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綱領改定討論欄

 この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。

綱領改定案に対する批判(3)

2003/8/2 S・N生、60代以上、無職

3.改良主義への移行と現状認識の歪み

(1)改良主義への移行

 先に、綱領改定案に対する批判(1)において、改定案は、当面の民主主義革命について、現在の日本社会の矛盾を解決する革命であり、その意味で自足的な革命だと主張しており、したがって、その後の社会主義革命の必然性を示していない、ということを指摘した。今回はこの点について論じる。

 まず、改定案が、当面する民主主義革命を「資本主義の枠内で可能な民主的改革」と規定し、「日本の独占資本と対米従属の体制を代表する勢力から、日本国民の利益を代表する勢力の手に国の権力を移す」と言っているが、独占資本そのものの経済的支配の打倒を課題としていないことは、明確に認識しておかなければならない。「ルールなき資本主義」を「ルールある経済社会」に変え、「大企業にたいする民主的規制を主な手段として、その横暴な支配をおさえる」としているが、日本経済において圧倒的な経済的支配力をもつ大企業(独占資本)の存続そのものは容認しているのである。

 この状態の下で、改定案は、大企業に対する「民主的規制を通じて、労働者や消費者、中小企業と地域経済、環境にたいする社会的責任を大企業に果たさせ、国民の生活と権利を守るルールづくりを促進するとともに、つりあいのとれた経済の発展をはかる」と主張している。ここで意味していることは、労働者の長時間過密労働やサービス残業の規制、解雇規制、消費者保護、中小企業へのしわ寄せの規制、環境保護基準の厳守などを指していると思われる。

 これらの規制が重要であることに疑問の余地はないが、しかし、ここで挙げられている諸問題は、大企業の経済支配の結果に対する対症療法に過ぎず、日本経済の矛盾の根本的解決ではない。

 日本経済の矛盾を根本的に解決するためには、大企業の経済支配の根源にメスを入れなければならない。すなわち、大企業が社会に責任のある存在であることを公認させ、大企業の経営そのものを、利潤追求第一の原則から社会的必要を満たすことを第一原則とするものに改変しなければならない。そのために必要なことは、多くある。第1に、大企業の経営の意思決定が重役会(形式的には株主総会)に委ねられている状態(すなわち資本の独裁)を改めて、当該企業の労働者や地域住民の意思が反映される制度をつくること。第2に、大企業の「企業秘密」(資本の独裁の基礎条件)を否認し、その情報(個人情報は別として、経理・購買生産販売・商品の価格設定・技術開発・国内外の投資計画・企業間の提携合併計画など)をすべて公開させて、その経営を社会全体の監視のもとに置くこと。第3に、銀行や証券会社などの金融機関もこのような社会的規制のもとにおき、資金の流れを利潤第一原則から社会的必要に応じるものに変えてゆくこと。投機的金融取引を厳重に規制すること。第4に、企業間の取引(商品サービスの取引・資金取引)が経済全体のバランスを崩さないように、市場取引を社会的に規制すること。――これらの社会的規制のためには、労働運動・大衆運動の高揚(主体的条件)と情報技術の活用(客体的条件)が不可避である。

 だが、このような大企業の社会的規制の諸条件を列挙してみると、これはすでにその資本主義的私的所有の否定、その社会的所有への転化の第一歩、すなわち社会主義革命への第一歩であることがわかる。これこそ、現在の日本経済の矛盾を解決するために必要とされていることなのである。ところが、改定案は、当面は民主主義革命の段階だからという理由で、この社会主義への第一歩を踏み出すことを恐れている。そこで、長時間過密労働規制など大企業の経済支配の結果への対症療法を説くだけで、その根源にメスを入れようとしないのである。

 このように、改定案は臆病でいながら、この対症療法だけで、日本経済の現在の矛盾が解決されるかのような幻想をふりまいている。すなわち、改定案における「つりあいのとれた経済発展をはかる」という言葉がそれである。この「つりあい」についての説明はないので、経済活動の均衡一般を指すと理解するしかないが、そもそも「資本主義の枠内」で、しかも大企業の経済的支配が存続しているもとで、経済の「均衡」が達成しうるであろうか。そこでは、市場の無政府性にともなう生産諸部門間の不均衡、生産と消費の不均衡(過剰生産、不況、失業)、財政不均衡、国際収支の不均衡、資本の海外移転にともなう産業空洞化、などが不可避である。大企業の民主的規制によって労働者の権利を守るなどの上記の改良を勝ち取ること(改良のための闘争)は絶対必要であるが、そのことと、改良によって資本主義の枠内で経済的矛盾が解決され、「つりあいのとれた経済の発展」が実現できるかのように説くこととは、全く別である。後者を改良主義という。改定案はこの道に踏み込んでいるのである。

(2)戦後日本資本主義の認識の歪み

 改定案のこのような改良主義的傾向は、現在の日本経済の矛盾の根源を戦後日本資本主義の構造そのものにあると把握するのではなく、大企業の支配の「横暴さ」や日本資本主義の「ルールの欠如」だけが問題だ(だからこれを変えれば矛盾は解決する)という矛盾の皮相なつかみ方にもとづいている。これは現状認識の大きな歪みである。

 先に、戦後民主主義革命が「流産」「ざせつ」したという現綱領の把握を紹介したが、これが現実なのであって、このために、とくに労働者階級は無権利状態に陥れられた。まず、占領軍の弾圧(2.1スト禁止、公務員のスト権剥奪、レッドパージなど)に始まり、1950年代から重化学工業大企業で進められた階級的労働運動の抑圧(資本のテコ入れのもとでの第二組合設立や右翼幹部の組合支配、組合の職場闘争の抑圧、批判的労働者に対する非人道的迫害など。資本支配確立の指標は60年三池闘争敗北と64年IMF・JC設立)によって、「大企業の生産現場に市民社会の常識では容認できない人権の抑圧が生じている」(熊沢誠『日本的経営の明暗』p.30)という状態が一般化したのである。戦後日本の重化学工業独占資本は、一方、こうした他国に類をみない労働者の無権利状態(そのもとでの過労死を生むほどの長時間過密労働)に依拠しつつ、アメリカの支援と日本政府の全力をあげた育成策を受けて、世界でまれな高度成長を実現し、国際競争力を強化することができた。そして、現在、長期不況のもとで、労働者の無権利状態はさらに残酷さを増し、首切り(リストラ)と過密労働の強化による過労死・自殺が激増しているという有様である。

 したがって、改定案が繰り返している「大企業の支配の横暴さ」とは、戦後日本の階級的労働運動の衰退と表裏の関係にあり、戦後日本独占資本の存立の要件なのである。この点が、ヨーロッパ諸国とは決定的に異なる点であって、ヨーロッパで戦後、社会民主主義政党と労働運動の高揚にもとづいて、福祉国家体制が築かれ、労働者の権利が伸長したのとは対照的である。

 今後、日本において、こうした「大企業の支配の横暴さ」を抑えるための闘争(改良のための闘争)は大きく進めなければならない。しかし、上記のように、この改良のための闘争の強調と、改良によって矛盾が解決するかのように説く改良主義的主張とは、明確に区別しなければならない。日本において、この独占資本支配の矛盾を解決するためには、改良のための闘争を通じて凋落した労働運動・大衆運動を建て直し、それを発展させることによって、独占資本の政治的経済的支配そのものの打破を目指さなければならない。改定案には、この見地がない(もしくは薄い)と言わざるをえないのである。