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綱領改定討論欄

 この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。

追伸(「象徴」をめぐってのまとめ、ほか)

2003/8/21 さつき、40代

 私は8/7の投稿以来、一貫して「象徴天皇制」の「象徴」の意味を問い続けてきました。democratさんの解説にもかかわらず、いまだに理解できずにいます。いったいどれくらいの日本人がこの言葉の輪郭を正確に理解しているのか疑問です。憲法発布当時、大多数の国民が「主権者である国民の総意に基づく象徴」を支持したことが事実だとしても、意味の曖昧なまま「受け入れた」にすぎないのだろうと、そう理解しています。意味の曖昧な言葉は、解釈次第でどのようにも説明可能で、その言葉が文面に存在する限り、結局のところ解釈の闘いにならざるを得ません。論理ではなく「解釈だけの闘い」になったら数の多い者の勝ちに決まっています(そこに「象徴天皇制」の反動的な政治的「仕掛け」を感じます)。そうであるなら私達は解釈の闘い(守り)と平行して、イデオロギーの上での多数派を形成するための息の長い闘い(攻め)をも切り開いていかなければなりません。

 二つの闘いを平行して進めようとする時に、解釈の闘いはどのような言葉を用いてなされなければならないでしょうか。司法の現場では、あくまで憲法条文の論理構造を盾に憲法の精神を護る立場から、澄空さんも指摘されているように、「その厳格な適用を要求することになる」のは自明のことです。しかし、この闘いが(憲法の精神についての)解釈の闘いである限りにおいて、論理的な基盤は脆弱です。そこに、司法の現場での闘いのみに終始することの危険性があります。この闘いを有利に導くためには、大衆的な支持と賛同を集め、世論の後押しを得る必要があります。そのためには、我々の考える「解釈」がいかに国民のためになるものであるかを説得的に語らねばなりません。

 この第一の闘いとしての「解釈の闘い」は、「当面の運動方針や一致点として憲法原則の厳格実施を求める」という統一戦線的な性格を持つものである以上、当然ながら天皇制の廃止を掲げるものではあり得ません。それでも、大衆的な支持を得るために用いられる言葉は、もはや憲法条文の解釈という枠内にとどまるものでもあり得ないでしょう。「天皇制」を巡る議論においては主権在民や平等理念や政教分離の原則さえも国民のためになるかどうかは、国民の誰にとっても自明のこととは必ずしも言えないからです。生活苦による多数の自殺者を出しながらも、多額の税金で皇室を支え続ける国民性を考えれば理解されるでしょうか。

 その時に、どのような論理や言葉が隣人を説得する力を持つだろうかと考えます。敢えて言えばそれは「理想」や「普遍的真理」に根ざした言葉であろうと思います。当然ながらそれは「象徴天皇制」の廃止をも志向した言葉となるでしょう。democratさんは、天皇制廃止の立場の新左翼系の人や宗教者の人たちを含む市民運動として、天皇制に関する訴訟に取り組んでいらっしゃるとのことで、そのことは、天皇制廃止の立場であることが、この「憲法の厳格適用を求める」統一戦線に参加する障害にはならないことを実践的に示されています。むしろ、天皇制廃止を志向するからこそ、天皇制の牙を憲法条文の枠内に押しとどめるべく「解釈」の努力が払われるのだと思います。冒頭に書いたことを確認するなら、そして結局は、このような論理を多数派のものにできなければ「解釈」である限りにおいてこの闘いは負ける運命にあると思うのです。

 従って、第二の闘い=「イデオロギーの上での多数派を形成するための闘い」を独立に位置付けつつ、第一の闘いとリンクさせる必要があると考えます。遠い未来のことであっても、「共産主義者」であろうとするなら、そのための言葉を捜し、不断にそれを言い続けなければなりません。特に、子供達に向けて。それもまた闘いの「実践」の一形態であり、第二の闘いそのものです。

 私は谷口 章さんの8/4の投稿に触発され、やむにやまれぬ気持ちからこの議論に加わりました。最も困難な闘いに果敢に挑んできた日本共産党の、しかし、私が知るようになって後の四半世紀は、そうした闘いに最も自覚的に連帯してきた良心的な人々を裏切り続けてきた歴史の落差を思います。私のような外部の人間が、党の綱領の問題に深入りするのはそもそもお門違いというものです(その意味でdemocratさんが時間を割いて対応して下さったことに感謝しています)。しかし、私は党員であった頃、少なくない数の友人達を党へ引き入れました。その友人達の殆どは今なお党員であり続けています。彼らを党へ迎え入れるに際し、私は何と言って説得したのか? (現行)綱領の正しさを力説したのではなかったのか? 今は、細々と市民運動と共産党との仲立ちに人生の一面を割いている自分にとっても、綱領改定は重大事件なのです。

 もし、「不破報告」が力説するように「改定案」が現行綱領とまったく整合的なものであり、単に分かり易く言い換えただけのものであるのなら大した問題ではありません。しかし、多くの党員達と違って、党外の者には両者の差異は際立っていると受け取られています(これまで党がどのように説明し続けて来たのかを良く憶えているからです)。それをマスコミの誤った論調のせいだけにするのなら、今後事ある毎に、綱領の文章そのものよりも「不破報告」の方を前面に持ち出して解説し続けなければならなくなるでしょう。「改定案」が「不破報告」で解説されている意味通りには分かり易くなどなっていないことだけは、はっきりと申し上げておきたい。「新党」という話題も浮上し、正直言って私は途方にくれています。