羽田事件や一九六八年十月の新宿事件、あるいは東大その他の暴力的「学園封鎖」など、トロツキスト暴力集団の挑発行動を、「日本人民の反米愛国闘争」の典型として称賛し、日本人民がトロツキストとともに「鉄砲」で「政権」をかちとる「暴力革命の道」をすすむことを、〝勧告〟しつづけた。たとえば、一九六八年十二月の「新華社通信」は、一九六八年の日本人民の闘争をふりかえると称して、トロツキストが機動隊と衝突したいわゆる「市街戦」だけを列挙して最大級のことばでほめたたえ、日本人民が「堅持」すべき「道」についてつぎのようにのべていた。

 「日本人民は合法主義のワクをうち破って、棍棒、石つぶて、カマで勇敢に敵と戦いを交えたのである。日本人民は宮本修正主義集団の吹聴している『議会の道』を粉砕しなければならず、マルクス・レーニン主義の暴力革命の道を必ず堅持しなければならないことを、闘争を通じて一層理解した。『鉄砲から政権がうまれる』という真理はいま、日本の労働者、農民、革命的大衆の間に日ごとに深く根をおろしている」(一九六八年十二月十二日付「新華社通信」、「怒とうのような日本人民の反米愛国闘争」)

 ここには、中国共産党の干渉者たちの日本共産党への攻撃が、たんなる国際路線をめぐる意見の対立にもとづくものではなく、日本人民の闘争に「暴力革命唯一論」――日本の実情を無視した極左冒険主義の路線をおしつけ、日本の革命運動、民主運動をかれらの方針にしたがわせることを、その重要な動機の一つとした大国主義的干渉だということが、干渉者自身のことばで、疑問の余地のない形でしめされているのである。

  三

 日中両党関係を断絶させるにいたったいっそう重大な問題は、中国共産党の干渉者たちが、日本共産党反対の宣伝カンパニアにとどまらず、さらに一歩をすすめて日本共産党を打倒するためのかく乱、破壊活動にのりだしたことである。
 両党会談の決裂後、中国側からの日本共産党攻撃がさまざまな形ではじまるとともに、西沢隆二や山口県の福田、原田一派など、一部の事大主義盲従分子が、中国側の主張を盲目的に支持して反党分派活動を開始した。わが党がこれらの反党分派主義者、対外盲従分子を党規約にしたがって除名すると、中国共産党の干渉者たちは、これらの反党分子を「真の革命家」と称賛し、中国に招待したり、反党声明を「人民日報」その他に掲載したりしたのをはじめ、かれらの党破壊活動にあらゆる援助をあたえた。
 国際共産主義運動において、他国に自分の党の路線をおしつけ、その国の共産党の破壊と分裂をめざす反党分子と関係をもったり、その反党活動を支持したりすることが、党と党の関係を破壊する最悪の敵対行為であり、他党の内部問題へのもっとも悪質な干渉行為であることは、いうまでもない。それは、たんに独立、平等、内部問題不干渉という党と党の間の原則的基準にたいする露骨な侵犯だけでなく、事実上他党と他国の人民を支配しようとする専横な野望の追求にほかならない。
 ところが、中国共産党の干渉者たちは、反党分子を支持するその敵対的干渉活動をさいげんもなくおしすすめて、一九六七年六月には、「人民日報」に、「造反有理」(むほんには道理がある)という毛沢東の片言を旗印にし、「毛沢東思想」を「武器」として日本共産党指導部にたいする「むほん」に立ちあがることを対外盲従分子に公然と扇動する論評をかかげた(「このむほんはたいへんけっこうだ」、一九六七年六月十六日付「人民日報」)。そればかりか、同年八月六日の「人民日報」評論員論文は、「毛沢東思想」をかかげたこれら反党分子の「むほん」に「日本民族の希望がかけられている」とまで書きたてた。

 「現在、真にマルクス・レーニン主義、毛沢東思想を信ずる日本の革命勢力はすでに宮本グループに大々的にむほんをおこしはじめた。かれらの力は急速に発展し、強大になりつつある。これらの勢力に日本民族の大きな希望がかけられている」(「人民日報」評論員「宮本グループの裏切り」)

 そして翌一九六八年九月には、「人民日報」の社説で、日本共産党を「マルクス・レーニン主義の恥ずべき裏切り者」などとののしりながら、わが党から除名されたひとにぎりの反党盲従分子を「真のマルクス・レーニン主義の左派」などともちあげ、これら反党分子が寄り集まって「真の革命政党」を結成することをよびかけたのである。「われわれは、マルクス・レーニン主義で武装した日本の真の革命党がかならず革命闘争の烈火のなかから生まれるにちがいない、と確信している」「各国の革命的人民への勝利への針路」、「人民日報」一九六八年九月十八日付社説)。中国共産党の干渉者たちが、わが国におけるただ一つのマルクス・レーニン主義政党である日本共産党の破壊と転覆を目的として、「日本の真の革命政党」の結成をよびかけたことは、もっとも重大な干渉・破壊活動である。
 中国共産党の干渉者たちは、日本共産党に打撃をあたえるために、日本の民主運動に分裂をもちこむことも辞さなかった。一九六六年夏の第十二回原水爆禁止世界大会にさいしては、かれらは、「ソ連修正主義の支配下にある」すべての団体と手を切ること、つまり原水禁運動が「反米反ソ統一戦線」の立場にたつことを要求し、この見地に同調しなかったという理由で、日本原水協と日本共産党にあらゆる非難をあびせた。また、日中友好協会など日本の民主的大衆団体にたいしても、日本共産党反対の立場にたつことを公然ともとめ、これがうけいれられないと、対外盲従的な分子を脱退させて、別個の分裂組織をつくりあげさせ、この分裂組織と連携して、日本共産党への反対と中国路線への無条件の同調を基準とした大衆運動の分裂活動を公然とおしすすめた。いわゆる「日中友好協会正統本部」は、一九六六年十月に、こうした干渉によってつくられた分裂組織であるが、日本ジャーナリスト会議、日本AA連帯委員会など少なからぬ大衆団体がこの種の分裂工作の対象となった。つづいて一九六七年二月末には、日中友好協会本部襲撃事件がおこった。これは、日中友好協会から脱走していった盲従分子が、一部の在日華僑青年とともに協会本部に暴力的襲撃をくりかえした事件であったが、まさに干渉は、直接の暴力をもって民主運動を破壊しようとする段階にまでおよんだのである。
 さらに中国共産党の干渉者たちは、一九六七年四月、中国の国際貿易促進委員会と西日本国貿促訪中団との共同声明のなかで、例の「四つの敵」論をもちだした。これは、日本共産党を、アメリカ帝国主義や佐藤内閣と同列において、「中日両国人民の共同の敵」にかぞえあげ、「日本人民」に、日本共産党に反対する闘争を公然とよびかけたもので、かれらは、この「四つの敵」論を、日中貿易の分野で友好貿易の「原則」とし、これを認めて日本共産党とたたかう立場を表明しないかぎり、貿易も許してもらえないという狂態がつづけられた。この間、一九六七年八月に、北京に駐在していたわが党中央委員会代表と「赤旗」特派員に北京空港で集団リンチをくわえるという、国際共産主義運動の歴史上空前の暴行までひきおこされるにいたった。
 こうして、日中両党関係は断絶するにいたったのであるが、その原因と責任のすべてが、どんな不法行為をあえてしても、日本共産党と日本人民を自分たちの路線にしたがわせようとする、中国共産党の側からの大国主義的干渉にあることは、あまりにも明白である。日本共産党は、中国共産党の大国主義者の干渉が開始された後も、問題が内部的に解決されることを希望し、長期にわたり最大の忍耐をもって努力したが、かれらが公然とわが党の打倒と転覆をとなえ、さらには、北京にいるわが党代表にたいする集団リンチまで組織されるにいたった段階で、これ以上沈黙をまもることは、国際共産主義運動にとっても、また日本の革命運動にとっても、許されないことであるということを確認して、中国共産党の干渉者たちの理不尽な大国主義的干渉を全面的に批判すると同時に、その背後にある路線の原則的な誤りについても、公然とした批判をくわえたのである。(「今日の毛沢東路線と国際共産主義運動」、一九六七年十月十日付「赤旗」)
 以上にかかげた諸事実を前にして、なお、日中両党関係の悪化についての日本共産党の責任をうんぬんし、「行きすぎた態度」を反省せよ、などというものがいるとしたら、それは、中国側への追従と迎合の意図からあえて事実に目をふさごうとする事大主義の徒だけであろう。

  四

 中国共産党の干渉者たちは、なぜ、このような不法な干渉を開始したのか。それ以前の時期には、かれら自身も大いにその重要性を強調していた「兄弟党間の関係についての準則」をもっとも乱暴なやり方でふみにじって、日本共産党と日本の民主運動にたいする干渉と攻撃にのりだしてきた動機、目的、意図はどこにあるのか。
 結論的にいえば、中国からのこの干渉の最大の背景、もっとも根本的な動機をなすものは、国際共産主義運動と世界人民の闘争全体を、自分たちの思想的、政治的指導権のもとにおき、各国人民に自分たちの特殊な政治路線、「革命」路線をおしつけようとする、異常な大国主義的野望にある。そのことについては、日本共産党への干渉が開始された一九六六年前後に発表されたかれら自身の文献のなかに、無数の証言が存在している。
 中国共産党の干渉者たちは、この当時から「もし兄弟党の関係のなかに『上級』と『下級』の区別がないことをみとめるなら、自分自身の党の綱領、決定、路線を国際共産主義運動の『共同綱領』として他の兄弟党におしつけることはゆるされない」(「国際共産主義運動の路線についての提案」)という自分たちの以前の主張を百八十度転換させて、「毛沢東思想」こそ、「現代のマルクス・レーニン主義の最高峰」だと独断的に宣言し、「毛沢東思想」にもとづく自分たちの特殊な路線――「反米反ソ統一戦線」や「暴力革命唯一論」などを国際共産主義運動の「共同綱領」にまつりあげて、世界の共産党と世界の革命運動が無条件にこれにしたがうことを公然と要求しはじめた。

 「毛沢東思想は中国革命の百科全書であるばかりでなく、世界革命の百科全書でもある。毛沢東思想は、現代のマルクス・レーニン主義の最高峰であり、もっとも高度でもっとも生きたマルクス・レーニン主義である。……毛沢東思想は、この偉大な革命の時代に生まれた偉大な革命理論なのであって、世界中どこにでもあてはまる普遍的真理である」(「人民日報」一九六六年六月一日付)

 そして、かれらによれば、この無法な要求にしたがわない共産党はすべてマルクス・レーニン主義にそむく「修正主義」と「反革命」の党であり、どんな手段に訴えてこれを攻撃しようとも、また、他国の革命運動や民主運動の内部問題にどんな干渉をくわえようとも、それはすべて「革命的」行動として正当化されることになる。かれらの論理にしたがえば、「毛沢東思想」に服従するかしないかだけが、「革命」と「反革命」を区別する唯一絶対の試金石なのである。

 「われわれの時代においては、毛沢東思想から離れることは、とりもなおさずマルクス・レーニン主義に根本的にそむくことである」(『紅旗』一九六六年第十一号)
 「毛沢東思想にたいしてどのような態度をとるか、それをみとめるのか、それとも排斥するのか、それを擁護するのか、それとも反対するのか、それを熱愛するのか、それとも敵視するのか――これは真の革命とニセの革命、革命と反革命、マルクス・レーニン主義と修正主義の分水嶺であり、試金石である」(「解放軍報」一九六六年七月七日付)

 かれらの大国主義の論理によれば、「毛沢東思想」にしたがわない共産党は、もはや兄弟党としての団結の相手ではなく、打倒すべき敵である。従来のような形での国際共産主義運動は、かれらにとっては、もはや存在しない。かれらは、一九六五年末ごろから、国際共産主義運動の公然たる分裂をめざすいわゆる「再編分化」論をとなえ、各国共産党の分裂といわゆる「左派」の「党」の結成の方向をその「再編分化」の「必然的な結果」として正当化しようとしていたが(「ソ連共産党指導部のいわゆる『共同行動』を反ばくする」、一九六五年十一月十一日付「人民日報」編集部・『紅旗』編集部論文)、中国共産党の干渉者たちのめざす「再編分化」なるものの真の内容が、「毛沢東思想」を絶対的な権威として各国共産党の隊列のかく乱をめざす反党盲従グループの結成とその国際的結集にあることは、その後いよいよ明瞭になってきた。それは、国際共産主義運動を分裂させて、「毛沢東思想」およびそれにもとづく特殊な政治路線を「共同綱領」とするあらたな「国際運動」を創設し、世界の革命運動にたいする自分たちの干渉の道具にしようという、国際共産主義運動の歴史に前例をみない大国主義と分裂主義の計画である。
 中国共産党の干渉者たちの日本にたいする干渉も、他国の党や革命運動にたいする国際的な支配をめざすその大国主義の計画の一翼をなすものであることは、疑問の余地がない。国際的にみても、日本共産党は、かれらにもっともはげしく攻撃されている党の一つであるが、それは、日本人民の解放闘争は日本人民自身の事業であり、いかなる外国勢力の干渉も許さないという自主独立の立場をき然として堅持し、「左」右の日和見主義、大国主義の潮流から、マルクス・レーニン主義――科学的社会主義の事業を一貫して擁護している日本共産党の存在と活動、この立場からおこなった、かれらの干渉にたいする日本共産党の全面的な理論的批判が、かれらの大国主義、分裂主義の計画にとって、最大の障害物の一つとなっているからである。
 それだけに、この大国主義的干渉にたいして断固とした態度をとることは、たんに日中両党関係の問題にとどまらず、日本の革命運動、民主運動の自主性をまもりぬくうえでも、国際共産主義運動の隊列とその共同の事業を擁護するうえでも、日本共産党の重大な歴史的責任をなすものであった。

  二 歴史と実践による検証――大国主義的干渉者の理論的な破たん

 中国共産党の干渉者たちが、日本共産党への攻撃、日本人民への干渉を公然と開始してから、すでに約五年が経過した。最近の「赤旗」で発表したように(立木洋「中国共産党一部グループの引続く干渉と攻撃」、八月十五、十六日付「赤旗」)、かれらの不当な大国主義的干渉は、いまなお大規模につづけられているが、重要なことは、この五年間に、「反米反ソ統一戦線」や「暴力革命唯一論」をはじめ、かれらが日本共産党攻撃の〝理論〟的よりどころとしていた諸命題の矛盾や虚構がいよいよ明白となったことである。五年間の歴史と実践による検証をへて、いまでは、中国共産党の大国主義的干渉者たちの理論的、政治的な破たんは、まさにだれの目にもおおいがたいものとなってきている。

 (1) 「反米反ソ統一戦線」論のゆくえ……まず、中国側からの日本共産党攻撃の最初の重要な契機となった、「反米反ソ統一戦線」の問題についてみよう。
 五年前のかれらの主張によれば、アメリカ帝国主義だけに反対して、ソ連反対を共同の綱領としない国際統一戦線を提唱することは、侵略者をよろこばせるだけのものとされた。また、日中両党会談の決裂の経過にみるように、中国共産党にとっては、外国の共産党とのあいだで、「ソ連修正主義」を共同で非難しないような共同コミュニケをだしたりすることは、問題にできないはずだった。  ところが、この「反米反ソ統一戦線」の主張を国際的におしつけようとするくわだてが完全な失敗に終わった結果、かれらは、いまではその方針の大幅な手直しを余儀なくされている。 その具体的なあらわれの一つは、昨年来、中国が一連の社会主義国と結んだ共同コミュニケである。昨年四月、周恩来を団長とする中国政府代表団が朝鮮民主主義人民共和国を訪問し、平壌で共同コミュニケを発表したが、この共同コミュニケには、ソ連にたいする共同の非難はまったくふくまれておらず、国際統一戦線の問題でも、「すべての革命的人民が団結して、攻撃のきっ先をアメリカ帝国主義に向け、世界各地で強力な反米闘争をくりひろげる」と、反米闘争における世界の革命的人民の団結を強調しただけであった。この点は、中国党・政府代表団団長周恩来)の本年三月のベトナム民主共和国訪問のさいに発表された共同コミュニケにおいても、また六月のルーマニア党政府代表団の中国訪問のさいの共同コミュニケにおいても、基本的に同じことがいえる。
 さらに、昨年五月二十日には、毛沢東自身が国際統一戦線についての声明を発表したが、これも、その内容は「全世界の人民は団結して、アメリカ侵略者とそのすべての手先をうち破ろう」ということで、「反米ソ」を国際統一戦線の共同綱領にせよという従来の要求を、公然とした形でくりかえすことは、ひっこめたものであった。
 このように、中国共産党の干渉者たちが、ソ連反対を明示しない反米統一戦線をみずから提唱したり、一連の社会主義国と、ソ連への共同の非難をふくまない共同コミュニケを発表したりしている事実は、「反米反ソ統一戦線」論の破たんの明確なあらわれであり、五年前に、毛沢東などの「反米反ソ統一戦線」の主張をうけいれなかったということを、最初の口実として、わが党に攻撃を開始したかれらの干渉の不当性を、くっきりときわだたせるものである。
しかし、注意しなければならないのは、中国共産党の大国主義的干渉者は、「反米反ソ統一戦線」の方針を根本的に放棄したわけではない、ということである。かれらは、国際的な孤立をさけるために、「反米反ソ統一戦線」というむきだしの表現は表向きはさけながら、いろいろな代用語を使ってこの方針を裏口からこっそりもちこみ、相手をえらんでこれをおしつけるという戦術に訴えている。  たとえば、さきの毛沢東の声明についても、表面的には、「国際反米統一戦線」のよびかけだということで、一般の支持と共感をもとめながら、かげでは、「信頼」できる〝内輪〟の仲間にたいしては、あの「アメリカ侵略者とそのすべての手先」というのは、「反米反ソ」あるいは「四つの敵」論のいいかえだと〝解説〟するといったぐあいである。一九七〇年八月二十日、黒田寿男ら社会党内の盲従分子との会見で、周恩来は、こうした〝解説〟をおこなっている。

 「毛主席は、『全世界の人民は団結してアメリカ侵略者とそのすべての手先をうち破ろう』と教えています。日本独占、ソ修、修をアメリカ帝国主義の手先とみなして、人民を代表する日本の各党派は連合して闘えるのではないでしょうか。もちろん、ソ修はアメリカ帝国主義の手先であるだけでなく、アメリカ帝国主義の仲間でもあります」(「日本社会党活動家訪中代表団報告集」から)

 かれらが愛用しているもう一つの代用語は、「超大国」の支配に反対するとか、「大国の強権政治」に反対するとかいうことばである。かれらは、この種の代用語を、昨年十一月の日本社会党との共同声明「超大国は強権政治を推し進め、……世界の運命を牛耳ろうとしている」)やことし七月の公明党との共同声明(「双方は、一致して大国の強権政治に反対し、……」)にもすべりこませているが、中国側が、「超大国」あるいは「大国」の「強権政治」ということばで、アメリカ帝国主義と同時にソ連をさしていることは、明白である。
 このように、中国共産党の大国主義者たちが「反米反ソ統一戦線」論を正々堂々と正面から主張することができなくなり、代用語による密輸出という二面的な手段にたよらざるをえなくなっていることは、それ自体、その路線の矛盾の深刻さをしめすものにほかならない。

 (2) 「反議会主義」と「暴力革命唯一論」の破産……中国の干渉者たちは、五年前から、何千万もの日本国民が参加した選挙戦を「茶番劇」だと嘲笑し、日本共産党がこの選挙戦を積極的にたたかったことを日米反動派に手をかして日本人民を「議会の道」にひきこむものと攻撃してきた。かれらの主張によれば、「革命的武装闘争」による権力獲得が革命の唯一の道であって、ゲバ棒や火えんびんをふりまわしたトロツキスト暴力集団の「武装」闘争こそ、「鉄砲から政権が生まれる」という「普遍的真理」の先駆的な体現者であり、日本人民の闘争の支配的な潮流となるはずのものであった。
 こうした主張と攻撃にたいして、わが党は、各国の革命運動の路線をきめるのはその国の人民、その国の共産党自身の任務であり、外国から特定の路線をおしつけたり輸出しようとすること自体が許しがたい大国主義的干渉であることをあきらかにすると同時に、議会闘争や選挙闘争を軽べつし、「武装闘争」だけを革命のただ一つの方法として絶対化する中国の干渉者たちの主張が、マルクス・レーニン主義とは無縁な「反議会主義」、極左冒険主義の路線であることを、詳細に解明した(評論員論文「極左日和見主義者の中傷と挑発」、「赤旗」一九六七年四月二十九日付)。そして実際、この五年間の歴史と実践は、この分野でも、中国共産党の大国主義的干渉者たちの破産を、明瞭にしたのである。
 第一に、この五年間の日本における政治闘争の展開は、今日の日本の政治的条件のもとでは、各党派が人民の支持を争う選挙戦が、政治闘争のもっとも重要な形態となっていることを、いよいよあきらかにした。この選挙戦を「茶番劇」などとよんで、そのボイコットを主張したりすることは、日本国民のもの笑いの種になるだけである。そのために、中国共産党の干渉者たちも、いまでは、選挙戦そのものを「茶番劇」と嘲笑するような露骨な「反議会主義」の宣伝は、できなくなっている。
 第二に、かれらが「鉄砲から政権が生まれる」という極左冒険主義路線の体現者として最大級のことばでほめたたえたトロツキスト暴力集団が、日本人民の「反米愛国闘争」の一翼をになう勢力であるどころか、日本の人民と民主勢力の闘争の破壊とかく乱をねらう反人民的な挑発者の徒党であることも、この五年間に無数の事実をつうじて証明された。トロツキストを泳がせて日本共産党と民主運動に打撃をあたえようとする反動権力の意識的な育成・「泳がせ」政策も、〝情報収集〟などの名目による資金供給の事実をもふくめて暴露された。こうして、中国共産党の干渉者たちのトロツキスト賛美論は、結局のところ、かれら自身の「革命」路線が、トロツキスト同様の挑発的、冒険主義的路線であることを、みずから証明するだけの結果に終わったのである。
 第三に、中国共産党の干渉者たちの「反議会主義」的攻撃がむけられた一つの焦点は、党と統一戦線勢力が国会で多数をえて民主的政府の合法的な樹立をめざすという、わが党の方針にたいしてであった。かれらは、「暴力革命」と「革命戦争」だけが人民の政権への唯一の道であって、どんな場合でも、議会での多数の獲得や選挙による民主的政府の樹立の可能性を追求することは、幻想で人民をあざむく裏切者の主張だといって、わが党の綱領を攻撃し、とくにわが党が、一九六八年に、「安保条約反対の民主連合政府」を提唱したときには、「日本人民の反米運動を議会の道の邪道に引きこみ、米帝国主義が日本人民の頭上にのうのうと君臨できるようにしようともくろんだ」ものだと、口をきわめてひぼうした。(「新華社通信」一九六八年八月二十六日)
 ところが、かれらが「暴力革命唯一論」を旗印に、日本共産党の「議会主義」への攻撃に熱中してきたこの五年間に、世界の革命運動のなかには、人民の統一戦線が選挙で反動派をうちやぶり、民主的政府を合法的に樹立した経験が、あいついでうみだされた。一九七〇年五月、セイロンの総選挙で、共産党、平等社会党、自由党の三党からなる統一戦線が、総得票数の四九パーセントをえ、下院百五十一議席中百十六議席を獲得する大勝利をおさめ、統一戦線政府を樹立させた。つづいて、一九七〇年九月には、チリの大統領選挙で共産党、社会党をふくむ左翼六政党の統一戦線――チリ人民連合が勝利をおさめ、アジェンデ新大統領のもとに、十一月に人民連合政府が成立した。もちろん、これらの統一戦線政府の成立が、それぞれの国の革命運動の最終的勝利を意味するものではなく、政府の樹立後もセイロンとチリの人民が、新しい形態での帝国主義者や反動勢力の反動的策動との闘争に直面していることはいうまでもないが、セイロンとチリの二つの民主的政府の成立が、民主連合政府樹立についての日本共産党の方針――一定の条件のもとでは、人民の勢力が選挙で多数をえて統一戦線政府をつくることができるという展望の現実性を、国際的経験をもって裏づけたものであることは、明白である。「武装闘争」以外のすべての道を幻想あるいは欺まんとして拒否する「暴力革命唯一論」の非科学的で観念的な誤りは、まさに世界の革命運動の実践によって証明されたのである。
 ここでとくに注目に値することとして、中国の干渉者たちが、自分たちの「暴力革命唯一論」に反する方法で人民連合政府成立への道をひらいた、アジェンデ新大統領の当選にさいし、周恩来の名で祝電を送り、「熱烈な祝賀の意」を表明したことを指摘しておこう。

 (3) 「中立自衛」論への攻撃と自己矛盾……中国共産党の干渉者たちは、この五年間、日本共産党にたいして「佐藤内閣の手先」とか「共犯者」とかいう罵言をあびせつづけてきたが、この非難の〝証拠〟としてかれらがもちだしてきたものは、すべて、かれらの非難の不条理をみずから暴露するものでしかなかった。その一、二例をあげてみよう。
 一九六八年一月、わが党が「日本共産党の安全保障政策」を発表して、そのなかで、自民党政府の「自主防衛」論の欺まんを徹底的に暴露するとともに、日米軍事同盟を打破して独立・民主日本を実現した後の自衛問題について、日本共産党の態度と政策を明確にしたとき、「人民日報」と「北京放送」は、これこそ日本共産党と佐藤内閣の結託の証拠だとして、早速これをとりあげた。同年二月十六日の「人民日報」はこの問題について一つの論評を発表し、日本共産党が、日本民族は外国の侵略や圧迫から自国の主権と独立をまもる固有の自衛権をもっているとのべたのは、佐藤栄作の「自らの国を自らの手でまもる」という主張に加担したものであり、「第二インターの修正主義者どもがかつて大いに騒ぎたてた『祖国防衛』という反動的スローガンのやきなおし」だと攻撃した。
 この攻撃のでたらめさは、一見して明白である。わが党が提起したのは、日本が日米軍事同盟を破棄し、日本軍国主義も一掃されて独立・民主日本が実現した後の自衛問題である。わが党が当時的確に反論したように、「非武装」中立を絶対化する小ブルジョア平和主義の立場にでもたたないかぎり、独立・民主日本の自衛の必要を否定することはできないはずである。ましてや、独立・民主日本の自衛権を主張したわが党の立場を、帝国主義戦争を擁護した第二インタナショナルの「祖国擁護」論と同一視するにいたっては、まさに荒唐無けいのこじつけであった。(新原昭治「わが党の安全保障政策にたいする、毛沢東一派の下劣なデマ攻撃にこたえる」、「赤旗」一九六八年三月三日付)
 わが党のこの反論のまえに、「人民日報」は同じ非難をくりかえすことができなくなったが、この問題で興味ぶかいのは、公明党と中日友好協会が結んだことし七月の共同声明に、つぎのような一節がふくまれていることである。

 「中国側はつぎのように表明した。日本人民は真の武装自衛を実行する権利を完全にもっている。しかし日本軍国主義が『自衛』の名のもとに対外拡張と侵略を行うことは絶対に許せない」

 いったい、日本人民の「武装自衛」の権利についてのこの「中国側」の表明と、三年前に、日本共産党の中立・自衛の主張を「社会排外主義」といって攻撃した「中国側」の立場とは、どこでどう統一されるのだろうか。これもまさに、日本共産党非難のためにはどんな不条理もかえりみない大国主義的干渉者がおちいった救いがたい自己矛盾である。

 (4) 日本軍国主義をめぐる中傷と虚構……「人民日報」などが、「佐藤内閣との結託」の証拠としてつぎにもちだしたのは、日本軍国主義復活の問題である。
 日本共産党は、戦後、日米反動勢力が対米従属下の日本軍国主義復活を計画しはじめた最初の段階から、軍国主義復活反対の闘争を一貫して重視し、これを阻止する日本人民の闘争の先頭にたってきた政党である。昨年ひらかれたわが党の第十一回大会は、一九七〇年代のアメリカ帝国主義の新戦略のなかで日本軍国主義の復活・強化が「あらたな重大な段階」を画そうとしていることをあきらかにし、復活・強化しつつある日本軍国主義が、アメリカ帝国主義とともに、日本人民とアジア人民の危険な共通の敵となっていることを、明確に指摘した。

 「日本独占資本主義は、アメリカ帝国主義との従属的同盟のもとで、経済侵略をもつよめており、復活・強化しつつある日本軍国主義は、アジアの平和と諸国民の主権をおびやかす現実の脅威となりつつある」
 「アメリカ帝国主義およびその目したの同盟者として復活・強化しつつある日本軍国主義は、日本人民とアジア諸国人民の共通の敵である。共通の敵をもつ日本人民とアジア諸民族の連帯、共同は、いっそう密接で、いっそう重要なものとなった」(第十一回党大会決定「七〇年代の展望と日本共産党の任務」)

 ところが、中国共産党の干渉者たちは、わが党が、日本軍国主義復活の現段階を科学的に分析して、「一定の本質的復活」をとげているがまだ「全面的に復活が完了したとは規定しえない段階にある」としているのをとらえて、日本共産党は、日本軍国主義の復活を否定して「日本軍国主義を弁護」し、「人民をあざむき、マヒさせている」といった中傷に熱中しはじめた。この中傷は、昨年九月三日付の「人民日報」、「解放軍報」の共同社説「復活した日本軍国主義を打倒しよう」を手はじめに、いたるところでくりかえされ、最近では、周恩来が、アメリカのレストン記者との会見のなかで、日本軍国主義の問題について「日本の四つの野党のうち、日本共産党だけが、中国と見解を異にしており、この問題について佐藤を支持している」と主張するまでになっている。
 戦前戦後をつうじて、日本軍国主義とその復活に一貫して反対してきた日本共産党を、こともあろうに日本軍国主義の「弁護」者にしたてあげようとするこの中傷の無法さ、不条理さは、すでに榊利夫「軍国主義勢力に手をかす無責任な日本共産党攻撃」(「赤旗」一九七〇年九月十九日付)や「周恩来の無責任な日本政党論」(「赤旗」一九七一年八月十八日付)で徹底した反論をおこなっており、また第十一回党大会決定からのさきの引用をみただけでも明白なことなので、ここで反論をくりかえす必要はないであろう。  ただ、一つだけ指摘しておきたいことは、周恩来が、この問題で、日本共産党だけを攻撃する自分たちの立場を正当化しようとして、日本の野党のなかで「中国と見解を異にしている」のは日本共産党だけであり、民社党をふくめて他の三野党は中国と見解を同じくしていると、断言していることである。
 ところで、民社党が、日米軍事同盟を肯定し、そのもとでの「自主防衛」を党是として、軍国主義復活を側面から推進する立場にたっている政党であることは、日本では周知のことである。民社党は、昨年四月にひらいた第十三回党大会でも、「日米友好関係のもと、専守防禦に徹した自主防衛体制の確立」、あるいは「日米安保」で「補完」された「自主防衛体制」を、安全保障政策の基本として決定している。もし、周恩来がいうように、中国の干渉者たちが、日本軍国主義復活反対の闘争にもっとも真剣にとりくんでいる日本共産党と「見解を異にし」、対米従属下の日本軍国主復活を基本的に支持している民社党と「見解を同じく」しているのだとしたら、いったい、日本軍国主義の弁護論にたっているのはどちらだろうか。

 (5) デマとねつ造による個人攻撃……さらに特徴的なことは、中国の干渉者たちが、日本共産党を攻撃する〝理論的〟根拠を失えば失うほど、事実のねつ造や虚構の創作など、文字どおり手段をえらばぬ中傷に訴えてきていることである。
 浅沼刺殺事件を利用した周恩来の野坂議長攻撃は、その最たるものであろう。周恩来は、一九六八年一月、社会党の石野久男氏と会見したさい、つぎのようにのべて日本共産党を攻撃した。

 「今日、日共修正主義は日本人民を裏切りました。この点では、皆さんの浅沼さんに及びません。同じ演壇にいて刺されたのは、野坂でなくて浅沼でした。このことは理由がないことはありません。宮本はもちろん、野坂でも日本人民を裏切っていることについて、日本の反動勢力はよく知っています」(石野久男「周恩来総理との会見記」、『世界』一九六八年三月号)

 周恩来によれば、一九六〇年十月十二日の東京・日比谷公会堂の演説会で、浅沼社会党委員長が反共右翼の手で刺殺されたとき、「同じ演壇に」いた野坂議長が刺されなかったのが、日本共産党の「修正主義」と「裏切り」の証拠だというのである。これは、まったく幼稚なつくりごとであった。第一に、当の演説会は、公明選挙連盟、東京都選管、NHKの三者が、日本共産党を不当に排除して、自民、社会、民社の三党首演説会としてひらいたもので、野坂議長が「同じ演壇にいた」という話そのものが、架空のつくりごとだった。第二に、浅沼委員長を刺殺した犯人自身が、「社会党は結局、ロシア革命のときに政権を共産党に渡す役をやったケレンスキー内閣の日本版になると考えた。……浅沼氏のほかにも野坂日共幹部会議長、小林日教組委員長もやらねばならないと思い、ねらっていた」と、日本共産党をこそ攻撃の中心目標としていたことを、自供している(「朝日」一九六〇年十月十三日付)。
 ところが、わが党が周恩来発言のこのいつわりを指摘した(豊田四郎「周恩来発言の真の意味」、『世界』一九六八年四月号)のちにも、周恩来は、「同じ演壇」ということばをとりのぞいただけで、その後も社会党系の訪中団にたいして、なんらの恥じらいもなくこのデマをくりかえしてきた。

 「もう一つの光栄は皆さんのもので、それは浅沼先生が殺害されたことです。……この刺客は非常にはっきりしています。野坂を殺さず、浅沼さんを殺した。これはあなたがたの社会党の光栄であり、世界の共産党の恥であります」(一九七〇年八月二十日、黒田寿男ら社会党活動家訪中代表団との会見で)

 これは、まったく奇怪な論理である。暗殺されなかったのが「恥」だというこの論理が正しいとしたら、暗殺やテロによる無数の犠牲者をだしてきた中国革命の長い歴史のなかで、それをまぬがれてきた周恩来や毛沢東などは、どういうことになるのだろうか。
 周恩来は、このデマの信頼度を高めるために、一九七〇年八月の佐々木訪中使節団との会見では、浅沼事件をもう一度もちだしたうえで、「野坂はアメリカの飛行機で東京に送りかえされたときからアメリカを恐れていた」という、新しいデマをこれにつけ加えた。一九七一年二月の国際貿易促進会の反党盲従分子との会見のときにも、周恩来は同じデマをくりかえしたが、野坂議長が一九四六年一月、釜山から引揚船で博多港に帰ったことは天下周知の事実であって、この周恩来発言ほど、あからさまで幼稚な歴史の偽造は、ほかに例をみないほどである。(成田悧「『周、佐々木会談要録』にみる大国主義的干渉」、「赤旗」一九七〇年十月十八日付)  このように、ウソを承知で事実無根の非難をあえてするのは、その不当な干渉を正当化するためには手段をえらばない干渉者の、真実や正義とは無縁の心情を暴露するとともに、「修正主義」とか「裏切り」とかをうんぬんするわが党への攻撃の根拠のなさを、みずから告白するものである。
 以上にみてきたように、干渉者たちの理論的な破産と矛盾は、かれらが日本共産党攻撃の口実としたどの論点をとってみても、いまやきわめて明白である。しかし、干渉の口実としてあれこれの〝理論〟がどんな破たんに直面しようとも、中国共産党の干渉者たちは、日本の革命運動、民主運動への破壊的な干渉と攻撃を、少しも放棄しようとはしていない。五年間の干渉の失敗に学んで、戦術や手法には多少の手直しもあらわれているが、反党対外盲従分子を支持して、日本共産党の隊列のかく乱をめざすかれらの党破壊活動に全面的援助をあたえ、日中友好と日中国交回復の機運を利用して、日本の政党や各種団体に「四つの敵」論をもちこみ、トロツキスト暴力集団をはげまして、日本人民の闘争に「毛沢東思想」や極左冒険主義路線をおしつけるなどの策動は、ひきつづきしつようにつづけられている。(その全ぼうは、立木洋「中国共産党一部グループの引続く干渉と攻撃」、一九七一年八月十五日、十六日付「赤旗」)
 五年間の歴史と実践の検証をつうじて、「反米反ソ統一戦線」や「暴力革命唯一論」など日本共産党非難を口実とした諸〝理論〟の破たんが明白になったにもかかわらず、中国共産党の干渉者たちが、日本共産党の打倒と転覆という基本方針を変えず、日本の革命運動、民主運動への干渉をつづけ、それを合理化するためにもっとも低級なデマにまで訴えてきている事実は、かれらの干渉と攻撃が、正当な理論的根拠も、世界の革命運動にとっての大義名分もなに一つもたない無法な大国主義的干渉であり、国際共産主義運動と世界の革命運動を自分たちに従属させようとする専制的な野望を動機としたものであることを、かさねて裏書きするものである。
 最近、中国共産党の大国主義者たちは、大国主義の非難をまぬがれようとして、しきりに「大国排外主義に反対する」とか「中国は超大国にはならない」などと主張しはじめた。

 「われわれはこれまでずっと、各国の内部の事がらは各国の人民が自分自身で解決することを主張してきている。大国、小国をとわず、大きな党、小さな党をとわず、すべて平等と相互内政不干渉の原則のうえに相互関係をうち立てなければならない」(一九六九年四月、いわゆる「中国共産党九全大会」での林彪の報告)
 「中国はいかなるときであろうと、超大国にはならない。現在もならないし、将来も永遠にならない。超大国とは、人をみくだし、実力をたのんで、他人の頭上に君臨し覇をとなえるものである。中国人民は、大小の国が一律に平等であることを主張している」(「毛主席の革命路線にそって勝利のうちに前進しよう」、「人民日報」「紅旗」「解放軍報」一九七一年元旦社説)

 いったい、大国主義とはなにか。中国共産党はかつてこの問題について、さきに引用した「国際共産主義運動の総路線についての提案」のなかで、みずからりっぱな定義をあたえていた。それによれば共産党間の関係における、大国主義とは、「兄弟党の関係のなかの平等と独立の原則」をやぶって、「自分自身を他の兄弟党の上におくこと」、「兄弟党の内部のことに干渉すること」、「兄弟党の関係のなかで家父長制を実施すること」、「自分自身の党の綱領、決定、路線を国際共産主義運動の『共同綱領』として他の兄弟党におしつけること」等々である。中国共産党がみずからあたえたこの定義にてらしても、いま、中国共産党の干渉者たちが日本の革命運動、民主運動にくわえている攻撃が、乱暴な大国主義的干渉であることは、抗弁の余地のないところである。しかも、それは、わが党の第十回大会の決定が特徴づけたように、革命に勝利した国の党の指導部が、社会主義国家の権力や外交機関をも利用して、資本主義制度の困難な条件のもとで闘争している他国の共産党と革命運動の破壊をはかるという、国際共産主義運動の大義に反する、最悪の大国主義的干渉である。
 中国共産党の干渉者たちが、日本の革命運動にたいする大国主義的干渉をつづけているかぎり、かれらが一方で「大国排外主義に反対する」とか「超大国にならない」とか宣言してみても、それは世界と自国の人民をあざむくいつわりのことばでしかありえない。この人たちが本当に、大国主義を拒否し、「各国の内部の事がらは各国の人民が自分自身で解決する」という原則に、忠実であろうとするのならば、日本共産党にたいする不当な攻撃や日本の革命運動、民主運動にたいする無法な干渉を、ただちにきっぱりとやめるべきである。そしてこれこそが、日中両国人民のあいだで、また日中両国共産党とのあいだで、「平等と相互内政不干渉の原則のうえにたった相互関係」をうちたてる道であると同時に、わが党の第十一回大会決定が指摘しているように、中国共産党自身が、国際共産主義運動に恥ずべき汚点を残している現在の大国主義の路線から、過去の偉大な中国共産党の歴史と伝統にふさわしい革命的気概と節度にたった路線に立ちかえる道なのである。

  三 日中国交回復運動の自主的、統一的発展のために

   一

 中国共産党の干渉者たちの不当な干渉がはじまって以来、日中問題は、日本共産党と社会党のあいだで、くりかえし論争の対象となってきた。社会党は、一九六八年の参議院選挙のときにも、「社会党は一貫して日中国交回復を進めてきたが、共産党は中国攻撃に終始している」(テレビ放送での山本書記長当時の発言)と、あたかも日本共産党が、日中両党関係の悪化を理由に日中国交回復への積極的態度を失っているかのような攻撃をおこない、冒頭に紹介したように、最近でも、成田委員長が同じような非難を再三にわたってくりかえしたが、これらは、まったくことの真相をおお中傷であるだけでなく、不法な干渉者たちにたいする無定見な事大主義的追随そのものである。
 日本共産党は、中国共産党の一部グループの不当な干渉にたいして、いかなる外国勢力の干渉もゆるさず、日本の革命運動、民主運動の自主性をまもる立場から、必要な反論や批判をおこなってきた。同時に、日本共産党は、この日中両党の関係の問題と日中両国の国交問題とを明確に区別し、中国側からの干渉と攻撃によって日中両党関係がもっとも悪化した状況のもとでも、日中両国人民の真の友好関係の確立をめざす大局的見地から、日中国交回復の実現のために積極的に奮闘するという態度を堅持してきた。
 一九六六年十月にひらかれた第十回党大会の決定は、つぎのようにのべていた。

 「われわれは、自主・平等・相互不干渉の原則をまもりながら、すべての社会主義国の人民との連帯と友好、すべての社会主義国との国交正常化と交流の自由、平等、互恵の貿易のためにたたかわなくてはならない。とくに英雄的なベトナム人民にたいする支持と連帯の強化、ベトナム民主共和国、朝鮮民主主義人民共和国との国交正常化、『二つの中国』反対と日中国交回復などの運動の先頭に立ち、いっそう積極的に奮闘しなければならない」

 わが党のこの態度は、中国側の干渉がますます激化の度をくわえつつあった一九六七年七月、「赤旗」に発表された論文「真の日中連帯への歴史のよびかけ」にも、疑問の余地のない明確さで表明されている。

 「日中両党間の意見の相違や、中国共産党の極左日和見主義、大国主義分子のわが党にたいする不当な攻撃のいかんにかかわらず、『二つの中国反対』『日中国交回復』など、日中両国の党と人民の一致した共同の課題の達成のために、いっそう積極的に奮闘するわが党の態度と路線には、なんの変わりもない」
 「われわれは、中国共産党の一部の大国主義分子が『相手にせず』と高言し、あるいは目前の人事往来ができないなど、いくつかの困難に出あうとしても、かれらによるいっさいの分裂破壊策動とたたかって日中友好運動の統一と団結をまもり、日中両国人民の真の利益のために、日中友好の旗をかくかかげて正しくまもりぬき、アメリカ帝国主義と日本独占資本の中国敵視政策や『二つの中国』の陰謀を糾弾し、日中国交回復をはじめとする具体的課題に積極的にとりくみ、広範な日本人民をこの運動に結集するために奮闘しなければならない」(一九六七年七月七日付「赤旗」)

 実際、この数年間の政治の経過をみても、アメリカ帝国主義と佐藤内閣の反動的な中国政策に反対して、「一つの中国」の原則にたった日中国交回復への道を、一貫して追求しつづけた唯一の政党が日本共産党であったことは、だれも否めない事実である。
 たとえば、一九六八年の参議院選挙のさいに、NTVテレビと読売新聞社が、安保・中国問題について各党立候補者の意見を調査して発表したことがある。この調査には、いわゆる〝二つの中国〟問題についての質問がふくまれていたが、この質問にたいして、全回答者が、中華人民共和国こそ中国を代表する唯一の国家だとこたえたのは、日本共産党だけだった。民社、公明両党には、「一つの中国」論を支持した候補者は一人もなく、ほとんど全員が、「二つの中国」論を容認する立場で回答した。また、公式には「一つの中国」論をとなえて、日中国交回復問題での一貫性をしきりに強調していた社会党にしても、その立場で回答したのは三分の二の回答者だけで、あとの三分の一は、「〝二つの中国〟問題は当事者間の処理にまかせる」とか「『北京』を正統政府と認めるが『台湾』の地位は未定とする」と答えるといった、あいまいな状態であった。
 日本共産党が、中国共産党との「路線の対立」のために日中国交回復に「消極的」などという批判がどんなに筋ちがいのものであるかは、この一事にも明白であろう。
 日中問題をめぐる日本共産党と社会党とのあいだの論争の中心問題は、山本氏や成田氏がくりかえしてきたように、日中国交回復に積極的な態度をとるかどうかという自明の問題にあったのではけっしてない。
 では、共、社両党間の論争は、なにをめぐっておこなわれたのか。その第一の中心問題は、中国共産党の干渉者たちの不当な大国主義的干渉にたいして、日本の民主勢力としてどういう態度をとるか、という問題であった。
 すでにのべたように、中国の大国主義者たちの干渉は、日本の革命運動、民主運動に自分たちの路線をおしつけることを目的としたもので、日本共産党だけにかかわる問題ではなかった。「四つの敵」論をかかげての分裂策動は、日中友好運動をはじめ各分野の大衆運動や大衆団体におよんでいた。そして、真の日中両国人民の友好という見地からいっても、日本の国内の運動にたいするこのような干渉を放置することが、日中両国人民が自主、平等、相互不干渉の立場で友好と連帯をふかめる共同の事業を、土台から掘りくずす結果となることは、明白であった。中国の干渉者たちが日本の国内の運動に干渉し、あれこれとさしずしたり、特定の政党にたいする破壊活動、転覆活動を組織したりすることをそのまま許すことは、ひいては、「平和五原則」(領土主権の相互尊重、相互不可侵、内政不干渉、平等互恵、平和共存)にもとづく日中国交回復という、日中友好の基本課題をもそこなうことである。だからこそ、当時、まじめに両国人民の友好と日中国交回復の実現を願う多くの人びとが、不当な干渉に反対して日本の革命運動、民主運動の自主性を擁護するわが党の立場を、共感をもって支持したのである。
 これにたいして、日本社会党は、中国側からの干渉が開始された当初から、日本の民主運動の自主性をまもるという点で、革新的、民主的な政党として当然の態度をとろうとせず、反対に、干渉に反対する日本共産党の自主独立の態度を「反中国」と非難して、干渉者に迎合する非自主的な立場をとった。ここに、中国問題をめぐる、過去数年来の共、社両党の論争の第一の核心があったのである。
 たとえば、一九六六年の日中友好協会の分裂のさい、分裂策動の中心的な推進者となったのは、当時社会党の日中国交回復特別委員会の委員長であった黒田寿男であった。黒田は、一九六六年十月、日中友好協会の全国理事会が中国側の干渉に無条件に同調しないということで、その他の盲従分子とともに同協会から脱退し、「日中友好協会正統本部」と称する分裂組織を組織してみずからその会長となった。そして、中国側の主張のままに「反米反ソ統一戦線」の方針や「四つの敵」論をかかげ、「毛沢東思想の学習」を活動のカナメとする「日中友好」運動なるものを推進してきた。
 また、一九六七年二月、中国の干渉者たちの支援のもとに、一部在日華僑学生や対外盲従分子が集団をもって日中友好協会本部を暴力で襲撃したときには、社会党は、中央本部の名で全党に「通達」をだし、これらの襲撃者を公然と支持するとともに、この不法な暴力から協会本部をまもった協会員やこれを支援する態度をとった日本共産党を「反中国」と攻撃した(日本社会党中央本部の一九六七年五月十八日付通達「日中友好運動及び善隣学生会館事件にたいする党の態度について」)。日中友好運動についても、社会党は、この「通達」および関連文書のなかで、分裂組織「日中正統本部」を、「真に日中両国の友好交流を進めている」ただ一つの組織として支持することを決定した。
 一九六七年八月にひらかれた社会党第二十九回臨時大会では、この「通達」が成田書記長(当時)の党務報告のなかで正式に承認され、「日中正統本部」を中心に社会党の日中友好運動をすすめるという方針が、あわせて正式に決定された。これが、中国の大国主義的干渉に自主的態度をとるものをすべて排除し、干渉者への同調と迎合を「日中友好運動」の基本方針とすることにほかならなかったことは、当時わが党がくりかえし指摘したとおりである。
 社会党はまた、一九六八年一月の第三十回定期大会では、運動方針のなかで、「日本共産党の自主独立路線」を日中友好運動の分裂の原因の一つにあげて攻撃したが、日本共産党が中国側の大国主義的干渉に反対して日本人民の運動の自主性をまもる態度をとっていることを、日中友好や日中国交回復を妨害するものとして非難するこの種の論調は、その後も何度となくくりかえされてきた。成田委員長が昨年十一月、訪中後の記者会見で「共産党はいままで中国にあらゆる批判をおこなってきた。相手もあることだし反省を事実で示すことが前提である」「毎日」一九七〇年十一月五日付)と語ったのも、社会党の変わらぬ姿勢をしめす最近の一つの例である。  「日中友好」の名のもとに、中国側の大国主義的干渉にたいして事大主義的な同調と迎合をつづけてきた社会党のこうした態度が、真の日中友好の事業と日中国交回復の運動に役だつどころか、反対にこれを阻害する重要な要因としてはたらいてきたことは、いうまでもない。
 それは第一に、日中両国の人民と人民、運動と運動の自主、平等、相互不干渉の関係という、日中の友好と連帯の大前提をみずから否定し、日中友好の運動を、相手方のどんな無法な干渉をも無条件で容認するという卑屈な対外追従の運動に変えるものだからであり、第二には、日本共産党を敵視する中国の干渉者たちの要求に同調することにより、長い歴史をもつ日中友好運動の自主的な団結を破壊し、日中問題での民主勢力、革新勢力の統一戦線--統一的、国民的な運動の発展を不可能にし、日本国内で日中国交回復に道をひらくべき基本的な力をみずから失わせる結果となるものだったからである。
 日中問題をめぐる、共、社両党間の論争の第二の核心をなしたのは、中国側の干渉にたいする事大主義的な追従の態度と結びついて、この数年来の社会党の政策と行動に、日中問題だけを日本の対外政策上の最優先の課題として、日本人民が直面しているその他の重大な政治課題、とくに日米軍事同盟廃棄の課題やベトナム・インドシナ人民支援の課題などを軽視する傾向が、つよくあらわれたことである。
 たとえば、社会党が一九六八年一月の第三十回大会で採択した「運動方針」は、「アメリカの世界戦略が米中対決に移行した」とする一面的な情勢評価から、アメリカ帝国主義のインドシナ侵略をも「米中対決の危機が迫る」という角度からとらえ、「七〇年安保」についても「対中国封じて軍事同盟」への性格変化を第一の特質としてあげて、日中国交回復を日本の民主平和勢力の運動の「焦点」として位置づけていた。

 「ベトナム戦争が深刻化し、米中対決の危機が迫っている今日、そして日米会談が『中国の核脅威』を名目として、『安保の維持強化』をうたい、七〇年安保が『中国封じこめ軍事同盟』への性格変化をとげようとしているとき、日中の国交回復を焦点として、アジア反共勢力の結集の企図をくじくことは、わが国、民主平和勢力に課せられた重要な任務である」(日本社会党「一九六八年度運動方針」)

 この「米中対決」論の誤りは、ニクソン訪中の決定が発表された今日では、あまりにも明白であるが、ここでとくに重視して指摘したいのは、「米中対決」論にもとづいて日中国交回復をすべてに優先させるこの方針が、安保条約反対の統一戦線への否定的態度と不可分に結びついていたことである。
 一九六八年五月、日米安保条約の固定期限終了を目前にして、日本共産党は、安保条約反対、沖縄返還をめざす全民主勢力の統一戦線を提唱した。これにたいして、社会党は、これを「日中問題を不当に軽視」した構想であり、安保条約反対を共闘の前提とすることは七〇年闘争の幅をせばめると批判し、安保反対の統一戦線にかわるものとして、安保問題をたなあげにし、日中問題を事実上対外政策の最大重点とする共闘方針を対置してきたのである。この年の六月に勝間田委員長(当時)が発表した「新しい政治勢力の結集」の構想は、「日中問題、沖縄返還、物価安定の三点を中心に野党だけでなく、自民党の一部をもふくめる」というもので、安保問題だけでなく、社会党が党大会で日中、沖縄とあわせて「三位一体」と規定していたベトナム問題まで欠落していたのが、特徴的であった。
 日中国交回復を最優先にすることによって、安保条約反対やベトナム侵略反対の課題を第二義的にあつかうこの態度は、たんなる過去の問題ではなく、社会党の現在の執行部のもとでもくりかえされている。
 ことしの二つの選挙戦にさきだって、わが党は、日米軍事同盟反対を柱の一つとする革新統一戦線を提唱したが、社会党は、安保反対の革新統一戦線に反対し、安保問題をたなあげにした全野党共闘の方針をとった。
 そして、六月二十日の成田委員長の談話では、共産党は「反安保運動の『当面のカギ』は日中国交回復にあることを理解できず消極的になっている」とわが党に非難をくわえ、さらに七月の全国書記長会議では、共産党の第五回中央委員会総会が沖縄・安保問題での共闘をよびかけたことをとらえて、日中問題軽視のあらわれだとする批判をふたたび発表した。
 これらの成田発言にたいしては、わが党は宮本委員長の六月二十二日の記者会見および榊利夫「成田発言と日中国交回復問題」(「赤旗」八月三日付)でそれぞれすでに明確な反論をおこなった。「日中問題に消極的」だという日本共産党への批判が的はずれのものであることは、すでにくりかえすまでもない。ここで重要なことは、わが党が沖縄・安保問題での共闘を提唱したことを日中軽視と批判するこれらの成田発言のなかに、「米中対決」論の誤りがすでに明白になっているにもかかわらず、日中国交問題だけを最優先の課題とする立場にあくまで固執して、アジアと世界の平和にとって最大の焦点であるベトナム・インドシナ問題にも、沖縄協定批准反対の闘争を目前にしていよいよ緊急の歴史的課題となってきた日米軍事同盟廃棄の課題にも、第二義的な位置づけしかあたえようとしない一面的な見地が、くっきりと浮きぼりにされていることである。
 日中問題に関連した共、社両党間の論争は、以上の二つの中心問題をめぐっておこなわれてきたが、この論争には、すでに日本人民の運動の実際のなかで、一つの政治的決算がつけられたということができる。
 まず、日中国交回復最優先論についていえば、その理論的背景となった「米中対決」論の誤りが明白になったというだけでなく、日本をめぐる情勢を直視するならば、日本の民主勢力が、日中国交回復の課題の重要性を理由に、これだけをすべてに優先させて、日米軍事同盟反対の革新統一戦線の問題を回避したり、ベトナム・インドシナ問題を軽視したりするような一面的な見地にとらわれるわけにゆかないことは、疑問の余地がない。
 また、中国の干渉者たちの手段をえらばぬ努力にもかかわらず、西沢隆二一派や山口県の福田、原田一派などの反党対外盲従分子は、国内でなんらの大衆的支持をうることができず、相互にも分裂と抗争をくりかえし、ただ海をこえての支持のみをたよりに反党活動をつづけるみじめな小グループに転落した。平和、民主運動の諸分野にたいする干渉も、結局は、成功をおさめえなかった。原水禁運動をはじめ、AA連帯運動など日本の平和、民主運動の多くは、しっかりとその自主性をまもりつつ国際連帯の活動を発展させ、大衆的基盤をつよめ国際的支持もえながら前進している。干渉者たちがもっとも力を集中した日中友好運動の分野でも、社会党が支持してきた「日中友好協会正統本部」の運動は、その対外盲従路線に大衆的支持をうることができず、その中心である反党対外盲従分子の零落とあいまって衰退の道をたどり、昨年四月の社会党第三十三回大会では、社会みずからが、それまでの「日中正統本部」支持の方針を事実上修正し、「日中正統本部の混迷」の指摘や、「『四つの敵』論の立場をとらない」ことの表明など、「正統本部」と一線を画する態度を決定せざるをえなくなったほどである。
 このように、中国の大国主義者たちの干渉が開始されて以来のこの数年間のすべての事実は、日中国交回復の実現をめざして積極的に奮闘しながら、中国側からの干渉にたいしてはこれをゆるさないき然とした自主的態度をつらぬいてきた日本共産党の立場こそが、日中問題でのもっとも原則的で、もっとも積極的な立場であることを、そしてこの立場を堅持してこそ、日中国交回復をめざす統一的、自主的な国民運動に道をひらくことができるのであり、また両国人民の自主、平等、相互不干渉を前提にした真の日中友好と日中国交回復の大道を確固として前進することができること事実をもってあきらかにしたのである。
 日本の民主運動にとって重大な問題は、事態をまじめに考えるものにとっては問題の政治的決着はすでに明白であるにもかかわらず、社会党が、いまだに大国主義的干渉にたいする迎合的態度をすてず、日中問題が日本の政治のうえで大きく注目をあびてくるごとに、干渉者に迎合する立場か日本共産党を攻撃し、民主運動の自主的団結を阻害する立場をとりつづけていることである。社会党のこうした態度の根底に、この党が、「共産主義の克服」を綱領に明記した創立以来の反共主義をまだ根本的に清算することができないでいる現状とともに、対中国関係においてだけでなく、ソ連のフルシチョフ当時の干渉のときにも露呈された、日本の運動への外国勢力の不当な干渉にさいして、干渉者に迎合、追従する根づよい事大主義の傾向があることも、指摘しなければならない。
 われわれは、日本の民主運動の統一的な前進を真剣に願う立場から、社会党が、このような状態から脱却して、不当な干渉に反対して日本人民の闘争の自主性を擁護するという、革新的民主的政党として当然の立場にたつことを、心から希望するものである。

   ニ

 今日、日中問題をめぐる情勢はあらたな展開をみせ、沖縄・安保問題とともに、日本の外交路線の真の民主的転換をかちとるべき民主勢力の責任はいよいよ重大になっている。それだけに、過去数年間の切実な教訓をふまえて、民主勢力の統一のために、日中国交回復の運動をふくめ、わが国の民主運動の自主性を堅持することの重要性が、あらためて強調される必要がある。
 秋の国連総会を前にして、六月にリビア、七月にシエラレオネ、八月にトルコ、ペルー、イランと各国の中国承認が相つぎ、国連内においても、中華人民共和国の承認国は、台湾の?政権承認国の数を大きく上まわって、中国の国連代表権回復は、文字どおり世界の大勢になりつつある。国連からの中国しめだしの策謀の元凶であったアメリカ政府自身が、一方で蒋介石政権の国連議席確保のための「二つの中国」の策動をすすめながら、他方では、中国の国連復帰に反対しない態度を表明し、ニクソン中の決定によって、「米中関係の正常化」を対中国政策の日程にのぼさざるをえなくなっている。
 世界情勢のこうした動向を背景に、わが国でも、日中国交回復をもとめる世論は、あらたなひろがりと高まりをみせ、あらためて日中国交回復への具体的行動をつよく政府にもとめはじめた。ところが、佐藤首相は、こうした世論にたいして、七月の臨時国会冒頭の所信表明では、中国問題にかんする部分を、「韓国、中華民国など近隣諸国との友好親善関係の維持増進」の重要性からはじめるという挑戦的態度をもってこたえ、わが党の代表質問にたいしては、「国民政府は中国の正統政府であり、日華平和条約は堅持する」と、今日ではアメリカ政府でさえ大っぴらにはいうことをさけている反動的答弁をあえておこなった。その後、世論のはげしい非難のなかで、ニクソンにならって佐藤首相自身訪中の用意があることを表明しはしたが、その前提条件は、台湾の?かいらい政権と不法不当な「日華平和条約」を結んだ経過を中国側が了承するならばという、露骨なものであった。中国の国連代表権問題でも、日本政府が、蒋介石政権の議席を維持するための策動に躍起になっていることは、かくれもない事実である。
 世界の大勢に抗し、国民多数の世論に挑戦して、「日華条約」およびそれにもとづく蒋介石かいらい政権との提携関係に固執している自民党佐藤内閣の対中国政策こそが、今日、日中国交回復を阻止している最大の障害であることは明白であるが、これは、世界情勢の発展をまつことによって、たとえば、ニクソン訪中によって米中関係に新局面がうまれたとしても、そのことによって、おのずからとりのぞかれるような、単純な問題ではけっしてない。自民党政府の政権擁護政策の背景には、ニクソン訪中計画にみられる「対中接近」政策にもかかわらず、いやむしろ「対中接近」政策と不可分のものとして、アメリカの指揮下に日・「韓」台の反共軍事同盟をつくりあげて極東での侵略と戦争の体制のたて直しをはかろうとしているアメリカ帝国主義の構想があり、また、この構想の一翼をにないつつ、経済侵略をねらう自分の帝国主義的利害からも、?政権や「韓国」との政治的、経済的提携の強化をもとめている日本独占資本の要求が横たわっているからである。
 この現状を打破するためには、日中国交回復と中国の国連代表権回復を要求する統一的な運動を真に国民的な規模で発展させることが、いま、もっとも痛切にもとめられている。統一的な国民運動によって自民党政府に打撃をあたえ、中国政策の民主的な転換を実現できる情勢を日本の国内につくりだしてこそ、日中国交回復への道を現実にきりひらくことができる。
 このような情勢のもとで、日中国交回復を真剣に願う勢力が、いま正確に直視する必要があるのは、中国共産党の干渉者たちの大国主義的干渉と一部の人びとのそれへの迎合が、日中国交回復運動の統一的な前進をさまたげる最大の妨害物の一つとなっている事実である。
 中国共産党の干渉者たちは、高まってきた日中国交回復への機運を、日本共産党に打撃をあたえ、自分たちの大国主義的野心をかなえる手段に利用しようとして、反党対外盲従分子の党破壊活動への支援を継続する一方で、昨年来、わが国における日中国交回復運動に、日本共産党を排除す分裂路線をおしつけようとする工作を、いよいよ強化してきた。
 中国の干渉者たちが、日中国交問題で中国を訪問する政党その他の代表に、「四つの敵」論にもとづく日本共産党排除の方針を、いろいろな形でくりかえしもちだしてきたことは、周知のことである。
 昨年八月、社会党の元委員長佐々木更三氏が訪中したさい、周恩来は「日中友好のためには、二つの主要な敵と闘わなければなりませんが、国内の破壊分子とも闘わなければなりません。具体的には、日修、ソ修であります」と、きわめてむきだしの形で「四つの敵」論をおしつけ、つづいて十月に社会党代表団が訪中したときにも、「米帝国主義者とその仲間、手先、共犯者に反対する日中両国人民の闘争」という形で、「四つの敵」論に事実上対応する表現を共同声明に導入した。また、ことしの二月に訪中した藤山愛一郎氏(日中国交回復促進議員連盟会長)らとの会談では、周恩来は「岸信介や野坂、宮本のような人(の訪中)は困る」と語り、わが党の最高幹部を、かつて中国侵略戦争を指導した戦犯と同列において敵視する態度を、むきだしにした。さらに新聞報道によれば、日中議連に「日本共産党が参加しているのは好ましくない」とのべたといわれる。六月の公明党代表団の訪中にさいしても、中国側は会談で「四つの敵」論をもちだし、竹入委員長は、日中議連の訪中にかんして「日本共産党の訪中については全く歓迎しないとのことだった」(「公明新聞」七月七日付)と、日本共産党の排除をもとめる中国側の態度をそのままもち帰ってきている。また、七月に訪中した社会党の岩井章氏にたいしても、中国側が日本共産党へのひぼうをくりかえしたことは、岩井氏が帰国後、中国側は「野坂議長、宮本委員長の名前をあげている。そういう最高幹部の人がいる限り提携はありえないと思う」(「サンケイ」七月二十七日付)とのべていることからも、あきらかである。
 日本からの訪中団とのこれらの一連の会談をつうじて、中国側が日本での日中国交回復運動になにをもとめているかは明白である。佐々木氏の訪中団との会談をのぞいては、その後日本共産党を敵として闘争せよというような露骨なよびかけは時期と条件を考えてさけられているが、日本共産党を排除して日中国交回復運動をすすめることを各政党に要求し、これを中国側がうけいれる「日中運動」の事実上の前提としていることは疑いない。
 さらに、ことしの五月二十四日付「人民日報」は、「日本共産党(左派)、日本社会党、公明党および自由民主党内部の一部良識ある人から、各進歩団体と組織、各階層の友好人士にいたるまで、日中友好と日中国交回復を促進するため、各自が大きな努力をはらっている」とのべて、日本共産党を排除したこの戦線に反党対外盲従分子をむすびつける計画があることを、露骨に示唆している。
 日中国交回復運動にたいする中国側のこうした態度が、わが国の運動への許すことのできない干渉であることはいうまでもない。もちろん、日中国交回復の課題は、日中両国民の共通の課題である。しかし、わが国でこの運動をどう進めるか、この運動でどういう政党や団体が共闘するかは、日本の国民の独自の問題であり、日本の政党や団体、個人が自主的にきめるべき問題であって、中国側の指導をうけたり、中国側とあらかじめ協議して決定しなければならないような問題ではないことは当然である。ましてや、中国側が、日本での運動にあれこれとさしずをし、とくに日中国交回復運動からの日本共産党の排除をもとめるなどは、まさに日本国民の自主的立場をふみにじった大国主義的干渉以外のなにものでもなく、日中国交回復の運動を、自分たちの大国主義的野心にもとづく日本共産党攻撃の道具として利用することにほかならない。
 中国側のこうした干渉にたいし、どういう態度をとるかが、いま、日中国交回復を願うすべての政党や団体、個人に大きく問われているといっても、けっしていいすぎではない。この点について、昨年来中国を訪問した日本の政党や団体の代表者の多くが、「四つの敵」論をそのままうけいれてきた佐々木代表団は論外としても、中国側の干渉に反対する明確な態度をとらず、たとえば、「日本共産党を歓迎しない」という中国側の態度をそのまま無批判に日本で紹介するなど、間接の形にもせよ、干渉者たちの意図を助ける役割をはたしてきたことは、きわめて不見識なことといわなければならない。
 かりに、中国側との交渉の「窓口」を確保しようとする意図からにせよ、日中国交回復をめざす人びとが、不当な干渉にきっぱりした態度をとらず、日本共産党を排除するという中国側の方針を許すとすれば、それは、日中国交回復の運動が統一的、自主的な国民運動として発展する道をとざすことであり、結局は、窮地におちいりながらもあらたな策動でその反動的な中国政策を維持しようとしている自民党佐藤内閣を助けることになる。
 すでにその危険は、昨年十二月、超党派的な組織というたてまえで発足した日中国交回復促進議員連盟の運営と活動に現実につよくあらわれている。わが党の厳重な抗議にもかかわらず、この連盟は、〝超党派〟のたてまえに反して日本共産党を理事会から排除しつづけ、復交促進の演説会をわが党をのぞく四党だけでひらいたのをはじめ、この一年間、連盟のあらゆる活動からわが党をしめだしてきた。こうした差別的措置の背景に中国側への考慮があることは、公然の秘密であるが、ここには、干渉への無批判な追随が統一的な運動を不可能にすることが、具体的な形でしめされている。
 この問題を解決し、日中議連の民主的運営を確立することは、日中問題での各党の自主性をはか試金石であると同時に、日中国交回復の運動が統一的、自主的な国民運動として発展できる前提をかちとるという意味でも、当面の重要なカギとなっている。その見地からわが党は、七月にひらかれた第五回中央委員会総会で、日中議連を文字どおり超党派的な組織とする問題をふくめて、「日中国交回復の一点で一致できるすべての勢力を結集した統一的、自主的な国民運動」をあらためて提唱したのである。

 「佐藤内閣の対米追従の対中国政策を糾弾して、日中国交回復と中国の国連代表権回復を要求する大衆運動の強化も、当面する重要な課題である。世界の大勢に逆行して日中国交回復を阻止している最大の障害は、アメリカに追随して『日華条約』に固執している自民党佐藤内閣にあり、もっとも強力な『台湾ロビー』である岸元首相とつながる福田外相の登場は、この障害をさらに大きくする危険を生んでいる。日中問題解決にとってまず必要なことが、中国との窓口、パイプをつくることにあるかのようにいう『窓口』論は、実際には、問題の所在をあいまいにするのである。
 党は、日中国交回復の一点で一致できるすべての勢力を結集した統一的、自主的な国民運動を提唱し、日中国交回復促進議員連盟についても、わが党にたいする不当な差別待遇をやめて、文字どおり超党派的な組織とすることを主張する。同時に、自覚的民主勢力は、『日華条約』廃棄が日中国交回復と不可分の課題であることをひろく解明し、この点で、大きく世論をもりあげる運動を強化しなければならない」(五中総決定)

 ここで注目すべきことは、わが党にたいし「日中問題の共闘に消極的」などと根拠のない非難をくわえている社会党が、日中議連の発足の当初から、他の反共諸党とともに日本共産党への不当な差別待遇を容認し、これに同調してきた事実である。社会党のこの態度が、中国側の意向を考慮してのものであるとするならば、これこそまさに「四つの敵」論への実践的な追従そのものだといわねばならない。社会党が、日中問題での政党間の共闘の前提を否認するこうした態度を一方でとりつづけながら、他方で、共産党の「共闘への消極性」などをうんぬんするとすれば、それが日中間題での共闘をまじめにめざすものの態度といえないことはあきらかであろう。なお、社会党の石橋書記長は、最近のテレビ討論会などで、昨年のコミュニケにたいするわが党の批判に「もし社会党が〝四つの敵〟論に同調していたら、地方選挙での社共共闘などありえなかったはずだ」と反論しているが、「四つの敵」論の問題は、地方選挙その他での共闘にあるのではない。社会党が日中間題で日本共産党をふくめた共闘に積極的な態度をとるかどうかにこそ、問題の核心がある。その意味では、日中議連での差別問題にたいする社会党の態度が、「四つの敵」論への実践的立場をはかる当面の重要な尺度となっていることを、この機会に指摘しておきたい。
 日本共産党は、日中議連の民主的運営を主張し、社会党その他にもそのための努力をもとめるとともに、日中国交回復問題での真に国民的な運動の発展をめざすために、対等、平等の立場にたったまじめな共闘のよびかけであるならば、その他の形の共闘の提案についても、いつでも積極的に検討する用意がある。
 今日、アメリカ帝国主義が、「対中接近」をすすめながら、インドシナ侵略戦争を継続し、日本を主柱としたアジアでの侵略と戦争の体制の再編強化を大きく推進しつつある情勢のもとで、日本の民主勢力が世界とアジアの平和にたいして負っている国際的責務は、きわめて重大である。
 わが党の第五回中央委員会総会が明確に指摘しているように、日本の民主勢力は、日米軍事同盟を破棄し、日本の独立、平和、中立をめざす歴史的な闘争の当面のもっとも重要な内容として、沖縄協定反対と沖縄全面返還、安保条約廃棄を要求する闘争、アメリカ帝国主義のインドシナ侵略戦争に反対し、佐藤内閣の加担、協力を糾弾し、その即時停止を要求する闘争、日中国交回復と中国の国連代表権回復を要求する闘争に、積極的にとりくみ、これらの闘争の真に統一的、国民的な発腰をかちとるために、全力をあげて奮闘しなければならない。それによって、アメリカ帝国主義とその目したの同盟者である日本独占資本とその政府の反動的な計画に打撃をあたえ、独立、民主、平和、中立の日本への前進をたたかいとってゆくことこそ、日本の民主勢力と人民が、その国際的責務をはたし、中国人民をふくむアジア諸国人民との国際連帯を正しく発展させる、もっとも正確な道である。
 そして、中国共産党の干渉者たちの不当な干渉と、干渉者に迎合する事大主義的態度のもっとも恥ずべき性格は、それが、アメリカ帝国主義の侵略と戦争の最重要拠点である日本で、独立、平和、中立の闘争の先頭にたっている日本共産党を攻撃し、革新統一戦線や統一的、自主的な国民運動の成立を妨害することによって、民主勢力と人民の闘争に直接の打撃をあたえているところにある。どのような口実をつけようとも、こうした干渉が、結局、アメリカ帝国主義と日本軍国主義の策謀をたすけることにしかなりえないことは、明白である。
 われわれは、その意味で、日本の民主勢力と人民の正しい国際連帯の立場と、中国共産党の干渉者たちの大国主義的干渉に反対し、干渉者への迎合的態度を排して、日本の民主運動の自主性を堅持する立場とは、まさに切りはなすわけにゆかない一つの問題であることを、最後にかさねて強調するものである。それは、日中関係それ自体についても、自主、平等、相互不干渉を原則とした日中両国民の友好関係を確立する事業に、もっとも積極的に、もっとも真剣に貢献することである。
 日本共産党は、この見地から、今後とも、沖縄・安保問題、インドシナ問題、日中問題など、当面する日本の民主勢力と人民の闘争の先頭にたちつつ、外部勢力のいかなる干渉にも反対して日本人民自身の運動の自主的統一をまもるために、ひきつづき奮闘するものである。

(「赤旗」一九七一年九月九日)