この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。
4.改定案第3章に対する批判
(1)現代帝国主義について
不破氏は、「提案報告」において、第2次大戦後植民地体制が崩壊したので、レーニンが論じたような「独占資本主義=帝国主義」という見方は妥当性を失い、資本の輸出も「経済的帝国主義の手段という性格を失ってきています」と述べ、ある国を「帝国主義」と呼ぶか否かは、その国が侵略的政策をとっているか否かによって判断されるべきだと言う。そして、現在アメリカがとっている政策は帝国主義だが、イラク戦争をめぐって対立したフランス・ドイツは帝国主義ではない、だからこの対立は帝国主義陣営内部の対立ではない、と主張している。
帝国主義についてのこのような見方は、帝国主義を資本主義のある段階での政治経済体制とみるレーニン以来の帝国主義概念の否定であり、この「報告」でも言及されているカウツキー主義への転落だと言わざるをえない。問題のポイントは、不破氏には歴史的段階認識が欠如しているということである。レーニン『帝国主義論』以後、現在に至るまで、帝国主義のあり方には大きな変化が生じてきた。その視点から、現在が帝国主義のいかなる段階にあるのかということを分析すべきであるのに、不破氏は古典と現状とを直接対比して、状況が違ったから古典の規定は妥当せず、体制としての帝国主義は存在しないという誤った結論を引き出しているのである。
同じ論法を使えば、マルクスの時代と現在とを直接対比して、19世紀に書かれた『資本論』はもはや21世紀の現在に合わないので、『資本論』で解明された資本主義の諸法則はもはや通用しない、と言うこともできるように見える。しかし、こうした議論は科学的ではない。19世紀以来、資本主義は幾つかの危機の時代を経て異なった諸段階を経過してきたが、資本主義である以上、『資本論』で解明された資本主義の諸法則はその基礎において貫徹している。そこで、『資本論』をベースとして、その上に、その後の諸段階についての理論的分析の成果を重層的に積み上げるというやり方で、現代を把握すべきなのである。これが古典を現代に生かすための科学的方法である。レーニンの『帝国主義論』についても、このような姿勢で扱うべきであるが、不破氏はこうしたやり方をとろうとはしていない。
現在から見れば、『帝国主義論』が描いた植民地を支配する帝国主義列強対立の時代を「古典的帝国主義」と呼ぶことができる。第2次大戦の結果、ソ連に加えて中国・東欧が社会主義陣営に加わり、資本主義諸国で労働運動・社会主義運動が高揚し、植民地体制が崩壊したことによって、「古典的帝国主義」の段階は終わった。アメリカは、超大国となったソ連に対抗して、資本主義諸国を糾合し、旧植民地諸国を傘下に収める帝国主義的統合支配体制を築いた。この体制はしばしば「パクス・アメリカーナ」と呼ばれるが、「パクス(平和)」ではなく社会主義との軍事対決を基軸としていたので、「冷戦帝国主義体制」と呼ぶ方が適切だと考える。これは、「古典的帝国主義」とは異なる帝国主義の第2段階であった。そのもとで、途上国に対する「新植民地主義」的支配も行われた。この「冷戦体制」のもとで、資本主義諸国間の不均等発展(アメリカは先端軍事産業を肥大させ、日独などは鉄鋼・自動車・電機などの分野でアメリカを抜く)が激しくなり、アメリカは双子の赤字(財政と貿易収支の赤字)に苦しむことになった。
「冷戦帝国主義体制」はソ連など「冷戦社会主義体制」を崩すことに成功し、その後、帝国主義は第3の段階に入った。ここでアメリカはソ連という敵を失った後、しばらく模索を続けたが、「テロ」と「ならずもの国家」という新たな敵を作り出し、軍事攻撃を繰り返すことによって、自国の超大国ぶりを誇示しつつ、同時に経済のグローバル化を推進して弱体化した自国経済を補強しようとしている。現代帝国主義は、このアメリカのスーパー帝国主義と、仏独主導で進められているEUの2流帝国主義とを特徴とするもので、新型独占資本=多国籍企業を経済的基礎としている。イラク戦争に対する仏独の反対は、圧倒的な民衆の反戦運動を背景とするものであったが、同時に、イラクの石油利権をめぐる米仏間の帝国主義的利害対立も一要素であった。(さらに、イラクが石油販売代金をドルではなくユーロで受け取ろうとしたことが、ドル支配を揺るがしかねないものとして、アメリカの反発を呼んだということも、指摘されている。ここにも、世界最大の債務国アメリカの不換通貨ドルが国際通貨の位置を占め続けてきたことの矛盾と、このドル支配を脅かそうとしているユーロとの対立関係が反映している。)不破「報告」は、「現代帝国主義」を、資本主義の現段階が必然的に生み出した国際的な政治経済体制として把握するという視点を欠いているのである。
(2)情報革命について
いま一つ、改定案の第3章(世界情勢)で目につく点は、情報革命やインターネットについて一言も触れられていないことである。
現代の情報革命は、グーテンベルクの印刷術の発明(1455年頃)――これはまず聖書を神父の独占から一般民衆に解放し、民衆の文化的能力の革命的発達を可能にした――と匹敵する歴史的意義をもつものといわれる。それは、すべての情報をデジタルに変換し、コンピュータで処理し、伝達することを通じて、国境を越えた情報の同時共有・分散処理を推進するとともに、労働の社会的結合(社会的協業と分業の編成)の範囲と深度を飛躍的に発展させつつある。
この情報技術は、一面では、資本の軍事的・政治的・経済的支配の武器として使われているが、同時に民衆の人格的自立を促し、反グローバリゼーション・反戦運動のための連帯の武器として大きな役割を果たし始めている。また、将来、前稿(改定案批判(3))で述べた大企業の社会的規制・市場の社会的規制(社会主義への移行)のための不可欠な物質的基礎となる。この点を無視していることは、改定案の大きな欠陥である。