日本共産党資料館

新しい日和見主義の特徴
――内外情勢論との関連で――

榊 利夫

 一 内外情勢の変化、発展と日和見主義

 (1) 時とともに光彩はなつ党の主張

 アメリカのベトナム侵略戦争の拡大と対中、対ソ「接近」政策にしめされる二面政策、各個撃破政策の展開、侵略的・屈辱的な沖縄協定の強行と自民党内閣の対米協力、四次防などに象徴される対米従属下の日本軍国主義復活強化、佐藤内閣の末期症状その他、最近の内外情勢の新たな進展ほど、一昨年(一九七〇年)の第十一回党大会決定の基本的正しさと、そのよびかけの重さとをあらためてしめすものはない。

 「一九七〇年代は、政治、経済、文化などあらゆる分野で、アメリカ帝国主義にたいする従属的同盟のもとでの軍国主義、帝国主義復活の路線と、独立、民主、平和、中立をめざす路線との日本の進路をめぐる二つの道の闘争が、いっそう大きな規模でたたかわれる時期となるであろう。
 アジア地域は、現在、世界の矛盾の集中点となっている。アメリカ帝国主義は、ここに侵略政策を集中し、そのなかで、アジアで唯一の独占資本主義国である日本を〝アジアにおけるニクソン・ドクトリンの成功のカギ〟をにぎるものとしてもっとも重要な拠点にえらんだ。日本における民族的、階級的諸矛盾のいっそうの先鋭化はさけられない……」(第十一回党大会決議『前衛』特集号一四二ページ)

 同時に、内外情勢の進展、変化が、少なくない人びとにとってあまりにも衝撃的で、沖縄、円・ドル問題、ニクソン訪中、ベトナム問題その他をめぐってジャーナリズムや世論が、よい意味でも悪い意味でも目まぐるしく〝激動〟し、一部にある種の当惑や混迷が生まれてきたことも否定しがたい事実である。たとえば、ニクソン訪中計画をめぐる「平和的転換」論や「ポスト・ベトナム論」、ドル防衛問題での「アメリカ・ガタガタ」論、ドル・円問題をめぐる対等の「日米経済戦争論」、侵略的・屈辱的な沖縄協定の礼賛論、等々。
 そうした、一般のジャーナリズムや世論にとって、いわゆる「予想外」の内外問題の進展にさいしても、基本的な情勢の発展方向と闘争課題の科学的把握にたって、日本人民のたたかいの道を揺らぐことなく明示する責任をもたされているのが、科学的社会主義の党である。われわれは日本共産党がこの複雑な要求に立派にこたえ、その責任をはたしてきたと確信をもっていうことができる。わが党が創立五十周年のこの年に確実な前進をとげている現実も、そのことを裏づけている。

 (2) 小ブルジョア的動揺の影響

 とはいえ、内外情勢と諸闘争の急激な進展と、そのなかで生まれた小ブルジョア的動揺や混迷にたいして、民主的運動のすべてが〝免疫〟で、いかなる影響もうけないとみるのも、あまりに素朴にすぎよう。長期にわたる民主的、革命的運動の歴史は、事態の急展開や変化にともなう小ブルジョア的な動揺や風潮が民主的、革命的運動の内部にもほとんど不可避的に影響し、「左」右両翼の動揺、日和見主義となってあらわれることを物語っている。
 すでにレーニンは、半世紀まえにそうした教訓をくりかえし指摘している。

 「歴史上の独特な転換が生じるたびに、小ブルジョア的動揺の形態にはいくらかの変化が生じるが、この動揺はつねに労働者階級のまちかにおこり、つねにある程度労働者階級のあいだにしみこんでくる。小ブルジョア的改良主義、すなわち善良な民主主義的あるいは〝社会〟民主主義的な空文句や無力な願望にかくれて、ブルジョアジーに追従することと、小ブルジョア的革命主義すなわち、口先では威嚇的で、いばって、尊大でありながら、実際には中身がなくてばらばらで、分散的で、無能なこと――これがその動揺の二つの〝流れ〟である」(「新しい時代、新しい形をとった古い誤り」全集第三三巻三ページ)
 「ボリシェビズムは、労働運動内のいかなる敵とたたかって成長し、強くなり、きたえられたか? 第一に、主として日和見主義とたたかってである。……もう一つの敵は……小ブルジョア革命性」である。「この小ブルジョア革命性は、いくらか無政府主義に似ているか、または、それからなにかを借りてきたものであり、プロレタリアの一貫した階級闘争の条件と要求からは、どの本質的な点でもそれている」。「こういう誤りは、予想外のきっかけで、少しばかり新しい形をとって、これまでみられなかった装いをして、あるいは従来みられなかった環境のもとで、独特な――多少とも独特な――情勢のもとで、いつでも現われてくるものである」(「共産主義内の『左翼主義』小児病」全集第三一巻一六~七ページ)
 「そのばあいばあいで自分の行動を決定し、日々の諸事件に、些細な政治の風むきに順応し、労働者階級の根本的利益と、全資本主義体制、全資本主義的進化の基本的特徴とをわすれ、目前の現実の利益または仮想された利益のためにこの根本的利益を犠牲にすること――これが修正主義の政策である。そして、この政策がかぎりなく多種多様の形態をとりうること、またすこしでも『新しい』問題、すこしでも思いがけない、予想外の転換が発展の基本方向を、ほんのわずか、またほんの短い期間かえるにすぎないばあいでも――つねに不可避的に、修正主義のあれこれの変種が生みだされることは、以上のような修正主義の政策の本質そのものから生じる」「マルクス主義と修正主義」全集第一五巻二〇~二一ページ)

 こうした点では、わが国の民主的、革命的運動も少なくない経験をもっている。この十年前後を例にとっても、たとえば――サンフランシスコ「講和」の締結と日本独占資本の復活強化に目をうばわれ、これを帝国主義的自立と直結させ、アメリカ帝国主義による日本への民族的抑圧を否定ないし過小評価した春日庄次郎、内藤知周らの右翼日和見主義、反党修正主義。アメリカ帝国主義の「対ソ接近」に目をうばわれ、無原則な「平和共存」論をかつぎ、日本独占資本の強化という一面から直ちに対米「対等」の自立日本帝国主義論をとき、アメリカ帝国主義の対日支配との闘争回避に走った志賀義雄らの対外盲従の右翼日和見主義、修正主義、分派主義。日本が高度に発達した資本主義国であることを無視し、日本を解放前の中国のような半植民地の鋳型にはめこみ、いわゆる〝反米愛国〟闘争論に走った毛沢東盲従の西沢隆二、安斎庫治、福田正義らの極左日和見主義、「左翼」修正主義、等々。
 これらは、「左」右の日和見主義が科学的社会主義の党の存立そのものに敵対する公然たる反党集団にまでいきついた最悪の事例である。そして、わが党をはじめ、わが国の自覚的民主勢力は、平和・民主運動のあれこれの分野におけるこれら「左」右の偏向の日和見主義とのたたかいをつうじて、確実な強化と前進をかちとってきた。
 新しい問題や情勢の「転換」にともなって生まれる「左」右両翼の動揺、日和見主義が、つねに同質同型ではなく、その程度にもあれこれの差があることはいうまでもない。ただ、忘れられないのは、「左」右の偏向、日和見主義は理論上も実践上もしばしば生まれるものであり、民主的、革命的運動は正しい理論と事実に立脚して「左」右の偏向と油断なくたたかい、その克服をつうじてたくましく成長、発展していくものだということである。レーニンもいっている。「民主主義の俗物や革命主義の俗物の泣きごと、狼狽にたいして、実際の階級勢力の見積りと争う余地のない事実をできるだけ冷静に、正確に対置すること――これがマルクス主義者の任務である」(「新しい時代、新しい形をとった古い誤り」全集第三三巻四ページ)
 そして、ここ一、二年来の国際的、国内的な情勢の激動と諸闘争の進展のなかで、「労働者階級のまぢかに」生まれた小ブルジョア的動揺や混迷が民主的運動の内部にもある程度しみこみ、影響し、「左」右の日和見主義として現象してきたことを指摘しなければならない。われわれはこの問題にかんして、本紙(「赤旗」)でも一連の解明、批判をおこなっていく予定であり、本論文はいわばその総論的提起である。

 二 アメリカ帝国主義とベトナムの問題をめぐって

 新しい「左」右両翼の偏向、日和見主義的傾向がもっとも端的にあらわれてきたのは情勢論の分野、なかんずく国際情勢ではアメリカ帝国主義とベトナム問題をめぐってである。そして、このアメリカ帝国主義とベトナムの問題をどうみるかが、国際的にも、数年このかた反帝民主勢力の試金石となってきたこと、最近ますますそうなっていることは、いうまでもなかろう。
 昨年(七一年)七月のニクソン訪中計画発表、それにつぐ八月のドル防衛策発表が、わが国の論者のあいだに、一方ではニクソンの対外政策の「平和的転換」論、「緊張緩和」論、「ポスト・ベトナム」論の新種としてのベトナム「全面撤退」論などを、他方ではアメリカ帝国主義の「崩壊的危機」論(いわゆる「アメリカ・ガタガタ論」)などを流出させたことは、記憶にあたらしい。
 前者、すなわち「平和的転換」論、「緊張緩和」論、「全面撤退」論などが、アメリカ帝国主義の各個撃破政策、二面政策、インドシナの現実を無視した議論であるだけでなく、それが民主勢力のなかにもちこまれたさい、あらたなアメリカ帝国主義美化論、アメリカ帝国主義との闘争回避論、ベトナム支援強化の課題の軽視という右翼的日和見主義となることはいうまでもない。後者、すなわち「崩壊的危機」論も、一見「左翼」的な評価をおもわせながら、実際にはアメリカのベトナム、ドル問題その他の困難を過大視し、結果として、アメリカ帝国主義が「世界反動の主柱、国際的憲兵」として、依然として凶暴な力をもち、侵略政策に集中している事実、その侵略性を軽視し、アメリカ帝国主義の侵略政策との国際的闘争の緊急性を過小評価するという明白な日和見主義となる。
 ところが、昨年来、この種の「左」右両翼の誤った国際情勢論が相互にからまりあいながら民主的運動の一部にあらわれた。アメリカ帝国主義は「ガタガタ」で、その「世界支配体制の崩壊」がおこり、資本主義の「全般的危機」も決定的段階にはいり、ニクソン訪中で「米中国交回復」も必至となったかのようにいう主張もみられるようになった(トロツキストは「解体的危機」論をさけんだ)。
 アメリカ帝国主義の「一路崩壊論」とでもいうべきこの種の上ずった議論は、ニクソン訪中、訪ソを、アメリカ帝国主義の「危機のため」という側面からのみ解釈し、はては敗北の旅とする謬論にもつながる。ベトナムにおけるアメリカの全面撤退、サイゴンかいらい政権の崩壊はまるで既定の事実であるかのような、「ポスト・ベトナム論」の変種もあらわれた。さらに、そうした一面的な議論が、本年三月からのベトナム人民の南部での攻勢とともに、あらゆる困難に直面しながらも英雄的にたたかっているベトナム人民の現状を理解せず、かつベトナム人民支援の課題の緊急性を実践的に放棄することにつながる手ばなしの「一路勝利論」へと進化していったのもふしぎではない。
 ニクソンの複数の社会主義大国「接近」策についていえば、わが党がくりかえし指摘してきたように、アメリカ帝国主義がインドシナでの困難に直面した事態のもとで、社会主義陣営内の「多極化」「多中心主義」に対応して、従来と「異なった挑戦と機会」(七一年度「外交教書」)をねらい、自己の態勢の建て直しをはかっているものである。すなわち、複数の社会主義大国にたいしては「接近」政策をとり、これを政治的にけん制して、世界の焦点となっているベトナム侵略をずるがしこく、かつ安心して進めるための政治的保障をとりつけようとしている。これがニクソン・ドクトリンにもとづく各個撃破政策であり、二面政策である。
 今日、国際情勢論における核心は、アメリカ帝国主義と反帝民主勢力のたたかいの焦点が現に第二次大戦後最大の侵略戦争となり、アメリカ帝国主義が侵略政策を集中しているベトナム戦争にあることをつかむかどうかにある。そして、この国際的焦点であるベトナム問題において、なにがアメリカ帝国主義の侵略を有利にさせる方向に動いているのか、なにがこれをはばむために動いているかをあきらかにすることこそ、現時点の情勢論の正否をはかる実践的な試金石となっている。
 アメリカ帝国主義の各個撃破政策の本質をえぐらず、個々の社会主義国への「接近」「対話」政策を、「危機」による敗北の旅とみなすことが、右翼日和見主義的な「緊張緩和」論と同じく、アメリカ帝国主義の「接近」「対話」政策の美化となり、ベトナムに戦火を集中しているアメリカ帝国主義との闘争を弱める結果となることは明白である。
 さらに、アメリカ「一路崩壊論」、ベトナム「一路勝利論」(いいかえれば、アメリカの全面撤退とかいらい政権の崩壊はもう既定事実であり、そういう意味でベトナム問題を事実上決着ずみのものとする議論)についていえば、大局的、歴史的にみたばあい、アメリカ帝国主義の政治的、経済的な困難がますます深化すること、その「世界支配体制」が打ち破られること、ベトナム人民がアメリカ帝国主義に打ち勝つことは、もちろん確信してよい歴史の流れである。また、南ベトナムにおけるアメリカの「ベトナム化」政策が、とくにこの春いらい重大な打撃をうけていることもあきらかである。
 しかし、この大局的、歴史的な展望や、南ベトナムでの情勢からただちに、いますでにアメリカ帝国主義そのものが「崩壊的危機」にあるとして、事実上アメリカ帝国主義の侵略性を過小評価することや、現在の凶暴な侵略にたいする闘争を事実上軽視することは、基本的なまちがいである。われわれはこの種の無責任な議論をしりぞける。「空文句ほどマルクス主義の精神に反するものはない」(レーニン「選挙カンパニアの原則的諸問題」全集第一七巻四一四ページ)。あたかも、あと一突きすればアメリカ帝国主義が内外で崩壊するかのような上ずった議論は、アメリカおよびベトナムの現実にたいする全面的把握からかけはなれている。
 アメリカ帝国主義は内外の諸困難に見まわれているからこそ、それをばん回するために、ベトナムでも力関係を有利にしようと、各個撃破政策を集中的におしすすめるなど、ありとあらゆる可能な手段にうったえている。一方での対中、対ソ「接近」と並行しての、北爆の空前の全面拡大、雨期を目前にした堤防・ダム爆破、レーザー光線爆弾の使用、海上封鎖、反帝民主勢力にたいするべトナム援助停止要求、等々。アメリカ帝国主義の許しがたい各個撃破政策を象徴的にしめす一例を引けば、アメリカはいまベトナムの上空から、連日つぎのような〝紙の爆弾〟をも大量にまいていると伝えられる。「みなさんはソ連がベトナム戦争を最後まで支援すると思っているかもしれませんが、実はソ連は米国と手をにぎりました。ニクソン大統領は二月二十一日、北京で毛沢東主席、周恩来首相とも会談しました。中国もアメリカと友好を願っています。あなた方はいつまで無益な戦争をつづけるつもりですか……」(「毎日」一九七二年六月十二日付)
 この厚顔無恥なアメリカ帝国主義にいかなる結末をつけさせるかも、ベトナム人民の勝利をいかに確実なものにするかも、まさに、インドシナ人民と全反帝民主勢力の闘争いかんにかかっている。これこそ、局外者的、評論家的な人びとが概してつかむことのできない、具体的な生きた闘争関係である。
 上ずった単純化した一面的な議論は、現象的には「左翼」的であるが、実践的には、生きた闘争を度外視し、反帝闘争と英雄的ベトナム人民への国際的支援闘争との重大性を軽視する、無責任な右翼日和見主義に通じるものである。一部にみられてきたこの種の偏向の克服は、わが国におけるベトナム人民支援の壮大な戦線を発展させることに資するであろう。

 三 「日本軍国主義主敵」論その他――沖縄問題と結びついて――

 国際情勢の把握における、上述のようなアメリカ帝国主義の侵略性の過小評価などにしめされる日和見主義は、国内情勢のとらえ方において、アメリカ帝国主義の対日支配の問題、独立・民主・平和・中立の問題、一言でいえば安保条約の廃棄を中心とするサンフランシスコ体制打破の問題と課題をそらす日和見主義とかたくむすびついていた。
 ドル・ショックと関連して一般論壇にあらわれた対等の「日米経済戦争」論、四次防にからむ「自前兵器」論、中曽根前防衛庁長官の「自前武装」論などは、いかにも、日本独占資本と復活強化する日本軍国主義が対米対等で、「自立」しているかのような錯覚を一部に生むものであった。実際、民主運動の一部にも若干その影響がみられるようになった。国内情勢論における日和見主義的動揺、偏向を端的にしめす場となったのは、一九七〇年代とともに日本の政局と政治闘争の「目」の一つとなった沖縄問題である。すなわち、沖縄協定を日本軍国主義の全面復活ないしファシズム確立論にむすびつけ、事実上、アメリカ帝国主義の対日支配ないしアメリカ帝国主義の問題そのものを捨象する傾向が、それであった。
 ここでは、若干の特徴点だけをのべておきたい。

 (1) 多様な闘争否定の「沖縄決戦」論

 わが党がくりかえし指摘してきたように、日米沖縄交渉は無条件全面返還という国民的要求をじゅうりんして、アメリカ軍の半占領というわくのなかで施政権だけを返還し、主権の全面回復という日本人民の革命的要求をそらすことをねらうものであった。沖縄協定は「施政権」だけの返還を取り引き材料にして、沖縄県民の土地を奪った米軍事基地および基地機能の存続、インドシナ侵略をはじめ米アジア戦略へのより緊密な協力を日本におしつけるなど、侵略的、屈辱的な取りきめである。わが党は「『核かくし・自由出撃返還』か無条件・全面返還かという二つの道の対決」(第十一回党大会決定)として根本的に問題を提起し、日米交渉のさなかから一貫して、その売国的、侵略的な内容を先駆的に暴露し、全面返還協定を要求してたたかうとともに、昨年六月に協定調印が強行されるや、その瞬間から協定とその批准に反対を表明し、大衆的な反対運動の発展をよびかけた。わが党は終始一貫して、日米共同声明の路線上での沖縄交渉と沖縄協定の侵略的、屈辱的な方向と本質を暴露し、追及した。その後、当初は態度を明確にすることさえできなかった他の野党も、一応「反対」を表明せざるをえなくなったことはよく知られている。
 沖縄協定にかんして、「施政権」返還をうたっているところから、それを公然と肯定したり、名目的に異議をとなえながら統一的反対闘争の発展に背を向ける傾向が、右翼日和見主義的偏向であることはいうまでもない(反共的中間政党や労働組合の右翼的潮流などは、多かれ少なかれそうであった)。他方、「反復帰」「返還粉砕」をさけぶトロツキスト挑発者は別としても、民主的運動の一部に「左翼」日和見主義的、小ブルジョア急進主義的偏向があらわれたことも指摘しなければならない。
 この傾向は、いわゆる「施政権」の返還が、二十七年におよぶ沖縄県民をはじめとする日本人民の「主権の全面回復の革命的要求をそらし、緩和することをねらった一種のブルジョア民族主義的、妥協的『改良』の路線」である事実をわが党が指摘することにかんして、あたかもそれが、沖縄協定に「いい面」と「悪い面」があると、本質論ぬきにあいまいな態度をとっているかのようにねじまげて非難するものであった。沖縄問題をめぐる米日支配層の「一種のブルジョア民族主義的、妥協的『改良』」の路線をわが党が指摘したのは、それを批判、克服すべき路線として科学的に正確に分析したものである。また、反動勢力がわれわれの沖縄全面返還の要求を、あたかもそれが「施政権」返還自体に反対するものであるかのようにわい曲し、中傷するのにたいして、わが党がきびしく反論したのも当然のことである。それらのことを、まるでわが党が沖縄問題で本質論ぬきにあいまいな態度をとっているかのようにねじまげることは、まったく問題を科学的に分析する能力のない悪意の中傷でしかない。それは結局、沖縄全面返還という正しい道をしめすのではなくて、かえって、全面返還闘争をさまたげるものであった。
 しかも、この傾向は、沖縄協定を日本軍国主義全面復活、ファシズムの「黒い世直し計画」実現の指標とみなして、事実上、いわゆる「沖縄闘争決戦」論におちいるものであった。この傾向は、絶望的な焦燥感にかられながら、デモや集会、ストライキをも当然ふくむ多様な形態で全国的に発展させるべき運動、闘争を、街頭デモ、集会だけにすりかえ、わい小化して、それを他の多様な運動、闘争(沖縄基地の実態調査や暴露、統一戦線のねばりづよい追求、各界各層の結集、国会での協定暴露と政府追及、地方選・参院選を沖縄問題と結合してたたかうこと、等々)とを機械的に対置させ、後者を否定するというものであった。そして、問題を衝動的な行動にわい小化するそうした傾向は、民主勢力の統一戦線を頑強に追求し、多様な反対運動、闘争を展開するわが党と自覚的民主勢力にたいして、かえって、「たたかわない」といったひぼう、攻撃をくわえるにいたっていた。こうした傾向が、理論的にも実践的にも、きわめて有害な「左翼」日和見主義的な動揺、偏向であったことはくりかえすまでもあるまい。

 (2) いわゆる「日本軍国主義主敵」論

 沖縄協定を日本軍国主義の全面復活、ファシズム確立の入り口だとする見地は、沖縄闘争自体を全面返還要求の闘争ではなくて、日本軍国主義(ないしファシズム)反対の角度からのみとらえる偏向と表裏一体であった。もちろん、わが党は、対米従属下の日本軍国主義復活強化、四次防、憲法改悪、政治反動に反対し、「二つの敵」に反対して断固たたかってきたが、右の傾向の議論は正しい方向をもつものではなかった。この傾向は、しばしばアメリカ帝国主義の戦略との関係なしに孤立的に沖縄問題を観察し、日本軍国主義の復活自体の対米従属性を過小評価することを基本的特徴としている。
 この傾向の議論は、沖縄協定によって自衛隊が沖縄に派遣されれば、日本が東アジア全体を「指導権下」におくようになるとか、自衛隊はコンピュータ・コンプレックス(複合体)によって台湾、「韓国」の軍隊さえ指揮下におくようになるといった誇大な主張を用具として、「自衛隊=日本軍国主義」との闘争を直面する「中心課題」とみなし、現に台湾や「韓国」を支配し、日本自衛隊を指揮下においている当のアメリカ帝国主義の問題を事実上たな上げしてしまう結果となった。これこそ「一つの敵」論、「日本軍国主義主敵」論の迷路であり、いわゆる「自立日本帝国主義」論とも紙一重であった。そして、日本軍国主義(これを「新軍国主義」と称して)との闘争および、ファシズム、排外主義との闘争だけを強調するようになった。
 しかし、わが党がくりかえし指摘してきたように、日本軍国主義の復活強化も対米従属下でのそれである。いわゆる「肩代わり」についていえば、ニクソンはこの用語を主として「南ベトナム」のいわゆる「ベトナム化」について使っているが、この「肩代わり」という用語によって、あたかもアメリカ帝国主義が後退して日本独占資本主義に道をゆずるものであるかのようにみなしたり、米日双方の「肩」を軽くするものであるかのようにみなすのは正しくない。アメリカは、軍事的、経済的に最強の帝国主義として、自己の侵略政策の展開に同盟・従属諸国の軍事的、経済的な力を動員しようとしている。このことは、七一年のニクソン外交教書が「ニクソン・ドクトリンは、第一義的に重荷の分担あるいはわれわれの負担の軽減と考えられるべきではない。それは、他の諸国にとっても、われわれ自身にとっても、より積極的な意味をもっている」と明言していることからもあきらかである。アメリカは「自衛のため」とか、「責任の分担」とかと称して、なによりも自分の指導権のもとに同盟・従属諸国に「人員供出」をもとめている。いわゆる「ベトナム化」はその最たるものである。米軍基地「防衛」を主要任務とした自衛隊の沖縄派遣も、例外ではない。
 しかも、こうしたニクソン・ドクトリンにもとづく同盟・従属諸国にたいする「責任の分担」は、各個撃破政策と対をなすもので、アメリカ帝国主義のアジア侵略体制の再編強化という全体との関連でとらえなければならない。日本の支配層はこれにみずから協力、加担している。「日本軍国主義主敵」論の傾向は、問題の基本的特質をはぐらかし、「左翼」的形態をとりながら、「二つの敵」とのたたかい、とりわけアメリカ帝国主義との闘争課題を回避する日和見主義の新種にほかならない。

 (3) 米軍基地問題、安保問題の軽視

 「日本軍国主義主敵」論と不可分に関連して、一部には、自衛隊基地の問題は重視しても米軍基地反対闘争のことは軽視し、日米安保条約廃棄の課題をも後景にしりぞけるという傾向があらわれていた。
 アメリカ帝国主義が沖縄および本土の米軍基地の機能を集中強化し、安保条約にもとづいて日本を、ベトナムにたいする「自由出撃基地」化しているとき、米軍基地の侵略的、民族抑圧的役割をしっかとつかみ、これを撤去させ、安保条約を廃棄する闘争はますます重要になっている。安保廃棄はサンフランシスコ体制打破のたたかいにとって不可欠であり、十年前、五年前と同じく、いやそれ以上に、日本人民に切実な最大の政治的課題である。わが党の第十一回大会決定も、「当面する闘争の中心課題」が「日米軍事同盟の打破と日本の平和・中立化」であることを強調し、大衆運動の三つの闘争課題でもその第一に安保廃棄による真の独立・平和・中立化をかかげている。
 この点で、「左翼」的よそおいの「日本軍国主義主敵」論が、安保、米軍基地問題をめぐってはたす否定的役割と右翼的誤りは注釈するまでもなかろう。

 (4) 特殊な「三〇年代論」と「連合赤軍」問題

 沖縄協定を軍国主義全面復活、ファシズム確立の入り口とする主張を意味づけるため、一種独特の「一九三〇年代論」なるものが一部で組みたてられた。これは、一九三〇年代初頭のファシズム体制確立直前のドイツから現在の日本を類推し、強大な党建設や統一戦線結成などの教訓を前むきに引きだすのではなくて、いたずらにファシズム到来の危機感をあおり、ドイツ共産党の敗北になぞらえてわが党と自覚的民主勢力の闘争を「ブルジョア議会主義」などと直接・間接に中傷するものである。
 さらに、この日本軍国主義、ファシズムおよび排外主義(国家主義)との闘争を当面の主要課題だとする議論とむすびついて、毛沢東盲従の「連合赤軍」事件を暴露、追及することまでが、「反中国感情」をあおる反動勢力の排外主義を助けるものにされるという、まったく奇怪な主張さえ生まれていた。軍国主義、ファシズムは、排外主義、国家主義を思想的用具にするものだという判断からである。それが結局、「連合赤軍」問題でその「毛沢東盲従」をつかないわが国の一般ジャーナリズムの誤った論調を弁護し、「連合赤軍」の毛沢東盲従を免罪する日和見主義となるだけでなく、「排外主義」との闘争を口実にして、大国主義的干渉をゆるさぬ日本共産党の自主独立の立場に異をとなえる結果にもなることはあきらかであろう。

 四 党建設をめぐる日和見主義、その他

 以上、アメリカ帝国主義との闘争回避を本質的特徴とする「日本軍国主義主敵」論の傾向とからみあった、国内情勢論上の動揺、日和見主義的見解の要点をのべてきたが、情勢論上の日和見主義的謬論は多くのばあい他の分野での偏向と直結しているものであり、事実そうであった。

 選挙・議会闘争の問題

 (1) たとえば、情勢論上の「沖縄協定=軍国主義全面復活」論が、路線上のプチブル急進主義的な「決戦」論と直結することはさきにみたとおりである。さらに、情勢論での「左翼」日和見主義的偏向が、選挙・議会闘争や人民的議会主義へのうしろ向きの態度とつながることも、みやすい道理であろう。けだし、「どんな議会主義が労働者階級にとって必要であるか」(レーニン)という問題を正しく理解することができず、「大衆運動」の重要性ということなどを口実として、あらゆる選挙・議会活動を軽視したり、「ブルジョア議会主義」だと非難したりしていくのが、むかしもいまも、「左翼」的空論の共通の紋章だからである。

 党勢拡大をめぐって

 (2)右にあげた「左翼」日和見主義的な傾向が、沖縄協定=軍国主義反対の大衆運動と大衆的前衛党建設の活動とを、あるいは労働組合運動と大衆的前衛党建設とを対置させて、党勢拡大を第二義化し、さらにはサボタージュしたり、妨害したりする党建設上の日和見主義とも無関係ではなかったことを、指摘しておきたい。大衆的前衛党の建設、そのための不可欠の課題である党勢拡大の妨害は、組織論上の解党主義ともいうべき偏向である。また、そうした傾向は「まず大衆運動」ということで、実際上、党勢拡大の独自のとりくみの重要性や必要なばあいの緊急性をあとまわしにする段階論をともなっていた。もちろん、わが党は大衆運動を一貫して重要視してきたし、現在もベトナム問題、基地問題などでの大衆運動の発展を率先してよびかけている。しかし、党勢拡大と大衆運動を対置し、「まず大衆運動」、それから党勢拡大だとする段階論は、結局、大衆活動と党建設の「二本足の活動」という原則にも反し、党建設上の日和見主義となるものである。
 すでに約百年前、エンゲルスは「奇襲の時代……少数者による革命の時代はすぎ去った」(「フランスにおける階級闘争」の序文マル=エン全集第二二巻五一九ページ)とのべていたが、さらに今世紀にいたってレーニンは、社会変革を準備するものとして、「真の先進部隊」すなわち政治的、理論的、組織的力量をもつ党の建設を力説した(「何をなすべきか?」全集第五巻を参照)。党勢拡大についても、レーニンは、工業地帯で「労働者をもっと五倍も十倍も多く党にひきいれる道を心得ていなければならない」と指摘し、困難な革命直後の状況下で何万もの党員をむかえたことにたいして「党のこのような拡大をわれわれは貴重なものと考える」(前半は「メンシュビズムの危機」全集第一一巻三九六ページ。後半は「ロシア共産党第八回全国協議会」全集第三〇巻一七九ページ)と評価した。
 その後、統一戦線および統一戦線政府の経験などを経て、資本主義国での革命運動の発展にとって大衆的前衛党建設の不可欠さがいっそう明らかになった。
 まして、現在のわが国は、対米従属のもとにありながら、支配層の宣伝網がはりめぐらされた高度に発達した資本主義国であり、ここでの政治革新の事業が、強大な大衆的前衛党と広範な支持者、機関紙読者があってこそ可能なことは明白である。くわえて、党勢拡大は、自然成長的にすすむものではなくて、目的意識的に追求してこそ達成できる。この大衆的前衛党建設をめざす党勢拡大の独自の目的意識的追求という旗こそ、わが党が反党修正主義者や毛沢東盲従分子とたたかって守りぬいてきたものであり、それは、科学的、合理的な活動方法を明示した党活動改善の一連の「手引き」のなかにも理論的、創造的に概括されている。党勢拡大の独自の追求の否定ないし妨害は、党の大衆的影響の後退、党自体の後退をもたらす一種の解党主義的誤りであり、このような組織論上の偏向は根本的に克服されなければならない。

 組織原則上の問題

 (3) また、民主主義的中央集権の組織原則を堅持するのではなくて、自分の担当するあれこれの分野から党を対置的に考えたり、自己の属する大衆団体や大衆運動を党にかわる一種の「前衛組織」とみなしたり、党からあたえられた自己の任務や部署、あるいはそれに関連した組織を私物化しようとしたり、はては自由分散的、非組織的、分派主義的な動きをするなどということは、根底から清算され、また粉砕されなければならない重大な誤りである。

 イデオロギー的問題

 (4) 情勢論での日和見主義や前衛党の役割の軽視、組織原則上の誤りは、イデオロギー上の誤りとも容易にむすびついている。たとえば、軍国主義、ファシズムと対抗するためには、ヒトラーが青年動員のために用いた「情念の話術」が必要であるなどと称し、「理論」にたいして「情念」(パッション=情熱、激情、感情の高ぶり)の高揚だけをうんぬんするような、まったく非科学的な小ブル急進主義的、観念論的な俗論におかされる傾向。さらに科学的社会主義とわが党の基本文献の学習を軽視するのと並行して、それらを攻撃したブルジョア的、反党的な出版物やトロツキスト挑発者の出版物に手をだし、それを覚ひぼうの「道具」にするなど。これはイデオロギー的退廃の一典型である。
 わが党はこれまで、大国主義的干渉者とそれに盲従する分子による反党分派主義と断固としてたたかい、全党の力でそれを失敗に追いこんできた。もちろん、右にあげた傾向はそれらとまったく同質同型ではないが、党を傷つける点で、結局のところ一定の相似性をもっている。
 これらの教訓や問題点についても、後続の論文がそれぞれ多角的に解明、批判をおこなう予定である。

 五 党と民主運動の前進の保障

 現在、わが党は、アメリカ帝国主義の各個撃破政策の的確な分析、暴露とインドシナ人民支援強化の適時のよびかけをはじめ、国際情勢の発展に適した正確な立場を堅持している。六月十二日の党中央委員会幹部会で宮本委員長ものべたように、「わが党の五月二十九日の中央委員会声明『ベトナムの堤防破壊などニクソンの蛮行の拡大を糾弾し、国際・国内の大抗議運動をよびかける』は、国際的にも国内でも反響をよび、とくにベトナム人民からつよい共感をうけている」(「赤旗」一九七二年六月十四日付または十五日付)
 そしてわが党は、ベトナム侵略糾弾、「自由出撃」反対、米軍基地撤去、ベトナム人民支援、公害反対などの大衆運動とともに、創立五十周年を記念する躍進大運動を展開し、画期的な前進をとげつつある。
 この正確な内外路線を堅持して躍進をとげる党であるがゆえに、わが党は民主的運動の一部にあらわれる誤った見解、「左」右両翼の動揺、日和見主義とその党内への侵入を適時にえぐりだし、解明し、克服することもできる。そして、まだ双葉のうちにあるものをふくめた「左」右の動揺、日和見主義的傾向の批判、克服が、党と民主運動の政治的、思想的水準と権威をさらにたかめ、その理論・思想上、組織上のいっそうの強化と前進を保障することも疑いない。

(党中央委員会書記局員)

(「赤旗」一九七二年六月十九日~二十日)