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綱領改定討論欄

 この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。

党の綱領と民主連合政府の綱領とは区別されなければならない

2003/8/21 澄空、30代、会社員

 democrat氏の投稿に沿いながら、党の綱領と民主連合政府の綱領との区別という観点から不破綱領を批判する。

1、綱領は国民に対する政党としての公約である。democrat氏によれば、この公約違反を追及することが「党内闘争のネタ」で「内向きの議論」なるらしい。この人にとって指導部批判はタブーなようだ。
 しかも、それに対する彼のいうところの「国民レベルの議論」とは、「あえて『君主』や『君主制』と呼ぶのは、君主扱いを助長する反動的効果しかないのではないのか、という意味」だと言うのだから開いた口がふさがらない。
 現行綱領のとおり、主権を有していない「君主制」であることを明らかにした上で、「共和制」と区別する意味で天皇制を「(ブルジョア)君主制」と規定することが、実践的には「反動勢力と同じ立場」になるだろうか? それなら、これまで共産党は反動勢力だったことになるではないか。
 democrat氏は、そういう非難を避けたいがために、「党内闘争ネタ」と「国民レベルの議論」とに垣根を設けているだけなのである。

2、現行綱領の立場と、不破綱領、不破綱領とはまた異なったdemocrat氏の立場が同じだとする議論はすでに論破されている。それに反論もせずに同じだと繰り返しても議論は進まないのである。
 民主連合政府の綱領が、憲法を尊重し遵守し、天皇制についても憲法の条項を厳格に守るとしているのは当然である。だが、この政府綱領と、綱領に掲げる政策(民主主義革命の一連の政策)とは必ずしも一致しないのであって、保守派からどんな非難を受けようとも、一致させる必要はないのである。自民党も党是として長らく改憲を掲げながら、政府としては提起できなかったではないか。だからといって彼らはその目標を撤回しはしなかった。それどころか、半世紀以上かけて、国会に改憲のための憲法調査会という機関を設置するところまでこぎつけているのだ。

 わが党においても、不破氏が全権を掌握するまでは、それは同じことだった。
 たとえば、「民主連合政府」の綱領提案を決定した第12回党大会では、この問題についての公明党からの攻撃(共産党は「憲法べっ視姿勢」であるという攻撃)に対して、断固として綱領を擁護した。

 当時、より徹底した民主主義的憲法の制定をめざして奮闘したわが党が、現行憲法の平和的民主的条項を積極的に評価するとともに、反動的な天皇条項をのこし、反戦平和と主権擁護、民主主義の点で不徹底な面をもつ現行憲法を無上のものとして絶対視する態度をとっていないのは、当然のことです。
 主権在民を真に徹底する立場から、「君主制を廃止し、反動的国家機構を根本的に変革して人民共和国をつくり、名実ともに国会を国の最高機関とする人民の民主主義国家体制を確立する」ことを綱領に明記している党として、わが党が天皇条項を支持できないのはあきらかです。 (第12回党大会、「『民主連合政府についての日本共産党の提案』について」より)

 このように、憲法を絶対視せず、「反動的な」天皇条項を支持しないという綱領の立場は、民主連合政府綱領で憲法を遵守すると述べていたにもかかわらず、堅持されていた。さらに、80年代後半に、天皇美化キャンペーンが始まると、天皇制イデオロギーとの闘争のためにも、綱領の原則的立場をあいまいにしてはならないことが実践的にも明白になったのである。
 にもかかわらず、党の実践を「憲法の関係条項をきちんとまもる立場から対処」してきたと一面的な解釈をする21大会3中総での不破氏の発言 (現在の党の公式見解とされている)や不破綱領は、党の歴史を冒涜するものだと言ってよい。

3、「現行綱領下の党の天皇問題での実践で、『天皇制反対』を理由にしたものがあるか」とdemocrat氏は問うているが、すでに説明済みだ。
 「天皇制廃止」の方針を堅持するからと言って、「天皇制廃止」を無媒介に掲げた運動があるわけではない。不破綱領の「民主主義革命」においても象徴天皇制を守るからと言って、democrat氏は「天皇制擁護」を掲げて運動するのだろうか?
 不破氏はこれまでの党の実践を「天皇制反対」を理由にしたものではないと解釈しなおしているだけである。我々は、実践的には、それを一面的だと指摘するだけで十分であって、過去のあれこれの実践について、「天皇制反対」を理由にしたものがあるかと解釈・点検することはあまり意義がない。
 それこそ問わなければならないことは、98年から始まったこの不破氏の新解釈が、党の「実践」にどんな影響を及ぼしたかである。すでに5年を経過しており、実践による検証が十分可能だからだ。それを抜きにして「実践的意義」を語ることはできない。
 不破綱領は、本来の綱領の立場を投げ捨て、民主連合政府綱領を党の綱領にまで高めることによって、天皇条項も含めて「守る」とあえて自らの手を縛ったのである。それがこの間の党の実践にブレが生じた原因であろう。
 実践における誤りは、誤りだと評価するだけでは同じ誤りを繰り返すことを避けることができない。その原因を明らかにする努力こそ必要なのだ。

4、democrat氏は、自分の意見に合わない者を勝手に「憲法原則に天皇制を封じ込める解釈の努力は放棄せよ」という意見だと「解釈」したがる。これは厳格な解釈とは言いがたい。私たちはそんなばかげたことは一言たりとも言っていない。それだけでは不十分だと言ってるのである。
 たとえばその生い立ちからして反動的な国会の憲法調査会での審議は、まさしく、現状の天皇(制)の行為を何らかのの「公的行為」として位置付けようとする保守派と「憲法原則に天皇制を封じ込める解釈の努力」をする革新派とが対峙する実践の場である。
 共産党議員は、現在の党の立場を主張し、たとえば国事行為として規定されていない現状の天皇の行為(ここでも議論の対象になっている国会開会式や認証官任命式等)を、「公的行為」とみなそうとする保守派に対して、規定されていないものは「私的行為」とみなすべきだと主張している(たとえば、今年2月の小委員会での山口富男議員の発言)。
 それに対して、保守派からは「天皇の権能をできるだけ狭めて、できれば形骸化してしまうという方向への議論」(園田逸夫・元最高裁判所判事の発言)だと批判もされているのだが、党の議員たちは守りの立場に留まり「天皇の権能をできるだけ狭める議論」をそれ以上展開しない。

 国事行為として規定されていない行為が「私的行為」であるならば、その当然の論理的帰結として、少なくともそれに対する予算の正当性を問わなければならないし、予算を伴う私的行為の削減・簡略化・形骸化等をも要求しなければならないはずだ。それこそが「天皇の権能をできるだけ狭める議論」であり、democrat氏が力説してやまない戦略ではないだろうか。
 ところが、共産党の国会議員にはそれができない。なぜか? 戦略は正しいが、ただサボタージュしているだけなのか? そうではない。
 それは、民主連合政府で天皇制には「手を付けることはしない」(昨年4月の吉岡吉典議員の発言)とする立場を、党の本来の立場だとみなす現在の党指導部の立場に根ざしている。憲法調査会において、あえて、このような発言をする「実践的意義」はどこにあるのだろうか? democrat氏にも、ぜひ説明してもらいたいものだ。
 「天皇の権能をできるだけ狭める議論」を展開するためにも、「民主連合政府綱領」とは別に、天皇制廃止という党の独自方針を堅持する必要があるのだ。