この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。
2003/7/28 ぽっぺんさん、お返事が遅くなってすみません。
この間、7/30 のさつきさん(「民主集中制」は不思議なシステム)、8/2の KM生さん(ぽっぺん氏へ)の意見がありました。わたしの心情としてふたりの意見に近いものがあります。
新日和見主義の事実がどうであったのかはわかりませんが、わたしが問題にしたのは彼らが敵だったのだろうか?という疑問です。
はじめのころは、わたしもぽっぺんさんと同じように考えて、正しい運動をしている隊列からどうして変革をめざすひとが離れていくのだろうか、それは、党の上に個人をおくからだ、といった程度に考えていました。
ところが、ソ連が崩壊すると、インタナショナルの本質をこめて「共産党」と自称していたものが、われわれはソ連共産党とは違う「日本共産党」だと中央がいえば、翌日の赤旗からすべての記事が「日本共産党」と書くし、国会議員から地方議員までが昔からそう自称していたようにわざわざ「日本」をつけて呼称する。日本に共産党はひとつだという誇りから「日本」をはぶいて「共産党」と自称していたことばが何の議論もなしに変わってしまうことに疑問を持ちました。
党大会の議案書で丸山真男という学者が突然批判されると、地区委員や市会議員の丸山真男の本を読んだことのないひとまでが、まるで丸山真男が反共の学者であるかのように支部で話をする。善意に思えば党中央が間違ったことを言うはずがないということになるのですが、刷り込みともいえるわけで、自分の頭で考えることをやめてしまった思考停止ではないかと思ったわけです(赤旗の文化面で議論すべき性質の問題でしょう)。そうした思考停止がスターリンや金日成といった怪物をつくるのではないでしょうか。
そうしたときに、反対意見や異論があるのが正常であって、目的を同じにするものであれば異論の芽を排除するのでなく、包括的に抱え込める組織であるべきだと思ったのです。
社会主義が民主主義の高度に発達したものならば、それを目指す政党は民主主義の最も体現した組織であらねばならないだろうと思うわけです。
党中央は綱領改正案への意見を載せた冊子を発行するそうですが、いっそう常設の投稿誌にしたらどうなのでしょうかね。