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綱領改定討論欄

 この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。

「象徴」の政治的意味について:democratさんへ

2003/8/7 さつき、40代

 私は、「さざ波通信」が開設されて間もない頃よりここに注目をし、いくつかの私見を投稿してきました。かっての私は、おそらくdemocratさんと似たようなスタンスで物を語っていたように思います。それに対して吉野傍さんが、「それはマヌーバである」と批判して下さいました。私はしばらく沈黙し、自問自答を繰り返し、そののち考えを改めました。吉野傍さんへはお礼を言いそびれて今日に至っています。

 democratさんご自身が、「民主集中制などの党中央の教条主義」に批判的な見解をお持ちなら、まずその事を主張したらいかがですか? 私は、「不破体制」になって後の、なし崩し的な、またある時は唐突な「改良主義」への変身ぶりと、一方で民主集中制の軍隊組織論的強化が同時進行するのを見るにつけ、そこに大きな歪みを感じます。綱領改定案が、democratさんが仰るように「歴史的到達点や社会科学の成果を真剣に検討して柔軟な発想で書かれている」かどうかは、全党的な討議によって評価されるべきです。しかし、指導する側とされる側の階層構造の中で、そのような自由な討論がなされる可能性はほとんどないでしょう。唯一、党規違反すれすれのこの場だけが、わずかな望みです。

 その意味で私は、ここにdemocratさん、ばるさんさん、ぽっぺんさんが登場されて、本当に良かったと思っています。ですから澄空さんとばるさんさんとの討論が物別れに終わった事が残念です。私には仲介する能力がありませんので、以下、天皇制問題についての私見だけを述べたいと思います。

 「変身ぶり」と書くのは、方針変更に際しての説明が全く不足していると思うからです。democratさんは、「党が「天皇制廃止」の方針を掲げて取り組んだ運動はない」と書かれましたが、本当にそうでしょうか? 現行綱領には「天皇制廃止」が明確に示されているからこそ、天皇の国会開会宣言の際に退席するなどのかっての行為もまた、そこに射程を置いたものである事が誰の目にも明らかだった筈です。それが、現行憲法にもとづく「天皇の政治利用や政教分離原則違反の問題」という枠内だけの取り組みであったとしても、この間の党としての行動上の後退は明らかです。そうした方針転換に納得できる説明があったとは思えません。

 「方針転換」には、情勢の変化に対応した場合と方針上の誤りが明らかになった場合の二通りがあるでしょう。後者には自己批判と責任問題が伴いますが、この間の「方針転換」は全て前者のケースとして説明されているようです。しかし、「象徴天皇制」にかかわる情勢の変化として、むしろこの条項の政治的意味が持つ危険性は、ますます強まっていると考えます。

 「天皇は君主ではなくて象徴にすぎない」と説かれて腑に落ちる人の気持ちが私には理解できません。「象徴」とは何でしょうか? どなたか私にわかるように説明をお願いしたいものです。特定の家族・親族に多額の税金をつぎ込み、その「長」を国家の「象徴」にしてしまうという発想の何とグロテスクな事か。それを、言葉の定義上「君主」とは呼ばないと憲法学者や党中央がいくら強弁しても、「象徴」にされてしまうような「お方」は「君主」以外の何者でもないと、私などは思ってしまいます。言葉の定義も大切ですから、「象徴○○制」が、歴史・社会科学の学問分野の中で国際的にもその機能を正しく伝えて通用する言葉ならそれで良いのでしょうが、とうていそうは思えません。

 それでも「象徴」は、天皇が特別な存在である事の確認を迫る表現である事は確かでしょう。特別な存在だからこそ、たとえ政治上の権能を有しないと規定されていても、特別に例外扱いされ、あらゆる政治利用が特別に正当化され得るのだと思います。むしろいざという時に権力の都合の良いようにそうした機能を発揮する装置として意図的に仕組まれたのが「象徴天皇制」ではないかとさへ思われます。憲法の枠内での「守り」の発想から抜け出さなければ、これとは闘えないでしょう。

 自衛隊が憲法違反の存在であることは、普通の日本語力のある者が憲法を読めば簡単にわかることです。にもかかわらず自衛隊という名の世界有数の軍隊が存在し、自衛のためだけの筈が外国にまで出かける始末。一方で「象徴天皇制」の条項は憲法の中で最もわかりにくい文章であり、なおさら悪用される危険性を内包しています。この条項の存在によって憲法全体の論理構造は不完全なものになり、「世界に冠たる」と誇れないものになっています。この不完全さをついて憲法の他の民主的条項さえも簡単に踏みにじられているのが現状ではないでしょうか。「象徴天皇制は天皇一家・皇室親族に対する人権侵害である」と私の尊敬する恩師は言いました。この表現にこそ腑に落ちるものがあります。日本共産党には原理原則を前面に押し出してもらいたいと切に願うものです。