この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。
私の8/7の投稿で、自らが「マヌーバ」と批判されたことを引き合いに出してあなたの論考を評したことは大変不正確であり、川上さんの弁護にもかかわらず、私の至らぬ点であったと反省しています。私は、現行綱領の明確な象徴天皇制廃止の方針に立脚する共産党員が、「憲法の天皇条項を護れと力説し、かつ、将来の廃止へ至る方策について何も言及しない方が(戦略上)良いと主張すること」は、マヌーバに他ならないと単純に思ったのです。しかし、今回のdemocratさんの投稿では、「なぜ象徴天皇制の廃止を望むのか」について、「単に不愉快だから」とのお返事なので納得しました。なるほど、民主主義や平等原則の(多少の)不徹底が残る程度ですむ問題なら、その方が良いでしょう。そして、綱領改定案の文案はそのような「思想」に合致しているようにも思えます。しかしそれなら、現行綱領との整合性を力説するような補足説明(不破報告)は止めるべきとの疑問は残ります。
なお、「単に不愉快だから」は最も強力な(天皇制廃止を望む)理由である、とのお説ですが、それは「単に好きだから」との理由で(天皇制を)擁護する立場と拮抗するだけで、これとは闘えず、将来の多数派形成へ向けた努力をむなしくする発想です。democratさんとしてはそれでも良いということなのでしょう。
次に、私の主張が曲げられているというのは、今回もまた、たとえば次のような一文に再現されています。
>それとも、天皇制を廃止するために、現憲法に則って無害化することに反対ですか? それではまるで、大企業の害悪を際立たせるために民主的規制に反対するかのような、転倒した議論ですね。
私は前回の投稿で「「当面の運動方針や一致点として憲法原則の厳格実施を求める」というあなたの立場は、私の立場と同じです。」と書いた筈です。この点については他の方からも共通して何度も指摘されてきたと思うのですが、democratさんには、この事を理解しようという姿勢がついに感じられませんでした。
「象徴」の意味についてですが、私がこの問題にこだわる理由は、この言葉こそが「フック」となって、「ソフトなイデオロギー支配の装置としての役割」を発揮すべく国民の間にしみこませている元凶であると思うからです。しかし、「ソフトなイデオロギー支配の装置としての役割」のもつ危険性についての認識のギャップがあまりに大きすぎる相手とは無駄な議論であったかもしれません。以下、せっかくコメントをいただいたのですから、感想を書いておきます。
「ブッシュは現在のアメリカの象徴である」という表現が妥当だとして、このように結果的に誰もがsymbolとみなすような存在になる事(受動的な現象)と、「ハトは平和の象徴である」というように、取り決めによってsymbolとみなす場合(操作)とではsymbolの意味が違っています。democratさんも書かれているように、「この(前者の)意味では現在の日本を象徴するものは天皇よりもむしろ小泉首相です」。にもかかわらず、日本国の象徴は天皇であると憲法で規定された訳です。それも、戦前の「絶対天皇制」時代に天皇であった者をそのまま「象徴」にすげ替えただけのものです。democratさんは「憲法原則を徹底し政治的無化がすすめば、それだけ象徴としての機能も薄れていくはずです。 」と書かれましたが、私が決してそういう事はないと考えるのは、symbolizeされるものの成立過程がブッシュと天皇とで根本的に違うからです。
最後に、憲法解釈についての質問にお答えいただきありがとうございます。これで子供達が納得するか自信はありませんが、法律家の説明としては納得しました。この問題と「象徴」の持つ意味は、教育現場での「ソフトなイデオロギー支配の装置」との闘いの実践とすべてリンクしています。少なくとも私の信頼する共産党員達は、そのように奮闘してきました。それは「思想信条、良心の自由を侵害するやり方で強制する人権侵害の問題=国家主義的強制の憲法問題」にとどまらず、むしろ次代を担う子供達に、人権とは、真の平等とは、真の民主主義とは何かを教える教育実践の場での奮闘です。その共産党員達を支えてきた現行綱領の(象徴)天皇制についての規定を掲げておきます。天皇条項の持つ「ソフトなイデオロギー支配の装置」としての危険性が簡潔に表現されていると思います(これで十分という意味ではありません)。
「天皇制は絶対主義的な性格を失ったが、ブルジョア君主制の一種として温存され、アメリカ帝国主義と日本独占資本の政治的思想的支配と軍国主義復活の道具とされた。」