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綱領改定討論欄

 この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。

高校生でも分かること

2003/8/6 こうとくしゅうすい、20代、学生

 法曹界にたずさわる人が、このような文章を書くことは「傍ら痛し」の何物でもない。

「天皇の政治利用」について一言すれば、戦前と戦後の政治的利用は全く異なることを認識すべきです(1)。戦前の軍部台頭に利用された天皇の「統帥権」や美濃部博士の天皇国家機関説に対する非難は、まさに天皇が明治憲法において万世一系の絶対君主とされたことが利用された(2)のであって、このような利用は現行憲法の下では全く不可能です(3)。現在の政治利用は体制維持の保守的ムードを醸成する飾りもの、あるいは「究極の有名人」として利用されているものであって、それすら昭和天皇の死去後は中性化しつつあります(4)。主権在民の精神に反する政治利用に対してはそれ自体が憲法違反であると批判すればよい問題(5)であって、政治利用されるから天皇が「君主」になるなどということはありえません(6)

 まず(1)戦前・戦後の天皇の政治的利用の相違は(2)天皇の「統帥権」や美濃部博士の天皇国家機関説に対する非難=明治憲法に基づくものとして(3)現行憲法では全く不可能と結論づけている。しかし高校生でも分かる文章論理だが、(1)→(2)→(3)には論理の飛躍が存在する。仮に(2))天皇の「統帥権」や美濃部博士の天皇国家機関説に対する非難=明治憲法に基づくものとしても、現行憲法における『天皇の「統帥権」や美濃部博士の天皇国家機関説に対する非難』を論理としているのではない。現行憲法における「天皇の政治的利用」が問題なのである。
 つまり(1)戦前・戦後の天皇の政治的利用の違いは、(2)戦前憲法に基づくものと(3)戦後憲法に基づくものの相違である。よって、戦後憲法では、政治的利用は「全くに不可能」である。
 しかし今問われているのは、戦前憲法に基づく「政治的利用」ではなく、戦後憲法に基づく「政治的利用」なのである。戦前憲法と戦後憲法が相違していることが、何故「戦後憲法」に基づく「政治的利用」が「全く不可能」であるか、その根拠が抜けているのである。
 現行憲法において、天皇が刑事責任を問わないことは通説であると同時に、民事裁判籍がないとの判例が出ていることは「法律家」なら当然知っているはずだ。
 「天皇無問責」が、戦前・戦後憲法において「断絶」されてないことは明白である。
 さらに(4)昭和天皇の死後から「中性化」されたのではなく、昭和天皇死後から天皇の戦争責任が「曖昧化」されたのである。
 さらに(5)天皇が政治的利用をされた→憲法違反と批判すると述べながら(6)政治利用されるから天皇が「君主」になるなどということはありえません、などという意味不明な結語になっている。(5)では、政治的利用をされたならば憲法違反と述べ、(6)では政治的利用は「天皇の君主化」の根拠ではないと述べている。
 つまりこうである。天皇の政治的利用を根拠として「天皇の君主化」はありえない。けれども政治的利用をするならば現行憲法違反と批判すればよい。しかし現行憲法で政治的利用は「全く不可能」である。なぜなら、現行憲法と戦前憲法は違うから。
 この文章は、論理破綻していることは高校生でも分かることである。