現在、日本共産党は全党あげて党創立五十周年の党躍進大運動を展開し、画期的な前進をとげつつあります。この五十周年の年に、不屈の革新者の党があらゆる分野で大きく前進をとげていくことは、米日反動勢力にたいする何よりも痛烈な打撃になるでしょう。五十周年にふさわしい共産党の大躍進という課題にてらして、いまわれわれが理論的、思想的にたたかい、克服していかねばならない課題の一つが、新しい日和見主義をめぐっての問題です。五月九日の中央委員会幹部会決定(「赤旗」十一日付発表)は、大衆運動のとりくみをいっそう強化するという問題とも関連させながらうつぎのようにのべています。各種の反党分子が、「党の内部をかく乱するために労働運動、青年・学生運動などのなかで党への中傷と不信をもちこみつつあること、したがって今日、こうした策動にたいして、断固とした、また機敏な、思想的・組織的闘争をおこない、かれらの策動を粉砕することが重要であることを会議は確認した」と。ついで、五月十五日付の「赤旗」にこの中央委員会幹部会の全党員へのよびかけが発表され、このなかでも再度ふれています。
また、「赤旗」六月四日付の民青同盟吉村委員長の談話は一部の週刊誌の記事にかんしてこうのべています。「同盟十一中委の大会延期にかんする発表文書のなかで、『大会前に処理しなければならない若干の重要問題』とある点についてですが、これは日本革命にたいする大国主義的干渉とさまざまな反党、反同盟活動があるなかで、同盟のごく一部に、同盟の『よびかけ』と規約に反し、同盟に損害をあたえる非組織的行動があったことです」
六月十二日の幹部会のコミュニケにはじめて「新しい日和見主義」という言葉がつかわれています(「赤旗」十四日付)。「歴史的な大運動成功へ」という見出しのコミュニケのなかで、幹部会が内外情勢を深く解明して、理論・思想闘争の意義を強調し、そのなかで不破書記局長がつぎのような報告をしたとのべられています。
「一部にあらわれたこれらの傾向(注、新しい日和見主義・分派主義)は、アメリカ帝国主義の侵略性を過小評価し、アメリカ帝国主義の対中・ソ『接近』をもっぱら帝国主義の『危機』とみなして、ニクソンによるベトナム侵略の凶暴な拡大を軽視し、また沖縄協定によって日本軍国主義が主要な危険になったなど、日本軍国主義を主敵とする事実上の『一つの敵』論を指摘していました。そして、中国の干渉者や盲従分子の党攻撃に事実上呼応して、日本共産党の人民的議会主義の立場や、党の組織活動改善をブルジョア議会主義、修正主義などと非難し、党勢拡大を独自の課題としてとりくむことにも、事実上反対してきました」。書記局長は「これらの新しい日和見主義と結びついて、若干の大衆団体のグループに、党の規律にそむき、運動の正しい発展をさまたげる分派主義的、非組織的活動があらわれたことについてのべ、こうした日和見主義・分派主義をきびしく批判し、かれらとの闘争の経過を報告しました」と。民主運動、革命運動の歴史をみても、情勢のはげしい展開にともなって、しばしば「左」右両翼の日和見主義が発生し、それとの理論的、思想的闘争がもとめられてきました。宮本委員長が六月三十日の記者会見でのべたように、「重要な歴史の転回期、あるいは新しい情勢の変化がある場合には、こうした日和見主義はかならず生まれるもの」です。
わが党のこの十年余の歴史をとってみても、一九六〇年前後に発生した内藤知周、春日庄次郎などの右翼日和見主義、反党修正主義、分派主義の誤り。一九六四年に顕在化した志賀義雄をはじめとする対外盲従の修正主義、分派主義。さらに、一九六七、八年に中国の毛沢東一派の大国主義的干渉と直結して発生した西沢隆二、安斎庫治、福田正義などに代表される極左日和見主義、教条主義、分旅主義の誤り。これらは最悪の誤りでした。
国際的にも、情勢の発展過程でしばしば新しい「左」右の動揺があらわれています。フルシチョフらの無原則的な平和共存政策などにしめされる大国主義、修正主義も、毛沢東一派のベトナム問題を第二義化する「米中対決論」などにしめされる大国主義、極左日和見主義も、情勢の進展とふかくかかわっていました。
そうした日和見主義的動揺が党内に反映してくることは、マルクス・レーニン主義の創始者たちもくりかえし強調しています。レーニンはこうのべています。
「歴史上の独特な転換が生じるたびに、小ブルジョア的動揺の形態にはいくらかの変化が生じるが、この動揺はつねに労働者階級のまぢかにおこり、つねにある程度労働者階級のあいだにしみこんでくる。小ブルジョア的改良主義、すなわち善良な民主主義的あるいは〝社会〟民主主義的な空文句や無力な願望にかくれて、ブルジョアジーに追従することと、小ブルジョア的革命主義すなわち、口先では威嚇的で、いばって、尊大でありながら、実際には中身がなくて、ばらばらで、分散的で、無能なこと――これがその動揺の二つの〝流れ〟である」(「新しい時代、新しい形をとった古い誤り」、全集(33)三ページ)。さらに、「共産主義内の『左翼主義』小児病」のなかでは、ロシア共産党は「左」右両翼の日和見主義的誤りとたたかって強くなってきたことを強調しながら、こうのべています。「ボリシェビズムは、労働運動内のいかなる敵とたたかって成長し、強くなり、きたえられたか? 第一に、主として日和見主義(筆者注――これは右翼日和見主義)とたたかってである。……もう一つの敵は小ブルジョア革命性」である。「こういう誤りは、予想外のきっかけで、少しばかり新しい形をとって、これまでみられなかった装いをして、あるいは従来みられなかった環境のもとで、独特な――多少とも独特な情勢のもとで、いつでも現われてくるものである」(「共産主義内の『左翼主義』小児病」、全集(31)一六~七ページ)
ここからもわかるように、情勢が予想外の急転をしていくとき、あるいは民主的運動や闘争が情勢の変化に対応して新しく発展していくときに、この情勢をどうとらえるのか、闘争課題をどうとらえるのかということで、日和見主義的な動揺がおこり、右や「左」の偏向として現われてくるということです。
もちろん、すべての誤りがつねに同質であり、同型であるとはいえません。さきにあげた歴史上の事例は「左」右の動揺、偏向がもっとも重大な「左」右の日和見主義に発展し、さらには反党分派主義にまでいきついた最悪の事例です。それだけに、「左」右両翼の動揺や日和見主義にたいしては、早く気づき、見ぬいて、これを批判克服することが重要であるのです。
トロツキストや反党対外盲従集団は、「新しい日和見主義」の問題にとびついて、まるで日本共産党に「危機」でもおこっているかのようにさわぎたてていますが、わが党にはそんな「危機」などはまったくありません。マルクス・レーニン主義の原則に忠実なわが党は、「左」右の日和見主義との闘争では豊かな経験をもっており、そうした偏向、誤りと適時にたたかって克服し、党と民主運動のいっそう大きな前進を保障している政治的、理論的力量をもっているのです。
(イ)アメリカ帝国主義の侵略性の過小評価
新しい日和見主義も、内外情勢の発展とふかい関連があり、その意味では「時代的刻印」というか「時期的刻印」というか、そういうものが押されています。
一九七〇年代とともに、六九年秋の日米共同声明にもとづく日米沖縄交渉と沖縄協定の問題が日本の政局のなかで中心的な問題となって表面に出てきました。対米従属下の日本軍国主義復活の問題も世論が大きく注目するものとなってきました(この問題についてはあとでふれます)。
さらに、七一年七月にはニクソンの訪中計画が発表され、一ヵ月後には、ドル「防衛」措置が発表され、それと関連してアメリカの内外政策上の困難が当然のことながらいろいろとりざたされました。一部には「アメリカはガタガタだ」という議論さえあらわれてきました。ニクソン訪中にかんしては、これでアジアに「緊張緩和」がやってくる、といったことが大いにさわがれはじめました。
そうした議論に対応して民主的な運動の内部でも、あたかもアメリカが内外政策の両面で「危機的な状況」におちいり「崩壊的危機」にみまわれている、ということがいわれるようになってきました。アメリカを中心として「資本主義世界体制の大破綻」という規定づけもこころみられました。
また、それと関連して、アメリカ帝国主義のベトナム全面撤退を既定の事実とみなす手ばなしの楽観論もみられました。いわゆる「ニクソン・ドクトリン」にもとづいて、ニクソンはアメリカ兵の出血はなるべく少なくしながら、南ベトナムにおける新植民地主義的支配はしっかりおさえておく、そのための血は主としてベトナム人、アジア人に流させるという「ベトナム化」政策をとっています。「韓国」、フィリピン、タイ、オーストラリア、ニュージーランドの五ヵ国がまえからベトナムに出兵しています。その兵器は全部アメリカが提供している。南ベトナムにたいするアメリカの新植民地主義的支配を強固に維持していくことをめざした「ベトナム化」政策にしたがって部分的な米軍の撤退がおこなわれているのです。この問題についても、ベトナムからの米軍の全面撤退はあたかも既定の事実であり、時間の問題であるといった「観測」が流れました。これが民主陣営の一部にも反映して、ベトナムの事態は「一路勝利」の方向にむかっているかのような、ベトナム人民の困難をのりこえての闘争を評論家ふうにしかみない一面的議論が民主運動のなかにもあらわれてきたのです。
このような「一路勝利論」がどんなに事実と反しているかは、明白です。三月以降ベトナム人民の決起が、アメリカの「ベトナム化政策」に非常に大きな打撃をあたえてきていることは事実ですが、だからといって、ベトナム情勢をバラ色一色にえがくことはできません。アメリカはベトナム人民の英雄的なたたかいで重大な困難に逢着しているからこそ、狡猾な世界政策の展開をはかっているのです。一方で、社会主義大国にたいしては一定の接近、「やわらぎ政策」をとることによって、インドシナにおける侵略戦争をより安心して、より効果的にすすめるための後方の条件――これをわが党は「政治的保証」といっている―――を外交的、政治的にえようとしています。本来ならば一致団結してアメリカ帝国主義と対抗すべき社会主義陣営のあいだに、不幸ながら深刻な対立状態があります。ニクソンは七一年、七二年の外交教書で、「多中心化」あるいは「多極化」といい、また「三極構造」ともいっていますが、こうした社会主義陣営の対立につけこんで、それぞれの国に「接近」しながらその間をさくことに力をいれています。そうしながら、ベトナムに攻撃を集中し、侵略するというのです。実際に、ニクソンの北京訪間と並行してアメリカのベトナム侵略戦争は激化の一途をたどりました。ニクソンソ時も、アメリカはベトナム戦争をすこしも弱めてはいません。しかもかれらは、ベトナム人民にたいして、北京で周恩来と握手し、モスクワではブレジネフと握手した写真を刷り込んだビラを何百万枚とばらまいていると伝えられます。それが、ベトナム人民にたいする狡猾な心理的な圧迫をねらったものであることは説明を要しないでしょう。そこにアメリカの各個撃破政策、二面政策の本質が端的にあらわれているのです。
しかも、アメリカは最近、北爆についてもほとんど限定をつけていません。ジョンソン時代には、なにをどこまで攻撃するかということについて毎回許可をえるという限定が設けられていました。六月二十九日の「毎日新聞」のコラムも、どこまでいけば、ソ連が出てくる可能性がある、中国を怒らせるといった顧慮があったからだ、とのべています。しかし、アメリカはもうそういう顧慮をする必要がなくなっているかのようです。北ベトナムにおける爆撃もますます無限定になっています。人家をねらい、鉄道をねらい、堤防ダムまでもねらいうちしている。ベトナムの雨期は目前にきている。堤防が切れたところにひどい雨期がやってくれば、ベトナムの相当広域にわたって水が氾濫し、死地をさまよわなければならない人たちは何百万にものぼるだろうとさえいわれています。また、ベトナムの血管といわれる紅河にかかっているハムロン橋、これはジョンソンの数年にわたる爆撃でも一度も落ちたことのない鉄橋でしたが、今度の北爆再開直後にこの橋が落ちたといわれています。ニクソンは「レーザー光線」をつかった特殊爆弾さえ使っている。そういう新型の爆弾を開発して北爆を強化しているのです。
むろん、大局的にみれば、アメリカの経済的な困難がますます深化すること、その「世界支配体制」が打ち破られること、ベトナム人民がアメリカ帝国主義に打ち勝つことなどは、歴史の流れでしょう。また、南ベトナムおけるアメリカの「ベトナム化」政策が、とくにこの春いらい重大な打撃をうけていることもあきらかです。しかし、この大局的展望や、南ベトナムでの情勢からただちに、いますでにアメリカ帝国主義そのものが「崩壊的危機」にあるとして、事実上アメリカ帝国主義の侵略性を過小評価することや、現在の凶暴な侵略にたいする闘争を事実上軽視することは、基本的なまちがいになります。われわれはこの種の無責任な議論をしりぞけなければなりません。「空文句ほどマルクス主義の精神に反するものはない」(レーニン「選挙カンパニアの原則的諸問題」、全集(17)四一四ページ)のです。あたかもあと一突きすれば、アメリカ帝国主義が内外で崩壊するかのようなうわずった議論は、アメリカおよびベトナムの現実にたいする全面的把握からかけはなれていますし、結果的にはベトナム人民支援のたたかいを軽視し、その緊急性を事実上認めず、回避していく日和見主義におちいることになります。こういう意味において、アメリカのドル危機やベトナムの状態をどう見るかという問題をめぐってあらわれてきた、みかけは「左翼」的な日和見主義的な見解は、本質的にはアメリカ帝国主義の侵略性の過小評価という特徴をもつものです。
(ロ)沖縄問題と「日本軍国主義主敵論」
新しい日和見主義は、おもしろいことに、国際情勢論においては、いわば、うわずった楽観論という特色がつよいのと対照的に、国内情勢論ではまったくの危機意識にいろどられているという特徴がありました。それは、アメリカ帝国主義の侵略性を過小評価する新しい日和見主義にとって、主役を演ずるものこそ新しい日本軍国主義だというせっぱつまった議論に発展するのは必然でした。端的には、沖縄問題および日本軍国主義論です。
わが党は、沖縄協定の問題については、六九年の日米共同声明が発表された瞬間から、日米両政府の沖縄交渉の方向がきわめて侵略的かつ屈辱的なものであるということをくりかえし指摘し、七〇年七月の第十一回党大会の決議のなかでも「二つの道の対決」として非常に明確な規定をおこなっています。
「沖縄問題についての日米共同声明の見地は、沖縄の全面軍事占領という明白な民族的屈辱にたいする人民の抗議の声にたいして、日本の支配階級が安保条約にもとづくアメリカ軍の半占領、日本の従属状態の継続というわくのなかで沖縄の施政権を返還させるというものであり、このかぎりでは、施政権の返還ということで、なしくずし的に日本人民の主権の全面回復の革命的要求をそらし、緩和することをねらった一種のブルジョア民族主義的、妥協的『改良』の路線であります。しかもそれは、沖縄をふくむ日本の全土をアメリカのアジアにおける多角的軍事同盟にかたく結びつけ、さらに朝鮮、台湾まで軍事生命線とするという取り引きをアメリカと結ぶという、新しい侵略と従属の方向をうちだしたものであって、なんら民族主権を本質的に回復しないだけでなく、全体として、沖縄県民をふくむ日本国民にあらたな危険をもたらす路線であります。
わが党をはじめ自覚的民主勢力が要求している核と基地のない沖縄の無条件・全面返還の道こそ、真の民族独立を要求する民族主権の全面的、根本的解決への道であります。この路線こそ、真に独立、民主、平和をめざす立場から沖縄問題に接近する、解決の正しい路線であります」(『前衛』大会特集号三五ページ)
日米沖縄交渉は無条件全面返還という国民的要求をじゅうりんして、アメリカ軍の半占領というわくのなかで「施政権」だけを返還し、主権の全面回復という日本人民の民族的、革命的要求をそらすことをねらったものでした。沖縄県民をはじめとする日本の民主勢力は、アメリカに奪われている全軍用地を県民の手にとりもどし、いっさいの主権をとりもどすことをめざし、即時・無条件・全面返還を要求し、たたかってきました。これにたいしてアメリカ側は、とくに三年前に沖縄の革新勢力が統一して屋良主席を当選させた直後に、これまでのようなかたちで沖縄における米軍施設、権益を長期に保持していくことはむずかしいということをアメリカの上院でも問題にし、「返還」交渉にはいっていきました。ですから、その出発点から「施政権」の返還さえまがりなりにも強要していったのは民主勢力であり、佐藤首相がやったのは「施政権」の返還を取り引材料にして沖縄県民の土地を奪った米軍軍事基地、および基地機能の存続、インドシナ侵略をはじめアメリカのアジア侵略へのより緊密な協力を日本に押しつける侵略的、屈辱的なとりきめに応じたことだけです。この沖縄協定は昨年の参議院選挙の最中、六月十七日に調印されましたが、この沖縄問題が参議院選挙の第一の争点でした。沖縄問題をめぐって現われた「左」の日和見主義、小ブルジョア急進主義の傾向は、せっぱつまった絶望感に浸されながら、「軍国主義反対」を中心問題にしなければならない、「沖縄協定反対」ではなまぬるい、沖縄返還問題そのものの「粉砕」でなければならない、というふうになったのです。デモや集会でなければだめだ、選挙などとんでもない、と。共産党は参議院選挙をやっている、議会主義だ、「人民的議会主義ナンセンス」だといったことになっていく。ところが、参議院選挙そのものが、まさに沖縄協定問題を争点としてたたかわれたのです。そして、もしこの参議院選挙で沖縄全面返還を要求し、沖縄協定に反対する共産党がかりに後退をしたらどうだったか。沖縄協定反対闘争そのものを力のないものにしていったであろうことは明白です。
ところが、新しい日和見主義の傾向は、沖縄は本土とくらべて「なにか特別な例外的な状態におかれているのではない」、「本質的本土と沖縄の米軍基地機能にちがいはない」とか、「『本土の沖縄化』といういいかたは、本土そのものが美化される危険をもっている」などなどといういいかたで、沖縄が本土の「半占領」状態ともちがって、公然たる異民族支配、「全面軍事占領という明白な民族的屈辱」の状態におかれている根本問題をあいまいにしていました。しかし、本土もアメリカ帝国主義の支配下にあるということを理由にして、アメリカ帝国主義が、サンフランシスコ条約第三条によって、沖縄本土から切り離し、本土とことなった全面占領という軍事的・植民地的支配においていた事態をあいまいにすることは、大きな誤りです。これは、沖縄全面返還闘争が、なによりも民族主権の全面的回復をめざす闘争であることをわい曲するものです。
また新しい日和見主義の傾向はこういうふうにも論議してきました。日米共同声明は「日米の帝国主義的同盟関係の本格的構築」を意味する。日米沖縄協定で「日本の軍国主義・帝国主義がアメリカ帝国主義とならんで全アジア人民と直接的敵対関係にはいる時代」になる。これらの規定が、理論上帝国主義自立論につうずるものであることは、どんなに「対米従属」を口にしたとしても避けられません。しかも、沖縄協定の第一目標がホイーラー米統合参謀本部議長のいうミリタリー・コンプレックス(日米混合軍事体制づくりにあるとされました。そのばあい、この「日米混合軍事体制」は日米帝国主義の対等の軍事体制という意味をもたされていました。また、こういうふうにも議論してきました。沖縄協定は日本における軍国主義の全面確立のメルクマールである。さらにファシズムの前夜である。沖縄協定が結ばれれば日本は沖縄に自衛隊を派遣する。そうすれば、自衛隊はコンピューター複合体のもとで、実際上日本の自衛隊が台湾や「韓国」をも指揮下におくことになるんだ。沖縄協定こそは日本の軍国主義復活の全面復活を許すか許さないか、ファシズムを許すか許さないかの決戦である。
こうして、沖縄闘争は、沖縄全面返還のたたかいという主調がくずされ、軍国主義反対のたたかいだけにわい小化し、そらす理論構造ができあがった。そのさい、日本軍国主義は「新しい軍国主義」で、昔の軍国主義とはちがう、まだ全面復活をしていないのだとみていればたいへんなことである。一晩あければ軍国主義になっていたということになる、と。
もちろん、対米従属、日米軍事同盟のもとで復活強化する日本軍国主義が、戦前のままの軍国主義ではなく、あれこれの新しい特徴をもっているということは自明です。しかし、その最大の特徴をあげるとすれば、なによりも、アメリカへの従属のもとでの軍国主義復活だということにあります。ところが、この「新しい軍国主義論」では、その根本的な特徴をスポイルしていきました。そして、その場合、ニクソン・ドクトリンでうたっている「肩代わり」論を最大限に活用しました。
これが、アメリカ帝国主義とのたたかいを全部わきにおく「一つの敵論」、「日本軍国主義主敵論」であることは明白です。直面する闘争の重点を「日本軍国主義=自衛隊」反対闘争であるかのようにみなすこれらの主張は、日米軍事同盟の対米従属的性格を事実上見失うものです。それはまた、アメリカ帝国主義がアジア侵略の元凶であり、アジアから撤退するどころかニクソン・ドクトリンのもとで、従属・同盟諸国に「責任分担」を強要しつつ、アジア侵略のための拠点として確保するために最大の努力を払っている事実に目をおおう有害な日和見主義的俗論です。そして、このような主張が、結局は、ほんとうの危険性をおおいかくし、アメリカ帝国主義との闘争にとっても、それに従属する日本軍国主義の復活強化を阻止す闘争にとっても、ともにきわめて有害な役割りをはたすことはあきらかでしょう。そのことは、別の「日本軍国主義主敵論」者の実際行為がいっそうよく行く手をしめしています。
一昨年あたりから中国の周恩来などは、「日本軍国主義主敵論」を展開してきました。日本軍国主義はすでに復活完了しており、日本人民とアジア人民の主要な敵は日本軍国主義であり、佐藤である、と。しかし、日本の軍国主義がアメリカ帝国主義に従属した状態のもとで、アメリカのアジア太平洋戦略の一環をになって復活していることはあらそう余地もない事実でしょう。たとえば、宮城県の上空で昨年七月三十日、自衛隊の飛行機と全日空機が衝突して百六十二名が死亡する事件がおこりましたが、あのときもいちばん問題になったのは安保条約による軍事優先の日本の空でした。日米のとりきめで、アメリカは一方的な通告で「何日から何日間、どこからどこまで飛行機はとばせるな」と指定することさえできるのです。広大な「米軍専用管制空域」をもっています。日本の空は事実上、アメリカの管制下におかれている。陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊はアメリカのアジア戦略の一翼を担って活動し存在している。今度の四次防をみても、そのほとんどはアメリカからの輸入兵器によって日本の自衛隊の装備を強化していく予定です。これは一、二の例ですが、日本軍国主義は対米従属の刻印を強く押されて復活強化しています。日本軍国主義の復活の問題をアメリカとの関係を抜きにしてみていくならば、日本軍国主義復活強化に反対する正確な路線によるたたかいは生まれません。それは、周恩来などの「日本軍国主義主敵論」が、事実上、アメリカ帝国主義の代表者との「接近」「対話」のカムフラージュとなった事例からも明白です。
新しい日和見主義の傾向の軍国主義論も、基本的な性格としてはそこにおちつくものです。アメリカ帝国主義はどこかにふっとび、日米安保条約の問題も第二義化される。ベトナム戦争と関連して、日本本土からもアメリカの飛行機が出撃していっていますが、そういう米軍基地の撤去問題も第二義化されていったのです。日和見主義者がいちばん強調したのは、日本軍国主義=自衛隊との闘争であり、自衛隊基地との闘争です。恵庭事件の問題はとりあげる(もちろん、とりあげなければなりません)が、横田、立川などの米軍基地反対闘争はいわない。それは「日本軍国主義主敵論」というまったく誤った主張の有害な行く手にほかならないのです。
新しい日和見主義の傾向は、日本軍国主義は全面確立の一歩手前だ、ファシズム前夜だという議論を理屈づけるイデオロギー的な補助手段として、いくつもの新説をあみだしていました。独特な形の「一九三〇年代論」もその一つです。
つまり、今日の日本の状態は、一九三〇年代初頭のドイツとほぼ同じである。一九三〇年代初頭のドイツでは、ヒトラー・ナチスが急速にぼっ興して、民主勢力をおしつぶし、ファシズムの血の体制を確立していった。日本の現在は、まさに三〇年代のドイツと同じだ、と。これは、歴史的条件の分析なしに、日本軍国主義の復活過ベルサイユ体制下のドイツ帝国主義の復活過程になぞらえ、日本軍国主義主敵論を日本ファシズム主敵論にダブらせることによってアメリカ帝国主義の対日支配と、それに追従する日本独占資本の売国性を免罪するものでもありました。
ことわっておきますが、「三〇年代論」すべてそうだというのではありません。一九三〇年代を論じた本のなかには、まじめな学問的研究として、三〇年代の教訓を導き出そうとしているものもたくさんあります。
新しい日和見主義傾向の「三〇年代論」の結論は、明白な政治的傾向性をもつものでした。一九三〇年の選挙と一九三二年の二つの選挙を通じてドイツ共産党はかなり前進する。社民党はあまりふるわない。他方、ナチス党は急上昇をしめしていく。とくに三二年春一九三の選挙では一挙に数十議席を増やすという成果を挙げる。一九三ニ年十一月の選挙では三十議席ぐらい逆に減るのですが、それでもナチス党は第一党の地位をしめます。共産党も百議席までいく。社民党が百四十議席で、それを合計すると二百四十議席でナチス党を数十議席上まわる計算になる。ところが社民党が共産党との統一戦線に背を向けていった結果、第一党のナチス党が大統領の依嘱をうけ組閣をし、議会外のナチス突撃隊によるテロ行為、警察による弾圧とあいまって、一挙にファシズム体制をうちたてたのです。
新しい日和見主義の傾向は、このことをとりあげて、当時共産党は百議席ももっていたではないか、それでもナチスに負けたではないか、だから選挙で議員を多く送ってもなんにもならないんだ、こういう主張をもちだしていたのです。また、あれだけ大きな共産党があったにもかかわらず、ファシズムを防ぐことができなかったではないか、だから、党勢拡大をやってもだめだ、こういう議論をもちだしていたのです。それでは何が必要なのか。大衆闘争だ、では、どういう大衆闘争なのか。デモであり、集会である……。
しかし、大衆闘争にもさまざまなものがあります。ビラを配る、ポスターを作ってはる、あるいは地域で小集会をやる、みんなの意識をたかめる、これも立派な大衆活動です。あるいは労働組合で活動し、ストライキをやる、これもきわめてすぐれた大衆闘争です。沖縄闘争でいえば、現地の調査をして沖縄協定の実態を暴露する、国会においてその本質を暴露する、これも重要なたたかいです。政治闘争、大衆闘争は、多種多様の形態をとり、さまざまな人民諸階層のなかで展開されなければならないものであり、またそうであってこそ勝利の力をつくり出していくことができるのです。ところが、新しい日和見主義の傾向はそうではなく、党の拡大強化に反対する、選挙・議会闘争にも反対するという典型的な「左翼」小児病的な誤りでした。
こういう「三〇年代論」がどんなに事実とも反した、有害な議論であるかは、くわしく論ずるまでもありません。なぜなら、ドイツでは共産党が大きすぎたからナチスに負けたわけではない。あるいは共産党が議会に出すぎたからナチスに負けたわけでもないのです。もっとも大きな問題は、社民党が共産党との統一戦線に背を向け、議会の内外で共同の力でナチスを防ぐことができなかったことにあります。だからこそ、国際共産主義運動は、一九二〇年代の末から一九三〇年代の初めにかけてのドイツの教訓をふくめて、国際的な経験に立って、一九三五年のコミンテルン第七回大会において、デミトロフ報告が決議されるように、人民戦線および、人民戦線を基礎にする民主的政府の可能性という問題を理論的にあきらかにしていったのであり、そこに真の前進的な教訓があります。決して、そこからは、党は大きくしてもなんにもならない、議会に出てもなんにもならない、という教訓はでてきませんし、そういう教訓を引き出した党は国際的にもただの一つもありません。
逆に、いかにして共産党を大きくするか、いかにして議会にもより多く進出していくか、いかにして統一戦線をつくるのか、ということが教訓なのであり、それが日本共産党が現在実践していることです。さらに、この日本軍国主義、ファシズムおよび排外主義(国家主義)との闘争を当面の主要課題だとする議論とむすびついて、毛沢東盲従の「連合赤軍」事件を暴露、追及することまでが、「反中国感情」をあおる反動勢力の排外主義を助けるものにされるという、まったく奇怪な主張さえ生まれていました。それは、「連合赤軍」問題でその「毛沢東盲従」を衝かないわが国の一般ジャーナリズムの誤った論調を弁護し、「連合赤軍」の毛沢東盲従を免罪する日和見主義となるだけでなく、「排外主義」との闘争を口実にして、大国主義的干渉をゆるさぬ日本共産党の自主独立の立場に異をとなえる結果にもなることはあきらかでしょう。
以上にみたように、沖縄問題と日本軍国主義論をめぐっての新しい日和見主義の誤った議論は、異常な危機感、小ブルジョア的焦燥感にいろどられていました。それは、小ブルジョア急進主義の一つの現われということができます。
レーニンもしばしばいっていますが、資本主義のもとで小ブルジョアジーの憤激から「小ブルジョア革命性」がうまれます。これは、「プロレタリアの一貫した階級闘争の条件と要求からは、どの本質的な点でも、それている」(「共産主義内の『左翼主義』小児病」、全集(31)一六ページ)。小ブルジョア革命性は、一時的激情にかられて極左的なはねあがった行動に走るのがふつうです。それが失敗すると「挫折」して、無気力と絶望におちいってしまいます。小ブルジョア急進主義的傾向とむすびついて、古くさい「学生運動=ヘラルド論」といったものもあらわれやすい主張です。学生運動こそ「告知者」であり、先頭をきるものだというものです。いいかえれば「学生運動先駆者論」あるいは「学生運動前衛論」です。こういう議論は五〇年代の末からトロツキストその他によってくり返されてきた議論であり、労働者階級とマルクス・レーニン主義党の指導性を否定するための道具となる結論であることは明白です。余談ですが、トロツキストとたたかうなかで、相互浸透がおこることがあります。トロツキストとたたかっているうちに、それに引きずられて、激しい闘争形態によって対抗しなければトロツキストを克服できないかのような錯覚におちいる。これでは絶対にトロツキストを大衆から孤立させ、粉砕することはできません。大衆からは、たんなる「セクト間の争い」とみられることになるし、政策上、理論上の優位性をもってトロツキストを追いつめていくことは不可能です。ところが、「左翼」的日和見主義は、学生運動などでもしばしば現われてきた、あるいは現われやすい傾向です。
われわれは、反革命的なトロツキスト挑発者をきびしく糾弾することとむすびつけて、小ブルジョア急進主義的誤りを正しく批判し、その克服に努力しなければなりません。
「左翼」的な形態をとった新しい日和見主義は、さまざまな点でわが党の綱領路線と対立する性質をもつものでした。
(イ)「全体的かつ発展的」な現実把握と党勢拡大
わが党は十一年前の第八回党大会で綱領を決定しました。その綱領確定の過程で、当時の宮本書記長は、日本の現実をいかにとらえるかという問題にかんして、綱領報告のなかで、これを「全体的かつ発展的」にとらえるということを強調しました。
日本は戦前の帝国主義的な侵略国から、日本帝国主義の敗北によって敗戦国に変わり、アメリカの全面占領下にはいりました。しかし全面占領下にはいったとはいえ、高度に発達した資本主義国でもありました。
しかし、このような新たな歴史的現実を全体的にとらえることができず、高度に発達した資本主義であればそこでの課題は社会主義革命であるという図式が一部の人びとによって唱えられました。春日庄次郎や内藤知周などの右翼日和見主義的な傾向によって主張されたものです。それは日本におけるアメリカ帝国主義の支配とのたたかいの課題を放棄する点に本質的特徴がありました。ところが、戦後の全面占領のなかでアメリカ帝国主義は、アジア・アフリカの民族解放運動、社会主義の発展に対抗して、アジア唯一の高度に発達した資本主義国日本を自分の目したの同盟者として復活強化する道をとったのです。さらに、日本の独占資本自体も、アメリカ帝国主義との従属的な同盟という道を選びました。独占資本であればかならずその競争の関係が激しくなっていく、かならずそれは自立したものである、あるいは自立するものだなどというドグマでは、こうした戦後の日本のおかれた歴史的な特殊性を理解することはできません。アメリカの全面占領のもとで、日本の戦後史ははじまり、アメリカによって日本の独占資本の復活強化がはかられたという特殊性を事実としてふまえることが必要です。アジアでは相次いで民族解放運動が発展し、ベトナム、朝鮮、中国でも革命が勝利するという状況に対抗して、日本独占資本も強大な戦後の世界反動の支柱となったアメリカ帝国主義との従属的な同盟という道を選んだのです。
ここから、アメリカ帝国主義とそれを従属的に同盟する日本独占資本、この二つの敵の支配を倒すという課題が日本国民の前に提起されることになったのです。この二つの敵の支配打破のたたかい、一九五二年のサンフランシスコ条約、安保条約、行政協定をはじめとする一連の法体系によって法制化されているサンフランシスコ体制を打破するたたかいは、いまも依然として必要です。そういう点では、自民党の路線は一貫して安保堅持です。最近では角福戦争とか、三角大福などといわれていますが、自民党の基本路線、日米安保条約を堅持する、サ体制を堅持するということは、三角大福のいずれをとっても変わらない。われわれとしては、アメリカ帝国主義の支配を脱し、それと従属的に同盟を結んだ日本独占資本の支配を倒すこと、別の言葉でいえば、安保を廃棄し、平和・中立の日本を目指して革新統一戦線をつくり、そのうえに民主連合政府を樹立する。さらに、そこから反帝・反独占の民主主義革命をやりとげるわが党の路線の意義はますます大きくなっているといえます。
この人民の民主主義革命をやりとげる主人公は、いうまでもなく労働者階級をはじめとする日本の人民であり、それは外国の干渉をゆるさぬ自主的な事業です。自身に非常に大きな責任を課しています。どういう責任か、それは共産党を大きくすると同時に、統一戦線をつくり、この統一戦線を土台として日本の新しい民主的政府を作っていくということです。このたたかいは、一年や二年でできるものではありません。
今年、五十周年を迎える共産党も、これまで、文字どおり苦難の道を歩いてきた。これからも政治変革、革命の事業が容易でないことは明らかです。この政治変革の大道は、今日の日本の諸条件のもとでは、なによりも、党を大きくし、統一戦線をつくることにあります。そして、この政治変革の大道から、右や「左」にそれていく日和見主義にたいして、われわれはつねに警戒することが必要です。
新しい日和見主義の傾向は、先にもみたように、現象的には「左」の形態をとって、党の革命の路線からはずれる主張に到達していました「日本軍国主義主敵論」もまさにそういうものです。これは反帝反独占、アメリカ帝国主義と日本の独占資本という二つの敵のうちの一つの敵を棚上げしていく日和見主義の主張にほかならないのです。それから、党建設・党勢拡大の問題にしても同様です。大きな大衆的前衛党をつくっていくのは党自身以外にだれもこれをやってくれるものはいません。われわれ自身が党勢拡大を意識的追求していかないかぎり、ほかに共産党の拡大強化を追求してくれるものはないし、それについて云々してくれる人もいません。むしろ、共産党が小さくなれば、停滞すれば大きなニュースになると思っている人のほうが多いくらいです。共産党だけでなく民青同盟にしてもそうです。党や民青同盟を自然成長的な発展にまかせてはおけない。目的意識的に自らの党、自らの同盟を大きくしていかねばならないのは自明のことです。この目的意識的な党の強化あるいは大衆的前衛党の建設こそ、わが党がこの十数年来まもりぬいてき旗であるし、また実際にそのことを通じてわが党は今日の党勢を実現し、日本の政治的な諸関係のなかで大きな役割りを担うまでに前進してきたのです。
ところが、新しい日和見主義の傾向は党建設、党勢拡大の問題についてきわめて否定的な態度をとってきたのです。これは民青同盟の場合でも同様です。この傾向は、口では「大闘争、大拡大」といい、一見二本足の活動を主張しているかのようにみえます。ところが、「大闘争、大拡大」ということをつきつめていえば何なのかというと、「大闘争なんだ」という。つまり、大闘争ということを口実にして拡大問題を棚上げしたり、第二義化していくという傾向が歴然としていたのです。
しかし、今日、党を大きくしなければならないということは、日本の政治変革を、まじめに考えれば考えるほど、明らかなことです。ロシアの特殊な条件のもとにおいてさえ、レーニンはくりかえこのことを強調しております。エンゲルスもすでに百年前一八七一年のパリ・コミューンの直後、マルクスの『フランスにおける階級闘争』序文のなかで、バクーニン主義などを批判しながら「奇襲の時代……少数による革命の時代はすぎさった」と述べています。それ以後、多数者を獲得する、党の周囲に圧倒的な人民大衆を結集し、その力によって政治を変え、社会を変えていくということが、正常な政治変革の道として国際的にも確認されてきたことです。現に、フランスやイタリアなど西ヨーロッパ諸国の党はもちろんのこと、昨年、人民連合政府を樹立したチリも、非常に大きな党です。たとえば、チリの場合、共産党の大きさは、人口比ですると日本の数倍の党勢をもっています。それだけの力があって、人民連合政府を樹立することも、また統一戦線をつくることも可能になったのです。
日本における経験も、また、強大な党なくしては統一戦線をほんとうに発展させることはできないということを示しています。もちろんわれわれは大衆闘争をくり返し強調しています。大衆活動と党建設の二本足の活動、これは一貫してわが党が強調し通してきていることです。しかしながら、大衆運動や労働組合運動など大衆闘争を口実にして、大衆的前衛党を建設する党勢拡大を、かりに、われわれが第二義化したり、後景にしりぞけたりするならば、それをよろこぶのは反動勢力の側であって、人民の側ではけっしてないということも明らかだろうと思います。
(ロ)「反議会主義」的な立場
第二の論点は人民的議会主義にたいする新しい日和見主義の議論です。新しい日和見主義の傾向は、人民的議会主義に反対だといっていました。そういう点では、一種の「反議会主義」の立場に流れていたといってもいいと思います。
かれらは、人民的議会主義といっても、議会主義には変わりはない。だから、結局、ブルジョア議会主義と同じではないか。こういう理屈立てです。では、人民的議会主義についてわが党が述べたものを読んでいるのか。「そんなものはみんな読んでないんだ」といっている。読んでなくて人民的議会主義は、ブルジョア的議会主義と変わるところがない、ナンセンスだというのは、それこそナンセンスです。
この点については、理論的に明確につかむ点で従来から一部には混迷があります。議会主義とだけいって、ブルジョア議会主義、人民的議会主義などいろいろの議会主義を区別していないのです。たとえば、最近青木書店から出た『哲学辞典』をみてみましたら、やっぱり単純な解釈しかされていない。議会主義といえば、みんな「日和見主義」ででもあるかのような俗流的な解釈がなされている。しかし、レーニンも、「どんな議会主義が労働者階級にとって、必要なのか」「社会主義と戦争」全集(21)三三一ページ)ということが問題なのだといっています。つまりブルジョア議会主義もあれば、社会民主主義的な議会主義もあり、革命的な議会主義もある。レーニンは、当時のロシアの特殊な条件のもとでの国会、つまりドウマというツアーの付属機関にすぎない国会の場合ですら、国会および選挙活動を非常に重視してたたかいました。レーニンは革命的議会主義という言葉を使ってブルジョア議会主義や社会民主的な議会主義と区別しています。
では、わが党の人民的議会主義とはいったい何なのか、わが党の綱領は、「この闘争において、党と労働者階級の指導する民族民主統一戦線勢力が積極的に国会に議席をしめ、国会外の大衆闘争と結びついてたたかうことは重要である。国会で安定した過半数をしめることができるならば、国会を反動支配の道具から人民に奉仕する道具にかえ、革命の条件をさらに有利にすることができる」とのべています。これはすべての党員が承認している綱領の規定です。さらに、革命後の問題として、「名実ともに国会を国の最高機関とする人民の民主主義国家体制を確立する」と明記しています。これが反帝・反独占の人民の民主主義革命の過程および革命後をわれわれが展望しているものです。そういう点で、わが党は議会の活動についても、その重要性を明確に位置づけているし、将来の民主主義的な国家体制の在り方についても明確な展望を示しています。しかも、それはいまになって急にいいだしたものではないし、またこれはなんの根拠もなくやみくもにいっているのではない。非常に深い意味がある。われわれは将来の独立・民主日本の民主主義的国家体制を展望しているのです。われわれは、そういう過去と現在と未来との関連のなかで人民的議会主義をあきらかにしているのです。新しい日和見主義の傾向は、人民的議会主義は二中総ではじめてだされたのだなどといっていました。しかし二中総ではなく、これは第十一回党大会報告そのもので規定しています。そしてこの第十一回党大会報告は、先に引用した綱領の規定をひきながら「……真に民主的で進歩的な代議制度の重視――ことばをかえていえば、人民的な議会主義の正しさ」『前衛』大会特集号四九ページ)というように説明しています。わが党の人民的議会主義は、まさに綱領でのべた内容を具体的に示しているものなのです。さらに、この人民的議会主義は今日の日本の歴史的条件に即して自主的・科学的に解明されたもので、反帝・反独占の人民の民主主義革命の段階に照応する議会主義です。現在の段階において、労働者階級にとって必要なのはいかなる議会主義かというレーニンの問題提起に答えるならば、それは人民的議会主義以外にあり得ないでしょう。
したがって議会活動あるいは選挙闘争を重視することをブルジョア議会主義と同一視することは理論的にはまったく幼稚なあやまりであるばかりでなく、実践的にはきわめて有害です。
レーニンは、近代社会における階級闘争のもっとも純粋な形態は政党間の闘争であるといっています。いま、日本における政党間の闘争はどういう形でおこなわれているのか。日常の活動においても、選挙においても、議会のなかでもおこなわれている。米日反動の政治的代理人としての自民党と、日本の労働者階級をはじめとする人民大衆の根本的な利益を代表する共産党との真向うからの対決を基軸としながら、中間諸政党の諸動向をふくめて、はげしくすすんでいます。この政党間のたたかいの重要な舞台である選挙や議会においてわれわれが負けるということ、あるいは少数に甘んじるということが階級闘争の純粋な形としての政党間の闘争において何を意味し、だれをよろこばせるかはまったく明らかであります。われわれは、人民的議会主義とブルジョア議会主義とを根拠もなく同一視する誤った議論にたいして、きびしい理論的批判をおこなって、これを克服していかなければなりません。
とくに、総選挙は近い情勢です。われわれがこの選挙で前進をかくことが、日本の政治変革の事業を具体的に前進させるうえで重要だということを再度確認しておきたいと思います。
(ハ)主観的な「前衛性論」
第三に、「六中総」「組織活動改善の手引き」に関連して「前衛性論」をめぐる議論があります。一連の活動改善の「手引き」は、さまざまな具体的な条件の人たちが、その条件、能力、趣向などを十分に生かして、団結して活動できるように党活動を改善していかなければいけないということを強調しました。この六中総にたいしても、新しい日和見主義の傾向は「党の前衛性」をうすめるものだといった議論をおこなっていました。「手引き」は、困難な条件の場合には、会議をかならずしも一週間に一回ひらかなくてもいい、一ヵ月に一回でもいい、連絡という形で方針を徹底させることができるといっている。これを労働者階級の前衛党としての性格をうすめていくものだといっているのです。
これはたいへんなよみ違いです。六中総は、支部会議を開く条件があっても、必要があっても、一ヵ月に一回しか開いてはいけないとは一言も書いてない。党内には、いまや三十万の党員がいます。なかには八十歳のおばあさんもおれば、四人も五人もの子どもを育てている主婦の党員もいます。たとえば、この主婦やおばあちゃんを若い青年と同様にかならず一週に一回会議に出なくてはいかん、たまたま一、二回、忙しくて欠席したら、〝結集が悪い〟〝除籍だ〟ということでは、日本の政治を変えるために、このおばあさんや主婦だけでなくいろいろな制約をもちながらも、それらをのり越えて党の戦列に参加してきたすべての人びとのほんとうの意志を尊重し、その人たちの力を全党の力として発展させることはできません。革命は幾人かでやるのではありません。どんな党員でも長所をもっています。その長所を最大限に生かし、伸ばしていくなら、革命の事業にそれぞれふさわしい貢献をすることがかならずできます。
こうしたことを考える段階まで、われわれの党は前進してきたのです。それは、党が大きくなったからそうであるし、またいっそう大きくなろうとしているからそうなのであります。こうしたことを、新しい日和見主義の傾向は、前衛性をうすめるものだというのです。それではかれらのいう「前衛性」とは何なのか。先の例でいえば、年寄りには前衛性はないのか? 子どもをもったお母さんには前衛性はないのか?
そもそも、前衛性というのは、党が労働者階級の最高の組織として、その根本的な利害にもとづき、しかも正しい路線をもち、独立・民主の日本、社会主義の日本をめざし、指導階級としての労働者階級を先頭にして他の諸階層を統一戦線に結集し、導いていく。これが何よりも労働者階級の前衛党がもっている基本的な性格であり、歴史的使命です。前衛党というのは、個々の分野ではなく、日本全体をみわたし、全階級をみわたし、全階層をみわたして、革命運動の課題と諸問題をあきらかにし、いろんな動揺や誤りを正していくことのできるものです。ある特殊な部面、学生運動、青年運動、労働組合運動、あるいは婦人運動といったそれぞれの特定の局所からのみ前衛党の前衛性を論じることはできません。それは、科学的社会主義の根本原理に立ちかえって、はじめて確定できる問題です。さまざまな条件をかかえた人びとを最大限に結集し、その力を発揮させていくこと、そこに前衛性の具体的なあらわれがあるのです。「前衛性をうすめる」うんぬんは、そういう点において、大きく発展し、さらに発展しようとしている党の現在の水準と党の到達点を認識することができないこととも結びついた認論といわなければなりません。
(ニ)学習軽視の「青年同盟論」
四番目の論点は、事実上、学習を軽視する傾向にかかわるものです。わが党は六中総で、民青同盟幹部の若返りの問題を提起し、また青年同盟の場合には学習の比率をぐっと高める必要があると学習の重要性を強調しました。この六中総の提起した若返りの問題にたいしては、幹部が卒業してしまうと民青が変質するのではないかといった悪宣伝が一部にあらわれました。
また、青年同盟において学習を強調することは、「青年同盟論」の核心でもあるのです。民青同盟の規約そのものが学習を非常に強調しています。たとえば、民青同盟の「よびかけ」は、「歴史が正しさを証明した科学的理論であり、人類が達したもっとも高い理論であるマルクス・レーニン主義を学ぶ」とうたっています。規約でも「実践のなかでマルクス・レーニン主義の学習に努力する」と同様の規定をおこなっています。レーニンもしばしば、学習の問題に大きな力をさいています。有名な一九二〇年の演説「青年同盟の任務」のなかでも、青年は過去の人類の遺産である知的な達成を学ぶこと、マルクス主義を学ぶことを非常に強調しています。
それにたいして、新しい日和見主義の傾向は、レーニンが学習を強調したのは革命後である、などといっていました。いま、日本はまだ革命前だから、学習を重視しなくてもよい、というのです。しかし、レーニンは、革命後だけ学習を強調しているのではなく、革命のずっと前から一貫して青年の学習を力説しています。たとえば、一九〇三年の「革命的青年の任務について」という論文では、冒頭部分から、「なるほど俗流的な『革命主義』のありきたりの見地からすれば、学生の思想的統合は、全一的な世界観を必要とせず、むしろそういうものを排除する。思想的統合は異なった種類の革命思想にたいして『寛容な』態度をとることを意味し、ある特定の思想範域を断固として承認するのをさしひかえることを前提とする」と、俗流的な「革命主義」を批判しています。そして、思想的な問題を強調しつつ、「学生の一部は明確で全一的な社会主義的世界観を自分につくりあげようとのぞんでいる」といい、「完全に明確な綱領の見地に立ってこそはじめて、きわめて広範な範囲の学生のなかで学園的な視野を広げるために、また科学的社会主義、すなわち、マルクス主義を宣伝するために学習することができるし、活動しなければならないのである」(同論文、全集(7)三〇、四三、四四ページ)といって、革命的青年が科学的な世界観、科学的な理論を身につけることの重要性をくりかえし強調しております。
さらに、ドイツの革命家、クララ・ツェトキンは、「プロレタリア青年運動は、言葉のもっとも広く深い意味で国民教育である」とまで、革命的青年の学習の意義を強調しています。
学習の強調は当然です。なぜなら、青年同盟のそれぞれの同盟員は、学習することによって自分たちの仲間のあいだで、知的な権威をうちたて、同時に青年大衆のあいだに信頼をたかめてゆくことができるからです。この点では、日本のマルクス主義は伝統をもっています。戦前には共産党員が勉強家であったことの恩恵かもしれませんが、〝あそこの息子がアカになったそうだ、あたまがよかったからな〟とよくいわれていたというエピソードがあります。そういう点では、党は知的な権威をもっていました。これは、日本におけるマルクス主義の優れた点だと思います。わたしたちももっと勉強しなくてはいけない。青年の場合なおさらです。なぜなら、若いうちの学習が将来に飛躍し、前進していく基礎になるからです。さらに、世代継承というか、いまの若い民青同盟員は、つぎの日本の民主運動、革命運動の担い手になっていく人びとです。さらに、われわれの革命の事業が成功するならば、つぎの新しい独立・民主日本の担い手になっていかなければならないわけです。レーニンが学習を強調した意味もそういうところにあったし、われわれもまさに、雄大な革命的展望と関連して民青同盟員の学習の問題を考えなければならないと思うのです。
わが党の第十一回大会は、こうのべています。「青年・学生運動は、思想・文化戦線の新しい働き手の育成をふくめ、日本の革命運動、民主運動全体の幹部と活動家の後継者を育てるという重要な任務をになっています。学生運動でも、全体として学園民主化の闘争を『学ぶこと』と結びつけることが重要です。レーニンも強調しているように、マルクス・レーニン主義の科学だけでなく、ブルジョア科学の成果をもふくめて、人類の価値ある文化遺産を積極的に学びとることなしには、わたしたちは新しい人民的文化の建設に積極的に貢献することはできません。また、その意味からも人間形成のうえでも重要な時期にある高校生の問題を重視する必要があります。『学ぶこと』は、民主的な青年・学生の重大な任務の一つであります。たたかいつつ学び、学びつつたたかうこと――これを、わが党は、青年・学生運動の重要問題の一つとして強調したいと思います」(『前衛』大会特集号七四ページ)。
学習を強調することを、なにか闘争を軽視し、大衆運動を第二義化するかのようにゆがめ、否定することが、いかに原則的な立場からの逸脱を意味しているかはもはや説明はいらないと思います。それどころか、このような見地に立つなら、反動的なイデオロギー、腐敗した思想攻勢がうずまいているなかで青年が学習しないならば、さまざまなブルジョア・イデオロギーに浸触され、前進できる人もその基礎をきずくことができないということになります。そうではなく、たたかいつつ学び、学びつつたたかう、これを貫徹してこそ、われわれの革命的事業の新しい世代を立派に育ててゆくことができるのです。したがってこの正確な方向を理解しない誤りにたいしては、われわれは適切に批判し、これを克服していかなければならないと思います。
(ホ)無原則的な「情念」の讃美
第五は、先にみた「三〇年代論」や「ファシズム前夜論」などと結びついてとりざたされた、いわゆる「情念論」の問題、パッションの問題です。
赤塚行雄の『情念の話術』というベストセラーになった本があります。そのライト・モチーフは、人間というのは女である、だから、ささやきかけるように、かつまた情熱的に話せば、陶酔しひきずられていくものだというものです。この本は、それを最大限に使って青年をだましファシズムのデマゴギーにひきずりこんでいったのが、ヒトラーでありゲッペルスであったのだと書いています。
新しい日和見主義の傾向は、この本をたいへん珍重し、先にのベたように「ファシズム前夜」という現状認識ですから、それに負けないためには、われわれも「情念の話術」が必要であるというふうに議論を組み立てていったのです。そして、なんの限定もつけずに、情念こそ必要だということで、それが提案されるという傾向がありました。
われわれは正当な意味での情念を否定するものではもちろんない。たとえばマルクス主義についても、革命性と科学性との統一ということがいわれます。革命的情熱と科学的な理論、あるいはリアリズムとロマンチシズムの統一をマルクス主義は追求する。マルクス主義は、ロマンチシズムを否定するわけでもないし、情念を否定するわけでもない。しかし、この情念だけが、科学性から離れ、あるいはリアリズムから離れていった場合に、どういうことになるか。情念は、理論的には無限定です。たとえば、特攻隊となって「華と散る」というのも、情念の一つの表出です。それは軍国主義的な情念です。戦争中はすべての日本の国民がそういう教育をうけてきた。また、三島由紀夫のように腹を切って、「憂国の至情」を現わしたと錯覚した情念の発露もあるわけです。
たんなる情念は、さまざまな諸個人の活動力の発揮、生命力発現のあれやこれやの衝動を意味するにすぎません。このように情念はそれ自体としては無性格なものです。だからわれわれが情念の問題を考えるとき、それがどのような思想、どのような科学と結びついた情念であるか、つまりどのような性格の情念かということが不可欠の問題となります。そしてまた、情念は革命的な理論、科学的な理論、科学的な路線と結びついてこそはじめてその真の意味合いをもつことができます。革命的で科学的な理論と結びついた熱情、情念のみが、個人的な主情の充足が、同時に社会全体の利益、歴史の進歩と一致するのであり、そのときはじめて個人の情念が個人的であると同時に社会的な性格をもつものになり、それ自体真に肯定的な意味合いをもってくるわけです。
しかし、先にのべた情念の無限定的な礼賛は哲学的にいえば、まさに主観主義、主観的観念論の泥沼であります。それはもう実存主義などとかわるところがない。あるいは、トロツキストの「主体性論」と変わるところがなくなる。真の意味で、情念を正しく発揮させるためにも科学的理論が必要です。これが基本的な命題です。ところが、かれらは情念を強調しようとし、そのあまりに、今度は理論を軽視し、唯物論や科学的な現実認識を「理論主義」だといって軽べつしていく方向におちいっていたのです。たとえば、客観主義といって、党の政治路線を非難するとか、あるいは「理論主義」であってはならない、もっと情念が必要だというかたちで、両者を対立させてゆく、これが小ブルジョア急進主義的な偏向の促進剤になっていったのです。科学的な理論や思想、世界観と切りはなされた、たんなる情念の讃美は、そういう役割りを果たすほかないものなのです。
そういう間違った「情念論」にたいしても、これを思想的にふかく批判し、克服していくことが必要です。
(ヘ)非組織的、分派主義的活動の粉砕と克服
こうした特徴点をもった新しい日和見主義の傾向が、最終的に、理論上、思想上の誤りだけでなく、組織原則上の誤りとも密接にむすびついていたということです。この問題については、さきの幹部会の発表のなかでも、「運動の正しい発展を妨げる分派主義的、非組織的活動が現われた」ということをのべています。
六月十九、二十日付「赤旗」のわたしの論文でも、この点についてつぎのようにのべています。「民主主義的中央集権の組織原則を堅持するのではなくて、自分の担当するあれこれの分野から党を対置的に考えたり、自己の属する大衆団体や大衆組織を党にかわる一種の『前衛組織』とみなしたり、党からあたえられた自己の任務や部署、あるいはそれに関連した組織を私物化しようとしたり、はては自由分散的、非組織的、分派主義的な動きをするなどということは、根底から精算され、また粉砕されなければならない重大な誤りである」、と。
しかし、ここでのべておきたいことは、吉村委員長の談話でものべているように、「同盟中央委員会はこの点について、同盟規約にもとづいて一定の必要な調査を行ない、この調査の過程で逸脱した部分はすべて自らその誤りを認めて」いるということです。
だからといって、われわれはこうした問題について「過去の問題だ」といったふうに安易に考えるのではなく、誤りと理論・思想闘争をおこない、それをわれわれのいっそうの前進のための教訓としていかなければならないと思います。「共産党はたえず思想闘争が必要である。党が相当安定した指導のもとに発展しているからといって、将来も何も起こらないとはいえない。あいまいな日和見主義的な考えはきびしく批判していく。党内平和になれすぎて安易になってはだめである」(六月三十日、宮本委員長)
わが党はより大きな前進の基礎をもっているし、現在の党の大きな前進が新しい日和見主義の粉砕、克服の証しであり、反党対外盲分子などへの最大の回答でもあるのです。
(さかき・としお=『前衛』編集長)