日本共産党資料館

土井社会党委員長の最近の路線発言をどうみるか

(『赤旗』1987年12月30日)

 最近、土井社会党委員長の、日米軍事同盟最優先と軍拡・好核の自民党政冶と対決するかのような、いわゆる”左寄り”発言が目立っている。土井委員長は、87年12月4日の委員長再選時のあいさつで、「私の初心でもある平和憲法と、憲法体制をあくまで守りたい」「平和のために、経済の活性化のために『日本国憲法』と、その諸原則を世界に広げるために胸を張って努力する」(87年12月8日付「社会新報」)と強調したのをはしめ、『月刊社会党』88年1月号の「日本国憲法と社会党外交」と題する論文では、「日米安保条約、自衛隊の存続・増強に反対」「日米安保条約を解消」「核兵器の廃絶のための闘いをいよいよ発展させたい」などとのべている。

 自民党・政府はいま、「西側一員」の役割を日米安保条約=日米軍事同盟を軸に、軍事・政治・経済のあらゆる分野で積極的に果たす路線を強引にすすめ、平和・民主主義・国民生活の全面にわたって大多数の国民の利益を深刻におびやかしている。こうしたもとで、多くの国民のあいだに、日米軍事同盟強化にたいする危機感がひろがっている。国民の8割が日米軍事同盟のもとで戦争にまきこまれると考え、7割以上が日米軍事同盟強化のための軍拡に反対していることが、その端的なあらわれである。経済の面でも、日米軍事同盟のもとで、アメリカの要求による円高、産業”空洞化”など、重大な事態が進行している。社会党内に、党建協(日本社会党再建研究全国協議会)の発足をはじめ、同党の安保条約存続容認路線に異論をとなえるグループなどがあらわれているのも、こうした日米軍事同盟強化への危機感の深まりの反映である。

 この点で、土井委員長の最近の一連の”左寄り”発言は、安保条約存続容認路線にたいする党内の反発や、同党を革新の方向から支持する人々の危機感への対応という側面をもっているといえる。そうであればあるほど、土井発言は、同氏の主観的意図がどうあれ、また個人的な善意がかりにあるとしても、社公合意いらいの同党の安保条約存続容認路線と、いよいよ矛盾することになる。土井発言をどうみるかの基本点を明らかにしておこう。

社公合意再検討なき土井発言

 土井委員長の一連の”左寄り”発言の第一の特徴は、社公合意とことごとく矛盾するにもかかわらず、その社公合意の再検討についてなにもいっていないという点にある。社会党は、80年1月、日本共産党との革新統一戦線についての合意を一方的に破棄し、公明党との間で、共産党排除、安保条約と自衛隊の存続容認の政権合意をかわして本質的に右転落した。

 この社公合意は、その後、80年2月の社会党大会で全員一致で承認された。こうして社公合意は、いらい同党の基本路線となり、今日にいたるまでこの党の実際行動を拘束している。
 それにもかかわらず土井委員長は、つぎのようにのべている。
 「社会党は戦後一貫して『平和憲法』を守り『非武装中立』を標ぼうしており、日米安保条約、自衛隊の存続・増強に反対の立場をとってきました。最近の国際情勢、とりわけアジア・太平洋情勢の推移にかんがみるとき、党はこれまでの政策を堅持し、極東の緊張緩和に責献する基本的立場を堅持する必要性がますます強まっている」(前掲『月刊社会党』)

 日米安保条約は「日本の平和と安全のためというよりも、対ソ核戦略のための集団安保に拡大され」ている(同前)。
 「戦後日本の初心であり、日本社会党の初心でもあり、私の初心でもある平和憲法と、憲法体制をあくまでも守りぬきたい」(前掲「社会新報」)

 社公合意で日米安保条約=日米軍事同盟の存続を容認したことや、86年1月の党大会で全員一致で採択した綱領的文書=「日本社会党の新宣言」で、これまであった「日米安保条約反対」の言葉を全面的に削除したことなどと、土井氏の「日米安保条約に反対」という発言は、どう両立するのだろうか。また、社公合意で違憲の自衛隊の存続を容認したことや、それいらい国会で、軍事費削減の実際行動をなにもしなくなったことと、土井氏の「自衛隊の存続・増強に反対」、「憲法体制をあくまでも守りぬきたい」とする発言は、どう両立するのだろうか。

 さらに、核兵器廃絶間題について土井委員長は、「日米安保体制は『核同盟』に変質」した、「核の傘が日本国民を守るというのは全くの虚構であり、『核同盟』はアメリカが自国を守るために同盟国を確保し、必要のある時は同盟国が犠牲にされる戦略である」とし、「非核3原則を厳守させることは、被爆国日本の義務」である、「核兵器の廃絶のための闘いをいよいよ前進させたい」(前掲『月刊社会党』)などとのべている。

 86年1月の「日本社会党の新宣言」で、これまであった「核兵器全面禁止」の言葉を削除したことや、85年の国会で共産党の「核兵器緊急廃絶」の要求に反対し、核兵器廃絶の課題を究極のかなたにおいやる「核兵器の究極廃絶」決議に賛成したことと、土井氏の「核兵器の廃絶のための闘いをいよいよ前進させたい」とする発言は、どう両立するのだろうか。80年の社公合意いらい総評と一体になって伝統ある日本の原水爆禁止世界大会を自民党が許容するものに変質・解体するためのさまざまな策動の中心になってきたことや、81年から非核3原則の法制化に反対していることなどと、「核兵器の廃絶のための闘いをいよいよ前進させたい」「非核3原則を厳守させる」とする言葉は、どう両立するのだろうか。

 このように土井発言は、社公合意と、それにもとづく社会党の路線とことごとく矛盾する。土井委員長がいくら日米安保条約廃棄だとか自衛隊存続反対・核兵器廃絶といっても、社会党が基本路線としている社公合意の再検討なしではどうにもならないことは明白である。しかし、土井委員長は、社公合意の再検討についてなに一つのべていない。

社会党与党の政権でも安保存続

 土井委員長の安保・自衛隊問題についての発言は、同党を革新の方向から支持する人々に、社会党が加わる連合政権ができれば、安保と自衛隊をなくせるかのような印象をあたえているかもしれないが、ほんとうに社会党は、連合政権ができたら安保条約と自衛隊をなくそうとしているのだろうか。社会合意をそのままにしておいて、安保条約と自衛隊をなくせるのだろうか。

 社公合意は、社会党と公明党が加わる連合政権が実行する政策の「基本」と「大綱」を詳細にとりきめた。安保条約については、「日米安保体制の解消をめざし、当面、それを可能とする国際環境づくりに努力する。将来、日米安保条約の廃棄にあたっては、日米友好関係をそこなわないように留意し、日米両国の外交交渉にもとづいて行うこととする」とした。これは、安保条約廃棄の国民世論がまだ小さいのでやむをえず存続させるというのではなく、安保解消の国際環境がつくられるまでは安保条約は必要なので存続させるという合意である。しかも、「将来」も、アメリカの同意がなければ解消せず、存続させるという、事実上の安保の長期存続容認論の立場に立ったものである。

 社会党が、86年1月の「新宣言」で日米安保条約反対の立場を全面的に削除し、最新の国政政策=「1986年参議院選挙政策」で「日米安保条約に代る日米平和友好条約を締結」するとの政策をかかげたのは、この社公合意路線にそったものであった。
 この”日米安保条約の日米友好条約への転換”プログラムは、まだ確定していないが、同党の中央執行委員会直属の「政策の懸案事項に関するブロジェクト」が87年12月3日に中執に報告し、同年12月17日に中執が了承した報告によれば、「米ソを含むグローバルなデタント」「アジアにおけるすべての国が参加する平和保障機構の実現」「両国民(日本とアメリカ――筆者注)間の新しい連帯関係の確立」「転換への国民的合意」などの「政治条件の形成」を前提に、アメリカとの「外交交渉」で転換する(前掲「社会新報」)ということになっている。これも、世界情勢が抜本的に変わるまでは安保条約は必要なので存続させる、「将来」もアメリカの同意がえられるまで存続させるというものであり、事実上の安保の長期存続容認論に立った社公合意そのものである。自衛隊についても同様である。

 自衛隊は、日米軍事同盟下の対米従属の軍隊であり、日米軍事同盟の長期存続容認論に立つ以上、自衛隊も長期存続容認ということになるのはいうまでもない。社公合意は、自衛隊は「当面、シビリアン・コントロールを強化することとし、将来、国民世論と自主・平和外交の進展などの諸条件を勘案しながら、その縮小・改組を検討する」としている。これは、「当面」はシビリアン・コントロールを強化して自衛隊を存続させる、「将来」の自衛隊の縮小・改組は”実行”課題ではなく「検討」課題とする、つまり、「当面」も「将来」も、事実上・アメリカの戦略に組みこまれた自衛隊の存続を容認するという、事実上の長期存続容認論の立場に立つものであった。社会党の「政策の懸案事項に関するプロジェクト」がまとめ、中執も了承した「自衛隊解消」の政策案も、「政権の安定度」「自衛隊の掌握度」「平和中立外交の進展の度合」「国民世論の支持」の4条件がすべて満たされるまでは自衛隊を存続させる、将釆の自衛隊解消のプロセスは「当面の処理の段階」「中間的見通しの段階」「究極目標の段階」の3段階とし、解消の国際環境がつくられるまでは自衛隊を存続させるとしており、事実上の自衛隊の長期存続容認論に立った社公合意路線そのものである。

 土井委員長の主観的意図はともかく、社会党が社会合意路線をそのままにしているかぎり、社会党が連合政権に加わる前であれ、後であれ、この党が安保条約廃棄や自衛隊解散という革新的世論にこたえることができないことは明白である。

社会党の右転落を促進する公明党

 土井委員長の発言は、このようにことごとく社公合意と矛盾するにもかかわらず、その再検討についてはなにもいわないだけでなく、土井氏自身、これまで公明党との間で、社公合意をくりかえし確認している。そればかりか、「平和憲法と、憲法体制をあくまでも守りたい」「『日本国憲法』と、その諸原則を世界に広げるために胸を張って努力する」とのべた、その同じ委員長再選時のあいさつで、同氏は、「野党はできるだけ協力することが大切です。その際は、まず野党第一党と第二党の『社公協力』を軸にすることが、まとまりをつくるうえで大切だ」(前掲「社会新報」)とのベ、社公合意路線をいっそう大がかりにすすめる立場を明らかにしている。

 そもそも社公合意の一方の当事者である公明党というのは、共産党が参加する民主連合政府を命にかけて阻止するなどという強烈な反共主義の立場から、70年代いらい、いっかんして、長期低落に悩む社会党の弱点につけこみ、「選挙協力」をテコに共産党との共同関係の清算をせまり、社会党の果てしなき右傾化と右転落を促進してきた政党である。
 同党の竹入前委員長などは、70年代のはじめ、社会党の右傾化を条件に、「野党の今後のあり方いかんによっては、……選挙協力についても、その可能性を検討する用意がある」(70年10月19日の函館での記者会見)とか、「選挙協力は、あくまでも革新再編成が前提」(71年1月28日付「公明新聞」)、「社会党は(社公民協力か、杜共協力かの)どちらの方式を選択をするのか、原則をはっきりさすべきである」(71年3月10日付「日経」)などとのべ、社会党の右転落をさかんに促していた。社会党を社公合意で右転落させるさいも同氏は、「選挙協力」をテコに、「社会党との政権協議は、社会党の政権構想が共産党を含んでいる限り、合意することは不可能」(79年11月12日付「公明新聞」)などとのべて執ようなゆさぶりをかけた。社会党が右転落した後も矢野書記長(当時)は、「両党間の政策の共通化、さらに合意が出来ることを期待している」(85年1月11日付「公明新聞」)と、くりかえしいっそうの右傾化をせまった。

 矢野委員長は、「連合」ヘの接近の思惑もあって最近「社公民」を強調すると同時に、「私は、社会党の基本政策を変えろなんていっぺんも言ったことはない」「基本政策とは別に連合政権の政策合意をやりましょうといっている」(87年12月12日付「毎日」)とのべている。つまり、”基本政策をかかげるのは勝手だが、現実政治の場では社公合意にそった政策でやろう”ということで、社会党が国民にたいして”革新ポーズ”をとることは許容しつつ、現実には公明党路線にとりこむという形で、いっそう巧妙に社会党の右転落を促している。

 社会党が、こうした公明党との関係をつづけ、社公合意を再検討しないかぎり、はてしない右転落の道にはまりこんで、安保条約廃棄などの国民の革新的世論にますますこたえることができなくなることは、確実である。現に、社公合意路線のもとで同党は、いまや「西側一員」論の立場を明確に肯定・容認するところまで右転落するにいたっている。87年9月の訪米のさい土井委員長が、「世界の民主主義国の指導者である米国とできる限り共同して行っていくべきだ」とか、「幸いなことにわれわれ両国は同じような民主主義の価値と原則を信じております」、日本の対外援助で「私たちの党はアメリカと”共闘”を組んでもよい」(ニューヨークのジャパン・ソサエティーでおこなった講演)などとのべたのは、その一例である。

 ※社公合意いらいの社会党の実際行動は、この党の右転落がまったくの本質的なものであり、土井委員長の”左寄り”発言によってそれが変わるものでないことを、だれの目にも明白にしめしている。土井委員長の社公合意再検討ぬきの一連の”左寄り”発言は、同氏の主観的意図がどこにあろうとも、また個人的善意があろうとも、安保条約存続容認路線にたいする党内の反発をそらし、革新の方向から社会党を支持する人々の安保条約廃棄のねがいが社公合意の廃棄にむかわないようにするものになっているといわれても仕方がない。(政治・外交委員 高井統嗣)            

(『赤旗』1987年12月30日)