この討論欄は、第23回党大会に向けた、綱領改定案にかかわる問題を論じるコーナーです。
さつきさんが過去にここで何にについてどう語っていたかは知りませんが、「マヌーバ」(策略)という言葉について全く誤解されているようです。
天皇問題についての綱領改定案の立場、そして私の立場で語ると次のようになります。
「私は天皇制に反対であり、象徴天皇条項は将来廃止すべきだと考えている。しかし、現行憲法が存在する以上、憲法に規定された国民主権下の象徴天皇制は尊重し、主権在民や政教分離原則などの憲法原則に沿った運用を求める。」
このように自らの立場を明らかにしたうえで当面の運動方針や一致点として憲法原則の厳格実施を求めるわけだから、これはマヌーバではありません。
前にも書きましたが私を含めてここにいる人や党の関係者で天皇制を(たとえ「象徴」であっても)不愉快に思わない人、廃止を望まない人はいないはずです。問題は、今何をなすべきかなのです。
また、憲法が規定していることは「腑に落ちるかどうか」の問題ではなく、その命じる規範に我々がどういう態度をとるかの問題です。憲法9条については、現実に自衛隊があることをもって「9条は現実と合わないから腑に落ちない」などと我々は決していわないはずです。逆に、「憲法を守れ」というでしょう。同様に、憲法が「天皇は君主ではなく象徴にすぎない」と書いているのなら、我々はそれが「腑に落ちる」かどうかではなく、その規範を遵守せよというべきなのです(「象徴」の意味については7月25日付けで書いています)。
憲法9条同様、象徴天皇制条項においても、憲法解釈はそれ自体が一つの闘いなのです。天皇を君主であるかのように理解しようとする人たちに対して、我々はそうではないという憲法解釈を突きつけなければなりません。
なお、「象徴天皇制の条項は憲法の中で最もわかりにくい文章」とのことですが、私は全くそうは思いません。
現行憲法第1条を明治憲法第1条と比べて読めば、明治憲法において「万世一系の絶対的主権者」であった天皇の地位とその根拠が現行憲法ではいずれも完全に否定され、「主権者である国民の総意に基づく象徴」にドラスティックに転換されたことが明瞭に読み取れるでしょう。象徴天皇条項の歴史的意義はこの点に存在するのです。
ちなみに、私は新左翼系の人や宗教者の人たちを含む市民運動として、天皇制に関する訴訟に取り組んでいます。多数の参加者は天皇制廃止の立場の人たちですが、ここにいる人たちと違って物わかりがよく、運動の一致点と目標が象徴天皇制を前提とした憲法擁護運動であることに何の異論も出ません。今、天皇制廃止で憲法改正を提起することが百害あって一利なし、極めて危険な改憲策動につながるだけであることを皆さん十二分にわかっているからです。だから、現行憲法を闘いの武器として最大限活用しているわけです。もちろん、天皇制を否定する発言や通信は全く自由にやっています。
さて、ここで威勢のよい発言をされている方たちは、具体的にどのように語り、どのように運動されるのでしょうかね。