日本共産党資料館

米中共同声明とニクソン美化論の新段階

1972年3月25日 『赤旗』

一 米中共同声明の美化と礼賛の論調
二 最大の基準はインドシナ問題
三 台湾問題は解決されたか
四 共同声明によるアメリカ帝国主義の美化ん
五 ニクソン美化論の運命

  一 米中共同声明の美化と礼賛の論調

 二月二十一日から八日間にわたるニクソン訪中が終わり、二月二十七日、上海で米中共同声明が発表された。
 わが党は、昨年七月十六日にニクソン訪中計画が発表されたさい、論文「ニクソンとアメリカ帝国主義」(八月二十一日付「赤旗」)を発表して、ニクソン訪中によって、アメリカ帝国主義のアジアにおける侵略と干渉の政策が百八十度の転換をとげ、「緊張緩和と平和共存の時代」の訪れが約束されるかのように説くニクソン美化論やニクソン免罪論を全面的に批判した。この論文でわが党は、なによりも重視すべきことは、ニクソン訪中計画とベトナム問題、インドシナ問題との関係にあり、ニクソンの訪中計画は、内外の世論を中国問題にそらして、窮地におちいったインドシナ侵略政策の立てなおしをねらったものであることを分析し、インドシナ侵略に反対してインドシナ人民を支援する闘争、ニクソン・ドクトリンによるあらたな挑戦に反対する闘争をいっそう強化する必要があることを強調した。また、米中関係についても、両国関係の正常化はもちろん歓迎すべきことであるが、アメリカが台湾を放棄しないことを表明している以上、ニクソン訪中によって米中の国家関係がただちに正常化するとみることは根拠がなく、おそらく若干の関係改善措置をともなった「対話」のはじまりとなるであろうということ、そしてそれは「米中国交正常化」と?政権擁護政策とのあいだの敵対的矛盾を激化せざるをえないであろうということを指摘した。
 八日間のニクソン訪中の経過と、発表された米中共同声明の内容は、わが党の論文「ニクソンとアメリカ帝国主義」がおこなった分析と予測が、きわめて科学的で正確なものであり、ニクソン訪中に「平和」への期待をかけ、ニクソンの転換と変貌をたたえたあらゆるニクソン美化論、ニクソン免罪論がなんの根拠もなかったことを、はっきりと証明した。
 わが党は、共同声明発表の翌日、上田外交政策委員長談話を発表して、ニクソンは連続した北爆・南爆など、インドシナ侵略を強行しながら訪中したにもかかわらず、侵略者の元凶としてではなくアメリカの元首の友好訪問として歓迎されたこと、米中共同声明のなかには、平和五原則についての米中双方の一致など、アメリカ帝国主義が現におこなっている侵略や干渉と両立しない、アメリカ帝国主義にたいする美化がふくまれていること、したがってインドシナを中心とするアジアの緊張緩和がもたらされると期待するのは幻想にすぎないこと、米中関係は若干改善されたがアメリカは依然として「二つの中国」の立場を捨てていないこと、ニクソンのねらいは中ソ対立の利用によるインドシナ侵略遂行と大統領再選にあり、中国側のねらいはソ連を最大の敵として背後をかためることにあることなどを指摘した。
 ニクソン、キッシンジャーらが帰国後おこなったすべての発言は、以上のわが党の見解こそ的確なものであることを、早くも十二分に実証している。
 それにもかかわらず、今回の米中共同声明についても、ニクソンの訪中計画のさいの美化論にまさるとも劣らない規模で、米中共同声明を美化し、ニクソンを美化する誤った「緊張緩和」論が横行している。声明発表の翌日の一般商業新聞がいっせいにかかげた大見出しが、「米、平和五原則認める」、「米中共存へ巨大な一歩」、「終局的に台湾撤兵」、「台湾は中国の一部」、「インドシナからも撤兵」等々であったように、米中共同声明は、多くのジャーナリズムのうえで文字どおり「緊張緩和」と「平和共存」の歴史的時代のはじまりを告げたものとして礼賛されている。
 毛沢東盲従の反党分子福田一派も、米中会談は「帝国主義の侵略の手足しばる」などといさましいことばを使いながら、ニクソンがことばの上だけで平和五原則を承認したことを大いに礼賛し、緊張緩和論の合唱にくわわっている。
 見落とすことができないのは、米中会談と米中共同声明をアジアの「緊張緩和」に扉をひらくものとして美化するこの論調が、政治戦線においても、わが党をのぞくすべての政党の共通の評価となっていることである。とくに社会党は、米中会談を美化する見地から、米中共同声明にたいするわが党の評価にたいして、機関紙上で公然と攻撃をくわえてさえいる。
 三月八日付「社会新報」には、「米中共同声明に対する一面的な共産党の見解」と題する日本社会党伊藤茂中央執行委員の論文が掲載されているが、伊藤氏は、この論文のなかで、上田外交政策委員長のさきの談話にたいして、つぎのような非難をくわえている。すなわち、上田談話にみられ米中共同声明への否定的評価は、「世界人民のたたかいの前進の側面を見失った一面しかみない評価」、「いま進行している世界の新たな方向に自ら目をふさぐもの」であり、共産党のこうした誤った見解は、「諸国人民の力によって帝国主義の後退をかちとっているという積極的な評価を否定することによって、われわれのたたかいから確信と勇気を失わせる危険性」をもっており、「運動の前進に『水をかける』ものとかっている」。そして伊藤氏は「日本共産党の米中共同声明にたいする評価の誤りはかれらの対米従属論と日本軍国主義復活への過小評価、日中両国共産党の異常な対立状況、さらには日米安保体制とアメリカ帝国主義についての『各個撃破論』などが原因となっている」と根拠のない見当ちがいの批判までくわえている。
 伊藤氏のこの非難について、まず第一に指摘しなければならないのは、米中会談の評価をめぐるわが党と社会党との見解の相違は、諸国人民の闘争によって、世界の力関係が変化しつつあることを認識するかどうかにあるのではけっしてない、という点である。
 わが党がすでに早くから分析してきたように、アメリカ帝国主義が、当初の社会主義諸国全体との対決政策から、社会主義大国との対決を当面回避しつつ、ベトナム、インドシナに力を集中する各個撃破政策にうつらざるをえなくなったこと自体、大局的には、世界の反帝勢力の前進によって、力関係が変化したことをアメリカ帝国主義が考慮せざるをえなくなった結果である。またケネディ以来の各個撃破政策をうけついだニクソンが、あらたにニクソン・ドクトリンをうちだして、アメリカの指揮下に、同盟・従属諸国の軍事力や経済力をいっそう大規模に動員する「肩代わり政策」で、この各個撃破政策を補強再編しようとしているのも、ベトナム侵略戦争でおちいった困難を打開しようとする努力の結果である。
 わが党と、伊藤氏および社会党との見解の相違の核心は、世界の力関係のこうした変化を認識するかどうかにではなく、そういう力関係の変化のもとでのアメリカ帝国主義の政策と行動の評価にかかわっている。もっとはっきりいえば、世界の人民の闘争による力関係の変化によって、アメリカ帝国主義が侵略政策そのものを後退させて緊張緩和や平和共存の方向にむかいつつあるとみるのか、それともアメリカ帝国主義は、新しい力関係を考慮したあらたな戦術や術策に訴えながら、ひきつづきその侵略と戦争の政策を追求しつつあるとみるのか、この点での評価のちがいにある。わが党にたいする伊藤氏の非難の根底には、二月二十七日付の社会党声明における米中共同声明の評価があるが、社会党のこの声明はあきらかに前者の見地にたって、つぎのように、手放しの「緊張緩和」論、米国の「中国封じ込め政策崩壊」論をのべていた。

 「共同声明は、中米会談の成果として、こんご中米両国が平和五原則に立って国交正常化に向かって多面的な交渉と交流を続けることを明らかにした意義はきわめて大きい。これは中米対決から平和共存への扉を開いたことを意味し、歴史の潮流が体制の相違を超えて国家間の問題を平和的な話合いによって解決するという方向に大きく転回していることを示したものであり、わが党としてもその成果を評価し、これを歓迎する」
 「共同声明において、台湾が中国の一部であり、台湾を含むアジアからの米軍の撤退を認めたことは、基本的にはアメリカ帝国主義の中国封じ込め政策がベトナム戦争の敗北をきっかけに根底から破綻し崩壊したことを示すものにほかならない。これらの歴史的事実と成果は、反戦・平和と民族独立を求める世界人民のたたかいの大きな勝利である」

 米中共同声明が「中米対決から平和共存への扉」をひらいたというこの評価が、今日のアジア情勢を事実に反してバラ色に描きだしたものであることは、こんどの共同声明が、アメリカ帝国主義の政策と行動のどのような変化を実際に約束しているかを考えれば、だれの目にも明白である。米中共同声明には、平和についての多くの抽象的なことばは書きこまれたが、アメリカの実際の行動の面では、米中間の今後の交渉の継続と人的交流、貿易の拡大などが約束されたにとどまり、全体としてはアメリカのアジア政策が、インドシナ問題においても、日本問題、朝鮮問題においても、基本的に変わりないことが宣言されているのである。だからこそ、インドシナ人民は、米中会談後も、アメリカ帝国主義侵略者にたいする糾弾をいっそう強化し、その「平和」の欺まんをするどく暴露しているのである。
 こんどおこなわれた米中会談と米中共同声明は、たんに中国とアメリカの二国間の外交問題にとどまることではなく、インドシナ侵略戦争の今後はもちろん、日本をふくめたアジアの現実に深い関連をもち、反帝民主勢力の国際的な闘争の前途にも影響をおよぼす重大な国際問題である。われわれは、こういう見地から、伊藤氏の批判にも反論しながら、あらためて米中共同声明のしめすものについて全面的な分析をおこない、今回の米中共同声明を無批判に肯定、礼賛することが、反帝勢力全体にとって重大な意味をもつアメリカ帝国主義美化論にほかならないことをあきらかにしたい。

  二 最大の基準はインドシナ問題

 今回の米中首脳会談と米中共同声明が、実際にアジアの平和と緊張緩和に役立つのかどうか、また、アメリカ帝国主義のアジア政策の平和的な方向への転換を少しでも意味するのかどうか、この点を評価する基準を、平和についての抽象的なことばにもとめることはできない。もっとも凶暴に平和をふみにじっている侵略者でも、「平和」への意思や願望についての抽象的な宣言なら、自分の侵略と戦争の手をしばることなしにいくらでもならべることができるからである。米中共同声明の真の性格と役割を評価する最大の基準は、なによりもまず、今日アメリカ帝国主義が現実に侵略戦争を実行している中心地域であり、帝国主義と反帝勢力の国際的対決の焦点となっているベトナム、インドシナ問題におかなければならない。このことについては、中国の周恩来自身も昨年七月、中国を訪問した米大学代表団にたいして、「われわれは、真っ先に解決されなければならないのはインドシナ問題だと信じている」とのべて、インドシナ問題が最優先の課題であることを認めているとおりである。
 上田談話でものべているように、わが党はもちろん一般に国際緊張緩和に賛成であり、社会制度のことなる諸国家間の平和共存の確立をねがっている。だからこそわが党は、アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争の即時停止と米軍撤退を重視してきたし、いまも重視している。ベトナム侵略は、民族解放運動にたいする軍事干渉であるだけでなく、社会主義陣営の一国であり、東南の前哨としてのベトナム民主共和国にたいする公然たる侵略戦争であるからである。社会主義国を凶暴に侵略することと、「平和共存」について語ることとは絶対に両立できない。
 ところがニクソン大統領は、訪中の期間中にも、平然と、大規模な北爆・南爆をはじめインドシナ三国人民にたいする大量殺りくを強行して恥じなかった。大統領の命令なしに、この時期に米軍の爆撃がおこなわれることはありえない。ニクソンは、この命令によってかれがインドシナ侵略における敗北者として訪中するのではないこと、ニクソン・ドクトリンにもとづくインドシナ政策は、訪中によってもなんら変更されるものではないことを、内外の世論にも、中国側にも公然としめしてみせた。ニクソン大統領らが、みずから呼称した「平和の使徒」どころか、もっとも凶暴な侵略の元凶の実態を公然と露呈しつつ北京にのりこんだことは明白である。
 宇宙中継のテレビであれほどくわしくニクソンの動静が放映されながら、米中会談そのものはまったくの秘密会談であったために、どんな話しあいがおこなわれたかはもちろんくわしくはわからないが、インドシナ問題についてのニクソンのこの態度が変わらなかったことは、米中共同声明のなかに書きこまれたインドシナ政策についての米国側の主張をみれば明白なことである。
 そこに公然と書かれたものは、アメリカ帝国主義の現行のインドシナ政策そのままである。それはまず「米国はインドシナ諸国民が彼らの運命を外部からの干渉を受けることなく決定することを認めらるべきだと強調した」と、南ベトナムなどインドシナ諸国にたいする北ベトナムの「干渉」という破産した神話をくりかえすことからはじめられ、南北ベトナム代表がきびしく告発したニクソンの八項目提案を基礎とした「交渉による解決」なるものをのべ、つぎの挑戦的政策をもって結ばれている。

 「交渉による解決がなくても、米国はインドシナ各国の民族自決という目的に基づいてこの地域から最終的にはすべての米軍を撤収させる考えである」

 ここにはベトナム侵略の停止を示唆することばは一句もない。少なくない論評が幻惑されたインドシナ地域からの、全米軍の「最終的」な「撤収」なるものは、なによりも北からの「干渉」を排したサイゴンかいらい政権の「民族自決」という「目的に基づくものでしかない。すなわち、それは三回の外交教書にいう「ベトナム化」そのもの、それによるベトナム侵略戦争の継続の決意そのものにほかならないのである。アメリカ帝国主義の用語法では、「民族自決」とは、かいらい政権を支柱としてインドシナ各国をアメリカ帝国主義の支配下におくこと以外のなにものでもないのである。
 三月三日のベトナム労働党機関紙ニャンザンに発表された「凶暴な帝国主義の頭目の欺まん的な言明」と題する社説が、「ある文書」として米中共同声明のなかの米側のこの主張を引用し、ニクソンが「あいかわらず不遜にもベトナム人民にたいし、アメリカ軍の完全撤退の代償を支払うよう要求した」として糾弾し、アメリカ帝国主義の侵略戦争の引きのばしと拡大、ベトナム人民へのサイゴンかいらい政権のおしつけを非難したことは、当然のことである。
 社会党の伊藤氏が擁護している社会党の声明は、米中共同声明が「アジアからの米軍の撤退を決めた」などとのべているが、それは、共同声明中に書きこまれているニクソンのインドシナ侵略戦争継続政策にまったく目をふさいだものであり、ニクソンの巧妙ないいまわしに簡単に幻惑された根拠のない、きわめて有害な楽観にすぎない。
 社会党の声明はまた、一般新聞その他の論評と同様、共同声明のなかでの「平和五原則」の確認を高く評価し、「平和共存への扉」を開いたとしてたたえているが、米中共同声明における「平和五原則」のことばのうえでの一致した確認は、アメリカ帝国主義の平和政策への転換をしめすあかしであるどころか、その侵略政策を「平和」のことばでごまかそうとするニクソン政権のまん性を表現したものでしかない。
 問題の個所を引用してみよう。

 「中国と米国の間にはそれぞれの社会体制と外交政策で本質的な相違がある。しかし双方は社会体制のいかんを問わず諸国家がすべての国の主権、領土保全の尊重、他の諸国家の内政にたいする不干渉、平等・互恵、平和共存の諸原則に基づいて関係を律すべきことで意見一致した。国際紛争は、これを基礎に武力行使、武力の脅迫に訴えることなく、解決さるべきである」
 この文章は、現にインドシナ三国の主権、領土をふみにじった干渉と侵略をあえてし、平和共存の実現を破壊しているアメリカ帝国主義にとっては、厚顔無恥な欺まんであり、実行する気は一かけらもない空語にすぎない。現にロジャーズ国務長官は、牛場駐米大使にたいし、つぎのように語ったと報じられている。
 「平和五原則をそう入したことについては米側は国連憲章と同じで、実効性のないものなので認めた」(三月三日付「毎日」)

 社会党声明と伊藤氏がさかんに「世界人民のたたかい」の「勝利」や「前進」のあらわれとして評価している「平和五原則」は、アメリカ帝国主義にとっては、「実効性のない」こと「国連憲章と同じ」といった程度の飾りなのである。
 米中共同声明には、インドシナ政策におけるアメリカ帝国主義の実質的後退や平和的転換をしめすいかなる文章もふくまれていない。反対に、ニクソンは、大規模な北爆、南爆の強行を背景にして北京を訪問し、また、インドシナ侵略を継続するという米国側の主張を公然と米中共同声明にうたいこむことによって、インドシナ侵略戦争と「米中接近」が両立しうること、いいかえれば、米中関係の悪化を懸念することなしに、インドシナ侵略戦争を既定方針どおり遂行できるという、政治的保証をえることに成功したのである。これこそが、ニクソンが今回の訪中に期待した、最大の「成果」の一つであったことは、疑いない。ニクソン政権が、米中会談の終了後、インドシナにおける侵略行動をいっそう拡大し、最大の連続北爆を強行するなど、むきだしの挑戦的態度に出ているのは、その一つの証明である。
 このように、戦争と平和の問題の今日の最大の焦点であるインドシナ問題を基準としてみたとき、今回の米中会談と米中共同声明が、アジアの「緊張緩和」をしめすものでなく、社会主義大国との対決をさけつつ、インドシナ侵略をすすめようというアメリカ帝国主義の各個撃破政策に、あらたなささえをあたえたものであることは、明白である。
 米中共同声明のなかで、ニクソンが、その侵略政策を公然と擁護したのは、インドシナ問題だけではない。今回の米中共同声明は、社会主義国と資本主義国がむすんだ共同声明としては異例の形で、前半の部分で「お互いの立場と姿勢を説明した」として、双方のアジア政策を長ながと並記しているが、そこに米国側の主張としてのべられている内容は、インドシナ政策だけでなく、朝鮮問題についても、日本問題についても、インド、パキスタン問題についても、従来のアメリカ帝国主義の政策をそのままくり返したものである。たとえば朝鮮問題については、「大韓民国」というかいらい政権の国名まであげながら、朴政権支持の態度を表明している。

 「米国は大韓民国との密接なきずなを維持し、同国を支持する。米国は、朝鮮半島における緊張緩和と交流増大を求める大韓民国の努力を支持する」

 日本問題についても、事実上日米安保条約にもとづく軍事同盟の継続のつよい意図が書きこまれている。

 「米国は日本との友好関係に最も高い価値をおく。米国は現在の密接なきずなを引き続き発展させる」

 上田外交政策委員長の談話は、これらの特徴をさして「ニクソンらは、共同声明のなかで、条件つきで『究極的な』米軍撤退を示唆しただけで、従来のアジア政策そのままの再確認をあえておこなってみせた。アジアの平和と民族自決のための根本問題はなんら解決されておらず、インドシナ侵略を中心とするアジアの緊張の現状が本質的な改善をみるという期待は、幻想にすぎない」と指摘している。ところが社会党の伊藤氏によると、この指摘は「世界人民のたたかいの前進の側面を見失った一面しかみない評価」であり、「〝木をみて森をみざる〟たぐいのもの」だそうである。しかし、すでに明らかにしたように、この米中共同声明から、「歴史の潮流」の「大転回」を読みとる社会党声明のような立場こそ、「木も森も見えない」ものであろう。

  三 台湾問題は解決されたか

 では、米中関係はどうか。アジアのほかの地域は別としても、すくなくとも、ここでは「平和共存への扉」を開くような、根本的な変化がおこったのではないだろうか。この点でも、事実がしめしているものは、一部の人びとが賛美しているようには、単純ではない。
 米中会談をつうじて、米中関係に一つの重要な変化があらわれつつあること、人的交流や貿易の発展、接触の継続などが合意されたことによって、米中両国間の関係に従来よりも一定の「やわらぎ」が生まれたことは、事実である。しかし、問題は、第一に、この米中間の「やわらぎ」が、アメリカ帝国主義がアジアでの侵略政策を堅持している状況のもとでの米中接近であって、アジア情勢全体の真の緊張緩和に結びついていないという点にあり、第二に、米中関係自体についても、両国間の真の平和共存をさまたげている障害をのこしたままでの「やわらぎ」だという点にある。
 第一点については、すでに検討したので、ここでは、第二点についてみよう。
 伊藤氏は、米中共同声明について「アメリカの中国敵視・封じ込めの政策がベトナムでの敗北をきっかけに根底から崩壊し、平和五原則の立場で中米国交正常化における多面的な交渉と交流をつづけることになった成果」などと書いているが、これは、事実にもとづいた科学的、分析的な評価とはいえない。氏のいうように、アメリカの対中国政策が「根底から崩壊し」、「平和五原則の立場中米国交正常化」をめざす交渉がつづけられるとすれば、当然、中国にたいする不当な内政干渉としてのアメリカの従来の台湾政策は放棄されなければならないはずである。中国側自身、共同声明のなかで「台湾問題は米中関係正常化を阻害している重要な問題である」とのべているが、米中会談では、この台湾問題の根本的解決はえられなかった。
 ロジャーズ国務長官の説明によれば、「米中間のコミュニケ作成にあたり一番もめたのは台湾問題だった」とのことであるが、結論的にいって、米中共同声明には、アメリカ帝国主義の台湾政策における、本質的な意味で新しい前進はなんらもりこまれなかったといわなければならない。
 第一に、アメリカは、米中共同声明のなかで「一つの中国」の立場を表明せず、事実上「二つの中国」の立場を捨てなかった。声明は、「米国側は、台湾海峡の両側に住むすべての中国人が中国は一つであり、台湾は中国の一部であるとの見解をとっていることを認めた。米国政府はこの立場に異議を唱えない」と書き、台北政府と北京政府とを同列におきながら、双方ともに「一つの中国」を主張しているという周知の事実の尊重にとどめられた。これは、断じて「一つの中国」の承認ではない。それは、「一つの中国」の名のもとに、中華人民共和国が「台湾をその領土である」と主張している事実と、台湾のかいらい政権が、「大陸もまた中華民国の領土である」と主張している事実とを、並列的に認識するというだけのことである。昨年国連における中華人民共和国の代表権が回復され、今日、中華人民共和国政府こそ中国を代表する政府であることを、日本の自民党佐藤内閣でさえ認めざるをえなくなっているにもかかわらず、ニクソン政権は、当の中華人民共和国の首脳との共同声明のなかで、そのことさえ表明せずにすませたのである。
 第二に、アメリカは、台湾問題の解決を中華人民共和国政府と台湾の政権とのあいだの「平和的解決」に負わせ、一九五〇年以来、ここに米軍を配備し、蒋介石政権と「相互防衛条約」を結んで、台湾問題への不法な干渉と介入をつづけてきたみずからの責任をすべて回避した。「米国は台湾問題が中国人自身によって平和的に解決されることに関心を改めて表明した」というくだりは、ことしのニクソン外交教書の「台湾と本土との最終的な関係は、アメリカの決定すべきことではない。各側によるこの問題の平和的解決は、極東の緊張緩和に非常に資するだろう」という狡猾な路線をくり返したものにすぎない。
 第三に、アメリカは、米華相互防衛条約を維持しつづけることを、事実上中国に黙認させ、他方台湾からの米軍撤退には、二重、三重の条件をつけることに成功した。
 米華相互防衛条約の廃棄は、中国側の主張からもはぶかれ、中国側は「全米軍と軍事施設は台湾から撤収しなければならない」とのべるにとどまった。これは七一年八月、ニューヨーク・タイムズのレストン記者にたいし、周恩来が「米国が引揚げるならば、実際問題として、米台条約は無効になるだろう」とのべたことに符合する。キッシンジャーは、共同声明発表直後の背景説明で、「ニクソン大統領は米台相互防衛条約にもとづく約束は守り続ける」とのべたが、のちに「米側が中国を離れる前に米国の台湾に対する条約上の義務について発言することを中国側は事前に知っていた」(三月一日付「朝日」夕刊)ことをあきらかにした。そして国防総省は、第七艦隊は条約上の公約にもとづき、ひきつづき台湾周辺海域の安全を保障しつづけることを表明した。
 共同声明が、台湾からの米軍削減と全米軍の撤退を「究極的目的」として確認したことをもって、ニクソンの重大な譲歩とみる見方も、アメリカ帝国主義の術策にとらえられたものである。共同声明のこの確認には、重大な条件がつけられている。すなわち、米軍の漸進的削減は「この地域の緊張が減少するにつれて」という一方的な免責条項つきのものであり、全米軍の撤退なるものも、「平和的解決」という「見通し」と結びつけられている。ニクソン大統領は帰米後のあいさつのなかで、「緊張緩和に伴って、米軍を削減し、平和解決にともなって撤退するのが最終目標である」とのべ、議会首脳にたいする説明では、より詳細に、「米軍はベトナム戦争の補給支援にあたっている台湾の米軍を引続き削減し、残る米軍は北京と台北の間で台湾の平和解決に到達したときに撤収する」ものであることをあきらかにした。そして、いつはじまるかわからない台湾米軍の条件つき削減の表明も、米高官によれば、「中国首脳が米大統領に対し、台湾〝解放〟に武力を用いないことを示唆し」たためおこなわれたものだと報道されている(三月三日付「サンケイ」)。自分が、インドシナ侵略や台湾への軍事干渉によって、この地域の平和をみだし、緊張をつくりだしておきながら、緊張の減少や台湾問題の平和的解決を、米軍撤退の前提として要求することは、まったく人を愚ろうする厚顔なやり方である。結局のところ、ベトナム問題の解決にともなう米軍の削減とか、台湾問題の平和的解決後の米軍撤退とかいうたぐいの約束は、なんら約束の名に値せず、逆にアメリカ帝国主義が、「ベトナム化」と同様の「台湾化」をおしすすめつつ、中国人の責任による「平和的解決」なるものが成功しないかぎり、あくまでも台湾を事実上その手ににぎりつづけ、アジアにおけるアメリカ圏の一拠点として保持しつづけておこうという意図を表明したにひとしいものである。事実、米中会談の報告のためにニクソンの特使として来日したグリーン国務次官補は、共同声明での台湾問題の言及は、「これまでのニクソン・ドクトリンをのべたものにすぎない」と説明している。
 キッシンジャーは、背景説明で「台湾駐留米軍の段階的撤退は米国の政策を一般的に述べたものであり、台湾に関する米国の立場は外交教書で明らかにされたものと何ら変わりはない」とのべ、米高官は、米軍撤兵も「象徴的な言訳――つまり、緊張緩和の政治的過程を開始するために、究極的には撤兵するとの原則を単に打出したものなのである」(三月三日付「毎日」夕刊)と説明した。「泰山鳴動ねずみ一匹」とはこのことであろう。
 台湾問題がそのままである以上、昨年ニクソン訪中発表のさいの声明にうたわれた「両国関係の正常化」は紙の上のものとなった。ロジャーズ国務長官の牛場駐米大使にたいする説明によれば、「共同声明では『正常化』という言葉が四度使われているが、これは正常化に向かって動くという動態的意味」であり、「台湾問題が平和的に解決して初めて国交樹立ができるということで、これは米国の台湾にたいする義務と矛盾しない」(三月三日付「毎日」)のだそうである。
 わが党は、昨年のニクソン訪中計画の発表にあたっても、米中間に国交がひらかれること自体は、国際関係で積極的な意味をもつものとして歓迎するという態度をあきらかにしたが、この米中間の国交回復は実現されなかった。それは、こんどの会談が、台湾にたいするアメリカの軍事干渉をのこしたままでの会談であったためである。
 米華相互防衛条約は維持され、第七艦隊はひきつづき台湾海峡で任務を遂行し、米中国交正常化は台湾問題の「平和的解決」のあとになる。アメリカの台湾政策には、見とおしうるかぎり、本質的にも実態的にもほとんど変化はおきないとすれば、ここでも、アメリカの侵略政策の本質的な譲歩がみられなかったことは、あきらかである。それにもかかわらずニクソンが招待され、「米国は米中交流と外交接触では、得ようとしたほとんど最大限の合意を獲得した」(米高官談、三月三日付「毎日」夕刊)と米高官が誇るほどの「米中接近」がおこなわれたとすれば、「成果」をおさめたのははたしてどちらの側だったろうか。まちがいなくいえることは、中国側が、侵略政策の継続を公言しているアメリカ帝国主義を美化の相手役にしたことによって、ニクソンが、米中関係の悪化を心配することなしに、ベトナム侵略戦争をつづけられる客観的な保障をえたということである。米中関係そのものについても、たとえば、中国側は、日本との貿易にさいしてさえ、台湾との貿易をおこなっている商社は除外するというきびしい「周四原則」なるものまで要求していたが、台湾との貿易どころか、米華相互防衛条約にもとづく台湾政府の軍事的「防衛」という最大の干渉をあえてしているニクソン政権との人的および経済交流の容認と国交正常化をめざす合意が、中国にとって、すくなくとも従来の「原則」なるものからの重大な譲歩を意味することは、みやすいことであろう。
 民主勢力の一部にみられるような、アメリカの対中国政策の根底からの崩壊」とか、「平和五原則の立場での中米国交正常化」などという期待は、たちまちのうちに「根底から崩壊」するだけの、ニクソン美化論と中国美化論のからみあいが織りなした幻想にすぎないのである。

  四 共同声明によるアメリカ帝国主義の美化

 米中共同声明についての以上の分析によって、単純に「世界人民の闘争の前進、帝国主義の後退という方向」での評価も、まして一部でいわれているように、ニクソンが降伏者として訪中し、中国人民が偉大な勝利をかちとったなどという評価も、まったくの的はずれであることは明白である。ニクソンは星条旗とニクソン・ドクトリンをかかげて訪中したのであり、十分にその目的を達した。
 ニクソンらの訪中の目的について、上田外交政策委員長談話はつぎのようにのべている。

「今回のニクソン訪中と米中会談をめぐるすべての事実は、ニクソンが、社会主義諸国間の不団結につけこみ、とくに中ソ対立を拡大させ、中国とソ連からの重大な障害をうけずに、ベトナムをはじめインドシナ三国にたいする各個撃破政策を遂行する状態をかためることをねらっていること、および『世紀のショー』の演出によって、ことしの大統領選挙での再選に利用しようとしていることをかさねてあきらかにした」

 最後に指摘すべき重大な問題は、このような意図をもったニクソン訪中を歓迎することによって、中国側が、侵略者であるアメリカ帝国主義を美化する立場にたち、ニクソン・ドクトリンにもとづく各個撃破政策の展開を事実上援助する態度をとったことである。
 米中会談にあたった中国の毛沢東、周恩来たちが、一九六六年以来、わが党と日本の民主運動にたいして不当な大国主義的干渉をつづけてきたことは、周知の事実であるが、これらの干渉者たちがその干渉を正当化する最大の口実としてきたのは、アメリカ帝国主義への「追随」とか「投降」とかの非難であった。かれらは、悪名高い「四つの敵」論を、その干渉の旗じるしとしてきたが、これは、日本共産党にたいする転覆、破壊活動という、国際共産主義運動の大義を裏切る恥ずべき行動を、アメリカ帝国主義およびその共犯者に反対する闘争という口実で粉飾し、合理化するためのスローガンであった。

 「毛主席は、『全世界の人民は団結してアメリカ侵略者とそのすべての手先を打破ろう』と教えています。日本独占、ソ修、日修をアメリカ帝国主義の手先とみなして、人民を代表する日本の各党派は連合してたたかえるのではないでしょうか」(一九七〇年八月二十日、日本社会党活動家訪中代表団との会見での周恩来の発言)

 わが党にたいするこれらの非難が、なんの根拠もない笑うべき中傷であることは、あらためて論じるまでもない。日本共産党こそは、まさにアメリカ帝国主義の侵略と抑圧に反対する方針を国際的にも国内的にも確固として一貫して堅持してきた党である。いまここで指摘しなければならないことは、毛沢東、周恩来らがこの日本共産党にたいして、依然として「アメリカ帝国主義の手先」といった虚構の中傷をくわえつつ、自分たち自身は、侵略の血にまみれたニクソンを歓迎し、アメリカ帝国主義の侵略政策を事実上勇気づける、ニクソン・ドクトリンのわく内での無原則的な「米中接近」の路線に大きく足をふみだしたことである。
 わが党はもちろん、どんな凶暴な侵略者であっても、その侵略者を相手とした交渉がありうること、それだけでなく、交渉することが正しく、必要となる場合もあることをよく理解している。現に南北のベトナム代表は、アメリカ帝国主義とたたかいながら、パリでねばりづよい交渉をおこなっている。
 中国共産党の毛沢東、周恩来一派が、パリ交渉について当初は報道さえせず、一昨年十月になってはじめてパリ交渉にのぞむベトナム側の態度についての肯定的な報道をしはじめたことは特徴的なことであったが、今日みずからニクソンを招待するにあたっては、時によっては、話しあいに出かけることが、真っ向から対決することになる」という毛沢東の文章引用をもって、説明してみせていた。
 だが、ニクソン訪中の期間中にしめされた中国側の態度は、パリ交渉での南北ベトナム代表の態度を典型とする侵略者との交渉とは、まったく異質の別なものであった。それはまた、これまで多年にわたってワルシャワでおこなわれてきた米中間の交渉ともことなっていた。ニクソンの到着当日、毛沢東がかれとキッシンジャーを自邸によび、別れにさいしてにこやかに両手で血にまみれたニクソンの手をにぎってみせたテレビ・フィルムの光景に象徴されるように、また、周恩来の友好的なあいさつをふくむなごやかな宴会や見学、杭州西湖での舟遊び、「人民日報」の大々的報道などなど、八日間の事態がしめしていることは、ニクソンは侵略の元凶としてではなく、友好国アメリカの元首として歓迎され、歓待されたということである。米中共同声明にも、末尾でつぎのように中国側の「歓待」がしるされている。

 「ニクソン大統領、同大統領夫人および米代表団は中華人民共和国政府および人民が示した歓待に感謝の意を表明する」

 この歓待は、米中会談が両国関係の改善を主目的としたという口実で合理化されうるものでもない。さきにもふれたように、すでに周恩来自身が、「われわれは、真っ先に解決されなければならないのはインドシナ問題だと信じている。米国およびその他参戦国のインドシナ撤退要求は、米中両国人民間の関係回復呼びかけよりなお強いといえる」(七一年七月十九日、米大学代表団にたいす周恩来首相発言)とし、インドシナ問題が米中問題より優先することをのべていたからである。
 侵略者への歓迎にしめされた無原則的な「米中接近」の態度は、インドシナ問題についての米中共同声明での表現にもあらわれている。すでにのべたように、アメリカ側が、その現行のインドシナ政策をそのまま書きこんだのにたいして、中国側は、インドシナ三国人民にたいする支持、七項目提案と三国人民首脳会談の支持を表明しただけで、アメリカ帝国主義の侵略にたいする非難は一言も書きこまなかった。米政府高官は、これについて「共同声明の中に明記された中国のハノィ支時は、現状で考えられる最も穏健な表現だった」と語っている(三月三日付「朝日」)。
 この点でさらに注目する必要があるのは、毛、周一派が、米中共同声明のなかで、「平和五原則」などを米中間の一致点としてあげることによって、侵略者を美化し、「平和」の宣伝のもとで侵略をすすめるニクソン政権のまん政策に、手をかしてやる結果にさえなっていることである。
 中国側自身がアメリカの平和的意図なるものを確認し、保証することで、ニクソン政権の欺まんをたすけるという点は、共同声明のつぎの一節では、いっそう手あついものになっている。

 「いずれの側もアジア太平洋地域で覇権を求めるべきではなく、双方ともいかなる国家あるいは諸国家のグループがその種の覇権を確立しようとすることに反対し、いずれの側も第三者に代わって交渉をしたり他の諸国にかんして他の側と協定あるいは了解に達するつもりはない。いかなる大国が他の諸国に対抗して他の大国と結託したり、諸大国が世界を勢力圏に分割することは世界各国の利益に反するという見解を双方はとった」

 これは、「アジア・太平洋地域」と「世界」の勢力圏分割の問題にたいして、米中双方が達した原則上の一致点である。これによると、アメリカ帝国主義は、世界、とくに「アジア・太平洋地域」において「覇権を求めるべきでない」という原則をもっており、毛、周一派も双方が同じ見解をもっていることを確認したわけである。
 インドシナで侵略戦争をつづけるとともに、日米安保条約、米「韓」米台防衛条約、SEATOなど、多角的軍事同盟の網の目をはりめぐらせて、戦争と侵略の態勢を強化しているアメリカ帝国主義が、「アジア太平洋地域で覇権を求めている」最大の勢力であることは、インドシナ侵略を国連憲章にもとづく「自衛」行為だなどと強弁する帝国主義の弁護論者でもないかぎり、だれも否定しえない冷厳な事実である。しかも、すでにみたように、ニクソン大統領は、これらの地域でのアメリカの侵略政策を変えないということを、会談でも明言し、共同声明に米国側の主張として書きこみさえしたのである。共同声明のなかでインドシナ侵略の継続、朴かいらい政権の支持と朝鮮分裂の固定化、日米軍事同盟の堅持等々の、アメリカ帝国主義の侵略と干渉の政策を並記することを容認したうえで、つまり、アジアにおける帝国主義と新植民地主義の「覇権」をめざす政策を公然と表明させたうえで、毛、周一派がまさにそのアメリカ帝国主義と、ともに、「覇権を求めるべきではなく」「いかなる国家あるいは諸国家のグループがその種の覇権を確立しようとすることに反対」することをうたってみせたことほど、米中接近の無原則性を浮きぼりにしてみせたものはない。共同声明のこれらの文章は、現にアメリカ帝国主義の侵略と抑圧、干渉と支配をうけているインドシナ三国人民、日本人民、朝鮮人民をはじめとするアジア諸国人民にたいする、侮辱と挑戦にほかならない。
 ベトナム労働党機関紙ニャンザンが、三月三日付の社説で、米中共同声明の一連の文章を引用しつつ、つぎのように糾弾したのは、まさに侵略者とたたかう人民の正義の声を代表したものである。

 「平和を破壊し、諸民族の安全を脅かしているのはだれか。ほかならぬアメリカ帝国主義である! 諸民族の自決権をふみにじり、かれらにたいして侵略をおこなっているのはだれか。ほかならぬアメリカ帝国主義である! 社会主義諸国および革命・進歩勢力のあいだに不和の種をまいているのはだれか。ほかならぬアメリカ帝国主義である!緊張をつくりだし、アジア・太平洋地域の覇権を追求しているのはだれか。ほかならぬアメリカ帝国主義である! ニクソンの言うことをきいていると、血によごれた手をうしろにかくしながら道義を説教するギャングを思い浮かべずにはいられない」(「凶暴な帝国主義の頭目の欺まん的言明」)

 米中共同声明における米中間の一連の合意とは、全世界人民の共同の敵であり、すべての反帝勢力が対決している最大の対象であるアメリカ帝国主義を、そもそもアジアと世界の支配など考えてもいない平和愛好国家として扱うことについての外交的合意にほかならない。そこに表現され露呈されている事態の本質は、結局のところ反帝平和の勢力と帝国主義侵略者との境界を失わせ、反帝勢力に警戒心をゆるめさせ、アメリカ帝国主義の「平和」の欺まんをたすけるもっとも極端な日和見主義、修正主義の主張である。
 一部の人びとは、中国が米中会談後もベトナム人民にたいする支援をつづけていることをもって、毛、周一派のニクソン美化の誤りを弁護しようとしている。しかし、ベトナム人民にたいする物質的支援は、社会主義国としての当然の責務であって、一方でこの責務をはたしているからといって、侵略者を美化し、その各個撃破政策をたすけた他方の誤りがそれでうちけされるものでないことは、あまりにも明白である。また、一部には、米中会談をつうじての中国の国際的「威信」の高まりにその積極的意義を求めようとする議論もあるが、もしここに今回の「米中接近」にかけた毛、周一派の動機があったとするならば、それは口ではベトナム人民や世界の反帝闘争への支援を強調しながら、実際の行動では自国の「威信」の追求に他のすべてを従属させるものの態度であり、もっとも露骨な大国的民族主義の論理以外のなにものでもない。真の国際的威信とは、侵略者を歓迎、歓待したり、肩をならべて侵略者と同格にあつかわれたりすることによって、かちとられるものではないのである。
 帰国した米高官は、つぎのように「背景説明」で記者団に語ったという。

 「米軍がいまなお台湾に駐留し、北ベトナムを爆撃しているにもかかわらず、中国が米国と共通の原則をうたった声明に調印したことに、米国は感銘を受けている。……これが、共同声明の中で中国側の公式の見解表明になんの反対もせず、米国が自らの見解を積極的に述べるように努めた理由である」(三月三日付「朝日」)

 あらゆる弁明にもかかわらず、米中会談にあたった毛、周一派の態度が、アメリカ政府に「感銘」をもたらすほど、もっとも無原則的な、アメリカ帝国主義美化の態度となっていることは、すでにあきらかであろう。

  五 ニクソン美化論の運命

 いうまでもなく、世界最大の帝国主義国家であり、侵略と反動の主柱であるアメリカ帝国主義とその世界支配政策にたいする評価と闘争は、現代における国際共産主義運動と反帝勢力にとって、もっとも重要な根本問題の一つである。これは、ことばの真の意味で、国際共産主義運動内のあれこれの潮流が、修正主義であるかどうかをはかる試金石となる。
 一九五九年、当時のソ連首相でありソ連共産党第一書記だったフルシチョフは、アメリカを訪れてキャンプ・デービッドでアイゼンハワー大統領らと米・ソ首脳会談をおこない、アイゼンハワーが「〝冷戦〟状態を一掃し、われわれ両国間の関係を正常化し、すべての国の間の関係の改善を促進することを誠実にのぞんでいる」(モスクワの勤労者の大衆集会での帰国報告)などとして、無原則的なアメリカ帝国主義の美化をおこなった。その後フルシチョフが、ベトナム侵略戦争大規模化の軌道をしいたケネディ大統領をも緊張緩和に貢献した「卓越した政治家」としてたたえ、部分核停条約をむすんで、アメリカ帝国主義の美化にもとづく無原則的な「平和共存」論を国際共産主義運動と反帝勢力全体におしつけようとし、運動全体に大きな損害をあたえたことは、記憶にあたらしいことである。そして、ケネディは、こうした状況を最大限に利用しつつ、ベトナム侵略戦争の本格化につきすすんだのである。
 中国共産党は、当時フルシチョフらのこうした無原則的な妥協をもっともはげしく糾弾した党の一つであった。
 その党の現指導部がなぜ今回、中国の領土の台湾に米軍をおいて武力による内政干渉をあえてし、インドシナ侵略戦争を凶暴におしすすめている元凶のニクソン大統領を中国に招待したうえ、フルシチョフの衣鉢をついでアメリカ帝国主義美化をおこなっているのだろうか。
 この問題について上田談話はつぎのような重要な指摘をおこなっている。

 「それにもかかわらず、中国側がニクソンらを招待し、歓迎したのは、『修正主義者よりニクソンの方がましである』とし、ソ連を事実上最大の敵とみなして『米中緩和』をもって背後をかためようとしたことと関連している」

 わが党の論文「ニクソンとアメリカ帝国主義」がすでに指摘したように、エドガー・スノーによれば、毛沢東は、「権力を手にするとまったく異った行動をする社会民主主義者や修正主義者よりもニクソン大統領のような人物の方が好ましい」(一九七一年八月六日付「毎日」)と語っている。
 そして周恩来は、ニクソンの招待を決定したのち、このソ連主敵論をより具体的に語ってみせた。

 「現在われわれの非難は日本に向けられているが、当面はソ連により大きな懸念をいだいている」(レストン記者とのインタビュー、同記者が一九七一年八月二十六日に語る)
 「中国国境沿いにソ連は陸軍、空軍、海軍および核兵器やミサイルなど百万人の兵力を展開している。またミサイル部隊を含む三十万人の兵力をモンゴルに進駐させている。ソ連の目標は明らかに中国に向けられており、国境方面に緊張状況を作り出そうとするものである」(七一年十月五日、米ブラック・パンサー指導者らとの会見で)

 これらの見地は、「ソ連修正主義」よりもニクソンの方がましであるとして、「反米反ソ統一戦線」などといいながら、事実上「ソ連修正主義」を主敵とみなし、それによって世界の侵略と戦争の元凶であるアメリカ帝国主義を免罪する毛沢東らの立場を暴露したものである。
 こうした「ソ連主敵論」が、中ソ対立につけこみ、それを拡大することで、各個撃破政策に有利な条件をつくりだそうとするアメリカ帝国主義によって最大限に利用されてきたことは当然である。
 フルシチョフらのケネディ美化、アメリカ帝国主義との闘争回避の日和見主義、修正主義の路線は、国際共産主義運動と反帝勢力の内部に、一定期間、大きな害毒を流した。フルシチョフらのわが党にたいする干渉も、その理論的根拠としたのは、アメリカ帝国主義は「力の政策」を放棄し、平和共存をうけいれたとする美化論にあった。反党分子志賀一派や社会党の一部がそれに追随し、原水禁運動をはじめ一連の民主運動の分裂など、わが国でもその被害は少なくないものだった。しかしこの日和見主義、修正主義は、一連のマルクス・レーニン主義党から批判を浴びてその誤りがあきらかにされるとともに、世界政治の進行そのものによって、大きく破たんした。その誤りを誰の目にもあきらかにし、破たんを促進した最大のものは、アメリカ帝国主義のベトナム侵略戦争とそれにたいするベトナム人民の英雄的闘争であった。それは、フルシチョフやその事大主義的追随者たちの無原則的な「平和共存」路線なるものが、どんなに有害なアメリカ帝国主義美化論であり、世界政治の現実と反帝勢力の闘争と真っ向から矛盾した幻想にすぎないかを、明々白々な事実によって暴露したのである。
 にない手も情勢もちがうけれども、いまわれわれの前にあらわれているあらたな「緊張緩和」論やニクソン美化論は、フルシチョフとその追随者たちの日和見主義、修正主義の路線と、まさるとも劣らぬ有害なものである。
 このあらたなニクソン美化論、免罪論に反対し、アメリカ帝国主義の侵略と戦争の政策に反対する見地を堅持することは、国際共産主義運動と国際反帝勢力の確固とした戦闘性の真の試金石であるとともに、わが国における独立、平和の闘争の発展のためにも、世界の反帝民主勢力の闘争の前進のためにも、きわめて重大な課題となっている。それとの闘争の中心問題は、今回もまたケネディ美化論との闘争と同様、やはりインドシナ侵略の問題にある。米中共同声明の評価の基準が、なによりもまず、今日、帝国主義勢力と反帝勢力、戦争勢力と平和勢力との国際的対決の焦点としてのインドシナ問題であることがしめしているように、あらたな「緊張緩和」論、アメリカ帝国主義美化論の矛盾を暴露し、その破たんを促進するものも、アメリカ帝国主義のインドシナ侵略とそれに反対するインドシナ人民の闘争、全世界の反帝勢力の支援闘争となるであろう。
 米軍のインドシナ撤退や台湾撤退の「約束」なるものが、まったく欺まんにすぎないものであることは、アメリカ帝国主義のインドシナ侵略戦争の現実の進行過程、その台湾政策の展開の過程そのもののなかで、事実によってもあきらかになるであろう。ニクソン美化論に一時とらえられた人びとが、真実を直視せざるをえなくなるのには、それほどの時間は必要ないだろう。
 この点でわれわれは、ニクソンの「平和の大統領」という欺まんを利用して、天皇の訪米とニクソン来日という「日米親善」のカンパニアが、米日支配層によって、ふたたびたくらまれていることを重視するものである。かつてアイゼンハワー大統領の来日を阻止した日本の民主勢力は、インドシナにたいする侵略者の元凶であるだけでなく、日本にたいする抑圧者の元凶であるアメリカ帝国主義の大統領の来日を、断じて歓迎しないだろう。
 わが党は、ニクソン・ドクトリンにもとづき、侵略的、屈辱的な沖縄協定による日米共同作戦態勢の拡大、日米軍事同盟の侵略的強化、核兵器のもちこみと四次防など自衛隊の増強などをおしつけているニクソン来日反対、阻止の闘争の先頭に立ってたたかうものである。
 ニクソンの平和のよそおいがはげ落ちるとともに、毛沢東、周恩来らの路線も、インドシナ問題でさらに矛盾を深めざるをえない。中国は、インドシナ三国人民にたいする断固たる支援を表明しているにもかかわらず、この二月に、インドシナ三国人民の代表をふくむ八十四ヵ国の代表をあつめてひらかれた「インドシナ諸国人民の平和と独立のためのパリ世界集会」に、招待されながらも代表を送らなかった。路線や見解の相違があるからといって、インドシナ人民支援の集会では反帝勢力と同席せず、他方インドシナ侵略を現におこなっているアメリカ帝国主義の指導者であるニクソンとは同席し、歓迎し、会談して握手までするというかれらの言動の矛盾は、とりつくろいようのないものとなっている。
 いまアメリカ帝国主義は、米中会談と米中共同声明の結果に大いに満足し、いわゆる「米・中・ソ」の「三すくみ関係」を利用した「平和」の粉装をいっそう大がかりなものにしながら、インドシナ侵略態勢の立て直しをはかっている。この情勢ですべての反帝勢力にとってもっとも緊急な任務は、全世界の反帝勢力が、国際共産主義運動の内部にあらたに生まれた、再版アメリカ帝国主義美化論を克服して、侵略のおもな対象となっているインドシナ三国人民支援の闘争を断固としておしすすめ、反帝国際統一戦線を強化することにある。
 どのような屈折があろうとも、インドシナ三国人民とそれを支援する全世界の反帝勢力の闘争の勝利は、不可避である。それと同様に、あらたなニクソン美化論とそれへの追随が、フルシチョフらのアイゼンハワー、ケネディ美化論とそれへの追随と同じ運命をたどることは、不可避である。

(「赤旗」一九七二年三月二十五日)