第二次世界大戦が終わって三十六年、一九八〇年代の二年目を迎えた今日、諸国民の願いに反して、世界は戦争か平和かの重大な歴史的岐路に立つにいたっている。
一九七〇年代後半に、一時期、いわゆる「緊張緩和」(デタント)が謳歌されたことがあった。その前史には、ベトナム侵略戦争で窮地におちいったニクソン政権の中国およびソ連接近政策の策動があった。このソ連接近政策とも関連して、一九七五年には、ヘルシンキ会議でヨーロッパにおける現状維持の確認がおこなわれた。もちろんヘルシンキ会議には積極的意義もあったが、同じ一九七五年のサイゴン解放とアメリカの敗北によるインドシナ侵略戦争の終えんともあわせて、七〇年代後半は、あたかも国際的に「緊張緩和」の時代がはじまったかのような様相をも呈したのである。
しかし、この「緊張緩和」なるものは、ごく短命で表面的なものでしかなかった。
アメリカのカーター政権は、七九年二月のイラン革命に深刻な衝撃を受け、にわかに中東に焦点の一つをおいた力の政策の再展開にのり出した。同年十二月、ソ連はアフガニスタンに軍事介入を強行し、アフガニスタンの民族自決権を乱暴に侵害するとともに、アメリカ帝国主義の力の政策の展開に絶好の口実をあたえ、国際情勢は急激に悪化した。
八〇年十一月の米大統領選で生まれたレーガン新政権は、本年一月発足以後、「強いアメリカの再生」をかかげて中東に焦点の一つをおいた新たな各個撃破政策、世界支配政策の本格的再構築にのり出し、西側同盟国を総動員して、大軍拡を開始した。他方ソ連も、これに公然たる「軍事力の均衡」論で対応し、軍事同盟と軍事ブロックの対抗を基盤とした軍備拡張の、際限のない悪循環が現在全世界的規模で進行している。
同時に軽視できないのは、イラン、イラク間の戦争がつづき、レバノンの内紛と結びついてシリア、イスラエルが断続的な軍事衝突をおこし、またイスラエルがイラク原子炉を爆撃するなど現に局地的戦争がおこっていることである。これらの局地戦が大国の介入と結びついて、世界の平和にとって重大な事態をひきおこす危険をふくんでいることも否定できない。
米ソを中心とした軍拡競争の悪循環と現に進行している局地的戦争の結果は、今日の世界の軍事費を膨大なものにしている。
ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の一九八一年版『世界の軍備と軍縮』年鑑によれば、昨一九八〇年の世界の軍事支出はついに五千億ドル(百十兆円)を超え、史上最高を記録した。同年鑑一九八〇年版は、こう指摘していた。「軍事支出の上昇は、不吉な意味をはらんでいる。第一次世界大戦と第二次世界大戦の前には、世界の軍事費ははね上がった。戦後期にも、大きな上昇を示したのは朝鮮戦争とベトナム戦争の時であった」
とりわけ重大なことは、核軍拡の悪循環が急速に核戦争の脅威を増大させつつあることである。
ワルトハイム国連事務総長が昨年九月十二日、第三十五回国連総会に提出した報告「核兵器にかんする包括的研究」は、今日世界にある核弾頭数が公表された数字によっても四万発を超え、その全威力は広島型原爆の数百万発分、TNT火薬にすると、「地球上の男女、子どもの一人ひとりにたいして、三トン以上に相当する」(『世界政治』八〇年十二月上旬号、三〇ページ)と指摘している。同報告は核戦争が「人類文明消滅の危険」を意味することを詳細に立証し、戦略核兵器の増大に加えて、「戦術核兵器の『戦域』使用能力が増大」した結果、「核による過剰殺りく(オーバーキル)は、いたるところで起こりうる」(同八一年三月下旬号、五八ページ)と警告しつつ、つぎのようにのべている。
「核兵器は国際的な安全保障にたいするもっとも重大な脅威である。その一つの理由は、現存する核兵器庫が国際関係のなかで独自の役割を取得するにいたっていることにある。今日では、核兵器体系それ自体によって、またこれらの体系がたがいにたいしてつくっている認識された脅威によって、重大な事故や、あるいは破壊的な戦争さえおこる可能性がある。これは、とくに強い緊張状態のなかでは、先制攻撃によって、ないし通常戦争レベルから核戦争レベルへのエスカレーションを通じて、引き起こされる可能性がある」(同、六〇ページ)
九十四ヵ国が参加して二月、インドのニューデリーで開かれた非同盟諸国外相会議の宣言もつぎのように警告している。
「今日、世界が直面する最大の危険は、核戦争による破壊の脅威である。新たな気違いじみた核軍拡競争に乗り出している核兵器保有諸国の行動は、人類が核による絶滅の影のなかで生きるよう宣告されたと思えるような状況を生みだした」(『世界政治』八一年六月上旬号、二二ページ)
こうした危険な可能性がすでに国際政治の現実のなかにはらまれていることを、さる六月七日、イスラエル空軍機がイラク原子炉を爆撃した事件が衝撃的に全世界に見せつけた。今日の情勢を、きわめて憂慮すべきものとしているのは、たんに軍備の拡大が全般的に進行しているということだけでなく、帝国主義陣営の主柱であるアメリカ帝国主義が、レーガン政権のもとで、準戦時態勢、臨戦即応態勢に移行しつつあることである。
レーガン政権のワインバーガー国防長官は、五月五日、シカゴでの米新聞発行者協会でおこなった「最近数ヵ月にわたって作成されつつあるレーガン政権の国防政策」についての演説で、つぎのようにのべた。
「国防省の第一の使命は、戦争遂行にそなえることである」
「第二次世界大戦の準備をしなければならなかったときには、ようやく間にあったが、そのような準備期間は再びないかもしれない」
われわれ日本国民にとって重大なことは、このようにして世界が戦争か平和かの歴史的岐路に立たされているとき、日本が、アメリカ帝国主義の戦争準備政策の、アジアにおけるもっとも重要な拠点とされ、その軍備拡張のもっとも有力な同盟者とされつつある事態である。
五月の日米首脳会談で、鈴木首相は、レーガン政権の世界戦略に全面的支持を表明したうえで、資本主義世界第二位の経済大国になった日本が「米国との緊密な協力のもとに、その力と地位にふさわしい役割」(五月五日、ニューヨーク日本協会での演説)を果たすことを誓った。日米共同声明で、鈴木首相は、中東における米国の努力が日本に「裨益」していることを認め、米軍の中東軍事介入に連動して「極東における平和及び安定」のための「役割分担」をひきうけ、「周辺海・空域における防衛力」増強に「なお一層の努力をおこなう」と誓約した。そして、米第七艦隊がインド洋、ペルシャ湾に移動して「留守になった」西太平洋を、「日本の庭先として守る」と強調した(五月八日、ナショナル・プレスクラブでの質疑応答)。
これは、鈴木内閣がレーガン政権の要請に応じて、日米軍事同盟のNATO型の攻守同盟化、憲法第九条の改悪を前提とした日米安保条約の双務化の方向をすすめる意図をあきらかにしたことにほかならない。
日米共同声明発表と同じ日におこなわれたライシャワー元駐日米大使の発言によってひきおこされた大きな波紋のなかから、唯一の被爆国である日本の国是、「核兵器をつくらず、持たず、持ち込ませず」という非核三原則をじゅうりんして、横須賀、岩国、沖縄、横田などにすでにアメリカの核兵器が持ち込まれているという重大な事実と疑惑が浮かび上がってきた。
日本は、西太平洋における戦域核の前進配備を強化しようとするレーガン戦略のもとで、核攻撃の最前線基地とされている。
同時にレーガン政権は、日本に、アメリカと同じ戦時認識に立って飛躍的な軍備増強をおこなうよう強硬な要求をつきつけている。
アメリカ政府は、この一月に発表された国防報告のなかで、GNP比率でアメリカの五分の一の軍事費しか負担していない経済大国日本を、「軍事的努力の拡大にかんして同盟国中で最大の潜在力をもっている国」と規定している。日本は、アメリカ帝国主義の主導する帝国主義陣営の軍拡計画のなかで、その成否をも左右する大きな比重をもつ国として、もっとも重要な役割を分担させられようとしている。
鈴木内閣は、六月五日の閣議で、来年度、一般経費は伸び率ゼロとする緊縮予算のなかで、軍事費を七・五増とする軍拡予算の方針を決定して、米政府の要請にこたえようとしている。
ところが、レーガン政権は、これでさえ満足せず、より大幅な軍事費拡大による、より速いテンポの軍事大国化をきびしく要求している。
六月十日から三日間、ハワイでおこなわれた日米安保協議委員会事務レベル協議で、米国側は、「ソ連の脅威」を強調し、「平時」を想定した現在の日本の防衛計画大綱を、「戦時」を想定した新大綱に移行させることをつよく求め、リストまで示して具体的な軍事力増強を要請した。首席代表ウエスト米国防次官補やロング米太平洋司令官らは「中東や朝鮮半島はいつ火を噴いても不思議でない差し迫った情勢にある」と強調したという(「朝日」六月十七日付)。
アメリカ帝国主義の核戦争準備政策のもとで日本もまた国の運命にかかわる重大な岐路に立たされている。
しかし内外情勢は、一路、緊張激化へ、右傾化と反動化へ進行しているのではけっしてない。平和と民主主義、民族自決を求める勢力の国際的規模での新しい反撃と運動の発展がはじまっているからである。
たとえば西ヨーロッパでも、アメリカの戦域核配備に反対する運動が、めざましいひろがりをみせている。それは、ロジャーズNATO軍司令官をして、「NATOの核近代化計画全体を解体させかねない」となげかせるにいたっている(『USニューズ・アンド・ワールドリポート』六月十五日号)。この運動と、経済危機のなかで軍拡ではなく軍縮を、平和と仕事を要求する運動とが結びついて、新しい政治革新の大波が生まれている。
フランスの大統領選挙でのミッテランの劇的な勝利とその後の総選挙での左翼の圧倒的勝利、共産党の入閣した革新政府の誕生、イギリスの地方選挙でのサッチャー政権の大敗、オランダ総選挙での核兵器配備反対勢力の前進、イタリアのフォルラニ内閣の崩壊とイタリア地方選挙でのキリスト教民主党の敗北と共産党、社会党の前進など、平和と民主主義を求める人民運動の高揚による新しい政治情勢が、疑いもなく、西ヨーロッパでひらかれつつある。
日本でも、鈴木・レーガン会談での日米軍事同盟強化に反対する世論と国民的運動が、米原潜の日昇丸あて逃げ事件、日米合同演習に参加した米艦船の北海道・秋田沖はえ縄切断事件、ライシャワー証言などを契機にした、核持ち込みに反対し、非核三原則の完全実施、立法化を求める運動と結びついて、急速に高まっている。この国民世論のまえに、鈴木内閣は動揺と混乱を深め、日米共同声明の解釈をめぐって外相が辞任するという、外交史上前例のない醜態さえ演ずるにいたった。新任の園田外相は、国民を欺まんするため、アメリカの軍拡要求にたいする日本の「自主性」なるものを、口先では強調してみせざるをえなくなっている。
あきらかに内外情勢は転機に立ち、国際的にも国内的にも、戦争か平和か、民族抑圧か民族自決か、反動か進歩かをめぐる二つの道の対決が、するどさをまし、テンポを速めている。
日本と世界のこのような現状のもとで、日本国民にとっても世界の諸国民にとってもどのようにして際限なき軍拡競争、とりわけ核軍拡競争をくいとめ、核戦争の危険から人類を救い、平和と諸民族の主権を守るかという共同の道をしめす平和のための綱領的要求が、緊急に必要になっているといわなければならない。
平和擁護のための共同の課題を探求するにあたって、まず分析すべき最大の問題は、なぜ一九八〇年代に、このような緊迫した危機がにわかに世界をおおうにいたったのか、その根源は何かという問題である。
二十一年前の一九六〇年、モスクワでひらかれた八十一ヵ国共産党・労働者党会議の声明は、当時の国際情勢の分析をつうじて、「侵略と戦争の主勢力」としてのアメリカ帝国主義の侵略計画に特別の警戒を払いながら、帝国主義と侵略の諸勢力にたいする社会主義、平和、民主主義の諸勢力の優位を確認して、「社会主義の世界陣営、国際労働者階級、民族解放運動、戦争に反対するすべての国、すべての平和愛好勢力が共同で努力をすれば、世界戦争を防止することができる」と宣言した。
この指摘は、基本的に正確なものであった。しかし、その後の二十年間に、国際情勢と諸勢力の動向は、予想を超えた複雑な展開をみせることとなった。それはなによりもアメリカ帝国主義の戦略の変化と、それとも結びついた国際共産主義運動の不団結と対立の拡大であった。日本共産党はそのなかで、アメリカ帝国主義がよぎなく社会主義諸国との平和共存を受けいれるにいたったかのようにみるケネディ美化論、ニクソン美化論など国際共産主義運動の一部にあらわれた誤りを批判しつつ、弱化したアメリカ帝国主義が、中対立な国際共産主義運動、社会主義陣営内部の対立を利用して、ソ連など大きい社会主義国との正面からの対決をさけながら、ベトナムなど大きくない社会主義諸国と民族解放運動を一つひとつ、各個撃破しようとする新しい危険な戦略をとっていることをあきらかにし、ベトナム侵略戦争にたいする反帝勢力の国際的な共同行動の決定的重要性を強調し、よびかけ、そのための国際的努力をはらってきた(一九六四年三月十日付評論員論文「ケネディとアメリカ帝国主義」、一九七一年八月二十一日付無署名論文「ニクソンとアメリカ帝国主義」その他)。
一九七五年、ベトナム人民はついに南ベトナムを解放して完全勝利をかちとり、千五百億以上の戦費と五十万を超す米軍を投入して、十年にわたってベトナム侵略に集中したアメリカ帝国主義の各個撃破政策に重大な打撃をあたえた。アメリカの威信は地におち、「パックス・アメリカーナ」(アメリカのもとでの世界秩序)は、崩壊しはじめた。社会主義、平和、民主主義の諸勢力は、複雑な内部矛盾をもちながらも、新たな世界史的勝利を記録することができたのである。
この偉大な勝利ののち、わずか数年をへずに、どうしてふたたび世界の平和にとって新しい重大な脅威が生ずるにいたったのか。その第一の、かつ最大の原因は、インドシナでのアメリカの敗北や石油ショックを重要な原因として、この期間にいっそう深刻化した世界資本主義の構造的、歴史的な危機であり、なによりもまずアメリカ帝国主義の相対的地位のいっそうの低下であり、逆にそこから噴出してきたカーター、レーガン両政権による帝国主義的反撃とまき返しにある。
日本共産党の第十五回大会の決議は、世界資本主義の今日の危機について、つぎのような特徴づけをおこなった。
「八〇年代の関頭にたって、世界情勢は、戦後史のうえでも、もっとも重要な激動の時期を迎えている。
世界資本主義の危機は、前大会以来の七〇年代の最後の二年間に、いちだんと深刻な進行をみせた。資本主義世界経済はいま、ひきつづく国際通貨危機、インフレと不況・失業の反復的同時進行にくわえて、新植民地主義支配の矛盾と結びついたエネルギー危機の表面化によって、その土台を大きくゆるがされている。こうした状況は、財政・金融による不況克服という従来のケインズ的政策を完全に破たんさせており、帝国主義陣営は、それにかわりうる政策を生みだしえないでいる」(『前衛』臨時増刊、五七ページ)
「いま八〇年代を迎えて、世界資本主義は、第一次世界大戦および第二次世界大戦前後の危機にも匹敵するような、政治・経済の全般にわたる深刻な歴史的危機に直面している。この危機の重要な特徴は、それが世界戦争とそれがひきおこした破壊や荒廃を前提とすることなく、資本主義体制の内部矛盾の、いわば『必然的』な発展と激化の結果として進行していることである」(同、六五ページ)
この構造的、歴史的危機は、最大の帝国主義国であるアメリカに集中的にあらわれた。ドル危機と恐るべきスタグフレ-ション、アメリカ経済をリードしてきた自動車産業の衰退に象徴される「二流国」への転落の危機、暴力犯罪、麻薬非行など深刻な社会的道徳的退廃。わが党が七九年に開催した国際理論シンポジウムで、アメリカ共産党のアプティーカ・マルクス主義研究所長は、アメリカの腐朽を「ローマ帝国の衰亡」になぞらえた。アメリカの一、二を争う経済専門誌『ビジネス・ウィーク』取材班も、「どんな基準をとってみても、アメリカは傷ついた、意気消沈した巨人として、国際政治の舞台でよろめきながら一九八〇年を迎えた」とし、「今や、アメリカの力とリーダーシップがないまま、世界は一九三〇年代以来もっとも危険な時代へ向かって頭からつっこもうとしている」となげいた(『アメリカ・アズ・ナンバーツー』六ページ)。『ビジネス・ウィーク』のこの本が、その結びを「国力の衰退を押しとどめるチャンスを二度も手にした国はほとんどない。アメリカにとって、まさに一九八〇年代こそ、その唯一のチャンスとなるであろう」(二八二ページ)という一句で結んでいたように、「強いアメリカの再生」は、アメリカの独占資本の熱望となったが、それは多くの保守的国民層をもとらえる願望となった。
アメリカ独占資本の要求にこたえ、ウォーターゲート事件、ベトナムでの完敗以来の、こうした世論の新たな変化につけこんで、七八年の国防報告で力の政策を改めて公然と掲げ直したカーター政権は、まず七九年二月のイラン革命を、力の政策強化の重要な転機として利用した。アメリカ帝国主義にとって、その中東支配の主柱としていたパーレビ王制の崩壊は、戦略的、経済的にインドシナ敗北に劣らない重大な衝撃であったからである。
イラン革命は、第一にそこには「われわれの致命的利益が、ベトナム以上にかかわっている」(ブラウン国防長官、七九年一月二日付「ワシントン・ポスト」という、中東における戦略拠点の喪失を意味し、第二に、発展途上国の新植民地主義的近代化コースの重大な破たんを象徴していた。カーター政権は、その後の駐イラン米大使館員人質事件を世論動員に最大限に利用しつつ、各個撃破政策の新たなほこ先を中近東に向け、緊急展開部隊(RDF)構想の具体化や米第七艦隊のインド洋、ペルシャ湾への投入など、軍事介入急速に実行し、NATO諸国、日本の結集と動員の努力をも強化した。
ついで七九年十二月、ソ連が突然強行したアフガニスタン軍事介入が、〝ソ連の脅威〟を口実としたアメリカ帝国主義の力の政策の全面展開に、またとない絶好の機会をあたえることとなった。
このような情勢のなかで、八〇年十一月の大統領選挙で、〝強いアメリカ〟を標榜したレーガンが全有権者の二六・七の支持しかえていないとはいえ、カーターにたいして地すべり的な勝利を博した。ニクソン時代のキッシンジャー国務長官は、その回顧録で、戦争と平和の問題を論じながら「こうなると政策立案者は綱渡りの芸人みたいなものである。真っ逆さまに落ちないようにするには、ただ前に進むしかない」(『キッシンジャー秘録』第一巻、九八ページ)と書いたことがある。レーガン政権も、アメリカの没落を阻止するには、力の政策という一本の綱の上を「ただ前に進むしかない」と考え、〝タカ派〟カーター政権をしのぐ〝超タカ派〟政権として、時代錯誤のダレス式冷戦政策の八〇年代版によって、帝国主義陣営を結束した反撃と巻き返しの危険な戦略を採用することとなる。
レーガンは、昨年十一月六日におこなった当選後初の記者会見で、早くも、戦略兵器制限問題などを個別にあつかわず、ソ連の対外政策全体を問う「リンケージ」(連関)の考えでのぞむという対ソ強硬姿勢を示したのをはじめ、人権問題のために友好諸国を突き放すことはしないという独裁政権支持、PLO(パレスチナ解放機構)を「テロリスト組織」とみなす第三世界の民族解放運動敵視の態度をあきらかにした。元NATO軍司令官のヘイグ国務長官も、長官指名承認の議会公聴会で、「核使用も辞さない」と強調した。
すでにレーガン政権は、中東だけでなく、エルサルバドルへの軍事干渉をはじめ、中南米への新たな介入を開始した。
これは、十二年前、ベトナム侵略戦争の失敗と国内の反戦運動の激化に直面してよぎなく表明された、アメリカは主として海・空軍による作戦を受けもち、地上軍は同盟国が受けもつという「肩代わり政策」、いわゆる〝ニクソン・ドクトリン〟からの転換であり、アメリカの「世界の憲兵」への復帰宣言にほかならない。
発足からわずか五ヵ月、レーガン政権はまだ体系だった外交・軍事政策を発表するにいたっていない。しかし大統領をはじめその最高首脳らの一連の言明、とりわけワインバーガー国防長官やジョーンズ統合参謀本部議長の発言、NATO諸国や日本にたいする要求をふくむ実際の施策によって、その骨格と輪郭はすでにほぼ浮かび上がっている。
アメリカと世界資本主義の直面している歴史的危機を打開し、その世界支配の再建をめざす基本戦略は、〝ソ連の脅威〟を声高に叫んで西側諸国=帝国主義陣営の結束をはかり、その力を最大限に動員しながら、一方では中ソ対立を利用した米中接近を確保しつつ、各個撃破政策をひきついでその新たな焦点の一つに中東を選び、社会主義諸国、資本主義諸国の人民運動、第三世界の民族解放運動に、軍事力を主柱として対決して、その新たな発展を封じ込め、抑圧することにおかれようとしている。
レーガン大統領は、六月十六日、暗殺未遂事件後初の記者会見で、訪中したヘイグ国務長官の中国向け武器輸出発言を確認して、米中関係を反ソ軍事同盟的なものにすすめる意図をあきらかにしたうえで、「共産主義は崩壊の兆しあり」と、社会主義と共産主義運動封じ込めをめざす激しい反共姿勢を表明した。レーガンのこの基本戦略は、ダレス流のかつての「封じ込め」政策と、ケネディ以後の中ソ分断政策とを結びつけた現代版新冷戦政策というべきものである。
その際、もっとも大きな、しかも危険な特色は、基本戦略遂行の主要な手段が、軍事的対決の本格的準備、核軍拡に最重点をおいた軍備拡張の遂行におかれていることである。レーガン政権が、前年度比一七%増、二千二百億ドル(四十八兆円)という、平時では史上最大の軍拡予算を組んだことが、そのことを象徴している。もっとも重視されたのは核兵器開発予算であり、カーター政権が中止した中性子爆弾と次期戦略爆撃機B1の製造計画も復活させられた。同時に、ヨーロッパだけでなくアジア太平洋地域にも戦域核の前線配備を強化し、米ソ両国以外の地域を主とした限定的な戦域核戦争の準備をととのえる方針も打ち出された。
しかしダレス時代との大きな相違は、この新冷戦政策がアメリカ一国の力では主導できなくなっているほど、アメリカ帝国主義の国際的地位が後退し、悪化した段階に登場したことにある。このためレーガン政権は、西側同盟諸国による肩代わり、つまり米・欧・日の独占資本主義陣営の共同による責任分担のスローガンのもとに、NATO諸国と日本に、新たな軍事分担と軍拡の要求をつきつけている。
もっとも、〝弱いアメリカ〟といわれるにもかかわらず、アメリカ帝国主義は依然として世界最強の帝国主義であることには変わりはない。そのアメリカのレーガン政権が編み上げつつある八〇年代の軍事戦略は、きわめて挑戦的、かつ侵略的な性格のものである。
〝強いアメリカ〟をかかげて登場したレーガン政権の最大の特徴の一つは、対ソ強硬路線である。しかしそのことは、レーガン政権が大きい社会主義国ソ連との軍事対決はさけるというケネディ以来の各個撃破政策を捨てて、ソ連との全面対決路線に転換したことを意味するものではない。レーガン戦略の従来とちがう新しい特徴は、各個撃破政策の焦点の一つを中東に集中すると同時に、ソ連にたいしては、軍事的抑止体制とあわせてデタント政策をとってきた従来の対応とことなり、ソ連を圧倒する軍事力による軍事脅迫によってソ連を抑えてみながら、その各個撃破政策をつらぬこうとしていることである。
第一に、レーガン政権は、その「死活の利益のかかわる地域」として中東を選び、各個撃破政策の新しいほこ先を、中東・ペルシャ湾沿岸地域に集中している。
ジョーンズ米統合参謀本部議長は、一月二十八日米議会に提出した、レーガン政権下初の八二年度軍事情勢報告のなかで、アメリカ帝国主義の各個撃破政策の一つが今日、中東に集中されている事実を、はっきりとつぎのようにのべている。
「われわれの集団安全保障に対するもっとも重大かつさし迫った脆弱性が存在している場所が西南アジア・アラビア湾地域なのである」(『世界政治』八一年五月上旬号、四六ページ)
「西南アジア・アラビア湾地域での防衛行動に備えた即応態勢に最優先的注意が払われる必要があろう」(同、四八ページ)
レーガン政権は、中東軍事支配のために、NATOの発動をふくむ国際部隊投入計画をたて、軍事基地建設や中東諸国への軍事援助を、日本をふくむ帝国主義陣営全体の共同の分担でおしすすめるべく、全力をあげている。
中東にたいするレーガン政権の各個撃破政策の強化は、中東の石油資源が世界資本主義とその文明の運命をにぎるものであるとして、軍事力による中東地域と石油資源の支配をたくらむものであり、レーガン戦略の帝国主義的、侵略的性格をあらわにしている。
第二に、レーガン戦略は、この中東支配政策を成功させるためにも、軍事脅迫による対ソ抑止をねらう「同時多発戦略」という全世界をおおう危険な新構想を打ち出している。ジョーンズ米統合参謀本部議長は、前掲「軍事情勢報告」の説明のなかで、一九八〇年代を「危険な今後の十年」とし、アメリカの「世界戦略の修正」について、つぎのようにのべた。
「われわれの戦略上の焦点は、核抑止および比較的少数の戦術的、地域的事変におかれてきたが、私はこれをもっと広げる必要があると考えている」 「紛争が発生した場合のわれわれの戦略は、敵の弱点にわれわれの力を向けることでなければならず、敵が攻撃を仕掛けてきた地点(そこでは敵が強力である場合もある)においてそうするだけでなく、長く延びた敵の隊形の脆弱な部分にたいしても、そうしなければならない」(同、四六~七ページ)
同時多発、複数の正面作戦というこの危険な世界戦略にもとづいて、レーガン政権はあらゆる紛争地点への――必要な場合には事前にも――軍事介入という挑発的方針をも打ち出した。
ワインバーガー国防長官は、前出五月五日の国防政策についてのシカゴ演説で、つぎのようにのべた。
「われわれの国防政策は、われわれがあらゆる重要な脅威、わが国の安全保障を危くするかもしれないあらゆる偶発事件に対処することを可能にするものでなければならない」
「重要なことは、われわれは、潜在的侵略に対応するため、それが既成事実にならない前に、死活の地域にいっそう強大な軍事的プレゼンスを築きあげなければならないということである」
「われわれは、もし優越した部隊による執ような各地の侵略が食い止められなければ、地球の各地に拡がる通常戦争をおこなう用意がなければならない」
ソ連の弱点をあらゆる地点でたたくというきわめて挑発的な「同時多発戦略」は、ソ連との全面軍事対決の構想というよりも、対ソ軍事脅迫の構想にもとづくものである。
ソ連にたいする「同時多発戦略」をとなえながらも、実際には、ソ連との全面的軍事対決をさけ、各個撃破政策を成功させようとすることこそレーガン戦略の基本である。「同時多発戦略」とは、あらゆる地点でソ連をたたくという態勢を示すことによって、「ソ連の中東進出」を抑え込み、アメリカの中東支配を成功させようとする危険な軍事脅迫戦略にほかならない。
しかし、重要なことは、おどしの戦略とはいえ、このレーガン戦略が軍拡と軍事ブロックの飛躍的な強化によって国際緊張を激化させることそれ自体が世界の平和と諸民族の主権をおびやかす新たな戦争、とくに核戦争の現実的危険を拡大していることにある。
第三に、アメリカ帝国主義は、こうした挑発的戦略を実行するために、アメリカ帝国主義の力の低下をおぎなうべく、同盟国の全面動員政策、すなわちNATO、日米安保条約、ANZUSを相互に連携させたグローバルな「結合戦略」を構想している。
ワインバーガー国防長官はシカゴ演説でつぎのように強調している。
「私たちは、単独で、生じうる広範な挑戦に対処することはできない。われわれは、友好国や同盟国との協力の増大、緊密化にたよらねばならない。地球上のほとんどすべての部分で私たちが支持する義務のあるコミットメントや権益は、孤立した関心事ではない。例えば、ペルシャ湾岸からの石油を断絶なく入手できるようにすることは、日本、イスラエル、すべてのヨーロッパ同盟諸国にかかわる。日本が防衛強化のためにすることは、オーストラリア、ニュージーランドへのわれわれの条約上の義務を果たす能力を高める。オーストラリア、ニュージーランドが、東からインド洋へ出る安全を確保するうえで貢献することは、われわれやNATOが、トルコ、ノルウェーというNATOの両端にたいする強圧的な脅威に対抗する能力を高める」
前掲「アメリカ軍事情勢報告」はこうのべている。
「一九八〇年代の危険に対処し、ソ連の挑戦に対応するため、アメリカは同盟諸国および友好諸国の資源を相互の利益のために十分に結合させる戦略をひきつづき追求しなければならない」「西半球と、同半球以外のアメリカの権益にとって最も重要な三つの地域――西ヨーロッパ、北東アジア、西南アジア――は、相互に連結したり離すことができないほど固く結びついた戦略地帯体系を構成している」(『世界政治』八一年五月下旬号、五八ページ)
以上のレーガン戦略が、日本にとって意味するものは明白であろう。
たとえば、五月の鈴木・レーガン会談で、両首脳が米第七艦隊の中東出動に連動して、日米安保条約のとりきめも超えて、極東の「防衛」分担について合意したのも、「結合戦略」のあらわれである。
アメリカの強力な圧力のもとに、最近のNATO理事会も、中東有事のさいは、条約区域でないにもかかわらず、中東に出動することについて合意するにいたった。このように、中東を「死活」の焦点としたレーガン戦略のもとで、アメリカを中心とする軍事ブロックを、単一の世界戦略にそって、それぞれの条約のとりきめさえ超えて発動しようとする危険な態勢が固められつつある。
さらに、西ヨーロッパ、あるいは中東で米ソ対決が起きたさい、日本の自衛隊にオホーツク海、三海峡(宗谷、津軽、対馬)を封鎖させる作戦構想は、「同時多発戦略」の一環である。日本に西太平洋を「防衛」させる第七艦隊の肩代わり要求は、中東に当面焦点をおいた「結合戦略」の帰結である。そしてなによりも重要な問題は、レーガン政権の臨戦態勢に立った侵略的指揮棒のもとに、環太平洋軍事同盟をめざして日米安保条約をNATOなみに強化し、日本を、世界第三の経済超大国にふさわしい、世界第三の軍事大国に変貌させて、対米従属のもとで復活した日本軍国主義を、アメリカのアジアにおける核戦略と軍事介入、侵略計画のもっとも安定した拠点にしようとする策謀が、現実の挑戦としてすでに日本国民につきつけられているという事態である。
一九七五年以来のいわゆる「緊張緩和=デタント」の時期が一転して八〇年代の緊張激化の時期に移行した第二の要因として、ソ連のアフガニスタン軍事介入が、第一の根本的要因としてのアメリカ帝国主義の力の政策に絶好の口実をあたえてきたことを、あげなければならない。
世界平和を擁護するうえで、一国の進路はその国の人民自身が決定するという民族自決の権利を尊重することは、もっとも根本的な条件であり、永続的な平和の基礎である。
科学的社会主義共産主義にとって民族自決権の擁護と世界平和の擁護とが、密接不可分の関係にあることは、あまりにも自明のことである。
帝国主義とは、「ひとにぎりの『先進』諸国による地上人口の圧倒的多数の植民地的抑圧と金融的絞殺の世界的体系」であり、帝国主義戦争とは、「世界の分けどりのための、民地や金融資本の『勢力範囲』等々の分割と再分割のための戦争」(レーニン「帝国主義論」序文、全集二十二巻、二一九ページ)である以上、このことは当然であろう。
レーニンは、帝国主義に勝利した社会主義が、諸民族の完全な同権と被抑圧民族の自決権を実現することが、社会主義の崇高な大義であることを、うむことなく強調しつづけた。
「帝国主義は、階級矛盾を大規模に激化させ、経済の面でも――トラスト、物価騰貴――、政治の面でも――軍国主義の増大、戦争の頻発、反動の強化、民族的抑圧および植民地略奪の強化と拡大――大衆の状態を悪化させて、大衆をこのような闘争(プロレタリアートの革命的闘争のこと――引用者)へ貼りたてている。勝利をえた社会主義は、かならず完全な民主主義を実現しなければならない。したがって、諸民族の完全な同権を実行するばかりでなく、被抑圧民族の自決権、すなわち自由な政治的分離の権利をも実現しなければならない。隷属された諸民族を解放し、自由な同盟――ところで、分離の自由なしには、自由な同盟はごまかし文句にすぎない――にもとづいてこれらの民族との関係をうちたてることを、現在も、革命のあいだにも、革命の勝利のあとでも、その全活動によって証明しないような社会主義諸党は、社会主義を裏切るものであろう」(「社会主義革命と民族自決権〈テーゼ〉」、全集二十二巻、一六五ページ)
世界社会主義も恒久平和も、ただこのような諸民族の「自由な同盟」を基礎としてのみ、築かれうる。エンゲルスも力ウツキーへの書簡のなかで「国際的な協力はただ平等なものたちのあいだだけで可能なのである」、「国民的な独立がむしろいっさいの国際的な協力の基礎である」(一八八二年二月七日、傍点はエンゲルス、全集三十五巻、二二五~六ページ)と書いていた。
レーニンは、みずからの言葉どおり、十月革命の勝利の翌日から、この原則を厳格、忠実に実行に移した。十一月八日、革命政府の最初の布告「平和についての布告」を発表し、「無併合(すなわち、他国の土地を略奪することのない、他民族を強制的に合併することのない)、無賠償の即時の講和」(全集二十六巻、二四九ページ)にもとづく第一次世界大戦の即時終結を提案した。
その一週間後には、「ロシア諸民族の権利宣言」を発表し、ロシアに併合された諸民族が、みずからの運命を自分自身で決定する権利をもつことを承認して、フィンランド、ポーランド、バルト三国などの独立を認めた。ひきつづき、レーニンは帝政ロシアがペルシャ、トルコ、アフガニスタンその他の近隣諸国から奪い取った領土や利権をすべて返還する措置をみずから進んでとっていった。
今日われわれを深く感動させることは、レーニンが、科学的社会主義の原則と大義にもとづくこれら一連の民族自決権実現のための対外的措置を、ドイツの攻撃と屈辱的な講和、外国干渉軍や反革命軍との闘争という、もっとも困難な条件のもとで、なんらの留保なしに、ソビエト・ロシアの軍事的利益などをなんら優先させることなく、一つひとつ、誠実に、勇気をもって実行していったことである。そして、レーニンが実行した、民族自決権の擁護と、それにもとづく平和という対外政策は、帝国主義の侵略と民族抑圧に反対し、世界の平和を求める勢力を大きくはげましただけでなく、ソビエト政権にたいする近隣諸国の共感と支持をかちとることとなり、当時だれも信じなかった、帝国主義の干渉戦争にたいする生まれたばかりのソビエト政権の勝利を実現する重要な要因の一つとなったのである。
こうして、科学的社会主義の思想は、レーニンとソビエト政権の実践によって、単なる理念ではなく、新しい国際政治の現実として具体化された。
第二次大戦においても、独伊日のファシズム、軍国主義の侵略と民族抑圧に反対し、民族の独立と解放を求める諸国民のたたかいこそ、戦争を終結させ、平和をかちとるもっとも重要な推進力であった。
さらに戦後のすべての経験は、恒久平和の基礎が、あらゆる形態の抑圧、介入、干渉、侵略を排除した、諸民族の独立と解放、民族自決権の厳正な尊重にあり、対等、平等の諸民族、諸国家の協力と平和共存であることを明白にした。新旧の植民地主義、民族的権利の侵害をともなう軍事同盟の存在も、諸民族の自決と平等、それらにもとづく恒久平和の確立とはあいいれない。
こうした体験をつうじて、国際政治のうえで、民族自決と平和の確立を求める運動は、めざましい発展をとげた。そのことを現実に示すものは、反帝、反植民地主義、軍事同盟不参加をかかげ、諸民族の完全な独立、自決の権利の完全な承認を求める非同盟運動が、この二十年間に二十五ヵ国から九十五ヵ国という加盟国の大幅な増加にもみられるような巨大な成長をとげ、国際政治を動かす重要な勢力となったことである。
本年二月の非同盟諸国外相会議の政治宣言は、国際平和と非同盟運動の関係について、つぎのように明確にのべている。
「諸国外相は、民族の独立と解放をめざす諸国人民の闘争から生まれた非同盟政策と非同盟諸国運動が、国際平和のための闘争で決定的役割を演じたことを確認した。諸国外相は、独立、同権、協力およびあらゆる諸国民の平等な安全、繁栄、発展の尊重にもとづく新しい国際関係システムを確立するための努力において、非同盟諸国が負う歴史的責任に注意を促した」(『世界政治』八一年六月上旬号、一九ページ)
アメリカ帝国主義が侵略と新植民地主義の策動をつよめ、非同盟諸国をふくむ各国人民が民族独立と平和、社会進歩のためのたたかいにたち上がっているとき、社会主義諸国にとって、反帝、平和の国際的闘争を前進させるためにも、科学的社会主義の原則をますます首尾一貫して守りぬき、諸国民の民族自決権擁護のためにたたかわなければならない責任はいっそう大きくなっている。
ところが、驚くべきことに、レーニンの遺訓にそむき、社会主義ソ連は、非同盟国の一つであるアフガニスタンに軍事介入し、かいらい政権を樹立して、事実上の占領をおこなうという許すことのできない侵略行為をあえてしたのである。一九八〇年一月十日に発表された日本共産党中央委員会常任幹部会声明「アフガニスタンの事態について」以来、くりかえし、あきらかにしているように、アフガニスタンで一九七八年「四月革命」後、パキスタンを基地として展開されてきた反政府ゲリラ闘争へのアメリカ、中国の支援が、ただちに停止されなければならず、米中の干渉も許すことのできないものであることは、あきらかである。
しかし、だからといって、ソ連軍のアフガニスタンへの軍事介入を「正当化」しうるものではない。
日本共産党が本年一月十日に発表した論文「アフガニスタン問題の原点軍事介入による民族自決権の侵害」によって、あらためてくわしく論じたように、ソ連がどのように弁明しても、ソ連軍のアフガニスタン軍事介入が、ソ連のいうことをきかないアミン政権を打倒し、ソ連のいうことをきくカルマル政権を樹立することを目的としたものであったことは疑問の余地がない。これは国際法上のあらゆる観点からみても、ソ連自身が提唱した「侵略」の定義からみても、民族自決権の侵害であり、軍事力による侵略行為にほかならない。
ソ連のアフガニスタン軍事介入は、同時に、アメリカ帝国主義の力の政策の展開に絶好の口実をあたえた。
レーニンはマルクス、エンゲルスとともに、くりかえし、「他民族に幸福をおしつけることは、プロレタリアートの勝利をくつがえすことを意味するであろう」ということを「無条件に国際主義的な原則」として強調した。
アフガニスタンへの軍事介入は、ソ連社会主義そのものを大きく傷つけ、ソ連にたいする国際的信頼をも掘りくずした。たとえばそれは、国連でも、非同盟諸国の圧倒的多数の非難を受けた。アフガニスタンからの外国軍隊の撤退を求める国連決議は、二回にわたって圧倒的多数で採択された。最初の八〇年一月の決議の表決は、賛成百四、反対十八、棄権十八であった。十八の反対票のうち、社会主義国を除けば、発展途上国のなかでわずかに七ヵ国だけがソ連の行動を支持しただけであった。
社会主義国の場合でも、こうした帝国主義的抑圧をおこなえば、結果もまた帝国主義の場合とほとんど同じことになる以外にない。ソ連の侵略は、当然のことながらアフガニスタン人民の民族的、愛国的抵抗をよびおこし、アフガニスタン国内の情勢は、泥沼化の様相を深めている。七八年の「四月革命」に反対する旧支配層、部族勢力の反政府武装闘争は、ソ連軍占領支配とかいらい政権に反対する全国民的武装闘争に転化する可能性も大きくなっている。
ソ連の近隣諸国にたいする介入と侵略は、一九六八年のチェコスロバキアの際にも、一九七九年のアフガニスタンの際にも、それぞれ、その国の政権党内の親ソ反党分派集団を育成、利用し、その要請があったという形をとって軍事侵入を強行することが、共通の特徴となっている。ソ連軍の出動を要請したといわれるカルマルも、アフガニスタン人民民主党から除名された反党分子であり、いわば「アフガニスタンの志賀」であった。
いま、ポーランド問題に関連して、プラウダ、タス通信などソ連の公式報道機関が、ポーランド統一労働者党の指導部に反対する分派勢力を「真の共産主義者」として激励し、プラウダが発表したソ連共産党中央委員会の書簡がポーランド統一労働者党内には「誠実な確固とした共産主義者」がいるとのべたことは、これらの先例に照らすとき、きわめて重大なことである。今回の書簡は、ポーランド統一労働者党の指導部の交代や第九回臨時党大会が、万一ソ連共産党の気に入るようにおこなわれなければ、ポーランドへの軍事介入もあえて辞さないことを、前もって正当化しようとするものである。
かりにも、社会主義ポーランドにたいするソ連の軍事介入が強行されるならば、それは、ソ連とポーランドとの関係を決定的に破壊することとなるのはもちろんのこと、アメリカ帝国主義をはじめとする帝国主義陣営に、「ソ連の脅威」を口実とした侵略と抑圧の政策の強化に、また一つ、劇的な好機を提供することとなり、平和の事業が甚大な損害をこうむるのは確実である。
こうした事態は、社会主義諸国、各国共産党が、国際共産主義運動の前進のためにも、平和と民族自決権の擁護のためにも、自主独立、同権、内部問題不干渉の原則を真に確立することの重要性と緊急性をしめしている。
ところが反対に、ソ連共産党第二十六回大会にたいする中央委員会報告は、アフガニスタン問題について、ソ連の誤った介入を平然と合理化するのみである。
「帝国主義はアフガニスタン革命にたいして、宣戦布告なしの本格的な戦争を開始した。これはわが国の南部国境の安全をも直接におびやかすものであった。以上のような情勢のもとでわが国は、この友好国の要請にもとづいて軍事援助をおこなうことをよぎなくされた。
アフガニスタンの敵の計画は失敗した。バブラク・カルマル同志を指導者とするアフガニスタンの人民民主党と政府の熟考された、民族的利益に合致する政策は人民権力を強化した」(『世界政治』八一年四月上旬号、四〇ページ)
マスコミが高度に発達した諸国の人民は、一九七九年末のソ連軍の介入当時に、帝国主義がアフガニスタンにたいし「宣戦布告なしの本格的な戦争」をおこなっていたとか、そのことによってソ連の「南部国境の安全」が脅かされていたなどということを、だれ一人として信じていない。
ポーランド問題については、ソ連共産党中央委員会がポーランド統一労働者党へあてた書簡を公表した以後も、ソ連の公式報道機関は、連日のように、ポーランドの党が、反革命分子、反社会主義分子なるものに「決定的行動」をとっていないとか、「無制限に譲歩している」とかいうキャンペーンをおこない、ポーランドの党の内部問題への干渉をつづけている。
アフガニスタンの民族自決権を公然とふみにじってはばからず、ポーランドへの干渉をも合理化しようとするこの態度は、世界平和の基礎を危うくするものである。
民族自決権の侵害というこの問題は、平和の問題にかんする、ソ連の重大な、大国主義的、社会帝国主義的誤りである。
このソ連の大国主義的、社会帝国主義的誤りが、アメリカ帝国主義の干渉と侵略の政策に絶好の口実をあたえ、現在の国際緊張を新たに激化させる重大な要因になっていることは、あまりにも明白である。
世界最大の帝国主義者であるアメリカは、核兵器の最初の開発者であるとともに、核軍拡競争の悪循環の起動力としての歴史的役割を果たしてきたが、二つの社会主義大国、ソ連中国の大国主義的誤り、くわえて、ソ連が「軍事力均衡」論をとっていることが、核軍拡競争と軍事ブロックの悪循環を助長し国際緊張を激化させる重要要因の一つとなっていることもあげなければならない。
すでに一九七三年七月に、日本共産党は、ソ連、中国、アメリカ、フランス、イギリスの五つの核保有国のすべての政府に、核兵器全面禁止協定の締結を要望する書簡を送ったさい、社会主義国の核実験も核兵器競争の悪循環で一定の役割を果たすにいたっている事態の変化を指摘していた。
今日の情勢からみても、先駆的意義をもつ重要な態度決定だったので、当時の宮本委員長の記者会見から、社会主義国の核実験にたいする態度についてのべた部分を、全文引用しておきたい。
「アメリカが最初に核兵器を開発し、その後ソ連が開発した。その途上でソ連が、核兵器全廃の提案をした時期もあったがアメリカは受け入れなかった。そして、現在のような核競争が続いている。われわれは初期のあいだは、アメリカがその侵略政策のもとで、核兵器を背景に第一にはソ連、第二には中国にたいして封じ込め政策をやった、この段階では、社会主義国の核実験には賛成はしないが、よぎなくされたもの、防衛的なものという見方をしてきた。これには根拠があった。アメリカは核を背景にして、朝鮮やベトナムで侵略戦争をおこない、実際に核を使うという脅迫もやっていたからだ。
しかし、この数年間重要な変化がおこった。社会主義国であるソ連と中国自体が互いに対立し合うようになった。今度の中国の核実験に関するコミュニケでも、『超大国の核独占を打破する』ためといっており、この『超大国』にはアメリカだけでなくソ連もふくまれている。中ソの国境では武力衝突もおこなわれた。またソ連のチェコスロバキア侵略という、われわれが非難した事態、残念ながら社会主義国の大義に反した侵略行動がおこっている。このように中ソの国際政治における立場には変化が生じている。
そういう段階で初期のように、中の行動がすべて無条件に防衛的なものだとか、よぎなくされたものだとは、簡単にいえなくなっている。全体としては、この十年来、社会主義国――中ソなどの核実験にたいしても、とくに賛成という態度はとってこなかった。今日は、はっきりこれらすべての核保有国にたいし、核開発競争の悪循環からぬけでるべきであると率直に求める、同時に、根本的には核兵器の全面禁止を求めるという態度である」
「だが、そうだからといって中ソとアメリカが国際政策全体で同じようになったという見方は決してしていない。ベトナムへのアメリカの侵略戦争にさいし、中ソ両国がはっきり侵略反対の立場をとったということは、他にいろいろ問題はあるにしても明白である」(『理論政策』七三年七月号、四一~二ページ)
宮本委員長が指摘した中両国の国際政策の変化と問題点は、その後是正されるどころか、いっそう拡大され、国際政治の体系を、ある意味では六〇年代、七〇年代よりも危険なものにするうえで無視することのできない役割を演ずるにいたった。
現代の国際政治の基本構造は、アメリカを中心とする帝国主義陣営の支配と搾取、侵略と抑圧の政治、新植民地主義の政治にたいして、社会主義諸国と資本主義諸国の勤労人民、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの民族解放勢力の、平和と独立の政治、民主主義と社会主義の政治が対決し、後者が前者に優位に立って、七五年のインドシナ人民の完全勝利にみるように、世界史の前進の可能性を生み出しているものである。
ところが、社会主義諸国のなかで国力のもっとも大きなソ連と中国の政策と行動に、大国主義的誤りがあらわれるや、この基本構造はゆがめられ、変化し、帝国主義陣営を有利にすることとなる。
社会主義中国は、六〇年代から七〇年代にかけて、「プロレタリア文化大革命」という名の毛沢東の破壊活動が続いた過程で、革命の事業をいちじるしく後退させただけでなく、ソ連を主要敵とみなしてアメリカ帝国主義に接近し、日米軍事同盟と日本軍国主義の復活を支持し、ついに七九年には社会主義ベトナムを侵略するという重大な誤りをおかすにいたった。今日、中国は、毛沢東の誤りのいくつかを認めているとはいえ、その対外政策の誤りは是正されないだけでなく、誤った対外政策の「理論」となっている毛沢東の「三つの世界」論と「反覇権」論を毛沢東の功績として、あらためて高く評価し(八一年六月十七日発行、中国共産党理論誌『紅旗』論文)、米・中・日による反ソ同盟の形成の一環をもになっている。
一九六〇年の八十一ヵ国共産党・労働者党会議の声明で、一致して「世界反動の主柱であり、国際的憲兵であり、全世界の人民の敵である」と規定したアメリカ帝国主義の軍事戦略を、共産党と社会主義政権が支持するというこの誤りは、レーニンが「裏切り」「崩壊」としてもっともきびしく糾弾した第二インタナショナル諸党の「祖国擁護」、帝国主義戦争の支持以上に重大な社会帝国主義の誤りであって、ひとかけらの弁護の余地もない。政権党となった共産党が社会帝国主義の誤りをおかすことは、レーニンの時代とはちがって、国際政治の構造そのものに重大な否定的結果をもたらすものであり、第二インタナショナル諸党の誤り以上の重大性をもっている。
実際、この誤りが、どれだけ、アメリカ帝国主義を有利にしたかは、はかりしれないものがある。カーター時代にホルブルック国務次官補は、一九七九年七月十二日、米上院外交委員会で、その事実を率直につぎのように証言した。
「中国との協力と、日本との新しい、かつ高級レベルでの協力と理解にささえられ、東アジアにおける米国の全般的な戦略的地位は過去三〇年間のどの時期よりも良い状態にある」
他方、社会主義ソ連は、この期間にさらに大国主義的傾向をつよめ、アフガニスタンへの軍事介入だけでなく、「軍事力均衡」論の立場に立って、核兵器禁止、軍事同盟の相互解消、外国軍事基地の撤去という正しい課題をたな上げにし、アメリカに追いつくための核軍備をはじめとする軍備拡張に努力することによって、アメリカ帝国主義を起動力とする核兵器開発競争と軍事同盟・軍事ブロックの対抗競争の悪循環をおしすすめるうえで、きわめて重大な役割を演ずるにいたった。
一九七一年のソ連共産党第二十四回大会までは、NATOとワルシャワ条約機構の同時解消、核兵器禁止条約の締結、外国軍事基地の撤去などの課題が、掲げられていた。しかしその後の国際情勢の変化のなかで、これらの積極的課題は後景にしりぞけられるようになる。
一九七五年に、インドシナ三国人民の勝利が決定的となり、アメリカ帝国主義の挫折と地位の低下が明白となった。また同年おこなわれたヘルシンキ会議によって、ソ連が長年追求してきたヨーロッパの現状維持が国際的承認をうけた。ソ連は、アメリカ帝国主義が国内の反戦的世論の高まりその他の圧力のもとで、軍事予算の削減や対外軍事介入の抑制をよぎなくされたその後の一時期、その国際的影響力の低下の間隙を縫って、国民生活に新たな重荷となるソ連の軍事力の強化と、ソ連の対外的影響力の拡大をはかっていった。
一九七六年のソ連共産党第二十五回大会では、前記の積極的課題はとりさげられ、SALTⅡ交渉、中部欧州兵力軍備削減交渉など、部分的、段階的課題が前面に押し出された。
そして、ことし二月におこなわれた第二十六回党大会でのブレジネフ書記長の中央委員会報告では、米ソ間、NATOとワルシャワ条約機構間の「軍事的均衡」こそ平和の保障であるという、公然たるパワー・ポリティックス論が登場するにいたった。
「ソ連とアメリカ、ワルシャワ条約機構と北大西洋条約機構との間に現存する軍事戦略的均衡は、客観的には世界平和の維持に役立っている。われわれは相手側よりも軍事的に優位な立場に立とうとは努めなかったし、いまでも努めていない。これは、われわれの政策ではない。だがわれわれは、相手側がわれわれよりも優位に立つことを許しはしないであろう」
「戦略的核軍備にしろ、ヨーロッパの中距離ミサイルにしろ、そのいずれの場合にも双方には大体の均衡が存在している。いくつかの種類の兵器では西側がある程度の優位をもち、別の種類のものでは、われわれの側が優位に立っている。ここでしかるべき条約と協定が結ばれるなら、均衡はさらに強固なものになるであろう」(『世界政治』八一年四月下旬号、四四ページ)
「軍事力均衡」論の公然たる採用によって、当然のことながら、第二十六回党大会の報告からも、第二十五回党大会同様、核兵器禁止、軍事ブロックの解消、外国軍事基地の撤去などが、当面する重要な平和課題としてはいっさい姿を消していることはいうまでもない。
もともと、対立する軍事同盟の均衡による安全保障という理論は、帝国主義の、しかも破産した論理であった。すなわち、相対立する軍事同盟と、それにもとづく軍備の相互強化は、軍事バランスによる平和の維持どころか、二つの世界大戦を生む結果となった。「一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害」(国連憲章前文)という悲惨な経験から、あらゆる軍事同盟を解消した集団安全保障機構をめざして国際連合が生まれた経過は周知のことである。ところがアメリカ帝国主義は、国連憲章第五十一条に、集団安全保障体制の例外として個別的、集団的自衛権の項目をもうけさせ、この条項を利用して、国連の理念と両立しない軍事同盟を、NATO、CENTO、SEATO、日米軍事同盟その他の形で結成、拡大してきた。ワルシャワ条約機構は、その事態にたいして、よぎなく防衛的軍事同盟として結成されたとはいえ、社会主義陣営の政策と行動は、本来帝国主義の力の論理と対決して、すべての軍事同盟の解消と集団安全保障体制の確立にこそむけられなければならないことは、当然のことである。今回のフランス大統領選挙におけるミッテランの勝利と、そのもとでのフランス共産党の入閣に関連して、六月二十三日、フランス社会党とフランス共産党との間で結ばれた政府協定が、「両党は軍事ブロックの同時解消をめざす」ことを明記していることは、重要な意義をもつものである。にもかかわらず、社会主義の側もまた、軍事力均衡論をとることは、軍事同盟対抗の固定化と軍備拡大の悪循環を招き、二度にわたる世界大戦の愚をくりかえすことになりかねない。
しかも、核兵器の出現は、現代における軍事力の均衡、軍事同盟軍事ブロックの対抗関係に、相対立する核軍事同盟による核軍拡競争の悪循環という、第二次大戦前とは質的にまったくことなった、人類の生存そのものを危うくするきわめて危険な構造と論理をあたえることとなった。
その危険な構造と論理は、米ソを除く十二ヵ国の専門家が作成した、八〇年九月十二日付のワルトハイム国連事務総長の報告「核兵器にかんする包括的研究」(『世界政治』八〇年十二月上旬号?八一年三月下旬号)によっても、するどくあばき出されている。
その第一は、核軍拡の構造が、技術が政策に奉仕するのではなく、「政策よりも技術がリードしているという一般的傾向」をはらむ結果、核兵器使用による「人類文明消滅の危険」が実際に生まれるという重大な事態である。
相互に相手を上まわりたいという要求によって、米ソ両国の核弾頭の数量が増大しつづけてきただけでなく、国力をかたむけた技術研究によって質の向上も異常なまでにすすんでいる。核弾頭の多目標弾頭化(MIRV化)、移動基地方式によるMXミサイル、自己誘導のできる巡航ミサイルの開発がおこなわれ、ICBMの命中精度は二百メートル前後に近づいている。命中精度の技術的向上によって、相手側の都市ではなく核基地と核兵器そのものを的確に破壊する能力が高まったため、昨年の米大統領指令59号にしめされるように、「抑止戦略」とはことなった「第一撃対戦力戦略」が可能となり、核兵器大国に先制的核使用の誘惑をつとめることになる。
さらに重要なことは、戦術核兵器の技術的開発がすすめられたため、米ソ両国以外の他の地域で限定的に核兵器を使用する戦域核戦争の危険が大きくなったことである。戦域核戦争とは、米国防報告の定義によれば、「米国の軍隊またはその同盟国軍による戦域核兵器が使用され、もしくは米国の軍隊またはその同盟国軍にたいして戦域核兵器が使用される戦争のことだが、それは米国にたいする核攻撃は含まれない」(一九七二年二月発表、七三年度米国防報告)という、ヨーロッパ、アジア太平洋地域などにおける限定的核戦争のことである。
日米反動勢力は、日本にたいする危険な戦術核兵器の前進配備を、日本がアメリカの「核のカサ」によってまもられているという議論で合理化しようとしている。しかし、この国防報告の定義がしめすように、アメリカの戦域核戦争構想は、日本をこの「核のカサ」でまもるためのものではなく、反対に日本を戦域核戦争の攻撃基地にし、その結果、日本が核戦争の戦場になっても、アメリカ本国への核攻撃だけは許さないというものである。つまり、日本は、アメリカの「核のカサ」のもとにあるのではなくて、アメリカのための「核のタテ」になるということにほかならない。
第二は、「恐怖の均衡による相互抑止」という虚構が生み出す、極度に不安定で危険な国際政治の構造である。
この均衡は、「人的ないし技術的な性質の事故」によっても「誤りを犯す可能性」によっても、たちまち破壊される。隠された実態からは大幅にかけはなれているとみられている米国防総省の最近の発表によっても、三十年間に三十二件の重大な核兵器事故が発生している。六一年一月二十四日、B3戦略爆撃機が墜落直前に核爆弾二個を上空で放棄した際には、その一個は六つの安全装置のうち五つがはずれ、あやうく広島の千八百倍の威力をもつ二十四の核爆弾が爆発するところだったという。誤警報による核戦争の危険も、何回かすでに報道されている。
米ソ両国自身にとっても、相互抑止は、不安定きわまりないものである。なぜなら「ある意味で、抑止論はさまざまに仮定された核戦争のシナリオのうえに築かれた虚構」(『世界政治』八一年三月下旬号、五九ページ)だからである。
かりに米ソ両国間の相互抑止が機能したとしても、「人類の未来」が「両超大国が認める安全保障の人質にされている」ことは許されない。事務総長報告は、この体制を、「自己破壊」の体制として糾弾している。
「核兵器保有国と核兵器非保有国からなる世界体制を無期限にわたって確立することは受け入れられないことである。この体制そのものが内部に核兵器拡散の種子を含んでいる。したがって、結局は、それは自己破壊の源泉をはらんだ体制である」(同)
第三に、それにもかかわらず、核保有国、とくに米ソ両国を、核兵器の均衡に固執する動機と論理がとらえてはなさない事態がつづく。
「とくに超大国は、核兵器が超大国間の直接の衝突を抑止していること、および世界の他の地域におけるその影響力を増大させることの両方によって国家の安全保障を支えていると理解している。同時に、双方とも相手側が核優位を達成しはしないかと心配している」(同、六〇ページ)
こうして、「現在の体制が自国に有利に作動していると考える超大国」には、進行する軍備競争に「決定的変化を生じさせる政治的意思の欠如が存続するであろう」(同、六一ページ)。
もちろん、このワルトハイム報告は、帝国主義アメリカをも社会主義ソ連をも同列においたものとなっているが、これは一つには、核軍拡競争の悪循環によってアメリカとソ連の区別がつかなくなっていることの反映でもある。しかし、世界の基本的な階級構造を土台としながら、この報告が精密に分析した、米ソ両国の核兵器の均衡という恐怖にみちた悪循環の構造と論理が、今日の戦争の脅威を生み出す大きな要因となっていることは見落とすべきでない。この意味で、われわれは、報告のつぎのような明快な結論に全面的に同意する。
「核軍縮への道が長く困難であるにしても、ほかにとるべき選択はない。核戦争の危険を防止することなしに平和はありえない。もし核軍縮が現実になるものとすれば、恐怖の均衡による相互抑止という行為は放棄されなければならない。抑止の過程を通じての世界の平和、安定、均衡の維持という概念は、おそらく、存在するもっとも危険な集団的誤謬である」(同、六二ページ)
ソ連共産党第二十六回大会があきらかにした、公然たる「軍事力均衡」論の採用は、ソ連がこの「もっとも危険な集団的誤謬」としての抑止による均衡維持という概念に、アメリカ帝国主義につづいておちいったことの自認を意味している。
核軍拡の悪循環がなにを生み出すかということは、ヨーロッパにおいて現在、きわめて大きな問題となっている中距離ミサイル配備問題にもしめされている。
アジアにおいても事態は同様である。アメリカ帝国主義は、極東におけるソ連のSS20配備を口実にして、戦域核の前線配備、なかんずく日本の核拠点化をおしすすめようとしている。
そして、アメリカ帝国主義の世界戦略のもとでは、犠牲にされるのはNATO諸国と日本である。最近の米議会調査局報告書の一つ「防衛分担――米国の対NATO、対日関係」は赤裸々につぎのように書いている。
「もし戦争が起きれば、たとえ通常戦であっても、最初(そして多分唯一)、破壊されるのは同盟国の社会、経済であろうという重要な現実が存在する」(『中央公論』八一年七月号、一二九ページ)
われわれは、ヨーロッパにおいても、アジアにおいても、アメリカ帝国主義の侵略的核戦略を断固として糾弾してたたかうと同時に、ソ連の核配備についても、防衛上よぎなくされた歴史的経過を認めつつ、「軍事バランス」論にもとづく悪循環の助長を批判し、アメリカが拒否し、ソ連もまた引き下げた核兵器禁止、核基地の撤去、軍事同盟の解消の課題をかかげた国際的運動を共同して前進させなければならない。ソ連共産党中央委員会報告は、「平和綱領」なるものを打ち出した。そしてソ連共産党は、これを「八〇年代の平和綱領」として支持することを、各国共産党や社会党などによびかける書簡を送っている。
この「平和綱領」なるものは、米ソ首脳会談や、軍事ブロック間の「信頼強化措置」、核軍拡競争の制限措置など、アメリカをはじめとする各国政府にたいするソ連政府の当面の外交的措置である。
このような「平和綱領」なるものが、八〇年代における国際的な反帝・平和勢力の平和をめざすたたかいの共同の要求と政策にとって、なんらの基礎ともなりえないことは、あまりにも明白である。
なぜなら第一に、この「平和綱領」なるものは、すでに詳論したように、アフガニスタンにたいする許すことのできない民族自決権侵害の合理化と、核軍拡競争と軍事ブロックの対抗強化の悪循環を助長する「軍事力均衡」論という、二つの重大な誤りを前提としたものであるからである。この結果、この「平和綱領」なるものからは、今日の戦争と平和をめぐる国際的たたかいのなかで、かなめの位置を占めるべき、兵器禁止と使用禁止協定の締結、軍事同盟の解消、アフガニスタンからのソ連軍の撤退などは、まったく脱落している。
第二に、ソ連の対外政策にすぎないものを、国際的な共同の「平和綱領」として押しつけること自体が、救いがたい大国主義であるからである。ソ連共産党は、第二十六回大会の直後から、世界平和評議会、国際民主法律家協会、国際民婦連など一連の国際民主運動の会議に、この大会で決定した「八〇年代の平和綱領」と名づけたソ連の当面の外交政策をもちこみ、これを世界の反帝民主運動の共通の課題として支持させようとするキャンペーンを組織してきた。さらにそれを各国共産党と世界の反帝、平和、民主勢力にも支持を要請しようとしている。
六月二十三日、ソ連最高会議は、「世界の議会と国民への呼びかけ」を発表し、「ソ連は軍事的優位を獲得しようとしなかったし、しようとしていない。……ソ連が相互主義の基礎のもとで、他の諸国との合意によって、制限し、禁止することに同意できないような種類の兵器は存在しない」(「プラウダ」六月二十四日付)とのべてはいるが、ソ連共産党第二十六回大会で採択された「八〇年代の平和綱領」が、「平和の保障」であることをあらためて確認している。
もちろん、ソ連政府は、当然、軍事問題をはじめ各種の具体的問題について、資本主義諸国の政府に外交的措置を提案し、交渉する自由と権利をもっている。しかし、一国の党の大会で決定した、その国の外交措置を世界の反帝平和勢力にとっての共同の「八〇年代の平和綱領」として、国際民主運動や各国共産党にもちこみ、支持を求めることは、どの国であってもどの党であってもおこなうべきものではない。それは国際共産主義運動、国際民主運動の平和のための事業の不団結を助長し、その発展をさまたげるだけである。
日本共産党中央委員会は、六月十五日、以上の趣旨を詳細にのべた返書をソ連共産党中央委員会に送った。
平和擁護の事業が民族自決権擁護と密接不可分であるのと同じように、全世界の反帝民主勢力の共同の平和綱領も、自主独立の立場の尊重を基礎としてのみ、つくりあげることができるし、つくりあげられなければならない。
冒頭にのべたように、世界はいま、誇張でなく、戦争か平和かの重大な歴史的岐路に立っている。
諸国民の希望をになって一九七八年にひらかれた第一回国連軍縮特別総会の最終文書は、こうのべていた。
「一九六九年に厳粛に宣言された『軍縮の十年』は終わろうとしている。不幸にして、当時総会において設定された諸目標は今日においても当時と同様、あるいはそれ以上に遠くにある」
一九八〇年版のストックホルム国際平和研究所年鑑は、「国連の第一次『軍縮の十年』――一九七〇年代――は完全に失敗に終わった」と断じた。
一九八一年版年鑑は、「はじめに」でこう警告を発している。
「核兵器の質的開発の力学は、核兵器を核戦争を抑止するものというよりも、核戦争を戦うのに適したものとしつつあり、このバランスはすでに危険なものとなっている。このために世界はさらに大きな核戦争の脅威にさらされている」
来年一九八二年には、第二回の国連軍縮特別総会がひらかれる。第一回からの四年間に、軍縮措置がすすむどころか、逆に異常な軍拡時代が開始され、情勢はたしかに悪化し、核戦争の危険が増大している。もしも第二回総会が、なんらの効果のある具体的成果を生むことにも成功しなかったら、情勢は手に負えなくなる可能性もある。
本年二月の非同盟外相会議も、事態を憂慮し、つぎのような注目すべき指摘をおこなっている。
「大国間のいわゆる『抑止力のバランス』は、彼らの地域紛争への介入を妨げなかった。抑止力競争は、差し迫った破局を避けるための信頼にたる手段を、けっしてもたらさなかった。それは、軍拡競争が、国際関係の現状を維持するために絶えず力の行使に訴えようとすることからとりわけ派生しているため、今回の国際関係を特徴づける不安と恐怖の悪夢を強めただけだった」(『世界政治』八一年六月上旬号、二二ページ)
とりわけ、レーガン政権は、中東を各個撃破政策の対象の一つとして、干渉と侵略の政策を急速におしすすめ、これが世界の平和の重大な脅威となっていることはすでにのべたとおりである。
今日の世界のこのような緊迫した状況のなかで、どうした戦争を阻止し、軍拡競争の際限のない発展、悪循環をくいとめることができ、核戦争の危険から人類を救うことができるか、どうしたら世界の平和の基礎となる諸民族の自決権、国家主権を擁護することができるか、世界の反帝平和勢力は、いまどのような共同の課題をかかげ、努力を集中すべきなのか。国際的に、核戦争の危険に反対し、核兵器廃絶と軍縮を求める運動が、新しい大きな高まりをみせているだけに、これらの問題を積極的に探求しあい、討論しあうことは、反帝、平和、民主勢力にとって、いまもっとも緊急な課題となっている。
ソ連共産党第二十六回大会にたいする中央委員会報告は、さきにみた「軍事力均衡」論の立場から米ソ両超大国主導の「対話」と「交渉」を平和擁護のもっとも重要な路線としている。
「国際情勢が多くの点でソ米両国の政策に依存していることは万人の認めるところである。両国間の関係の現状と解決を求めている国際諸問題の緊迫性は、あらゆるレベルでの、しかも積極的な対話の必要性を示唆しているとわれわれは考えている。われわれは対話にのぞむ用意ができている。
最高レベルの会談がこの問題のキーポイントだということは経験の示すところである。これは昨日も正しかったし、きょうも依然として正しいものである」(『世界政治』八一年四月下旬号、四五ページ)
われわれは、今日の緊迫した具体的情勢のもとで、緊張緩和のための部分的な措置や対話の意義を一律に否定するような態度をとるものではない。しかし、米ソ両超大国が「軍事力の均衡」をまず達成し、そのうえで軍事力の漸次的削減をおこなうという主張は、一見、現実的なようにみえても、相手よりも軍事的優位を獲得することをもとめる「軍事力均衡」論に立つかぎり、結局、軍拡競争を「正当化」する役割を果たすものでしかない。このことは、これまでの米ソ会談の諸結果が示してきたことである。
まさに、そのために、非同盟諸国首脳会議や国連は、米ソ主導の「対話」や「交渉」による「軍縮」と「平和」という路線に過大な期待をかけることを、久しい以前にやめ、ましてやそのような路線のおしつけに反対している。
本年二月の非同盟外相会議は、明確に、「国際緊張の緩和は、力の均衡の政策、勢力圏、パワー・ブロック間の抗争、軍事同盟、軍備、とくに核兵器の蓄積を基礎とすることはできない」と宣言し、「真の抑止力はただ一つしかない。すなわち人類の生存意欲である」(『世界政治』八一年六月上旬号、二二ページ)とのべた。
前掲のワルトハイム報告「核兵器にかんする包括的研究」も、超大国の軍縮にかんする「政治的意思の欠如」を指摘したのち、こうのべていた。
「永続的な平和と真の軍縮を求める一般公衆の叫びは重要な政治勢力であり、国連が非政府組織および個人との協力を通じてさらに動員することができる。国連は、軍縮問題について強力な世界世論を形成するため、非政府組織と個人を軍縮の努力に引きこむことにいっそう積極的になるべきである」(『世界政治』三月下旬号、六一ページ)
現在、社会主義諸国は、世界人口の三分の一を占めるにいたっている。世界人口の五分の一を占める資本主義諸国の圧倒的多数は、平和を求める勤労人民である。非同盟諸国首脳会議は、参加国九十五ヵ国、総人口十五億五千万人を結集している。ゲスト、オブザーバーを含めると非同盟諸国は、国連加盟国の四分の三を占めている。この世界人民の運動と力こそ、真の緊張緩和と世界平和をかちとりうる最大の力である。世界の平和を、もっぱら「軍事力均衡」論の立場に立つ米ソ首脳会談や米ソ交渉にまかすことはできない。世界の人民の平和のための運動を国際的に結集することが、いまもっとも緊急に求められているといわなくてはならない。
国際関係の緊張緩和と世界平和を実現するため、日本共産党としては、世界のもっとも広範な平和勢力を結集する共同の積極的な平和綱領として、当面つぎの内容が、そのなかにかならずふくまれる必要があると考えている。
民族自決権を擁護し、他民族へのあらゆる干渉、侵略に反対することは、平和擁護の根本的出発点である。核戦争、非核戦争をとわず他民族へのいっさいの侵略をやめさせること――これこそが平和の基本である。
国際平和の安定した体系は、民族自決権の完全な尊重と確立こそが基礎であって、いっさいの民族抑圧、介入、干渉の禁止を前提として形づくられるからである。
今日の世界で民族自決権の擁護はいっそう重要な課題になっている。
第一に、かつての植民地諸国が独立をかちとり、世界の圧倒的多数を占めるこれらの発展途上国と人民が進歩の道をすすむうえで、民族自決権への干渉が最大の障害となるからである。
第二に、アメリカ帝国主義をはじめとするいわゆる西側諸国が、これら発展途上国とりわけ中東諸国の自主的発展を「自由主義体制」への〝挑戦〟として敵視し、その前進をおしとめようと、民族主権をふみにじっての干渉に乗りだして各個撃破政策を集中していることが、現実に戦争の危険を増大しているからである。
こうした状況のもとで、一九五四年六月、周恩来、ネール両首相が中国とインドだけでなく、世界各国の友好関係の基礎として確認しあった「平和五原則」――領土主権の相互尊重、相互不可侵、内政不干渉、平等互恵、平和共存は、八〇年代の平和綱領にとっても、ますます重要な意義をもつ、国際平和の五つの原則となっている。
アメリカ帝国主義を中心とする帝国主義勢力の中東諸国にたいする軍事介入、ソ連のアフガニスタン軍事介入や中国のベトナム侵略など、世界の平和と諸民族の独立と主権をおびやかしているいっさいの覇権主義、大国主義、民族抑圧と他民族侵略とたたかって、民族自決権の擁護、平和五原則を完全に実現することは、すべての反帝、平和、民主勢力の共同の綱領にされなければならない。
とりわけ、アメリカ帝国主義の中東各個撃破政策、そのための「同時多発戦略」をやめさせること、中東からのすべての外国軍隊の撤退を実現すること、またアフガニスタンからのソ連軍撤退を実現することは、当面もっとも緊急の共同の要求である。
そして各国のそれぞれの解放運動の多様性と自主性の尊重は、民族自決権の擁護の重要な内容の一つをなしている。この意味でわれわれは、国際共産主義運動における他党の内部問題への不干渉の原則、分派の育成、支持を許さないという原則を、特別に重視している。国際情勢に大きなかかわりをもったチェコスロバキアやアフガニスタンの事件にみられる社会主義国の党による他民族の自決権の不当な侵害が、その国の党の分派勢力を利用しておこなわれてきた実例からみて、平和擁護の課題のためにも、この問題は重要である。いま世界の注視を集めているポーランドで、ポーランド人民が、その困難な諸問題をみずから自力で解決するためにも、他党の内部問題不干渉の原則の厳守は、決定的意義をもっている。
核兵器全面禁止、すなわち核兵器の使用、実験、製造、貯蔵を禁止することは、現代の軍縮の主要な柱である。平和のための措置として最優先の緊急課題は核軍縮である。このことは第一回国連軍縮総会の最終文書で確認されている。
ワルトハイム国連事務総長が一九七七年第三十二回国連総会に提出した報告「軍拡競争の経済的、社会的諸結果と世界の平和と安全への極度に有害な影響」も、つぎのように指摘していた。
「核の脅威に対処する唯一の方法は、もちろん、真の核軍縮の措置、核兵器のいっそうの開発を制限し、いっさいの核兵器の禁止と廃棄を確保する措置をとることである。それ以下の措置では、この危険を効果的に減少させることはできないし、またそれ以下の措置では、この危険の増大を食いとめられないであろうと思われる」(『世界政治資料』七八年一月下旬号、五二ページ)
われわれが核兵器全面禁止の課題を重視するのは、それが被爆国日本の国民の圧倒的多数の一貫した要求であるだけでなく、一九五〇年三月のストックホルム・アピール以来、世界の平和勢力を結集してきた基本的な平和綱領の一つであるからでもある。また、一九六〇年代に締結された部分的核実験停止条約、核兵器不拡散条約といった核軍備管理にかんする部分的措置が、締結当時に調印国でもてはやされたような核兵器廃絶への第一歩ではなくて、その後の核軍拡競争のルールづくりにすぎなかったことがすでにあきらかになっているからである。
しかしこのことは、核兵器廃絶をめざすたたかいの構成部分となりうる場合の部分的諸措置について無関心であってよいということを意味しない。核戦争の危険が増大し、核軍拡競争が際限なくおし進められている現状のもとで、必要な効果的な措置を重視する。
核兵器使用禁止国際条約の締結は、こうした措置のなかで特別の意義をもつ重要なものである。核兵器の使用禁止は、一九五〇年のストックホルム・アピール以来、世界平和勢力の一致した要求だった。アピールは、「原子兵器の絶対禁止」とともに、「わたしたちはどんな国にたいしても最初に原子兵器を使用する政府は、いかなる国の政府でも、人類にたいして犯罪行為を犯すものであり、その政府は戦争犯罪人として取り扱われるべきだと考える」とのべていた。
国連総会は、一九六一年以来、数回にわたって、核兵器使用禁止条約締結のための国際会議の開催をよびかける決議を採択したが、この会議は、アメリカをはじめとする西側諸国の抵抗によって開催されなかった。
昨年十二月十二日、第三十五回国連総会において、「核兵器の使用は、国連憲章の侵犯であり、人類にたいする犯罪である」と宣言した「核兵器の不使用と核戦争の防止」決議が、賛成百十二票で採択されたが、アメリカ、NATO諸国、日本が反対し、ソ連などは棄権した。
こうした現状のもとで核兵器使用禁止協定の実現の課題は、ますます緊急性をおびるにいたっている。
核兵器使用禁止協定は、核戦争の危険を完全になくすものでないにしても、その危険をすくなくし、核兵器開発抑制に役立ち、全面禁止に導きうることは、毒ガスの使用を禁止し一九二五年のジュネーブ議定書が、それらの兵器を公然と実戦で使うことを妨げ、それを禁止する条約締結を促進する論拠となった歴史的経験からもあきらかである。しかも使用禁止協定の締結は、国際監視など技術的困難がまったくなく、核保有国の政治的意思だけが問題なのである。
非核三原則の国際化による非核武装地帯の設置と拡大も、核戦争防止、核兵器全面禁止に役立つ重要な措置である。非核武装地帯をもうけ、これを真に効果的なものとするためには、当事国自身が直接間接に自国領内での核兵器の実験、使用、生産、貯蔵、入手、受け入れ、配備その他いかなる形のものであれ保有の禁止を厳格に守ることが必要である。「核兵器をつくらず、持たず、持ち込ませず」の非核三原則を国内で法制化し、それを国際化することによって、真に効果的な非核武装地帯を設置し、拡大していくことができる。
同時に、すべての核兵器保有国が、この非核三原則を全面的かつ公式に尊重することが求められる。
この点に関連して注目すべきものは、昨年の国連総会でアメリカ、日本、NATO、ANZUS諸国の反対にもかかわらず圧倒的多数で採択された、現在核兵器がおかれていない諸国の領土に核兵器を配備しない国際協定についての決議である。このような協定は、核兵器保有国が核兵器を全世界にばらまくことを阻止し、核基地撤去のためにたたかっている平和勢力をはげまし、他国の領土からの核兵器の撤去への一歩となりうるものである。
すべての国の核実験の禁止と核実験包括的禁止条約の締結も、核兵器全面禁止への重要な措置である。
核兵器開発競争の起動力となったのがアメリカ帝国主義であることは、疑問の余地のない歴史的事実である。そのアメリカ帝国主義が侵略のほこ先をソ連に、つづいて中国にむけていた状況のもとで、社会主義国は防衛的措置として核兵器の開発をおこなった。どの国であれ核兵器の開発をおこなうことを是とする立場が誤りであると同時に、こうした状況のもとで、侵略と被侵略の区別をなくし、いかなる核実験にも反対するという主張が誤りであったことは明白である。しかし、すでにのべたように、一九七三年、宮本委員長は、その後の情勢の変化を分析し、ソ連がチェコスロバキア侵入をおこない、また中国が防衛のためではなく、米ソ「超大国の核独占を打破する」ためとして核実験をおこなうといった状況のもとでは、ソ連、中国の核実験を「防衛的」、「余儀ないもの」とすることはできないことをあきらかにした。現在、ソ連はアフガニスタン侵略をおこない、また「軍事力均衡」論の立場を公然とうちだした。一方、中国はアメリカ帝国主義と準軍事同盟関係を結ぶにまでいたっている。しかも、くりかえしのべたように核兵器開発競争の悪循環は、七〇年代に入って「人類」の生存そのものを脅威にさらすほどの最悪の事態となっている。
日本共産党は、このような情勢のもとで、核兵器全面禁止を要求するとともに、それとむすびつけつつ、核軍拡のこれ以上の悪循環を阻止するために、米、ソ、中をふくむすべての国の核実験に反対し、その中止を要求する。
核実験包括的禁止条約は、第一回国連軍縮特別総会で合意をみた行動計画にそって、ジュネーブ軍縮委員会で審議を進めることが昨年の国連総会でも決議されている。もし地下実験をふくめてすべての核爆発実験が禁止されるならば、新型核弾頭の開発は困難になり、核大国の核兵器開発競争に歯止めをかけ、非核保有国も独自に核兵器を開発することができなくなる。しかしこの措置が実現しても、核兵器保有国は、現在持っている核兵器の信頼性を実験で検証することはできなくなるとしても、それをひきつづき保有しうるし、すでに開発された技術を使って核兵器の生産を続けることができる。そういう限界的措置ではあるが、核実験の包括的禁止は、それが核兵器の全面禁止の一環として位置づけられた場合、核軍拡競争の停止、逆転に効果的なものとなりうる。
われわれは、以上のような諸措置を核兵器全面禁止協定の実現をめざすたたかいの重要な課題と考える。
米ソ両国間の「戦略兵器制限交渉」、いわゆるSALT交渉について、われわれは、米ソ交渉の必要性そのものを否定するものでもないことはもちろん、それが核兵器廃絶につながるものであれば積極的評価をくだすことも当然である。
しかし、これまで二回にわたっておこなわれたSALT交渉は、交渉中にも米ソの核軍拡競争はすすみ、ストックホル国際平和研究所の八〇年版年鑑は、SALTⅡにもかかわらず、「アメリカとソ連の戦略核兵器庫中の運搬可能な弾頭の総数は、今から一九八五年までに五〇ないし七〇増加すると予想される」とのべている。
しかも、この協定の対象とならない戦域核戦力の開発と同盟諸国への配備は、核軍拡競争のなかでますます大きな比重をしめしている。このことは、核戦争防止、核軍縮にかんする措置を米ソ両核大国の交渉にゆだねるのでは、真に効果的なものを期待することはできないことをかさねてしめしている。
現在、もっとも重要なことは、戦後の平和運動の原点に立ちかえって、核兵器の全面禁止の旗印をいっそう高く掲げ、この課題を遂行するうえでもっとも効果的な措置をとらせるための大衆宣伝、大衆行動を発展させ、国際世論を喚起し、人類の圧倒的多数を結集し、核兵器の引き金にかけられた帝国主義者の手を抑え、核兵器を放棄せざるをえないところまで、たたかいを発展させることである。
核兵器の禁止とともに、危険な軍拡競争を逆転させ、通常兵器の大幅な削減に着手することも、全世界の諸国民の切実な共通の願望である。
ワルトハイム国連事務総長報告「軍拡競争の経済的、社会的諸結果と世界の平和と安全への極度に有害な影響」は、つぎのようにのべている。
「軍拡競争は、資源の浪費であり、経済をその人道的な目的からそらせるものであり、国民の発展努力にたいする障害であり、民主的過程にたいする脅威である」(『世界政治資料』七八年一月下旬号、五〇ページ)
ストックホルム国際平和研究所の八一年版年鑑によれば、世界の軍事費は「実額で毎年二ずつ増加」しており、「一九八〇年代初期には、軍事費は世界の生産高よりも速やかに、おそらくははるかに速く上昇しそうである」という。レーガン米政権は、一九八〇年に米予算の二三%だった軍事費を一九八四年には三二%に増加させようとしており、同盟諸国にも軍事費増大の圧力をかけている。NATO諸国は軍事費の実質の伸びを毎年三パーセントとすることを合意しており、ワルシャワ条約機構加盟国も、年々軍事費を増加させている。第三世界の諸国も、とくに紛争地帯では軍事支出が急速に上昇している。世界の軍事費は今日、年間百兆円を超え、毎分二億円が浪費されていることになる。
米ソ両国をそれぞれ中心として相対立する軍事ブロックのあいだで、核兵器、通常兵器をふくめた軍拡競争が激化したことは、これらの国々の軍事支出の急速な膨張をもたらし、その影響は軍事ブロックに加わっていない諸国にもおよび、すべての国の経済的、社会的発展と国民生活に、いちじるしい否定的影響をあたえ、戦争の危険を増大させている。
できるだけすみやかに、この際限のない軍拡競争を阻止し、核兵器はいうにおよばず、通常兵器の戦力全般をも対象とし、地球上のすべての国、すべての地域におよぶ軍備の大幅削減に着手しなければならない。
とくに核兵器保有国にとっては、通常兵器は、その核戦略を推進する重要な構成部分である。戦略核兵器の優位を抑止力として、世界各地域で各個撃破戦略をおしすすめるうえで、戦術核兵器は一般戦力のなかに組みこまれており、通常兵器と密接不可分のものになっている。したがっておそるべき破壊力をもつ戦術核兵器が通常兵器なみに使用される危険がつよまっている。
核兵器保有国の同盟諸国は、たとえ自前の核兵器を持たず、また核兵器の配備を認めていなくても、その「核抑止力」に依存しているので、自国の通常軍備自身が、この「核抑止力」を補完するものになっている。さらに、これら同盟諸国の軍事作戦は、核兵器保有国の主導のもとに、共同作戦として立案され、しかも、その軍事力の近代化、増強についても、結合して進められている。
この点で、核大国と同盟している国の通常軍備は、非同盟諸国の通常軍備と基本的に性格を異にしている。豊田利幸教授は、「いわゆる『通常兵器』についても、それが核保有国と軍事的な同盟国におかれるか、それとも非同盟国で使われるかによって、性格は大きく変る」(「軍拡を軍縮に転換させる道」、『世界』一九八〇年七月号)と指摘している。核大国と軍事同盟を結んでいる諸国の通常軍備については、そうでない諸国とくらべて、とくに削減、縮小をおこなう必要がある。
昨年の国連通常総会では、核兵器保有国ならびにこれらの国と軍事協定を結んでいる国々にたいし、核と通常兵器の双方の分野で、一定の合意した日時から兵力および軍備を増大させないことをきめ、それを第一歩として、さらに兵力および通常軍備の削減にむかうことをよびかけた決議が、賛成百四、反対十九、棄権十七で採択されている。ソ連など社会主義諸国と非同盟諸国は賛成したが、アメリカおよび日本を含むその同盟諸国は反対した。
なお、第一回国連軍縮特別総会は、軍縮の緊急性について国際世論の認識を高めるうえで大きな貢献をおこない、軍事同盟や「抑止力の均衡」論を批判しながらも、「行動計画」の提起はアメリカ帝国主義が許容する範囲内にとどまらざるをえなかったために、核軍拡競争の停止と逆転に効果的に役立つ具体的措置について合意に達することができなかった。もっとも重要な措置の一つである軍事同盟、軍事ブロックの解消の課題は、最終文書の「行動計画」から除かれてしまい、逆に軍備撤廃(「全面完全軍縮」)にむけての空想的プログラムが盛り込まれるという欠陥も生まれた。
いうまでもなく、人類の理想は、いかなる暴力も戦争もない、軍備もない世界をつくりあげることにある。しかし、帝国主義が存在するかぎり、軍備撤廃を当面の目標とすることは不可能であるだけでなく、核兵器禁止や軍事同盟解消、外国軍事基地撤去など当面の緊急目標から世論をそらす危険さえある。
米ソ両国が、一九六二年にそれぞれ発表した全面完全軍縮条約案は、国連総会の決定でジュネーブ軍縮委員会の討議にゆだねられたが、なんらの効果的な合意をみないままに終わった。一九七八年に国連軍縮総会が開かれたのは、まさにこうした米ソ主導の宣伝的軍縮交渉に不満をもった非同盟諸国の提唱によるものであったことが想起される必要がある。
以上のような経験から日本共産党は、軍備撤廃を意味する「全面完全軍縮」については、科学的社会主義の原則的見地から対処し、立場の相違をこえた究極の恒久平和の目標とすることには賛同しながらも、「全般的軍縮」とりわけ核軍縮と通常兵器の大幅削減を当面の基本目標とすべきだとする立場を堅持してきた。
現在、世界各地にもうけられている外国軍事基地は、そのほこ先が向けられている諸国に脅威となっているだけでなく、その国の主権を侵害し、その国を戦争にひきいれる危険をつくりだしているという点でも民族独立と世界平和をおびやかしており、一日も早く撤去されなければならない。とくアメリカ帝国主義は、中東介入のため「緊急展開軍」を編成し、その輸送と武器弾薬の事前配備のために外国にある既存の基地を利用し、さらに最近ソマリア、ケニア、オーマンと基地使用協定を結び、中東、ペルシャ湾一帯での米軍駐留、基地網設置の策動をつよめている。しかも戦域核戦略にもとづいて、各種の核兵器が前進配備、即応態勢のために持ち込まれる可能性がつよまっている。核戦争防止のためにも、これらの外国軍事基地を撤去させることはますます緊急な課題となっている。
これらの外国軍事基地に駐留する外国軍隊は、基地撤去にともなって本国に撤退すべきことは当然のことである。このような外国軍隊の撤退は、民族自決権の擁護の見地から見ても、ただちにおこなわれなければならない。
核軍備の拡張競争の悪循環が進行する根底には、米ソ両国の生存と国益をかけた相対立する軍事同盟、軍事ブロックの存在がある。これら核大国を中心とする軍事同盟、軍事ブロックを解消しないかぎり、同盟諸国が核戦争にまきこまれる危険をなくすことはできないし、真の緊張緩和も真の集団安全保障もありえない。
日本共産党第十五回大会の決議はつぎのようにのべている。
「とくにアメリカ帝国主義によって、侵略的軍事ブロック体制の世界的規模での再編強化がたくらまれている今日、軍事ブロックが世界の大勢だといった議論の反動性を批判しつつ、日本の非同盟・中立化とともに軍事ブロック廃止の旗をいっそう高くかかげてたたかうことは、重要である」(『前衛』臨時増刊、六一ページ)
すでに指摘したように、アメリカ帝国主義の反対によって、一九七八年の国連軍縮特別総会の最終文書の「行動計画」からは、軍事同盟の解消は除外されたが、その「宣言」の部分では、つぎのような明確な指摘がおこなわれていた。「永続的平和と安全保障は、軍事同盟による兵器の蓄積で作り出すことはできないし、また、不安定な抑止力の均衡や戦略的優位のドクトリンによっては維持することもできない」(『世界政治資料』七八年八月上旬号、三八ページ)。
このようにして現代の世界は、核戦争の脅威から人類を解放するためにも、また永続的平和を確立するためにも、対立する軍事ブロック、軍事同盟の相互解消をかちとることを全世界の人民の緊急の課題となすにいたっている。本年二月にニューデリーで開催された非同盟諸国外相会議も、軍事ブロックの解消と外国軍事基地の撤去などを共通のたたかいの課題として一致して採択した。この外相会議政治宣言は、つぎのようにのべている。
「諸国外相は、世界のすべての地域にその恩恵が及ぶような、世界的な国際緊張緩和を達成するため、大国間の紛争を背景に計画された軍事ブロックまたは軍事条約、軍事同盟および関連とりきめを解消し、外国軍事基地および外国軍隊を撤退させるよう呼びかけた」(『世界政治』六月上旬号、二二ページ)
日米安保条約にもとづく日米軍事同盟は、アジア・太平洋地域における侵略的軍事同盟網のカナメをなすものであり、その廃棄は、世界とアジアの平和と安全、日本の主権と独立にとって欠くことのできないものである。
軍事同盟が、国連憲章のめざす真の集団安全保障と両立しないことは、国連でも認められてきた。
たとえば、一九七〇年の第二十五回国連総会で日本を含む百二十ヵ国の賛成、反対一(南アフリカ)、棄権一(ポルトガル)で採択された「国際安全保障の強化にかんする宣言」は、「すべての国家が、すべての国のために平和と安全を確保する努力に貢献し、憲章にしたがって、軍事同盟のない音遍的安全保障の効果的な体制の樹立に貢献するよう勧告」していた。
現存する軍事同盟、軍事ブロックが、国連憲章を引用して、「安全保障」のためと称し、「集団的自衛権」を名目としていても、それらは、国連憲章のめざす集団安全保障とはまったくことなるものである。
「NATOとワルシャワ条約機構の同時解消」をふくめ、「すべての軍事ブロック・軍事同盟の解消」は、非同盟諸国にかぎらず、すべての社会主義諸国、資本主義諸国の平和勢力にとって共通の基本的課題となっている。
仮想敵国をもったいっさいの軍事同盟を解体したうえで、社会体制のことなる諸国をふくめ、世界のすべての国が参加した、国際的な真の集団安全保障体制を確立することは、今日の段階で、戦争を防止し、平和を擁護するための綱領上の中心目標となるであろう。
この目標は、国連憲章のめざすものと一致する。
国連憲章は、第七章で平和にたいする脅威、平和の破壊および侵略行為にたいし、安全保障理事会による非軍事的および軍事的措置をさだめ、第四十三条により、加盟国が国連軍に兵力提供をおこなう特別協定を定めている。しかし、冷戦と軍事ブロックの対立により、この規定は空文化している。
憲章の改定をふくめ、必要な国連の民主的改革の措置ともあわせて、軍事同盟、軍事ブロック解消とともに、国連が地球上のすべての国が参加した、効果的な集団安全保障機構として機能するようにすることがめざされなければならない。
非武装や軍備撤廃を当面する課題とする空想的な道ではなく、侵略者にたいする集団的制裁と軍事的措置をふくんだこの集団安全保障の道こそ、今日の歴史的段階で、軍備撤廃論者をもふくめて共同して探究されるべき、現実的で有効な、世界平和と民族自決権擁護の道なのである。
主権国家間の紛争問題を話し合いで解決することは、平和を保障する原則である。現につづいているイラン・イラク戦争、レバノンの内紛に結びついた軍事衝突をはじめすべての紛争は話し合いで解決すべきである。もちろんこのことは、あらゆる植民地主義支配からの民族解放闘争が、選択する方法の自由を拘束するものではない。
第二次世界大戦の戦後処理に関する領土不拡大の原則に反して、ソ連が不当に占有している千島、歯舞、色丹島を日ソ両国が平和的話し合いによって早期の返還を実現することは、日ソ両国関係の友好と、アジアの平和に資するものである。
ここにのべた平和綱領は、「恒久の平和を念願し」、「全世界の国民が……平和のうちに生存する権利を有することを確認」し、「自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務」をうたうなど、恒久平和、民族自決権の擁護を日本のとるべき進路としている日本国憲法の明示するところとも一致するものである。
以上にのべたような八〇年代の平和綱領をかちとってゆくうえで、日本国民と日本の革新勢力は、特別に重要な任務と役割をになっている。
第一に、日本は、一九四五年の広島、長崎の原子爆弾投下、一九五四年のビキニ水爆実験による被害と、三たび核兵器の被害を受けた、世界で唯一の被爆国であるからである。日本国民は、核戦争が人類の文明の破滅を意味することを国民的体験として知った歴史の証言者であり、核戦争阻止と核兵器禁止という人類的課題の実現については、文字どおり「前衛」的使命を帯びた国民であるといわなければならない。
こうして日本は、国際的な原水爆禁止運動の組織者となってきた。一九五五年の第一回大会以来、国内では運動の分裂があったにもかかわらず、毎年日本原水協主催(七七年以降実行委員会、準備委員会主催)の原水爆禁止世界大会が開催され、核兵器禁止をめざすさまざまな国際的運動を結集する歴史的事業がつづけられてきている。
この大会に象徴される国民的世論の圧力のもとで、自民党政府も核兵器禁止をかかげざるをえず、一九七〇年代のはじめには、「核兵器をつくらず、持たず、持ち込ませず」という非核三原則が国会決議となり、厳粛な国是とされるにいたった。
核兵器禁止を要求する日本国民の世論と運動は、実際にアメリカ帝国主義の核兵器使用の手をもしばる役割を果たしてきた。たとえば「アイゼンハワー回顧録」は、一九五八年の金門、馬祖をめぐる台湾海峡危機にあたって、中国本土に核攻撃を加えることを検討したさい、日本の世論の反撃にあうことをもっとも懸念したことをあきらかにしている。
「この目的を達成するために核兵器の使用が要請されるようになれば、世界の大部分でアメリカにたいする強い国民の反発が引き起こされるだろう。それは、とくにアジアでは強烈だろうし、日本の場合には、とくにわれわれにとって有害だろう」(一九五八年九月四日「台湾海峡の状況にかんする覚え書き」、『アイゼンハワー回顧録(2)』六〇七ページ)
そして、アメリカは結局、核攻撃にふみきれなかったのである。
核兵器についての日本国民のこの世論は、日米反動勢力が規定するような「特殊な感情」や「核アレルギー」ではけっしてない。それは核兵器廃絶の課題の絶対的必要を先駆的に認識した国民的体験が生んだ英知というべきものである。核廃絶と核軍縮を達成するこの歴史的事業で、日本国民が果たすべき大きな役割への期待は、核戦争の脅威の増大によって、内外にひろがっている。たとえばアメリカの元ソ連大使ジョージ・ケナンも、一九八一年の『ブリタニカ国際年鑑』で、つぎのような日本国民への期待をのべているという。
「歴史上ただひとり、おそるべき核攻撃の犠牲となった国民の手、その手は、現代の戦争のはらむ危機に対して警鐘を鳴らし、他の国ぐにが破滅の断崖すれすれに近づくことのないよう抑制をよびかけるうえで、どんな国民にもまさる道義的権利を備えている」(「日経」五月二十七日付)
第二に日本は、第二次大戦での敗北のさいに受け入れた連合国のポツダム宣言にも反して、戦後長期にわたってアメリカ帝国主義の全面占領下におかれ、しかもその後結ばれた日米安保条約のもとで、発達した資本主義国のなかでただ一国、朝鮮戦争、ベトナム侵略戦争と、二度にわたるアメリカ帝国主義の熱い戦争の拠点となった経験をもつ国だからである。
戦後のこの歴史は、他民族の占領と、占領下におしつけられた軍事同盟が、民族にとってなにを意味するかを、日本国民につぶさにあきらかにしたものであった。
しかも今日、すでにのべたように日本は、レーガン政権の中東にたいする各個撃破政策とそのための同時多発戦略、結合戦略の、アジアにおけるもっとも重要な拠点とされている。日本国民は日米安保条約廃棄によっても、軍事同盟解消の国際的事業に貢献する民族的責務をになっているといえよう。
第三に、日本の国際的な比重が、さまざまな分野で、ますます高まっており、日本の動向は、世界の動向に直接かかわっているからである。
日本の労働力の質の高さと勤勉さ、国民の教育水準の高さをもっとも重要な源泉として、日本資本主義の生産力は急速な発展をとげ、戦後四半世紀をへて日本経済は、アメリカ、ソ連につぐ世界第三位の地歩を占めるにいたっている。ここに、アメリカ帝国主義が、先にも指摘したように、同盟国中、最大の軍事的潜在力をもっている国として、飛躍的な軍備拡張を執拗に迫っている根拠がある。ある意味では日本は、レーガンの世界支配戦略の帰すうを左右しうる存在ともいいうるのである。
このことは逆にいえば、日本が、日米軍事同盟から離脱し、非同盟・中立の道を選択するならば、それはアメリカ帝国主義の力の政策に決定的打撃の一つをあたえ、国際政治の体系を、軍拡と軍事ブロックの悪循環から軍縮と非同盟、平和と民族自決の方向にむかって、前進させるうえでも、きわめて大きな国際的貢献をおこないうるということでもある。
今日の情勢は、日本国民がこれらの国際的責任を果たすうえで、きわめて重要なものとなっている。最近の諸事件は、唯一の被爆国日本に、アメリカ帝国主義の核戦争政策に追随して、核戦略の拠点化、軍備拡張と軍事大国化の道をすすむか、それとも自主的立場に立って非核三原則完全実施、軍縮と核兵器禁止の道をすすむかという二つの道をめぐる対決を急速に発展させつつある。
これまで、この日本国民の強い要求も国会決議も、日米安保条約のもとで対米追随外交を進めている自民党政府によってふみにじられてきた。日米安保条約は、日本をアメリカの「核のカサ」のもとにおいており、この条約を根拠に、核兵器搭載能力をもつ艦船や軍用機は、日本政府によって搭載の有無を確かめられずに、自由に日本に出入りしている。非核三原則は、こうして、まったく骨抜きにされていた。
昨年の国連総会で日本政府は、NATO諸国とともに、兵器使用禁止条約、非核兵器国への核兵器の不配備、軍事ブロック参加国の軍備凍結などを求めた決議に反対投票をおこなった。日本政府当局は、反対投票をおこなった口実として、日本がアメリカの「核抑止力」を前提として国の「安全」をはかってきたことをあげている。日本がアメリカの「核のカサ」のもとにあるために、日本国民の一致した要望を反映した非核三原則の国際化ともいうべき措置にも反対しているのが、日本外交の現状であった。
ところが、四月の米ポラリス原潜ジョージ・ワシントン号の日昇丸あて逃げ事件にたいする怒り、五月の日米首脳会談と、はじめて日米「同盟」をうたいあげた日米共同声明にたいする世論のきびしい批判、その結果生まれた伊東外相の辞任、北海道・秋田沖の日米共同演習によるはえ縄切断事件、ライシャワー元駐日大使の証言が暴露した日本にたいする核兵器持ち込みの衝撃、核空母ミッドウェーの横須賀寄港――つぎつぎにおこった日米軍事同盟をめぐる大きな事件は、唯一の被爆国日本の核兵器問題にたいするつよい関心を、あらためて燃え上がらせる結果となった。
日本の領海・領空、横須賀と横田、岩国と嘉手納などの米軍基地への核持ち込みの恒常化という事態は、国是としての非核三原則と、日米安保条約にもとづくアメリカの「核のカサ」とのあいだによこたわる根本的矛盾が生み出したものである。この矛盾は妥協の余地のない対決として、長期的に発展せざるをえない。なぜなら、日本国民は、非核三原則の完全実施つまり日本の非核武装地帯化、したがってアメリカの「核のカサ」の拒否に発展せざるをえない、「非核」の国民的要求を捨てることができず、他方アメリカ帝国主義は、「日本を核のカサでおおう権利」(ワインバーガー国防長官)、つまり日本を戦域核戦略の拠点とするという方針に固執しつづけているからである。この事態のなかから、多くの国民が、「核のカサ」のもつ危険性の認識をとおして、非核・非同盟の日本の進路を選択することの必要、すなわち日米安保条約の廃棄による中立日本実現の意義を自覚しうる新しい国民的条件がつくり出されようとしている。
五月二十八日、日本共産党常任幹部会は、「いっさいの核持ち込み拒否、非核三原則法制化、日米安保条約廃棄を実現する国民的運動をよびかける」という声明を発表した。声明はそのなかで、つぎのようにのべている。
「安保改定後の二十一年間、進行していた非核三原則の空洞化は、実際には歴代自民党政権が採用してきた『アメリカの核のカサにはいる』という方針と、日本国民の一致した要求である非核三原則とのあいだによこたわる根本的な矛盾が生み出したものである。
したがって、日本国民が、非核三原則の完全実施をつらぬくためには、非核三原則の法制化だけでなく、より根本的には、アメリカの核のカサからでること、すなわち日米核軍事同盟を解消することが必要である。日米安保条約を廃棄し、日本が非同盟・中立の道を選択すること、この道以外に、世界唯一の被爆国として、核戦争阻止、核兵器禁止実現の人類的課題に貢献したいという日本国民の核兵器廃絶の要求にこたえる道が存在しないことは、いよいよ明白となってきた」
「安保廃棄・非同盟中立の日本」とは、言葉を変えていえば、「非核・非同盟の日本」でもある。日米核軍事同盟から離脱した「非核・非同盟の日本」は、それを実現した革新政権のもとで第一に、非核三原則の完全実施を実現した最初の国として、非核武装地帯のアジアへの拡大などなどの非核三原則の国際化、さらに核兵器使用禁止協定の締結、核兵器の完全禁止を求める国際的たたかいの先頭にたつであろう。第二に、「非核・非同盟の日本」は、非同盟諸国会議に参加し、反帝・反植民地主義、軍事同盟解消、新国際経済秩序確立の国際的運動に積極的に貢献するであろう。すでに国連加盟国百五十四ヵ国中、ゲスト・オブザーバーをふくめれば四分の三ちかい絶対多数を占める非同盟諸国は、世界第三の経済生産力をもち、しかも帝国主義陣営から離れて非核・非同盟の道に立った日本の加盟によって、国際的影響力の新たな拡大をかちとることが予想できる。
安保条約を廃棄して非同盟・中立を実現した日本の、世界政治におけるこの二つの活動は、すでに分析した今日の世界の基本構造と、それをゆがめている核軍拡、軍事ブロック対抗の悪循環構造にも、重要な変化を生み出しうるものである。それは、帝国主義陣営を弱め、反帝平和の勢力の強化に貢献し、同時に核兵器と軍事力のバランスという危険で不安定な構造をつきくずし、核兵器禁止、軍事同盟の解体と集団安全保障の確立にむかう方向を現実に前進させる国際的展開をかならずうながしうるからである。
八〇年代の日本の動向は、戦争か平和かという歴史的岐路に立つ世界の動向に大きな影響をもたらすものとなろうとしているといわなければならない。
自民党政権のもとで、対米従属の日米軍事同盟の強化、軍事大国化、日本軍国主義の全面復活の道をすすむのか、それともこの道を拒否して、革新政権のもとで非核三原則の完全実施、日米安保条約の廃棄を実現し、核兵器禁止・軍事同盟解消の国際的運動の先頭に立つ非核・非同盟の日本という新たな道をすすむのか――このするどい選択が、いま日本国民日本の革新勢力に問われている。
日本共産党は、日本の自覚的平和擁護勢力とともに、世界平和のための正しい綱領的目標を高く掲げ、全世界の反帝・平和、民主勢力との共同をつよめてたたかいぬくだろう。日本共産党はまた、すべての日本国民とすべての日本の革新勢力とともに、非同盟・中立の日本の実現と新しい革新的進路のために、全力をあげて奮闘するものである。