この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。
論争はもう終えるつもりでしたが、ご指名ですので、最小限のお答えをしておきます。
まず、私の前回のお返事は、その前のさつきさんの投稿で私の議論を「マヌーバ」という非常に思わせぶりで、かつ不適切な総括をされたので(アンフェアな議論の仕方ですね)、その点を反論するためのものです。その他は気になった点を私の観点でコメントしただけですので、あなたの主張全体を曲げたつもりはありません。
つぎに、「なぜ象徴天皇制の廃止を望むのか?」という点ですが、「単に不愉快だから」ではいけませんか。最も強力な理由だと思いますが。もちろん、「不愉快」の中身は、戦前の天皇制の血塗られた歴史、過去の君主制の残滓、マスコミの不当で不快な敬語、世襲制の「身分」等々ですが、これらは民主主義や平等原則の徹底の問題です。
「天皇制を憲法の枠内に封じ込める事で無害化できるのなら将来も廃止しなくても良いのでは?」という揚げ足取り的な質問については、政治的に無害にすることと民主主義の徹底の問題は別だといえば十分でしょう。それとも、天皇制を廃止するために、現憲法に則って無害化することに反対ですか? それではまるで、大企業の害悪を際立たせるために民主的規制に反対するかのような、転倒した議論ですね。
「象徴」の意味についてですが、この点こそ私が明治憲法第1条との比較で理解すべきだといったポイントです。つまり、「象徴」とは「統治権者でない」ことを裏返して述べただけの意味であって、憲法解釈上も「象徴」に法的効果を伴う積極的意義はないというのが通説です。
なお、個人が国家の象徴symbolであるというのは、君主や大統領が一般に有している機能であって、理解困難なものではありません。ブッシュは現在のアメリカの象徴であるし、不破氏は現在の共産党を象徴するといえるでしょう。この意味では現在の日本を象徴するものは天皇よりもむしろ小泉首相ですね。憲法原則を徹底し政治的無化がすすめば、それだけ象徴としての機能も薄れていくはずです。
憲法解釈についての質問について。まず、天皇が政治的権能を持たないことは憲法9条と自衛隊よりもはるかに条文上明快だし、解釈上の争いもありません。そのことをまず断った上で、
A:「主権者である国民の総意に基づく」の「総意」とは、もちろん文字通りの意味ではなく、そう「みなす」という擬制です。
B:そして、手続上は憲法制定議会で確認されたわけですが、当時の国民の大多数が象徴天皇条項も含めて憲法を支持したことは否定できません。
党の綱領はどう書かれるべきかについては、まず、現行綱領自体が天皇制廃止についてはほとんど大したことは書いていないという点をお忘れのようです。
私は綱領というのは基本思想と当面する改革の政治方針を明らかにすれば十分であって、議論の分かれる未来の具体的展望は簡潔なアウトライン以上には書くべきでないと考えます。
綱領改定案が、「党は、一人の個人あるいは一つの家族が『国民統合』の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ」と明確に象徴天皇制廃止の立場を示しているのに、なぜ「天皇制容認と受け取られても仕方のないほどに本末転倒になっていることへの失望の大きさ」という言葉が出てくるのか、私には全く理解できませんね。
最後に、教育現場の例を挙げられましたが、ここでも日の丸・君が代の存在それ自体の問題と、それを思想信条、良心の自由を侵害するやり方で強制する人権侵害の問題の2つの次元があることを区別すべきです。前者は歴史認識とイデオロギーの問題ですが、後者は歴然たる憲法問題です。たとえ富士山の旗とさくらさくらの歌であったとしても、後者の国家主義的強制の憲法問題は消えないのです。
「憲法の枠内に封じ込める」とは、象徴のそうした用い方を許さないということを意味しています。