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綱領改定討論欄

 この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。

消えた単語「賃金」…

2003/7/2 展望台、60代以上、ソフト開発

 共産党の新綱領案の中から「賃金」という単語が、全く消滅しているのに気付いたので、感想を述べたい。

 マルクスの名著『賃金・価格および利潤』『賃労働と資本』は、マルクス主義(「科学的社会主義」と読み替えてもらってもよい)の入門書であった。私も1950年代初めに読みかじって以来、最近まで半世紀近く共産党に多少のシンパシーを感じてきた者である。

 「賃金」の学問的な定義は、私にはもはや煩わしいが、労働者の生活水準を測る物差しであり、“資本家による搾取”を語るには欠かせないキーワードであろう。共産党の現綱領には

「低賃金制と長時間・過密労働が…労働者を苦しめている」
「首切り、低賃金、労働強化に反対」
「低賃金などによる国際競争力…」
「低賃金制を打破」
「同一労働同一賃金を要求」
「最低賃金制…を実現させる」
「農業・農村労働者のために…賃金と労働条件の改善」
「漁業労働者のために…賃金引き上げを要求」

 など、随所に「賃金」が用いられている。しかし、新綱領案では、これが全く無くなっている。重要なキーワード抜きで、資本主義や社会主義を「科学的」に分析できるのだろうか。

 ちなみに「金」という文字は「金融」「献金」の熟語としてのみ表れる。不破議長の長文の提案報告にも「賃金」は一語も無く、「金融」と「金科玉条」にわずか「金」がある。

 「賃金」が欠落したのは、単なる不注意とは思えない。現綱領制定以来、約40年間に日本の賃金水準が一般的に向上し、国際的にも見劣りしないことを、共産党が暗に認めたためだろうと、私は思う。その“証拠”になるかどうか分からないが、国際水準より劣ると言われる「労働時間」については、次のように言及している。

「労働者は長時間・過密労働に苦しみ…サービス残業…が常態化」
「労働者の長時間労働や一方的解雇の規制」
「生産手段の社会化は…労働時間の抜本的な短縮を可能にし…」

 賃金水準の向上は労働者の戦いの成果として評価することも出来るし、逆に最近の賃金カットやパート労働者の低賃金を批判することも、現状分析として必要だろう。いずれにしても新綱領案からの「賃金」削除について、流行語を借りれば「説明責任」がある。

 「賃金」と関係深い「搾取」という用語も、存在感が薄れている。現綱領では「現在の情勢の特徴」の章で、次のように「搾取」を一般化して書いている。

「戦前からひきつがれたおくれた搾取形態と戦後の新しい搾取形態の併存、…が労働者を苦しめている」

 これに対して新綱領案では、上記は削除され

  「サービス残業という違法の搾取方式までが常態化している」

 と、特殊化して述べている。確かに、戦前の歴史や未来社会に関する章では「搾取」は数カ所で使われ、「人間による人間の搾取を廃止し…」とも述べてはいる。しかし、現状分析としては、「搾取されている」という意識が一般に希薄になっている実情に、そっと合わせたのだろう、と思わざるを得ない。

 マルクスが『資本論』(1巻23章)で「資本制蓄積の一般的法則」として、「資本が蓄積される程度に応じて、労働者の状態は、彼への支払いがどうあろうとも、--高かろうと低かろうと--悪化せざるを得ない」と定式化したことは、よく知られている。階級闘争を生起するゆえんと言ってもよいだろう。これを巡って、1950年代には日本の経済学界でも「窮乏化論争」が展開された。当時は、労働者の窮乏(または貧困)は、かなりの実感があった。それを背景に、現綱領では日本の現状として次のように述べている。

「ぼう大な貧困者層の存在も恒常化している」
「党は、労働者…国民各層にわたる社会的貧困…を解決し…」

 これに対し、新綱領案には上記の記述は無く、次のように言う。

「アジア・中東・アフリカ・ラテンアメリカの多くの国ぐにでの貧困の増大」
「…難民、貧困、飢餓などの人道問題に対し、…国際的な支援活動を…」

 これでは、「貧困」はまるでよその国の不幸としか思えない。

 影が薄くなった言葉で、もう一つ重要なのは「労働者階級」である。現綱領はこの語を8カ所で使い、例えば次のように書いている。

「日本人民の解放闘争を前進・勝利させることは、わが党と労働者階級の…責務である…」
「労働者階級の歴史的使命である社会主義への道を…」
「労働者階級を科学的社会主義の思想…精神でたかめ…」
「社会主義建設を任務とする労働者階級の権力の確立…」

 すなわち、労働者階級が社会主義革命の主要な担い手であることを、明確にしている。これに対し、新綱領案は2カ所だけに表れ、申し訳程度に次のように言う。

「[戦前]党は、…労働者階級の生活を根本的に改善…のためにたたかった」
「党は、労働者階級をはじめ、独立、平和、民主主義、社会進歩のためにたたかう世界のすべての人民と連帯し、人類の進歩のための闘争を支持する」

 そして、「民主主義的変革」のための統一戦線や民主連合政府を形成する層として、「労働者、勤労市民、農漁民、知識人、女性、青年、学生、中小企業家」と未整理な呼び名を羅列しているだけである。「社会主義的変革」の担い手については明確な表現がない。

 労働者自身が、「会社員」「サラリーマン」「ビジネスマン」「スタッフ」などと自称している時代に「労働者階級」という古色蒼然とした語を使うのは、いかにも気が引けるのかもしれない。しかし、もし実態として「階級」が溶解しているのなら、そもそも社会主義など無用だろう。

 不破議長は七中総の結語で「この改定案をもって、社会主義の事業にどんなにロマンある未来があるかを、広範な人々に語る」ことを力説した、という。しかし、私が昔ロマンを感じたのは「労働者階級」「社会主義革命」という言葉に対してであった。

 若い時「賃金上げろ!」「最低賃金制獲得!」などとシュプレヒコールに加わった。数々の歌声も耳に残る。

「♪聞け、万国の労働者」(メーデー歌)
「♪立て、たくましい労働者」(世界をつなげ花の輪に)
「♪人民解放戦線の前衛われら労働者」(晴れた五月)
「♪決起せよ祖国の労働者」(民族独立行動隊)
「♪我らは、我らは労働者」(町から村から工場から)
「♪おらは労働者だ、おらは労働者だ」(俺は労働者だ)

 『もっと新しい服を』と題して新綱領案を批判した朝日新聞の社説(03/6/29)が、一部の人たちにショックを与えているようだ。社説は「共産党に求めたい。古い衣はもういらない」と結論している。この論説委員は、新綱領案に残った言葉だけを拾って「古い」と言っている。しかし、消えた言葉を検索して見れば、古い衣はすでに脱ぎ捨てられたと言いたくなる。古い衣しか持っていない高齢者としては、共産党に対しても朝日新聞に対しても「好きなように、おやりなさい」と言うしかない。