日本共産党の立木洋国際部長は、さる三日、漁業関係者から求められて、朝鮮警備艇による日本漁船銃撃事件について日本共産党の見解をあきらかにした(八月四日付「赤旗」)。これにたいし、八月六日付朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は「論評」を発表したが、それは、日本共産党の見解を「不当ないいがかり」「内政干渉」などと中傷し、さまざまの悪罵をら列し、尊い人命まで奪った日本漁船銃撃を当然視する開き直りに終始したものである。
日本共産党は、「労働新聞」のこの不当な非難を断固拒否する。
「労働新聞」の「論評」は、今回の日本漁船銃撃を合理化するため、朝鮮民主主義人民共和国による「海「上軍事境界線」なるものの設定(一九七七年)について、「情勢の要求か国の安全と自主権を守るための」「正当な自衛的措置であり、誰も侵害することのできない神聖な権利である」とのべ、「国際慣例からみても当然」としたうえ、日本共産党の見解は、朝鮮の「自主権に対するごう慢な言いがかりであり」「内政に対する干渉行為」などと攻撃している。
しかし、「領海及び接続水域に関する条約」(一九五八年調印、六四年発効)や「海洋法に関する国際連合条約」(八二年採択、未発効)など、海洋にかんするいかなる条約も、沿岸国に特別の権利を認める海域としては、主権のおよぶ「領海」、若干の必要な規制ができる「接続水域」(公海の一部)、天然資源にかんする主権的権利等がおよぶ「排他的経済水域」などを規定しているのみである。そして、これらの条約は、沿岸国の主権下にある「領海」についてさえ、排他的主権を認める「領空」とちがって、外国船舶の無害通航権を承認している。「領海」や「接続水域」よりもさらに外側の海「域に「自衛」のための「軍事境界「線」なるものを設定するとか、当該区域内には民間船舶といえども事前の合意や承認なしには航行できないなどと定めて無害通航権を否定するとかの権利を、国際法はまったく認めていない。
そのような「海上軍事境界線」なるものを設けている国自体が世界にもほとんどなく、ましてや「国際慣例」などにはけっしてなっていないことはいうまでもない。
ある国が「情勢」上必要と一方的に判断し、自国の「安全と自主権」の防衛のためと称しさえすれば、航行の自由を保障すべき海域に勝手に「軍事境界線」なるものを設定して一般船舶をしめだしてもよく、その海域に入った船舶にたいして武力攻撃をくわえることが、その国の「神聖な権利」に属するなどというのは、国際法をまったく無視した乱暴きわまる議論である。「労働新聞」の「論評」のこの論法がもし世界にまかりとおるならば、力のある国が勝手に軍事勢力圏を設定することが放任されることになる。
これはまさに国際問題であって、日本共産党にたいする「労働新聞」の不当な攻撃は、国際問題の正しい処理の基準など意に介しないという、彼らみずからのおどろくべき立場を暴露するものである。「国際法の初歩的な常識も知らない者の妄言」という彼らの悪罵は、そのまま彼らに返上されるべきものにすぎない。
今回の事件は、五十未満の五人乗りの、武装していない漁船にたいし、武装した朝鮮人民軍海軍警備艇が、銃撃をくわえて乗員を死亡させたというものである。このようなことは、かりに沿岸国の法令に違反する行為や無害でない航行にたいする規制措置としてさえ、不法で過剰な措置であって、国際法上も合理化できるものではない。まして、「海上軍事境界線」なるものの設定の不当さはすでにのべたとおりである。さらに、人命尊重という社会主義の本来の大原則に立てば、今回のような措置の不当さは二重、三重に明白である。
今回の朝鮮側による日本漁船銃撃とその結果は、日本政府の対朝鮮政第一般に解消できる問題ではなく、あくまで朝鮮側の責任にかかわる問題である。「労働新聞」の「論評」は、今回の事件の「責任は全的に、わが共和国に対して敵視政策を実施している日本当局にある」としたうえで、日本共産党の見解を攻撃して、「問題解決に責任をもつ当局者には一言半句もなく、不当にわれわれを非難」しているとのべている。しかしこれは、みずからの不法行為の責任を他に転嫁しようとする卑劣きわまる論法であり、日本政府が朝鮮敵視政策をとっているからという理由で日本の民間漁船への銃撃や乗員の殺傷をも当然だとする、途方もなく乱暴な態度の表明である。
「労働新聞」の「論評」は、その題名に「誰を代弁した『見解』なのか」として、日本共産党の見解表明が全斗煥の訪日を前にして「日本右翼反動が悪らつにくりひろげている反共、反共和国、反総聯騒動と時を同じくしている」などとのべ、日本共産党があたかも日本の「右翼反「動」に同調しているかのように攻撃している。
しかし、わが党は、今日、日本で真の革新の立場をつらぬいて、アメリカ帝国主義と日本反動勢力にたいしてたたかっている唯一の政党であり、全斗煥来日にも反対の立場を終始明確につらぬいているわが国唯一の党である。同時に、死者を出した日本漁船銃撃事件がおき、党の見解が求められたのに応じて、わが党が見解をのべるのも、当然である。日本国民の利益に反し、国際法上あるいは人道上不法な行為がおこなわれれば、それがどのような時期であれ、相手がだれであれ、明確な批判的見解を表明するのは、日本国民に責任を負う日本共産党の当然の態度である。これを全斗煥の訪日と結びつけて非難することこそ、「いいがかり」というものである。そして、彼らが立木国際部長の見解発表の動機を「人々の『歓心』でも買おうとする意図」等と悪罵しているのも、みずからの低劣さをしめしたにすぎない。
飛躍した論理によって日本共産党の態度をアメリカ帝国主義や日本反動派と同列にえがきだす「労働新聞」の攻撃は、みずからのどんな不法行為も「自主権の行使」として是認され、それに少しでも批判的な態度は、帝国主義や反動勢力と同列視し、攻撃しても当然だとする、それそ独善的、覇権主義的態度にほかならない。
これまで日本共産党は、あれこれの干渉主義者からアメリカ帝国主義や日本反動と同類という式の攻撃を加えられた経験があるが、歴史はこの種の悪罵が彼らの論理の無力さの反映にすぎないことをしめした。「労働新聞」の「論評」は、日本共産党の当然の見解表明が事態の本質をあきらかにしたことに反発して、人道と国際法を無視し、民主主義の原則と社会主義の大義にも反した自己の立場を、かえってひろく国際社会に告白するものとなった。