日本共産党中央委員会統制委員会は、一九七七年十二月三十日、袴田里見の規律違反について審議し、袴田を除名処分にすることを決定した。日本共産党中央委員会常任幹部会は、この決定を承認した。
一、袴田里見は、一九七七年十二月に反共雑誌の一つに党を攻撃する文章を発表する行為をあえておこなった。この雑誌はすでに印刷を終えて、一月早々発売されることになっている。かれはこれを、規律違反を承知の上で公表したとか、これによって党内のウミをはき出させるなどと称して、党かく乱の意図で公表したことを公然と自認している。
しかもかれは、このなかで、かれ自身も認めざるをえなかった自分の明白な規律違反には、いっさい口をつぐみ、逆にあたかも自分が党に不当に迫害されているかのようなデマを並べたてて、党を攻撃した。かれはこのなかで、戦前の特高警察や予審での自分の供述を合理化する一方、宮本委員長や他の幹部、党の運営などについて虚偽や邪推を根底にして口をきわめて攻撃している。党中央委員会の多くの同志をデクの坊のごとくののしり、今日の党活動についても、「赤旗」をすみずみまで読む党員をバカ扱いして中傷するなど、党と宮本委員長に悪罵のかぎりをつくしている。
これらが、党規律にいちじるしく違反したものであることは、いうまでもない。こうしてかれは、一昨年らいの反共布陣のなかで、日本共産党攻撃に狂奔してきた反共ジャーナリズムに登場して、党外から党を攻撃するという恥ずべき反党行為をおこなったのである。
二、かれのこのようなわが党とわが党指導部にたいする卑劣な攻撃は、これがはじめてではない。かれは一九七六年十二月七日、総選挙の結果が明らかになった直後の常任幹部会会議で、「自分はこんどの選挙では高みの見物をしていたが」というおどろくべき傍観者的な発言とともに常任幹部会と宮本委員長を突然攻撃しはじめた。それは、常任幹部会が選挙の結果についての声明を開票当日に発表したことは、その内容とともに不当である、また、選挙中に宮本委員長が記者会見で発表した暫定政権構想は、常幹にはからないで一方的におこなったものであるという、不当な非難が中心であった。
だが、これらの攻撃は、まったく根拠のないものであった。開票当日に、選挙結果について見解を表明することは、政党指導部としてきわめて当然のことであり、もし他党がそれぞれ見解を表明しているのに、わが党だけが時間をかけた総括がすむまでそれをおこなわないなら、不見識であるばかりか、国民にたいして政党指導部としての責任をはたさないことになる。また、声明のなかで、情勢で特徴的であった反共攻撃の問題を指摘したのも当然のことであった。
むしろ、開票当日なのに党本部に出勤せず、また声明について「赤旗」に発表する前に電話で内容を伝えられ、意見を求められながら、それにたいしなんら反対の意見をのべなかった袴田が、突然あとから攻撃しはじめたことこそ、無責任きわまりない態度である。
暫定政権構想についての発表も、会議招集が困難な選挙中の情勢のもとで、事前に、地方に出中の同志をふくめ、各常幹に電話連絡して意見を求めるなど、選挙戦のさなかでも集団指導の原則がつらぬかれていた。袴田ははじめ、自分は関知しなかったなどと虚偽のことをのべていた常任幹部会会議で電話連絡の証拠をしめされ、その事実をみとめざるをえなかったのである。このように、常幹会議での討論のなかで、かれの持ちだした非難が根拠がないことが明白になり、かれは自分の態度の非をみとめざるをえなかった。
ところがかれは、これを反省するどころか、そうした常任幹部会内部の問題を、病院の医療関係者や、年始に袴田宅を訪問した若干の同志などにも話し、その後も機会あるごとに、最近では「赤旗」配達員にたいしてまで、常任幹部会や野坂議長、宮本委員長を中傷し攻撃するという規律違反をくりかえしたのである。いうまでもなく、党員は党の会議でいかなる組織や個人にたいしても批判する権利があるが、同時に党の内部問題は党内で解決し、党外にもち出してはならないことは、党規約の明示する初歩的義務である。
しかもかれは、そのときだけでなく、すでに数年らい、党員であるかれの妻はもとより、党中央がかれのために任命した秘書など身辺の同志たちや、はては党員でない人びとにまで、党中央の方針と活動への非難や常任幹部会の個々の同志にたいする攻撃を、無規律におこなっていたことが明白になった。これが、党中央に反対する自分の同調者をつくろうとする悪質な分派活動に通じることは明らかである。
三、袴田里見はまた、一九七七年一月、ソ連を訪問したある人物を個人的使者として、党にかくれてソ連共産党中央委員会と連絡をとっていた。それは、ソ連に住みソ連の国籍をもつかれの実弟袴田陸奥男が、シベリア抑留時代の記録を出版しようとしたのにたいし、禁止措置の指示をだすよう申しいれたものであった。
しかし、たとえ実弟にかかわる問題であろうとも、党の副委員長が、外国の党の中央委員会、とりわけ日本の革命運動に大国主義的干渉をくわえ、その全面中止と両党関係の正常化をめぐって緊張した交渉がおこなわれている外国の党の中央委員会にたいして、党になんらの報告も承認ももとめずに、党の方針に反して個人的使者を送り、特別の依頼を申しいれることは、すでに決定されていた基準にそむき党の国際関係を傷つける重大な規律違反である。それが自主独立の党の一員として、許されない行為であることも明白である。
四、常任幹部会は、袴田の規律違反を調査するため、一九七七年二月五日、かれも出席した常任幹部会会議で、常幹内に調査委員会を設けることを全員一致できめ、かれもこれに同意した。ところが、この調査にたいするかれの態度は、みずからすすんで事実を報告することはいっさいせず、平気でウソをつくという不誠実きわまるものであった。
とくに常任幹部会会議および調査委員会からの数度の呼び出しにたいしては、最初に一回出席しただけで、かれの重大な規律違反がつぎつぎと明るみにでてきて以後は、袴田の出席が可能と医師が診断しているにもかかわらず、病気を理由に出席を拒否した。そのため、党中央から出向いていった調査委員会の代表にたいしても、まじめに調査に応じようとせず、口ぎたない罵倒でこたえた。しかもその間も、他の人への面接や電話によって、またかれの妻をつうじて、党中央や常幹の同志にたいする攻撃をくりかえしおこなっていたのである。
これらのことが明らかになった段階で、中央委員会常任幹部会は四月二十八日、党規約第六十一条二項(第十三回大会の規約)にもとづき、調査中の措置としてかれの党員権を六ヵ月間制限することを決定した。
五、袴田は、参議院選挙後の八月十日、六ヵ月ぶりに調査委員会の出席要求に応じた。しかしかれは、そこで自分の規律違反についてはなんら反省の態度をしめさず、逆に党の活動と党の幹部にたいする非難をくりかえした。とくに重大なのは、かれがこの席上で、こともあろうに野坂参議長をスパイと攻撃し、この野坂スパイ説をでっちあげるために、日系米人のジェームズ・小田なる人物と一九七〇年いらいたびたび連絡をとり、党中央にかくれて材料収集をつづけていたことをみずから暴露したことである。
このジェームズ・小田なる人物は、元米軍情報部員であり、しかもかれのいう野坂議長への疑感なるものは、かれの同僚であったCIC要員からもちこまれた、きわめて挑発的な情報であった。袴田が野坂議長スパイ説をでっちあげるためにもち出した材料なるものは、この小田の資料をはじめ、どれもとるにたらない荒唐無けいな中傷であった。
もし袴田が、真に党を防衛する立場からこの問題を重視したのなら、かれが最初に小田から情報をもちこまれたとき、ただちにこれを党指導部に報告し、その指導のもとに対処するのが当然である。ところがかれは、そのことを今日にいたるもいっさい党に報告せず、党にかくれて党外の人物と永年にわたって連絡をとりつつ個人的に材料を収集しつつ、党が参議院選挙で後退し、重大な局面をむかえたときに、時機を見はからってこれをもちだしてきたのである。これが、党中央にゆさぶりをかけ、自分の規律違反行為の帳消しをねらうばかりか、自分を党の中心におこうとする、みにくい野心から出たものであることは明白である。
調査委員会からその無軌道と二心的態度をきびしく批判されると、かれは、「こうしたことは個人の独断でやるのが当たり前だ」と、いささかの反省の色もしめさなかった。これこそ党の上に自分をおき、党の団結と規律に正面から挑戦する、許すことのできない党破壊行為である。
六十二月二十五日、かれの雑誌への反共文書の執筆が明らかになった時点で、統制委員会は袴田宅に代表を派遣し、かれのこれまでの規律違反事件調査のため十二月二十六日に党本部に出頭するよう通知した。袴田は、病気が悪化するなどの理由をつけて、これを拒否した。
十二月二十七日、統制委員会は再度代表を派遣し、病気を理由に出頭を拒否するのなら、病状を明らかにするため、かれがかかっていると称する医師の診断書を提出するよう指示した。袴田は、応対に出した袴田の妻を通じて面会を拒み、妻は通告文書を見たうえでこの文書を受取ることさえ拒否した。
十二月二十九日、統制委員会は、二十七日の医師の診断書の提出を求める指示が本人に伝わったかどうかをたしかめ、回答を求めるために三たび袴田宅に代表を送った。袴田は面会を拒否し、通告文の受取りも拒否した。このときも、門をとざし党機関の代表を内部に入れず、インターホンを通じてしか問答しない状態だった。
その夜統制委員会は、袴田宅に電話し、出席できないなら診断書を出すようかさねて通告した。電話口に出た袴田は、党幹部と代々木病院の医師を誹謗しつつ、診断書はこんごとも絶対出さぬと拒否し、電話をかけた統制委員会代表にバカヤローよばわりなど低劣な悪をあびせ、電話を一方的かつ乱暴に打切った。
統制委員会は大会後も慎重に事案を調査、検討してきたが以上の明白な諸事実にてらし、十二月三十日に党規約にもとづき、袴田の規律違反の責任をとうこととし、本人に弁明の機会をあたえるため、党本部にくるよう代表を派遣して通告した。これにたいし袴田は、いぜんとして診断書を提出せず、病気うんぬんという口実で出頭を拒否し、「どうとでもすきにしたらいい。おれはあくまでたたかう」などと暴言をはいた。これが、「党員にたいする処分を審査し、決定するときは、特殊のばあいをのぞいて、所属組織は処分をうけるものにじゅうぶん弁明の機会をあたえる」とさだめた党規約第六十九条の弁明の機会をみずから放棄したものであることは明白である。
袴田里見の以上のような行為は、党規約前文(三)(四)(五)項、第二条(一)(二)(五)(六)(七)(八)(九)項などに違反し、これをじゅうりんした最悪の規律違反行為である。よって統制委員会は、袴田里見を党規約第六十二条第六十三条にもとづき、第六十四条二項にしたがって、除名処分に付することを決定した。