日本共産党資料館

ニカラグア人民の歴史的勝利

1979年7月26日 『赤旗』主張

 中米のニカラグアでは、四十三年にわたるソモサ一族の親米独裁政権が人民の決起と民主勢力の統一の力で打倒されました。独裁者ソモサはアメリカに逃れ、二十日には反独裁勢力を結集した国家再建臨時政府の樹立が宣言されました。新政権を承認した国は、すでに二十ヵ国以上に達しています。

 独裁政権に未来はない

 臨時政府は、その基本路線として、国の主権と人民の自決権の確立、経済の復興、全弾圧法の廃棄、政党・大衆組織の活動の自由など民主的改革を打ち出しています。今回ニカラグア人民の勝利の中心勢力となったサンディノ民族解放戦線(FSLN)は、臨時政府の綱領のなかで、対外路線として、非同盟を明らかにしています。
 われわれは、ニカラグア人民の勝利を歓迎するとともに、ニカラグア人民と臨時政府が、あらゆる干渉をはねのけて、このような内外路線を前進させることを期待します。また、日本政府がただちに、この臨時政府を承認するよう要求するものです。
 ニカラグアは、長期にわたって、アメリカ帝国主義の直接・間接の支配を受けてきた国です。今世紀初頭、世界的帝国主義への発展の途上にあったアメリカは、太平洋と大西洋を結ぶ中米地域の戦略的価値を重視し、その一国ニカラグアに干渉、一九一二年から二十一年間、同国を軍事占領しました。そして、一九三三年に撤退したあとも、親米的勢力を使って事実上の支配を続けてきました。一九三六年にアメリカの支援のもとにクーデターをおこし、大統領となったのが、十七日亡命したソモサの父、アナスタシオ・ソモサ・ガルシアで、彼が今日まで続いた独裁政治の基礎を築いたのです。
 三代にわたるソモサ独裁のもとでニカラグア人民は貧困と無権利、抑圧のもとにおかれてきました。ソモサ一族が国土の四〇%、耕作可能地の二〇%を所有、コーヒー、綿花など国の主要産業をはじめ、航空、海運、自動車、テレビ・ラジオを支配し、推定五億という資産を有するに至った一方で、国民の半数を占める農民は年間一人当たり百二十ドルという赤貧状態におかれてきました。文盲率は今日も七割に達します。
 ソモサ独裁を支えてきた国家警備隊は、もともとアメリカによってつくられたもので、その残虐な弾圧によって知られていました。ニカラグアのカトリック教会も七七年、彼らの「即決処刑、拷問、婦女暴行」を非難し、「七六年はじめ以来、国家警備隊は農民二百二十四人を殺した」と公式に非難しています。
 こうした独裁政権に反対して、広範な人民が決起するのは当然です。実際、武装闘争の中心となったFSLNには、北部の農民、都市部の学生層、さらには大資本家の息子や弁護士などの都市知識階層が結集し、樹立された臨時政府には、FSLNだけでなく、資本家層を代表する保守党をふくむ、文字通り広範な階層が参加しています。
 自国民の三割から四割以上も虐殺したカンボジアのポル・ポト政権が、カンボジア国民の決起によって打ち倒されたことにも示されるように、国民の自由や生命を抑圧する独裁政権には、それがたとえ強固に見えようともけっして未来はない、というのが、歴史の冷厳な教訓というべきでしょう。

 民族自決の世界史的流れ

 同時に、かつてアメリカ帝国主義が海兵隊などの軍事干渉で支配を打ちたてた中米に、民主的で自立した政権が新たに誕生したことは、中南米におけるアメリカ帝国主義の支配の後退を示すものとして、歴史的意義をもっています。
 アメリカは、一九六一年、亡命キューバ人を使った、革命キューバへの侵攻作戦の基地としてニカラグアを使用した事実が象徴するように、その中米支配の拠点として、ニカラグアを支配してきました。
  〝人権外交〟の看板を掲げて登場したカーター政権が、昨年九月の内戦の直前に、ソモサ政権に二千万ドルの援助を供与するなど、同政権の延命を図ってきたのも、中米支配のうえで重要な位置を占めるニカラグアの確保という企図にもとづくものにほかなりません。
 カーター政権は、ソモサ政権が、人民のたたかいによって追いつめられるなかで、ことし六月には、米州機構(OAS)外相会議を開催させ、OAS平和維持軍の派遣という形でニカラグアへの軍事介入を企てました。しかし、OAS外相会議は、この要求をしりぞけ、逆に「ソモサ辞任要求を決議したのです。このOASの決定は、今日、〝アメリカの裏庭〟と呼ばれてきた中南米諸国も対米自立の傾向を強め、これまでのようにアメリカの指図通りには動かなくなっていることを示しています。
 カーター政権は、それでもなおかつ、ソモサ辞任と引きかえに、ソモサ政権の二大支柱、与党国民自由党と国家警備隊の存続を臨時政府に要求するという、ソモサなきソモサ体制づくりを企図しましたが、それもニカラグア人民のたたかいの前進の前に失敗したのです。
 アメリカ帝国主義は、ベトナム、イランにつづいて、自分の〝裏庭〟とみてきた中米ニカラグアでも敗北しました。
 これは、いかに強大な帝国主義国であっても、他民族を永久に支配、抑圧しつづけることはできず、民族自決への世界史的な流れをけっして押しとどめることはできないことを、改めて示したものといえます。