投稿する トップページ ヘルプ

綱領改定討論欄

 この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。

悪名高い『民主集中制』について

2003/7/8 ばるさん、50代、無職

 共産党の組織原則である「民主集中制」については「異論提起の自由がなく」「命令と服従がすべてを律する」「民主集中制をとるかぎり依然として左翼全体主義」とか「反主流派の存在を容認しない態度は指導部への批判的意見の潮流の形式にまったく寛容でありえないことを示唆する」とか「民主集中の『集中』に力点を置くあまり『民主』をないがしろにしているのではないか。戦前の非合法時代、ソ連共産党をモデルにした当時から身に付けた習性であろう」そして「革命党の組織原則は権力奪取後の国家の組織原則となり、社会構造もすべてこの原則に再編成される」「共産党の加わる政権ができた時、あるいは単独で政権を握った時、その組織原則が一般国民にも及ぶのではないか」というような私から見たら誤解や無理解が多くあると思います。

 まず第1に、「民主集中制」とは何か、「民主」と「集中」、その関連はどういうものかということを考えてみると、私は「民主」と「集中」は本質的に対立するものでなく、統一されるべきものだと考えています。これは自動的に統一されるものではなく、憲法の民主主義条項と同様、不断に守っていくべきものだと思います。それから「民主」というのは決して「自由分散主義」というものではないし、「集中」は「官僚主義」「命令主義」「独裁主義」と同一視すべきではないものです。問題は「官僚的」「命令的」「権力的」に「集中」が作られているか、十分な学習と討議によって民主主義的に「集中」が実現されているかという点にあると思います。
 そして政党としては「官僚主義」と「自由分散主義」の双方の克服に努めなければならない思います。
 共産党の規約には「党の意思決定は、民主的な議論をつくし」(第3条1項)日常的にも学習と討議の重要性をくりかえし、指摘されていると思います。

 第2に、少数意見の取り扱い、分派・派閥についてですが、規約第3条1項の後半では「最終的には多数決で決める」とあります。私は民主集中制は少数意見を否定するものでは決してないと考えています。民主集中制というのは意見の相違があるときの解決のルールであって、そこには党員は基本的に共通の立場に立っており、民主的討論と一致した実践の検証によって統一した認識に到達しうるという認識が根底にあると思います。派閥など作らず、異論・反対意見がある場合は、その意見は撤回する必要はなく、保留し、実践で検証しようとするものだと思います。  規約第3条4・5項は「党内に派閥・分派は作らない」「意見が違うことによって、組織的な排除をおこなってはならない」とあり、少数意見については「決定に同意できない場合は、自分の意見を保留することができる。その場合も、その決定を実行する」(第5条5項)とあります。これは少数意見は誤りということではありません。「撤回」を求めず、「保留」権を認めるのは、少数意見が正しい場合があることを想定しているからであり、それは歴史の検証と実践により多数に転化させうるという立場からきていると思います。もちろん党員は「党の会議で、党のいかなる組織や個人に対しても批判することができる。また、中央委員会にいたるどの機関に対しても、質問し、意見を述べ、回答を求めることができる」(規約第6条6項)反対意見や疑問の表明を全面的に認めています。  「同意できない場合」も多数決に従って「その決定を実行する」というのは政党として当然の原則だと思います。政党は「学術団体」や「サークル」「討論クラブ」と違い政治活動を行う実践的組織です。新しい方針、政策について、政党としての基本的見解、行動がバラバラであってはならず、まとまったものでなければならないでしょう。学術団体の研究報告なら、いくつかの見解を紹介することも当然ですが、国民に責任を負うという政党の方針は「賛否両論併記」と言うわけにはいきません。。
 分派・派閥については、もしそれが容認されるならば、全党が統一して行動することができなくなります。分派・派閥容認論は民主的討論を尽くして共通の認識に到達しようとする努力を回避し、自己の見解を何が何でも押しつけようとする独善論であり、むしろこのような人こそ、自分と違う意見を押さえつける官僚的主義に陥りやすいのではないでしょうか。
 分派活動の自由を認め、党が分裂した連合組織になれば、党員はどこかの分派に所属しなければならなくなり、さらに分派内分派の自由も認めなければならず、結果は幾何級数的な分裂の論理になります。例えば自民党は派閥の連合体ですが、意見の対立を徹底した討論と一致した実践で検証・解決するという方法でなく、派閥間で「政治的に決着させる」方法を取っています。自民党の決定の方法は「妥協か決別」というものです。
 また自由分散主義(派閥容認論)は官僚主義としばしば同居しているものです。自民党の場合、派閥が雑居し、党員もバラバラで、規律は守られず、自由分散主義の最たる政党ですが、同時に自民党は最高機関である党大会でもまともな討論をせず、執行部の諸議案を採決するだけであったり、幹事長など主要人事の決定など、総裁に権限が異常に集中していることなど、極めて官僚集中制の強い党といえるでしょう。共産党には官僚化も退け、惨めな派閥政党も退け、国民に責任を持つ党としてあくまで統一と団結を大切にしてほしいと考えます。党の分散化を一番喜ぶのは自民党・財界です。

 第3に共産党の組織原則である「民主集中制」は社会一般に押し付けられるのかということですが、先述したように共産党の方針では「ありえない」ことは「まったく明白である」としています。
 そもそも、政党と国家・社会の原則はまったく違います。社会は老若男女、思想・信条など違いを持つあらゆる成員から成り立ち、生まれた時からその社会の成員となるものです。それに対して、政党はある年齢に達した人々が自由意志で組織ないし、加入する政治結社であり、両者の構造も秩序も違ったルールと形態によって保持されています。思想・信条はもとより、両者の組織原則を同一化することは不可能だと思います。

 最後によく共産党の「満場一致」は民主主義に反するということが言われることがありますが、私はこの意見には同意しません。基本的に同じ世界観に立ち、綱領・規約を承認して加入した人達が討論をつくした上で「満場一致」となるのは不思議なことではないと思います。何も討議しないで「満場一致」というなら不思議ですが、討議をつくせば「満場一致」になることは十分ありうることです。およそ「満場一致は」人為的に作り出せるものではありません。共産党も生きた党である以上、路線や方針上の対立があるときはやはり表に表れてくるでしょう。共産党の大会、その他の会議で対立意見がなく、満場一致となるのは、満場一致「制」の結果などではなくて、実際に大きな意見の対立がないことを素直に示しているものだと思います。
 様々な実際上の弱点を持ちつつ(これも当然です)共産党は基礎組織から中央まで討議と実践に日常的に努力している政党だと思えます。