この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。
綱領改定案及び不破報告で展開されている新しい「帝国主義」論について、議論の叩き台として解説しておく。とりあえず評価は加えないつもりだ。
不破氏は報告の中で、最初にレーニンの『帝国主義論』を要約してみせたあと、次のように語る。
これは、いわば帝国主義時代の特徴づけですが、各国の分析をするときにも、独占資本主義の段階に達した国は、いやおうなしに帝国主義の政策、領土や植民地拡張の政策をとるようになる、というのが、当時は、世界政治と世界経済の自明の方向でした。
(1)ここで「帝国主義」という用語が、「領土や植民地拡張」に限定されてしまっていることを確認しておく。
このような定義変更をするなら、そもそも現代においては「帝国主義」国は存在しなくなる。
ところが、二〇世紀の後半に、世界情勢には、この点にかかわる巨大な変化が進行しました。すでに見たように、植民地体制が崩壊し、植民地支配を許さない国際秩序も生まれました。さきほど、レーニンが、地球の領土的分割が完了したことを、帝国主義時代の始まりの画期としたと話しましたが、領土的分割のもとになる植民地そのものがなくなってしまったのです。それだけでも時代は大きく変化しました。こういう時代ですから、資本の輸出なども、以前のような、経済的帝国主義の手段という性格を失ってきています。
こうして現代は「帝国主義時代」でない。だとすれば、われわれが党の創立以来「帝国主義」と呼んできた敵はどこへ消えてしまったのか?という疑問が当然生じる。不破氏は次の答えを用意している。
独占資本主義というのは、独占体が中心ですから、独占体に固有の拡張欲とかそれを基盤にした侵略性とか、そういう性格や傾向を当然もっています。しかし、今日の時代的な変化のなかでは、それらが、植民地支配とその拡大とか、それを争っての戦争などという形で現れるという条件はなくなりました。
(2)つまりこれまで「帝国主義」と呼んできたものは、「独占体に固有の拡張欲」「侵略性」という「独占資本主義」の「性格や傾向」のことであったことになる。
そういうときに、すべての独占資本主義国を、経済体制として独占資本主義国だから、帝国主義の国として性格づける、こういうやり方が妥当だろうか。この点は、根本から再検討すべき時代を迎えている、というのが、ここでの問題提起です。
すでに答えを出している議論を普通「問題提起」とは言わないが、不破氏が続けて述べていることは、この新しい理論(定義)によって、現代の世界や日本をどう捉えらなおすのかということである。
この定義に基づけば、先に指摘したように、理論的には、アメリカ帝国主義を含めて世界には「帝国主義」国はなくなってしまう。そこで、日本もアメリカも「独占資本主義」として一括してしまうのか、それとも何らかの区別をするのかが問われることになる。
党の綱領というのは、経済学の文献ではなく、政党の政治文書であります。その綱領で、ある国を「帝国主義」と呼ぶときには、それは独占資本主義にたいする学問的な呼称だということではすまないのです。「帝国主義」という呼称には、その国が、侵略的な政策をとり、帝国主義的な行為をおこなっていることにたいする政治的な批判と告発が、当然の内容としてふくまれます。
(中略)
こういう時代に、私たちが、ある国を帝国主義と呼ぶときには、その国が独占資本主義の国だということを根拠にするのではなく、その国が現実にとっている政策と行動の内容を根拠にすべきであり、とくに、その国の政策と行動に侵略性が体系的に現れているときに、その国を帝国主義と呼ぶ、これが政治的に適切な基準になると思います。
(3)そこで新たに「その国の政策と行動に侵略性が体系的に現れているとき」には「その国を帝国主義と呼ぶ」という政治的基準が定められた。
こういう見地で見て、現在アメリカがとっている世界政策は、まぎれもなく帝国主義であります。
(中略)
「なかでも、アメリカが、アメリカ一国の利益を世界平和の利益と国際秩序の上に置き、国連をも無視して他国にたいする先制攻撃戦争を実行し、新しい植民地主義を持ち込もうとしていることは、重大である。アメリカは、『世界の憲兵』と自称する〔自分を『世界の保安官』と自認する・修正〕ことによって、アメリカ中心の国際秩序と世界支配をめざすその野望を正当化しようとしているが、それは、独占資本主義に特有の帝国主義的侵略性を、ソ連の解体によってアメリカが世界の唯一の超大国となった状況のもとで、むきだしに現わしたものにほかならない。これらの政策と行動は、諸国民の独立と自由の原則とも、国連憲章の諸原則とも両立できない、あからさまな覇権主義、帝国主義の政策と行動である」(第九節の四つ目の段落)
綱領改定案が、アメリカの現状を指して「アメリカ帝国主義」と呼んでいるのは、その政策と行動にたいするいまのような認識に立ってのことです。
(4)こうして新たな政治的基準では現在アメリカだけが「帝国主義」国となる。
ここまでをまとめておくと、次のようなことになる。
つまり、独占資本主義諸国は、経済学的に言えば、独占体が支配しているため、その「固有の拡張欲」や「侵略性」を「傾向」としてもっている。その「拡張欲」や「侵略性」が政治的にみて「体系的に現れ」た場合に、その国を「帝国主義国」と呼ぶ。これが現在のアメリカである。
私たちは、アメリカについても、将来を固定的には見ません。
従来、「帝国主義の侵略性に変わりはない」などの命題が、よく強調されました。レーニン自身、独占資本主義の土台の上に現れてくるのは、帝国主義の政策以外にない、非帝国主義的政策が独占資本主義と両立すると考えるのは、カウツキー主義だといった議論を、よく展開したものでした。
しかし、いまでは、状況が大きく違っています。私たちは、国際秩序をめぐる闘争で、一国覇権主義の危険な政策を放棄することをアメリカに要求し、それを実践的な要求としています。そして、これは、世界の平和の勢力の国際的なたたかいによって、実現可能な目標であることを確信しています。
(5)これまでの議論の論理的帰結として、「非帝国主義的政策が独占資本主義と両立する」という「カウツキー主義」が正当化される。それは具体的には、「アメリカ」に対して「一国覇権主義の危険な政策を放棄」させることが「世界の平和の勢力の国際的なたたかいによって、実現可能な目標」であるということになる。
さて、この新たな理論的改変によれば、当然ながら、なんらかの国際的・国内的条件によってその「拡張欲」や「侵略性」が「体系的に現れ」ない場合には、その国は「帝国主義国」とは呼べないことになる。不破報告によれば、日本や、「イラク戦争時におけるフランス、ドイツ」がそれにあたる。そうすると、ここでも当然に次の疑問が生じる。すなわち、「拡張欲」や「侵略性」が「体系的に現れ」さえしなければ、「政治的な批判と告発」をしないのか?と。この質問に対する答らしきものは次の箇所である。
しかし、日本独占資本主義と日本政府の対外活動に、帝国主義的、あるいは他民族抑圧的な、侵略的な要素があるかないかという問題は、独占資本主義の復活・強化がどこまですすんできたかという基準によってではなく、日本の大企業・財界および日本政府の政策と行動の全体を、事実にもとづいて調査・点検し、それにもとづいて判断してゆくことが、重要であります。
以上が、綱領改定案=不破報告による新たな「帝国主義」論である。