この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。
おそらくここでの議論の分かれ目は、現行憲法の革命戦略における位置づけと評価の問題なのだろう。現行憲法が戦後、現在に至るまで様々な民主的運動や人権擁護闘争の強力な武器となり、革新自治体が「憲法を暮らしに生かす」を合い言葉につくられたことは記憶に新しい。それ故、戦後の進歩と反動、保守と革新の対決点はほとんどが憲法を軸としたものであったし、21世紀に入り改憲策動は焦眉の問題となっている。
綱領改定案が「現行憲法の前文をふくむ全条項をまもり、とくに平和的民主的諸条項の完全実施をめざす」と書いたのは、このような戦後の実践をふまえて当面する民主的改革の中での憲法の位置づけを抜本的に高めた結果、「憲法改悪反対」という消極的位置づけを改めたのだと私は理解している。
憲法と天皇制について言えば、象徴天皇制条項を原則的に運用するならば天皇は政治的に無化された過去の残滓として存在するにすぎず、誤解を恐れずに言えば、その廃止は政治的問題ではなくて国民の「趣味」の問題にすぎない。また、憲法が明文で統治権を否定している以上、「君主」などという紛らわしい呼び方はすべきでない。そういうことだろう。
いずれにせよ、「天皇制廃止」を言わなければ左翼でない、あるいは重大な変節であるなどという偏狭な態度は慎むべきである。
綱領改定案を批判する人たちは、結局私の挙げた2つの問いに答えてくれなかった。
1.憲法が明文で統治権を否定している現在の象徴天皇制に対して、あえて「君主制」や「君主」という表現を用いる実践的意味は何か?
2.憲法の主権在民や政教分離原則の厳格適用ではなく、「天皇制廃止」の方針を掲げることで、具体的にいかなる運動や実践を行うのか。
不毛な批判でなく、実践につながる真摯な対話と討論をしたければ、固定観念を排してよく考えてほしい。
澄空氏へ
最後まで理解してもらえなかったようですが、「憲法解釈主義」とか「憲法をプリズムに」などという言葉の端々にあらわれた憲法軽視の姿勢が私には一番気にかかります。憲法解釈はそれ自体が重要な闘いであること、憲法が民主的改革の最大の武器であることをよく考えてほしいと思います。
象徴天皇条項は憲法の「弱点」であるとしても、憲法が統一した法典である以上、その弱点を主権在民などの基本原理に反しないように解釈し、運用するべきなのです。
国事行為に関するあなたの議論は意味不明です。8月6日付けの投稿で「国事行為」そのものを批判せよと言ったのはあなたです。「内閣の助言と承認なしにはできない」からよいというなら批判にならないでしょう。それとも共産党が参加する内閣は助言と承認をしないというのでしょうか? 天皇による国務大臣の任免は、憲法改正をしない限り必要不可欠なのですが・・・。
こうとくしゅうすい氏へ
あなたの議論は実にくだらない。人の発言を理解するつもりがないなら、ここでの議論のレベルを下げるだけだから黙っていた方がよろしい。
私が党に「従順」な立場で発言しているのかどうかは、これまでの発言を読めばわかるはずです。だいたい党に従順なら、このようなところで発言するわけがないでしょう。ちなみに、私は民主集中制については完全否定、分派活動肯定論者です。
あなたがご自分の発言に責任を持つのなら、「私は天皇制に反対であり、象徴天皇条項は将来廃止すべきだと考えている。だから、現行憲法においても・・・」と書いた続きの「・・・」を展開してごらんなさい。論理的思考の持ち主なら、「現行憲法においても、象徴天皇条項は尊重しない」のようにしかならないでしょう。もとより一般国民に憲法尊重擁護義務はありませんから(憲法99条)、そう発言するのは自由ですがね。
川上慎一氏へ
川上さんには私の議論の趣旨はほぼ理解してもらったと思います。
1点だけ。クーデター的利用の点は現代日本のような発達した資本主義国でそのような事態が起こりうるかという歴史認識の問題です。冷戦時代のチリとはかなり状況が違います。また、私は「現在の」ではなく「現代の政治状況」と書きました。つまり、戦前の明治憲法下の状況に歴史が逆転することはないという意味です。その程度の歴史の進歩はさすがに肯定すべきだと思います。
それでも「万々が一」クーデターが起きたときは・・・、いわばゴルバチョフ政権下の保守派のクーデターがソ連崩壊のきっかけとなったように、天皇がクーデターに乗せられるようなことがあれば、そのときこそ象徴天皇制が廃止されるときだと私は思います。まあ、そのような愚かなことは自衛隊も天皇もおよそ考えないでしょうがね。