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綱領改定討論欄

 この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。

「生産手段の社会化」による労働時間短縮と人間の前面発達について

2003/7/22 ばるさん、50代、無職

 綱領案は「生産手段の社会化は・・・・労働時間の抜本的な短縮を可能とし、社会のすべての成員の人間的発達を保障する土台をつくりだす」とあります。

 先日「ホタル族」の話が「しんぶん赤旗」(7・20 日曜版)に載っていました。何だろうと読むと・・・
 大阪のビジネス街、御堂筋に面した大手損保会社の近畿・関西本部ビルでは午後9時に1階jから7階までの天上の電気が強制的に消され、いっせいに暗くなるそうです。ところがそのあと、ある部屋で、また別の部屋で小さな灯りが点灯し、天井が薄明るく光るそうです。中にいた30代の営業マンAさんが語ります。「光っているのはパソコン画面の明かり。それだけでは暗いので電気スタンドも取り出します。」「フロア全体は暗いのに何人かが残って仕事をしており、暗闇の中で机のところだけがホタルのように光っている。」 ― ホタル族の正体はサービス残業でした。
 ホタル族を支える3種の神器が電気スタンドと懐中電灯(もの探しと動くとき足元を照らすため)そして小型扇風機(クーラーも切れるから)
 この損保会社の勤務時間は、午前9時から午後8時まで。Aさんは午前8時に出勤し、帰りは午後11時、午前零時といいます。睡眠時間は毎日5時間。年間総労働時間は過労死ラインの3千時間をはるかに超える4千時間。
「営業ですから成果をあげてなんぼですわ。精神的プレッシャーはきつい。体が丈夫ですからもっていますが、あと10年もつかな」と不安ですとAさん。

 このような例は決してこの損保会社だけではありません。私の友人も持病の糖尿病にもかかわらず家に帰ることもできず、自家用車の中で寝ることもしばしばだと言います。多くの日本の勤労者が仕事がきつく、忙しくて、自分の自由になる時間を持てず精神的にも肉体的にも疲れ果てています。病気を抱えながら働いている人も多いです。家族の団欒を大切にするとか、自然の中をゆったりと散策するとか、小説を読むとか、映画や絵画を鑑賞するとか、コンサートに行くとか、スポーツに汗を流すとか、国内・海外旅行をするとか、仕事以外の自分のライフワークを持つとか、そういう生活とかけ離れた生活をしています。

 資本主義社会では、労働者は、資本家の都合で自分に割り当てられた特定の仕事に縛りつけられて、人間として持っている多面的な能力を全面的に発揮する機会と条件を奪われています。潜在的にどんな能力やその可能性を持っていたとしても、よほど恵まれた機会に出会わないかぎり、多くの人がそういう能力を育てる機会を持たないままに終わってしまいます。

 社会主義・共産主義の社会では「生産力の飛躍的発展によって、社会生活を維持するために必要な労働時間を大幅に短縮できる条件が、つくりだされ」、すべての勤労者が、物質的生産以外の領域でも、その精神的:肉体的な能力を十分持つことができるようになる条件がつくられます。なぜならば 「万人が労働をしなければならず、過渡に労働させられる者と無為に過ごす者との対立がなくなるならば、そして、これは、いずれにせよ、資本が存在しなくなるということの、生産物がもはや他人の剰余労働に対する請求権を与えなくなるということの、帰結であろう、そしてさらに、資本が生み出した生産力の発展を考慮に入れるならば、社会は、必要な物の豊富さを、いま12時間で生産している以上に6時間で生産するであろうし、同時に、万人が6時間の『自由に利用できる時間』を、真の富を、持つであろう。」 (「資本論」61~63年草稿)

 物質的生産から解放されたこの時間こそ、個人の自由な精神的・社会的活動のための時間です。資本主義社会では、社会生活の再生産に必要な労働時間をすべて労働者に転嫁することで、支配階級のための「自由な時間」を作り出すが、社会主義・共産主義社会では、そういう転嫁は許されず、すべての成員に『自由な時間』が保証される。しかも物質的生産力の発展とともに、この『自由な時間』はますます大きくなる。これが、すべての個人に、その能力の全面的な発達を可能とする、物質的基礎となるわけです。

 つまり、社会主義・共産主義の社会で、生産力の高度な発展を基礎に、国民みんなが荷を共同で分け合って、一定の時間、社会のために生産活動にいそしむ 、それ以外の自分の時間は自分の能力を思いきって発揮するために使う、そういうようになれば、日本をふくめて、人類の持っている能力が、どんなにすばらしい発展をとげるかわからない、こういう壮大な展望が社会主義・共産主義にひらかれていると考えます。
 もちろん、そのような社会が私達が生きているうちにつくられることはないでしょう。しかし資本主義が人類の到達した最後の社会経済体制であるとも決して言えないでしょう。

「新たな時代のマルクスよ これらの盲目的な衝動から動く世界を素晴らしく美しい構成に変へよ」(宮沢賢治「生徒諸君に寄せる」)