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綱領改定討論欄

 この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。

市本氏へ。「悪名高い『民主集中制』」について

2003/7/8 ばるさん、50代、無職

 市本氏の「見過ごしにできぬ不破発言」の内容について、私も見過ごすべきでないと考え、見解を述べさせてもらいます。 なお、私の見解は市本氏だけでなく、多くの方にも読んでもらい、御批判を仰ぎたいと思いますので、紐解いたような、少し長い文章になると思いますので御承知願います。

 綱領改定案の第5章「社会主義・共産主義の社会をめざして」の第16節に「社会主義・共産主義の社会がさらに発展をとげ、搾取や抑圧を知らない世代が多数を占めるようになったとき原則としていっさいの強制のない、国家権力そのものが不必要になる社会、人間による人間の搾取もなく、抑圧も戦争もない、真に平等で自由な人間関係からなる共同社会への本格的な展望が開かれる」という文章があります。
 この中の特に「原則としていっさいの強制のない、国家権力そのものが不必要になる社会」という未来社会の展望に関して、第7回中央委員会総会での「質問・意見」に対し不破氏は次のように答えています。

 「いったいそんな社会が可能だろうか。私は、その一つの例として日本共産党という゛社会″をあげてみたいと思います。これは40万人からなる小さい規模ですが、ともかく一つの゛社会″を構成しています。そして、規約という形で、この゛社会″のルールを決めています。そこには指導機関とか規律委員会などの組織はありますが、国家にあたるもの、物理的な強制力をもった権力はいっさいありません。こので゛社会″ルールがまもられているのは、この゛社会″の構成員が自主的な規律を自覚的な形で身につけているからです。」

 さて、市本氏はこの発言の中の「自主的な規律」が「かの悪名高い民主集中制さすことはいうまでもない 。」と共産党の組織原則である「民主集中制」が「悪名高い」ものと断定的に書かれています。市本氏は「民主集中制」について詳しい自身の見解を述べられていませんが、その説明を「田口・不破論争」(「民主集中制」をめぐる論争)の田口氏の論点、「共産党が真に民主的な社会主義をめざすなら、現在の民主集中制の在り方を見直す必要がある」(市本氏の要約)という点に求めています。

「田口・不破論争」といっても、若い方々の中には知らない人が多いと思いますので簡単な経過を説明しておきます。発端は1977年、名古屋大学教授の田口富久治氏が「現代と思想」という雑誌で「先進国革命と前衛党組織論」という論文を発表し、これに対して共産党中央が「赤旗・評論特集版」で「前衛党の組織原則の生命 ― 田口富久治氏の『民主集中制論』の問題点」(関原利一郎)という批判論文を掲載したことから始まります。その後79年、不破氏が「前衛」1月号に「科学的社会主義か『多元主義』か ― 田口理論の批判的研究」と題する論文が掲載され、これに対し、9月に田口氏の「多元的社会主義と前衛党組織論 ― 不破氏の批判に答える」と題する論文が「前衛」に掲載されます。さらに80年3月号の「前衛」に「前衛党の組織原則と田口理論」という不破氏の再批判論文が発表されるという経過をたどりました。時代は丁度イタリア共産党のベルリンゲル書記長やフランス共産党のマルシェ書記長など西ヨーロッパの共産党の主張する「ユーロコミュニズム」が注目を浴びた時期でした。「ユーロコミュニズム」の主張の中心は「プロレタリアートの独裁」という考えや、「民主集中制」という共産党の組織原則を放棄するということでした。イタリア共産党は1976年、大会で「プロレタリア独裁」の用語を放棄し、1989年、第18回大会では民主主義的中央集権制を放棄し、分派禁止規定を削除しました。1991年の第20回大会では「共産党」から「左翼民主党」に転換しています。。
 市本氏は田口・不破論争の中では不破氏が「各人の自発的な意思にもとづき構成されている党の組織原則と、自らの意思ではなく構成されている社会全体を律するルールとは、次元を異に」すると言ったのに、今回の綱領改定の論議の中で上記の発言をしたことは矛盾する、そして「不破発言どおりに未来社会が発展していくとしたら、共産党の党内規律がそのまま日本社会全体の規律になるということにはならないだろうか。まことに恐ろしいことである。そんな暗黒社会の到来はまっぴらごめんにしたい。」と述べられています。

 まず最初に指摘しておきたいことは、不破氏は「いっさいの強制のない、国家権力そのものが不必要になる社会」など考えうるのかという疑問に対し、「日本共産党というひとつの社会」を例に引き、ここでは「規約という形で、この゛社会″のルールを決めて」おり、その規約を認めた人が参加する共産党の中では「国家にあたるもの、物理的強制力をもった権力はいっさいありません。」と未来社会においては「いっさいの強制がのない社会」がありうるという例えとして言っているだけで、共産党の組織原則を未来社会において「そのまま日本全体の規律になる」とはどこにも述べていません。これは市本氏の誤解だと思います。
 あとで説明しますが、共産党は「わが党は結社の自由にもとづくこの組織原則や自覚的規律を他党や一般国民におしつけたりする態度はとっていません。綱領・規約の承認にもとづき自発的に結集した政党の自律性を一般国民の義務とすることなど問題にならないことはまったく明白です。」(第13回臨時党大会 中央委員会報告)と述べております。

 次に民主集中制に関して私の見解を述べたいと思いますが、長くなって、読みづらいといけないので次回の投稿に回します。