この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。
ばるさん、澄空さん、川上さん、democratさんの投稿を興味深く読ませていただきました。
みなさんの知識も豊富で真剣な議論を拝聴しております。
私はとても皆さんのようには理論的でもないし、知識もありませんので、別の視点から意見を投稿します。
「綱領」とは英語では「プログラム」のことだそうですね。辞書では、party platform 、party program と書かれています。
私など、プログラムといわれればコンピュータプログラムを連想するのですが、これとの対比で考えてみましょう。
プログラムを変更するのはどのような場合かというと、第一に現在のプログラムにバグがある場合です。これはシステムが正常に動作しなくなります。第二にはプログラムの対象が変化して、内容がそぐわなくなった場合。第三にはより分かり易く使いやすい、オペレータが誤操作しないように改良する場合でしょうか。
今回の綱領改訂は、中央委員会は第三の場合だと説明しているのですが、実際には第一と第二の要素がたくさんに含まれていると思います。特に、現在のプログラムが天皇制について「ブルジョア君主制の一種」と明確に規定している以上、「君主制ではない」と主張するためには、現在のプログラムにバグが存在したのだということを認めることが先決でしょう。憲法は戦後一度も改定されていないのだから、プログラムにバグがあったことは明らかです。
綱領に対する論議を深めるためにも、中央委員会はプログラムのどの部分を、どういう理由と解釈で、どのように変更したのかを説明するべきです。「さぁ、これが新しいプログラムですよ。半年間で議論できるでしょう。その後はJCPというコンピュータはこのプログラムで動きます」では納得できませんね。
ここはバグだから直した。この部分はバグではないが、こうしたほうが良いので変更した、というような説明が不可欠でしょう。
そうしてこそ、より議論が深まるのだと思います。
さらに、物事を分析する場合は、時系列的な視点が欠かせません。綱領案の論理的内容だけを吟味するのでは不十分です。これも卑近な例ですが、株価や競馬の予想を考えてみました。今日の株価の銘柄ごとの比較や18頭の出走馬の能力だけを比較しても有意義な予想は立てれません。少なくとも3前走くらいのデータで比較する必要があります。
綱領に関しても、現在の綱領案の文書の論理性を議論してもあまり役には立たないでしょう。少なくとも現綱領との比較、61年綱領からの比較がされることが重要だと思います。大事なのは、「時系列的視点で」どのように変化したのかを掴むことです。
democratさんと他の方の議論がかみ合わないように見えるのは、こうした視点の違いのように思われます。
以上のような考えから、私は新しい綱領案には「反対」です。
天皇制に関する問題を「機が熟するまでの」永遠のかなたに押しやってしまったと思います。
中央委員会には次のように言いたい。
これまで哲学者は世界をいろいろと解釈してきたが、大事なのは解釈することではなく、変革することである。
国民の合意が得られるようになるまで待つんでしょうか? 変革の立場はどうしたのでしょうか。