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綱領改定討論欄

 この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。

不破綱領の問題点はどこにあるか~~天皇制と民主主義革命をめぐって(2)

2003/7/31 澄空

 前置きとして、現行綱領における「民主主義革命」と「統一戦線政府」、「民主連合政府」との関係について簡単におさらいしておこう。

 先の投稿で述べたように、党は「民主主義革命」を経て「民主共和制」をめざしている。その「民主主義革命」の起点となるのが、現行綱領では「統一戦線政府」である。ここでは、端的にこれを「革命政府」としておく。当然、「革命政府」の政党構成は、革命政党の連合となる。
 一方、「民主連合政府」は、その生い立ち(70年代の革新高揚期の政治状況)からして、革命を望まない改良主義政党との連合政府である。つまり、これは「革命政府」ではなくて「改良政府」なのである。
 この違いは、まがりなりにも革命政党に属している日本共産党の綱領においては決定的な違いであって、これを安易に混同することは許されない。

 だが不破綱領は、その得意とする強弁でもって、あっさりと「民主連合政府」を「民主主義革命」の起点に変えてしまった。党内右派にしてみれば、「民主連合政府」の「格上げ」なのであるが、これは国民や党員に対して「改良」を「革命」だと偽ることに他ならない。たとえて言えば、社会民主党を実態はそのままで、実は共産主義政党だと言ってるようなものであろう。

 不破綱領の他の重大な改変(たとえば帝国主義論)をみれば明らかなように、実態は「民主連合政府」を「民主主義革命」に「格上げ」したのではなく、「民主主義革命」を「民主連合政府」のレベルに落としたのである。あるいは、党のめざす「民主主義革命」を改良主義政党の許容範囲にまで「格下げ」したと言える。「民主主義革命」の「格下げ」と評した加藤哲郎氏は、この点において極めて正確な把握をしている。
※ただし、なぜ党指導部が「格下げ」したのかという点において、私は加藤氏の説明に同意しない。彼は、今回の不破綱領を、共産主義政党の社民化という世界的な流れとして簡単に片付けてしまっている。政治学者としてはそれでもいいのかもしれないが、われわれ党員としては、今回の綱領改定を現代日本の政治状況の中に位置付けて捉えなければならない。

 それでは、この「民主主義革命」の「格下げ」によって天皇制廃止という課題はどうなるのだろうか? 現行綱領では、「革命政府」が実現することを明確にうたっている。ここで注意しなければならないことは、それに至るまでの「民主連合政府」では課題とされていないことだ。この「改良政府」においては、自衛隊の解散も天皇制の廃止も一致点とされていない。それゆえ、「民主主義革命」を展望する党として天皇制を廃止をめざすが、「民主連合政府」においては、政府ないし政権党、与党であるにもかかわらず、それを提起できない。ここで、「提起できない」という場合、連合政府の一致点でないことはもちろん、憲法の改定に必要な国会の議席を党が単独で有していない(有しているなら、他党と連合して「改良政府」を作る必要はないからだ)という当たりまえの理由による。

 「民主連合政府」を「民主主義革命」の起点とする不破綱領では、まさしく「民主主義革命」において、そのような状況(政権党でありながら天皇制の廃止を提起できない)になってしまう。それでは、不破綱領において党は、天皇制廃止をいつ提起するのか?という問題が発生する。

 答えに窮した不破氏は「将来、情勢が熟したときに」とぼかすしかなくなるのである。党としてどのような意見を持とうが、それをいつどういう状況で提起するのか明記しなければ、その意見自体を持たないのと同じことである。つまり、それは方針とは言わず、ただの意見であって、不破綱領にも「立場に立つ」としか書かれていない。こうして、天皇制廃止という課題は、不破綱領によって絵に描いた餅にされてしまっているのである。

 次に、democrat氏の主張にもう少し耳を傾ける必要がある。彼は、「憲法の象徴天皇制条項を厳格に適用して、それを逸脱した天皇制のあり方や運用を厳しく批判していく実践を求めている」のだから、不破綱領でも、天皇制の現状容認にはならないだろうと述べている。それはごく当たり前のことだ。綱領で露骨な天皇の政治利用まで認めていたら、改良主義政党化どころか保守政党化であろう。
 この問題での現指導部のていたらくぶり、従来の立場からの方針転換を見てきた私としては、現指導部を信用していない。そのため、彼らの行動の口実となるような文言を綱領に書込んではならないと考えているし、従来の方針からの転換となるようなことを拒否しているのである。

 もう一つ、法律の専門家であるdemocrat氏に是非考えてもらいたいことがある。それは、戦後史において、なぜ事あるごとに繰り返し天皇制の政治利用等が問題になってきたのか?ということである。その都度、法律の専門家たちを中心にその動きへの批判が行なわれてきた。しかし、その批判の多くは、あくまで「象徴天皇条項」を「厳格に適用」させるという立場からのものであった。
 そもそも「象徴天皇制条項」自体が、国民主権等の憲法の原則からして矛盾に満ちたもだからこそ支配層はそれを利用できるのである。むしろ、「象徴天皇制条項」を克服するという立場から批判していく方が有効ではないだろうか?(渡辺治氏がその著書『日本の大国化とネオ・ナショナリズムの形成』(桜井書店)でそういう趣旨のことを述べているので参照願いたい。) 私はその意味でも、天皇制廃止という方針を綱領から削除してはならないと考えている。