この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。
democrat氏の論調を見ていると、高弘氏のことを考えずにはいられない。
彼は「テロは絶対にいけない=人民の抵抗闘争はいけない」という公理を作り出し、そこからイラク戦争、ベトナム戦争の正当化、イスラエルの占領支配の正当性の論理を展開したが、democrat氏は「天皇=象徴=政治的無力」という公理から非ユークリッド幾何学を展開する。
その実践的帰結はべからず集の作成である。
「かくかくしかじかという偏狭な態度は慎むべきである。」
「党内論争はうちむきだからやめるべき。」
「君主制、立憲君主制、ブルジョア君主制の用語はつかうべきではない。」
「議論する気が無いのなら、投稿すべきではない」
突っ込みどころ満載だが、簡潔に。
「君主制規定は君主扱いを助長させる」の論については
①助長させるという言葉の用法がすでに天皇制が君主扱いされていることを前提にしている。
②戦後数十年の綱領、党文献がそういう役割をになってきたのか。
③国事行為の規定が天皇が君主然として振舞うことを規定している。それ以外の存在意義は無い。
ことを反証としてあげておきたい。
「ハトは象徴である。天皇も象徴である。ハトが政治的に無力だから、天皇も政治的無力である。」という論者には、水戸黄門という時代劇を見ることをお勧めしたい。
フィクションと現実が違うところは、現実において紋章をつけた印籠をふりまわしているのは悪代官であるということぐらいである。
「君主制廃止の文言を削除しても、民主的共和制の実現があるのだから同じではないか」という論についてあるが、共産党の論理においては、ある文言を削除するということはその文言の使用を抑制・禁止するに等しいものがあるということだ。前衛規定の削除によって前衛が使用禁止用語扱いされ、「前衛」誌の広告が新聞紙上でできなくなり、選挙戦敗北に一役買ったことを痛恨のおもいでふりかえざろうえない。
democrat氏の論は珍論だとして看過できない物がある。
天皇制論において不破氏の論理展開とdemocrat氏の論理展開は非常に似ており今後不破氏がdemocrat氏張りの論理展開でものごとをすすめていこうとすることが予測されるからである。
新綱領は現行綱領との比較を困難にされる意図が見え隠れするほどぐちゃぐちゃにされてしまっている。これにスッキリ感を覚える人がいればお会いしたいものである。
新植民地主義という用語の削除も、新植民地主義論的なものの考え方を排除しようという意図がうかがわれるのであるが、「万国の労働者と被抑圧民族団結せよ」の語句が消えてなくなったことは果たして何を意味するのであろうか?