この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。
天皇は「君主」、その存在する政体は「君主制」という固定観念にとらわれている人がここには多すぎるようだ。「敵を批判しているうちに自分自身が敵に似てくる」とはラッセルが冷戦を批判した言葉だが、エンゲルスなら「両極端は相接する」というのではなかろうか。
ちなみに、『全訂日本国憲法』(宮沢・芦部)p45~は次のように書いている。
「・・・明治憲法の天皇は明らかに君主の性格をもっていたが、日本国憲法の天皇はその性格をもっていないと解すべきだろう。後者は統治権の総攬者でないばかりでなく、行政権の持ち手ですらないからである。
君主を有する国家体制が君主制であり、それをもたない国家体制が共和制である。明治憲法の天皇は君主であったから、当時の日本は君主制であった。日本国憲法の天皇が君主の性格をもたないという解釈をとれば、その結果として、今の日本は共和制だといわざるを得ないだろう。」
主権在民の憲法に基づいて原則的に考える憲法学者は、「日本は共和制」であるとはっきり言い切っている。もちろん、君主の概念をファジーにしてしまえば別の議論も可能だし、自民党政府は「立憲君主制」というであろう。しかし、我々が前者の解釈をとるべきなのかは明らかではないだろうか。
澄空氏に一言。
象徴天皇制は国民主権等の憲法原則を前提とした制度であり、「国民主権や平和主義、民主主義、基本的人権等に反する」制度ではない。少なくとも憲法解釈としてはそうあるべきであって、「憲法原則の枠内に象徴天皇制を封じ込める」努力が必要なのである。「天皇は君主である」などと言って、憲法の「矛盾」を拡大して喜ぶのは右翼だけだ。あなたの言う「天皇制条項を克服する立場」で具体的にどのような実践がなされるのか、相変わらず全く理解できない。
それから、国事行為を批判せよとのことであるが、民主連合政府ができたときに共産党の閣僚は天皇の任免を拒否するのであろうか? 憲法改正を提案するのは極めて政治的な判断を要する問題であり、天皇制に反対だから拒否するではまさに「左翼小児病」である。我々は、志位発言が国旗国歌法制化のきっかけとなった愚を忘れるべきではない。
こうとくしゅうすい氏へ
人の発言を「高校生でも分かること」などと批判するのは、きちんと読んでからにしてもらいたい。私は明治憲法下のような天皇の政治利用は全く不可能である言っているのであって、現行憲法下で政治利用が「全く不可能」などとは言っていない。つまり、澄空氏や川上氏のいう天皇をクーデターの道具にするような利用方法について荒唐無稽だと批判しているのだ。
高校生以下の読解力なのはあなたの方ではないか。