この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。
川上氏の文章について、もう少しあなたの主張が分かるように書いてほしいと思います。論旨の一貫性に欠け、「天皇(制)を論ずる」といっているわりには、散漫で、焦点が絞られておらず、天皇制の歴史的解釈も不明瞭さを感じます。
川上氏は「民主共和制であっても国民統合の象徴なるものを必要とするなら、定期的な選挙等で選べばよいのであります。それをたとえば、大統領などとよぶこともあり得るでしょう。この場合は別に『民主主義および人間の平等の原則と両立しない』ことはありません」と書いていますが、何を言いたいのですか。「国民統合の象徴」を民主共和制では「大統領」とよぶこともあるのですか?「民主共和制」に変わってから「国民統合の象徴」がどうして「必要」になるのですか。何を言っているのかさっぱり分かりません。ちょっと整理してください。
川上氏は「明治以後新たに政治の実験を握った天皇制がわずか60年ほど前まで、実際に絶対君主として君臨したという歴史の延長線上で今日なお特異な君主制として存在している」と書かれていますが、現在の日本政治体制を「君主制」と考えているのですか、「特異な」とありますが、どこが「特異」なのかについても見解を述べてください。
川上氏は「中国などでは社会の最下層農民の巨大な反乱が必ずといってよいほど歴史の変わり目に起きて、古い皇帝制度を根こそぎ廃止してしまう変革がしばしばあります」と書いていますが、本当に「最下層農民」が「古い皇帝制度を根こそぎ廃止してしま」ったと考えているのですか。「陳勝・呉広の乱」で、「黄巾の乱」で、「赤眉の乱」で、黄巣の乱・朱全忠の乱で、「紅巾の乱」で、「李自成の乱」で本当に「古い皇帝制度」が「根こそぎ」にされたのですか。王朝交代はあったが「古い皇帝制度」変わっていません。
日本史において天皇を「玉」として利用することはありましたが、織田信長の例と明治維新を並べるのは、全くおかしいです。承久の乱以降、天皇権力は失われ武家支配が確立
信長がまず天下武布のために利用したのは次の将軍になる義昭であり、義昭を奉じて入京しましたが、結局は対立し、義昭は追放されました。時の天皇は正親町天皇で信長は荒廃した内裏を修理をしたり、皇子の誠仁親王を形式上の養子とするなど伝統的権威を利用しようとしましたが天皇権力が強化されたわけではありません。
江戸時代も「禁中並公家諸法」や紫衣事件のように天皇は武家支配に押さえ込まれてしまいます。それに対して、明治維新では薩長等の下級武士勢力は天皇を利用したにとどまらず「絶対主義的天皇制」を確立させたのです。
川上氏は「内閣の助言と承認を必要とする」天皇の「国事行為」が「天皇以外にはできないことであることに留意をしておかなければなりません」と書いていますが、何を「留意」せよというのですか。天皇の国事行為と言っているのだから他の人ができないのは当たり前でしょう。何を言っているのですか?さっぱり分かりません。
そして、結論的に「天皇(制)問題を、単に政治的権能を有するかどうか、統治権が誰にあるか、などだけで判断してよいか、ということこそが問題であります。」と述べていますが、「統治権の所在」の問題以外にどのようなことを考えられているのか、もっと具体的に書いてください。
また「『天皇制の様々な形態での利用』が『登場する』から『天皇制の廃止』を掲げている現綱領の方が『はるかに適切で』『この点で』『綱領改定案に反対であります』」とものべていますが、同じ質問ですが、川上氏は今の日本の政治体制を「立憲君主制」と考えておられるようですが、何故なのか、もう少し分かるように書いてください。
綱領改定案では「天皇条項については『国政に関する権能を有しない』などの制限規定の実施を重視し、天皇の政治利用をはじめ憲法の条項と精神からの逸脱を是正する」とあるし、象徴天皇制であれ「民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく」「民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ」と将来的には「廃止」の立場を明確にしています。しかも廃止の展望においても、「象徴天皇」は「憲法上の制度であるから」、憲法改正が必要となり、それは「国民の総意によって解決されるべきものである」と、現綱領と比べても、より具体的にされていると思います。
川上氏は「君主制の廃止」を降ろすべきではないといわれますが、それでは具体的にどのように廃止したらいいと考えておられるのか、見解を述べてください。