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綱領改定討論欄

 この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。

「生産手段の社会化」について。(つづき)

2003/7/18 ばるさん、50代、無職

 「生産手段の社会化」つまり、生産手段が労働者・勤労者の集団、「結合された生産者」により所有され、管理され、運営されることにより搾取が廃止された未来社会では、人間労働の在り方、質、意味も当然変わってくると思います。

 資本主義社会では生産者は自分のためではなく、企業の利潤を増やすために働かされ、その労働は強制されたものです。真の働く喜びも奪われています。
 しかし、未来の社会主義・共産主義の社会での人間の労働は「搾取の源泉」という否定的な性格を失い人間が自分たちのために、自覚的に働くという本来の姿を取り戻すことができるでしょう。
 社会を構成する生産者たちは自分たち以外の主人はいなくなり、強制されて働くのではなく、自分たちの意志で自覚的、意識的に生産活動を行うようになるわけで「自由な生産者」となり、「生産者が主人公」という社会が生まれるでしょう。
 マルクスはこのような社会主義・共産主義の未来社会を歴史的な視点から次のように言っています。

「賃労働は、奴隷労働と同じように、また農奴の労働とも同じように、一時的な、下級の形態に過ぎず、自発的な手、いそいそとした精神、喜びに満ちた心で勤労にしたがう結合労働に席を譲る」(「国際労働者協会創立宣言」)
「共同的生産手段で労働し、自分たちの多くの個人的労働力を自覚的に一つの社会的労働力として支出する自由な人々の連合体」(「資本論」第一部第一篇)

 次に社会主義・共産主義では生産力はどうなるのか、国民生活は豊かになるのかという点です。
 今の日本の資本主義社会を見てみると、小泉内閣は何百兆という借金を抱えているにもかかわらず、大企業・大銀行には大型公共投資や「公的資金投入」で国民の血税を湯水のように使い、一方で年金・医療など社会保障の切り捨て、消費税などの増税、不良債権処理の名のもとに中小企業、地域の信用金庫・信用組合つぶしなど、まったく反国民的な政策を次から次へとおしつけ、国民の「痛み」は限界を超えています。リストラ、産業空洞化、不安定雇用で労働者の「使い捨て」がはびこっています。
 アメリカの「ポチ」に成り果て、アメリカのためには金も(イラク戦争の金は日本がアメリカ国際を買うことで支えられています)日本人の命さえも差し出す小泉・竹中はもはや「売国奴」の名がふさわしいでしょう。

 社会主義・共産主義では搾取が廃止され、つまり今まで奪われてきたたくさんの剰余価値を自分たちが、自分たちの手で分配するようになりるわけですから、社会の発展と、生活向上の大きな発展・向上の道が開かれることになるでしょう。
 社会主義・共産主義の分配の原則は「生産者が作り出した生産物・富の一部分は生産の継承・拡大のための生産手段として、共同で使われ、もう一つの部分は生活手段として社会の成員によって個人的に消費される」というものです。逆立ちした今の日本のようなお金の使い方は国民の暮らし、社会保障、環境、へと根本的に比重を移し変えていくことになると思います。
 綱領案の報告は次のように言っています。

「資本主義経済というのは利潤第一主義ですから、これは本質的に不経済なものです。一方では利潤第一主義につきものの浪費が、あらゆる分野にあらわれます。日本各地に無残な姿をさらしている無駄な大型公共事業は、資本主義的浪費の典型の一つでしょう。また、他方ではくりかえしの不況で、せっかく生産手段もあれば労働力もありながら、それが遊休状態におかれ無活動に放置されることも、日常の現象になっています。そういう浪費や遊休の土台がなくなりますから」(不破氏提案報告)「人間社会を支える物質的生産力の新たな飛躍的発展」が可能となるでしょう。

 よく社会主義・共産主義は私有財産を取り上げるといわれますが、すでにエンゲルスは「現在、大衆の労働の果実は、少数者のふところに入っており」社会主義・共産主義は「たれもが彼または彼女の労働の生産物を収得すること」になると反論しています。
 社会化、共同所有されるのは生産手段だけで生活手段は保障されるばかりか、より豊かな内容がもたらされることになるでしょう。
 綱領案は「生産手段の社会化は、搾取を廃止し、すべての人間の生活を向上させ、、社会から貧困をなくす・・・土台となる」(新綱領案)としています。

 このような大きな社会主義的変革のためには経済社会の計画的な運営が必要となります。次は生産手段の社会化と計画経済の関係の基本を考えてみます。