この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。
長大なご批判をいただきましたが、議論のポイントはその実践的帰結にあると私は考えます。
1.まず、綱領改定案が「天皇制容認」とはいえないか、という点。
川上さんの議論のポイントは、綱領改定案の「現行憲法の前文をふくむ全条項をまも(る)」という部分に尽きるようです。
まず、この部分は、綱領改定案の「四、民主主義革命と民主連合政府」の「(一二)現在、日本社会が必要とする民主的改革の主要な内容」として挙げられているものであることに注意する必要があります。すなわち、ここでは天皇制廃止を展望する党の基本的立場を前提としつつ、当面する民主的改革においては象徴天皇条項を含め憲法擁護の立場に立つことを明確にしたわけです。
しかし、このことは天皇制の現状を容認することを全く意味しません。全く逆に、憲法の象徴天皇制条項を厳格に適用して、それを逸脱した天皇制のあり方や運用を厳しく批判していく実践を求めているのです。天皇代替わりの際に行われた戦前同様の諸儀式や国会開会の「お言葉」などは、まさに憲法違反として批判されるべきなのです。そして、超空氏にも書きましたが、こうした実践こそが現行綱領の下で党が行ってきた天皇問題への原則的態度だったはずです。
これに対して、川上氏のいう「天皇制に対する日本共産党の原理的批判的見地を不断に確認する作業」がいかなる実践を意味するのか、私には全く理解できません。「天皇制否定」あるいは「天皇制廃止」の見地から運動に取り組めということでしょうか? そのような方針は畢竟少数者の自己満足であって、現実に行われている憲法逸脱の天皇制運用に対して何ら有効な批判となりえないでしょう。
なお、「天皇条項をまもる」という点に関しては、憲法1条の象徴天皇制を定めた条項は、同時に国民主権の根拠条文である点で極めて重要な意義を持つ条文であることに注意を喚起しておきます(憲法1条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」)
2.次に、「君主制」の問題です。
これも超空氏に対して書いたとおり、現在の日本を「君主制」と見るかどうか、天皇を「君主」と見るかどうかは、理論の問題にとどまらず極めて実践的な問題なのです。
すなわち、天皇をあたかも君主であるかのように扱うこと、あるいは主権在民に反した天皇制のあり方や運用に対して、我々は、「日本は君主制の国ではなく主権在民の民主主義国家であり、天皇は君主でなくただの象徴である」という現状認識と憲法の立場を絶えず確認して、それに反する天皇制のあり方と運用を批判していく必要があるのです。
これに対して、象徴天皇制は「君主制」であり天皇は「君主」であるとする立場からはいかなる実践がなされるのでしょうか? そもそも、象徴天皇制は否定すべき存在だから、その「容認」を前提とした運用やあり方の議論はナンセンスだということでしょうか?
あるいは、天皇を君主であるかのように扱う発言や運用に対して、川上さんや超空さんは、「だから天皇制は廃止すべきだ」という「原理的批判的見地」を対置せよというのかもしれません。しかし、それでは「見解の相違」で簡単に片づけられてしまうでしょうね。
3.以上、要するに天皇問題をめぐる当面の課題は何かということです。
それは、天皇制の存続か廃止かでは決してないでしょう。主権在民や政教分離原則といった憲法原則を逸脱した天皇制のあり方とその運用に対して憲法原則を擁護すること、まさに「憲法の象徴天皇制条項をまもらせること」こそが当面の課題なのです。