この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。
離党して25年程が経ち、党の文献も殆ど読んでいない者として場違いかもしれませんが一言。
ぽっぺんさんの「民主集中制」についての主張は、おそらく党の文献を読めば事足りることであって、この場に参加されていらっしゃる皆さんは百も承知の事である筈です。その上でなお、このシステムに対する異論は収まらないでしょう。
思えば私が離党したのもこのシステムの「おかげ」ではあった訳ですが、実に不思議なシステムです。「みんなで議論して決めた事はみんなで実戦する」と言っても、まともな議論などした事はありません。伝えられた党の方針を「学習」する場で、いかに正しく把握できたかを「議論」していただけです。一番不思議なのは実戦(行動)しなくても(党の任務をサボっても)、党規違反と指弾される事はないのに、会議の場で異論を挟むと反党的だと見なされる事です。
ある日、私が属していた地方の末端組織の会議に専従の方が突然現れて「新日和見主義の反党分子が摘発されて大きな問題になっている。そのような傾向と闘い、民主集中制の元、しっかりと団結しなければならない云々」とおっしゃる。「そのような傾向って、どんな傾向?」、「新日和見主義者の主張っていったいどんな内容なの?」、専従の方に質問してもよく分からない様子。上から言われた事を伝えに来ただけなのでしょう。
その後、党の文献にもちらほらその内容が載るようになりましたが、「処分」する側の公式見解ばかりで、それを読んでも、当の本人達の主張の核心は伝わってこないもどかしさは拭いがたく残りました。逆に、自分と同じく共産党員として身を投じた者らであればもっと深い理由があったのかもしれないのに、党はなぜそれを隠すのか、との疑念だけが強まった訳です。
あの時なぜ全党的な議論にならなかったのでしょう。処分するに足る正当な理由があったとしても、処分される側の言い分をも、当人達の言葉できちんと伝えるべきです。ほんとうの議論とは、そういう事である筈です。私の言っている事がわかりますか、ぽっぺんさん。
反核運動の分裂の問題も、私の世代になると「いかなる国の問題」とだけ説明されて、その詳しい内容については、身の回りの誰に聞いても納得できる説明はありませんでした。ずっと後で、分裂当時党員であり、自身も被爆者であった恩師から聞いて初めて事の真相を知りました。その恩師は、「ソ連が核実験に成功した時にはワインで乾杯したんだよ」と、深い悔恨の思いと共に「民主集中制」に人生を狂わされ、離党した事などを語って下さいました。
私が離党した後の25年の間に、私が党と繋がっていられるわずかの望みであった、優れた党員文学者、哲学者、原水協活動家の方々が、このシステムの犠牲になり、党を離れて行ったのではなかったでしょうか? 実にこのシステムは、個々人の優れた能力を圧殺する仕組みに思えてなりません。
過労死寸前で、論理的な文章を書こうにも文献にあたる時間さへなく、感想だけになってしまいました。